考えることの本質
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組です。よろしくお願いします。今回テーマはですね、考えることですね。考える考える言ってますけど、考えることを考えてます。
メタニンチと言ったりしますが、考えるって何ですかと。最近ですね、そのAIでアイディア出しということをテーマに人に話を聞いたりしてるんですが、ある友人とも話してて、
その課題感とかほぼ、AIでアイディアを出すとかっていう話じゃないんですけど、AIをどう使うのかって言ったら、結局考えないといけないよねと。考えるというのもあってなっていったときに結局人が考えてないとできないと。
今回そこまで触れないかわかりませんが、考え方ですよね。発想法みたいなフレームワークとか見方を確かに知識として知らないと、何をやっていいかわかんないってなりますよね。
それはあると。一方で知識もない、経験もないっていう状態で、さらにってやつですね。さらにっていうのはMOREの方じゃなくて、白いってことですね。何もない状態で真っさらなって意味ですけど、素の状態で見ると。
の方が発想法とかフレームワークがダメっていうわけじゃないんですけど、そっちよりもやることあるんじゃないかと。そんなことを考えました。結局結論的には、よくある話ですが、問いを立てるとか、そういった一連の行為をここでもアイディアを考えるって何ですかね。
結局思考ですよね。思考っていうのは、連想するとか、問いかけるとか、発説を立てるとか、視点を変えるとか、視点を得るとかね。そういうことをずらずらと言ってるんですけど、一個じゃないよなっていう。いくつもやることが大事だなということで、考えるって何かを今回ですね、話してみたいと。
ぜひですね、アイディアでもいいし、仕事作りでもいいし、企業でもいいし、そもそも考えてますか。で、考えてないっていう人が考えてますかとは言いづらいんで、なるべく考えて。
というか、このポッドキャスト四国理ラジオは多分考えるラジオだと思ってるんですけど、考えるのはちょっと哲学っぽいので、ちょっとしんどいかなみたいな。で、あなたの考え知らないよっていうのはあるかもしれませんけど、僕自身は違ってまして、いろんな人の考え方を知りたいですね。
で、みんなそう考えてるよみたいなのが一番嫌いですね。それはもう伝わってると思いますし、そうじゃない人はこの番組聞いてないと思うんで、考えて、そうなんだ面白いねって。自分はそうじゃないけどね、いいねっていう。それがいいと思います。
だから同じように考えてくださいとか、同じことになりますよねとか、同意とか共感ってことはなくて、そういうのもあるよねとか、それはちょっと違うかなみたいな。それでいいと思います。
みんながみんな仲良しこよしというか、仲がいいのと慣れ合いが違うみたいな話ですよね。わかります?いろいろ言っていいけど、別に仲がいいだけで別に意見は違うみたいなね。慣れ合いっていうのはそこを言わずに同じ意見だよねみたいな、同調していくような感じですね。
これは僕のイメージですけどね。というわけでですね、「考える」について、また回答。終わりかもしれませんが、一緒に考えていければ幸いです。少しでも興味があれば引き続き聞いてみてください。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい。四国理ラジオ大橋です。今回テーマは考えるということで。考えるってちょっと大きいので、今回は絞って考えるってどういう行為ですね、行動、パターンみたいなものなんですけど、なの?っていうことを考えてみたいと思います。
これはですね、あんまり内容は言えないんですけど、あるイベントをオンラインで参加してて、AIの話も出てきたんで、考えるって何?みたいなのがあるんですよね。
で、リスナーのあなたはAI、SSAとかね、ChatGPT等使われているかわかりませんが、使ってみた方だったら、使ってる方が結構多いんじゃないかなと思ってますけど、使ってAI使えるなみたいなことを思う人も多いと思います。僕も思いました。
で、それってある種決めつけじゃないですか。なのと判断でもあるじゃないですか。使えないなという。でも一方で、その生成AIを使って考えていくというか、そもそも人が出してきた、AIが出してきたものを良いと思うのかと、良くないと思うのかと、
それを仕事で使うなり、趣味で使うなり、何でもいいんですけどね。自分の研究で使うなり、それこそ仕事を作るに使うなり、何でもいいんですけど、自分がやりたいことに対してある程度期待できるものが出てくるのかとか、もしくは叩き台になるから企画とかね、良いのかとかは、それはご自身の判断です。つまり人側が判断する。つまり僕が判断する話ですね。僕の話だったら。
リスナーの中だったらあんたが判断する。の時にまさにそのAIが出してきたものをどうこうするっていうのが考えることじゃないかなって思ってるんですね。はい。で、これは異論というか、そうなのかなっていう人もいるかもしれませんが、多分そうなんじゃないか。つまり考えるということなんじゃないかと。
つまりAIとのやりとりをしていくところで人は考えていると。で、考える総量って言うんですか。総はって言うんですか。たくさん考えたり、もしくは視点ですよね。それは質と言っていいと思いますけど量じゃなくて。量と質がいろいろあればより考えているので、多分AIも使いこなせる、もしくは使えているんじゃないかなと言えそうだっていう。
問いかけの重要性
まあそんな話ですね。一方で、AIでアイディア出しみたいな話をね、確か冒頭で今話しましたよね。ちょっと忘れかけてる。その時に、AIでアイディア出してなんだっていうことを、もしかしたらこの四国のラジオでも話したかもしれませんが、再確認も込めて言うと、そのAIに条件やアイディアを出してっていう風にさせることですよね。
だがしかし、人間側の前提条件とか、こういうことを考えてっていうやり取りをしていかないと、あんまり期待するものは出てこないですよね。
し、出てきたものがいいアイディアだなと思えることも、まれじゃないかなと思ってます。なんでかっていうと、人がこれもともこもないというか身も蓋もないということを踏まえていくと、人が考えてないからですよね。
要はその出てきたものが使いそうだとか、いけそうだっていうのは何で判断しますっていう話なんですよ。これは判断というのはイコール考えるということです。いけそうだと思ったのでやりましたっていうね、AIが出してきたアイディアを実行に移しました。だからそれが悪いわけじゃないですよ。
だけど、なんでいけると思ったんですか?これ疑問ですよね。なぜいけると思ったのか。根拠はあるんですか?ないんですか?まあないですと。なんとなくみたいな。で、なんとなくいけると思ったは、まああんまり考えてない感じません?
じゃあ、大笠さんと。根拠があるものしかあなたはやらないんですか?って話してるんですけど、それはさすがにないですよね。しかしって話で、根拠がないなんとなくを全部繰り返していったら、全部なんとなくで終わりません。全部なんとなくで終わるのはさすがにまずくないですか?っていうのが主張としてまずありそうです。
で、AI自体にアイディア出しっていうのもまさにアイディア出し自体が考えることなんですよね。で、わかりやすく言うと、まず今何かやりたいとか何か問題や課題があるとします。だから課題や問題っていうのが自分の課題や悩みでもいいし、他の人の社会でもいいし他人の問題でもいいんですけど、そういうのをまずあるとします。
で、それに対してどうしようかという解決策なりを考えたいわけですよね。このあたりからごちゃごちゃになるんですけど、少なくとも課題や問題があって、それに対して問いとしてどうしたらいいかっていうことを脳に問いかけると、それが頭が動いてどうしたらいいんだろうってなるわけです。
例えば、Kindleとかね、最近全然やってないですけど、Kindle出版みたいなね、KDP、Kindle Direct Publishingっていうのがあるんですが、Kindleで電子書籍で出版したいと考えている人はちょっとはいるんじゃないかと思っています。
で、やったことある人がいる人もいれば、やったことない人もいると思います。で、仮にやったことない人が、電子書籍を出版したい、Kindle出版したいっていう時に、願望としてしたいって言ってても、その呪文のように唱えてKindle出版したいんだって言っても、何も社会や世界やそれこそ、ね、哲学っぽいですけど認識っていうんですか、変わらないじゃないですか、今の状態はね。
変わらないっていうのはまあいいと思います。じゃなくて、ここで問いとして、別にこれテクニックでもなく、じゃあ、なんだろう、Kindle電子書籍出版したい、Kindleの出版をしたいって、KindleはAmazonの電子書籍の端末であり、そういうプラットフォームのことを指しますが、
そのKindle出版をしたいっていうのを変えて、Kindleで出版するにはどうすればいいかとか、Kindle出版するにはみたいな疑問形にするわけですね。質問形にする。どうすればそれができるのかっていうような形にしてもいいし、何々するにはとか、やりたいけどどうすればいいと。そういう問いかけにするわけですよ。
これは僕も別に証明するわけじゃないんですけど、そういう疑問形にして問いかけると、自分にですよ。別にそれは聞いてもいいわけですね。僕にKindle出版するにはって聞いてもいいんですよね。Kindle出版するにはって僕が答えます。
だけど、難しいことじゃなくて、KDP出版というのを勉強してもらって学んでもらって出せば、別に反社会的なやつとかAI生成でやべえやつじゃなかったら問題なく審査っていうのがされてるんですけど、Kindleのほうで通ると思います。別に僕も出します。
それはいいんですよ。僕に聞くんじゃなくて、自分に問いかけるっていうのが多分自分で考えるって話。他人に考えてもらうと自分が考えてないのでダメかなと。自分が考えたい場合の話ですよ。
だから、ご自身でKindle出版をしたことがない人でもやってみたいというのであれば、Kindle出版するにはどうすればいいかと自分に問いかけてみてください。今ぜひ問いかけてみてください。もしくは僕がリスナーのあなたに向かってあなたはKindle出版をしたいとして、ではどうすればKindle出版できますかとか、Kindle出版するにはどうすればいいですかって聞きました。
どうですか。そうするとご自身リスナーのあなたの脳が動いて、スピリチュアルな変な作業をするわけじゃないんで気楽に聞いてくださいね。すると、あれどうすればいいんだろうってなりますよね。考えません?考え始めると思います。これが考えるっていうものを初期動作とかウォームアップ、もしくは考え始めるってことだと思います。
当然、Kindle自体を読んだことがある人とか、電子書籍っていうものに対して、データでのコンテンツだよねっていうね。それは文字なり画像なり何でもいいんですけど、音声はやめましょう特殊だから。だけどできますよね。そういうオーディブルでしょ。
なんかコンテンツ自体を作ってリリースというか発行という形になりますが、出せばできるというような想像イメージがつくかどうかですね。だからそれこそブログとか書いてる人だったらその延長なのかとかそれともだいぶ違うのかと。
そんな形式ですよね。ePubとか言われたりしますが、そういう形式があるからそれに合わせてやらなきゃいけないから大変だとか。その手間とかコースみたいなぐらい見える人がいれば何から何をやっていいかわかんない。
そのような自分の考えをまとめたりとかってことはない。自分の意見を述べたことがないっていう人にとってはそのコンテンツをまず作ることが重要になる。最初の一歩になるんで、いきなりそのファイル形式はどうとかっていう話とかはできないわけですよね。
だからそれはその人の経験とか知識とかによりますよね。だけどその人の知識によるんだけどそれも相対的に見て、でもどうすればできるかっていうのを考え始めるわけですね。
少なくとも数字がいいとか間違ってるとかないんですけど、例えば自動販売機に飲み物を買いに行くとかはしないわけです。何売ってるかっていうと壊れてないですよ。それは多分Kindleを出版することにはあまり寄与しないというか貢献しないっていう作業じゃないですか。
もちろん喉が渇いて作業ができない、出筆作業ができないから自動販売機に行って、今はキャッシュですか。でも何でもいいですけど、飲み物買って帰ってきてそれを飲んでリフレッシュするとか。それはもちろん意味あるし寄与すると思うんですけど、Kindle出版をしたいっていうところの本質的なところにはアプローチ、近づいてはないですよね。
問いかけの重要性
というところをご理解いただきたい。という意味で問いかけるというところが重要なんですよね。問いかけたらじゃあどうしますってことになります。例えばやったことのない人を想定して考えていくと、まずGoogleとかAIでもいいんですけど、Kindle出版するにはどうすればいいですかってAIに聞いてもいいし、GoogleでKDP出版とか初心者とかって入れてキーワード検索をするのもアリですよね。
そうすると、それを説明しているサイトなり、やったことがある人とか、業者さんというと、どうか分かりませんけど、Kindle出版をサポートする人とかが記事を書いていたり、やり方を有料でサポートしますよみたいなことが出てきたりしますよね。
多分ね。出てくるんで、それをもとにどこまでやれるかっていうことを1個ずつやると。プロセスが5段階なのか10段階なのか分からないですけど、1個ずつやればできると。難易度は僕は高くないと思います。だから一般の人でも、コンテンツを出すものがないとかあったらダメですけど、そうじゃなかったらできますよねっていうような話になっていくと。
それで知識を得て、実際に得ました。できませんよね。Kindle出版をするには、やり方を暗記して、こうです、こうです、ああですっていうことを5段階覚えるわけじゃないですよね。ここでは暗記はいらないですよね。
そこに書いてある手順を、それが経験者の人でそれなりに信用できそうだとここも判断してますけど、考えたらそれに従ってどれくらい時間かかるかとか、箇所分時間じゃないですけど、ご自身がどれくらい時間を使えるかということでやってみようと。
そこで計画を立てるのか、構成をやるのか、これも知識や経験になるのでわからないですけど、それでやってみたと。そこで要はKindle出版をやってみようと。コンテンツを作ろうと。それでアカウントを作って、KDPアカウントがありますが、作ってやるってことをしないと進まないわけですよね。
進まないので試すというか、自分でやってみるということがポイントになる。このあたりはそこまで難しいことではないと思います。つまりまとめると課題というかやりたいことですが、Kindle出版で書籍出版したい。それはしたいではよくない。
したいって言ってるだけで意味がないので、じゃあ実際にやるにはどうすればいいか。Kindle出版するにはどうすればいいか。問いに変換します。疑問形ですね。簡単に言えば。それで調べます。調べるも試すことに入ります。考えるリサーチというか調べる材料になりますよね。
出てきたものをそれなりに判断して、実際に出版ということまで仮にやったとします。実際にはですね、KDPのアカウント発行してからコンテンツをアップロードしてタイトル決めてとか色々やる人があります。値段を決めてとかね。
やって発行って言って、審査があってOKって言って出版されましたっていうのがメールで届きます。信じてください。そうなってます。それで実践しました。
これが定食じゃないですけど、唐揚げ定食じゃないですけど、ご飯と唐揚げとキャベツとかあるのかな。レモンとかもあるのかな。好みによりますがマヨネーズとかね。で、味噌汁と漬物みたいな、課題と問いと試すみたいな、この試行錯誤のセット。認識というか考えるセットみたいなものがあって。
セットっていうのはもう深い意味はなくて、その3つとかそういう人まとめのものってことですね。いうのが一つの考えるものじゃないかなと。考えるものというか考えるやり方じゃないかなと思いました。僕がですね。
つまりその課題とか問題があるよねって言ってても、課題が問題があるよねっていう認識だけなんで、世界は変わらないわけですよね。
Kindle出版がさっきの課題って意味ではしたいんだけどできない。その場合はしたいけどなんでできないんですかとか、その障壁というか何が壁だと思うんですか。
知識が足りないんですか。わからない単語があるんですか。用語があるんですか。ITスキルなんですか。ちょっとわからないですけど、それを問いかけないといけないんですよね。
そういう問いかけて、なんでだろうねってことで、知識は得るでもいいし、詳しい人に聞くでもいいし、誰かにやってもらっても一つの解決策でありますが、試すと。
いうことの一連の流れになると、いわゆるPDCAみたいな耳にたこみてんができるようなプランドゥチェックアクションですか。
そういう一連の作業というか工程というか行為を回していくことになりますよね。
今回言いたかったのは、まず考えるってこと自体が問いかけてるよねってことなんですよね。イコールである、ニアリーイコールであると。
ほぼ考えることと問いかけることは一緒じゃないかと。問いが出てこないってことは考えてないことになりますよね。
問いを出したとしても、じゃあKindle出版するにはって言って、そこでネットで検索しますって言いましたけど、それは調べてはいけませんと。
AIにも聞いてもダメですと。別にそれは深い意味はないです。仮にそうしたらリスナーの方はどうしますか。
人に聞きます。ネットじゃなくて、ネット断面、インターネット断面。検索NGやと。
ローカルで使ってる人もしかしたらいるかもしれませんが、一般的にはインターネットで接続して使う人が多いかなと思ってます。
AI、PCとかありますけどね。そうじゃない場合ってことでもいいんですけど、とりあえずAIを使っちゃダメってなると、自分で考えるしかないですよね。
KDPの略がわからなかったらわからないし、Kindleがわからなかったらわからないですし、ってなると人に聞いていくしかないですよね。
考える力の重要性
それこそ辞書を引くとか、そういうアナログなことになってくるんですけど、それがいいかどうか置いておいて、その時にわからなかったらどうするかみたいなことが鍛えられるんじゃないかなと思います。
やりたいんだけどわからないみたいな時に、わからなかったら単語自体出てこないと思いますから、言ってる時点で何かわかってると思います。
問いかけをして、その問いかけに対して自分が試せることをやって、修練というと修行僧みたいですけど、訓練していく、トレーニングしていくしか、教育とか学習ですよね。
していくしかないんじゃないかなっていう、本当にど真ん中の話だと思ってますけど、本質としてはそうじゃないかなと思ってます。
その課題問題、認識しているだけでは進まないから問いかけをすることは考えることになるんじゃないか。
もちろん試すことも考えることの一つに入るから、試すことでその問いかけに対してやってみたことが蓄積されていくと、まさに経験ですよね。
経験とか体験というのはそうやって積んでいくものかなと思ってます。
ということを机上の空論みたいな感じでAIに聞いてどうこうってことは、理解としては難しいかなと思います。
なんでかというと、人間側に、これは何度も言ってますが、AI側は知識は多いし豊富なんだけど、経験をしたことがないと。
例えば、Kindle出版をしたくて困っているのが困っているという経験を、感情をAIが持っているわけじゃないわけです。
だけどAIが学習したり検索してきたりしたものをまとめて、それはこういうことじゃないですかと言えるわけです。
だからすごく怖さがあるわけですね。
僕は怖さがあって、それは人間側が判断して初めて意味があるというわけなんで、そこで人間が考えていなければAIの言った通りになるから、
別にGoogle検索でも一緒だし、それは他の人が考えたことを見ているだけだから。
だから本も結局一緒なんですよね。
人が考えた思考を巡るというのがダメじゃないんだけど、その考えをどうするんですか?
自分に活かして何か使うとか、何かなければ、僕みたいに他の人の考え方を見るというのがなければ何もならないですよね。
他の人の考え方に触れて終わりみたいな。
AIで何か出てきて、なんか褒められたみたいな。最後に素晴らしい考えですねって褒めてくれて、自己肯定感が上がると。
自己肯定感があることは否定しないけど、上がっただけで別にそれだけだったら、行動はできていないですよね。
行動ができていないということは考えていない。
問いかけにしていないということは人間が考えていないので、結局考えていないじゃんってなりますよね。
なのでちょっとあちらこちら行きましたけど、その課題問題、その問いかけ、そして試すってことが一つの考える思考のセットなんじゃないかなと思いました。
よくですね、アイデア出しにおいてインプットして試行してアウトプットするというような3段階プロセスを今まで提示してきたわけなんですけど、
僕が勝手に提示してるんですけど、やっぱりですね直感的にも今回の話から明らかなんですけど、
アイデアインプットするということですね。何かインプットすることはもう試行じゃないですか。
これが大事なんだろうかとか、これは本当なんだろうかって疑うとかもね、批判するとかもそうですし、
これは自分の考えとは違うな、これはなかなか賛同できるし、うまいこと言ってるなみたいなことがまさにインプットの瞬間に起きてるんで、
試行してますよね。実際にそれをまあ試行するというペースというかパートでは問いを立てたりね、今さっき言ったみたいに問い立てたり、
連想したり視点をね、持ってみたり、仮説として立てて、こういう人はこういうこと言うんじゃないかとかね、そんな仮説を立てると。
あと思い出すとかね、もう一つの試行かなと思います。それを整理してみてもいいし、どんどん抽象化とか具体化とかも試行かなと思います。
っていうのがあって、さらにアウトプット、実際にアイデアを出してみるというのはまさに試す形です。
考えてみたものを仮説として出して、それをヒアリングみたいなことでもいいんですけど、そうじゃなくても仕事の中で活かしてみるとかもそうですし、
他のサービスを触ってみるとかもそうですよね。だからその体験してみるとか見るっていうのが大事だよねっていうのはこのあたり。
インプットもそうですし、インプットと同時にアウトプットみたいになってきて、結局ここも試行して考えてるってことなんです。
だからアイデアにおける試行量とか試行するってことが非常に大きいんじゃないかという話になってきます。
だから考えるってことがアイデアを出すっていうことっていうのは、もしかしたら紐づきづらいっていうね、リスナーのあなたもそうかもしれませんけど、
多分仮説とにはなるんですが、ほとんどアイデア出して考えてるんじゃないかと。
で、ここで大事なのってアイデア出すって時に、なんかぼんやりしてアイデア出すぞっていうふうなことはやっぱりできなくて、
一旦でもいいんで明示的に考えるぞ、もしくはこのテーマについてやるぞってことを一旦、一回でも考えてどうなんだろうね、
問いかけとしてどうすればいいんだろうね、こういうことは言えるんだろうかね、こういうのあったよねみたいなことを
頭に思い巡らすことがなければ考えたことにはならないし、まさに考えてないですよね。
だからそれをやってなかったら、じゃあ昨日出版とかそのアイデアこのテーマについて考えてみてくださいって言われた時に、
何から考えていいかわかりませんとか、もしくは何も考え方がわかりませんとか、それについて経験がないのでわかりませんとか、
知識がないのでわかりませんみたいな話になっていくと思います。それがダメとかじゃないんですけど、考えるというのはそこを補っていったり、
どうすればいいのかってことを自分の把握できるサイズですね、まさに規模ですよね。小ささ、大きさにして噛み砕いていく。
ある種の消化ですよね。みかんが目の前にあるんですが、みかんを皮むいて丸ごと飲み込むんじゃなくて、
一戦ずつ取って食べていくみたいな風にすると。それがオレンジとか白菜とか大きなものだったらさらに包丁で切ったり、食べやすいサイズで切ってきますよね、調理すると。
そういうような取り込んでいく消化サイズに合わせたものっていうのも、ある種の考えるやり方じゃないかなと思います。
考えるスピードとか考える量が多い人は、その塊のサイズが大きいし、抽象化具体化ができるから具体化するときの具体の量も多いし、
抽象化して圧縮ですかね、持ち運べる量が多いので、考えが速かったり、考えるスピードが速かったりするように感じるんじゃないかと思います。
でもそれって結局考えてなかったら、考えることをしなかったら、その考える力は身につかないから、メタ的なんですよね。
やるから、下手でもいいからやるから、下手なりに磨かれて前より上手くなるから考えられるようになって、みたいな。
考えることの本質
ある種の芸事って言ったらいいかなと思いますけど、ギターを練習するからギターが弾けるようになるのであって、ギターについてギターを持つとか、
ギターを練習しなかったらギターを演奏するってことを目的、ゴールにしたときにギターを演奏することはできないですよね。
それをAIに聞いてギターの演奏の仕方っていうのを調べられるよって言っても、あなたはギター演奏はできないですよねっていうのと同様に、
あなた人間側が考える、人間が考える、僕が考えるっていうこととか、あなたにも考えていただきたいんですけど、
考えられるというのはまさにAIが出してきたこととか、人が言ったことに対してそれは本当なのだろうかとか、
データや意見を間違えてないかとか、それは何を根拠にしてるんだろうかとか、その感覚はわかるよね、もしくはわからないよねとか、
自分には興味があるよね、ないよねとか、二択じゃないですよ。二択じゃないんだけど、いろんなものを見て判断してると思います。
それを言語化をその場でしているかどうかを置いておいて、何か得ている、もしくは捨てているか何かをしてるんだと思います。
それはわかんないです。だってその理想のあなたと僕の脳の構造は違いますし、知識や経験も違うから、
僕が優れてるとかそういうことじゃなくて、違うってことが明らかなんですよね。
その違いをもってして得る、見る、観察するもそうですけどね、して考えていく、問いを立てるとかね、そういうことをすることがまさに考える一連の行為じゃないかなと思いました。
それがまさにアイデア出しだなと、改めて認識をしたぞと、そんな話です。
問いかけの重要性
考えるって何ですか?もしくは考えるにはそういう色々やらなきゃいけないことはわかった。
その次に出てくるのは考えるにはどうすればいいんですか?ってことになってくると思います。
考えるためにはどうすればいいんですか?っていうのをよくあると思いますが、一つだけ言うならば、それを聞くのは別にいいと思います。
考えるってどういうことですか?って聞いちゃうのもありです。
だけど聞いちゃうってことは、その人が考えていることをある程度、証明じゃないんですけど、述べないと相手も、これは別に僕がそう思っているのもあるんですけど、
人の反応としてあるんじゃないかなと思います。
例えばみかんがあって、おいしいみかんを作るにはどうすればいいんですか?っていうふうに聞いてくる人がいたとするじゃないですか。
リスナーのあなたがみかん農家さんとして、言います?っていうことなんですよ。
あなたが目の前の人に、あなたがみかん農家さんとして、相手がみかんをどうすればおいしいみかんを作れるんですか?って聞いてくる人が、
どういう人かによるじゃないですか。
同業の人なのかなったらプロだと思うんで、それなりに専門用語を使うかもしれないですよね。
そういう県産じゃないけど、みかんを作っていくっていうことに対して深めたい、高めたい人なんだなって思うかもしれませんね。
もしくはそのライバルが作り方を盗みに来たと警戒する人もいるかもしれないですよね。
一方で素人と言いますか、僕のような全然農業をやったことないとか、みかんを育てたことがない人がすると、
そのおいしいみかんを作っているってことに対して感動して、そんなみかんっていうのはどういうふうな思いがあるのかと。
やり方を聞きたいっていうよりも、その人の気持ちを聞きたいっていう意味でのどうすればできるんですかっていうようなニュアンスの受け答えにもなりますよね。
で、その時にどうすればいいんですかって聞く人が、まさに僕が聞くとして、おいしいみかんを作るのっていうのが大変だっていう知識とか誰かの話を聞いたことがあれば、
いきなりその質問をどうすればおいしいみかんを作れればできるんですかっていうことだけを聞かずに、
そのみかんを育ててなんかするのは時間がかかるし、おいしくするのは大変だなって聞いたことがあるっていうことを、だから聞きましたと。
興味があって聞きましたってことを言えば、相手はあ、なるほど、だったらこうかもしれないですよねっていう。
その適切に答えることができるし、述べられますよね。
で、例えば今まさにおいしいみかんの話、作り方のノウハウの話じゃなくて、考えるってことを言ってるんですけど、考えてる人には考えたなりのものを出してもらえれば考えとしてはこうですよってことは言えるわけです。
でも考えてない場合は考えてないですねってなってどうすればなりたいですかって聞くのは、実は自分にまず問いかけて、それで出てきたものをまず出して、それを他人に出すって方が実は自然かもしれないですよね。
今僕が言ってて初めて気づきましたけど。
つまりみかんをどうすればおいしくできるんですかっていうのは他人に聞いてますけど、それはあなたは何でだと思いますかってことです。自分に聞くわけです。
それはそうか、みかんを多分栽培するにはみかんの木があるでしょうから、それを栽培するにはすごく時間がかかるし、それを例えば鳥だとかいろんな獣害っていうんですか、動物たちが食べたり、いろいろ病気とかもあるからその管理が大変じゃないかと。
管理もみかんでなっていくとかなり面積が広くなるし、栽培するのが傾斜の山なのかわかりませんけど、平地でうまくできるのかどうかとか、その栽培の仕方もあるしっていうことを想像したり考えていることが出てくるってことは、それはまさに僕がみかんを育てるにはどうすればいいのか、うまくやるにはどうすればいいかって考えたときに何か出てくるわけですよ。
これが全く出てこないっていうケースであれば、知識や経験とかを増やしていくしかないですよね。ない状態で聞くことがいいかどうかはちょっとわかんないです。ケースバイケースなんですけど、そこで考えている人に対しては、じゃあその上で前提で話せますよね、回答する人。
であるから考えが深まったりより高めていくことができるんじゃないかなと思っています。
これはみかん農家さんとか、みかんをどうすればうまく作れるかみたいな大変ですよねみたいな話を具体例というよりもその一つの例えとして比喩としての話です。
AIとの関わり
これをご自身のテーマなり自分がやりたいこととか、AIで出してきたこととかでもいいんですけど、
そのあらゆることに対して何でもいいんですよ。だからね、Kindle出版とかでもいいんですけど、何でもいいからそれを取ってきてそこに対して自分で考えてみるってことが求められるわけですね。
考えてみて問いかけてみて何も出てこないなら経験や知識が不足しているってことが明らかですし、何か出てきたらそれをまず、我慢したらじゃないですけど、
まず調べてみたり聞いてみたり、まさに勉強するってことですけど、ことが学びだと思います。そうすると問いの量とか仮説とか連想することとか視点を変えて、
Kindle出版するっていう立場のことを考えている作家の立場だけど、それをサポートする立場に立つとか、もしくはそれを読む読者側の立場に立つとか、そういうことができるようになるわけですね。
まさにそれは考えたから考えた蓄積があって、その方や視点や見方があってそれができるような気がします。
だからこれは別にみかんの例でも明らかかもしれないですけど、いろんなことをやればそれだけそのみかんの作り方に直結するかを置いておいて応用できるわけです。
つまり具体的なものを抽象化して、このパターンって例えばよくあるのが農業の経験は製造業に活かせるんじゃないかでもいいし、製造業の経験がサービス業に活かせるんじゃないか。
それは人間をものとして見ろっていう意味ではなくて、抽象化してしまえば同じことが言えるんじゃないか。ある種数学のモデルじゃないですけど、数式みたいなものとかになるし、
別に僕は数式とか数学得意とか全然ないんですけど、言えるんですよね。ある種のパターン化みたいなもの。パターン化したらズレが生じるから、それってこういうケースでは違うよねみたいなことは具体例で実践として増やしていかないと、
人間の記憶としても長記憶には入らないですし、試していかないと身についていかないと。身についているってことは手がかりというか手続かで覚えていたり、やったら体が覚えているとかもありますから、
いろいろな考え方があってもいいと思うんです。思考とは汗をかくみたいなことでもよくて、確かに喋って話して考えてやるとお腹減るし、エネルギーとかカロリーも使うし、
暑くなっていくし、どんどんボルテージが上がっていくわけなんですけど、
それをどこかのタイミングでやると。それは考えましょうってことではあるんだけど、結局それを話し戻していくとAIに対してもやらないと考えてないから、
結局そのAIが言うがままになりますよね。人との話でも相手が言っていることのままにやりますよねみたいな。
それが一番わかりやすいのが、どうすればいいですかっていう風に聞く方がいらっしゃると思うんですけど、それは質問としてはあまり良くないんです。
問いかけとしてもね。なんでかというと、背景がないからですね。もちろんその質問だけ書いてくださいみたいな状況もあるから、絶対ダメとは言わないんですけど、
それを聞くからには何か前提や背景とかそういうのがあって聞いてるわけですね。そこまで提示してあげると考え方はより深まるんじゃないかなと思います。
考えるとか考えるのが得意とか考えるっていうことをよく知ってる人は、それらのパターンや展開や視点を変えたりとか、そういうのがいろいろある人なんじゃないかなと思います。
本当に最初の時っていうのは、リスナーのあなたが未成年であるとかことはあまりないんじゃないかなと思ってますけど、下でも大学生ぐらいかなと勝手に思ってますけど、そういう人たちが考えるって何ですか?考えるにはどうしたらいいんですか?
まず一番手っ取り早い話が、まず僕が言ってることが本当だろうか?と疑うことですよね。本当なのかな?みたいな。仮に事実やもしくは適切だなと思うのであれば、いったような課題があってそれを問いかけて試すみたいなことを自分なりに解釈して試してみる。
まさに今言ったことをね。であれば自分ならこういうことが言えるんじゃないかと。ご自身の状況に置き換えてください。就活をしたいとかでもいいし、将来やりたいこと探してるでもいいし、今の生き方にファッとしてるとか、何でもいいんですよ。
それに自分のケースに当てはめてさ、問いかけてくださいって時に何が出てくるかです。っていうのがまさに考えるです。で出てきました。はい終わりじゃなくて出てきました。じゃあどうします?やります?やらないです?次にします?また問います?っていうそれの繰り返しになるかなと思います。
という意味では、どうすればいいですか?考えてどうですか?っていうところに正解や答えがあるようにもしかしたら思っている方がいらっしゃるかもしれませんが、ないです。ないので正解がないのでそれに対して考えて判断していくっていうのがまさに考えるってことなんですよね。
思うとの違いももちろんあるんですけど、思うのはいいなと思うとかすごいと思うってことで、根拠とかがなかったりデータとか考えなくていいし、分析的に見たりとか自分の体験からどうかってことはなく、ただ感情を伝えるっていうね。
みかんが美味しいと思いますっていうのは思うじゃないですか。美味しいと思って。じゃなくてみかんが、なんて言うのかな?このみかんが優れてると思う。商品として優れてると思う。なぜならキャッチコピーがこうでとか陳列の仕方がこうでとか、サイトを見たらこういうことも書かれてストーリーがいいとか、それは分析的であり多分考える方になるんですね。
根拠を探していくこととか、あと意見としてなんで自分はこういうことを言えるのかっていうことを主張することが考えることかなと思いました。ちょっと散らかりましたけど、ぜひですね、アイディアが考えることでもあるし、あとアイディアを出すってことはね、AIとのやり取りで考えてなくて、
AIがどうこうっていうのをその判断だけはね、出てきたものだけを判断しているのでなく、が最初かもしれないです。まず出てきたもので第一歩目が出てきたものがAIが出てきたけどいいよねだと、それは思考停止ってやつです。考えてないです。本当かなとか疑ったら考え始めてます。
で考えて、じゃあこれをどうすればいいっていうふうに問いかけることがまさに考えていくことで試すことになっていくかなと思います。これはね、僕は考えてもすごく紙一重だなと思ってまして、要は人にじゃあAIを使わせてみてどういうふうに見れるかっていうのを仮に見ることができたら、
考えるための出会い
なんでこの人は考えないんだろうとか、この人が考えるのが一発でわかりますよね。そういう意味では、何回か言ったかもしれないですけど、AI自体が使えるかどうかをチェックすると、面接でね。それのほうがAI面接なんかさせるよりもいいんじゃないかなと思います。だけどそれってなんかいろいろ問題があるのか、あんま聞いたことがないですよね。
AIをどう使うかを見て、それで判断するっていう。それってグループディスカッションみたいなのが就活とかであって、僕の時代はありましたけど、それでどういうかを見るかっていうのと、セレクションじゃないですけどね、サッカーとかそういうスポーツのトライアウトとかじゃないんですけど、わかるじゃないですか、その実践でどういう動きをするかとか、それって出ちゃうから、それをシミュレートする実験じゃないんだけど、できればわかりますよねって思いました。
なので、就活生の別にアドバイスを偉そうに言うことはないんですけど、すごく言われたことがあるかもしれませんね、大学生、就活生とか人って、学生さんじゃなくてもいいんですけど、自分の視野を広げるとか、どうすればいいか、考えるための材料を集めてどうすればいいかっていうと、もう手っ取り早いんですけど、いろんな人と話すんですよね。
こんな人いるんだ、こんな考え方があるんだ、自分はどうなんだろうかって、多分いろんな異質というか違う人に出会うと考えざるを得ないです。自分のことを考えを持っているという人は、いろんな人に出会っているし、ホントとかでもいいですよね、情報を得てそこで出会ってますから考えられるだけです。種もしかけもございません。
それをやってるから考えられるんですね。考えたい人にもしなりたいっていうのであれば、いろんな人に出会って話してみてください。あと経験ですよね、いろんな仕事でもいいし、企業でこういうこと考えたからやってみようっていう仲間作りでもいいし、趣味としては消費して何か見るっていうよりも自分が生産する方がいいですね。
映画を見るよりも映画を作った方が多分良くて、どんどんポッドキャストもYouTubeもありますから、その発信するだけでも全然違ってきますよね。ぜひそういうことをやってみてください。別にこの四国レラジオは全然できないよ、みんな考えてないな、ダメだみたいなそんな主張じゃなくて、考えていきましょう楽しいですよってことと、チャレンジしてやっていくことがまさに考えてやっていくことだから、それをやっていきましょうと。
次回を込めつつ、僕もやっていきたいと思っています。一緒に楽しんでいきましょう。というわけで、今回は以上となります。皆さん、リスナーの中にとって考えるって何ですかっていうところがもし何かあればお気軽にコメントいただければ幸いです。YouTubeの方もコメントぜひお待ちしております。以上となります。四国レラジオ大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。以上失礼いたします。