アイデアの概念と保存
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事作りに関して話をしていく番組となっています。
今回ですね、アイデア行きましょう。アイデアがこれとかね、そういうことじゃなくて、アイデアの取り扱い方ですね。声を裏返…。
アイデアって何ですかと、意見であり概念であり、コンセプトであり、その人の考え方、ある種の価値観、視点、めちゃくちゃいろんなことが言えますけど、
アイデア自体をどう取り扱うかという、アイデアの発散、アイデアを出すとか、アイデアをどうするかという時に関して言えば、アイデアの保存ですよね。
貯蓄じゃないな、貯蔵か。ストレージするとか、保存するとか、保管するとか、そんな感じかなと思います。
なんか声がいがらっぽいですね。ちょっとすいませんね。後でちょっと整えてみたいと思いますけど、すいません。
そのアイデアの取り扱い方について少し考えてみたいと思います。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、四国理ラジオ大橋です。よろしくお願いします。今回はアイデアの取り扱い方、アイデアの保存、貯蔵です。
アイデアのフェーズといいますか、その流れでいくと、なんかやりたいとか、課題があるみたいな感じで、こうしたらどうだろうとか、こうしてみてはとか、こんなやり方があるんじゃないかと。
それが重要な会議なのか、プレゼンなのか、雑談なのか、何気ない冒頭してたら出てくるのとか、そういう状況は問わず出てきました。
その次に、それをどうするかということで、実現するかどうかっていうので、すぐ入るわけじゃなくて、例えば会議してたり、冒頭してたらメモしてたり、何かに記憶します。
記録しない人はもうちょっと置いておきましょう。一応何かで記録する。もしくは頭の中に記憶した、もしくはそういう体験した、経験した、ああいうことがあったなっていう記憶化に入ると。
そういう状況だとしましょう。ここまででアイデアを出した、記録した、保存した。今度というか保存とか他のところでもあるんですけど、取り扱い方ですね。
アイデアの公開と特許
一言で言えば、それを誰かに言うか、何かに書いて公開するかって話ですね。公開に近いですか。もしくは公開、公やけじゃなかったら誰かに言う、自分の中でとどめないということですね。
のレベル感、程度についてちょっと話してみたいと。これですね、結論から言うと、いろいろ誤解、誤弊を恐れずに言えばということですけど、言えないアイデアって大したことないよねということになります。
これは別に強い言葉ということではなく、実際にそうで、1個だけ例外は特許ですよね。特許というのは取るときにそれを言っていないとか公やけにしていないということが求められるはずなので、弁理士の人とか詳しいと思いますけど、そういう状況にあるので言っちゃったらダメなんですよね。
言ってなくても当然それが特許制ということで新規制なのか特許の要件は知らないですけど、それが認められないと特許ではなりませんけど、言ってしまっていると問題だよねっていうのはありますから、そこだけは注意です。
しかし特許を取らなきゃいけないとか特許がなければよくないという状況って個人的には僕の感覚ではかなり限られるんじゃないかなと思います。もっと言えば特許を取らなきゃいけないような状況のアイデアを誰かに言うことが怖いので言わないという人は、
プロの弁理士じゃないと特許をいっぱい取る発明家とかそういう人に限られる、もしくは企業とかで大手企業とかそういう研究開発部門にいてやるとかだから、特許を取ること自体が仕事みたいな人とか弁理士でそういうことをやっている人とかじゃない限り出てこないような感覚だと思っています。
つまり特許と言うとよくないんですが、ごく一部みたいな感じです。
要は、例えば僕はWeb SimってAIでアプリとかゲームとかを毎日ポコポコ思いついて作るってことをやっているんですけど、これって俺のアイディアだみたいなのは全然なくて、思いついたのをAIに入れて遊んでいるっていう感じなんですよね。
これについてはあんまりコメントをもらったことがないので、楽しんでやってますねぐらいの感じなのかなとは思ったりします。
どうですかって言って見せて、すごいですねみたいな感じでもないでしょうし、別にそれはできるんですよ。
ブログとかポッドキャストとかイラストとかそういう創作活動みたいな感覚で日々やってますっていう時ですよね。
イラストレーターとか絵を描いている人が日々絵を練習しますということで、どやがる必要はないじゃないですか。
だけどそれができない人にとってはすごいですよねみたいな、そういう感じはあるんじゃないかなと。
でもある種仕送りですよね。
プロトタイプとかツールアプリ自体でそのままお金になるってことはなかなか難しいですけど、その知見は僕は生きてくると思うので、全然面白いと思ってやってるんですけど、
それも話を戻すとアイディアを出すことじゃないですか。公開される形になるんで。
見せるかとか知ってるかとかはちょっと置いておいて、
だけど思いついたゲームとか思いついたツールを出して、こんなのどうですかっていう風に言わないってことですよね、例えばね。
言わないと別に自分の中で溜まってくるんだけど、結構フラストレーションというか不満というかつまらないじゃないですか。
これは言い方も誤解を恐れずにですけど、10人行って行った時に自分は面白いと思ってるんだけど、なんか通じないなってことの方が多いですよね。
僕の感覚ではね。10人いてみんなに伝わることはまずないっていう。
それはあなただから、つまり僕ですね、大橋さんだからそう思いますよねっていうことが多いですよね。
それは当たり前ですけどバイアスですよね。その人の見方とか固定的なものがあるからなんです。
だから僕自身がそのアイディアって言った時に、誰かがアイディアって言った時にすごくワクワクするんですよね。
本当に好きなものが出てきたみたいな感じです。
でそれが通り一遍等と言いますか、なんかよくわかんない一般論みたいなことを言っているとちょっとがっかりしますよね。
これは別にその人、言っている人とか書いている人にそれを求めたいというわけじゃなくて、じゃないんですよ。
じゃないんだけど、その癖みたいなもので何か求めるというか、どういう考え方あるんだろうなっていうふうに思うわけです。
アイディア自体でもいいし、そのアイディアの取り扱い方っていうのは若干抽象高いわけですよ。解像度が高いというか。
だからこの話がそれなりにふんふんと聞ける人は、プロジェクトなり仕事なり企業なり、何でもいいんですけど企画なりにやったことがあったり、それを実現するための何かステップがあった。
1回だとわかんないですよね。1回だとそれが繰り返しとかできないから、2回3回と自分が考えてこういうことをやりたいなと思って、
アイディアの発散をして、それを誰かに言うなり、人を集めたり、一緒にやろうと言ってやって、それを形にしていってできたできない部分があるというのを踏まえている人は、この話がよくわかるんじゃないかなと僕は思って話をしています。
そういう時に今言ったように、こういうアイディアがあるんですけどっていうようなアイディア自体の伝え方が下手くそというか上手いか下手いかあると思うんですよ。
それはプレゼン技術があるとかということではなく、そのアイディアを考えて、これは俺のものだよねって俺が考えた最強のアイディアですよねみたいな話ですごいでしょっていうことではなくて、
それもいいんですけどね。それでもそれがあってもいいんだけど、それだけはさすがにちょっとうざいというか、で何なんですかってなりません?
ITにどうしてほしいのか、もしくはここの部分を考えてほしいのとか、どうなんだっていうことを一緒にやっていく仲間なのか、ユーザーとしての意見がほしいのか、
それとも何か違う視点でのアドバイスが欲しいのか、実現していくためにはどうしたらいいかを考えてほしいのかってあると思うんですけど、
少なくとも別にそれがお客さんとか、誰であったろうがプロ、素人というかじゃない人にとっても関係なくて、
その扱い方が、慎重な人とかダメではないですけど、別に言ったやつは誰から構わず全部公開しろってことではなくて、
思いついたら全部言えってことでもないですよ。そういうことじゃないんですけど、大事にしすぎるとダメみたいなのは正直あるなと。
だけどその大事にしすぎるとダメっていうのは、アイデアを出して何かやろうっていう、初心者とか経験が浅い人向けじゃなくて、若干やっている初心者中級者以上の話かなとは思っています。
サッカーで例えられるかわかりませんけど、ボールを大事にして失わないっていうことをあまりにもやると、
失わないんだけど、攻めてないっていうことで、ただボールを回してるみたいな。それは適度に点を入れたりなんかして、
落ち着かせたり、状況を変えたい時にボールを回して落ち着かせるみたいなのは、戦略的にも戦術的にもあるのかもしれないですね。
ボールを回すというのは、味方同士でパスをするということです。そうやってパスをしていると、相手が隙があったらまたロングパスというふうに、相手に攻撃するパスを入れていくとね。
そういうことをやっていたらいいんですけど、過度にそれを相手に取られるかもしれないからってことで攻撃しない。つまりここで言うと、アイデアの話で言えば、
自分のアイデアがパクられるとか奪われるかもしれないということで言わないっていうね。攻めと守りってことで言ったら、守りに徹すると、
多分サッカーだと点を入れないんで、0対0か頑張っても0対0か、相手に入られて負けるかどっちかなんですよ。
勝ちがないってパターンですね。攻めをしないと勝てないってことです。
だから攻めと守りのバランスはもちろんあるんだけど、盾で攻撃しようとしてませんか?みたいな感じですよね。
盾で攻撃していきたいという言い方を、ランドムじゃないけど、盾勇者みたいなやつあったと思うんですけど、それが否定してない。
だけど、攻撃力ないよねみたいな。アニメが漫画家で盾で攻撃がすごいとして、バンバンモンスター倒してたら人知らないですけど、
ただ守ってて勝てることはないですよね。それはサッカーというゲーム上そうだった。
じゃあアイディアもそういうふうに守っていけばできますよ大橋さんって言うなったら、そうなんですかってなりますけど、
基本的には今僕の言っている局面というか状況は、何か今実現したいものが自分のリスナーの頭の中にあって、
それを形にしていくときに誰にも言わずに何かやろうってすることはまず無理ですよね。
そのアイディアを取られると思う人がいるかもしれないけど、
言うことでアイディア自体が確かにその人に伝わるわけですよ。
伝わるんだけど、それをじゃあ奪ってやろうとかやってやろうという人はそんなにいないんじゃないかなと思ったりします。
そんなにいないんじゃないかって生前説を詰めてくる人もいるかもしれないけど、
そうですよ、生前説ですね。それが仮に信頼できる人がやってしまったら、
信頼失地しますし、もうないわってなりませんか。言葉にもなくとかね。
そういうアイディアっていうのをじゃあそこまでやってやろうみたいな、
盗んでやろうみたいな感じの人が本当にいるかってことなんですけど、
多くは挨拶みたいな話じゃないんだけど、どういう風に挨拶されたかまでをそんなに覚えてないじゃないですか。
こんにちはとかおはようございますとかお疲れ様ですとかって思いません?お世話になりますとか。
言った言わないみたいなのを挨拶警察みたいなのが出てくるアイディア警察みたいな感じで、
アイディアを言った瞬間に奪われるみたいな、警察だから奪われるわけじゃないですけど、
慎重な態度の影響
言ったってことをチェックしてくる、現地を取るっていう意味の警察という表現がネットスラングっぽいやつであるわけですけど、
そういう感じで言ったものを聞いて、そうなんですねって言うけど、やりますってことなんです。
例えばこれはプロ的な意見なんですけど、立場的に、
お客さんがこういうアイディアを考えてますってところを、こういうアイディアを言われましたってことは、
僕は基本的に、抽象化してぼかしたら教育サービスとかいったら別にいいと思うんで、個別の内容は言わないですよ。
だけど、お客さんからもらったアイディアを自分の方でやろうって思うかっていうと、まずないですよね。
まずないです。だから、そこは安心してくださいっていう感じがします。
でも、そういう人って、神経質で言ったら怒られますけど、結構慎重な人っていうのが相談に来るかっていうと、
たぶん僕が信頼できてないわけじゃないですか、その時点でね。悪いかもしれない、言わないでくださいって言ってくるってことは、
もうその時点で、仕事として壁打ちもそうですけど、ならないんで。そういうのありません?
要は、ある刺激というか、仕事をする以前の問題でコミュニケーションってところをおろそかにしてしまっていると、できないですよねっていう。
って僕は思うんですよ、そういう方の場合に。だからやらないですよね、そういう場合に。
いや、なんかその不満だったらもう言わないっていうか、言えないじゃないですか。だから仕事にはならないですよねっていう。
こちらにもね。相手もやり取りができない。だから無理ですよねって。
これでも現実だと思うんで、もしそこをですね、勘違いされている方がいたらヒントになると思いますけど、
この話聞いていないと思うんで、たどり着けた人はそういう話が聞けたという。
なんか別にエラーぶるわけでもないですけど、思いました。
で、どう思いますね、そういうときの話ね。
だから僕自身がやりたくないというのは、魅力的じゃないというよりも、まず僕ができなかったりしますよね。
なんか言われても、こういうことやったらいいんじゃないって言われても、やる気が起きない。
あと専門性とか、あと考え方視点とかそういうのがあって、そうなんですねっていう感じで、
じゃあこういう風に考えたらどうですかとか、こうなりますよってことは言えますけど、
それを自分がやろうっていうことはあまりないですよね。
もう一個言うのが、パクられるっていう不安な人っていうのは、特許の話は置いといて、
それが魅力的なわけですよ、自分にとって。
で、あると他の人にとっても魅力的だと思ってるんでしょう。
これは批判的に言ってますけど、
例えばすごいおいしいコーヒーみたいなのが自分で作ったとするじゃないですか。
アイディアの魅力
これめちゃくちゃうまいよみたいな、自信あるよみたいな。
で、そのクリエイターみたいな人で、自分はこういう表現に自信がありますとか、
それはめちゃくちゃいいと思うんです。
だけど、それが他の人にとっても魅力的かは別ですよねっていうことが、
切り離せるかって話なんです。
切り離せないと、この素晴らしいコーヒーとか、もしくはそのアイディア、
コーヒーを作るアイディアっていうのがあって、
これやれば多分誰でもできますよって思ってるけど、
いやごめん、頑張ってごめん、特許取ってやるかもしれないけど、
全然魅力的ではないや。
てか何これ分かんないよみたいな。
ってときに世の中の人が分からないっていうのはすごく勝手というか、
そういう原因帰属とは言いますが、
なんでそれが受け入れられないかっていうときの寄りどころというか、
責任じゃないですけどね。
考えられる原因をどこにするかっていうときに、
自分によりなのか他者とか社会よりなのかっていうときに、
自分のアイディアが悪いわけじゃないよなと。
相手側が悪いんだよなっていう。
それももちろんありますよね。
そういう場合もね。
あるんだけど、そればっかりじゃないですよね。
もしかしたら自分のアイディアが良くないのかもしれない。
その場合良くないというよりも、
自分が良いと思っているものが他の人にとって良いということとは限らないというわけですよ。
絶対何かその金銭というか、自分が良いなと思った部分のエッセンスみたいなのは
他の人にもあるかもしれないけど、
別にコーヒーの豆で残りカスで作ったボールペンとかいらないわっていう。
別にコーヒーの他の人とか文房具メーカーを責めてるわけじゃないですよ。
でもそういうのってあるじゃないですか。
自分にとってはいらないよ。
でも自分にとっては価値があるんだけど、
その人にとっては価値がない。
逆に言えば、お客さんとかその人じゃない人から言えば、
僕から言えば、第三者から言えば、
別にそれやろうとしてもいいけど、
アイディアを伝える重要性
誰かがいいって思う人がいるんですかねってことで、
それを探すんですよっていうのは全然ありです。
ありですよねっていうことになると、
ちょっとフワッとしてきますけど、
この状況で言ってってこうですってことを言えないと、
ずっと極秘プロジェクトやってて、
お披露目できなくて、終わっていくみたいなね。
でもそれがすごいのかっていうと、ちょっとよくわかんないですよね。
少なくとも、さっきも何度も言ってますけど、
アイディアを考えて自分なりに形にした、
自分でっていうのは自分だけでじゃなくていいですかね。
自分がそのアイディアを持ってたり考えて、
自分が考えたまさにそれを形にしていく経験があれば、
この何かアイディアを誰かに言っていくっていうことっていうのは、
僕に関して言えば、僕で言えば必須だと思ってるんですね。
ステルスで誰かに知られずにやりたいとかっていう、
需要じゃないかもしれないと、
そういう要求があるなら知らないですけど、
誰かに知らせたくないっていう非公開性っていうのを持つがあまりに、
アイディアが見かかれないほうが意味がないからってことですね。
アイディアの非公開性というか見せないっていうのと、
アイディアの磨かれるっていうのを、
もしどういう位置づけがあるか置いておいて、
アイディア自体が微妙だったら公開されても意味ないわけです。
つまり大したことがないアイディアを外に出しても、
別に何も世界変わらないし大したことはないんです。
わかります?
実際にこれが難しいんですけど、
多くのアイディアは僕が出す何かアイディアもそうですけど、
大したことないんです。
つまり大したことないっていうのは、
それ自体が評価が低いっていうことなんですけど、
最初って誰でもそうだし、そんなもんなんです。
こんなことやってみたらっていうのは大体そうなんです。
それを考えていってできるかっていう作業は、
その公開、非公開かっていったら、
公開性にどんどん近づいていくような気がします。
だから人慣れしてないっていうんですか。
なんか初めて、別にこれは否定するわけじゃないですよ。
飲食店というか接客みたいなアルバイトとか、
仕事について、今まで人と話したことないですっていう人に
お願いしたくなくないですか。
慣れてないからダメなんで、
じゃあ仕事としてやらなくていいけど、
普段誰かと話すとか、
いろんな人と話す経験っていうのはどうですかっていうのは、
多分磨けると思うんですよ。
ここが難しいんですけど、
自分なりに工夫してやるしかないみたいなところで、
個別的な何かとかっていうのは、
なかなか言えないわけですよ。
その人の状況もよるしね。
そういう時に、
慣れている人は別にそれを何とも思わないわけなんで、
いらっしゃいませ、こんにちは、どうですかって言って、
終わっていくというか。
別にコストにすらなってない。
話しかけたりなんかするってことね。
だからそれを思うので、
アイデアにおいての、
アイデア自体は勝手に念じてて伝われっていうのはできないんで、
形にしたらわかるですよねっていうね。
リップクリームに見つけるリップクリームに、
形にしたらわかりますよねっていう。
言語化できるものじゃ全てじゃないですよね。
形にしたりサービスにしたらわかりますよねっていうけど、
半々ですよね。
形にして全てわかるんだったら、
プロダクトアウトみたいな感じで、
自分が思ったものを出せば全部うまく通りますよね。
でもそんなことないですよね。
そう、状況として、現実としてね。
じゃあニーズなり、お客さんがいいなと思ったものを作れば全部売れますかって言ったら、
なんか違いますよね。
それはお客さんだったり、
状況を捉えるところでのズレがあったりするわけですね。
しかも変わりますからね。
瞬時にその瞬間にできたらまだ話は別ですけど、
でもそんな瞬時に言われてもねっていうのはありません?
探したいとかね。
今水欲しいって時に水がすぐ出されたら水を買うかもしれないけど、
そんなにインスタントに全てやるかって言ったら、
欲しいと思ったけど実は水じゃなかったかもしれないみたいなのが出てきて、
結局グラつくんですよね。
話を戻していくと、
アイディア自体を伝えるコミュニケーションというものが全然ないのであれば、
それは磨かれないからゆえに社会ですね、
自分がいいと思う部分の世界ではいいけど、
他者とか社会において認められることは非常に低いと。
そうなっちゃうんですよね。
いや、そう思いました、改めて。
実はあなたはどう思いますか?
アイディアを公開せずに何も言いたくないってことであれば、
特許とかはそれでいいかもしれないけど、
でもその特許性のある高いものとか、
ものじゃない場合がほとんどだと思うんで、
そういうものって言っていったりなんかしないと、
仲間であるとか、
仲間じゃなくても意見をもらえない気がするんですよ。
そういうことをやりたいんですね。
じゃあこういうのどうですかって。
ドラゴンクエストじゃないんですけど、
ロールペンゲームにおける街の人に話して、
冒険を進めてってこういうことをしたい、魔王を倒したいんだとかね。
そういうのをやりたいんですっていうことを言っていかないと出ていかないと。
それは発信力っていうのかっていうと、
それもあるんでしょうけど、
少なくとも僕に関してはその発信力があるとは全く思ってないんで、
言ったからなんかできますってことはないんですよね。
言うことで忘れてたり、
その話ができる方が面白いんじゃないですか。
仕事づくりもそうだし、ビジネス企業ですよね。
その話を僕は結構したいんですよね。
したいんだけど、なんか妙な怪しいやつばっかりあるとちょっと違うから、
そういうの全部排除して、
とはいえクリーンっていうのも完全なわけじゃないわけですよね。
スタートアップでも怪しいというかね。
アイディアの取り扱い
某サービスがね、生産されたのかあれは。
なくなりましたけど、なくなるってことですけど、
被害になった人には、
被害になった人はもちろんね、悔しいというか見抜けなかったとかいろいろね、
恨みつらみはあると思うんですけど、
ただ、スタートアップだから全部排除して、
スタートアップだから全部社会のためで、
投資家のためで、すべていいみたいなのもないわけですよね。
スタートアップを真面目にやってる人もいると思うんで、
それは一つの例外だと思うんですけど。
だから一つ、
クリーンな環境っていうのはなかなかできないもんですけど、
ただ、気持ちとして環境として何かやっていこう、
仕事づくりやっていこうとか、
気をやっていこうみたいな話っていうのを、
ポジティブに捉えて、
自分のやれることを絶対せずとはいえ、
他人が何かやることばかり見てるわけでもなく、
バランスをね、
保って、
やっていって、
丁寧にやっていこうっていう人たちは僕はいると思うし、
少なくとも僕がやれる感じでは、
それをやっていきたいっていうね。
集まる場を作るとね、
仕事づくりスペースってことですけど、
それをもっとやっていかないといけないのかなとは思いました。
アイディアの取り扱い方の話ですけど、
分かりますよ。
アイディアをそこで言っちゃうと、
取られるっていう人は分かるんですけど、
それを自分で実行できるならいいけど、
できなかったら言ってもあんまり意味ないよなとかね。
あとはもう一個だけ言うと、
アイディア自体の数が少なくて、
それに固執してしまう人は、
なかなかって感じしますね。
というかできないですよね。
これをやらなきゃいけないって思っちゃうと、
そのアイディアを実現するっていうのは、
別にあんまり意味なくて、
それで課題や社会や何か問題が解決したり、
良くなるっていうのが価値だったら、
そのアイディアを解決策っていう意味のアイディアを
実行する意味っていうのは限られますよね。
って思えるかどうかなんですけど、
思わないんじゃないかなと思いますね。
そのアイディアに固執してしまう人。
自分とアイディアの一対一にひも付いていて、
そのアイディアを否定されるとすごく怒ったり、
否定されたと思って話が続かないとかね。
そっちの人の方が多い気がします。
面白いですよね。
だからアイディア自体を話せる人がいなかったり、
ビジネス自体について話せる人がいなかったりすると、
そういうことになるんじゃないかなと思いますけど、
総合力じゃないけど、
いろいろやって、
見極めていかなきゃいけないんで、
アイディアだけの話してますけど、
取扱い方してますけど、
その取扱いをこういう風にやればいいかなみたいなのを調整して、
ボリュームみたいにカチカチってやって、
じゃあこれは高快度5か6かなとかね。
そんな風な定量ができないから、
人によるし状況によるしアイディアによるみたいな話になりますよね。
主張として最後にまとめますと、
特許みたいなやつで行っちゃいけないやつだったらダメですけど、
特許取りたいっていうのが特殊だと思うっていう風に考えたら、
多くは誰かに言わないとアイディアが磨かれないので、
社会との関わり
故にアイディア自体が微妙みたいな。
アイディアがひなっていう小さいふわふわした可愛い存在だったら、
大切に育てなきゃいけないんですけど、
大切が故に引きこもりでね、
たまにありますけどね、外に出さないみたいなね。
それはやりすぎですよね。
社会性なり世の中だったり、
社会の知識とか何かわかりませんが、
そういうのをやったり、
あとは外での生き方ですね、集団。
集団社会ではないけど、
その社会でどうやって生きていくかみたいなところも
トレーニングしかないと困りますよね。
ごはんって言ってご飯が出てくるところで育った人は、
ごはんって言うんですかね。
困りますじゃないです。ご飯出せって笑い話ですけど、
そんな感じですよね、アイディアについても。
アイディア自体を伝える練習みたいなのっていうのが、
プレゼンみたいとか、
新規授業、アイディアコンテスト、ビジネスコンテストみたいなものじゃなくて、
これはいい気づきだと思いました。今言ってて。
普段言えてるかやられてるかってことなんじゃないですか。
それがやれてる人は、僕はやってるんですけど、
アイディアに固執しなくなるはずなんですよね。
だからアイディア自体に僕は価値がないとかは思わないんだけど、
それ言い過ぎなんですけど、
やれてない人はそれを守るような感じはします。
このあたり面白いとこだと思いますので、
気になった人はぜひシーゴクリスペース、
調べていただいて、ディスコード、
今回はもうさすがに前回も宣伝したので載せないですけど、
興味あれば引き続きそちらでもお話ししましょう。
というわけで今回は以上となります。
シーゴクリスラジオ大橋でした。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上失礼いたします。