アーリータイプの理解
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
今回のテーマは、アーリーですね。 要は、早めに何か動く人。いわゆるイノベーター理論でしたっけ? 違ってるかもしれない。間違えたらすみません。
要はですね、新しいサービスが2割と早めに反応する人ですよね。 とはいって、生成アイドルは僕そんなに早くはなく、遅いほうなんじゃないかなと思いますけど、
チャットGPTをいつから使い始めてますかって話で、なんかもっとだいぶ前の2とか1とかあるかは知りませんし、そんなAIブームだいぶ前からありましたよっていう人ももちろんいらっしゃると思うんですけど、そんなところにほとんど反応せず、チャットGPTの3.5とかぐらいから使い始めたような気がしています。
去年とか使ったなっていう感覚はありますけど、そういうふうにAIだけじゃなくて、新しいサービスがあったりしたときに割と使うほうかなっていう、そういうのが自負まではないですけどありまして、その辺りを僕自身の話ですけど、評価されたっていうのはちょっと違うんですけど、評価云々置いておいてそこが特徴である。
良いか悪いか状況次第ですが、特徴かなと思いまして、その辺り少しだけ共有というか話していければいいかなと思います。別に人によっては別に興味があるものとかないとかものによって上下するというかね、あるんですけど、その辺り含めて話をしていきたいと思います。
シゴクリラジオ大橋です。今回テーマとしては、アーリー体質である自分の最近の動き方、評価いただいた言葉みたいなところを話していきたいと思います。ゆるゆるとお聞きください。
たまたま色々な人とやり取りしていて気づいたんですが、別の話でまずは、Xとかまとめとか見てるんですけど、そこで見てたのが、ある動画、猫の動画なんですけど、そういうのって、別に猫の動画も見ていただいていいんですけど、
話題になっているものを見るという方は多分結構いらっしゃると思いますよね。X、SNSだろうが、インスタグラムだろうが、YouTubeだろうが、何でもいいんですが、話題に上がっているから見る、それを共有してこういうのが話題になってましたよねって言うけど、みんながX見てるわけじゃないですしね。
インスタはみんなやってないですしね。フェイスブックしかあり、ニュースをみんな見てるわけでもないですよねって色々なことを思ってて、少なくともポッドキャストをみんなが聞いてるわけでもないじゃないですか。
なので、一方でセンセーショナルな事件とか大きなニュースとかっていうのは知ってたり知ったりしますよねとかね、その辺りで。エンタメとかになってくるとますますわからなくなってきますが、そういうところもあって、わかりやすく言うと散々批判してますけど、SNSのいいねとか登録者とか、それ何なんだろうなっていう話をしてたじゃないですか。
そういう意味では、数十回しか見られてないような動画ってどうやって見つけるんですかって話なんですけど、簡単じゃないですか。検索して見ていけばいいと。
で、アルゴリズムとしてですよ。これはYouTubeの話ですが、あるプラットフォームのアルゴリズムの話になるんで、結局見られてないってことは面白くないよということになりやすい。ゆえに見ない。だから話題のものから見ていくと。
これがある種の罠だったり、プラスにもなることもあるかもしれないということで、これは別にそのアルゴリズムを廃止せよとか、それは違うんだっていうことじゃなくて、シンプルに言いたいのはそれを影響を受けてますよねってことなんですよね。
これは前に言ったような気がするんですが、ノートっていうブログ、記事とかあるプラットフォームがあるんですが、そこで1いいねしかついてないもの、もしくは1いいねがついているものと100いいね、1万いいねはあまりないからさすがに。
見たことないですね、1万とか。頑張っても数千?数千も珍しいですよね。数百もあればすごい評価されてる気がしますけど、じゃあ100いいねされているものがあって、それが同時に出てきますと。どっち見ます?っていうときに、100いいねの方をまず見るかなっていう風なことになっている。
わかります?まさにこの人が、今回僕が見たときに、どちらをまず見るか、どちらが良さそうかみたいな、本当にジャケ買いと一緒ですよね。
ジャケットですね。要は見た目表紙であり、音楽だとか、その飲料ですね。缶コーヒーとか見て、見た目で決めてますね。ラベルを全部、何も情報がなく、金属むき出しのアルミのむき出しとか、スチールむき出しのものにしたら、わからないじゃないですか。コーヒーとだけ書いてある。
それはまた困るというわけで、なかなかどうしようってことになるんですが、そこまで原理的になれとは言いませんが、じゃあ100いいねついたのと1いいねついたもので、難しいんですけど、じゃあ1いいねしかないのはつまらないのかと。
見ている人に、何かに役立つ、別にお金になるとかじゃなくて、ヒントになるとか学びになるとかも含めて、何かしら役立った、もしくは役立つとは言わなくて、それを読んで良かったぐらいにしましょう。
それだったら良いですよね。ということにならないかと言ったら、わからないじゃないですか。1いいねと100いいね、もっと極端に言いましょう。0いいねと1万いいね、10万でも100万でもいいですよ。
0いいねを見ますって話なんですよね。わかります?で、僕はそっち見たいっていう。みんなが見てるやつだったらいいやって思ったりするんですよ。それだけです。だから別に100万いいねのやつが悪いとか思わないですけど、そうなんだねってなっちゃうって感じですよね。
だから、0いいねの記事がいいかって言ったら、そもそも伝わってこないとか、あり得ないとかもあるわけですよね。逆回ると思ってまして、だからここは対等に行きたいんですけど、100万いいねとかが絶対面白いわけでもなく、絶対こう思う人いると思うんですよ。
だから別に自分も同じようなこと言ってるよって。そうなんですよ。話題になるからそのコンテンツが絶対的に素晴らしいってこともあり得るんでしょうけど、それは結果の話で話題になっただけであって、話題になるからいいとは限らないわけですよね。むしろ同じものに話題ってものが乗っかってるだけかなって感じで、原理主義みたいなことを言うと、いいね撲滅論みたいになるわけですね。
独自の選択基準の必要性
でもそうすると、さっき言った缶コーヒーのラベルがないから、何をコーヒーで選んでいいかわかりません状態になるわけですね。難しくないですか。だからいいねとかっていうものじゃなく、謎のコメント、これよかったです、お客様の声みたいになったりするけど、それもそれでわずらしくないですか。
だからよく考えられてるなと思いますね。SNS、いわゆるバイラルって口コミですよね。デジタル口コミですよね。それを否定してはないですけど。脱線したかもしれないですけど、結局そこですよね。
だからアーリーであるっていう感覚っていうのは、まさにみんながいいよねっていうことをやろうとしないっていう方向なんで、失敗するとただの偏屈者になります。偏屈者っていうのは要は偏ってて、理解しがたいみたいになりますよね。
でも、ぶっちゃけ極論ですよ。極論を理解されたいのかって言ったら、まあいいかみたいなのがあるんですよ、僕はね。だけど世の中の周りの人とか自分の信頼というか、近くの人がみんな理解していただけなかったら寂しいから、さすがにそこはっていうのはあると思うんで。そのサイズ感なんじゃないですか。
分かんないですけどね。分かんないけどそういうのはあります。そういう時に自分だけは分かってればいいよねっていうのはちょっと孤独な感じしません?だけどそれをみんな分かってほしいっていうのも押し付けない感じしません?
だからその感覚をどういうふうに持っているか、保持しているか、もしくは保持しないのか、考えないのかもありますよね。別に考えないからダメとも思わないけど、僕は考えたいかなと思ったりします。
一番はっきり言っておくんですけど、僕が嫌いな言葉がみんながやっているっていうのがすごく嫌いなわけですね。みんながやっているという状態は別にトレンドとして多いし、見るんですけど、それをその選択のゆえにみんながやっているからやるみたいなことをやっていくと、
それを楽しんでたらいいですよ、自分がね。だけどそこに失敗すると、これは失敗例としていくと、選択基準がみんなになっているわけですね。他の人がやっているということになると。
結局、AIでちょろいじゃんってことで、レコメンドされたみんなが聞いているよねっていうのを全部見るんですか?ってなりません?全部が全部そうじゃないですけどね。話題になっている100万いいねを僕は見ないわけじゃないから矛盾をしているんですけど、それだけじゃつまらなくないですかってことぐらいは言っておくと。それぐらいですよね。矛盾しないように。
感覚っていうのは僕がアーリーだとすると、アーリーっていうのは早めに反応するっていうぐらいで、別になんか早くやるから別にいいわけでもないと思ってますよ。体質とか感覚の問題なんで。別に遅めに反応してもいいし、ジャンルによっては遅いものもあるわけだから、別に全部が全部じゃないです。
で、ネコ動画ってことがあって、数十回とかね、ものがあると。ちなみにこれは本当にちなみなんですが、僕が出しているYouTubeの動画があるんですけど、これが一番回ったものでいくと24回とかそれぐらいですよ。だから見つけている人はアーリーだなぁと思いますね。それをやり続けている僕もアーリーだなぁと思うんで、だからどうとか話はなく。
そういうのを見たりしていいんじゃないかなと思います。もしそういう早く見つけたいとかいう感覚を持ちたいのであれば。これはたまたまYouTubeだけだからいいんですけど、別に仮にYouTube見なくても、YouTubeっていうところの情報を出して何かやりたいっていう人がいて、その時にYouTubeならこういうのになりますよねっていうので、その人の動作というか行為というか動きがわかるわけですよね。
それ面白くないですか。だから誤解を招かないように言っておくと、別にYouTubeで数十回再生未満のやつを見ていないからダメだとかアリーじゃないとかってことじゃないですよ。別に見ててもいいですからね。
それを求めるとか求めないとかじゃなくて、どうその情報を見たり解釈したりってことかなと思います。これが一つ目ですよね。ちなみに法則と検索してアルゴリズムとして全然回ってないやつから見ていけば見えるじゃないですか。いくらでもやり方があるんで、そこの判断ですね。
ついついその人気があるものを見がちな人はたまには外して人気がないやつを見てみようと。そこで気づくかもしれないです。人気がないものはやっぱり人気がないんだなとかね。人気があるものは人気があるんだなと。
でもそこで僕がちょっと気になるのは人気があるものを真似てはいいんだけど、そうすると全く同じものになっちゃうとつまんないですよね。みんな同じじゃないってなるんで、最初は真似から入ってもいいんだけど最終的にはずらしていくというのがいいかもしれないです。
あとこのアーリーのリスクというか、リスクリターンで考えないんですけど、シンプルに自分は他の人が見ないものを見て面白がるってことは、ある種他の人がまだ評価してないところなんで自分で見て評価しなきゃいけないですね。
情報のリスクとリターン
だから若干批判的になりますがタイパーってことで、映画をまず見ずにその評価を見てからこれが良さそうとかそれこそあらすじとかも知った上で見るとかって、僕はちょっと違うなと思うんですよね。そういう人はどれくらいいるかなんですけどね。
そのリスクっていうのは、映画を見て2時間丸々潰れるかもしれないっていうそのスリル、スリルって言うと違うんですけどリスクがあるというかね。それを投じるから期待するし、やると。
だからレビューとか既に毎評判とかは得ていいんだけど、でもそれを自分で見なきゃダメじゃないですか、そこをね。だから見なきゃいけないんだと思います。何をしなきゃいけないっていうのは誰かにしろってことじゃなくて、僕はそこに見ることで時間を投じることでのリスクがあるゆえにリターンがあるんじゃないかなと思ってるんですね。
これは別に映画とかエンタメってことで趣味で見てるだけだから別に倍速で見るとか、あとレビューで評価高い奴から見ていくとかっていうのはいいんですけど、その評価高い奴から見ていくことで一つだけ確実に言えるのは自分で掘っていくですね。
ディグというか開拓していく力は見失われますよね。AIで思考することを省くと、思考量が少なければそれは省いたら衰えますよねっていう当たり前の話なんですけど。
もう一度言っておくと、普段思考してて考えたりしてる人が一部AIを使って効率化するのは何ら問題はない。むしろAIを使うことで自分との問いかけを増やしているんだったらAI多分使った方がより思考できるんじゃないかなと思います。一方でそんなに考えてない人がAIを使うことでその考えることをやめてしまうと衰えますよね。
というだけです。現場からは以上ですとなるんですけど、そうなるんじゃないかなと思います。だからみんなが評価してないものを見るということは、ある種のパイオニアというか開拓者なんで何があるかわからないわけですよ。
その怖さがあるかもしれないけど、でもやってみると面白いんじゃないですかねっていう。アルゴリズムとかじゃないですよね。強いて言うならば自分の何か見方があって主観があってそれでいいなと思って、これは何か面白いんじゃないかと思って見ると、外したといいじゃんっていうことだと思います。面白かった、いいじゃん。
だから外したらそれは自分の責任だけど当たったらそれは自分の目利きだったってことで鍛えられませんかっていう。それは大事かなと思います。
だからYouTube検索してみて、その時に評価とかも無視して、これいいんじゃないっていうのを見て、結局そのサムネイルとかもわかりやすい見やすいものを選ぼうとされると思うんですけど、一般的にはね、多分ね。
それこそがまさにアーリーなものにたどり着けないっていう。人が評価したものを触れてては遅いっていうことですよね。そこは飛び込まなきゃいけないっていうのが感じです。だからそれが痛いとか、そんなことまでしたくないっていうことがあるかもしれませんが、人によってはいやいや、全然知らない無名な人のやつを触れていくのが好きだよねっていう人がいたりするんで、面白いんじゃないかなと思ったりしますね。
あとその話でいくと、他にもあって、コミュニティに入って割と初期の頃からサービスを使ってたんですよね。っていうことを評価というか、すごい前からやられてるんですねっていうことは僕が言ったんじゃなくて、僕も一部は言ってるんですけど、別にそこまで気にしてなくて、別にやってるよってぐらいなんですよね。
でも当時、要は時計を戻せば、はいって言った時に、じゃあ今それやるかって言ったら、やらない人はやらないし、やる人はやるじゃないですか。話題になるタイミングとか広がっていったタイミングっていろいろあると思うんで、僕はそのサービス初期の頃が面白いと思ってるんですよ。割と違うサービスとかも続いてるものもあるんですけど、割と初期の頃からやってるんですよね。
関与度というかロイヤリティみたいな、中世新というものはないんですけど、あったりなかったりするんで、一概に言えないんですけど、そういう時に、僕はアーリーな早い段階でアクセスするっていうのが好きなんだなっていうことを改めて感じました。
だから別に実はあなたがアーリーになれとか、遅いレイトなことやめろとかね、そんなことは全く思わないんですが、なりたくても別になれるものでもないかなと思うんですよね。別になりたいわけじゃないしっていう人も多いと思うんで、僕はそういうの好きですよっていうだけですよね。好きだからやってるって感じで、それって結局考え方とかマインドセットみたいなものがだいぶ違いません?
個の価値と姿勢
人がいいと思うからやるっていうのでいいっていうものがいっぱいないですか?自分で選びたいのもわかりますけどね。自分で選ぶってことは、選んで間違った場合自分でリスクを取らなきゃいけないから、そこが痛みなんだと思います。外したくないみたいな。でも外さないとそのメキ切ってできなくないですか?
だから価値観に慣れて物差しになるんですけど、いつまで経っても野球の縦がいいかわかりませんが、出す気になって振ってみないとボールを打つ感覚がわからないんで、バッターボックスみたいなところに立って機械に対して練習してるとタイミングとか全然違うわけじゃないですか。
人がやったり、あと屋外だったら暑いしとかね。あと外乗ってないというかね。そういうのは実践じゃないかなと思うんで、それもトレーニングっていうのも実践の中でやっていくしかないのかなとかは思ったりします。話に戻しまして、じゃあそのアーリーなところが仮にポジティブなところ行くと評価される。
そういうのはなんで見つけられるんですかとか、見つけたいけど、もしくは見つけたくないんだけど、興味本位でなんでそうやって見つけられるのか、自分は見つけられないなっていう。他の人の思考ロジックですね、思考パターン、僕のことを知りたいときに、結局好きとか仕掛けて何か見るとか、早めに情報を得て自分で判断するっていう癖をつけてるので、自分がいけるなと思ったらいけばいい。
当然それでサービスと、真珠ってことはよくないですけど、消えていくものもいっぱいあるんで、めちゃくちゃ消えていくサービスがある中でたまたま残ってるっていうだけだから、上積み感ありますよね。水面状のね。水面下で死んでいったもので、あれ使ってたんですね、なくなりましたねなんていう話ってあんまりない。すごいマニアックな話になる。
使ってないやつだったんでね、特にね。使ってないというかもう消えていったものなんでね。なっていくわけですね。だから真似はしづらいですよね。一方でそういう職業とか仕送り的に言っちゃうとあるかって言ったら、例えば記者ってそうだなと。記者はライターの記者ですね。新聞から各種ウェブメディアでもなんでもいいんですけど、ないものをまず探して目立ったり社会的に面白いなと思うものを紹介することじゃないですか。
ってことは記事に上がってきた瞬間に知られるから、上がった瞬間でどう処理するかを置いておいて、上がったら話題になる時にはもう遅いかもしれないですよね。でも記者はそれを知らないところから開拓して、だから常時ネタを探してて、こういう企画誌面にしたらいいんじゃないかってことを考え続ける仕事なわけですよね。
だからインタビューするし、人に話を聞くっていうのでAIじゃないよねとか、ネットだけの情報を検索してまとめてるだけではないですよね。それをライターと言えるかどうかは、そういうまとめ記事ばっかり書いてる人がいたらその人のめちゃくちゃ批判になっちゃうんですけど、それをライターと言えるかどうかっていうだけの定義なんで、僕はそれはもうインタビューとかして、
不可価値というか、生の情報を足で稼ぐとか言うじゃないですか、泥臭い話で。でもそれになってくるんだと思いますよ、結局価値があるってことは。それがコストがかかるんで、それなりの金額になります、それなりの価値になりますってことにしないといけないし、それなりの価値をだよねってことでお金払ってくれる人をお客さんにしないといけないんだろうなみたいなことも思いますよね。
そこに結局あるのはAIじゃないような、情報をまとめてるっていうだけじゃないような、結局AIでできないような人が感じたこと、面白いなと思ったことを前の目で探していって企画にしていくってことですよね。だから記者の人ってそういうことなんじゃないかな、本来の記者はね、と思いますよ。
だからそういうのは企業でもそうかなと思います。企業家とか仕事繰りでもいいですけど、これは仕事になるんじゃないかっていうことをみんなが気づいて、もしくは気づいててもそこまでやってないのであればやってみましょうと。やってみてどうかをやっていくのってアーリーな感じは僕はするんですけど、リスナーのあなたはどうお考えでしょうかというところですかね。
結局みんながやってて確実にこれいけるよねみたいなのをやるみたいな、もしかしたら企業とか仕事作りがあるかもしれないですよね。あるかもしれないですよね。でも僕は別にそれをやるなとは言わないですけど、面白さはないですよねっていうね。
例えばそのカプセルトイみたいなのが目の前にあるんですけど、ガチャガチャあって、カプセルトイ、トイカプセルどちらもいいんですけど、そういうのが売れるから置いて売りましょうっていうのが、例えば確実だと。置いたら売れると。
例えば空港だとかインバウンド観光客の人向けに観光地で置いたら売れると。売れた。売れる売れるって。売れるじゃないですか。面白いですかっていう。それだけです。何が面白いとかじゃないんで、ビジネスで儲かればいいんだよっていう方もいらっしゃると思うんですけど、あんま合わないですよね価値観としてね。
それってビジネスでお金儲かればいいなら、何してもいいんですかってなりませんか。なるんですよね。倫理の欠如なんてもう至る所にあるじゃないですか。ニュースとかね。
フィクションとして楽しまなくても、事実としても気が狂うぐらいあるんで嫌になりますけどね。本当にね。でもあると。
っていう時に、お金を得るということは積極性ですけど、自分のことだけ考えてお金になるんだったら苦労しないし、実際に自分のことだけ考えてたらお金にならないですよね。
価値になってないですよね。どの人のためにプラスになるとかね。価値って言うとちょっと大げさなんですけど、なんでもいいんですよ。役立ったよっていうことにならない限り、気分が悪いじゃないですか。みたいなことは確認できますよね。
僕の態度というか姿勢としては結局アーリーな感じでやってきたし、変靴にならない程度にみんながやってることはいいやって思うので。
なんかそれ誰もやってないぽいし、ぽいですよね。他の人がやっててもいいっすねっていうのが僕から見たら面白いし、そういう人たちを僕が力むずい持ってるわけじゃないですけど、いいなって思ったら僕がって一人がいいなっていうのが、
その人にとって僕がどういうふうな立場でやろうか関係なくて、ある一人の人がNイコール1位の人が褒めてくれたり評価してくれたっていうのが価値じゃないですかねって。別に僕の言葉が価値っていう意味じゃなくて、めちゃくちゃ抽象化して誰か一人の人でいいからありがとうって言ってくれたよねっていうのがめちゃくちゃ支えになるわけですよね。
これはもうやっていただかないとわかんない話で、なんか想像してそうだよなーってことじゃなくて、後付けでいいんでやってみてはそうなんだなっていうことを体験していただくしかないかなっていう世界ではありますよね。だから最終的にはそのアーリーな姿勢態度をもっともっとやっていってもいいかなっていうところですよね。
新しいことへのアプローチ
でもまあ、そういう人は少ないんでしょうねきっとね。少ないと思います。それもなんか1割ぐらいね。だから新しいことに対して懸念というかね、どうしたらいいのみたいになっちゃうんですよねきっとね。
わかるんですけど、どうしたらいいのどこまで考えるかによるから、どうしたらいいかなっていうのが悩んでたらダメですからね。悩むっていうのは進んでない、ぐるぐる回ってたり、あと問いかけ、問いかけになってないのもありますけど、困ったなーみたいな、あれもあるからダメだなーとか、頭の中で考えるような状況で何も進んでないような状況かなと思います。
考えるは問いかけとか切り口でいって、こうしてみたらどうだろうかっていう、ある種割り切ってこうしてみるかっていうふうに態度を決めたりするまでだから、悩むってよくないと思いますね、表現としても。
表現として悩んで、悩むなってことじゃないんですけど、悩んでてもしょうがないっていうのはありますね。でも悩みっていうのはつけないから、悩んでもいいんだけど、悩みから考えるに切り替えていかなきゃいけないんだろうなっていうのは思ったりします。
ちょっと散らかりましたけど、今回僕のアーリーな態度、早く情報にアクセスしたり触ったり試行錯誤するっていう態度を評価いただけたとしたら、そういうマインドセットというか感覚がある。
そういう感覚っていうのは、みんながいいというものを見るよりも、知られてないけどどうなんですかねっていうのを見た方が僕は好きだというのがあって、もちろん自分がいいと思ったから、これよくないですかっていうのをみんなにやっていくかって言ったら別にまたね、それまた別問題で。
これは僕の話ですから、ぜひリスナーのあなたもですね、自分の特徴とか最近言われたこととかね、ここ1、2ヶ月くらいですか。そんな自分のことについて言及されることないかもしれませんけど。
特にね、何度も言ってますけど、新しい仕事歴に何度も言っているんですが、初めての方だったら悪いかもしれませんが、繰り返しておくと初めて初対面の人とかに会うときに言われることにちょっと静かに性感というか聞いて耳を傾けてください。
いつものように別に態度として自分はコミュニケーションするんだけど、すごい変えてどうとかじゃないんだけど、でも相手の反応とかフィードバックが違ってくることがあるんですよね。それがまさに今のあなたってことなんですよね。
これは初対面における自分の自己アップデートというかアップデートってことをアップデートと言いますが、アップデートはやめといておきましょうか。自己のアップデートみたいなところで、そういうふうに思われるんだなってことであればそれを活かせばいいっていう意味では仕事にかなり使えるんじゃないかなと思います。
自分がよくわからないなとか、こういうものだと思ってるけどどうなんですかねって思う方はぜひ誰か新しい人に出会ったときとか、意図的に出会ってもいいですけど、どういうふうな評価を受けるか、もしくはどういう印象を与えるかということが非常に大事かなと思います。
もちろんその思われたことが全部事実というかね、なんか違うなと思う人もいるかもしれないけど、他人から見たらそう見えるのは確かな面はあるわけですよね。それを参考にしながら今回だったら僕だったらアーリーだよねっていうことを受けるんですが、それはある種の良い面を見れば色々できるけど、逆に言うとみんなが好きなとかハマっていることに対して共感しづらいみたいなのがあるから、
固まってきたり成長が見込める、わかりやすいみたいなところが苦手なんですよね。だから向いてないんですよね。まあまあ全然いいんです。それが好きでやってるし、そういうふうなのに、みんながみんなやってるやつに評価されてて、評価の赤みたいなね、言い方悪いですけど、
評価が赤がついたみたいなものにまみれて生きていきたいとかは全く思わないんで大丈夫です。もしかしたらそういうご心配をいただくかもしれませんし、あと別にね、じゃあ人気とかいうのがあったら絶対それ読まないんですかっていうね、そういう聞いてくる人もいると思うんですけど、いや別にそれは別に見たりするから、絶対そういうわけでもないですよ。
ただその新しいサービスですね、ウェブアプリとか、自分が興味を持ったこれなんだろうなっていうものにはなるべく初期の段階で突っ込んでいくっていうふうにしているような気がします。それぐらいですかね。今回はそれぐらいで終わりたいと思います。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。というわけで四国理ラジオ大橋でした。以上失礼いたします。