1. シゴクリラジオ!
  2. 始めるとうまくいかない、だが..
2025-07-25 57:22

始めるとうまくいかない、だがそれがいいしそれも一興

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サマリー

このエピソードでは、始めることが難しいというテーマに焦点を当て、失敗を恐れずに新しい挑戦をすることの重要性について語っています。特にスケッチやポッドキャストの具体例を用いて、やってみることの楽しさとその過程での葛藤について考察しています。 目標設定が高すぎることや、初めての試みがうまくいかない理由についても考察されています。特に、書くことに関する不安や習慣化の重要性が強調され、徐々に進めることの大切さが語られています。 失敗を受け入れることや行動を増やすことの重要性についても議論されています。自分の思考と相手の理解を調整すること、徐々に成長していくことの面白さが強調されています。 書くことや新しい挑戦における期待の大きさが及ぼす影響についても考察され、書けなかった場合の落ち込みを避けるための戦略が提案されています。継続的な学びと習慣化の重要性に触れ、期待値の管理が挫折を防ぐ鍵であることも指摘されています。 挑戦を始めた時にうまくいかないことは自然なことであり、その捉え方が重要だと強調されています。

挑戦の始まり
はい、シゴクリラジオの大橋です。このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
シゴクリラジオは、666回を突破していました。後から気づきました。特に意味はないですが。
今回のテーマとしては、シゴクリ的ではないのですが、僕の感覚です。何が面白がっているの?というところで、始めると失敗する。
正確に言うと、何かやりますと宣言して、うまくいかない。日常茶飯事だと思っているのですが、それを見て失敗するというのが悪い意味ではない。
失敗しますよね。やることがうまくいかないという意味ではなく、慣れていない。始めてやるというイメージです。
例えば、ポッドキャストを始めます。新しい自分でやってみたい、チャレンジします。ダイエット、会話、プログラミング、スケッチ、イラストをやっていたのですが、SNSで出してきます。
リスナーのあなたはどうですか?やってます?見せなくてもいいじゃないですか。あえてそこを見せる。チャレンジしました。結果は?3日くらいで終わる。
それが終わったことではなくて、終わること自体が何なのかというときに、これは人によっては悪趣味というかと思われる方もいるかもしれません。
言われるのはやや侵害ですが、それは探しているわけではないですよ。たまたま見つけたらそうだよねと。一興、興味の一興ですね。
そういうこともあるよねと。だから、次行こうじゃないけど、この辺りは言語化。冒頭からいろいろ喋りましたけど、その辺りです。
まとめますと、初めてやっていく行為というか、チャレンジ、挑戦というかやることがうまくいかなくなりました。うまくいきませんでした。
ということはあるよね。ちょっと緩めの回です。ということはあるから、何言えるんだろうねということを一緒に掘り下げればいいかなと思います。
今回は緩めですので、いいかなという方は、シャキシャキしたい方はまた別の回で。シャキシャキ回ってあんのかなと思うんですけど、引き続きよろしくお願いします。
今回のテーマは始めると終わるよねと。すごいテーマですけど、始めると終わりますよね。どこかで終わらなきゃいけないですから。
ただ、今回は僕がやってたやつで、スケッチとか鉛筆で絵を描いてスケッチしてこんで、それは発表はしてなかったんですけど、今回だと見える形ということで、
例えば、ノートだとか、Xとかインスタでもいいですけど、始めます。ノートはブログ形式ではあると思うので、そうじゃない人もいると思いますが、テキストメインだと思います。
テキストで始めますというので、昨日の話ですか、書くことが大丈夫かみたいなことがあって、それをやや引きずっているんですけど、まだ引きずってますよ。
引きずるというか、大丈夫かなって思いながら、自分でできることって、転作じゃないんだけど、短絡的に言うとね、アドバイスとか、そういうことはできるから、そういうことはちょっとやっていこうかなと思っています。
それが正しいとか、間違ってるとかは僕には言えないですけど、こうした方が伝わるんじゃないですかね。あなたはどう思いますか?っていう感じですかね。
それを繰り返していく。結構変わらないですよね。対話。これ結構、聞いてくださってる方はわかるかもしれませんが、結構対話というか、相手が何を求めていて、あなたが伝えたいことは何で、それが文章とか言葉で表現されているのかと。
それをどう伝えようとしていて伝わっているか、相手に伝わっていなきゃ、変えていきましょうねみたいな。相手が気づいていないなら伝わらないこともありますよね。
それがコミュニケーションなんで、文章をね。伝わっていなかったら意味がないという。伝わらないのは伝えていますとこっちは100%やってるんですという状況なのか、いやいやいや、それに達してないよということなのかは、冷静に見極めなきゃいけないというのが文章とかではあるかなと思うんですよね。
話はそこに重ねていくんですけど、例えばノートで最近見かけたのは、ノートだけじゃないですよね。いろいろ見かけることがあるんですけど、始めますっていうね。何か始めるよっていう。
だから、さっきの話で出たようにスケッチ始めて、アップして感想とかメモしていくよって。始めるじゃないですか、僕がね。
今日7月25日なので、始めましたって。気合が入るというか意気込みがすごくて、何かやっていかなきゃいけないなとかね。
いろいろ言っていいわけですよ。自分で時間が取れてないからやりますとかでもいいし、昔からスケッチはやりたかったんですよ。夢なんですとかでもね。
何でもいいんですよ、もう本当に。それはフラグってやつなんですけど、つまりうまくいかない。
1日目早く終わりました。2日目もちょっと怪しい。2日目が明日26日で翌日とはならずに、どの日だったんでやめましたとかね。
28日月曜日になるかもわからない。わからないけど、とりあえず28日頑張ってやった。2日目も連続しようと思ってたけどできなかったから2日目。
3日目、次は7月中に何とかしようと思ってたけど、8月になって、暑いから違うことやってたら、8月に何とか10日くらいに上げて、3本目上げました。頑張った。
4本目、もう終わりです。そこから1ヶ月、2ヶ月、1年。もしかしたら1年後にやってたことを思い出して、また見てやろうかなっていう。
すごい生々しいかもしれないけど、ありそうですよね。1年後に2026年の暑い夏が来ました。あれ何かやってたなって思い出しながら見たら、全然ノートにすらログインしてなかったり、もしくはノート見てなかったりする。
もしくは見てるんだけど自分が書いたことを忘れてたとかね。
で、見直して、もう一回最初からですけど、もう一回やりますって言って、書きます。2日目にはもう忘れてる。
これを別に笑おうっていう話じゃないですよ。そんなもんかなっていう話なんですよ。そんなもんかなっていうのは、その程度っていう意味でもいいし、人って新しいことをやる感じってそういうイメージかなと。
つまり、やってたことが上手くいくとか、絶対成功させなきゃいけないとかっていうのと、プレッシャーとかそういうやらなきゃいけないのはわかりますよ。
わかるんですけど、無理じゃないですか。できないものはできない。わかんないものはわかんなくないですか。
ここで言いたいのは、続けられることもあるんでしょうし、別に僕もそうですけど、スケッチのやつが上手くいかなかったから全部投げないかって言ったら、続けてることいっぱいあるわけじゃないですか。
楽しさと学びの重要性
例えばこのポッドキャスト続いてますよね。なぜか。とか、いくらでもあるわけですよね。それじゃないことってアウトプットの仕方ややり方を変えたら続けられることもいっぱいあるから。
続けられなかったこととか、始めようとしたけど上手くいかなかった。だから始めて続かなかっただけだから、深い意味ないです。
だけど人間の心理ってそういう矛盾とか葛藤とかジレンマ板挟み、言ってることとやってることは一緒ですね。矛盾ですね。いくらでもあるわけですよ。
むしろそういうものがいっぱいある。始めようとして続けたいけどできなかった。もしくは他のことがあってねって。いくらでも言い訳できるし言い訳したい。
言い訳したところで、別にご褒美もらえるわけでもないし、良かったね偉いねみたいな褒めてもらえるわけでもない。
じゃないですか。なんでやってるんだろうねってなりません?だからそういうところが孤独とかストイックって呼ばれるかもしれないですけど、
なんかちょっと違うなって思って僕が見てるのはね。もっと遊んでいいんじゃない?もっと楽しんでいいんじゃない?っていう。
昨日の話の続きから言えばそうなるんですよね。なんかもっと楽しくて。だから違うんですよ。楽しさが足りないんじゃない?っていうことですね。
なんで苦しくて辛くてスケッチして絵描いてアップしてってやるんですか?文章でもいいですよね。苦しい。書くの辛いみたいな。表現できない辛いみたいな。
その部分が苦しさがゼロってことはないかもしれないですけど、そこは言っておくんですけど、わからんとかね。わからないのを楽しんでくださいっていうね。
これわかってないなみたいな。表現できるなみたいな。このもどかしさはなんだ?って時にできてないなっていうものと、ここまではできるっていうのを明確にしていくわけですよね。
その作業の繰り返しが学ぶっていうことだと僕は思ってますし、それを遊び半分というかね。遊びに。遊び半分って言うとふざけてると思う人がいるかもしれませんが、
あえて誤解を恐れずに言えば遊び半分でね。学び半分、遊び半分ってことで、そこをやるとポイントなんです。
書くのが楽しい人は続けようとしてないですよね。続いているわけですよ。意識がね。ここベクトルが大事だと思いますけど、何かやろうとする時の方向性みたいなのがベクトルだと思いますが、数学とか物理的にもね。
その方向性の力があるんじゃないかなと思います。でもベクトルじゃないかもしれないですね。もっと淡々とした点というかね。感じもしますね。
だから、続けようとしたから続けられなかったんじゃないですかねっていう。続けたらいいなぐらい。分かります?この意識の配分がすごく難しくて感じはしますね。
ここでちょっと違うかもしれないですけど、意識の話をすると、何かをやろうという意識って大事じゃないですか。
わかりますよね。書こうとかね。スケッチしよう。自分で学ぼう。いや素晴らしい。本当に素晴らしいと思う。
だけど、意識をしなくてもやっている人がいたときに、その人はすでにやっているわけですよ。
わかります?書こうとせずに書いている。聞こうとせずに聞いている。話そうとせずに話している。分かります?
要は意識行動じゃなくて無意識行動になっているわけです。
で、学びって僕は思うんですけど、意識しているときは多分初学者とか初心者とか経験が浅い人ですよね。意識しないとできないからね。
でもそれがだんだん慣れていって、無意識になっていくわけですよね。
で、今度無意識になるってことは、多分それは型というですね、一定の基礎、もしくはやり方を学んだということだと思います。
なんですが、それをやっていけば、全部後予定調和になるというか同じじゃないですか。
だから自分なりのやり方とか、人からアドバイスを受けたりとか、他の人との違いを見ていったりして、競争じゃないですよ。
比較だけしてね、どうこうではない、ナンバーワンを決めるわけじゃないんで、
こちらの方がいいんじゃないかって考えたりすると。それは一定の型ができてからの話ですよね。
で、できてから崩していくと。
シュハリと言ってもいいし、シュハリでしたっけ?ジョハリでしたっけ?
シュハリかな?まあわかりませんが。
そういうですね、順番があると。守って、最初型守って、次に破いて、崩して破るみたいなね。
でもそれは崩して破ったら終わりじゃなくて、また次にそれでそういう型、破いた型になって繰り返すと思うんですね。
だから書くのを意識せずに書いている人が、型を意識して、だからどういうふうに書いているの?
自分で問いかけて、型ができて言えるっていうのが、僕は中級者とか上級者に入っていく人だと思っていて、
それを説明して教えられる人は、そこは言語ができていて、各つ再現性ができているから、僕は上級者ってなって、
達人になっていくとそこが熟達しているってことで、より細かい精度で言えると感じました。
これは何度も、四国ラジオでは何度も言っている話になるんですが、初めての聞き方向けに行くと、
教えたい。例えば書くってことは自分ができるんだけど、人に教えたいかどうかって結構別かなって僕は思ってます。
つまり、一応中級者、上級者とは言っているんだけど、職種の問題でスペシャリスト方面なのか、
エヴァンジェストじゃない、ごめんなさい。名前出ることない。
ああ、ジェネラリスト。いろいろなことができるっていう方なのかみたいな話で。
あとマネジメントとかね。要は目指す方向性の話なんで、教えるとか興味ない人いるじゃないですか。
っていう話なんで、それをやらざるを得ない。みたいな時に、教えるのは自分だけでいいっすっていう人もいるじゃないですか。
これは変わりますからいいんですけど、育てなきゃいけないっていう風になった時に、育てたいとか育てていく時に、
もどかしいわけです。自分はできる。相手ができない。でも相手ができるようにするってどうです?
リスナーのあなたがどうですか?そういう教えたいですか?それとも身につけられたいから自分がやった方が早いと思う方ですか?
って思うのはいいんだけど、それやってもらうためには結構腰を据えてというかね、どっしり構えて、
相手がやってくる未熟なわけですよ。あなたから見たらできることを教えてるわけだから。
うまくいかない理由
未熟なことを言って、どうしようかな、こうしたらいいかなっていう風にできます。
この時の教えられる人の、僕なりの特性、教えたいと思うことが多い人は結構人が好きで、
あと学ぶことに対してポジティブで、要はできなかったことができるっていいよねみたいな風なことというのがあって、
あと素直さみたいなものがないと受け取れないですよね。
そのハラスメントじゃないけど、なんでそんなことできないんだっていうのが嫌じゃないですか。
僕そんなことされたらもう二度と話さないですから。そういう特性がある気がする。
だから教員とかね、教えることを仕事にしてる人っていうのはそういう気質とかがやっぱりある人なのかなと思います。
だから全員ができるとは思わなくて、だから別にそのスペシャリストになる人はダメとか、教えられる人が偉いとかね、
そういう話じゃないですよ。やっぱり特性とか持ち味がありますよねっていう話はずっとあります。
別に教えてるから偉いんだぞとか、教えられてるから偉くないとか、
何か一つのことをやり続けるから偉いとか、いろんなことをやってるから偉いとか偉くないとか、
そういう話じゃないので、そこですよね。話を戻していくと書こうとしてる人は書く意識があるんだけど、
書こうとしてなくて、もう書けてる人は無意識で肩が合ってやってる感じなわけですよね。
僕がさっきの冒頭に話してた、ノート始めました、終わりました、うまくいかなかったというか続かなかったという人って、
やっぱり意識しすぎたんだと思うんですよね。これは仮説です。何でも仮説から始まります。
要は意気込みが強いわけです。
これですね、リスナーのあなたご経験あるか分かりませんが、計画とかプラン、計画とかプランって一緒ですね。
計画する、要は未来に計画する、何かやるときにどう立てます?出力を何か夢というか未来だから150%くらいにするわけです。
出力っていうのは、自分がやれる範囲を100%、最大100%にしてください。
だからまず自分がやれる範囲以上のことをやってるってイメージです。
100%も毎日100%で生きてる人は僕はいないと思ってて、いやいやそんなことないです、私100%ですっていう人がいたらごめんなさいなんですけど、
その100%ってどんなもんなんですか?っていう話なんですよ。
例えば1日8時間働いてる人、これは分かりやすく8時間働かなきゃいけないわけじゃないですよ。
働いてる人がいて、1日大体8時間働いてて疲れますよね、休みますよね。
っていう人が、なぜか計画になると、将来未来の計画になると12時間毎日働くみたいな感じで頑張ればできるみたいになってるけど、できないですよね。
できないですよね。できないのになぜか12時間働くとか10時間でもいいし、1割ぐらいいけるだろうってことで9時間とかってなる。
いや多分無理ですよ。むしろ逆で半分ぐらい、6割ぐらいでいいんじゃない?4時間とか5時間でいい。
4時間5時間しか働けないよね、働くことができないんじゃないか。つまり出力はその6割ぐらいでいいよね、普段のね。
っていうぐらいで考えないわけですよ。だからこれは自分のコントロールがうまくないっていうのもあるし、自分のことを把握してないっていうのもあるし、
それをやったところでの想定とか、もしくはどうなっていくかの経験が浅い。別にディスるわけじゃないですよ。
ディスるというか、ディスるは否定か、批判的に捉えてるとそうなりますよね。
だからノートで何かを書こうとする人が本来やるべきことは、そのバラ色のプランをやる。
だから多分、普段書いてない人がいきなり書いてうまくいくなんていうのは、レア中のレアだけですよ。
書くことの習慣化
1万分の1もないかもしれないです。それは全然参考にならない。ならないです。しないでください。
僕は今仮説ですよ。だから考えているのは、最初にまず書こうとするのは全然いいです。
だから普段書いてない人がちょっと書いたら、1行書いたらそれは素晴らしいです。だから最初1行でいいです。
ここで人間ですよねって話で、よく出てくるんです。1行書けたらもっと書けるよね。
50字書いたら、自分の意見がこれだって書いたら、どんどん書けるか書けるか。書いててください。書いててください。
全然いいですよ。書くのはいい。全然書いてください。書いてなかったら書く練習にならないですからね。
で、書きます。でもここで問題は、5分とか10分とか30分とかわかんないけど書こうとして書いたと。
だけどすごい筆が乗ってきて書けたから、1時間で書けましたって。すごくないですかって。いやすごいすごいすごいすごい。
いやいいよって。でも1個懸念があるのが、それやるんですかって。
つまりもうすでに30分の2倍の1時間を使っててやってるけど、それ明日もやるんですか。
明後日もやるんですか。毎日じゃなくて週に1回っていうところでそれできますか。
来週のその30分、1時間というかやりますって。今乗ったからいいものを次やりますって時に、やっぱ出力オーバーするし、欲が出てやれるかやれるかと思っちゃうんですよ。
で、ペースが崩れるわけです。あれってなって。最初よりどんどん書かなきゃいけないと思うならば、一番最初はもうあ、あとかでいいです。
あ、本当にあって書く。あって書いてください。あって打ってください。
本当にあとかしか言ってなかったらもうなんなんだってなりますけどね。でもあでいいんですよ。
たぶんね。書いてない人だったら。あって書く。書けましたね。
じゃあ次は。次の日。いって打ちます?もしかしたら打てないかもしれない。
そのどんどん高めすぎていってできなくなるんですよ。だからあんまりその学びがうまくない方はその設定ですよね。目標設定が高すぎるか低すぎるか。
低すぎる人はたぶんなくて8割9割高すぎるんじゃないかなと思います。だから続けられない。だって大変じゃないですか。
例えば魚食べたいなと思って魚取りに行きます?もちろん漁師さんとか田舎とかで住んでて取りに行ける。釣り屋できるっていう人だったら取りに行くしね。
そういう人がこのラジオ聞いてるかわからないですけど全然豊かだと思います。いいと思います。
でもスーパーがあってその買いに行くとかもしくは外食で魚を食べに行くのかもしれないね。
だから総材として調理されても買うかもしれない。冷凍してるものを改造するかもしれないし。ちょっと分かんないけど弁当とかね。
だけど思うのはそこでまたやるのかと。また魚取りに行かなきゃいけないのか。大変だなと思ったらやらなくないですか。
実水というか料理をやる人の苦手なところも工程がいっぱいあってまたやるのかと。
ちなみに料理を得意な人とかもそうだと思いますが料理をやってる人はそんなに考えてないですからね。
って僕は思いますよ。なんでかというと考えてたくさんやらなきゃいけない。レパートリーがいっぱいあって、
癖で無意識でできるレベルのものがいっぱいあるから判断コストとかレシピを覚える道のほうがないんですよ。
それが習慣化とか無意識ってやつですね。
だから喋ってるとか書いてるっていうのが僕ね、昨日も言いましたけど、
習慣化されてるとコストをかけてるぞとやってるぞという感覚はほぼないんですね。
これは誰にでもあるようなことかもしれません。自分が得意もしくは常時やってるようなことはやってるぞという感覚はない。
意識をしなきゃいけないということはそれがやれてないわけですね。
ってことは無意識に持っていかなきゃいけないんだけど、あとは問題は時間ですよね。
自分がやる、あとは興味、あと学べるというところと、あとは設定ですよね。
いきなり1万字ぐらいの文章を書いてくださいって言われても書けないはずです。絶対書けない。
もしくは書いたところで強すぎて上達がうまくいかないです。
なので徐々に慣らしていくしかない。で、習慣化していって。
で、よく言われません?そんなことね。分かってるっていう人はいると思います。
でも分かってるからできるわけじゃないですよね。
できるわけじゃないですよね。
だからそこを細かく分解してやっていくためには、僕が適切かは分かりませんが、
文章を書いてもらってアドバイスを検索するというところが価値になるのかなと思って
そういうことをやってきたらいいなっていうところを昨日ちょっと思って改めてやっていこうかなと思ったという話でもあります。
で、今回ですね。始めると失敗するというかうまくいかないというのは
継続するための心構え
今考えていってたように、今までの話を整理するといくつかピックアップになるんですが
まず最初の目標設定が高すぎる。夢のプランを描いている。
常にあなたは100%、150%を出せたり、そこまで言わなくても風邪もひかない。調子も悪くない。
常にピンピンというか健康で、目が最低。すごい良い状態。
いわゆるスポーツ選手のゾーンというね。自分が動く通りに動けて楽しくてしょうがない状態なんですけど
相手の動きも分かるとかね。こちらも動けるみたいな。気持ちいいみたいな。
そういう良い状態、集中状態になって。ならないです。ならないですからそんな。
って思いません?ということが分からなくなる。見えない。と、その夢のバラエルの計画を立てます。
まずそれはできないから、あれ?計画通りにいかないよね?ってなる。
それができなかったら学んで、やりすぎだなっていう風にしなきゃ学んでないことになるから、それは修正したい人ね。
次に書いていって、一番ひどいというか一番まずいのが最初でいいと思うんです。
なぜかここで一番最初頑張ろうとするわけです。
それが多分これがあると思うんですけど、他人に見てもらうからこうしなきゃいけない。
かっこよく仕上げなきゃいけないみたいなのがあって、頑張っちゃうわけです。
途中でいい。途中で切れてる。続きは明日とかね。
そういうのでいいんじゃないかなっていう。仕上げで一本でまとめるっていうのは結構大変だと思います。
途中でいい。一番最初が一番下手。
それを続けてて、最初は下手だったなって思えれば成長していくことになるじゃないですか。
成長していくことになるというか、その感覚が不安なら、多分あなたが続けていって書くのを続けていったときに、
もしくは書くのを勉強していったときに、一番最初に書いたものに対して指摘できる。
これはこうしたらいいよね。指摘できる。かつ、もう一回出し直せる。
でなったら、それがもう下手の上手くなったという証明になるんじゃないかなと思いますが、どうですかね。
これはあまり異論がないんじゃないかなと。
だからまず最初にバラ色の計画を立てすぎる。いわゆる出力ですね。
自分のアウトプットがすごくできるような状態だと描きすぎる。一緒ですね、ほぼね。
で、最初が一番下手でいいんだけど、その恥ずかしさがあって自分が書けないっていうね。
今、匿名でもいろいろできるじゃないですかね。だからいくらでもできると思うんですが、
そういうのもできない。
あと、まあ習慣化の話もありますよね。
書くってことは、みたいな話でスマホで書くのかPCでタイプするのか音声入力でやっていくのかわからないですけど、
それを手段を選んでやったところでなんかうまくいかないと。
なんか音声入力だったら変換がうまくいかない。書くんだったらタイピングがあまり遅いから時間がかかるよね。
っていうので、なんか全然うまくいかないわけです。で、もう嫌になっちゃう。
わかります。でもそんなもんですよねっていうのが常にあります。
そのそんなもんですよねっていうのがあって、乗り越えるというよりもそんなもんですよねをまず受け入れて、
受け入れるしかないんですね。自分の今の状況を受け入れるしかなくて、その上でじゃあどうするのかなっていうような
それは思考ですが、があるんじゃないかなと思います。
これができる人はもちろん分野は違えど、ある程度のことはやってみたいことが持続する、
持続率っていうんですか、継続率が高いんじゃないかなと思います。いろんなことをやろうとしたときにね。
逆にこれがないと、つまり笑いのプランを書きすぎたり、自分の出力を誤ったり、
自分のできる範囲を正しく認識してきてなかったり、恥ずかしさというか見栄を張るというかね、
うまくやろうとしすぎたりすると良くない。それはもといえば失敗に慣れてないと言ってもいいですよね。
失敗を恐れずに行動する
失敗に産むってやつですね。ということは失敗に慣れてないということは、やろうとしてないということで、
そこが矛盾感なんですけど、やろうとしたら失敗するからもうやめようと決まっていることだけやろうとかね、
なっていくんですけど、そこが逆なんですよね。そうじゃない。もっと失敗していいよ、失敗の数が足りないよと。
なんかそっちなんじゃないかなという仮説を立てています。だからよく言われるのが行動量が足りないみたいなことですね。
だから別に行動量をいきなり1万字、10万字書けばいいっていうことじゃなくて、書けないから。
そうじゃなくて、ちょっとずつやっていって、増やしていって、書くことだったら文字量でもいいけど、
記事の本数でもいいけど、そっちよりも何を見てどう感じたかの頻度、あなたの考えは何ですか、
それを問う回数とか、見るものとかを変えていくとか、話す相手を変えていくとか、
そういう環境づくりのほうが多分、すげえ効いてくると思うんですよね。
それをどうサポートしていくかというところになるんですが、この話はですね、
伝え方によっては、初めての人にはこれを全部伝えたらしんどいわけですよね。
だから1個でこれをまずやりましょう。
で、たぶん書くの大変だという人は全部それを意識しなきゃいけないから、
それもやるの、あれもやるのってなっちゃうので、1個ずつやっていくしかないですよね。
1個ずつ意識すると矛盾が生じるわけです。
例えば何が生じそうなのかというと、例えば読者を想定します。
何かを書くときに読者を想定します。
想定するとその人に向けて書きます。
ということは、そうじゃない人は切り捨てるの?とかね。
あとそれはその人に書いてるんだけど、自分の意思はいらないの?
その人に分かれば伝わればいいのかっていう話なんですけど、
伝わればもちろんいいんだけど、自分の考えはありますからね。
その考えを曲げてその人が好む意見に変えろってことじゃないですよね。
だから自分の考えと相手に伝えるような相手との調整ができない。
例えば今目の前にアンドーナツがあるんですけど、
ラムネじゃないですよ、ラムネよくありますけど、
そのアンドーナツを自分が好きだ、相手が嫌いだ、
でも自分は好きだってことを相手に伝えたい。
どうします?アンドーナツだとダメだから、
相手が好きなものの話をして、
じゃああなたがこれが好きなように、
例えばケーキ、ショートケーキにしましょう。
あなたはショートケーキが好きですよね?
ショートケーキが好きなように私もアンドーナツが好きなんですよって言われた時に、
あ、そうなんだってなると思うんですよね。
ショートケーキが好きな人だったらね。
相手がダメだって言われた時に、
ショートケーキが好きな人だったらね。
相手がね。
じゃあ別に万人じゃないですよ。
誤解がないように言うと、
ショートケーキ好きな人にアンドーナツが好き、
私がアンドーナツが好き、
ショートケーキのように好きですって言ったら、
万人に伝わるという話じゃないですよ。
例えばそういうふうに伝えることができるかもしれない。
この時にもう一回口説きを言っておくと、
アンドーナツが好きっていうことをあなたが曲げる人はなくて、
相手がショートケーキが好きだから、
それは自分もショートケーキ好きになろうとかね。
もしくはアンドーナツが好きなんて私は愚かであると。
思います?
違いますよね。
でもそんなことが世の中に起きているわけですよね。
アンドーナツはショートケーキだから、
間違いないと思うかもしれないけど、
それを人の考えに変えてみてくださいとかね。
そんないっきりはありませんか。
ね。
はい。
ちょっとお腹すいてきましたね。
ごめんなさいね。
少しずつやっていくしかないよね。
だから少しずつやっていくときに見えている部分が増えていくから、
さっき言った矛盾とか、これ違ってないんですかって疑問が湧いてくるじゃないですか。
それが僕は成長というか学びだと思っているんですよね。
それが出てこなかったら多分学んでないですね。
っていうのが分かりやすい手法なのかなと思います。
読者を意識した表現
よく初学者とかであるのが、
学んでいったことで最終よりできなくなると感じる状況があると思います。
それがU字って僕は思うんです。
M字でもいいですけど、へこむんですよね。
でもそのへこむレベルまでやらないとまずダメで、
ノート始めましたら3日でやりましたは、
たぶんへこんだところにいってないですね。
3日じゃきついかなと思います。
期間は言えないです。
人によって頻度でよるけど、
でもどうなんでしょうね。
100本も記事書いたら、
その100本の記事がどのくらいなんだろうな。
わかんないですけど、
1000字くらいかな。
500字ちょっときついかな。
くらい書いていったら、
絶対それを書けってわけじゃなくて、
そのくらいボリュームでやっていったら、
うまくなるでしょうと。
100きついかな。
わかんないですけど、それくらいで。
でも最初は10本とかね。
最初1本。
1、3、5、10、30、50、100がいいかな。
自分のリズムに合ってる。
人のリズムに合うような気がするんですが、
10、20、30、40、50、60、70、80、90、この10のリズムは、
僕はちょっとリズムが悪いなって。
前から、僕の感覚の話なんですけど、
持ってるんで、
この1、3、5、10モデルっていうリズムがいいかなと思います。
つまり、どんどん書いていくと、
慣れていくじゃないですか。
だから聞かなくなってくるんですよね。
だから1、3、5は2、2ですけど、
5の次は10で5本離れてるじゃないですか。
10の次は30で、
5の次は20離れてて、
10、3、5、10も20ずつだけど、
次にまた、
だから2、2、5、2、2、5って感じの、
2対2対5みたいな、
1対1対2.5みたいなリズムでどんどん。
だから1、1ってきて、2、2.5っていう風に、
この人何言ってるんだって、
そのリズムがあるぐらいで、
ボリュームとしてはあるぐらいで、
それでも自分の成長とか学びっていうのは、
そんな感じにリニアというか、
いい感じにはならない。
わかります?
例えば、
1本目の記事書いたものが、
スキルが1だとするじゃないですか。
そんなのないですよ。
1っていうのはあなたの今の状況だとしてください。
100本書いたら100倍になるわけないですよね。
っていうことを言いながら、
100本書いて、
どうなんだろう。
2倍とか3倍くらいになるかもしれない。
でもそれは最初の位置が低かったら、
倍数は上がりますよね。
でも、もともとが高かったら、
そんなに上がらないですよね。
だし、100本書いていく中で、
最初はそれこそ、
二次曲線っていうんですか、
全然上がらなくて、
途中で、もしかして、
大笠さんが言ったような、
こういうことだったんですか。
そうですってなったら、
一気に上がることはあります。
それが学びのブレイクスルーの面白さで、
そういうことだったんですかって、
ありますからね。
しょっちゅうありますよ。
それが面白いんじゃないですかっていう。
だから学びの面白さを伝えつつ、
それを書くこととか、
自分ができること、
アイデア出しもそうですけどね。
あと調べること、リサーチもそうですけど、
で、なんかできるんじゃないかっていうね、
ことを、
なんかもっとやりたいなって、
やりたいかなと思いました。
アイデア出しの発想法とかで教えるってことは、
やれてないんですけど、
言ってる割に、
そこまで興味を持つ人がいるのかっていうのと、
あと、本当に時間かかる。
成長の過程と学び
いや、できますよ。
言ったらこういうふうにやれば。
でもそれを自分で自らやってくるのが、
時間かかるってことですね。
結局何でもそうじゃないですか。
興味もあるし、
その人のやっていきたいこともあるし、
やっていきたい感覚の明確さもあるから、
非常にですね、
難しいなとは思ってます。
だけど、できないわけじゃない。
そうそう。
やっていったら面白いだろうなっていうのが、
やっぱり見えてきてるんで、
そっちやっていったほうがいいですよね。
面白いからね。
ずっと言ってますからね。
僕も面白い方をやったほうがいいですよね、
って言ってますから、
そっちかなと思います。
話戻していくと、
結局ですね、始めようとしたことが、
なんかうまくいかなかった。
続かなかった。
うまくいかなかったですねっていうふうに、
受け入れてみることですよね。
だから別にその失敗を、
僕は笑うというわけじゃなくて、
失敗したなぐらい、
うまくいかなかったなとか、
次やってみようっていうふうに思えばいいと。
なんだけど、
それを繰り返さないためにも、
別に書くのをスケッチでもダメだし、
写真でもダメだ、
同じことを繰り返してたら、
多分それが抽象化できてないんですよね。
同じパターンを繰り返してるはずなんで、
その場合。
同じパターンを繰り返してるのに気づけないから、
学習してないから、
そういうとき何したっけっていう。
ちょっとトピックになりますが、
バラ色の計画で出力100%、
150%完全体で、
体調崩さない、
常に健康な、
目が冴えているような、
ゾーン状態何か描いてないですかとか、
そうそうそう。
で、いきなり見栄を張って、
綺麗に書いて、
すごいっしょって言われるように、
張りすぎてないですか。
見栄を張るとか、
恥ずかしいという気持ちはいいんですけど、
それによって、
非日常というか、
日常じゃないものを出しすぎて、
やりすぎるとダメなんです。
ちょっとだったら全然、
ちょっとやらないと逆にダメですね。
ちょっと非日常感があって、
普段やらないことをやるから、
新しいことになるってことになりますが、
でもそれは結局予定調和というか、
やりすぎたって把握したら、
飽きるというか、
変わってきますからね。
そこまでは行ってほしいというところですね。
だからそのやりすぎてないかと、
いきなり頑張りすぎてないということですね。
そうそうそう。
で、あとは、
何でしたっけ、
最後忘れたな。
でも、
受け入れることができていたりすると、
いいかなと。
だから、否定ですよね。
否定していたら良くないですよね。
できないのに自分はダメなんだ。
向かなかったんだなというふうに思わせてもらっても、
ありだと思います。
だけど、向かなかったということは
向くことがあるはずで、
じゃあその向くことと向かなかったことの違いは何か
ということを考えていかないと、
一生、
のれんにうで押しという感じで、
チャレンジはいいんだけど、
失敗してそこから学ぶということをしないと、
失敗が悪いんじゃなくて、
学んでいないというだけなんで、
学ぶということがどうかとなると、
行動が変わるという感じですよね。
行動が変わる、
意識と習慣化の重要性
意識が変わるという感じになるんですけど、
そういうふうにしていく必要がある。
でも、それはやはりできないから、
ちょっとずつですよね。
感じはしますよね。
あと冒頭、一個あったのが、
意識する無意識の話でいくと、
意識をしている状態では、
多分それは無意識化していないし、
習慣化されていないですよね。
伝わってますかね、そこはね。
それは得意になれとか、
手足の如くというふうに目指さなくても、
もちろんいいんだけど、
少なくとも得意とか、
やれている人というのは、
無意識のレベルでやっているんですよ。
そこは抑えておきたい。
習慣化されている。
だから、書こうと思って書いていない。
話そうと思って話していない。
勝手に話しているし、勝手に書いているようになる。
期待の管理と挫折
というところのレベルを見て、
自分のレベルができるよねと思うと、
意外にできないです。
なぜなら、その人たちは勝手に学んで、
勝手にやっているからです。
だから、あまり比較しない方がいいです。
だから、少しずつ自分を見て、
自分のレベルが上がっていけばいいということを、
まず見る。
比較しちゃうかもしれないけど、
別にあとは設定したいですよね。
どこまでできればいいかという話になってくるので。
あと、上達するので、
学んでいったら上達するということを前提にして、
上達しないよねというのではなく、
上達していくというふうに、
思い込んでもらっていいと思います。
で、やっていくと。
あとは、それでどこまでできていくか、
ということになるかなと思います。
はい。
今回言いたかったことって何かなと思って、
振り返っているんですけど、
やっぱり、
何かをやろうとするときって、
すごい意気込むんですよね。
僕、わかりますよ。
だから、
これは何度か、
引用的に言ってますけど、
田目瀬大さんですよね、
という方が、
熟達論という本の中で書いている、
面白かったのが、
肩とか、
5個の肩とかあったんですよね。
最初はあそこだったかな。
ちょっと忘れましたけど、
肩をやるとか、
その辺のフェーズのときに、
反応の大きさって書いてたと思うんですけど、
が、大きすぎる。
つまり、
今回の話に適用させるならば、
自分が、
書くとかということに対して、
期待をする。
僕も先回の話で期待してたと思うんですけど、
期待をすればするほど、
少しできたら、
何かできたって思うし、
どんどん上手くなっている。
書いた。
自分できるんだって思う。
それはいいんです。
それはいいんだけど、
反応の大きさが大きすぎると、
すごく上手くなった。
これが真逆になって、
できなかったとするじゃないですか。
3日目できなかったとか、
自分は上手くなってないんだ。
といったときに、
激しく落ち込む。
できなかったと感じてしまう。
それが強すぎるんですよ。
だから、やめちゃうんですよね。
そこにも書かれてるんですけど、
人が挫折したりやめるときっていうのは、
上手くいったときじゃないですよね。
書けたぞ、褒められたぞ、
文章なんかすごい良い風に言われたとか、
僕が褒めたとか、
ここを改善したらもっと良くなる。
という、いわゆる成功体験。
良い評価を受けたときじゃなくて、
そうじゃなくて、
ダメだった、上手くいかなかった、
こういうこと言われたとか、
分かんないよねと言われたり、
それが続けられなかったり、書けなかったとか、
自分はダメなんだ。
といったときに、
まさにそのときに、
凹みの大きさが大きいから、
やめられるんですよ。
対策として、今回言ってたのと合致するんですけど、
期待値を低くするというか、
そんなにバラ色に上手くできるわけじゃないよね。
途中でも良いとか、
自分が書いて何かできるアウトプットであれば、
もうそれぐらいで良いんです。
もうちょっとで良いんです。
という風に、少しずつにしないと、
コントロールしないといけないんですよ、そこがね。
だから、多分、指導者とか教育者っていう人が
いるような気がします。
その人にあったものがどれぐらいか分からないので、
あなたはいきなり、
初めて書いて、
小説家とかになろうとしません?
いや、意気込みはいいけど、
それは無理じゃないっていうね。
うん。
それができたら、
その技能の習得にかかる、
今ね、そのアクター科学省が、
直樹省が、
受賞者なしっていうことで、
ちょっと話題になってるっていうのがあったんですけど、
そんな簡単に取れないです。
うん。運もあるでしょうしね。
うん。
だから、それ取れば全てじゃないけど、
そんな簡単に小説家にならない。
ただし、
小説家になれないって言ってるわけじゃなくて、
勉強していったら、
え、なれるんじゃないですか?
っていうのが僕の見立てですね。
しかも、なると言っても、
今、小説家専業になる人性が全くないから、
小説書きながら何かやってもいいし、
何か仕事しながら小説書いてもいいじゃないですか。
小説家の定義次第ですよ。
そうそう。
だから、最初というか、
やっていくときの、
一個一個の期待値、
もしくは、
得る自分への、
期量というか量ですよね。
大きければ大きいほど、
挫折しやすいんじゃないかな。
そう。
だから、淡々とやってる人っていうのは、
多分そこを淡々とやってるんだけど、
ちょっと良かったなとか。
だから、全部ちょっとでいいんですよ。
ちょっと良かったなとか、ちょっとダメだったな。
であれば、
ちょっとだから、
触れ幅が小さいんですよ。
で、そう言うと、
いや、なんか自分はもっとやったことに対して、
得たいんだと思うかもしれないですけど、
まさにその、
それはポジティブなときの話ですよね。
ポジティブにすごく得たいときの話だから、
そっちしか見てないんですよ。
物事って絶対に、
たぶんここが、
個心になっていったというか、
ハマっていくと思うんですけど、
着地としては、
初めてやるときに期待値を上げすぎて、
反応の大きさですごく上手くなろうとする、
ポジティブな方向を見すぎてて、
プラスの方しか見てないわけです。
でも、続かないとか、
そっちも、ネガティブも
同じように反応するんですよ。
これを、
タメセイさんという方も書いてたんですけど、
気になる人は、
熟達記録を読んでもらえればいいんですけど、
両方一緒なんですよね。
だから、ポジティブの方だけプラスにして、
だけでかくして、
ネガティブの方の反応を
マイナスとかほぼないようにすることは、
できないんです。
できない、できないです。
それはわかります。
だから、できないというか、
できるかもしれないんだけど、
それは知っている領域とかの話ですね。
今回は、書いたことがないですとか、
書こうとするというように、
新領域とか、今度学ぶときに
わかんないから、
ないんですよ、そういうのはね。
ということは、ポジティブのネガティブも
わかんなくて、
だから、両方に反応しやすいんじゃないかな、
という調整ができないんじゃないかな、
という話です。
それを、実は大きくするんじゃなくて、
狭める。
成功と失敗の認識
だから、もちろんゼロにしたら
何もやれないし、学びになってないのになるから
ダメなんですけど、
ちょっとだけにする。
ちょっと学んで、ちょっとダメだった
ということを繰り返していくと、
良いダメ、良いダメというふうになっていたときに、
慣れてきますからね。
慣れていって、習慣化しますよね。
習慣化すると、多分、
学びの量、学びの量というか、
反応の大きさというのが、多分、
こなれてきて、
いい感じになるんじゃないかというのが、
僕なりの理論というか、理屈ですね。
調整できたらね、
いいんですけどね。
ポジティブなやつだけはやって、
ネガティブなやつだけはやめる。
もちろん、違う視点で言えば、
試そうとして上手くいかなかったことは、
カウントしないというのはありますね。
それは、エジソンじゃないけど、
失敗なんて思わずにやればいいよね、
というのは、多分、
ご存知の方がいるかもしれませんが、
まさにその通りで、
上手くいくことだけ見て、
これはここが上手くいったんだなと。
失敗したということは、
上手くいかないんだよな、
ということは分かったよね。
次に行くという。
それは別にすごい話でもなくて、
失敗は気にしないという感じじゃないですか。
それはまさにネガティブなことを、
当然、失敗をしたくてやっているわけではなくて、
何かやろうとして、
上手くやろうとしたんだけど、できなかった。
そのネガティブな反応を、
ほぼゼロにするような動きなわけです。
でも、さすがにゼロじゃないと思っています。
僕の感覚で言えば、ゼロにはならない。
ただし、
それを下げることはできる、
ということは、
ポジティブの方も、
同じようになっていくと思っていて、
失敗しているやつを、
衝撃を自分で減らすことで、
ポジティブの方は増えるかと言ったら、
相対的には増えるんだけど、
それは試行回数からすると、
1万回やって1回上手く成功したやつを
ミスっているだけで、
9999回、
失敗しているから、
1万回やって1回上手く成功したやつを
ミスっているだけで、
9999回、
失敗していないから、
別に、やってきたやつを
すごいよねって言えなくって、
やってたらできましたねぐらいになる。
でも、これが割と正常というか、
適切な認知なんじゃないかな、
って僕は思っています。
だから、
ドヤーがあることもないわけです。
だって、
めちゃくちゃ失敗しているから、
今さらって、
それを認知していなかったら、
そうなるかもしれないですけど、
他の人がね、
3回出したらうわこの人すごい成功してるってなるんですけどいやーそれはできないなって だって9999から失敗してるから
なんだっけってことはえっと3万回やってて じゃあえっと29,997回失敗しますよって言ってやります
であとそれ聞きたいですかって話ですよね
そうそういやなるじゃないですかそれを ここはあのねうまく批判的に見ていただきたいんですが成功している人は成功しかしてない
って言うねことはないですから 僕はそう感じないっていうふうにご理解いただければいいかなと思います
それはさすがに甘すぎるというか成功の成功しているというところをかいつまみそれこそ 成功事例みたいな見てきてそれをやると成功できる
それがもしできたら学習も学びもいらないし教育もいらないですよね
挑戦の価値
なんかそれってなんか頭が良くなる薬みたいので怖いですけど今中 注射じゃないけど飲んだら頭が良くなる薬みたいながあって
飲んだら頭が良くなるみたいな話しにしか僕が聞こえないとまぁちょっとね 言葉が悪いかもしれないけど
そんなふうに思いますよねいやそれはないですそれはない だから
あのもっとポジティブを捉えてみてくださいだからなんか始めたらうまくいかないってことは あの
そういうものですからっていうってかむしろそれは始めた証拠ですよねそれぐらいがいいかと思う あ
うまく頑張ったことを始めたんだなだから失敗をしてないってことはこのねしごくり的にも言ってるんです けどやってないとこですからね
挑戦してないってことですよね保守的にだから別にあなた保守的なことやってるとか その普段変わらないことをやるっていう仕事でそういうのでやってますというね
行き方だったら全然それ否定しないし別にそれいいんですけど そうじゃなくてなんかやってみたいなって思った時の話ですからね
僕はそういうところにその想像的クリエイティブ さを見ますしやその挑戦がいいんじゃないですかねっていうことをまあね
前回も言いましたけど 学ぼうとするってすっげー楽しくないですかっていうのがここに入ってくるわけですね
なんで思ったよりは綺麗にまとまったかなと思いますなんで初めてうまくいかなかった っていう人がもしくはこれから始めようとする人がいてうまくいかなかったするじゃないですか
そんなもんですそういうもそれも一挙だから それを捉え方としてはやっぱり違う作戦だったり違うやり方をしてってやっていけばいいだけ
なんでうまくいかなかったっていうのも何がうまくいかなかったのかわからなかったです じゃないですか
だからその指導者とか教育者がいるとでそこに ai が入ってきてやれるかってなると結構派手なんですよね その人そのあなたの失敗する気持ちがわからない
大変ですねって言ってるけど大変ですねという確率的に言ってる でしかないから
そう感情移入はちょっと危険かなっていうのが僕らの 今回の着室をなりますちょっと長くなりましたけど
ぜひですねだから別各各話は全然よくて何か自分がやろうとしていることに対して うまくいかなかったら続かなかったなって人がいたらそれはちょっと構えすぎてるんじゃないですか
ねっていう話ですね で逆にうまくできていたりやってる人っていうのはそこを無意識化してたり
期待値もしくは反応の大きさというのはすごく狭めてって小さくしててだから ちょっとずつ楽し楽しんでるまあ例えばちょっと違うんですけど好きなものがあったら一気に
食べずにちょっとずつ食べてる 逆に苦手なものとか食べなきゃいけないって言われているものも
ちょっとずつ食べれば一緒に食べれるじゃないですかでもそれ一気にやっちゃうと一気に ケーキだけ食べて終わりというかあと苦手なものだけならみたいなね
そんな感じかもしれませんね適切かわかりませんが 今回は以上となります四国ラジオを走でしたここまでお聞きいただきましてありがとうございました
というわけで以上失礼致します
57:22

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