行動する勇気
はい、こんばんは。シゴクリラジオ大橋です。このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
今回のテーマは、下手でもいいのでやってみよう、と。そんな話をしていければいいかなと思います。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオ大橋です。今回のテーマは、下手でもいいのでやってみよう。
下手というと、絵を描いて下手だから出したくないとか、出さなくてもいいんですけどね。やってみることに対してのバイアスがあると。
前回の続きのような話になってくるんですけど、バイアスを壊すというのが難しいわけですよ。
体育とか運動苦手な人がいきなり走れるようにならないじゃないですか。文章を書くのが苦手な人がいきなり上手くならないじゃないですか。そういうのもあるんで、徐々にやりましょうということなんですよね。
でも徐々にやるステップ、最初の一歩は全然徐々にできなくて、ということだと思いません?どこまで分解して分割して分けられる範囲になっていっても、結構最初の一歩はやっぱりしんどいというか、大変というか。
分からないからこれでいいのかなみたいな、頭にハテナが浮かべながらやるみたいな。そんな感じが多いと思うんですよね。
リスナーのあなたはどうかというところですかね。そういうことを初めてやってみるとか学んでみるとか、新しいことをやってみるという時が知らないことをやってみるとかいう時が、経験が多い人はその感覚がもしかしたら分かるかもしれませんが、一個でもいいんですね。全くやったことがない人は多分いなくてですね。
はい、それなんですよね、イメージは。
下手というのは、自分で下手だからやめようとか、下手だから上手くなってからやろうというのは、めちゃくちゃ分かるんです。なんですが、企業とか仕事づくりにおいては、下手のほうがいいんじゃないかなと思ったりしています、最近は。
要はその検討に時間をかけてしまう。検討じゃないです、検討しないですよね。検討する、やる前の、小さなアクションを起こす前の全てのことを検討だということにすると、検討フェーズが長すぎるんですよね。
実行のプロセス
じゃあその間に下手なものが上手くなるかというとですね、上手くならないんですよね。
だからちょっと身体的に言えば、サッカーのリフティングを頭でいくらイメージしても、それはイメージでやっているイメージがあったほうが、たぶん上達はしやすいんでしょうけど、実際に足を動かしてボールを、サッカーボールですね、蹴る。
蹴るリフティングというのはですね、ボールを上に上げたり、頭で上げたり、いろんなところでボールを当てて体にね、手は使っちゃダメですよ、というアクション、行動だと思いますけど、
それをいくら頭の中でイメージしても、たぶん身につかないと思うんですよ。それで身についたら、行動いらないですからね、経験いらなくないですか、サッカーボールを自分の足で蹴ると、
ボールって球ですよね、丸なんで、上に上げるには当たり前ですけど、下から上げる、ラジオで説明するのが難しいんですけど、ボールが垂直に上がって落ちてくるときに、足の角度が斜めで当たったら、違う方向へ行くじゃないですか、それこそ平行に飛ぶとかね、地面に対して。
真横に行くわけですよね。そうすると、リフティングできないですね。なので、比較的上に上げるには、下から上手くボールを蹴る必要があるわけじゃないですか。
一方で、これは今垂直に上がっている状態を見ていますけど、垂直じゃない、やや斜めに放物線状ということですけど、ボールが50度とか角度を変えていったときに、そういうボールが来たときに、下に落とすにはトラップという技術がありますが、ボールを落とすのはどこで落とせばいいか。
上に上げるというよりも、勢いをなくすように、もしくは方向を変えてより垂直だったり、もしくは下に落とすようにして取るみたいなね。そういうことができるわけですけど、これ口で言ってもしょうがなくて、身体動作としてやらなきゃいけないわけですよね。
企業の授業をやるというのも、いきなりサッカー選手になってプロだといって活躍するというのは無理じゃないですか。明らかに。なので、練習しましょうということなんですよね。
練習というと、プロが見てくれないと練習にならないみたいな人はいると思うんですけど、多分ですね、プロでもトッププロとかになってくるとよく分からない世界だと思うんですけど、いろんなレベルが多分あって、いろんな状態がある。ビジネスとか企業もいろんなものがあると思います。
少なくともスタートアップとか、ベンチャーって言わないですよね。中小企業、町のローカルビジネス、NPOですね。特定非営利活動とかありますし、政教みたいなものとか、個人事業主だけど、個人事業主みたいな感じで1人株式会社とかもありますし、副業でみんなやるとかね。
それがダメっていうことじゃなくて、いいってことはないですよ。副業でやれるって簡単そうに見えるじゃないですか。そんなことはないですよ。ということは踏まえた上で、いろんな形があると。目指すものが違うじゃないですか。お金で得たいものとかも含めて、何をしたいかと違うんで、いろいろあると。
例えばですよ。絵を描きたいって言うなら、描けばいいじゃないですか。っていう話で話が終わってるんですよ。文章を描きたいなら、描けばいいじゃないですか。授業やりたいなら、授業やればいいじゃないですか。
そういうわけですよ。この時に、いやいや大橋さん、それはそうじゃないよと。それがわかんないんだよ。でももう一回言うんですけど、あなたにとっての絵って何ですか。あなたにとっての文章って何ですか。あなたにとっての企業って何ですか。ということが問われるわけです。
いきなりお客さんのためにやることだから、損して自己犠牲でやることですっていう定義の人がもしかしたらいるかもしれないですね。それは続かないじゃないですか。
あとは時間とお金っていうリソースで資源でいくと、お金を出すことが自己犠牲になるのであるかもしれないけど、時間を差し出すのも結構な自己犠牲じゃないですか。ちなみに自己犠牲とそれをお客さんのために捧げますみたいなのは明らかに違うんですけど。
自己犠牲で単に生贄なだけですよね。自分がただボロボロになるだけ。事業であればお客さんも喜ぶし自分も喜ぶ。そういう状態があるわけですね。それを探らなきゃいけないということですね。
絵とか文章、写真でも何でもいいんですけど、その人が思うものをやればいいわけですよね。そういうことを言うとレベルが低いみたいなことを言う人がどこからか出てくるんですけど、
そういう評価をする人は、要は初心者とか初学者とか初めてやる人に対して、もしくはチャレンジする人に対していらんことですよね。
そういう人が多分応援するとか対話をしたり、立場が違う人と話すことができない性質かもしれないですね。性格もあるんでしょうね。
失敗から学ぶ
あと、そういう人に限ってやってなかったりできなかったりするコンプレックスの裏返しもあると思います。あとはまれに本当にやれててアドバイスみたいなことをする人がいるかもしれないですけど、
仮にその状況で、いやそんなんじゃダメですよって言われても、コミュニケーションとって破綻してるじゃないですか。その人に相談しますっていうことになるんで、多分あんまりなんだろうなって。
だからそれはネガティブなことを言うなとかいう話でもないんですけど、ただやろうとしている人の腰を折るというか、ダメだよねって言って、良くなっていくことってまずないですよね。
僕はそういう考え方なんですよ。なので、やろうとしていることが明らかに微妙なら、この微妙な点とこうした方がいいんじゃないですかっていうふうに言いますね。でもそれぐらいです、態度としては。
で、絵を描きますとか文章を書きますというのも下手でよくて、それをまず出さないといけなくて、出してそれ出しっぱなしでダメなんで、次に見なきゃいけないんですよ。どう思われたりとか評価とか。
でもそれ自分でやってもいいですよね。明らかに見て、プロが書いたものと読み比べたら、明らかに読みづらいなみたいなね。絵も明らかになんか違うなみたいな。
そういう観察するときに文章で言えば、プロが書いた文章と自分の文章を書いてみたときに分からないんですよ、たぶん。
小学生というか初心者とか経験が浅い人。で、たぶん絵も僕は絵は分からないですけど、絵も自分のものとひっくり返したときに僕は分からない。なんかすごいってことしか言えないみたいな。
それはたぶん技量が足りないとか、実践が足りなかったりするっていうことですよね。で、ごめんなさいここでも大事なんですけど、そんないきなり書いたらうまくならないですからね。
だから下手でもいいってことなんですね。下手でもいいっていうのは自分の中で下手だと思っていても、それをやっていくしかないんですよっていう。
で、出して次修正して改善してうまくなっていく。で、これを企業や事業とか仕事づくりっていうね。
企業っていうのは大げさなんで仕事づくりにしてるんですけど、要はその仕事づくりっていうのは一般的には企業です。一般的に言えば。
でも僕からすると仕事づくりなんで、仕事づくりって言ってるんですけど、作ったもので喜んでもらえたらいいじゃないですか。
それでお金を取ってビジネスしていきましょうっていう。それだけです。シンプルじゃないですか。
それが自分の思いつきでもいいんだけど、それが対象者のお客さん向けに出して評価されなければ価値がないなと思われたらお金出さないですよ。
それだけなんですよ。わかりやすくないですか。
で、そこで前回も言ってますけど、お金だけを目的とすると詐欺したり、
紛食なんか売れてるように見せかけたりね。
あと、いかにも有用なもののように言ってるけど全然有用でもなんでもないね。詐欺ですよ。
人の感覚というか心理とかものってそんなに違わないと思ってるんで、僕は思ってるんで。
やっぱりそこでチャレンジっていうか、やってみるってことですね。シンプルにやってみようみたいな。
この話はずっとしてます。わからないからやってみようってことを言ってて、
これはもう前回も話したように気合みたいな精神論みたいに聞こえるんですけど、半分精神論だなとは思ってます。
でも半分はロジックでいけるんで、
じゃあ企業をしたい。あなたにとっての経験、企業ってどういうものだと思うんですか?
それをやればいいんですよね。
多分やれないわけですよ。イメージがデカすぎたり大きすぎたりするんで。
それこそ授業プランみたいなのを考えてくださいみたいな時に、わからないってなったらやらないですよね。
だから授業プランを作らないとできないとは思わないです。
だけど授業プランがないのになんでできるんですかって話になってきて、
それ半分ロジックだと思うんですね。
授業プランというのを立ててロジックを作る、それを説明するから考えてるんだなってことは相手に伝えられるかもしれない。
だけどそのプランがやれるのか本当にやれるのか、リスターのあなたご自身だし、それがうまくいくかはまた別なわけです。
もちろん相手から見ても、これ書いてるけどやれるんですかって話になって、やれませんってなったら別にプランを書くの意味ないですよね。
ってことで授業プランを書くのが意味ないっていう主張をされる方もいると思うんですよね。
あとリサーチとかもね。
それをそういう感覚で言うと、何もやらなくてよくて、やればいいじゃんってなるわけですよ。
そうなると文弁欄のように返ってくると思うんですけど、
要はじゃあやればいい、試せばいいじゃんって。
だからそのままなんですよ。
じゃあ試せばいいじゃんって。
そうそう。
っていうことで試すことになるんですよね。
でも試してないなら試してくださいっていう。
試せない何かがあるなら、トラウマなのか心理的な何かなのかいろいろあると思うんですけど、
僕が結構あるなと思うのは、やっぱり失敗っていうか怖いんですよね。
失敗したら痛いというか。
お金をそんなにかけなくても時間を使ったことないですね。
10時間使ったら、その10時間が無駄になるというか、
10時間がそのまま消えるわけじゃないんですけど、
綺麗にやったことで学べることとか気づきとかあるから、
挑戦することの重要性
それはそれでいいと思うんですけど、
そこを無視して単純にもう10時間無駄だったなっていうふうに思っちゃうんでしょうね。
それはないでしょう。
絶対とは言わないですけど、ほぼ絶対ないです、そんなことは。
意味付けは後でいくらでもできるんで。
でもそれが1000時間とかやるのはさすがにどうなのって思うので、そんなにかかんないですよね。
1000時間もあったら絶対やってますよね。やるまでの話ですよ。
もしくはやった、やる時間までで。
それはちょっと検討しすぎだったり、実行をかけすぎてるなって思うんで、
そこもあるんでしょうね。そういうのは見えないとかもあると思います。
だけど、そこでやらないと話が進まないっていうのと、
自分で失敗が怖いってことでやらないと、いつまで経っても上達しないというのと進まないと思います。
なので、多少人から見られてなんか変だなっていうことでも、
自分がやってみたいとか面白いと思ったらやった方がいいと思います。
反社会的とか倫理的にどうなのっていうやつは除いてですよ。
それは毎回言ってるんですけど、やってみたらいいんじゃないかなっていうところがありますね。
だから文章書きたかったら文章書いてみればいいし、絵を書きたかったら絵を書けばいいし、
こういうサービス作ったらいいんじゃないかと思ったら作ってくださいと。
大抵の人はそう言われてやれない人の方が多いんです。
だから単純に企業とか仕事づくりとかもそうなんですけど、
やる人が少ないっていうデータがあるし、それを調整してる人はもしかしたらすごいいるかもしれないです。
僕が観測できてないだけだけど、それを継続して、
さっきの話で、ゲームでもいいんですけど、アプリ作って売れないかって言ってやってみたら全然売れなかったと。
そんな見たことがっていう人がいると思うんですけど、そうじゃないですよ。
そこから始まるんですよね。
次やりましょうよっていうテンションとか気分を持っていけるかっていうのと、
あとそういう仲間がいたり、もしくはそういうお客さんとか関わる人でも、
別にそれうまくいかなくても諦めずにやってくださいという立場が違うんだけど、
僕はでもそういうことを言ってたらいいと思うんですよね。
そうしないと誰もやらないんですよね、本当に。
新しいこととか。
本当にやらない。
勝手に放置しておいたら、勝手に育って、勝手にアイディアがビジネスになって、
ビジネスがなっていくってことはないです。
僕でもそう思っているし、僕がそう思っているっていうだけなんですけど、ないですね。
自分が手をかけて動いたり、調べたり、そういうことをやっていくことが全部価値になるというか、
なっているんじゃないかなと思っています。
なんで言いたかったことはやってみましょうってことですね。
最初に下手っていうのは、自分が下手でもいいからやってみるってことで、
言わなくてもいいですよね、下手だからとかもね。
やっていって上手くなると思うんで、やらないとダメなんですよ。
行動による成長
もう一回繰り返すと失敗するのが怖いから、
あとですね、向き合うみたいなのがあるんですよね。
こっちの方が怖いのかもしれないですね。
上手くいかないっていうことに対して、誰も助けてくれないっていうのもちょっと違うんですけど、
それをやったのは自分だから、なんでがダメだったのか考えなきゃいけなくて、
同じ失敗というか繰り返したくないから、改善しようとするんだけど、
大丈夫です。同じ失敗も多分すると思います。
大丈夫というかですね、そんな簡単に上手くならないですよ。
なので、やるんだけど急激に上手くなるとかじゃなくて、
ちょっとずつやりませんかっていう提案でもあります。
急激に何かやろうとした時に無理がありますね。
僕自身もそういう違和感発想ツール教育サービスじゃないんですけど、
考えた時にそういうのをリリースしてどうかというと、別に今反応があるわけでは全然ないですよね。
だけど人の意見を聞いてた時に、こういうことだよなっていう気づきは割とありまして、
やっぱりバイアスとか思い込みがあるわけですよ。
とはいえ譲れない部分もあるから、全員に万能にとかいうことではなく、
対象者を変えた方がいいとか変えない方がいいとかも色々あるわけですけど、
一旦やり切るというか、出し切って回してみてどうかと。
どこかで区切らなきゃいけないですよね。一生それをやるってこともないんですけど、
なぜかというと飽きたり、違うことをやりたくなったり、乗らなくなるってことですね、気分として。
それでお客さんがいたりとかそういう風になってたらまた別なんでしょうけど、そういうことですよね。
なので冒頭で下手でもいいからやりましょうっていうのは、最初は誰でも初心者ですし、
別に僕は偉そうに言ってるかもしれないですけど偉そうに言える立場でもなく、一緒にやってる感覚ですし、
少なくとも楽しんだ方がいいですよね、そういうやることに関して。
つまんないなーとか、ダメだなーと思ってやるとつまんないしダメになるんで、
おかしいな、これ面白いのになーとか、これなんでいけないんだろう、いけると思ってるのにとか、
なんで伝わらないんだろうとかね、そんなのばっかりです。
なので修正したり改善していって、いろいろ考えていくのがいいんじゃないのかなっていう話ですね。
というわけで、ちょっとメンタル的な話になったかもしれないですけど、やりましょうと。
何でしたっけ、課題っていうんですか、授業的な話じゃない、課題ってことじゃなくて、
なんで自分がやれないかっていうのを一個一個リストに上げるのはお勧めしますね。
それ何個くらい上がるかわかんない。100個も上がらないじゃないですか、さすがに。10とか。
それ一個一個10個上げたら一個ずつ潰していって、見たらできるんじゃないですか。
例えばですけどね、それも一つのアイディアですけど、無理にやれとは言わないですね。
やりたくないんですって怖いですとか、新しいこととか考えたくないんですっていう人に
しごくりっていうのをお勧めしているわけではない点はご留意ください。
今のままでいいんだっていう人はこのラジオを聞いてないはずですから、
そんなこと全然考慮してないんですけど、でもなんかやろうかなっていう人でちょっと怖いなっていう人はいらっしゃるのかなと。
それもやれればなれというか、飛び箱みたいなもんで3段飛べたら4段行けるかもしれないとか、
ここでつまずきやすいなっていうのはやってるとわかる部分あるじゃないですか。
やらないと飛び箱飛ぶっていうのはよくわかんない。
なんでそれこそジャンプしたり飛び箱ってこんな感じでしたっけっていうことで近いことをやってみるっていう。
だから何でも体験や経験とか考えたこと、感じたことっていうのは自分を裏切らないなと僕は考えてます。
今回はこれぐらいにしたいと思います。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
初告示ラジオ小橋でした。
以上、失礼致します。