アイデアの出し方とAIの限界
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。
このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。よろしくお願いします。
今回は、アイデア出しと、AIでアイデア出しということを、このシゴクリラジオでも話した気がします。
よかったら、検索。スタンドFMもリスンもそうなんですけど、検索で出せないですよね。どうしましょうね。これ課題ですね。
キーワードが入れても、全文検索でもないですし、うまくはまらないですよね。チャンネルの検索とかはできますけど、チャンネル番組自体のタイトルですよね。今回のテーマとかに合わせたものは出てこないんじゃないかなと思っていて。
一回バックナンバーとか、これですよって用意したときに、意外に出てこない。ちょっと探してみますけど、意外に課題だなって思いましたね。検索、バックナンバー出すって。
そういう意味ではバックナンバーの探し方って、月に1回やるっていうのをやめましたけど、まとめて、この回とこの回とこの回みたいなセット。YouTubeで言う再生リストみたいなものがあるといいでしょうね。
いいでしょうが、そうやって聞くかどうかですよね。なかなかそうやって聞かないから。わからないですけど、フローな感じはありますね。流れていく感じはありますけど、それをお楽しみにしつつというわけで。
話としては、AIでアイデア出しっていうところでは限界があるよと。限界があるっていうのはアイデア出しに限らず、全AIに対するアウトプットの評価ですよね。
人側が、例えば部活かなら僕が、それは適切なのか、もしくは正しい、もしくは社会的にはほぼ確からしい、正解っていうのはないですけどね。そういうのを見極めなきゃいけないですよね。
プログラマーの人はコーディングでコードを出してくるけど、それが本当に適切なのかは、プログラミングの経験とか体験とか知識、スキルってやつですよね。がないと判断できないですよね。そこがどこまでいらないのかっていう問題は結構議論というかされたと思うんですけど、無理ですよね。
例えばサッカーのコーチとか監督したことがない人が、こういうプログラムをある選手に出せばいいですよって言われても、それがいいかどうかわかんないですよね。それを選手側が貴重な時間とか、もしくは貴重な取り組みに入れて、そんなよくわけのわからんもので正々堂が出したものを言うんですかって言って、不信になりますよね。
そうすると信頼関係が作れないのでダメじゃないですかね。当然、ここで生成AIを使うのとか家がダメってことじゃなくて、経験値がある人が袖を策定というか、100人の資料を作れないから、生成AIでざっくり作っておいて、それをチェックすればできますっていうね。
先生が生徒の添削をするみたいな感じのイメージですけど、それだったらいいじゃないですか。そのあたりなんですよね。だから使い方。だからそれは避けられないですよね。
あとは、判断自体をどうかというところを抜いたときに、すみません、ちょっとダグがありましたけど、生成AIでアイデアを出すっていうやり方みたいなのがあるとして、やり方があるというよりもアイデアは確かに出せるんですよね。
そのアイデアがうまくいくとかを置いといてね。発想の部分までですよ。でもそのアイデアが出せない方もいらっしゃるよねと。そういうことに気づいたので、もしかしてサービスになるかとか仕事になるかわかんないですけど、ちょっとそのあたりを考えていきたいと思いました。
今回ですね、AIでアイデア出しをするというところで、僕が今のところできるだろうという部分とここが難しい部分というところで、人間とAIのアイデアの出し方についてもちょっと言及していきたいと思いますので、アイデアを出すとかAIについての利用法みたいなところでご関心がある方は引き続き聞いてみてください。
生成AIとの協力
今回もよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオ大橋です。今回のテーマはアイデア出しを生成AIもしくはAIでやるやり方、その限界ですかね、もしくは人の優位性、どちらでもいいんですけど考えていきたいと思います。
まず結論的には生成AIでアイデアを出せますと。ここからがポイントなんですけど、アイデアというものが一体何ですかという話になると思います。アイデアの定義ですね。
ある人にとっては副業をしたい人にとっては、お金を稼ぎたい人にとってはお金を稼ぐアイデアというのがある種の正解だったり期待値なわけですよね。
例えば僕がもしくは生成AIが文章を書いて提案してそれが魅力的な文章ならお金になりますよみたいな話をすると、多分その人は怒りはしないんだけどそうじゃないんですよって思うわけですよ。
生成AIが出そうが僕が言おうが。なんでかというとそれは儲かりそうにないっていうのと、あと自分が例えば文章を書く力はないんでちょっとそれ無理ですねみたいな。他のアイデアみたいな。
分かりましたみたいな。それこそ転売じゃないけど物を買ってきて売れそうなものを仕入れて売るってのはどうですか。そのね、買い占めて何かやるんじゃなくて魅力的なものを探してきてください。
ある種転売じゃないんですけど、バイヤーという人はスーパーのゴールドを買ってきてそこで買ってもらうわけだから魅力的なものを売る。お客さんが欲しいものを買ってこなきゃいけないわけですから。
それ転売じゃないですけど仕入れて売るってことで別にそういうのやればいいじゃないですかみたいな。雑貨、ビッグバンカードが調子が良くないみたいなのはチラチラ見てますけど、そうじゃないんだけど自分がいいよと思った魅力的な商品。
それこそ雑貨じゃなくてもいいですけど、ITガジェットみたいなものでもいいので、そういうのを売ったらどうですかって。それも別にあんまりいいんで。2個ぐらいはいいですよね。2回目ぐらいはいい。分かりました。
3回目で、AIでシステム作って販売するとかそういうのどうですかって。AIは難しそう。じゃあ何がしたいんですかみたいな。
切れはしないですけど、そんな人が出会うことはあまりないんですけど、ここで散々燃えかすぐらいになるまで批判し続けてるんですけど、そんな楽な考え方とか甘い考え方ないわけですよ。
で、いいんですよ。それがあってもいいんだけど、AIにそれを聞いたところで、そんなのないですよっていう話になるわけです。なぜならそれはAI自体が人間の学習させてるし、もしくは実社会に害がない。
そんなことになるわけですよ。人を騙してお金を得るっていうのがビジネスだって言ってる。むちゃくちゃですけど。確かに倫理を無視したお金を稼ぐっていうのは確かに詐欺であり犯罪ですよねっていう。そこは明確にしておかないといけないですよね。
これはですね、毎回毎回言ってるわけじゃないですけど、たまに言わないと、本当に目がお金になってる人っていうのがいて、怖いですけど人ってそういうもんですからね。そういう甘さとか心理の部分があるということは全然僕は否定してないですよ。
だけどそれをやっちゃいけないですよね。そういうものはあるわけです。あるけどそれをやらないっていうのが人なんじゃないか。もちろんそれをやらざるを得ない状況っていうのがあることが問題なんだけど、ここは難しいところですよね。ちょっとそこは長くなるんで言えることも少ないですけど、そこは立ち入らず一旦考えていくと。
だからアイディア出しを人に言おうが期待値ですよね。アイディアに対する期待値とか何をその人は求めているか。今だったら副業でお金稼ぎたいみたいな状況ですけど、その人は多分一生満足しないんだと思うんですよ。それこそノウハウを教えてくださいとかね。
じゃあこのカップがあるんですけど、そのお茶があってそのお茶を栽培したりとか、おいしそうなお茶を見つけてきてみんなに売ってたらそれで満足するというか、よかったっていう。そういう話があるというか。
だったらじゃあお茶を作ってパックにして売りますみたいな話になるんですけど、それちょっときついですよねみたいな。
じゃあもうやる気ないですかみたいになってて、そういうことでもないんですけどお金を稼ぎたいんですけど、時間を使いたくないし学びたくもないですみたいな。
そうは言うとさすがにはばかられるから、そうやって言わずに匂わせて、コスパーだとかタイパーだとかなんとかパーを言って、パッパカパーですけどね。
そんな話なら怒られるんでしょうけど、そんな人は聞いてないと思うんでいいんでしょうけど、そういうことじゃないんだよっていうことですね。
明らかですけどアイディアの期待値みたいなものっていうのが企画でも事業、企画でもなんでもいいんですけど、それは無理じゃないですかっていうのを期待してたらそれはダメですよね。
戻しまして、今の僕の最適解っていうのをまず提示すると、まずアイディアの根本である気づきの種であり、前の前回でも話したようにそのカルピスの原液みたいなこの種であり、最初のアイディアの種みたいなやつとかないでもいいんですけど、
最初の部分は人間が考えましょう。僕が考えます。リスナーのあなたが考えてください。
今ですね、もう冬シーズンになってきて静電気がバチバチいってるんで、静電気防止グッズみたいなブレスレットとか腕輪みたいなのがあるんですけど、これもアイディア商品ってやつじゃないですか。
アイディアが溢れていてそのためのバンドであるんで、これを握ったり触ることで静電気を除去すると。確かに効果があってつけてるとなかなかバチッとしにくいですけど。
倫理的な課題と期待値の理解
そういうのを例えばないときに、静電気バチバチして痛いから除去できないかみたいなのが気づきであり、最初のアイディアの種ですよね。どういう形にしようみたいな。
キーホルダーとかそういうのがあったりしますけど、キーホルダーを使う人はそれでいいんだけど、普段身につけておかないと忘れちゃうから、キーホルダーなかなか身につけたりしないじゃないですか。
鍵をずっと持っていなきゃいけないから。そういうときにこういうブレスレット型の方がいいよなとか。
そういう最初の部分をまず人が考えましょう。
考えたらそれをAIに投げる。もしくはAIに打ち込んで叩いてもらう。音声入力でもなんでもいいですけど、それを概要なりこういうことをやりたいんだけどっていって、そこで傾いていきましょう。
もしくはアウトプットが企画書に一枚にしたいのか、プレゼン用の何かをしたいんだったらその構成案とかでもいいし、できることね。
今進んでいますけど、別にそんなに変わってなくて。出てくるものも叩き代にはなるから、プレゼンAIみたいなやつ、資料AIみたいなやつありますけど、
それを使おうが何をしようが結局、人間が見て、あなたが見て、私が見て、僕が見て、適切なものに変えていくという作業は変わらないですよね。
そういうことをやって出す。そこで問で、何かちょっと足りないなとか、冷静に見返して、これは何か無理があるなと思ったら、脚下なりやめて違うものを考えるということになるんですよね。
伝わってますか。最初のネタ、種は人間が出す。出したやつに、ああでもない、こうでもないというのは、自分とAIにサポートしてもらって固めていけばいい。
これも一時体験であり、事実なんですが、アイデアの種を出して、生成AIにまとめてもらって、それで評価をいただくということは、現にいただいているのでOKだと思います。
これを全く自分が考えずに、最初のネタを考えずに、生成AIに全部出させたら、多分ダメなんじゃないかなと思います。アイデア自体がね。
なんでダメかというと、ここをかなり最初の初期の頃にも言ったんですけど、それは倫理の問題ももちろんあるんですけど、倫理じゃなくて、実際に人が考えた、
生成AIにアイデアを出させた場合、人間が何も考えず、そうすると似たようなものになるわけです。
企業のアイデアを考えて、それだけだと、それで反応するようなものを出してくるわけです。
関連づけたり、もしくはすでにやっている人とは学習していて、この人は医者だから、医者じゃないのを出すと喜ぶようなことで、
全然違う業界に出すと喜んでくれるような、みたいなのが評価されたら、そういうものを出すわけです。
じゃあ、医者じゃないから、ちょっと医者に近いですけど、医者に全く関係ないのではないのか。
例えば、ペット。ペット関連の商品を作るというのが、一つの副業アイデアみたいなのを出したときに、
それってありそうじゃないですか。
なんで、ペット向けのワンちゃんとか猫向けの商品を、
例えばドッグラン向けの商品みたいなのがあって、それを作ろうみたいなことをAIが書いてきたと、
出してきたと、アウトプットしてきたと、というのをそのまま使うと、
その人がいいと思ったなら別にいいんだけど、それって別にあったりするし、
もしくは、あなた自身が、僕自身がやりたいことではなかったり、
もしくはそれが何か課題を解決するわけでもなく、
ただアイデアとしてあるだけというか、いわゆるチニックになってないというかですね。
魂がこもってないとは言いはないですけど、感情がこもってないというのは若干あるんですけど、
アイディア出しの重要性
それをご自身がやるとか自分がやるということに置き換えなきゃいけないわけですよね。
じゃなかったらそのアイデアって何なんですかってなりますからね。
もしくは、もうちょっと丁寧に言えば自分がやるんじゃなかったら、
提案する人とか誰かがやれるようなものぐらいの魅力、解像度にしないとやらないですよね。
例えば本屋っていうのをやるキーグアイデアがあったときに、
本屋って別に売れるわけじゃないですよねってなったときに、
誰がやるんですか、何でやるんですかってなりません?
で、儲かるとわかってて絶対儲かるものはないですから、
そうなるとやる理由というか何でやるのかっていうことが求められるわけですよね。
話をちょっと戻していくと、アイデア自体を生成AIにまず出させて、
そこがそこまではないです。
そこで、ペットドッグランとかはみたいなふうに、
じゃあこういうことのほうがいいなとか、
自分が指示して、具体的にペットとかじゃないよなとか、
もうちょっと意思とかスキルを使うほうがいいよなとか、
そういう指示をしますよね。
これは僕もわかんないですけど、その指示や具体性がどんどん高まっていったら、
結局結果的に自分で最初の種を出したことになるんじゃないかなと思います。
これがわからないですよ。
要は分量でも決められないから、内容高み次第ですよね。
それをAIに最初に出させてのはいいんですよ。
でもそこを会話というか対話の形式、チャットの形式ですけどね。
ラリーしていって、どんどん深掘りしていったり、
ご自身がね、僕が僕だったら思い出したり、
そうや、ドッグランでやるのもいいけど、
そうじゃない、ドッグランに来る飼い主の人、
要は犬に関心があるけど、飼い主が死んでしまったらちょっと不幸だな、
怪我したり病気になってはいけないので、
そのあたりの知識、セミナーとか、
具体的な対策サポートをやったらいいんじゃないか。
犬、ペットの方を見てるけど、ペットじゃないご自身の方は、
自分で見てますかっていう話になるみたいな。
この説明がいいかどうか置いておいて、
課題がとか実際あるかはわかんないですよ。
だけど視点を変えてみることが重要じゃないかみたいな。
っていうことをAIとやり取りしていって、
気づいてそれを投げてさらに磨いていったら、
これは僕はアリだと思います。
つまりそれは生成AIのアイディアじゃないかなと。
その人のエッセンスなり気づきが入ってたらOKだと僕は思ってます。
これはあくまでも僕が思っただけです。
だから世の中の生成AIで作ったとか、
生成AIで何かやったみたいなのがあるじゃないですか。
画像でも動画でもね。
それがどこまで人が改ざんしたらOKなのかっていうのは、
多分決まってないし、決められないんだと思います。
そうなんですよ。
クダンさんっていう芥川賞作家の方が白報道ですね。
雑誌の広告っていうもので名前忘れましたけど、
AIが書いたみたいなやつ。
5%をクダンさんですね。
確か95%をAIで書かせた。
でもAIで書かせてるけど、
書かせたんだけどその指示はかなりゴリゴリやってるし、
最初と最後だけはちょっと変えましたみたいな。
自分が書きましたみたいなので、
ほとんどAIが書いたみたいなものだったんですけど。
それもAIが作ったっていうのか、
何なんでしょうねってなるわけですよ。
それが99.9%でAIが書いても、
自分が作ったっていう人もいるじゃないですか。
その解材部分がどこまであるかっていう話になりますね。
逆に1%でもAIが入ってたら、
それはAIですっていう人もいるわけで。
難しいですよね。
だからそこがまず決まってないです。
多分決まらないんじゃないですか。
決められないというか。
なんですよね。
そこがまずありますね。
でも一方で今の最適解の話をしたところで、
僕が思う最初のネタを人間が出す、
もしくはラリーしていいので、
人が出せるようになるってことが、
ここでの多分本質であるアイディアを出すってところ。
つまり人側が、
だから本当に脳が脳の中の記憶を壊させるとか、
これを他に関連するとか、
そういえば自分の中でも、
この間誰々さんと話しててこんな話題あったよなとかね、
空き家の話題とかね。
それで気づいて、
だったらこういうのができるよねっていう意味でいくと、
これはもう決まってないですけど、
AIとの一つのアイディアに対して、
ラリーが回数は割と思考に比例するんじゃないかと思います。
つまりもっと言えば人間の頭の中の、
FMRIかMMRか、
脳の中の動きですよね。
前頭腰だとかいろいろあるわけなんですけど、
その脳を活性化するってところを見てた時に、
多分なんですけど、
その活性化した回数とか、
活性化する量みたいなものは多分測れるわけです。
実際測ってやったことないですけど、
多分そこは活性化してるんだと思います。
その刺激によって。
そういえば空き家の話があったなとか、
ギガスクール構想、教育のところではあんまり効果がなかったのかなとか、
知らないですよ、適当に言ってるんで。
そういう話題とかニュースとか、
自分が今やっている仕事とか勉強していることとか、
気づいたこととか、
そういうことが重なっていって出てくると。
それがまさに思考している、
考えているんじゃないかなって思うわけです。
AIでのやりとりで見えるところだと、
チャットの量とか文字数とか、文字数が多かったらいいわけじゃないですよ。
だけど、その回数に応じて、
基本的にブラッシュアップというか改善されたり、
アイディアがより良くなっていくと。
また、またしつこいですけど、
アイディアは時間を考えたらいいとか、
ブラッシュアップの回数が多かったらいいとか、
そういうことでもないと思います。
ブラッシュアップされてなくても、
最初の磨いた人が良ければいいわけで。
回数が多くても最初のアイディアがよく分からなかったら、
やっとスタートラインに立つのが時間がかかるわけで。
それも正解がないので、
言いづらいんですけど、でもそうですよね。
少なくとも今言っているように、
人間が考える思考というのが起きていることが、
僕はアイディアを出している、
アイディアを考えている、
アイディアを出させるということだと思うんですよね。
人間の役割
発想法みたいなのをAIに指示して、
スキャンパーとか、
なんかあるじゃないですか、発想があるわけですけど、
それをAIにやらせてもいいんですけど、
AIにやらせたところで、
人間側がそれを出したものをどう評価するのなんで、
それが面白いか楽しいかどうかですよね。
それが楽しいアウトプットとか、
面白いヒントになるねというのがあれば、
別にやっていいんじゃないですか。
それだけなんです。
AIにアイディア出しをさせるときっていうところでの、
ポイントというか、
僕がやっているというのは、
当然ながらAIでも出してきたものを読んで、
そうなんだねとか、
こっちの方向はどうですかとか、
なんか偏っているねってなったら広げたり、
もしくは深掘りしてほしい方向を入れてみたり、
これはいいんじゃないっていうふうに評価していくことで、
やり取りしていくことで、
アイディアを深めていったり、
より質の高いものにしていくということをやっているので、
それは全然普通だなと思います。
だけど、深掘り的に言うと、
自分が普通でやっていることとか、
他の人では全然普通じゃない、
もしくはそれを詳しいよねってことなんで、
それを教えてほしいって人はもしかしたら、
まだまだプロンプトがどうとか、
使い方はどうということで、
いらっしゃるかもしれませんね。
そういう人の声を聞いていこうかなみたいなことを
思っています。
で、テーマとしては、
生成AIでのアイディア出しと、
人間のアイディア出しの違いというところですけど、
やっぱり繰り返しになりますが、
AI自体は今のところ感情がないので、
面白いかどうかは判断できないですよね。
だから感情として、
いいね、体験とか、
いいね、それを思い出させるね、
全然自然だよとかね、
そういうのは人間側が判断してあげてください。
で、もう薄々使っている人は気づいていると思うんですけど、
改めて原稿化すると、
やっぱりですね、
出した文章をまとめるとか、
整えるとかを、
毎回毎回人間がやるよりも、
AIに任せたほうがいいですよね。
だけど最後の仕上げは人間がやるというところですね。
じゃないと疲れてしまいますよね。
だけどそのまとめとかは、
かなりの質でできる。
たまには言っていないことも言ったりするので、
そこだけは気をつけたいけど、
ほぼほぼいけるというか、
致命的な怪我をしないようにするっていうのはありますよね。
包丁を握る、
グリップする絵ですよね。
絵の方を持っているつもりが、
歯の方を持っていたらやばいんで、
痛々しい立てで申し訳ないですけど、
バットにしましょうか。
バットで、
細い方を握るんだ、
握っているつもりが太い方を持っていて、
それはボールを当てる方だよみたいな、
冗談みたいなことが起きるかもしれないので、
そのアウトプットには気をつけたいですよね。
AIが出してくるアウトプットには気をつけたい。
指示をして改善していくということをやっていく中で、
さっき言ったように感情がないので人間が判断する。
あとチェックするところは人間が最後に見る。
あとは元ネタとかネタですよね。
そういうインプット。
何度も言っていますけど、
アイデアはインプットと思考アウトプットでできていて、
インプット自体は、
AIはめちゃくちゃな物事を知っているわけですよね。
知っているとは言わないですけどね。
人間が知っている感覚じゃないけど、
記録している感じですよね。
記憶というか。
でも記憶っぽいのもあるわけですね。
間違えたりするから。
だけど記録があるから、
それをいかに出したり、
関連付けたりさせるかを、
うまく扱う感じですよね。
道具としてね。
というのがポイントになるんじゃないかなと思います。
あと当たり前なんですけど、
AIよりは全然少ない知識とか経験というところだけでも、
それを組み合わせることで、
様々なアイデアが出せるわけですよ。
伝わっていますかね。
例えば花屋さんみたいなのがあったときに、
花屋さんに行っても、
どの花を買っていいかわからないみたいなのは、
もしかしたらその花屋に行かれたことがあるかもしれないですね。
なんで出来合いみたいなやつっていうと、
よくないかもしれないですけど、
パッケージになっていて、
象頭用のこれとか、
それをカスタマイズしてくれるのが花屋さんだったりするんですけど、
それをやると。
それが面白いんじゃないかなと思ったりします。
その花屋での経験を入れたり、
花屋での何とかを入れるってことが、
AIには無理なわけですから、
それを支持してもらえばいい。
AIとの関係性
で、アンケートとか、
花屋さんのデータは、
学習しているかもしれないです。
だけど、それってよく分からないわけですよ。
例えばそれがアメリカのデータだったり、
全然日本人の感覚じゃなかったりすることもあるわけですよね。
英訳したりするとね。
英語のデータが多かったりすると。
学習が。
そうすると使いづらいわけですよね。
そう。
だから、出てくるものが
良い悪いっていうのは、
正直あまり意味がなくて、
それをどう使うかなんですかね。
で、どう使うかって時に、
アイデアに対して言えば、
どういう風に考えられるかっていうのを、
言語化が全部できるわけじゃないっていうこともあるので、
ある程度考え方を明示して、
このように考えていくといいですよね。
っていう経験や体験がないと、
少なくとも僕が言ってるところでの、
じゃあそれでAIでアイデア出させてどうだったかっていう、
体験や経験がないといけないし、
AIなしで自分で考えて出させたってことと、
AIにやらせてったら全然ダメだったみたいな、
それぞれですよね。
AIのみ、人間のみ、人間とAI、もしくはAIと人間っていうところの、
この3つ、もしくは4つをやっとかないと、
比較ができないですよね。
何がいいか悪いかわかんないですよね。
だから、もともともない言い方をすると、
アイデアを考えるというのは、
思考をすると、僕の言葉で言うと。
まさにインプット思考アウトプットをしていると。
それをやってない人が、
AIに指示しても、なんか花屋とかやれとか、
ペット向けのグランドとか、
買い主向けのなんかやれとか、
いろいろ僕が言ってるわけですよ、ここで。
言ってるようにAIも言ってくるんだけど、
どれがいいかわからんとか、
で、何なの?みたいな。
わかります?
で、儲かるの?みたいなことを聞いちゃうわけです。
それは、見も蓋もない言い方をすると浅いですよね。
そんな浅い話を入れてても、浅いままで終わるんで、
浅いアウトプットしか出てこないんで、
AIが浅いなと思ったら、やっぱり、
AIが本当に浅いとかポンコツもあり得ますが、
多くは人間側が浅い。
すなわち、僕が浅いと回答も浅いので、
AIもそうなると。
そうですよね。
AIと人間の役割
深い専門性だとか、
本質的な話をしたときに、
ついてこれないわけです。
ついていこうとしないというかね。
そこまで知りたくない。
ただ模型について聞きたいと言ったときに、
その模型の何が聞きたいんですか?みたいな。
そんなに細かくいらないよってこともありませんか?
例えば、コーヒーが不足と言われたときに、
コーヒーが不足ってどういうこと?
どのレベルで知りたいかってね。
コーヒーの豆の種類がどうでとか、
専門性が高いものはいらないってことがあるじゃないですか。
それと同様で、
どこまで知りたいかっていうレベルによるので、
結局ね、最初の話に戻るんですけど、
アイディアをどこまで考えて出すかみたいな。
その期待値なんだろうなと、
その人の知識、経験で知りたい部分と、
望んでいることと、
あと当たりますけど、アイディアっていうのを出しただけで、
それで終わるっていうことではないので、
それを形にしたり、
実社会とか社会に対して、
行動して形にしていくってことまで想定していくと、
AIだけで終わるってことはなく、
本当にそのAIで出すアイディアっていうかまとめるのも、
そうか、正確に言うと、
AIでアイディアを出させるんだけど、
そのアイディアは人間が見て評価してどうかっていうところまでですよね。
人間がセットってことを考えていったときに、
そのアイディアを今度は実行するときに、
人間が収束して実行していくことになるので、
AIが動向は本当にごく最初の一部でしかないし、
改材するその部分が、
その何でんだろう、企画書を作るとか、
ある程度あったとしても、
結局人間がいなかったら、
僕の考えですよ、
人間社会に適応するのは難しいよねっていうところなんですよね。
で、ちょっと話が違うんだけど、
一方でその民主化みたいな話で、
アイディアを出せないっていう人がAIに出させれば、
それっぽいものは出してくるようになりますよね。
それを60点は僕は行き過ぎだと思ってて、
ひたすら30点、
10点、20点はないんだけど、
でも一番怖いのは、
それっぽいけど全然何も言ってないやつですよね。
があるから、
じゃあそのアイディアみたいなのを出す、
それっぽい何かを出してるけど、
その人がアイディアを出せない人が、
AIにアイディアを出させて、
それが評価されるってことは、
あんまりないんじゃないかなと思います。
で、ここがポイントなんですけど、
それが評価されるなら、
評価した人もそうだし、
それでが認められたってことになりますよね。
ただこれが創作ですよね、小説だとか、
いろんなところで出てきたときに、
どこまで良いか悪いかみたいな話になってきて、
AIが使うことは悪いわけじゃないんだけど、
それはその人が作ったものなんですかね、
っていう話にはなってきて、
ここが最初の倫理化みたいな話に戻っていっちゃうんですよね。
ただ冷静にそのAIが出した、
それっぽいアイディアでいいっていう状況があるわけじゃないですか。
それがあんまり僕は想像できてないんですけど、
例えばものすごく会話とか言語化が下手で、
そうやったらAIに聞いた方が早いみたいな。
そしたらめちゃくちゃアイディアを出すのが苦手なんで、
AIでアイディアサポートすると楽になったと。
でもアイディアを出すっていうのは、
アイディアをあんまり求められてなくて、
アイディアの提案した何か、
それこそやっつけ仕事みたいなもので、
出してくださいだったらもうそれでいいじゃないですか。
この話はオチがあって、
それで苦手な人に頼んでAIに出させて何とかなっているものは、
それってプログラムで言えば、
エンジニアとか専門の人に出さなくても、
自分でやってみてできるじゃんって気づくわけですよ。
もうおはや。
プロンプトにアイディア出してっていうことを
入れているかどうかみたいなだけの微妙な話なんですよね。
コードを書いてって言ってるだけなんです。
だけど出てきたものが評価できないし、
出てきたところでよくわかんないわけです。
そこがまだ人間が強いし、
でもそれってエンジニアの人とかアイディアエンジニアの人が、
例えば5年くらいやってる人が、
何もやったことない人、
お客さんがコーディングをAIでやって、
この5年を埋めることができるかって言ったら、
埋められないですよね、簡単に。
お客さんが勉強したくて何かやるんだったらまた違うんですけど、
そのAIに出させただけでOKみたいなのはないですよね。
少なくともAIがどうしろこうしろっていうことを聞いてたとしても、
それを理解できるかとかわかるかはまた別の話ですよね。
同様にアイディアも出させたところで、
それがいけそうな感覚とか、
これは何が足りてないのかとか、
さっき言ったような元ネタは本当に人間側が、
リスナーのあなたご自身が、もしくは僕自身が、
考えていいなと思ったものが入ってるのか、
感情や知識や自分の感覚や課題、
それこそ課題とか解決策になってるかとか、
そういうのは人間が見ないとわからないし判断できないわけですね。
それができないなら、
学びの必要性
AIにアイディア出させてもあんまり意味ないんですよね。
これは学習とかでもおっしょで、
音楽勉強したらギター弾きたいみたいな時に、
AIにそのギターの弾き方を教えてくださいって言って、
それをやりますかって話なんですよね。
こういうふうにやるとできますっていう。
それはインターネットなり、
何かで学習してきたもののやり方を、
それを汎用的なものを言ってるだけなので、
それは子ども向けじゃないですよね、大人向けですよねとか、
それは初めて楽器やる人向けじゃないですよねとか、
そういうのが出てくると思うんですよ。
その時にそのAIの言ってることを全部、
無目的か無非観にうのみにしてね、
やったところでできるかっていうと、
モチベーションというか本当かなって疑いません?
聞いても言ってくれるけど、
それを最後までとことん理解できるまでやる人っていうのは、
多分その時点で、
勉強したり学んだりするっていうところの耐性ができてるわけですよ。
耐える方の耐性ですね。
だから、人に聞いて何かやっても、
Eラーニングでも結果出るんじゃないかなって僕は思っちゃうんですよね。
それはEラーニングでAI先生みたいなのが出てくる時代だから、
もうごちゃごちゃになってくるんだけど、
そこがポイントになるとは思いました。
なんでAIに機構前が自分が判断できなかったら、
あんまり意味ないんじゃないかなって。
だから学習していかないといけないじゃないですかね。
っていう話になってくるわけですね。
ちょっと長くなりましたけど、
そういう感じですごくまとめてしまえば、
生成AIでアイディアを出させるっていうことはできますと。
だけどそのアイディアへの期待とか求めるものによって、
全然使い物にならないと。
もしくは何か既視感があって、
インターネットのやつをまとめてるだけだよねっていう場合は、
ご自身の指示が悪い。
もしくはご自身で判断できるほどの体験がないから、
それはご自身では無理なんじゃないですかね。
っていう話にはなりますよね。
これはもうしょうがない。
なんで勉強してください、学んでください。
最初の気づいたり観察したり、
日常で気づいたものを投げるっていうのは、
自分のものを投げればいいわけなんで。
そこからAIは考えましょうって言ったら、
考えてくれると思います。少しずつね。
それの方が多分適切なAIの使い方だと思います。
その適切さっていうのは、
AIに全部考えてもらうとかだと、
全然自分の血肉にならないわけです。
血肉っていうのは、
AIが出してきたものが全然ダメっていうことじゃなくて、
人間側が解釈するってところにおいて、
さっき言ってたようにMRIじゃないけど、
脳が活性化する、思考するみたいなところがないと、
定着しないし、わからないわけです。
そのわからない、全然よくわからない、本当かなみたいな、
メタバース空間みたいな、
全然自分が知らないことを言ってるんだけど、
それ何なんだろうねみたいな、
自分とは全然関係ない話になっちゃうわけです。
それでは良くないので、
そうじゃなくて、
自分が体験したとか経験したとか、
考えたことを投げる。
もしくはその考え方をどうしたらいいかとかも聞いてみる。
それで粘ってやり取りしていくっていうところだったら、
人間の頭が動いているので、
それはたぶんそこそこ使えるものとか、
そこそこご納得いくようなものになっていくんじゃないかと思います。
毎回絶対できるとは思わないですよ。
だけどね。
そんな感じですかね。
だから、
生成AIでアイディア出しっていうのの限界みたいな部分はあると思いますし、
なかったら全部が自動化されて、
AIでいいやってなりますから、
そうはなってないんですよね。
たぶんね。
じゃあAIを使うなってことでもないから、
うまく使えばいいわけですよね。
でもここでお気づきだと思うんですけど、
会社員とか雇用者ですよね。
従業員の人とかだと、
AIをうまく使ったところで別に給料が上がらないから、
作業負荷が下がって楽はできるかもしれないんだけど、
それ以上のことがまだないよねっていう。
でも、AIが入ることで給料を得るみたいな、
人間豊かになったよね、生活豊かだよねとか、
AIを活用したアイデア出し
負荷をかけなくて済んだよねとか、楽になったよねっていうだけでも、
確かに意味はありますよね。
一方でフリーランスとか起業家っていう人たちが、
僕もそうなんですけど、やらなきゃいけないかっていうと、
AIを使っていろいろできるっていうのならば、
それを使って社会に役立つものとか、
他の人がいいよねっていう価値あるものを出していって、
それをビジネスにするのかしないのかはまた別なんですが、
そういうのをどんどん出していかなきゃいけないというときに、
今のような僕の私国理じゃないですけど、
生成AIをうまく使ってアイデアを出させるみたいな部分に
ちょっとフォーカスというか特化したときに、
何があるんでしょうねっていう話になっていくんじゃないかなと思ったので、
今回話してみました。
なんでですね、アイデアって何だろうなっていうのが素朴にありますね。
ダメだよ、AIにさせてダメだったっていう人は、
判断がどこまでできてるのかなと、もしくはできてないのか。
期待値が高すぎたら、別に生成AIじゃなくても、
僕に依頼が来ても困るんで、そういうアイデアは出せませんみたいになるだけなので、
そのあたりですよね。
その期待値っていうのがある。
もしくは、逆に期待してないこともあって、
何をそのときにやったらいいか、やってもらったらいいか、出してもらったらいいかというのは、
本当に仕事と一緒で、
相手にどう伝えるかって部分が、今の状況だとプロンプトとか、
今は画像とかそういうのも貼れますけど、
それでどう伝えていくかっていう、それがコミュニケーションですよね。
人とのコミュニケーションと何ら変わらない気がします。
今のところ、わからないですけど、
AIとコミュニケーションできる人は、人とのコミュニケーションも高いのかもしれないですね。
逆があるかって感じですよね。
AIとのコミュニケーションが高いので、人とできているかというと、ちょっとわからないですね。
人とのそれではAIに言えるけど、
AIから人に言えるかは、まだ進行というか、体験として技術として、
それだけっていう人はなかなかいないと思うので、
それに慣れちゃうと、人の反応が曖昧で非論理的で、
結論から話さないねとか、
そうなっちゃうかもしれないですけど、
そんなことを思いました。
というわけで、生成AIでのアイディア出しですね。
あと人との、人のアイディア出しということも比較してみましたけど、
僕の最適解というのは、自分で求めたネタは考えてね、気づいてね、メモしといてください。
それをAIに投げてまとめさせてください。
これが今のところ最適解です。
さらに狙うなら、そうやってまとめさせて、眺めて自分でしっかりね。
あれこれいいぞとか、これもっとこういうふうになっていったらいいなとか、
あとAIにそれをさらに言わせて、他の視点ないって言わせて、
出させて、それでさらにいけるんじゃないかっていうふうにやるのが、
僕のベストプラクティスですね。
人間の判断とコミュニケーション
実践的な最良の解みたいなものにはなるんじゃないかなと思います。
もちろん出てくるかどうかは分からないですけど、
だから要は人間側ですね、僕側に負荷をかけて頭を使わせるっていうのがポイントなんですよね。
それが使わないようなものとか、それでもいいやっていうふうになっちゃうと、
人間が考えていないから深みがなかったり、伝わらない気がします。
伝わらないものっていうのが、これはコミュニケーション、実写化の話になるんですけど、
僕が出したら僕が作ったことになるわけじゃないですか、AIが。
どれだけ使おうか。
僕がそれ説明できるかどうかですね。
その時にバレるじゃないですか。
バレるというか、これAIで使ってて、そんなにこの人の知見とあんまり関係ないなとか、
そういうのって分かるから、それをどこまで考えてどうかっていうところになっていくんじゃないかなと思います。
ちょっと長くなりましたけど、今回は以上となります。
ぜひAIをうまく使ってくださいっていうのと、
アイデア出しにおいても、人がうまくAIを道具として手段として使っていくのがいいんじゃないかなと思ったりします。
仮にAIがどんどん自然になっていって、人間ぽくなっていって、一発でいいアイデアを出すみたいなものになるかどうかなんですけど、
それは人間社会側がすごく変わって、AIのもので標準でAIが出すものがOKというような、
人間側が評価しないのが普通みたいにならないとあり得ない世界ですよね。
それはAI社会じゃん、AIが作った社会になるから。
AIはAIで評価できるのかって話になってきて、おかしくなりますよね。
そんな話で今回は終わりたいと思います。
四国にラジオOCでした。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上、失礼いたします。