1. シゴクリラジオ!
  2. 雑誌をパラパラ見て思わぬ気づ..
2025-04-18 32:21

雑誌をパラパラ見て思わぬ気づきを得ていくのは面白い

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サマリー

雑誌をパラパラと見ることで、意図しないアイデアや気づきを得る楽しさが語られています。特に、余裕を持って物事を見つめることで新たな視点が得られることが強調されています。雑誌や書店での偶然の発見が予期しない気づきをもたらし、意図しない体験がより価値ある情報をもたらすことが示されています。また、ポッドキャストや相談の中で顕在的と潜在的な問題を考える重要性も強調されています。雑誌をパラパラと見ることで新たな視点や気づきを得る面白さが探られます。特に、興味のない分野でも雑誌を眺めることで意外な発見があるかもしれないというメッセージが強調されています。

雑誌の魅力
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回のテーマは、予約が気づき、アイデアを与えてくれるというか、そこから得るみたいな、そんな話です。
何かというと、雑誌ですね。久しぶりに雑誌を読んでまして、雑誌的なものっていいなと、改めて、
すごくいいというよりも、そういう感覚がいいなという話を共有していければいいかなと思います。
アイデアとか、出したいみたいな風に構えると出ないので、構えないみたいなところをうまくお伝えできればいいかなと思います。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回ですね、テーマとしては、余裕とか余白をうまく用いるとアイデアが出る。
ここで余裕、余白というのは、休むということなんですよね。張り詰めないということです。
この場合の張り詰めないというのが、寝るとか何もしないということも含むのですが、どちらかというと、
何か見てたりするんだけど、ぼんやりとか、あんまり意識せずにということですね。
よくアンテナを立てるとか、何かを意識してした方がいいということは言われるかなと思います。
アイデア出しにおいても、心理的な効果で、赤色のものだとか、固いものを探すとか、
食べ物だったら甘みを感じようとするとか、
今はコーヒーが手元にありますが、コーヒーだったらその匂いとか香りとかを感じようとする。
意識すると何か見えてくるというか、気づけるのがあったりします。
それは、得ようとして得るとか、尖らせてみたいな部分があるので、
そこまで意識していないんだけど、得られるという方がアイデアにとってはプラスかなと思ったりします。
そこが分かりづらいと思うんですけど、アイデアを得ようとしているんだけど、得ようとしてはいけない、
得たいんだけど得ようとしてはいけない、みたいなのになるわけです。
でもそれってよく分からないというか、文字通り矛盾しているので、
矛盾というか、矛盾行動をしようということではなくて、
もっと分かりやすくというか、単純に言うと、あまりにも栄養を落としてはいけないという感じですね。
意識しすぎてはいけない。
ここで提案というか、また概要欄にリンク貼っておきますが、
博語堂という広告代理店の会社がありますが、そこが出している広告という、
一応社内放じゃないんだけど、そういう位置づけの雑誌があります。
社内放というか、自社プロジェクトというやつですね。
これ面白くて、数年ですよね。多分1年とかじゃないですけど、数年間だと思いますが、
編集長が変わりまして、雑誌自体の形態が全く違うものになるものなんですよね。
これ全部持っている人すごいと思いますが、そこまでではないですが、
面白いというか、形態も変わりますから、雑誌というか、紙媒体の大きさから紙の素材というか、
ものから全然違うんですよね。
確か前は小野さんという方がやられたと思うんですが、今は山口さんなのかな?
分かりませんが、すみませんね、間違えたら。
変わっていくというものです。
今年というか、最近出たのが審判ですよね。領域審判ということで。
あれ?領域審判?待ってるか分からない。
要は異分野というか、いろんなことにまたいでやるような人たちのインタビューとか、そういうものなんですよね。
あんまり内容を見ずに、僕はAI小説の久断さんですか、
アクター会社を取った久断さんという方のAI小説が面白いかなと思ったので、それだけ狙って買ってパラパラ見てたんです。
この時の読み方として、これは別に正しいとか、雑誌の読み方なんて別に偉そうに僕が言うことじゃないんですけど、
読み方としてパラパラ見て、なんとなくふわっと読むのがいい。
いいというのもちょっと良くないですね。僕はそう読んでいるという話として、リスナーの方も捉えてください。
というか、雑誌最近読みました。
これ別に雑誌を読めというわけじゃないんですけど、雑誌的なものということでいくと、
僕が一つ挙げるなら、Kindleの個人の本というのは雑誌っぽいかなと思っています。
というか、僕はそういうふうにKindle読んでますね。
もちろん商業出版されたものの単に電子書籍として読むという人もいらっしゃると思うし、
別にそれは漫画だけKindleで読むとか、その読み方いっぱいあると思うんですが、
僕はそういうふうに読ませてもらってますね。
なので、その個人の感覚とかが出てくるところが非常に面白いと思っています。
この時、一つだけ付け加えるなら、前、前回から話したかもしれませんが、
他人に興味があるとかないとかという話をしたと思うんですけど、
他人という人の考え方に興味がある、興味がないと言うとよくないんですけど、
興味があるというよりも、興味がないんじゃなくて、
どちらかというと、広告という雑誌にも出てきたんですが、
パラパラ読みの重要性
梶谷谷さんという哲学者、研究者の方も言われているんですけど、インタビューの中でね。
そうなんだと受け止めることかなという。
要はガチガチに固めて不寛容というか、こうあらねばならぬというのが、
今の社会では失敗できないというか、真面目すぎるというか、もっとくだらなくていいということ。
というふうに言われているように僕は読み取ったんですけど、
その時に受け止めるというのは、そうなんだと受け止めるのは、
いいんじゃないというふうに言ってもそうなんだというふうな理解の人もいると思いますけど、
要は相互理解みたいなのがあると。
相互理解って何かと言ったときに、相手を理解しようとする。
例えばリスナーのあなたがいて、僕が言ったときに、お互いを理解しようとする。
社会においていろんな人がいて、それを理解しようとするという話があると。
多様性みたいなのもそうなんですけど、
多様性って、要はお互いが分かり合えるといいよねというふうにもしかして思われる方もいるかもしれませんが、
僕はちょっと違っていて、分からないよねという理解もいいんじゃないかなという話なんです。
相互理解ということは、多分分からないですよ。
僕の感覚では、みんながみんな生きている人のことを個別に理解していくということは、
僕は不可能だと思うんですよ。
これ考え方ですよ。
もしかしたらいやいや可能ですよと、みんなのことを分かっていく方がいいというのも理想としては分かるんですけど、
しんどいなと。
分からないものは分からないじゃないですか。
例えば僕が言っていることが全然伝わらないし分からない人も、
それはあえて聞きたいという人もいるかは分かりませんが、
タイトルを見て聞いてくださる方とか、
日々聞いている中で気づきあればいいかなぐらいで聞いているとか、
いろんな方がいらっしゃると思うんですけど、
その中で、
全部100%分かりますよねとか、
全部同意ですというのもまたちょっと気持ち悪いというか、
僕も全然求めていないわけですよね。
やはりあと同質性ということで、
似ている人たちと固まりすぎると、
それが正しいみたいな、世の中の真実だみたいになるわけですよ。
それもちょっとやりすぎかなと思いますので、
異分子というか異分野というか、異質なものですよね。
どんどんそういう場合は入れた方がいいかなと思います。
アラートを出してね。
違和感アラートを出してやっていくと。
話を戻すと、受け止めるぐらいが良くて、
そうなんだというね。
そうなんだという受け止め方ですね。
いいんじゃないという受け止め方でもいいですよね。
いいんじゃないというか、
相互理解で相手を理解して、
そうなんだ分かりましたみたいな、
じゃあこちらも分かってくださいという押し付けとか、
相手のことを理解しようとする、
なんていうんですか、
上からじゃないんだけど、
理解しようとするというのを促進するのはどうなのかなというのもあるわけですね。
もちろんそこに無関心で、
相手に興味がないのもちょっとなさすぎで、
とはいえ興味を持ったと言っても、
相手のことが分かるとか100%分かるとか、
その何だろうな、
本当に全然分からないというかね、
のもあると。
例えばちょっと違うんですけど、
アート作品みたいなのが出てきて、
なるほどこれよく分からんみたいなのないですか、
小説でも何でもいいんですけど、
それ見てよく分からんとかないですか、
この時によく分からんから、
っていう時に、
それはまさに理解できないから、
ダメとかいいとかじゃないと思うんですよね。
よく分からないぐらいで、
そうなんだなっていうものがあると伝わってます。
だから分からないなって言った時に、
分からないからダメだみたいなのがまさに押し付けなんですよね。
分からないままでいいじゃないかぐらいの感じですかね。
分からないからいいじゃないというか、
それも別に分からないことでいいんだよっていうようなのも押し付けなんで、
結局キリがないんで、
言い切らないというかね、
曖昧なままっていう感じで留めておきます。
実際にそういうことを伝えたいわけですね。
さらに戻していくと雑誌ですよね。
読んで思ったっていうのは、
それでパラパラ見ていくことで、
全然意図してなかったわけですね。
川地谷さんという人とか、
あとAI騎士って言ったら怒られますね。
AI研究とかをしている人の将棋の騎士で、
谷合一さんという方とか、
インタビュー記事とかが多かったんですよね、今回構成として。
そういう意味ではかなり真面目な、
見た目のアナーキーと言いますか、
尖がった感じの題材なんですけど、
見た目はね。
写真がビジュアルが多くて、
文字もすごい見づらい。
背景黒っぽいところに文字入っているような感じもしますが、
なんで見づらいからこそ、
ちゃんと文字を読むというよりも、
パラパラ見て、こんな人いるんだ、ぐらいの。
プロフィールは見るうちは見るんですけど、
どちらかというと何を言っているかを見て、
面白ければ、みたいなところで、
そのお二人とか面白いなと思ったんですよね。
それは僕が最初に想定していなくて、
あくまでも、
AI小説で九段さんという人のやつを読んで、
どうかなぐらいの時を思ったぐらいなんで、
まあまあ他に何かあればなぐらいで、
パラパラ見ていたというわけです。
このパラパラ見ていたというのが、
今回の非常に大事なポイントでして、
意識していない、意図していないというか。
何度もこすっていますが、
この四国ラジオというところでいくと、
雑談というのですね、
友人とずっとしてまして、
雑談大事だよということを言っています。
何が大事かというと、
想定していないところに広がるというやつですね。
要は話がどんどん繰り広げられて、
ジャンプしていくという感覚が面白い、
もしくは得られなかったものが得られるということですね。
これはですね、
シマさんという方が、
確かですね、
本やっていいよねみたいな、
そんなタイトルだったかわからないけど、
言っている文言というのがありまして、
文言というか言い方があって面白いなと思うんですけど、
Amazonとかネット書店あるじゃないですか。
それって狙ったものを探しに行く。
さっき言っていた谷合さん、
梶谷さんとか哲学者とか記者の方がいて、
そういう人たちの書いている本があったりすると。
例えばね。
だったらその本を検索というか入れたらタイトルが出てきて、
タイトル検索されるから、
その本が買えますよねっていうことになるじゃないですか。
書店での発見
でもネット書店、Amazon等ですが、
自分が欲しいと決まっている本を買うのには早くていいですよね。
それをわざわざリアル書店に行って買いに行くってことは、
別にあってもいいけど、スピードは遅いとね。
目的の本があればそれだけだと。
でも書店にその同じ本を、
じゃあ本屋さんに行って買ってみようというふうに行くと、
何が起きるかというと、
当然ですがその本を探す必要がありますね。
端末で検索して探すこともできますが、
この辺りかなといって検索することができる。
仮に端末で検索するってことをしても、
例えば大型書店で行くわけですが、
ところでもビジネス棚、経済棚、人文棚みたいな棚が分かれていて、
ジャンルが分かれていまして、
その中のこの辺りですよっていうふうにぐらいしか書かれていないわけですよね。
それで見て探すんですよね。
探すと何が起きるかというと、
その棚の周り、もしくは棚に行くまでに本が並んでますよね。
商品が並んでいるので、それを見て、
こういうのがあるんだな、そういうのもあるんだなというふうに気づいて、
実は哲学的な本を探していたんだけど、
実はね、
登山の主体からその登山ガイドブックみたいなものをパラパラ見て、
そっちも買ってしまったみたいなのはありませんか。
書店とか行かない方だとちょっと何言ってんだっていうふうになりそうですけど、
そういうのがあるわけですね。
まさにこれが今言っている、
シマさんという方も確かに言っていたってことなんですけど、
書店というのは、本屋というのはですね、
リアル書店というのは、
自分が欲しかったものが見つかるという感じですね。
わかります。
欲しいものが見つかるのがネット書店で、
欲しかったものが見つかるのが、
欲しかったと言っているニュアンス、いわゆる意味合いは、
自分がいわゆる健在的にですね、
明治的にこれが欲しいというものではなく、
これが実は欲しかったんだ、もしくは水面かですね。
意識していないんだけど、健在的に欲しかったものというところですよね。
それは何でもあるかなと思います。
誰かと相談、相談ってまさに健在的なものを出してくるような行為かなと思います。
つまり話をしていて、相談テーマとして、
実は仕事で悩んでいますみたいな人が悩んでいると言っているんだけど、
実は仕事で悩んでいることではなくみたいな。
ペットが亡くなってしまって、
ちょっとシリアスな話になって申し訳ないですけど、
自分に不安が抱えているから、そちらが実は問題で、
仕事はその結果であったと。
要は孤独を抱えているから、不安だから、
仕事に対して影響が与えていたということで、
そこで大体というか手段として解決策を練るのがいいか分かりませんけど、
例えばね、オンラインコミュニティとかゲームコミュニティに入っていって、
相談と潜在的課題
それで友達ができたら、実はそれを解消していったということは、
割とあるようなパターンかなと思ったりします。
ここではペットとかゲームとかの話では主題ではなくて、
相談ということでメインに持ってきたものが、
実は顕在化しているものだと思っていたんだけど、
実はそれは全然違っていて、潜在的に、
要はその人の中の相談者の中に潜んでいた課題というか問題というのが、
話していく中で明らかになっていくみたいな。
これもAIとかで対話がどうまでできるかということで比較するならば、
人間の相談者はその潜在的なものを引き上げることができる。
でもAI相談というのは多分顕在的な、
割と明確に指示して自分はこれを悩んでいますということを言わないと、
なかなか掘り下げることはまだ難しいんじゃないかなというところがあります。
この比較は割と妥当かなと思ったりします。
今回の集である要は要把握とか要有とか、
雑誌っていいよねみたいなところになっちゃうんですけど、
要は意図しすぎるとそれを得られないわけですね。
意図して雑誌を見て何か使えるものがないかと見ていったときに、
多分その雑誌に使えるものってあまりないんです。
本当にそうです。
ポッドキャストもそうですがね。
僕のこの四国にラジオを、
仕事を作りたいな、何が大事なんだ、みたいな。
もちろん正座して聞いていただいている方がいるかいないか分かりませんが、
多分いないと思います。
99%はながらで聞いていると思うんですが、
そういった正座して構えて、
聞くぞ!みたいな。何か得るぞ!いい話聞くぞ!とか言って、
ビジネスのヒントは得るぞ!っていうような、
本当に意識を立てまくって聞いている人は、
多分得られないんじゃないかなという話なんですよね。
得られないと言ったらちょっと、
何の話をしているんだというふうに怒られるかもしれませんが、
でもそれぐらいの緩めで、
そうなんだ、そうなんだぐらいで聞いてもらうのが一番いいかなと思います。
そうなんだの感覚はニュートラルですよね。
つまり意識をしていないし、
意識をすごいしているわけじゃないけど、
フラットな状態で、
そういうのもあるんだね、そういうのもあるんだね、
っていうぐらいの感覚で受け止めることができる。
受け止めるということは、そこで止めているので、
受け入れてないんです。入ってないんです。
インしてないんです。だから止まってるんですよね。
だけど弾き返しているわけでもないわけですね。
だから無限に断られるわけでもないけど、
いい感じでそこで一旦止めるって感じですかね。
だから僕は一応主張しておくんですが、
僕が言っていることは全て正しく、
僕の意見は間違っていない、
みたいなことは全く思っていないので、
その辺りですよね。
全く逆の立場や視点もありますし、
僕がよくありますが、
主張していることが実は全く逆ということもあります。
例えばよく言っているようなこと、
もしくは自分の中では自信があったり、
理論というか理屈として言っているような
このアイディア出しですよね。
インプットして思考してアウトプットするという流れで
アイディアが出てくるので、
インプットしましょうとか考えましょう、
組み合わせたり、問いかけしたりとか、
いろいろやりましょう、
そうすると生まれてきますよ、
ということが最もらしいと思っているし、
そうだと僕も思っているんですが、
実はそうじゃないかもしれない。
完全に運で、才能というか先天的なもので、
かもしれないですよね。
それは絶対そうだと思っていないです。
科学的なやつと一緒で、
今の現象としてはこういうふうに言えるぐらいです。
屈辱されるかもしれませんよね。
あと、例えばAIでアイディアを出して
なかなか難しいよねということが
僕も思いますが、
でもそうじゃないよね、
こうやってやればできるよね、
というのであれば全然それは
耳たいし聞きたいということですね。
だから別に批判というところでいくと
別にあってもいいかなと思いますが、
ただ批判の使い方が、
要はけなすだけではなくて、
要は建設的なという意味ですね。
こういうふうにするといいんじゃないですか、
もしくはこういう見方もありますよね、
というのであれば、
それは受け入れやすいですよね。
でもその難癖をつけられてしまうと、
受け止めると言っても、
意見じゃなくて、
変な人が来たなというふうになるという感じが
わかります?
このあたりが結構ポイントかもしれないですね。
だから他人とか人間関係の構築においても、
受け止めるというものがやっぱりあれば、
ニュートラルで構えられますし、
ニュートラルということは、
そこまで、
意識と無意識のバランス
リソースというとよくないんですが、
神経を使う、精神を使う、
パワーを使うことが
そこまでない。
とんでもないのが来たら困りますけどね、
意見とか人でもね。
ありますが、
そこまでパワーを使わなくてもいいかもしれない
ということですね。
ごめんなさい、
誤解がないように言うと、
意識して得ようとしようというふうに
ポッドキャストは聞いてはいけないのか、
本を読んではいけないのか、
ニュースとか見てはいけないのかというと、
それはもちろん、
やっても全然いいですよということですね。
要はそのだけモードで、
モードが2つあるとするならば、
意識モードみたいので
どんどん得ようというのが
やるとしても、
たぶんそれって1日に1時間、2時間もあれば
十分だと思うんですよ。
集中ってできない。
あとは集中の惰性で、
何だろうな、
茹で卵の作り方じゃないですけど、
一旦茹でて沸騰させたら、
余熱で蓋して
温めれば、
ガス、電気、
エネルギーも
使わずに済みますし、
その余熱だけで全然できますよね、
というのがあるんですけど、
そういうのに近い。
集中する火力でエネルギーで
一気にいくというのはできるけど、
あとは結局余熱でやっているのは
もうかな、と僕は思います。
だから集中できることは少ないんですよ。
意識立てて意識モードでやれることは少なくて、
ということです。
だから、あとは
意識せずに
ちょっと緩めて
あげるといいかな。
これも結局バランスになります。
緩めまくって何もフワーフワーって
曖昧でやっていると固まらないですよね。
だから固める何かがやっぱり必要ですね。
緩まりすぎている人はね。
逆に意識しすぎている人は
緩めてください。
僕の感覚からすると
多くの人というか
何だろうな、
栄養栄養という社会になっていたり
もしくは意識して何かやって
この成果を上げなきゃいけない
結果成果か
いいことをしなきゃいけない
何かを出さなきゃいけないというのが
張り詰めすぎているという感覚はやっぱりありますよね。
そこまでやらなくていいんじゃない?
というね。
もうちょっと肩の力を抜いて
肩を揉みましょうか?
肩を揉みましょうか?
肩の力入っていないですか?
今肩一応揉みながら
話しているんですけど
そうやって意識もそうですし
体自体の使い方も
そこで緩めて
あ、力入りすぎていたな
つるってあるじゃないですか
足つるとか
力を入れすぎて
変なところに力入ると
つるんですよね。
力の使い方ってやっぱりあって
うまく適して
少しずつグッと押すという感じじゃなくて
いきなり
全力で
肩もそうですけど押すと痛いわけですよね。
じゃなくて適度に押していく
押す加減をしていく
やっぱり調整ですよね。
やっぱりどこ行っても
調整とバランスになってくるんですが
というのがあるわけですね。
まあヒントではないですけど
じゃあ雑誌とかを読めば
アイデアが出ますかって言ったら
さすがにそれはないと思っているんですよね。
雑誌だけを読んでいたら
雑誌は別にそうです。
雑誌の楽しみ方
雑誌ってものが面白がれるのは
その何かを見て
パラパラ見て受け止めるっていう
こういうのもあるんだなぐらいの
感覚で読めていることが大事だし
得ようとしすぎないと
方がいいという
そのバランスです。
得ようとしたら得ようとしなかったり
というのがあって入ってくる。
同時に
スポンジもそうですが
全部水とかで吸収しまくっていて
水が入らないような状態では
ダメなんで
ある程度空になるというか
得ようとするという
感覚もないといけない。
全部詰め込んでますけどね。
そうやって
ゆるりと
パラパラ見るという感じ。
それは別に何でもいいですよ。
雑誌じゃなくてもね。
ポッドキャストをゆるゆる聞くとか
ボートゲームするのもいいし
読み物とか
インプットするものって多いですよね。
パラパラ見て
へーって感じで見てます。
僕もよくやってます。
そんな感じで
見ていくというのが
アイデア出しにおいても
おすすめです。
未知の世界を探る
だから
意図しない
ゆるいって意図してない状態なんですけど
それを意図するってことで
なかなかつかめないと
よくわからないんですけど
何が近いかなー
というとやっぱり
広いものという言い方はよくないんですが
副産物思考みたいなものですね。
要は何かメインでやる
何かやると副産物生まれませんか?
みたいな話ですよね。
例えばパンであれば
食パンの耳みたいなのあるじゃないですか。
食パンの耳って別にね
食パンの耳だけを
作りたいって
なかなか難しいわけで
パンの耳ってできるわけじゃないですか。
サンドイッチなんてね
食パンの外の部分は
使わなかったりしますが
別に使ってもいいですよ。
その前のパンの耳が出た時に
メインがサンドイッチだったら
パンの耳は
副産物というか
でもそれを
砂糖とか
ラスクじゃないけど
カリカリにして揚げてみるとか
最近のメロンパンの皮だけがある
皮だけがあるとかね
そういう商品があったりしますが
そういうのもあったと思うんですけど
そういう感じで
作ったと思ったらやっぱり
余るんですよね。
ってことは
副産物も楽しめたらいいんじゃないか
ってことで
何か意識してやるってことは
意識されなかった何かがあって
そちらもあるよね
っていうように
何かやったら何か生まれるよね
欲しかったものじゃないものも
得られるよねぐらいの
主産物と副産物みたいな
考え方でいると
サンドウィッチの部分で
パンの耳とか
周りはいらないよねって捨てちゃう人も
もしかしたらいるかもしれないんだけど
そうじゃなくて
種であるもの以外のものが
やっぱり副とかサブであるから
意外に面白いものも
あるんじゃないかな
っていうこれやっぱりニュートラルで構えなんですよね
姿勢に近い
それも意識じゃないですか
だから
それを意識って言わない方がいいんですけど
っていうところがあります
なんで
話まとめますと
雑誌みたいなものが
あれば
雑誌みたいなものを読んでいなければ
ぜひ読んでください
読むと
雑誌の特集とか
対象者とかいろいろありますよね
だけどそういうのあるんだな
っていうのは
何か見つかるような気がします
わかりやすく言えば
本屋さんに行っていただいて
例えば
車に興味が全くない人が
車の雑誌を
パラパラ見てあげてください
それで
つまんないねっていう人ももちろんいると思いますが
その
嫌で
車を見るのも嫌とか
車の写真を見るのが全く嫌っていう人は
それはさすがにお勧めしないんですが
そこまででもないかなっていう
興味の関心幅って
興味あるものと興味ないものっていうのは
興味ないものっていうのは
興味があるもの以外って
大体
興味がないんじゃなくて
未着手っていうか
何もただ
未関心な方が多いわけですね
要は
食べてないだけっていうか
見てないだけっていうか
食わず嫌いってありますけど
嫌いにならなくてもいいわけで
食べてないだけって言っておけばいいんですよね
車見るじゃないですか
そうすると結構車興味ない人でも
車いっぱいあって面白いよねっていう
それは
車っていうのの解像度が低いから
車が何かわからないんだけど
本当に様々な車があるわけですね
新車から
アンティークじゃないけど
古いものとか
ヴィンテージか
ヴィンテージカーみたいなものとか
こだわりのスポーツカーから
オープンカーから
絞ってもいいですし
要はテーマとかやりたいことがいっぱいあるわけですよね
キャンプ行きたいからこれでやるとか
ドライブを楽しみたいから
これとか
テーマで選んでもいいし
見てもいいし
買わなくてもいいわけですね
見て自分の理想の車を探すのもいいし
もしくはエンジニアみたいな視点で
何か車を作るとかでもいいし
デザインの視点で
どういうものを作るかっていうのを
見てもいいかなと思ったり
します
だから
もし興味があればリアルの書店
どんな小さな書店でも
大きな書店でもいいですが
雑誌を立ち読みするぐらいで
いいかなと思います
書店さん向けで言えば
雑誌買ってもらえばいいですが
雑誌じゃなくても
他の本を買っていただくと
立ち読みだけっていうのは
申し訳ないと思えば
ぜひ買ってもらえると
いいんじゃないかなと思います
最近やってないですけどね
雑誌立ち読みするとかやってないですけど
雑誌を買って
全然自分が知らない業界
専門家が特にお勧めですよね
車でもトラック業界とか
トラック運転手のやつも
あったりとか
スポーツとか見られない方も
スポーツもいっぱいありますよね
今だったら野球の
プロ野球選手の
年間
野球選手一覧みたいなやつが
売ってて
シーズン始まってるんだなとかね
始まってますよね
そういうのも気づきますし
自分が知らない世界を
本屋を巡ることで
実はかなり得られるような気がします
その時に雑誌は一つの入り口となるし
パラパラ見るというやつですね
もし気になったら
やってみてください
というわけで
以上となります
ここまでお聞きいただきまして
ありがとうございました
以上失礼いたします
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