仕事クリエイターの視点
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。このシゴクリラジオは、パーソナリティである仕事クリエイター、私、大橋が仕事づくりに関して話をしていく番組となっております。仕事づくりはですね、企業というイメージが一番近いかもしれませんが、働くということを自分で生み出していく。
稼ぐという言葉は、僕はあまり好きじゃないので使っていないんですが、賃金を得るためには、既にある仕事をついて得るというだけでは、この仕事づくり感覚は磨かれない。
そういうことは多分分かっている方が多いと思うんですが、でも何をやったらいいか分からない。何をやったらいいか分からないからやらない。金力が衰えるみたいに、シゴクリ力があったら衰えていくみたいな。
こじつけに近いですけど、笑って聞いてもらえれば、本当かなと思いながら聞いてもらいながら、好きならば試していただくという感じで、一緒に楽しんでね。一緒に楽しむのでもちょっとおかしいんですけど、何て言うのかな、何かやってるなぐらいで捉えていただければ嬉しいです。
そんな感じでゆるゆるやってます。今回のテーマとしては、情報を伝えるだけで魅力がないと、自分語りだけでも難しいみたいな、ちょっとそれっぽいタイトル。自己啓発ではございませんが、特にライターとか文章でものを伝える人向けかもしれません。
ただ別にそれはプロとして仕事でやっている人だけじゃなくて、僕自身も発信していく中で、結局それ何なの?っていうのは常に考えざるを得ないわけですよね。そんな中、じゃあどうすればいいの?っていうところで、別に正解はもちろんないですよ。正解はないんですけど、情報はもちろん出すんだけど、
自分らしさみたいなものもやっぱりスパイスとして加えておかないと、誰でもいいよね、その人じゃなくてもいいよねってなってしまうんですよね。究極的なことを言えばその人らしいよねっていうのでファンがつけばいいわけですね。それを多分僕は面白いということを扱っているんじゃないかなと思います。
その人のらしさやキャラクター、性質や性格や魅力、そういったものをもうしょうがないですけど、伝えてみるしかない。それで、バンに全員にダメだって言われたら諦めればいいんですけど、そうじゃないなら諦めなくていいと。支持者がいると。ファンがいると。それに信じてやっていこうと。そんな壮大な話です。というわけで今回もどうぞよろしくお願いします。
はい、しごくりラジオの大橋です。今回はですね、情報だけでは魅力がないと。情報を伝えるだけではどうなると。一方で自分がだりですよ、こうですよっていうのも厳しいというか、一方的だよねっていうような話となっています。
このしごくりラジオのさじ加減とかもね、そこなんですけどね。僕がやったことは僕がこれやった、やったっていうことを全部、ただ伝え方としてね、述べていってもあんまり面白くないんですよね。どうですか?
で、聞いているという、この誰か聞いている、リスナーのあなたが聞いている、聞かれているということを意識してて、これは別に意識を高いとか、気にしすぎとかいうことじゃないんですよ。その辺ちょっと失敗するとダメなんですけど。聞いているのでその人に説明していくということを、僕が最初は自分がだりとか自分発信なんだけど、
それをこういうことですよということをちょいちょい説明しているというような感覚があります。これがある程度受けているというか、ある程度支持いただけるので続けている部分ももちろんあります。これがですね、需要という言葉が難しいんですけど、手応えが全くなくて、興味ないですねということになったら、僕もさすがに続けていないというか。
それはYouTubeとかもやってますけど、それと一緒で、全くゼロってことってないんですよ。本当に全くゼロはない。だからぜひ何か新しいことをチャレンジする人はやってみてほしいんですよね。それが何回か述べているんですけど、その時差がある。やったところですぐ反応が得られるわけじゃないとか。
中長期で考えてやっていけるか。反応という期待値を小さくして分割してね。短期で一発でガッと取るんじゃなくて、長期で分散してちょっとずつやっていくという感覚を持つようにやっていくしかないですね。というのがもう結論というかね。今回は結論じゃないですけど、至極理的な結論です。
でもそこを抑えておけば、そう外すことはないんじゃないかって思います。だから逆に言うと、めちゃくちゃ成功したってのもないんじゃないかなと思います。でもここで一つだけやっぱり聞いておきたいのは、そんなにめちゃくちゃお金稼いで使い切れないぐらいなんかやりたいんですかねっていうところで、僕の観測では8割9割はそんなにお金稼ぎたくないなって思うんですよね。
もちろんお金があればそれ嬉しいよって言う人いるけど、お金があればなんてないですからね。あればっていうのは、if、もしであって、金の話ですから。でもじゃああったとして何するのって話になるんですよね。これがお金の稼ぎ方とかっていう、得方の方じゃなくて使い方の方が重要だなと思ったりするんで。
その意味でアイディアって、生成してそれをうまく使うことで、お金を使わなくてもできたりするわけですよ。これものすごいと思うんですけど、興奮してるのは僕だけは知らないんで、アイディアすごいなって思いながらいつも感じてますし、人のアイディアかけないですよ。
人のアイディアとかじゃなくて、自分のアイディア。自分のアイディアがどうってことはないんですけど、人のアイディアでもいいし、自分が考えたのもこれいいんじゃないって思ったら別に対等というか評価して、そうなんだっていう。面白いねっていう風に捉えたりしてます。
今回のテーマとしては情報だけではということで、ある記事を見ていて、それはスタートアップの記事だったんですけど、見てて気持ちいいなっていうか、別に読者に忖度するわけではなく関係者に配慮しているとかは知らないですけど、自分の気持ちをぶつけてくるような記事です。
もちろんそういうのを書ける人って、媒体として出していいとか、記者の署名記事でかつ、署名っていうのは名前が載ってるってことですね。僕だったら大橋っていう名前が載ってたりするとか、ペンネームでもね、記者の人がペンネームで使ってたらもうほぼ有名誌みたいなもんなんで、編集部とかじゃなくて何々が書きましたってことが書いてあったり、その紹介が書いてあったり、いうのが署名記事ですね。
そういう、かつ、代表の人だとか書きやすいかもしれないですけど、ただ代表だからといって何書いてもいいわけじゃないですから。そういう状況があって、その記事は要は記者さんというか筆者が取材したことももちろん説明してるし話してるんだけど、こういうことを感じてやってるんだよっていう、ライターさんが筆者が感じたことをぶつけてきてるわけですよね。
で、もちろんあれですよ。介護が辛いとか、仕事が辛いとか、現状が辛いみたいなことを討論されても困るじゃないですか。言われても困りません。
そういう、なんで自分のプライベートは何でもいいから出すってことじゃなくて、その伝えたい情報に対して付与するというか、こういう気持ちでやってるんですよっていうことを添える感覚っていうのがあったわけで、僕自身は久しぶりに心が動いてて、別に記事読んでて面白いなって思うことあるんだけど、
そういうことってあんまりないんですよね。僕はあんまりしてないですね。メディアの中で見ていいねっていうのはあるんだけど、それを違うメディアでシェアするってことはあんまりない。普段シェアしまくってる人もいるかもしれないですけど、そうするとそれが普通になるから、シェアするのを選んだりするわけじゃないですか。
AIと今後のライティング
これは別にSNSでもなんでもいいんですけどね。この時に思ったのが今回のテーマなんですけど、情報を出すっていうのは、その情報を得るってことが仕事であったり、その人の強みだったら情報を得てくるわけじゃないですか。
あとはこう思ったっていうのを伝える。今後、当たり前なんですけど、ここは書く仕事っていうところに文章を書くってことに絞るんですけど、絞った場合、昔もあったような気がするんですよ。情報があります、こういうふうに思いましたっていうふうにやる。
ただこれは昔って情報を得ることが難しかったり、情報を得ても結局専門性とか信頼性みたいなのがあったと。今はもちろんあるんだけど、やっぱりここでAIが出てくるわけなんですね。
そうすると、情報収集だけならAIでいいですみたいな人が出てきたり、それを依頼したり自主メディアじゃなかったら、発注する側のクライアントとかですね、広告ビジネスになりたっているなら、広告主がそんなメディアは別に見てもらえないからってことで価値がなくなってるわけですよね。
だから全然そんな笑い事というかスルーできなくて、どうしたらその情報メディアの価値を上げられるかっていうのはずっと考え続けなきゃいけないわけですよね、やっている人ならね。
それは末端で働いている業務委託なりフリーランスなりの人が多いと思いますが、ライターの人も考えなきゃいけないわけですよね。
考えなくていいなんていう状況の人は相当特殊な人か、それで相当ビジネスとして確立されているか、少なくともライター業みたいなことで食べてないというか、別に失ってもいいよねって思い入れがないと言ったら怒られますが、人は別に関係ない。
例えばこのリスナーに聞いている方がどのような仕事をしているかはわかりませんが、ライターとかは別に関係知らないですよって言う人はいらっしゃると思うんですよね。
別にそれがダメとかいいとかって話じゃないですけど、どこまで自分に近いところにあるかっていうのがあるかなって話ですよね。
その時にAIにとって変わられるってことを考えた時に、人間が書く記事が魅力的かどうかっていうのは多分情報じゃないんでしょうね。
もちろんAIが集めてこれない情報とか、今日あった発表を検索するとやっぱり精度悪いとかってあったりするし、
集めてきたものもちゃんと見ないといけないから、そこは人間の目がいるわけじゃないですか。
確からしいものということか、取材をして見た現場の写真とか、もしくはその運営者の意見とか、かかっている人の思いみたいなのはAIではちょっときついかなってことがあるんで、
取材するっていうすごいベーシックなことなんですが、それを楽しんで伝えようとする人がライターになったりすると思うんですよね。
文章で伝えようとする人が残りますよね。
で、それは情報じゃないですか。そういうことをやりたいとかやれる人は、僕はそんなに多くないと思ってるんですけど、
かつそこに思いを乗っけるということですね。自分がこう思ってますよっていうようなものですね。
編集工期みたいなものを僕は結構読むんですけど、そこにやっぱりその筆者とかが、人間性が出てくるわけですよね。
僕は重視用紙してるんですが、リスナーの方がどうか分かりませんが、人間関係の構築においてその人らしいなっていうポイントが見つかると、
安心したりしませんか。安心するというか、この人はこういう感じなんだなっていうのが分かってくる。
僕がよくやるのは、別にこれをずっとやってくださいってことじゃないんですけど、こういうふうにあなただったら考えるんじゃないですかっていうふうにとりあえず言っちゃうというのがありますね。
そういうふうに考えるんじゃないですか、あなたなんだねっていう。リスナーのあなたならこう考えるんじゃないですかっていうふうにもしかしたら言ってるかもしれないですけど、
まさにこれをリアルであり自然でやってるわけです。じゃないと言えないですよね。
それが当たる当たらないというか適切かどうかはもちろんありますよ、文脈もありますよ、関係性もありますが、そういう時にちゃんとそういうことを考えてくれてるんだなっていうふうに思われるんでしょうね、その人から見ると。
もちろん計算はしてないですよ、そんな。そこでここで考えを述べておくことでその人から信頼を得られるとかね。
それもちょっとやらしいというか、考えすぎだと思うんで。そこまでは考えてないですけど、この人はこういうふうなのかなっていうふうにいうことで、
じゃあ僕が何の意味があるかというと、その人を理解しようとするということになり得ると思ってるんで、その人が興味なかったらそのこと言わないですかね。
この人はこういうふうに考えるから、まあいいやっていう。まあいいやみたいな。
まあいいっすってあったら終わりだと思うんですよね。興味ないみたいな。
話としては、結局何か記事を上げるっていうライターさんみたいな仕事をする人が、情報や取材を上げたものを整理するってことがメインの仕事。
その時に自分らしさって何ですかねっていうところがある。もしくはそれってやっている中でのこだわりみたいな部分で、
例えばですよ、こうしろってわけじゃないですよ。じゃなくて、例えば取材先のその人の言葉が気になったんで、
その言葉に注目して、なるべくその人の言葉を言文ままってやつですね。
その人の言葉遣いとかがちょっと違ってたり、なんかおかしな部分はあるんだけど、載せたいっていうのってあると思うんですよね。
だけどメディアとしてはそれを載せられなかったりするから、格好掛けしたら別にいいんじゃないとかね。
その辺りはメディアによるんでしょうけど、そういうのを重視したいとかね。
それは重いっていうよりも多分出てくるんですよ。この人はその取材先の人の言葉をそのまま載せると。
そのまま載せるっていうのは何も考えずに、ただコピペで貼り付けとけっていう意味じゃなくてですよ。
それは質悪いんですよね。そこはわかるはず。
自分らしさの重要性
だからコピペでメディアみたいなものがあった時に、伝説剤メディアみたいなものがあった時に、
それと比較されたら質が悪い、それと同じだよねって言われたら質が悪くなりますけど、そういうことを言ってるわけじゃなくて。
そうやって自分らしさみたいなのを出した時にそれがある程度受け入れられるっていうことがあれば、
その人らしいってことになるんで、その人の仕事は隠されたり、その人の記事、その人に書いてほしいっていう風になるんじゃないかなと思います。
ここで言っているような自分の思いとか感じたこととか、さっき冒頭に言った自分語りみたいなことっていうのを、
なんかそういうのって難しい感じするじゃないですか。情報があってそれを取材してそれをまとめた方が簡単だみたいな理屈だよね。
確かにそうなんですよ。別にゲイとしてやってるわけじゃなくて、
取材をしたものを伝えるのがライターですよねっていう意識の方がいらっしゃるのかもしれません。ちょっとわかんないですよ。
でもそれはもちろんその考え方がダメではないんだけど、それで良かったっていう時代があった時に、
それではAIとかによって、情報だけならみたいになってて、AIでいいっすってなるとイラが来なくなったり仕事が減っていくわけですよね。
それがまさに今なんですが、そういう時に関係ないっすって言って、
AI使わないみたいなのもありかもしれませんが、多分厳しいんじゃないかなっていうふうに思ってます。
AIっていうのは別に脅威というふうに捉える人はもちろんいいんですけど、脅威と捉える人っていうのはシンプルに使ってなくて、
そのAIは知らなさすぎるケースですよね。使ってみるとそこまででもないかなっていうのと、
人間がチェックしないといけないなっていうのは経験として体験としてわかるはずですよね。
その感覚や感情っていうのが出せないっていうのがあって、それがどこまで出したいか。
あったとしても、いわゆる読者、人間がAIが書いた記事を見たいわけじゃなくて、
AIでやろうが情報として得られればいいっていう人はいくらでもいるわけです。
ここが差事関係の話ですよね。
だがしかし、それだったらAIが出すものでよかったら、メディア見なくてよくないっていうことになるわけですよね。
多分ここで出てくるっていうのはメディアとか情報メディアみたいなところの価値って、
スタートアップっていうところだといったらスタートアップ情報があったり、
それをなかなか深掘り的なことをしてくれたりっていうところが価値になるわけですよ。
多分ね。
それも別に真似できるんだろうし、AIに書かせて記事としてあげることはできるような気がします。
でもそれって正しいのっていうようなファクトチェックじゃないけど本当かなっていうのと、
情報として全然取れてなかったり、読みづらかったりもしくは間違いがあるようなこと。
そういうところで言うと、その程度と思う方がもしかしたらいらっしゃるかもしれないんだけど、
それはAIが絵を描けるのと人が絵を描いているのっていうののかなりの違いで、
その美しさっていうのが修正できない。
もしくは美しさっていうのが生まれているんだけど考えられていない。
要はプロレベルみたいなところになると、初心者の人だと学んだらすぐできるとか思ったりするんだけど、
そうはないわけですよ。
どんどん上げていった時に収穫低減じゃないんだけど、
上手くなっていくと全然上達スピードが右肩急カーブじゃなくて、
全然上がらないわけです。
だしたら違う技能を同じ時間最後の爪で上げるんだったらやった方が上手くなるっていう。
それはあると思います。
全然上がらない。
ただ1000時間かけても1、2%しか上がらないけど、
じゃあその1000時間かけたら一気に8割まで上がるみたいな。
初心者の人だったらね。
いや100時間でそこまでいくかもしれない。
そう。
でなると初心者の人だと8割できたからいいなと思うんだけど、
そこから微差の世界というか誤差というか、
細かい違いになっていくような気がします。
そこに僕は自分らしさみたいなものを付与していいと思うし、
ってか言い入れていかないと、
じゃあなんであなたが書いてるんですか、何を持ったんですかっていうことを書けない。
情報をまとめるんですよっていうだけでは、
それはもちろん価値が僕はあると思うんですが、
価値として弱いという感じですね。
感情と関係性の構築
最後のテーマというかトピックとしては、
自分の感想とか自分の感覚というのを言っていくんだけど、
それって正解がないじゃないですかって話なんですよね。
ないからどうするの?ってなるわけです。
ここまで詰めていったら答えとしては正解というわけではないんですけど、
僕の感覚としては自分が面白いと思った分を面白いと思って出すしかないんですよね。
本当それだけです。
だから自分が面白いと思ったっていうことを、
僕は思うわけです。
これは面白いなと思ったものを面白くないですかって言っていくというシンプルなんですけど、
それしかないですよね。
それがさっき言った冒頭で言っている情報だけだと他にもあるんで別にあなたからっていうのはない。
だけどここで情報も価値もその人から聞いたから価値があるっていうのはあるわけですよね。
だから僕が言ってたからいいよねって言ってくれる人はいるかもしれないけど、
僕が言ってるって言っても別に価値じゃないよねっていう人もいるわけなんで、
そこっていろいろじゃないですか。
なんか信頼できる友人が言ってたから間違いないかもねっていうふうに思う人もいれば、
そのXとかのポストを見てこの人が言ってたからっていうふうに態度に扱うかって言ったら扱わないじゃないですか。
たぶんね。関係性でもない。
だから情報出すだけっていうのも関係性がある中では全然意味があるんですよ。
次に感情とか感覚については、
出した、出します、ただそれに対して、
人の感情とか人の気持ちに全く興味がない人っていうのはたぶん人じゃないですよ。
すごい言い方ですけど。
人じゃない、それAIです。
AIは僕は人じゃないなっていうふうに思ってます。
作られた人間。
作られた人間の気持ち悪い動きをするっていうところにピッタリだなと思ってて、
AIに気持ちの良さじゃなくて気持ちの悪さを持っている。
だからハルシュネーションでしたっけ?幻覚?
っていうのを持つっていうのは、
嘘を言うのは僕はいいんじゃないかなと思ってるタイプなんですよ。
どういうことかっていうと、
こいつ嘘つくな、こいつ全然違うこと言うよねっていうのを逆に逆、逆手にとってね。
磨くために使うっていう。
反面教師ですよね。
教師じゃないけど、反面AIみたいな。
そうそうそうそう。
なんか大体言い方正しいよねっていうふうに思っていると、
ちょっと足元使われるような気がします。
足元使われてもいいっていうような状況のタスクとかゲームしかやらせないっていうのも、
今のところでは手ですよね。
自分が面白いものを面白いから出して、それでどうかっていうのをやってみるしかないんですね。
それはある種、さっき僕の関係性構築じゃないんだけど、
あなたの考え方こういうことじゃないですかっていうのって、
ある種賭けみたいなものがあるわけですよ。
賭けっていうのは別に、成功したら別にリターンがたくさん得られるわけじゃないんだけど、
そうやって考えてこられるんだっていうふうに共有できたりするっていうところがある。
それは賭けって言ってるのは別に絶対分かってるわけでもなく、
オズ値が高くて低いか、絶対こうでしょっていうふうに言えるようなことでもない。
それを言っても、ただ単に大向かいして繰り返してる人だけですよねってなりますから、
って僕は思うんで。
何も出てこなかったらもう知らないですよ、考えがね。
その面白いと思ったことを言ってみるしかないっていうのは、
言ってみてそれを修正していくしかないかなって感じですよね。
修正っていうと間違っているっていうような思うかもしれないし、
正解があるような思うかもしれないけど、
試していく試行錯誤ですけど、
自分がやってみてこれは面白くなかったかなとか手応えがなかったなと思ったら、
別のことをやっていくしかない。
SNSとメディアの未来
それを粛々とやるというと地味な感じですが、本当に地味なんですよ。
やるしかないですよね。
ここの時に面白いと思ったことをそもそも言えないですってなると、
向いてる向いてないで言えば向いてないってことになりますよね。
手応えっていうのは当たり前ですけど、
何度も言ってますけど、すぐやったら出てくるわけ。
インスタントのものじゃないってことですね。
インスタントっていうのは、インスタントラーメンじゃないですけど、
1分とか3分で追いつけたらすぐできるようなように、
話したらすぐ手応えられるみたいなものはあんまりないですよね。
あんまりないとかほとんどない。
その自分が面白いと思ったことを信じられなくなるっていうのは、
自分が面白くないなって思い始めるっていうのと同様で、
面白いなと思ったことがなくなってきたりとか、
毎回同じことやっててつまんないなって思っちゃって、
いわゆる発見とか刺激とかがなくなるっていう状態だと僕は思ってます。
これは刺激がなくなると言ったらいいし、学びがなくなると言ってもいいし、
気づきがなくなると言ってもいいんですけど、
そういうのがなくなってきたら、
大体僕はいろんなものごとそういうのをやめていくんですけど、
そういうことばっかりやってるとめちゃくちゃ感度が高くなってって、
すぐ気づけるようになると。
逆に言うと、ちょっとつまんない出来でもやめちゃうかもしれないんで、
諸刃の剣というか陰陽じゃないですけど、
両方あるわけですけどね。光と影じゃないけどね。
そこはバランスではあると思います。
そんな面白くなきゃやらないなんていうのも過激かもしれないですよね。
だけど面白くなくてもやってっていいっていうようなことばっかりやってると、
面白さという指標とか物差しがなくなりますよね。
あなたがやってる仕事とか面白さという指標があるかどうか分かりませんし、
それを求めたいかどうかもあるし、
学びとか気づきみたいなこととか遊ぶみたいな要素も僕は述べてますけど、
別にそれを必ず入れなきゃいけませんよなんていう教科書みたいな話じゃないですよ。
ただ、僕から観測した僕からすると観測室で体験しているところからいくと、
たぶん継続的にできるのは遊ぶと感覚と働くというか、
お金になる感覚と学ぶという感覚のバランスがそこそこ取れるか、
もしくはその仕事をいくつかやってそれを取っていくしかないという感じだと思います。
3つぐらいやってでもいいし2つでもいい。何でもいいんですけどね。
複数やってそれで、これは学びがあるな、これは気づきがあるな、
これは遊びがあるな、これはお金が得られやすいなと。
いろいろやっていったらいいんじゃないですかというところなんです。
だからそういう意味では全然決めつけていないし、
全然決めつける要素がないというのが主国理的な発想、
僕の考え方のことを言っているんですが、になっていくかなと思います。
だからライターさんという人がもし聞いていたらちょっと分からないですけど、
たぶん主観というのを出していく練習みたいなことが必要なし、
必須になっていくんだろうなと思ったりします。
同じようにやっていく人もいるんでしょう。
他のライターの人が自分のメディアを持ち始めるというのもあるんですけど、
それはそれでシュラというか大変なものも出てくるわけですよ。
みんなが同じようにシュを出してくるから分からなくなる。
まさにSNSなんてみんなが自分の思ったことを言いたい放題に言ってるわけなんですけど、
それって何なんですかってなるわけですよね。
ただ言いたいだけなのか、誰かに伝えたいのか、
それともそれを伝え続けたいのかってなっていくと、
そういう意味でSNSってどこまでできるか正直分からないですよね。
考えとしてはちょっと短すぎるかなと。
ポストを重ねたり長文になっていくということになっていくと、
メディアの特性上ですけど、見る人の話ですよ。
見る人がスクロールしてパパパって見ていくものじゃないですか。
ガンガン見してる人いるかもしれないけど。
そうすると断片的になったり腰を落ち着けて見えなかったり、
広告は今のウェブメディアでいっぱいありますけど、
情報として落ち着いて読めなかったりするということで、
伝えることの重要性
結局20年くらい経ちますけど、
ブログとか長文を読むとかメールとか、
しっかり向き合う、そういうことはKindleでもいいんですけど、
僕は回帰というか戻っていくような気がしてます。
そこに本とか重なっていくといいかなと思ってますけど、
これは僕の考え方なんで、そうなると決まったわけではないし、
そんなことをやる人はもういませんよという時代になっていくかもしれないです。
だけどやっぱり軽いですよね。
ショート動画じゃないけど軽い。
だから軽いが故にもちろんいいのもある。
だけどそこで文化を作り、きっかけとなるというのは否定しないんだけど、
それだけじゃないですか。
それだけなんで、それで何か意見を伝えるとか、
考えを伝えるのはやっぱり厳しいかなって思ったりします。
だから長文を書けないといけないってわけじゃないんだけど、
やっぱりある程度の情報と意見とかもしくは論理とか、
整理された考え方を伝えるには、
やっぱり書くってことが重要で、
今後ですね、ライターの人っていう仕事って、
何か意見があったら伝え方を教えるとか、
それこそ考え方ですよね。
どういう風に取材先の考えとか情報をまとめようとするのか。
アンケートの質問の、よくあると思いますけど、
5個あって上から順にヒアリングのように聞いていく人っているじゃないですか。
それは明らかに初心者というか、あまり慣れていない人じゃないですか。
5個あって1問目で5番目と4番目聞いているのに、
また聞いている人っているじゃないですか。
時間の無駄っちゃ無駄じゃないですか。
それにイライラしてやめるとかっていう人もいるかもしれないけど、
相手がそこまで初心者ですよっていうことであったらいいけど、
それをプロとか、それで食べている人レベルでやっていたら、
それは怒られますよね。
いつまでやっているんだみたいな。
ゆうずが聞かないってやつですよね、その人といえば。
まあまあまあそれを置いといて、
そういう風に考え方を伝える、あとは考えがないっていうケースもめちゃくちゃあると思います。
これは僕のテーマでもありますけど、アイディアがない。
そもそも気づかない、気づけない、視点がないっていう人がめちゃくちゃいるんじゃないかっていう説を一応投げつつ、
そういう人にライターの方がですね、こうやって考えとか視点っていうのが出てきますよってことを言ったら、
それは全然面白いんじゃないかなって思います。
ていうか僕聞いてみたいです、どういうところで考えが出てくるのか。
情報を浴びたりね、いろいろな人を見ていくと、いろいろな人いるなーって思わずに、
自分はこうかなとかって思うと思うんですよね。
だからいろんな考えに触れているかどうかっていうことが、まさに自分の考えがあるかどうかって思っちゃうんで、
自分の考えがないから、すなわち人間として即失格とかそんなことは思わないですけど、
この人は狭いんだなとか、もしくは他の考えに触れようという興味がないんだなって思っちゃうんですよね。
わかります?伝わりますか、そんな感じ。
だから故に、この人は考えがないからダメなんじゃなくて、他の人に触れようとしないから狭いんだなと思ってしまって、
考えをまとめる
環境とかもありますよね、性格もありますよね、引っ込み次第とかね。
だけどそれをずっとやっていると、全然広がっていかないし、それで面白いなって思っちゃうんで、
まあ僕は人は選ぶっていうことで、別に僕と友達になったらすごいとかいう話は全然なく、
僕は嫌だなと思うんで、そういう人と友達にならないっていう、シンプルじゃないですか。
それでいいなと思っています。
で、一方でそうやって岡田さんに来ると、他の人と話し合わせるとかね、
そういうのはうまくできないんじゃないかみたいな、もしかしたらご心配される人がいるかもしれないですけど、
大丈夫です。そういう人と話し合わないから、考えないっすみたいなことを言っている人とはもうお話ししないですよね。
言葉を言えば余計なお世話になるし、そういうふうに生きているわけですよね。
だからあんまり考えていないなっていう、昔のね、言うと怒られるんで、
そういう昔の付き合いのある人に話をすると黙りますよね。
だから別に考えを持てって詰めているわけじゃないんだけど、
考えるところがちょっとずれてたりするし、そっかみたいなところになるっていうふうになりますよね。
だからそれって他者の意見っていう、僕の意見もそうだし、
じゃなくて自分が思ったことのみしかやらないっていうね。
それはある種頑固だし、続けられるっていうところもあるかもしれないけど、ちょっとわかんないですよね。
要は僕が言っているのって、自分が思ったらそれを絶対やれっていうふうに、思う部分はあってもいいと思います。
ただ他者の考えを聞くとかっていうのは、聞けるってことは、はいはいうんうんってうなずいているだけじゃないですよ。
それを一旦入れてみて、自分の中に違うよねっていうふうに思うかどうかっていうことなんですけど、
そこまでいかないですよね、決めつけちゃって。
その辺りはちょっと話が長くなるんでこれぐらいにしときますけど、
少なくとも自分が面白いと思ったものを、いいやじゃないけど出してみるっていうことをすると。
今までの知見というか話からも明らかだと思うし、今回でも明らかなんですが、単能がゼロってことはないです。
ゼロがない。ゼロがなくて1になるって瞬間が時間がかかる。
ただ1年かかるとかないと思いますけど、そのやっぱり頻度もありますよね。
例えばペースとして週1回発表してて何か出してて、年で50回ぐらい、48とかわかりませんけど、
50回ぐらいあるときに、その50回やったときに1も反応がないってことは、よほど何かまずいか、
よほどシステム的に見られてないかっていうようなことだなと思います。
それはないわけです。
で、前もYouTubeの話しましたけど、1年間経つとほとんどの9割の人が辞めていくわけです。
なんで辞めていくかって言ったら、結局手応えがないっていうのも純粋にあるんでしょうけど、期待値が高すぎるわけですね。
だから期待値は低くしていくわけですね。反応は低くする。
そして、かつ、自分がやる気がなくなるぐらいのものにはしないわけです。
そんな人は来ないかもしれない、見られてないかもしれないけど、自分ではやっていく程度のモチベーションというか動機づけを設定しとく。
多分それは言っても理屈ではわかんないんでやるしかないですよね。
で、あとさっき言ってたように気づきがあったり学びがあったり、こういうふうに伝えるといいかもしれないっていうのを
ワクワクしなくてもいいですよ、楽しんで。めちゃくちゃね。
だけど、もしこうやってたら面白いかなっていう程度のものは僕は必要かなと思います。
で、それができると多分1年ぐらいはあっという間に突破できますから、
多分それぐらいやっていくともうなんか違うフェーズが見えたり、
なんかこれはやってきたからじゃあ次のことやってみようとかいうふうになるんじゃないかなって思います。
仕事作りって多分そうやって僕は作っていくし、やっていくものかなと思いますから、
まあそのあたりから何か稼ぎ方だとか、売り上げを何倍上げるとかいうのではないですよ。
だからそういうことを期待されている方は速攻このラジオは聞かなくなるはずなんで、
それはそれで全然僕は嬉しいなと思ってるんですよね。
他であると思うんで聞いてくださいって。他の方言ってくださいって。
だからここですよね。最後はアート思考じゃないけど、
自分が面白いと思ったのはこれなんですっていうふうに僕はこうやって述べてるけど、
これ面白くないですかって情報だけ伝えて魅力なくなるよねと。
自分のラストは出していくって大事なんだよねってことをずっと言ってるんですけど、
じゃああなたが面白いと思ったものが面白いと受け入れられるかわかんないですよねっていう。
いやもうその通りなんです。その通りだから、これも何度も言ってますけど、
分からないからやめるんじゃなくて、分からないからやってみるっていうところが求められるわけですね。
長期的な成果の重要性
で、やってみてうまくいかないなんていくらでもありますよ。
で、その時にもうやめたら終わりっていうふうにせずに、
何でだろうどうしていったらいいんだろうっていうふうに、
いい意味で諦めの悪さを発揮していただいて、
そこでどうしていったらやれるんだっていうことをやっぱり考えないと何ともならないですね。
そこでやらないといけない。粘らないといけないというか。
で、そこで無理だとか苦痛だとか、
違うみたいなことだけを見て、
次の要力というか、こうしたらいいんじゃないかっていうふうなものが、
ボロボロになって消えてしまうと、さすがに休んだ方がいいかなと思います。
だけど基本的にそこは休まずに、
ちょっともちろん寝てくださいよ。ご飯食べてくださいよ。
熱中症対策もしてくださいよ。で、その上でやれることを探っていくしかないっていうのが、
僕なりの結論だし、小国でずっと言っていることですよね。
だから小国といっても全然新しいことは言っていなくて、
試行錯誤しましょうと、フィードバックして改善しましょうということを言っているだけなんだけど、
それをね、あの手この手でこういうポイントがある、こういうポイントがあるということをだいぶ言ってきてますよね。
で、だいぶ明確になってきているのが、さっき言ったようなコンボというか、
連続した行動セットというか、マインドセットみたいなものですよね。
つまり今回で言えば、まずやってみないとわからないというのがありますよね。
だからやってみないとわからないというのに、わからないからやりませんってなったらもう話が終わるので、
そこは乗り越えていただくしかない。だからハードルをいじりじりと下げるというね、
文字を書くとか、もうめちゃくちゃ下げていくしかないですよね。
いきなりすごいことをやろうとしていないというところで、
だいたいすごいことをやろうとしていますよね、その行動が制限される人って。
で、そのハードルが低いことをやることが意味がないと思っちゃってるんですよね。
やれるから。それもわからなくないですけど、
じゃあハードルがギリギリ低くて、これを飛び越えられないハードルのところはどうですか?
ということまでいくと、思考を停止していたりして、そこまで考えていなかったです。
考えたら、今度少し高い自分が飛べるかわかんないものがあると。
まさにこれが一番いいと思うんですけど、いきなりそれをやろうとするから、
飛べたよっていうつまんないよねってなるか、
飛べなかったよを諦めるっていう、その二極になっちゃうんですよね。
考え方が極端すぎるっていうか。
そこからその行為から学んで次に繋げようっていう感覚がない。
そうなると、それは超短期試行みたいな、
ショート動画みたいな、見たら得られるみたいなことばっかりやってると、
考えなくなりますよ、本当に。
絶対になると思います。そればっかり見てたらね。
たまに本当にエンタメとして見るのっていいですよ。
で、それをやるときって、そして得られるもので、
仮に飛べたとしても、得られるものがすごいものだと思っている。
一発でね。ないです。
インスタグラムやったらすごいみんなに見られるとかね。
ないです。
YouTubeやったら動画がすごい再生される。
ないです。
否定してきますよ、それでもしっかり。
だからそれは期待値が高いんですよね。
で、期待値が高かったわけでしょう、そういうのを見たときに。
だからそれはやったものが得られる視野である世界ですよね。
で、やって、得られた。
その、あれおかしいな、やってるんだけど得られないなってのに、
大体なります。
てか、なります。
99%になると思います。
それでうまくいって、入っていく人はレアでしょう。
で、そのレアケース考えなくていいですよ。
で、そのときに得る果実というか、得られる手応えが高すぎる設定だと、
あれこんなにやってるんだけど、得られてないよねってなるんですよ。
そう。
で、やめちゃう。
だからその反応は低くしなきゃいけないですね。
だから、低くする。
で、そして、1回1回は低いんだけど、それを蓄積していくって感覚ですね。
塵が積もれば山となるっていう、塵を、
で、塵って言うとよくないけど、積んでいきましょう。
そう。
で、それを1年間、週1ぐらいでやっていってみてくださいみたいなことを一応言っときます。
情報から気持ちへ
1つのパターンとしてね。
で、それができた日には多分もう違うものになってるんで、
今言ってるような、01のスタートのところのアドバイスっていうのは、
もう別にね、クソもミソにも役立たないというか、
言葉が悪いですけど、
なんかね、役立たないと思います。
だからもう、それができてしまったら、
もう次のやり方っていうことは変わっていくし、
それをやっている50回の中で変わってくるはずです。
50回で反応がゼロってことは、
100回いったら、
なんだっけ、ごめんなさい。
50回でゼロってことは、
ゼロですけど、
1でもあれば、
100に直すと2%か。
それぐらいはあると思います。
100人に行って、
100人に、
もうちょっと違いを出しましょう。
50回チャンスあって、
ダーツでもいいし、
投げ輪でもいいし、
輪投げか、
投げ輪だとおかしいな。
輪投げでもいいし、
何でもいいんですけど、
剣玉でもいいんですけど、
初めてやったことあることで、
1回もできない、
一番簡単なやつですよ。
だから剣玉だと大皿っていうのがあるんですけど、
ダーツはちょっとよくわからない。
いろいろやって、
できないってあります。
カラオケだったら、
1曲歌うとかでもいいですし、
好きな曲をね。
自分が最も難易度が低くて、
できそうなものを、
1回もできないってことはないじゃないですか。
で、やったときに、
良かったねとかっていう、
いいよねっていう、
社交事例でもあるんですよ。
込みで、
いいねとか、
良くやってくれたねっていう、
ないってことはあります。
っていうことなんですよ。
だからもうちょっと自信を持っていただきたいわけですね。
全然できないって。
ちょっと長くなりましたけど、
そんな感じで、
今回は終わっていきたいと思います。
なんで、
自分らしさを出すっていうのは、
ものすごく曖昧な、
アドバイスというか言葉に聞こえますが、
自分らしさっていうものは、
誰でも持っていると。
それは多分出すっていうことですよね。
そこにすごくハードルがあるんだろうなと思います。
自分のアイディアを出してるっていうのは、
それが否定される可能性もありますから、
それを否定されたときに傷つかないってことでの、
最適な行動は出さないってことなんですよ。
出さないが故に身がかれない。
僕はそういうのは面白くないなと思ってます。
だから、
この番組になり、
僕のことを面白いと言ってくれる人は、
そこを超えてくるところを評価いただけるのかなと思ったりしてます。
勝手にね。
わかんないですよ。
でも、
これは面白くないですかって言ってくれる人って、
周りにどれくらいいます?っていうのと、
これは面白いからやってますっていう人が、
周りにどれくらいいます?っていうのが、
何でもいいんですけど、
言い方は。
そういう人がいたり、
そういうことがあるだけで、
面白い社会だなって。
これはね、
僕なりの感覚ですけど、
いいなって思ったりするんですよね。
そういうのを僕は、
僕の個人的な感覚で広げていった方がいいってことで、
僕もね、
その一助というか、
一員として盛り上げていこうと。
いいまとめになったのかちょっとよくわかんないけど、
うまく収まったんじゃないかなと思います。
今回は以上となります。
四国里ラジオ大橋でした。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
というわけで、以上失礼いたします。