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スピーカー 1
はい、うちあわせCast第百三十一回ということで、今回もゲストにたくさんお迎えしております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ニュースというニュースは特にないんですが、先週の段階でもTwitterってXに変わってましたし、先週ちゃうは前回の段階でXに変わってたっていうのがきっとね。
変わってましたね。
僕はもう相変わらずTwitterと呼び続けますけども、Xってその同義語が多すぎてわからないですよね。
そうですよね、人によって。Xと言えばWindowsシステムの名前だろうって。
いろいろ。他の名前に変えるのはいいけど、もうちょっとアイデンティティの確定しやすいものにしようしかったですね。
スピーカー 2
そうですよね。ビジネスドキュメンタリーみたいなのを書いてる人がX社って表現できなくなってすごい困ってる。
そうですね、確かにね。特定の会社になってしまいますからね。そういうので楽しんでいるのが彼なんでしょうけども。
スピーカー 1
彼の遊びがどこまで進むのかは、不明ですが。
でも、マスクさんがいろいろ言われてて、僕も思うところはあるんですけど、逆に言うと私企業ってそういうもんですから、ある意味で。
今までTwitterが楽園すぎたかなというのはちょっと振り返って思いますけど。
それはそうかもしれないですね。
もちろん不都合とかいっぱいありましたけど、結構ギリギリまでユーザーライクな点が残ってたなとは思って、それが最後去っていいんだということで。
その流れは変えられないとは思いますが、そういうところですね。
あと、8月11日からゴリコさんがAtomic Readingという本を出版。
KDPで出版されておりまして、Atomic Thinkingに続く第2弾。
続編かどうかっていうのはちょっと議論が分かれるところみたいな。
スピーカー 2
議論が起こってまされないと申し訳ない。
続編っていうと基本的に1を読んだ前提で2を書くというところだと思うんですけど。
スピーカー 1
そういう感じではないと。
Readingというタイトルなんですけど、ドック書ということがテーマになってて。
Atomic Thinkingというすごい大きな枠組みの中に、もちろんその本を読むことも含まれているので、そこの部分に注目した、ある種ズームしたような感じの本かな。
だから続編というのはちょっと違うけど、シリーズではあるかなというところの本ですね。
結構個人の知的生産について語られた本ですし。
いわゆる大げさな話も特になくて、血の足のついた本の読み方。
面白いのは、読書しようというところだけだと読書メモって起こらないんで、他の人に紹介できるようなことを意識して読もうって。
スピーカー 2
僕らが僕課題数でやってるようなことなんですけど、そういう観点を持って本を読むと、もっとじっくりと読めるようになるよということが提案されてまして。
まあ近年のビジネス書では出てこないテーマかなという気はしますんで、こういうのがやっぱりそのKDPの面目薬女というんですかね。その本領発揮感がある内容だと思います。
スピーカー 1
アリミレットに対応してるんで、そちらを登録してるんであれば一応無料で読める格好ですと。
ショート連絡なんですけど、9月15日ぐらいかな、ロギング仕事術タイトルで僕の新刊が出ます。
スピーカー 2
ロギング仕事です。
ロギング、カタカナでロギング。
スピーカー 1
ロギング仕事です。
ログINGってことですね、要するにね。
スピーカー 2
僕らがかな、要するにレイリー形式で仕事をしている人は大体この形ですね。
スピーカー 1
リストを作ってその途中経過をちょこちょこ書きながら、記録をつけながら仕事をするよっていうことをやってみようってことを提案する喫水のビジネスですね。
僕にしては珍しく喫水のビジネス書というか、たぶん初めてじゃないからこんなにストレートにビジネス書みたいなことを書いたのは。
ああそうですか、そうかそうか。
だからある種の人にとっては全然面白くないかもしれないし、ある種の人にとってはすごく読みやすいかもしれないですね。
ちょっとだから読者層がこれまでと違うような予感があります。
スピーカー 2
なるほどなるほど。
また出たら、出たなりのタイミングでまた紹介させていただくということで、本テーマなんですけど、タイトルは気合と根性についてなんですけど、僕はあまり気合と根性が好きではない話なんですけども。
同じくです。
ツイッターXとスキルアップとの違い
スピーカー 1
特に気合は良いですけど、根性がちょっとあまり好かないところがあるんですけども、話題の発端がツイッターXからなんですけども、ちょっとふと気が付いたのが、最近スキルアップという言葉はよく耳にするんですけども、練習とかプラクティスっていうのをこの辺の界隈、ビジネス界隈とかノウハウ界隈であんまり見かけないなと。
大きなカテゴリーとしては、その2つって似通ってますけど、その言葉で表される内実ってちょっと違いがあるよねということをツイートして、それと近いタイミングでたくさんが、根性論っていうのはもちろんダメだけども、根性とか気合っていうものがかつて謎されていたものの中に、おそらく有用なものもあったのではないかと。
スピーカー 2
それは再発掘されても良いんではないかっていうツイートがありまして、なんかちょっとこの2つは共通項があるなというところを今回掘り下げてみたいと思うんですけど、どうですかね、とりあえず練習とかトレーニングってほとんど効かなくなりましたよね、どう思う、最近。
そうですね、こういう少なくともこういう知的生産系もそうだし、ビジネス実用界隈ではあんまり聞かない言葉ですよね。スポーツ界隈ではまだ。
スピーカー 1
そうですね、それは未だにそうですね。でもビジネス界隈と先程スキルアップとか、ナレージホニャララとか、何かカタカナであること以前にちょっとスマートな匂いがするというか、簡単に効果を上げられるっていうニファンスも感じるんですけど、僕は肉体的苦労を伴わない、身体性がないっていう言えばいいのかな、この場合は。
身体性がない感じがあって、スキルアップって言うと、ある種の技能がインストールされるというか、パラメータに何か追加されて終わりみたいな印象があるっていうのと、あとは、何がこの感触で違うかっていうと、変化かな、身体的な、肉体的な苦労っていうのと並行する話なんですけど、
スピーカー 2
スキルアップって変わってない。本質が何も変わってないような感じで、スキルというアイテムを手にするような感じなんですよ。トレーニングとか練習っていうのは、身体的な変化を伴う、身体的ないして認知的な変化を伴う印象があって、そういう比較するとスキルアップの方がスッといく感じがするんですね。
スピーカー 1
実はそれが現代的なスマートなのかもしれないけど、その2つってだいぶ違うかなと思うんですよね。
はい、はい、違うと思います。
スピーカー 2
何がどう違うかこれから検討していきますけど、僕的には練習的な方を好むという感じがしますね。
はい、よくわかります。もちろん場面ごとにして有効なものは違うでしょうけども。
スピーカー 1
より基礎的に役立つのは練習的な観点かなと。練習とスキルアップが何が違うのかちょっとわからないですけど、たくさんがおっしゃられて、根性とか気合の中に含まれている有用な成分ってイメージとしてどんなもんですかね。
例えば今お話聞いてて思ったのが、スキルアップと練習の違いっていう時に、スキルアップっていうとやっぱりインストールされる感じですね。さっき福良さんさんが言われたみたいに。
練習とスキルアップの違い
スピーカー 2
要するにOSが変わらずにあって、そこにインストールされる感じなんですよ。
で、ある種の練習の積み重ねってOSがアップデートされる感じですよね。
スピーカー 1
そうですね、そんな感じがします。
なんかそういう違い。気合と根性という言葉を使うかどうかは別として、そういう言葉で表現されていた何らかの行為を行わないと、OSがアップデートされないような部分っていうのはあるような気がするんですよね。
ずっと今入っているOSの範疇に留まってしまうというか。そこから抜け出すというか、そこを変えていくためにはちょっとそこから抜けなきゃいけないというか。
抜けるために何らかの鋭意が必要で、その鋭意は多分スマートさとはちょっと遠遠いところにあるという感じですかね。
そうなんでしょうね。でも練習にしてもスマートにやる練習とスマートにやらない練習ってももちろんあると思うんですけど。
スピーカー 2
一つ上、OSそのものをアップデートするっていうのは、アウトラインプロセッシングでいうとレベルアップ的な行為が起こるか起こらないかだと思うんですけど、練習とかトレーニングっていうのは基本的に地味な継続のことですよね。
基本的には。一回バットを振って練習したというわけにはいかないわけですよね。だから継続あるいは営みというものが練習という価値観に多分染み込んでいて、スキルアップがどうもそれを感じられないというところが違いなんですかね。
スピーカー 1
そうですね。難しいですけど、例えばスキルアップっていうとバットの振り方。バット振るときにもっと脇を締めて、軸足をこうして脇を締めて、コンパクトにするんだよっていう、それをできるように自分の形を作っていくっていうのがスキルアップのような気がするんですけど。
練習って素振り500回。
そうですね。はいはいはい。
そういうイメージがあって、それでもただ万全と素振りをしてるだけだとあんまり意味はないんだと思うんですけど、やっぱりスキルアップ的なところと素振り500回が両方必要なような気がする。
あーそうかそうか。
トレーニングするにも目標が必要で、スキルアップもどんなスキルを獲得するのかを念頭に置かない限りスキルアップはできないのは当然ですよね。練習はそこまでゴーモクテキ的ではない?
いや、ゴーモクテキ的じゃなきゃいけないはずですよね。
スピーカー 2
そういうことは何が違うのかな。
スピーカー 1
それとも、その型を獲得していくためには練習が必要ですよね。だから多分スキルアップ的なもののいろいろグラデーションがあるとして、一番表面ってコツを知るとかそういう話なんですね。きっと。
はいはい。
もうその瞬時に終わっちゃうみたいなそういうもの。
そういうコツがリーチできる層ってやっぱりアサインですよね。レベルアップしないというか。
じゃあそのもっと深いところ、継続の中でやっていくものがなぜレベルアップするのか。レベルアップに繋がるのか。
続く練習がレベルアップに繋がる理由
スピーカー 1
一つ目はやっぱり身体的な感覚が変わるからだと思うんですね。
間違いなく。繰り返されることで身体そのものをいわゆるマッスルメモリー化していく。マッスルメモリーが変わるってことは人間の認知が変わるということなのできっと。
だからより考え方そのものもそこで変わっていくという。世界がどう見えるかが多分変わるからアップデートされるということはまずあるでしょうね。
そうですね。
必ずしも練習の問題だけじゃないような気がするんですけど。
前もこの話した気がするんですけど、昔勤めてた職場に上司がいたんですね。
すごい尊敬してる上司がいたんですけど、
その人はあんまりPCの使い方もおぼつかないような、当時すでに60代だったのでそういう人なんですけど、
何がすごいかって、僕たちが仕事で顧客名簿を扱ってたんですね。
何千人分かの顧客名簿。そのデータをいろいろ、
この顧客が何をどうしたこうしたっていうのを数字で分析するようなことをしてたんですけど、
その上司がそれを全部プリントアウトしてるんですよ。
全部壁にプリントアウトして、蛍光ペンとかで線引いて、アナログでやるわけですよ。
それって今の仕事のやり方からすれば笑われてもいかないですけど、
でもその人の仕事って誰にも真似できないんですよね。
要するに何かデータの扱い方に問題が生じたときに、
それだったらこれをこうすればいいんじゃないっていうのをことごとくまとえてるんですよ。
どのぐらいその人がその仕事に熟達しているかというと、
あるときその上司が外出先から電話をかけてきて、
リストの中にあるある顧客について調べなきゃいけないこと、
支給確認しなきゃいけないことがあるって言われて、
僕は当然PCからデータを開いて探そうと、検索しようとしたんですよね。
そうじゃなくて、俺の机の上に紙プリントアウトしたやつがあるからちょっとそれ見てって言われて、
いいでしょうかね、から見に行ったんですね。
それと分厚い束があるわけですよ。
その紙の36枚目の上から7行目にあるからですよ。
本当にあるでしょ。
それを開くと、びっしり手書きでメモが書き込んであるんです。
そのメモの右の方にある吹き出しのピンクの蛍光ペンで書いてあるところにあるんです。
たぶんその人の仕事ってどれだけ効率的にデジタル化してもおそらく真似できないんですよね。
どうでしょうね。
じゃあそれが全ての人が真似するべき正しい仕事の仕方かというと、
それはまたもう一度議論する必要があると思いますけども、
例えばそういう違い。
アナログ的な仕事と到達点
スピーカー 1
ある種の到達点。
そういうアナログ的に膨大なエネルギーを投入したアナログ的な仕事によって至るある種の到達点には、
もう二度と誰も到達できないんじゃないかと思うんですよね。
確かに。
検索すれば出てくるというようになってしまった時点で、
もうそういう風な仕事ってできなくなったんじゃないかと思って。
よほどひねくれ者でない限りは。
選択肢に上がってこないですよね。
プリンターとして持ってくるっていうようなことをしようとも思わないですからね。
スピーカー 2
そのあと吹き出しで欄外にいろいろ書き込んでるっていうのは何で書いてあるのかっていうと、
結局その人は暇があるとペラペラにそれをめくりながら見てるわけですよ。
なるほど。
スピーカー 1
目についた、気がついたことをそのたんびに長年書き込み続けてたんですよね。
だからもうそのリストのすべてがその人の中に、脳の中に転移してるんですよね。
まあそうでしょうね。それは全くもって身体化してるということですね、情報が。
もちろんそれを丸ごと真似しろとは誰にも言えないですけど、
何かその中には捨ててしまってはいけないものがあるんじゃないかなっていう。
そうですね。効率が悪いからといって切り捨てられるものでないことは確かですね。
そうなんですよ。
結構それは本質に近くて。
スピーカー 1
まず検索で見つかるからそうやって、
例えば覚えてること、さっきみたいな場所とかが覚えてることが無意味かどうかですけど、
まあ無意味ではないはずなんですよね。
ないでしょうね。
どの話がいいかな。
例えばですけど、変な話。
これ僕よく使うんですけど、
自分が占い師とこに行って占ってもらうときに、
その占い師がiPadを見ながら占いの結果を答えてたら台無しじゃないですか。
その専門的知識っていうのは頭の中にあることが前提っていうのがそのがっかり感からくるわけですけど、
頭にあることによってその知識が使えるようになるというかアレンジできるようになる。
必要に応じて合成したりっていうのがその人の脳内でできるようになる。
スピーカー 2
だから専門的知識が辞書にあるからって本人が覚えてる必要がないってことは全くなくて、
スピーカー 1
これ極端なことで言うとそのお医者さんがそうですよね。
だから緊急的なその今すぐにその診断しなければいけないような状況で、
すいませんちょっと医学辞典も入れますっていうわけにはいかないじゃないですかそれはね。
スピーカー 2
だからある種の専門値っていうのは専門家の中にあるべきですし、
あることによってその専門家としての働き方ができるっていうことがまず一つあると思うんですよ。
心理学の実験で夫婦の記憶力を試すっていうのがあって、
相手、配偶者が得意な事柄。
スピーカー 1
例えば配偶者がF1が好きとか大工が好きとかっていうことがあるじゃないですか。
スピーカー 2
そういう事柄についてこれを覚えてくださいっていうテストをしたときに、
その得意じゃない方の配偶者はまず覚えてないらしいんですよ。
なぜなら相方が覚えてると思ってるから。
注意が向かないんですね。
自分が覚えなくてもいいと思ってることは人間は覚えないわけですよ。
そうするとコンピューターにあることってまず覚えないんですね。
注意が向かないから。
スピーカー 1
だからそうすると専門家の専門的知識がコンピューターにあると、
スピーカー 2
その専門家ってインデックスは持ってるけども、
その知識は把握しないっていうことなんですね結局。
どこに行ったら見つかるかは知ってるけど、
スピーカー 1
知識を使える形で持ってないと。
持ってないから例えば分析とかもできないですよね、
基本的には頭の中で。
エネルギーと身体観
スピーカー 2
だから深まっていかないっていうことがある。
できる上司の方は今言ったことの全く逆をやっておられて、
スピーカー 1
自分の中に知識を蓄えて分析を進められて、
瞬時に引き出せるあるいはそのインデックスを持っているっていうことができていた。
それでさっき言った注意を向けてたってことなんですけど、
もっと言い換えるとエネルギーなんですね。
さっきタクさんが言ってたエネルギーをかけた。
練習に必要なのもエネルギーですよね基本的に継続的に。
スキルアップっていうものから剥ぎ落とされてるのは、
必要なエネルギー量じゃないかなと。
これぐらいのエネルギー本来必要ですよってことが隠蔽されるんですよ。
スキルアップっていうと。
そうすると、確かにそのスキルは身につくかもしれないですけど、
スピーカー 2
その対象に向けてるエネルギーが小さいから、
結局獲得してるものってそんなに多くないんではないかっていうことを、
多分僕が漠然と懸念してることはそういうことなんではないかなと聞きながら思いましたね。
なるほど。でもそうですね、エネルギー量。
エネルギー、それとやっぱり身体感覚っていうのは関係してるってことですよね。
エネルギーを使わないと体は動かないし、
スピーカー 1
体が動かさない限りその体が覚えることはまずないので、
スピーカー 2
身体観のためにはエネルギーが必要で、
エネルギーと、エネルギーっていうのは認知エネルギーを含めてもいいと思うんですけど、
そういうのがないと知識が入ってこないっていうこの関係になってるので、
スピーカー 1
だからやっぱりその根性とか気合っていうものが必要とするのはエネルギーですし、
それを完全になくしてスマートにやろうとすると、
あなたはエネルギー使わなくていいですよっていうメッセージなんですね、
基本的にそのスマートさっていうのは。
それはやっぱり違うだろうと。
スピーカー 2
もちろんそのエネルギーをどう使うのかをスマートに考えるのはいいと思うんですよ。
スピーカー 1
どうせ同じエネルギーを使うによったら効果の上がることをしましょうっていう賢さは必要だと思うんですけど、
だからといってエネルギーを使わなくていいっていう、
ある種汗水かかなくていいっていうのは多分幻想というか、
誤った方向への理解を誘っている感じがしますね。
インストールという言葉の時間的とかエネルギー的な欠落感かな、
そんななくてもいいよっていう感じが多分ちょっとうさんくさいし、
そういうことの繰り返しで見つくものの幅は多分狭いんじゃないかな。
例えば今でも文章を書く練習するときって、
いわゆる写経というか好きな作家の文章を手で写す、
別にペンでもいいしタイピングでもいいですけど、
コピペじゃなくて一個一個文字を写すっていうことは確実に効果があるんですね。
これも間違いなく身体化に影響があって、
それはやっぱりエネルギーをかけてるからですよね。
だからそのエネルギーの量と得られるもの、
スピーカー 2
知識だけじゃなくてもっと深いものも含めて得られるものは多分比例というか、
片方がプラスになったらもう片方もプラスになるという関係になっていると思うので、
だからそういうエネルギーをなしにしましょうっていうことが消えてしまうのはやっぱり良くないし、
根性とか気合じゃない言い方はいつもですけど、
地道に頑張りましょうっていうことは避けては通れないはずなんですよね、きっと。
そうなんですよね。
それを例えば誰かに伝えようというときに、
いや無駄ですよねって言われたときに、
なかなかその無駄じゃないんだよねっていうことを伝えるのって難しいですよね。
でも実際に無駄である場合もあるわけじゃないですかね。
もちろんそうですね、無駄ではありますね。
単純な成果でいうと無駄である場合は、
上司の方だって例えばごく簡単な質問であれば、
データベース検索書が入ることは間違いないわけですから、
深いレベルでないと見えてこない効果っていうのが多分あって、
それは言葉で表現できないから、
説明というレイヤーでは処理できないことなんじゃないですかね、これはきっと。
そうなんですよね。結局経験しないとわからない。
わからないという身も蓋もないもの。
あるいはそれを持って経験している人をある種間近で見て体感するっていうことしかない。
その表面的にメリットを列挙しても、
全体像には決してつながらないような類のものじゃないですかね、これは。
ただでも逆的にエネルギーさえかけりゃいいんだっていうことになると、
昔の根性論になってしまうんですね。
知識の身体化と練習の重要性
スピーカー 2
そうすると本当に根性論になっちゃうんですよね。
ここが難しいところなんですけど、
効果的にエネルギーを使おうということですよね。
それが難しいわけですから。
それが難しいんですよね。
うーん、まあでもそうじゃないですかね。
だからちゃんとGPTを使えば論文とかもまとめてくれるから
一切読まなくていいみたいな話があって、
それも間違いなく情報接種の形はそうなんですけど、
でも多分それはその人のその分野に関する理解を
多分1ミリたりでも深めていないと思うんですよ。
情報を知っただけというか。
だからその人がその分野で新しい知的貢献をするのは
多分かなり難しいと思うんですよね。
スピーカー 1
もともと自分が知っている分野で、
スピーカー 2
もうそれをわかりきっている論文がアブストラクトだけ欲しいという時には
多分便利だと思います。
でも未開の分野に入ってくる時に、
そういう要約だけに任せてても、
その人の理解っていう形の身体値は何も変わってないので、
だから多分何も不運で終わるでしょうね、きっと。
そう思いますよね。
だから何かを理解するっていうのは身体値の変化っていうことなんですね。
ここを何かのインストールと間違えると多分謝ってしまうというか。
身体値、そうですね。
何かをわかっているっていうことは、
何かを知っていることとはちょっとレイヤーが違うというか。
単にうまく説明できるとかそういうことじゃなくて、
理解している感覚っていうのは、
スピーカー 1
脳の中に地図があるという言い方としてもいいですし、
モデルがあるという言い方としてもいいんですけど、
操作できるんですね、おそらく。
スピーカー 2
その概念について、概念操作ができるっていう。
そういうのはやっぱり自転車を乗るのを覚えるのと同じで、
やっぱりトレーニングというか練習区間というか、
ある種の何かに我慢するということではないんですけど、
耐えるかな、耐えるはちょっと言葉きついけど、
直接的な成果が得られない期間がしばらく続かないといけないっていう感じかな。
スピーカー 1
それが多分練習であり、気合を必要とするタイムだと思うんですね。
スピーカー 2
だから、やりました、すぐ成果が返ってきますっていう時間感覚でいいものと、
そうじゃないものがあって、問題解決の多くって、
知っては解決できるものっていうものは、
当然例えば赤いボタンを押したらこうなりますみたいなのは、
スピーカー 1
その知識のレイヤーで解決しますけど、
技能を増やすレイヤーでは、練習的なものが必要で、
例えば知的生産の技術で言うと、カードを使うとかノートを使うって話があるじゃないですか。
特にデジタルノートで言うと、デジタルノートを使うというときに、
取扱説明書みたいなものを読んだとしても、結局何も使えないんですよね。
ノートを使うという行為の身大地が身についてないから。
ここは絶対に練習が必要なんですよ。絶対にこれは。
ノートを使うという練習が必要で、僕たちはそれを義務教育の中で、
紙のノートの使い方を練習してきたから、
今日いきなり使い始められますけど、デジタルノートってそうじゃないので、
練習が必要なんですけど、練習という概念が欠落していると、
どうなるかというと、テンプレートをお真似しようみたいな話になってしまうんですね。
ここなんですね。今急に知的生産の技術に話を戻しましたけど、
知的生産の技術も、技術って言うとぼんやりしますけど、
実際は技能なんです。身体化された技能なんで。
技能のためには練習が必要だけど、練習が必要だねっていう話を
特にこの分野でも聞かなくなってますね。
これは結構大きな問題。本を読むって、でも実際それって、
文字は読めますけど、本を読めるようになるのって実は練習以上なんですよね。
そういうことも全て置き去りにして、2時間本を読めば、
本の読み方
スピーカー 1
なぜかそれができるようになっているみたいな感じが、たぶんノウハウ的には
損失というか、なんかもったいない状況になっているかなという感じかな。
ただ難しいのは、たとえば本の読み方ってたぶんいろいろあると思うんですけど、
たとえば、まず最初に目尻に目を通して、
で、あと書きを読んで、それから最初をパラパラめくってみたいな、
そのやり方としてそういうものってあると思うんですけど、
やっぱりその本から一番たくさんのものを得ている人って、
そんなこととは関係なくむさぼるように読んでいる人じゃないかという気もしますよね。
むさぼるようになれるまでに時間がかかるってことですね、この場合。
はいはいはい、そうですね。
大体、何かの本で読めますけど、本を集中して読むこと自体が
一種の訓練を必要とする行為なので、あれ。
今本を既に読書好きの人はそんなこと当たり前にやってるから、
今日から本読む人もそれがすぐできるようになると思うかもしれませんけど、
まあならないですね。
大体、ものすごい相性のいい本と出会って、
その本をむさぼるように読む経験を積み重ねて、
初めてそれが技能化している、その人のヒストリーがあるはずなんですけど、
そこが全く抜けている。
だから、前のノウハウ本の話でヒストリー的なことを言いましたけど、
ヒストリーって結局エネルギーの歴史なんですね、その人が向けてきた。
そういうふうに捉えれば、今の話とくっつくかなという気がしますけども、
こんだけこの人は試行錯誤してきたんだっていう体験を知る、
そこにかけられたエネルギーの積分を知るということなので、
スピーカー 2
そこで多分初めてこういうことなんだっていうのがちょっと伝わってくるっていう側面があるし、
スピーカー 1
それがない本か、だからちょっと薄っぺらい感じがすごくしてしまうのはその辺かもしれないですね。
だからそんなに簡単にはいかないよねっていう気がしてしまう。
そうですよね。だからこれ結局その仕事が、仕事ができる、できないってどういうことかとか、
スピーカー 2
昔からよく考えるんですけど、多分それとも関係してるんですよね。
スピーカー 1
かけたエネルギーとその時間、例えば経験値っていう言葉で数値化してみたとしても多分表現できない何かがあって、
感覚としてはわかるんだけど、なかなかそれを一般化できないというか。
そうですね。これはだから、技能を見つける道のりって、脳学語の本とかでも書いてあるんですけど、
ある人が何かをマスターするっていう道のり、手順っていうのは人によってかなり違うらしいですね。
同じ行為でも。だからそもそもそれが一般化を拒否してるというか脳の性質自体が。
だからもうこれは仕方がなくて、だからもう究極的には自分の道は自分で歩いてもらうしかない以上、
やっぱりその歩く気持ちをどれだけモチベートできるか。この道を歩いてみようと思えるか。
あとその道って歩くのしんどいけど楽しいよっていうメッセージでないと、
スピーカー 2
楽やと思って二歩歩いたらしんどかったからやめたっていうことになってしまわないようにするっていうことが多分必要じゃないですかね。
スピーカー 1
だから簡単や簡単やと言って引きつけると、やっぱりその必要エネルギーの木さんが誤ってしまう。
でもだからといってエネルギーが必要ですよと脅しつけても誰もやらないので。
モチベートとセットになって初めてこう意味を出すというか、そういう層があるような気がしますね。
もう完全に指導論になっちゃいますね。
何かを自分で身につける場合は自己指導ということになってセルフコーチングみたいなことになるわけですよ。
結局一緒ですよね。だから他人にこういう時でも自分で学ぶ時でもエネルギーをかける必要があるし、
かけたことによって自分の身体的なものが変わっていくから初めて身についたと言えるっていう認識を持っておく。
だから根性とか気合っていうものは、根性・気合・練習どれもそうなんですけど、
快・不快の、快ばっかりじゃないですよね。むしろ不快の方がちょっと多いかな、その期間は。
そこをくぐり抜けないとたどり着けない場所があって。
これを全工程すると大抜とかの工程になるからややこしいですけど。
だからといって全てが快やからうまくいくっていうことはまずなくて、
日本の詰め込み教育の批判みたいなのがあって、
アンチテイメントとして子どもが好きなことをやらせればいいみたいな教育方式があって。
スピーカー 2
でもやっぱりそういうと基礎学力が非常に劣ってしまうのに対して偏ってしまうことが起こると。
それは当然そうですよね。
ある種基礎的なものを教え込まれるというのは、本人が興味がないことであっても、
とりあえずこれを覚えてみようっていうわけですね。
ある種の押し付けですよね。
スピーカー 1
その期間中はたぶんそんなに怪異ではないと思うんですけど、
でも例えばあれを学んでてよかったなっていう時間を超えた怪異っていうのはやってくる可能性があって。
だから不快というものを全てシャットダウンすると、
大きな変容、さっき言った大きな変容が起きづらい。
だからある種の不快とどう付き合うかっていう話でもあると思うんですけど。
スピーカー 2
うまくいかない期間とか練習期間っていうものを枠組みの中に入れる。
文章を書く頑張り
スピーカー 1
ただそれは自分だけでは難しいよなって思いましたね、今言いながら。
他社からのある種の要請、強制というと強いですけど、
やってみたらという提案みたいなのがないと、
自分だけは怪異に閉じこもりがちかなとは言いながら思いましたね。
もしくはそれを実践している上位者、上級者の姿みたいなものもある必要かもしれないですよね。
個人で閉じた学びっていうのは狭いところに陥ってしまうっていうのはあって、
それは僕自身フリーランスでやってても強く感じることですけど。
やっぱり本の企画とか文章とかでも自分だけで考えていいところを持っていったとしても、
やっぱりそれは非常に狭いフィールドのいいところでしかなくて、
もっとでかいフィールドのいいとこあるよねっていうのは、
他人と察してみないと気づかないっていうのはありますね。
大学なんていうのはそれを得るためにお金を払っていくところなんでしょうね。
そういうバーとしての効果っていうのが間違いなくあって。
例えば他人と本の内容とか文章についてやり取りするってことも会話だらけじゃないんです。
当然ちょっと不快なことも起こるわけですね。
イラッとされることもすることもあるわけです。
でもやっぱりそれを避けて通れないと。
会話とかでも相手のことを褒めまくっていったら楽しい時間かもしれないけど、
それって違いますよねっていうことを言わない限り発展的にはならないわけじゃないですか。
現代的なノウハウってその辺がまるっときれいに創業されて、
スピーカー 2
会でできたレッドカーペットを歩くみたいな感じがするのがリアルとちょっと乖離しているなっていう感じがありますね。
スピーカー 1
でも練習に限らず、そういうやり方の実理的な面というか、
ちょっと違うかもしれないんですけど、
例えば文章を書くじゃないですか。
書いて、ちょこちょこっと赤い入れして、またそれを反映して、
また赤い入れして反映してって繰り返してないですか。
80点ぐらいになったから、一応これで終わりってしても許されるだろうなっていうところを越えて、
それでもまだちょっと、もうちょっとこうしたらいいんじゃないかとかこうやってやり続けて、
直し続けてって気がつくと、毎回必ずじゃないですけど、
たまに気がつくと自分が書いたと思えないような文章になっていることって起こるんですよね。
で、それってこのぐらいで出しても提出しても許されるだろうっていうところを越えて、
直し続けないとそうはならなかったっていうことがあるじゃないですか。
で、それを越えてやるかどうかっていうところが、
気合という言葉で表現された何かのもうちょっと何か違う名前にしてほしい何かというか。
そこはやっぱりどうなんですかね。
プライドというとあれですけど、自負も違うから、
でもなんか自分もっといいものを出したいという気持ちに駆動されている感じはあるんですかね。
そうでしょうね。もしくはもう少し傲慢な感じの、
いや、もっと俺は優れてるんじゃないかっていう幻想みたいなもの。
それは当然幻想なんですけど、たまに本当に良くなっちゃうことがあるじゃないですか。
なるほどなるほど。
それってたぶん自分の能力とはちょっと違うことというか、
優れているからというよりも直したから良くなったっていうことってたまにあるんですかね。
たまにある。
そうですね、ありますね、ありますあります。
ただ残念ながら、それさえあれば毎回必ずそうなるというわけでは全くないところがあれなんですけど、
結構そこの、そこにエネルギーをかけるかどうかってなんか個人的には大事な気がしていて。
そうですね、コスパで言うと完全にコスパが悪いわけですから、
まあ80点でいいやろっていうことになるでしょうね。
スピーカー 2
だからそうじゃない何かの価値観を持っているからできること。
ある価値観というか、さっき言った傲慢さで自分がやったことができるだろうという感じ。
いやでもこう、本を書くときに毎回思うんですよね、その途中ぐらいで。
俺はなんでこんな壮大なことを書くことをしたんだろうっていうことを途中で思うんですけど。
でも逆に言うと、その途中の間隔を見通せたとしたら、まず本を書かないわけですね。
もっと細かくまとめてしまおう、最初の段階で。
書けるだろうということで書いてしまう。
だからある種、書くときの自分が見通せないバカだから進める道があって。
スピーカー 1
これは根性論、でもある種途中で根性論に必要ならない。
歯を食いしばるようなことは必要となってくるんですよね。
自分に手に負えないものを書こうとするから。
そうですよね。でもやっぱり自分が楽に書けるんじゃないレベルのものを、
例えば倉田さんが書こうとするときに、やっぱり歯を食いしばらなきゃならないポイントってあるわけじゃないですか。
ありますね。
そこって気合とか根性として言いようのない何かって必要になりません?
そうですね。だから、あんまりかっこいいものではないし、人を強制するものでもありますけど、
スキルアップの関連性
スピーカー 1
その人ならではの何かが出てくるポイント。
だからどこに頑張るかによってその人の個性って出てくるわけじゃないですか。
その人のものが出やすいポイントでも確かにあって、扱いが非常に難しいですね。
安易に褒められないし、かといって否定もできないしというところで。
そうなんですよね。
だから多分その用法と分量を間違えないってことですね。この頑張りについて言えば。
スピーカー 2
そこをうまく制御してくれる役割が多分、商業出版だから編集さんがいるわけですよね、きっと。
どういうことを考えても、やっぱりこういう一人では自分が自分の手綱を握っているだけだと、
どちらにしろあいあい癖がありますね、これはきっと。
まあでもきっとそれがうまくいくと、そのプロセスを経て終わったときに、
なんかこうちょっと新しい自分になっていて、結果的にスキルアップが起こってるわけですよね。
結果的にスキルアップが起こってますよ、それは間違いない。
僕は今まで書いてきた本の中で、やっぱり一冊終わるたびに何か文章的な能力向上があったというのは確実にあるんですけど。
でもスキルアップを……違うな、どういう対応……やっぱり結果的にスキルアップした。
一冊の本ごとに僕は何かチャレンジを決めている、こういうことをしようと。
スピーカー 1
これは村上春樹さんのマネなんですけど、一冊書くときに何か自分がこれまでやってこなかったことをやろうと思ってやってる。
そのチャレンジがなかったら得られなかったスキルアップですけど、
でもチャレンジしようとしたことと得られたスキルアップが直線的に結びついてるわけではないんですね。
だからね、スキルアップなんだけど偶然のスキルアップでしかないっていうところが、
その業目的的なスキルアップとの微妙な違いかなという気もしますね。
し、そのスキルアップを起こそうとしてやっても起こらないわけじゃないですか。
そう思いますね、きっと。それはきっと思います。
気合いと根性
スピーカー 1
って考えると、やっぱり気合と根性が先に来るんですね。
だからこの気合と根性というのが業目的的ではない、ある種の頑張りを続けることというならそうですね、黒きっと。
そうですよね。
だけどじゃあ気合と根性さえ注入すれば、そういうことが起こるかっていうとそんなことは絶対ないわけで。
だからある種の困難にぶつかることが避けがたく、その困難はどうあがいてもスマートさでは乗り越えられないものであって、気合と根性を必要とするが、
ないならないとしたことはないなと思いますけどね。
もちろんそんなものを使わずにスマートに仕事をできたらいいなと思いますけど、それは結局ノンチャレンジングな仕事ということなので。
ノンチャレンジングな仕事をして大金が得られるんやったらそれにしたことはないんですけども、人間の技能って何もしなければ例えば劣っていく一方なので、
現状維持のためにもスキルアップというかトレーニングは必要ですから、
何かしそのある自分の仕事の中にちょっとしたチャレンジング、大きなチャレンジングというよりはちょっとしたチャレンジングを設けておくで、
それを超えるためには気合と根性というか、ある種の苦労は避けては通れないということを引き受けておく。
苦労は避けられないという。苦しいと労力の労ですかね、苦労って。
英語のエフォーと。
こればっかりはもう、ある種ライフハック的ではありますけど。
どんな苦労を引き受けてどんな苦労を引き受けないかっていうところは、少なくとも英知が働くところではあると思うので。
そこを考えない根性論が一番多分いいビューですね、きっと。
あとそれが必要であるということを隠れミノにして人を支配するために使われるというのはありますね。
この辺は一番警戒しなきゃ。だからこそあまり好きじゃないんですけどね、要するに。
簡単に語られる根性っていうのは、人を使い倒すための一番いい隠れミノですからね。
そうですね。
それは自分自身もゆえで、頑張っている自分に寄ってしまうとまずいんですよね、結局。
特に個人事業主とか特に起こりがちなので。
だからそういうところにはまらないようにしてはいるんですけど。
でもじゃあそういうの全くなしで仕事してるかというとそういうわけでもないっていう風なリアル。
だからやっぱりリアルは複雑なんですね。常にリアルというのは複雑な形をしていて、記述が単純には済まないというところがありますね。
そうですね。
だから変な話、EvernoteでもNotionでもWorkflowでもいいんですけど、やっぱり練習しようっていうものがあってほしいですね、トレーニング。
どう練習したらいいのかわからないですけど。
使い方を。
スピーカー 2
今まで僕は慣れるっていう言い方でごまかしてましたけど、慣れてみようみたいな言い方をしましたけど、でもそれはやっぱり練習期間なんだと思いますね、きっと。
スピーカー 1
いきなり成果に役立てようとすると挫折するじゃないですか、これは。
だから何か買い物リストを作ってみようも練習ですし、練習ってことは失敗してもいいってことですから、逆に言うと。
そういう期間をもって初めてツールが手に馴染むというか、この身体化するための時間っていうのを計算に入れたノウハウ本っていうのが全うじゃないですかね。
ゴルフのスイングブックでもやっぱり練習法って書いてますからね、きっと。
書いてあるでしょうね。
でもやっぱ知的生産のノウハウってそういうのがほとんどなくて、そのノウハウの手順さえ示せたらできるでしょみたいなその定義で書かれてるんですけど。
やっぱり例えば定法とかでも、最初の見出しを作る、名札を作る練習とかもあっていいと思うんですよね。
スピーカー 2
いきなり全部やるんじゃなくて名札だけ作るとか、KJ4のA型だけ示されてるからこれをB型にしてみましょうみたいな練習とかがあったほうがやっぱり役立つ気がしますけどね、なんとなく。
そうですよね。たとえばそのA型の練習をするためにすでに出来合いで内容が書かれたカードみたいなものがあって、じゃあこれをA型で分類してみましょうと。
でこれを次にB型で文章化してみましょうみたいなのを練習するためのあれがあってもいいですよね。
練習ブックがないんですね、基本的には。
セミナー的な場所ではそれをやってると思うんですけどね。
川北さんはよく移動大学とかでセミナーとか講演とか講義とかやられてまして、そういう現場ではきっとやっておられて。
でも本という形にはなってなくて、彼らが書く本はそもそも論文寄りとかエッセイ寄りのもんで、練習ブックっていうのは多分コンセプトになかったと思うんですけど、普通にあってもいいですよね。
それこそGTDとかにしてもね。
そうそうそうそう。やった方がいい。あれ各ステップごとの練習があってもいいと思いますけどね。
リストがあってこれを振り分けてみましょうとかっていうのもやっぱりやった方がいいし。
いきなり自分ごとでやるとやっぱり難しいんじゃないですか、あれ。
いやーそうだと思いますよ。
スピーカー 1
なんかきっとちょっと重たいですもんね、なんとなく。
練習とトレーニング
スピーカー 1
これ前話したかもしれないですけど、オランダのテレビ番組でデビッド・アレンの取材をする番組があったんですね、昔。
スピーカー 2
女性のアナウンサーみたいな、キャスターみたいな人がデビッド・アレンの取材に行くんですよ。
デビッド・アレンが来るんですよ、その人の家に。
で、実際にその人がその家を片付けるのを手取り足取りデビッド・アレンがやるんですけど、ものすごい厳しいんですよね。
とにかく全部書き出せって。
スピーカー 1
いやそれだけで、それ絶対それだけじゃないはずだろうって。
スピーカー 2
ニコニコ笑ってるんだけどすっごい厳しくて。
スピーカー 1
泣き出しちゃうんですよね、そのアナウンサーの人が途中で。
スピーカー 2
そんなぐらい厳しいんだけど、結局最後までそれをやりきるんですよ、番組の最後で。
そうするとね、よくやったねって抱きしめるんですよね。
まさにそれはでもね、気合が必要なんだっていうことを見せつけてるんですよね、なんか。
スピーカー 1
そうですね、トレーニング、実践ならでは。
こんまりさんの整理図でも、やっぱり捨てられない人に対してすごく厳しく捨ててくださいって。
そうですよね。
だから結局外部者が与える厳しさっていうのがないとなせないことっていうのがあって。
一人でノウハウ本を読むってそういうのが入り込む余地が全くないんですよね。
そうですよね。
全てナーナーにしてしまうことがあって。
それは読んでて気持ちいいことではあるんですけども、それだとやっぱり身につくところは少ない。
でもこういう話をすると、じゃあその高額な先生に行ったらいいのかということになってしまって、これは難しいんですけど。
でも例えば変な話、タスクシュートっていうツールもあれはやっぱり実際に講師の方に横についてもらった方がはるかに習得率が高いと思いますね、あれは一人でやるよりも。
そうですね、あれも結構なんていうか、練習が必要な感じしますよね。
スピーカー 2
1分以内のコードを1分でコードを書きましょうっていうのはやっぱり練習が必要だと思いますね、あれは。
その意味で言うとタスクリストを作るのも本来練習が必要なはずですね。
あまりにも簡単に書けるから僕たちはそれを意気揚々と使ってますけど、でも例えばRevisionっていう本でそのタスクリストの使い方みたいなのをわざわざ本で書いてるわけですけど、
スピーカー 1
でもそれ読んでああそうかっていう人もいるわけで、それは。
大得されてるもんではないんですよね、その箇条書きしたらタスクリストが使えるっていうとイコールではないわけですから。
そうですね。
多分初心者の人と作り慣れてうまくやっている人のそのあれを比べると、タスクリスト作るのってそんなに簡単じゃないんだと思うと思うんですよね。
そうですね。
結構難しいですよね、有効なタスクリストを作るのって。
マニュアル化の限界
スピーカー 2
特にタスクの名前をどうするのか、それだけ流度の問題と関係するんですけど、が多分一番最初に引っかかる一番難しい問題じゃないですかね。
スピーカー 1
でしょうね。
それがクリアできたらもうほぼ中級者ぐらいの勢いはあると思いますけど、あとは順番の問題とか、先送りとか他の人に委員した後の処理どうするとかっていう複数的な問題ありますけど、やっぱりタスク名をどうするかが一番大きい問題ですね。
スピーカー 2
そうですよね。タスクをうまく文字で表現できたら、もうそれだけで。
スピーカー 1
今の学生は知りますけど、そういう訓練は僕たちはほとんどしてこなかった。ある種の表現の問題なんですけども、頭の中にある概念を言葉にするっていうことをほぼ訓練してこなかった。
今もしかしたら情報科の授業でやってるのかもしれないですけど、だからやっぱり大学生とか社会人だって急にやりなさいって言われても、やっぱり練習不足が出てくるんじゃないですかね、これは。
そうでしょうね。
練習不足だからできひんことを向いてないとか、役に立たないってなってしまうのはちょっともったいないので。もちろん練習しても向かない人はいますけど、それはもちろんね。
練習したらある程度できるようになることっていうのは確実にありますからね、それは。
スピーカー 2
前々からそのテキセイさんのトレーニングブックって必要じゃないかなっていうのをずっと思ってたんですけど、今回の話でなんかより確信が強まりましたね。
スピーカー 1
トレーニングブック、そうですね。
これは多分普通に本を書くより難しいですね。問題を作る方が難しいですから。適切な問題、つまり人の理解をクリアにするための問題の立て方っていうのがあるわけですね、これは。
スピーカー 2
ちょっとした違いによって、これが違いますよみたいな条件設定によって、その問題を解くことで初めてクリアになるっていうことがあるわけですけど、それは相当それについて理解して、
スピーカー 1
あるいはその情報をストックしておかないと、その実例の情報をストックしている人でないとなかなか作れないんじゃないですか、これはきっと。
もしくはもうそういう一般化しようとせずに自分の例でやっちゃう。
それはそれでもいいですね。
現実的にはもちろん。
そっちのほうがやりやすいか、やりやすいかと思いますね。
これも結局ノウハウ本をどう書くのか問題に引き継いでしまうわけですけども。
他の人が勝手にマナーで勝手にやっときゃいいって言うんやったら、別にそれはそれでいいんですけど。
根性論っていうのは強みに出るか全く間引かれるかのどっちかであることが多いし、それは自分と無関係ではいられないところがありますからね。
社会の中で人が教えられるっていうのはもう偏在しているというか、どこにでもある話ですからね。
スピーカー 2
仕事場に行って、後輩とか新人さんに何か業務を教えるっていうときに、練習の観点があるかないかって言うとだいぶ違うと思いますね、これは。
スピーカー 1
教える側にですか。
やっぱりその、できる人やと言ったら相手もできるみたいな感じになって、それは全然教育になってないよと思うことが多々日本の職場ではあるんで。
スピーカー 2
だからその、よく古いやり方で、昔は先輩に3ヶ月くらいひっついて書き回りをして、とにかくひっついてずっと見てるみたいな仕事の教え方ってあったじゃないですか。
スピーカー 1
多分今ってそういうことはもう許されないと思うんですよね、コスト的に。
だけど多分その中、全てではないにしても、やっぱりそこにも何かこう、変わりのない何かがあったような気がしますね。
あったと思いますね。間違いなくだって本人が言語ができない技能がそこには出てくるはずで。
言語ができてないものは言語で伝えられないわけですから。
そうですね。それで、いや、そういう俗人的な仕事はよろしくな、マニュアル化しろっていうのはもちろん正しいんですけど、でもマニュアル化できないことってありますよね。
ありますね。それは間違いなくあると思いますね。
例えば、第三者機関を入れて仕事を細かく分析して作るマニュアルやったらあり得るかもしれないけど、実行している当人たちが作成するマニュアルは確実に盲点があると思うので。
自分が何をやってるかがまず気づかれてないかとか多分たくさんあって。
でもそれがコアじゃなくてもある種のネジを締めるとか油を刺すみたいな、なくしてしまうと後でガタ来るよみたいな仕事っていうか作業というか、もっと注意の向け方かな。
それぐらいのレベルの話ってたくさんあって、それは本当に人間が観察してあるいは質問して学ぶしかないんじゃないですかね、これは。
もちろんマニュアル化できる部分はした方がいいは間違いないですけど。
マニュアル化されないスキルと指導者の役割
スピーカー 1
レジの打ち方とかそういうことはマニュアル化ない人とコンピューターアシストした方がはるかにいいと思いますけど。
でも、例えば目の前にいるお客さんにどう声をかけるのかっていうの。
で、例えばほにゃらですかって有能なスタッフさんが質問したときに、あのお客さんのどこを見てそういう質問を思いついたんですかって、これは絶対にマニュアルにはならないと思うんですよね、こういうのって。
どこに注意を向けて、そこからどんなレースをしてそういうことを思ったかっていうのは、それこそ身体化された能力なので。
ああ、そういう注意の向け方もあるんだっていうことはこういうやり取りを通してしか浮かび上がってこないんじゃないですかね、きっと。
そうですよね。
あとは1年、2年、自分で一人でやってみて、2年ぐらいしたときにふと、あ、あの時先輩もやってた、これだ!みたいなのってあるじゃないですか。
ありますね。
スピーカー 2
人間の多くの学びってことは、子供が言葉を覚えるとか、全て観察から来る推論によって生成されるんで、言語化されたものを文字情報として読み込んで知識を覚えるってことは、相当後に手絡みにつくものであって、
スピーカー 1
だいたい基本的なことは観察によって学んでるわけですから、もっとそれに頼ってもいいんじゃないかな。
抽象なようなマニュアル化できるものとできないものをはっきり分けられるのかもすごく難しい問題ですけどね。
そうですね。
例えば、文章の書き方を教えることは僕はできますけど、物書きとして生きていく生き方を教えるっていうと、それは多分無理だと思うんですよね。
スピーカー 2
それは無理でしょうね。無理でしょうね。てか教えてほしいですね。
スピーカー 1
才能とかいう以前に、やっぱり、うーん、そうやな、方法がないとは言いませんけども、方法ほど角度が高くないというか、
スピーカー 2
ある種の確率を上げるような試みでしかないことが多いし、だからそういう人、仕事をマニュアルで覚えることはできるかもしれませんけど、有能なスタッフに育つかどうかは、ちょっとそれとはまた別の次元の話な気がしますね。
そうですね。
だから、マニュアル会社は仕事ができる人がそこにいたらいいんでやって、有能なスタッフが育てればいいかっていうのはあんまり関心事ではないのかもしれないよね。
でもそれだとやっぱり、その人にとって面白いかどうかがちょっと置き去りにされてる気がしますね。
そうですね。
これは、やっぱり仕事ができたほうが心地いい、気持ちいい。仕事ができる自分っていう内観を持つことは、僕は基本的にいいことだと思うので。
いいことだと思いますね。
そういう意味では、あんまりマニュアルさえやっておけば現場が困らないというのは、あんまり人間的にヘルシー、精神的にヘルシーじゃない気がしますね。
そうですね。
なんとかさんがお盆休みに入っちゃったら、リストのありかっさりわからないみたいな。
それはやめてほしい。
スピーカー 1
そうですね。だから、せんびきができないからせんびきしないといけないかな。
ここまでは協議してください、ここはお任せしますっていうことを、どこかの人が決めない限り、たぶん全部否得されてしまうから。
カリスマ的な人に任せると、その人がいなくなっても困りますし、その人が教えられる人もバンツーマンに限られてしまうので、地の広がりが薄いっていうのは間違いなくありますから。
そうですね。
ここは難しい問題ですけど、知的生産の技能を高めたければ、ある種の訓練は避けては通れないし、それは仕事全般についてもおそらくは言えるでしょうね、きっと。
やっぱり繰り返しやることで、自分の体の中に沁み込んでくるものっていうのは、たぶんどんなジャンルでもありますよね。
実際に手を動かして、あるいは体を動かしてそれをやってみることの価値っていうのは、たぶん普通の人が考えている以上に大きいですね。
動物としての人間って動物ですから動くわけですよ。動く生き物なわけですよ。動きの中で生存するために能力を獲得してきているわけですね。
スピーカー 2
人間の進化っていうのは机の上で情報を読むために進化してきたわけじゃないんですよね。
スピーカー 1
あらゆることは動きを通して習得されると言うと若干過言ですけど、それでも過言ではないぐらいのことなので、やっぱり手を動かすことを避けると学びが遅くなるんですね、これは。
スピーカー 2
そうですね。
まあでもそういう意味ではその言葉で、やり言葉でスキルを習っただけで物事ができると言ってる人って、やり方を習っただけで坂道発信とか重裂重車最初からできたのかなって思いますよね。
スピーカー 1
そうですね。まれにできる勘の良い人はできる。勘の良い人がやっぱり教える立場になると余計にややこしいことになりますね。
スピーカー 2
やっぱりある程度不適な人が練習して身につけて指導者になるというのが多分一番幸福なあり方ですね、これは。
わからないところがわからない人がいますからね、やっぱり。これで教えられると本当に困ったことになるので。
スピーカー 1
確かにすごく仕事ができる人がたまにそういう教え方になることありますよね。
はい、それはなると思います。
あれはやっぱりちょっとあまり良くないめくり合わせというかね、日本の場合は特にそうですよね。
スピーカー 2
実務で成績が良い人がマネジメントに移っていくのが流れとしてあって、向いてるとは限らないんですね、これ。
スピーカー 1
てかむしろ向いてないことの方が多い印象があるので。
他の国がどうなってるかはわからないですけど、日本のこのシステムは非常に教えられる人に負荷を与える形になってますね。
その負荷は努力とか根性じゃないんだよな。
これなんていうんでしょうね。
そういうのを根性で乗り切ったらあかんのですよね、これは。
そこを根性でやろうとするから、根性論はダメということなんですね。
そうですね。人が潰れていく方に向かってしまう、その根性の持ち出し方であって。
失敗するならセーフティーな方にっていう考え方があるわけですけど、フェイルセーフっていう考え方。
そんな意味で言うと、根性論か根性論じゃないかを選択するのであれば、根性論じゃない方を選択した方が安全ではあるんですね。
スピーカー 2
そういうセーフティーな取り方は多分あると思うんですけど。
スピーカー 1
だから言うのに勇気がいりますね、根性がいりますというのは。
そこですね、とりあえず。難しいところですけど、練習を取り戻そうというね。
トレーニングとか練習とか根性とか我慢するとか苦労とか。
意味嫌われてる概念ですけど。
まあでも今一流で活躍してる人たちでこの言葉を否定する人たぶんいないんじゃないですかね、きっと。
うーん。
詐欺師とかではなければ。
まあそれが全く必要ないですよっていうことはないですよね、たぶん。
おそらくはね。
まあでもビジネスショーだと言いそうですけどね。
言ってそうですけど。
まあその無駄なものを失くしていく。
そうですね、無駄なものを失くしていく。
スピーカー 2
その後は無駄かどうかの判断が合ってるかどうかっていうより深い難問が待ってるわけですけど。
スピーカー 1
まためんどくさいことに無駄かどうかがなかなかやる前にはわからないということですね。
わからないですよね。
だからその、例えば指導者の方がこれが無駄やって言ったとしたらそれを受け入れる、最初は受け入れるしかないところがあって。
スピーカー 2
だからやっぱその、指導者運ですよね。
結構だからね、これ運なんですね。
初期の段階でいい人に巡り合えるかどうかで、その人のトレーニング感というか技能感が変わってくるところがあって。
だからこそ本みたいなもので一般的に良い形が広まったらいいなとは思うわけですけど。
スピーカー 1
まあでも避けられないですね。
スピーカー 2
親とか兄弟とか身近な人がこういうのをどう考えてるかによってかなり強い影響を受けるはずなので。
まあでもまあ大人になってからでも学び直すことができるはずから、そこはこういうのが必要だというのを言い続けることは別に無駄ではないと思いますが。
はい。
まあそのとこですかね。
スピーカー 1
あんまり打ち合わせキャストに上がらない話題だったけど、言ってることはだいたい通停してるという。
言ってることは打ち合わせキャストですね。
僕らだからセーフティーの観点から根性という言葉はあんまり使わないわけですけど。
根性っぽいことはしてるわけで、その内実が明らかになってたという感じでしょうかね。
まあだからそこに何か良い言葉がないかなというふうに思いますよね。
うん、確かに。
根性論と無駄について
スピーカー 1
そうですね。積極的貨付加運転みたいな。
なんかそういう。
そうですね。
有効な貨付加をかけるみたいな。
そう、でもこれ無駄と一緒で何で有効か有効かじゃないかのトリックが揃ってる。
そうですね。
うーん、まあそうかな。
自分の境地に基づくとか、あれもまあ限らへんか。
スピーカー 2
でもやっぱり自分で判断してあかんところもあるんでね、これ結局後から分かることがあるわけで。
スピーカー 1
だからやっぱり事前には分からないかな、これは。
そうなると相当扱いが難しいタームになりますけども。
そういうとすると逆に途中で、ああこれは違ったダメだと思った時に。
逃げてそれをやめられる。
ああ、そうですね。対比可能な根性論ってことですね。
うん、そう。根性論は最後までいくのが問題なんか、要するに。
根性論というか諸子観徹がむしろ問題の根っこにあるわけね。
そっちかもしれないよな。だから根性はだってある程度みんな分野分野で発揮してるわけですからね。
根性そのものを対比させることはできないわけで。
あかんかなと思ったらやめるっていうナチュラルな感じがあればいいのかな。
そうですね。
スピーカー 2
そこが多分難しい。日本人には難しいかもしれないですけど。
スピーカー 1
というわけで、今回のスキルアップ編集根性苦労頑張り論について何かあれば
スキルの獲得と挫折
スピーカー 1
ハッシュタグ打ち合わせキャストひらがなで打ち合わせアロベットキャストまでいただければ
クラスターかツイッターかこXでチェックしたいと思います。
というわけで、たくさん何かお知らせしたいこととかございますでしょうか。
特に、あ、なんかですね。
えっとまた、ごめんなさいちょっと体調を崩して
先週コロナになってしまって確認をし忘れたんですけど
えーっとですね。
えー、Kindleのセールでまた
あー。
アウトラインプロセッシングとか、アウトラインプロセッシング入門とか
はい。
あと今回は全開対象になってなかったアウトラインプロセッシングライフとかがですね
セール対象になっても半額
もちろんものによっては半額以下?
以下。
スピーカー 2
半額ですね。
はいはいはい。
スピーカー 1
以下じゃない、半額になっているみたいなので
あのー。
ご注意をお付き合いください。
スピーカー 2
いやすごいですね。
スピーカー 1
こんだけラインナップされるのって。
すればこの機会。
まあはい。
皆さん。
何のセールかわかりませんが。
えーこれ多分夏のほにゃららセールかな。
夏のなんとかセール。
セールかな。
多分この時期でやってるとそうだと思います。
はい。
皆さんチェックしてくださいということで
今回はこれまでにしたいと思います。
お疲れ様でしたー。
お疲れ様でした。