挑戦と不安の対処
シゴクリラジオ
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。今回のテーマは
不安、挑戦
やってみるですね。そういった不安というのはどうしてもあるんだけども
やってみる、挑戦していく、やっていく次、それを振り返る。要は不安の対処と言いますか
考え方ですね。それでやってみる価値みたいなことを少し共有していければいいかなと思います。今回もどうぞよろしくお願い致します。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回ですね、不安の対策というとちょっと客観的すぎますが、不安は何でもありますよねと。で、そういったところですね。
少し友人と話してたんですが、不安というよりも、次のですね、やってみること、もしくはやった後の成功失敗みたいなね
ことがあると知った時に、多くはですね、やってみたことを
あまり評価せずですね。 なんかやったんだよねっていうのは評価されず
うまくいったことは、すごいねってなるんだけど、うまくいかなかったことは、なんかそれをやらない方がいいんじゃないみたいなね
わかりますかね。ことを言われてしまうと。 これってまあよくよく考えて、リスナーのあなたもぜひ考えていただきたいんですけど、例えばですよ
このラジオ、シゴクリラジオは仕事づくりをしようということで、ビジネスでもね。 スタートアップはちょっと激しすぎるからわかんないんですけど
まあなんでもいいんですよね。自分で、社会もしくは誰かお客さんのために、もしくは自分の課題があるから、それを解決する。 もしくは自分のやり方だったら治ったよって。例えば花粉症が治った薬がある。薬ってよくないな。お茶があるから
それを売るとかでもいいと思うんですよね。なんか変な仕上がったらいいと思うんですよね。 変な売り方仕上がったらいいと思うんですけど
ネットワークビジネスみたいなやつはちょっとやめていただきたいんですが、まあそれを置いといて、お茶があって通販するとか、保険の申請出して、取扱いとか職員衛生法とか薬事法とかわかりませんが、なんか通販して売ると。
そういうことをやってみたいんだよねって言った時に、例えばですよ。じゃあいきなり借りるんじゃなくて、楽天モールなのか、
ヤフーショッピングはわかんないですね。まあメルカリでやるのもどうかわかりませんが。
Amazonとか。まずはやる前に、自分の商品を作る前に、まずそのどういう商品があるかを調べるとか、もしくはそのモールとかレンタルするところで
いくらかかるのかを調べるとか、もしくは知り合いとかにちょっと連絡してみて、なんかやってるんだよね、教えてよみたいなことを聞いてみるとか。
本を買ってきてもいいですよね。ECサイト、通販。通販じゃなくてもいいですよね。ある種で売るとかね。実際の市場ですね。売るとか。
ノウハウを売るとかでもいいし、動画にまず撮ってね。作り方を出して反応を見るとか。
今いくつか話しました。これは僕が今考えたアイディアかと思うんですが、
それはね、割と平易というか思いつく方もいらっしゃると思うんですよね。で、これがやることですよね。最後のYouTubeで自分のお茶の飲み方とか作り方とかを
料理教室じゃないですけど、料理番組じゃないけど教えて伝えると。 で、どうなるかを反応をうかがうか、手応えですね。
みたいなことをやると。それがまさにやることじゃないですけど、やってみること。
完成形はちょっとわかんないんですけど、自分が作った花粉症が良くなったお茶とかの、お茶じゃなくてもいいですけど、お茶とかの
自分で作ってなかったら飲み方ですよね。そういうお茶が良かったかを伝えるみたいなことで、それでも商品を売ってお金を得るみたいな、アフィリエートになりますがこの場合。
もうちょっと違うやり方で、そのメーカーとかでやり取りして、もしくは直接仕入れて安く買って、それを売ることもできるかもしれませんよね。
ちょっとそこはマネタリズム細かいことを置いておいて、そういう授業というかなんかやりたいと思ったとするじゃないですか。
ちょっと長くなりましたけどね。そうしたときに、一番最初の一歩は調べたり、さっきの動画を撮ったり、アウトプットしていくことになると、僕は考えてます。
その最初の一歩とか、YouTube動画を撮ってやるじゃないですか。反応がなかったとするじゃないですか。大体ないんですけどね。
それに対して、もしくはあなたがそれをやった。そしたらその周りの人、もしくは誰かが、そんなのやっても意味ないんですよねとか、
そんな動画を素人が撮って、反応を得られるわけないじゃんみたいなことを言われる、もしくは言ってしまう人がいると。
言ってしまう立場の人もしかしたらいるかもしれませんね。意味ないでしょとかね。 どうでしょうね。いや、そうは言ってもどうなのかなと思って。
まあまあまあ。話を置いておいて、そういう言われた経験があるかもしれませんし、いたことがあるかもしれませんし、僕もね、もしかしたら言ってるかもしれないんで、ちょっと
良くないなと思いながら、どんどんやっていきましょうと。その時に、YouTube動画でそのお茶のことを言ってるんだけど、
そのやったことがうまくいったかどうかって言ったら、狙いはすごいその反応が欲しかったんだけど、
全く本当に反応がなかったと。あまり視聴回数もほとんどない。ゼロに近い。もしくは、いいねとかコメントももちろんゼロ。その時に
その正規としては失敗となるわけですよね。多分ね。その人の中でもね。そうした時に、それってうまくいってないですよねっていうことは言うと。
ここで、別に取り組みを否定するんじゃなくて、じゃあYouTube動画を撮って、やったこと、挑戦したことと、その整備ですよね。
うまくいった、うまくいかなかった。うまくいった、いかなかったも定義があるから、少なくとも一人にPV1、もしくはいいね1は欲しかったっていう定義をしたら、
ゼロだとしたら、それは一応失敗じゃないですか。目標に達しなかった。二達ですよね。もしそれができたら成功した。
この時にうまくいかなかったから、じゃあそれで話が終わればいいんですよ。それはうまくいかなかったんですね。
じゃなくて、そのなぜかYouTube動画を撮ったその挑戦自体を否定すると、
やったことを否定するっていう状況が結構割りかしかなりあるんじゃないのかなっていうようなことを話してたってことですね。
やってみることの価値
今回の話として。つまり、もう一回整理しますと、何かをやることはすごく、僕自身は良いことだと思っているし、やっていった方がいい。
やらないと進まないからですね。ずっと頭の中で念じてても変わらないんで、そのさっきのお茶を何か販売して、自分の花粉症が治ったとか調子が良くなったやり方を誰かに届けたいんだよねっていう。
じゃあやったらいいじゃないですかって言われたら、でやったってことですね。やってみた。自分なりに何かやったんで。
なるほどね。っていうその挑戦はグッドというかね、あのグレイトというか素晴らしいわけですね。
なんて思うんですね僕はね。でもどうもその社会的にね、一般的にって良くないんですけど、なんか全然別の世界というか
物差しとしてその挑戦とかやること、やってみることの価値を評価しないところにいらっしゃるとですね、リスナーのあなたもでも全然いいんですけど、
なぜかですね、そのやったことの誠意ですよね。YouTube動画でお茶のお話をした、それがすごいね、バズったり、
それでバンバン売れるとか、何かがないとだいたい失敗だと言われる。要は失敗は許されてないんですよね。
なぜかね。わかりますね。これわかりますかね。 学生さんとかだとなかなかイメージしていないかもしれませんが、
勉強したいとかね、なんかこうアルバイトとかしたことが全て自分の人生に直結して役立たないとダメだみたいなんてつらくないですか。
勉強とかでもそうですけど、いろいろ寄り道したりなんかあるから、わからなかったよね。
学んでいけるっていうのは、僕は確かにあると思うんですけど、そういうじゃあやってみてうまくいかなかったから、そのやってみたことを、その根っこの方を否定されてしまう。
ってことは、もっと別、やってみたことを否定されるってことは、やってみた自分、あなたが否定されてしまうことになるわけです。
っていう意味で、これは何度も言っていくし、僕も今も次回を込めて言うんですけど、やること自体を否定してはやっぱりダメなんですよね。
やること、もちろん反社会的な人がダメですよ。じゃなくて、その人がやってみたいことっていうのは、別にまず受け入れていって、
何でやりたいんですかとか、そういうふうにやられたんですね、よかったですねっていうふうに、知らない人なんですよ。全然僕も知らない人も、いやそれわからん、わからんわっていうことがいっぱいありますよ。
例えば僕がスポーツとかやっている、やったことあるんですけど、スポーツでやり込んでね、一生懸命やってそれでプロやりたいとか、そういうこと絶対思ったことないので、
わかんないんだけど、でもプロを目指す人がいて、その人が何かやっていることに対して、なんか全然ケチつけるということはないわけですよ。
挑戦と嫉妬の心理
で、なんでケチをつけるというか、他人の人に何かこういう人っていらっしゃるじゃないですか。で、なぜかというと、すごいシンプルでして、自分がうまくいってないんですよね。
自分がうまくいってないっていうのは、もっと端的に言うと、成功とか幸福とか豊かっていうことでもあるんですけど、
そうじゃないってことですね。豊かじゃない、幸福じゃないっていうことは、他の人に言って荒探しというか失敗探しをして、嫉妬してたりするわけですよね。
ネタんでるしている。で、その時にそれで心の中で思っておけばいいことを言ってしまうっていうところで、なんかいろいろ問題が起きる。
根本はさっき言った、挑戦ですよね。挑戦して何かやるっていうところに自分ができないから、できている人に対して攻撃対象となると。
これ厄介なんですけど、そういうのって、要は自分がうまくいって何か挑戦して何かやられてたら、そのこと絶対言わないんですよね。
で、そこで自分もやってきてうまくいってうまくやれなかったのがあるからっていうところを踏まえて、
コミュニケーションできる人は、良きアドバイザーっていう人にはなると思います。
でも、それがなくてもですよ。自分に何かそういう経験なくても、僕にそのスポーツに関するアドバイスって言ったら無理なんですけど、
それを抽象化して、自分ならこういうふうに言えることがあるから、例えばスポーツと仕事作りって違うかもしれないんだけど、
学習するとか挑戦するっていう意味では、多分どう言いいただける方もいらっしゃるんじゃないかなっていうふうに思ってるわけです。
何かやるときにはね。細かいことは分かんないですよ。スポーツ得意の何かとかは分かんないし、技術は分かんないし、
サッカー出たらドリブルはどうするかって知らん。しょうがない。勉強をして知識をつけようってこともあんまりないので、
見てね、遊んでやるんだぐらいしかないんですけど、そういうことになってるんですよね。
要は、不安っていうのがあるときに何かやってみたい。不安があるというか、こういうことをやってみたいんだけど、
何かうまくいくか不安みたいなのは誰でもあるってことですよね。誰でもあるんだけど、その中で自分がやってみた。
やってみたら、やってみるときに不安がある。不安があるんだけどやってみた。
やってみたら結果が出るじゃないですか。うまくいった、うまくいかなかった。
それに対して、うまくいかなかったんだね、うまくいったんだねみたいな話で、じゃあ次どうしていこうみたいな話にならずに、
何故かやってみたことに対してうまくいかなかったから叩かれるというか、何でそのことをするんだみたいな話になる。
もしくは、うまくいってもそれは運だよねみたいな感じで評価されるというか、ひたすらやったことに対する挑戦することとか、
試すことに関しての評価するというもの差しがないというか、評価軸とか素晴らしいですねというのに対してひたすら評価がされないというのは非常にまずいなって思うんですよね。
もう1個混乱するので言わないんですけど、やれば何でも評価されるというのも色々できていくけど、
それはそれで、ただやればいいというね。何でもいいからやればいいというのもまた違うわけですよね。
ただ、フェーズとしては何も最初にやったことに対して評価されなければ誰もやらないんで、まずはステップとしてはまずやることを何でもいいのでやる。
パチパチパチって子供が喋ったとか歩いたとか、こんなことしてるとか、子供騙しみたいなふうにもしかしたら思われる方もいらっしゃるかもしれないんですが、
全然その意図はなくて、少しでもやったことを褒めるということを繰り返して自分を褒めていって、それを慣らしていくと。
数とか目安とか期間とか、僕もなかなか言えないんですけど、人次第なんで言えないんですけど、例えば1、2ヶ月やってて、やり続けていったら変わるわけですよね。
僕の例で今、WebShiftとかAIプロタイプツールっていうのを使ってるんですけども、それを毎日やってるだけでバラ色でうまくいくとかそういうことではもちろんなくて、
やっていく中で全然学びと言いますか、これやったらこうなるんだなってことを得ながらちょっとずつ見えない感じで進んでいくという感じがあるんじゃないかなっていうふうに思ってやってますね。
だからそれ自体も、ちょうどやってることをそんなことやるなっていう人が別に僕は出会ってないんですけど、もしかしたらそういう人がいるかもしれないし、そんな意味ないよっていうふうに否定してくる人もいると。
例えばブログ記事とかSNSとか投稿100本やるとか、ラジオ、ポッドキャストも10本でも何でもいいんだけどやってみたらって言われてやってるんだけど、そんなのやっても別に何も起こらないよっていうね。
何も起こらないではちょっと変なんですけど、期待値が高すぎて100本取ったら有名になれるとか、100本取ったらお金がいっぱい入ってきて幸せになれるとか、
それはですね、そもそも期待されてることがずれてるので、世の中の仕組みとかもしくは、世の中の仕組みじゃないですね。
人が何か行動してすぐ得られるもの、すぐ短期的に得られるものを重視してすぎ、いわゆるもっと端的にあり手にいってしまえば目の前のものだけを得ようとするっていうね。
そういう感じがちょっと強いので、なかなかそこは、それをね、否定してね、っていうのはないんですけど、僕自身が否定するというか、
仕事作りの自立
でも、ただ僕は採用はしないんで、それだけはね、それだけでやると、すぐやったことが結果にならない、すぐ得られる、自分気持ちよくならないならやらないっていうのは、さすがにちょっとやりすぎかなと思いますね。
で、これを話をすると次に反論としてくるのが、そのやったことがフィードバックでうまく得られないと続かないんですよねっていうのは確かなんで、その調整が必要なんですけど、
じゃあその調整って言ってるけど、じゃあ自分がそのいい感じで学んだり挑戦して褒められていくようなそのフィードバックが得られて、
次に繋いでいくようなその好循環というようなサイクルみたいなのがあるんですよね。
あるんですけど、それを見つけるにはもう分かりかもしれませんが、自分でやって、何かチャレンジして、挑戦してみて、やってみて、試してみてっていうところがあって、
何でもいいんですよ、何でもいいのでやって、その上でそれに対して、成否、失敗、成功もわかんない、その期待値がより一次第ですけど、定義があって、
っていうところなんですよね、まずは。
だからその試してみる、挑戦してみるっていうものがすっぽり抜けた、そこを取ってですね、そこを評価せずやったんだねっていうのをまず評価されるように、
自分でも誰かでも、環境でもいいんですけど、しないとやらないわけですよ、誰でもね。
要はやったらやったで、何かうまくいかなかったから、それ見たことかこれ見たことかって言われるわけですよ。
いやじゃない、誰もやれないですよね、だからそれは危険だなと思うんですよね。
じゃあ、それはいいよねって言ってやると、で褒めていくと、で次に行くと、で次の評価はやったことを褒めた上で次やると。
だから前提のベースというか土台のところ、根っこのところで挑戦するっていうのを土台のところ、根っこに入れとかないとやり続けられないんですよね。
やっていって、でうまくいったものを取り出してみたいなことを延々とサイクロスとして回すくらいの感覚でやらないとなかなか難しいんだろうなって。
これもちろん性格とかね、向き、雰囲気とか環境とか運もあるでしょう。
教育もあるし、一概に皆さんそうしてくださいってことはもちろんないんですが、確実に僕の目線から言えることは、
挑戦するなんかやることに関して100%うまくいくみたいなことを予測できる人はいないわけですよね。
僕もできてないです。これがうまくいくかわかんないんだけど、まずその挑戦としてやってみるみたいな。
まずやってみる枠が結構強力にありまして、でそれをやると。でやった上でどうかを判断する。
それは割と淡々と記録して、そうなんだーみたいな。うまくいってないねーとか、うまくいってるねーとか、意外なもの生まれるよねーってことをやっていくわけですよね。
でその時にですね、やってみないと、試してみないと得られない成分みたいな、得られない要素って言った方がいいかな、得られない学びと言った方がいいですかね。
それを体験していただけると、実は自分で学ぶサイクルとか仕事作りサイクルみたいなのを僕は作れるっていうふうに考えています。
それが仕事作りの自立みたいな実装というかね、わかりづらいかもしれないですけど、前話しような授業しようっていう感覚ってそれに近いかなと思います。
やってみたその正解は誰も決めてくれないしわからないから、自分で設定して設計してこんなもんかなーっていうことをやるというのを繰り返していくと。
これがですね、僕の中では仕事作りっていうのがビジネスでお金儲けみたいな話だけにとどまらず、別にそれでもいいんですけど、
別に教養的な話で社会はどうなっているのとか人々の考え方はどうなんだとか、科学ではどうなんだとかわからないですけど、
試すことの重要性
どういう自分なりの興味関心の学びをしていく部分と、チャレンジして試していって気づく部分というのは僕の中でも驚くほど一致してまして、
だからそのリサーチが学びであり、アイデアも学びであり、もしくはリサーチインプットでアイデアを取ったとか、
その関係性みたいなのが分断されていないというか、要は統合されている感覚がするんで、
どこから入っていっても結局試すこととかは絶対しているし、もしくはしないと話が始まらないんで、
今やってないのに何かいろいろ言ってるなぁみたいなことになりますからね、自害を込めてね、やってないのにそんなこと言えないじゃないですか、
何もやってないから言えないからやるというだけですよね。
でもその企画みたいな何かこれからチャレンジするっていう時に話すのは、今やってないけどこうなりたいっていう風に未来系で言うわけじゃないですか、何かやってみたい、
今ないけどやるっていうことで、それをまず話したり出していって、次に繋げていくというか、やっていくっていうのが大事なんだよなっていうことに今回はなります。
長くありましたけど、最後に一言でまとめますと、やることっていうのは誰でも不安があるし、僕もあります。
やった時に挑戦したこと試したことっていうのは価値があるものです。まずそこまでは価値があるのでまずやりましょうと、数だろうが量だろうが質だろうが置いておいて、
その上で成否結果失敗期待値に満たすみたいな狙ったことができるできなかったとかね、成功失敗みたいなね、あるんですけどがあると。
間違えても僕が好きじゃないのは、やったことがうまくいかなかったからそのやったことが意味がないよねっていうことですね。
考え方、評価され方は好きじゃないんで、そこは分離して、やったことはなぜやったのかっていうのはあると。
やったことがうまくいったは別評価と。そうしないと何が起きるかっていったら、ここまで聞いていただいた方はもちろんお分かりになるかもしれませんが、
やること自体が意味がないんじゃない。やると失敗できなくなるんですね。分かります?10中9は失敗しますよ。
すると多くの人、多くのチャレンジが僕も含めて、やったことが意味がなくなるんです。やったことが評価されない。やることが評価されない。やろうとするためにすることが評価されない。
すなわちやらないってなっていくとどんどん急速に下がっていって、新しいことやろうとか挑戦していこうっていうのを極端に嫌うとなっていってしまうわけですよね。
逆に言うと、周りの人がチャレンジしてやろうっていう人が、別にビジネスとかをやれってことじゃなくて、新しいことでやろうとするっていう人が周りにいるかどうかでチェックできるような気がします。
その周りにそういう人がいっぱいいるのであればすごくいい環境じゃないかな、そのチャレンジにとってはね。
で、チャレンジしたいんだけど周りに全然評価してくれないっていうかいい環境がない場合は、また環境を変えていくとか作っていくっていう必要があるかなっていうふうに思います。
で、当然これはおせっかいではないんですが、老婆心的に言うと、ご自身がですね、このしごっくりラジオ、あんまり保守的な人聞いてないかもしれませんが、自分はそんなに新しいことやりたくないよねっていう人が、
逆にですね、いろんな人がやるぞっていう環境に行かないほうがそれはいいわけですよね。そこは押し付けてるわけじゃなくて、
やりたい、なんかこういうふうにやってみたい、試してみたいっていう人がそういう環境に行ったほうがいいよねっていうことになります。
今回も何か一つでも気づきがあれば幸いです。しごっくりラジオ大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。以上失礼いたします。