ラジオの配信とお知らせ
はい、こんばんは。シゴクリラジオ大橋です。今回もよろしくお願い致します。このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
はい。
本題に入る前に、余談というか、言ったかどうか忘れたんですが、シゴクリラジオの配信数が700回になりました。
いいですか、なんかの話をしたような気がするんですが、まあ700回ということで、パチパチパチパチというわけで、自分で拍手していきたいと思います。
えーと、最近ですね、たまたまですが、これもう余談なんで、いいやっていう人は飛ばしていただいて、聞いているポッドキャストとかもそうですけど、あとラジオかな、ラジオですねあれは、ラジオになるのかな。
ポッドキャストにラジオを聞いていたらね、よくわからなくなってきますけど、ラジオとかポッドキャストにおいて、番組が終わる時期、ラジオとかそうですよね、番組開編みたいなので、9月で終わるとか、いろいろあるんですけど、なんか終わったりとか、もしくは逆にどんどんやっていくぞみたいなので、盛り上がってたりとか、いろいろあるんで、なんか面白いなと。
はい、それだけ。それだけなんで、全然大した話じゃないですけど。
はい、で、えーと、そうですね、今回ですね、今回もちょっと短くにはなりますが、僕のですね、ネタ、もしくはアイディア、もしくはネタですね、のアウトプットの仕方を少し変えましたと。
変えたというのは別に特殊なことをしているわけじゃないんですが、ちょっと噛みそうだな、特殊なことをしているわけではないんですけど、今までのことやり方を変えずに、変えてないんだけど、若干変えたみたいな。
自分の中で大きい点、それはですね、要はストックのネタっていうのはもちろんあるんですけど、アウトプットする向けのものとして固めることもやってきたんですが、そこらへんって別にやらなくても出るかなと。
これは良い意味での僕のやり方、仕事術になるんですかね、ちょっとよくわかんないですけど、発想術みたいなところの話をちょっと緩めでしていきたいと思います。よかったら引き続きお聞きください。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、しごくりラジオ大橋です。今回のテーマはですね、アウトプットの仕方、アウトプット術みたいなもののちょっとした変更ですね。なんであんまりまとまっていないんですし、リスナーのあなたに変更しながらね、変更?変えながら話していきたいと思うんですけど。
まずですね、僕がですね、しごくりブログというのをですね、毎日アイデアネタというのを何か見つけてきてアウトプットしていました。もちろん今もやってますしやっていくんですが、このですね、アウトプットの仕方というのがありまして、何かというと、PCで作業してるんですがPC上にフォルダを作っておいて、そこにショートカットベースではありますが、いわゆるお気に入りみたいなものですね。
お気に入りとかあんまり使ってないので、そういう情報収集においては、何かにメモるとしたらスクラップボックスというツールを使っているだけなんですが、そのスクラップボックスではなく、細かいですけど、フォルダにショートカットリンクとして入れてました。
ショートカットリンクとかちょっとわかんないという人がいるかもしれませんが、要はフォルダでファイルっぽく見えるようにしていると。ショートカットなのでそれをクリックすると該当のURL、サイトに記事に飛ぶと。そんなような感じ。
今までは割と溜めたんですよね。常に10、20ぐらいあったのかな。なのでそこから面白いなと思ったものを、最初に面白いと思ったものをどんどんやっていくので、若干2週間とか1週間とか時差があったりした。
そんな感じなんです。
それは良いんですよ。それは良いんですけど、はたとふと気づいて、アウトプットの仕方を変えてみようと。これは別に変えなくてもいいんですけど、要はどういうことかというと、だんだんネタ用のフォルダの中にネタが減ってきたんです。
それはネタがないということではなくて、ネタが減ってきたんですかということになると思うんですけど、そうじゃなくて、スクラップボックスとかネタ元にはいっぱい面白いな、よくわからない中からいろんなものを突っ込んでいるわけですよ。突っ込んだものが既にあるんです。
スクラップボックスにネタを入れていることを知っていなかったらダメですけど、知っているわけですよね。いろいろ見たり考えてメモしているやつがあると。
それもあるんだけど、もしくは、そこまで僕はきっちりやらないんですけど、ブログの書くネタのやつ、今言っているアイディアのネタはフォルダに入れていたってやつです。
たまによりメモしたいとか調べたいというものであればスクラップボックスに書いていたってやつもあります。スクラップボックスの説明はしないんですけど、メモツールみたいなものです。
で、気づいたわけですよ。要はスクラップボックスに自分がメモツールとして入れているものがあるから、別にブログ用に何かカスタマイズしているわけでもないわけです。
ブログ用にカスタマイズしているというのはそのネタ自体は変わらないので、別にそれなくてもいいんじゃない。要はスクラップボックスにネタはあるので、それにネタを入れていなければダメですよ。
入れているからいけるんじゃないということで、これからなんですけどね。ようやくブログネタみたいなフォルダがあったんですけど、それは消しまして、リスナーのあたりはどうでもいいというか、それでどうなったって話になるんですけど、どうもこうも何もこれからということで、それを消したんですよ。
せっかくにはもうあと1個だけ残っていて、それを出したら消すというかもうない。なのでどういうやり方をするかというと、スクラップボックスの中からネタとして面白いものをピックアップしてそれを出すという感じなんです。
これに関しては四国理のディスコードというのをずっとやっているんですけど、そちらでも面白そうなニュースの記事を上げて簡単なコメントをしているというのをディスコードでやっているので、こういうのが興味があれば是非ディスコードは四国理スペースから行けますね。
四国理スペースというのは僕がやっているメタライフというメタバース上のオフィス空間になるんですが、オフィスと言ってもそこまで堅苦しいものではないので集めに来てくださいと。それはそれでいいと。
ディスコードでのアウトプットも結局いろいろあるけど、これがいいかなと。それは本当にスクラップボックスから選んでいる。
要は今のところまとめますと、スクラップボックスというネタ帳というのがあって、ネタ帳といってもそこにネタを増やしていく属性があって、そこにあるので、そこから用紙のありというかピックアップして使えばいいじゃんということに気づいたわけですね。
アイデア出しの練習
例えばノートにもちょいちょい今書いてるんですけど、最近は課題とかアイディアの小さなネタがいるかなと思ってたんですけど、アイディアももちろんいる人もいると思うんですけど、その手前の課題じゃないか。
要は解決策、何かこれを解決したい前に、人が何で困っているとか、自分が何で困っているかも含めて、自分が困っていることはわかるかもしれないですね。これはどうしたらいい。
だけどその時の解決策って結構ありきたりなものになりがちなんです。なぜなら他の情報とか他の視点がなかったり、ネタがなかったりするという、僕の言葉でいう。ネタがあれば全部できるわけじゃないです。
だけどなかったら思いつかないという状態があるんですよね。ここでも何度か言ってるんですけど、アイディアが出てこないとか、アイディア出しが苦手とか、そういう方ってアイディアを出す力があると思われている。
そういうスキル。もちろんそれはスキルと言ってもいいんですけど、どちらかというと、何度も言っているはずなんですけど、思考ですね。インプットして入れて考えるということの部分の、アウトプットが微妙というのはあるかもしれませんが、アウトプットの手前ですね。
やっぱりインプットして考えるというところが弱い。一言で言えば弱い。弱いというのは何かというと、まずネタを仕入れているか。このネタを仕入れるが非常に曖昧というか難しいというか人によるんですけど、別に何か興味関心を強制してこれやってくださいということはないんですよね。
だけど入ってくるものがあって、何らかあるわけですよ。感じることがあるわけです。生活の中、日常の中で、仕事の中で。その時に疑問に持たずにこれなんだろうねって全部受け入れますかという話なんですね。
もしくは何だろうねをちゃんと考え、そこに目を向けておかしいよねってしてて、おかしいけどしょうがないよねみたいなだけにしていないかが重要かなと思います。批判的思考というやつですね。
その時にまさにこうしてみたらいいんじゃないかというようになるわけです。今の話も課題というのを見つけてアイデアもしくは工夫解決策を見つけていくという行為に他ならないんですよね。
ということを一回だけじゃダメですよ。何度も何度もやっていくと自然とうまくなるというか自然とそういうふうに考えますよね。
つまり課題を見つけることができたり、課題を見つけたらアイデアを考えることができたり、課題が見つけたらアイデアを考えてそれを実行すると。
訓練というとちょっと大げさなんですけど、その練習に過ぎないような気がします。
だからいきなりネタを作ってそれをインプットしておいてそこから考えて出すみたいな。
それを出してというのもアイデアとか課題を出しているだけでやっていないわけですからね。
さらにそれをやるという訓練も必要で、やってしかも結果なり成果を出すというところはまだまだ改善の余地があるという感じです。
だけどやるとなるとまたボトルネックになって、やるのはモチベーションとかやりたいこともありますし、
あとシンプルに時間がかかりますよね。やったところでアウトプットしているだけでもなかなかですけど、
さらにとなっていくと大変じゃないですか。仕上げていくとか。
だから自分が思ったようにアイデアは無限に出る。もしくは課題も無限にあるけど、
絞って何かやるとなるのが非常に難しいんじゃないかなというふうに思っています。
ちょっと脱線しましたけど、もう一回整理するとスクラブボックスというところでメモ帳、ネタ帳というのができています。
からアウトプット先はブログだろうがノートだろうがディスコだろうが、
それこそ僕の場合はお客さんにアイデアを出すとか企画を作る、リサーチするということをやっているんですけど、
それもほぼほぼ一緒です。抽象化してしまえば一緒です。大きく変わらないです。
ただ流度とか精度とかが違う。流度と精度というのは求められるものということと、お客さんがいればお客さんがということですが、
ブログとかノートとかであればお客さんというよりも読者ですよね。
ポッドキャストも実話でもないですけど、そういうスクラブボックスのネタ帳からこれかなとかいうのをピックアップしてきて、そこから話しているという感じです。
アウトプットの方法を変える
なのでネタはあるのでどう出すかみたいな風にちょっとギアを変えている感じです。
ギアを変えるが、ギアをチェンジというか、いろいろ同じですけど、変えています。
なのでアウトプット先ですね、すごいね、ライブハックみたいな感じでいくと、
トゥーデューというかタスクの順番みたいなのが変わっただけですよって、もしかしたら思われる人もいると思うんですが、
でもそうかもしれない。そういう風に見える。
だけどそういうのないですか?
自分から見たら大したことに見えないけど、自分にとってはすごく意味があるみたいな。ないですか?
よく言っている仕送り的なギャップ。
自分にとっては簡単で普通でしょっていうのが、人にとってはすごい価値がありますよね。
それをやった方がいいんじゃないですかねっていうのが、仕事作りのコツですよねってことは言っているんですけど、
言い続けているんですけど、初めて聞いた方もぜひ、それしかないと思います。
それしかないと言い過ぎですけど、ただ頑張るとか、
頑張ってもいいんですけど、なんで頑張るのになりますから、楽しくいきましょうみたいなところぐらいに抑えておいた方がいいとなると、
自分が自然にできることっていう、自然にできるやつをやってくださいと。
そのネタ帳があるから、アウトプット先に応じてできますよってことで、
よりアンテナにとって意識する。アンテナとかアウトプット先っていうのを意識せずに、ネタをインプットしてきてそれをどう出すか。
結局、練習とかトレーニングって言っているじゃないですか。いきなりできないんですよ。いきなりできないので、
ブログの場合はこうかなとか、ポッドキャストの場合はこうかなとか。
例えば、僕のブログを見ている人はわかると思うんですが、全部が全部そんなにちゃんと書いていないですし、
メモの重要性
さすがにちゃんと書くやつは書いて、アイディアはこういうのがありますとか、こういう考え方ですとか、
もちろんやっていますが、そうやって結論じゃないけど、考え方はこうです。
手順は3つです。1つ目はこれ、2つ目はこれ、3つ目はこれです。
ポッドキャストでもできますよね、それを。そこから持ってきたり、もしくはそういうふうに話すことも練ればできる気がします。
ですが、それをやってしまうと質は多分上がるんでしょう。
だがしかしってやつで、これは難しいんですけど、YouTubeとかもやってて思うのが、質を上げるとか動画のクオリティを上げるとかはやったほうがいいんですよね、多分。
それは分かっている。分かっているんだが、そうやってしまうと面白くなかったりするわけですね、自分のほう。
なのでここは妥協でちょっとずつ良くしていくみたいなことですよね。
変な話で全然テーマが分からずに雑談をずっと垂れ流されてもちょっとしんどいと思うので、
完全雑談じゃなくて、今回のテーマはこれでその中の範疇に収まるようになんとか話しているというスタイルにポッドキャストになっているわけです。
でもこれを話としては聞けるけど、書き言葉で聞くとちょっと冗長だなと思うわけです。僕も思っています。冗長だな。
半分までいかない?いや、もっとかな。だいぶカットしないと個子というのは短いかなと思います。
なんだけど、分かります?台本を読んで面白かったってないじゃないですか。それに演出とか効果とか、話のキビって言うんですか。入るから面白くないですか。
そこなんですよ。アウトプットによって変わるよなっていう。変えていると言ってもいいですし、元ネタは変わらないから。
別に薄く伸ばそうとかそういう意図はないです。だらだら喋ってたら分かるじゃないですか。
テーマに関係ない雑談をして稼いでるなみたいなね。テーマに関係なくても戻ってこれないとダメってことですけど。
そうやって何度も言っている通りスクエアボックスというネタ帳に突っ込んで、ずっとやってきてるんですけど、改めて気づいたんですね。
ネタあるじゃんって。別に僕自身がネタないなと思ったことはないですが、
個別でコンテスト出すコンペ出すとか提案するときに何か足りないなみたいなのがないと。
それを探すのもそうだけど、結局それはヒントに考えてて、僕らはメモをするってことかのものが何もないと提案できないですよ。
ネタとかインプットって良くないですね。
インプットって言うと語弊があるのが、読めばいいって思っちゃう人。読んで終わりじゃなくてちゃんとメモしないとダメですよ。
メモして気づくっていうところのインプットして考えてこれなんだろうねっていうのは、何もないと印象に残らないのと、
印象に残らなくてもいいんですけど、話せないじゃないですか。
本とか記事とか読んで良かったねこれいいねって言って終わると、何回良かった記事あったねって終わりません?
じゃなくて何が良かったんですかっていうことは、メモしといた方がいいですね。
メモしたら全部覚えてるわけじゃないですけど、どこかに残りやすいっていう意味ですね。
メモすると。
それが結構簡単で相当面白いとか、例えば今回の話って別にそんな面白くないと思ってたりするんですけど、
僕は全然いいんですけど、聞いてる人はそんな面白くないかもしれないけど、
いやそれ求めてたんだよって、そういう仕事術とか聞きたかったんですよっていうのがもしあったら刺さるんですよね。
それはないかもしれない。それは置いておきましょう。
ただ全て読み手とか聞く人によるじゃないですか。話し手が意識してないところの想定外なことも起きるじゃないですか。
それはコントロールできないんですけど、今ごめんなさい、僕がそういう記事とか見たりした時に、
すごい面白いなと思うものがあれば、確かにメモしなくても残ってるかもしれない。
でもメモしておけば余計教皇になるし、メモしていってやってた方が記憶には定着しやすい気がしますね。
思い起こしやすいぐらいの意味ですね。覚えなくていいですよ。
だけど何度も何度もそれをやっていくと、この人とか、この言い回し、もしくはこの考え方とか、この課題とかってあるなとか、
ニーズっていうのもすごい調査してなんとかじゃなくて、自分が見て、あ、同じこと言ってんなと。
分かります?だったらいけるんじゃないかみたいなことですね。
そういうものかなと思います。ニーズの神様みたいなのがいて、これはニーズがあると判断するんじゃなくて、
出したものが売れたり、予約販売がすぐ埋まったり、それ反応を見ていくしかないんですよね。
だからずっとその機場で何かやっててもしょうがないですね。
っていう意味でアウトプットしましょう、行動しましょう、みたいなやろうっていうのは、おっしゃる通りというか、そう思われている方がいるかもしれませんが、その通りだと思っています。
そうやって自分の中でネタがあるから、あとはアウトプット先で決めていくということになります。
別にネタ自体はずっとやってきたので、ネタを入れるために何か特殊なことをやっているわけでもありません。
相対的にですよね、何度も言っていますけど、AIでやり取り検索するのもそうです。
GoogleのAIモードとかありますけど、AI検索とかで簡単になりますよね。
だけど、じゃあその突っ込んだり、批判的指向で突っ込んだり、これ何ですかとか、ここから何が言えるんでしょうねって考えたりするっていう人が増えるかというと、
これは批判的な数字なんですけど、増えない気がするんです。
むしろ、それがダメというよりも、そうやって突っ込んだりできる人たちは、ITエンジニア、研究者、学者、要は専門家的な視点があるという気がします。
専門家じゃないとダメということではないんですけど、それを考えることを割と成り割りにしたり、仕事にしている人たちじゃないかなと。
当たり前ですけど、僕も考えることを成り割りにしているという方に入るわけですね。
という意味ではバイアスがかかるわけです。
だからみんな考えていないんじゃないかと思うけど、それはあなたはそんな仕事にしてやっているんだったら当たり前ですよねと。
自信を持つこと
ITエンジニアの人が他の一般の人にプログラミングみんなできない、なんでだろうねと言っているのと一緒で、ちょっとトンチン感というかおかしいわけですよ、その見方がね。
だから別にそこまでは言っていないんだけど、なんだろうなって思ったときに、まさにですね、その死後くり的な意味で、自分が当たり前だと思っている、考えるのが当たり前だと思っていて、社会の皆さんが同様に考えていると思いたいみたいな幻想があった。
今でもありますけどね。
だけど別にそれを求めるのも、みんな哲学者になるとかみんな企業家になるとか、自分がやっていることをみんなやれっていうのも傲慢というかおかしくないですか。
じゃなくてそれぞれがやれることとかやっていることをやっていって、それに上下とか比べる意味ないじゃないですか。
だからその人のレベルというか状況、そのレベルも高い低いとかあんまりないと思ってまして、伝わってますかね。
考えているのが偉いとかはないんですよ。ただ考えたいねっていうのがあると。わかります?自分はね。
それはね、変わらないですね。学生ぐらいから変わらない。感覚はね。
だから哲学者になりたいとかそういうのはないんですけど、あと皆さんとか他の人がね、一般の人が哲学者になるとかないんですけど、ないです。
それはないです。企業をしろとかもないです。企業をしたいならしてしたらって感じですし、やりたいならやりましょうって感じですし、そこで手伝えるなら手伝えますぐらい。
いいんじゃないですか。何でも。
だからそこで自分にとってのアウトプットをしていくことを繰り返していって、話を戻していくんですけど、繰り返していくことが、
目を瞑っていてもできるとは言い過ぎですけど、自信を持っていいんじゃないかなと。
自信がないわけじゃなかったんですけど、ようやく思えてきたのかなと感じはしますね。
要は客観的に見ていったときに、気持ち悪いって言うと、誰かが気持ち悪いって言ったわけじゃなくて、僕自身がですよ。
アイディア言ってネタとか言ってアウトプットって言ってるのは気持ち悪いわけですよ。
普通の人から見たら。そんなしなくていいんじゃない。アウトプットもですよね、いろいろ。
確かに。
これ納得しちゃって、なんでやるんだろうねって言ったら、最近ポツポツ言ってるところで、人が好きって言うのもね、人間が好きとかもいろいろあると思うんですが、
ちょっと難しい荒い言葉ですけど、
ただ、いろんな人の、え、なにそういう考え方するの面白いねっていう、
こちら攻撃されたことがね、批判は別にいいんですけど、悪意というか、攻撃だけされたらそれはちょっと違うんですけど、
やり方を変える重要性
そうじゃなかったら、考え方いろいろあっていいんじゃない、やり方いろいろあっていいんじゃないとは思うわけです。
そこは全然よくて、なんで、持てるもの、リソース、資源とかもいろいろ違うじゃないですか、皆さん、個人でもね。
個人だったらみんなそんな持てないって言う人もいるかもしれないけど、違うと。
それなりに、自分の時間をかけるって言うとちょっと良くないんですけど、時間を費やしてやってみてくださいと。
僕もやってますし、仲間ですよそういう意味では、なんかやられてるプロジェクトとかやってる人は僕は仲間だと思って勝手に思ってますけど、
そういう人と出会って話していきたいし、そういうのって気持ちよくないですか、なんかいろいろあったけど微妙だったっすねとか、
いろいろあったけどこれはなんかうまくいきましたねとか、なんかそのやってないのにどうってあんまり言いたくなくないですか。
それはありますね、メンタル的にありますね、マインドセットにもあって。
だけど時間が有限だし、さっき言った表現というかアウトプットというかね、アウトプットって決められるとかね、どれか選ぶような感じあるじゃないですか。
僕だったら文章とか図解とか、授業としてなんかやるっていうのはすごく限られるわけですよね。
もちろんやってないわけじゃない、だけど自分のフリーランスと個人授業という基本にはなりますが、
とかお客さんのものを手伝うぐらいになっちゃいますよね。
それはもうしょうがないというか、重々承知でやれる範囲でってことですけど、でももっともっとやれるんじゃないかっていうのは別に思ってまして、
アウトプットの方法
でないと、野心というとちょっと大げさなんですが、でないとやらないですよね。
自信というのがキクチさんか、メジャーリーガーのキクチユウセイさんという方が言ってたと。
前も言ったかもしれませんが、動画、YouTubeですね、見てて。
自信というのは自分ができるというか、自分を信じている。
自分ができるっていうのも一つだと思うんですけど、自分を信じている。
自分ならっていう感じですよね。
だから自分ならできるよねとかいうのって、まさにメンタル中のメンタルで、もう理屈じゃないですよね。
例えばここに本があって、本を読めますかみたいな、読める。
読んだらめちゃくちゃ読みづらいとか、なんかよくわかんないとか。
あと仕事でもなんでもいいですけど、これやれるって言って、できるっていうのはないですか、できるできないって。
別に本当にできるかできないかじゃなくて、できると思うということですね。
それが自信ですね。
だからそれは全然あった方がいいですよね。ないよりは。
自信がないっていう人結構いらっしゃるかもしれませんが、私ができますっていう、高らかにいけっていうのじゃないと思います。
日本人もそうです。日本ぽくいくとね。
モードを変えなきゃいけないみたいなのはちょっと置いといて。
そういうときにですね、そこまで別に高らかにいってないんだけど、できるかなっていうのはあるわけですよ、人に。
極端に二択をするってことじゃないんだけど、できるかできないかって言ったときに、できないかもしれませんっていうのは不安なわけですよね。
じゃあできるでいいじゃん、ぐらいの。あんまり深い目はないです。
でですよ、問題はそれでできると思うし、やれるからやるわけですよ。
だけど現実は荒く言うと起業とかって言うけど、起業してうまくいくって難しいわけですよ。
起業してうまくいくってすっげえ荒くないですか。何ですかそれって。
起業って何を言ってて、うまくいくって何なんですかって。
それを細かく定義していけばいいわけですよ。
副業も例えば、月に何万稼ぎたいとか。
でいいんですけど、その目標は高すぎないですかとか、もしくは低すぎないですかとか。
低くすればいいわけでもないですし、高くしたらいいわけでもないわけです。
つまり例えば月1万円稼ぐみたいな話があったときに、じゃあ1万円別に稼げばいいじゃないですか。
知らないですよ。僕が月1万円稼ぎ方知ってるわけじゃないですよ。
だけど、その月1万円って何なんですかって。
その月1万円のほうが逆に難しいとかもあったり、もしくはタスクみたいな作業みたいなので、
本当にライターみたいな話をすると、僕は全然やってないですけど、
今って1円もしない、0.何円みたいな世界で、人がやるもんじゃないですよねってなって。
やってる方はちょっと申し訳ないですけど。
だけどそうやってる人がまさに聞いてたときに、
いやなんかこれ絶対違うよねって思いながらやってらっしゃったりすると思うんですよね。
それが悪いとは思わないですけど、それでやったところで、
ふと思うわけですね。これは別にいいんだけど、何なんだろうねみたいな。
スキルがつくつかないっていうのはちょっと難しい話なんですが、
それで学びがあるのかってことは僕はかなり重要です。
あと面白いのかどうかですね。
面白くて学びがあればそれをやっていったら、しかもお金がもらえるなら、
それをどんどんもっと改良したりやればいいじゃないですか。
ただもちろん飽きがあるし、つまらなくなって他のことをやりたくなるのもあるし、
あと構造上の問題というか、それは量をやってなんとかって話だから、
多分時間的に無理だよねとか。
コスパとかタイプはちょっと違うんですよね、その段階では。
まだちょっと早い。
だけど下積みというか量を積んでいったときに、
そうじゃないよねって分かるだけで良くないですか。
違うことをやればいいから。
それをもって文章を書くというのは稼げないことだと。
という結論を出すのがあっても別におかしくないと思います。
だけど仮説じゃないですかね。そうじゃない方もいらっしゃる。
アイディアの出し方
だけどそうじゃない方がいらっしゃるけど、
そういった人がトップオブトップみたいな人でしかできなかったら、
何か違いますよね。
そこがまさに仕事クリだと僕は思ってまして、
要は仕事作り、仕事クリエイター。
仕事クリエイターはいいんじゃないですか。
仕事が作れるポイントだと思ってまして、
そのときにまさに一旦そこを保留していただいて状況。
できるかどうか分からないですよ。
だけど考えてみてくださいと。
じゃあその文章を書けるっていうのは何なんですかと。
といったときに、
リスナーのあなたが書けるか分かりませんが、
もし書くことが全然不自由なくやれる人がいたときに、
なんかこういう文章書いてよっていうのに対して、
まず抵抗ありますよね。ないです。
人によってはテーマが与えられて書くと嫌になっちゃう人もいると思うんですよ。
結構分かります。
でもその場合って、
商売としての書くっていう、
誰かの要望に応じて書くって、
それが仕事じゃないですか、基本。
おかしいこと言ってないですよね。
でも自分が書きたいことを書くっていうのは、
基本仕事じゃないですよね。
アウトプットができるわけです。
そこは間違えたくないです。
笑い話でもないですけど、
カフェが好きっていう人いるじゃないですか。
文字通りカフェが好き、その空間が好きって。
でもカフェをやる、経営するのとは別じゃないですか。
でもその空間を作るのが好きで喜んでもらうのが好きだったらいいですよ。
でも自分がお客さんとしていくわけじゃないじゃないですか。
その反転、視点が変わることはぜひ、
何度も何度も考えてもいいと思います。
忘れちゃいますね。
だからもっと違う例だと旅行が好き。
旅行会社とか行きます?
きっかけとしてはいいですよ。
最初のきっかけとして興味を持つのは、
そのレベルでどんどん興味を持てばいいんですけど、
旅行が好きだから旅行会社に行く。
そこで旅行の企画をして楽しんでもらう方向になります?
それとも店長員とかで、現場で何かやります?
運転手とかでもいいですよね。
別に全然何でもいいんですけど、
その人がやりたい方向や形やサイズ、
関わり方みたいなのがあって、
それを実現していった方が面白いんじゃないかなと、
僕は思ったりしています。
なので、全く仕事を高めたいとか、
くないとか、仕事って言われたことでやっとけばいいよね、
っていうのを全然僕は否定しないので、
そういう方がいらっしゃるのが分かるんですけど、
僕はつまんないんだっていうだけですね。
つまんないんで面白くやっていったらいいんじゃないですか、
っていうね。
本当にそれだけです。
つまらなさも出さない。
淡々としっかりやるっていうような、
もちろんそういう仕事もあっていいし、
っていうところです。
すいません、ちょっと長くなりましたが、
今回はですね、
そういう僕の自分のアイディアの出し方、
出し方っていうか、
アドブートの仕事術みたいな話ですよね。
が、メモ帳というスクラップボックスにずっとあるので、
それを出してきたと。
やり方は全然それは変わらないんだけど、
ブログというですね、
自分の仕事でブログにおいてのアウトプットの仕方を
ちょっと変えていこうということでした。
っていうことは何かっていうと、
アウトプット先がうまくあって、
もしくはそれは適宜アウトプットして変えていく。
アウトプットによって変えていく。
だけどネタはあるっていう状態キープしてて、
あとはどういう仕事でか関わりを増やすとかやっていって、
どう出していくかっていう、
アウトプット先に応じたもの。
プラットフォームもしくは、
人だったら人、
プロジェクトだったらプロジェクト、
みたいな感じをイメージしてます。
その時には、
ネタって言ってるのかアイディアなのか、
その課題なのかは、
それこそビジネスでいうと、
何度も言ってますが、
対象者、誰かお客さんでその人の課題は何で、
その解決策、アイディア、
マネタイズ、お金ですね、
収益の仕方は何か、
この4つを一応意識はしてるんですが、
意識してもらうといいんですけど、
仕事もそういう感じですよね。
その人にとって、
ニーズへの対応
お客さんにとって何が欲しい、
求められてるのかっていうのがまさに、
考えるべきところで、
対象者の課題ですよね。
それを解決してあげるっていうことですね。
それが言われたことをやりますってことだと、
あんまり満足度は高まらない。
むしろ言われたことをやるっていうところでいくと、
言われたことしかやらないことになっていくから、
評価が高まらないわけです。
評価が高まらないってことは、
その人とコミュニケーションしようとか、
もっと寄り合っていくことはなくないですか。
僕はないっていうだけですけどね。
この人淡々とやってくれるかな、
お願いしようみたいなのもあると思いますけど、
難しいですよね。
実際に自分が見ている景色と
相手から見られている景色が
違ってたりすることもありますから。
そのアウトプット先というか、
それをどんどん変えるというよりも、
やりつつ見ていくという感じになっています。
僕の視点で見方というと、
ネタはあります。
自動化はしていないです。
僕が見てやっているだけです。
AIとかはあまり使っていないです。
AIを使ってもいいですけど、
結局それを見るだけなんで。
面白いAIでのインプットの仕方があればいいんですけど、
あんまりですよね。
結局見なきゃいけないですよね。
変わらない。
アウトプットもAIを使って何かができたらいいですけど、
AIかーみたいな、
その文章を書いたときに、
頭が動かなくなるので、
たくさんあっても、
これはいいかなとか、
さすがにというときは使ったりしますけど、
あくまでもそれはネタがあって考えていたりするものを、
少し精査を整えるとか、
AIを上手く道具として使っているときにおいてのみ、
許される感じがしますよね。
それを何度も言っていますけど、
間違えちゃってそれがあるから、
AIがあるからそっちでいいやってやると、
AIとアウトプット
考えるということが消えるような気がします。
考える、要は判断するとか、
消えていないということが主張としてあるんですけど、
判断もこれでいいかと思っちゃったら、
AIが出してくるやつ。
もう終わっちゃいますからね。
本当そこは危惧。
大丈夫かなと思っています。
大丈夫じゃない気がしますけどね。
そういう感じですね。
あとボトルネックがそういう、
アウトプットがボトルネックじゃなくて、
アクションしていくとかが一番、
最終的に一番引っかかるところだと思います。
やろうとしても時間がかかるし、
事業とか仕事作りもそうじゃないですか。
じゃあ何かいいアイデアが浮かんで、
それどこまで検証します?調べます?
広告打ちます?それ誰かに話します?
僕聞きますけど、
レターとか無理して出さなくてもいいんですけど、
問い合わせしたい誰かに聞きます。
もちろん個別に相談いただくとお金発生してしまう部分は、
ごめんなさい。
仕事になるんでごめんなさい。
公開だったら全然コンテンツになるので、
言いますけど、
やります?
別に僕に金払いってことじゃなくて、
どこまで?まず時間ですよね。
まずお金置いておきましょう。
時間かけますってことです。
実際かけてないですよね。
やりたいっていう人でもね。
それがよくある、
10人に1人動いてくれるたらすごい。
多分10人に1人行っても、
ちょっとやってみたぐらいは、
10人に1人ぐらいあるかもしれない。
でも実際にアクションするというのがあると、
さらに十分なうちになるから、
100人ぐらいいるんですよね。
それはあります。
だから、
99%の人はダメっていう主張じゃなくて、
やれたり動けたりするっていう人が、
まさに価値があるというか、
なかなかそういう人いないんですよ、
っていう認識ですね。
だからちょっとおかしいわけですよ。
おかしさっていうのは、
何を言ってるかというと、
ごめんなさい、長くなってきた。
これぐらいにしておきましょう。
何かこんなことやってみたい。
何かこんな課題があるなっていうふうに、
まず気づけるか。
それをやろうとしたら、
おせっかいするなとか、
同じことやっておけばいいよ。
さっき言った仕事っていうのは、
別にそうじゃなくて、
言われたことをやっておけばいいんだよっていう。
そういういろんな人がいるよね、
っていうことを乗り越えて。
面白そうだからやってみよう。
もしくはこういうことでいいんじゃないかって、
いろんな人と話していったり、
気づいて考えていって、
そういうことを、
社会人であれば仕事をいろいろしたり、
仕事はしてない時期があっても全然いいし、
そういうのをいろいろ踏まえて、
学んでる時期が長かったり、
いろいろ踏まえていって、
でもこれはやっぱりやりたいなと。
それは夢とかじゃなくて、
やりたいなと。
じゃあやっていこうというときに、
ちょっとずつ仲間を集めたり、
話を誰かに聞いたり、
先輩だというか、
やってる人の話聞いたり、
調べたりしていって、
もしくはちょっとビビるというか、
おっかのびっくりちょっとだけやってみると。
なんでもいいわけですよ。
別にメルカリで物を売るとかでもいいし、
分かんないけどね。
自分がちょっとやってみようということを、
どんどん分解していって、
大きすぎたらやるんですよね。
で、やりますってとかなんですよ。
時間をかけて。
なかなかない。
なかなかないんですよ。
なんでだろうなと思ったら、
シンプルにそこまでやりたくないか、
皆さんそうと思ってないですけど、
ほとんどのやる人はね。
できないことが分かるのが怖い。
失敗を、
避けるやつですね。
たまに間違えますけど、
失敗を逃れたく、
逃れるのを避けるっていうね。
要は避けるということですね。
で、避けたいから知りたくないわけです。
分かります。不安だから自分が実力がないとか、
実際にやってその失敗っていうのを見たくない。
分からないでもないですけど、
若干それはこじらせるところまで来てる気がしますね。
いいんですよ。
失敗というかうまくいかなくてもいいんです。
自分のやってることが、
こんなうまくパンパンパンと、
やった決めた、やった。
計画はそういう感じですよ。
フレームワークとかね。
そんなにうまくいかないですから。
っていうことをどれだけの人が言ってるかですよね。
簡単ですよとか、こうすればいいですよねって言って、
言われて、何言ってるのかなっていうね、
こと多くないですか。
分かんないですけどね。
分かんないですよ。世の中の人が。
みんな失敗しようとか言ってるのかは知らないですけど、
なんかあんま聞かないですよね。
失敗しようとかじゃなくて、
せずになんかうまいことやろうみたいな。
あれは問題ですよね。
行動を起こす重要性
そうやって思うから成功しようとか、
痛みを得ずに、
痛みっていうのは物理的な痛みじゃなくて、
失敗した、うまくいかんかったっていうのを、
っていう経験体験がないのに、
やろうとするっていうことですね。
これは別に失敗をしなければいけない、
もしくは苦労をしなければいけないとか、
そういう主張じゃないですよ。
だけど、
誤解を恐れずにというか、
天才ならいいかもしれない、それで。
いわゆる天才っていうこと。
自転車に乗ります、で乗れましたみたいな。
乗れなくないですか?
僕乗れなかったけど、
補助輪についたやつ乗ってたりしましたし、
いつ外れたか分からないですけど、
全然焦げないのになんか、
親の話で聞いたんですけど、
一周回せないから漕ぐのが、
半回転だけでガーって戻してガーって。
わかります?漕ぎきれないってやつですね。
漕げないですね。
半漕ぎでどっか友達の家遊べに行ったとか、
いいじゃないですか。
ダメなんか言って。
そういうことですよね、オーバー。
で、やっていってうまくなると。
ここから僕も、
リサのあなたも明確だと思ってるし、
共有しておきたいんですけど、
やらないと分かんなくないですか、それ。
で、やるもいきなりダイブしろとか、
いきなりすごい、
トラ?トラですか。
崖から落ちられて上がってこいみたいな。
そんな今は社会じゃないですよね。
40年前くらい怪しいですけど、
昭和100年みたいなところだと。
雑誌昭和だとちょっときついですけど。
それも別にかばうわけじゃないですよ。
だけど本当にそういうのが必要だと思ってた。
科学とか。
科学じゃないですもんね。
メンタルとしてそういうのが必要だと思ってたっていうのはあるわけですよ。
かばってないですよ、別に人たちはね。
思ってたからやってるんでしょうねっていうぐらいです。
で、
むちゃくちゃなことをやるなってことじゃなくて、
例えば今回話聞いて、
なんかちょっと自分もやりたくなってきたら、
ちょっとメモしといてください、やりたいこと。
それだけでいい、まずはね。
そういうことです。
ちっちゃいことをまずやりましょう。
で、ちっちゃいことやそれ書いててもしょうがないなと思ったら、
ちょっとやってみるかっていう、分かります?
今回ちょっと違うんだけど、
やり方をちょっと変えてみようかなっていうのって、
割と大事だと思います。
友人ともそんな話してますが、
なんかやり方変えて、
違う行動をとってみて、
新しいやり方の重要性
それはがむしゃらに移るかもしれないし、
あと、全然ね、がむしゃらでもない、
その、なんかあさっての方向、
全然違うことないかもしれないですけど、やってみましょう。
僕もやります。
で、やってって、
なんか違うなとか、これ違ぇなと思ったら別に、
もう一回戻せばいいし、
もしくは、
いいなと思った部分を取っていくって感じですね。
だから失敗したから、今の話で失敗したくないからやめるっていうのが、
もう強すぎたら、
全然向かないですよね。
だから無理することはない。
だけど、すごいことやらなきゃいけないっていう人も、
僕はあまりいないなと思って、
多分、刺さると思うんですよ。
自分のやりたいこととか、
いい形でやっていくっていうのを、
それこそほとんどしか求めてるんじゃないかなって思ってたりするんですよ。
本当に、心から。
おかしいな、みたいな。
っていうのを上手い具合にできてないからなのか、
そういう社会であったら、
もっとこう、なんていうんだろうな、
もっと温かいというかね、
感じはするんですよね。
するんですよ。
幻想かみたいなね、
夢か幻かみたいな感じでいますけど、
すみません、僕は実存、実際に存在しますし、
AIでもなく、僕が今まさに喋ってるんで、
なんかおかしいこと言ってたら、
僕がおかしいこと言ってるだけなんで。
というわけで、いろいろやりましょうっていう、
それぐらいの回です。
やり方を変えてみるっていうのが、
一つ言えることかもしれないです。
今までのやり方をずっとやらなきゃいけないってわけじゃないから。
やり方変えたり、
行動するとうまくいかないことが普通にあるわけです。
というか、ない人っているんですかって僕は思うんで、
それ言ってないだけですよね。
僕もこれ失敗しました、あれ失敗しましたって言ってないだけで、
そんなのめちゃくちゃあるんで、
もう失敗の毎日ですよ。
だからもう失敗しない日ない。
なんで失敗しましょうっていうことです。
だからポジティブに捉えましょう。
失敗するってことは、
失敗してるってことはやってるからです。
やってない人は失敗すらしてないんで、
やってない人で言ってる人は無視しましょう。
現場からは以上です。
というわけで長くなりました。
全然巻き気味じゃなかったですね、ごめんなさい。
また聴いてください。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
中国リラジオ大橋でした。
以上失礼いたします。