続けることの意義
はい、シゴクリラジオの大橋です。シゴクリラジオは、パーソナリティである私、大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
あのー、ジングルが終わってからですね、えっと、シゴクリラジオの大橋ですって言ってますけど、なんか、くどいなって、なんか思って。
で、そういう意見は別にもらってないんですけど、あれなんか、最初に言って、またジングル行って、大橋ですって、くどいよなって思って。テーマ、あれ行きゃいいじゃんっていうことを思ったんですけどね。
まあ、そうしますね。はい、すいません。えっと、えっと、えっと、えっと、えっと、えっと。今回はですね、まあ、シゴクリというよりもですね、
続けること、えっと、友人と話しててよく出るテーマで、スポーツね、その友人の方、友人はスポーツやってるんですが、
そのスポーツにおける続けるっていう意義、これもですね、僕も別にスポーツをやれとか、スポーツをどんどんやっていこうってことはないんですが、運動はですね、たぶんやらないと死にそうだなっていう気がしてます。
なのでですね、なし寝相っていうのは不健康だったことですが、えっと、その続けていく感じとスポーツのあたりで、続けていくことって何ですかねっていうあたりをちょっと考えていければいいかなと思います。
続けてみたい、もしくは続けているが何だろう、みたいなことを深めていく意味で、ご興味あれば引き続き聞いてみてください。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
ではですね、今回テーマは物事を続けていくには、もしくは勝ちとかですね、その目標設定は何なんだろうかみたいな話です。
続けていくためにはですね、その魔法とかやり方とかノウハウがあるわけではなく、えっと、なんだろうな、僕の話からまずいきましょう。
まずですね、僕がYouTubeをやり始めました。11月なんで、昨年ですね。別にたくさんの人が見ているわけではなく、登録者数はこのラジオでも言ってますが3人ぐらいです。
で、3人が悪いのかなと思うんですけど、別にいいじゃんと。その境地というか、ここめちゃくちゃ大事なんだと思うんですけど、どう思います?
で、これは別に正解ないです。人によっては3人だったらもうやめてしまえばいい。ちなみに更新頻度は週1回、あと動画的には10分ぐらいあるかないかぐらいです。
で、テーマはWebSIMというAIアプリを使って遊んでるんですけど、それを実況して、作ったよ、どうやって作ってんの、こんなのできたよみたいなものです。
なので正直面白いかどうかわかんないですよね。で、僕も思ってます。ただ、見ててなんだろうねって思って、プロンプトを入れたらアプリができるというのは、もっと広まっていいんじゃないかなって。
知ってる方は知ってるんですが、そういう方じゃない人向けに面白いよっていうことを言い続けている、ある種僕のとってはメディアですね、ではあります。
ラジオとかでも言ってもいいんですけど、ラジオで言っても伝わらないんですよね、絵がないとね。ということで絵を入れてやってます。
この時、リスナーのあなたがぜひ考えていただきたいんですが、そういう風に全然伸びないというか、何人までいったらよかったのってことですけど、何人とか、フォロワー、登録者数、いろんなもの、いいね数でもいいですけど、バカバカしくないですか?
って思っているから、あなたはそれを達成できていないから、言う資格はないみたいなね、いやもうそれ言うんだと思うんですけど。
言ってもいいんですけど、世の中の価値というのは、こうなってくると思うんですけど、フォロワーといいね数登録者数が多い人だけで成功者みたいな人になっていて、それでお金を稼いでいる人だけでいいんですねってなるじゃないですか、極端に詰めるとですよ。
それを面白いと思うんですかねって話で、僕は面白いと思っていないですと。登録者数がすごく少ないとか人も全然いますし、もちろんレコメントとかそういうのですけど、なんだろうなと思うんですよ。
そこにまさかのって思うんですが、カウンターですよね。自分の価値観がモロに出ている。つまり自分が閲覧者としてどうだっていうのを、自分が配信者側でまさにサービスを提供しようとした時に出てくるわけですよね。
ちなみにこれは僕の自戒を込めても言ってますからね。ブーメランとかにならない。一緒に喰らいながら進んでいくっていうスタイルです。
それで辞めちゃう人は期待値が高かった人じゃないですか。別に辞めるのが悪いわけじゃない。だけど、儲かる副業を探しているみたいな人がどこかにいて、この番組を聞いている人はいないと思うんですけど、いらっしゃるんですよ。
ちょっとでも思ったらそう思ってください。ちなみに僕も思ったことがないわけじゃないですよ。ないかなーみたいなことはあります。ただ今はないですよね。そういうのって誰かの手垢がついてるじゃないですか。
だいたい情報商材ってやつで、儲かる方法を誰かに教えてくださいっていうことを儲かる方法として教えてくださいっていうことなんですね。わかります?この入れっこがわからなかったらちょっと勉強していただきたいんですけど。要は詐欺みたいなものです。
怒られないでしょう。実際それは詐欺みたいなものですからね。続けていくために目標設定が低い方がいいですよねっていう話でもあるんですよ。続けるにはね。
優柔な話をそこに入れつついくと勝ち負けみたいなのがあります。例えば僕はテニスをやってたことがあるんですが、テニスも試合があってワンセットゲームとかいろいろあるんですが勝敗がつくと。
勝てなかったら弱い。勝負に勝てなかったら弱い。勝ったらすごい。勝った人はダメだとは全く思わないですけど弱い人が本当にダメなのかと思ったりするわけですね。
勝ち負けが全てなのかというときにここで出てくるのがプロスポーツでそれを成り割としてしっかりガッツリやる。ガッツリ系。プロでやらなきゃいけないというわけじゃないですよ。むしろ一部ですからね。
自分なりの楽しみ方
ここは常に頭に置いてほしいんですがプロで何かやってる方たちはトップオブトップでそれを成り割としてるから技術もすべてにおいてレベルが高いはずですよね。そんな人たちでもよくわかんないことをやったりしますからね。
アマチュアってやつですね。例えばサッカーと言ったら社会人サッカーみたいなのもアマチュアになるんでしょう。でもプロだと思うんですけどね。お金もらってたらね。って思いながらもお金もらってない社会人サッカーもいっぱいあると思うんで。
プレーでお金もらえるという人たちは非常に限られている。契約ってやつですね。があるような気がします。その時に草サッカーとか別に会社員やりながら別の仕事をやりながらサッカーやっていいじゃないですか。むしろそういう人たちの方が多いじゃないですか。
なぜか楽しくサッカーをやるっていうのが軽んじられる。これは僕の考えすぎなら一周してください。一周は蹴り飛ばすから一周もあると思います。
プロで何かやらないとダメだっていうのが非常に良くない。ここがちょっとよくわかんないですけどメッセージとしてずれているのがプロとかでやってる人はどんどん競技人口が増えていった方がいいわけだから楽しんでやってくれる人が増えてその人たちが応援してくれてそこからですね全員がもちろん全員じゃないんだけどより引き止めたい人はやればいいっていう行動になるからプロ視点でもやってくれた人が多い方がいいに決まってるんですよね。
プロが厳しいからそんな甘くないよっていうのはあんまり良くないような気がしてます。これは僕の勝手なプロ的視点ですね。楽しいよっていう方がいいって決まってるんじゃないかなっていう。
本位は知らないです。ただ楽に簡単にできるなんてことは一言も言ってないわけで。そんな甘い世界じゃないってことは従順承知でいかないといけないわけで。とはいえですよ。
じゃあプロの話は分かんないです。プロは才能的なものもあるんでしょうね。さらに努力するとかあるでしょう。その上で運もあるでしょう。周りの環境もあるでしょうっていうところがあったところで勝負に勝たなきゃいけないから結果を出さなきゃいけない。厳しいじゃないですかって僕は思いますけど。
同時にそうじゃないプロじゃない世界だったら結果もクソもないじゃないですか。楽しいっていうのがいいわけだから。その自分なりのペースで続けていけばいいってことなんで。むしろ逆に結果を出してどうこうする期間が短いですし、短いというかないですし。
あってもどっかの大会に出て何かやろうよって難しかったねって言ってそれに対して何かやってくるのがいいと。でも何かに勝たなかったら本当にやっちゃいけないのかなって言ったら何かおかしいなって思うんですよね。
っていうところを追求してた時に結局自分の中での価値観や物差しを決めきれてないかったり、なんで勝たない奴やってんのみたいな風になっていくと。で、勝てないとやっちゃダメだみたいなのが出てくるような気がします。
例えばゲームとかでも格闘ゲームとかでも勝てないとダメみたいなね。別に楽しいならいいじゃん。でも勝てないと悔しいよねみたいになっていって勝とうとするっていうのはあるんですけど。でもその勝つってどれくらい勝つんですかっていう話になっていくと途端に決めきれない。
よって勝てないと弱いから弱いやつと話したくないみたいな風になっていって知らないですよ。もしくは楽しみ方がわからないって言ってもいいですか。自分なりの勝敗分設定されているものに対して自分なりの設置点がわからないって感じが強いかもしれない。
僕は確か大学の時か忘れましたけど、高校の時のテニス部で、すごい古いですけど全然テニスラケットを持ってなかったんで、普通に即席で当時の同級生とチームを組んで市民大会みたいなのが出たんですけど、めちゃくちゃしんどくて、めちゃくちゃ相手シニアの人なんですけどめっちゃ上手いんですよね。
ボールを飛ばしてないですラケットで。完全に打ち上げてくるんですよ。そんなに打ち上げられるの?みたいな。だからこちらとしてやれるような感じだと毎回ショットを相当そんなところ狙って打てんよっていうぐらいのやつをやってたって感じがします。しんどくないですか。
変な球が飛んできたりするしね。きついなと思いましたけど、思い出しましたね。でも面白かったんですよ。負けましたけど、すげえなこの人たちって思いました。本当に心から。
負けたからというよりも、実力わかるから。勝っても嬉しくない試合ってないですか。相手が手を抜いていたらね。だからそんなもんかなと思って、自分たちが楽しむようにやればいいんじゃないって思ったんです。
っていうところでも友人とはそこら辺は合致というか同意というかあってて。だから何言いたいかって言うと、僕のYouTubeだったらYouTubeの続け方を設定すればいいだけです。
それで言われたことないですよ。登録者数少ないからと思ってる人いるかもしれないですけど。別に言わなくてもいいことですからね。いらんこと言わなくていい。
少なくても別に自分はこういうふうに思う気持ちでやってるからやればいいよねっていう感じ。自分なりの面白さをそこに入れられるかっていうのがポイントなんじゃないかなって思いました。伝わりますか。
これは仕事繰りでもそうですし、自分なりの事業というか仕事づくりでやっていくところでよくて、そうなんですよ。
すごく稼げば稼いだ分偉いですっていうね。1000万円よりも1億が1億が10億がって思います?思わなくないですか?って僕は思ってるんですけど。
いやーわかんないなーって思ってて、人の考え方わかんないじゃないですか。そうそうそうなんですよ。勝つ気が多い人が偉いみたいなふうに思ってる人がもしかしたらいらっしゃるかもしれない。
僕はそれを否定はしないですし、そうなんだねってことで、話とか価値観は合わないですよね。合わない。
結局ね、今あんまり言わないかもしれないけど、マウントっていうのがありまして、マウントっていうのは要は相手に優位に立とうとする。
自分の方がすごいでしょっていうことを言ってもいいし、堅持するわでもいいんだけど明示してね。
案に示すっていうのがあれですね。そんな案なんだ、俺はもっとできるよねみたいな。
でもその話もわかりやすくて、そういう人いますよね。マウントしたり。要は自分の方がすごいんだよって。
勝ち負けの物差し
よくわかんないゲームのCMであるので覚えてるんですが、それを皮肉って言うと、自分の方がトラックシャー3人だよ。
いやいや俺なんか100人だよ。いやいや500人だよ。1000人だよ。1万人だよ。どんどん上がっていって。
じゃあ3万人いらっしゃる方は僕の3000倍偉いんですか?みたいな話になってくるんですけど。
そうそうそう。何も意味がないじゃないですか。
案に示すのもまたどうかなって思いますが、それが何なんだろうなっていうところですね。
それが悔しいとか、いやもっと俺はできるぞっていう人は別にやればいいと思うんですが、
なんか虚しくないですか?って僕は思うし感じています。
で、なんでフォロワーとか登録者数とかいいねとか全部消したらいいんじゃないかなっていう思想が若干ありまして。
消したりはいいんじゃないっていうね。なんなんすかっていう。
で、これを多分インターネット老人会で言われているような、僕も含むんですが、
90年代ぐらいのインターネット会を知っている人からすると個人のブログとか別にいいねないですね。
で、掲示板とかぐらいしかない。
で、SNSって言ったら懐かしい人は懐かしいですが知らない方は知らないですが、ICQみたいなものがありまして、
今で言うなんだろうあれは。今で言うチャット?今ないですよ。
メッセンジャーだったりLINEでもいいし。
SNSツールとほぼ変わらないですね。
ニックネームで登録して音をつけておくと、学校とか言って音が変な鳥の声になっていった。
あれはイスラエル社製だったんじゃないかな。
独特の画面のUIを思い出しますが。
それを置いておいて、そういうのがあったり。
チャットルームとかありましたね。
結局社会的にもアーリーでやってる人がほとんど少ないから、
どうしようみたいな同志って同じ志ってことですか。
どうしようっていうね。どうしようじゃないですよ。
どうしようどうしようっていう感じで出会ってたような気がします。
たぶんね。
ちなみにマスコミのその時の反応はインターネット危ない。
闇とかみたいな感じでしたね。
今AIってそんなにあるんですか。
危ないのもあると思いますが、不思議ですね。
それぐらいにして。
話としては自分のやりたいこととか続けたいことに対して、
いらない物差しみたいなのが設定されている。
特に自分じゃない自分がやりたくない方向性で。
勝ち負けとかね。
他に持っていれば勝ち負けになるんですけど、それしかないわけですよ。
その物差しが窮屈になったり、その物差しでやれなくなった時に、
どうするのってなるわけですよね。
勝ち負けは否定しないんだけど、それだけじゃないですよね。
少なくとも半分説で捉えなくて、
アイデア出ししっかりなんでもいいんだけど、
想像する、拡散的に考えられるっていうのは、
社会との関わり
僕にあったかどうかというと、分かんないです。
環境じゃないかなと思うんで、僕は元々あったと思ってないです。
環境で学習して何かやってて、上手くなっていったってだけだと思ってます。
人よりは上手いのかなぐらいですね。
初心者っていうか素人ってどういうくらいな。
スポーツとかもそうだし、勝ち負けとかもそうで、
勝ち負けで全部決まって話がするんだったら、
全部テニスの大会して決めたらいいじゃないですか。
国連しかり、世界平和しかりね。
本当そうだと思います。
じゃないですよね。戦争なんてかましてますから、
めちゃくちゃ危険だと思うんですけど、そういう勝ち向けじゃないよねみたいなね。
だったらオリンピックとかでスポーツでバトってたほうが全然平和ですよね。
スポーツもエグいからそんなことないかもしれませんが、
まだまだねっていう。武力使うなって話です。
で、そういう中で勝ち負けだけだったらつまんないなっていうのが僕の世界観というか見方ですよね。
半分も多すぎですよね。3割?2割くらいでいいんじゃない?
残り8割も自由でいいかなと思うんですが、
それを設定としてこういうのがあるよ、だから遊びだと思うんですけど僕は。
じゃあ例えばテニスだったら勝ち負けじゃなくて、
狙ったところにどれだけ狙えたかっていうので競えばいいじゃないですか。
で、それも相手で例えば10本打って2本入ったら、
入っているより5本の方が勝ちって言うかもしれないけど、
1本でも入ったらいいって言ったら別に耐久性になるわけだから、
ゲームが違っていません?だからいくらでもゲームのルールをいじって変えていったらいいし、
自分でハックするというか自分なりに変えていけばいいかなと思ったりします。
ただこれは前紹介した高橋さんの本っていうのがあったと思うんですが、
ライフスタイル研究家ですね。
ハックするというのは一つのやり方ですが、
これも結局従事してある程度やってからパラメーターを変えるみたいなことをやらなきゃいけないので、
それこそITとかプログラマーをやった人が都会じゃなくて田舎に引っ込んで自分の暮らしたい、
これはたまたまライフスタイルでいいですが、
ライフスタイルをやりながら東京とか都会から住宅するっていうのはありかなと思います。
でもそれって構造を知ったりとかどう営業したりとかどういう人が仕事をくれるかということをある程度知っておかないとできないできないじゃないですか。
もう一個が熱量で巻き込むというパターンですが、
これも誰もができると思っていなくて、
これは面白くないですかっていうことを僕はどちらかというとそちらタイプだと思っていますが、
言い続けていくと。
面白くないですか、面白くないですかって言い続けていく。
洗脳ですよね。
洗脳のまずいのが宗教の方の洗脳がまずいのでカルトですね。
世の中にいっぱいカルトがあると思うんですが、
気をつけてくださいねって言ってもそれがカルトだとわからなかったりしますが、
一個だけ見分けるポイントは、
なんでカルト講座になったかわからないですけど、
他を排除するって感じですかね。
あと、他を排除していないですよって言ってるだけじゃダメなんで、
他を排除していなくて、他の考え方に対して、
あんまりそういうのもあるんだねぐらいで取れるかですかね。
そういうのだったらちょっと高度になってきて、
他も別に話してもいいよとか、他の人に聞いてみてとかいう風に言えるかですけど、
いや言えないだろうな、言えないですね。
カルトだと言えないと思います。
他からの関与とかを極端に嫌うと。
批判をされたくないみたいなそうかもしれない。
しごくりとかも全然批判し得るような考え方がわからないですけど、
違うかなって思う人もいてもいいと思うんですよ。
全然絶対じゃない。
むしろ100人に1人刺さるかどうかぐらいの感じでやってるんで、
必要ないよねっていう人がほとんど。
必要ないよねっていうか面白くないっていうか、違うなっていうか難しそうとかもありそうですね。
ありそうですけど、別に高度な何かをダーツで常に真ん中めがけて飛ばしてるような感じではなくて、
生活楽しもう仕事楽しもうっていうところの延長にある考え方です。
あとは今言ってるような自分の物差し。
ライフスタイル研究家じゃなくて企業家ってところでいくと、
そういうパッションで巻き込むか、業界とか従事した仕事とかをハックする。
いわゆるだいぶやり込んでからやるってことで、そういうふうな物差しの作り方もあるわけです。
少なくとも自分が何が楽しいんだろうなとか、
自分がこういうことをした人と関わっていきたいなってことを考えてなければ、
たどり着けないというか、出てくるわけないですと。
オノズと出てきますっていうのが、その人がたまにいらっしゃいますけど、
オノズとは出てこなくて、オノズといろんな人に会って、
オノズといろいろ考えてるってことだから、
会ったり何か基礎行動のベースがいろいろあった人に限るって感じがします。
僕が勝手に考えが出てきたり、勝手に問いが出てきたり、勝手に何かっていうのはないかな。
もちろん人間の機能としては、脳、感覚的にはあると思うんですが、
それを潰したり、ひねり潰す、ちょっと怖いな。
その意見を潰したり、聞いてくれないとか、
強いてあげられるとかだったら、一生やんないですよね、そういうのね。
だから、その考え方とか考えることがめちゃくちゃ大事なんですよ。
そこに気づいている人は、自分の考えを曲げられたとしても大事にすると思うんですよね。
そういうのが大事だと思っている人は、ちゃんと聞いてくれると思います。
っていう意味で、カルトはヤバいんですよね。
カルトの話はそういう風にしておきましょう。
なので、続けていくってことですね。
続けたり、スポーツでもいいし、自分なりにやっていくってことが、
多分、僕が思っていたよりも大変なんじゃないかなって思ったわけです。
僕がね。
もっと世の中的にそういうのが簡単で、
ちょっと考えてやったらできるんじゃないかなと思っていたんですけど、
どうも違うんじゃないかなと。
要は、スポーツで言えば勝ち負けっていうのがあるからやってて、
負けたらもう辞めますって。
それを勝ち負けで持ち込んで、他でやるんかなっていうイメージになるわけですよね。
そんな単純なものだけじゃないような気がします。
だから、勝てればいいって言うけど、それだけじゃないですよね。
だから、物差し目が大事だと思うんですよ。
そういうのが大事だと思うんですよ。
だから、勝てればいいって言うけど、それだけじゃないですよね。
だから、物差しめちゃくちゃあるよってことを学ばなきゃいけないんですが、
学ぶのってどうするのって言ったら、社会で。
社会って何かって言ったら人で、要は人に接するしかないですよね。
いろんな人に。
人に接するのはインターネットもありますが、
想像して考えてやっていくしか、もう社会の改造を高まらないなっていう感じです。
自分自身の物差し
社会の改造を高まらないと、僕なりの考えでは、
勝ち負けしっかり、自分の物差しですよね。
自分に変えてくるわけですよね。
自分の物差しも高まらないような気がします。
だから、勝ち負けで行きますなんていう人いるかもしれませんが、
いやー、ちょっときついなって思いますね。
で、社会もそうですが、自分の状況も変わっていくんで、
物差しとか価値観っていうのは変わってっていいと思うんですよね。
だから、若い頃は勝ち負けだったけど、今はそうじゃないなんていうのは、
別にいいと思いますし、逆もあって、
全然勝ち負けとかこだわらなかったけど、
勝ち負けにこだわっている人がいてもいいんじゃないかなと思います。
だけどって話で、やっぱり人変わりますし、変化するので、
楽しんでいくっていう風にしたところ、
多分設定は緩い方が良くて、緩いっていうのは厳しくしないってことですね。
緩ければいいとも思わないですが、厳しくすればいいわけでもないですからね。
その塩梅は結局誰も分からないですね。
自分に対して調整かけていくしかないのかなっていう話になります。
こういう話をすると、続けないとダメって思われる方がいるかもしれませんが、
別に続けなくてもいいんじゃないですかね。
辞めたくなったら辞めてもいいんじゃないですか。
ていうか、何でやってるんですかっていう話ですね。
無理をしない大切さ
本当それだけです。自分に問いかけて、それ何でやってるのかっていうことを聞いて、
それで別にいいんですよね。明確な答えなんて出さなくてもいいんだけど、
なんとなくやってるでもいいんですよ。
だけど、疲れたなとか、もういいやって思ったら、辞めていいと思います。
辞めるじゃないですか。
例えば僕がYouTubeを辞めるじゃないですか。
辞めて、また戻ってきたらいいんですよ。やりたくなったら。
その繰り返しでいいかなと思います。
それでまた考え方が変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。
それはですね、ノートでもいいし、ブログ、SNSですね。
無理してやらなくていいですよ。
このポーズクラスでもいいですし。
無理が本当に良くない。
で、無理することで頑張れましたというのを見かけて無理しようとしている人がいたら、やめてください。
休みましょう。
で、無理してやらない方がいいんですよ。
ちなみに無理しているとやみますから、結局やむんですよね、そのまま行くとね。
だからその手前でストップしているという話をします、僕は。
で、彼に無理して続けていっても、やむ前にストッパーがかかって楽しくないからやめると思います。
だから面白いとか楽しいってめちゃくちゃ大事なんですけど、それが多分戻ってくるんですけど、過小評価されている。
楽しいとか面白いとか入れていない限り僕は続かないと思います。
で、じゃあ岡田さんと楽しい面白いってどうやって見つけたらいいんですかって話になると思うんで、
これは毎回何度も言っているような、初めて聞く方がいらっしゃると思うので言っておくと、
違和感とか疑問とか問いを持つとか、これ何でだろうなっていうことを思うことですね。
楽しむことの重要性
それは多分誰しも出ているんですよね。
出ているけど抑え込んでいる気がします。
こんなこと言ったら開けられるなとか、こんなこと言ったら知らないから恥ずかしいなって。
例えば選挙がありましたけど、選挙の投票の仕方ってどうやってやるんでしたっけって聞けます?
そんなの知らないのも恥ずかしいから聞けないっていう人もいるじゃないですか。
でも別にそれ、僕疑問に思ったので知られましたけどね。
結構比例の方ってわかりづらいですよね。
それを頭が良い悪いとか賢い賢くないとかじゃなくて、言えるかどうかはありますよね正直ね。
それを聞いてくれて、こうなんじゃないっていうね。
笑わずに言えるという関係性なんじゃないですか。
そういう意味では改めて自分の周りの人がちゃんと話せるというか、
人ばかりだなと思いまして、これ友人とか聞いてるケースがすごく少ないと思うんですけど、
聞いてたらありがとうございましたと。
僕から今後ともよろしくお願いします。
リスナーのあなたもぜひご興味があれば引き続き聞いてやってください。
今回はスポーツとか続けるっていうことについて話しましたけど、
その後が長いじゃないですか。
趣味でサッカーを続けて楽しくやっていった方がいいし、そうしていきましょうよ。
楽しくないですか?
野球でもいいですよ。野球じゃなくてもバースケでもいいですよ。
野球でもいいですよ。
野球でもいいですよ。
野球でもいいですよ。
野球でもいいですよ。
野球でもいいですよ。
野球じゃなくてもバースケでもテニスでもいいですよ。
今僕テニス全然やってないんですけど、やってもいいかなってたまに思いますからね。
たまにですよ。
楽しんでいこうってやつですね。スポーツ。
スポーツじゃなくて全然自分がやりたい、想像的なこととか趣味とか、何でもいいと思うんですけど、
続けていくっていうか、自分で楽しむ、自分が楽しいってことをまずやるってことですね。
それが見つけられない、それが見つからないっていう人はたくさんいらっしゃるのかなと思ったりしながら話してみました。
仕事って言ってますけど、ベースにあるのは楽しいことやろうとか面白いことやってみてください。
っていうところで詰めるというかね、自分について考えないといけないんで、
楽してこれやって楽しいみたいな感じでは全然ないですね。
ただ別にストイックに追い込んでるわけでも全然ないから、
ストイックと思っている方はたぶん勘違いされているかもしくは、
自分について考えたくない人もいらっしゃるから、その人に無理に言わないですよ。
あと正解がないものも取れるのが極端に苦手な人はもうちょっとしんどいですね。
僕もいろいろ言ってますけど、正解だと思ってないし、
何なんだろうねって時に、僕も別に回収できないですからね。
変わることもありますからね。間違ってることも言ってる。
その正解がないことに慣れてない次と、そこから慣れていくしかないから時間かかりますよね。
ただ時間かかるけどできないわけじゃないですね。
少しずつ自分が何が楽しいんだろうねっていうことは問いかけ続ける。
もしくは問いかけていくのが一つの四国理の最初の始めの一歩なんじゃないかなって改めて思いました。
今回はこれくらいにしたいと思います。四国理ラジオ大橋でした。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
というわけで以上失礼いたします。