1. シゴクリラジオ!
  2. 面白さは分からなさの中にある
2025-04-11 1:03:19

面白さは分からなさの中にある

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サマリー

今回のエピソードでは、面白さは分からなさの中に存在するというテーマが探求されています。特に、器用な人と不器用な人が時間の経過と共にどのように成長するか、そして継続することの重要性について論じられています。また、面白さが分からなさの中にどのように存在するか、器用さや不器用さが何かを続けることにどう影響するのか、さらに新しいサービスやコンセプトに対する好奇心についても触れられています。 副業やSNS運用代行に関するビジネスの構造と実態が議論され、スーパーでの商品取り扱いを例に、価値の創出や真のビジネスの理解が探求されます。このエピソードでは、ビジネスや学びにおいて重要な要素とされる「面白さ」について考察され、実行と失敗から学ぶことが面白さの中にあると述べられ、さらにそれが心の充足感にどう繋がるかが論じられます。 面白さは不明確さの中に存在し、探求心を持つことで新たな発見が得られるとされています。経験を深めることによって自分自身の興味を形づくり、面白さを追求することが重要であると語られています。面白さが分からなさの中にあり、それが新たな発見や体験をもたらすことについて探求しています。

面白さと分からなさの関係
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。
今回もシゴクリラジオを始めていきたいと 思います。
今回のテーマは、面白いとは分からなさがあること。
ちょっとわかりづらいですけど
簡単に言うと、 わからないから面白いみたいなことですよね。
このシゴクリラジオでも、わからないから やってみるとか
そういう話をしてたと思うんですけど、 それ近い感覚かなと思います。
面白いってどういうことか、 わからないってどういうことか、
そういうところがご興味があれば、 ぜひ聞いていただければ幸いです。
今回もどうぞよろしくお願い致します。
はい、シゴクリラジオの大橋です。
今回は、面白いとは分からなさである、 分からないことも含むみたいな、
わからないから面白いみたいな、 そんな感じですかね。
少しずつ話していければいいかなと思います。
例えば、全て分かってます。
既存というか既知ですよね。
本は紙であってとか、 そういう知識の話でもいいんですが、
知識じゃなくても全然よくて、 例えば経験したことない、
あらゆるものを経験している人、 多分いないと思うんですよね。
なので、だいたい知らない前提、 これは感覚の話になりますが、
知らないこと多いよねっていう人なのか、 だいたいのこと知ってるよねっていう人なのか、
これは僕の考え方ですけど、
だいたいのこと知ってるよねっていう人で、 知ってる人って多分いないと思うんで、
分からないな、知らないなって言うから、 知ろうとするから、そういう人は、
よりいろんなことを知っているような気がします。
リスナーのあなたはどうでしょうか。
思い当たる不思議はありますか。 リスナーのあなたがじゃなくてね。
リスナーのあなた自身じゃなくて、 リスナーのあなたがどう思うか。
知らないよって、分からないよっていう感覚があるから、 できるんじゃないかなっていう話なんですよ。
それに近いところで思い出されるのは、 だいぶ前の話で、
1回は話していると思うんですけど、 プロゲーマーの梅原大吾さんという人がいまして、
その人がですね、プロゲーマーじゃないけど、 そのゲームの上達の仕方みたいな話で、
モノマネ型って言うとよくないんですよね。 名前はね、意図はないんですけど、
いわゆる器用にすぐこなせる人がモノマネ型。 要は上達が早いんですよね。
すぐ吸収する。 だけど、上手いんですよ。
上手いんだけど、そのトップみたいな、極めるみたいなところには、 達人みたいな領域ですよね、トッププロって。
まあ行きづらいよね、みたいな。 行けないわけじゃないと思いますけどね。
で、もう一個は法則型っていう話をしていて、 あ、だから2つあるんですよね。モノマネ型と法則型。
法則型はあんまり最初から伸びないし、 むしろ弱いというかできないって思われるんだけど、
自分なりの法則を得ていくんで、後で伸びるし、
時間がかかるけどね、伸びるみたいな。 もちろんそれだけじゃないと思うし、それが組み合わせたものもあるんで、
これは理解を深めるためのぐらいの、 土台としてね、叩き台と言ってたら怒られますが、
参考にできるような考え方かなというふうに思っています。 それ何かというと、
モノマネ型っていう人は多分器用なんですよ。 で、法則型っていう人は多分不器用。
多分ね。 多分ですよ。
絶対と言ってないです。 で、一つ思い当たるのは、その器用。
要は何でもいろいろこなせる人っているじゃないですか。 何やっても上手いみたいな。その人って、
不器用とかあんまり器用じゃないっていう、 まあリスナーのあなたが器用か不器用かわかりませんが、
そんな二択じゃないんですけどね。 物事によって変わりますしね。
で、やりたくやりたくない人もあるし、環境もありますよね。 で、その時に何でもできる人、例えば
学生さんとかだったらわかりやすいかもしれませんが、 スポーツができる。
体育、スポーツ、運動部とかですね。 スポーツができると、なかなか他の人ができないものが多いですから、
お、すごいね、バスケ優勝したのすごいねとかね。 大会選ばれたのすごいね、慣れじゃないですか。
足早いねとかわかりやすい。 原始的ですけどわかりやすいですよね。
あと勉強ができるってやつですね。 まあ学校の勉強だけじゃないんですが、世の中って
学生さんであると、勉強するかスポーツするか、 そんなぐらいしかやることないじゃないですか。
やることないというか、そういう職業じゃないですか、学ぶってね。 なんで勉強ができるってことは、それだけでもすなわち
すごいって言われますよね。他にないからね、師匠がね。 勉強もスポーツもできないけど、お前はすごいよっていうふうに言われづらいですよね。
別に勉強とスポーツができなかったら、ダメだなんてことは全く思わないですけど、 そういう教育がまあ
バンバンまだまだあると。 なんとかしてほしいですよね。
それはちょっと脱線するんで、ちょっと置いておいて。 その時に、勉強もスポーツも運動もできますと。
勉強もスポーツも運動も一緒か、できますと。 っていう人は別に勉強もできるし、これできる人側の話ですよ。
勉強もできるから、別に勉強してもいいし、スポーツもできるから、スポーツもしてもいいんですよ。 伝わりますか。
で、なんかその友達も多いし、だから友達と何かやるのもいいしとか。 そういう人いませんから。
全てにおいていいみたいな。 そういう人はいわゆる器用だと思うんですよ。
で、実際あなたご自身がね、そうとかわからないし、僕もそう思う器用じゃないですけど、 その器用さがあるがゆえに、
勉強を、運動を、人間関係はわからないですけど、友達作りってあった時に、 何でもできるじゃないですか。
それが勿論勘違いじゃなく、そこそこできるし、 そこそこクオリティというのも変ですけど、いい感じになると。
で、その時に勉強をもうちょっと極めたい。 勉強でもいろいろありますし、運動もいろいろあるから、
極めるってことは、特定のものに集中してやるってことになるじゃないですか。 一時的やね。
どれかの一つの道を極めなければならないっていう考え方ではないですけどね。 それをやってみようとするじゃないですか。
そうした時に、そこそこできるから、じゃあバスケできるなーって言って、 バスケやっていこうっていう風にならずに、
サッカーもできるからサッカーもやろうってなって、 いろいろ器用にこなせるわけですよね。
で、器用にこなせることは否定してないし、 器用にこなせた方がいいじゃないですか。
できることで、よりできるものがいいんじゃないですかっていう、 純粋にリスナーのあなたが思われることもあると思うし、それもわかるんです。
でも、一つだけ課題を言うならば、今回のポイントなんですけど、 器用であるがゆえに、できちゃうから続かないんですよね。
だから他でもいいとなっちゃう。 これじゃなきゃダメだがない。
もしくは、これじゃなきゃダメっていうよりも、 これがいい、これでいいんだ、
これでいいってよくない。 これがやりたいんだ、これがいいんだっていう風になりづらいんじゃないかっていう課説ですね。
だから逆に言うと、さっき言った不器用というか、 法則型みたいな人で、すぐに吸収できないような人。
吸収率が悪いって言ってるだけで、吸収をしてるんですよ、当然。 人は他のことをやろうとしても、すぐできないわけです。
つまり、言い方が上手いかわかりませんが、不器用だから、運動も勉強もできないし、
運動は運動でも、じゃあバスケはこれしかできないなってことで、 それやっていこうみたいな時に、ゆっくり取り組んでいくというところです。
当然ですよ。どちらにせよ、不器用だろうが、面白さみたいなものを、 当然持ってないとできないのは確かだと思います。
どちらも共通する面白さがあるんだけど、 体質というか性格というか質みたいなもので、
取り組み方みたいなのは変わってくるんじゃないかなという気がします。
だから、これはもう想像でしかないんですけど、 器用な人が見える、これに取り組んでいるというふうに集中するのと、
不器用なタイプの人が取り組む、これにやっていこうという集中するのは、 同じ集中するようにして見えても、だいぶ違うんだろうなということが、
一つ言えるんじゃないかなという話となります。 だから、いろいろできるっていうのは、僕もポジティブに捉えるし、いいふうに言うんだけど、
それはチャレンジしたり、何かやるっていう意味でプラスにしている感じなんですよね。
いろんなことが、すなわち器用にこなせるということが、 その継続に器用するというか、継続につながっていくかは、
ちょっと別なのかなという話でもありますね。 で、今回のその面白いっていうところ、わからないから面白いみたいなところ、面白い
さっていうのは、わからなさがあるんだよねっていうような、 わからないと面白さの関係性でいうと、面白いってことは、その未知とか、何かやっていったら見えるものがある
っていうことなんですよね。多分ね。 だから、それが全部最初の話で、全部わかってたら、もうやらなくないですか。
バスケやってますっていう人がいて、運動ね。 もう自分のやり方で全部
ドリブルで止められることもないし、 シュートで外すこともないみたいな、機械みたいな人がいて、
そんな人いるかわかんないけど、体力もあるし、動きもいいしみたいな、そんな人いないと思うんですけど、
いて、極めたと。 そういう人って、
もういいやってなりません。続かないですよね。 で、当然、
アスリートとかもそうですけど、現役引退みたいな言葉がありますが、 要は、極めたり、もしくは極められなくても、有限というか期限があったりするわけじゃないから、ずっとやれないから。
そういうのが儚いという人もいれば、だからこそできるっていうふうに捉えることができるから、何とも言いませんけど、
そこは話がずれてくるので、
そこは置いておくんですけど、器用でできるから、上手くなるから、スピード速いから、いいよねっていうのは、そこの部分までしか見ていないじゃないですか。
すぐにいろいろできることをプラスとする。 もちろんです。それは不器用でなかなか上達する、すぐにできない人から見たらいいなっていうのは、
分かるんです。分かるんだけど、そんな世の中って全部に、
バフというか、強化、プラスの話ではなく、何かができるってことはやっぱり何かができなかったりするっていうようなバランスが僕はあるんじゃないかなと思ってます。
だから、あるものがいいってことは別のものがダメっていうふうなバイアスというか、そういう固定概念ではないんですが、
とはいえっていう話です。とはいえ、器用にいろいろこなせる人は、器用でこなせるがいえに、これっていうふうに決めづらいっていう。
それを、器用貧乏みたいな言葉がありますが、あまり僕は好きじゃない貧乏って言葉がね、どうなのかって思うんで、
ブリコラージュってことで、いろいろ組み合わせてできるっていうふうに、言葉で代替した方がいいんじゃないかみたいなことを言ってます。
ブリコラージュの概念
ブリコラージュっていうのは、器用で、いろんなありもので作れるようなスキルとか、人のことをブリコラージュ、フランス語でしたっけ、ブリコラージュっていうふうに呼んでますし、そういう言葉があります。
ブリコラージュですね。魚のブリにアート技法のコラージュ。多分違いますけどね。全然語源違いますけど、ブリコラージュ。
で、不器用だからっていうのが良くないですね。関連があるかもしれないぐらいですね。器用な人は飽きやすい。簡単に言うとね。不器用な人は続きやすいかもしれない。でも、そうじゃないんじゃないかっていう方もいらっしゃると思うんですよね。
例えば反論として、不器用だからなかなかできないじゃんってことは、上達が感じられづらいですよね。器用な人よりね。サッカーボールをサッカー習ってボールを蹴ってすぐ上達していく人を見て、なんかいいなと思って、全然自分上達してないから向いてないなと、もっと違うものをやった方がいいかなとか、自分は勉強のほうがいいんじゃないかとか思って、
周りの人が器用な人がいたら、あいつみたいにできないなってことで諦めるというか、そういう話ではありますよね。諦めてしまうという意味で続かないですよね。始まらないって言った方がいいですか。始まらないっていうことですね。
そういう意味で、どちらかというと続かないというよりも、最初のスタートの時点でやってみて、まだ始まってないですよね。スタートして試した、じゃあバスケ試した、上達しない、最初の部分で見極めるというかね。
見極めるわけじゃないんだけど、いきなりね。すぐ上手くなるかって言ったら、その器用と言ってもねっていうのもあるんで、どれくらい見るかですよね。だからそこ器用武器用関係ないのかなと思いながら、続くとこがどうかってことね。だから最初の部分と、続くかどうかのイメージですよね。定義というかね。変わっちゃうかなっていうことは思います。
やっぱりバスケを初めてやる人が、1日目ですごい動けるようになるかって言ったら多分ならない。だけど器用な人はもしかしたらなるかもしれない。だからどの設定とか目線というかところに持っていくからですよね。その器用できるとか。もしくはバスケが上達する、上手くなっている初心者とかのレベルの話を言うのかというと、初心者の話は器用で変わらないんじゃないかなと思います。
だけどそこから継続っていう話は、数ヶ月とかじゃないんですね。定義してなかったですけど、年単位で数年間はやりますよねっていうレベルの話を割としてて、もっと言えば10年以上やるっていうような長くさらに長くやるっていうようなことが、器用だとなかなか辛いのかなみたいな話です。
だからごめんなさいね、器用な人とか器用な子でやることを別に指定してるわけじゃないんですけど、そういう傾向があるんじゃないかしらっていう話ですね。
長くなりましたけど、そういうところで、その器用不器用の話じゃなくて、今回どちらかというと面白いとは何かっていう話なんですよね。そういうときに器用な、わからないものがあるからそれを探求する、探求というか探索か、するっていう態度がまさに面白いことなんじゃないかなって思ってます。
これは言葉を変えて言うと、いかがわしさとか、もしくはうさんくささ、うさんくさいっていうのはちょっとイメージが悪いかもしれませんが、うさんくささでもいいんですよ。いかがわしさっていう、いぶかしいというか、いわゆる怪しいみたいな。
これは何だろうなっていうふうに顔を斜めに、顔斜めじゃないな、首をかしげて斜めにして、何だろうなと思うようなものっていうのは何だと思います?結局それってわからなかったり、どういうものなんだろうねっていうふうに考えざるを得ないものとか、文字通り今わからないものとか、
怪しいとか、怪しさって確かにわからなさを含むんですが、同時にそんなのでできるんだ、例えばビジネス的な話だと新サービスが出てくるわけですよね。
例えばSNSみたいなのがあって、新しいね、こんなのうまくいくの?みたいなね、思うわけですよ。SNSだけじゃないですけどね。自分のやることも、仕送り自体もね、うまくいくの?とかね、うまくいってるの?っていうふうに思われてるかもしれませんが、それは一旦置いておいて、うまくいくの定義もありますから。
単純にこれってどういうサービスでどういう価値になるんだろうなってことを言ってます。そのときにわからないわけですね。新しいSNSってなんだろうなっていうときに、新しいサービスがあってね、僕はわからないと。
そのときにわからないからダメっていうことは言ってなくて、わからないからなんだろうねっていう、いわゆる好奇心ですね。未知なものを見て、知らないものを知ろうとするというか、があるから面白いんじゃないかって思う。
わかります?だから、知らない、わからないから面白い部分があるんじゃないかっていう話なんですね。それが100%わかる。だからSNSって言ってるけど、別にインスタグラムとかLINEもSNSか、FacebookからXか、Twitter、Q、Twitterですけど、そういうSNSっていうのがメジャーなプラットフォームとしてあるんだけど、そうじゃないですよ。
そういう新しいSNS、ブルースカイとか、ブルースカイですよね。文山がやってるマッソドンみたいなものがあったりしますが、そういうのも新しいSNSじゃないですか、一応ね。
そういうのもあってもいいし、ジャンルを、カテゴリーを特化したSNSっていうのも結構あるわけですけど、サービスとしては大きなものっていうよりも、新しいサービスとして出したいというところで出してきて、そういうのがあるわけですね。
そういうのを僕が見たときに、わからないなとか面白そうだなっていうふうに思うんだけど、そのわからないとかも結構面白い方に入るよなっていう。こういう狙いがあるんじゃないかって考えることも面白いですし、面白いわけですよ。
でもそれが全部わかって、それもう別にあるじゃんと。すでにあって、それはXでありインスタグラムでありみたいなものがすでにあるものとほぼ一緒ですよねっていうのであれば、たぶん作る意義はないですよね。意義はないというか、それは誰が使うのっていう話になるんで、自分だけ使って満足するなんで、それはそれで終わりでいいんですけどね。
学びと成長の重要性
なのでその面白さってそのわからなさを含むんだよなっていうことをちょっとお伝えというか共有したいっていうところでした。だからその面白いっていう時の定義というかズレっていうのがあると思ってまして、僕の場合はですよ。
これは僕の場合はその未知とか知らないとかわからないが、逆に入ってないと面白くないんだなっていう自己分析みたいな話です。人によっては割合がわからなさすぎると困る。何したらいいかわからなくなるっていうことです。
それなんなのどうしたらいいんですかってなりますよね。でもあまりにも一箸を叩くというかあまりにも整えすぎると、それは自分じゃなくてよくないですかっていうか、もうこの項目に文字を入れるだけですよねっていう。文字もこれを入れてくださいっていうふうに決まってるんですよね。で、なんで僕がやるんですかっていうふうに。
僕の場合になりますよ。そういう仕事を全部否定はしないですが、それだけだと成長というか学びもないし、他の人もやれるしとか、単純に面白くないですよね。その面白い比率を上げないと死んでしまうというか。
面白いものを探し続けないと本当に死ぬっていう、文字通りですよ。精神的に死ぬっていう意味ですけど、なってしまうんで、そこは譲れないことがあるわけです。僕の中では。
じゃあそこは別に面白哲学とか面白いことを格好良く言ってるわけでは全然なく、ダサいわけじゃないんですけど泥臭いですよね。面白いっていうのに僕は紐づくんですよね。
お洒落に格好良く綺麗に、っていうのではないですね。言っててすごいなと思いますけど、泥で臭いんですよ。ヘ泥とか臭くないですか。ごめんなさいね。ご飯食べてるから。
泥にまみれて汗にまみれて臭いわっていう風呂に入りますよね。でもそういう作業に近いです。金が見つかるとは言わないけど、それで見つかる何かとか得るものはあるんですよね。
苦労しなきゃいけないみたいな風に、もしかしたら聞こえるかもしれませんが、そういうことは言ってないです。そもそも物事が簡単に成功するとか上手くいくってことですけど、
上手くいくは定義が様々ですけど、ことってそうはないんです。だけど、いきなりないから少しずつの小さなもので成功体験じゃないけど、チャレンジしてやっていく人があるんだよねっていうことでもあるんですよね。
面白さがわからないさがあるよねっていう話がどこまでリスナーのあなたも共有できるか、そうだよねって思われるかわかりませんし、そんな大笠さんだから面白いっていうのがわからないことを楽しめてるから言えてるんだよねっていう反論というか意見もあると思うんで、そうだよなぁと思いながらも僕は面白いってわからない部分があるからだなと。
そのわからない部分があります、それを探求するっていうのもまずあります。基地のものというか、例えば科学とかわかりませんけど、徹底的にやり尽くされた分野でも、科学もね、脳とか脳の記憶のメカニズムとかってだいぶわかってきたりしてるけど、わからないものがいっぱいあるじゃないですか、脳の動きとかそういうのって。
で、それをまた未知なものもあるからやればいいし、知らないことなんかめちゃくちゃあるわけですよね。そこなんじゃないかな、コミュニケーション一つとっても会話の仕方一つとっても、この人の喋り方どうなんだっていう、僕の喋り方どうなってるかわかりませんけど、それを喋り方の研究をする人もいていいってわけですよね。
ちなみにその話すって時に間っていうのはね、今間を置いてるんですけど、間、空白の間みたいなのがわざとやってますけど、この間が大事っていうのもやっぱりあるわけですよね。
あまりにも詰めるとね、マシンガンみたいにバンバンバンバン喋ってることもありますから、絶対間を空けろとかね、早く喋るなとかね、そういうのはちょっと置いといて。
情報を詰めればいいわけでもないし、間がありすぎてもダメだろうしとかね、あるんですけど、でもコミュニケーションが情報伝達だから情報を法律的に伝えることが全てだっていう人は、この間っていうのが理解できないと思うんです。
リズムもあると思うんですよ。会話のリズムであり、流れであり、今はいろいろ言ってるけど、前座というかね、まだ本論に入ってないから、冒頭で長打撃してて、これは別にいいかなって言って、他のことをやりながら聞くってあると思うんですけど、
僕の話もそんな風にうまく聞いていただければ嬉しいですけど、そういう感じなんですよ。だからその人によって刺さる時も違うし、その人の状況によって変わることもあるから、そこはいいんですけど、熱が入った時ってやっぱり聞きたいじゃないですか。
それなんですかとか、こういうこと思うんですよっていうところの感情が入る、心が入る部分っていうのが一番重要かなと思って、それが大事かなと思ったりします。会話とかコミュニケーションの研究とかもやり尽くされて、もうやることないよっていうことはないんじゃないか。
もしくは研究するとかそういう人は、研究者とかは、むしろそこがあるのかないのかってところでいくと、あるよと、これがわからなくないかってことをまさに調べる、研究する、追い求めるっていう人が研究者だよなっていう、だから世の中全部わかってますっていう人は多分研究者にはなれないし、ならないですよね。楽しくないじゃないですかね、調べたり学んだりするってことだね、多分ね。
というわけで、今回は面白いとはわからなさがあるよねっていうところと、器用だから飽きるとか不器用だから続くっていうのは乱暴ではあると思いますが、ただそういう傾向はあるのかなぐらいで見ておくと面白いかもしれないです。
だから、それはポジティブに解釈すると、着実をして、なんかうまくすぐできないから諦めるっていうのはちょっと早いんじゃないのかなって。
主語繰り的にも少しずつステップというかスキルですね、学んでいくことってやっぱりできるので、例えばですよ、副業とか、うさくさいというかね、変なのいっぱいあるじゃないですか。
何日間でお金出して学んでどうとか、プログラミングでもいいし、SNSマーケティングでもいいし、最近だとよくわからない広告があったりなかったり、詐欺みたいなものもいっぱいありますけどね。
そういう時にそれをやった人が、もしくはやる人が何か学べるかというと、多くは学べないわけですよ。
もうちょっと定義しておくと、何をどうしたいかをその人が決めてやるならいいんですけど、決めてる人は初心者向けとか未経験者とか初学者向けのものって手を出さないですよね。
分かります?言ったこと分かります?
副業の実態
だから自分の中で言いたいことは、例えば副業とか何か新しく仕事をしてお金を稼ぎたいみたいな人がいるとするじゃないですか。
もしかしたら仕事送り的に稼げる仕事を探している人がいるかもしれませんが、まず腰を折る、腰か、期待値を下げるためにどんどんバキバキに折っていくんですけど、そんなのないですよね。
パッケージとしてこれがやると儲かるなんていうのはまずないわけですよ。
例えばSNSの運用代行みたいなのがあるわけですね。僕はやってないですよ。
そういう仕事があったときに、仕事ですよね。ただそれもどういうアカウントを運用するのかっていうね。
企業もいっぱいありますけど、大手企業もしくは中小企業の、本当に信頼できるような企業だったらいいけど、よくわからない話で企業の代行するのは嫌じゃないですか。
だからそれも結局パッケージとしてはSNS運用代行って言うんだけど、どういう業界のどういう企業のどういう人たちとやるか、どういうビジネスとかお金の得方をするか、
どういうアカウントをどれくらいやるかってことで全く違ってくるし、代行するだけならできるかもしれないけど、
あとはそれをどういうふうに運用していくときの価値を出すかによるじゃないですか。
クライアントというか相談される企業の何をサポートするというか、何をして、
もしかしたら何を自社もしくは個人としてやっている人でも解除するかということが、
ギアに最初からないですよ。ないんですけど、やっていく中で見えるかどうか。
探索する、模索するという中でしか、仕事というよりも価値というものが作れないような気がします。
それは企業とか部企業とかの話じゃない感じがしますよね。
分からないから面白いから探求するというのが、僕の中ではバイアスというか偏りがあるとは思いますが、
僕はそういうふうにしか楽しめないかなと思います。
商品と価値の関係
SNS運用代行みたいなパッケージですよね。肉、魚、卵、野菜、チョコレート、お菓子、加工品みたいなのがスーパーに並んでるじゃないですか。
何度か言っているんですが、初めての方もいらっしゃるかもしれませんが、
スーパーに行って、もしくは会社に行って、仕事というものをパッケージを買って、それを得て、それをやるとお金をもらえる。
そういうふうにもしかしたら捉えている人がいるかもしれませんが、魚は切り身で泳いでないし、米は白米でなってないじゃないですか。稲穂じゃないですか。
野菜はジャガイモは最初からあんなにでかくないし、言っていることがあります。
チョコレートはありますよね。どこでもいいですけど、市販のものがありますよね。
それがその形でチョコレートがあるわけじゃないじゃないですか。カカオからとかじゃないですか。
砂糖とか糖分とかつけてやるわけで、そういう原材料があって、加工されているものがそこにあるわけです。
もともとそうじゃない。でも、もともとそうじゃない商品というか買えるものを見続けていると、そういうものが実際にあるんじゃないかと勘違いするわけですよ。
だから多分それが仕事版なんですよ。仕事版のスーパーみたいな。もしくは社会人版のスーパー。社会人版のスーパーはよくわからないけど。
キャリアって言った方がいいかもしれませんが、キャリアってことはあまり誤解されるので使っていないですけど、仕事がいいと思います。
仕事づくりというところで、今回は副業のスーパーみたいなのがあって、
SNS運用代行という商品を買い回して、チョコみたいなイメージです。買う。
でもそんなのはノウハウというか、こうやればできますよと書いてあるけど、なんだろうな。
それは嘘とは言わないですよね。それを別にやるとかやってみたら、やっている人はいてとかある。
それなりに何か稼いでいる人がいたらそれはあるかもしれないけど、そこら辺からすごい怪しさはあるわけじゃないですか。情報調査みたいな怪しさがあって。
情報が書かれているけど、それは何だろうか。それは別に情報詳細を悪く言うわけじゃないんですけど、だけじゃなくて何でもそうですからね。
やってみないとわからないみたいなのがありますよね。
そういう時に話として、買いました、食べます、美味しかったですとか、買いました、やってみますということが、情報というものがなかなか分かりづらいしやりづらいんですよね。
その人が検討するという意味でいくと、分かりやすいのは企画書とかですよね。
企画書って売りづらいんですよ。なぜかというと、その企画書という書かれたものが価値があることはあまりなく、
それが実現できて実行できる、確からしたがある、もしくは提案した人が、もしくは提案する、その企画をやる人たちがいて、企画書を書いた人だけじゃなくてね。
それが、要は企画って立体化しないと意味ないので、2D、2次元の企画書を3D、立体にして現実の形にするというところまで込みで企画書の意味が出てくるわけですよ。
伝わってますか。
という意味で、副業のスーパーにあるSNS運用代行商品というのは、運用書みたいな企画書なのかな、企画書が並んでいるという感じが強いかもしれない。
じゃあこのSNS運用代行、企画書買うわって買うけど、当たり前ですけど、もしリサーバーのあなたがSNSを知らない、もしくは運用したことがない、もしくは、
SNSって好きじゃないっていう人が、それを買ってやります?
嫌いなものはできないわけじゃないけど、ストレスで面白くなさそうじゃないですか。
それであれですよ、これであれば時給が100万円くらいですとか、よくわかんないやつがあって、怪しいっすよね。
犯罪の時代しか知らないですけど。
未経験でもすぐ1万円になります。詐欺ですね。気をつけてください。
そういう風に買おうとされる方が多いんじゃないかなと思います。
売ってないです、そんなの。むしろ売ってるのは企画書なんですよ。
売ってて、それをやるんだけど、やれないから、またお金くださいみたいなのもありますよね。
それもどこまで倫理とか見せ方とかもあるから、知らないですよ、実際はね。
ビジネスの多様性
買ったものをどういう風にしていくかはあなた次第。
だから、企画書に金の値段を付けるのはどうなのかなっていうのは僕の感覚です。僕の倫理です。
だけど、その値段を付けるのはコミュニケーション的なものなんですよ。
コミュニケーション的なものを作るときにね、
価値付けなんだろうなっていうところはあります。
価値があると思ったんだけど、企画書の価値って別にないんですよ。
なぜかというと、その企画ができるってことなんで、SNSで企画書を作るときに
価値付けができるってことなんですよ。
企画書を作るときに価値付けができるってことなんで、SNSで企画書を作るときに
価値付けができるってことなんですよ。
SNS運用企画、運用代行企画みたいな企画書を紙に書かれたやつ、データでもいいですよ。
ワードでもいいし、PDFでもいいんですけど、画像でも、パワポイントでもいい。
買うじゃないですか。見ますよね。こうやってやればできますって書いてある。
実際にその運営提供者がやったし、それで実績を上げている。情報商材みたいですよね。
やるんだけど、それをやることはほぼほぼできないでしょ。
ほとんどできない。なぜなら、その人は書いた人ではないし、
状況が変わっていくのがほとんどだからです。
状況が違うから、いわゆる生存者バイアスとか、やった人が残れるから、
言っているだけだよねっていうことはもしかしたらあるし、そういう批判もできますよね。
別に情報商材だけではないと思います。
ですが、ここで僕がやっぱり言いたいのは、それ面白いですかっていうことは言いたいわけですよね。
あと、それは勘違いしないですかって。さっき固形だってことで言っていますが、
僕自身ももちろん、それ自戒を込めて言うんですけど、スーパー行って魚が切り身で売っています。
例えば、ブリとかバングルとかあるじゃないですか。切り身で売っています。
それは魚が泳いでいて、捌いてくれた人がいて、それを冷凍なりして、
スーパーだと、いわゆるプラスチックのプラケースに入れて、
根札が張られたラップが掛けられているというのが多いですよね。
魚屋さんがあると、貝とかは水に浸かって発泡処理の中にいたりとか、
魚も切り身がカゴみたいに乗っていたりとか、
カゴじゃなくてもいいですけど、皿に乗っていたりするわけですよね。
そういうところで見て、魚はこういうものなんだって思うと。
魚はもう一回くどいですけど、切り身で売られているから、
切り身で泳いでいるわけじゃないじゃないですか。
切り身でいるわけじゃないじゃないですか。怖いじゃないですか。
そういうわけで命をいただいているわけですけど、
企画書も企画書がそのまま泳いでいて、ぺらぺら動いていて、
それでビジネスが成り立っているわけじゃないですよね。
ということを言いたいし、今言っています。
だからその企画書があるということは、手前のところでそれを考えて
試行錯誤してやってきて、成功したのかわかりませんが、
そこそこやったから何かできますって言っているんだろうけど、
できなくてもいいですよ。できていなくてもいいんだけど、
こういうビジネスが考え方がありますということを示す。
手前のところでその人が、人ですよね。人がやって、
人じゃなくてもいいですよね。プログラムでもいいんだけど、
それをやった結果、もしくはやるところで企画書なりそういうのが生まれて、
それが事業としてまとまって、ある程度もしかしたらやっているかもしれないですよね。
もっと違うところで言えばフランチャイズとかあるじゃないですか。
フランチャイズのビジネスでこれをやってください。
コンビニからクリーニングから学習塾から、今なんかね、
武人なんとかサロンだとか美容脱毛のやつとか、
いろいろあるじゃないですか。
だからそこら辺もしご存知なかったらフランチャイズとか検索してください。
例えばリクルートだったらアントレっていう雑誌が、
サービスかウェブサービス、アントレは雑誌あるのかな?ないかもしれないですけど、
とりあえずあったらごめんなさい。
でもウェブとかサービスはあるはずです。
それを見るといっぱいあるわけですよ。独立したい方、開業したい方、
副業にはちょっとしんどいんですが、
そういうのがあって、
フランチャイズのビジネスノウハウを勉強できる、学べる、買う、やる、
みんなが成功すると思います?
それはないじゃないですか。
それは別にフランチャイズビジネスを否定しているというよりも、
ある会社に入って、従業員で雇用されて、みんなが活躍するわけじゃないじゃないですか。
活躍するのもどういうレベルかによるから、
みんなで活躍します、活躍します、というふうに言うことはできますけど、
活躍ってなんだろうね、というのも本当に考えなきゃいけないですね。
もちろんそれをサボって考えずに、
いっこいっこ全部考えるんですか?という話なんですけど、考えます。
考えてください。
特に、今日のご飯どうしよう?ぐらいだったらいいと思いますよ。
考えるものの質というか、ものが違いますよね。
就職して結構大事だと思うんですけど、どこから選ぶとかに、
考えずに適当でいいやって選ぶ人います?
もしかしたらいるかもしれないですけど、ちょっと心増そうじゃないですか。
もちろんそれで、後悔しないとか、これがいいんですよ、僕の人生ですよ、
というようになったら全然、
それは人様の人生だからケチつけないですけど、
僕は嫌だなと思っているということですよね。
ビジネスと実行の価値
コロコロって、サイコロ転がして、じゃあA社、B社、C社行こうって。
納得します?僕は嫌だなというだけです。
納得する方がいらっしゃる。
1000人いたら絶対1人ぐらいそういう人いると思うので、
100人に1人いるか分かりませんが、100人に1人いるかもしれませんね。
分かんないです。
それは色々あっていいんじゃないかと思いながらも、
何でしたっけ、出てきたビジネス企画書と、今回はスーパーの切り身があって、
買って満足することは、食べるということができないわけですね、企画書ってね。
だから実行することができなかったです。
実行して初めてその価値を判断できるか分かる。
だいたいできなかったりするから、さっきフランチャイズの話だったら、
それなりのお金を払うわけですよね、価値があると。
で、サポートもしてくれるかもしれませんが、
ここで何度も言っていますが、ここでも言えるんですが、フランチャイズもそうだし、
企画書をね、情報商材でもいいですよ。
情報商材でも何でもいいんですけど、情報商材買えとかって話じゃないですよ。
あとそれが良いとも悪いとも言ってないですよ。
ご判断ください。
その時に判断するというのは大事だと思います。
で、買ってそれでやると。
やっていくわけじゃないですか。
何か情報がある、ノウハウがある、ビジネスの何かそういうのがある。
それこそスーパーでの切り身だったり、加工品とか商品が並んでいる、
サービスが並んでいる状態では多分共有できていると思うんですよ。
それを買うじゃないですか。レスラーの方が多分買う。
もしくは誰かから無料で譲ってもらう、もしくは見るでもいいですよね。
買わずに概要だけ見る。
それを得たとするじゃないですか。
得るまではいいですよね。
得て、食べ物だったら食べる。
味が美味しい、まずい、保存食で使うとか、いろんな価値があるわけです。
ビジネスとかフランチャイズとかそういうのを客庁とか買ってやる。
やることがもしかしてできない方もいらっしゃる。
そこが第一ハードルですよね。
もちろんフードロスということで、
買ったものを食べずに腐らせてしまったりということもありますから。
そういうこともありますよね。
でも基本的に食べる。
ビジネスの方の物も買う。
学ぶ、やってみる。
ここまでも多分いいと思います。
やってみて、ただここでポイントが面白いかどうかということだと思うんですよね。
やっとそこで面白いかどうかと思うんですけど、感覚的な話なんですね。
情報として合理的にはあって、
こうするとうまくいくということは、
言い方を悪く言えば、それっぽく書いてある。
もしかしたら僕の言ってることもそれっぽいかもしれませんね。
それはあるかもしれない。
でもいいですよ。それっぽいって言われてもしょうがない。
それっぽさ感じたらそれっぽさでいいですよ。
僕がそう思うならそう。
もちろんそれっぽいことを言おうとしてそれっぽいことを言ってないですよ。
やってやろうとする。
一回ダメだとするじゃないですか。
例えば魚を買って調理したけどうまくいけなかった。
それは調理の仕方が悪いのか、自分の腕が悪いのか、
魚自体が美味しくないからダメなのか。
見極められなくないですか。一回目でね。
でも一回、二回、三回、同じことでもいいし似たようなことやってて、
もしかしてみたいな。
これはある笑い話かもしれませんが、お味噌汁ってありますよね。
お味噌汁に出汁を入れずにそのまま飲んで、
美味しくないっていうのは笑い話として僕はあると思うんですよ。
確かに出汁がないとうま味がないので、
ただ味噌を溶かしただけの素朴な味みたいになる。
出汁入れましょうみたいな。
出汁の概念はあってそれを置いておくんですけど、
それって見ててこういうのだよね、味噌汁こうだよねって
いくら見ててもわかんなくないですか。
で、学んでレシピ見て、誰かから学ぶでもいいし聞いてもいいし自分でやってみて出る。
今ってあれですよね。味噌に出汁入ってるやつありますけどね。
それは置いといて、それを入れてたら味噌を溶かせばいいんじゃっていう人もいるかもしれませんけど、
そこら辺の細かい話は置いといて、そこで失敗して学んでいくってことはあるじゃないですか。
でもそこで追求したり、もっとこうしていけばいいんじゃないかなっていう風に、
面白いとか興味があるとか、なんかこうしていきたいなっていうのがないと
味噌汁を作らざるを得ないとか、家事でやらなきゃいけないとか、
子育てとしてやらなきゃいけないとか、そういう話ではないですけど、そういうのがあると。
一方でビジネスとして、仕送りとして副業を、副業の話に戻ってきましたけど、
やってトライしてやってみたけど、うまくいかないっていうのはだいたいそうなんですよね。
最初誰もが味噌汁は出汁を入れないはずなんですよ。
出汁ってすごいですよね、そう考えるとね。
で、失敗するわけですよ。難しい料理とか簡単な料理とかいっぱいありますけど、
そんな感じでやっぱり失敗するわけですよね。
だから、僕が偉そうに言ってるわけでも全然なく、
なんで失敗するんで、そこから学んでいきましょうよってことなんですよね。
なんで味がしないのか、なんで素朴なんだろう、みたいなことを
SNS運用代行みたいなやつのノウハウを買ったとして、
やった方は思うわけですよ。あれ、なんか違うな、みたいな。
面白くないな、みたいなね。
とか、さっき言ってた通りで、どのプラットフォームを使い、
どういうお客さん企業を相手にして、もしくはお客さんになってもらって、
代行って言ってるから代行しか価値がないのか、もしくは代行って他にもいっぱいあって、
もうすでに飽和してるのか、もしくはもっと需要があるのか、
もしくはプレイヤーとかいっぱいたくさんいて、人が同じようなことやってる人がいて、
単価がめちゃくちゃ低くなってしまってて、
それだけをやって稼ぐみたいなことって、なかなか難しいんじゃないかとか、
AIとかプログラムとかである程度代行できてしまうんじゃないかとか、
って思うかどうかは、やってみないと分からない部分もあるんですよね。
機上の空論っていうのは、すごい否定されますけど、
実際に機上の空論でも考えてるだけで価値はあると思ってまして、
考えてみる、で、さらにやってみて考えてみる、
だから常に考えてやる、考える、やる前から考える、
試す、考える、振り返る、考える、考えるってやっぱりですね、
どのフェーズでもどの状況でもあるんですよね。
どうしても初心者とか初学者だと頭でっかちになりがちですけど、
でもそれでも何かやるんですよね。
それを得たもので何かやってみる。
で、やってみて、そこで違うな、現実はこうなんだ、
もしくはこういうふうだからもっと何かできないか。
で、この挫折とか失敗というかうまくいかなかったっていう前提って言ってるんだけど、
うまくいかなかったら次何かやるっていうことができるかどうかなんですよ。
で、すごいだいぶ話が副業するところから、
スーパーの切り身とかのどんどん話が飛びましたけど、
結局ですね、面白いことがなければ、つまり自分が心からですよ、
心底を100%手放しでとは言いませんけど、
何かいいなって思える、何かいいなって思えるものがないことをやるってことは、
やっぱりですね、心をですね、浪費するというかですね、
虚しさが残るんじゃないか。
要は虚しさってつまらないっていうことでもあるんですが、
失敗から学ぶ
つまらなさであり虚しさであり、虚無ってやつですね。
何でこんな仕事をしてんだろうっていう、虚無感があるわけです。
お金が得られたとしてもってことですよ。
お金をね、すごい価値にされる方もいらっしゃいますけど、
そういう人ってそんなにいないと思ってまして、
言うほど言ってるけど、
100人に1人くらいじゃないかなくらいの、
お金だけでいいんだみたいな人って。
でも、一般的とは言わないんですけど、
お金いらないですっていう人だと、
お金ないから生活できないってなるから、
お金はいるけど、みたいな話になってくるんですけど、
お金って生活して、資産とは言わないけど、
安心したいってだけであって、多くの人は。
大量にいらないと思うんですよね。
って僕は思ったりしてます。
で、そういう中でやっていって、
少しずつ勉強というか学んでいって、
試行錯誤していくところで、
まだ何でも一緒なんですよね。
ただ、それが結局続くかどうか、
継続できるかっていったら、
着地がいいかわかりませんけど、
やっぱり不器用というか、
器用にこだわってしまうと、
それを継続してやれないような気がするんですよね。
今回SNSで運用代行みたいな話をしてて、
別にそれをやれとか、それがいいとかって話は全然なく、
例えば、そういうのをやったとして、
あんまりSNSとか得意じゃないですよね、
って言っている人がやっても、
成功しないというかうまくいかないと思うじゃないですか。
でも、不器用だからこそやっていかなきゃいけないなとか、
こうやってやれば、
変わるんだとかいう、
僕でいう現体験は、プログラミングって、
ゲームのプログラミングで、
キャラクターですね、
色を、数字を変えると色が変わったっていう、
プログラミング言語、
ベーシックというのが、
N88ベーシックというのがあったんですけど、
そういう、変えたら変わる。
CSSとかもそうですよね。
色を、バックグラウンドとかフォントカラーとか変えたら変わるじゃないですか。
その、入れた、
入れたら変わる、面白いよねっていう、
その体験みたいなのが、
やっぱり残ってるんですよね。
僕の中に。
はい、残ってる。
で、これは僕だけの話じゃなくて、
リスナーのあなたもそうだと思うんですけど、
自分が、その、
子供の頃だけじゃなくて全然よくて、
社会人になってもいいし、
これ面白いなって思った瞬間とか、
その体験はやっぱり、
冷凍保存じゃないんだけど、
あの、
ね、30年ものぐらいで、
どんどん、やっぱり、
覚えておいてはいいと思ってて、
分かんないです。その、後で思い出せるかどうかは分かりませんけど、
それだってあるんです。
面白いと思うようなことがある。
奥底にしまいすぎて、
取り出せない人いるかもしれないけど、
そういう人も、なんか色々、楽しいとか面白いことやっていくと、
見つかります。はい。
これは断言したい。
あれですよ、病気とかね、鬱とか、
なんかちょっとしんどいとかっていうのは、
ちょっと一旦置いといてください。
さすがにちょっと厳しい。
なので、その心身健康で、
健康ってことはそういうことなんですけどね、
面白さの追求
色々できるってことですけど、
好奇心とかそこまでないよねっていう人であっても、
別にその、えっと、何だろう、
どこかに何か落ちてるっていう話じゃないですよ、
だから、話として。
自分が何か面白いっていう、
その宇宙の方に入ってくるんですね。
何だったんだろうなっていう時に、
こういう切り口とか、
ものだったら楽しめる。
だから、僕からすると今の話で、
現体験として何か変えたら変わるっていうのが
面白いって言ってるじゃないですか。
っていうことで、
何度かこの四国レラジオで言ってますけど、
プログラミングも面白かったし、
今アイディア出した企画を考えるってことも
面白いですし、
調べるってことも面白いんですよ。
だから、面白さっていうことでいくと、
何か変化したり変わっていくってことが
面白かったってことを、
僕は今言えるし、
言ってますよね。
だけど、それは、
やってる当初に分からないんですよね。
残念ながら。
それが分かって、
分かるってことはないと思う。
予想としてこうかなーとか、
あーかなーっていう、
コンサルよろしくシナリオ、
Aプラン、Bプラン、シナリオ立ててね。
もしくはこういうのが得られるかなー
っていうので、
学びを高めるための仮説とか、
得られるであろう学びポイントを
あらかじめ想定して楽しむのは
全然アリだと思うし、
それは別にやっていいと思うんですけど、
でもその時に、
プログラミングって変えると面白いねっていうのが、
ちょっと待って、小学生の時は10年だから、
13年後ぐらいに、
10年後ぐらいに、
自分はプログラミングをやってるし、
プログラマーになるんだなっていう人は、
なかなか早熟じゃないですか。
僕はそういう人ではないし、
そういう人はもしかしているかもしれませんが、
僕はそうじゃなかった。
ってわけです。
だから分からない。
10年後分かんないし、
未来分かんないから、
今はそれが分からないけど、
やってみて、
自分が心を動くものがないと、
もしくは自分の面白さっていうのは、
こういうことだよねっていう風に、
定義しなくてもいいんですけど、
ある程度把握してないと、
面白いポイントが分からないんで、
あれからこれかなっていって、
探究し続けちゃうんですよね。
探究し続けるのは全然悪くないんだけど、
探究ってことは、探索でもいいですけど、
何か得なきゃいけないんですよね。
今回はこれでこういうことが学べたよね、
っていうのがないと、
やはりですね、
浪費じゃないけど、
やってるけど身につかないとか、
やってるけど得られるものないみたいな風に、
経験の重要性
なるんじゃないのかなって思ったりします。
つまり、
SNS運用代行企画書を買い、
違うなってなって、
違うな、何が違うんですかっていうことを、
振り返るってことですね。
振り返ったり、
やってみて、
違うなって方向じゃなくて、
自分がやりたい方向はこっちかもしれない、
っていうことを、
修正したり、
もう一回やる、
で、
声裏返ってますけど、
で、
またじゃあ何がいいんだろうね、
ウェブ制作事業企画書みたいなのを買う、
っていうのと、
そのノウハウを買ってやるっていう風にしか
ならないじゃないですか。
もちろんノウハウを買って、
それをやって、
やれるっていう人だったらいいんですけど、
あんまりちょっとオススメできないというか、
ちょっとよくわかんないですよね。
で、それをやるとできるっていう人は、
僕が唯一、
それがいける人は、
もう既に経営とか事業やってる人で、
飲食店やってる人がグッズ販売やるとか、
そういう事業展開の話なんですね。
だからレベルが相当高いわけです。
やったことない人が、
飲食店やったことない人が、
要は事業経験がない人が、
何かやるって言っても、
わからなさすぎませんか、
様々なことが。
だから経験者が、
経験してない人が、
やると何もできないってことではないんですけど、
でも最初の経験は、
副業でも何でもいいんだけど、
何かやってみて、
少しずつ解像度と言いますか、
見える景色を高めていくしかない、
というかなり泥臭い話です。
で、見るんだけど、
やるんだけど、
それはやって学ぶんだけど、
面白さとか、
自分の興味関心の部分がないと、
お金がたとえそれで稼げたとしても、
虚しくなるんで、
面白さは一人によると思います。
その率は一人によると思いますが、
僕は高めにしておかないと、
ちょっとしんどいかな、
という話でした。
ぜひ、面白くなくても、
やってるよっていう方が、
もしかしたらいるかもしれませんが、
何だろうな、
僕はそれでも、
面白くないって言ってるだけで、
面白さの定義とかイメージの話で、
ワクワクするとかはないけど、
役に立てていいですよね。
誰かの役に立てるって、
いいですよね。
それも面白いと、
僕は思っちゃうんで、
まあまあまあ、
面白さの定義をして、
共有して、
ピタッと、ピタ一問じゃないけど、
定義してね、
満足したいってわけじゃないんで、
ただ唯一言えるっていうところでは、
何か、
どこかにパッケージというか、
何かあって、
何か商品があって、
それを買って、やって、
みたいな話は、
何だろう、
があったとしても、
仮にあったとしても、
それを判断できないじゃないですか、
初心者とか小学生の人で、
いわゆるサラリーマンとかずっとやってきた人で、
自分で何か立ち上げて何かやったことがない、
全く本当に何もやったことがない人が、
それが新規事業部にいたとしても、
新規事業という風な部署で、
雇用されてるっていうだけの人が、
言い方悪いですけど、
できますかってなるじゃないですか、
だからその人たちが絶対できないってことを
言ってるんじゃなくて、
僕も次回を込めて言ってますが、
商品買ってきて調理したらいいっていうような、
キットじゃないんですよね。
キットがもしかしたらあるかもしれませんが、
初心者向けキットも、
何か材料が必要で、
経験が必要で、
やってみてどうかを修正していくことが必要で、
考えることが必要で、
じゃあキット作ってできましたって言っても、
それでいわゆる初学者向けの教室とかサービス
みたいになってて、
そこから売っていく、
販売する、
運用する、
売っていく販売していくというよりも、
それを継続し続けられるかの方ですよね、
今回のポイントって。
仕事と価値観
それは僕は面白さにあるんじゃないかなって話です。
だからそれ分からなさが逆で、
分からないからもっとやろうねっていう風に思われるかどうか、
ってなっていくと結局、
子供の頃とは言いませんが、
自分の面白ポイントというか、
これは継続したよねって思える、
分からないからやりたいなとか、
その探求心でもいいし、
なんか調べたいよねとか、
世の中の人に伝えたいよねっていうような、
その社会へのメッセージみたいなものもいいし、
になっていくんじゃないのかなと思います。
そこにもちろんお金を稼ぎたいは、
全然入れてもいいし、
お金を稼ぐことは別に否定しないし、
ビジネスだからお金稼いでくださいってことになるんだけど、
お金を稼ぐだけではなくて、
お金を稼ぐだけで、
お金を稼いでくださいってことになるんだけど、
お金を稼ぐだけではなく、
様々な価値、役に立ちたい、
自分も自己実現したい、
何でもいいんだけど、
そういうのがいっぱい入ってって、
その中の総合科目として、
科目、総合的なものとして、
一つビジネスがある、
仕事があるんじゃないかなっていうふうに、
改めて感じました。
はい。
くどいですけど、
スーパーみたいにどっかで棚に副業商品があって、
それを買って、
お金を稼いできますっていうことは、
ある、それが成立するのは、
なんだろうな、
すごいコモディティというか、
すでにありふれたものなんでしょうね。
ありふれたものをやりたい人はいいと思います。
例えば、背取りとかあるじゃないですか。
ベルカリーで売るとかね。
全然否定しないんですけど、
シンプルにそれは面白いですか?
それだけです。
楽しめるやり方があって、
自分はこれでやるんだっていうのがあれば、
全然否定する人はないんですけど、
それをやってみていただいて、
面白くないなと思ったら、
それは既存のものを買っているから、
買っている時点ですでにノウハウ化されていて、
それはもしかしたら、
ある程度うまくいくかもしれませんね。
でも、それが楽しめない人も、
かなりいらっしゃるんじゃないかなというふうに、
思っています。
少なくとも仕事クリエイトというところでは、
自分で、
ベルカリーで売るみたいなノウハウみたいなのがあったり、
ノウハウも何もなくて、
自分でやってみたらいいじゃないですかってなりますね。
それで自分なりの、
これをベルカリーで売ると面白いよねっていうのが、
多分仕事クリエイトっぽいんですよ。
それが仕事クリエイトじゃないやつを否定していないんですけど、
情報商売みたいなものがあって、
買って、それでうまくいきましたみたいなのは、
全然仕事クリエイトっぽくないので、
それだけです。話としては。
だから、うまく使えばいいと思いますが、
土台として、前提として、
それを買って検討したりやる、
もしくは考えるってことがなければ、
商品、
パッケージを買い続けるみたいなことになって、
それは何も前進してないんで、
それだけは避けたいし、
避けていきたいよねっていう、
そんな話でした。
長くなりましたけど、
面白さって大事だなっていうふうに改めて思いました。
分からないから難しいからダメっていうわけじゃなくて、
分からないから何で分からないんだろうとか、
その行動のほうに結びつけていく、
もしくは継続のほうですよね。
これもうちょっとやったら面白いんじゃないかとか、
僕はやっぱり仕事ってすごい面白いものだと思いますし、
人の、
様々な人がいること、
社会に様々な人がいること、
その人が感じる価値とか、
もしくは何を考えて生きているのか、
何を考えて、
人に興味もありますし、
何をしていくと、
自分がもしかしたら手持ちのもので何ができるか、
もしくは今後何をしていくか、
いいかとかいうのも興味がありますよね。
だから、
面白さの本質
そういう形で、
生きていくし、
やっていこうと、
そんなことを思いました。
なんで決意表明してるのか、
分かりますけど。
ちょっと長くなりましたけど、
今回も、
お楽しみいただけたら幸いでした。
四国雲ラジオ大橋でした。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上、失礼いたします。
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