サービス創造の重要性
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。
このシゴクリラジオは、パーソナリティーである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。よろしくお願いします。
今回のテーマは、面白いサービスを作るには、というところで、ある記事からまた紹介していくんですが、面白いサービスを必至者の方が作れない、みたいなことを書いていて、
そのためには、面白い体験をすることとか、人の気持ちを理解するとか、そういうのが大事ですよね。
ただ、何かいいなと思ったのは、それができていますということではなく、できていないからこそ必要だよね、みたいな。
人の気持ちとか、ここではウェブサービスということになっているんですけど、ウェブサービスと言わずに、すごくしっくりきたのは、
僕の中でも別にウェブサービスを作りたいというよりも、何か企画、何か形にして困っている人、もしくは必要としている人、もしくは自分だけかもしれないんですけどね。
というところで、自分のためにやったものが人のためにもなることもあるじゃないですか。
だからそこは別に、自分と他人が完全に絶対違うということでもなく、似ているところもあるかもしれないぐらいでいいと思うんですが、
ウェブサービスだけに限らず、企画というか何か作って、人を喜ばせる、その課題と解決をしていくみたいなことが大事だよなというのを改めて読んでて思ったんですね。
だから今回、面白いものを作るには大げさではありますが、この記事から気づいたことなどを共有していきたいなと思います。
この面白いものというのが、わははと笑えるものという意味ではなく、興味深いものとか、役立つとか、こういう課題を解決しそうだとか、わははと笑えるでもいいんですけどね。
まさに僕が面白い社会とか言ってたのは、その面白さというものに全部内包されると言いますか、全部含むんですよね、僕の中では。
前に聞いた方というか覚えている方いらっしゃるかわかりませんが、初めての方向けにいくと、僕が言う考えるは、
いわゆる頭で考えると、実行する、行動すると、アイディアを出すが含まれた考えるだったりするわけです。
なんでかというと、別にこれ特殊な考えでもなく、結局行動するためにはアイディアが必要だし、アイディアがなかったら行動しなきゃいけないし、経験ですよね。
それで何も考えずにやってたら、頭を使わずにやってたら、同じこと繰り返しますから、結局全部繋がりますよね。
どこか1個だけ引っ張り出して行動だけしてますとか、アイディアだけですとか、考えることはしてませんというのはないんですよね。
相対性というか、相対というのはちょっと違うんですけど、総合的というか、そういうのがあるんじゃないかなと思ってます。
というわけで、今回面白いサービスを作るにはというよりも、もうちょっと絞ってウェブサービスで面白いものを作るにはとか、
もしくはこの紹介する記事と一緒で、面白いサービスが作れないと感じている人とかがいらっしゃるかもしれませんが、
そういった人、もしくは自分が作れているよという人もいらっしゃるかもしれませんが、
プログラミングの狙い
一体面白いってなんだというところをちょっと深掘りできたらいいかなと思いますので、今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、しごくりラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。
今回のテーマはですね、面白いもの、特にウェブサービスというふうに一旦縛るんですが、作るにはどうすればいいかみたいな話です。
今回ですね、ウェブサービス記事ですね。読んで面白かったのが、これは加藤さんという方が書かれている記事です。
ウェブホリオという、これ前ですね、一回紹介した気がしますね。多分間違えていたらすみません。
タイトルがですね、面白いウェブサービスはプログラミングより豊かな人生経験から生まれる。
まあその通りような気がしました。URLが概要欄に貼っておくので見てください。
主張は、簡単に言えば、この筆者の方がAIで開発するみたいな、ハッカソンみたいなイベントに参加して学んだと。
その時に面白いサービス作れないぞと気づいたという話なんです。
詳細は、ニュアンスとかもね、僕の解釈が入っているので見てもらうとして。
でですね、なんでかって言った時に、これが該当があるかはちょっと分からないですよ。
聞いているリスナーのあなたが該当があるか分からないですけど、ウェブサービスっていう、
作ろうとしててウェブで動くとか、アプリでもね、スマートフォンのアプリでもいいし、何でもいいんですけど、
その作る、開発する、プログラミングするゲームでもいいし、ツールでもいいし、サービスみたいなものでもいいし、何でもいいですけど、
それを作ることが目的になってないかみたいな。
もしくはウェブで作るっていうことがゴールというか。
でですね、これって違うよっていう人もいらっしゃるかもしれないですけど、
僕はもともとプログラマーで、ITエンジニアだったので分かるんですけど、そういう人多いんですよね。
作れる技術があるわけですよ、プログラミングできる。
リスナーのあなたもぜひ考えていただきたいんですけど、自分がプログラミングできるんですよ。
だから作れるんですよ、プログラム。
だから作ると満足する。
分かります?
作れるが故に満足するんですよ。
だから自分の役割は作ることだと。
開発するって意味を作るんですね。
開発することであると。
プログラムを作ることだと。
ソフトウェアを作ることなんだと。
でもソフトウェアとかプログラムって当たり前ですけど、
例えば電卓みたいなのって、ハードウェアもありますけど、ボタンを押したら計算してくれるじゃないですか。
ケター数で数字で197とか197×251とかも瞬時にやってくれるじゃないですか。
そういうとってプログラムで書けるわけですよ。
ハードウェアとしてボタンがあるとかないとかは置いておきましょう。
そういう電卓プログラムみたいなものとか書けるから、書いたら満足するわけですよ。
できたと。
駆動ですけどそれは開発ができるから書けるわけですよ。
電卓みたいなものっていうのは新規性とか希少性はないから、
その電卓プログラムを作ること自体の価値とかはちょっと置いておいてください。
だけどエンジニアプログラマーっていう人の思考は作れるから作るでってなるんです。
ここが重要なんですけど、その電卓とか計算プログラムってことですね。
電卓プログラムみたいなもので何をしたかったんですかっていうことなんです。
何をしたかったか。
電卓プログラムを作りたかったっていうのは、
美談と言いますか、そこに山があるから登るみたいなかっこよさもしかしたらあるかもしれませんが、
作りたかったから作るっていうのを全然否定してるわけじゃないんです。
だけど自分が作りたいものを作るってことは、
それ何なんだっていうことをまあまあ言語化するか、
まあまあ深掘っていかないと何だろうねってなるわけです。
つまり電卓プログラムを作って何か満足しちゃう。
何で作って満足するかっていうと、
その先にここから近いんですけど、この記事に多分近いなと思って言ってるんですけど、
誰が使うんですか?誰向けなんですか?とか、
子供向けなんですか?とかね。わかります?
シニア向けなんですか?
それは年齢層で分けてほしいとかでもなく、
どういう人かっていうのを本当に想像してほしいっていう意味での例です。
だから小学生向けだったらボタンを大きくするとかね。
わかります?
シニア向けでも大きい方がいいと思いますけど、
どんな計算をしやすいのかとかね。
配置ってなんかね、点キーとかも一緒なんですか?
電卓と一緒かはちょっと見てないですけど、
左下が1とかあるじゃないですか。
その配置は変わらないですよねとかね。
よく使うキーを大きくするとか、
今使ってないというか、電卓アプリであったら途中の計算が見えるとかあったと思うんですけど、
そういうの便利だなと思いますけど、
そういう工夫はないのかと。
ないのかというか、入れられないかと。
電卓アプリを作るというだけだったら、
そんな途中の計算をとか、
キーが数字キーを大きくするとかいらないんですよ。
使う人のことを考えたら必要になる。
自分だけだったらもうそれでいいよねっていうのは、
だから人に使ってもらう人があるんですよね。
そういう意味では。
言い方悪いんですけど、
自分満足が悪いわけじゃないんだけど、
自分満足で終わるなら、それでも終わりというか。
もう人様の声は受け付けません。
ちょっと面倒くさいというか、分かりづらいのは、
対象じゃない人の声を入れてもしょうがないですよね。
難しい計算をしたいので、もっといっぱいキーを増やして、
複雑なことができるようにしてくださいという人が、
そういう時に出てきたりするんですけど、
それを無視というか、違いますねという風に、
対処できる、対応できるかどうかじゃないですか。
万人向けのというのはないですからね。
もし万人向けやりたかったらそれでいいですけど、
人の意見を聞けとかいう風に言うと、
全部受け入れなきゃいけないみたいなのがあると思うんですよね。
それはちょっと罠かもしれないですけど、
でもそれも失敗したり、違ったなという風にやって乗り越えていかないと、
何か言っててもね、
全部受け入れて失敗するなみたいなのを聞いて失敗しないかというと、
いやそんな簡単にはと思いますよ。
だってそれだったら全部聞いた話で経験を得られて、
経験自体を得られることになるじゃないですか。
でもさすがにそれはないですよね。
学ぶなとか聞くなとかそういうことじゃないですよ。
そういう風に自分が作りたかったものを作ることを否定しないんだけど、
作って誰かに届けたり誰かに使ってもらうみたいなことになっていくというのは、
多分だいぶ違うんですよね。
利用者のニーズを理解する
だから射程が自分がプログラムを作ったりサービスを作ったりするということで、
自分が満足するのと、それを使ってもらって誰かに喜んでもらいたいとか、
面白がってもらいたいというのはだいぶ違うんですよね。
面白がってもらうとか役立つとか方向になっていくと、
エンジニアっていう人は正直得意じゃないと思うんですよ。
否定してるわけじゃなくて得意じゃない人が多い。
観測する範囲では。あと僕の感覚から。
サービス運営の重要性
だから作ると楽しいんですよね。で、満足すると。
だからよくここでも言ってたかわかりませんけど、
運用とか保守とか運営ですよね。
やってアップデートして続けていくというのは、
多分それはエンジニアという役割よりも企画ですよね。
マーケティングとか言ってもいいですか。
プランナーとか。メンテナンスとか。そっちよりなんですよね。
メンテナンスというと意識あるんだから今までやってきたやつをずっとやっていけばいいみたいな風に思うかもしれないですけど、
そういうことじゃなくて、今の状況に最適な風にするとか、
届けたい人に向けてちゃんとやり直していくというか修正していくとか、そういう意味なんですよね。
だからメンテナンスって静的というか静かなイメージじゃなくて動的なイメージですね。動いていくイメージ。ダイナミックなイメージです。
企画というのも新しいことをやろうとかそういう部分はあってもいいんですけど、
どちらかというとサービス作ったもののアプリとかサービスとか、
プログラム自体を届けたい人に届けられているかとか、届けた人から想定している価値とか声を聞けているのか、
もしくは想定外の価値観を与えているのか。
だと評価が悪いなら改善していかなきゃいけないんでしょうね。
それが届いてない、違う人に届いてて改善だったらちょっと違ってくるんで、そこが判断が難しいところでありますけど、
そういうのがあるんじゃないかなと思います。
つまりサービスを作るまでで作ったというところと、それを作った後の運営とかが全然別科目というか、
別の筋肉というか、別の思考が必要なんじゃないか、別の姿勢ですかね。
そんなことをふとだいぶ読んでて思いました。
問いかけが大事ってことが書かれてるんですけど、そもそもなんでそれを作って、なんでやるのみたいな。
そういうことは確かにありますね。
僕の場合で言えば、最近具体と抽象というクイズを作りましたけど、
これ自体は別に偉そうなことは言えずに、作ってみたかったよりも出てきた副産物みたいな感じで生まれて、
やってもらったら意外に評価が良かったというか、
じゃあリリースしといていいかなという感じでウェブ版ですか出しておいたという感じです。
これがどんどん運営してどんどん広がっていくってことは正直考えてないんですけど、
ただ一旦原型を作って、ジェミニーとAIを使いながら修正していったというところではまあまあいいんじゃないかなと思います。
むしろこれ以上伸びしろというか、余地はこれ自体よりもそれをどう使っていくかということで、
例えばこの間イベントをオフラインというかリアルで出てたんですけど、
その時にこんなの作りましたよって言って、簡単に紹介すると。
別にすごいとかわけでもないから別にいいんですけど、
こんなの作る人なんじゃないぐらいでね。営業じゃないですけど話のネタぐらいにしてやるといいんじゃないかなって思ってたんで良かったです。
それで十分というか。
だから自分のスマホのショートカットというかホーム画面に入れてあって、
それを押せばすぐ出るようになってるんで、そういうの良くないですか。
わかります?何か言いたいこと。
だからその使っていけばいいんですよ。
それは名刺代わりみたいな感じで使ったわけですけど、名刺というわけでもないんですけどね。
別にそれですごくお金を稼いでますとか言うのもないからちょっとずれるんだけど、
ただ別に趣味でもいいから自分のこういうことやってるよってことをしっかり示すと。
趣味って言うとね、日本だと言葉がフワッとしちゃうんですけど、
具体と抽象の探求
自分が興味ある取り組みプロジェクトを示すってことです。
それが僕の中ではたまたま最近だと具体と抽象というクイズを作ったので、それが該当すると。
じゃあこれなんでそもそもやってるんですかって言ったときに、
シンプルにただつまんないなと思ってはやってないですよ。
具体と抽象ってことを考えることで確かに意識するよなとか自分でもやってみて思いますから、
テストプレイしていただいた人の声もそういうものをいただいたので、
普段ね、そんな具体的かとか抽象的かとかっていうところで、
何だろうな、具体的であればいいみたいなのがあったりするわけですよ。
分かりますよ言いたいこと。具体的な方がいい。分からない説明は良くないと。
だけど分かったつもりになる説明の方が僕は危ういなと思ってるので、
分かります?分かったつもりの方が怖いんですよ。
話として具体的に説明してくれたから分かったつもりだったんだけど、
分かったと思ってて、実際にやってみると全然分からない。
そういう経験ないですか?そういう経験がある人は具体的に注意を示すような気がします。
抽象的っていうのが別に悪いわけでもなく、
具体が良い抽象がダメとか抽象が良い具体がダメとかそういう話じゃなくて、
その適したものに伝える人は修正して変更するというか更新していかなきゃいけないし、
それが会話とか対話とか雑談もそうですけどリアルタイムに行われるんで、
そこが醍醐味なんだろうなっていう意味では、僕の中では言葉の興味とコミュニケーションということですね。
何か伝える時には意識しなきゃいけないんじゃないかなって思ったんですよね。
それ作ったりやったりした時に。今もやっては思いますけど。
で、そういう意識とかを、もしクイズゲームのノリでノートレって言ってますけど、
わざわざとノートレって言ってますけど、ノートレ何か知らないですけどね。
ノートレーニングですね。頭のノートですね。
それをやることで、もし意識が変わって、このクイズゲームやったら意識変わったぞとかね。
それはちょっと怖いんですけど、そこまで行かずにも何かそういうのあったなとか、
ちょっと変わったかもしれないなとか、出てきたクイズの問題から何か自分ってそんなに具体的に言ってなかったなとか、
もしくは説明されてもわからないのは曖昧というか具体度が足りないとか、
その具体中小の度合いですよね。具体度、中小度どちらでもいいんですけど。
っていう概念や指標がそのやった人の中に1ミリでも生まれたり、その見方でできたら僕はもう割と満足です。
それがたまたまクイズゲームっていうものでやっているってことですね。
これを文章、ノートとか文章で伝えることももちろんできますし、今まで多分書いてきたし、書いてるんですよ。
あと図解でもできるんですけど、それって別に読んだ人は理解が伝わるかわかんないんで、書きっぱなしになるんだけど、
クイズゲームとなっていくと、感想とかアンケートとかをちゃんと取ってないですけど、そのうち感想はこちらとかね。
あとクイズの問題も作ってもらったら面白いと思うので、似たような問題ばかりになってもしょうがないかなと思いながらも、
いろんな問題があっていいと思うので、そうやって作ってもらうっていう風に参加してもらう方もいいかなと思って、
そういうやりとりを入れていけば、クイズゲームっていうところではもうそれで終わっちゃうんですけど、開発ってことで終わっちゃうんですけど、
コミュニケーションの意義
この作ったものをどう言葉の意識とかコミュニケーションっていうことの具体と抽象度っていうのを意識していくと、
面白いんじゃないかなっていうのが僕の感覚なんです。
という意味では、別に批判するわけじゃないんですけど、かんもつさんが書かれている面白いってわかんないとかは僕にはないんですけど、
だけど、僕が面白いと思ったことをリスナーの方もしくはクイズをやった人が面白いかどうかは正直わかんないです。
これは僕がですね、このポッドキャストで話をしたかわかりませんけど、簡単に小学校の時にそういう下敷き使ってゲームやってみんなに楽しもうみたいな、
てか子供の時ってそういう遊びやらないですか、勝手に、ドッジボールとかもそうですけど、新しいドッジボールというか、
線を引っ張って、もしくは線がなくても、とか、線を引っ張ってその領域は無敵とかね、バリアーとかね、そういうのやりませんでした。
今の子がやってるかわかりませんが、そうやって自分でそこにルールや必殺技とか状態を変えたりとか、ずっとそんなことやってた気がします。
ゲームが変わったり、状況が変われど、その延長にやるんじゃないかなと思います。
だからある種の遊びなんですよね。サービス開発って遊びだし、ゲームじゃなくてもいいんですけど、遊びかなと思ったりします。
いかに自分のアイディア工夫でそれを楽しんでもらえる、面白がってもらえるかっていうところに尽きるんじゃないかなと思います。
だから今回もう一回まとめれば、自分の中では確かに、もしくは見た目ではクイズゲームを作っている人になるんです、それを見た時に。
だけどクイズゲームを作りたいわけじゃなくて、具体的な抽象とか、考える言葉とか伝え方とか、抽象度みたいなことを意識してみませんか?
ちょっとうざいわけじゃないですか、そんなの。普通に言ったらね。
別に僕は国語の先生とかでも全然ないですから。ある必要もないと思ってます。
だから自分なりにこういうの出して意識してます?っていうぐらいです。
だから意識してないからダメとか、意識してますからいいとか、そういうことじゃないですね。
だけどそれで話ができたり、コミュニケーションしていくってことになっていった時に、掛け算じゃないですかね、多分。
言葉への興味みたいなのがあまりない人はこんなクイズ作れないじゃないですか。
クイズももうちょっと違うものとか、知識系によるとかね。
その人によると思うんですよね、作るもの。
言葉への興味、あとコミュニケーションへの興味ですね。
それを伝えるってところに行ってますけど、具体と抽象みたいなのがあってその概念がありますっていうことをただ言って終わる人もいると思うんですよ。
それはちょっと違うかなってことで、コミュニケーションとか何か伝える時に、
言葉が意味する意味されるもの、意味したい記号と意味されるイメージが合致がないと、
いくらウェブサービス、エンジニア、犬、何でもいいですけど、アンドーナツありますけど、アンドーナツ。
何かがわからないんですよね。
僕が話していることが何かがわからなくなるってわけですね。
それがわからないと。
その辺りも面白いじゃないですかって僕も思うんで、そういう興味。
だから言葉自体、コミュニケーションですね。
アウトプットの重要性
具体と抽象っていうものの一つだけ引っ張ってきて、それをクイズゲームという形にしているだけですね。
あと、僕は作画作ったっていう感じでもないんですけど、
バイブコーディングとかやってますから、その流れで形にしてみたっていうことで、
習作感ってことですね。
自分の勉強みたいなアウトプットにも近いのはありますよね。
だけど、それって別にいいんですよ。
学びの上でどういうふうにやろうがよくて、でもこういうのを出していくことで会話が生まれたり、
人の繋がりが生まれたり、自分も自分なりにやっているって。
それを笑うというか、そんなの全然ダメだよとか思っている人もいるかもしれないんですけど、
そんなのは知らない感じですよ、僕は。
自分がやっていって、少しずつ自分の目指したいものというか、
今回だったら面白がれるようにしていくような時ですね。
そこに合わせていけばいいんじゃないかなって思いました。
間違いなく具体と抽象を考える、やればやるほど具体と抽象を考えることになるし、
頭が動くはずなんで、脳トレにはなるんじゃないかって思ってました。
知らないですよ。
いろんな人にやってもらって、やってもらう機会があったり、
こんなの作ってますっていうふうに、いつでも手札として持っておくっていう。
別にウェブサービスなんで、どこからでもアクセスできるし、いいかなと思って。
僕にも学びになってるし、使う人にも学びになったらいいなぐらいでやってる感じです。
というわけで話を記事の方に戻していくと、
結局自分がいいなっていうのはもちろんそうですし、
面白さとAIの限界
自分が面白いなっていう体験でもいいし、
何かを提供して喜んでくれたとかね、人との関わりとかね。
確かにそれはものすごく大事なんだろうなっていうことを改めて思いました。
AIじゃ無理なんですよね、面白いものは。
なぜならAIだけではね。
人が面白いと思うものをAIが作るができるんですけど、
実際のあなたが面白いと思うとか、
これは何かいいんじゃないか、言葉にできなくてもね。
っていうのがネタがなければ、AIは作ってくれないじゃないですか。
か、AIがもちろん勝手に作ってくれる時代が来るかもしれないですね、ボタン一発で。
だけどそれを面白いかどうかを判断するのはあなたじゃないですか。
そうすると勝手に絵が動いてくるから怖くないですか。
だから自分で判断する。
自分で判断するには面白いと思うことが何かを感じていなければいけないし、
もしくは指示出すには言語化したり、作らなきゃいけないですよね。
僕が作っているグデッド抽象ってクイズとか、
それ面白かったっすってことで評価していただいて、
上で自分だったらこうするっていう、絵にするとか、
そうすればいいんですよ、別に僕が正解ではないから。
あと僕がやっている答えというか、それは僕が出したアウトプットであり、
格好よく言えばクリエイティブになるんですけど、
すでにあるかもしれないですね、ちゃんと調べてないですけど、
すでに同じようなクイズとかやり方をしている人はいるかもしれないですけど、
僕は僕で作ってみたっていう感じになります。
だからあとはそれをどう料理するというか、
そこでも新しいもの、新しいサービスを見出すというところでも、
これからメンテナンス、補修、もしくは運営企画ということをしていく上でも、
それを作ったら終わりではなくて、作ったものをどう伝えていくか、
あと喜んでもらうかというか、楽しんでもらうかという感じがいいですか、
他者との関わり
面白がってもらうかという視点が大事になってくるんじゃないかと思いました。
これがまさにウェブサービスというふうに言っているんだけど、
別に文章でも写真でも絵でもコーチングみたいなものでも、
なんちゃらスクールみたいなものでもなんちゃらコミュニティでもいいですし、
なんでもいいんじゃないですか、というところでも全く一緒かなと思います。
だからお勤めで仕事をされていても一緒で、
そこである何かアウトプットや仕事や成果というものをやる、
そこをやるということが目的というよりも、
それに基づいて何したかったの、
仕事だとそれを通じて何したかったのか。
視点が狭くなるんじゃないんだけど、
普段とか日常のものに慣れてしまうと、
それ以上しなくていいってなるんですよ。すごくわかります。
だけどそうじゃないですよね、みたいな。
実はもうちょっとこういうことをやりたかったんじゃないですか、
ということを僕は違和感だとか、
考えて出していってやっていく方がいいということで、
仕事クリエイターと名乗ってますけど、
それだけなんですよね。
あんまり難しいことをやろうとかいうことじゃなくて、
やりたかったこととかを眠らせないですか、みたいな。
おうちに眠った不要品売りませんか、みたいなトークでちょっと嫌ですけど、
でも全然怪しいトークでもなく、
自分が本当にやりたかったことを出してないなと思ったら、
多分出したり書いたりしていった方がいいですよ。
本当にあまりにもいくと、
潜めすぎるとうつ病とか、
自分の社会とか周りとかに対する手応えっていうんですか、
自分関わってないんだみたいな感じで、
僕はなるんじゃないかなと思ってます、そのあたりは。
そこまでね、一個のアプリとか一個のサービスとか、
一個の仕事とか一個のタスクに対して、
この全てやらなくてもいいとは思うんですけど、
だけどそれも大概というか、
全部適当に合わせてはいはいってやっていっていくわけには、
僕はいかないんじゃないかなみたいなところを感じました。
そんな感じですかね。
だから面白いって何ですかねって言われたら結構難しいんですけど、
少なくとも自分が面白いものと人が面白いものは違うよね、
っていうところですよね。
で、取っ掛かりがなければ自分が面白いものをまず出してみてってことです。
出してみて終わって、終わったら反応なかったってなるんで、
なんかやってもらってね。
ちょっとでもいいから声を集めるというか、
それは別にね、全く知らない人じゃなくてもよくて、
友人とかでもいいし、そういうのじゃないですか。
あれなんかずれてんなとかね、え?とかね。
例えば僕だったら具体的に抽象って考えるというか、
それってめちゃくちゃ重要じゃないと思ってるんですけど、
それを考えていなかった人にとっては全然重要じゃないわけですよ。
それは別に馬鹿にしてるわけじゃなくて、
いやほんとそうなんだなって。
でも伝えるときに今このぐらいのレベルとかで伝わってるよなっていうのが、
もし何にも分かんなかったら、
ずっとこの四国にラジオとかもそうですけど、
ずっと自分の話を、
自分の言葉でリスナーを置いてけぼりにして、
リスナーのあなたですよね。
分かんないな、何言ってんだろうとか。
前の続きでとか言われても分かんないじゃないですか。
とか、感じろって言われても分かんないんで。
そこをやっぱり説明していかなきゃいけないですよね。
っていうことをやっている。
そういうことをやらなくなりますよね。
あまりにも通過でやってたらね。
あれでこれでって言ったらね。
それはないじゃないですか。
だからこそ、説明していくとか、
自分の面白いってなんだろうねっていうことを、
プログラムとかアプリとかだったら作って見せるってことはできますよね。
プログラムとかアプリとかでもなくてもよくて、
文章としてこういう作品でもいい、そういう考えたんだけど、
出してみたらいいんじゃないですかね。
写真でも絵でもね。
それを出してすぐバーゼルとか、
誰かが取り上げてくれるっていうのはないですから。
そんな世界じゃないです。
だからそれって難しいんですよ。
だからそれを期待してやるっていう、
それだけ期待するんじゃなくて、
それを期待してもいいんですけど、
その時の趣は自分が考えたことがあって出している。
だから逆に言うと、
頑張らなくてもいいというか、無理しなくたりとか、
あと努力ですよね。
努力難しいんですけど、この概念が。
頑張るとか、すごく何かやって出すっていうのって辛いじゃないですか。
それはあんまり継続しないんですよね、多分。
習慣化するぐらいのできるようなものとか、
勝手に継続しているようなものとか、
これは最近は言ってないですけど、
近いOSってことは言ってますが、
すごい遠い他人事のようなものとか、
すごい頑張って引っ張ってくるんじゃなくて、
気づいたら絵を描いているとか、
気づいたらコミュニケーションの話になっているとか、
気づいたらゲームの話とか、
それ好きだったり、それに取り組んだり、
作る話とかがあるからです。
それをやっててもいいと思います。
人によっては作る話じゃなかったりするかもしれないですけど、
一応この四国離ラジオって作ることだと思うんで、
自分なりの仕事って、
何度も言ってますけど、
みんながみんな作らなきゃいけないとは思わないんだけど、
たぶん作りたい人もいて、
あとやってみると、
自分が関与したものとかが売れたり関わるから、
売り上げついていったりすると、
めちゃくちゃ嬉しいんですよ。
お金がそこに発生しなくてもいいんですけど、
自分が考えたものが認められたり、
よかったよって言われる。
クイズゲームでも面白かったですっていうのはね、
言われるだけでもだいぶ嬉しいわけです。
つまらないっていうのもあると思いますけど、
そういう人もいると思います。
そこなんじゃないですか。
それでそういう声をもらうってこととか、
反応を得るっていうのは、
初人欲求っていうとちょっと違うかもしれないですけど、
だけじゃないですけど、
さらにそれがお金になるようにしていったり、
仕事になるようになっていって、
クイズゲーム制作の重要性
話になっていったらもっと面白くないですか。
それはですね、僕はできなくないというか、
できるんじゃないかなと思ってるんですよ。
本当に心から。
だからダメですよ。
クイズゲーム自体を売るとかね、
それはダメなんですけど、
例えば今回のクイズゲームを作れない人もいると思うんですよ。
あと簡単に作れる人もいます。
でも作れない人と作れる人がいたときに、
このクイズゲーム、
作り方を知りたい人多分いると思います。
どうやって作るんですか。
バイオコーディングっていうけど、
どうやってやったんですか。
そういう情報はあったり、
いろいろあるから試せるんですけど、
それで全然企業秘密は何でもなく、
それをやったときに、
じゃああなたに教えてほしいとか、
おかしさんに聞きたいっていう人がいると思うんですよ。
ゼロではない。
そういう人がいて、
教えてますっていう話じゃないんですけど、
そういう人がいたら、
もしくは出していったら、
それに興味を持つ人も出てくるよねっていう。
そこは開拓ですよね。
少しずつやるしかないかなと思います。
ちょっと長くなりましたけど、
今回はこれぐらいにしたいと思います。
ぜひ面白いっていうのが、
最後に言うならば、
一つ決めてこれっていうような、
完成された何かみたいなのを目指さない方がいいってことですね。
だから、
そうやって言うとちょっと分かりづらいんで、
未完成、
全然できてないなっていうので出そうって感じですかね。
要は、
できてます、できたっていうのを、
完成までに、出すまでに、
いろいろやっても、
やっぱり、
サイクルって言うんですか、
試行錯誤のサイクルが回らないですよ。
回らなくて、
たぶんそれやめちゃうんですよね、途中で。
あるならば、
未完成での挑戦
やめてグルグル重いやつを、
グルグルグルグル回すのが、
重そうな1回も回転してないのやめて、
簡単でいいんで、
そんなんでいいの、みたいな。
それを出しちゃったほうがいいですね。
出しちゃってから、
考えるほうがいいかなって思います。
癖ですね、それってね。
それは、
修正というかですね、
考え方の問題なんで、
そんなことは絶対できないですっていう人もいると思います。
だけど、
多くの人は慣れていったら、
出してやるっていうのは慣れてくるんじゃないかなと思ったりします。
本当に、環境です。
周りがそんな感じだったらみんなそうなりません?
出して考える、出して考える。
それを周りがそうじゃなくて、
うんうんなって出せなかった、
今回はもう完成できなかっただと、
そういうルーブに入ります。
じゃなくて、
完成させて出して、
荒削りに出して、
それを出して、
その手応えを得て、
次やっていきましょうっていう話でもあります。
というわけで、
今回は以上としたいと思います。
ぜひ、未完成でいいのでやってみるとか、
ハードルを上げないということですね。
ハードルを上げてないつもりの人もいるかもしれないですけど、
十分完成にならないってことは、
ハードルを上げてるかもしれないですね。
実際に長い時間かかってやりますっていう人、
コツコツやってますっていう人は、
全然それもいいと思うんですけど、
完成できなかったらちょっと嫌じゃないですか。
だから、
そういう時は未完成でもいいから出して、
フィードバックを得るっていうのもありかもしれません。
というわけで、
今回は以上としたいと思います。
ここまでお聞きいただきまして、
ありがとうございました。
中国リラジオ大橋でした。
以上失礼いたします。