1. シゴクリラジオ!
  2. やりたいとかって意志は思って..
2025-05-26 49:11

やりたいとかって意志は思ってる以上に大事かも

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起業ではないですが、守屋さんの本だと10割でしたね。
https://amzn.to/3SRYT6h

大前さんの決意の話は前も出しましたが、再掲ということで。何度考えてもそうだなと思います。
https://president.jp/articles/-/17083?page=1

chatGPTの大塚さんのネタは、こちら。
https://bookplus.nikkei.com/atcl/column/041500053/012700377/
教員である伊藤さん視点は珍しい気がします。

意志とかやりたいって大事ですが、それって原材料みたいなもので、そこからどう加工していくかですね。
なければ、どうしようもないというか。
だからこそ、ないなら探せばいいし、色々やっていくと「見つかる」ものなので、お宝があるのではなく、小さな発見や感情の動きを大事にする。そこからですね。
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stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/618b94773db982af52639b7a

サマリー

このエピソードでは、自己啓発のテーマとして「やりたい」という意志の重要性が語られています。リスナーは、自分らしさを追求し行動を起こすことが価値ある体験であると強調されています。エピソードでは、自己の価値や他者との関係性についての洞察が述べられ、特に商業出版や独立の過程における意思の重要性が議論されています。Aさんの事例を通じて、組織内での役割と個人のやりたいことのバランスについて深く考察されています。 事業における意思の重要性も語られ、Aさんの例を通じて、やりたいことの決意が業務や生活の選択に与える影響が考察されています。また、大塚さんのチャットGPTの活用事例を通じて、学びと意思の関係についても掘り下げられています。 このエピソードでは、意思の大切さと自己成長が焦点に当てられ、やりたいという気持ちを育むことの重要性が考察されています。独立や事業経営における意思の役割、さらにメンタルの強さと時間の使い方についても触れられています。エピソードは、やりたいという意志の重要性と目標達成に向けた心の持ち方について語ります。

やりたいという意志の重要性
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回ですね、ちょっと自己啓発っぽいんですが、意志ですね。
志の方ですが、別に思う方の意を思うという意志ですが、使い分けは一旦置いておいて、この意志ですね。
何かやりたいみたいなことが、全てといってはいけないかもしれませんが、それがあるだけでもいいというかですね、何かやりたいというこの意志が
まさに何か人間らしいと言いますか、リスナーの方に向けに言えばあなたらしい、リスナーのあなたらしいということになるんじゃないのかなと。
そこを確認というか、いくつか考えていきながら見ていきましょう。 今回もどうぞよろしくお願い致します。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回ですね、やりたい気持ちとか、やりたいというその意志ですね。
ことが非常に大事じゃないか、もっと言えばですね、やりたいとか、こうしてみようというですね、何度も言ってはいると思う、シゴクリラジオ的には言っているところだと思いますが、
それがですね、あることが尊いと、尊いと言ってもいいかもしれないですけど、人間らしいし、あなたらしいということです。
なんでかというとですね、今の話からつなぐならば、何かやりたいことがないと、こうしたいです、ああしたいですという人がないですね。
何かやりたいことないですと、ただ生きているだけですという方も結構いらっしゃるわけです。
だからそこをですね、批判とかするということもなく、もちろん見つけて何かやってた方がいいということはもちろんあるんですけど、
自己表現の多様性
そこに対して特にああだこうだ言うつもりはなくて、何かやりたいということがある、まさにリスナーのあなたがこういうことをやってみたいなと思っているのであれば、
それは何でもいいんですが、反社会的なことじゃなければという感じですが、それは素晴らしいんじゃないのかなと思います。
絵を描く、文章を描く、写真撮る、プログラミングする、ボランティアする、仕事がんばるでもいいし、家事がんばるみたいなね、何でもいいんですけど、
そういうのを見つけるというか、あることが非常に素晴らしいことなんじゃないのかなという話です。
なぜなら、それがまさに仕事づくりだと思ってまして、そんなやりたいことあるなんて素晴らしいよねというか、そんなあっていいなって思う方が多分いるんじゃないのかなと。
例えば、僕今ボードキャストで喋ってますけど、そうやって喋ることがあることがすごいよねっていう人も多分いるんじゃないかなと思います。
毎日何でもいいから喋るって言われてもできない人も多分いらっしゃるじゃないですか。
だから僕がそれが能力があるというよりも、まさに仕事づくりの話で、文字通りですね、僕は特に何も思ってないっていうふうに言うとね、
よくないんですけど、やりたくてやってるって感じですか。
喋って楽しくやってらっしゃってもらってますけど、それと一緒で、そこまでないですよという方が同様にいらっしゃるわけですよね、きっとね。
聞くのはいいけど喋るなとっていう人の方が多分多いと思うんですよね。
だから、いい悪いというか、マッチングというのもおかしいんですけど、
支え合うみたいなのもありますし、同時にやりたいと思うことが非常にですね、それだけでいいというか。
実際にはその辺りの話って、やってるから素晴らしいんですよみたいなことを、その人が納得というか、やって終わるってことはあまりなくて、
どんどん高めていくっていうのもちょっと難しい言葉ですけど、自分の中でもっとやっていこうとなっていくので、そんな比較はしないと思うんですけど。
一方で、仕事づくりみたいなこととか、価値みたいなことを考えていくと、どうしたいかっていうことですよね。
例えば、リスナーのあなたがですね、AI、生成AIを結構使ってる方だとしましょう。
そうすると、あなたが聞かれるわけですね。AI何使ったらいいとか、AIってどうやってやってるの?みたいな。
って聞かれませんか? そういう時に、自分は別に普通にやって、普通ですね。まさにカッコに入れていただいて普通にやってるんだけど、カッコ閉じる。
だけど、それを聞いてくるってことは詳しいと思われてたり、少なくとも聞いてくる人から見たら、詳しいんだよね。
あなた詳しいよねって思われているし、教えてくれると思ってるから聞かれたんでしょうねっていうところです。
それを、人にとっては鬱陶しいというか、聞くなよそんなこととか、調べろよって思う人もいるかもしれませんが、
別にそれを思うことはいいんだけど、それを対応したいかとか、対応をして、それを仕事にしようとかでもいいし、
そういうニーズがあるんだとか、その捉え方はセンサー番別じゃないや、対応にあると思うんですが、
順にと言うか、様々なものがあると思うんですが、まさにその対応で変わるというか、その対応次第で全部ってことではもちろんないんですけど、
そういったものが何度も何度もあるわけですよね。生活をしていくと中でね、陣地の中に。
その時に適切に対応するというか、まさに意思でやりたい方向は何だろうかっていうところがポイントだと思います。
だから、ああしろこうしろっていう正解はないんで、正解求めてるでしょ、このラジオ聞かないと思いますが、
何だろうねって考えることが好きな人には面白いかもしれないですね。
いくつか柱というかですね、今回もう言ってしまったんですけど、結局何かやりたいよねっていう時に、その人に向いた何かがあるわけなんで、
出版に関する考察
やっていることがあればそれだけでもまずいいし、いいよね、一つクリアしてるし、って感じですね。
もう一個は、よくあるのがやっているんだけど、方向性というかはまらない時ってやつですね。カチッとね。
そんなことがめちゃくちゃあるじゃないですか。自分が起業したい、やる、起業したい、うまくいかない、あきらめるっていうのじゃないですか。
やるならね。やるなら起業したい、なんかうまくいかない、でもそこで粘る、なんか試行錯誤するみたいなことだと思いますし、
起業じゃなくてもいいですけど、なんか自分が新しいことをやる時とかっていうのが特にそういう感じがしてますね。
いくつかちょっと断片的にはなりますが、一応最後にまとまるはずということで、まずですね、これは別に企業秘密とか全然ないんですが、
出版ですね。この話とかはわかりませんが、話のネタとして出版というのはですね、ある商業出版、
名前はもちろん出さないんですが、そこは出さない方がいいかなと思ったので、ある商業出版の方から、
至極ですね、ブログじゃなくて、問い合わせ本もありますが、そこからですね、問い合わせいただきましたと。
ちょっと前の話ですね。結論的にはその話はなかったことだったので、別に僕は商業出版をしてるわけでもございませんと。
その時にですね、いろいろ話して結果的に、要は僕のですね、そういう違和感発想とかのアイディアを出すってことに関して面白いんじゃないかってところで、
それで決まったわけじゃないんですけど、そういうのはどうだろうかみたいな話があって、そうやって相談というかやり取りさせていただいたんですけど、
結論的にはですね、ぼちというかダメになったと。この時にリツラーのあなたがもしそういう出版の相談が来た時にどう思うか、
自費出版のほうじゃないです。商業出版のほう。いわゆる書店に並ぶんで、これ何が必要かというと、まず本が売れなきゃいけないんですよ。
出版社とか本って厳しいなぁと僕は思っているのは、売れなきゃいけないのを売る前からある程度数字を取ったり裏を取ったりしなきゃいけないから、どうなると思います?
多分わかる方も多いと思いますが、それこそ売れている人に足りません。で、売れているというのはどういうことかというと、
もうすでに人気があって、いわゆる一定のファンがいて、もしくは著作みたいなものがあったり、
いわゆるマーケティングがやるされる話で、もしくはビジネスプラントがやるされるのと似てるなぁと思うんですけど、やるというか批判されるのですよね。
要は考えても、考えるのはいいんだけど、いわゆるデータを持ってこいと、
誰から言われなくてもいいんですけど、なんでその企業をしたいのか、なんで売れているのか、その商品はなんで売れているのか、データを持ってこいと言われるわけですよ。
やってないからわかんないよね。僕は思いますけど、わかりますよ、気持ちはね。それでも気持ちはわかります。
それわかんない人もいると思うんですよ。気持ちもクソもなくて、やってるんでわかんないよねって人もいると思います。
すごい若い人だと思います。悪い意味じゃなくて。でもそれでもわかるんですよ。
じゃあ目の前にメモ帳があるんで、このメモ帳を新しく作って売れるかのと同様で、新しい出版企画というのは本を作るわけですけど、
それが売れるかどうか、このメモ帳もそうなんですけど、その商品を出した時に売れるかどうかってことでデータが欲しいわけですよ。売れそうだと。
ある種錯覚なんですけど、これすごい売れるよねって思わせるような確実なものが欲しいわけです。
ただとはいっても確実に売れるっていうのはわかってたら、それは企画ではなくて、ただの作業みたいなもので、
わかります?その違い。弁当ではないんですけど、ここに卵焼きを入れるって決まってるから卵を入れるみたいなことになるわけですよ。
つまり全然ワクワクしないやつになるんですよ。
仕事って全部ワクワクしないよねってことを言っていると僕は思うんですが、多分全部ワクワクしようとしても無理だと思ってるんですけど、
多分そういうことになるんですよね。もう予定調和が決まってて、売れる人をアサインというか決めて入れていくっていうことになると。
ということになっている感じはしますよね。別に出版の営業の人とか出版の編集者を批判してるわけじゃなくて、何か企画する人の
ある種のねばならないみたいな部分で、そういう部分があるんじゃないかなと思います。
つまり、自分がやりたいんじゃなくて売れる企画ってやつはそういうもので、売れるから何してもいいとまではもちろん思わないし、倫理もあるし、当然ですけどね。
あるんだけど、それやってて面白いのってことで、面白くなくなるとその仕事とか違うやり方をし始めるのかなと思います。
非常にね。だからこれ、じゃあ僕がですね、お母さんあなたは何かそれに甲斐があるんですかって言われた時に、甲斐はなくてですね、もうその時でやるしかないんだろうなって思います。
話を戻していくと、結局その出版社さん、もしくは出版の声をかけてくれた方はまた別の人なんですけど、
その方から話では結局マッチしないというか、単的に言えば僕の実績はないってことなんで、話が繋がらなかったというわけなんですけど、
ここでえって思う人もいるかもしれないですね。僕がそのアイディアを売っているというか、アイディアを出して仕事にしているというところは全然評価いただけたんですけど、
価値とは何か
結局それがですね、見栄えの映えるようなものとか、言えるようなものもほとんどなかったりしますし、具体的なアイディアってお客さんに許可を取ってこれ出しましたって言わないと、当たり前ですけど言えないじゃないですか。
でも、アイディアを買っているわけだから、それをあえて言いますっていうところがありますよね。
商品を全部出しちゃうと、そこで破綻するような商品設計なわけですね、このアイディアを出してね。まあまあいいやと思って。
それで昔、CMある新聞の取材を受けて結構しゃべったんですけど、まあボツになったなと思って、多分使えないんですよ。
使えないっていうのは、僕が出していること、やっている仕事とかが価値がないとかっていうとは僕は全く思ってないんですけど、その取材媒体、メディア媒体とか、まあ出版もそうですけど、では使えないなっていう話なんですよね。
で、そうやって言うと僕のやってることがすごい価値があるように思えるかもしれませんが、ものすごくね、そういうことでもないと思ってて、
まあだから価値がないっていう、価値があるなしじゃなくて、価値があるんだけど、正確に言うとね、価値があるんだけど、それは人によるよねっていうのは僕は当たり前のことじゃないですか。
砂漠において水はすごく飲みたい人がいるから水は価値がありますが、水を飲みすぎて気持ち悪い人に水って価値なくないですか、みたいな話で。
状況によって変わるし、社会によって変わるし、その人、もしくはどこに投げるか、メディアとかね、プラットフォームとかネットもそうですし、どういう時に問いかけるかってところで変わってくるっていうところですよね。
少なくとも商業出版とは相性悪そうだなみたいな、っていうところは思いました。まだ。別に諦めてるわけじゃなくて、まあそういうお声がかかっただけでもいいんじゃないでしょうかっていうところですね。
この時もリスナーのね、あなたもぜひ考えていただきたいんですけど、声がかかったからどうっていうふうに一喜一憂してもいいですけど、それだけじゃなくて、なんでマッチしないのかなっていうところは冷静に考えていきたいですね。
このマッチしないとかうまくいかないみたいなところの分析と言った方がいいんでしょう。世の中的には。考えるってことを多分普段してないとこれできないんじゃないかっていう。
これもですね別に僕が偉そうに思ってるってわけじゃなくて、普段そういう突っ込みだったりなんだろうってことを考えないと、なんか着地が悪いんですよね。
要は自分だけが悪いとかになるみたいなね。もしくは相手が悪いみたいになる。別にその商業出版社さんとか、あとその編集者さんみたいな人を恨むとかね、そういうことは全くないというか、ちょっと幼稚じゃないですかそういうのって。
実際にね。 その辺りにリスナーになったかどうかっていうところはぜひ考えていただきたくて、普段の所作みたいな動作ですよ、行動ですよ。
むしろ印象良かったわけですよね。ああそうやってやってるんだなぁとかね。 むしろその編集担当さんというか編集の方ですよね。
もう素晴らしい仕事の仕方というかね、やり方とかも見せていただいて、ああそうやって進めるんだなぁ、いいないいなって。
そういうのありませんか。要は自分が仕事してて、この人って気持ちいいなというか、もちろんその仕事ができるできないとかは、実際にできたとかできなかったとかあるんですけど、
そういうのいいなみたいな時に非常に刺激いただきまして、非常にっていうとちょっと持ち上げすぎてるかもしれませんが、
そういう仕事の仕方素晴らしいなと思ったんで、僕も見習っていこうというか、そういうふうにやっていきたい。少なくともその人と仕事したいと思わないとやらなくないですか。
特に作家なんて、自分の考えをっていう人は自分の考えがあるわけじゃないですか。
なかったらないですよね。何でもいいよっていう人なんで、作家っていうかなんか出さないですよね。
あと相手ですよ、編集の人、編集側の人も、僕が相手の立場だったら、誰でもいいからあなたに声をかけましたって言ったらやらないですよね。
で、あとその人と仕事したいと思われなければやらなくないですか。その仕事しないですよね。
ああ、そういうのいいなって思いました。だから、自分も仕事したいなって思われるようにしていくっていうのは、
なんか基本中の基本かもしれませんけど、大事だなと思いました。
まあ、ただですね、こういう話もあまりにも追い詰めすぎると肩に力張りまくってて、
一言一句を大切にして、ちょっと古い例ですけど、
ずっとイライラ棒みたいな、右上にも下にも行けないような、
やってるようなことになるんで、その例を置いておいて、白線のライン上をずっとけんけんするというか、片足出し化していくような形になってたら、それやりすぎですよ。
のが一つ目。ちょっと長く言われましたけど、そういうふうにマッチしないときでも、価値ってあるよねってことを、
特に自分の方を自覚しがちとか、否定しがちな人の方が多いのかな。わかんないです。人を責めがちな人も多いかもしれないですけど、
まあでもね、相手が悪いとか自分が悪いとかいうことじゃないですかね。マッチしなかったよねっていうのも、別に
深い意味なくて、そういうものですよねっていうふうに言えるかどうか。結局これ、両稽古みたいなものがあって、それに慣れてないと、こういうことはあるよねっていうふうには言えない。
だけどそういうことが初めての経験なわけですよ。僕にとっての相談案ってどうって。
だけど、そういうことって別にありますよねっていうふうな抽象化がある程度できてないとならないんで、捉えられない、対応できないんで、
その見方とか是非大事じゃないかなっていうところでした。
意思の重要性
あと、全然ちょっと話も違ってくるんですけど、これ思いついたのが一つあって、それはですね、
たまにあるんですけど、独立の話ですよね。要はあるAさんという人がいて、
会社員やってましたと。でもその会社がですね、新規授業を始めて、そのAさんが言われるね、
やりたいですとかね、もしくは責任じゃないかって言われて、やっていった。
その会社的には新規授業は別にいいんだけど、
例えばその授業を辞めることになった。もしくはもう続けられなくなった。
で、それはなんかその授業的に赤字というか、授業的に成立しないというね。
いわゆる授業の売り上げと、売り上げからあまり利益が出ないとか、あまりよろしくないからっていう話となったと。
例えばこういう話があるんじゃないかと思います。その時に、Aさんがですね、独立するってことをする場合、
会社として、組織として、ありそうなのが、
最近も見かけたんですけど、大手企業があるサービスを辞めますと。で、辞めるんだけど、
ある授業というかサービスも一緒ですから、なんでかって言ったら、その授業は経営的なんですね。
その会社がやるにはもういいやと。だけど他のやりたい人はいますよね。もしくはやりたい会社がありますよね。
そういった時に、M&Aみたいな、授業を売り上げするとか、サービスを浄土するとか、
お金がかかるかかからないかを置いておいて、とりあえずその授業を整理するみたいなところになりますと。
それが大きな企業じゃなくても中小企業でもあると思ってて、そういう時に本業とはずれるし、
もしくは本業とやりたい方が経営的には違うよね。だからこれ経営的っていうのが別に正しいわけじゃないんですよね。
そこは、さっきの話と一緒で、出版相談、出版するかどうかの話と一緒で、
その意思ですね。ここで言ってる言葉、そのやりたいっていうのが意思が別に個人の意思だけじゃなくて、会社とか法人の意思とかもありますから、
その意思って何だろうねっていうところにちょっと注目していただきたいんですけど、
Aさんという人が会社員でやってたけど、熱帯魚の運営みたいなものだとしましょう、仮にね。
毎回釣りの話してもしょうがない。でも魚ですけどね。
熱帯魚のショップみたいなもしくは意思みたいなものがあって、あるのか知らないですけどね、実際ね。
僕は全然詳しくないです。で、その魚をセンター魚を売るとか、飼育が大変だと思いますけどね、熱帯魚ってね、デリケートな感じですけど、
そういうのがやりたいと。Aさんは自分でもやりたいんだと。むしろ最初は全然会社員やってた時に新規状況でやりたくなかったけど、
やってたら楽しくなって、熱帯魚にもどんどん興味を持ってやりたくなりましたっていう人って、
たぶんいるかもしれないです。そういうタイプの人。僕はそういうタイプかわかんないですけど、まあまあやっていきたいと。
で、会社員であると会社の経営的な判断でなくなるので、自分が引き取りますわと。
いう形で独立するっていう話ってありますよねっていう話です。ありますよねっていうか、あるんです。
それに近い話は僕は全然見た。というか、記事で見たとかね、インタビューで見たとかあるんで。
これもどうですかっていう問いかけです。リスナーのあたりの問いかけです。これって
なんていうんだろう。どういうふうに企業をしたいとか、今は企業されていない方の方が多いと思うんですが、
全然ね、企業というか新しいことをね、事業家や企業家とか経営者の人が聞いてて、やっていくって時でも全然いいと思うんですけど、
それって分けられるからじゃないですか。経営的なものと自分の意思とマッチング。そのAさんからしたら、自分がやりたいこととその会社でやるっていうこととの
天秤にかけるみたいな感じになると思うんですけど、 例えばね、自分がやりたいことっていうのは
突き詰めていった時に、たまたま企業しているだけというふうにも思えないですか、このパターン。
つまり、会社員の中で新規事業という形で、熱帯魚運営みたいなね、熱帯魚、EC、わかんないですけど、
何かしらその熱帯魚、魚を鑑するECがあって、それに関わってたんだけど、別にそれはいいと。でももっとやりたくなったからっていうのがまさにECで。
事業化のプロセス
会社の中でやっていくには多分できなくて、そこからバイファル独立ということで、会社員を辞めなきゃいけない。
会社員を辞めるとこの場合どうなるかというと、ご存じない方もいらっしゃるかもしれませんけど、基本的には個人事業にはなりますね、何もしないとね。
事業届を出さなきゃいけない。個人事業届。
個人事業出資届か。会業届でごめんなさい。会業届っていうのは確かあって、税務処理に出せばもういいです、OKです。
居人がいるものも、居人がいるんじゃないですか、飼育ってね、出さなきゃいけないんで、そのあたりは抑えておいてほしいですが、出してダメだったらできないっていう意味であるんで、
それは計画性が必要ですよね、そういうのはね。最低限の計画性は必要であると。
あとは会社であるとかもありますね、別にNPOでいいとかそれは置いておいて、組織として株式会社みたいなのがベターじゃないかなと思います。
合同会社とかもありますが、とりあえず会社法人を立ててその代表となりますので、そういったのを作ったAさんは社長、ペケペケで大企業なんたら、事業社の社長にはなりますよね。
それが企業となります。そこからやっていくことは難易度が高いかどうかはその事業とその人がやりたいことのまさに意思でやりたいことによるので、
それを世界で上場するぞとなると難易度は跳ね上がるというか、できなさそうですよね。
いや知らないですよ、できるかもしれないから。やるなとは言わないですけど、上場も難しそうな感じがしますけど。
当たり前かもしれないですけど、別に上場がいいとか世界にやるのがいいなんて僕は一言も言っていなくて、その人がやりたいかどうかだけなんで、
リスナーのあなたがどういうふうに生きたいか、もしくはどういうふうに企業、この場合だとAさんだったら企業主体がどういうその熱帯事業をやりたいかというだけなんですよ。
だけって言ってるんだけど、ここで最初に冒頭に戻していただくと、その意思やりたいということがめちゃくちゃ大事だと思いませんか。
それがなければ何も言えないというか感じがします。
しかもここの場合で言いたいのは、大前健さんの話を前にしたと思うんですが、傾向されたんですよね。
決意っていうのは、握手とは大前さんも言ってませんが、言ってないけどほぼ握手みたいなもので、
要は何かやるぞ、これやるんだっていう決意は全然いいと思うんですよ。
企業するぞって全然いいし、仕事を高めていくぞとか、いいと思うんですよね。
全然いいんだけど、その決意だけってほぼ意味ないと思ってるんですね、僕もね。
大前さんに同意する。
だからそこに言ってたのは、時間とか付き合うとか、今住んでいる場所を変えるみたいなところがある。
時間の使い方が特にそう。
時間の使い方が変わるってことはどういうことかというと、結局やることが変わるんですよ。
今までやってきたことを変えたりしなきゃいけないので、これは確かに効果あるなと思います。
で、それの話もあったように、結局さっきの熱帯事業、熱帯業事業みたいな会社、企業の話をしていくと、
ノリ?なんかこっちいいんじゃない?みたいな。
ジャケット会社じゃないですけど、ジャケット会社ですよね。
こっちはいいんじゃない?ぐらいのノリの方が、僕は上手くいくイメージが強いです。
だから全部ノリでやってくださいとか、そんなことじゃないですよ。
ただ、そのやりたいっていう意思っていうのを、要は過小評価してるんじゃないかっていうところを投げかけたいわけですよね。
で、じゃあそのやりたいなかったらどうなるんですか?っていう話を考えたい人もいるかもしれませんが、
シンプルで、それはロジックの話になってきて、事業が、さっきの話、経営の話でもありましたけど、
事業がこうです。さっきの出版の話でもありましたけど、自分たちが持てるリソースはこうです。
お金はこうです。予算はこうです。これはこうです。
じゃあ半年で変えてください。1年、今後変えてください。
事業を3ヶ月で売り上げを何倍にしてください。わかんないです。何倍はないかもしれないです。
とりあえず一定の規模で育てられしてください、みたいなロジックで。
で、できません。できませんでした。はい、終了です。
その時に、やりたいんですとか、売りたいんですとか、これは世の中で最大のイメージです。
よくビジョン、熱量だってことが大事だって言われてません?
言われやすいですよね。
僕は言われているのが結構、情報としては受けてますけど、
でも、バイアスがあるとしても、でもそれって熱量があるといっても、
1日24時間練習ができないし、1日24時間喋り続けることって多分できないじゃないですか。
知りますよね。
喋ってても結構お腹が減ってくるんですよね。
大塚さんの事例
喋ってそのままからお腹が減ってくる感じもありますけど。
好きでやってるんですけど。
そういうところでエネルギー使うしカロリー使うわけですよ。
だから、そういう意思があれば全部できるなんていう極端な話はしてないですよ。
だけど、じゃなかったらロジックで全部決まるから、ロボットと一緒みたいなね。
命令されてね。どんどん映画が賢くなっていくからロボットと一緒っていう表現も変わってくるんでしょうけど、
まだまだそうではないっていうところを踏まえて、
人間は人間だというところを言うと、やっぱり人って意思があって、
これやりたいよねっていうのをやるのが面白くないですかっていう、
毎度同じこと言ってますが、その確認でもありますよねっていう気がします。
どうですかね、そのあたり。
あと、これが最後というかその流れではもう1個トピックと仕上げておくんですけど、
大塚さんですね。チャットGPTを大学生だった大塚さんという人がいて、4年生ですよね。
大塚さんがチャットGPTを使いまくってたら、エンジニアプログラマーになって、
学会で発表したりとかっていうことをして、っていうことの本があって、
この本の話は知ってたのかな。多分知ってますね。多分。
で、これは面白いんですよね。で、AIで学んでくるっていうことで面白いんだけど、
でもやっぱり冷静に捉えると、この大塚さんという人がですね、
ものすごく頑張ったっていうのはちょっとおかしいんですけど、
1日10時間とか使えなくないですか。だからその人にできたから、
まるでできないっていうような部分はもちろんあるんですけど、
それよりもここでやっぱり言いたいのは意思の話で、これは教官というか教員ですよね。
教授であった伊藤さんという、これアチさんというのがちょっと分かりませんが、
この伊藤さんという方の視点ではないんですけど、その記事も上がってて、
またリンク貼っておくんですけど、
サポートができるっていう、教授側から指導する学生に対して言えるのは、
サポートができるわけですよね。教授って指導側の話ですね。
その時に、伊藤さんというのを言葉で紹介されてますけど、
私がサポートできるのは何かをやり始めた人に対してだけだと、
何も考えない人には適切な手助けができないと書いてて、
その通りだなと僕も思ったんですが、実際のあなたはどうですか。
要は意思ですよね。大塚さんという人が意思を持ってやりたいし、
当然最初の動機はレポートをサボるとか、いかに楽できないかっていう、
その発想がいいと思うんですが、いかに楽できないかっていうのは、
そのやることに関して楽をするのであって、自分が何もしない、
文字通り何もしないっていうのではないわけです。
ここが非常に難しくて、何もせずに何もしたくないという人は、
楽をしようということすら思わないかもしれません。
あと楽をするのが、自分がサボれれば何をしてもいいという風にはなる。
でもこれはプログラミングの話で言えば、
プログラミングをする上で楽にできないかという話なので、
プログラムをすることもしないようにできないかということで工夫して、
学ぶとか勉強するという、そのチャットGPTでやり取りするという。
わかります?
そのチャットGPTで1日10時間をやりたずに、1日5分だけでやる。
しかやらないというのは、ただ楽をしているだけじゃないですか。
1日5分でやってやり取りして、すごいアウトプットができていたら、
それはもう成功しているとは言えますが、
でも多分それはできなくて、
ただ1日5分会話しただけという何かが出てきているだけで、
ここでは要求とかレポートもそうですし、
アウトプットとして認められるようなこととか取り組みとか、
仕事であれば仕事として成り立つプログラムを作れたらそれでいいですよね。
でも世の中的には多分なっていないですよね。
1日5分と言っているのは、それ相応のプログラムや何かがあって、
仕事やお金が流れていて、それを1日5分やるだけでいいです。
でも怪しい情報商材か、怪しいネットワークビジネスとか、
怪しいなんちゃら詐欺みたいなものしかなくないですか。
それの違いがわからない方も結構いらっしゃるのかもしれないですよね、
そういう意味では。
明確じゃないですか。
学びと楽をすること
仕事としてもしくは授業として何かやっている人だったら、
明確な再現性があって、それを修正して何かやっていって、
例えばよくあるのは、SaaSじゃないけど、
自分なりのプロダクトを出していて、それを修正するということですよね。
それが売り上げというか上がっていて、やり続けていたら、
確かに1日5分修正しかしていないこともあるかもしれませんよね。
脱線しましたけど、そうやって自分のやりたいというのがあって、
それをやることでより楽をしようとすると考えるのが基本としてあるかもしれませんが、
その怠惰というか楽をしたいぞという時の気持ちが、
学ぶとか何かをやろう、生み出そうということと、
うまくリンクしていかないと、
ただ楽してお金稼ぎたいというのとは全く違いますよね。
この辺りは、
気づいている人は当然気づいていて明確なんですが、
分からない人はそういうふうに何度も言っていますが、
1日5分やるとすごいお金持ちになるみたいな。
そうだったらみんなやるんでしょうけど。
これが笑い話にならないような世界線もあるということも知っておいてもいいかもしれないですね。
それをやれるなんて全く思いませんけど。
自分で何かやろうという人にしか言えない。
僕はアイデア出しなり志望送りもそうですし、
何かやろうとしている方を応援したいのはもちろん全然思いますよ。
思っているということは伝わっていると思っています。
だけど、何でもいいよとか、
何でもいいという意思を示してくれたら何でもいいというふうに言うんですけど、
でもその何でもいいよという人って文字通り何でもいいことはほとんどなくて、
何でもいいんじゃなくてすごいこだわりがあって、
これしかやらないと言っているんだけど何でもいいよなんて言っちゃう。
だからパスしてもそうじゃないんだけどなんて言っちゃうということで、
経験値とか体験が蓄えていけないから話が進んでいかないということはよくあると思っていますけど、
一方でこういうのがやってみたいかもしれないぐらいの曖昧なものでいいので、
それがあればこうしてみたらって言えるじゃないですか。
でも何もしたくありませんとか何もないですってなったら何も言えなくないですか。
それが僕が一番怖いというか無関心みたいな感じですよね。
意思の重要性
そうなっていくと本当にどうしようねってなっちゃいますよね。
それが育てるという意味でいくと、会社組織なんかはそうですけど、
上司が部下を育てるみたいな観点にいくと、
どこまで面倒を持たなきゃいけないのかなというのは割と大変だよなとか思ったりします。
自分でも結構ね、自分の中でも結構大変なのにみたいなのがありますね。
というところでまとめていくんですけど、こういういくつか話をしてみました。
僕の出版の相談を受けた話とか、
熱帯事業、熱帯ビジネスか、熱帯漁の事業をやるみたいな、これは仮想の話ですが、
でもこういう見かける話ですね。
独立するという時の会社経営的な意思と個人のその人の意思で独立するとか、
大塚さんというですね、チャットGPTで学んでて演じられなったよっていうような人の時の指導共感である前藤さんの言葉ですね。
サポートはない、要は意思がないとやりたいってもらわないとサポートもできないよねっていうような話。
というところを見ていくと、全体にとってやっぱり意思っていうのが非常に大事、やりたいっていうのが非常に大事で、
ここで強い意思って言ってるんだけど、それは大前さんの話で決意か、
大前さんは決意って言ってますけど、決意、強い決意じゃないんじゃないかなって話なんです。
伝わってますかね。
要は、大塚さんの例だったら1時間10時間やってる時間の使い方が多分今まで使ってなかったから、
0時間もしくは30分くらいだったのがものすごい使う、それに全力使う。
ここでその1日10時間やればいいよっていうことで、
10時間勝手にカウントしてやりたくもないのにやらせられてたら多分おかしくなるんでやめてくださいね。
そういうことを言いたいわけじゃないですよね。
1日10時間も結果的にできるような意思というかやりたくさがあったっていうのが結果的な強さですよね。
そういうことです。
ノリじゃないんだけど、さっきの大業事業の例も、
会社が経営的にダメだから会社員的な視点で会社が経営的にダメっていうならやめましょうっていうのもありなんですけど、
なんかもったいないし自分もやりたいなと思って打ち込みたいよねっていう。
要はとことんやってみたいよねって思ったからその人は独立した。
その事業を引き取ってやったってことだと思うんですよね。
僕の出版相談での話はそこを通してやるっていう実力がなかったってわけなんで、
別に意思とはそんな関係ないんですけど、
強い決意とは
ただお互いの別に売りたいんだなっていうところで売れないよねってなったときに、
そうですかできませんよねっていうそれだけなんで、
それはある出版社側からもしくは編集側から見て作者を選ぶっていうので大事なんじゃないかなと思いますし、
その作者に僕は選ばれてないっていうだけですよ。
それだけです。
だから全然自分が能力とかスキルが低くてってことも思わないし、
マッチングしないんだっていうようなことを感じました。
そこも一応言いましたけど、
自分のそこでないよなとかっていうようなことで終わるずになく、
もしそこで商業出版したいんだったらそれをやっていくにはどうすればいいかって考えればいいわけなんで、
逆に言うと僕は別にそこまでしたくないかなっていうのも意思なんですよね。
意思の強さ弱さっていうのとあんまり筋が良くないと思ってて、
こうした方がいいかなぐらいの別のベクトルですよね。
意思の強さじゃないもの。
だから大前さんの話で言えば、
時間の使い方変えられる程度の、
もしくは時間を増やしたり減らしたりする程度のことはやりますか?
やってください。やったことを見せてくださいっていうほうが割とわかりやすいです。
今5分しかやってないことを10分やれますか?っていうときに、
2倍じゃないですか。時間がね。
2倍にする時間を使います。
例えば本を読みたいって言ってて、
本が5分しか読めてないのが2倍に本を10分読みます?っていう1日ね。
結構大変じゃないですか。
僕は思うんですけど、意思っていうか決意ってそういうことだと思ってて、
決意はそういうことで、2倍やるぞっていうのが決意なんです。
でもそうじゃなくて2倍にしてやりました、もしくはやります。
時間を使い方を変えましたっていうのが、
やり方?意思の証明じゃないけど。なんですよね。
で、そのときにやるぞとか言うのもいいし、
2倍にするぞって言ってもいいし、1日10分読むぞって言ってもいいんですよ。
全然いいんですよ。僕はそれを否定してないんですよ。
やってくださいと。ただ、それをやるからできるわけじゃないですよね。
全く別物だと思います。やれるか。
時間のむしろ使い方の、自分の気持ちですよね。
自分がプラス5分ですよね。
本を読むっていうことをやるには、自分はどうしたらやるのだろうかってことを、
ライフワークではないですけど、自分のメンタルや考え方や行動習慣を見直すってことですね。
やりたいことの探求
見直して終わりじゃなくて、見直してどう入れていくかまでやって、
そのアイディアというかやりたいことを確認するまでが、本当の意味の決意かなと思います。
あと、決意っていう意味では時間の使い方だけじゃなくて、付き合う人を変えられるのと、
環境ですよね。引っ越すとか、本当に住んでいるところ自体を変えていくというようなこともありますけど、
それを全部やるとか一気にやるということを絶対しなきゃいけないという意味ではないんですが、
それができるような環境づくりとかをどこに持っていけるかどうかが非常に大事なんですよね。
そこに強さはいらないよな。
だから別にね、本を5分から10分じゃなくて、5分を6分にできないか。
できますか、どうか。
ポッドキャストの時間も増やそうみたいな感じで喋っていなくて増えていったってことなんですけど、
減らそうってしてもいいですし、増やそうでもいいですし。
なんかそのあたりって意思じゃないんですよね。決意ではないかもしれない。
ここで言っている意思の強さじゃないということですよね。
ものすごい強いメンタルがあるからできるって思うんじゃないですか。
確かにメンタルはあるんでしょうけど、
そのメンタルってその手前のところでこうしたらどうかなっていうような、
自分の中の試行錯誤のアイディアとか、
その時間の使い方の僕はアイディアのところに戻って、
気結というかね、たどり着くんじゃないかなというふうには思ってたりします。
だから続けられるっていう話も何度もしてますけど、
結果的にやってるから、面白いから、楽しいから、やりたいから
つながりついてるっていうところにやっぱりなっていくんですよね。
最後にその話はそうでした。
だからやりたいことがもし少しでもあればすごいそれを大事にしていただきたいし、
あるならやってください。
その決意でやるぞとかね。
自分がやる気がなるならやればいいし、
言えば雰囲気が良くなって引き締まるならやって。
そう言った方がいいんですよ。
でも引き締まっても何しても結局自分がやらなかったり、
言うことをやらなかったらあまり意味がないかもしれないので、
そういうことで時間をかけたり、環境を変えたり、
付き合う人を変えていく方がいいし、
それができているかというふうなチェックとして
使っていくのもいいかなというふうに思いました。
最後は結局AIの話になっちゃうんですけど、
AIの話じゃない、ごめんなさい。
今の時代だと結局これやりたいですよねとか、
やっていきたいですよねというやりたい気持ちを育てるというのが
まさに教育とか学びだと思うんですけど、
そういう仕組みですよね。
見つけたり発見したり、育むというちょっと大げさですが、
生み出されるようなものがないと
しんどいというか大変だなと思ったりします。
つまり勝手に何かぼーっとしておいて、
何か見つかってこれやりたいあれやりたいというような
まさに何々したい、やりたいということが生まれてくるかというと
まあないですよね。
それはないですよね。
それは何度も言っていますが、正解があって
あなたは熱帯営業事業をやってください。
あなたは商業出版をしてください。
あなたはジャッジPDAで何かやって学んでくださいなんていう
ものはないですよね。
ないですよねというのは、そういったことをあなたがやらなきゃいけない
リスナーのあなたがそうだし、僕もそうですけど、
言われて何かやるようなことでもないじゃないですか。
それが合理性があったり、何か自分がやらなきゃいけない
ということがあって初めてやりませんか。
子どもとか親の保護家にあったら全然別ですけど、
そうじゃないケースで言ってますね。
だからのびのびとか自分がやりたいようにできているみたいな感覚っていうのを
どういうふうにイメージできているかによるかなとも思ったりします。
何かできているよねって思う人は、そのあたりの調整がある程度うまかったり
試行錯誤の量があって学びを得ているとかもそうですし、
自分をよく知っていたり、もしくは自分の不得意とか
自分が調子を出せるような状況に持っていけたりとかいうことを
考えているからできているんだと思います。
勝手に何かできることっていうのはごくごく少ない。
天然にできる人もいるかもしれませんが、非常に少ないと思います。
長続きしないですよね、仕組みってところであって。
なので、話としてはやりたいことっていうのが大事で、
そのやりたいことがなかったりすると学んでいけばいいんで、
学んでいけばいいよねって話ですね、いろいろやってね。
だからどの方向に転がってもいいわけで、
今あればそれをやればいいし、やっている精度をもっと高めたいなら
決意じゃないやり方でどんどん高めていけばいいんじゃないかなって話ですね。
やりたいことがなかったら今のまさに、
これ別にポジティブに言っているというよりも、別にそういうこともあるので、
何か探したりやってみたりして、やりたいってことを見つけていくという。
見つけていくっていうわけではないですけどね。
面白いと感じることを増やすっていうイメージですか。
すると心が動くんですよね。
これやりたかったかもしれないとか、こんなのが面白いんだなって、
自分に気づくって感じですよね。
自分に気づくってことの回数を増やしていくってことが、
意志の重要性
ポイントになるんじゃないかなって思いました。
というわけで、やりたいなって思うことが一つでもあれば、
もしくはそんな感じなんだなっていうのをやりたいとかね、意思ですね。
だから僕は強さ、意思の強さとかは、
強さとか弱さとかってあんまり好きじゃないというか言わなくて、
やりたいね、やったらっていう感じですよね。
やりたくないね。
でもやらなきゃいけない?
だったらやりたい風にしていこうね、くらいの感じで。
だからそれが、やりたいことは全部できないんだ、みたいな。
0-1で考えちゃったり、0か100とかね。
決意があるかなしかとかね。
メンタルの運みたいなね。
0-1かで考えるのはあんまり良くないよなって思います。
そんな感じでした。
今回は以上となります。
四国理ラジオ大橋でした。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上失礼いたします。
49:11

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