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2025-08-20 1:26:57

できるとは、今もそれをし続けているということ

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サマリー

このエピソードでは、継続的なスキルの重要性や「できる」とは何かという問いかけが展開されています。特に、絵を描くことが自己表現や継続的な成長にどのように繋がるのかについて深く掘り下げられています。また、PodcastやYouTubeなどのメディアでの表現とその価値も言及されています。 このエピソードでは、自己表現とその継続について探求し、認知度や職業名乗りの葛藤、さらにはアイディアを売ることの意義について話し合われています。継続することの定義と個人の満足度についても触れられ、キャリアの形成やアイディア出しの重要性が強調されています。 このエピソードでは、アイディアを出したりコミュニケーションを図ることの重要性が語られています。また、電通の広告代理店における営業の役割や、信頼を築くための蓄積の必要性も強調されています。 このエピソードでは、自己表現やアイディアの発信に関する重要性が語られています。コミュニケーションを通じて人々とつながり、関係を築く方法に焦点が当てられ、個人の行動や思考の変化を反映させるために、自己のアイディアを出し続けることが鍵であると強調されています。 このエピソードでは、思考やアイディアの重要性が語られ、何かを続けることができるという考えが強調されています。また、幸せの概念は人それぞれであることや、選択肢を持つことの意義についても触れられています。 このエピソードでは、自己表現と他者の期待のバランスを探求し、評価を気にせず自分のやりたいことを追求することの重要性が語られています。良い評価を得るための取り組みと内なる満足感について考察も行われています。

「できる」とは何か
はい、こんばんは。シゴクリラジオ大橋です。このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
すみません、ちょっと噛みましたね。仕事クリエイターで噛むっていうね。まあいいでしょう。今回のテーマとしては、
営業ができる。ちょっと営業ができるという意味がいろいろあると思いますが、まずは営業職とか、物を売る、販売する、もしくはマーケティング寄りですけどね、知ってもらうとか、
あと、事業ですよね。店が営業しているって、店を営んでいる、やっているっていうね。オープンしているっていうこともありますが、今回そういうことを言いたいのではなく、何かができるということですね。
営業じゃなくてもいいんですけど、絵が描ける、企画ができる、ファシリテーション、会議の進行ができるとか、あとはコミュニケーションができる、店のオペレーションというかね、現場で運営したりとかができる。
例えばウェブサイトの広告運営、運用ができるとか、SNSの投稿管理ができるとか、何でもいいです。何でもいいというか、どちらかというとスキルみたいな感じがするやつということで、別にスキルじゃなくてもいいんですけど、
そういうですね、できるって何なんですか?と自分に問いかけたわけじゃないんですけど、問いかけてみてちょっと考えたこと。結論的には、継続することにつながるって感じです。
何かができるとか、続けていくことが何かということをちょっと深めたいなと思う方はぜひ、ぜひ聞いてください。というわけで、今回もよろしくお願いいたします。
四国にラジオ大橋です。今回テーマは何かができるというのはどういうことか。冒頭お話しした通りで、結論は営業職とかの営業の方でいいですが、何か物やサービスを売ることができるという人は、乱暴ですけどね、それをし続けているわけです。
何を言ってるんだと思うかもしれませんが、別の例でいきましょう。絵が描けるという人がいる。できるとほぼ同義、同じ意味として言ってるんですけど、絵が描けるという方がいると。
リスナーのあなたも絵が描けますか?描いてますか?わかりませんが、その人は絵を描き続けているんですよ。そんなことはないと。反論あるかもしれませんが、反論も考えたいですね。
仮説ではありますが、多分続けてるんですよ。例えば50歳の方がいらっしゃって、50歳の方聞いてるかわかりませんが、別にどんな方でも聞いてもらってもいいんですが、
その方が人生50年間生きてきて、3、4歳とかで、赤ちゃんまで記憶ないと思うんで、3、4歳くらいという物心をすくぐらいから、紙があれば描いてたり、描ける場所があればクレヨン握ったりとか、何でもいいですよ、手で描くとかね。
手で描くというのは、文字通り手で絵の具とか何でもつけて描くと。そういうことをやってきて、50年くらい描いてますよという人がいるとするじゃないですか。もちろん途中に、美大だ、美大行かないとか、絵の道を別に進んでるわけじゃないよねとか、その自己認識は様々で、今仕事としてやってるとかは正直どうでもいい。
別に仕事にしてなかったらダメとかね、そんな話ではないんで。でも今描いてますよと。
例えば、その方がですね、よくあるとは思いませんが、ポッドキャストを何かの形でやる。もしくはYouTubeとかを始める。もしくは、自分でやらなくてもそういう企画に巻き込まれて、ちょっと話せるかなぐらい。
その時に、「あなたは絵を描けますよね?」みたいな。「まあ、描けますけどね。」みたいなぐらい。このあたりの雰囲気をつかんでほしいんですけど。
要は自分が絵を描いても仕事としてやってるんで、プロですとかね。仕事としては趣味ですとかね。そういうのはどうでもいいなと思いまして。
どうでもいいって言うと怒られるんですけど、その認識ってどちらでもいいんですよ。この続けているとかに関して。自分が続けているよとか、やっているよと思えばOKみたいな世界です。
世界というか、僕がそう思っているというか感じているわけですね。
じゃあ、今度はPodcastとかYouTubeじゃないけど、ロゴ?それが会社なのかNPOなのかわからないですよ。友達との団体なのかサークルなのかわからないです。
ロゴとかバナーですよね。Podcast、この四国ラジオだったら冒頭の手抜きなロゴみたいなのがありますけど、そういうのを作ってよみたいな。
そんな感じじゃないですか。絵が描け。イラストでもいいし。そこでイラストレーターとデザインの違いなんか知らんがらって感じですよね。
わかりますよ。雑というか乱暴な。でもそれは別に悪意があるわけじゃないケースが多くて、悪意がある人はダメですよ。できるでしょみたいな。一緒でしょみたいな。ITだから全部わかるでしょとかね。
それはダメなんですけど、そうじゃない知らない分野ってめちゃくちゃあるから、そうなりがちじゃないですか。僕もそうやっているかもしれませんし。
そういう時にわかりましたと。じゃあそのメンバーとかの中で自分が確かに絵が描ける方だなぐらい。だからやりますかと言って絵を描くと。
これ何なのかというと、絵描いてるじゃないですか。イラストとかもいろいろテイストがある。漫画だとかジャンルとか知らんですよ。
だけど描いて、そのメンバーというかみんなにも好評でいいねってなって使われたと。良くないですかその話。別にそういう話を聞いたとかそういう話があったわけじゃないですけど、そういう話あるんですよねきっとね。
だから言いたいことは、主張としては別に仕事でも趣味とかわかんないけど、求められたらやりましょうみたいなそういう自己啓発的な話ではなく、単にその方が、要は自分が、あなたが続けていることは何かということなんですよね。
継続による成長
これはですね、いろんな方と話すと、続けてないなとか、続けてることないな、飽きって終わっていくなっていう人ももちろんいらっしゃると思いますし、僕もどちらかというと飽き性なんで変わるんですけど、
抽象化すればいいかなって思ってるんですよね。抽象化すればいいかなっていうのは、適当にやっとけよってことじゃなくて、絵を描くって何ですかっていうことなんですよ。わかります?
別に哲学的に絵を描くとはみたいなことでもなく、多分なんですが、ここのしごくりフリークですね。よく聞いてくださる方がいたら、何かわかるかもしれませんが、僕がアイディアを出すって何かな。僕がやってる仕事でアイディアを出すってなんだなって時に、アイディアを出して早く終わりだったら、多分価値ないんですよね。
価値っていうのは、僕がどうこういうんじゃなくて、人にとってあんまり魅力がないって意味ですね。価値ないっていう。人にとって魅力がないんですよ。
じゃあ何なのかって言った時に、それでビジネスの話ができるとか、相談に乗ってもらっているとか、本当にやりとりの中でアウトプットを得ることができる。
マーケティングなのですかあれば、ドリルを売るんじゃなくてドリルの穴を売ると。価格が欲しいものはドリルの穴ですよと。何言ってるかというと、ご存知の方に説明すると、ドリルっていうのは木がいいのか、穴を開ける機械ですと。
そういう機械が欲しいんですかっていうと、ドリルが主なんじゃないですか。目的じゃないと。本当に欲しいのはそのドリルを持って買って、壁に穴を開けてそこに絵を飾るとか、本棚をつけるとかね、そのための穴が欲しいわけですよ。
だから、それはジョブ理論の中で語られてたわけじゃない気がしますが、それとは別だと思いますが、実際は大体、つまり他の手段としてはプロに頼むということもできるわけです。プロに頼めば当然大工さんは道具を持っててやると。
もちろん穴が欲しいんだけど、穴じゃないもの、つまりぶら下げて何かやるとか、違うものを逆に立ててそこに置くとかね、やり方はあるわけなんで、実際には絵を飾りたいのが本来。
もっと言えば絵を飾りたいって何ですかってなった時に、色取りが欲しいとか、自分が好きなものがあると喜ぶってことで、精神的な満足のためにやってる。てか、そんなのばっかじゃないですか。ちょっと脱線しましたけど、そういう話があると。
で、戻していくと、アイディアを出すって何ですかってときに、僕にとってはそうで、多分そういう価値になってるんじゃないかと、あくまで推測ですが、なると。
だから、やっている行為自体って、そこまで行為を続けるってことは行動か、ではあんまりそこは見なくてもいいのかなって話なんですね。
わかります?絵を描くとはってことで、例えば、ペンを持ち、何かイメージですよね。言葉じゃない何か絵を描く、イメージを描く、風景を描く、見ているものを描いてみるという行為、行動ですよね。
で、描くと。それは描いていただいていいんですし、描いてくださいってことなんですけど、それを描かなかったり、もしくは飽きたとするじゃないですか。だからまずは描かなかった、描いてない場合っていうときにしましょう。
で、そのときに注意したいのは、描いてない、例えば50年って言ってるけど、25年描いてませんっていうときに、じゃあ25年やってないから、25年、じゃあ50年盛りすぎたと。25年くらいやってるってことにしましょう。
でも25年やってるって言っても、ずっとペン持って描き続けて、1日80時間ずっと描いてるわけじゃないですよね。寝る以外描いてるわけじゃなくないですか。言いたいことわかります?だから、描いてないっていう明示的に、描かない、ペンを置いてやってないっていうときの方が多分多くないですか。
そんなことないっていう方もしかいるかもしれませんが、多分そうなんですよ。だから行動として、行為としてですね、絵を描いているっていう時間とか、絵を描いていることっていうのよりも、実はそうじゃない、つまり絵を描いていないとき。
どんな絵を描こうかなって、こういう絵描きたいなとかでもいいし、誰かと話をしてて、よくないんですけど、つまんないから、手元の紙に絵を絵でいじいじ描き始めるとかね。それ無意識でやってる人いると思うんですよ。で、それ描いてません?とかね。
あと、描かないときってことで話をちょっと戻すと、中断とかやめたって、飽きたって感じです。飽きたときも僕は、もう入れていいんじゃないかと思ってる。それは極論かもしれないぐらい言っておきたいんですけど、じゃあもう絵はいいやと。自分は絵は描かないですと。
向いてないと。それは向いてる向いてないとかの判断はもうご自身だから、別に僕がどう関与するところではないんですけど、誰かがまた絵を描いていて、友達とかね、なんか絵いいなみたいな。絵描こうよとは言われないけど、いいよねって言ったときに、金銭っていうんですかね、金銭に触れるのかわからないけど、やっぱ描きたいなみたいな。描きたいわと。
思う。なんかやっぱり表現したいよねって思う。思いませんか?やってるならね。で、あればもう即復活ですと。ということは、もうそれこそじゃあ25年やってなかった。25年しかやってないから、50歳の人が25年やってなくて、25年を封印してたときは、何だったのかって言ったら、もうそのための準備だと思うわけです。本当にこじつけかもしれませんけどね。
それぐらい、年数、時間であろうが、何ていうか、行為として絵を描いていないとき、絵を描いているとき以外の時間も入れちゃっていいんじゃないかな。で、ごめんなさい。さすがに広がりすぎたんで、さっきの話に戻すと、絵を描いている行為って何なんですか。
だから、わかりやすい問いかけをすると、問いかけはわかりやすいんですけど、答えるのが難しいのが、プロジェクトXとかね、そういうなんかドキュメンタリーものですね。とって、あなたにとって、リスナーのあなたにとって、だから自分にとって絵を描くっていうのはどういうことですか。
はい。で、まあね、一加減というかね、ある程度何か言えるとかっていう人はやっている人なんですよ。で、やっとここで続けているとか、継続しているところに戻ってくるんですよね。もし何も1ミリも1日も1分もやってなかったら、想像するしかないんですよね。
想像なんで、自分はやってないけど、人の話とか、あ、絵を描く人はこんな感覚なんだなっていうところをトレースと言いますか、なぞって考えるしかなくて、でもそれって自分ではやってない話ですよね。どうしても一言になる。僕も絵を描いているとは自分では思ってないので、よそごとで一言になってしまうというところがありますね。
でもやっている人だったら、これ1分でもいいですよね。昔やってた小学校で美術とかでもいいし、苦手だっていう人が多いような気がしますが、なんとなくね、そうじゃないかもしれないけど、そういうところでやったことがあればそこから言えることがある。
でもまあ、自分が嫌だと他の人も嫌だなって思っちゃうんですけど、そうじゃないこともいっぱいありますから。そこは分けて考える。だからこそですね、続けている。これ結果論ですが、絵を描けるとは絵を続けて、絵を描き続けているか。
キープ○○イングってやつですね。イングって進行形だよねってことなんですよね。だと僕は考えました。考えましたというか、そうなったんですよね。そこで様々言いたいことがあると思います。
自己表現と職業の葛藤
そのスキルとして、プロなのかアマチュアなのかセミプロなのか、認知度はとか、X、インスタ、なんでもいいですけどやってて、SNSのフォロワーがどうとか、いいねがつくとか、好みが、テイストがとか、漫画なのか、それとも小説の冊子なのか、雑誌とかそういうところの表紙なのか、それとももうちょっとウェブ記事とかイラストでまとめるファシリテーショングラフィックみたいなのがあるんですが、
そういうものなのかとか、もうそのジャンルは知らないです。知らない。僕はもうわかんない。だけど、あと自分の満足度ですよね。自分は別に上手くないです、上手い人いっぱいいますと。そういうのはある分かるんですよ。わかります。
全部踏まえた上で、もういいと。書いているんですか、いないんですかっていう、もう二択です。二択ってあんまり僕は好きじゃないんですけど、こういう二択がちょっと違ってほしいというか、二択ですね。書いていますか、書いていませんかって言われるときに、どうします?運命の選択ではないんですよ、全然。
だけど、もう外文というか見絵とかこれぐらいやってるから、例えば仕事とかもそうですし、職業でもあるじゃないですか。例えば料理研究科の人はちょっとディスルームみたいな感じになっちゃうんですけど、ごめんなさいね。料理研究科って言うけど料理研究してない人が料理研究科と名乗っていいかって言ったらちょっと怪しいじゃないですか。
でも料理研究って何ってなったときに、自分で作ったり何かしてない人がやっぱりさすがにちょっと名乗りづらい、恥ずかしいと。わかります?だから倫理というか、その人の信条、教授というかプライドですよね。その人はどの程度に感覚なのかが知りたくないです。
わかります?それ定義がないですか。例を挙げることもないんですけど、そんな例を挙げても意味ないかもしれないですけど、例えば小説家。小を取ったら小説家なのか、小説家だと言ったら小説なのか。落語家だとアマチュア落語といわゆるプロの落語家は一線を隠すというか、もう完全に分けられているそうなんですが。
なるほどなぁと思います。別にどっちでもいいかなと思ったりしますが、権威とかいろいろあるんでしょうと思いながらね。そういうのもありながら、わかります?
いろいろ評価が、他社からの評価、賞とかないけど小説家だと、あとはイラストレーターでもいいし絵を描いてるんだと、言いますか言えませんかって話なんですよね。それを肩書きとして名乗るからには、こうじゃないといけないよねっていう方はいらっしゃるのはわかるんですよ。
なんですけど、書いてある書いてないって正直、自分の意識の話、認知の話でしかないんですよねって思ったんですよ。だからもうちょっと平たく言うとなんだかんだ続けてますよね。もしくはなんだかんだやめるけどまた復活しますよね。なんだかんだみたいな工夫ですよね。
この間話では、AIとの違いは人間は何とかして何々やるっていうことがっていう話をある方が話されてて、その通りすぎるなと思って。
なんで、書いてますかって言われたときに、瞬間的にすぐ即答書いてますと言わなくても全然よくて迷いまくってもいいんですけど、やっぱり書いてるなとか書きたいなとかわかります?
自問自答したときに自分にとって何々できるってどういうことか、絵を描けるとはどういうことか、文章を書くとはどういうことか、さまざまな問いかけしてもらっていいんですけど、それってすぐ簡単に即席で出てくるような話じゃないだと思ってるんですよね、僕は。
だから、書いてますからOKですか、書いてないからダメですかね。逆でもいいですね。書いてるからダメ、書いてないからOK。そんな分かりやすい話じゃなく、何にも分かりやすい話はしてなくて、継続してやっているということに何とかして着地しているのであればもういいんじゃないっていう、それぐらいです。
継続するってことは、ずっと断続というかずっと続けなきゃいけないというよりも切れ目があっても続けられるってことだと思ってまして、最終的にね。
考え方としては、終わりが良ければ全て良しじゃないけど、今は良ければ全て良しみたいな、勝てば勝負みたいな、何やってもいいとかいうことじゃないんですが、自分のやっていることに関して、しかも自分って何が得意なんだろうとか、何かできるっていうのがすごく過小評価しがちなところがあるので、課題評価しろとは言わないんですが、
できるでいいじゃんっていうことです。そこに、言って大丈夫かなって不安とか、それは盛りすぎじゃないかっていうことを、自分の心情と言いますか、プライドとか、自分の気持ちに立って、違うよねと。言語化うまくできないとかもあると思うんですけど、この辺りになってくると。
そこら辺がすごく重要なんだよなって思いました。これは前回もお話ししたところにつながるかもしれませんが、結局何々し続けているというのを、結局中小化というか何だかんだやっていくと。
これはわかりますか。キャリアってことはあんまり個人的には好きじゃないんですが、キャリアということがわかりやすい。要は自分の仕事等、人生でもいいんですが、自分のやっている仕事とかやっている意味って全然わからない。もしくはそのときはわからない。
でも後からすると整ってくるように思う。これはアイディアとかも一緒で、全然違う2つのことを掛け合わせたら共通的なものになるんで平たくなるわけです。要は平均化するというか、整地ですよね。道が整うみたいな感覚があるわけです。
でもこれって事後であり結果だけなんで、そんなうまく計画してきれいにすることは多分僕はできないと思っています。なので興味とか関心とかやってみたいようなことをうまくバランス取りながらやっていくしかないよなっていうね。
これダサンという意味ではないですよ。じゃなくてもうそういうふうにしかやっていくしかないかなっていうような受け入れに近いものがあるんですよ。そのキャリアみたいなものはそうなんですが、結局自分のやってきたこととかリスナーのあなたがご自身でやってきたことを考えていったら、そんなデコボコだったり整理されてなくて、後からすると整地化されていく。
アイディア出しとコミュニケーション
例えば僕だったら結局、これはもう適当になるんですけど、人とコミュニケーションしたいよねみたいなところがあった。あったというのは今ないわけじゃないしあるんですけど、ずっと人と喋りたいです、一人は嫌ですとかそういう意味じゃないですよ。
人の考え方を知りたいとか、社会に生きてる人はどういう考えをお持ちなんでしょうかという、そういう興味が多分根本にありますっていうのを今言語化して言ってますけど、それをあえて初対面の人に人が考えているのに興味がありますっていうことを言うかどうかもまた僕が選択しているわけだし、言うかどうかもまたわからないし、
それはなんていうんだろう、こじつけとは言えませんけど、ひも付けをしているだけであって、別に絶対そうとも言えないわけです。伝わりますか。
じゃあそれはポッドキャストみたいな今話していることがあるからっていう行為に結びつけていただくっていう、リスナーのあなたから見たらそう思われるかもしれませんが、当然それだけではなく、アイディアを出すのをそれを通してお客さんとか、いろんな人とやりとりするのが多分楽しいんだと思います。
じゃないとやってないというか、例えばコミュニケーションしたくないのであれば、完全にシャットダウンしてアイディア集みたいなものを作ってビジネスに上げたら、それを売るだけでなんとかしようとするんですよ。
これなんか結構大事な話だと思ってまして、これはちょっとごめんなさい脱線するんですけど、昔ある母校である教授とご縁があって、お誘いを受けたんでちょっと話してくださいみたいなことで、本当にちょっと自分の謎のキャリアをこんなことやってきましたよって。
特に前の会社とかやって失敗というか成功はしないので、一般的に見て失敗でしょう。僕は全然失敗したからダメとか失敗と思ってないんですけどね。ラベリングしてくださいよと。
それが刺さったかどうかは置いといて、そこの学生さんに普通に言われたのが、結局わかりやすいアイディア、自分だったらアイディアとかを、ギャンブルのアイディアとかもいいし、それはその人の好きなんでしょうね。
自分の興味のあるやつでアイディアを出してそれを売ればいいんですよねって言われたんです。それはなるほどねって思うんですけど、今の僕が違うかなって言ったのと一緒で、アイディア集を売るみたいなのが否定してないし、別にそういうようなこともやったことないわけじゃないです。
ただコミュニケーションが発生しなくないですかっていう意味で多分ダメなんだなと思いました。これはごめんなさい、今メタ認知しながら喋ってるんでちょっと構造がわかりづらくて申し訳ないんですけど、要は自分がこれ違うなって思うときにすぐ言語化できなくないですかみたいにぐらい認知できないわけです。
僕はそんな感じなんですけど、それをバンバン認知してる人って認識してる人ってかなりレアだと思ってて、特にキャリアとか仕事とかになるとそもそもわかんなくないですか。
例えばコーヒーショップでアルバイトで入って1日入ってはい仕事が全部わかりましたってなります?ならないですよね。やっぱり数年やったりしなきゃいけない。だから石の上にも3年って言うんだけど、3年やらなきゃダメだっていうことではないんだけど、シンプルに多分時間かかるんじゃないですか。
何をもちろんそこでやりたいかとかによるので、だからわかるって言うんだけど、理解したとか経験してできるっていうところもそこに近いですよね。半分入ってきますね。できるってことはわかっている。
当然この職業ラジオを聞いている方は出てくるかもしれませんが、説明するとわかるとは分けられることなんですよね。分けられるということは理解しているということになります。だからコーヒーショップの仕事っていうのをわかるということは、コーヒーショップじゃない仕事はこれ。コーヒーショップの今やっている仕事はこれ。コーヒーショップはカフェですね。
例えば、お客さんからここ行きたいんですけどって言われて教えてくださいって言われるときにやりますかやりませんか。もちろんそのお仕事上のマニュアルルールがある上で断ることもできるわけです。
いや、すみません。うちではやっていないのでごめんなさいみたいな。とか、今ちょっと忙しい。対応できないのでごめんなさいとか。お客さんとして買ってくれているときに聞かれたら答えるとか。わからないです。現場のスタッフさんの判断だから正解はないですよ。
答えて道案内とか目印あそこにお店がコンビニにあるんでそこを曲がってくださいとか案内するのか。わざわざそこからカウンター出てってあちらにおりますっていうふうにご案内するのかはちょっとわからないです。
わかんないですけどそれはカフェ店員の仕事なんですか。道案内することは仕事なんですか。考えるかどうかわかんないです。だけどそれを多分判断されるんでしょう。現場の人はね。そういうのも含めて全部分けられるということになります。
戻していくとそういうふうに自分がアイデア仕様を売るとかがちょっと違うなっていうのもやってみたり考えてみたりして出てくるわけですね。
自分にとってそのアイディアを売るとかアイディアを出すってことはリスナーのあなたとか僕はあまり知らない方によくわかんないとは話だと思うんですけど、僕にとってはアイディアを出すとか調べ物をするもそうなんだけどコミュニケーションしたいだけなんじゃないのってね。
違う言い方をするとしたいだけじゃんっていう。わかります?もちろんここが解像度の話なんですけど、じゃあ誰でも勘でもいいのかって。誰でも勘でもいいのかって誰か捕まえて、それは言い方は悪いですけどそこらへんの知らない人をあれで捕まえて話しましょうみたいな。
いやいやどうだいみたいな。そんなことやってるわけじゃないですよ。やってる人がいるかもしれないけど僕はやってないです。彼にそれをやりませんかって言われても断ります。別にやりたくないし、それは何なのか。つまり誰でも勘でもいいわけじゃないわけです。
わかりますか。こういうことを言うと面倒くさい人っていうふうに一瞬ぐらい思う人いるかもしれないけど、それは自分の中でのこれかなそれかなっていう探索とかの中の条件に当てはまってこないっていうだけなんで。
しごくりですよね。まさに仕事クリエイターもしくはしごくりっていう仕事作りに関していくとその微妙な差異はめちゃくちゃ大事なんですよ。というかその微妙な差異ですね。その微妙な差ぐらいしか違いがないと言ってもいい。
だから今の話でいくとアイディアを出せる人っていうのはいくらでも多分いるんですよ。そんなにいないような気がするんですけど出せる人はいます。もしくはクリエイターとかと言われる人たちは多分自分でアイディアを出してる。
だけどそれを人のために出すとか役立ちませんかみたいなふうに出す人っていうのは多分少ない気がします。少なくなってくる。コンサルとか経営みたいなところで新規事業とか作るみたいなね。
自社でやるならいいけどそれを提案していくとなるとちょっと怪しいというかよくわかんなくなってくる。その怪しさとかはいいんですよ全然ね。
情報商材屋さんとか情報商材売って何かやりたいとかっていうわけではもちろんないので。情報商材とか全然ないですよ。全然やってないですよ。
アイデアとコミュニケーション
それを言っておきます。かつそこでさらにコミュニケーションをしていきたいんだってなっていくと途端に減っていくんじゃないかなと思ってるんですよ。
わかります?
頑張って教育者とか学校の先生とかっていう人が割とアイディアマンっていうかこういうのよくないって振ってける人でアイディアを出してるわけじゃないですよ。
教育者って先生だからそこで生徒を何かやってもらいたいですよと主体的に何か動いてもらいたいですっていう人は多分そういう先生の鏡みたいだなと僕は思うんですけど。
学校の先生とか全然好きじゃないんですけどそういう方がいるのはわかってるんですよ。
ただそういう方がいるのはレアだなっていうのを思ってるんでそういう先生に出会ったらもう話さないほうがいいですね。
別に媚びを売らなくていいんですけど普通にちゃんとそこで学び取って学んでください。
僕じゃないんでそれはね。
そういうところでそういうアイディアがあっていろいろ提案してこれだったらいいんじゃないって言える人は多分すごいなと思います。
そういう先生がいらっしゃる。
リスペクトです。尊敬です。
そういう人は多分自分のことをアイディアを出していくとかいうふうにあんまり言われないんじゃないかなと思います。
そういう認識が少しあってもあんまり言わないんじゃないかなっていう。
わかりますかね。
だからその人の認識なんですよ。
その人は多分先生だっていう。
先生だからその中で仕事が出てくるって話。
例えばある本だと電通っていう広告代理店がありますが広告代理店大手ですね。
その電通の人は営業マン。
これは僕はちょっと驚いたんですけど広告代理店って簡単に言うと広告できる枠があるからテレビとかあるのでそれをクライアント企業に売って枠を代理で売るわけですよね。
テレビ側の広告枠があって。
日本広告機構になってしまうんですけど、そうじゃなくてあるスポンサー、メーカーでもなんでもいいんだけどそこに営業して使いませんかって言って、
結局どういうCM作るのっていう制作もやるし、子会社とかグループ会社とか関連会社知らないですけどやっていくと。
その時の電通とかの営業、広告代理店の営業はこういうことやったらいいんじゃないですかって提案は僕はアイデアだと思いますけど無料だと。
なんでって思いません?僕からするとなんで無料なのって思うんですよ。
でもそれは広告代理店として広告を出しますということを契約するのが莫大な数十万とか数百万じゃないですよね。
数千万数億円みたいな話になってくるから金額が大きいのでそれは当然だからそこらへんは全部無料でいい。
ちょっと言い方悪いんですけどスーパーの目玉商品みたいな感じです。
スーパーの目玉商品で卵が買う方とか行かれた方はわかりませんが1円とかないですか1泊5円とかセールみたいな。
それってほぼゼロ円じゃないですか。
それだけ買われたら困るけど多くの人はそれだけ買っていく人はいらっしゃるんだろうけど多くの人は買ったしじゃあ他のも買おうかって言って買うわけですよ。
だからその目玉商品みたいなのがあるんですよね安いものこれはまあまあわかりやすいのかな。
だから買うから意味がある。
だから他のもので補えるから成り立っているっていうビジネスとかでは鉄板かもしれませんがそういうのはありますよね。
無料とか安い値段でできるアイディアをそこで提供しているのはその契約でして1個大きなものがあるから別にそこをこういうものでやりましょうよっていろいろ言っていって考えることは全然無料になりますよね。
むしろ請求はしないってことですけど無料ですっていうふうに言うんじゃなくて請求しないってことになっていると。
というところはまあ僕は割と衝撃的でしたけどまあまあなるほどなと思うわけですね。
でそういうふうに要はアイディアを出すしコミュニケーションするコミュニケーションしたいだけっていうとちょっと言い方がね否定的に聞こえるかもしれませんが
シンプルに言うとコミュニケーションするきっかけとしてのアイディアであると。
信頼の蓄積
で結局僕の中では文章を書くとかこの話すも結局コミュニケーションしたいんじゃないですかねこの人っていう。
冷静にね自分を客観するとなっていくんじゃないかなっていうある種僕のキャリアの棚卸しであるのかなと思います。
でごめんなさい話戻すとそういうじゃあ絵を描けるっていう人も結局その絵を描くってどういうことなんですかねっていう。
その何かビジョンミッションを作るってことじゃなくて何なんだろうねっていうふうに考えていくと悩むじゃないですよ考えるですね。
行動して実践してこういうことかなああいうことかなってやっていただいている方はそれが出るんですね。
それが蓄積っていうね最近好きで使ってますけど蓄積で溜まってって著書じゃないけどしっかりとした土台になるわけですね。
でそれがある人はあのこれも大事な話なんですけど信頼されるわけですね。
信頼はその蓄積ができるかどうかってことで何だろうなだから3年って悪い数字じゃなくて何かやり取りして3年ぐらい経ってこの人いいやつだなっていうふうに思ってこの人いいやつだなんて言わないかもしれないけどこの人悪い人じゃないなって思われたら心を許すじゃないけど話が進んでいくたりするわけですよね。
そんな感じで感心ですね感動の感に心が心って書いて感心ですけどこの人はいい人なんだなとかこの人悪い人なんじゃないんだなとこの人はこういうふうに仕事をしてるんだこの人はこういうふうに考えてるんだなっていうふうに要は魅力ってやつですよね魅力があって
それは別に万人に好かれるみたいなそういう話じゃないですよその相対的に例えば僕とリスナーのあなたという関係性があるのであればリスナーのあなたが僕に対して興味とか魅力を感じるというのはちょっとよくわかんないことなんですけどこの人いいなって思えるかってところがポイントなんですよね。
それがなければもう二度と聞いてもらえないし二度とコミュニケーションが変わらない。そのやり方と考え方が嫌だなって思われたら全部は全部ね自分と一緒じゃないからそういうのいろいろ調整というか受け入れたりこういろいろねあちらこちらじゃないんですけどやっててどうかっていう感じなんですよ。
だから一朝一夕でそんな信頼が這い生まれますなんていう3日で信頼できる7つの方法なんていうのは嘘ですからね。
それは嘘。フェイクってやつですね。だから一朝一夕ではいかない信頼ってことは信頼を得るにはっていう信頼がないと売れませんみたいな話してる時信頼っていうのは一朝一夕じゃなくて蓄積するしかない。蓄積ってことは毎日やるしかない。
毎日やるとはできるできないとかちょっと置いといてやっててできたりすることも多いんで結局やるやらないになっててやるできる続けていく信頼になるそれでこの人はっていうような話になります。
全然面白くないと思うんですけどそんなもんかなと思います。そんなもんかなというかそれ以外ないですかね僕は。
なんで絵が描けるっていうのをだいぶこすりましたけど絵が描くことって実際のあなたにとっての絵が描くことはそこまで関心がないかもしれないですけど
ご自身が一番興味があることとかその中でもね興味がない中でも一番興味があることとかなんかいろいろ整理していったら整地していった時とか平均ラインにいいんですけどなんかこういう傾向があるようになって。
僕はこれ僕の感覚ですよ本当に自分の感覚なんでなんていうかわざと言ってるとかないんですけど僕が人とコミュニケーションをしたいとかもしくは他の人の考え方を知りたいっていうのは何でかっていうとシンプルに違うからなんですね。
なんでそう考えるかが気になる。そんな感じです。自分はこう考えてるのにあなたはなんでこう考えるんだみたいな。もしくは意見が違う。なぜかを知りたい。
当然そのために僕は心理学を大学の時に勉強したんですけど心理学はある人の人間の心理ってことでいう視点からはヒントにはなるんですよね。
状況が良くないとか心理的に精神的に圧迫されている人に対してカルトじゃないけどね。
洗脳みたいな感じで他に情報を与えなければ割と簡単に情報を遮断し例えば僕が言ってることは正しいのであるみたいなことを言い続けたらそれはあかんですよ。
やっちゃダメですよ。だしそういうことをやることでできてしまうという恐ろしさがあるわけです。怖くないですか。
だから批判的なものっていうのを雰囲気とか批判してそれは違うかも。そっちはそうだけどこれは違うかもしれないなっていうのがめちゃくちゃ大事なんですよね。
これは別にラジオとかそんなだけの話じゃなくメディアでも組織チーム何でもそうコミュニティもそうで他を入れない空気って保守的であり閉鎖的になりません。
ある種カルトとは絶対言いませんが宗教っぽくなってくる。宗教が悪いとは一言も思わないんですけどそれをどういう意図でやってるかだしなんでそうなってるんですかっていうことになります。
だから受け付けないからダメとかね。そこまで言えないですよ。だけどそういう空気になるしそういう保守的閉鎖的になるんでしょうね。
じゃあ開放的で進歩的というか革新的というかいろいろなことをやっていこうっていうところが絶対いいかというと僕は好きですけどそれはそれで不安定な感じません?フワフワしません?だからそれが全部いいとも思わないですよね。
分かります?だからどちらかというとインフラって革新だとかいろいろいじる人って向いてないですよね。だから多分僕向いてないですよね。だから適材適所です。
適材適所だから僕には合わないかなっていうところで会う人はいらっしゃる。そこなんですよね。そこを半歩譲ってじゃないけどお互い理解していってその上で自分に向き合う合わないっていうのを考えていく方がいいのかなっていう話にもなってきます。
僕自身がさっきコミュニケーションしたいだけなんですよっていう話をしたんですけどそれが善意の人とか善人でも全然僕はないですから悪人かもしれないですよ。
詐欺師ではないですけど人を騙してなんとかしてないつもりです。その時にこうした方が良くないっていう。分かります?なんかいろいろあるんだけどこうした方が良くないですかねっていう風にまた同じ言葉を言いたい。
もしくはそういう風な姿勢でいるし、姿勢ってのは文字通りそういう態度ですけどね。できたら良い関係でありたいと願う。分かります?願うのでなるべくそのご縁があるっていう風には言っておくんですけど誰でもかんでもじゃないか。
ご縁があった人とは良い関係を築きたいのでこうした方が良くないですか。もしくは僕ができることはやりますよっていうのをいわゆる釈放事例というね。本当はやりたくないんだけど定の良い相手に気分を害するので違うことで誤魔化すみたいな意味になりますが、
釈放事例って本当は言ってないんですよね。全く使ってないわけじゃないですよ。それは一応言っておきますけど。全部が本音で全部嘘がなかったらそれは窮屈じゃないですか。お筋とかでもいいですし冗談とかも言えなくないですか。
釈放事例全部一緒だったらね。だからそこはちょっと緩やかにしたいんですけど、そういう中でその人に役立ちたい。役立ちたいし同時にその人にだったら役立ちたいなと思えることが大事で。
それってビジネスとかにおいてドライ?関係性とかじゃないんじゃないですかと合理的に役立つものだけ与えると言うとおかしいんですけど、提供することでいいんじゃないですかっていうのもわかるんですね。そういうのもあるんじゃないですか。それは否定しないけど、それ面白いのかなって思ったりするわけですよ。
だからごめんなさい、僕が出すアイディアがウェットで、自分が関係したやつだったら全部かかってきてなんかいろいろ言ってくるとかそういうことではないですよ。ただそういう関係性っていうのはウェットなものって湿った感じの良い、湿ったというよくないけどドライじゃない良い感じの適度な湿気、湿り具合みたいな関係性って作るのが割と困難なんですよ。
と僕は思うんですけど、リスナーの方はどう思うでしょうか。だからこそ関わってくる人には幸せでやりたいというのは宗教っぽいんですけど、でも本当はそんな感じです。その人に役立ちたいし、その人といい関係を築きたいしってことを思うので、
そこまではないんですけど、例えばアイディアを出すとか、こっちは善意なんですね。相手がそんなにアイドバースとかいらないよとか、そういう外の情報いらないよっていう、そういう人は珍しいと思うんですが、あと僕もあんまりそこまで接したくないというか接せないんですけど、分かんないからとりあえず打っていくと出す気に立って話してってどうかってことを言ってるわけですね。
自己表現の重要性
それがもしかしたらリスナーのあなたから見たら積極的だとか、いろいろ仕掛けているように見えるかもしれませんけど、そういうイメージではあんまりなくて、むしろ自分の保守性っていうのはちょっと違うんですけど、自分の軸というか自分の話をしていきたい、いい関係を築いていきたいというののいわゆるあふれたものというか、
お裾分けということは僕は好きなんですけど、感覚でやってます。それが僕はそこまで面白くないというか、そのまま役立つとは思えないかもしれないけど、こんなのありますよぐらいの軽いノリですね。軽いノリでさらっといっていくと。
そこまでいった上で、いやそんなのやるなとか言われたら、もう即興そのもう何この人みたいになって関係閉じません?善意でやっているものに対して。だからこれ善意の押し付けじゃないですよね。そこはニュアンスとして何とか言っておきますけど、そういうところがない中、何もとりあえず関係性がないとかいう状況で出していくってことなんで、
多分そういう人って、僕は観察、僕が生きてきた中でもそうなんですけど、そんなにいらっしゃらないのかなと思うんですよ。だからそういう意味でアイディアをコミュニケーションにして変えていくってどうかってなっていくと、先生の話しましたけど、そういう先生で割とレアな人とかそんな感じになっていくんじゃないかなと思いました。
なんかちょっとマインドセットみたいな話になってますけど、今回の主張としては何かできるっていうのはなんだかんだ言ってし続けたり何とかして何かそれをやっている。だから絵が描けるっていうのも、別に描いてるとどうやとか、描けてない私が絵を描けると言えないとか嫌だとか、いろいろ自分の自問自答とかあると思うんです。
あるんだけどその上で、最終的には本当に心からということですね。自分が本当に自分で、あなたは描きたいですか?描いてますか?描いてますか?ですかね。絵を描いてますか?っていう。そんな感じです。
だから例えば、天の声みたいな、宗教職がない神の声みたいなものでしておいて、宗教職一旦ゼロにして、お天道様って神道みたいなものに感じますけど、とりあえず僕だったら、アイディアを出していますか?っていう。大橋さん、あなたはアイディアを出していますか?みたいなトーンです。わかります?伝わります?大根役者が。
伝わらなかったら申し訳ないですけど。あなたはアイディアを出していますか?みたいなトーンです。僕はどう捉える?出していますと言えるのか、出していませんと言えるのか。この時の僕の心の動きとしては、出していますと。こういうことをやってますと。
それは言い訳とかそういうことでもない。他者とか関係なく自分は出している。なぜならこういうことをやっているからだとか。時間で行動として、それこそ賞とか評価とか、いろんな他者の評価もあるし、自分の意味としてね。こういうことをやっているからアイディアと言えるよね。コミュニケーションしていく中で出すアイディアでもいいし、
仕事をやっている中でのアイディアっていうのはいくらでもあるわけじゃないですか。クリエイターとして作品としてアイディアを出すのもあるし、それはもういくらでもあるから、自分がアイディアとして出しているということがまさにできているかどうか。
それをやっている、できているというかやっているかどうかなんです。が、しているからしていますと言える。で、その時にもししていない、なんか出してないかも、してないかもってなった時に何を思うかです。いや別に今してないよ、だって別に関係ないし違うしちょっと今違うことやってるよねってなるわけですよね。
それがあなたが文章を書いていますかでもいいし、僕だったらリサーチとか調べ物をしていますかとか、それこそさっき言ったように他人とコミュニケーションしていますかとかでもいいし、他の人の考え方、関心はありますかって。
もちろん関心はありますかって言った時にないって言ったら社会的にやばいなっていう人になる感じを受けるんで、それで関心はありますっていう風にもしかしたら答える方がいらっしゃると思うんですけど、人って本当にいろいろあると思うんですよね。
だからここは何度も言っておきますけど、別に僕は万人に興味があり、万人の考え方を知りたいというわけじゃないですよ。全然わけわかんないなっていう人ももちろんいるし、その考え方言われてもさすがにわかんないなっていうのもありますから、別に全ての人を理解してほうがそんな壮大なものはないんで、そこらへんはすごく引いて考えてくださいね。
すごい良い風に伝わると良くないんで、なんだろうなぐらいで思ってもらえるといいかなと思います。そういう神の声じゃないけど天の声みたいなのが来た時にやっていますと言ったら別にやってたらいいんじゃないですかっていうね。
もちろんイヤイヤやったらダメですよ。イヤイヤやったりとかダメなんで、心から自分がやりたいと思えるようなことにする。それを難しく考えなくて、今やっていることとか、今やってなかったらやってきたこととかを平均化したりとか、整地化ですね。
整地化というのは整地ですね。土地を整える整地ですね。整えてみるとかやると見えてくるかもしれないし、あと抽象化してしまうと僕がやっている具体行動をアイディアを出すとか調べたりすることなんだけど、実際はその人とコミュニケーションしたりその人の考え方を得たり、社会とか他の人がどう考えているかに興味があるんでしょうね。
コミュニケーションの力
面白いなーって思う。でもそんな感じがします。じゃないと、僕の若干頼もしいになりましたけど、話すとかしなくないですか。なんでそんな話してるのみたいな。思いますよ。自分で振り返って。思いませんか。
だから、いろんな方がポッドキャストをやっていて面白いなって思うんですけど、話すのが好きだとちょっと分からないんだけど、他の人の行動とか考え方に興味があるかどうかってもう分かりますからね。
あと自分の視点を見てそれを伝えようとしているかとかね。分かりますよね。っていうところがあるんですよ。でもそれ分かるって言うけど、なんで分かるのって話になってくると、様々な人とか考えとか体験とかそういうのがあるからなんでしょうね。
そこは偉そうに何か言うつもりもなくて、それが体験が不足している人はやはり学びがその点に関しては不足しているんで、だからダメとかいうことじゃなくて、分かりづらいし、何が違いがあるかが分からないと思うんですよね。
だからマニアになるとか、雑学王になるとかうんち食王になるとかそういうことじゃないですかね。そこは外さないでいただきたいというところがあります。
逆ですよね。たまにこのしごくりラジオでも言ってますけど、体調がいいとか精神的にそこそこいいときにやってほしいやり方として、それは違うよね。自分の自己否定、そうじゃないんじゃないですかってやるときにムッとするかイラッとするかとか感に触るかっていうのが僕は結構おすすめ。
僕の中ではですよ。やって気分悪くなったらやめてくださいよすぐがあります。例えばアイディアがあるじゃないですか。アイディアでビジネスアイディアを出して、もしくはビジネスのデータってこういうの面白くないですかってときに、あ、面白いですねって言われるときに、僕の中では別にそれで全然嬉しいし良いと。
それはちょっと違うかもしれないですけど、でもこういうふうになりますよね。ぐらいでも全然ありがたいですね。でもなんか、こんなこと言われたことないですけど、センスないですねとか、そんなのはアイディアじゃないですねっていう方がいないわけじゃないけど、なんかそういう物を言い寄せられる方が本当に稀にね、万分の一もないかなぐらいで、あるんですよ。
だから要はコミュニケーションですね。あ、なんかそれって閉じられてるなって。コミュニケーション閉じてるなって。なんで審査されてるんだみたいなね。だから僕の中で審査っていう言葉をあんまりやりたくないんですよね。だからできないかもしれない。そういう立場で審査っていう審査員みたいになったときに審査してるつもりはありませんみたいなことを言いそうです。
だからそこはちょっとめんどくさいんだけど、でも実際審査なんかできないですからね。何様だってありません?立場でどうとかね、人を選ぶって意味で言ってるんだけど、本当かなーみたいなね。
実際そうだろうなと思うんですけど。そういうときに違いますよねとか全然ダメじゃないですかみたいなときに、いや確かにそれはダメだなとか違う部分があればそこは反省というよりもそこは学ぶべきとかで課題として確かにそこはよろしくないねっていうふうにもちろんやっているしやってきてるんですけど、
それがですね単にその時に否定されたり違いよねって言われたら、いやいやいや違うんですよ、いやなんかこういうふうにもっとできるし、違うよな、いやいやセンスないって言われてもまあまあそう思われたらそうかっていうのもあるんですが、
いやなんかもっとやりたいですとか、お客さんとのやりとりではダメなのかもしれないけど別になんかダメなのかとかね。わかります?そういうニュアンスみたいなのが出てくる。いやもっと別にそういう感じじゃないんだけどなみたいな。
勘に触るまでいけないんだけど、もしくはそれをやらない、じゃあやめてくださいって。なんかスマホ中毒じゃないけど、じゃあ明日からスマホやめてくださいってなるときになんかすごいこうスマホないスマホないみたいなこう慌て始めるみたいな感じじゃないですけど、やめてくださいそれを。
ってなると中毒的になんかおかしくなりますね。だから別に喋りジャンキーとか思考ジャンキーとかではないですが、と思ってますけど、そこで要は失くしてしまうと、仮に失くしてしまったらどうなるかっていうことですね。
で、失くしても何も変化がない。別に通常通り何か世界が回ってる。例えば、若い方とはあまりご経験ないかもしれないんですけど、会社員とか勤めたり組織勤めてて、自分が休んだり病気をしたりもしくは退職したりね。
もしくは辞めると。辞めてそこから離れるじゃないですか。その時に多くの方は思われるのが、自分がいなくて回るのかとか自分がいなくても何かがうまくいくのかって思われるんですけど、回ります。回るんです。なんか嫌じゃないですか。
わかりますよ。従業員の立場からすると、自分はその中で重要な役割をしてたから、自分がいなくなったら会社は潰れるかなってぐらい思ってたけど、全然そんなことはなかったです。
そういう、自分がいなくなることで全然世界は回りますよねっていうのがある。これが本質的には今お伺いしたいような、何かできたり何かやっているっていうような、それこそいわゆる好きとか強みとか得意みたいなことね。あんまりそういう言葉は使わないほうがいいかなと思ってあんまり使わなかったつもりですけど、
それを発見するために否定したりなくしてみたりするっていう試行実験です。だから体調がいいとかメンタルがいい時に限ってやってくださいね。そうじゃない人が今これ聞いてて、ちょっとしんどいなみたいな人がやめてくださいね。全然良くない結果になるから。
それがなくてもいいよね。なくても大体できるよね。他の人でもあるよねっていうことが、別に否定じゃないですよね。会社ってそういうふうに回さなきゃいけないから、そうなるようになってるだけじゃないですか。
って感じですよね。だから意外に大体されてしまって、僕がアイディアを出さなくてもいいし、コミュニケーションしなくてもいいし、文章を書かなくてもいいし、何も考えなくてもいいよねって言った時に、もう気が狂いそうになりまして。
本当に。多分アイディアを出すっていうのはちょっと違うんですけど、これ良くないみたいなことを言いたいですよね。多分ね。きっと。なるべく人と共有したい。
多分。人と共有したいっていうのは、今ダイレクトにコミュニケーションで誰かと話すとか話しかけるみたいな話してるじゃないですか。じゃなくて、作品を通してこれ作ったよどうすかみたいなことで、その作品を通してとかをやればいいわけです。
ゲーム作りでもいいと思うんですね。多分。その作品を通してコミュニケーションできるのであれば。だからコミュニケーションとアイディアってところは多分、消えないんじゃないかなと思いました。
だから、前職といってもだいぶ古いですが、本当に20年前になりますが、プログラマーっていう仕事は、そのプログラムとかを通してコミュニケーションすることは多分できなかったんでしょうね。
だからそれこそインディー開発、個人開発でやるっていうのもありですけど、あれコミュニケーションしてるのかどうかわかりませんけど、それは捉え方でお客様の声、ユーザーさんの声でいろいろもらってやられてる人もいるけど、同時に批判はいいんだけど、誹謗中傷みたいなのが飛んでくると嫌ですよね。全部受けなきゃいけないんで。
思考とコミュニケーションの深さ
だからそこらへんは本当にできるのか?みたいな風に考えるとちょっとハテナになるから、僕は選んでないしやってないけど、違うやり方があるかもしれないですよね。文章を書くでも、別に小説家とか書く専門の仕事みたいな、書いてるよってことをやりたいかっていうと、なんかそういうのでもないかなと思いながらも、別にショートショートみたいな、映画に書かせたりですけど、あるんで、別にそこまでどうとかもない。
だけど、何かを書くということは、話すでもいいんですけど、それがある程度100%は伝わらないですよ。かといって数パーセントしか伝わらなかったらさすがにちょっと効率が悪すぎるんで、もうちょっと上げたいよねって。でも2、3割は伝わってほしいかなぐらいで言っておいていると。
でですね、そういう時にやってきていること自分が得意だ、あと思考か。多分ですね、そこら辺全部剥がしていくと、ひっぺがすという感じですけど、バリバリバリバリ剥がしていくと、アイディアとかITはちょっと違うんだけど、文章を書くとか調べるとか、何だろうなと。コミュニケーションもいいですけど、何だろうなといった時に、やっぱり考えたいんじゃないかなってことになりました。思考ですね。
で、思考するってことはどういうことかというと、哲学したいわけじゃないですよね。幸せとか何かみたいなのを考えていきたいとか、そういうことじゃないです。考えることもあるし、幸せを考えたほうがいいんですけど、それを突き詰めたいみたいなのはあんまりないというか、わかんないですよねぐらいになっちゃう。
で、幸せの定義は難しくないですか。だから人によって意味が変わるから、どちらかというとその意味がいっぱいあるから、それいっぱい意味あるから良くないですかっていうふうに、これは言葉が持っているかもしれないですけど、いろんな意味があるから安心してくださいっていう方を言いたいですよね。
それこそ今だったら部下が値上がりしてて、少しでも安いところがいい時に、今までのものがちょっといつものように変えてちょっと安心したわみたいなのがちょっとした幸せかもしれないじゃないですか。でも一方で幸せもいろいろあって、ちゃんと値上がりしてくれるから応援している企業とかメーカーとかが買えるよねっていう。
むしろ値上げしてないところが心配だよっていうふうで、値上がりを喜ぶ人も&もあるわけです。これはもう矛盾というよりも誰しもがそういう感覚を持つんじゃないかと思う。いろんな状況で変わる。だから幸せもいろいろあるからご安心くださいと。
くどいですけど別に僕が万人の思想や考え方とかを知っているわけでもなく、すごくバイアスですね。偏見とか偏りがある中で、しょうがないですよね。僕が生きてきた世界で言ってるんで。偏りがありいので話してますけど、含みで話してるんですけど、いろいろあるよねと。だから意味がいろいろあるよねって方が僕は好きですよね。
選択肢みたいな話ですよね。1個の選択肢がなかったら選べない。もうそれやるだけじゃないですか。つまらないじゃないですかって時に2つ目3つ目っていうのがあって、それを考えたりする。もしくは生み出すのが僕のとってのアイディアなんだろうなとは思うんですよね。そこには多分人を楽しませるとか面白がるとか、自分が面白がるってところにリンクしていくんじゃないのかなと感じてます。
アイディアにこだわっているっていうつもりも、どういうふうにあなたに伝わっているかわかりませんが、相手にこだわるというのもあまりないですし、アウトプットにはこだわるのって良くないか悪種かなと思ったりします。
ただ、その瞬間に否定するのは、適切な人、伝えたい人に伝えるには適切な量とか伝え方とかがあるから、そこはやっぱり自分のこれをどうだだけでは良くないですよね。
それを踏まえてどこまでできるかという。良いサイズの塩梅の料理をするというのはやらなきゃいけないというか、やっていくということになりそうです。
すみません、だいぶ長くなりましたが、今回は何かできるということはし続けているというところで、僕のキャリアのたなのしじゃないんですけど、何で話しているの?何で書いているの?何で考えるの?
考えるの面白くないですか?というしかならないんですよ、本当に。こういう人がいけないでもいいし、こういう時にこういう行動をとったらどうなるかとかね。面白くないですか?
アイディア選択肢があることで余裕がもらえるかもしれない。もちろん混乱して他のことをやりたくないという人もいらっしゃるから、それは刺さらないですよね。
それはわかります。でも、これやってください、これやってください、これで決められていますというのが、僕は面白くないというだけです。
それが面白いというか、それで動けるという人もいるから、マニュアルとかそういうルールを否定しているわけではないけど、自分なりにどう面白がれるかといったら、多分そんなところしかないんでしょうね。
そういう枠というか、面白がり方はこうです。自分を下に見るわけでもなく、上に見るわけでもなく、自分を客観的に捉えていくと、思考を考えるとか面白くないですか?というぐらいしか本当にないです。
誰かにお金をもらって思考をせよと言われたわけでもないし、親に思考はしとけとか考えろとか、考えろと言われてはあまりそうはないですけど。
でもあるか、考えていないと怒られはしないですけど、あれはあったと思うんですね。環境としてこれをどう思うということはよく言われていた気がしますね、割と。
特に小学校、高学年とか5、6年生くらいですよね。恩師というか、ほどくとも良い先生が、これはもう恩を返すというよりも社会に返していくしかないかなと思っているんですけど、そういう先生もいらっしゃるんです。
続けることの価値
書いていくとか伝えていくということに面白さを持ち、結局文章を書き続けていると。だから僕も文章を書いているんだけど、お金をいただくとか仕事にするとまた違うし、自分で書きたいものを書くのもまた違うし、いろいろある中で続けていることでもあるんですけど、
そうやって書くと考えが芽生えませんか。自分ってこう考えているなと。人とは違うなでもいいし、ここは一緒だけど、なんかみんなと一緒で嫌だなとかね。わかります?
芽生えていって、中学校ぐらいからそういうふうにいろいろ考えて、哲学者になりたいとかないんですけど、なんでそうなる?なんでそんなに違うんだ?なんでこうなっているんだろう?ということを大なり小なりというかね。ずっとなんでなんでなんでとは言っていないんですけど、思えばそういうふうに生きてきたんじゃないのかなと。
くせつでもないですが、思いましたね。なんでそんな話だったかわかりませんけど。自分にとって思考すると考えるをもしやめてくださいと言ったら多分発狂すると思うんで、思考禁止令みたいなのが出るとするじゃないですか。笑い話じゃなくて。どうするんでしょうね。
コソコソコソコソと考えるっていう。書くの禁止とかいろいろ言われるような。話すだけでも話すのもね。周回禁止とかそういうことなんですよね。考えさせない、議論させないってことで。すごいなと思う。思考を奪いますよね。そうやってマジで。本当に思うんで。
だからそれをねちょっと考えていきたいですよね。どう考えるか。思考を奪われたらそう。多分なってくと思います。で、本当に草の根活動とか、あとなんだっけ。デモ?デモとか別にしないですけど。全然やってもいいんじゃないかと思います。考えるを奪うなって。本当に全然笑い事じゃなくてやる気がします。
それぐらい自分にとって重要なことなんだと思います。その副算物なり、全てのことがあって、それが絶対メインというよりも、ことをやっていると考えてますと。考えてますって言うから別に偉いとか、今社会はこうすべきだとかそういうことを言いたいわけでもなく。
一応市民として、市政の人って言ってますが、何かやっていかなきゃいけないなっていうところを必死と感じて生きておりますと。すごいまとめですけど。でもそうなりませんか。
最後にメッセージとしては、長くなったのでメッセージも残しておくんですけど、結局今こういうことやりたいですとか相談全然ないですけど、お前さんこういうことやりたいんですけどどうしたらいいの?やったらどうですか?って言うだけなんで。やったらどうですか?聞きたい人はぜひ相談来てください。
倫理とかね、社会的にどうよってやつは全然言いませんよ。やめといたらいいんじゃないですかって。じゃなかったら自分の興味関心というか、そういうものが触れてないのであれば全然やってくださいって言うね。
だからギャンブル中毒でどうしますかって言われて困るんでコメントは差し控えさせていただきますけど。やったほうがいいです。今やりたいなと思った答えぜひやってください。ここまで言えばさすがにちょっと迷ってる人はやられるのかなと思います。
でもそれでも刺さらない方も絶対いらっしゃるんで。そんなことは言うけど、それはあなたおかずさんだからじゃないですかって言われたら、そういうことじゃないんだけどなって言っておきますよ。誰でもそういうのがあるかなって。やってみたいことあったらやって。
なぜかというと、後でもいいんですけど、お楽しみは最後だぜっていうことってあんまなくて、その稲荷に今やっとかないと結局アクセスできない。さっき何度も最初にまとめても言いましたけど、やることが続くから経験とか時間が経っていったり就熟していったり、あとはさっき言った信頼とかになるんですね。
もちろんこれもフォローしておくんですけど、マルチポテンシャライとか、いろんなことをやりたいっていう方がいらっしゃるんですね。僕もどちらかというとその気質があるんですけど、1個これ決めてやるっていうのが苦手ですって方が多分いらっしゃるんですよね。
その場合は別に変わってていいんで、これ今これやってる、今これやってる、これやってる、で後から精緻ですね。精緻か精緻かわかりませんが、そういう整えていくと後で別に自分はこういうふうにやってますよっていうことになるので、あんまり心配しなくてもいいかなと思います。
どちらかというとそれは他人からどう見られるかに対して不安になるのはわかるんで、やっぱ違うのかなと言われて、続けないとダメなんだよねって言われるとちょっと違うかなって。だから僕が今回ごめんなさい、続けろっていうのは同じことを一つのことを続けるっていうことの賛美というか、
のみっていうことじゃなくて、いろんなことを続けるでも全然一緒なんですね。続けてやめて続けてやめて続けてやめて続けてやめてで、ABCDで4つあったとするじゃないですか。それが1年に1個ずつどんどん変わっていって50年間生きてる人だったら50個あるとするじゃないですか。それは言い過ぎだから30個ぐらい。
20歳ぐらいから社会ですね。でもそれは整えてたら共通点ありそうじゃないですか。絶対ある共通点は。その行動原理や行動原則みたいなのがさっきの僕がお伝えしてた思考禁止法みたいな、いろんなことやるな禁止法みたいなのがあったときにどうします?でもやりたくないですか?好奇心とか興味がある?面白いか?やりたくないですか?
っていうところになっていくんで結局そのまとめてしまえばどこかにまとめられるような気がします。無理にまとめなくてももちろんいいですよ。だから続けたことをやめたからダメとかはなくて続けてやめてやめた意味を考えてそれはまた休憩して再開して休憩してくれってことかもしれないじゃないですか。
僕であればポッドキャストをずっと喋っているように思われるかもしれませんが全然そんなことはなくて2,3年やってやめてなんか違うなとか天の声神の声みたいななんか喋ってないなみたいなのが出てきてまた喋り始めてまあいいかなって言ってやめてそれを繰り返しますね。
だからこの職業グループラジオがずっとやりますとかってことは全然言ってないですしわからないです。わからないんだけど一つだけパートナーからアドバイスが言われたのが喋っている方がいいよねみたいなところは言われたことがあります。
確かにこれはライフハックっぽい話でいくとなんかやってたりなんか喋ってたりする方が多分僕はいいんじゃないかなと思ったりします。どういう状況であれね。これが大事です。その頻度がもう年に1回でもいいし年に1回はさすがにどうかと思うんですけど。
毎日じゃなくても平日ね話しますけど。話しますけどじゃなくてもいいじゃないですか。
自分のペースでやっていただいて別に週に1回とか平日1回って絶対競争するわけじゃないじゃないですか。散々批判しましたけどいいねとか誰かの評価を得たいからやっているのかって言ってね。
もちろんその反応が全くないからめげるとかわかるんですけど、じゃあその反応があるならやるんですかっていう話も言えるんですよ。反応があるからやるっていうこと自体は結構まずいなと僕は思ってましてその反応のためにやってませんか。
でも違いますよね。順序は自分がやりたいやったそれで反応があるじゃないですか。順序は自分がやりたい作品とかなんか出す反応がある評価じゃないですか。
もう一回言っておくと自分がやりたいがあってそれが作品になってそれで評価されるだけじゃないですか。なのにいいねとかがあるそれが欲しいから作品を作る。いいねが欲しいから作るからそれで反応がない。
自己表現と評価のバランス
これは矛盾というかループしてるんですよね。循環参照みたいなエクセルとかでありますけど、自分自身をセル内で参照するとA1参照してるけどずっとA1参照してて何も起きないよみたいな。
ずっと同じ文字を結合し始めてバグるよみたいな。僕は思うんですけどどうですか。循環してません?
循環がエコシステムとして機能してぐるぐる回るって意味なんですけど、ただ同じものを見ていいねが欲しいために作っていいねがないから落ち込む。
じゃないですよね。そのループはやっぱり僕は違ってると思ってまして、自分が商業とか仕事ってことであれば他人とか社会的な意味で他の人が価値があるよねこれを欲しがってるよねってことは探ったり考えたり
それに提示するって意味ではさっき言ったアウトプットの仕方を考えなきゃいけないのは確かにあります。それは全然否定してないです。
だけどそのためだけにやると今言ったいいねが得たいから評価が欲しいからやるからどうかってなる。
そこだけで完結するとダメで、いいねが欲しいっていう考え方が別に僕に絶対ゼロではないですよ。何もなかったらやらないかもしれないね。
そこは言っておきます。だけどそのためだけにやらない方がいい。その割合ですよね。ゼロ十、ゼロ百とかだとダメなんです。できない。
だからその中でも冷静に考えてください。それって自分がやりたいとかこういうの面白いと思うとかこれいいんじゃないかと思うことを出していく。
やりたいから作る。やりたいからやってみる。もちろん100%それだけだったら俺の意見を聞き、俺の作品いいだろうとなるから受け入れられないのはわかりますよね。
だから俺100%を出したら評価ゼロだから他人がいいやつ100%にして評価されないからどうしちゃいいんだみたいな人がもしかしたらいらっしゃるかもしれないけど
それはどちらかに極端に寄せていったらさすがに壊れませんから。だから適切に自分がやりたいことでかつ他人がいいなと思うところを狙うというと
ダーツみたいな感じするかもしれないですけどもうちょっと緩やかに重なりが生まれてくるような気がします。少なくともいいねのためだけにやってた時に
シンプルにですよ。これは今回の話でも出てくるように思考法禁止みたいなふうに極端に思考実験としてやめたらどうなるかというときに
それで心からですよ。自分が心から楽しいですかっていうだけなんですよ。
でそのこの状況の時にこの状況文脈局面で楽しいですっていう人いるんですかね。その人が100%を求めているようなことだけやって
それが評価されてそれで自分でいいんだ。その時に自我を失わない限りにって限りますよね。伝わってます?自分がやりたいことではなく人がいいと思うものをやる。
自分はこんなイラスト絵を描きたくないんだけど人が求めるから描いてますっていう方がいらっしゃる。その方が絶対それを否定する。それをねだけ取って否定しないんだけど
それを続けていくと何になるかというとその人が求めたものを書くだけになるんですよ。
で僕はこの思考をするという観点からすると人が求めていたものを書き続けるやり続けることを否定しないです。
やってることは否定しないです。それがお金になりますっていうね。だけどそれを休むとか辞めるとか違うことでそれこそ自分が本来やりたいものをやってみるとか
リフレッシュしたりとかですよ。それは何か仕事があって平日あって休日は休んで自分の心身ともにリフレッシュするとかやりたいことをやると。
その感覚を言ってます。がないと自分が意志を持って何かやるとか。意志のものです。自分の意志とか心持ちとか心情とか生き方そのキャリア感考え方自分の価値観の問題になりませんかってことに僕はなります。
それはいいですと。私は他人のやりたいことを望むある種クロコみたいな感じでマシーンみたいな感じでやり続けられるしそれが本当に心から楽しいんですよって方がいらっしゃるかもしれません。それはちょっとわかんない。
でもいたらそれは心からそう思ってるんだったら全然やれますよ。あとはシンプルにやりすぎて病気にならない。うつ病とかね。心が止まらないとか。
あと、ふと自分なんでこんなことやってるんだろうなっていうふっとしたことですよね。時に耐えられるかって話ですよね。
だから純粋に絶対自分が好きなこと得意なこと興味があること自分はこれはこれなんだみたいなことをやらなきゃいけないとは全然思わないです。
だから人には欲というかやりたい欲求のものが全然違うじゃないですか。その時に5対5でね。他人がやってほしいこと自分がやりたいこと5対5きっちりみたいなのは多分ないわけですよ。
ある時には自分がやりたいことは1しかできないけどある時には9出せる。でもそれって両方あっていいかなって時に僕は調整弁みたいな感じでいくと既水域ですよね。
淡水と海水の間というか、いろんなところが混じるところがいいと思ってるんで仕事なりいろんなプロジェクトなりいろんなものは色々あった方が僕は好きですしいいなと思ってるっていう。
そういう考え方があるっていうふうに思ってもらうのがいいかもしれないです。
結局、じゃあいいねうんぬんとか評価がうんぬんしたじゃないですか。だけど結局別にSNSプラットフォーマーとかがいいねがどうのかを保証してくれるわけでもないし、ただそういう場を出してるだけなんで、
半分まゆつばでなんだろうねぐらいのふうに思っておいた方が僕は批判的に見ておいた方が健全だと思うんですよね。
で、本来やるべきっていうのはそのいいねを集めるとかじゃなくて、自分の…これはごめんなさい、ブーメランみたいに持ってくると思うんで、
次回を込めて言っておくんですけど、本来やるべきことは自分がいいなと思っていることをなるべく伝える。
それを伝え方を色々考えるってことなんじゃないですか。
だから問いが若干違っている。全部間違っていると言ったら強烈なんで、いいねを得るためにはどうすればいいかという問いはちょっと微妙じゃないですか。
多分。じゃなくて、自分がいいなと思っているものをどう届けられるんだろうか。
もしくは、人がいいなと思っているものを自分が面白いなと思って解釈していくにはどうすればいいんだ。
いやそれができないんですよってなったら、そういうこともありそうですけど、ちょっと大変なものもあります。
だけど、学んでいって社会に生きてきて何かやっていくってことは、結局その集団に一人じゃないと作業できませんとかっていろんな方がいるんだろうけど、
その中で適応して生きているわけじゃないですか。適応って結構すごいなと思って、その調整弁であるし、色々やりとりできてるんじゃないかなというふうに思いました。
さすがにちょっと疲れるようになって、これくらいにしたいと思います。
今回ですね、ちょっと熱っぽく話していましたけど、結局何か続けていること、続けるというと同じことだと思われるのでごめんなさいね。
色々やったり、何だかんだ言って何とか今やってて何とかしてますって言えることっていうのが正確ですかね、が大事だなというところでした。
ぜひですね、振り返りなり、ご自身の仕事、キャリア、価値観を考える上で参考になる点が1個でもあれば、1ミリでもあれば幸いです。
というわけで、長々お付き合いありがとうございました。
創作の動機
以上で終わります。シゴクリラジオ大橋でした。
以上失礼いたします。
01:26:57

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