仕事観と社会の動き
シゴクリラジオ
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
シゴクリラジオは、仕事づくりを中心に、アイデア、ビジネス、商売、キャリアについてですね、
仕事クリエイターの大橋がですね、話をしていく番組となっております。
はい、なんかこれ毎回喋ってますけど、なんかキャリア?キャリアの名前キャリア?ってありますね。
まあ仕事づくりって言ってますけど、ポッドキャストですね、スポティファイ、サンドFM、リッスンとかですね、
いろんな媒体からチェックできますので、よかったら気になるものでフォローしてみてください。
今回のテーマは、気づいたら自分が嫌いというよりは良くないですけど、そんなことになってたんだみたいな、
ある種、1000回くらいから言っている嫌な仕事とかね、ちょっとネガティブな話をしてますけど、
そういうことしたくないからこそ自分はやりたい方向に行く、反面拒止というやつですよね。
それをうまく使っていこうみたいな話をしてますけど、その一つの続きという感じかもしれません。
要は自分の仕事観など、少し話していきたいと思います。今回もどうぞよろしくお願いします。
はい、しごくりラジオの大橋です。今回ですね、自分の仕事ということで、
社会の動きですね。最近だと日経MJという日経の小売サービスとかが強いんですが、専門誌になるんでしょう。
いわゆる新聞です。があります。ご存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、
日本経済新聞の日経を取っていると、もしかしたら日経MJ、マーケティングジャーナルの略だそうですが、があります。
それを僕が取っているんですけど、日経MJが出しているヒット商品番付というのが、
年末とか、とりあえず今この時期ですよね。
上記終わったみたいな感じなんでしょうけど、6月終わったわけじゃないから半年ではないんでしょうけど、
そのタイミングと言うかね、ではあったりします。
そういうのを見て、毎回思うというか、ふと思うのは、当たり前なんですけど、日経MJというものを読んでいるんで、
読んでいなかったらダメですよ。読んでいるんで、大体そういうのがあったなと。
いくつか見落としているのがあるんですけど、わかるわけですよね。
ヒット商品番付自体は有料コンテンツなので、特にこれということを全部紹介することはできないんですが、
例えば、よくも悪くも、米が値上がっているとか、そういう政策っぽいのもありますけど、
政策の話もあるんだけど、社会に関係しているんですけど、いわゆるパックご飯がめっちゃ売れているみたいなやつとかが書かれていた気がします。
新しい賃貸の形態
あとエンタメでもニンテンドースイッチみたいな、スイッチ通貨ですよね。
私自身は全然スイッチとか持っていないですし、知らないんですけど、話題を聞いたり見たりするから知っている程度です。
ここら辺からちょっとずつ感じてほしいんですけど、もう一個ぐらいいきましょうか。
もう一個ぐらい何かあったかな。パッと思いつくのは、例えばソーシャル賃貸みたいなやつで、
これ何かというと、ゲストハウスとかではもちろんなくて、いわゆる賃貸なんだけど、シェアハウスって何かありますよね。
昔だと何かもっとよくわかんないみたいになっていたんですけど、今だと交流とかを一周している感じがしますよね。
交流をしたいんだけど、何か交流をしようとする人っているんだけど、みんながみんなそうじゃないみたいなのがあって、
要は賃料が安いから来るみたいなのもあるわけですよね。
だけど、そういう人ばっかり来ると交流しないから、交流ちゃんとしようよみたいな。
交流ちゃんとしようって言い方が雑なんで申し訳ないですけど、でもそういうのでソーシャル賃貸みたいな言葉ですよね。
ソーシャルアパートメントって言葉を使っている方がいたような気がしますけど、言葉は使えちゃいますけど、
そういうサービスというのが出てきているってわけですよね。義務づけて交流しろとは言わないけど、
たぶん、確かに記事前のうろ覚えになっちゃうんですけど、入居者をちゃんと見て、ちゃんとやっていこうかなっていう人を見ているんじゃないですかね。
だからいろいろ活動したり行動したりとか、見たらわかるじゃないですか。どこまでやっているかわかんないですけど、
でもそういう人が来ることで、そういう人が出会えて刺激になるっていうのはいいじゃないですか。
僕がそういうところに入りたいとかは特にないんですけど、若くてやり気に溢れていたらそういうところに行った方がいいですよね。
チャンスを掴みに行くっていう、ちょっと貪欲に行かないとそういうところは何も変わらなかったりするので、それは全然面白い子だなと思います。
そんな感じで、もっと美容系のニュースとか、要は全ジャンルとは言いませんが、
ものとかサービスとか、さまざまなものが紹介されているわけですよね。
世の中ってそういうふうに、当たり前ですけど、さまざまなものが出ているじゃないですか。
自分の興味があるものを追うとかも全然いいですし、それがダメとは言わないですよね。
ここで僕の感覚なんですけど、いわゆる社会のトレンドみたいなものとか、流行り。
トレンドとか流行りとか僕って好きじゃないというか、どうでもいいなと思っているんですよ。
こんなこと言ったら怒られるかもしれないですけど、どうでもいいなと思っています、基本的に。
流行に対する姿勢
もちろん自分が興味を持ったものがたまたま流行りだったらいいですけど、流行っているから見たいよねっていうのって、ミーハーみたいなのがあるじゃないですか。
みんながやっているからやるっていうのを割と批判的に言っているので、そういったことを言っている人がみんながやっているからやっているよねっていうふうに言うのは良くないなって思っています。
これは僕の態度というか姿勢の話であって、そんなことを言いながら別にミーハーだよねって言われても、別にそれはそう言われたらしょうがないです。
流行っているから見に行くっていうのもないわけじゃない。そういうこともあります。
ただ基本路線としては流行とか流行りとかはどうでもいいっていうよりも観察に近いわけですね。
今は社会の状況がこういうふうに動いているんだなっていうことを見るのが好きっていう感じですか。
だからガイヤーから外から見て関係ないよねっていう感じで見ているっていうふうになりたいというかしているつもりですが、
当たり前ですけどそんなことは全然なくて、めちゃくちゃ関わってたりするわけですよね。
もちろん僕がスイッチ2に関係ないし関わってないですし、コメの話も全然関わってないと思っているんですけど、
でもそれを話題にすることで関わりません?人に話題にすることでそうだよねとかそういう見方もあるんだとかね。
そういう感じですよね。なんか伝わります?
だからお伝えしたいことってどういうことかっていうと、僕ってトレンドとか社会とかの動きって、
社会自体は好きなんですよ。社会自体は好きで、それはだいぶ何度も言ってますけど、
結局その集団とか社会自体の塊みたいなのが面白いなと思ってて、いまだに面白いと思ってます。
学生ぐらいから面白いと思ってて、個人の意思、意図というのは一律しく少ないのではないかとか言っときながら、
自分の個人の意思は大事ですけどね。決意じゃなくて意思みたいな。
何々それって何とかしたいなとか何かやってみたいなっていうそのボソッとでいいんで、
ちょっと鉛筆持ちたいなじゃないけど、絵描きたいな、何か大きさいいんですよ、絵描きたいなとか、
昼ご飯何かを自分で作ってみたいなってわかります?
その何かちょっとやってみたいなって思いません?何か知り合いあると。
そういうのですね。意思って。そういうのからでいいというか。
ものすごい強い意思って僕は多分ないと思ってて、
要は個人の小さな意思とそれを持続する環境みたいな。
どっちかというと社会のものなんですよ、環境って。個人じゃないんですね。
環境作りはもちろん自分でできる部分はありますよね。
鉛筆で何か書きたいなら鉛筆とスケッチブックというかメモ帳を開いておけば鉛筆を持つし、
いろんなところに鉛筆があったら、鉛筆がありませんね。鉛筆があったら鉛筆持ちたくなりません?
鉛筆が何であるんだってことで鉛筆を片付けたくなる。
わかんないですけど、何かそういう環境作りってライフハックみたいなものだと思われるかもしれませんが、
ライフハックでいいのでライフハックをまさにしなきゃいけないんですよね。
自分を騙すというか、ごまかすでもいいから鉛筆を持てばいい。
鉛筆を持ったらあとは書けますよねっていう、そういう話です。
別にドヤがあるわけじゃないんですけど、そんなもんなんですよっていう感じです。
だから自分の小さな個人の意図と社会環境、社会を作っていく。
社会を作る方が難しいかもしれませんが、自分にとっての環境作りっていうのがまさに社会ってことですが、
そういうのをやればできるんじゃないかなって思っている感覚があります。
ということで、外部環境、内部環境問わず、社会ってものを追っていかないと、
追っていかないというか、変化を見ていく必要があるなって思ってるんでしょうね。
これは自己分析の結果です。
というところで、毎日のようにでもいいんですけど、ニュースを見たりとか、こういうことが起きてるなみたいなものを
頭に入れて刺激を受けてメモしたりと考えたり、必要なことがあれば調べるってことですけど、
アイデア出しにも生きてるってこともありながら、そういう環境を作ってきたんだなって思ってるわけです。
事故を振り返ると。これがだから良い悪いとかは全然なくて、
これを何でやっているのかとか、これを何でやり続けられるのか、不思議な人も多分いると思うんですけど、
でもそんなもんかなって思いました。
だから要は、社会とか周りに環境があるから、それは面白いと思っているから、やり続けているっていうところなんですよね。
多分ね。だからそういうのが好きと言えば好きなんだけど、社会好きですって言われてもね、
ちょっとよく分からないじゃないですか。だから一応説明してみてるんですけど、
だから社会の動きとか、他の人がとか、そういうのが流行っているってことは、流行っていることはどちらもにおいて、
流行ってたら何でそうなるかを考えるほうが好きってことですね。
例えば、これを聞いている方はもうちょっと若い方多いかもしれませんが、
若い方が多いというか、絶世代とかだと使っているかもしれないですけど、
丸払っていうのがありまして、世代に関係なく、要は了解とかね、了解って使いますよね。
使いません?分かりましたでもいいですけど、丸を最後につけるとちょっと威圧があると。
了解、じゃなくて了解丸みたいな。分かりましたじゃなくて、分かりました丸。
チャットとかですね、LINEとか、インスタグラムDMとか分からないですけど、SNSのDMとか、
ダイレクトメッセージのことですが、チャット形式のやり取りではそういうのが多いかもしれないです。
これ気になって自分のチャットとか見てたら、使うこともあるし使ってないこともありますよねっていうところで、
分抜にね、最後のね、チャットの。難しいなと思いました。
で、圧があるかは正直わかんなくて、圧と感じるようなぐらいレアだったらなるかもしれないですね。
だから、作法というか、ルールというか、マナーというとちょっと違うんですけど、
周りの世代で使っている人がそうでいないと、
ですよ、ですよとかの用語をカタカナにするのって、表現としてはわからないですよ。
それが普段見なかったらちょっと怖いみたいになる。カタカナとか。
もしくは、もっと威圧というかよくわからなくなるのが、全部ひらがなにするか、もしくは全部カタカナにして文章を書いて送ると、
まあ嫌がらせですよね、多分ね。来たらどうしようと思うんですけど、怖いですよね。
まあ僕は読まない。
カタカナで何になるんだって思いますけど、そこは想像力がいりますけど、まあそういう感じで。
要するに、普段の知らない、使ってない、あまり見ないようなことがあるから、なんか怖さを感じるんじゃないかなと思います。
怖さというのは要は知らないからじゃないですか。
例えばサングラスっていうのを、眼球の動きが見えないから目が見えないから、怖さってなりませんか。目が見えないって怖いんですよね、多分ね。
サングラスかけてると威圧できると思うんですけど、
サングラスとハラスメントの考察
で、サングラスをかけて接することで当たりますよね。
だからある種丸払ってサングラスかなっていうね。
その意図が分かればいいかもしれないですね。
逆に本当にサングラスじゃないけど威圧しようとして、
要は威圧をするためにかけてたら、威圧をするために丸を付けてるのであれば、それはハラスメントかもしれないですね。
真実はちょっと分かんないけど、情報があればアップデートはしていきたいと思いますけど、
何でしたっけ、丸払って言ってますけど、
そういうのも一つの辞書として別に面白いな、言葉によるものは僕は好きなんで、面白いなと思って見てます。
僕が誰かに丸払やめてくださいとか丸払ですねとか言われたこともないですし、ちょっと分かんないって感じですけど、
バンバン若い方とやり取りした時にどうなるかは興味あるところですよね。
言葉の使い方が違ったりとか、説明の仕方が違うとか、絶対世代問わずありますから。
そういった時にじゃあ何でそれが起きたのかを考える。事象としてどうかじゃなくて、何でそれが起きたかを考えるのが多分僕は好きなんじゃないかなと思います。
その仕事感で話を戻していくと若干ギリギリになるんですけど、そういう意味で自分が社会とか周りで何が起きているかってことを面白いなと思っているわけです。
それが別に違和感とかないですし、それってどっちかというと自分が今話しているように自分は何者かを知りたいとか、自分はこういうことをしたいんだということを知りたい。
その矢印がどちらかというと内向きになっていくような感じっていう感覚よりも、要は内政とか内側のするようなものよりも外ですよね。
外がどうなのかとか他の人はどうなのかっていうことを知る方向がわりと強かったりします。というか意識してます。
わかんないです。それは自分の内政の方ができているから外に行くのかもしれないけど、正直よくわかんないです。
で、そういうのを見ていくことって、じゃあ大笠さん何が役に立つんですか?とかね。コスパタイパー志向の方はね。
AIと社会の変化
別に煽ってないですけどね。思う方がもしいたらそう思っちゃうかもしれないですよね。そういうの何でやるの?みたいな。役立たないでしょ?っていうね。
役立つかどうかって、ぶっちゃけ役立てようと思うかですから、何でもそうかなと僕は思いますけどね。
っていうことを踏まえた上で、自分なりの考えたこと、洞察と言ったらちょっとおかましいかもしれませんが、思考ですよね。
丸原はこういうことが起きてるから起きるんじゃないか、仮説を立てるのが好きであるし面白いかなと思います。
で、そうやって立てることで、じゃあ勝手に言ってもしょうがないですから、例えばハラスメントブームがあるから何でもハラスメントになるよね。
そういう、何もできないやつありますじゃないですか。ハラスメントって言えば勝ちみたいな、論判みたいな。
それはないですからね。言ったら勝ちはないですから。そんなゲームはないですから。
で、考え方をね、仮説を考えていくってことが僕の中では鍛えられている部分はあるかなと思います。
そういうのを考えてないと言えないし分からないし、なりますよね。
それを適当に捏造して妄想でフィクションでっていう話ではもちろんなく、こういう事実やニュースがあったからとか、こういう考え方があったから、もしくはこういう人を見たからあるかなと。
社会は変わっているぞというところを感じることって、リスナーのあなたはないですか。
なんか僕ってあるのは、AIの普及というか、いわゆる認知率の方じゃなくて、使っているという感じがいろんな人と接してて、
こういうタイプの人が使ってくるってことはもうだいぶいったなみたいな、だいぶ普及したなって思うし、
逆で、まだこういうタイプの人しか使ってないなって思うから、まだまだいってないなっていうのがあったりしますよね。
チャットGPとかそうですけど、生成AIを使うとかはまあ別に当たり前になっていく中で、
全然そのバイブコーディングみたいな、要はAIを使ってアプリを作るとかっていうのは、なんか全然一般的じゃないなと思ってますね、まだまだね。
でもそのうちなんかなるかもしれないです。
どっちかですよね、マニアックな、なんかよくわかんない詳しい人が使っているっていうのもあるし、
その手段として、電気ジャーみたいな、いわゆる電気家電で入れて放っておいたらスープできるとか、
放っておいたらなんかできるようなものってあるわけじゃないですか、低温調理器みたいなやつね。
そういうのと一緒で、流行ったら定着しちゃったら普通になるみたいなのがあるから、
そこになるかどうかだけなんだろうなとは思ったりしてます。
で、最後にまとめが雑なんですけど、そんな社会がどうとか、社会のトレンドとか流行りとかどうだって言ってますけど、
別にこれを僕が好きでやってたわけじゃないんですよね。
わかります?日経無知だって別に面白いなと思って撮ってるし、今は別に面白いなと思ってるんですけど、
なんかそういう別に新聞しかりなんでもいいんだけど、媒体、メディアなんでもいいんですけど、
そういうのって、見るときってそこまで期待します?これを見たら人生変わると怖くないですか?怖いですよね。
ビジネスショーとか地獄啓発ショーみたいな感じがして怖さはわかるんで、そんなことはないし、そんな意図はないと思うんですよね。
じゃなくて、自分が見てて面白いなっていうことを日々日々繰り返していくことで、気づいたらですよ。
まさに気づいたら、そんな社会のトレンドとか流行りとか、社会の人が何を考えているかっていうのなんて、
価値あるのとは全然思えないんですけど、僕は面白いなと思ってますけど、そういうのってやっていかないとわからないじゃないですか。
やっている人のポジションみたいに思うかもしれないですけど、まさにその通りで。
はい、じゃあ今日から日経MJとか、日経新聞も新卒の人向けとかに日経撮ってとかCM流しまくってますけど、
就活に役立つから就活して、ビジネスマンに社会人になったら日経みたいな。
日経新聞、ビジネスは本当に読んでるのかなって思いますけどね。
めちゃくちゃ言ってますけど、みんながみんな読んでるとは思わないし、読んだところで最初よくわかんないじゃないですか。
で、今読んでてもそれわかるのかって話で、トランプ関税とかあるじゃないですか、何これみたいになるわけで、
そんなのってやっぱり自分でわからんと思って調べたり勉強したりしていかないとわからなくないですか。
っていう意味で、そのわからないのを調べていくみたいなやつとか、聞いてもいいんですけど、
調べようとかわかろうとするっていうことが、1ミリでもないと学ばないし、得ようとしないですよね。
だから、自分がまさにやってて気づいたらそうなってましたっていう方がやっぱり正確ですね。
そういうトレンドを得るぞとか、社会のあらゆることを得るぞみたいな感じでは全然ないってことです。
僕が言ってるわけじゃないですよ。
僕が割と言われるのは、いろんな情報とかネタ持ってますよねって言われてるのは、
シンプルにそういうのを見てて、調べてるし、考えてるし、仮説させてるし、やってるってだけなんですよ。
それをやれるのがすごいと言われたら全然ありがたいですけど、別にそれをやれるんですよね。
別に僕じゃない人でもできる。
ただ、やり続けるには、一日頑張ってこもってやるぞとかはできるかもしれないですけど、
それもきついかもしれないですけど、8時間とかになると。
結局そこに面白さとか楽しさとかがなければ、何やってるんだろうねってなりません?なりますよね。
だから、面白いことが楽しいことにしてった方がいいし、いきなり最初から面白くならないから、
少しずつ自分の面白がれるとか、こうだったらいいなっていうところを探っていかなきゃいけないなっていう風に
思います。
なので、前回から話してるような嫌な仕事じゃないんだけど、かといってこれが好きで楽しくて、最初からですよ。
最初から好きで楽しくてやってたかっていうと、だいぶその感じではないわけですよ。
嫌々やってるわけじゃないですよ。
嫌々じゃないんだけど、好きでも嫌いでもないというか、そんな全然なくて、
何か見てたら好きになるっていうことの方が、僕の中では多いかなと思います。
前も何回か言ってると思うんですけど、好きなものと嫌いなものっていうのは極端で、
割合として1割ずつあってもいいかなって。
嫌いなものが少ないほうがいいんでしょうけど、何でも楽しめるほうがね。
で、好きって言っとくものが多い。
ただし、どちらかというと、これは人間の認知とか、マナーボードする限界の話で、
インターネットを調べますとか、AIに聞きますとかって言うじゃないですか。
だけど、何を聞いてどう調べて何かやるかって、めちゃくちゃその人によって変わるじゃないですか。
ここまではいいですよね。
その時に、時間が有限で決まってるし、
どの視線で聞くかとかも変わってくるし、
インターネットといっても、何で調べてどう調べるかで変わってくるから、
めちゃくちゃ偏るわけですよ。
だから僕も偏ってるとは思いますが、
だから偏ってるってことを認知しなきゃいけないわけですね。
バイアスとか偏ってるなっていうのは、
いろんな人と話すと、何か集めようとしてるとか、
情報をいろいろ得て上で言ってるなっていう方に偏ってる感じですよね。
だから失敗というか、もしかしたらリスナーの方でもね、
リスナーのあなたも、僕はもしかしたら自分の意見がないとか、
あとはそのいろんな情報から判断するから、
論理的とか思われるかもしれないですよね。
でも別に論理的とかって全然感覚なくて、僕の中ではですね、
めちゃくちゃ昨今は、ここ1、2ヶ月は特に、
自分の主張ってことで、もうAIとやり取りしてると、
自己を見失うような感覚があるので、適度に使ってくださいね。
いや、自分はこうやりたいんだってことを大事にした方がいいです。
もちろんそれがわがままで、人間の関係性とか社会の中では
それが通るとはもちろん思いませんが、とはいえそういうのをなくしていったら、
結局ね、これも任せとけばいいじゃんとかやっていったら、
何かやることなくなるんですよね、本当に。
最後に残るのは自分の小さな意思みたいな、
これをやりたかったのかもなっていうような、
実はそれが全然大事というか、知らなかったとか、
気づかなかったようなことかもしれないですよね。
なんでそういう、いわゆる、これはある種、理にかなってて、
期待値が少なかったかゆえにやっていって、
何て言うか、耕していったら意外に楽しいよねっていう方が、
多分続くんですよね。続くし、面白がれるんじゃないかなと思いました。
自己探求と興味の変化
なんで僕自身が最初から、社会だとかそういうのを、
情報とかニュースとか追っていったりすると、
アイディアにつながっていくとかっていうのは、
なんか全然後付けな話で後から気づいたわけですね。
で、今そういう仕事をしている中でいくと、
あれ、なんか社会に対する関心度高いわっていうのに、
今更ながら気づくわけですよ。社会ですね。
人って言った方がいいですよね。その人が何で何をやっているかが興味がある感じですね。
だからその人が、何だろうな、考え方とかそういうのがないと極端に失うというか、
だから事故がないってやつですね。
何となくやってますとか、何となくもちろんいいんだけど、
その何となくのために言語化するとか、何となくじゃなくて、
意図はあるし何かやってるんだけど、
それは言語化できないだけっていうケースもありますから、
そういうケースも踏まえて全然アリだと思います。
ただ周りがやってるからとか、
自分じゃなくてそういうのは自分が考えずに他の人にやってもらうのがいいからってなると、
まあその仕組みとしてはもちろんいいし、
わかるんだけど、何かつまらないですかって思っちゃいますよね。
だから自分である事故があるっていうと、
ちょっと言葉が強いですけど、
興味の変化
そこまで何か全ての人に求めてるってわけじゃないんだけど、
なるべく僕は環境としてそういうふうに、
面白い人っていうのはまさに自分が考えたことをこれやってみたら面白くないですかってことで、
ノリの程度の重さ軽さとかはありますが、
やってる人はやっぱり面白いですよね。
だから僕もそういうふうに、
面白いと思われたら全然ありがたい。
面白いと思われるのが一番いいんですが、
変わったとかでも全然いいんですけどね。
面白いと思われるのが一番嬉しいかもしれませんが、
言っていかないと、これは伝わっていかないなって思ったんで、
ポテキャストみたいなことをやってますし、
ブログも書いてます。
だから思考して考えて、
というのは別に自分の内部で出てきた何かじゃなくて、
その社会に生きて、まさに生きてですよね。
現地調査じゃないけど、
現場の中で感じたものを、まさに現場が社会ってことですが、
そこで得て発信していく、
もしくは考えたことを共有していくということで、
着地するような気がします。
なので、最後にね、
コツっていうかアドバイスっていうと、
ちょっと大ごそか?
大ごそかじゃないかな。
ちょっと大冗談って感じ?
上から目線?わかりませんけど。
盛りすぎかもしれませんが、
興味がない。
全く興味がないのだと、
やりたくないっていうのでなければ、
もしくはめちゃくちゃ好きでやりたいっていうのもいいですけど、
なんか確率としてですよ。
めっちゃ嫌いとめっちゃ好きっていうのは、
そんなに世の中ないんじゃないかと思ってるんです。
僕はね。
だからこそ、
そうでもないな、なんでもないな、
これなんだろうね、ぐらいのものを大事にしていって、
それをひとまずやってみるっていうね。
やってみる。
めちゃくちゃ怪しいやつじゃなかったらね。
そこだけはちょっと入れといて。
適切な倫理はやっぱり入れといてほしいですけど、
人を攻撃したり騙したりするようなものじゃなければ、
まずはやってみて、
見ると。
そうすると何か見えるかもしれませんが、
やっぱり最大のコツというかアドバイスにはなりますよね。
もちろんどんな人にもそれが言えるとは限りませんが、
なんかイメージ変わっててこういうことやりたいなっていう人にとっては、
余計なおせっかいですし、
決まってないとかなんかわかんないなっていう人には刺さるかもしれません。
少なくとも僕もまさにそうやって話をしてて、
社会とか言ってるけど、
なんすかってなるんだけど、
最終的にはやっぱりその人、
人が好きみたいになっていくかもしれません。
人が好きって言うとね、
なんかワンコが介入者をペロペロして舐めてるみたいな感じかもしれませんが、
別にそういう意味で人をペロペロしてない。
それはちょっと変態すぎるんで置いておきますけど、
そういうふうにいるみたいになりたいわけじゃなくて、
考えたりとかその人の持ち味とか魅力とかを見ようとしてます。
で、見てどうかって話したんで、
そういうのが嫌いな人にはさすがに全く合わないわけなんですけど、
そういうのは別に楽しいですよね、いいですよねっていう人がいれば話が合うかなと思います。
とはいえみんながみんな人好きでもないし、
社会といっても嫌なこともあるし、
人を騙すとかネガティブな、ドロドロした、見たくないようなそんなものもありますよね。
戦争、平和とかね。
なんで戦争ばっかり起きてるのかってなるじゃないですか。
って思うんですけど、
結局そこの部分でその人の壮大な話になってしまうから、
もうここで終わりになりますか、
そういう愚かさとかを踏まえつつも生きていくと。
そうなっちゃいますよね。
自分のできることをやっていこうってことで、
自己表現と関係性
僕はそこのあたりで自分の持ち味ってことは、
そんな感じで社会、人、考え方とか見ていって、
そこから思考していく、考えていく、
だからそこにアイデアが入ってくるんですけど、
じゃああとはワクワクすることをやろうぜってことで、
別に自己啓発するわけじゃないんですけど、
AIしっかり、違和感発想、アイデア出しですね、
リサーチ、調べて楽しんでいくことをしっかりってことで、
やっていくというふうになっていったわけです。
別にそれで結果が出たかは知らないんですけど、
これからですよね。
そうやって至極理スペースという場をつくって、
何かやっていけるか、
わかりませんが、
助成なのかな、わかりませんが、
何度も何度も繰り返してやれることをやっていきたいと思います。
等身大の至極理となりますが、
リサーのあなたも是非、
空回りするときってありますね、わかります。
すごい力が入ってて、肩の力が入ってやれなかったりするとかありますよね。
今はそういう時期かわかりませんが、
そういうときってすごい綺麗にとか丁寧にとか、
うまくとか、正確にとか、
人の目が入ってたりするような感じがしますよね。
集中していると多分人の目とかどうでもいいかなとか、
割り切っちゃったり諦めたりなる感じはしています。
多分。
というわけで今回は以上となります。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
至極理ラジオ大橋でした。
以上失礼いたします。