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2025-08-06 51:22

相手が何を考えてるかを知るのが僕は楽しいですという話

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サマリー

このエピソードでは、大橋が新しいコミュニティに参加した経験を通じて、対人コミュニケーションの面白さや他者への関心について語っています。社会学や人類学の視点から、自らのフィールドワークを楽しむ姿勢が示され、会話におけるリズムや価値観の共有の重要性が強調されています。また、コミュニケーションにおけるリズムや波長の重要性についても語られており、相手の考えを理解する楽しさや対人関係における経験値の影響に焦点が当てられています。 相手の考えを知ることの楽しさや、他者とのコミュニケーション、自己開示の重要性についても触れられています。さらに、テレビ番組や人との関わりを通じて、面白さや価値観の違いを受け入れることの楽しさに言及しています。相手が抱える不安やコミュニケーションの微妙な違いについても考察し、それが行動にどのように影響を及ぼすかを探っています。

新しいコミュニティの発見
はい、こんばんは。シゴクリラジオの大橋です。このシゴクリラジオはパーソナリティである私、仕事クリエイター、仕事クリエイターですね。大橋が仕事づくりに関して話をしていく番組です。
今回、こんばんはと言ってました。今は夕方18時に合わせてるんで、前は21時でしたけど、どんどん早くなってて、ありがたいことにご飯を夕食の準備をしたり、もしくは夕食を食べてる時はあんま面白くないかもしれないですけど。
実際僕も夕ご飯とか作りながらポッドキャスト聞いてたりするんで、いいかなと思います。その場合って20、30分ぐらいがちょうどいいかなと思ったりしてますね。
僕は麻婆豆腐とか簡単なものぐらいしか作れないんですけど、麻婆豆腐でも全部材料切ってお米炊いたりしたら1時間ぐらいかかるようなイメージです。
30分でサラライとか配膳というか、リビングで食べるとかってやると1時間ぐらいかかっちゃうかなって思ったりするんで、そうすると1時間でもいいのかなと。
何を目指してるんだって感じですけど、それは半分状態で半分本気で、ゆるゆるとね。一人喋りが多いですが、お楽しみくださいというところです。
今回のテーマとしては、仕事づくりというよりも、僕の感覚、特にこの間最近新しいコミュニティーというか入ったというか、ちょっと遊ばせてもらってるんですけど、
それは何なんだろうなってことをふと思いまして、社会調査、社会学とかの調査、もしくは人類学とか、人文系ですね。
コミュニティーに入っていって自ら調べる、フィールドワーク、現地調査と言った方がいいんでしょうけど、それは客観視して、ああそうなんだねっていうふうな調べる感じじゃなくて、入っていって自らやるっていう。
それで一番最初に思い出すのがバイク便ライダーってことで、荷物を早く届けるバイク便というサービスがあるんですが、ご存知の方もいるかもしれませんが、そのサービスをどういう集団というかコミュニティーでやってるのかということで、
ちょっと名前忘れましたけど、安倍さんだったかな、名前忘れたんですが間違えたらすみません。っていう方の本というか、新書を昔読んだ覚えがあって、面白いなって思いました。
別にそれだけじゃなくて、何かに入り込んで調べていく、ドキュメンタリーじゃないかもしれない、ジャーナリズムじゃないけどね、潜入ということで面白いなと思いますが、
別にそれを研究としてやりたいとかことはないんですが、その感覚はかなりあるんで、そのあたり、その感覚を話していきたいと思います。
ちょっと面白いかわかりませんが、対人もしくはコミュニケーションを深めるというと言い過ぎですが、何かちょっと考えるきっかけになれば幸いです。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
対人関係への興味
四国ラジオ大橋です。今回テーマとしては、僕の対人もしくはコミュニケーション、コミュニティに入っていく感覚、そのあたりの人との付き合い方というと、ちょっとぼやけますが、そのあたりを少し話してみたいと思います。
冒頭話した通りで、何かコミュニティとか新しい出会いでもいいですが、特に人ですかね、またはインタビューと言ってもいいですし、会話、対話の中でそういう感覚があります。
そういう感覚というのは、つまりちょっといろいろ考えたんですけど、要は目の前、もしくはオンラインでも何でもいいんですけど、関わる人が、この人は何なの、いい意味ですよ。
何なのというのは嫌だという意味ではなくて、どういう人だろうという意味で何なんだろうなというのがあるわけです。
そこに、前回はちょっと忘れましたけど、匿名で、相手のことも分からず、名前も本名じゃない、両種というか、話し方とか情報がない中で話をしていって、この人はどういう人なんだろうという興味が純粋にあります。
機会を加えてくるとか、論外とかダメですよ。話し合える状況があるときに興味があります。
そういうふうに、まずちょっといきなり脱線するんですけど、他の人、つまり僕じゃない他人、リスナーのあなたもそうですが、興味持ってるなと思ってたんですよ。
みんながみんな、他人に興味持ってると思ってたんですけど、そうでもないなというのが今のところの仮説です。
要は、ギャンブルというのもちょっと良くないですけど、いろんな興味あるじゃないですか。
人を嫌いだと、あんまりそういう、別に勘違いしていただきたくないのは、別に人が好きだからって言って、常に誰かと話していなきゃいけないとか、そんなことないです。
別に一人で過ごしたいですし、引きこもるというか、外に出ないのも全然好きなんで、そういう感覚です。
まだ伝わってないと思いますけど、そういうところで、まず他の人も別に自分と同じように好きなんじゃないんだなっていうのが発見するわけですね。
何で感じたかわかんないですけど、いろんな人と話していると、気づくじゃないですか。あれなんかテンション違うなみたいな。
例えば勉強とかでもいいじゃないですか。学ぶことも、なんかそんな好きじゃないのかなみたいな。
話すこととかもそうじゃないですか。自分の意見とかどうですかって言われて、なんかあんまりいいっすわっていう人もいらっしゃるじゃないですか。
そういうのもありますよね。だからその、そういうのもありますよね。いわゆる一興ですね。一に興、興じるの興ですね。興味の興で一興。
いわゆるいろいろあるよねっていう。一興ってそういう使い方あってるのかなと思いました。またちょっと調べてください。辞書あるんで。
で、一興でメモしながら喋らせていただきます。
でですね、いろいろあるよね。だから興味いろいろあるから人でも不興味の方向性とかあるよねってことで、それを別に押し付けてはないはずです。
だから僕はいってないはずです。人に興味持てなんてね。
でも僕は持ってた方が面白いなと思うんで、持てとは言わないけど、うーんって感じになりますよね。
で、僕がイメージする社会とかは結局人がいるので、分かりますよ。
いや人って言ってもって話で、いい人とか悪い人っていうのも変ですけど、いい人悪い人いろんな人がいる中で悪い人に興味持てっていうのも変なんで、別にそういうことじゃないですよ。
万人に開かれて、万人を愛せみたいなのはちょっとしんどいと思います。
そこまではないです。ただ、多くの人はあってことだと思いますけど、そんな人が好きだって言わなくても、身近な人とかですね、家族、パートナーね、
パートナーじゃなくて一人の方もいらっしゃると思うんで、別にいいんだけど、自分でもいいですよね。
コミュニケーションのリズム
それを大事にしたくないですか。大事にしていきたいと。
それを願っていい感じに、世界平和じゃないけど、なってたらいいんですけど、なってないんですよね。しょうがない。
だけど、そこで諦めてしまって、こういうもんだよねっていう風にしていくのもシャクってやつですね。
管理さわるというか、認めてしまっているみたいで嫌じゃないですか。そういう葛藤をしながら生きています。
これが生きやすいか生きにくいかっていうと正直わかんないです。生きにくい方なのかなと思ったり、正直別に僕が生きにくいっていう感じではないんですけど、
あとはもう感度の問題もあります。気にするか気にしないかっていうのもあったりします。
そういう状況でそういうような考えがあるんですね。
そういう時にコミュニティとか新しい人という時に出たり、もしくは相手のこと情報がわからない時に話していくのが割と好きです。
割とって言ってるんだけど、これ多分だいぶ好きなんじゃないかなっていうことですよね。
初対面とか知らない人に話しかけていったりして、その人どういう人なんだろうっていう風にやります。
これ人によると思うんですけど、そんな人そんなにいなくないですか。
自分も言っておいてなんですけど、僕自身別に誰かと同じでありたいと願ってないですし、とはいえ変わってるって言われて別に全然嬉しいんですけど、
あまりいない人ですよねっていうのは嬉しいんですけど、変靴で何か認めないとか、良くない代わりっていうのもちょっとよろしくないというかね。
これ難しいですけどね。まあまあ。っていうのはありますよね。
僕が観測する範囲ではそんなにって感じはします。
そういう人はいますよ。この人いい人だなっていうか、どんどんコミュニケーション取る人だなっていうのは見たらそういう人はいるけど、そういう人が少ないかなと思いますよね。
対局もありますよね。取らずにあんまりなるべく話さないとか、なるべくやらない。
それって取りたくないんじゃなくて、言葉が出てこないとか、感情を伝えることがあんまりなかったんで。
言い方が難しいとか、ぶっきらぼうになるっていうんですか。
説明が常に不足したり、ぼつぼつ言うからちょっとわかんないとか、無口とか口数少ないで怒っているって思われることがあるじゃないですか。
まあしょうがないですけどね。その情報がないからっていう。
慣れたと思いますよ。めちゃくちゃあると思います。だから喋ってないなっていう人ってわかるじゃないですか。
そういう中であるんで、コミュニティとか新しい人とかに触れたときに、一番真っ先に気にするっていうか、多分言語化していくんですけど、
この人ってどういう人なんだろうねっていうのが気になるわけですよね。
で、この人っていうその人っていうのは何かっていうと、これが結局その人を理解する上で何が重要なのかっていう。
別にこれ決まってるわけじゃないですよ。僕はその人の考え方とか価値観をやっぱり見たいわけです。
見たいっていうのは別に盗み見るとかじゃないですよ。それはちょっとなんか良くない変態だと思いますけど。
そうじゃなくて、まあオブラートに包むかどうかを置いておいて、どういう考えなんですかっていうのを聞いていきたいと。前提としてね。
で、別にそれを万人でやるわけじゃないですよ。僕が興味を持ったりするとかね、いうことですね。
これは逆の面もあって、なんかこの人受け入りがたいなっていう人に対しても同じように考えています。
だから、別に好みの人だから分析しますとか考え深めますっていうことでもなく、違うんですよ。
微妙だなっていう時もやってますから、それは誰でもやるわけです。僕はね。
そういう方が多いんじゃないかなと思ってますけど、これは考え方なんで実際はわかんないです。
で、そういう時に考え方、価値観ってなっていくと、すぐ分かんないじゃないですか。
分かります?それって。挨拶してちょっと5分くらいで相手の価値観分かった。ないじゃないですか。
だから時間かかるんですよ。時間かかるというか、少なくとも話をしなきゃいけないし、
チャットでもいいですけど、オンラインでもいいけど、とりあえずコミュニケーションをしなきゃいけなくないですか。
これは当たり前なんですけど、一応確認しておくと、自己開示と言われているように、
自分は何者かを言わないと相手も開示しなくないですか。たまにいらっしゃいませんか。
すごい質問するんだけど、その人の開示がないという状況。
それはセミナーとか、その状況で講師に聞きたいという時に端的に質問しなきゃいけないとかありますが、
基本的には、今言っているのは対人で一対一とか、その人と話せる状況があるというような話です。
状況はそういうふうにしておいてください。じゃないとちょっとおかしくなるんで。
セミナーとかでいきなり質問する聴衆の一人である僕が、私はこういうものでガクガクしかじがっていったら、
何か始まったよってなりますからね。そういう場だったらいいんですけど、そういう場じゃないっていう。
雰囲気じゃなくて、そういうの求められていなかったら、やる必要もないし、やらなくていいですよね。
話戻して、そういう時に聞いてもすぐわからないわけですね。コミュニケーションにとっても。
だから少しずつ共通点がどうとか、共通してそうで実は違いますよねとかもそうだし、
なんかね、僕がすごい最近思うのはリズムなんですよね。
このリズムは結構説明が難しいんですけど、でもあると思ってまして、会話で言うと、コミュニケーションで言うと波長っていうので、
リサのね、あなたもぜひ、どうかわからないですけど、僕が話します、こうです、バババババってちょっと間があったり、
ちょっと間が長かったり、みたいなところがあって、この話す相手、もしくは話す相手待ってうなずいてまた話す。
その中、会話のリズムがあるわけです。もっと言えば会話って音でいいんですけど、発した音程とか、
高低とか、上げたり下げたり、早くしたり遅くしたり、問いかけたり、相手を待ったり、さまざまなリズムがあると思うんですよ。
僕だけでもね。で、相手があればその相手も反応して、ジャズじゃないんですけど、でもジャズのイメージです。
その時々で変わるというか。だから、知ってる人でも話してて、なんかちょっとリズム悪いなときに調子悪いですかって聞きますからね。
調子悪かったら別に調子悪いでいいんですけど、別に不調の理由を探る、不調を直しますってことじゃなくて、
どうしたんですか?話を聞きますよぐらいはあるっていう意味ですけどね。その関係性がある程度あるっていう時にはね。
コミュニケーションのリズム
で、こっちが話しかけるときに相手も話しかける、ぶつかり合うとか、分かります?バーンって、お互い話しようとするとか、
お互い黙り合って、今黙ってるとき、相手が喋らないの待つとかね。それが合わないってありませんか?正直あるんですよね。
あると思ってます。どうですか?ない?ある?あるある?仮想のセミナーかよって思うんですけど。
でも、あるんじゃないかなって思ってるんですよね。で、それが波長が全てで話しやすいから、はいその人が良いとか悪いとかではないんですけど、
でも結局そのリズムは誰にでもあるから、リズムが合わなかったら合わないわけですよ。
で、ただそれは許容する範囲があると思ってまして、ゆっくり話したいのにハイテンションで来るなとかね。
ハイテンションで行きたいのにゆっくりだなって。なんか乗れないなって。だからよくノリが悪いとかないですか?付き合いが悪いみたいなね。
そのノリってそのリズムのノリかなと思うんですよね。そういう今いいからノリ。でも冷静に見ることも大事ですから。
ノリが良ければいいとかね。リズムさえ合ってればいいとかそういうことでもないですよ。ただリズムがあるよね。
そのリズムを見ていくためにリズムがどこまで得られるかということを吟味するっていうのが、やっぱり初めて会ったりとかコミュニケーションするってところなんじゃないかなと思います。
そうやって言うとリズムで言ってること関係なくて、例えば言っていようとしているとかね。それだけかと思うんですけど言ってることも大事ですからね。
ひねり出してそれかよっていうのもあれば、ひねり出さなくてもそんな出せるんだっていう人もいますし、いろんな方いらっしゃって面白いなっていうところがあったりします。
その人の価値観とか考えてどうやって出していくかって言ったらシンプルに質問もしますし、相手がもちろん開示してくるならこちらも開示するし、こちらが開示して相手に開示するかっていうのもあるんです。
それを探り合いと言うとちょっと変なゲームになるんですけど、そこまで行かなくても状況と、機嫌とかもありますね、気分とか。
この人だったらいいよなっていう心、いわゆる心許せるかってことになりますが、っていうところがないと全然面白くないじゃないですかっていうのが僕の考え方です。
面白さをそこに感じますね。
だからその価値観がなんかすごい歪んでて、ちょっとよくわかんないなかったら、そうなんですねって言って、仲良くというかなかなかわかんなかったらそういうものかなというところは一定の線を引いて、考えはわかんないけど頑張れっていうのはあったりしますよね。
意見とかもね。別にみんながみんな友達とか知ってる人に意見が合ってるわけじゃないですからね。意見とか絶対それがガッチリ合うわけじゃない。
ただ大事にしているものはある程度合わせたいのでっていうのがありますよね。
話を戻していくとそういうコミュニティとかっていうのに、サイン用観察というのかな、専門的にはわかんないですけど、参加していって見ていくというのがあったりします。
最近感じていることで言えば、
そういうふうに参加しているときに、僕が主観というか楽しいですねとかこういうのいいですよねっていうのはもちろんあるんですけど、
そうじゃなくて、メタ認知ってやつで、このコミュニティっていうのはどういう方向に進んでいくのかとか、何を目指しているんだろうとかいうのが思ったりしますよね。
いわゆる客観視。同時に、このメンバー、要はやり取りしていて、この人って多分対等にメンバーを見てないかなとかね。
要は上から目線とかね。逆もありますよね。下からなんか来るというか。
学ばせていただきますみたいな。それも別にいいっていう人もいるかもしれないですけど、やりすぎると、
丁寧すぎて嫌だっていうのがありますよね。何なんだろうっていうね。それも嫌らしいというか、やりすぎるとね。どちらもそうですよね。
適切なのが必要だなと思いますし、結局コミュニティって人の集団ですけど、企業にもいろんなものがある、組織にもいろんなものがあるように、結局同じ組織はないんですよね、きっと。
だけど、それこそ会社とかもそうですし、その組織にいたら他の会社もそういうもんだなって思っちゃったりするんですよね。
でも結構そうじゃない。人結構違うよね。その人たちが集まってくるだけで違うよね。なんかそういうのは感じます。
だから、参加している自分とそのコミュニティ自体の運営というか、視点と客観的に見てどうかなみたいなのを結構感じたりします。
だから、主観で良い悪いっていうのは正直あんまりなくて、自分は悪いと思うかもしれないけど他の人は良いって言うんだろうなとかね。
自分は良いって言うけど他の人は悪いって言うんだろうなとかね。良い悪いだけじゃないですよ。そこまでもないかなとかね。関心があるないとか、さまざまなものがあるような気がします。
なので、僕の中で積極的とか前向きとかの定義もだいぶ違ってきたりするんでしょうね。
要は、そこまで全然言ってないんですけど、例えば全然違う人から見て僕はその人に対して積極的にコミュニケーションを取りますよねってもしかしたら見えるかもしれないんですけど、
取りたいというよりもその人を知りたいだけなんで、別に積極的にその人を知りたいからどうってことはないというか。
積極的に知りたいとその人を知りたいは僕の中ではだいぶ違ってる。だけど見た目では話しかけてるからその人は興味あるんだな、その人に興味あるんだなって見られるわけです。
でもこれは当たり前ですけど、物事って何でもそうですけど、見た目じゃないですからね。見た目ではそう見えるけど実際は中は違ってたりする。
別に喧嘩したいから話しかけるとかね、因縁つけるとかじゃないですけど、それはないんですけど、
なんでだろうねっていう、相手の考え方がわかんないから聞いてるときもあるじゃないですか。相手の考え方をさらに知りたいから聞くときもあるじゃないですか。
その行為を持っててね。いろいろあるんですけど、確かにそこら辺りの対人の感覚が経験値じゃないですか。
対人は本当に経験値あると思います。だからないとないっていうね。だからそこがあるないで全然景色が違うんだなっていうのは思ってます。
全然思ってます。わかりますよ。だから話せとか言語化しろとかね、そういうことまでは思わないんですけど、
違うんだなっていうのは最近よく思います。もうわかっちゃう。そこが。だからどうできるかってわけじゃないです。そこが難しいんですよね。
わかってます。じゃあどうしたらいい?できない。時間かかる。相手の価値観とかコミュニティもそうですけど、慣れるための時間もかかるし、
そのまでの蓄積が大事ですよね。があるし、いきなり相手の価値観を理解しようって言って、できます?難しくないですか。
そもそも興味なかったらやる意味ないですよね。嫌じゃないですか。例えば僕も興味ないんですけど、価値観を理解するために練習させてくださいとかって気持ち悪いじゃないですか。
ダメですよ。練習とかね。それは良くない。失礼になりますが、人はいろいろ失敗しますからそういうこともあるかもしれませんね。
なんでそういうふうな感じで対人をやろうとしています。だからこの四国のラジオをたまにインタビューを招いて話してますけど、その人がどう考えているかを知りたいのであって、その人の肩書きとか仕事とか、何やってきたか大事だと思うんですけど、
何やってきたか全部捨てて、今どう思っているの?っていうのが一番ですよね。そこに最高の感度をあげて、チューニングしてそこに合わせています。
人との出会いの楽しさ
今です。そこにつなげていくと、最近何か意識しているというか、思うのは人の言葉ですね。人間の言葉を知りたいです。AIみたいな感じで言ってますけど、僕はAIじゃないって言ってるけど、AIになってたかもしれない。
わかんないですけど、冗談として。人の言葉です。要はAIの言葉じゃないということです。というのは、AIが書く文章ってちょっと気持ち悪いじゃないですか。気持ち悪いというか、なんかハマってないとか、リズムがなかったり、そういうのじゃないですか。
人が書いた文章か、絵が書いた文章かを見極められなくて、もう全部一緒だよってなったらいいんですけど、やっぱりリズムだとか、実際に誰かが書いたものを絵が加工してって言ったら、その人が書いたでいいんじゃないかなと思うんですけど、その人の癖とか言い方とか出てくるならもういいんじゃないかと思うんですけど、
どういうふうに書いたかを置いておいて、絵が書いた文章ってざっくりね、いいやって思うんですよね。いいやっていうのは、それを読むなら、人が書いた方を読みたいなっていうのは最近思います。自分も自分が書いた文章でいいなと思います。
それは癖があったり、独特のトーンがあるんでしょうけど、それでいいじゃんみたいな、分かります?ニュースとかアナウンサーとかの人で自分の主張を述べられると、ごめんなさい、その人の意見を聞いてるんじゃなくて、ニュースを出すっていう仕事とかその状況での話ですよ。
だからアナウンスとか喋り方みたいなのがあるのは十々承知で、それはそうしてほしいですよね。だけど、それはそれでいいとして、そうじゃない、ポドキャストもそうですけど、その人の癖とか喋り方とかがあるからリズムがあって、
これは僕、お箸っていう人間がやってるんですけど、仕事クリエイターっていう、ラジオって言ってるんですけど、それはそれでその色があるんじゃないっていう話です。いい悪いがあって、好み好みじゃないのもあるけど、万人のためのものではないし、100人に1人くらい。
なので、逆に言うと、日本だったら100万人も聞いてくれるんですかね。すごいですね。100万人は聞いてないですね。
だけど、そういうふうに、誰かに届いたらいいよねっていうことを、夢理想みたいな意味じゃなくて、届けっていうふうに念じながら、どうですかっていうふうにやりながらやってる状況があります。
だからこれは、要は人の言葉っていう、さっき言いましたけど、人の言葉を読みたい、知りたいってことですけど、要は僕の言葉はリスナーにとっては人の言葉なんだと思います。これが嫌がらしゃべってどう言い始めたらつまんないじゃないですか。
たぶんね。あちこちに飛びますが、一応戻してきてるんで、大丈夫かなと思ってます。散らかったまま終わったらちょっとダメだと思うんで、以上テーマに沿ってるはず。だからその対外人とかコミュニケーション、もしくはコミュニティでの振る舞い方みたいな話でもあります。
今言ったAIですけど、人の言葉が面白い。だから最近ですね、文芸とは違うんですけど、人のエッセイとか、他人が書いたやつとか、なんかめちゃくちゃ面白いんじゃないかなっていう。
あと小説でもいいと思うんですよ。表現でもね。文章とかいいなと思います。読みやすい読みづらいがあるわけですよ。人によってね。それはその人の気分とかね、求めてる求めてないのもあるんですけど、入ってくる文章で入ってくるんだなっていう時にやっぱりリズムがあるのかなと。
リズムがあればっていうところでいくと、書いてあることの細かい部分ってどこまで気にするんだろうかなっていうのはありますね。要は情報として見てる人って情報としか見てないから、情報的なものを求めるのかなっていうのは端的とか過剰書とか、論理的に整理されたものを好む。情報としてはですよ。
情報としての文章って、ニュース記事とかそうなんですけどね。記者の書を書いてますけど、一緒になるじゃないですか。ほとんど。じゃなくて、それだったら全部一緒だから、記者さんの視点とかこういうのがいいっていうのはあったほうがいいと。
ただ、それもやりすぎると本来伝えたいことが情報が消えるからってことですよね。エッセイで情報じゃなくないですか。その人の感じたものを書くってことだから、それいいなって思ってます。
僕自身はやっぱりNイコール1ってことで、その人が、要は目の前の人が何を感じたかが価値があると思ってるんですよね。わかります?例えばバイキングみたいなのがあって、食べ放題だからいっぱい食べれると思うじゃないですか。
でもそういう時に、いやいやいや違うんですよ。お菓子さんと。食べ放題だからこそ、どれかを選ばなきゃいけないからこそ食べれないっていう人がいそうじゃないですか。わかんないですよ。本当にいるか。でもそれが面白いと思いますね。そういう風に感じる人がいるんだってことが面白いと。僕は思うんですけど。
だって自分にはないからね。あ、そんなこと考えたことなかった。っていうことで、未知というか発見じゃないですか。ということが毎日のようにあるわけですよ。少なくとも僕はそれが毎日あるので、楽しくないですか?いきなり提案すんなよって思うかもしれないですけど、でも僕は楽しいなと思ってます。っていうことが人との出会いとかコミュニティは起こりやすいです。
コミュニケーションの楽しみ
これは良くも悪くもです。リスクはあります。なんか変な人がいるリスクもあります。それはそれも承知です。承知の上で面白い人とか面白い人もいるよねっていうのが、僕は振ってますね。まずは。それで得られるものも多いからそこは閉ざさない。
だから一時期ね、四国ラジオでも言ったかわかりませんけど、コミュニケーションチャンネルとか発信することはやめない方がいいですよってことで、もちろん疲れたりね、なんかもう嫌だっていうとか、あと病気になっちゃったりとか、無理してたりとかすると終わるわけですけど、休めばいい。休めばいいと思いますよね。そうじゃなかったらってことですね。体調の問題ですけどそれは。調子がいいっていうことですけど、それをいかにキープというか。
飽きずに楽しんでやるってことをやると結局飽きずに続けていて結構楽しくて続いていて、結局は自分に対してプラスになっていくんじゃないかなっていうふうな思いで話してたり、対人とかコミュニティとかを楽しんでいる感じがします。
最近やってるか知れませんけど、たぶん深夜番組でしたか、わかりませんが、テレビ番組珍しい。テレビの話珍しいですけど、今やってるか知らない、家について行っていいですかって。家について行っていいですかでしたっけ?っていう番組があったはずで、
確か、間違ってなければ東京とか、いわゆる関東都内の駅にいて、終電を逃した人に声をかけてタクシー代を払うと、家まで。
なんで、それを取材費として、取材費じゃないですけどね、別にいいのか、相手はタクシー代払ってもらえればいいのか、家について行って、別に一緒に寝るわけでもなく、話を聞くってことですね。人生を聞く。
それは面白いなと思いました。結局、一人一人に物語があるわけです。僕もそうだと思いますよ。いろいろキャリアだとか、飾ることがあったとしても、結局それが人に話すこと、特に取材してくるテレビ制作の成り割としている人たちだと思いますけど、番組のディレクター、
担当というか、記者ではないけど、制作側が話をして、聞いてくれるというか、話す。そういう人で、使える、使えないということで、取材した人は全部使っているわけではないと思いますが、そういうところで、コンテンツとして、この人は面白いなというのがあれば、それを面白いように切り出しているのもあるんでしょうね。
みんながみんなをゲラゲラ笑うとか、ものすごい波乱万丈ってこともないと思いますし、浮き沈みのないという人もいらっしゃると思うし、浮き沈みがなきゃダメだと思ってないですからね、僕は。
だからテレビ受けするみたいなところがあって、そういう一般の人をどう面白く取り上げるかっていうふうにはなっちゃうんでしょうね、テレビでは。ただそれは置いといても、そういう人の話を聞いて、この人どういう人なんだろうねっていう人がやらないと、少なくとも、僕がそういうのが来たときに、こいつなんだよってことで断りますからね。
なんか嫌だなってなりません?だからそういう人が多いと思うんですよ。そこを乗り越えるぐらいの数をこなさないと、そういう、まあいいかしょうがない話してやるかっていう、ならないです。あと話さない人もダメじゃないですか、全然ね。
でも嫌いじゃないなっていう、そういうのはテレビとしてやることがどうかとかはいろいろあると思いますけど、そういう行為自体、行為というか、そうやって話を聞いていくこと、もしくは話を聞いて、そうだったんですねっていうのは嫌いじゃない、むしろ好きかもしれないですね。
だけど、それってどこで開示されるんですかって話で、ここでいわゆるお酒、飲みの場みたいなのがあって、実はこうなんだよねって。アルコールが入ってるからとかもあるんでしょうけど、別になくてもできますからね。
だからその自己開示とか、自分を語ったり話したりするっていうことに対しての慣れ、意見を言うとか、あとは、意見を言うというのはちょっと違うんですけど、考え方を出すとか価値を出すっていうのはリスクがある。職場とかってリスクになりそうな気がしますけど。
結局人とかコミュニティとか組織を選ぶというか、状況によるんですよね。だから難しいというか、全部は別に出せって言ってるわけじゃないですからね。そういう中で、この人はこういう考え方をしてるんだなとかっていうのを知れると、僕はとても楽しいです。
テレビ番組と人の物語
現場からは以上ですみたいな感じですけど、そうやって人とのやり取りを楽しんでる感じがします。だから、何て言うんだろう。
権威とか、あと俺はすごいんだぞとかいう人が一番嫌いかもしれないですね。そういう人ばかりじゃないですよね。でも実際に謙虚なんだと思いますよ。優れた人はね。謙虚にならざるを得ないです。と僕は思ってます。
僕も思ってます。そうやって書いてしまいましたけど、絶対そうだなと思います。じゃないと、パワーで俺はすごいぞっていうやつって結局怖いわけですよね。抵抗されたり何かに反抗されたりするっていう。それを受け入れられないから押し付けるっていうね。
北風と太陽って言ったら北風ですか。でも、それが怖いから太陽みたいな人もいると思うんで、そうするとちょっとよくわかんないですよね。北風なんだけど太陽のフリしてるとかちょっと怖くないですか。わかんないですけど。
そんな感じですね。僕自身の対人コミュニケーションもしくはコミュニティとか、もしくは人に欲してることっていうのは考えとかもそうですし価値観とかもそうですね。だからそれが見えない人と付き合うかっていうとあんまりそれないと思いますよ。
結局僕が何度も言ってこの人面白いなって思うのは、価値観が合うとかはある程度はもちろん合うんですけど、やってることも違ってたり、生き方も全然違う時にそれを許容できるかっていう方が強いような気がします。許容というとこちらが上からのように思うかもしれないですけど、
嫌じゃないですか。犯罪しろよみたいな犯罪集団。許容できないですね。ちょっとないですねって言って離れるというかやめません。そういうことだと思います。難しい。難しくはない。犯罪なんて難しくないですけど。
だからそこでどうしていくかっていう犯罪を置いておいて、ある程度の考えとか価値観というのを許容というか受け入れつつもどうしてもできないものはやらないし、一緒にやれることはやれるしとなっていくんじゃないかなと思います。
これはちょっとずれるんですけど、親友とか仲良くなれる人は物理的に話しかけられる人って限界があったりするから、数は限られる。何でしたっけ、チャンバー数でしたっけ、集団における人数とか10とか50とか100とか300とかわかりませんけどあると。
確かにその仲良くなれる人の数って確かに限られるような気がしますよね。ずっと付き合ってっていうところってずっとの人もいれば、何年来連絡してないけどすごく密な付き合いしてた人とかいるし、それはいつでもあるかなと思います。
ただ、僕はテクニックでは全然なくて、テクニックじゃないですよ。僕がですね、リサーナーのあなたもあると思うんですが、別にすごいこともなく、昔の人と話して今も変わらないねみたいなふうにして話ができる人って、
つまり何年経っても何十年経っても話ができる人っていうのは親友とかっていう人の類だと思うんですが、価値が合うっていう人っていうところですね。価値が合うのとちょっと違うか。
分かり合える人っていうのはいいんですかね。なんか全然そこは自分やらないけど面白いよねっていう。それが許容ってことですね。っていうことがある程度開示してOKだっていう人だと思うんですよね。
じゃないと続かないですよね。嫌だなって思ったら続かない。なんか嫌だなも小さなことでもいいんですよね、きっとね。大きなことでもいいし、罵倒されたとか侮辱されたとかってことはないですけど、
何かなんていう時にわざわざ自分が気分を下げるような人と会わなくていいですからね。もしくは積極的にコミュニケーション取らなくていい。だったらより好ましいというか、自分に元気を与えてくれる、もしくは自分が元気を与えられるとかね。
お互いにっていう人ってなってって結局高まるみたいな風になっていくんだと思います。だから切磋琢磨ってことは僕はかなり好きですね。でもいきなり初対面で切磋琢磨しましょうとか言われてもちょっと怖いんで、そんなこと言わないですよ。
だから相手との関係性とか関係値において適切なコミュニケーションをしていくってことなんですよ。それを言うといやいやいやそれはできる人ならイーヴンかとか思われるかもしれませんが、結局それってできるできないというよりもそうやってやるかですよね。
失敗して学んでいくしかないから、これもある種の芸ではあるんじゃないですかね。僕はそういう意味では好きなんで、やると話していくって感じですよね。そういう感じです。
なのでそれをうまく活かせるといいコミュニティができますし、いいコミュニティ生成に寄与する、貢献できることができますよね。でも失敗するとなんかうるさいなとか、なんか賑やかな人いるなとか、そんなこと言われたことないですけど、思ってる人がいるかもしれませんね。そういう意見があってもいいですよ。
相手への興味と価値観
まあそんな感じですかね。だから最終的に人が好きだよねっていうことにはなるかなと思います。好きでもねっていうのが恥ずかしいというか言いたくない人は嫌いじゃないかなっていうぐらいで、でもそれぐらいがいいかなと思いますね。好きっていうのはちょっとね、全人類を愛するみたいになる。宗教チックというか宗教っぽいですし、怖い。僕は怖い。
で、嫌いっていうとまたちょっとね、まの弱すぎてちょっとどうかなっていう。嫌いじゃないとか、嫌いと好きの間ぐらいとか、ちょっと好きよりちょっと面倒くさいこじらせるぐらいでもいいかなって思ってます。
でもそうじゃないと人がどうだったかとか、自分が人に対する印象がどうとかももちろんあると思いますけど、人に対して興味を持たないじゃないですか。人って面白いなって思えなかったら、人に対して話せないですからね。なんか興味なかったらね。
いろんな人がいて、いろんな人というのはいい意味ですよ。楽しいなっていうのが僕の第一感、人に対する第一感です。だけどそのコミュニティとかいろんな人のところでは対等じゃないとか、なんかその人が出てくるじゃないですか。こういう人はいるいるとか、こういうパターンあるんだとか、それが楽しくてしょうがないっていう感じですよね。
だからって言って、医療士交流会とか行って、なんかっていうのはないですね。ちょっとあれはね、別物というかなんか特殊な怖さがあったというか、何なんだろうなっていう。そんな感じでした。
そんな結論はないですけど、僕はそうやって人に対して話をしますし、もしくは話を聞きますし、だからコーチングというのが違和感あるでしょうね。この間話しましたけど、コーチングってなんか立場固定されてないっていう感じです。
コーチングやってる人は違うっていうかもしれないけど、あとなりわいとしてやると立場がありますから、なるほどなるほどみたいな。コーチとしてはっていうのもあるし。でもコーチとしてって言ってるけど、人としてどうなのって言われたらちょっと終わりじゃないですか。社長としてはすごいけど人としてはダメとか嫌じゃないですか。
成人君子で社長があるわけでもないですが、期待するんじゃないですか。教育者とか弁護士とか修行の人がいい人だと。そんなことないですよね。悪い弁護士いっぱいいますよね。悪い税理師、悪い会計師、悪い医者もそうじゃないですけど悪い先生はいくらでもいるじゃないですか。
いとまがない。いとまがない。いとまがないあってますか。列挙をし尽くせないっていう意味の方ですけど、だからそういうところでその人を見ていくっていうのがより求められるかもしれないですね。
AI時代ってことで一度お話しましたけど自分の箇条書きしたアイディアをAIに書かせてそれっぽくしてたら飽きてきて自分に書かせろと思ったと。だから自分も書いてて自分で思考してて書いてる人でかつそれをいくつかAIにやらせて効率化するっていうのがあれだと思います。
だけどそういう人ってなりいわいとしてやってるとか思考量がかなり多い人に限られるからあんまりそれで効率化をそこまで書いたり考えてない人がやると僕は危険だなと思います。単に思考量が低下するというか。
思考量を一定以上付加かけてこれはわかんないです。一定以上はね。少なくとも自分が一定以上アウトプットしてるなっていう本当にアウトプット量でいいと思いますけどね。この場合は量をしててその上で何か出すから効率化するっていうのはもうありだなと思ってます。
だけどそれを量をやってない人が効率化だって言ってやるとその人がある程度経験を積んだり書いてる人だったらいいんですけどそうじゃない人がやるといわゆるAIによる経験がつかめない。
初期の型を作る学習における型を作るところが詰めないみたいなところが起こり得るし熟練で考えてる人もAIを使うことで思考をしなくなる。思考するというのは結局脳が動くわけですね。
脳の皮質とか脳のシナプスとかニューロンとかわかりませんけどそこが仕切り合うっていうようなことをしなくなるんですよ。
ポッドキャストおすすめですってこそって言っておいて、今回は着地はあまりよろしくないですけど締めたいと思います。
不安とコミュニケーションの相互作用
今回言えることはしごくりに戻すならば無理やりですけど、相手とか人が何を考えているかみたいなことを問いかけてみると面白いかもしれないです。
例えば不安っていうのは一つあるんですよね。大きなもので。要はアドバイスを求めてくる人ってアドバイスが欲しいんじゃないと。
こうしたい、どうしたらいいですか、アドバイスくださいって言うけどそれは不安なんですよね。不安だからアドバイスくださいって言ってもアドバイスが不安を解消するわけじゃなくて、
変な話、ご飯食べて寝たら不安消えませんかとか、あとその不安って消えない類の不安じゃないですか。
すごい考えても、これってやってみないとわからないのに、この授業がうまくいくか不安なんですって言われても、やってみるしかないんじゃないですかってなりますよね。
か、寝るか、ご飯食べる、本当にそうですよって僕は思いますけどね。
それはまともじゃない人が受けると、こうすればいいですよって言って、よくわかんないものを売りつけるとかはありそうですね。
その不安っていうものを相手が抱えていて、その不安の量によって行動が変わるのもありそうですよね。
相手が常に言語が正しく自分の思考を適切に表現しているわけでもないってことですよね。
つまり、よくジェンダーではないですけど、男性女性ということで、男性は解決しようとして、女性は相談に乗ってほしいみたいなのがあると。
相談に乗るっていうのは別に解決してほしいじゃなくて、聞いてほしかっただけなんですよねっていう時に、
男性はカタカタスカシを食らって、女性は何かアドバイスされてるっていうのがあると。
なんかよくある話なんですけど、別に男性女性だけじゃなくて、状況によっては男性から女性に対してもそういうこともあり得るし、
別に同性同士とかでもありますし、性別だけじゃないなっていうのは僕は感じています。
はい、それぐらいにしましょう。
というわけで、ちょっと長くなりましたけど、今回は対人とか、僕ですね、僕の対人もしくはコミュニケーション、コミュニティに関わり方みたいなことをバババッと話してみました。
ここでお聞きいただきましてありがとうございました。
四国レラジオ大橋でした。以上失礼いたします。
51:22

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