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2026-01-30 14:41

守破離的なものにAI活用を入れていくのは面白いかも

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守破離的なAI活用ネタはこちら
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2601/29/news008_3.html
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サマリー

今回のエピソードでは、守破離という考え方を通じてAIの活用法について考察しています。形式値と暗黙値の役割や、それぞれの重要性について議論が展開されています。また、AIの活用と人間の学びの重要性についても語られています。守破離の視点から、型を持つことの必要性やAIと人間のバランスについて考えられています。

守破離の概要
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。このシゴクリラジオはパーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。よろしくお願いいたします。
今回はですね、AIの話ばっかりしてますけど、AIと使い方?なんか面白いというか、僕ではなかった視点があった記事がありまして、そこからですね、AIの活用法みたいな。
それはですね、またリンクを貼っておきますが、AIの守破離ですね。守破離というのは、スポーツでもね、何か上達をするとか、学習なんでもいいんですけど、守る、破る、離れるとの考え方ですね。
原点というかね、ソース何か忘れたんですけど、よく言われるかなと思います。その守破離を重ねた、この書いているフィッシャーの方の考えというのがあって、これは面白かったので、それを紹介しつつ、じゃあどうやってAI使っていくか、もしくは人がどこを考えるか。
改めてその点を考えてみたいと思います。AIと人、考えることを興味があれば引き続き聞いてみてください。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いします。今回ですね、テーマとしては、AIと人、人とAI、考えるところを人間がどこをやったほうがいいかみたいな話です。
これはITメディアですかね。村上さんという方が書いている記事で面白かった。ご興味あれば読んでいただいて、守破離というところにおいて、問わしてみますと、守破離って3つあります。
その時に、村上さんという方の考えだと、主の部分は形式値じゃないかと。それはAIでどんどんいいんじゃないか。ただそれは形式なんで、そこを学ぶんだけど、あくまでも仮説を立てる土台とする。
要は調べるときにAIとか、ざっくり教えるときにAIを使いましょうと。もちろんこれは想定されている仕事とか、物によって変わってくると思いますけど、それは偏りがあると批判的に読んだほうがいいかなと思います。僕の意見も同じくですね。
次は歯ですね。2つ目は現場で暗黙値を得ると書かれていまして、主で最初にAIを使って形式値的にふわっとした教科書的なと言いますか、概要的なものを抑えて仮説まで立てたんだろうけど、こういうことかな。
だけど実際に現場で見たら違うよね。そこにあるものをちゃんと得ようね、ちゃんと見ようね、ちゃんと感じようねということですね。こっちがわかりやすく暗黙値と言われていたりします。つまり形式値は主でAIで対応できるけど、主派の2つ目ですね。
実際にその型だけでは意味がないので、暗黙値と言ってますが、人間とか現場でしかないようなこと、出てこないんだけどここがポイントだよねっていうようなことを見つけていくと。
最後の理ですね、主派理の理で、最後は得た知識と形式値と暗黙値を行き勝って言語化していくというようなことを言っています。なので、両方使いましょうということですね。
仮説の重要性
ということをやっていくといいんじゃないかと言っていて、これちょっと面白いなと思いました。ただいずれにせよ、形式値と言っているのがAIがいいのかというと、正直わかんなくて仮説が立てられる程度の突っ込みや学びや何かがないと、これってどうなっているのかよくわかんないよね。
その基礎の基礎みたいなものってどうなんだみたいな。現場で得るっていうのも言ってるんですけど、現場でじゃ何みたいな。実際に試すってことが重要になるんですけど、それって何なのっていうところ。そこがフワッとしそうだなっていうのも感じました。
最後に理で言語化するという話なんですけど、この生き返すというのはそもそもAIにもっと手前の話で何かを聞いたときに、それって何っていうことを自分で言語化してないとAIがいい回答というか望むものはないですし、望んだものが出てきたとしてもそれをジャッジできなければ意味がないので、
もっと言うならば常に理かなっていう。つまり形式値であるAIと暗黙値である人間というのがあったときにそれを生き返る感じですね。人間側は暗黙値というわけでもないし、AIの暗黙値はちょっとわかんないんで、人間側で言ったら形式値暗黙値っていうのは多分あると思うので、それを出せるかどうかっていうところがポイントになっていくんでしょうねっていうのを感じました。
ただ、ここで注目というか面白いなと思ったのが、このSHUHARIという人間が上達したり学びを得ていくようなフレームワークというか考え方を、このAIの使い方といいますか活用ですよね。話を言っているというのが面白いかなと思いました。
実際そうなんですよね。いつも思うというか、これですね、直接僕も聞いたことがあるんですが、仮説ってなんで出てくるのみたいな話なんですよ。さらっと仮説を立てるって言うんだけど、ここがですね、僕は意外に難しいなと思ってまして、できている人は普通にできるんですが、仮説って言われたときに結構固まると思うんですよね。
慣れてないと。つまり、AIからいろんな知識を得て出てきたんだけど、これってこういうことなんだろうかみたいな問いとか疑問が出てくるかなんですけど、出てこない。出てくるよっていう話と、いや出てこないみたいな。そうなんだーで終わる話もないですか。
とか、興味関心ということで、それってなんでだろうねって全く思わないというか。で、なんでそのことを言えるかというとですね、日々ニュースを見たり、もしくは人と話したりしたときに、もしくはその仕事の出来とかチェックするとかでもいいんですけど、それってなんで疑問に思わないのって。
仕事としてはこれぐらいのクオリティがいるんだけど、そうなってないですよねってときに、そうかって思う人もいれば、いやなんか別にいいと思いましたっていう人もいるわけじゃないですか。だから、いい悪いじゃなくて、疑問に思うとか問いができるということは、すなわち仮説を立てられるということですけど、これってまずいんじゃないかみたいな。
だから、こうしていきましょうっていうふうに、分けられる人も重要ですよね。分けられるという考え方も重要ですよね。その問いと仮説と実際に仮説を持ってやってみたらこうだった。その問いと仮説とその結果というのを分けられない方も多いんじゃないのかなと思いました。
これ見てて。この主題とは違うんですけどね。なんか問いがあって、問いはあったけど消えてって、実際に何やってるかは関係ないとか、あとその仮説に対しての検証ではなかったりするというか。
っていうのもありそうだなと思ったんですが、そのあたりでいかがでしょうか。AIを使うとその問いがどんどん出てくるということは多分ないと思いますし、仮にAIに問いを出させても、その問いが人間側が考えてそういうことを思ったよねっていうことを人が考えた問いじゃなかったらあんまり意味ないですよね。現場行ってもね。
AIがこう言ってたからこうだよねっていうのはあまりにも人間の主体性がないので、それをサポートとして使うのはいいんだけど、あんまりっていう感じですか。仮にそれをシミュレーションとして使ってても参考程度にぐらいじゃないですかね。
こういうのって。だから仮説っていうのは自分の問いを自ら生み出すこと、もしくは何か見てて生み出すことなので、そのあたりが非常に難しいような気がしました。
だからAIのスロークを見て、こういうふうに言えるなっていうふうに言えるっていう人は、その時点で諸張りの理ができてるというか、別にこれの資料というかツッコミではないんですけど、そんなことを思ったんですよね。
AIと人間の関係性の重要性
生き返ることができる人ならやれる。でも生き返るまでに形式値として手でガンガン固めてかささせていくっていうのは、ちょっといいのかどうかわかんないですね。ただ人が現場に行くとか、そこで見るっていうことはなくならないと思うし、その部分は人がやるべきだし、人がやったほうがいいと思うんですけど。
そのあたりがちょっと気になったというか、僕の中でもなんだろうなっていうところは正直ありますね。だからAIをうまく使うって言っても、その人によって状況が違うわけなんで、そのあたりをどこまで人がやるのかAIがやるのかっていうのを分けられるかみたいな話になりそうです。
手張りでもいいですし、あといわゆるジョハリーだったかな。なんでもいいんですけど、その型をまずつけてそれを今度は破ろうとして最後に独自の型みたいになっていくためには型は必須なんですよね。ってことは基礎や基本は誰かから教わらなきゃいけなくて、AIに教えてもらったとしても、それが動画であろうがなんだろうがなんでもいいんですけど、型がないと基準がないので型は作らなきゃいけないんですよね、結局は。
だからその型ってなんだろうねみたいな時にAとのやり取りでどこまでできるかは正直わかんないですね。だからどちらにせよ人間がやってみる試してみるっていう、人側がどれだけ自分の主体的にとか問いを持って仮説を持ってやれるところがないと形式地ですら形にならないというか、
人間側の学びにならないような気もしました。というわけで、手張りみたいなものでもいいですし、自分の学び方とか仕事の仕方のところを一回洗い出してみて、それでAIがどこに入れた方がいいか支援するならどこがいいかを考えていくと面白いかもしれないです。
それをやると意外にAIがやれることが多い。気づくとちょっと自信なくしたりとか嫌になっちゃったりするかもしれないですけど、そこは乗り越えて人の判断とか、今のところですよ、人の判断、現場というか見る感じる違和感とか、いわゆる想像性とか思わぬアイディアとか、
そういった部分はAIが出してくることは難しいと、今のところは、正しい今のところはとなっているので、そこを磨いていくしかないですよね。これは何度もAIの話をしているときは大体言っているんですけど、人間社会というか社会自体はAIの社会じゃなくてAI社会というけど、
AIが活動する時代ではあったとしても、人間同士のコミュニケーションとか人間が同士で面白いということをしないとつまらないですし、人間って集団というか社会的な生き物なんで、AIと話してそれで生活できるというのは、最終的にはそのAIが社会とか他の人とつながっているという前提なわけじゃないですか。
情報を得るでも、それ誰かが人が出したもので、AIが出したものをAIが学んでいたら何かちょっとおかしくなるみたいな話があったりするようなんで、そこは結局人とつながるというか人との話が大事になってくると僕は考えています。
信じる信じないとかいう話じゃないんですけど、そっちを信じたいですよね、信じるかどうかだったら。AIで全部終わっちゃいますっていう風だったらもうつまらないんじゃないですか結局ね。
使ったほうがいいと思いますけどね、うまくね。うまく使ったほうがいいんだけど、それで人間が自信をなくしたりとか、人間のやる気をそぐのであればそんなにいらんじゃないかなっていうね。
一方で合理的に効率的にという動きが出てくるから、そこでどう立ち回れるか立ち回るかということになっていくかなと思います。
これはもう結論はないですので、やっていくしかないというか考えて生き抜くしかないですね、とは思いました。
AIを結局うまく使えるという状態ってどういうことかといえば、結局ですね、AIだけじゃなく人と話したり人とのやり取りとか自分で考えてやるっていうそのバランスだと思うんですよね。
AIだけとか人だけとかっていう風に偏らず、これはハイブリッドと僕は呼んでるんですけど、両方あったほうがいいかなと思います。
好き嫌いとか好みとかあると思いますけど、AIを使ってない方はぜひ使っていただいてどうかを感じていただき、
AIを使っている方はAIだけでやろうとせず、人とかコミュニケーションとか入れてみるといい塩梅になるんじゃないでしょうかと。
今回はそんなところで締めたいと思います。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
シゴクリーラジオ大橋でした。
以上失礼いたします。
14:41

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