仕事づくりの概念
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
このシゴクリラジオは、パーソナリティーである私、大橋、シゴクリ、本体、仕事クリエイター、大橋がですね、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
仕事づくりは、企業からですね、あらゆる自分で仕事を作りたいというプロセスそのものを指しています。
僕が勝手に作ったこともあって、仕事は、賃金をですね、もらっていただくみたいな、使える仕事です。
使えることと書いて仕事とありますが、それだけじゃないよね、ということ。
これは別に僕自身の発明でもなんでもないんですが、なんかですね、もっと広げていいよね。
自ら自分で作るとしたら、それをですね、バンド活動で音楽を作るかのように、こんなのどうですかっていうふうにやっていくのが面白いんじゃないかと、僕は思って、その活動に名前を付けるとしたら、仕事クリエイター、仕事クリエイト、仕事クリと名付けてやっています。
なので範疇は広いです。一般的にはキャリアと呼ばれたりしますが、キャリアっていうのもですね、結局私でしかないから、なんかつまらないじゃないですか、誰かのキャリアの話って。
そのことない。乱暴すぎますから。だからいいですよ、その人がどう。キャリアの経歴を並べるプロフィールみたいなものを並べられても全然で、あなたはどう考えてどうしたんですか。そこ聞きたいっていう、それだけですよね、多分。
というわけで今回ですね、そんな四国離ラジオですが、今回1000回話したような気がしますが、なんか新しいことですよね、あと振り返りみたいなエンジン2つ搭載してそれを並列に回していくのがいいんじゃないかなと思っているし、そう考えてやっているので、それについてもうちょっと深掘りしていきたいと思います。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、四国離ラジオの大橋です。今回のテーマはですね、新しいことをやろうとする、いわゆる挑戦エンジンみたいな感じ、チャレンジするという意味で挑戦するエンジンと、振り返るとか客観的に他人からどうかとかね、評価するみたいな振り返りエンジン、言いやすさでね、挑戦エンジン、振り返りエンジンって人参じゃないですね、エンジンです。
が、必要じゃないかというか、あったほうがいいんじゃないかな、説ということにしています。というのはですね、僕の感覚、体験上からになりますが、何か新しいことをやるときって大体うまくいかないんですよね。で、それを振り返ると、ごめんなさい、振り返るというか、それだけ見ると、うまくいかないな、失敗したな、やめようみたいな、になりませんか。
世の中で、リスナーのあなたにも問いかけておくんですが、何で新しいことをやり続けたり、チャレンジし続けたり、そんなにうまくいくとも思えないような、無謀とも思われるようなもの、研究からロケットを飛ばす、飛んでない時代に飛ばすとかね、車走ってない時に車を走らせるみたいなことってあったんでしょう。
そういう人というのは、おかしいんでしょうかと。ある種ちょっとの、人と変わったという意味ではおかしいかもしれませんが、そういう人がいるからこそ、我々と言った方がいいでしょう。僕もですが、恩恵に預かり、今の社会、現代社会を生きていくことができているんじゃないのかなと思います。
もちろん車という技術でもいいことばかりではないですが、そういうのも含めて、僕は社会だよなと思ったりしています。だから別に悪を認めるとか、正義のヒーローであるとかということは全くないんですが、そういうのも含めて、厳しいことはありますが目を逸らしちゃいけないなというふうに生きています。
新しいことをやるじゃないですか。そういう時に新しいことをやるという挑戦エンジンがあって、それがやりますと。だけどうまくいきません。あなたはどうしますかって話なんですけど、諦めると終わるじゃないですか。
諦めるなとは言いませんが、やりたいならとか、ここからが感情っぽいんですけど、諦めきれないとか、もう少し見てみたいとか、なんか近寄り方なんじゃないかなって直感的に思う。まさに感覚なんですが、それで継続できている節があるかなと思います。
一方で、新しいことをやりたいんです、チャレンジしていますと言ってやり続けても、結局それをどうしたいかという話になるじゃないですか。例えばカエルの研究をしたいみたいな生物学者じゃなくて、小学生とかでもいいんですけど、小学生がいて興味あるからやります。
大抵はそれでやったら飽きるというか興味がつきて、カエルはもういいかなとか思ったりする。もしくはもう中学生とかでどんどん大人になった時に諦めて興味が変わってて、そういえばカエル研究してたよなって思い出して、ガゼンってやつですね。
研究者の道、もしくはカエルじゃないものを研究するとかね。分かりませんが、必ず僕はそういうふうにハマったものって生きてくるんじゃないかなと思うんで、ハマり自分の経験というのを大事にしていったほうがいいんじゃないかな、どんなものでもですね。
感覚というのはあるかなと思うんで、そういう時に振り返るとか評価するっていうのがあって、例えば小学生だったら真夏休みがもうすぐかもしれませんが、自由研究で表彰されたみたいなのがあるとするじゃないですか。
例えばね、表彰されなくてもいいですよ。されたとして、それが成功体系みたいになって自分を持ってやろうっていうのがありそうじゃないですか。この時に量的評価みたいで他者から評価されたり、親とか先生から評価されていいよねって言われたら、それはプラスになるわけじゃないですか。
プラスにすればいいんですよね。一方で量的評価ということで、量的というのは質的の逆ですね。目に見える、逆というか目に見えるって感じですよね。対立的に語られると。目に見えない質的な何かいいな、自分が何かいいなと思ってるだけではダメで、それがいいっていうふうに認められるっていうのが、特に量的って言ってるのは数値で比較できるって感じのやつです。
だから受賞コンテストは量でではないかもしれないけど、受賞が1個、1個のところで表彰されたんじゃなくて、作品がいくつも表彰された方が優れていると思いがちじゃないですか。知らないですよ、実際はね。そういうのがあるとかないとかを見る、振り返る、客観的に見ると。
または自分がやりたいことが、自分がただただカエルを研究していきたいんですと。それはいいと思います。でも研究ってある種、それが何かに役立つ、役立つってことはちょっと危険ですが、何かに使えるんじゃないか、もしくはそれを解明していくことが、その人がやりたい、やりたいっていうののモチベーションが必要なわけですよね。
それ何だろうなっていうときに、好奇心お化けみたいな人でずっとそれでやり続けるなら、カエルで研究しててわからないこといっぱいあって楽しいよっていうのは僕はありかなと思います。
だけどその時に振り返りエンジンっていうのでやってきたことを証明したり、それを誰かが、例えばその人が教授とか研究者になるならば、そこの所属とかがそれが価値がありますよねとか、そういう研究が優れてますよねってことを示さなきゃいけないじゃないですか。
これは自分がカエルの研究にハマっているっていう人でも手抜けなくて、だから文章に残す、写真に残す、動画に残す、その研究手法とかその型にハメてやらなきゃいけないですよね、研究者としてね。
食べていくとかどうかを置いておいても、やらないと記録に残りませんよねっていう。記録に残して誰かに見せるものではなくても、自分がどこまで研究しているかを示すってことで、それが同時に誰かに示すことにもなるから、形にするというよりも評価するっていうのが必須だと思うんですね。評価的な機能が必須だと思うっていうのがありますね。
なんでこの大まかに2つというか、要はミシンみたいな感じで分離してるわけじゃないんですけど、新しいことをやろうっていうエンジンというか視点と、振り返るというか記録したりとか形にするとかっていうのは、両方いるんだよねっていう話なんですね。
目標設定と行動目標
これが前回話したところでいくと、新しいことがつまづいてうまくいかなかったときに、どうしてだろうねっていうふうに振り返ることがないと、ただ新しいことをやっているだけになるというか、成長がないっていうやつですね。学びがないっていうやつですね。気づきがない。そんなことはほとんどないんですが、新しいことをただやっておけばいいやって言うんだったら、AIに聞いて新しいことを出させて、それを片っ端からやれば新しいことになるんですが、
人間である、あなたは人間である、聞いてるリスナーは人間だとして、AIは聞いてないと思うんですが、人間であればそこから成長する学ぶってことがなければ、ただその作業を繰り返しているってわけですよね。僕の場合は発狂しますが、同じことをずっと繰り返している。
だから同じことを繰り返し、作業の行為は同じでも違う意味を持たせることが人間だとするならば、それをやっていないわけですよね。それを厳しいってことですよね。で、振り返るっていうことで記録したり形にする。定義が曖昧な部分もありますが、こんな感じかなっていうふうに思います。
これをいくつか別の視点から考えますと、目標設定の話です。目標の設計といったわけですね。これはいわゆる行動の方ですね。質的に近い。新しいことチャレンジに近いですが、行動目標というのがある。もう一方で振り返りとか量に近いのが結果目標。これは僕の観点なのでずれるかもしれません。解釈によってね。
行動目標っていうのは、例えば1日ノートに記事を書くとか、誰かと話すとか、そういうやることですね。1とか言ってるけど別にいいんですよ。結果はそれでいいねをもらうとか広がるとか。
仕事クリスペースがわかりやすいと思うんですが、例で言えば新しい参加者の人が来てもらうとか、ディスコードを仕事クリスペースにしたり、そこで挨拶するとかわかりませんが、僕の中での行動目標っていうのは、もちろん来てもらえれば嬉しいんですけど、ラジオでしゃべるとか、それについて考えて、メタバースだったら内装をいじるとか、ディスコードだったら投稿するとか、そういうことをやってるんです。
それは誰が来なくても来てもやってるんですよ。これは別に自慢とかそういうことじゃなくて、やるってことはそういうことなんですよね。定期的にやるとか不定期にやるとかも置いといて、時間を投下してそこにやるってことを、覚悟と言うとちょっと重たいんですが、それはやり続けなきゃいけないって感じがします。
いけないというよりも、じゃあやらなかったとするじゃないですか、そういう行動を。そしたら何するんですかってなってくと、結果に結びつくことをやろうみたいな意識が高そうな言葉がありそうですが、そんなのはすごく微妙でして、そんなものだけ選べないわけですよ。文字通り。泥臭いわけじゃなくて、だいたいが泥臭いし、だいたいが臭いんですよ。
本当に。そんなもんです。やっていっていいところが出てそれを出すだけなんで、泥臭くやりましょうと言うわけじゃないんですけど、そんなもんです。結果を目標と言うのはそういうふうに分かりやすく、数値とか目に見える形ですよね。
ちょっと違いますけど、スペース的な、コミュニティ的な意味でにぎわいっていうのが大事だと思っていて、にぎわっていうのは人がいればいいですよ。ただ、3人いてみんな黙ってたらにぎわいませんよね。
もちろん、しゃべればなんでもいいわけじゃないですよ。ああーって言っててもうるさいじゃないですか。じゃなくて、身の悪というかいいなと思えるようなことを僕が提供したり感じてもらうというところで、にぎわいですよね。商店街の活性化しかり地方創生のなんちらしかり。活性化とか言いませんか。地方創生とか。なんでしょうね。
それを定義をどこまでしているかっていうのでまず気合というか本気というか分かりますよね。それが活性化っていうことを定義したところで、それがやれることって結構あんまりなくて、感覚的なもので、なんかにぎわってきたねっていう。住人の人がなんかにぎわってきたねって思ったら活性化ですよみたいな。
本当そんなもんですよ。そんなもんです。定義できないし、してないし、したところで観光客がインバウンドがあってお金になるかどうかしか考えてない。そっちしか考えてないってことですね。
その両輪で少なくともお金と思いみたいなのをうまくやられてる人っていないんじゃないかなって思ったりします。僕ができてるかはまた別です。その行動目標と結果目標という設計もそこの新しいエンジンと振り返りエンジンというところの対比でいくと似てるようなという気がします。
だからやや結果とか振り返りっていうところで言えることがない、実績がないとか明確なものがないからダメってわけじゃないですよね。だったら新しいこととか行動しましょうになるし、それがないなら今のやつを振り返りましょう。どっちかしか。たくがないって感じがしますよね。無理に寄せるなら乱暴に言えば。
今なんか違うなと思ったら新しいことやる。新しいことやってダメならまた振り返る。その繰り返しですよね。繰り返すんだけど別に一方やってる時に一方やっちゃダメとかもないから振り返りしながら全然違うことやるとか。新しいことをやりながら振り返るとか。新しいことしてないんだけど振り返りはしっかりするとか。振り返りはやめてるから新しいことをするとか。
新しいことへの挑戦
オンオフは自由なんですができればエンジンとしては両方オフにしない方がいいかなと思ったりします。調子が良い時っていうのは振り返りの結果がついてきて出るんですよ。
調子が良い時から新しいことやめるんですよ。企業で言ったら調子が良い事業があるからそれでもういいかってことで他のことやらなくなると途端にその事業がもしポシャったりうまくいかなくなった時に死にますっていう感じですよね。個人でも一緒じゃないかなと思います。
調子が悪い時は実際に結果が出てないんだけど振り返りの方がうまくいってないんだけど振り返り系の方が新しいことをやってるんだけどそこが結びついてないような状態ですよね。
そうやって言うから新しいことやったら必ず結果が保証されるのかって話をされる方もいると思うんですけど、そんなのは主語繰り始まってというか、このラジオで一貫して否定してまして、そんなのがわかっているならそれは新しいことではないですよねっていう、要は矛盾しているわけですよね。
わかりますよ。世の中的に一般的に何かやるとした時に不安だから不安にならないようにする。すごくわかります。ですがほとんどというか99%嘘じゃないですか。そんなうまくいくなんて。うまくいくかわからないからやっているってことで論理破綻しているってことを認識した上でやると。だから論理じゃないってわけですね。
だからそういう意味でいくと新しいこととか何かやってみましょうっていうのは非論理であり感覚なんですよ。感情であり感覚なんです。振り返るとかその結果とかそっちは論理なんですね。もうわかる。目に見えてわかるとかAIに任しても今私はこれは結果が出ていますかって言ったらはい出ています。はいいいえ出ていません。だけど新しいこととか感覚については今のところとは思いますがAIは評価できないって感じですよね。
楽しそうと言うなら楽しそうなんじゃないですかっていうぐらいの論理はあると思いますが僕もそれぐらいの論理しか言えない。もう一個ぐらいいきましょう。最後は感情と感覚の話になってくるんですけど今度は新しいことの方のチャレンジの方に行くとこれは結構友人としゃべっている部分であるんですけどモチベーションの話になってくるかなと思っています。
つまりその新しいことをやりましょうって言ってはいやりましょうって言う人は割と少なくてなんでかっていうとなんでやるんですかっていうその中の理屈だったりもしくは新しいことをやることで起こるリスクうまくいかないことを誰が責任を取るかみたいな責任論みたいな自行責任論みたいなのが流行りましたがめちゃくちゃ嫌いな言葉ですけど自行責任って使ってるかもしれませんけど
なんかあんまり筋が良くない。新しいことをやりますそれに対して自分がやりたいからやりますっていう風にそのぐらいのシンプルなことが言えないもしくは言い切れない。つまり思った瞬間にアイディア出してもそうですけど思った瞬間にこれは良くないなと思ったんでなんか考えたんですけどなんかありませんとか考えたんですけどねみたいなそういうアイディア初心者にありそうなものですね。
否定というか批判してるわけじゃなくてアイディアを出すことに慣れてない人はそういう風になるんじゃないかなっていうような読みがあります。モチベーションについても新しいことをやるっていうことに関してこれなんてやるのみたいなことを考えると多分あんまりうまくいかない。
さっきのカエルの研究の話じゃないけどやってると面白いとか発見があるみたいなことを自家発電という僕の言葉が好きで使ってるんですが、自ら生み出してやることで延々とループを回すことができる。このループは良い意味のループで好循環ですね。
良い循環が生まれる。悪循環というのはこの逆で意味あるのかなーって言ってないからやめようって言ってやっていくとどんどんどんどん選択肢というか狭まっていっちゃうんですよね。視野が広ければいいとか視野がいろいろあったらいいっていう。
何ですかその真善美じゃなくて真実でも全くなくてこれはどちらかというと主語繰り的な話ですね。あと僕の考え方なんで。じゃなくて保守として今同じことをルーティンとして回すとかあまり感覚とか感情に振り回されない方がいいというふうに思う方は全く参考にならないですしと思っています。
ただ僕が思う仕事をクリエイト仕事づくりというのはその感覚だったり感情だったりを発揮できていないのであればまずそこに気づいてもらって自分はこれがいいなと思うものをまず素朴にやるってことなんですよね。
これがエンジンみたいなものになると。あとはやったら振り返ってどうなんだろうねって考えていくっていうことを繰り返した時にこれもじゃあどれぐらいかかるんですかとかっていう質問もありそうですよね。
分かりますよ言いたいこと。でもそんな1回やってできるんですかっていう。AIじゃないけど1回命令してなんか自分が出したい何か見つけられますかって言ったら僕は自信がなくて大体ずれますから何度も何度も修正してやっとできるかなっていう。そんなもんじゃないですか。
例えば以前すごい言いましたけど雑談が面白いとか言ってますけど、雑談したところで相手の引き出しとかあと考えることっていうのは問いかけだったり答えのラリーでしかないんでその一個一個を切り出すことはなかなか難しいんですよね。
だからこの有益だからとかそういうのでやってないですよね。面白いとかその人が話しててなんかいいなって気づいたりなんか面白い視点を持ってたり、あと聞いてくれるとかもありますよね。じゃないと続かないですよね。
というわけでそのモチベーションについても感覚とか感情の話になるから、指導する側だったらモチベーターですよね。そのモチベーションが得られるかがポイントでなってくると。
それは言語化できないんですが、好奇心とかやりがいとかワクワクする好きだとか楽しいとか、しごくり的なことで言えばそうなりますが、それがないと続かないからやめたほうがいいというわけですね。
例えばわかりませんが、トレーディングカードみたいなのがあって、ポケモンスターのカードのやつがあって、それを転売じゃないけどいろんなものを探して売るみたいなビジネスがもしかしたらあるかもしれません。
カードゲーム屋とかでありそうですよね。ブックオフとかでもありそうかもしれません。それでいいんですよ。それは知らないですよ。実際の法的なことは知らないですけど、カードパックを買って出してるやつを買って売るのはいいんじゃないかなと思いますけど、中身わかんないですからね。
それの中身をわかってやったら、赤外線じゃないけどね。なんか多分ダメな気がしますけど、仮にそういうのを売ると。もしくはそれがグレーなら使い方を教えるくらいでやったらいいじゃないですか。初心者向けのね。
それをリスナーのあなたがやるとした時に、「楽しいですか?」っていう。至極的にはそうなります。楽しくない?じゃあやめてください。なんでその楽しくないことをあえてやるんですか?そこで初めてもしかしたら、楽しいことって何でしたっけ?ってなるなら、じゃあ楽しいことを探しましょうよ。
はい、序幕が始まりました。そこからスタートです。だから別にリスナーのあなた、僕、楽しさレベルとかそんなもんなくて、ないですよそんなの。勝手に作ってもいいんですけど、すごいつまんないです。その人それぞれの面白い部分とか楽しいと思うのが違うから、それを比較する意味はほとんどないですね。ほとんどない。
新しいことを学ぶ
学べばいいですけどね。それで楽しさ、いいことをやってくださいって言うようになりますよね。もちろんそのレベル感としては、当然それをやったら楽しいことになります。私は活字を見ているのが楽しいですってなったら、じゃあ活字を見ているのが楽しいってどういうところが楽しいんですか?みたいなこととか。
それこそ調べましょうみたいになって、それに近いものは今言えるもので何がありますか?とか、他の人が提供してもらう何がどういうものがありますか?とか、近いものがありますか?とか。あとはそれを他者に提供する、まさに仕事としてやるならどういうものになりますか?ってなりますよね。
いや、なんかそこまで価値ってできないかもしれないですって言ったら、たぶん仕事には、お出で仕事にはなりづらいって話ですね。それで別に批判してるわけじゃないですよ。
例えば僕ってその起業当初、あれはですね創業塾っていうですね、商工会議所、これは名古屋の地元になるんで名古屋の商工会議所っていうのがありまして、そこに創業塾ってあって、そこでですね、2人くらいかな、マーケティングだってことを起業されている経営者の方が講師として呼ばれてまして、それでかなり安かったですけど、数千円ですよね。
で、学ぶことができました。学生ではないですが、社会人であって、別に収入がいっぱいあるわけでもない、もうすでに辞めてたときですね、起業するときに学んでた気がします。その時の思想というか構想は、僕は全然儲からないと思ってたんですけど、施設都市間ってですね、私立の私ですね、私立ですね。
要は民間のお金を取ってやるが設計するっていうのは施設ですね、の図書館ができたら面白いんじゃないかってことで、アイデアがそういうのあったんで、そういうのを試算してやったと。で、当然だからビジネスとしては評価されないというよりも儲からない感じで、別にその講師の方からね、全然その悪い言葉もらえなかった。もちろんね、立場もありますからね。
あったんですけど、これは根本的に違うなと思ったんです。根本的にっていうのは、それがね、27とかぐらいですよ。ときに思ったのは、周りの人はもっとビジネスっぽいことをやってたりするわけですね。それこそペットフードでもいいし、ITサービスでもいいし、飲食店の人とかどうなったんですかね。
なくなっちゃいますよね。本当に飲食店をやりたいから辞めましたとかそういう感じで。だからもっと絞り込まれてるんですよ。僕は全然そういうのがなくて、絞り込むものにも、別に飲食店がやりたいわけじゃないから飲食店とか書かないんだけど、絞り込めなかったですね。
今、それこそ16年経ってるんですけど、絞り込めてますかって言ったら、正直よくわかんない。開き直ってるわけじゃなくてですね、もうないかなと思いました。もしかしたら意外かもしれませんが、僕これやりたいっていうのって、そこまで思ってないんですよ。面白かったらいいかなぐらいの方が強いから、逆に面白さ属性ポイントがなかったら辞めちゃいますよね。
そこを求めてるんでしょうね。面白いかどうか。だから逆に言えば飲食店とかさっき言ってたペットフードとか、面白いならやりますよね。でも多分面白がれるかはちょっとわかんないです。最初のハードルを乗り越えなきゃいけないから。そんなもんですよ。
そこからですね、いろんな方とご縁があったり、いろんなことをしてきた。自分の中でいろんなことをしてきたつもりですが、本当にNPOをしっかりこれで決めてやるっていうのが本当に苦手なんですよね。だからこれがマルチポテンシャライトって言葉があるんですけど、要は1個のことを突き詰めて専門性高くやるっていうことでは向いてないんですよね。
でもオアシスのアイディア出しとかリサーチとかやるから専門性高いんじゃないですかってもしかしたら思われる方いますが、そういう手の下から見たら馬鹿にされるとか、別にされたことないですけど、思われるレベルかもしれません。
でもそれは別にお客さんに言う必要もないですし、ごまかしたわけでもないので、やってきたことがあってそれでやってると。そこに自信を持つとか、権威立てるとかね。そんなもんですよ。
そういうところで今やってるのが結局アイディアを出すとか場を作るとかフワッとしてるじゃないですか。僕は思ってるんですけど、しょうがないですよ。できないから。だから飽きるから、逆で専門性が高いこれで一本でやるぞっていうのが一番僕の中では悪臭なんですよ。
一方で一個のことやってたりこれしかできないなって思ってる人にとっては、もしかしたら僕みたいな人は羨ましがれるかもしれないですね。いろいろやれてすごいですね。逆で一つのことはできないですよみたいなトレードします?そうするとお互いがお互いの長所を消し合って何も残らないという最悪のことになるかもしれません。
アイディアの試行
だから人って僕も偉そうには言えないですけど苦手なことがあっていいしできないことがあっていいし、その中でこれかなって思えるような若干そういうことがあってそれにちょっとだけ賭けてみるみたいな感じですね。一生賭けなくていいですよ。賭けてみたら変わるんじゃないですかねっていうある種のマインドセットみたいなことはリスナーのあなたにも投げかけてもらってやっていこうと。やっていこうというか考えてみてくださいということになります。
参考になるかわかりませんけどね。なんでその話はそんな感じで、僕が別にその27頃の創業塾というですね、商工会議室がやってた、いわゆる企業とか創業した人のセミナーではそんなビジネスプランみたいなのをビジネスプランとして発表しました。
儲からないなーって思いながらやってました。当然その入管料みたいなのもらって、いわゆる自主室とかコワーキングスペースみたいなことをやろうとしてたわけですよね。で、もちろんやってないしやれなかったですけど、構想だけでもなんかダメだなっていう。
じゃあ他のことやりたいんですかって言ったときに、なんかない。わかります?企業をしたいというよりも、自分のアイディアを試したかったんでしょうね。
そういう意味では最強だと思ってて、自分が思っていることをまず試すってことでは、まずそれを自分がね、この間もなんかいろいろ厚苦しく語ってますけど、自分がやってどうかってことをまずやってますよね。
で、それがまずない限りは誰も動かないし、この人は本気なのかなって思うんじゃないですか。だからそれは絶対手抜いちゃいけないなって。それが結果が出る出ないに関わるんですよ。
で、やらなきゃいけないってやつです。で、やり続けていくっていうところです。だから覚悟を持ってっていう言葉も、別にそれをね、これからなんかやろうとしてる人とか、ちょっとカジュアルにやろうかなっていう。
ちょっとアプリを動かしてみようかなとか、触ってみようかなみたいな人、レベルでいいんですけど全然。人に求めてるわけじゃなくて、なんか僕自身はそういう、僕の話としてはそういう気持ちで動いてます。
だからモチベーションとか不思議だなって思う人はそんなものがあるっていうぐらいですね。一方でその同じことをやり続けるのが極端に苦手というかできないっていうのがあります。
ただそれも捉え方で、ブログとかもう20年ぐらいやってますし、要はムラがあるんじゃないかなってことですね。で、形になっていく、何か考えたことが形になっていくことが好きなんでしょうね。
そこらへんはさすがにもう好きって言っていいかなっていうふうに思いました。自分の中でね。だから前からそう思ってたわけじゃないですよ。だからどんどんやってて、これぐらいは言ってもいいだろうなっていうぐらいのところで言ってます。
ってことは僕が言語化してなんかこうじゃないかって言ってることは、相当程度なんかやったり検証したりっていうことが多いのかなと思ってます。
ただそれも相当程度やったとか、相当程度考えたっていうのは何相当ですか?何時間ですか?何年ですか?わからないじゃないですか。僕もわかんないです。
AIの役割
だから感覚と論理、両方いるし、別にその感覚だけじゃないですよ。だけどAIが入っていくと論理がどんどん代替されていくんで、感覚のほう磨かなきゃいけなくなっていったときにやっぱりそうすると、
いわゆるセンスというか先天的じゃなくて後天的に学習して環境で学べたりチャレンジできるようなものが必要だってことで、自分の活動に戻っていくって感じになったりします。
別に主語繰り返ししたいわけじゃないんですけど、最近そこを意識で高めてるんでそんな風にはなりました。
ここから学べそうなことって何かなって思ったときに、初めて何か主語繰りというか、仕事繰りしたいなって思ったら、まずやってみるってことですよね。
そのチャレンジを笑うことはないです。少なくとも僕は笑わないです。よくやったというか、いいですねっていう風にしか言わないです。
あとはやった上でどうですかって話と、やり続けられるか楽しいですかとかいろいろな観点はあるんで、そこでやっていくところですよね。
そこで甘い考え方があってもいいんですよ。すぐ儲かると思ってましたとかね。それはないです。やってみたらわかる。
仮にそれが上手くいかないけどビギナーズラックで上手くいったら、そんな話はないと思いますよっていう。
仮にそれで学習しちゃったらもう上手くいくのが普通になっちゃうんですけど、そんなことはないですからね。
逆に上手くいかないのも普通だけど、確率として全く全部上手くいかないこともないとも思います。
それは僕自身がアイデア出しを仕事にしたりとかリサーチを仕事にしたっていうところで、別に僕のアイデアが優れてると思ってなくて、
やってみたら少しずつ学んでいったり出したり、その修正をしていくことで試行錯誤を繰り返すことでできるってことが、これも相当程度の確率である。
少なくとも確率はかなり上がっていくし、練習して意識してやっていくことで全然違ってくるっていうのは、僕はあるんじゃないかなって思ってます。
だから人間の学びとか学習の方の可能性にすごく欠けてます。だからAIを使って学ぶのもいいんだけど、
AIを使うことによって学ばなくなるのは最も嫌いなわけですよね。だからAIが悪いとかいいとかなくて、
AIの使い方の話で、かつ学びとか教育については、それで自分を助けるように学ぶようにやっているかどうかってことですよね。
しかないですよね。そこをサボってやりたくないですってことだけをやらせるのは、それを実際やるなんて思いませんよ。
だって僕も要約させたりとかしますからね。だけど、それって考えさせたりなんかするってことがあった上でありますからね。
それがないならダメじゃないですか。衰えてきますよねっていうふうにはなってくと思います。
新しいことと振り返りのエンジン
ちょっと前後しましたけども、今回はそういう新しいことをやろうエンジンというのと振り返りっていうエンジンみたいなのがあって、
そういうのを両方とも動かしていくっていうのが良くて、かつ並列がいいかなということですね。
世の中の人ってもしかしたら調子がいいことの時に、普段の仕込みみたいなムーブを忘れてしまったり、
もしかしたら調子が悪いからムーブ自体をサボるというかやらなくなったりするってこともあるかもしれません。
ここの2つは両方とも常にあってやっていいんじゃないかなみたいな話でした。
仕込みポイントとして両方ともやる。とりあえずとにかくやって、最後はもう精神論です。
なぜなら感情とか感覚って精神でしかないから、面白いと思ったことをやるっていうのは、
面白いことをこれやってくださいって言われた時点でもうその面白さ精神が消えてますからね。
面白いポイントはないですから、あなたが面白いと思ったことをまずやるっていう先手がいる。
その後に振り返ってそのタッチというか結果がついていく感じですよね。
ぜひやってみてくださいとしか言えないですが、やってみてください。
今回は以上となります。出身国理ラジオ大橋でした。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
というわけで、以上失礼いたします。