今すぐやろうの重要性
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
はい、少しゆっくり目に話しました。
今回のテーマはですね、なんか最近同じこと言ってる気がするんですが、くどいですけど、やろうと。今すぐやろうと。そんな話をしていきたいと思います。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオ大橋です。今回のテーマは、今すぐやろう、やろうですね。何やるかというと、やりたいことをやろうと言ってもいいですし、
アイディアとして思いついたことをやる。思いつかなくても、何かやってみるみたいな。今回は本当にそれだけです。やろう。
やりたいことがあるけどやれないというのがあると。まず。やりたいことがある人ですね。やってください。
この話はですね、先回あたりでも話したと思うんですけど、結局ロジックではやったほうがいいみたいなのがあるんだけど、いざやろうとしたときやれないみたいなのがあると。
なんかありますよね。わかりますよ。だからそれだからダメとかは言ってなくて、やろうってことなんですね。
で、結局やれない場合に、じゃあどこまでやれるんですかみたいな話になってくると思うんですよ。これはですね、どこまでわかるんですかっていうね。
バカにしてるとかじゃないですよ。じゃなくてその確認の意味でどこまで認識してるのかっていうのを探ることと、僕は全く一緒じゃないかなと思ってまして、一緒です。一緒の感覚です。
感覚といってもね、人によってはもちろん違うと思うんで、何かやることと理解をして頭の中で考えるのが違うよっていう人もいらっしゃると思うんですけど、でも一緒かなっていう。
で、やりたいことがない人ってどうしたらいいのみたいなのがあるかもしれませんが、別に僕がどうこういう立場じゃないんですけど、
今やっていることをしっかりやるとか、ごくごく当たり前のような気がするんですが、自分が今持っている目の前のことをしっかりやるっていうね。
それはですね、忘れがちですけど、それも素晴らしいと思います。
余裕があるのか分かりませんが、飽きたりしますと。飽きない人はいいんですよ。ずっとそれが面白いっていうなら、それやりましょう。
じゃないなら、違うこともやってみませんかってことです。この2択しかない。そんなことはないかもしれないですけど、だいたいそんなもんじゃないかな。
で、やると。驚くことでもないんですけど、やるじゃないですか。小さなことでもいいんで。
主語繰り的に言うと、自分が当たり前だと思っていることを当たり前じゃなくて、言語化してみたら誰かに役立ったとかね。言語化って言わなくてもいいですね。言葉にして伝えたら役立った。
あれおかしいなみたいな。僕で言えばITとかですよね。なんか普通に使ってますけど、AIを使えるっていうのも今だとよく分かんないじゃないですか。どういうことを使えるっていう。
活用を指しますよね。でも活用してるって何を使ってるの。で、散々ここでも突っ込みましたけど、じゃあ浮いた時間何やってるのって。
だけどそれは一つの見方でしかなくて、浮いた時間じゃなくて、何か使ってできたことが満足みたいな人もいるわけじゃないですか。
だから使うことで何を得たくて、どういうものを得られたかみたいなところになると、結構メタ認知みたいになってきて、
取り組んでるからいいんですってことじゃなくて、取り組んだ結果何を求めてたんですか。何を得ようとしてたんですかってことになるわけですよ。
話戻すと、やるってことは何が起きるかというと、2つあって、今やろうとしたタスクというか細かいことをやると。今やれることをやる。
やると何が起きるかというと、面白いんですけど、人間ってやるとやれたんで、やる前とは違うんです。ビフォーアフターが。
で、やったんで、じゃあそれやった前提で次がいけたり、もしくはやった前提でやったので、また同じことやろうっていう感覚じゃなくて、
同じ似たようなことをやることはあると思いますけど、そうじゃなくて、じゃあそれはやれるから、じゃあ違うできることをやろうとかね。
そうなっていくんじゃないかなと思います。それが成長というか学びみたいなもので。
それが全く同じとか、全くそれが同じことでいいっていう感じかは人次第になるのかなとは思いつつありますけど、
全く同じことやってたら飽きないかなっていうとか、僕はそういうバイアスがあるので、全く同じことはたぶんしんどくなるんじゃないかなっていう。
毎回変えたいみたいなね。だけど変えると安定しなくなるんでみたいな。
だから講師用みたいなのがあった時に、講師で同じことを毎回言うのはちょっと大変なんで、毎回変えていくと。
だけどそれは最初の枕的な、最初の導入部分とか構成を考えたり、要は飽きないようにやるってことですよね。
仕事自体がですね、じゃあ僕が違和感発想を講師みたいなことをやり始めたとして、やってないですよ。
やったことはありますけどもちろん。講師じゃないけどワークショップとしてね、講師ですね。
やったことはあるんですけど、それだけをやってくださいって言われたらたぶんしんどくなるんで、それもやりますがってことなんですよ。
なんでいろいろやれてた方が僕は幸せなんだろうなと思います。
そうじゃなくて、これだけやってくださいってなると単純に飽きてきて、僕が容易に想像できるんですけどイライラしてくる。
例えばこのポッドキャストの中身とかも、今が面白いかどうかは聞き手の評価だけなんですが、
全然面白くないというか、どこかで見たことあるようなことを言ってたり、あと同じことをずっと言ってたり。
同じことって言ってもね、この四国レラジオも同じことを何度も言ってるんですけど、変わっていかなかったらアップデートしていかなくて、
退化してたら嫌じゃないですか。できなくなりましたとかね。
でもそういうこともあるんでしょう。できなくなることも。
一方でやれることを増やしていくっていうので、なんとか機能以上になっていくみたいな成長モデルを一応描いてるつもりですけどね。
あれできてるか置いといて。
経験を通して得る成長
そうやってですね、同じようなことでも楽しむためにはどうすればいいかっていうのもアイデアだし、そこで飽きないようにやっていきたいですよね。
仕事自体がどう、仕事を作ってその仕事自体がどうするのも自分じゃないですか。その余地が全くない。
この通りにやってください、もしくはこの通りにやらないとダメです、この通りですっていうのは、
別に全体100としたときに100でギチギチに固められたら、僕はそれはやりたくないなと思うのと、
それが人間がやらなくていいっていうふうなところまでいくと、AIにやらせた方がいいんじゃないですかってなるんで。
そうなんですよ。だから、その意味では人間が楽しめる、自分が楽しめるように仕事を改編というかアップデートしていくっていうのが基本姿勢じゃないかなと思います。
そういうことができるって思わないとやらなくないですか。やれるというか。
最初から諦めているという意味では、諦めてなくてそういうものなんだという思い込みですよ。
ある種のバイアスで、スーパーに売っているものでしかご飯を食べちゃいけないというのはないわけですよね。
野草を摂るとかちょっと危ないですけど、キノコとかね、気をつけてくださいね、もしやる人はいたら。
リスクがあるんで。だけど、ダメじゃないわけじゃないですか。
野草の土地に行っちゃダメですけど、そういうところを勘違いしてしまって選ぶしかないんだと。
サラリーマン的な仕事ってそういうことですけど、サラリーマンが悪いわけじゃないですけど、
就職活動をして会社に所属するというのが働き方の一つでしかないはずなんだけど、みんながやってるからみたいなのは大きいですよね。
みんなやってるからそういうふうにしようみたいな。
でもそうじゃないじゃないですか。
それは釈迦に説法みたいな感じかもしれませんけど、それも一つじゃないかって言いたいし言っている。
だがしかし現状はそうやっていろいろ自分でやっていくっていう人は少ないですよねっていうのは分かっている上での話ですね。
でもそれこそ1ミリですよね。
少しでも自分が何かやってみたいなと思ったら、やっぱり企業とかっていう選択肢とかカードをちらちらしながら、いきなり企業じゃなくてもいいんですけど、
副業だろうが何だろうが結局一緒なんですよね。
何かやるっていうパワーは変わらなくて。
変わらなくて。
週末企業みたいな言葉がありますけど、週末で何かやるから簡単とか楽ってことはないわけですよ。
普通に真面目に取り組むとですよ。
適当にやって、あーダメだったみたいな、アフィリエイトとかやったけど全然稼げませんでしたとか、
ウェブライターやりましたけど難しかったですみたいな。
別にやるのはいいと思うんですけど、
なんていうんですか、
自らお客さんを見つけるとか営業をするとかですよね。
直接なるべく近いところで売るっていうようなことをやらないと、なかなか、
僕も偉そうなこと言えないですけど、
事業を作るみたいなことをやらないと、誰かの下請けとか誰かの仲になっちゃう。
それが絶対ダメっていうことじゃないですよ。
そのバランスでしょうねっていう。
なので、とにかくリスラーのご自身もあなたも、僕もですけど、状況がいろいろある中で、
いろいろある中で分かるんです。その上でやろうみたいなことですね。
で、やるじゃないですか。
さっき言った話で景色が変わる。やってる人はやっぱりやった上とかやってる話をできるんで、
経験書や体験料が違ってくるんで、それだけで有利っていうか、
有利っていうのもちょっとね、有利になりたいがためにやってるわけじゃないから。
だけど状態は有利になるんです。
なぜならやってる人が少ないからですね。
やればやるほどどんどん差が開いていって、やってない人に対してね。
で、あとシンプルにやり続ける人が少ないっていう。
最近、執筆ってことで、ライターではないんですけど、文章を書くぞみたいな仕事を探してたりしたんですよ。
で、そういうのもあって、よくあるのが、ポッドキャストでもよくありますけど、
発信の難しさ
始めますって言ってすぐ終わる方いらっしゃるじゃないですか。
で、それがブログでもSNSでも何でもいいんですけど、ノートでもね。
でもそういうライターの仕事とかでもそうだよな、いろいろ事情はあるかもしれないですけど、
書き続けるの難しいんだろうなっていう。
なんでですかっていう。
逆になんで僕が喋り続けているのか正直わかんないですけど、
話して楽しいかなっていう。
たまにゲストの方もね、話をしたりとか、ゆるゆるやるのがいいので、
っていう感じをキープできない。キープしているつもりはないですけど、
とりあえず喋っておこうかなみたいな。そういうのが難しいんでしょうね。
なんかわかります、その感じ。
だけど、僕がそこで最近思っているのは、
本当にモチベーションとか動機づけみたいな論理的な話じゃなくて、
単純に面白くないだけでしょっていう、二択みたいな風にちょっとよくないですけど、
面白くないんじゃない?つまらないんじゃない?って。
YouTubeとかね、ポッドキャストもそうですけど、喋って、
なんか全然別に面白くないっていう。反応ないしとかね。
いくらでも言えるじゃないですか、つまらない理由というか。
だからそれってなんだろうなって思ったんですよ。
そういうことを感じたことある人いませんか?結構。
結構いらっしゃると思うんですよね。やってるんだけど手応えない。
これ話しましたよね、手応えないからどうするの。
1年やるっていう。毎日1年やりますっていう。
だからストイックにやればいいっていうことは全く思わないですけど、
ストイックにやってるつもりがないっていうのがいいわけですよ。
わかります?
なんかこうやってやってるっていう、他人から見られるものではない。
ずれてる。自分とは違う。
僕自身は面白いんだけど、他人から見るとストイックみたいなのがあるわけですよ。
わかります?これが多分四国理だなと思います。
自分は面白い。他人から見たらストイック。
でもストイックじゃなくて楽しそうにやってますねって言われたら勝ちというかOKなんですけど、
そこまで伝わっているかはわからないです。
ただ一つ言えるのは、意志がないとか、意志が弱いとかそういうのじゃないなって思います。
楽しむことの重要性
多くの人にとって。僕も別に意志が強いわけではない。
食べ方みたいな話で、食べ方みたいな話で、
ハンバーグってお子様から、僕も好きですけど、
ハンバーグってひき肉ですよね。牛でも豚でも。
鶏はあんまりないのかな?まあいいですけど、鶏団子なのかな?
ひき肉を固めて卵とかに団子をつけてね。
玉ねぎとかに繋いで焼くという、みんな大好きなハンバーグ。
嫌いな方もいらっしゃったらごめんなさいね。
で、ハンバーグって付け合わせがあったりして、お店で食べるとそうですよね。
ポテトだとか、人参とかね。グリーンピースとかコーンとか。
あとお米、あと水紋じゃないや、味噌汁じゃないや。
味噌汁でもいいですけど、スープですね。
そういう時にハンバーグを食べるじゃないですか。
ハンバーグの食べ方みたいなの。ナイフで切るとかそういうことじゃなくて、
いつ食べます?って。最初に食べる人がいるじゃないですか。好きなもの。
あとから取っておく方もいらっしゃいますね。最後にね。
そういうのがわかるんですけど、別に食べ方って色々あったりするんですけど、
やっぱりハンバーグの食べ方が大事だと思うんですよ。
最後にね。そういうのがわかるんですけど、別に食べ方って色々あっていいじゃないですか。
目標設定とかになってしまうので、ハンバーグの食べ方っていう例えが合ってるかは全然わからない。
むしろ間違ってるかもしれないですけど。
最初にやっぱり好きなものを食べた方がいいですよねっていう人は、
やっぱり最初から食べに行った方がいいんですよ。
それなのに、YouTubeとかそういうのは最初から食べちゃダメなんですよ。
後から食べてくださいって言われたら嫌じゃないですか。
それってしかも仕事とかでもないですからね。仕事でもないというか仕事でいいんですけど、
要は自分の意思でやりたい。誰かにそれを指示されたくないみたいな。
指示があった瞬間につまらなくなる。
どんなに楽しいゲームでも1日3時間やってくださいって言われた瞬間につまらなくなるんですよ。
だから自分の裁量とか、自分が面白がっているポイントが色々あるっていうのは承知の上ですね。
ハンバーグの例えをもう一回言うと、最後に食べたいんだっていう人に無理に最初に食べらなきゃいけないんですよ。
YouTubeとかポッドキャストとかって言われたら嫌じゃないですか。
合うかどうかみたいな部分があると。
もう1個言いたいのは、自分が楽しいポイントって何だろうねっていうのが最初はやっぱりわからない。体験しないと。
でもご経験がある方、何でもいいんですけど写真でも絵でも文章でもブログでもノートでもSNSでもそれこそポッドキャストでもYouTubeでも。
何でもいいんです。何でもいいんですけどやったことあると。何でもいいので。1回でも。
それを続けたいと思いました。ってなるときに、やっぱり1回だと難しいですよね。
2回3回やってって、ここが面白いのではないか。もしくはこうするといいのではないか。
アイディアなり工夫なりやり方なり、ここ面白いかもって思えないなら数回やってるんですよ。
思えなくないですか。よくわかんないですよ。
それが石の上にも3年でやっていったらわかるようになります。
っていうこともあるかもしれないですけど、ちょっと正直毎ツーバーということでよくわかんなくてそれ。
本当かなみたいな。そうやって言われているなら疑ったほうがいいですよね。
あんまり言われてないなら別にそんなもんかなぐらいでいいんですけど。
結局自分はっていう人がどうとか置いといて、じゃあこれ3年ぐらいとりあえずやってみてくださいって言われたときに
えーってなって、もう3年はさすがにみたいな。3日の間違いじゃないですか。3ヶ月の間違いじゃないですか。
じゃあ仮に1ヶ月もいいんですけど毎日何かやるみたいなときに、それって面白いんですかっていう。そうなるんですよね。
だから面白くないことをあえずやりたくないときに、じゃあ面白くするにはってことで、体験しないと面白さもわかんないから体験すると。
その試行錯誤と言いますか、歩み寄りというのか何かわからない。綱引きみたいな。わからないですけど。
エントリーみたいな感じにしないとまず見えないし、とはいえエントリーしてしまうとつまらない差があると。
でもそれってちょっとうぐと言いますか、あまりでも詰めすぎてません?っていうことも言えるわけです。
要は0か100かで考えて0か1かみたいな。2択みたいな。つまらないか面白いかって。そんなことはさすがに思っていなくて、
面白そうな部分があるっていうことで域地を低くしとけばいいわけです。つまりちょっとでも学べるポイントがあって、
YouTubeって面白いじゃんっていう。だからその域地を低くしましょうっていうのを僕は戦略として掲げているんですけど、
あんまり伝わってないんですよね。それは逆に言えば何があっても面白いわけですよ。
営業しかあり、開発みたいなものしかあり、ITエンジニアとか、接客でもいいし企画するのでもいいしね。
何でもいいんですけど、これ面白い部分ここかなみたいなのを考えません?もしくは気づきません?っていうことがないと、
無我夢中でやって楽しいっすっていうのもありなんですけど、僕はですね、それって無理かなと思って、
無我夢中ってやっぱり続かないので、寝るじゃないですか、覚めるじゃないですか、ハッとある時。あれ?何やってるんだろうみたいな。
無我夢中になって、やっぱりそこで振り返るんですよね。あれ?何でやってたんだろうとか。
面白かったけどどういうことだったんだろう?っていうのがあって初めて定着というよりも違うんですけど、
学びというか気づきとなって形になるという感じがします。
継続するための心構え
なので実はもうありますよね。そうなんですよ。だから着地としてはちょっと弱いというかフワッとするんですけど、
やった方がいいなと思うんだったらやればいいし、やりたくないならやらない方がいいですよね。
でも多くのことってやりたいかやりたくないかじゃなくて、どちらでもいいというかフワッとしてて、
だったら体験してみてよかったらやればいいし、微妙だったらやらなきゃいいみたいな。
常に選べるわけです、自分で。中毒みたいなのはダメですよ。やったら戻れなくなるみたいなやつはダメですけど、そうじゃないと。
そういう感覚でいると、やっている人っていうのがかなり限られてきてて、やり続けるってことですよね。
限られてくるんですよ、多分。限られているような気がします。
なんでかというと、これは原稿ができていないんですけど、さっき言ってた、自分にとっての面白いポイントを見つけるノウハウみたいなのがあるわけじゃなくて、ないんですよ、そんなの。
勘違いかもしれないんで。そうじゃないですか、それ。
結果論ですよね、それが岡田さんが続けられたのは楽しんでて面白がってたからですよね。
それは真実なんですけど、だからといって全部がうまくいくわけでもないし、うまくいくって何?成功するって何?ってなるわけなんで。
やり続けてるんですよねっていう時に、変な気負いみたいなのを入れすぎるとちょっとぐらいいいですよ、ちょっとやってやろうとか。
だけど、その気負いって続かないですよね。やっぱり力使うから。
気負うんじゃなくて、楽しむ。自分が楽しい。楽しむっていうのもその目的みたいですけど、自分が面白いと思うこと、楽しむと思うことがコンテンツになっている。
自己理解と意見の重要性
もしくはそれで気づきみたいなのがあるんで、それを共有してリスナーのあなたとこういう視点があるんじゃないか、こういう考え方があるんじゃないか、こういうヒントになるんじゃないかみたいなことをやっているわけですね。
つまりある気づきとかネタとかあって、僕が気づいて、それを別に自分の中で留めておいてもいいわけですよ。
多分ね、人によるんでしょう。僕はこんなことあったんですけどねっていうことを言いたい人なんで、そうしているだけで、みんなにみんなやれってことは思わないですよね。
だから自分なりのやり方とか共有の仕方が多分あるんですよね。ハマるものがね。
それは出すツールの問題かもしれないし、ツールの使い方かもしれないし、ヒントかもしれない。
あとネタですよね。思ったことと喋るっていうのがいいのか、いやいやいや、そんなの価値ないっすって思って情報まとめる方がいいっすっていう人でもいいと思うんですよ。
それってもうその人がやりたいかどうかだけなんで、逆になると思うんですよね。
いやなんか意見いらないっすっていう人もいるじゃないですか。わかりますわかります。
だけどね、僕は意見があったほうがいいなと思います。それを得られないようなことが多いですよね。
意見っていうのもただ否定するだけとかそういうのじゃなくて、こう思ったからこうですっていうようなね、ぶつかり合いみたいなのって、
ぶつかってない、そんなのは言わない、このジャパニーズじゃないですけど、日本文化みたいなのがあるかもしれないですけど、
そんなこと言ってる割には水面下でいろいろバチバチ空気を読めとかね、言ってるわけなんですよ。
都度の詰まりってやつですけど、詰まるところ結局、意見好きだったり、意見を言いたかったり、もしくは聞いてほしいとか、もしくは聞いてあげるというか、
めちゃくちゃ大事なんじゃないかなと思ってるんですよ。言ってないけどね。
よくマーケティング的に言えば、サイレンスボイスというかね、要は潜在的というか、その人は健在的に私はこういうふうに思って意見を言いたいんですよっていう人は多分あんまりいないんだけど、
でもよくよく考えたら、別にあなたは言いたいし言うじゃんみたいな、そういうのありますよね。
スポーツやりたくないですとか言っときながら、やらせてみたらすごいやりたがってるとかね。ありますよね。そんなもんなんですよ。
だから自分でもよくわかってない。僕もよくわかってないです。だけどそのエビデンスというか、結果的には自分を偽ることなくね、
偽るというのもちょっと違うんですけど、言語化するとそうなります。自分を騙すことなくがいいですか?
楽しい方向を目指して
自分のことを騙すことなく楽しみ、面白いポイントを探して、いいな楽しいなと思ってやっていることっていうのが、
誰かから報酬もらってやりますとかっていうね、よく言う仕事ではない。稼ぎってやつですね。ではないから問われるわけですね。
自分がやりたいことをやるというのが難しいというか大変なんだなってもしかしたら思われた方がいらっしゃるかもしれないですけど、
大変とか思わないですよね。そうなんですよ。そうじゃないみたいな。
想像するために登山大変ですよねってことで、それを想像するためにいろいろ学んで考えるのは想像めぐらせばいいんですけど、
違うんですよね。登山は楽しいんですよ。登山が好きな人に行ったらね。大変ですね、行ってしかもそこに登るんですよね、装備とかね。
大変な部分はもちろんあるんですけど、そっちだけ見ててもね、登山も大変だっていう、
キュレーションというか編集したいんですかっていう悪意を感じるじゃないですか。そこまで言うと。そうじゃなくて楽しいんですよ。こういう部分が楽しいんですよ。
で、よくあるじゃないですか。楽しさと苦しさというか不便な。それをなぜか引き算とかしちゃいません?
引き算しがちじゃないですか。楽しくつまらないと苦しさとかね。がゼロ以上みたいな。そんな式ってクソくらいって言ったら怒られるんですけど、
口が悪いんですけど、なんなんですかね。もしくは天秤にかけるっていうね。天秤に通じるんですか?
測りですよね。左に楽しさ、右に苦しさみたいになって、それを比較したときに楽しさの方が重いのか上の方かわかんないですけど、表現としてね。
方が大きかったらいいんじゃないっていうのもあるじゃないですか。
でもそんな風に楽しさと苦しさを比較できると思います。楽しさの方がちょっとのことで何倍も膨らむし、
苦しさの方もちょっとのことで苦しい方向に方向性を当てれば苦しいじゃないですか。
だからどっちを見るかっていう方向が僕にとっては感覚としてあると思います。
楽しい方を見てた方がいいっていうね。苦しい方を見るなってことじゃないんですけど、
じゃあ両方見たときに、両方同時に見るときに楽しい方向があるからやるっていう感じですよね。
この時に苦しいっていうことで痛いからやりたくないっていうのもあって、
だとやらなくないですか。回避行動を取るというかね。僕は人間なんで回避行動を取るんですよ。
そこまでいってもう一回最初の冒頭の話に戻ってくるんですけど、やろうと。今すぐやろうとなるんですけど、
何が引っかかるんですかと。それが分からないとやっぱり動けないのもありますよね。
やろうって言うから、分かりましたってことでじゃあやってみますってことで、やりましたならそういった方は多分やれるんですよ。
でもやれないみたいなのがいっぱいあって、それをロジックで細かく分割していって、
じゃあタスクが大きすぎるから分割しましょう、一歩ずつやりましょうっていうことは、
僕は言ってるし今まで言ってきてますし言うんですけど、どんなにちっちゃいタスクでも今やれないと思う理由を書いてくださいっていう。
それってタスクとしてはちっちゃいと思いません?どうです?大きいですか?
1個だけ書いてくださいみたいな。何でもいいですよ。それが大変だって思うならさらに小さくしてもらう。
直感の重要性
で、そこで自分が言い訳できない。さすがにこれはみたいな言い訳できないところに追い込んでた時に、
自分の話ですよこれは。自分の中の話で一人でやってくださいね。別に誰かにプレッシャーかけてもらってってことじゃないですから。
それをやったとでもできないんだったら、そんなに無理してやらなくてよくないですかってなる。
これをやる気の話にしてしまうとちょっとつまらないと思うので、
そういうやってみたいことがあったりやろうとしててやれないって何山書みたいな話です。
それはものすごく論理的に言えるようなことではなくて、構造的なものもあるかもしれないですよ。
でもやっぱり半分で、いくら説明しても気持ち、感情の部分が強いなと思うんですよね。
そこまで行くと楽しそうにして、祭りみたいなものなんですよ。
なんかにぎわってていいねって楽しいねって。そんなものなんですよ。
実行に関してはね。楽しいこれやろうって。次もやろうって。
小学生とかね、ちょっと分からないですけど、友達と遊ぶわけじゃないですか。
同級生とね。あと学校終わったら行くよとかってランドセルなのか分かりませんけど置いて。
もしくは置いてこないと怒られるのかな。で遊んで。でも短いですよね。
そんなに遊べないですよ。1時間2時間遊んだら十分で。ご飯とか。
あと帰ってくる時間があるからね。
そういうのがあった時に、友達って面白いなと思うんですけど、みんなが友達じゃなくて、
一緒に遊んで合わねえなみたいなのがあるわけですよ。
なんか話してたのか、あんまり話さないんだけどいていい奴と、話してもいいけどあんまり話合わねえなみたいな。
人だからあるじゃないですか。馬が合う、木が合う。それがあると思ってて。
それをどうやって決めてます?って言われた時に、そんなロジックで決めてないですよね。
このことは2回あって3時間たって集合な話はして、そんな子供がいたら嫌じゃないですか。
そういう大人がいても嫌ですけどね。
そういうことをやっている人がいたらごめんなさいって思いますけど、なんだろうなって僕は思っているだけです。
攻撃する人はないですよ。僕はやってないですよ。
そういうのを感覚的にできるのが大橋さんの力じゃないですかって言われたら、分かんないけどそうかもしれないって。
AIができそうですけどね。
そういう感じで、友達作りみたいな感覚って言えばいいですか?とりあえず。
感覚的なんですよ。やろうって、やるって、面白いとか。
多分そこが一つでした。大きな。一つというかそれで十分です。
だから今すぐやろうっていうのは、別に友達を作ろうという意味じゃなくて、それは例えなんで。
なんかビビッとくるとか、なんかくるなって思って、これやっとかなきゃいけないなって思ってやることってありません?たまに。
すごくスピリチュアルみたいに聞こえるかもしれないですけど、そういう直感みたいなものはめちゃくちゃ大事にした方が僕はいいと思っています。
自分が10年間20年間経理をやってたから経理に行かなきゃいけないなんて誰も言ってないですからね。
その人が思い込んでるだけで、経理じゃないんじゃないですかみたいな。いろいろやったらいいんじゃないですかみたいな。
なんかそんな気がしたというところでした。
やる一つとっても、何かをやろうっていうこと一つとっても、そのプロジェクトが壮大なものでもなくてもですよ。
なんかめんどくさくなったりするのもわからんですよ。毎日を楽しむとかもね。毎日を楽しめば結構体力がいるとかね。
大変なものもあるのでわかります。
だけど、やっぱり色々さっぴいというか色々デザインじゃないんですけど、引き算していってなくしていって、何がいいんだろうなって思ったときに
やっぱりこれをやっとかなきゃいけないなみたいなのが何かあるんじゃないかなと思います。
多分その引き算の仕方とか、本質みたいなものを考えるというかね。本質って言うとちょっと怒られるかもしれないですけどね。
行動と優先順位
そこは考えるというよりも体験する、試す、これから違うなってことを色々試行錯誤する量は絶対的にあると思います。
それが少なければ、何度も言ってますけどスーパーに何か買うみたいに、スーパーに行かなきゃ何か食べられないみたいな話って一緒で、都市生活者ですよね。
方はほぼ一緒、僕もそうなんですけど一緒なんですけど。
みんながやってるからそれをやらなきゃいけないっていうのもちょっと違うわけです。
そこをちょっと疑ってみたらどうでしょうかというとこですよね。
だからYouTubeを自分の思考のログみたいな風に残すっていうのもあるわけです。
それを見たい人がいて価値があるかはまた別ですけど、でも僕のポッドキャストはそんなに近いですからね。
ただゲスト会とかそういうのは別ですし、ちょっと違う企画をしたいならそれは違ってくるので、それはもう自分でご自身で考えてやられると。
まさにそれがやるっていうことなんじゃないかなと思います。
自分で工夫する余地が出てくるのかな。もしくは勝手に生まれるか、色々やってみたいその中で。
あとは譲れないって言うとちょっとしんどい言葉かもしれないですけど、色々考えててやっぱりこれやりたいかなみたいな、
なんていうの、ビュッフェとかもいいですけど、色々選べるよみたいな時にこれやっぱり食べておきたいみたいな優先順位とか出てきますね。
全部食べたいですか、全部行きたい、そういう人がいてもいいんですけど、だったらそういう人やりますよね、一個ずつ全部やる。
だからどう考えてもやろうみたいになるんですよ。その一番やれるところからやるみたいなね。
だから言葉で言うと、最も時間をかけずに最も難易度が低くて、一番理解ができていたりして、自然にご自身ができて、
少しでも楽しい可能性があり、かつ続けられそうなものみたいなものですよ。
だけどそんなの出来ます?出来ないですよね。だから色々やっていって調整していくって感じです。チューニングしていく感じが近いですよね。
それをある程度ハメてるっていうかチューニングできてる人は、色んなものに対して適応能力があるんで色々楽しめるんじゃないかなと僕は思いました。
ちょっと長くなりましたけど、こんなところで今回は終了したいと思います。
ぜひ何かやりたいことがあれば今すぐやりましょう。社会的なやつとかは違いますよ。倫理的なやつにやばいならやめてください。
今すぐやろうとしてもやれなかったら何でだろうかなっていうのを考えてみると何かヒントがあるかもしれない。
考えても何かヒントがなさそうなら、やってる量が単純に少ないだけっていうこともあるんで、それをやってみてくださいという感じになります。
以上となります。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。以上、しごくりラジオ大橋でした。失礼いたします。