00:03
はい、こんばんは。シゴクリラジオ大橋です。今回もよろしくお願いいたします。
このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
対話型旅行プログラムの概要
今回のテーマは、共有すると言いますか、あるサービスのリリースがありまして、そのリリース記事を見まして考えたことです。
そのサービスというのは、JTBですね。旅行会社JTBが、新規事業なんでしょうが、対話型旅行プログラムここ取りという旅の話をして、元気になってもらうと。
健康増進とかを保証するわけじゃないんだけど、心理的なものではなく、話していくことで主体的幸福というんですか、お金が増えたから楽しいとかそういうことじゃなくて、自分が面白いんだと思えることを目指す。
そっちをやるとより良くなっていくんじゃないか。なんで別にそれで旅行する人が増えるとかはちょっとわかんないですけど。そういう授業がやられるということで、またURL貼っておくんですけど、そういうネタがありました。
そこから感じたことがいくつかありまして、その話を共有していければいいかなと思います。対話というか、話すとか雑談みたいなね。
雑談ブームを去年、一昨年とかに雑談いいよねってずっと言ってたんですけど、結局この四国理ラジオも雑談みたいなものなんで、主張は変わらないですね。
だけど改めて雑談いいよねっていう、そんな話をまたしてみたいと思います。ご興味あれば引き続き聞いてみてください。今回もよろしくお願いいたします。
四国理ラジオ大橋です。今回のテーマは対話、話をする、雑談することは良いことだっていうね。テーマ設定は雑談ですが、雑談とかいいですよねっていうところですね。
構成というか流れとしては、さっき冒頭お話したJTBのココトリという対話型プログラムみたいなのがあって、詳細はリリースをぜひ読んでいただいて、そこで感じたことをいくつか話していければいいかなと思います。
まずこのJTBのココトリというプログラムの概要だけですね。話をざっくり言うと、要はJTBって旅行会社のイメージありますよね。実際ならどうですか。そうなんですよね。JTBって会社が旅行会社かそういう感じ。旅行会社?旅行事業を企画して販売しているわけですね。
まあありますよね。窓口とかね。JTBの窓口とか。ないのかな?ありますよね。ありますあります。
で、このJTBが新規事業だと思いますが、天井員さん、旅に同乗する人とかもそうですが、を中心だと思いますが、そういう人がまずいますと。
で、その人に何回か2回かな。2回ぐらいセッションということで、セッションというのは聞き慣れないかもしれませんが、コーチングじゃないけど対話というか話す場においてのその1単位みたいなものです。
例えば60分で1セッションとかそういうふうに言ったりしてて、その対話の場のやり取りの全体のことを言いますね。1回と考えてください。そういう単位のことですね。
で、2セッション確かあって、1セッション最初にやって話をして、途中なんかあるのかな?フィードバックあるのかわかりませんが、ちょっとすみません。そこはしっかり見てないんで。
もう1回やって話していくと。で、時間も60分のものかな。時間も書いてあると思いますが、そうやって話をすると。
で、何でそんなことをするかって言ったら、新規授業ということで全然違うこともあるんでしょうけど、旅を全くしたことがないっていう人だと、多分ちょっと対象じゃないかもしれないですけど、
昔旅したとか、もしかしたら旅してないんだけど旅しようと思ってるとかもいいかもしれませんけど、どこか行ったことみたいなね。旅行と言ってもいいんでしょうけど、言わなくてもいいんでしょうけど、どこか遠くへ行った体験で、
そういうところで話をしてもらうことで幸福度を上げるみたいなね。幸福度を上げるというとちょっと、おごそかっていうか言い過ぎな感じもするんで、なんか楽しくなるよねっていう。
でもそれぐらいの設定しかできないなって思うんですよね。僕も見てて。で、保証するわけじゃないですよ。楽しいなって思うじゃないですか。
そうすると、なんかもうちょっと違うことやってみようかなとか、小さなことでいいからやってみようってなって、要は前向きになると。
で、これってですね、僕がビジョンとかミッションというか個人のですよ、僕自身の。ぶっちゃけどうでもいいよねとか思いながらも、掲げておいて何やりたかったんだっけって時に思い出しやすいから掲げておくとかはいいですよ。
開示しなくていいですけどね。で、一応そこの中に開示しているというか、たまにこのラジオ、ショークレイラジオでも言っているので、もしかしたらご存知の方もいるかもしれませんが、初めての方向けに言えばこのアイデアを出したりすることで、仕事じゃなくてもね。
なんか要は他に選択肢があるんじゃないですかとか、なんかもしかしたら見えてないだけかもしれないですよねとか、あと今じゃないとかね。別に占いじゃないですけどね。そういうところで失敗も許容しつつ、希望と言ってもいいんですよね、たぶんね。
だけどそのイメージって、僕もそんなに実は沸いてないんですけど、諦めなきゃいいよねってことなんだけど、自分一人でやるのはちょっとストイックすぎません?もしくはストイックだからできる、もしくはできたからストイックだみたいな話があって、成功者バイアスですよね。
だから上手くいったからできたからそういうことだよねっていうのも正しいっぽいというか、それが正解っぽいじゃないですか、上手くいった人の何かって。でもそういうことでもない要素がいっぱいあるなっていうのもありますよね。
小さな幸せを探求する
すみません、ちょっと脱線したので戻すと、そういうふうにですね、僕自身も世の中の人が僕も含めてアイデアを出したり、選択肢として出したり、こういうことをしてみたらいいんじゃないかっていうふうに現状がですね、仮に上手くいってる上手くいってないに関わらず思える人が多い方が幸せなんじゃないのかなってことをですね、ご機嫌って言ってるんですけど、
それご機嫌な社会のイメージって結局、前も言いましたけどここに国語辞典があるんですけど、この国語辞典を調べたりするのがめちゃくちゃ楽しいと。
生き甲斐だみたいな。生き甲斐って言わなくてもいいんですけど、なんか楽しいねぐらい。もしかしたらちょっと楽しいねぐらいの方がいい。控えめでね。いいかもしれないです。でもそのちょっと楽しいねっていう控えめの楽しさ、面白さで、いきたいっていうのもちょっと大げさなんですけど、がいいっていう。そういうのでいいっていうね。
要は人の幸せがもう相対的だしわかんないんで、なんか知らない言葉知れたとか、この言葉調べたかったんだって思えるようなことが多分幸せなんじゃないかなと思ったわけですよ。わかりますかね。伝わりますかね。そういうの。
だからそれがこういうことをすると幸せですよっていうのはほとんど当てられないというか、嘘って言ったら怒られると思うんですけど、僕が言ってることを嘘かもしれませんけど、違反的に捉えていただいて、でもそれで自分が心から本当にそれでいいじゃんって思ったらそれでいいんですよって思うんですけど、どうですか。
ネタのあなたはどうですかと一体返しておきながら、なんかですね、その部分で比較してしまったり見えてしまうからどうかって思うんですよね多分ね。でもなんかね、常々言ってるんですけど、そんなにたくさんの幸せを得たいんですかねって話で。
もう一回辞書をこうすると、辞書を調べてわからないことばかり調べて楽しいねっていう。もちろんそれを仕事にしてお金を稼ぐとかってことじゃないならまた別なんだと思うんですけど、なんかあるじゃないですか、お金を稼ぐことは別で、趣味は全然違うもので楽しむんだっていう。
その考え方は全然否定はしないですけど、できたらなんかあんまり全然違うふうにしない方がいいんじゃないかなって思ったりします。これは僕の考え方です。
で、そうやって小さい幸せでいいから、得られることでなんか楽しくなれません?また。楽しいから幸せでもいいし、幸せだから楽しいでもいいんですけど、少なくともそういうのいいよねって言ってない人には幸せって多分得られないものだと思ってまして、哲学的だと思うんですけど。
結局これ意味付けなんですよ。人生の意味付けなんですよね。わかりますかね?伝わってますかね?だからぶっちゃけ意味付けなんていうものはいくらでもできるので逆もあるわけです。
イビルというかイビルかわかりませんが、悪ですね。悪的、要はそれは楽しくないよと。だから別に楽しくないのはいいんですけど、同時に辞書を引くなんて信じられない。そんなことはやるもんじゃないみたいな。よくわかんないですけど、調べると頭悪くなるみたいなぐらいのね。難句性がつける人はいるとするじゃないですか。
辞書とか言葉を調べるの嫌いな方もいると思いますけど、その時に嫌いだから、なんて言うんだろう、やらないと。で、それはいいわけです。やらない。
で、じゃあ何だったら楽しいと思うんですかっていうことになってくるんで、要は水がコップに入ってて半分入ってたら半分もあるのか半分しかないのかっていう話と似てるっちゃ似てるわけで、仕事も面白いものがあるんじゃなくて、面白くするか面白くできないかって話だけだと思うんですよ。
自分の経験とか見方とかあるじゃないですか。だから辞書を引くってことも面白いという人もいれば、いやー楽しめないですねっていう人もいると思うんですよ。
でもその探索というか探求というかわかりませんけど、その活動はやめれないんじゃないかなと思ってるんですね。僕は勝手に思ってるんですけど。で、そういう探索活動をしてた時に、これいいじゃん面白いじゃんっていうのがあれば、割と生きていけるんじゃないかなって、それがまさに幸せなんじゃないのかなっていうふうに思ったりします。
で、その小さな幸せみたいな話で全然いいんですけど、小さな幸せっていうものが誰か定量的に、大橋さんこの辞書をめぐるのは幸せ楽しいんですけど幸せって認定してもらっていいですかっていう、ショートショートのネタみたいになりそうですけど、そんなことはできないし意味がないわけです。
で、その自分がご自身がですよ。リスナーのあなたご自身がいいと思ってたらいいわけですよね。で、そこに反社会的とか倫理的にやばいなってやつはちょっとやめていただきたい。そんな人は聞いてないと思うんで意味ないんですけど、そういうふうに思ってます。
で、それをやってたら幸せじゃないですかって。それでいいじゃないですかって。何をそれ以上何時は求むのかって。何時ってのはあなたってことですよ。ご自身は求められるんですかって話になってきて、あと欲との戦い方なと思います。戦ってるわけじゃないですけど、別に欲としてそれを欲しいなら得ようとしていいんじゃないですか。でもその欲は消えることはないわけで、一生続くんじゃないですか。
対話と幸せの関係
で、あればこれはだいぶ前のストーリーに話したような気がしますし、意外に図解にもしてるんですけど、幸せを感じる域地、要は感じる度合いですよね。要はその域地というのが低ければ低いほど、先ほどのペン回しができたから、確かペン回しは届いてない。なんか楽しい、もういいや。今日一日いいなっていう。その感じです。わかります?ペン回しまくったとか。
あと通勤とかね、車で通勤されてる方がいた時に、自転車なんですけど、信号を全然止まらずに会社というかオフィスというか勤務地、勤務場所に行くことができたと。一回も引っかからず幸せになりません?
そういうことだと思ってて、なんだ通れたよねっていう人よりも、なんか通れて楽しんだよねっていう方が、僕は、僕の定義ですよ。僕はご機嫌だと思いますし、幸せだなと思いますし、そういう人の周りにはそういう人が寄ってくるっていう気がしてますんで、そういうご機嫌でやっていこうと。無理しなくていいですよ、は思いました。
だいぶちょっと長くなりましたが、そういうふうにJTBのね、商売というかサービスを見て思ったんですね。もう一個は、ずっと最近言ってますけど、違和感発想法っていう体験レビューというかもやってるんですけど、これ何やってんだろうねっていうね。
一周したわけじゃないですけど、考えてって思ったのが、まず期待値があったわけですよ。僕の中ではね。このツールを使うとアイデアが出る。でも前も、前回かわかんないですけど、僕が使ってみてもアイデア出ないときも全然あるわけですよ。
自分が違和感発想ツールを一応作った人であり、ツールも作ってるし、それもめちゃくちゃ慣れててやってるんですけど、でも出ないときがあると。そう考えると、確率の話じゃないですか。
要は10回使って1回も出なかったら困るけど、10回もやったら多分出るよねっていうのは何かある。もしくはさっきの位基地の話で、気づきとか学びがあったから使えるよねって思う。要は使える位基地が低い人の方がいいわけですよ。要は求めすぎてないっていうね。期待値が高いとダメってことですよね、基本的に。
あと、絶対アイデア出るわけじゃない。だけどアイデアって出るよねって思い込んでた。だけど、ちょっとだけどが多いですけど、そのやってる人のアイデアっていうのは、そもそも記憶にアクセスしますから、経験とか体験。だからそれが乏しければ、やっぱり平易なものというかしか出てこない。それにアクセスが慣れていないのであれば、それもありふれたものしかない。
最近聞かないですけど、ちゃんとGPTとかAIにアイデアを聞いても平凡なものしか出ないっていうのは、基本的にはその問いかけが平凡だったりするわけですよね。それはあると思います。だけど、自分が知らないものとかっていうのをAIが知っているとしても、そのギャップっていうのを支持しないと。
要は知っているものはこれでそうじゃないものとか、その前にAIに今日面白かったことがあるなんですかって聞いても出てこないのと一緒で、面白いっていうののAI的な定義があって、AIがそういう風に学習していて、ギャップですよね。従来とは違うようなものを出してくるってことが面白いって言ってるわけで、定義しないといけないわけですね。
自分が知らないようなものっていうのをね。でも、それが定義できてたら書けるので、ちょっとは出てくると思います。だけど、それに満足するかはちょっとわかんない状況ですよね。話を戻しますと、そういう風に体験によるし、引き出せるか、記憶を引っ張り出したりできるか。前も言いましたけど、抽象化できるか、体験を。これはどういうことなんだ。
今回であれば、そのまま出してますけど、このJTBSのココドリですね。ココドリってプログラムを見て、何を思うかは皆さん、人それぞれで。そういうのを新規授業でやってるんだねっていう人もいれば、旅行会社がそんなことやってるんだねっていうふうに面白がる人もいれば、風雲っていう人もいるわけじゃないですか。全然それはいいんです。
僕は風雲で止めずに、これなんかヒントになるな、ネタになるなと思って話してたりするわけですよ。そういうことです。引っかかったんでメモしたり、どういうことだろうと思って、調べるというかメモしているわけですよね。
こうやって話していくと。記憶や体験に残ると。全部覚えてるかはまた別です。一応メモはしておくと。そうやって、いばかん発想ツールの話に戻していくと、体験レビュー、ツールを使ってもらってるわけですけど、感想とか体験してもらうときに何か思うのが、さっきも言ったとおりで、期待しすぎているよなっていうのが改めてわかると。
一方で、こことりと被せると、健康増進とか心の活力みたいなのを別にやってはないんですけど、コミュニケーションできるじゃないですか、体験する人と。本当にお願いしますとか、やってみたいですってなってるんですよね。
それが一人とか二人とかポツポツなんですけど、そうやってって何か思うのは、これは僕の特性だなと思うのが、そういうやり取りは全然嫌いじゃないですよね。変な人はダメですよ。コミュニケーションできないとか、報酬もたくさん出してるわけじゃないんで、ポイカスみたいな感じで、やっつけ仕事というか、何も理解してない人とか。
それは論外、別の話で。そうじゃない方もいらっしゃるっていうのが、ネットの世界なんで、そこはネットなんですよ。まともにコミュニケーションできてやりたいなっていう人だったら、全然やっていただきたくて。
最初はいろいろ改善してて、企業とかビジネスとかテーマをしっかりしないと、これ使えないんじゃないかなと思ったんですけど、そうじゃないなって思い始めて、そこも直したりして、何でもいいんじゃないかって。
で、結局、さっきの辞書を引いた今回のココトリっていうプログラムのリリースを新聞というか見てたら気づいたってことなんですけど、何でもいいんですけど、それ気づいたことから何を学べるかってことだし、メモするかって話だし、
それを、違和感もそうなんですけど、こういう人いるし、こういう流れあるし、こういう情報とかこういうのあったなっていうのを紐づけるかってことなんですよ。紐づけるかどうかです。練習ですよね。そんなに気にできない。
対話の楽しさと可能性
それをやっていくと、スパークというか紐づいて、違和感を出してくださいじゃないけど、そういうことを何回もやっていくと、それこそある一つで、もしくは何回もやっていくと何回も引っかかりがあって学びになるという感じがしてます。
なので、1回ではできないから何回もやってもらう必要があるので、そういう意味でツールとして1回やってどうですかっていうのは、もしかしたら設計として良くないかもしれないです。だけど、じゃあ3回やってくださいとかも、楽しさがなかったらしんどいですし、1回かなと思って。
そこは体験をお願いしている以上しょうがないかなと思いますし、それがお願いせずに使ってみたいという人がいたら別に使ってもらえばいいわけで、そういうところで学べるというか遊べるということになっていくなっていうことをちょっと感じましたね。
話せる、コミュニケーションしていくということが、話すまで戻していくと、全然このツールを体験してくださいということで、誰かとやりとりするということが億劫とかやりたくないということはなくて、そういうの嫌な人いません?面倒くさいという人。
それはないんですよね。むしろ楽しい。どういう人に出会えるかなって楽しい。いろんな人がいるんだなっていう。これだけでも収穫ですけど、体験してもらうということの本来の意味ではないですけど。
複雑物が多いんですよね。もうちょっと違う例でいくと、そのしおこくりスペースだとか、しおこくりのディスコードというのはそういう感じで、ニュース記事とか平日は毎日上げてますけど、そういうのを上げていくことで何か気づいたり、こういうのいいよねっていうふうに本当に緩やかな場を作ろうとしているわけですね。
興味があれば全然しおこくりブログから見れますので、検索してみてください。
公園で立っていることが多かったんですけど、そういう場を僕の中でイメージとして。公園の遊具とかあるじゃないですか。滑り台とか月山みたいなやつあるのかな。
あとブランコとか回すコーヒーカップみたいなやつとかね。あとシーソーとかいろいろあるじゃないですか。そういう遊べるやつって。そういうのって楽しくないですか?遊べる。
シンプルで分かりやすかったりする。そういう遊具みたいな存在?違和感発想ツールがそんな遊べるか分からないんだけど、できるんじゃないかなっていう。
ある種の勘違いであり、ポテンシャルという可能性、潜在的可能性もあるんじゃないかなっていう。
別にその出したアイディアを僕が否定するわけでも評価はしないですし、評価自体は全然してないですよね。別にいいんじゃないですかって感じですし。
アイディアの出し方としてどうかぐらいはちょっと言ったりしますけど、まあまあまあ、本質とか狙いではないですよね。
まあまあまあ、それは僕が全然やりたいところでやってる感じです。
もうちょっとハードルを上げるとストリートピアノみたいな、300台くらいあるかな?どっかで見ましたけど、全国でね。
街中にもあるか商業施設か、自治体じゃないけど駅とかにもあったりするストリートピアノと呼ばれている、ご存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、いわゆるピアノですよね。
あれは何ピアノ?グラウンドピアノですか?でかいピアノが置いてあって、それを講習の面前で弾くと。
それにみんな並んでて弾いたりして、撮影する人もいたり、時間は5分まで決まってたり。
音楽を聴いて楽しむという意味では、とても良い試みだと僕は思いますけど、それってでもちょっとハードルが上がるじゃないですか、演奏するから。
そうですね、弾けないといけないとかね。そういう遊ぶ場みたいなもので、どうやって子供から大人までね、それを使って使うことができるよね。
でも、そこで何をやるかは割と自由じゃないですか。ピアノをぶっ壊すとかね、そういうことはダメなんですけど。
それを弾いて何かをやるっていうことで、音楽でもいいんですけど、なんかその表現になるなって思ったんです。
つまり、アイディア出しって言ってる僕のなりの本質的なところでは、別にアイディアをくださいって言って出すから、はい、いいっていうことじゃなくて、
いなくて、ないんですよ。与えますじゃないんですよ。自販機みたいにボタン押したら出てくるだけじゃない。その仕組みとしてはそうなんだけど。
で、それっていろいろ見ていくと楽しくなりません?広がりません?とか、こういうこと考えられるんじゃない?ちょっとワクワクしません?っていうことを提供したいんでしょうね。
だから変わらないですよ。仕事の姿勢とか本質、リサーチとかもそうで、いろいろあるじゃないですか。
JTBのネタも知らない方は知らないわけじゃないですか。全然知らなくていいんですけど、知った時に、そうやって全然違うことやってる会社があるんだねっていう。
違和感発想の重要性
それが思わぬヒントになったりしませんか?ヒントになってない方もいらっしゃるかもしれないですけど、少なくとも僕は面白かったですよっていう話なんですよね。
そうやって遊具なりストリートピアノじゃないですけど、遊べるおもちゃじゃないけど、そういうのっていいなって。
違和感発想っていうものが発想ツールだし、すごく限定的なイメージがあるかもしれないですけど、そんな難しいこと全然言ってなくて、ただだいぶ絞ってやっとそこまで来たって感じですね。
違和感で発想する、アイディアを出す、荷物を送る発想じゃないですけど。違和感っていうのが難しいかもしれないんで、そこを変えていくと。
なぜって思うからなぜなぜ発想とか、抽象化するから抽象化発想とかいろいろなんて書いてもいいんですけど、違和感ってやっぱ大事だねと。
違和感はやっぱり誰もが感じてるはずです。感じてるんだけど、それを引っ張り出せなかったりメモしなかったり、誰かに話す習慣がない。
まさにそこが誰かに話していくことでちょっと面白いですよね。雑談の話ですね。雑談って言ってないですけど、話をするとか伝えるコミュニケーションっていうのがまさに一つなんですよね。
これが別に前からそんなこと全く聞いてないわけじゃないですけど、前も同じようなことを言っていて、価値としてアイディアを、アイディア出しツールなんて特にそうなんですけど、
ツール自体って道具なんで、アイディアが出ないなら使えませんよねっていうシビアな見方をされる方もいてもいいんですけど、全く全然違うってこともないと。
1回中1回100%当てるのはちょっときついなっていうのは思うんで、何回か3回くらいやってほしいですね。3回くらいやって3回やってくださいと言えないから、1回目でそこそこいかないといけないんですけど、実際はね。
全然なんかダメだなと思ったらとか、全然面白くないなとか、全然こんなのダメじゃんって思ったら、別にやめていただいても全然よくて。
2回3回ってやった時に、これは気づけるかもなってことで、その違和感発想というやり方を別にやらずにも、日常になんかあるよねって気づくこと、もしくは気づこうとすること。
気づこうとすることでメンボし始めるとか、考え始めるっていうフックというか刺激として使ってもらえればいいなっていうことなんですよね、きっとね。
体験を通じた気づき
店頭とかで言えばお店ですよね。なんか見本品ってあるじゃないですか。見本というのはサンプルで、コロナ禍も終わったので試食コーナーなんていうのが出てきたりしますが、
試食でもいいですし、実際に触れるものをですね。例えば家電量派って言ったらマウスとかね。マウスあるんで、そのマウスを見ても大きさとか分からないじゃないですか。
人って全然手も違いますし、手の小さい人から大きい人がいるんで、どのマウスが合うんだろうかってやっぱり触りたいじゃないですか。
で、クリックしてみたり。キーボードも叩いてみたいとか。そういう試してみるってことがあると、やっぱり検討してる人は触りますよね。
僕も触ることあるんですけど、触るとやっぱり売れやすいと思うんですよ。イメージが五感から伝わってくる。どう押したかどう動かせるかが分かるから。
それって良くないですか。そういう感じにしたいわけですよね。だからツールとかアプリとか、ITに詳しい方はご存知かもしれませんが、オープンソースみたいなね。
誰でも使えるようなモデルがあって、それをどうしてかが52と。そんなモデルがあるわけですね。
無料っていうよりも、著作権とかもちろんあるわけですけど、それをどう活かすかっていうのは結構面白い考え方だなと思ってて。
オープンソースにするとかっていうぐらいの戦略とか戦術は全くないんですけど、面白がってもらえるなら全然使っていいよなって話です。
だから磨き込まないといけないなと思ってまして、磨き込むっていうのは使ってもらってその感想を聞くと。それを受けて改善していくと。
一方で、万能で万人に受けるものっていうのはやっぱり無理なわけで、無理なんですよ。それは分かっているので。
これで何をしたいの?このツールを使って何をしたいの?っていうことを考えていった時に、話が飛ぶんですけど、最初の話に戻すと、幸せになってほしいんですよ。
宗教とかじゃなくて、信じてってことじゃなくて、この違和感発想ツールというのを使うと楽しくなるっていう。
楽しいから何かやってみようって覚えて。それが一回じゃダメだと思うんですけど、一回その分使った方が幸せになってちょっと怖いじゃないですか。
麻薬じゃなくて中毒で成分が出てるんじゃないかとか。ちょっと怖いんで。それは違います。
そうじゃなくて、使っていって自分の考え方とか見方とか学びとか気づきとか何かが出てくる。アイデアが出てくる。もしくは課題が出てくる。
何かのヒントにできるっていう意味で気づきがあるとか学びがある。そこが僕は好きなんですけど。
それを提供できないか。提供できるとしたらそれは使った人に対して生活がいい意味でポジティブに変わったりしていくんで、
それは最初に言ってた主観的幸せ度みたいな話で、多分幸せになるってことだと思うんですね。そこでね。
幸せって言葉が大きかったら毎日が楽しくなるぐらいですか?もっと言えば学んだりやっていくことが楽しくなるっていう。
でもそれがまさに狙いなんですよ。本当に。
なので体験してもらう人を増やしていくと何か見えるんじゃないかなってことで今そういうことをものすごく地味ですがやってますね。
こういう地味にやることをすごく嫌いな方もいらっしゃると思いますけど、
何かちょっとやってみたいなとか、自分で授業をやるとか自分で考えたことをやるとか、
何かしらチャレンジというか挑戦してみる、やってみる。夢があるとかやってみたいことがある。
それは別に授業じゃなくて、授業って言ったほうがいいんですけど本当は。プロジェクトって言ってもいいんですけど。
お金を稼ぐってことじゃなくてもいいんですけど、やはり粘らなきゃいけないですよね。
地味なことをやらなきゃいけない。だから地味なことをやりたくないなら地味なことをやってくれる人を探す努力みたいなものがあって、
それはある程度やらなきゃいけないですよね。いきなりそれをやらずに計画書なり授業企画だけ立てて、
授業企画じゃないですよね。誰かが書いたものって感じですけど、計画だけ立てたら誰かがやってくれるなんて、
さすがにそれはないっていうだけなので、そういうのってないじゃないですか。
内発的道具付けってモチベーションがないんで、なんでそれをやるのってなっちゃうんで、
結局そこはお金ぐらいしか、言い方が悪いですけど釣るものがないから、それで引っ張ってやってくださいっていうしかないんですよね、最初はね。
それでハマってもらったらいいですけど、なかなかそれをコミットしてずっとやってくれるとなると難しいですよね。
会社であったら給料出してないのにね、働かないでやめますよね。
その例と一緒なんで、お金が出せない状況でコミットしてそこに一緒にやりましょうっていう状態の人ってなかなか難しいかなと思うので、
そういうところを含めてまず自分が最初は動いていって、確かめるというかやっていく必要があるんじゃないかなと思いました。
簡単にまとめますと、そういうJDBの対話型プログラムというのを見て、
若干発想ツールをまさに提供してやってもらっているところで感じるものに被せたって感じですね。
それで体験してもらうことは非同期ですけどね。
同期だとまた違ってくると思う。一緒にやりましょうって言ってカタカタカタってやったら全然違ってくると思いますけど、それでもいいですし、
そういう機会を持って一緒に体験したり何かやることで話ができる。
これを1対1とかセルフ独学じゃなくて、誰かと一緒になるとそれがイベントというか体験会、交流会になるんですよね。
それはそれで面白くないですか。難しかったとか、簡単だったみたいなところから気づけた気づけなかったとか、
上手くいった上手くいらなかったってね、ありますから。
あとは道具、見本として公園の滑り台じゃないですけど、シーソーとかね。
そういうブランコみたいな感じで試して遊べるものっていう意味で一つならないかっていう。
なってないですよ今全然ね。
だけどそうじゃなくて、発想法があります、自分のやり方がありますって言っててもしょうがなかったわけですよ僕の中で。
それを自己開示はしているって感じじゃないですけど、自分のやり方をちょっと一つだけポッと出してきたって感じで内部のあるものをポッと出した。
それがポッと出したものがパッとすぐ誰かに使ってもらってうまくいくってこともないわけじゃないですか。
チューニングしなきゃいけなくて、それを普段企画とかね、やる人だとかクリエイティブなクリエイターだったらいくらでも見てたり、
マーケターとか世の中のことを追っている人だったらこんなことをやらなくてよくて、むしろやっている人なんですよね。
プロジェクトの実践
だから違和感発想をやっている人たち、ツールなしで。
そうじゃない、全く違う人なんだけど、興味があったり何かやった時に何が起こるのか、そういう人たちに向けてチューニングできるかどうか。
昔だと面倒くさいなと思ってたんですけど、大分それは変わりまして、結構変わってます。
さすがに万人には行ってないですよ。万人にやってもらうとかないんだけど、クリエイティブとか企画とかプロじゃない人が、
そういうことかかったことない、アイデアとか出して考えたことない人がやるっていう体験ツールとしてはまずいいんじゃないかなと思ってます。
それがある程度レビューという体験を積み重ねていって、そこで得たものを、
あとは解決策としては前々から言っているような、法人向けというのはギラギラ難しいと思うんですけど、
体験してもらってアイデアを出すとか、考えること自体気づくことが楽しいよねっていうふうにできるんじゃないかと思ってます。
あとは裏付けみたいなデータなんで、これは地道にやっていくしかないですよね。
そんなふうにやっているプロジェクト、違和感発想プロジェクトって言うんですかね。
言っておきましょうか。違和感発想プロジェクトってわかりやすいんで。
の現状でした。
なのでですね、リスナーのあなたも志望繰りですよね。
自分なりの仕事、プロジェクト、もしくは事業、もしくは経営、もしくは副業でも何でもいいんですけど、
やってみたいことがあるとか、学生さんから社会人とはず、
自分の今のステージとか状況をしっかり把握して、
それがですね、何でも言えるのがだいたい地味なんですね。
地味な努力の価値
派手にパッといってできることはないんで。
地味っていうのは何かっていうと、結局考えて何かやっていくってことになると、
ものすごくやっていることが地味なわけですよ。
そのことを体験してもらうんだったら、その体験分を考えなきゃいけないとか、
それに対する対応をするとか、それを楽しめる人っていいですけど、
楽しくないとかやりたくない人もいるじゃないですか。結果だけ欲しいみたいなね。
それはちょっと無理ですよね。
だけど、ビジネスとか仕組みの考え方で、
それは最初はやって、あとはそういうやってもらえる人を募集するとかね。
だからその人は信頼できないとダメですよ。
その進捗を共有できたりとかやってくれる人を探すしかないですけど、
それが面白いんじゃないかなって思いますよね。
だからこのレビューを自分で僕がやるんじゃなくて、
誰かに任せてそれをもらう。
でもそれっていいんですけど、任せるのって。
相当仕組み化でコアの部分を握っておかないと、グリップしておかないと全然意味ないですよね。
自分がその生のコアをその人のものからちゃんと得ておかないとずれますよね。
だから自分でやっていくってことが大事で、
だから自分で全部やらなきゃいけないって話じゃないですけど、
ツールじゃないけど、プラットフォーム使ってますから、
うまくそこは自分との時間ですよね、特に。
時間とお金のリソースを見ながら折り合いをつけてやっていくしかないかなと。
そんな話となります。
感謝の表明
今回は以上となります。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
四国離ラジオ大橋でした。
以上失礼いたします。