1. シゴクリラジオ!
  2. 結果や手応えがなさすぎる時は..
2025-06-13 35:03

結果や手応えがなさすぎる時はどうするか?

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サマリー

今回のエピソードでは、結果が出ない状況への対処法について考察されています。特に、自己啓発の観点から、結果を求める過程での努力とその意義が探求され、行動目標と結果目標の違いにも触れられています。自分のやりたいことや目的にどう向き合うかが探求されており、創作や事業を行う理由、自由な発想の重要性、成功や反応に対する思考について語られています。また、仕事に対する手応えや結果が得られないと感じるときの対処法が考察され、お金の価値や仕事の意義の見直し、心が動く体験の重要性が語られています。自己の価値や意味を見出すプロセスが話し合われ、特に人が自らの経験をどう定義するかが重要であると論じられています。さらに、結果が出ないと感じる時にどう行動すべきかについても考察されています。

00:03
シゴクリラジオ
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
このシゴクリラジオは、仕事作り、仕事クリエイターですね、パーソナリティの私、大橋が仕事作り、ビジネス、商売、アイディアらしい、
仕事をどう作るか、企業と言ってもいいんですが、そんなことをテーマに話していく番組となっています。
結果が出ない時の考察
今回のテーマは、結果が出ない時どうするかという視点で話していきたいと思います。
結果が出ないという時に、結論的には頑張るというと変ですが、期限を決めて諦められるかどうかだけというところはあるんですが、
そのあたりと関連することあたり、若干自己啓発っぽくなるかもしれませんが、共有していければいいかなと思います。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、四国理ラジオの大橋です。今回のテーマはですね、結果が出ない時にどうするか、1年くらいみたいな。
1年くらいというのは、1年くらいやってて結果が出ないみたいな話ですね。
元々ですね、あるポッドキャスト、ここのポッドキャスト、四国理ラジオでも紹介したと思いますが、
漫画家さんが話しているポッドキャストは創作ホリックというのがありまして、概要欄に貼っておくんですが、そこでのお便りみたいなのがあって、
細かい内容はぜひそちら聞いてください。話だけで聞いてて、アドバイスとかされているんですけど、その通りだろうなとか、
漫画の話は全然わからないですけどね、漫画家さんとかね。というようなですね、いくつか僕も思うところがありまして、
別にその漫画家さんで1年結果が出てないぞ、みたいな人にアドバイスするというわけじゃなくて、
仕事づくりとかって置き換えてですね、1年やって、成果というか結果が出なかったらどうしますかというときに、
辞めるか辞めないかとか、いろいろなことがあるんですけど、そういうことを問いとしてね、自分に問いかけてみようか、
見ました、考えていきましょうというのが今回のテーマとなります。
活動量の重要性
まずですね、1年間という活動量ですね。1年間もまずですね、すごく細かいんですけど、何やりましたかということなんですよね。
月に1回だったら12回じゃないですか。何やるかによりますよ。毎日だったら365回。
時間運転1年間で、週に1回だったら48回、1週にあたり1回何時間やったかとかね。
こういうことを言うと、量をやればいいという話になるんですけど、基本的には最初は量はやらなきゃいけないから、
1、2ヶ月くらいはやらなきゃいけないんじゃないですかねという、
脳科学的な会話をテーマにすると僕は勝手に言ってますが、要は手名付けるには75時間程度は必須じゃないかというぐらいとするならば、
あと3週間くらい、週間ってやらなきゃいけないって言ったりしますけど、1日2、3時間やってそれぐらいみたいな感じとか。
もちろんやる量によりますから、漫画はわからないけど、アイディアを出すっていうのも、毎日こういうことないかなってメモしたりする習慣がない人がアイディアは出せないじゃないですか。
だから、情報とか引っ張ってきて、こうだ、ああだ、考えたりするっていうことを、いわゆる発想法というのはアイディアの試行法ということなんで、
情報を持ってきてそれを考えるということ、問いかけをするということがなければ、やってないのと一緒なんで、すぐやりましょうねということになりますからね。
アイディアを出すというと、もしかしたら誤解される方がいて、天性で思いつくものがあって、それをポッと出すと、サッと出すと、パーンと出す、なんでもいいんですけど、
そういうふうに思われているかもしれませんが、そういうことではないですね。
そういう状況で、量ですよね。1年間というので、どれくらい量を取り組んだかということでいったときに、創作法力というポッドキャストに言われていたんですが、
何も起きないっていうことがあるのかっていうところで、多分起きるよねっていう。
僕もこれは同意で、1年間、毎日やらなくてもいいけど、さっきの75時間ぐらいはやって、3ヶ月でも半年でもいいですって、そこそこやってる人で、
全く何も起きないってことはあるのかっていうことなんですよね。全く何も起きないことは多分ない。
ここで結果っていうのが難しいところで、このラジオでも言ったと思うんですが、結果目標と行動目標、両方あった方がいいですよって言ってて、
結果っていうのは漫画だったら連載とか読み切りの話だったのかな。漫画が掲載されるみたいなことですよね。
一般の人に広くって言わなくても、賞を取るとかなんかわかんないけど、一つわかりやすい結果が世の中に対して、もしくは言えるとか受賞とか、
要は他者評価みたいなところだと思います、この場合の結果があるか。
あと行動目標っていうのがあると思ってて、要は毎日何してるかとか、どういうことを普段やってるか、もしくはそのためにネームを何本書くだとか、
漫画で言えばね、アイデアだったらそのために何をチェックしてるかとかそういうことになるんですが、やってるかってことになります。
それ自体は行動の方はやらないと結果に繋がらないから行動はしなきゃいけないんだけど、行動をすることが目的になってはいけないってことではあるんですよね。
そこは従々承知いただきたいというか、考えていただきたくて、ただニュースをボーッと見てバババーって見たら、はいアイデア出ますなんてことはなく、
これはどういうことなんだろうかとか考えたり調べたりってことをしてて、そこで質を高めていくみたいなことになるんですが、やらないとそれは何にもならないですよね。
この辺りはもうやっていくしかないんで、よくわかんないなっていう人には、それ具体的にどういうことですかってなると思うんで、やってみてくださいとか。
わからないことを聞いてくださいの方が一番いいですね。
わからないからそういう感じなんですねって言って、イメージしてやれるかどうかっていう話なんですけど、これは教育とか学びの話で、自転車って乗ってみないとわからないじゃないですか。
なのに自転車の乗り方を一生懸命教科書で勉強してもあんまり意味なくて、じゃあやりながらやろっかって言って、自転車を買ってくるとか、走れるところを準備する必要はもちろんあるんだけど、そういうもんじゃないですか。
だからやりながらっていうのを、教え方が整ってないみたいなふうに、もしかしたら笑う人がいるかもしれないけど、多くのものって、整えて何か教えるっていうのって結構難しいんですよ、多分。
言語化が結構得意とか、マニュアルとか整理して、そういうのが得意な人でやっと見えるかできるぐらい。さらにそれらを実践していって、どういうズレがあるかを見ていってやれるかってなっていくと、途端に人が少なくなっているような気がします。
それがさらにジャンルとかに分かれていくと、もう結構達人みたいな感じもしますよね、そういう教育ってね。すごいと思います。こういう人を教育するっていうのはすごいことだなと思いますし、学ぶって面白い。そういう意味では面白い、クリエイティブなことだなって僕は思っています。
辞めるか続けるかの選択
その結果が出ないから、辞める辞めない問題っていうのはどこでもあると思うんですね。夢が叶わないとかね。プロ野球とかで、分かんないですけど、プロ野球に入団よくないな。その前に高校とか大学とか分かんないですけど、活躍してそこで試合にもあまり出れなかった、ベンチ入りもできなかった、もしくはベンチ入りできたぐらいだから。
スタメンで最初から選ばれてたわけじゃないっていう人がいて、例えばね、その人はいつ諦めるんですか?その人にとっていつ諦めるかなんて失礼な話じゃないですか。仮に思ったとしてますよ。その人が思って相談してきたら別にいいけど、その人にとってはいつ諦めるというよりもどれぐらい自分はやれるんだろうかってことをやってみて、
ダメならすっぱり諦める人から趣味とか違う形で野球とかサッカーでもいいんですけど、スポーツと関わっていくっていうのも全然アリだと思うんですよね。
これを、まあこんな人はいないと思うんですけど、敗者が、要は負けた者が何を言うかみたいなことを述べる人はいるかもしれませんが、なかなかそういう方ってちょっときついですよね。
勝ったら勘軍みたいな考え方じゃないですか、結局。そこに1回でもエントリーして乗ったらすごいってことになるかもしれないけど、まあそれも大概じゃないですか、考え方として。運とかもありますからね。
そういう時に、結局問われるのは自分がどこまで粘ってやりたいかっていうのと、やっていきたいかっていう意志が問われるんじゃないかなっていうことですよね。
だから1年で結果が出なかったから諦めるっていうタッグもあるし、選択肢もあるし、諦めないっていう選択肢もあるよねっていうそれだけと言えばだけなんですよね。
結果が出ないから出せる方法を教えてくださいは、問いとしては質の悪い問いかけだと思いますが、元ネタのポッドキャストはそんな話はもちろんなかったんですが、
そういうふうに少なくとも自分でやってみて全く手応えがないってことはないんだと思います。ないっていうのは全く成長や学習がなかったら、僕もしんどいですし、その状況は僕はやめたほうがいいかなっていうふうにするタイプなんで、
僕ですよ、僕だったらね。これは向いてないしちょっと違うなってことでやめると思います。っていうところでたまたま僕の中に残っているのがそのアイディアを出すとか企画するとか調べる、リサーチするっていうようなことしか、あと話すことも一応残っているのかなぐらいしか残ってないっていうだけです。
だから分かりやすくないですか。ていうか分かりやすいというか僕は別にそういうの極めていこうみたいなことは思ってないんだけど、結果的に残っているのは手持ちの札がそんなもんだなっていう感じです。
だからそれを絞ってそれしかやらないっていうことはもちろんないし、いろいろやろうとするんだけど、結果的にまとまるよねっていうのでアイディア出すとか調べるとか話すことっていうふうに説明することは多いですね。
でもそうやって他の人も別にできるじゃないですか。だから統合してその仕事をクリエイターということで仕事を作っていくってことはやりたいですよねってことでやっていきたいので、そんなふうに振る舞っている感じがします。
だから別に諦める、あんまりやらなくていいじゃないですかっていうね。前回から言っている否定的な否定して自分がどう反応するかっていうような。
別にやらなくていいじゃないですかって言ったときに別にね、実はあなたもそうですがあなたに何かやれっていうね。
例えば歌手だったら歌手、PodcastもPodcast、YouTubeもYouTube、別に何でもいいですよね。副業だったら副業、何でもいいけど、それやれって誰かに言われたんですかって話なんですよね。
言われたことをやってますって言うだったら別にそれはそれでいいじゃないですか。特に深い意味もなく。
自分を見つめ直す
お金がもらえるからって言われたら別にお金がもらえる他の仕事があればそれやればいいじゃないですか。なかったらそれやるしかないかもしれませんよね。
で、そういうふうにご自身というか自分がどういうレベルでやりたいこととかやっていることに向き合っているかっていうのは正直問われるので逃げれない感じがしますよね。
逃げちゃダメではないんだけど、なんでやっているのかって言ったら自分がやりたいからやるんじゃないですかっていうところになっていて、
誰かに言われたんですかって言うね、誰かに操られているんですかって言ったらちょっとよくわかんないので、あなたが選んだんじゃないですかっていうところだけですよね。
それは厳しいというよりも、もっと自由というかフランクな感じで、じゃあこうしようか、ああしようかっていうふうにアイディアですよね。
なんかやりたくなってくる気持ちが出てくるか、もう嫌だなって言ってやめようっていうふうになるからですよね。
で、創作的なものってちょっとそういう意味では難しくて、自分の表現というか自分の内面が試されるわけじゃないですか。
だけど、別に会社員の仕事だって別に会社にその人がいてやらないと会社が支えられないみたいなことをもしかしたら思っている方が、
特に転職経験がないとか、そこにずっといる人、本当に10年20年いる方だと自分と一緒になっているかもしれないけど会社が雇用される側ですね、従業員の人ですね。
ないですよね、別にね。休んでもちゃんと回るっていうのが会社です。
もしかしたら、起業して会社を作ってサービス立ち上げている人とか事業を立ち上げた人でもそうかもしれないですよね。
そのあなたの会社とか事業があるから成り立っていて素晴らしいよねって言われたとしても、その人がそれをやらなきゃいけないことを使命とかミッションというふうにご理解するのはいいんだけど、
それを絶対やらなきゃいけないというふうになるんですか?というふうに問われたときに、最後意思でやりたいとかね、やりたいんですよと。
その使命感みたいな意思とかね。それでストレス感じるストレス感じないはもう自由というかね、というふうに僕は思ったりします。
結果への考察
もちろんそういうふうに割り切れないものはいっぱいありますよ。そんなふうにドライでロジカルで自分に向き合っていらないと思ったらバンバン切っていくっていう感じがいいとも思ってないですからね。
でも最終的に自分が決めるっていうことじゃないですか。どんだけ理屈でどんだけ偉い人がどんなに有名で成功してる人が、
あなたはここの道に沿って歩いてくださいって言ってやります?っていうね。言われたからやりましょうって素直な人もいるかもしれないけど、
なんか尺じゃないですか。僕は尺だと思っちゃうんですけど。
で、あと結果っていうところの手応えですよね。手応え何かが問題もあって、これはもう自分で考えるしかないですね。
ウェブサービスであれば僕もそのリリースっていうかなんかやって、なんか全然反応ないなとか、
なんか来たとしても別に人ってそんなに興味ないんだなっていうことを別に思うわけですよ。思ってきたんですよ。
今も別に思ってて、自分に対する興味というよりもサービスに対する興味とかもそうだけど、
自分が思っているように人が思うかっていうのは文章とか言葉とかでも伝えるのと一緒で難しいなと思ってて、
難しいと思ってるんですよ。思ってて、自分が伝わったと思っても6割5割?もしかしたら3割かもしれないですよね。
1割2割はやり方に問題がある可能性があるんですけど、10喋って1つ伝わっていいよねっていう人は相当寛大とか相当教育者っぽい人だなと思いますけど、
そこまでいかなくても3割ぐらいは欲しいよねっていうのがあったりします。でも8割とか9割はほぼないですよね。
という意味で自分が作ったものとかが誰かに支持されるってなると、より間接的になっていくから伝わりづらいわけですよね。
創作ってそういう意味もありますよね。授業もそういう意味ではクリエイティブだと思いますから、
自分が肩こりがひどいから世の中に肩こりを治すような機械でもいいし、それこそ怪しくなりますが、
手術法みたいなノウハウを売るとか、ほぐし屋さんみたいなマッサージ屋みたいなのをやるとかわからないですけど、やり方いっぱいあるじゃないですか。
それを選んでやったとするじゃないですか。肩のこりをほぐすような運動を広めるとかでもいいですよ。
動画を売るとかYouTuberでやるとかでもいいじゃないですか。やり方いっぱいある。
それを決めて、やって、どういう、どうします?っていうことなんですよね。
結局そこで、YouTubeやったけど反応ないからやめようかってことはいつでもできるわけですよね。
やるんだけど、もっとやりたいなと思えば、やればいいじゃないですかっていうのが僕の感覚になりますよね。
思考の盲点と視点
やればいいじゃないですかは付き話しているというよりも、実際のあなただったら、まさに僕だったら僕で、僕がどうしたいかが問われているというだけなんですよね。
YouTuberというのは定義として、もちろんそれで何万フォロワーだって今ダメなんですか?
何万フォロワーって十分すごいと思いますけど、登録者はね。
っていうところで、広告収入でやりたい人だったらもっと必要でしょう。
広告収入も動画の再生数というところでは全然ダメだと思うんですが、
それでもフォロワー数に比べて登録者数の対象者と、それを紹介したカテゴリーが高ければ全然話が違いますし、
取り上げてくれることで価値になるということもありますから、それは広告とか宣伝というのの見せ方の価値の話になるので、
全然設計としては違ってくる、ビジネスとして設計の仕方が違ってくるので、それを置いておきましょう。
ただ、YouTuberだったらYouTubeを辞めてしまえばYouTuberではなくなるわけなので、
また別のことをやるか、違う形で伝えるということをしなきゃいけないとは思いませんが、
していく余力とかパワーがあれば、それは僕は灯火が消えていないなというふうには思ったりします。
こういうことを言っていくと、最近言ってますよね、自問自答してますが、
岡田さんいつまでどこまでやり続けるんですか?
それこそ仕事クリエイターはいつまでやり続けるんですか?ということを
もしかしたら思う人がいるかもしれないんですが、思ってなくても言うんですけど、
僕は割と今のところ全然ずっとやっていきたいなというふうに思ってますし、
キリがないんですよね。キリがないというのは終わりがないんですね。
いろんなパターンがあるし面白いなと。
毎日のようにニュースや記事を見てて、ネットを見てて、
こんなビジネスがあるんだというふうに思うことばかりなんですよ。
ここは伝わっていなかったかもしれないですけど、そのことばかりです。
何度も言ってますけど、僕が優れたアイデアを出しているつもりは全くない。
むしろゼロまである。ゼロだと言うと、さすがにこの人なんか、
なんていうんだろう、微妙だなと思われてもしゃくなんで、
ちゃんとアイデア出してお金もらってますよということは言いつつ、
とはいえ別にそれでポジションを取ってオラオラしたいわけでも全くないので、
自分のスタンスとして日々毎日発見があって楽しいなと思って生きているわけです。
ということで別に他の人のビジネスとかやってることも素晴らしいなと思いますし、
けなしてどうとかって批判的なやつはもちろんありますけど、
批判することはもちろんありますが、どうなんだろうねっていうのがあるんですけど、
別にそれが滅びろとか攻撃してどうっていう意図はなくて、そこから考えたいですよね。
なんか微妙だったら反面教師にすればいいし、
良さそうなら教師としてそういうのいいですよねっていうのを集めていけば
自分のビジネスだったり提供するアドバイスやアイデアに対しての価値とか
事例にもなりますからプラスじゃないですか。
あとは自分もやっていって楽しんでいきたいっていうところなんですよね。
あとは結局やりたい、仕事クリエイターってことを言ってやっていきたいっていうのが
ガチっとやっぱりあるなって思ってるのが、別にずっと前からあるわけじゃないですよ。
ないんだけど、アイデアを出すのも楽しいし、
プログラミングで0から1で形にしてプログラムとして動いていった時に
まさにアイデアが形になる瞬間とか、
文章もそうじゃないですか、何とか仮説とか言ってて、
先ほどの思考の盲点みたいな、
例えばサービス側とお客さん側のそれぞれ立場が
リスナーのあなたも立っていると思うんですが、
何か作ろうとする企業をすると喪失するんですよね。
つまり企業側でサービス側だとお客さん側の視点が
お客さん視点で考えろと言われてもそれが消える。
お客さんで消費者側で普段やっている人が思うのではないかと
もちろん多いんですが、その人たちにとって、
僕もそうですが、スーパーで買う時に
そのお客さんの立場で何かこれ傷んでいるなとか
そういうのは分かるんだけど、店側の経営として
そういうのをいろいろ見せていくという視点になかなか立てない。
だから両方あるんですよ。
それを思考の盲点と言っているんですが、
これはもう慣れていくしかないかなという、
そういうもんだと思って慣れて考えて何度も練習していくしかないな
みたいなことを思っています。
そういうのも思考の盲点というふうに言葉とか定義とか考えを深めていくことで
一つの見方になるわけですよね。
見方というのは仲間じゃなくて視点ということですね。
捉え方。
そういうのを繰り返していくしかないんですよね。
じゃあその思考の盲点とかはいいんだけど、
あまりにも、あまりにもですよ。
あまりにも仕事というものが、
何ていうんですかね、
仕事というものが会社だったりどこかで勤めて、
そこにあるから仕事というのはね。
それこそスーパーのパッケージみたいな感じです。
スーパーは別に悪く言っていないですよ。
肉を買うみたいな、魚を買うみたいな、
もしくは生鮮の野菜を買うみたいな、
ジャガイモ、最近だと今の時期だとシソとか梅とかありますが、
新生花とかもね。
そういうのをみたいに買ってきて、
仕事がそれに並んでいてやって、
じゃあ今日このクエストやろうというふうに思っていると。
クエストならまだいいですよね。
プロジェクトで業務委託だからだいぶ違う、選んでいるし。
それが何か、何ていうんだろう、
そこにスーパーに行くと仕事があって、
仕事に対する疑問
じゃあ今日は新生花をパッケージしてくださいとか、
今日はネギを切ってくださいみたいな、
仕事を与えられてやるみたいな、
今そうやって言うと工場労働みたいなことを言っているかもしれないと思うかもしれないけど、
そこでオフィスワーカーとかと一緒で、
今日はこれやります、というね。
別にウェブデザインでも何でもいいし、
何でもいいですよ、出社して何かやるって。
出社しなくてもいいですよ、リモートワークでも何でもいい、ですらいい。
そうやって仕事があるということが当たり前だと思っていたり、
そのある仕事をやることがお金をもらえるということに、
僕は疑いを持っているわけですよね。
疑っているというのは、それでお金を得るのとか、
その仕事は価値がないとか、そういうことを言いたい。
否定したいわけじゃなくて、
それ何なんですか、というところを見ていきたいわけですね。
わかります?
ということを詰めていくと何が起きるかというと、
結果的に何度も言っていると思うんですが、
お客さんが、要は対象とする人が、
接する人が、あなたが接する人が、
なんか嬉しいとか、価値あるねとか、役立ってよとか、
ありがとうというようなことがない限り、
それに助けられたよということがない限り、
心が動かないわけですよ。
と思いません?
どうです?わかります?
心が動く感動じゃなくても、
例えばお弁当を買うときに、
お弁当があって、それで、
ウェルに住んだというお客さんですけど、
食べれてありがとうね、というときに、
お金を出すわけですよね、お弁当にね。
そのお弁当の価格も様々なものがありますよね。
どういう味付けとか、どういうものが好みとかもありますよね。
そういうときに、ありがとうということで、
お金を代わりに出す。
これがもちろん、お金がなかったら、
ありがとうでよくて、
作ったものが、
物々交換ではないけど、
では、正直やりづらいでしょうと。
だから、自分の技能として、
お弁当ありがとうということで、
アイデアを出しますかというときに、
みんなアイデアが欲しいわけじゃないですよね、多分ね。
みんな文章を書いてほしいとか、
みんなプログラミングをやってほしいわけじゃないじゃないですか。
という意味で、お金というものに、
ちょっと変えておいて、
それで後で、
利益というか、できると。
じゃあ、クリーニングしたいからクリーニングしましょうとか、
おいしいもの食べに行きたいから、
ちょっと高めの飲食店に行きましょうとか、
旅行行きましょうということで旅行行くとか、
いろいろできるじゃないですか、お金ってね。
でも、お金はそのための信用というか、
使えるという信用的な手段が、
ごめんなさい、信用として、
いいよねというふうに思っているから、
別にそれが石ころでもいいわけですよね。
みんなが信頼できてたらね。
でも偽造とか保存とかの問題があるから、
お金というものに、
紙幣とか広賀とかというものに、
日本の円とか、
という話ですけど、
なっているわけです。
そこまで考えていくと、
わかるというのは、
ロス側が出てくるのが、
お客さんの心が何かしら動き、
その人が動いた結果、
お金を出してもいいなと思う、
お金を出すのが自然だと思えるぐらいの価値になり、
それを直接、直接じゃなくてもいいんですが、
いただいたところが、
仕事なわけですよね。
これを、
ライフワークとか、
ライスワークとか、
いろいろ言葉で分けてもいいんだけど、
なんていうんだろうな、
ライスということで、
生きるための仕事みたいなものに、
やりすぎると病むと思います。
何でもいいみたいなやつですね。
これは病むと思います。
価値と求められるもの
僕は病むというのは病気になります。
僕はあまり、
それはやりたくないなと思っています。
そこで、
いや、そんなことはないよと。
自己表現全開でバリバリでライフワークだということで、
アーティストと言ったらちょっと失礼なんですけど、
普段アーティストだからね、
みんなそういうふうに思っているわけではないんだけど、
自分の表現とか自分がやりたいことを全力で出していって、
それでやっていくのだというときになると、
それは実行を出しすぎというか、
それが結局ビジネスとか他者評価ということを
見ていなかったりすることもあるわけじゃないですか。
その見方とかもありますけどね。
要は自分が好きなことでやりましょうとか、
楽しいことでやりましょうと言うと、
こういうことを強調しがちなんだけど、
自分がいいよと思ったものが
必ずしも他人がいいとは限らないじゃないですか。
そうそうそう。
でも同時に矛盾しているんですが、
自分がいいと思ったものは
他の人もいいと思うことも結構ありますよ
というのは僕は言っていきたいんですよね。
だからここらへんのバランス感覚って、
今聞いていて、
そうだよねとか、
なんていうんだろうね、
そういうふうなんですねというふうに
頭で理解するものじゃないんですよね。
これ言語化してますけど、
僕が考えて体験して
そうだなと言えていることを言っているだけなんで、
体験せずに頭だけで考えて、
何ていうんだろう、
仮説ぐらいだったら全然いいですけど、
こうである、そうであるというふうに
決めつけているわけじゃなくて、
こういうことが言えるかもしれないなぐらいの
全部仮説なんですよ。
括弧になっているんですよね。
かもしれないよねっていう。
だからかもしれないって言ってるんで、
何でかもしれないから。
また変わっていくかもしれないんで。
なのでそのバランスって言っているけど、
もしかして人によってはバランスとか
取るのが面倒くさいとか
バランス感覚がおかしくなっているから
どっちかに絞ったほうがやりやすいですよね
っていう人がいれば
そうででいいんじゃないですか
というときに別に僕とその人
もしくはあなたがそう思うなら
それで別に対立してどうかという
構造ではないですからね。
少なくとも、
別に意見が違ってあろうが
別に振付をせずに
いいっすよね、豊かって
いろいろあっていいっすよね
というふうに分かっていたほうが
僕は幸せだなと思います。
だけど世の中そんなふうに
ニコニコいけないことが多くて
じゃなかったらみんな平和で
戦争とかも来ないんですが
そうなってないですよね
という状況がある。
それぐらいまでは膨らませられますよね。
話戻すと、結局ですね
何か手応えというのを
どういうものにするか
どこから結果が出る、成果が出る
というふうにするか
結局向き合っていきたいものとか
やっていきたいことに対して
意志ですね、どんなものでもいいんで
ずっと言ってますけど
こうしたいんだ、ああしたいんだ
というものがなければ
作戦とかも立てられないじゃないですか
どの程度のモチベーションとか
どの程度やりたいのかというね
だから野球始めようって言ったら
ピアノ始めようとかいいですけど
ちょっと練習して難しい弾けない
という時にやめます?
ちょっと我慢するぐらいはあるけど
でもそうやって楽しみを見出せなかったり
面白いな、やってみたいな
って思わなければ
やらないですよね、やれなくないですか
最初の子供とかね
学生さんぐらいだったら
そこまでないかもしれないけど
これ何かやっていっても
面白くなるポイントあるの?
って思ったものって
結構しんどくないですか
それがある日面白くなることも
あるかもしれませんが
まあない、みたいな
面白くなるんかなって思ってたら
意外な面白さがあるかもしれないけど
やっぱりそこまでは面白くなかったよね
っていうのがあったりするように
意外性を狙うならいいけど
なんかそこまでね
どこまでやるかってことなんです
そこで
じゃあ漫画じゃないけど
本でもいいけど
絶対読み始めたり読まなきゃいけない
なんてないですからね
自分が着地してやるっていったものを
絶対やらなきゃいけない
っていうことはないと思いますよ
その時に
なんていうんだろう
一つだけ
注意っていうか気にしたいっていうのは
仮にそれやめてもいいんだけど
じゃあ何やるってときに
同じパターンとか同じことを
繰り返してないかみたいなことなんですよね
結局ね
同じことを繰り返してないっす
っていう風に思えるなら
別に同じことを繰り返してないと思いますよ
楽しさと意欲の重要性
同じことを繰り返しても
同じことを繰り返して学んでいって
あるならまた次は違ってくるんじゃないですかね
っていうことになっていくんで
学習とか学びとかね
勉強するとか
そういう話になっていって
いくかなと思います
あとはどうなんでしょうね
そういう理屈でいろいろ言っても
結果的に僕はね
最後の締めとしては
自分が面白いとか楽しいとかって思うのは
理屈で8割9割
もしくは99%詰めたとしても
あなたが1%部分で
できないなら
それって何でやるんですかってなると
また月曜日の松崎さんとのゲストの話
松崎さんというゲストの方を迎えて話してた
AIのテーマがあるんですが
結局
自分が面白いと思ったことをやらなかったら
合理的な部分で全部
99%合理的でできるのであれば
それは人間あなたがやるよりも
僕もですよ
論理が得意な人でも
自己の価値の探求
AIを見たときに
AIがやったときに結構論理的だなって
少なくとも僕は思っています
そういったときに
AIがほぼ代替してくる可能性が高くて
そういったときに
論理的に決めるとかって
どうなのって思わないですけど
全部が全部思わないですよ
思わないけど
これは何か意味ないなっていうね
意味っていうのは
人間が生み出している
無駄とかどうしようもないよねとか
くだらないなっていうようなことで
いいんですよね
だからくだらないから
どうしようもないことやれんとか
バカバカしいことをやって
おちゃらけろってことじゃないですよ
論理的に価値とか
論理的に言語化できないものが
価値がないなんていうのは
最も悪種というか
最も違ってて
むしろ逆で最もそこで
言語化できないとかってことが
価値があるんじゃないかっていう話でもあります
だから何度も言っていますが
その小さな意思とか
自分がどうしたいかってことっていうのが
誰にとって
リスナーのあなたが
こういうことをやりたいですっていうところにとって
僕にとってそれは価値があるわけじゃないじゃないですか
あなたにとっての価値だから
これある本に書かれていましたが
人生の意味なんて何ですかって言って
誰も答えられないんですよ
自分にとってこうだよっていうふうに
意味付ける
自分で自ら定義するとか
考えてこうですよっていうふうに言うことが
なんていうんだろうな
考え方 価値になる
なんですよね
価値というか
自分が思う
人生であり
生き方みたいなものになるかなって思いました
なんで
思想とは言わないんだけど
自分がこういうふうに生きたよねっていうのが
何かしらあれば
結果が出ない時の対処法
それは育てることができますから
なんていうんだろう
いきなり肺がすごい固まってますってことはなくて
徐々に徐々に
植物を育てるかのように
手入れをして水をやって
肥料をあげて肉をあげて
声をかけて育ててくれてありがとうね
そういう意味で
だからあなた自身は自分を大切にしなきゃいけないんですよね
そういう意味でね
だからそこを自分を大切にしなくて
自分に暴言を吐くようなことをやってはいけないので
自分を大事にね
自己愛くださいってことで
ご自愛ですね
自己愛じゃないけどご自愛
というわけで大事にしてください
強いっぽくなってきましたんで
そのわけで今回ですね
結果出ないときどうしたらいいかっていう話と
何だっけ
いつ辞めるか
結局ですね
自分で決めましょう
自分で決めましょうっていうのは
別に相談とかしてもいいし
いろいろ理屈ね
言語化して振り返りとかしてもいいけど
結局面白いかどうかとか
自分にとって意味があるかとか
その意味があるかっていうのも
全部自分が決めることになるかなと思います
誰かが決めて
これがあなたにとって意味あるから
あなたは文字を書いてください
あなたは決められたからこれやってください
それで文字やれる人はいるかもしれないけど
別にいいんですよ
それでやるってきっかけになったらいいかもしれないけど
別にそれやって面白いかどうかを考えるのは
結局あなたであるし
自分であるってことなんで
きっかけぐらいはいいけど
っていうところですかね
というわけで
今日はこれぐらいにしましょう
ここまでお聞きいただきまして
ありがとうございました
四国理ラジオ大橋でした
以上失礼いたします
35:03

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