アイデアの出し方
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
今回のテーマはですね、アイデアの話をしましょう。アイデアのですね、具体的な例ではなく、その出し方です。
でですね、僕はごく当たり前であり、それは前提であり、基本中の基本だと、ちょっと手前味噌というかですね、上から目線になってしまったら申し訳ないんですが、と思っています。
だがしかしって話で、そのアイデアを出すとか発想するとか、工夫をするとか、それについてあまり知らない方っていうのが多いわけじゃないですか。
リスナーのあなたもそうかもしれません。それをバカにするとかね、知らないでしょうっていうような、そんなレベルの低い話ではなく、それを一旦おさらいして、上でさらに違うやり方あるのかっていうところをちょっと考えてみたいと思います。
デモはシンプルで、アイデアを出します。アイデアっていうのは皆さんですね、いろんな工夫とかビジネス上の何かとか、発明的な何かとかいろいろあるんですが、割とそれをぶらさずに映えるアイデア、工夫、解決策みたいなふうにしていったときに、
発散と収束、発散と収束って別に難しいわけ、概念じゃなく、説明していくんですけど、まずこんなのがいいなっていう、ドラえもんじゃないんですけど、あったらいいなみたいな、飛べたらいいなみたいな、竹コプターできるみたいな、そんなのでいいと。
だからそれは妄想も含むんですよね、アイデアって。思いつきも含みます。思いつきとアイデアっていうのは違うと僕は言ってるんですが、ここでアイデアというと、完成された素晴らしい誰でもが称賛すべきするすごいものを出してくると。
結果的にそうなってほしいし、あったほうがいいんだけど、そんなにならないわけです。発散と言っている最初のフェーズとか段階は、まず何でもいいので出すってことなんですよね。っていう意味では質とかは関係ないですね。
これは一旦そうしてください。出した上で、もう考え尽くした、出し尽くした上で収束。収束というのは収める、たまねるですが、やりたいこととかテーマとか実現性とかを考えていくと。この2つを意識したほうがいいと思っています。
そんな意識を日常にしなくてもいいんですけど、基本的に日常にアイデアがあるというのは発散のことなんです。ガチャガチャ回してて、ガチャガチャの動きがいいなみたいな。それでやってみようみたいなのがアイデアじゃないですか。
自分が困った経験があったらこんなことにならないかなっていうのもアイデアですね。不満から絶対逆さなくても良くて、自分がやりたいことから探してもいいわけですし、自分の仕事とか経験とか体験とかスキルとかが付与される平数で入ると全然違うものになるじゃないですか。
って思ってます。なので日常は発散なんですよね。
あとで話すことになるんですけど、テーマを持って、例えば本のネタを探したいということで、ネタを探すアンテナを立てるのはいいんですけど、そこで収束って言ってるのは、このアイデアが使えるかどうかを検討しないっていうのは逐次ですよね。
ガチャガチャっていうのを回してて思いついたらそれはできるかなって考えるのはいいんですけど、できそうかなみたいなところをそこの場で考えて、やれるような実現性の高いものに持っていくっていうのはお勧めしないです。
それができそうだっていうぐらい考え尽くしててできるってなったらいいんですよね。いわゆる発明レベルのものとかそうなんですけど、発見とかで重大な発見みたいな。
だけど実際はそんな風にはいかなくて、どういうことかというと、収束っていうのは実現性っていうのを考えることで何か弊害があるんじゃないかなって思ってるんですね。
弊害というのは要はテーマを持ってやるっていうことを否定してないです。ここがやや難しいので、初めてやる人はあんまりやらないほうがいいと思ってるのがいいんですね。
絶対これは良くないぞというのが一つだけありまして、何かっていうと今言ったようにガチャガチャで回す、何か使えそうだなっていう時に収束ですよね。
これ使えそうかな、実際の今のやりたいものにやっていくと違うなと。要は検討はしてもいいんだけど、その場でね。検討はしても全然いいんです。
そこまではいい。しかしそこでこれを実現していって、それこそめちゃくちゃありそうなのが会社で言われててやらなきゃいけないっていうことには該当しないなみたいな。
否定することですかね。外すというか、ノーというか、罰つけるみたいな感じ。わかります?もう一回言うと、もしリスナーのあなたがガチャガチャを回しました。
ガチャ回して、面白いな、このアクション何か使えそうだな。取っておくか、後で考えるか、収束というか後で考えるネタとして取っておくというのと、それを検討するのをまず分けてくださいという話なんですね。
で、最悪というかやって良くないのは、それをガチャガチャ回してます、回す、これって自社の何かで使えるかな、まではいいんです。だけど使えないなっていう、そこでもう否定しちゃうという感じです。
なんでかというと、これは例えが良くないんですけど、宿題をやりました、家に置いてきましたとかで出せません。でもやったんですよみたいな。それぐらいちょっとこっけえというか、ミスとしてはありそうだけどやってしまう人ももちろんね。
何かいろいろあって、やってしまう人いると思うんですけど、それ自体をどうとかじゃなくて、それぐらい軽いんだけど致命傷みたいなやつですね。
で、テストがあります。テストに答えを書くじゃないですか。でも違うから消すと。で、空欄の回答用紙ができてしまう。これは違うから書かなかったみたいな。
ってなると、考えた仮定とか証明とか記録が全部なくなるんですよね。ってことは、この人は考えてないんだよ、この生徒は考えてないんだよ、あなたは考えなかったんですかね。考えたんですけど違ったんでやめました。
で、要は自分で出口というか、アイディアらしきもの、もしくはアイディア未満。アイディアというのは何かわかんないからアイディアって言っておくんですけど、出したガチャガチャみたいなやつの体験自体、もしくはその全てにおいて×をつけていることになるんですよ。
これがめちゃくちゃ大事だと思うんですけど、たまに言ってる人いますけど、もっと言ってていいんじゃないかなと思いまして改めて言ってます。つまり、基本発散なんだと思ってます。基本的にね、気づいたり発見したりとか全部そうです。
アイデアの実現
発散だらけなんですよね、発散だらけ。だから発散って言わなくていいんですけど、その時に発散とか収束っていう説明はしなかったら、シンプルに何か思いついた時にそれができるかを検討するのは別にいいんですよ。検討するのは全然いいんですよ。
だけどそこでダメだったからもうなかったことにしたり、考えなかったりしたり、あと記録しなかったり、それこそ誰かにそれを言わないっていうのもあんまり良くないと思います。ダメだと思うならその手前のところでこんな考えたんだけどっているじゃないですか。
自分に考えた結果ダメだから言わないっていうのは多分なんかあると思うんですよ、結構多くの人が。僕もあります。だけどそれをダメってダメなアイデアをどんどん共有しようという意味じゃなくて、それでもいいんですけど、やったことが全部無駄になるというか記録されないしやったことにならない。
要は自分の達成具合もわからないしめちゃくちゃ良くないなと思ってます。発散と収束って言えば発散をした後に収束をすべき、もしかした方がいい。発散中にできるかどうかみたいなのを考えて、発散を抑えるような感じですよね。
発散していくことを止めさせる、これをアイデアを膨らませない、ガチャガチャっていいよねみたいなノリでやっていくことに意味があるんだけど、ガチャガチャなんて別にあるしダメじゃんって言ったら終わるんですよ、そこで。
っていうのに対して意識が高くないというか低いというか、あまりそこに対して腹詰めとかは言いませんよ、さすがにね。だけどそこでやると、そんなダメじゃんって言ったら潰れるんですよね。
だから基本的にイエス&っていうやつで、インプロとか即興劇みたいなことでも言われますし、コミュニケーションの基本として相手を受け入れる対話っていうのは、相手の言っていることをノーじゃなくて、そうなんですね、でどうですかっていうようなラリーだったりリレーというかになるんですよ。
つまりそういう意味では発散というのは対話的であり、ディベートみたいに対して相手を倒すみたいなね、論破するみたいなね、そういうのじゃないですよっていうね。ディベートも違うと思うんですけど、一旦そういう話をしてみました。
これがですね、もう一回言いますと、アイディアを出すっていうのは言わなくても、たぶんアイディアとか工夫とかなんかやってるんですよ。例えば家の鍵忘れた、鍵がないどうするみたいな時ってどうにかしなきゃいけないじゃないですか。
どうにかするみたいなのもアイディアなんですよね。その時にこのやり方はダメだからとかなんかあんまり考えずに、一旦選択肢を並べて考えるっていうのは冷静じゃないですか。たぶんそっちの方がいい解決策になるような気がします。でもそれを手当たり次第考えてはダメだダメだって言ってても、ちょっとやってみるとわかんないじゃないですか。
だからその感覚みたいなところで、一つ言えるのはアイディアの取り扱いというかアイディア自体をあんまり出てこないなと思っている方は、自分がアイディアを出していることに対して気づいていない。もしくは自分でアイディアを潰していることに気づいていない。
なんかそんな感じがしました。これ自体を僕がどう偉そうに僕の発見なみたいなことは全くないんですけど、それ知らないっていうのもまたどうなんだろうなって思い始めまして、知ってるだけでとか、もしくはこれを誰かから学ぶってことじゃなくて、そういう考え方があるんだなっていうことを入れとくだけで、
ワンクッションを受けるじゃないですか。これってこういうことだなって。つまり、ガチャガチャじゃなくていいんですけど、日常の発見なり気づいたときに、あれこれってもしかして僕が例えば言ったら岡田さんが言ってたこういうことだよなっていうふうに気づけると思うんですよ。
もしくは自分が否定しようとしたときに、否定してないかみたいな。実際はリスナーのあなたが否定するんじゃなくて、リスナーのあなたが否定される。自分はこういうことをしごくれじゃなくていいんだけど、やろうとしたときにそれは違うんじゃないって言われるわけです。
アイデア発散の重要性
というときに、それって前回の話と一緒に被るんですけど、その環境ってフィードバックの環境としては良くないよなって僕は思います。一旦言いたいというか主張したいことはそのような感じでした。つまり発散・収束みたいなところで発散・収束っていうふうにアイデア出し分かれて、基本は発散、収束は絞って決めていくことですね。
圧倒的に発散が足りてないし気づいてないっていうような感じがします。最悪というかやるべきでないというか、要は否定ですよね。発散時に否定。発散した後にこれは良くないよねっていうふうに言っていく。
ポジティブシンキングで全部否定するなんて話じゃないですよ。否定してもいいんだけど、それはやりきった後に言わないとアイデアを出そうとしている発散モードのときに冷水を浴びせるみたいな感じでやっていくとアイデアを出そうとしなくなりますから。
僕もですし、そこに関わる人、マリスラーの方もそうだと思います。そういう場になりますし、そういう空気になりますから、もっと良いの持ってこいよみたいになるんですけど、そのもっと良いのがあってくる前にまずそれを出した人を褒める。もしくは出した人をやってくれたことを感謝する。そういうことをやらないと誰も何も新しいことをやらないんですね。
前に言いましたけど、やり損みたいな風になっていくんですよね。そこがあるかなと思います。で、実際に出せなくなりますし、イエス&で繋いでいくということをしないと良くないんだというところでした。
ちょっと長くなったので、後半というところでは、収束って岡田さんが言うけど、テーマを決めずにアンテナを立ててやるということは別に良いんですよね。ところのテーマを決めるということの情報収集、アンテナを立ててインプットする、発散、アイデアを見つけていくのと、収束というところの違いですよね。
ちょっとマニアックなんですけど、これもかなり重要だと思いますので、後半で話していきたいと思います。アイデア出しの理解を深めたい方はぜひ引き続き聞いてみてください。続きよろしくお願いいたします。
はい。シゴクリラジオ大橋です。後半というか後編ですね。今回ですね、アイデアの発散と収束ということの基本的なことだという認識はあるんですが、改めて言っています。もしそういったこと考え方知らないとか、初めて知ったとか、知っていたけど損なんですねというところの確認を込めて一緒に見ていければいいかなと思って話しました。
後半はですね、発散と収束を分けた方がいい。発散の時に収束するとよろしくないよねっていうことでした。後半ですね、後編というところではテーマを決めるというのが収束じゃないのかと。発散時に例えば何でもかんでも面白いからそれを収束、あ、ごめんなさい、収集するのかという話が出てくると思います。
まずその辺について言うと、シンプルにテーマを決めて、例えば本のアイデア、出版のアイデアを出したい、ビジネスのアイデアを出したい、記事のアイデア、自分が書いているライダーのシャッターライダーの記事企画のアイデアが欲しいとか、ビジネスのアイデア、当時のアイデア、何でもいいですけど、そういうのが欲しいです。
っていうふうに思ってて、その日常生活をすると、まあそういうアイデア、これを使えないだろうか、このニュースは何かに使えないだろうかみたいな、この話は何か使えないかみたいになるんで、OKです。OKというか、そういうふうに基本的に収集すると思います。
つまり、人っていうのは、何らかのラベリングというかアンテナというか、意識と言ってもいいんですけど、注視をするがゆえにそのニュースを切り取ったり、理解したり、気づけたりするわけですね。
ただそのビジネスとか職域っていう視点を面白がって収集しているので、日々ネタがあって、あってというよりも日々ネタを見つけてきては、これは面白くないですかとか、じゃないのもあるんですけど、でもこじつけてもいいからとりあえずそういうのを出していくことで、訓練というか鍛えている、トレーニングしているというのはあるわけですね。
トレーニングとも思っていないんですけど、そういうのがある状況です。なのでテーマを持ってやるっていうのはいい。漠然と見て、漠然とっていうのは、それを見ればいい。だから一番良くないのは、ニュースを見れば10本見ればいいみたいなことで毎日10本見て終わるみたいな。
10本はただ見ただけというか、何が良かったですか、何が面白かったですかっていうのが、多分言えてない状況だとかメモしてない状況だと多分あまり良くないと思います。もちろんその中で良いネタがなかったとかはあると思いますけど、じゃあその中でも一番良いネタは何とかね。
要は脳を動かすというかやらないと、多分それなんとなくになります。面白いとかもしかしたらつまらないとか、何かちょっと違ったみたいなのも全部メモしといた方が良いと思います。多分それはですね、いきなりやるのは大変なんで、それはちょっと工夫していただくしかないかなっていうのは、ちょっと僕からはそれぐらいしか言ってはいけないんですけど、追い付けましょう。
テーマを持って決めてアイディアを集めるとかそういうのは全然良いと思います。今度は収束と言ったら何かというと、自分がやりたいこととかテーマとかそういうのがあるとして、さっき言ったビジネス系の記事を書きたい、スタートアップの記事とか何でも良いんですけど、新しい取り組みを知りたいみたいなのがざっくりあるとするじゃないですか。
っていう時にその日常でアイディアを得るとか考えるっていうのは全然良いわけです。さっきのガチャガチャだったら、じゃあガチャガチャやってるスタートアップとかあるかなみたいな感じのふわっとしたのが出てきて、それをあるかどうか置いといて、まずメモしといて、後で調べればいいみたいなのが収束みたいな感じです。
一旦ね。収束って何ですかって話なんですよね。それは基本的に収束の定義をすると、既にアイディアがあり、アイディアが複数ですね。一つだったら収束するそうなんですから、もしくは一つに対して評価していけるかどうかですかね。
だけど多くは収束して何もタクがなくなる選択肢としてこれをやりましょうっていうのがなくならないような想定だと思います。だから多分複数に2個以上みたいな、10個とかわかんないですけど。
なんかそのネタがある状態です。種があるネタがある、収束すべき、比較すべき、検討すべき事項としてのアイディアがある状態がまず収束の前の段階でないといけないんですね。これはなんとなくわかると思います。
だから要は検討して比較してこの実現性だとか新規性だとか収益性だとかご自身で別に大状態に構えずに自分の中で3つぐらいアイディアを並べたときにこれはどれがいけるんだってことを脳内会議でもいいし紙に書き出してもいいですけどやってみるってことですよね。
その時のABCっていう3つのアイディアがあったときに、じゃあAはいいのかBはいいのかCはいいのか一応考えていくってことですよね。っていうときにABCの3つはあるっていう状態がまず収束の前の状態。
日常からのアイデア収集
ABC3つあってじゃあ1個だけ1個だけしかできないです1個だけまずやってみましょうってなっててじゃあどれがいいどれがやりたいどれがやれるそうかっていうので決めるのがじゃあ今回はCにしましょうっていうのが収束決めていくことになります。
ここでお気づきだと思うんですけどその収束をするということはその手前のところでABCのようなアイディアがなきゃいけないわけです。
でそのアイディアどこから持ってくるんですか。これはですね結構難しくて難しいっていうのはあの僕が言ってることは矛盾してないかなと思うんですけど発散しとかなきゃいけないわけです。
つまり日々のそのネタを収集しとかないと収束することすらできないんです。だから収束っていうことができるのはアイディアを集めたりなんか出したりそういうのがトレーニングカードみたいなゲームで言えばその場の手札ですよね。
手札が持っているものしか収束ってできないんです。これはあの割と良いインサイトな気がしてて当たり前なんですけどね。収束をするには手前のところでアイディアがない。
アイディアという自分の手札がないといけない。場札でもいいんですけどないんです。ないならできないんです。あるってことが前提だし。
だってないものを検討できないじゃないですか。じゃあ何かいいアイディアやってよって言っても、いやアイディアないんですけどみたいな。なりません?
で、じゃあすごい滑稽じゃないですか。アイディアないのに検討するみたいな。
これはですね、大手企業の新規事業の全部が言えるかわかりませんが、話としてありそうなってことで一応推測ですが、新規事業部署っていうのがあったとしても、そこで自分たちで自らアイディアを出してやるっていう人は多分限られるんです。
つまり今回言っているアイディアの発散というところは、言っているのはものすごく限られるんです。何でかっていうとですね、人がまず一人ではないんですよね。複数いる。もしくはそこで言うアイディアですよね。ここが難しいんですけど、アイディアっていうのが持ってこいって言ったら何か集まってくるわけです。
社員が多かったり、コンテストをやったり、わからないですよ。あと、新規制みたいなの求めていなくて、新規事業だけどね。新規事業の新規は新しく既存の事業、自社の事業とやってないことをやるということであり、事業を作るって言ったらいいですよね。
その時のアイディアは、例えばカラオケが流行っていたらカラオケ事業をやろうみたいな、そんな感じです。キャンプは下火ですが、キャンプ事業、グランピングとかありますよね。
郊外に高級感のあるキャンプみたいなやつですね。すごく乱暴に言ってますけど、そういうの流行ってるからやろうよみたいな。
それってアイディアじゃなくね?って僕はシンプルに思います。アイディアというよりも、やることではあるけど、別に真似してるだけだから、解決策とかじゃないんですよね。
事業の参考のネタみたいな感じですか。別に真似してやることは否定しないんですけど、僕が直感的に言うとアイディアっぽくないなっていう感じです。
でも別にそれをアイディアと言う人もいるので、そこで語弊というのはあるし、今まさに僕が感じて起きているってわけですね。
話を戻すと、自分でアイディアを日常から見つけるぞみたいなことをしなくても、アイディアが集まってくる。つまりアイディアを出す人とアイディアを検討する人が多くの場合、組織で違うわけですよ。
これは別に大手企業が批判しているわけではなく、中小企業でも零細企業でもそうなんですけど、社員の人が頑張って考えても社長がそれを採択してやるかは別。商品開発でもそうじゃないですか。そういうことはありますよね。
実際にね。だからダメというわけではなく、出す人と集束する人が違うという状況があるということは、何を言っているかというと、出す人が集束していなかったり、集束している人がアイディアを出していないという状況が普通にあるということなんですね。
アイディア発見の重要性
これは結構知っておいていいというか、結構重要だなと思ってまして、なぜなら僕が言っている、たとえこと違和感発想とかそういうアイディアを出すというのは、自分で出して、それを集束して自分で決めてやろうという一気痛感をしているんですよ。
でも一気痛感なんて僕は思ってないし、それが当たり前だと思ってたんですけど、どうも世の中は違ってたりするよねっていう。これはあくまでも僕のやり方や考え方ですよね。でもこれって別にあると思うんですよ。
フリーランスの人で、例えば個人開発、ゲーム開発している人が誰かにアイディアをもらってそれをやろうというのは、多分テンション上がらないし、自分がやりたいと思っていないから多分あまりできないんですよ。
ゲームが作れないし、作ったとしても継続できない、改善できないという感じです。
なので自分で考えてこれどうかなっていうのをいくつか出してそこからやろうっていうのが、ベターのやり方だと思います。まさに発散して集束する。
同じ人が発散するか集束するかっていう、誰がやるのかっていう変数が増えるとまた厄介じゃないですか。
それで冗談でもなんでもなく、新規事業部署にいてもアイディアを出すってことがわからない人がいるわけです。
なんでかっていうと、それは何ら不思議みたいなことを思ってたんだけど、ここで今明確になってますよね。
つまり集束するだけとか集束する側の人は別にアイディアを出す人合わせはないわけです。すごいですよね。
だから自動アイディアコンテストみたいになってて、アイディアがバンバン上がってくるから、それをただただバッサバッサ切っていくっていう、それだけですよね。
それがいいかどうかは知らないですよ。だけどその人がアイディアの出し方を発散してどうかっていうことは、なかなか厳しいですよね。やったことがないならね。
やったことがある人が集束しているなら別にいいんですけど、っていうところになりますね。
さっきと矛盾してるのは、前編と矛盾してるのは、アイディアというのは発散で日常にあってそれを見つけてくるってことじゃないですか。
創造性の種類
だからアイディアなんてあるから、集束だけしてる人なんていうのはなくて、その人も発散はしてるはずなんですよ。
だけどここで面白いのは、これはさっき言った前編でもちらっと言っているよくある誤解で、
アイディアというのが出した瞬間に、例えばビジネスアイディアというのが、アイディア自体が優れててすごいよみたいなことを、
アイディアのレベルでいろいろ想像しがちなんですよ、期待しがちなんですよ。
わかります?
これは単なるラベリングですよね。
期待しすぎているというか。
例えばキャッチコピーみたいなのをつけるときに、100個とか1000個とか考えて、その中から優れたものをやるっていうようなのは、
もしかしたらご存知の方がいるかもしれませんが、でもそんな世界だと思ってます。
つまり、考えたものが、じゃあ10個考えたらそれがいけるかって言ったら、たぶんそんなことはあんまりなくて、
その10個のために1個1個、10個ずつ考えたら100分の1か、分かんないけど、100分の10?分かりませんけど、
まず量を出せるかどうかみたいな話があるんですよね。
量は着眼点だったり視点というのが変わってないと意味ないので、
さっき言ったビジネス記事を書くでも、そのビジネスという自体の記事を書く視点が、
同じ切り口だったらあんまり同じアイディアを言っているだけなので、コピーしているだけなのであんまり意味ないですね。
それは若干テクニカルですけど、でもものすごく大事なことだと思います。
その日常のアイディアというのがあって、前編に言っていたところで言えば、創造性の研究というのがあります。
これはビッグC、プロC、リトルC、ミニCという創造性、クリエイティビティを研究しているというのがあって、
これは四国でも何度も言っていますが、ビッグCというのが発明みたいなアイディアで、
プロCというのが専門的な、専門性が高いアイディアですね。
リトルCというのが普段の仕事とか日常でプライベートでもいいと思いますが、改善する小さなやり方ですよね。
これは意味はないですけど、電車で本を読むときに、自分が何を読んでいるかを知られたくないと。
わかります。自己啓発みたいな、読んでいるのを見られたくないとか、僕もわかるので。
例えば、絶対痩せるなんとかって、この人それ気にしているんだみたいなことを見ていたらそう思われるじゃないですか。
なので、例えばカバーを外す、表紙カバーを外す、もしくは表紙カバーを裏返して、
だいたい裏は白なんで、白とか色がないので無人なんで、それを返してやる。もしくはブックカバーをつける。
これが自分の読んでいる本を他の他人様に知らせない方法じゃないですか。
例えばね。というのが日常のアイディア。ということでリトルCみたいなもんだと思います。
で、じゃあその日常の工夫はビジネスアイディアに直結しないかというと、文字通り直結はしないですよね。
その裏返すということがそのままビジネスにはならない。じゃないですか。多分。
なるっていう人もいるかもしれない。だけど、これがブックカバーメーカーとか、
そういう人にとってはヒントになるかもしれないし、ごく当たり前のことかもしれないし、
リバーシブルで使えるブックカバーじゃないですよね。
他に使えるもの、アイテムを商品開発でグッズ作るとかもできるじゃないですか。
それが多分アイディアの出し方だったり、転用の仕方だと僕は思っています。
つまり、元ネタというのは日常にしかないんですよね。リトルCでしかないというか。
ちなみにミニCというのは自己の内製とか振り替えみたいな、その内面の方のことを指すかなと思われますので、
リトルCというのが本当に小さな発見。リトルCのCはクリエイティビティのCですね。
日常の発見とビジネスアイディア
ということで、日常の発見というのをストックだったり集めるものがないと、
収束には行けないと思います。知らないです。大手企業とか、
潤沢に人やったりリソースとかなんかあるところは、僕はもう知らないです。そんなのは。
リスナーのあなたがそういうところをお勧めとかはわかんないんだけど、
少なくとも自分で何かやろうという時には、そんなリソースはないので、
いわゆる資金ゼロ、人脈って好きじゃないけど、人脈、人とのつながりゼロ、
スキルというか実績ゼロみたいな時というか、そんなもんじゃないですか。
何か新しいものをやるということは、大体そういうことが多いですよね。
で、時に出てくるアイディアというのが、そもそも日常の発見でいいんですよね。
というか、それ以上のことをあまり求めて、つまりリトルCってことじゃなくて、
プロCもしくはビッグC、大きな発明とか、ものすごいよね。
世の中の人がバーッと言うよね、みたいなことを期待値を上げてアイディアに求めるし、
考えるからそんな大層なものが出せませんとなってできないです。
そこで知り込みしちゃってアイディアを出せなくなる。
自分はアイディアを出せないんだ、もしくは他の人がもっと出したらすごいな。
それはすごい人ももちろんいるんだけど、そのすごい人と言っている人、
もしくは結果をアイディアを出す人とか実行する人というのは、
その見えている位置のアイディアの裏にめちゃくちゃ、少なくとも10倍、100倍、
下手したら1万倍とかを考えて出しているからなんです。
それを考えて出しているというのは、すごく頭をひねって、
うーんと言っているんじゃなくて、日常のところで見ているわけです。
つまり、その人と同じところを散歩して、同じものを見に行って、
同じ遊びをしたら、全然違うものを見ていることに気づくと思います。
それがまさにリトルシーンの発見であり、日常から発見する、
僕はアート思考というふうに呼んでしまうんですけど、
そっちになるんじゃないかなと思います。
それをリスナーのあなたにやって欲しいというよりも、
結局アイディアを出すというのは収束だけします?
なんていう人を僕は想定していないので、
もちろんやるからには選択肢としてのアイディアを出して、
それを決めていくことは必要なんだけど、それは別に後でやればいいんですよね。
後でやればいい。
その手前のネタはないかと。
ネタがなければ収束ができないというのは明らかじゃない。
というのが勝手に溜まっていったらいいけど、
溜まってますかって話なんですね。
溜まってないならそれはメモしたり見つけたり、
こうじゃないかっていうことを考えないと、
一生アイディアをやる。
アイディアってアイディアの価値がないよねっていう人はもちろんいるのがわかってるんですけど、
アイディアの価値がない以前に、実行することの手前のところでしょ。
手前の話で、やることとかやれるアイディアみたいなのが見つかってないよね、
だったらできなくないですか。
つまりなんかやってください、自由にやってくださいって言われても、
ポカーンじゃないですか、自由にやって何やってもいいんですかっていうね。
なんか将棋やっていいんですかとかわかんないけど。
でも遊んでくださいって遊びってそんな自由度ないですか。
どうやって遊んでもいいですよって言ったら、
割と多くの人らは困るんじゃないかなと思うんですよね。
遊ぶって。
でもそこがまさに僕は想像性だと思って、
自分が面白いなっていうものをそこで作ればいいんです。
でも作るには普段から今あるものとか状況から生み出すってことをしていないとできなくないですか。
だから僕が今回またこの後編でお伝えしたかったのは、
テーマを持ってアイディア発見するとか全然いいんだけど、
収束ってそもそもアイディア自体がないと意味ないんですよね。
やる意味がない。収束なんかできない。
選択肢を比較検討するなんて意味がない。
意味がないというかできないんですよ。アイディアがないから。
その前の発散ですね。
ところでそもそも日常から何かアイディアを見つけられているか。
アイディアっていうとハードルが上がるからアイディアじゃないんですよ。
つまり日常の発見です。
気づいたこととかなんだろうなって心が動いたこととか気になったこととかそういうことなんです。
それがいわゆる何かの解決策につながっていったり、
誰かの不満とか不平とかもしくは自分のものだったり、
アイディアと学びの関係
もしくは長年抱えていたことを解決するヒントになる。
だから学びもここでは明確にアイディアなんじゃないかなというふうに僕は思いました。
それが学びとかのアイディアとアイディア出しと学びと気づきと整理すると、
普段学ぶこととか学習することとアイディアを出すことの違いが、
僕にはあまり分からなかったんですけど違いが一緒だと思ってたんですけど、
明確にここでほぼ一緒だなっていうようなものが見えてきました。
つまり日々何かこれ面白いなとか気づいたとか、
これ調べたいなとか、これどういうことなんだろうっていう探求心もしくは気になること、
もしくは分からなかったこととか知らない言葉とか知らない事象に関してもそうですけど、
それを調べることがまさにアイディアにつながるし、
それを調べたらアイディアとは言わないんだけど、
その気づいたことがまさにアイディアの種になりますから、
こういうのあってよっていう話になっていくと。
それは雑談とか、別にその記事とか書かなくてもいいんですけど、
アウトプットとかそういうのに近いなと思います。
それをやってなければ、お勧めします。やることをぜひ公開しなくてもいいんで。
僕も全部別に公開してるわけじゃなくて、そういうふうに考えてやっています。
だから詰めていくと、収束がどうとか、テーマがどうとかっていう前に、
まずアイディアを量を出せる、もしくはたくさん考えている、
そういうのをルーチン化、仕組み化してるってことが非常に重要になってくるんじゃないかなと思います。
それはアイディアを仕事にするクリエイターだからっていう感じでもなく、
例えばライターってクリエイターっぽくないじゃないですか。
なんとなくね。別にライターの人はクリエイターじゃないって言ってるわけじゃないんですけど、
その時にライターの人はアイディアいらないかって言ったらいるわけです。
記者の人もアイディアいるんです。なぜかというと誰に取材するか、
どういう人にとったらこの記事を書けるのかとか、それめちゃくちゃいりません。
だからアイディアというとひらめきで今までなかったものみたいなことを思うかもしれないですけど、
そっちじゃないです。多くは今あるものとか気づいたことで、
どうそれを加工したり編集したり調整したり、何か組み合わせたりしてできるんだろうかっていう。
そのやりたいことに対してどう実現していくかっていうことが、
まさにアイディアだったり解決策だったり、気づきだったり学びだったりヒントだったりするじゃないですか。
そこを僕は言ってるっていうことになります。
ちょっと長く延ばしたが、今回は以上となります。
四国理ラジオ大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上失礼いたします。