仕事づくりの新たな視点
シゴクリラジオ
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
はい、このシゴクリラジオは、仕事づくりの話をしていく番組です。
私、シゴクリ、仕事クリエイター大橋がですね、パーソナリティを務めてやっております。びっくりした、今音が。
仕事づくりとはですね、ビジネスでも仕事でも企業でも、最近ちょっと入れているのが、ここが違和感があるかどうかなんですけど、ライフスタイル企業家みたいな言葉とか伝わりますかね。
要は働き方とか、あと副業とかもそうなんですけど、ライフスタイルっていうのは、日常生活のプライベートと仕事みたいなのを分けすぎたんじゃないかなと。
もちろんワーカホリックになって仕事やれとか、プライベートを中心で仕事するなとか、そういうことじゃなくて、溶かすという感じですね。
オンオフみたいな感覚がない。これはですね、働く、学ぶ、遊ぶみたいな。働くじゃなくて、最初は遊ぶ、そこで次に学ぶ、そして働く、で価値、でお金みたいな。
働くがそういうことなんでしょうけど、働くも結局その社会のために、じゃあゴミ掃除しときましょうとか、これは良くないよねって思ったらちょっとやっとくとかっていう意味を言ってます。
それも入ります。賃金労働みたいなことだけを働くっていう風に、やはり狭い定義をしてしまうと、なんかちょっとおかしくなるよなっていう感じがしてます。
だからそのライフスタイルがとか言って、情報詳細みたいな。昔からありますよね、お姉さんと写真撮ってるとか、すごい車に乗ってるとか、ハワイの。何なんですかね、あれみたいな。
思っている20代の人とか、もしくは学生さんとかで大学生ぐらいとか、あとなんかその企業とかビジネスってことを調べ始めると、なんか怪しいのしかなくて、そういうのなんですよね、ビジネスって。
それは違うんですよ。違う。というわけで、冒頭からテンション高めですが、そういう仕事自体の話とか、意識高めましょうよではないですね。むしろ高めるなら低める。逆張りがいいかもしれない。
今回テーマは、私国リスペースの話ではないんですが、私国リスペースというのはそういう場をやってますので、メタライフ2Dメタバースで聞きづらいかもしれませんが、ディスコードもやってます。
日中別に来なくてもいいです。ディスコードは24時間。ゆるゆる非同期で、別にメタライフでも非同期ですが、もし仕事づくりご興味あれば一緒に。
一緒になんだけど、リスナーのあなたが参加していただいたら、その人が主役というかその人がメインですかね。別に僕がどうとかじゃないんで、あなたの考え方が面白い。倫理的にやべえとか、社会的にやばいとかじゃなかったらってことは当然なんですけど。
あとは関係性で、ノリもあると思いますが、そういうところで一緒に高めていける。だから、切磋琢磨というのが一番近いんじゃないかなと思いました。
そういうわけで、今回は場について考えていこうと。つまり、場というのがどういうものがあったらいいのか。
どういう場があると仕事を送りしていけるか。もしくは、チャレンジというかやっていきましょうよって言ってるっていうところ。そんなテーマで今回話をしていこうと思います。長くなりましたね。
サードプレイスの概念
というわけで、今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、しゅこくりラジオの大橋です。今回は場とかコミュニティとか、何でもいいんですが、集まりとか空間スペース、何でもいいかなと思います。空間とかっていうと、もしかしたらサードプレイスみたいな言葉が出てくるんですが、サードプレイスは正直どうでもいいかなと思います。
ただ、概念としては面白い方向性で、サードプレイスって言葉はもしかしたら知っている方もいるかもしれませんが、改めて話すと、結局ですね、さっき言ってたようにね、仕事というのがセカンドでしたっけ。
ファーストが家庭とか自分の世帯とか。家族がそんなにいない方とかもいらっしゃるし、単身だったらちょっと違ってきますが、ただ自分の家とか自分というものがファーストだったら家庭家族とかね。
で、次が仕事とか、次の場。最後が3つ目が全然違う。だからスターバックスがそういう概念を生み出したわけだかどうかは覚えていませんが、そこら辺から言われている。
要はカフェでスタバにコーヒー飲みに行くんじゃないかと。仕事したり読書したり話したりという場ですよ。
喫茶店という文化が名古屋には全然昔からありまして、喫茶店いっぱいあるんですけど、喫茶店で話すなんて普通ですから、喫茶店も別にサードプレイスっちゃサードプレイスで、そこで友達と話すのではなく、ちょっと常連さんみたいな感じで話していったらもうサードプレイスですよねみたいな。
伝わってますかね、そういうイメージ。つまり、結構関与度が高い。家族だったら血縁とか、もしくは結婚されてる方だったらパートナーとか、子供とか、血が繋がってますが、そういうところで、あと遅延ですよね。
地域、地方、エリアってことですが、いろんな縁がある中で、もう一つは賃金労働をね、別に批判してるわけじゃないですけど、賃金労働だけじゃなくて、働く場っていうのも人がいますし、やっている関わりの中でお客さんが出てくるわけで、そういうのが魅力じゃないですかって思ってるんですけどね、僕はね。
で、そこでもう一個、その趣味でもいいし、なんでもいいんですけど、そういうところじゃないよねっていうことを一応言ってるのがサードプレイス。だからサードでもフォースでもね、ヒップスでもなんでもいいんですけど、そういった場は僕はいっぱい持ってた方がいいかなと思ってます。
つまりそれは住んでいる町の、別にNPO活動しなくてもいいんですけど、ゴミ拾い活動をたまにしてますっていうところの集まりだったり、よく行くお店の人とたまに話すとかね。話さなくてもいいと思うんですよね。ここ大事で、話さなくてよくてしょっちゅう来てるなとか、そういう感じの感覚は大事と思います。
で、別に私国立スペースの話というよりも、私国立スペースとか僕がそもそもそのコミュニティとかをやるとかやっているんですが、目指すものって何ですかって時に、何度も言ってますが、今回初めて聞く方もいらっしゃるということが、初めて聞く方をいる前提で喋っているんですけど、
まずマインドセットというか精神的なもので、そういう場があるよって。駆け込み寺っていうのはちょっと大げさなんですけど、僕という存在の、それは企業であり、奴隷であり、器がたまされるんですが、器をたまされるというか器を試しているんですけどね。
職域スペースというのがありますと、メタライフだし、あ、ごめんなさい、メタライフというメタバースツールですね。バーチャル空間なわけですよね、一般的に。
平日に一応言いますが、別に来ていない人ですよね。全然別にたくさんの人が来ているわけじゃないんでいいんですけど、来ていない人にとっては、つまり多くの人にとっては、ぶっちゃけどうでもいいわけですよ。僕がそこにいようがいまいが、関係ない。関係ないじゃないですか。
コミュニティの重要性
だから別にこれ自虐的っていう意味じゃなくて、関係ないわけですよ。僕もいろんな人がそういうスペース、コメディスペースというか場をやっていたりしているんですけど、僕が行くとか行かなかったら、その人がいまやっているかどうかなんてわかんないじゃないですか。いるかどうかもね。そうじゃないですか、実際にね。
だからもっと違う言い方をすると、会社とかで上司が部下をマネジメントしているときにリモートワークしている部下がいて、そういう部下がちゃんと働いているかどうかってわかんなくないですか。
当然それは、出社して机に座って前にいるから仕事をやっている風に見えるけどオフィスワークだったらね。何も進んでいないとかってあるわけじゃないですか。営業マンが営業行ってまーす、外回り行ってまーすって言ってるけど、漫画記者さんでサボってるなんて別によくある話じゃないですか。
そういうのが嫌な人いるかもしれませんが、いや別に実際そうじゃないですかねっていう話であると。で、この時に何言いたいかというと、実際がどうかっていうのはあんまり関係ないわけですよ。
一つだけ言っておくと、別に実態がないから虚偽でいいとか偽りでいいとか騙していいとか、やらなくていいとか、やっている風でいいとかっていうことを言ってるわけじゃないですよ。
やっている感は大事なんだけど、その感っていうのはやっているから感が出ているのだって、やっていないのにやっている感を出すのはやっている風ってことで、風はちょっと批判的に使いたいかなと思います。
ごめんなさいね、やっている風っていうね、なんとか風って別に悪い意味ではないんですけど、今回は一旦その雰囲気で、実際にはやってません、だけどやっているように見せかける方を批判してます。
やっている感は、やっているものがあって、それが実際にやっていて、事実としてやっていて、行動している、もしくは自分が何か考えている、何でもいいですよ、発信するかどうか置いておいてね、あったらそれをどういうふうに見せるか、見せ方の問題もありますが、少なくともやっているっていうのを出していくと。
ここでは風の方じゃなくて感ですね。つまり僕はですね、言い方がちょっとチンプになりますが、本気でそういうスペースをやってます。本気っていうのはやろうとしてやっている。それでその仕事クリエイターはどうでもよくて、どうでもいいんですよ、仕事クリはどうでもよくないんですけど、仕事クリって言葉はどうでもいいんですけど、
要は自分がですね、主人公って言い過ぎかもしれませんが、実際に自分が思ったことを言うことができなかったり話せなかったりするっていう人は、かなり僕が想定しているよりいらっしゃるんじゃないかなと思っているんですよ。
で、その時にやはりシリアスな真剣な、深刻なというかね。真剣というか深刻な方ですよね。で、場で犠牲者とか被害者みたいな感じにして、その人たちを救わねばならぬというのもあるじゃないですか、感覚として。いろんな問題があってね。よくあると思います、そういう感じ。
伝わりづらかったら、例えば社会問題とかで、いわゆる弱い人、社会的弱者と言われている人たちを救いましょうとかっていうのもわからんでもないです。で、いいです、それを全然否定してないです、やったほうがいい。
だけど、そうやって構えるとまた逆にやりづらかったりするじゃないですか。だから構造的に仕事作るぞみたいな仕送りスペースっていうのは成り立たないんですよ。
ブレストルームみたいな、ブレインソーミングという言葉がありますが、アイディアを出すという意味ですが、そういうアイディア出しルームみたいなのを作って、そこを使ってアイディア出ししましょうというと、誰もアイディア出せない。それよりも昼寝ルームとか、昼寝ルームもダメだな。
交流ルームもダメだな。交流ルームって多分交流できないんですよ。分かります?名付けてしまうとよくない。雑談ルームとかにしちゃうと雑談できない。
だから、なんちゃらルームって付けなくて良くて、それこそ仕事作りスペースとか意味のないくらいの名前でいいのかなと思いました。それこそ僕はテッカマキとか好きなんですけど、マグロですね。
テッカマキとか付けといた方がいいんじゃないかなと思います。本当に。冗談でもなく。それを目指すのがね。テッカマキでアイディア出しするとか、テッカマキで交流する方がいいというか。
それこそ幼稚園じゃないですけど、桃組とかそういう可愛らしい名前になりますけど、そういうのでいいんじゃないかなと思いましたね。
会社の組織とかだとそれだと分からないから、機能で経営とか新規事業とかね、営業とか、カスタマーサポートとか、カスタマーサクセスというか分かりませんが、どちらでもいいですけど。
そういう風になっていくんじゃないかなと思います。話を戻しますと、そういう所属のスペースという場があって、あることは別にどちらでもいいんじゃないかなと思ってます。
多くの人にとって。だけど、そういう場があるんだなということを知っていて、もしくは会って、仮に1回でも来てもらった、もしくは来てもらわなくても知っているだけでよくて、知ってもらっていると、そういうことをやっている人がいるんだなと。
ある種の僕の本気度というと、これも言い方チンプになるんですけど、示すためにやっているというのもありますね。
何度か話しているんですが、友人と起業するときに何やったらいいか分からないねということを9ヶ月ぐらい話していたんですけど、分からなかったんですよ。
だから、何かやりたいことが分からない人に対して、なんで分からないんですかということはなくて、分からないですよねぐらいなんですよ。分かります?その雰囲気。
場の存在感と安心感
つまり、安心してもらうとか、やすらきとかね。ぬくもりまでは僕へテイクできないですが、やすらきというか、いるんだなと。
今回はね、これは僕がやっているスペースだから僕が主人になると思うんですが、僕を開催としていろんな人がつながってくれたらいいかなという感じです。
なので、いつも来てくださいというわけでもなく、僕もいつもいないかもしれませんし、というところの概念、ブランドみたいなイメージが強いですよね。
月に1回、年に1回でもいいんですけど、来てもらって、それでそのイメージがあって、ああそういう場があるなと。忘れてしまってもいいんですけど、あったよねというその1回の体験で、結構いいかなと。
実際にはスペース運営とか、前も何度か話しましたけど、メンバーシップじゃないですけど、そういう、月かけてお金払っていただくとか、そういうのがあるんですけど、そこの手前でまず、あるよねっていう、いけるよねみたいな、やってるよねみたいな、なんか変な人いたなぐらいでいいんですけど、いたなみたいな。
別に変な人って言われても全然僕は良くて、ミニークとか変わってますねって言われるのも全然僕はプラスです。なんか普通ですねとか、典型的な生き方してますねとか、人生送りバンドですねとか言われたら泣いちゃいますね。
そうならないようにね。でも変わったことを気をつけたことをやろうということもないんですけどね、そのバランスがあるかなと思います。で、そういうところをやっている中で、今思っているのが、僕がよくですね、主語繰りじゃなくても、何か企業でもいいし、何かやるわけじゃないですか、物事。これやってみよう、あれやってみようみたいな。
そういうことがなくてもいいんですけど、とりあえず何かやってみたときに、僕がやってみましょうとか、失敗してもいいですよとか、学べますよとか、どんどん次やりましょうとか、最初の一歩を踏み出そうとか言ってるじゃないですか。
で、あと、何か新しいことやっていきますみたいなことを言っている感じで伝わっていると思ってますけど、仕事作りってそんな感じなんで、同じことずっとやりましょうなんていうことじゃなくて、どんどんやれることやっていって作っていきましょうっていう感覚なんで、飽き性ではあるわけですね。
そういうときに、僕が失敗していないというか、あとは新しいことやってないとか、そういうのってダメじゃないですか。ダメじゃないですかっていうのは、別に追い込んで無理矢理やってるわけじゃなくて、そもそも僕のスタイルとしていろいろやりたいし試したいしっていうのがあるので、それをやっているわけですよ。
別にリスナーのあなたにやってくださいって言われてるわけでもなく、誰かにこうしてくださいって言われてるわけでもなく、そういう企画とか、カンペがあってそういうふうに支持されてるわけでもなく、AIにそう言われたからとかでもなく、親にどうとか、昔の師匠にどう言われたとか、そんなのないです。
そういうところで、僕自身が考えたと、僕が僕の意思でやっているっていうことですね。まさに意思だと思います。好奇心と言ってもいいですね。自分がどうなっていくかっていうところに対する好奇心でもあるし、社会がどうなっていくか、もしかしたら人が関わっていくかどうなっていくかってところがあってやってるわけですね。
そこで素朴なイメージというか考え方として、僕が試してないとか、僕が新しいことやってないとか、人だったらが失敗していいよとか、失敗しないように失敗していいよとか、すごい保守的な人に挑戦的になれとか、要はその人が言っていることとやっていることが全く違うと刺さらないじゃないですか。
刺さらないというのが、その人と話したときに、この人は本当に思っているのかと。なりませんか。というところの説得力とか、僕は迫力ってことは使うんですが、ないのは嫌だな。だから自分に嘘をつかないってことですよね。そこは徹底したいというか。
自分に嘘ついちゃうとずっとごまかせちゃうので、それやめましょうということですよね。ということでやってます。なのでこれはすごく小さな一歩ですし、ソークルスペース自体もそうですしチャレンジになってますが、さまざまなことを考えてやっていくと。
好奇心と挑戦
昨日思いついたのが思考ログみたいなのをやろうかなと思っていまして、日記ですね。日記みたいなのを書くと。日記って別に僕のプライベート丸出しして晒すとかそんな趣味は全くないですし、ちょっと気持ち悪いと思うので、そうじゃなくて考えている思考とか。
この四国ラジオに近いと思いますが、そういうのを箇条書きとか毎日何かね、気づきというかこういうのあったっすよねみたいなのを登録してくれるか。今回はですね、このノートのメンバーシップってちょっと分かりたいですけど、これも有料にはなるんですが、無料枠を設けて1ヶ月くらい見えるかな。
見たい人がいるか分かりませんけど、やってみようと。全然誰も見なかったら別にログの練習員になるからいいかなと。あんまりそこの深いことは考えてないですけど、絶対それで人に読んでもらわなきゃいけないとなるとまた違ってくるんですけど。
深刻になってやってるというよりも遊んでるわけですよ。よくも悪くも。遊びっていうのはなんで遊びなのかというと、働くとか言ってないのは関係ないじゃないですか。ユーザーさん、リスナーの人、僕を応援していただける方がいるとして、そういう方に対して僕が深刻になってやってやるっていう。
本気というか適切というかちゃんとやると。それはあると。その上でその人が結局継続する。継続して続けてやるにはその人自身が楽しんでないと。心からってやつですね。
上っ面では無理。心から楽しむとか、迷いがないというかね。迷っててもいいんですけどね。本当かなぐらい。でもやっていくと。とりあえずやっていくという、ある種のゆるさの中の継続精神みたいなのがあるような気がしてます。
この後の言語が若干難しいんですけど、人によっては違いますが、僕の中にはそういうのがあって、あってやっていこうと。つまり僕自身が楽しんでいるってことを、この職業料上だったら聞いてる方に楽しんでいただく。
逆で僕が楽しんでいるものじゃないと僕は伝えられないから、僕が楽しんでいるもので楽しんでるってことで楽しんでいただくって感じですよね。ここですね。そこを外さないようにするって感じですね。
それを逆にリスナーの人に楽しんでほしいからやるっていうのもアリだと思うんですけど、それもバランスかなと思います。それも逆で僕が楽しいから何でもいいよねって言って、倫理に反したり反社会的なこととか、お金儲けだから例えば詐欺します、変な表情で売ってますみたいなやったらもうアウトですよね。
そのことをやらないです。僕やらないですし、やらないですね。つまんないですね。だからここの擦り合わせになりますが、僕が面白いと思うことを世の中の人が全員が面白いと思ってくれるわけじゃないので、一部の人もしくはごく一部の人もしくはごくごく一部の人が面白いと思ってくれるところで勝負していくと、もうそれだけしかないですよね。
新規事業とかっていうのもそうですし、よくあると思うんですが、よく言われてるんですが、そういうことしか言われてないんですけど、最初に何かやるじゃないですか。ファーストペンギンって言葉がありますが、実はペンギンは別に最初に行くぞっていうわけじゃなくて、ただ押されてるだけってことで、犠牲者ですよね。
まあまあそれを置いといて、人柱になりたいとかそういうわけではないんですけど、ただ最初に何か仕掛けて、何かこういうのあったっすよねっていうふうに開拓するっていうかね、パイオニア精神じゃないけど、の方が僕は気が向いているというだけです。
社会っていうのを全体見てたときに保守的な方もいらっしゃると思いますよね。全然そんなこういうことはやりたくない。僕もその保守性もありますから。ただそういったときに全体社会で考えたら、授業を作るなり仕事を作るなり何かこうね、価値を見出すとかっていうのは僕なりにやってきたしやっていくので、そういうところを信じてもらうのは僕の言動から、
結果なり成果なりはあるのかわかりませんが、そういうので信じていただいて、あとはもしくは学んでいただく材料としてもらうということですね。活用としてっていうふうにしてくださいというかね。
そういうところでやれるかどうかって感じですよね。だからそれ自体もチャレンジ。仕事繰り自体もチャレンジですし、僕がその仕事繰り、仕事繰りスペースなり仕事繰りってことを、スペース運営だけだったら全然ですけど、どんどんやっていくってことが大事なんだよねって思ってます。じゃないと全然面白くないじゃないですか。
リスナーとの関係性
成功法則Aっていうのがあります。それはもうやるだけです。はい、淡々とやってます。はい、成功しました。それもありかな。ありかもしれないですけど、僕のスタイルではないかなって思いますね。
試行錯誤感っていうのがあるとしたら、少なくとも僕は僕が感情として、感情的にいいなと思ったり面白いなと思ったことをまずやってみるっていうようなことをまず言いたいし言ってます。これを強制するわけじゃなく、まず僕がやってます。
トム・トーヤの冒険っていう本で、その主人公トムがペンキ塗りのママ母なんですかね。強いられたときに強いられたっていうのは要は罰としてね。怒られたから。塗りなさいって言われたときにめちゃくちゃ楽しそうにペンキ塗りをしたら、友達が寄ってきて、トム俺にもやらせるよって言って、簡単にやらせてあげないよと。
こんな楽しいものを譲ってやるもんかというところで、いわゆる宝物ってやつですね。ガラクタみたいなものかもしれませんが、子供たち当時の世界ではそうだと思いますが、自分が集めている大事なものって意味ですよね。市場価値がある宝石とかそういうのじゃないですよ。
綺麗な鉛筆とかね、そういう感じです。素敵じゃないですか。それをあげると、そうするといろんな宝物をもらいながらトムはなんとペンキ塗りをせずにみんなに任せて、労せずペンキ塗りを終えたと。
ある種悪自衛という人もいるかもしれないけど、これは素晴らしいことなんじゃないかなと思います。ここで唯一やっているのは楽しむこととか面白がることなんですよね。気になった人はトム・ソウヤの冒険ぜひ読んでください。都市間とかでも買えると思います。
この話でポイントというのは、今言った通り楽しんでいるだけなんですよね。前々回から話し通りでなんとかしているだけなんですよね。楽しむとか面白がることが、実は衝撃でもないんですけど、意外にできないことにも僕は気づいています。
気づいていないわけじゃなくて、たぶんね。なぜかというと、センスというと終わっちゃうんで、センスというのはここでは先天的なもので、その人のDNA、遺伝とか先天的なものです。それはつまらないじゃないですか。
だからここでは最大5割としています。つまり残り5割は環境説というので人工説です。天然じゃなくて人工、つまり学んだりトレーニングしたり勉強したり話したり、そういう人たちと情報を得たり、そういう人たちというのは僕みたいな人なんですけど、
しごくりしている人たちとかしごくり的考え方があったり、自分で何かしごくりと言わなくていいですけどね。チャレンジしたり応援したり、対等に対話できたり、切磋琢磨できたりする人たちがいることでできると思います。これは例えばスポーツチームでもトップチームとか強いチームの中でいると強くなるんですよね。
だからそれが当たり前になる。だからそれが当たり前になる。しごくりするのが当たり前になる。みんなしごくりしようとかね。そういう気持ち悪いので恥ずかしいのでやめたいんですけど、しごくりという概念を使いつつ用いつつもしごくりとは言わないぐらいがいいかなと。
犯罪組織とか特留みたいなやつがあるとやばいんですけど、そういうわけじゃないんで、世のため人のためです本当に。自分のやってみたいことが社会の価値になるように擦り合わせていく。それがまさに今後の生き方、AI時代の生き方なんじゃないかなって僕は結構本気で思ってますね。
だから面白い楽しいとか違和感とかなんだろうなっていう感覚的なものがめちゃくちゃ大事で。面白がるっていうことが多分麻痺してる人には全く伝わらなくて、何言ってんすか大橋さんみたいになると思うんですよ。
わかりますわかります。これは前も言ったと思うんですけど、友人と寄与した時にずっと違和感としてあるのが、面白いことってもっからないですよねっていうね。このフレーズなんですよ。だから違うんですよ。面白いことがもっからないって言ってる人は多分面白いことっていうのがエンタメとかで例えば漫画読んだり映画見たり遊んだりするっていうことの消費なんじゃないかなと思ってます。そうじゃないですよね。
体験からの学び
あと儲かることっていうのはお金になるってことなんですけど、自分が面白いと思ったことが人のための価値になるってことを体験していかないとこれ一生わかんなくないですか。
わかんないですよね。だからその人がただ体験してないこととかわからない、理解してできてない、体験してないことに対して理解を示さないっていうことだと思うんですよ。ただここでこれは僕も気をつけているつもりですが、自分がわからないことはわからないことですよ。存在しないわけじゃないですからね。ありますからね。
例えば僕自身はディズニーランドとかそんなに好きでもなんでもないんですけど、ディズニー好きな方いらっしゃるじゃないですか。リスナーの方はディズニーが好きな方がいるのかもしれません。それは全然いいんですよ。個人の趣味だから。
でも行かない人にとってはわからなくていいし知らなくていいじゃないですか。例えばスーパーマリオとか色々あるじゃないですか。興味ないよって知らない人もいるじゃないですか。知らなくていいし行かなくていいじゃないですか。
ただアイディアを出すという意味では、行く余地を持っておく。つまり別に否定して自分はやらないからダメとは言ってないわけですよ。自分が面白がるっていうことのレベルでディズニーを好きな人がいて、別にそれはそれでいいじゃないですかって思えていること。
つまり他を排除しないというか、余地、受け皿というか遊びがある。だから遊びってそういう余白の意味もあるんですよね。その遊びがないと本当に窮屈ですよ。だからこの主語繰りも僕の考え方、言い方というのも他のものは一切受け付けないんだ、ダメですとかね。
言ってないしそう捉えられてたら違う。だから一番の悪手は主語繰りで何かを生み出していくことしか生き残れないという言い方ですね。これは出版なりメディアとかが煽ってくるわけですよね。
ウェブメディアとかもね。僕も煽ってはないんですけど。反応するわけですよ不安な人はね。分かるんですけどやりすぎですよね。やりすぎなんでそれでやっちゃダメだと思います。
それをやることで不安を煽って考えさせなくするっていうね。洗脳ではもちろんないんですけど、何になるんですかねって話なんですよ。それで不安だから煽るから反応しますって。スマホゲームに夢中になるように設計してスマホに夢中になる人がいるからいいですよねみたいな感じと一緒だと僕は思ってて。
それってどうなんですかねっていうのが予知ですよね。本当にそれでいいんですかぐらいの予知っていうね。だから主語繰りが正しいとかそういうのは絶対ないですよ。間違ってるかもしれない。だから大いなる勘違い。
大橋が大いなる勘違いしてて、そんなの誰も興味ないですよとか、そんなの誰も考えてる人いないですよっていうのだったら完全撤退。完全に諦めますよ。でも僕はここは譲れないのは、いやそうじゃないんですよねって。
僕が一つ言えるのは声が大きいというか自分の意見を言う人いるじゃないですか。本当に声が大きい人。でもそれはその人っていう人を見たときに、なんか意見を持ってる人が声が大きいとか話の主導権を持ってる人しか言ってないだけで、言わない人とか正解して黙ってみたりそうじゃないんだけどなと思いながら見てる人がいっぱいいるわけですよ。
って思いません?だからつまり言語化したり形にして、見えているは氷山の一角ってやつですけど、可視化されて見えるところだけじゃなくて、その潜在的なものの方が大きいですよねっていうところを考えると最大2割ってことですよね。なんとなく1割でもいいですよね。
分かります。頷いてます。僕は今頷いてます。多分そう思っている方いるんじゃないかな。勝手にですよ。だからそれはすごく需要というかニーズがあるんだけど、多分お金になりづらいわけですよね。分かりますよ。だから今このしごくりスペースとかメンバーシップとかそういう形にしかなってないですけど。
別にそれで成り立たせるというのが別に目的というよりも、そこでやっぱりしごくりとして僕が仕事を生み出していく、アイデア出しなりリサーチなりという仕事を生み出していったわけなんですけど、全然それで満足しているわけではなくて、速攻なくなっていくんで。
リブリサーチからAIしか出なくなっていくんで、全然変えていかなきゃなっていうところですよ。だからダメって否定してるわけじゃないけど、どんどん生み出していく。潰れていくならどんどん生み出してこれどうですかってことをやっていく。
ここで大事なのは世の中の人はチャレンジしていろいろ生み出そうとしてるんじゃないですかねってもしかしたら思われてる方いらっしゃるかもしれませんが、そういう人たちが可視化されている時点では少ないわけです。
だけど潜在的には何かやろうとしてる人たちがいて、でもやろうと思ってます、起用しようと思ってますとか何かチャレンジしようと思ってますって言っててもしょうがないじゃないですか。別に思うなってわけじゃないですよ。言っててもしょうがないんで、時間を投下しましょうっていうだけになります。
その時間を投下してやったものは裏切らないというぐらいです。裏切らない。成功するとは言ってないです。裏切らないぐらいに捉えて精神的に安定させつつ、そこで得たものを学びを何か価値にしていきませんかっていう、ある種の僕からのこれはご提案ですね。
世の中に対する、これはリスナーのあなたですが、世の中に対して提案をしている。その提案を受け取るかどうかはあなた次第ですよね。別に強制ではない。興味ないって言ったら興味ないでいいけど。
世の中的に全部それで興味ないというかというと、そんなことないんじゃないかなって僕は様々な経験や体験から思ってます。そこが論拠というか根拠があるわけで、根拠がない自信ではないわけなんですよね。
多くの人にとってはやりたいんだけどできないですよねっていう人が多くて、じゃあそれに対して僕が教育しましょうとか学びを提供しましょうというふうに偉そうにどうのかなっていう立場ではもちろんないから、そこは一緒にどういう感じなんですかねっていうふうに考えていくしかないかなと。
コミュニティの重要性
ただ僕が正解を持っているわけじゃないから一緒に考えましょうと言っても、あなたが相談する人が考えて動いているということを示す必要があるし、ここまでは分かるかここからは分からないということを示さないと、エスパーとして別に僕がその人の心理を読めるわけでもないし考え方を読めるわけじゃないんでっていうふうにはなってきますよね。
そうなるとできることって結構限られてきません?だからつまりその場があります、その場がある、やっている風じゃなくてやっている感、やっているからこその出ている感じが出てて、勢いと言ってもいいんでしょうけど、少しずつ人が集まってきて、
その人たちと何かやらなくてもいいけど、こういう場があっていいなと思っていただく、もしくは究極その場に人がいなくても僕が精神的につながると、ちょっとこれ気持ち悪いですけど、精神的につながっていますとね。
しゃべってリアクションいただいている方、リスナーの方とはショークリフィックで聞いてくださった方いらっしゃるかもしれませんが、そういう方とはつながっているわけですよね。僕は見えないけどつながっていると思いたい、で思ってて、そういうところでの関わりがあるよねっていうところのつながりっていうのも僕は成立すると思っているんですよね。
だからSNSでいいフォロワーみたいなのって、フォロワーの人が多いとかフォローしてる人が多いから、制御的にどうかっていう意味じゃなくて、その1フォロワーの面白い人がいて、その人がすごい著名な人でもなくても影響を与えているのであれば、僕はそれはつながりだと思っています。
僕はそういうのを大事にしてるんですよね、と思っています。もちろん当たれないとか出会えないとか、出会い方とかもあるんですけど、有名無名問わず上手く、有名な人は共通言語にしてネタにしつつ、別に批判するというわけじゃないですけど、無名な人だったら別に考えを上手く一事例として学んでいけばいいかなというふうに思っています。
やることを限られるというのは、僕が自らやっていくということで、別にやってないわけじゃないし、ごまかしてるわけじゃないんですけど、より言っていくという感じですよね。言語化しながら、伝えながら、話しながら、喋りながら、実況に近いです。
実況ラジオチューバーみたいな感じですか、新しい概念を生み出してみましたけど、やっていって、この人やってるなと、成功してるかどうかよく分からないけど、成功はしてないと思いますけど、やっていって言葉に嘘がないかどうかは、ここは僕の真心です。
ここは僕の真心を通じてやっていくしかないから、それでいいんですよ。あとはどうなるか。そのためにエンジンというのは二つありまして、これは並列に走らせる必要があります。
それは、一個はやっていく、新しいことを試す、チャレンジするというやつで、もう一個は他人とか相手の評価、評価というか見ていくという、若干客観的な見直す振り返りエンジンみたいなのがあって、振り返りエンジンと新しいことをやるエンジンというのが二つあったときに、新しいエンジンはやっぱり止めちゃいけないんですよね。やり続けないといけない。
もちろんフェーズによっては若干回転数が弱いとかもありますが、それは失敗するとあまり放置速度、エンジンが冷え切って全然動きが悪くなるんですよね。だからやり続けないといけないんですよ。これはもう明確ですね。僕にとっては。
そのやりっぱなしではダメなので、適宜振り返って、そういう反応なんだ、そういうことだということを振り返っていくということも必要だなと思いますので、この二つのエンジンは直列ということで、一個止まったら一個止めるんじゃなくて、両方とも平行でそれぞれやる。関係ないよと切り離しておくという感じですね。
というのはもしかしたらコツかもしれません。ちょっと駆け足で行きましたけど、バー自体、コミュニティ自体の精神性ですよね。それが一人でもいいという話です。
その人がこういう人がいたなっていうので、驚かないんですか僕は。割と僕の周りだと、例えばこの記事良かったっていうので、それは別に無名な人とか全然知らない人なんだけど、自分が本当に良かったものを紹介してくれるんで、読んでみたかったりとか、面白いなって思う学びがあるんですよ。ほぼ必ずある。
っていうことを普段やってるんですよね。それって良くないですか。その時に紹介したものが無名な人の記事で、これあえて無名って言ってるわけですね。あえて無名な人って言ってるわけで意味二位はないんですけど、その記事が支えになってたりするわけですよ。
今回は支えられる、支えているコンテンツを出している人がいて、それに支えられている友人とか、もしくはそれに面白いなと思う僕っていうふうに言いましたけど、これは変えることもできるというか、これはお互いだと思うんですね。
いわゆる支え合いっていうのは逆で、僕が存在しているとか、場があるとか、考え方があるとか、この四国でラジオ自体はそうなんですけど、こうやってばーって喋ってるのは、こういう人いるんですよっていうことの、この勝算というか論拠というか、だから僕はAIじゃない。
喋ってるんです。毎回喋ってるんです。データ持ってきて喋ってるんです。ということで、その存在を示していくというだけでも僕は価値があると思ってます。だからこれは僕の存在の価値があるとかっていうよりも、そういう人がいるんだっていうので支えられることってないですか?
僕はあるので、さっき言った話は逆ですよね。そういう考え方があるんだなっていうことを知るだけで、それで支えになることがあって、たまにまた見に来ようと。ラジオはあまり聞きに来る人はいないかもしれないですけど、戻ってこれるって感じですよね。
だからそういう意味では僕はブログにも書いてるわけですね。そういうことを目指していくわけですね。だから、前回言ったようにお店であり、お店っていうかなんだろうな。お店に近いか。小さなお店とか。近いのは書店とかのもうちょっとカジュアルな書店で、
僕は接客業みたいなのはあまり得意じゃない。やらないですけど、セルフカフェで簡単に入れるようなコーヒーマシンぐらい置いておいて、100円とかコーヒー入れたら飲めるぐらいにしておくと。それ飲んでちょっと喋ってみたいな。そういうのはいいですよね。
リアルでそれをやりたいわけじゃないけど、それは結構いいんじゃないかなと思います。あとはビジネスとか収益とかお金の取り方みたいなだけであって、そういうのはやっていかなきゃいけないんだろうなと思ってます。書店じゃなくてもいいですけどね。
オンライン挑戦と信頼の重要性
ただ、結局場をリアルで持つっていうのは家賃とかコストがかかってしまうので、あとそれで常に集客してってなると大変じゃないですか。だからそうならないようなやり方ってなんだろうなっていったときにオンラインでどこまでできるかを試す。
もしくは私国利スペース、もしくは私国利お菓子が存在がいるよっていうことを一回出していって、どこまでできるかっていうのを見ていこうというところですね。
その姿勢がまさに自分がやってみよう、失敗してもいいよ、チャレンジしてこう、他人とかいいから自分のものさせてどうですっていうことを言ってるじゃないですか。聞いてる方はそういうことを言ってるんですけど、始めてる方はそういうことを言ってる番組なんですけど、そういうことを言ってる人がやってなかったら信頼できないじゃないですか。
だから信頼問題なんですよ、これは。だから僕とその関わるあなた、リスナーのあなたとか、もしくはその直接関わる人との信頼が結べるかどうか問題が常に問われている感じです。だからもちろんその信頼失地するようなことを別にやろうとか、別にそんなこと考えてないんですけど、
その信頼されるために何かやらなきゃってことを毎回言ってる思ってるわけじゃないですけど、ただ関係性が作れるとか関係していくってことは自分の思ったことを伝えて、相手のことをどう思うかっていうことをちゃんと考えていくってことになっていくかなと思いました。ちょっと長くなりましたね。
というわけで今回は以上としたいと思います。ぜひですね、四国里エンジンの話またしましょうか。その2つ新しいことやるのと評価というか見直すっていうのは2つあって、別々に走ってるみたいなやつ。思い出したらやっていきたいかなと思います。今回は以上となります。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。四国里ラジオ岡志でした。以上失礼致します。