イベント参加の振り返り
はい、シゴクリラジオ大橋です。今回もよろしくお願いいたします。このシゴクリラジオはパーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。よろしくお願いいたします。
今回のテーマは、もうだいぶ前ですけど、イベントに出たんですよ。アイディアソンとかハッカソンだったかな。まあまあまあ、おまかい話はそれぐらいにして。
そのイベント自体は、まあまあ、どうでもいいというかね。言い方がよくないですけど、まあまあ置いといて。出て、がっつり一日で、結果というか、一日午前で午後でプレゼン、夜には結果が出るのかな。
そんな感じだったかもしれませんし、ちょっと覚えてないんですけど、2日間ぐらいやってたやつなんですよ。大阪でやってまして、名古屋から行ったんですけど、っていうところの話をしたいと思います。
テーマとしては、そこまでやるのかとか、本気度みたいな。本気ってことはあまり僕好きじゃないんですけど、要は想定を超えてくるとか、どこまでやりたいかっていうのは、結構行ったり行動で示さないと伝わらないよねっていうところです。
プレゼン技術が上手いとかそういうことじゃなくて、わかります?あんまり言葉はいろいろ言ってくれないのかもしれないけど、すごい伝えようとしてくれてるのは伝わるっていう、いわゆる言葉にならないけどっていうのはありません?
言葉にしなくていいという意味ではないんだけど、そこまで伝えきれてます?っていうのを思い出したんですよ。前々回ぐらいで大極観というのを見ようというのは長すぎ1時間ぐらい長いので、全部聞かなくてもいいんですけど、そこの副産物といいますか、ヨハでもあります。
本当に伝えてますか?自分がパワフルにならなくてもいいんだけど、向き合うとかというとストイックかもしれないですけど、やり尽くしてますか?って伝え尽くしてますか?みたいな話ですかね。
やり尽くすと言ってもいいでしょう。怒られた話じゃないですけど。今回のテーマはやり尽くしてますか?みたいな話です。
別に企業とか仕送りじゃなくても、普段の仕事でも趣味でもなんでもいいんですけど、どこまでやってます?っていう問いをリスターのあなたに問いかけて、僕はどうだったか。結論的にはできてなかったっていうのが結論で、そこからイベントで変わったかって言ったら正直わかんないですし、
今になって思い出したので、その振る舞いが僕自身が良くないなと思うんですよ。だけど、良くなかったと思うんですけど、でもやりたくないというか無理なものも無理じゃないですか。
っていうのは両方あるので、ここですよね。その上でどこまでやるかみたいな話をちょっとゆるゆるとね。寝ながら、家事しながら、ゲームとか漫画、漫画読みながらと思いません?ゲームとかしながら、ゆるゆる聞いてください。今回もよろしくお願い致します。
自己表現とコミュニケーション
はい、しごくりーラジオ大橋です。今回テーマはですね、あるイベント、アイデアソン、ハッカソンというのに参加した時に感じたこと。今回一つですかね。
アイデアソンとかハッカソンというのは別にアイデアの村とか、ハッカの村とかね、そういう飴の村とかじゃなくて飴じゃないですよ、ハッカはね。植物ですね。
イベントですね。アイデアソンというのは、いわゆるアイデアコンテストみたいな感じで、アイデアをその場でワークショップ形式ですね。自分たち参加者自身がグループなりを組んでその場でそのお題を出して、それに対してこうですっていう風にグループで固めて調べて考えてね。
ブレストじゃないですけど、こういろいろアイデア出し合って最後に発表するみたいな。そうそう。で最後に評価、審査員の人がいたりして評価するみたいな形式です。1日で終わることもあれば長いこともあるかなと思います。アイデアコンテストとの違いは一応言っておくと、アイデアソンというのはマラソンのソンだと思うんで、一緒に考えて出してやりましょうということで、参加者が考えるって感じですよね。
アイデアコンテストってのはすでに考えたものをそこで事務局なりが審査してって感じなんで、参加者が考えて出しますってことだけ見たら、もちろんおのおの参加者は考えて出してるんでしょうけど、そのイベントのオンラインオフライン問わずですが、集まってみんなでグループ作ってそこで考えて出すっていうのが、それでやってみようっていうのがポイントですね。
ハッカソンも同じですね。ハッキングっていうとよくないですけど、要はものづくりと言いますか、特にプログラミングとかアプリとかウェブサービスを作るっていうようなイベントをその日に作ってしまうとか、その時間でプロタイプで動くものを出すと。
そんな話で、それは同様ですね。だからアイデアソンというものよりもハッカソンのほうがコストというか時間がかかったり、プログラミングがある程度できる人がいないと成り立ちづらいみたいなのがあるので、ある程度プログラミングできる人みたいなのを分けたりしますよね。それはちょっとニッチな話だと思うので、そんなイベントです。
これ結構規模が大きくてですね、どのくらいだったんだろうな。100とか200名とかかなりいて、グループも柔軟グループとかできてるような感じでした。結論的に言うと、まず僕の振る舞いですね。
楽しい意味というか面白そうだから参加したんですけど、これ批判という感じになっちゃうんですけど、すでにグループとかが作られてしまってて、このアイデアどうですかって言って、どこかに行こうとしたりやろうというふうに自分がやろうと思ってたんですよ。
そうしたら全然できなくて、学生さんがいてそこに入るくらいしかなかった。言い方は学生さんたちに申し訳ないですけど取り残されてしまったという感じなんです。
これ良くないですよね。ご経験あるかあまり良い思いがないかもしれませんが、学校とかで判分けとか来るわけないですか。取り残されるみたいなのって、僕はわりと分かってて、グループで番を張るというか代表とかなんかやらないと取り残されますよね。
そういうところからすでに負け戦。モチベーションが下がりましたよね、その時点で。なんかこれ仕込んどかんと勘やつなんかみたいな、分かります?事前に。そういうのは思いました。
それはいいんですよ。それは良くて、ちょっと記憶違いなところは。いや、記憶違いじゃないです。大丈夫です。そうやってやってたんで、僕もモチベーションが下がってしまって。
プレゼントはもちろんやるんですけど、学生さんが楽しそうにやってるから、サポートみたいな感じになって、あんまり喋ることもなく堂々アドコーダー行ってたぐらいだったんですよ。パフォーマンスというか出せてないですよね。
それは正直良くないなと。で、その一緒にグループじゃなかったんですけど、最初のアイスブレイクというか最初の時に話してた人で、結構変わった人がいて、ちょっと名前は出さないんですけど。
覚えてないっていうのはあるんですけど、Aさんとしております。そのAさんが結構意気込みというかやり手みたいな人で、アイデアあるのかいろいろやるぞみたいなことを言ってて、結局その人は自分たちというかグループはちょっと分からないですけど、
自分でグループ作ってて、その人がプレゼンしてたんですけど、プレゼンがめちゃくちゃ上手いとかそういうことでもないんですよ。お前のプレゼンもどうなんだってツッコミがありそうなんですけど、僕も別にやれるよみたいな。
その時に思ったのは、なんかめっちゃ必死なんですよ。必死っていうのは必ず死ぬって書いて必死の方ですけど、ものすごいこれをやりたいんでこうさせてくれないかみたいなことを伝えてくるんですよね。
成功のための準備
それないなーと思って、本当に野球じゃないけどスポーツ観戦するファンの気分ですよ。すげーなこの人みたいな。本当に思いました。だからその日の終わった後のこの瞬間に話す機会があったんですけど、本当に率直にすごいなと思ったんで、すごいですねって言ったら、いや全然ですよとか言ってくるんで、この人すげーなみたいな。
そういうことないですか?実はあなたはどうですか?じゃあすげーなと思いまして、本当に感動しましたよ。一方で、大阪に来たいわけでもなく、大阪の人を悪く言ってるわけじゃなくて、そういうイベントはあまり名古屋とかなかったんで、行ってみてどうかなっていう。
その頃から、ちなみに僕自身はアイデアソンとか科学科さんに対してもうなんか疑義というか、何やってんだろうなって思ったんで、そこから冷めていきますね。今もあるんでしょうけど、その頃が割と盛り上がってた頃なんじゃないかなと思います。やるなとは言いませんし、僕もやってるかもしれないんだけど、今の話からすると、ちゃんと設計しないと参加者にとっては良くないですよねっていうのはあるし、
そんな考えてないわけですよ。わかります?この辺は結構ポイントなんですけど、考えすぎている。僕がですよ。でも考えなさすぎてるわけですよ。こっちからすると。これぶつかりますよね。
なんで、そこで腐らずにやるかってことなんじゃないかなっていうことは、最近よく思ってるっていう感じで、この間大局館の話もあります。つまり一歩先二歩先考えれるか、相手のことをどう考えてどう動かしていくかってときなんですよ。今回は大局館はもうないんで安心してください。
今回はそういう、必死にやってる人を見て全然滑稽だなみたいなことは思わなくて、それ滑稽だなって思う人もいると思うんですよ。そんな頑張って笑うみたいな人ね。そんな人はいないかもしれないけど、いると思うんですよ。
高谷がイベントなのに張り切っちゃってみたいな。でもその人たぶんそれで通ってて、次の大予選通ってたと思うんで、その人が優勝したとかそこまではちょっとわかんないですけど、もうそれだけで十分だなと思ったんですよ。ある種。いったかいわかったというか。今も覚えてますがね、これかなり前の話ですよ。
2、3年前じゃないですよ。だいぶ前。で、それを思い出したんですよ。その話をね。で、これなんでそんな話したかっていうと、別に自分語りしたいっすって話でもなくて、別にそういう気分だから話してるのはあるんですけど、やってるなと思ったんです。やり尽くしたというか、要はスポーツ選手とかもそうですし、本番試合までにしっかりと仕上げる必要がある。
もちろん練習の試合もしっかりやる必要があるんだけど、それまでにちゃんとパフォーマンスが出せるように準備をして備えてくるってことなんですよね。きっと。これ伝わります?だから、プレゼンするとか、どっかに行くとか、誰かに会うとかってときに備えしますってことでいくと、
これね、だから僕が前昔、昔、前昔というか昔、大学生の頃に、自分がやりたい施設図書館というか、本の共有みたいなことを言ってたんですよ。本の共有っていうのは別にみんなで本を貸し借り合いましょうってことじゃなくて、知識とか経験とか、本ってもっと面白いからなんかやりませんかみたいなことを、
ワードの何枚だったかな?結構あるんですよ。6ページとか10ページとか。ワードぐらいしか使えなかったっていうのもあるんですけど、パワフォーマンス使えなかったか分かってないんですけど、とりあえずそれに書いてて、大学生のときですよ。会う人にこんなこと考えてるんですって言って、対応っていうので、すごいねみたいな人もいれば、聞いてくれない人もいれば、多分聞いてくれる人が多かったですよね。
そうなんですね。一方的に話すよりも、話のネタですよね。初対面のときって困りません、なんかネタないから。こんな考えてるんですけどねぐらいの、名刺渡すよりも、目の前の人がどうでもいいとかないですけど、話盛り上げたくないですか?みたいな。
相手のこと知りたいですよねってときに、これは僕有効だと思います。場所によると思いますけど、スマホも見づらいし、バインダーというかファイルに閉じてて、見せてて、A4ぐらいのやつなんで、紙持って話してやってましたけど、思い出して、そういうのやった方がいいなと思いましたね。
これは今度はイベントというか参加するんで、そういうときに始めてる人が多いと思うんで、自分の考えていることをA4にまとめたもの、もしくはアイデアコンテストとかね、今考えてるんですけど、自分が考えたいやりたいことを出しておくのは有効だなと思います。
やり尽くす重要性
それは未来とか将来的にどうとかって言うんでもいいんだけど、それだったらなおさら書いておいてどうしていくかっていうことを考えないと実現できないですよね。だから実行していくんでどうしたらいいですかねみたいな。ここ足りないんで協力してくれませんかでもいいし、それは当然明記しないといけないですね。その人が信頼足りえるかとかね。
それはまた別なんで。でもそうやって話していくと、この人やるんだなとか伝わりません?僕はそこは割と自信あって、本来さっきのイベントのところで自分がやるべきだったんですよね。だからそこは若干後悔はあるんですけども、しゃあないですね。そこはしょうがない。
だから今やりましょうねってことをたまに一時期やりましょうって言ってたんですけど、どこまで伝わってるかわかんないですけど伝えていかなきゃいけないなっていうのは思いました。で、その時にやり尽くしたというか、人事尽くして天命待つでしたっけ?ちょっと間違ってるかもしれないですけどことわざみたいな。
やり尽くして自分もやって、これダメならもういいやっていう感じってどうです?それ好きですか?僕はかなり好きで、それ。やり尽くしてもうこれでダメなら諦めようみたいなのって良くないですか?それがですね、端的に言えばやり尽くしてないのに諦めてたらそれはあかんよねっていうことでもあるんですよね。
やり尽くしたかどうか。で、あってないならやり尽くしてくださいねみたいなことですよね。だからやり尽くしましょうと。やり尽くすっていうのもここがふわっと曖昧なんですけど別に人によって全然能力も違うしやれることも違いますよね。
やり尽くしているというか、事業とか仕事作りでもそうなんですけど、事業っていう何か漠然としたものをやるんじゃなくて、結局抽象的なものを個別に具体的に分解していって、今はこれを調べてます。今はこういう人と会ってますとか。フェーズっていうのが綺麗に分かれるわけじゃないんですよね。別にヒアリングして、綺麗にそんな風に分かれるわけじゃないですね。もっと泥臭くていいですと。
そのような状況の中でもやってるかってことなんですよね。一個一個ね。それだけだと思います。で、その反省というか内省というか踏まえた時に、伝わらないなと。これは普段の僕のアウトプットでもそうなんですけど、
これを3000万人の人に聞いてもらえないと困るとか、それはないですし、どちらかというと今までのショークリフリックで聞いてくださる方にとっては、小規模でいいから届けばいいんだよねみたいな感じで捉えていただいてると思うんですけど、
なんだけど、そうなんですよ。なんだけど、言っても伝わらないことはめちゃくちゃないですか。これ、例えばBっていうことが大事ですよとか、Xってことが大事ですよ。
例えば、人に対してしっかり伝えることが大事ですよって言われても、そうだよね、大事だよねって。本当に理解してて体験してて頭で理解してる人はそれではい、そうだよねなんだけど、そうじゃない人とかね。
頭だけでしかわかってない。実際にわかんないけど、大事ってみんな言ってるから大事だよねみたいな。わかります?実体験が伴わないやつ。
AIっぽいと言ったら怒れますけど、大事ですよねって相手が言ったから大事ですよねっていうのじゃなくて、違いますよ。相手が大事だから大事じゃないんですよ。相手が大事だけど自分が大事と思うのは何かってことを示さないと、大事っていう理解は示さなくないですか。
そのやる気とかも、熱量、本気とかね。そういうのもそうで、私は本気ですって言っても伝わらなくないですか。それやりがちじゃないですか。わかりますよ。本気なんですって言っても意味ないんですよ。
これ伝わります?本気ですって言っても、僕は本気なんですって言ってもダメなんです。もっと言えば、本気なんですって言って全然本気じゃないですっていう人が2人いたときに、どっちが本気だと思います?
なんか元気が良さそうなら本気ですって言ってる前者なんですけど、本気じゃないですっていう人、元気ないなっていう人って、印象は元気度からすると良くないじゃないですか。でも挨拶はそれですよね。挨拶はそれみたいな。
で、その人対面の人で、本気なんですって、普通怖いんだけど、こんばんはーみたいな人とこんばんはーみたいな。こんばんはーかこんばんはーか、別にどっちが正解ではないです。
でもそれをリスナーの方が判断したときに、どっちの話を聞きたいかって言ったら、こんばんはーっていう明るい人かもしれないし、こんばんはーってちょっと元気ないなっていう人かもしれない。
だけど、ここで冷静になっていただきたいんですけど、別に元気な人に触れ合いたいみたいなものじゃない限り、何でそこにいるかによる、何でその話を聞いているかによるんですけど、話す内容とか、その人が何を考えてどうやってきたかの方が、
僕は面白いと思うんですけど、リスナーだったらどうか置いておいて、僕は面白いと思うので、こんばんはーって元気だけど、話すことありませんとか言って、何しに来たみたいなね。
話すことないんじゃなくて、自分が今考えていることはこれでとか、そういうのは欲しいじゃないですか。
相手を理解する手法
わかります?
で、さっきのこんばんはーってちょっと元気ないんだけど、こんな感じで考えてますっていうのが、すごく淡々とやってるんだけど、すごい考えられてて、じゃあやろうよみたいなね。
プレゼント仕方とか表現の仕方みたいな話なんだけど、どちらにせよ元気か元気じゃないかとかはどうでもいいんです。
表層的なやつはどうでもよくて、その人なりにやり尽くしているかってとこがポイントなんだと思いました。
思いましたというか、思ってます。
で、僕がハッカソンに参加した時の僕なりのやり尽くしたかはない。
すっげー消化不良だった。チームビルディングのところからすっげー消化不良で、でも学生さんの手前そんなに不手札られててもしょうがないんで。
わかんないですけどね。そこにいた人が聞いてるとは思えないし、わかんないと思うんで。
で、何だっけ。話だけじゃないし、そういうことはあるわけですよ。
うまく力発揮できないなってありますよね。今こうやってるんだけど、うまくはまらないってありますよね。
確かに自分が悪いとか環境が悪いとか、どういうところに原因帰属ってことで、何のせいにするってことですけど、
どういうものを原因とするかってことの感覚とかね、それは全然違うんだけど、
一個言えるのは、一つだけ言えるのは、これが最後のポイントなんですけど、
自分がプレゼンとか表現とか伝え方とか言葉とか、何でもいいんですけど、そういうのがない。
あんまり得意じゃないっていう人もいっぱいいらっしゃると思うんですよ。得意な人の方が少ないんじゃないかなってね、僕は思います。
それはお母さんが喋れるからどうっていうふうに、もしかしたら思っている方いらっしゃるかもしれないですけど、
正直どうでもよくて、別に喋りがうまい人と喋りたいとかないですからね、別に僕は。
その人が何を考えてどうしているかを知りたいだけなので、そこに関して和術的なものとか相手の心理とか、
どういうシナリオとか展開とかっていうのは、別に考えればいいし、学びたいなら学べばいいと思うんですよ。
だけど、その技術があるから何かができているっていうことは、たぶん驚くほど少ない気がします。
つまり、隣の芝は青く見えるように自分がないものを持っている人は、
明るくキラキラ見えちゃうんですよね。インフルエンサーとか、芸能人とか、何でもそうなんじゃないですか。
だから憧れるなとは言いませんけど、憧れてもあんまりね、結局目標設定のところで落とし込むんで、
それをやりたいかみたいな話にならない限り、ある程度エンタメである消費じゃないですか。
出過ぎ、たくさん見て疲れちゃうっていうのも勝手なものじゃないですか、消費しててね。
それは脱線なんですけど、伝える技術とかそういうのは置いといて、
実際あなたがやるなら、自分が相手に伝えたいときに何します?相手を知ろうとしません?
本当に初めましてで会ったときとかですよ、例えば。
例えば提案するとか連絡とかコミュニケーションするとき、相手のこと調べません?
調べないからダメとかじゃないんだけど、調べても浅かったらダメとかもあるから、
調べればいいとかってことじゃないんだけど、調べた上でこういうことが言えませんかという、
相手の思考なり考え方に対してプラスしていくっていうことですよね。
それが提案、一歩先二歩先ってことなんですけど、提案です。
だからすごい先考えなくてもいいわけですよね、別にね。
し、相手が求めていない可能性もありますからね。
それはサッカーとかで言えば走ってるんだけど、前の方に攻めるだけで走ってるんだけど、
仲間が見ていないからパスがくれないとか、そういうのってわからなかったりするとコミュニケーションするしかないんですよね。
そういうときに相手がそういうの欲してますか?って聞けばいいわけで、
そうですかってなったら別にね、去るのでもいいけど、なんで興味ないんだろうとか、欲してないのかを聞いていってもいいですよね。
なんか伝わってますか?
要はその伝える技術とかっていうのももちろんあるし、方もあるんでしょう。
だけどその方とかはもうぶっちゃけある程度で良くて、
じゃあその自分が相手に対して、人に対してどうするか。
じゃあその仕事であったらその授業とかサービス作るってことを、自分がやりたいことでもなんでもいいんですけど、
それが価値があるし他の人にも受け入れられてもらえるみたいなことを思ったら、
それをどこまでやれるかってことなんですよね。
でこれ結局短く言ってしまうとやるかやらないかとか本気度みたいになるんですけど、
例えばヒアリングしますとかも、ヒアリングしますめんどくさいですよねってやらなかったらやらないじゃないですか。
でなんでめんどくさいんですかって言ったら、別にそこまでやりたくないって言ったら全然本気じゃないですよね。
でちょっとしたくないなとか手間だなって時分かります?めちゃくちゃ分かるんですよ。
であとそういう、じゃあプランとか紙にまとめてください、まとめに苦手だなみたいな、誰かまとめて欲しいなみたいな。
でいいんですよ、誰かにまとめてもらうのもいいんだけど、
だけどじゃあそのためにお金がかかります、時間がかかりますって時に、
何か差し出しますってことなんですよ。
差し出せないってのは流石にダメなんじゃないかってなるだけですよね。
これはなんか厳しい言い方のように聞こえるかもしれないですけど、
多分そんな感じでしかなくて、
でだから特になんだろうな、
これはねちょっと僕も別にそこまでなんかやられてるわけじゃないから、
なんかね、次回を込めてブーメランが飛んできてもいいんですけど、
要はその関わった人に悪い印象を持たれない方がいいですよね。
悪い印象を持たれたくないのは発泡美人で誰でもいい顔をしようみたいなことじゃないです。
発泡美人は否定的に使ってますよ。
でその出会った人と、
なんていうの、これまでここは行ってる、
なんていうの、自分はこうだよねって言った時に、
考え方が合わなくてもいいわけです、別に。
その人と仕事するとか、
一緒に関わってずっと会話しなきゃいけないとか、
憂鬱だなみたいなね。
そういうことじゃなくて、
そういうこともあるんでしょうけど、
まず相手に伝えるというか話をして、
その話が伝わってるかどうかなんですけど、
意外に伝わってなかったりするんですよ。
そうそうそう。
だから自分が特に、
これはちょっと手前ミスかもしれないですけど、
よく一歩二歩先考えたり相手に対して提案するとか、
この先どうなってるかとか、
この課題はあるんじゃないかとか、
見つけたらどうしようかとか、
クリエイティブな提案の重要性
そういうふうにいろいろ考えて、
提案する人っていうのは、
たぶん授業を作るとかできるんですよ。
で、できる人は、
例えばそれが営業だったら営業で、
さらに相手が欲しがるものを考えてくれるとか、
別にそれはなんでもいいんですよ、クリエイティブな。
カメラマンだろうとか、イラストレーターだろうとか、
文章を書くとかライターでもね、
なんでもいいんですけど、
相手が考えていることを汲み取り、
こういうのをやりませんかとか、
こういうのやってみたらどうですかってことが
提案できる人がめちゃくちゃ少ないんですよ。
で、ソースはいわゆる俺です。
つまり、
自分なんですけど、
そういうことやってる人がバンバン増えていったら、
世の中に、確率系の話ですよ、
それが1割、2割、3割、
確率論でわかんないけど、
やっていったら当たるんですよね。
だから当たらないってことは、
やってないわけなんです。
で、やってないってことは、
そういう人たちがそもそも増えてないか、
なんじゃないかなと思うんですよ。
か、なんで増えないかっていうと、
やり損っていうか、
やっても別にいいことないし、
やれば叩かれるし、
やらないと、
もっとやれみたいに言われるし、
板挟みになっていくみたいな、
状況があるんじゃないのかなと思います。
自己批判と提案
そこを、
なんか、
前の大局館のところの話もしてたんですけど、
今回のハッカソンのネタと一緒なんですけど、
滑稽だなみたいな部分は正直あったわけですよ。
わかります?
この僕が言いたいこと。
マニアックな、
ニッチな話になってるかもしれないですけど、
あくまでも、
それの体験は僕の話であって、
それをどう汎用的もしくは抽象的に
捉えられるかってところは、
マリスワナあたり、
もうお任せなんですけど、
だからもうちょっと噛み砕いていくと、
そこでそうそうそうとか、
もしくは、
対骨格で応適応とか、
ある会社の課題を解決してほしいみたいなね。
そういうのはあるんですけど、
それって、
いや、あんたが考えろよみたいな。
いや、ほんとに。
それは別に、
今最近始まったわけじゃなくて、
アイデアを出すとか、
そういうことをやり始めたときに、
ちょいちょい出てくるわけですよ。
なんでそこまでこっちが考えてるのみたいな。
すごいねみたいな。
あなたの会社の経営とかの人たちが
考えるべきもんじゃないのって。
何をそれを他の人たちに考えさせてるのみたいな。
この言葉をね、
結構厳しいもんですよ。
とは思うんですけど、
それが分かりませんって言ってるのは
まずくないっていうことなんですけど、
って思いません?
僕は思うんですよ。
だけど、
考え方としては、
そういう提案とかそういうのをもらって、
より良いものをやりますっていうのは、
あるっちゃあるし、
でもそれに同じ穴の矛盾というかね、
自分も乗っかってるわけですからそこにね、
提案して、
言いながら乗っかってるというか、
乗っかりながら要は自己批判しながら、
今の人に批判しながら、
それ批判先を使ってるみたいなね、
構造になるんですよ。
これは自己矛盾ですけど、
YouTubeとかそういうのを批判しながら
YouTubeやってとかね、
僕も一応やってるので、
そうなっているね。
プラットフォームの役割
だからそういうのってありますよね。
そんなもんかなと思います。
それは別に矛盾は受け入れつつ、
矛盾してるなと思いながら。
じゃあ別に、
ダメだよねとか、
日本ダメだよねとか、
主語が大きいね、
日本の企業ダメだよねとか、
大きすぎるわけじゃないですか。
企業だけで200万とか300万とか、
200万あるわけなんで、
いやいやってなりません?
そうじゃないかなと。
だからそういう状況はもちろんあるし、
そういうサービスもあるんだけど、
でも待てと。
それをうまく使えばいい、
手段として使えばいいってところが、
マッチすればそうなりますよね。
一方で、
その界隈ですよね。
そういう界隈というか、
自分で考えません、
考えてどうこうしません、
人に考えさせてます、
そこで優れたのを待ってますっていうのは、
多分OSみたいなものが
全然違うんだろうなって話なんですよ。
僕の中でOSというのは
オペレーションシステムで
コンピューターの土台みたいなものですよね。
これからその上に
アプリケーションとかソフトがあって、
写真ソフトとかね、
そういうのが動くっていうイメージですけど、
ワードとかね。
で、その時に、
なんていうんだろう、
もっと根本的に言えば、
別にじゃあ、
そういうプラットフォームとかサービスを
あえて名前はなさないですけど、
使わなきゃいいよっていう。
なるじゃないですか。
クラウドソーシングしかいない。
タイミングしかいない。
そういうのって、
使わなきゃいいじゃないですか、
じゃなくて、
使わざるを得ないとか、
ギグワーカーの宿命みたいな話になってくるんですけど、
これはちょっと
コミュニティーの中で
話になってくるんで問わすと、
じゃあそういうのを関与せずに
自分でやればいいじゃないですか。
っていうのは一つの、
強者の理論としてありますよね。
できる人はそうだっていう。
だって自分でできるんだから。
でもできない人は、
それは強者の理論だし、
できる人はできない人のことは
一生わからないみたいなね。
これを何か対立行動みたいになっちゃうんですけど、
二言論みたいなね。
そこまではないんだけど、
でもそうやって詰めていくと、
今ある目の前にある
そういうプラットフォームしかり、
やれるところは
別にやることは悪くないんだけど、
そこの中にいても結局、
何度も出してますが、
井戸の中の河津みたいになって、
井戸の中にいる河津ですね。
世界がすごく狭くなるわけですよね。
閉じちゃってたっていうね。
じゃあこの世界を広げるとか、
社会が広いっていうことをしないと
ダメかっていうのは
別にそうでもないです。
その世界で生きてますっていう風に
していったら
世界は閉じますし、
社会も閉じますよね。
社会とか世界っていう見方が
あくまでも僕の中ではですが、
自己認識論みたいな話で
認識ですよね。
どういう風に見えてるかってことなんです。
だから知らない世界は見えてないですよね。
でもそれが
狭くていいということは
別に僕は思ったことはないんですよ。
だから井戸の中は
河津っていうことになっていったときに
見えてないなっていうことになるんですよ。
でもカエルは結構好きなんですけど、
カエルの立場からするとね、
大海っていうことは
違う、青空か。
上には一応屋根がないとしてね、
井戸の上には青空が広がってる
ってことは知ってるんだぞと。
小さいですけどね、下から見上げたらね。
井戸の中の
すっぽり丸いのかな、
四角い井戸かわかりませんが、
そういうのが見えると
想像できますかね。
くり抜いた丸い四角みたいな
青空が見えたりする。
晴れてればね。
を知ってるみたいなことを
言ってませんかっていうことなんですよね。
これはあなたを煽ってるわけじゃなくて、
僕、あくまでも僕の話です。
だから、なんか小さいなみたいな。
そうそうそう。
だからそこを
踊らされているだけでは
ダメだよねっていう話なんですよ。
そうそうそう。
そうじゃないよと。
もっとわかりやすく言えば、
じゃあそういうプラットフォームを
作れってことなんですよ。
僕がですよ。
四国理って言ってるから
別に作ればいいじゃんって。
だからアイデアコンテストとか
ビジネスコンテストとか言ってるんだけど、
でもやってることは変わらないと思います。
カルピスの現役理論じゃないけど、
どういうものがあって、
それを小出しにして、
もしくは小出しというのがよくないな。
形を変えて、
どういうものを出しているか。
前輪でいくとジップというね、
地図会社の前輪が
ジップという基盤があって、
面白いなと思ったら
ジップだと思いますけど、
情報収集してデータ集めまくって、
空間に取り込んで、
いつでも出せるようにしてるんですよ。
だから住宅地図とか、
カーナビ用の地図。
カーナビって面白いなと思うんですけど、
その建物の入り口どこかが大事じゃないですか。
よくGoogleマップとか見られている方は
わかると思うんですけど、地図とかで。
わかりづらくないですか。
例えばイオンとか商業施設の
駐車場がまず車で行ったら知りたいじゃないですか。
もっと贅沢に言ったら、
1階、2階、3階ってあった時に
3階行きたいから、
屋上の4階ともあって
そこから直接行きたいねとか、
1階って上がっていくのも楽しいけど、
今日は急いでいるから4階だとか、
駐車場入る場所によっては
混んでいたら混んでいなかったりするし、
混雑状況を知りたいというのもあるんだろうけど、
入り口がどこかじゃないと
裏の反対の方行っちゃったりするじゃないですか。
とか、そっち行っても何もないとか、
意味がないところに
ぐるぐる、あと一方通行ですね。
で、回ってしまったとかね。
それはちょっと脱線しましたけど、
そういう入り口がわかるカーナビ用の地図とかね。
そういうのをいろいろ
加工してやられているので、
まさにカルピスの現役を持っていて、
カルピスの現役は
秘伝の種みたいなもんですよね。
それをつければうまいというよりも、
つけるために秘伝の種をつくり続けて
アウトプットするものを変えている
という感じですよね。
そうそう。
それやればいいじゃんということなんです。
あ、ごめんなさい。話戻すとね。
つまり、
四合繰りプラットフォームを作るというのは
ちょっと大げさなものかもしれないんですけど、
ただ、結局
僕の世界観というかイメージでは
統合されるような気がしましたね。
そういう意味でね、
僕の世界観というかイメージでは
選択肢の重要性
統合されるような気がしました。
統合というのは
なんていうんだろうな。
例えば、
人材消化みたいな話にしましょうか。
誰かと誰かをマッチングするときも
なんていうんだろう。
いわゆる
転職サービスとか
就職内容みたいなのがあるじゃないですか。
その就職が
全部ダメとか
全部いいとかはないと思うんですけど、
ミスマッチするとかあるじゃないですか。
そのときに
ミスマッチした人とか
ミスマッチをさせた人というのが
出てくるわけじゃないですか。
結果的にね。
それをあえてやろうとはしていないと
言ってもよ。
そのときに
手段として
就職サービスを使うしかないみたいな。
そうやって言うけど
それ以外の方法あるんですかみたいな。
選択肢がないと
それをやらざるを得ないから
あとそれに
いわゆる多くの企業も
学生も乗っかるから
そこでマッチングしなきゃいけない。
例えば婚活でもいいですけど
結婚活ですね。
そのアプリで
マッチングしなきゃいけないとかね。
言ってること分かります?
その選択肢というのが
1個しかないとか握られてしまったら
僕が知ってる限り
別に変わったことやれとか
これをやれってことじゃないんだけど
別に企業に直接話してもいいじゃないですか。
変わってるなっていう印象付けることが
できますよね。
それは変わっていることで
印象付けるというよりも
本気度とか
本当にいきたいよねってことを
伝えられるなら
いいわけですよ。
これもやる気とか
やるかどうか
やりの問題ってことなんですけど
それだけにしないほうがいいんだけど
でも
繋がっているような気がしますね。
新しい機会へのアプローチ
だから一つの選択肢とか
プラットフォームというのを
全部批判するわけじゃないんだけど
それが結局移動
今だから変わるみたいな
狭いところに追い込んでいるようだったら
それはあかんんですよねって話なんです。
あかんというか
いかんのですけど
それでもその状況に気づけているなら
何か移動を脱出するとか
じゃあ新しいのつけろとかね。
移動を脱出できないのだったら
とりあえずはしごを作るために
どうしたらいいかとか
水が増えていって上に上がるのはどうするかとか
穴を開けられないかとか
いろいろ考えてやってみませんかって話なんですよね。
井戸の中にいると思ったら。
でも井戸の中にいると思っていなかったら
もうしょうがないですよね。
僕の見立てとしては認識としてはやっぱり
そこにはめていると
あんまり良くないよねってことですよね。
良くないよねっていうのも
さっき言ったように
それをこっちが考えるのかみたいなのも
負荷がかかっているんだけど
その負荷をかけても
何かやっていく人がいる。
他にね。
だから他にもその井戸の中に
いっぱい人がいるわけです。
だけど
なんていうんだろうな。
世界の見方は
社会の見方はいろいろあるんで
それを否定するとか
やるなってことはないんですけど
それはでも
使われるというかね。
なんていうか
別に起業しろってことではないですよ。
だけど使われてますよね。
雇用されてますよね。
雇われてますよねっていうのを
非愛というか
サラリーマンの非愛みたいな話ですけど
そういうリスクというか
ものになるわけですよ。
これはもう構造上しょうがないような気がします。
だから
起業しろとかフリーランスだとか
会社作れとかね。
そういう話じゃないです。
それは短絡的すぎるんだけど
ではその構造とかを見ていこうとするっていう人は
サラリーマンとかでやっぱ少ないわけですよ。
どうしても課題を見つけようというような意識よりも
もちろん全員がそんなわけじゃないと思いますよ。
だけど少ないと思うんですよ。
割合としてね。
課題があってそれを解決するという方向を
なんかやりがち。
だから課題を解決するプロではあっても
課題を見つけるプロではないし
プロにはならないですよ。
課題を待ってたりする。
だからこれは言い方の問題なんですけど
井戸の中にいるというよりも
上から水が来るから
たまに晴れて空が見えるから
青空を知っているみたいなことは言うんだけど
じゃあその青空をもっと見ようとする。
だからどういう構造なんだみたいなことを
あまり知らない。
でも出世する人が多いから
そういう仕組みを知っていたり
それこそ世の中をハックするみたいな感じで
うまくそこで振る舞ってやるっていうのが
あるんでしょうけど
それを否定はしないですけど
別に僕はそこには興味ないなっていう
それだけです。
だからご自身の
だから僕は僕で
ご自身はリスナーの中ではあなたで
自分が興味あるようなこととか
この構造だとあかんなみたいなことが
もし思うんだったり
何か違うなと思うんだったら
ぶつけていって
その一歩二歩とか
感覚は別に最初はぎこちないと思うんで
よくありそうなのは
相手のことを考えているようで
実は自分が言いたいことを言っているだけとかね
そういうのはありますよね。
押し付けみたいなね。
これはうまくいかないです。
だけど押し付けっていうのも
経験しておかないと
押し付けてるなってことにはわからないから
それはもうやっていくしかないです。
それはもうやっていくしかないなと思います。
話ちょっと長くなるんで
これぐらいにしたいと思いますけど
一番言いたかったのは
やろうとしていることとか機械とか
機械がないからだったら
機械を作ってくださいってことですね。
機械が来たら
チャンスが来たら
そこで動けるようにしておくってこともあるんで
準備とかやることは
普段やらなきゃいけないし
ボーっと待っててもしょうがない。
やっていくんだけど
そのやってるのが
僕の反省というか振り返りってことになると
気づきとしては
やってる先が結局
プラットフォームとか
構造のところでは
会社の中だけでやってたら
広がりませんよねとかね。
あるじゃないですか。
会社の中でやってることを出していったら
意外にその話聞きたいですがなるような話。
メンタルヘルスの考慮
わかります?
自分はこうやってるんだけどって言ったら
実はそれやりたいですみたいな。
そういう例もあり得るってことは
やっぱり言っていかなきゃいけないですよね。
それも発信とか
インターネットをしっかり
僕の中でやってた感はあるんですけど
多分これ届いてないなって。
そういう意味です。
だからポンと聞いてる人がどうとか
YouTube聞いてる人がどうとか
悪いとか
そういうことは全然ないですね。
だからそっちじゃなくて
届ける人が
違うんじゃないかっていう話です。
届ける人が変わってったら
全然また違う世界になるし
それこそ今回の
2025年10月30日の
配信、ラジオ、ポッドキャストの回で
そこら辺で変わってったなみたいな風に
後からなるかもしれないし
全然変わってないかもしれません。
それは自分を客観しながら言ってるんですけど
それはわかんないです。
だけど
また同じことの繰り返しかみたいなね。
だから競争の見えるところの具体のところが
悪いわけじゃないんだけど
見えるところだけじゃなくて
その今や見えているところではないものが
何なのかっていう
その範囲ですよね。
その範囲が見える人だったら
なんで今こんなことになってんだろうって
なんかこれダメじゃんって
っていう風になるんですけど
それは多分僕は本質的な話だと思います。
だけど見えてない人にとっては
何を言ってんのこの人うるさいなみたいな
別に今やられてるからいいじゃんみたいになるんですよ。
対立しません。
問題は
対立しさとかうまくいかないときに
やりましょうって言っても
なかなかうまくいかないんで言い続けたり
少なくとも
これは精神とか身体の
メンタルヘルス的な問題なんですけど
言っても変わらんなみたいなことを言うと
苦痛じゃないですか。
だから去りますよね。
か違うことやりますよね。
そうなんですよ。
っていうのを繰り返すのが
組織や会社やコミュニティも含め
あらゆる集団はそうなんじゃないかなと思ってます。
回転するサイクルは知らないですよ。
どのぐらいで回転するか分かんないけど
その繰り返しなんじゃないかなと思います。
納得いかないこともあっても
それをこらえてやってっていうのはあると思いますけど
でもそれをあまりにもやりすぎると
メンタルにダメージが当たりますから
それは自分が病気にならない程度に
やらなきゃいけないだろうなっていう
なんでそんな話してるかというと
めちゃくちゃ人によっては負荷がかかるんですよ。
多分僕は負荷がかかります。
つまり同じことを決められたことをやってくださいと
言うのは多分無理なんでしょうね。
これはもう受け入れました。
天命だと思って受け入れました。
だってつまんないです。
要は言語化できないんですよ。
言語が大事だって言ってるけど
言語化できなくて
いろいろ言えばいいんですけど
こういうのに興味があってこういう風だからこうですって
言えばいいんだけど
言ったところで
やれないっすっていうか
誰かやってくれないかなみたいな
で、社会って面白くて
全然僕たちが考え方がそのままいるので
それを繰り返すの方がいいっすっていう人がいるんですよ。
だったらビジネスになったりしますよね。
その時に
さらに考えると
そこで終わらずに
じゃあそういう人を削除するというか
コケ使うみたいなことを
ゼトするのかみたいなね
ことも考えれるんですよ。
考えれませんか。
ちゃんとついてきていただいてますか。
それも
割と昔あったんですよ。
そういうことはね。
そういう風に言えばいいんだよみたいな。
今では確かにそういう部分もあるなと思います。
僕はなんか
なんて言うんだろうな。
決めつけたくないっすね。
こういう人はこうですっていうのって
なんか嫌じゃないですか。
自分の可能性を信じる
だからといって皆さんが
大谷翔平になれますとか
僕が大谷翔平選手ですね。
野球のね。
そんななれますっていうのはないんですけど
だけど
僕がやっぱ好きなのは
アイディアもですけど
アイディアが好きっていうよりも
可能性みたいなのを見たいわけですよね。
で、僕が
最後に話戻すと
この人
パッと見そんなに
すごい言い方悪いですけど
別にできるとか思わないんだけど
めっちゃできるじゃんとか
この人いいじゃんっていう人
なんでこんなところに
何やってんだろうねみたいな話。
をするとか
もしくはしたくなる
もしくは
ただ喋れないだけで
頭で考えて
無口な人っているじゃないですか。
無口って言ったらちょっと失礼かもしれないですけど
お前が喋りすぎだよって思うかもしれないけど
僕からするとそうなるっていうだけで
だから無口ですよね
ダメですよねなんてことは
言ったこともないし
そこまで思わないですよ。
分かりましたじゃあこっちで
こういうことですかって確認してやっていけば
コミュニケーション取れるし
いけるじゃないですか。
っていうだけですよ話は。
伝わってます。
で、相手がそこまで
喋れて考えられるんだったら
じゃあやってくださいとなるし
それが分からなかったらそこを説明していくって感じですよね。
それが
何か足りてないのかなっていうのは
思いました。僕自身がね。
教育っぽいですけどね。
だけど教育ってよりも
諦めるのが嫌っていう
どっちかというと
アイディアっていうとか可能性とかっていうと
ちょっとポジティブな感じするんですけど
何かそう簡単に諦めてたまるかっていうような
百勝一騎じゃないですけど
百勝一騎とかね
デモみたいになっちゃいますけど
何かね
要は何か状況が良くないとか
何か自分がちょっと
くすぶってるもしくは上手くいかないみたいな時に
何かそれじゃあ無理だったねって
やめますって
明らかに見極めるっていうことですけど
諦めるっていうのは
良いこともありますけどね
良いんだけど
本当かなっていうのは常にあるわけですよ。
本当なのかなみたいな。
そうそうそう。
分かりますかねこの感じで。
だからそれは自信があるっていうのは
自分を信じているからってことかもしれないですけど
何かもっとね、できる気がするんですよ。
で、できる気がするならやれよっていう話なんで
やっていきますっていう
だけなんですけど
自分がその思って
何かその初対面とかね
ちょっとのことで
この人はダメだな、いいなってことは
目踏みしてるわけじゃないですけど
寝踏みか、してるわけじゃないんですけど
でもそれを1回、2回、3回やっていった時に
何かあんまり発展しないなと思ったら
お付き合いじゃないけど
ちょっと合わないなみたいになって
もうちょっと
これでみたいになりますよね。
それは友達とかもそうじゃないですか
友人とか話し合うとか
こいつ面白いなって思うからやると
だからその面白さを
俺面白いっすっていうことを
アピールして一軍になって
教育と挑戦
スタメンで使ってください
スタティックメンバーですね
サッカーの話になっちゃって申し訳ないですけど
使ってくださいみたいな
ことを別にやれってわけじゃないですよね
関係性あったらね、別にね
だけど
それは競争の人はいいけど
そうじゃない時に
それで分かってくるようは
さすがにちょっと偉い、偉すぎですよね
まあそれなりのことやってたらいいけど
やってなかったらやれよっていうね
言ってるわけじゃないですよ
僕自分に言ってます
それがもし刺さるようだったら
リサラの中でもそういう部分があった
っていうわけなんで
一緒に頑張りましょう
もっと目の前のね
ハッカソンのイベントの話に
最後戻しますけど
もっとそこでできたんじゃない
必死でやれよってことなんですよ
だから目の前の人に対して必死でやれよ
別に偉そうに言ってきたし
前の前の人に伝えられるように
やってるかってことでいえば
全然それが普通になってしまった状況では
もっとやれなきゃ
負荷をかけないと
僕にとってはね
やってることにならなくなってるんですね
これはありがたい話ではありますよね
って思いません?
もっとやれるんだから
やればいいじゃんっていう
すごいことですよ
自分で言っといてあれなんですけど
いいじゃんって思ったんですね
で
なんだろうな
まあまあいいでしょう
だから
伝えたりてないとか
言いたりてないとか
あと
すごいことやるってことじゃなくても
なんか小さなことでいいので
やりますとか言ってみると
人が動いたり変わってきますよね
ってことを予習済みというか
僕は知ってるわけですよ
そんな人ばっかりですよ
僕も含めてね
流れとかもあるし
やってると話しやすい
ネタですよ
結局僕は
社会とかコミュニティとか
社会集団とかすごい興味ありますけど
なんていうんだろうな
個人の力を信じてないとかも全然なくて
ただ両方ですよね
個人の今所属して
自分ですよね
所属っていうか別にどっかに勤めてないですけど
社会に所属しているっていうところでは
構成員じゃないですか
その人がどう振る舞うか
っていうことによって
周りの人ですよね
踊っていると
フォロワーシップの話で
フォロワーシップの2人目の人が
大事とかっていうのもありますけど
それは置いといて
最初に踊る人もいるし
それに続く人もいるし
みんな大事なんです
だけどそれぞれ
面白い部分が違ってくるから
僕の場合は面白いよねって言ってやって
みんなが面白いなって言ってたら
どっかでルーチン化するじゃないですか
その時にはもういないっていうことを
繰り返していく方が
僕は好きですね
着火です
人の心に火をつけるみたいなのって
めちゃくちゃその
なんていうんですか
キザというか
ちょっと恥ずかしい部分は正直あるんですけど
別にそれの言葉はあんまり言うか分かりませんけど
やりたいことをやろうとか
あと何だろう
前もね
シゴクリスペースのメダルフの閉じてますけど
シゴクリスコードは
灯火は消しませんから
要はそこの場に来てくれてもいいし
この配信ラジオ聞いてくれてもいいんですけど
松岡修造さんっていらっしゃいますけど
なんかやろうとしたことをやってみて
チャレンジっていうのはやっぱり褒めたほうがいいんですよ
だってやらない人いっぱいいますから
行動と思考の重要性
やってやるなと
そんな無駄なことやるんじゃないっていうのが
一番良くないと
子育てとかで
そういう状況にはもちろんよると思うんですけど
なんか自分のやったことを
否定されたり
やめろって言われるのが
一番良くないですよね
やってたことはいいんじゃないって言って
じゃあできないよね
できてないよねって時に
当然じゃあどうしたらできるかを考えたいですよね
反社会とか変なヤバい奴は置いといて
多分ですね
それが足りない
AIがそれをやってくれるわけないし
そんなことはAIに聞いててもしょうがないので
やらなきゃいけないですよね
やるっていうのも
別にすごいことをやるわけじゃないんですよ
日々の行動としては
考えて
人に話して
それこそ説得する
駆読
プレゼンする
人を集める
状況を整理する
指示を出す
もしくはまとめる
食べる
寝る
そのもんじゃないですか
難しくなくないですか
もちろん技術とか知識とか経験とか
そういうのの蓄積ができないとかも
もちろんあると思うんですけど
そんな難しいことをしなくてもいいんじゃないか
すみません長くなりましたね
これぐらいにしたいと思います
なのでやり尽くしてるかどうかですかね
それを問いかけてやり尽くしてないなと
この場合は
しごくりとかをやるっていうのもそうなんですけど
例えばもっとフォーカスとか絞って
目の前の人とか初めて会った人に
なんていうんだろ
別に自分本気ですみたいなことを言うのも
ちょっと怖いというか気持ち悪いんで
なんていうんだろ
相手に知ってもらうのもそうだけど
相手を知ろうとするみたいなところを
なんでもどっちでもいいんですよね
別に時間も限られるしね
3分しかなかったら
名刺交換会みたいな
ちょっと僕は意味わかってないんで
ちょっとわかんないですけど
名刺交換会主催されてたり
名刺交換会ですごい効果があったって
名刺交換しても別にいいねっていう
知らないですけどね
ありますよね
知らないですよ
まあまあまあ置いておきましょう
相手を知るとかいう
努力に近いですよね
相手を知るとかなんかやるってことは
なんかやるんですよ
準備して
それがあるからだめとか
ないからだめ
あるからいいとかないからだめというよりも
やってますかと
やりたいならやるんじゃないですかっていう
そこがやる気論になっちゃうんですよね
その人のね
言語化できない
疲れてたり睡眠不足だとか
仕事がうまくいってないとか
メンタルでなんかよくないとか
職場でどうとか
プライベートがどうっていうところとか
もう大変だみたいなところで
それなかなかできないですよね
でも
でもそういう状況でも
やれる人もいるじゃないですか
やれるというよりやる人もいるから
熱量とかパワーの問題もあるのかもしれないけど
どっちかっていうと
そのやり尽くしたいかみたいな
燃え尽きるとこじゃないですか
自分はそれをどこまで
自分の中の限界じゃないけど
やり尽くすかとか
いわゆるやり切ったっていうのが
やっぱりね
やり切ったっていうふうに行くには
それなりに行動したり考えたりして
なんかやらないといけないんですよね
いけないというか
そうしないと進まないといったほうが
いいんでしょうか
現状維持と挑戦
さっきの井戸の川図の話もすると
その井戸から脱出するには
負荷としては
その現状を維持というか
そこにいたほうが多分楽なのかもしれないです
だけどそうじゃないんじゃないですか
って話なんですよ
だから苦しいことやれとか
辛いことやれとか
川図から飛び出すってことも
またちょっとおかしくて
どこが井戸なのかわからないし
切りはないし結論はないんですけど
あくまでも主観で自分の中で
やり切ってやり尽くした
もうダメなんだ
ダメなんだというよりも
やり尽くしてるかって話ですよね
やり尽くしててダメなら
確かに諦めてもいいと思うんだけど
本当にやり尽くしてるかっていうところを
飛ぶときに
だいたい慣れてきてて
僕がそうなんですけど慣れてきてて
それだけは言わないけど
負荷がもっとかけられるよねっていう
そんな気がしているという状況です
エピソードの締めくくり
1時間になっちゃったごめんなさいね
じゃあ今回はこれぐらいで終わりたいと思います
すいません
四国放送ラジオ大橋でした
ここまでお聞きいただいた方はいるのかな
寝てたらおはようございます
というわけで
ここまでお聞きいただきまして
ありがとうございました
以上失礼いたします