はい、四国理ラジオ大橋です。よろしくお願いします。まずですね、テーマは本質的とは何なのか、それがなんで本質的に現状いけないのかみたいなそんな話をしていきたいと思います。
本質的とは何かというとですね、さっき冒頭で述べたように、例えば自分がやってみたいことがあった。そのレベルを浅い深いということでいったら、深ければ何でもいいわけじゃないし、浅ければダメというわけではないですよ。
というのを踏まえた上で、自分の生き方はこうですと、みたいなのを設定していました。それを分かりやすく言えば夢みたいなのがあって、やってみたいことがあったらそっちに行かないといけないんじゃない、でもできてないよねみたいなところは、本質というのは自分の夢に近づくことであり、本質的じゃないというのはそうじゃないことをやる。
ここからがさらにややこしいんですけど、野球選手になりたい人がラーメン屋で働いてても別にいいわけじゃないですか。否定してないですよ。否定する人はいないと思いますけど、野球選手になるために何かアクションをする必要性があると。
バッと持たずに野球選手になれないですよね。その週末は草野球をやると。野球選手というとちょっと分かりたいんですけど、プロ野球選手というようにプロがつくと、それでご飯を食べれる。もしくはプロの定義は様々今はあると思いますが、僕の定義は1円でもそれでお金を得たら得る。
だから野球だったら野球という行為をもってして、それこそどうなんだろうな。野球パフォーマンスみたいな。サッカー選手じゃなくてフットボールパフォーマンスっていう方が確かいて、ボールを使って大土産じゃないけど、いろいろ頭に乗せたりとかを転がして華麗な技を見せる。
フットサルでサッカーというスポーツが上手いわけじゃないですよね。多分ね。まあいい人もいるかもしれませんが。その時に見せられるのは芸としてすごいなっていうふうに見せられる。まさに大同型だと思います。一輪車に乗ってジャグリングっていうんですか、お手玉みたいにやるとかそういうイメージです。それをサッカーボールとかフットサルのボールでやる。
フットサルのボールはちなみにサッカーボールはちょっとひと回り小さくて重いんですね。弾まなかったりしますね。それでプロって言った時にプロ野球選手っていう定義は僕の中で、この定義が様々あるんで混乱しますよね。その定義をしたところでそれを理解していただけなかったらまた混乱しますね。混乱というか理解されないんですよ。
僕の定義はプロ野球選手というのは野球行為、つまりその野球に参加して、例えば参加料、入場料を取るとか、パフォーマンスにおいてコーチ、指導をしてお金の対価を得る。要は教育ですね。
だからプロじゃなかったら指導ができないとかは僕はないと思いますが、それなりに信じてもらうだけですよね。お客さんとしてね。そこの話を簡単にするために単純化してますが、プロじゃない、実績がそんなにすごくないのに指導できますって言って信じてもらえると思いますって話じゃないですか。知らない人はね。
例えば僕がプロ野球の指導できますって言っても多分信じてもらえないんですよ。野球そもそも全然そんな知らないですし、やったことないわけじゃないですけど、あんまりやりたいと思ってない人が指導できないじゃないですか。野球が好きじゃないといけないってこともないと思いますけど、嫌いな人はさすがに難しいんじゃないかみたいなとかね。
常識的に考えるとですよ。嫌いがいるようにできる人もいますからね。このあたりは柔軟に考えていただきたいというところの中で、野球を教えてお金にするのは野球選手かっていうと、世の中って様々な定義言葉があるじゃないですか。それはコーチとか指導料とか、野球コーチとか野球の指導員とかね。
そういうふうに言いますよね。だから野球選手かっていうとわかんないですよね。プロ野球選手ってね。だから野球選手っていう時の何をしたいかによるわけですよね。野球選手の定義になります。プロの定義になります。
その仕事です。対価を得る行為になります。この3つぐらいだけでもだいぶ考えることが多くないですか。それを全部バチッと決めて定義してきても、それこそリスナーのあなたはですね、プロで野球でコーチと選手じゃないところでお金を得るという仕事、対価を得るということをやっている人を私は知らないとリスナーのあなたが思ったとおりですね。
どうですかね。そうした時にリスナーのあなたを責めているわけじゃないんですけど、想像できないからないと思うわけです。ここで反論ではないんですけど、別にその場、別に僕もわかってないんですけど、海外や別の土地ではこういう仕事があるときは、別にそれを日本にぶっ込んでできるかを置いておいてできるわけじゃないですか。
あと、例えば分析みたいなやつがあって、野球ができるわけでもないが、しかしその野球に対するログですね、映像を撮る動画ですね、それをAIで分析する。何かやっていって、データとか資料を作るわけです。それが価値があるかを置いておいて、それを野球ができる人が見て解析することができたら、
それは面白くないですか。本質的にはそれは、野球ができる人がAIを使ったら話が終わっちゃうんですけど、そういうの苦手みたいな人と、野球ができるって変ですけど、野球ができるとしましょうと、人と野球ができない人がいて、リスナーのあなたが野球ができないけど、分析が得意だとして、
あと、野球ができるけど分析とかそういうITとかデジタル苦手な人と組んだとするじゃないですか。それで会社なりチームなり、どういうふうにするかわかりませんが、NPOとか何でもいいんですけど、それで提供したら、ちょっと仕事になる感じが僕はするんですよね。
まあそのリスナーのあなたがどう思うかわかりませんけど、つまり分析することで、その自分が、つまりリスナーのあなたが僕がやるとしたら、自分はわかんないんだけど、これってデータ的に捉えるとこう言えるよね。でもこれがいいのか刺さるかわかんない、じゃあプロと組んでやろうっていうのは僕はありだと思います。
っていう意味で、別に謎解きとかヘリクスではなく、野球とかのスキルがない、野球やったことなくても、誰かと組むということができる。もしくはその誰かと組む程度の、そこでいうと分析ができるんですっていうこととか、その人と組みたいですっていうことが伝わる。もしくはそこで信頼される。だから野球ができないことはいいんだけど、分析ができるということは証明しなきゃいけないですよね。
つまり、どこを切っていっても、要は野球ができるできないじゃなくて、分析ができるできないとか、自分ができることとか、自分がやってきたことっていうのは証明じゃないんだけど、示して信頼いただく必要性はありますよね。これはですね、サボれないというか手抜けないんじゃないかなと思います。どんなことをするのでも。
話戻していくと、野球選手じゃなかったら野球を仕事にしたいみたいなね。もっと広げてスポーツを仕事にしたいとか、なんでもいいんですけど、そういうことを考える人いると思うんですよ。多くの人がそう考えると思います。野球をやったりスポーツをやってきた人だったら思うんですね。
だけど、仕事というのはそれがどこかに転がっているわけじゃないし、市場とか既にある仕事にコスティックというか選ぶなら、既にあるものを選ぶわけです。それこそトレーナーだとか、既にあるものに興味を持っていくわけですね。
例えば、ITエンジニアになるとか会計師になるとか、それは別にその人の考え方であり、特段批判されるわけじゃないんですけど、その場合、特に今、世の中にないから批判する人って結構いるじゃないですか。正直なところね。
なんでだろうなーって僕思ってたら、たぶんそれは知らないからなんですよね。知らない人に自分は知っているから、あなた知らないだけですよねって言ったときに、話ってあまり通用しないんですよね。
つまり、知らないから知っている自分が偉いみたいになって、知らない人はダメみたいになっていく構図になりがちなんですよね。それは本質じゃないんですけど、なんでかというと想像力っていう話があって、自分が知らないだけでそういう世界があるかもしれませんねっていうところに情報できるかっていうところじゃないかなと思います。
知らないだけなんだけど、意見として自分の中ではできないと思いますっていうのはありなんでしょうね。今回そのテーマとしては本質っていうのが、今の話でいくと野球選手、プロ野球選手とか特定の職業になるっていうのが一つの夢だとしたら、それに近づいているっていうのが一体何なのかっていう話になるんですよ。
これは極めて難しいというか、正解がないんですよね。さっきラーメン屋の話しましたけど、ラーメン屋さんで働いていたら知っている野球選手が来て、ちょっとうちのチームで練習してみない?みたいな。
別にその人がね、その店員さんと働いている野球選手を望む、野球をやりたい人の実力は知らないけど、来てみてって言ってやったら、例えば割と通用したと。わからないですよね。あと割と全然通用しないというのもわかったと。それを踏まえてどうするかはその人次第じゃないですか。
言っていることがわかります?だから、なんて言うんだろうな。わからないんですよ、僕は。
つまりどういうことかというと、さっきの設定に戻りましょう。草野球とかわかりませんけど、野球をやっている社会人5年目くらいの人がいて、その人は普段はラーメン屋で働いている。
フリーターみたいな感じだとしましょう。フリーターというのは私語かもしれませんが、要はアルバイトとかやっているということです。スキマ前でもなんでもいいと。アルバイト自体が悪いとかも言っていないです。
それをやっていて、なんでアルバイトしているの?みたいな話になって、別にずっとラーメン屋をやりたいわけではないとしましょう。本音でも本心でもね。本質とそれ。
野球に変わりたいんだみたいな。野球選手でもいいし、なんでもいいんだけど、週末に友達とかと草野球、社会人野球をやっているみたいな。
話はここからです。さっきのラーメン屋で草野球をやっているという話をしたら、お客さんが興味を持ってくれて、草野球をやっているのでもいいし、社会人にもちょっと気合が入っているチームがあるから来てみて。
そこでの実力とか、もしくは実力が通用するところも知れたみたいな。現状も知れた。選択肢で二択ではないんですけど、そこで道はあるわけですよ。
そういうチームに行ってさらに強くなるという道もあれば、よく野球じゃなくてもスポーツ漫画とかであるんですけど、スポーツ漫画だと設定として成立しないからやるんでしょうけど、すごいエースがいて特殊な訓練したりとか、昔の漫画はそういうのが多いですが、野球チームが普通じゃ成立しないけど成立させるようにしていくみたいなね。
だからそういうことをやっていったと。3年経ちました。じゃあどうする?確認します。できなかった?うまくいかなかった?判断なんですよね。これがめちゃくちゃ大事だと僕は思ってるんですけど、判断するしかないんですよ。
じゃあ28からまた3年やるのかって考えると、端にも棒にもかからないじゃないけど、うまくいかなかったらまたやるんかみたいになって嫌になりません?リスナーの方はどう思います?ご自身でやりたいことがあって、やってるんだけどうまくいかなかった?去年とかも結構言いましたけど、うまくいかなかったときどうするのっていうのは、割と僕は本質だと思うんですけど、じゃあ次どうするの?判断する。
それやっていくしかないじゃないですか。僕は思ってますし考えてます。じゃあ28、あと2年、3年もやれない。もう1年しかないから。幸いにも確認するしかないですよね。前と同じような状況だったら多分あんまり変化がないから、前と違っている点とか、前とは違うような状況とか、それをやるしかないですよね。
1年経ちました。じゃあ29歳になりました。どうですか?って言ったときに、そこで考えずに判断を保留していって30歳になりました。わかりません。
あとは野球とかラーメン屋で働くとかもそうなんですけど、意外にそういうときってラーメン屋で働くことが楽しくなってきたりするんですよね。もしくは他のものも面白いんじゃないかみたいなのが見えてきたりする。絶対そうではないですよ。
主眼というか主張として一番やりたかったのは野球で何かやることだったんだけど、実はそうでもないかもしれないと、本人がですよ。
実はあなたが本人が、すなわち僕本人がでもいいんですけど、心から思ったなら別にそれはいいんじゃないかと思うんですよ。そこで外野っていうのは他人ですが、何を言おうが関係ないんですよね。影響を与えられないし、他人じゃないですか。
だからこの考え方の前提には自分の人生というか生き方っていうのは自分で決めるっていうのがあるわけですよ。これをどうも否定したい人とか批判したい人はいるんですよね。言ってることわかります?
自分はここにジェットストリームっていうボールペンがあるんですが、このボールペンを見て自分もボールペンを作りたいと思ったら、作ったらいいじゃないですか。
それに関して、例えばリスナーなら他人じゃないですか。僕とは違いますよね。っていう意味で他人ですけど、他人が干渉することはできないわけですよ。そんなボールペンを作るなんていうことができないんですよね。なんか否定されたりするとね。今まであなたは何を作ってきたんですか?みたいなね。
そういう話になる。ここですごい誤解があるのは、リスナーならあなたは責めてるわけじゃなくて、他人が他人じゃないですか。このボールペンを作るとか、ペンを作るっていうことに対してのアドバイスを求めてるわけじゃなかったりするわけですよね。
わかります?でも、その熱というか、自分はボールペンを作る職人になるんだっていうようなことを言うと、コンテンツ商品みたいな話ですよね。っていう人を叩く人と賛同する人が出てきたときに、叩きたい人っていうのが一部いるんですよね。
怖いというよりも、そういう人がいるという。例えばよくあるのが、よくあってはいけないんですが、Xとかそういうところで誹謗中傷して、最近では開示請求か、要は個人情報住所とか裁判を起こすので開示してくださいって言うので、開示されるんですよね。
これが悲しいんですが、そういうやつって今頃パフェでも食ってるよ。しつこい必要になってくる人ももちろんいるから危ないんですけど、身の安全は守っていきたいんですが、それを置いといて、そういう話になっていくと、そういう人って別に攻撃したくてしているとか、その人に恨みがあるとかっていうわけじゃなくて、それ怖いじゃないですか。
それはめちゃくちゃ怖いんだけど、でも真理はそうなんです。自分とは違う他人だったら何でもいいから、攻撃して楽しむみたいなのは人間ならやるんですよ。僕がやりたいしやってるわけじゃないですよ。だけど、こじれた真理とかってめちゃくちゃそういうのがあるんですよね。
これ難しいんですけど、自分がそういう風に自分の夢を目指したけどできなかったから応援したいっていう気持ちの良い人もいれば、できなかったからするなみたいな人も出てくるんですよ。分かります?これ。
運動部とかが、僕が偏見があるんですけど、しごいてくるわけじゃないですか。先輩後輩みたいな感じで。ときにそれがすごく嫌いなのは、しごかれたから自分も後輩をしごくんだみたいな連鎖があるんですよね。何なんでしょうね。僕は分からないですね。本質的には分からない。分かり合えないと思うんですけど。
あるんじゃないですか。口で言って分からないから手を出すとか。そういうの全部事件事項になってますよね。本当に良くないですよね。悲しいですよね。そういう社会になっているのは悲しい。
けど、そんな悲観しててもしょうがないんで。そういう状況があることは確かですよね。そういう時に気持ちよく自分がやったことがあったから応援したい。自分が叶わなかったから応援したいっていう人もいれば、自分ができなかったからやるなっていう人もいるんですよ。これってどこで違うんでしょうね。僕はそれ聞きたいですね。
いろんな人にね。だけどこれも答えなくて、どこからねじ曲げるというか、自分が良くなかったら相手も良くないふうにするっていうのって、僕は本質的には自分がうまくいってない時に誰かがうまくいっていることを否定する人もいるわけですよ。なんだろうな。その余裕がないんでしょう。まさに。それ自体がまさに余裕がないって感じですね。行為が。
自分がうまくいかなかった。ゆえに他の人もうまくいってはダメだみたいな人がいるんですよ。まじでね。きつい。まじできつい。だからそんな人はこのラジオを聞いていないと思うんで、耐えられないと思うんです。その本質の話、耐えられないと思うんですけど。
なんていうんだろうな。そういう人が集うような場があったりして、ちょっとしんどいですよね。僕も近づきたくないです。ただ社会に生きている以上そういう人に出会うこともあるだろうなっていう。ただ確率は100分の1くらいの、もっと低くしたいですけどね。1000分の1とか1万分の1くらいしたいんですけど。確率低くすぎると、やべぇそういう人いたなみたいなことになるんですよね。
だけど、積極的に会う必要性はないと僕は考えています。その気持ちの余裕みたいなところで、本質的にいけるかどうかになるんじゃないかなと思ったりしています。気持ちの余裕っていうのがあればというと、ないもの出たりいったものになると思うんですけど、そもそも自分のやってきたことに対する後悔みたいなやつなんじゃないですかね。
要はやったけどうまくいかなかったっていうところを別にダメでしたよっていうぐらいで留めとけばいいかなっていう話なんです。ダメなものはダメでいいじゃないですか。そうそうそう。だけどダメなものはダメだった。例えば僕だったら友人と起業して全然うまくいってなかったわけなんですけど、それを別に悪く言う必要性もないし、美談にする必要性もないじゃないですか。ね。って思うんですよ。
でもなぜか人は、その人っていうのは要は自分ですよ。経験した人自身がそれを否定されたくないし、別に自分の中で否定してないんだけど、何か言われたくないから隠すとかもあるし、別に言う必要もないと思いますよ。
言ったところでそこからどう折り合いをつけるかっていう話になるんですよ。だからそれが美談にする必要性はないわけですよ。自分の中で話ですね。人にどうこう言う必要性じゃなくて、じゃあその失敗したらうまくいかなかった経験をどういうふうに活かせるか。活かせてないこともあるし活かせていることもあるから、それは自分の中で評価するしかないじゃないですか。
難しいのは失敗している人の方が僕はいいと思うんですが、その失敗の仕方で同じことを繰り返していたら逆にちょっとどうなのかなと思いますし、逆で失敗から学んでいたら改善されて変化していくような気がしますよね。
でもそれも、それもくどいですけど他人がどうこう言う話ではなく、他人というよりもその人と関わった時にじゃあそれは直してくださいみたいになっていったら変わらざるを得ないですよね。
だけど自分の中でやる分には、それってどういうふうに折り合いをつけるかだけなんですよね。
例えば仮に失敗したものに対して、自分は良くなかったからというところで、評価できていないという感じですよね。自分の中でね。
解釈できていない、うまくできていない場合、未練と言いますか、中が残るんじゃないですか。
ありますよね。例えばクリエイターみたいな話で逆にすると、自分が考えていたような作品で自分も出してたり同人とか出してたり自分発表してるんだけど、全くそれと似てて同じような作品が全然知らない人の方が作品が売れている時に、これは世の中作品を見る目がないみたいなことを言う人が出てくるわけですよ。
ありそうじゃないですか。わかります。それって恨み物資でしかないですよね。あんまり意味ないですよ、それは。
だから売れてない人が何も言うなっていう話じゃないですよ。そうじゃなくて、自分がやれる範囲でやっていくしかないですよねっていうのが元も子もない言い方で、それでやるんですよっていうのが今回の主張になる。
さっき言ったプロ野球選手、野球選手、スポーツで仕事をする、何でもいいんですけど、自分の中ではどうなの。
それで何もそれ望んでて願ってうむうむなっているわけじゃなくて、何かやるじゃないですか。
さっき言った例でいくとラーメン屋でアルバムしながら野球のクソ野球チームとかを自分が参加したりもしくは主催しているかもしれない。
それやってるじゃないですか。やってるだけで僕は偉いと思う。多くの人はやれないから、そこまで。
で、やって褒めると。やってるだけの俺すげえと言っててもしょうがないんで、じゃあさらにどうしていきたいかっていうことを見てアップデートして考えて、見直して。
PDCAじゃないですけどね。チェックして回して考えてまたやってってことを繰り返して学習して繰り返していくしかない。
本当に嘘を言ってないですよ。ってか嘘を一切言ってないと思うんですけど。
この四国レラジオもね。で、やってどうかってだけです。どうかっていうのはさっきの漫画じゃないけどクリエイターじゃないけど
自分の出した映画でも動画でも漫画でも4巻漫画でも小説でもね。ライトノベルみたいなものでもね。
ゲームでもね。何でもいいんですよ。それに対して世の中がって言ってては、まあなかなかねっていうことじゃないですか。
そうじゃなくて、そういう見方を一切するなんて思わないんですが、じゃあそれを届けて喜んでくれる人はどこにいるんだろうか。
もしくは自分の周りの人はそれで喜べているのか。周りの人がまず喜んだら僕はそれでまずOKだと思うんですよね。
そのOKをしてからさらに他の人のOKにつなげていったらまあいいんじゃないかというところがあります。
これがですね、多分僕は本質という意味では、その人の実際のあなただったらあなた、僕だったら僕、そうじゃない人だったらそうじゃない人の
それぞれの人の人生のやりたいことって言うと重たいかもしれませんが、なんかあるんですよ。わかります?
なんかある前提です。で、知らないとかわからないっていう人も選んでるんです。勝手にはなれなくないですか。
断れないから全部OKしてるって感じなんですかねっていう。
じゃあさっきのラーメン屋でアルバイトしてる人もなんでラーメン屋だったんですか。近かったからとかラーメン好きだったからとか。
選んでるじゃないですか。どんな理由でさえね。選んでますよね。選択してますよね。
選択っていうことは判断しますよね。それが自分を作っているし、その判断こそがまさにそうなんです。
だから自分がさっき言ったように上手くいかなかった、上手くいっていてもどちらでもいいんですけど、上手くいってなかったから他人を応援するっていう人にもあれば、
いかなかったから他人を試させるっていう謎のブレーキ役をする人もいるわけじゃないですか。
でも他人と自分違いますからね。求めてない人もいますよね、そういうアドバイス自体はね。
で、あと上手くいった人もそうなんです。上手くいったからみんなに勧めるわけじゃなくて、上手くいったのは自分がだから上手くいったのであって、
人にはそれは勧めできないっていう人もいると思うんです。ここ難しいですよね。
だから要は自分の経験や体験というのがすべてポジティブになって、人に対して社会に対して他人に対してポジティブになっていくかというと、
まあハナハナ疑問なわけですよ。これはかなりね、僕もわからないところですね。
だから例えばAIもそうですけど便利になっていったら、みんな浮いた時間で本質的なことができるぞ、でも本質的なことで何だったっけ?ってなって、
効率化することばかり走っていって、何だっけ?ミハイル・エン・デ・モモですか?時間泥棒、灰色の男達っていうのが出てくるんですけど、
まさにその話と一緒で、時間を得るために何かやるんですよ。時間を得るためになんかね、長棒をつけて何かたくさんの人を笑うくんですよ。
まあそういう話だったかまでは覚えてないですけど、要は時間を得るためにね、お金を得るためにみたいな話で、
時間を得るために何かをやるんだけど、そのために何かをさらにしてみたいな、効率化して。
で、何でしたっけ?みたいな話になってくるんですよね。
いつだとしてよくあるのが、コンサルタントの漁師みたいな話がインターネットではあったりするんですが、
なんだろうな、難しいですね。
だからお金を本当に得たい人もいるだろうから、そういう人はお金を得たいでいいんじゃないですかね。
でもまあ僕からすると、お金を得たいっていう感覚ってちょっと僕にはわかってないです。
だからお金を得てそれで何したいのっていう時に、それで別にディズニーランド行きたいって言ったら、
お金を得たいわけじゃなくてディズニーランド行きたいだけじゃんっていう感じがするんで、
ディズニーランド行ったらそれで満足するかって言ったらまた違うものが出てきますよね。
そういうのをお金が得られればできるっていう風にもしかして思っている方がいらっしゃると思うんですが、結構な人が。
でもそれって本質じゃないなと思うわけです。
お金を得るっていうのは、お金を得て何かしたいことの方が本質だと思うんですね。
しかもさらにですよ、お金を得てしたいことっていうのが、別にそれってお金があったらしたいことであって、
よくないですか、車が欲しいとか家が欲しいとか言うんだけど、それ多分そっちじゃないですよね。
得たらそれで便利だろうけどみたいな意味でお金を欲しいっていう人の方が圧倒的多数じゃないかなと思うんですよ。
だからお金なんかなくて家があり車があったら、なんか知らないけど出てきたらそれで終わりじゃないですか、話として。
で、それを得て何をしたいんですかっていう風になっていくから問われるわけですよ。
本質をね、僕は問われると思ってます。
だから家がある、車がある、お金がある、はい幸せですみたいな人もいらっしゃると思うんですけど。
で、あなたはどうしたいのみたいなのがなければ、僕の見方がつまんないなって思うだけですよ。
お金を得て、お金を得た、得られました、幸せですっていう人がいるのかもしれないけど、つまんないなと思いますね。
その人の意思というかやりたいこととかどうしていきたいかがないじゃないですか。
判断がないって言ったらいいですか。
それが特に、これは批判になるんですが、みんなが言っている、誰かが言っている、親が言っている、誰かが言っていたりやっているからその通りにしようみたいな。
ことを全部否定するわけじゃないですよ。最初の方法から始まるからね、真似から。
だけどその通りってあり得ます?っていう。
親が先生になれていたらなりました、で?っていう。
で、ある日突然、気づくかどうかは知らないですよ。
気づいたらいいというわけでも、気づかないから駄目だ、目覚めようみたいな宗教をやりたいわけでもないし、そういう自己ケアではないですよ。
だけど20年くらい経って、20年でもいいですけど、なんでやってるんだろうねみたいな。
になった時に始まりじゃないですか。
で、ならなかったらもうしらんすっていう。
それは厳しいかもしれないですけど、それ人様への人生の鑑賞じゃないですか。
そっちの方が僕は嫌だなと思うので、望めば何かをアドバイスというか、そういう話ができる人は作っておいてはいいと思いますが、
望んでないのであれば、みんな言ってるからこうしようよ、他の人が言ってたよねとか、
だったらこうしよう、言われた通りにしとこうよみたいな、ちょっとよくわかんないですね。
尊徳感情みたいなのが働いて、みんなと同じことをやっておけばいいのだみたいな人って結構いらっしゃると思うんですよ。
で、自分が決めたこととか判断を下してやるっていうのに慣れてない。
それが故に自分が判断をして下してるっていう人が、これは多分僕は本質的には嫉妬だと思うんですよ。
なんか自分が決めて、自分がやられていること、自分がこうだっていうふうに言ってやっていけることを、
なんか羨ましがる人がいるんじゃないかなと思うんですよ。
これは仮説ですよ。だけどそうじゃないとやっぱりその話に説明がつかないですね。
か、全然関係ない誰でもいいから消費してやるって時にターゲットにされたり、そこに出てきたからなんか言われたみたいなね。
それもありそうですね。
で、その妬みとか恨みみたいな。
妬みっていうか、恨みはないか。妬みか。
まぁ、煽望とか羨ましいみたいなところには結構近い。
羨ましがるってちょっと危ないですよね。
あとずるいとかいうのもちょっと危ない概念ですね。
で、その時に、それで妬みみたいな人、妬んじゃったりなんかする人っていうのは、
自分のベクトルですね。
矢印を自分の方向に向けることができない。
もしくは人に見つけてなんかっていうしかできないのかもしれないですね。
っていうところでいくと、考えるという思考プロセスとかは僕は大好きなんですが、
それを自分に向けられないっていう程度の思考レベルでしかないということにはなりますよね。
だからそれがダメとは思わないけど、
なんていうんだろうな。
当たり前のように普通にやって、自分は選んでこうしてますっていうのを
黙ってるというか、っていう風に言っちゃいけないみたいな謎の社会になるじゃないですか。
攻撃されたくないなら黙ってるってわかります?
それはまさにちょっとまずい思考だと思いません?
で、目立ちたいわけでもないんだけど、
主翼にもそうですが、同志といいますか、一緒に同じように考えてやっていこうっていう人を
僕はある種探してるだけですし、そういう気持ちのいい人と付き合っていきたいっていう
シンプルにそれだけなんですよ。
でもこれもですね、考え方によっては
なんていうんだろうな。
そうやって発信しているから責任を持てとか、
ビジョンを示せとか、なんか謎の方が来るような気がするんですよ。
別に僕の方が来てないですよ。
だけど、そんな時代なんですよね、ある種。
不思議なのは、なんかそうやって言っている人が
要は自分の人生、充実して人生豊かみたいになってるかって言ったら
正直怪しいじゃないですか。
なんでかというと二重の意味で違ってて、定義としてやっぱり豊かっていうのは
他者に対して優しくなれたり、いわゆる愛だと思いますが
そういうのがあることだと思うんですよね、本当にね、本当に。
本当にそう思ってます。
それがないから、要は愛がないからこそそういう乱暴というか
丁寧でないような言動ができるわけですよね。
でもその人って、何かこじらせてるのは
私は社会の被害者みたいな人が出てくるわけですよ。
自分が何かやりたいことができなかったのは
親のせいだとか、社会のせいだとか
最近だと、勤めた職場に復讐するみたいなのがあったりして
怖いなと思って。
別にそこが良い悪いかはわかんないけど
復讐してることは事実なんで。