だから別にこれ自虐的っていう意味じゃなくて、関係ないわけですよ。僕もいろんな人がそういうスペース、コメディスペースというか場をやっていたりしているんですけど、僕が行くとか行かなかったら、その人がいまやっているかどうかなんてわかんないじゃないですか。いるかどうかもね。そうじゃないですか、実際にね。
だからもっと違う言い方をすると、会社とかで上司が部下をマネジメントしているときにリモートワークしている部下がいて、そういう部下がちゃんと働いているかどうかってわかんなくないですか。
当然それは、出社して机に座って前にいるから仕事をやっている風に見えるけどオフィスワークだったらね。何も進んでいないとかってあるわけじゃないですか。営業マンが営業行ってまーす、外回り行ってまーすって言ってるけど、漫画記者さんでサボってるなんて別によくある話じゃないですか。
そういうのが嫌な人いるかもしれませんが、いや別に実際そうじゃないですかねっていう話であると。で、この時に何言いたいかというと、実際がどうかっていうのはあんまり関係ないわけですよ。
一つだけ言っておくと、別に実態がないから虚偽でいいとか偽りでいいとか騙していいとか、やらなくていいとか、やっている風でいいとかっていうことを言ってるわけじゃないですよ。
やっている感は大事なんだけど、その感っていうのはやっているから感が出ているのだって、やっていないのにやっている感を出すのはやっている風ってことで、風はちょっと批判的に使いたいかなと思います。
ごめんなさいね、やっている風っていうね、なんとか風って別に悪い意味ではないんですけど、今回は一旦その雰囲気で、実際にはやってません、だけどやっているように見せかける方を批判してます。
やっている感は、やっているものがあって、それが実際にやっていて、事実としてやっていて、行動している、もしくは自分が何か考えている、何でもいいですよ、発信するかどうか置いておいてね、あったらそれをどういうふうに見せるか、見せ方の問題もありますが、少なくともやっているっていうのを出していくと。
ここでは風の方じゃなくて感ですね。つまり僕はですね、言い方がちょっとチンプになりますが、本気でそういうスペースをやってます。本気っていうのはやろうとしてやっている。それでその仕事クリエイターはどうでもよくて、どうでもいいんですよ、仕事クリはどうでもよくないんですけど、仕事クリって言葉はどうでもいいんですけど、
要は自分がですね、主人公って言い過ぎかもしれませんが、実際に自分が思ったことを言うことができなかったり話せなかったりするっていう人は、かなり僕が想定しているよりいらっしゃるんじゃないかなと思っているんですよ。
で、その時にやはりシリアスな真剣な、深刻なというかね。真剣というか深刻な方ですよね。で、場で犠牲者とか被害者みたいな感じにして、その人たちを救わねばならぬというのもあるじゃないですか、感覚として。いろんな問題があってね。よくあると思います、そういう感じ。
伝わりづらかったら、例えば社会問題とかで、いわゆる弱い人、社会的弱者と言われている人たちを救いましょうとかっていうのもわからんでもないです。で、いいです、それを全然否定してないです、やったほうがいい。
だけど、そうやって構えるとまた逆にやりづらかったりするじゃないですか。だから構造的に仕事作るぞみたいな仕送りスペースっていうのは成り立たないんですよ。
ブレストルームみたいな、ブレインソーミングという言葉がありますが、アイディアを出すという意味ですが、そういうアイディア出しルームみたいなのを作って、そこを使ってアイディア出ししましょうというと、誰もアイディア出せない。それよりも昼寝ルームとか、昼寝ルームもダメだな。
交流ルームもダメだな。交流ルームって多分交流できないんですよ。分かります?名付けてしまうとよくない。雑談ルームとかにしちゃうと雑談できない。
だから、なんちゃらルームって付けなくて良くて、それこそ仕事作りスペースとか意味のないくらいの名前でいいのかなと思いました。それこそ僕はテッカマキとか好きなんですけど、マグロですね。
テッカマキとか付けといた方がいいんじゃないかなと思います。本当に。冗談でもなく。それを目指すのがね。テッカマキでアイディア出しするとか、テッカマキで交流する方がいいというか。
それこそ幼稚園じゃないですけど、桃組とかそういう可愛らしい名前になりますけど、そういうのでいいんじゃないかなと思いましたね。
会社の組織とかだとそれだと分からないから、機能で経営とか新規事業とかね、営業とか、カスタマーサポートとか、カスタマーサクセスというか分かりませんが、どちらでもいいですけど。
そういう風になっていくんじゃないかなと思います。話を戻しますと、そういう所属のスペースという場があって、あることは別にどちらでもいいんじゃないかなと思ってます。
多くの人にとって。だけど、そういう場があるんだなということを知っていて、もしくは会って、仮に1回でも来てもらった、もしくは来てもらわなくても知っているだけでよくて、知ってもらっていると、そういうことをやっている人がいるんだなと。
ある種の僕の本気度というと、これも言い方チンプになるんですけど、示すためにやっているというのもありますね。
何度か話しているんですが、友人と起業するときに何やったらいいか分からないねということを9ヶ月ぐらい話していたんですけど、分からなかったんですよ。
だから、何かやりたいことが分からない人に対して、なんで分からないんですかということはなくて、分からないですよねぐらいなんですよ。分かります?その雰囲気。
あと儲かることっていうのはお金になるってことなんですけど、自分が面白いと思ったことが人のための価値になるってことを体験していかないとこれ一生わかんなくないですか。
わかんないですよね。だからその人がただ体験してないこととかわからない、理解してできてない、体験してないことに対して理解を示さないっていうことだと思うんですよ。ただここでこれは僕も気をつけているつもりですが、自分がわからないことはわからないことですよ。存在しないわけじゃないですからね。ありますからね。
例えば僕自身はディズニーランドとかそんなに好きでもなんでもないんですけど、ディズニー好きな方いらっしゃるじゃないですか。リスナーの方はディズニーが好きな方がいるのかもしれません。それは全然いいんですよ。個人の趣味だから。
でも行かない人にとってはわからなくていいし知らなくていいじゃないですか。例えばスーパーマリオとか色々あるじゃないですか。興味ないよって知らない人もいるじゃないですか。知らなくていいし行かなくていいじゃないですか。
ただアイディアを出すという意味では、行く余地を持っておく。つまり別に否定して自分はやらないからダメとは言ってないわけですよ。自分が面白がるっていうことのレベルでディズニーを好きな人がいて、別にそれはそれでいいじゃないですかって思えていること。
つまり他を排除しないというか、余地、受け皿というか遊びがある。だから遊びってそういう余白の意味もあるんですよね。その遊びがないと本当に窮屈ですよ。だからこの主語繰りも僕の考え方、言い方というのも他のものは一切受け付けないんだ、ダメですとかね。
言ってないしそう捉えられてたら違う。だから一番の悪手は主語繰りで何かを生み出していくことしか生き残れないという言い方ですね。これは出版なりメディアとかが煽ってくるわけですよね。
ウェブメディアとかもね。僕も煽ってはないんですけど。反応するわけですよ不安な人はね。分かるんですけどやりすぎですよね。やりすぎなんでそれでやっちゃダメだと思います。
それをやることで不安を煽って考えさせなくするっていうね。洗脳ではもちろんないんですけど、何になるんですかねって話なんですよ。それで不安だから煽るから反応しますって。スマホゲームに夢中になるように設計してスマホに夢中になる人がいるからいいですよねみたいな感じと一緒だと僕は思ってて。
それってどうなんですかねっていうのが予知ですよね。本当にそれでいいんですかぐらいの予知っていうね。だから主語繰りが正しいとかそういうのは絶対ないですよ。間違ってるかもしれない。だから大いなる勘違い。
大橋が大いなる勘違いしてて、そんなの誰も興味ないですよとか、そんなの誰も考えてる人いないですよっていうのだったら完全撤退。完全に諦めますよ。でも僕はここは譲れないのは、いやそうじゃないんですよねって。
僕が一つ言えるのは声が大きいというか自分の意見を言う人いるじゃないですか。本当に声が大きい人。でもそれはその人っていう人を見たときに、なんか意見を持ってる人が声が大きいとか話の主導権を持ってる人しか言ってないだけで、言わない人とか正解して黙ってみたりそうじゃないんだけどなと思いながら見てる人がいっぱいいるわけですよ。
って思いません?だからつまり言語化したり形にして、見えているは氷山の一角ってやつですけど、可視化されて見えるところだけじゃなくて、その潜在的なものの方が大きいですよねっていうところを考えると最大2割ってことですよね。なんとなく1割でもいいですよね。
分かります。頷いてます。僕は今頷いてます。多分そう思っている方いるんじゃないかな。勝手にですよ。だからそれはすごく需要というかニーズがあるんだけど、多分お金になりづらいわけですよね。分かりますよ。だから今このしごくりスペースとかメンバーシップとかそういう形にしかなってないですけど。
別にそれで成り立たせるというのが別に目的というよりも、そこでやっぱりしごくりとして僕が仕事を生み出していく、アイデア出しなりリサーチなりという仕事を生み出していったわけなんですけど、全然それで満足しているわけではなくて、速攻なくなっていくんで。
リブリサーチからAIしか出なくなっていくんで、全然変えていかなきゃなっていうところですよ。だからダメって否定してるわけじゃないけど、どんどん生み出していく。潰れていくならどんどん生み出してこれどうですかってことをやっていく。
ここで大事なのは世の中の人はチャレンジしていろいろ生み出そうとしてるんじゃないですかねってもしかしたら思われてる方いらっしゃるかもしれませんが、そういう人たちが可視化されている時点では少ないわけです。
だけど潜在的には何かやろうとしてる人たちがいて、でもやろうと思ってます、起用しようと思ってますとか何かチャレンジしようと思ってますって言っててもしょうがないじゃないですか。別に思うなってわけじゃないですよ。言っててもしょうがないんで、時間を投下しましょうっていうだけになります。
その時間を投下してやったものは裏切らないというぐらいです。裏切らない。成功するとは言ってないです。裏切らないぐらいに捉えて精神的に安定させつつ、そこで得たものを学びを何か価値にしていきませんかっていう、ある種の僕からのこれはご提案ですね。
世の中に対する、これはリスナーのあなたですが、世の中に対して提案をしている。その提案を受け取るかどうかはあなた次第ですよね。別に強制ではない。興味ないって言ったら興味ないでいいけど。
世の中的に全部それで興味ないというかというと、そんなことないんじゃないかなって僕は様々な経験や体験から思ってます。そこが論拠というか根拠があるわけで、根拠がない自信ではないわけなんですよね。
多くの人にとってはやりたいんだけどできないですよねっていう人が多くて、じゃあそれに対して僕が教育しましょうとか学びを提供しましょうというふうに偉そうにどうのかなっていう立場ではもちろんないから、そこは一緒にどういう感じなんですかねっていうふうに考えていくしかないかなと。
ただ僕が正解を持っているわけじゃないから一緒に考えましょうと言っても、あなたが相談する人が考えて動いているということを示す必要があるし、ここまでは分かるかここからは分からないということを示さないと、エスパーとして別に僕がその人の心理を読めるわけでもないし考え方を読めるわけじゃないんでっていうふうにはなってきますよね。
そうなるとできることって結構限られてきません?だからつまりその場があります、その場がある、やっている風じゃなくてやっている感、やっているからこその出ている感じが出てて、勢いと言ってもいいんでしょうけど、少しずつ人が集まってきて、
その人たちと何かやらなくてもいいけど、こういう場があっていいなと思っていただく、もしくは究極その場に人がいなくても僕が精神的につながると、ちょっとこれ気持ち悪いですけど、精神的につながっていますとね。
しゃべってリアクションいただいている方、リスナーの方とはショークリフィックで聞いてくださった方いらっしゃるかもしれませんが、そういう方とはつながっているわけですよね。僕は見えないけどつながっていると思いたい、で思ってて、そういうところでの関わりがあるよねっていうところのつながりっていうのも僕は成立すると思っているんですよね。
だからSNSでいいフォロワーみたいなのって、フォロワーの人が多いとかフォローしてる人が多いから、制御的にどうかっていう意味じゃなくて、その1フォロワーの面白い人がいて、その人がすごい著名な人でもなくても影響を与えているのであれば、僕はそれはつながりだと思っています。
僕はそういうのを大事にしてるんですよね、と思っています。もちろん当たれないとか出会えないとか、出会い方とかもあるんですけど、有名無名問わず上手く、有名な人は共通言語にしてネタにしつつ、別に批判するというわけじゃないですけど、無名な人だったら別に考えを上手く一事例として学んでいけばいいかなというふうに思っています。
やることを限られるというのは、僕が自らやっていくということで、別にやってないわけじゃないし、ごまかしてるわけじゃないんですけど、より言っていくという感じですよね。言語化しながら、伝えながら、話しながら、喋りながら、実況に近いです。
実況ラジオチューバーみたいな感じですか、新しい概念を生み出してみましたけど、やっていって、この人やってるなと、成功してるかどうかよく分からないけど、成功はしてないと思いますけど、やっていって言葉に嘘がないかどうかは、ここは僕の真心です。
ここは僕の真心を通じてやっていくしかないから、それでいいんですよ。あとはどうなるか。そのためにエンジンというのは二つありまして、これは並列に走らせる必要があります。
それは、一個はやっていく、新しいことを試す、チャレンジするというやつで、もう一個は他人とか相手の評価、評価というか見ていくという、若干客観的な見直す振り返りエンジンみたいなのがあって、振り返りエンジンと新しいことをやるエンジンというのが二つあったときに、新しいエンジンはやっぱり止めちゃいけないんですよね。やり続けないといけない。
もちろんフェーズによっては若干回転数が弱いとかもありますが、それは失敗するとあまり放置速度、エンジンが冷え切って全然動きが悪くなるんですよね。だからやり続けないといけないんですよ。これはもう明確ですね。僕にとっては。
そのやりっぱなしではダメなので、適宜振り返って、そういう反応なんだ、そういうことだということを振り返っていくということも必要だなと思いますので、この二つのエンジンは直列ということで、一個止まったら一個止めるんじゃなくて、両方とも平行でそれぞれやる。関係ないよと切り離しておくという感じですね。
というのはもしかしたらコツかもしれません。ちょっと駆け足で行きましたけど、バー自体、コミュニティ自体の精神性ですよね。それが一人でもいいという話です。
その人がこういう人がいたなっていうので、驚かないんですか僕は。割と僕の周りだと、例えばこの記事良かったっていうので、それは別に無名な人とか全然知らない人なんだけど、自分が本当に良かったものを紹介してくれるんで、読んでみたかったりとか、面白いなって思う学びがあるんですよ。ほぼ必ずある。
っていうことを普段やってるんですよね。それって良くないですか。その時に紹介したものが無名な人の記事で、これあえて無名って言ってるわけですね。あえて無名な人って言ってるわけで意味二位はないんですけど、その記事が支えになってたりするわけですよ。
今回は支えられる、支えているコンテンツを出している人がいて、それに支えられている友人とか、もしくはそれに面白いなと思う僕っていうふうに言いましたけど、これは変えることもできるというか、これはお互いだと思うんですね。
いわゆる支え合いっていうのは逆で、僕が存在しているとか、場があるとか、考え方があるとか、この四国でラジオ自体はそうなんですけど、こうやってばーって喋ってるのは、こういう人いるんですよっていうことの、この勝算というか論拠というか、だから僕はAIじゃない。
喋ってるんです。毎回喋ってるんです。データ持ってきて喋ってるんです。ということで、その存在を示していくというだけでも僕は価値があると思ってます。だからこれは僕の存在の価値があるとかっていうよりも、そういう人がいるんだっていうので支えられることってないですか?
僕はあるので、さっき言った話は逆ですよね。そういう考え方があるんだなっていうことを知るだけで、それで支えになることがあって、たまにまた見に来ようと。ラジオはあまり聞きに来る人はいないかもしれないですけど、戻ってこれるって感じですよね。
だからそういう意味では僕はブログにも書いてるわけですね。そういうことを目指していくわけですね。だから、前回言ったようにお店であり、お店っていうかなんだろうな。お店に近いか。小さなお店とか。近いのは書店とかのもうちょっとカジュアルな書店で、
僕は接客業みたいなのはあまり得意じゃない。やらないですけど、セルフカフェで簡単に入れるようなコーヒーマシンぐらい置いておいて、100円とかコーヒー入れたら飲めるぐらいにしておくと。それ飲んでちょっと喋ってみたいな。そういうのはいいですよね。
リアルでそれをやりたいわけじゃないけど、それは結構いいんじゃないかなと思います。あとはビジネスとか収益とかお金の取り方みたいなだけであって、そういうのはやっていかなきゃいけないんだろうなと思ってます。書店じゃなくてもいいですけどね。