1. シゴクリラジオ!
  2. 自分と他人で考えは、ずれてい..
2025-12-04 32:21

自分と他人で考えは、ずれている前提がいいのかも

spotify apple_podcasts

---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/618b94773db982af52639b7a

サマリー

このポッドキャストエピソードでは、仕事の深掘りと広げることを探求します。特に、他者とのコミュニケーションにおける考え方のズレや、漫画などの文化的な話題を通じて理解を深める方法について考察します。他人と自分の考えや価値観のズレを探求し、それがコミュニケーションや理解に与える影響について検討します。話の深掘りと広がりの重要性が強調され、自分の成長と他人との共有を通じてより良い対話を追求することが目的です。考え方におけるズレは、相手との共有の重要性を示しています。このエピソードでは、アイデアや仕事作りにおけるコミュニケーションの難しさについて語られています。

仕事の深掘りと広げ方
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。
このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
今回ですね、突っ込む力ではないんですが、前に突っ込む力って話したんですけど、それに関連しているのか、要は
どこまで深掘りするか、もしくはどこまで広げるか。 そんな話をしてみたいと思います。
深掘りというと、どうしても下に垂直に行くイメージがある。 本当に下に掘る。でも掘るって横にも広げられますよね。
そういう意味では、
広げるというのが大きいですよね。広げるだと、下に掘って広げると言わなきゃいけないのかな。
そのあたりの感覚が、リスナーのあなたとも、僕で共有できていないかもしれませんが、下に掘ったり、右に広げたり、左に掘ったり、
右とか下とか左とかは別に方向はどちらでもいいんですけど、ある概念に対して、
物理的に拳サイズぐらいの概念になっているじゃないですか。それをサッカーボールとか、
大きなボールぐらいに広げられないか、もしくは広げていこうとすると何か起きるか。
これはやや精神論になるんですけど、小さいものだと思っていたら広げられないので、
それは小さいのではなく、実はサッカーボールぐらい大きいボール、卓球のボールとかでもいいんですけどね。ピンポン玉みたいなものでもいいんですけど、
そのサイズをどの程度に見ているかというのにも、よるんじゃないかなと思います。それが見えてなければ、
大きくしようがないですよね。 本当にそうだと思っています。それがまさに思考だし、観察とか、
見る話なんじゃないかなと。そんな話は軽めでいきたいと思います。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
コミュニケーションの難しさ
四国理ラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。今回は、どこまで深掘るか、もしくはどこまで広げるかって話になります。
それぞれちょっとざっくりしすぎていると思いますが、例えば誰かと話していって、
突っ込むのでもいいんですけど、さらに聞いていくか、もしくは関連した話題を出して、こちらに話を持っていくか、
相手のやっていることに対して広げてみるとか、質問したり、もしくは確認したりみたいなことを普段されていると思います。
そういう前提ですけどね。そういう中で、どこまでやります?例えば言葉の定義っていうね。例えば仕事って何ですか?
僕の仕事って何ですか?みたいな。事業を作ること、仕事を作ること、ビジネスを作ることって言われても、
ハテナですよね、みたいになってくるんで、そのためにアイデアを出したりリサーチしたりってことをして、お客さん見込みの人に聞いたりしてとか、
そういうのをババババッとやっていくことでフワッとしてますけど、でもそういうことをやってるんで、それが仕事ですとなると。
実際の業務とかわかりやすいイメージを伝えることはとても大事だとは思います。
一方で、わかってもらわなくてもいいみたいなのもあるわけです。もちろん僕の中でも。
これはずっと越していくんですけど、面白いそうなことやってますね、でもそれも儲からないですよね、みたいなことをある方に言われたんですよね。
ずっとたぶん越していくと思います。一生越していくと思います。悪意はないかもしれないんですけど、僕もその頃20代で
何くそじゃないけど、なんかすっげー決めつけてくるなこの人みたいな感じはあるみたいな、正直そっちくれれば腹が立ってたわけですよ。
その20代のことまだ覚えてるんで、すごいですね。20年も経ってる。20年は経ってないけど。
だけど、そういうのありません?記憶に残ってですね。だからその人を非難するとか、それはないんですけど、
そんなことは多分思ってないんで。その方は何やってるかって言ったら、ものすごい保守、インフラみたいなやつで、
そんな仕事だったんです。その方と何もご縁はないので、なんでその人と話してたのかわからなかったんですけど、
それはありますよね。エピソードトークということで。そういうのもあるから、仕事って説明するの困るわけですよね。
要は相手がどこまで求めているのかもわかんないし、もしくはこちらがどこまで行っていいかわかんないから、
探り探りみたいなのが適切なのかなと思ったりしています。言い切って分かりやすいふうにしたところで、
講師をやってるとか塾講師をやってるってわかりやすいけど、でもそれは塾講師っていう相手が思う塾講師を想像してるだけなんで、
その定義と言いますか、どこまで言うかっていう話になるじゃないですか。相手が知らない人だとして、
でも塾講師をやってたらその塾講師の仕事がわかっているという前提になるんじゃないかなと思います。
前提というか共有できる。だけどそれは全く違う塾のビジネスとか塾のやり方があったりして、
例えばですよ、ないと思うんですけど、講師が教えてくれるんじゃなくて、講師に教えるという塾があったらどう思います?
犬を人間が飼うんじゃなくて、犬が人間を飼ってるみたいなシュールな絵面になっちゃいますが、そんなぐらいちょっと面白くないですか。
でも人に教えることで身につくから、それってちょっとアリなんじゃないかなと思ったりします。
もしくはちょっとどういうことか自分に教えてみてよっていうようなことを言って解決するというのはアリかなと思います。
それは半分冗談ですけど、そういうのがあるときに、社会人というか大人側、学生以上だと思いますけどが、教えるというのが塾、学生に対してね。
そういうことをやってた人は、学生が講師に教えるということがビジネスとして成り立つと、仮に成り立ったとしてたら訳わからんわけですよね。
っていうようなことが塾講師っていう仕事の定義もしくは感覚でずれるじゃないですか。
ゆえに僕が言っている仕事づくりビジネスとかもめちゃくちゃずれてるんだろうなって思ったわけです。
漫画を通じた理解
仕事づくりって例えば悪意を持って言うと、余計な仕事を増やすなみたいな、仕事は少ない方がいいみたいな人もいるわけですよ。
仕事っていうのは自分で作るんじゃなくて、やらなきゃいけないタスクとか作業みたいな、かなりネガティブな人もいると思うんですよ。
だったら少ない方がいいよねっていうことを僕が仕事づくりって言って増やしてるから、奇妙を着てるというわけですよね。
たぶんね。一生というか話というか価値観として全然合わないですよ。厳しいなと思いながら。
まあでもそうやって考える人の気持ちが分からんでもないというか、別に知ってるんで、仕事にも対して嫌だなとか苦労するべきだとか、嫌なことをやることなんだよみたいなね。
その一加減と言いますか、一人一人全員違うんじゃないかなって思ってて。
例えば全員ですね。日本が全員、まあないんですけど、塾講師やってたらみんな違う塾講師やってると思うんですよ。
どんどん塾講師っていうのがアップデートされていっていくから違ってくると思います。
そのうちAIが入ってくると、AIで指導する人のことを塾講師って言うかもしれませんね。
これは別に冗談でもなく、本当にそうなるかもしれない可能性はありますね。
なんで子供一つとって仕事は何ですか?仕事っていうことをとってもどこまで広げるかなわけですよね。
いわゆる雑談とかトークっていうのはまさにそうで、どこまで広げるっていうことなんですよね。
わかります?
多すぎると相手がキャッチできないから、あんまり言えなかったりするわけです。
少なすぎると、何それ別に話さなくてもいいじゃんみたいな。
チャットでちょっとお知らせしたらいいんじゃない?みたいな。
だからこのポッドキャストもどこまで適切なサイズで座ってるか正直わかんないんですけど、それをやりながらです。
ただこれね、基本的にはテーマは1本出してそれについて話していくってことにしてるんで、まあなんとかっていう感じですよね。
テーマに関して2個3個あるのはいいんだけど、何テーマもあったらそれは大変ですよね。
っていうのはなんか思ったりしますね。聞いてる側ね。
でですね、言葉の定義だけでもそうなんですけど、じゃあ漫画みたいな、漫画読むみたいな。
漫画って何?みたいな。
頭の中では定義をしているとは思わないかもしれないですけど、漫画って言ってもいろいろあるわけじゃないですか。
青年誌のやつから、少年誌から、女性向け男性向けとか、新聞の4コマ漫画とかね、昔の漫画とかね、テザーアトムとか昔の漫画でしょ。
そういう、なんて言うだろう、コミックとも言いますが、漫画で1つとってもめちゃくちゃありわけですよね。
で、事故とは言わないんですけど、漫画とか好きですって言って、おすすめの漫画を紹介されると。
で、昔あったんですけど、そのおすすめの漫画みたいなのがなぜかあって、それがですね、ちょっと変わったやつで、僕からするとね、全然受け付けなかったんですよ。
今も多分きついと思うんですけど、漫画って面白いんですけど、画風あるじゃないですか、絵柄みたいな、それが受け付けないってありません?
とか、そのストーリーが全然入ってこない。漫画もリズムじゃないですか、コマ奥、コマ割りか、コマ奥じゃない、コマ割りで、どういうリズムで入りたいか。
ポップな感じでカジュアルに行きたいならテンポよくだし、長々しい説明的なものがいいなら、そのセリフが長くて、みたいなね。
ありますよね、セリフが長いやつってね。そうすると、読んでないと。僕は漫画、セリフじっくり読んでない気がしますね。
それ読み方なんでどちらでもいいんですけど、その漫画ひとつとってもいろんなものがあるわけですよね。
学習漫画みたいなのもあるじゃないですか。異人とかの話とかね。
エジソンとかね、そうそうそういうやつもあるし。歴史漫画とかね。三国志みたいなのも好きですけど、そういうのもあると。
どこ好きっていうのは難しくないですか。歴史漫画しか読んでないから、歴史漫画好きですよって言った時に、
それこそワンピースみたいな、鬼滅の刃とか、ナルトですか。
別に漫画読んでるわけじゃないんで、僕はそんなに。わかんないですけど、ただそういうのを進められても、いやちょっと歴史じゃないんで、みたいになりますよね。
その時に、いやそんなことないじゃないですかって広げてもらって、ワンピースって読むことなかったんだけど、読んでみたら面白かったよっていうのはあり得る話なんですよね。
だから閉じなければ漫画っていうこと言っておいて、自分が知らない漫画に対してもアプローチできるんだけど、別にそこまで広げたくない人もいるわけじゃないですか。
実装の漫画が好きだから、その世界に行きたいというかね。だから別にそれは悪いとも思わないし、求めてないですよねってなるじゃないですか。
そういう風になっていった時に、じゃあ漫画の話をこれ以上しますってなっていって、盛り上がらないというよりも、そんなに言いたくないというか。
あれなんか三国志好きな割に、三国志のことあんまり知らなかったり、三国志自体の歴史や武将の名前とか、出来事とか、赤壁の戦いとか、史実家で小説としての部分、演技的なところですよね。
部分はあると思うんで、話を置いておいて、さすがに赤壁の戦いは有名じゃないとか、映画になりましたよねとか、
そういうのが出てくるかなと思ってたら、そんな出てこないぞと。これがですね、だから話したくないのかなみたいになっていったりすると。
今話として雑談を漫画ということでしようとしてたケースを今取り上げてるんですけど、勝手に僕が作り上げてるだけなんで、そういう会話があったわけじゃないですよ。
だけど、そういうふうに言葉、定義、漫画、最初の言葉は仕事、漫画とかいったときに、どこを見てますか、どこまで行きますかみたいなのがあるんじゃないのかなと思います。
で、例えばわかりやすいかどうかわかりませんが、漫画だったら、自分の趣味範囲みたいなものは歴史だけですよと、自分は冒険物がいいですとかね、
流行っているものはまず読みますとかね。そうなんですよ。だから別にどうというわけじゃなくて、
他人との考えのズレ
共通点がある人が多いというのは、幅が広ければ掠りやすいですよね。だけど、掠るんだけど、それただ知ってるだけじゃん、聞いたことあるだけじゃん、読んだことないんじゃんみたいになったら、
読んだ話はできないですよね。読んだ話ができないからお互い深く付き合えないかって言ったら、それはないですよね。それはちょっと浅い理解なんで、
それをきっかけに他のことも色々聞いていったりすればいいわけじゃないですかね。他のエンタメとかね。
それは遠くの話になってくるんで、それぐらいにしといて、結局定義とか概念とか、そこで何を話したいか、何を伝えたいかみたいな部分は、
いきなりボールを投げられてポンってきてもわからないんで、リレーでラリーを繰り返すようなキャッチボールを繰り返したり、もしくはその人がどっちに行きたいかを探りながら、
お互い行きたいところを見ていくというのがあるんじゃないのかなと思っているわけですよ。それをどこまで深掘りするかとか、もしくはどこまで広げられるかということですね。
上下か左右かわかりませんが、ブレンダーってね、昔触ってたことあるんですけど、その3Dのものであれば、
いわゆる上下拡大、横に拡大するってことで、球があったときに手のひらサイズのピンポン球ぐらいのものだとしたら、その球を拡大すると一気にサッカーボールとかもっと大きくね、それこそパソコンのディスプレイサイズとかね、どんどん大きくできるわけですよ。
というふうに広げていくことができると。冒頭話したところで、この場合にどこを見るかなんですけど、
じゃあ漫画って何?みたいな。哲学じゃないですよ。漫画ってみたいな。あなたにとって漫画とは何ですか?みたいなときにキーワードで一つ言えるないとダメっていうわけじゃないんだけど、
漫画が好きなら、そういうことを言えると思うんですよ。その人なりのもので。その人なりの意見ですよ。
意見みたいな考えみたいなのがあれば、それが球とか丸だと分からないんですけど、三角形みたいな形してますみたいなね。
例えばこれ概念として、イメージとしてね、三角形です。じゃあ僕にとっては、違います。僕は何だろうな、三角形というよりも、何がいいんだろう、
点をいっぱい集めたような点画みたいなね。そんな針絵みたいなね。そんなイメージです。点が集まって線とか面になるみたいなイメージです。
っていう話をしたときに、そうなんです。違いますね。三角形と点画みたいなものはだいぶ違いますよね。どういうことなんですか?みたいな感じで深掘りが始まるのか広げるのかわかんないんだけど、
ここで大事なのは、どこまでやりたいかっていうのがお互い分かる、もしくは共有できることなんでしょうね。だからメタ的なんですよ。
つまりメタ的っていうのは、そこで漫画についてその説明したいことっていうのが具体的にあるわけですね。
自分は点画、針絵みたいなものだとしたら、こういうふうにいろんな漫画があるから、そういうのからいろんな物語とかお話を得ることが好きだよ。いろんなものを見るのが好きなんですよっていう意味での理解。
一方で三角形だっていう人は、なんで三角形かちょっとわかんないんだけど、読んでいくと、それこそ主人公と感情と背景みたいな3つの見方で見てるよみたいな。そういうふうに分析しがちですみたいな。
そのふうに読むの面白いねみたいな感じのトークをしたときに、じゃあ我々は、もしくは一対一で喋ってて、どういうところを目指しているのか、もしくは行きたいのか、何を考えているのかみたいな、そんなことになるんじゃないかなと思います。
メタっぽいっていうのは。その要は話したいこと自体を考えるということですね。話したいことを考えるのと、具体的に話していることは別。もっと違う言い方をすると、ゴールみたいなのがあって、目指したい方向みたいなのがあって、北海道に行きたいっていうのがあったときに、今北海道にいないけど、ちょっとずつ北に進んでいきたいですよねみたいな。
北に進んでいくためには、ちょっとずつ上の方に歩いていかないと、北か、歩いていかないと、飛行機なり、ちょっとずつ近づいていかないといけないですよね。今はそこにはいないですよね、北海道じゃないですよねみたいな。
だから北海道に行きたいことを確認しつつ、実際違うかもしれないけど、北に歩いていくとか北海道に近づいていくみたいな風にしていって、具体的には近づくっていうのが細かい話ですよね。漫画でこういうのがあるとか、自分はこんな風に考えて読んでいるみたいなのは細かい話ですよね。
そこでさっき言ったように、さっき歴史物読んであまり別に他には興味ないですっていう人は閉ざしちゃってるから、これは悪い意味じゃないですよ。悪い意味じゃないけど閉ざすならもう広げようがないじゃないですか。歴史の話を振ったら意外にそこに深掘りができないというか、そういう感じじゃないんですねみたいになって。
じゃあこの参考書とか歴史の話はもうちょっとやめようじゃないけど、ちょっとここら辺にしといて、天気の話じゃないけど、別の話にしましょうかではないけど、そういえばとかで話題を切り替えていくのがいいのかもしれないですよね。それはいいかどうかわかんないです。
でもわざわざ相手が嫌がっているとか別に話したくないようなことを別に話す意味もないですし、そこで今話すって言ってますけど、別にメールでのやり取りでもいいしコミュニケーションでも何でもいいんですけど、その深掘るところとかどこを目指してどこまでやりたいかがあってないとピントがずれてるって感じですかね。
深掘りと広がり
ぼやぼやで、ぼやぼやの写真でいいですよっていう人だったらいいですけど、たぶんぼやぼやの写真が現像って言わないですけど、画面に現れてきたりそれがデータとして送られてきたら怒るわけじゃないですか。これ誰みたいなね。
なのでそのピントを合わせるのはある程度必要なのかな。ピントが深掘りで下げていくのか左右に広げていくのかわかんない。両方いるかもしれないです。逆でもっと絞ってズームするってことかもしれないですよね。拡大するっていうズームですけど。
そういう感じかなと思いました。で、今回一番言いたかったポイントっていうのはそのどういう形に見るか。さっき言った北海道とかゴールみたいなものとか、今は点だけどこれはピンポンダムみたいな小ささだけどすごい大きくなっていくっていうのを見てるのか。
それがないときはあんまり広がらないですよね。もしくは広げようとしてもうまく広がらない感じがしますよね。少なくともピンポンダムのままでいいんだって自分が本当に思ってたらそれを維持するじゃないですか。
それはもうそれをピンポンダムをやってたらなぜか大きくなっていったっていうのはその人は言語化してないけど大きくしようと思ってやってるじゃないですか。じゃないと大きくならないじゃないですか。大きくなったら小さくしません?空気入れみたいなどんどん膨らんでいくピンポンダムみたいなのが仮にあったとして、まあ風船でもいいですけど。空気を入れれば膨らむんです。空気入れなかったら膨らまない。
勝手に空気入ってましたっていうのはちょっと怖いんだけど、少なくともそのキャパシティみたいな意味で大きな風船を持っていなかったり空気が入る余地がなければ大きくなりようがないわけですよ、そのボールっていうものはね。だから勝手に大きくなるっていうのは多分ない。だから自分の器が広がっていっていろいろ受け入れられるようになるっていうのは個人の成長と一緒に事業の成長とかやりたいことが広がっていったっていうのはあるんじゃないのかなと今話してて思いました。
勝手にはないと思うんですよね。自動的にという風にはよく、自ら自然に広がっていったというのはありそうですけど、それはその種となり何かが器が大きくならないと大きくなりようがないですよね。
無茶して大きくしても結局合わなかったら支えきれないし急激な成長ということで、片足で頑張っているみたいになるから、あんまり僕はお勧めできないというか、そういう荒漁師と言いますか、やる人もいると思うんですけど、僕はあんまり好みではないってくらいですね。そういう人もいるんじゃないでしょうか。
その時にメタ的だって言ってますけど、大きく小さいものっていう状態が今なんだけど大きくしていくってものをそこに見出すってこと、もしくは自分が成長して器が大きくなっていくみたいなものがない限り、要は大きくなるっていうことが絶対ではないですよ。
絶対いいとはもちろん思ってないけど、大きくなるみたいなものがそこの状態で見えてないなら、もしくは本当に小さいものしか見えなかったら、それだけで終わりませんっていう話なんですよね。
見えてる場合にここが問題なんですけど、例えば僕がそれはピンポン玉じゃないとサッカーボールぐらいの大きさありますよねっていうふうに見えてますよって言っても、相手はピンポン玉はピンポン玉じゃないですか小さいものなんですよねってなって話が噛み合わないんですよ。
なんでそこで言葉なり、絵でもいいし、こういうふうになってて各々しかじれでこうなんですってことを言ってて何とかですよね。それでもわからない方はやっぱりいらっしゃって、それはあなたの妄想というか何を見てるんですか、何が見えてるんですかってなってて、そんな見えないですよっていうね。
ここにはやっぱり過去現在未来みたいな考え方で捉えると、過去もしくは現在、現在今も進行形なんで、現在過去っていうのはほぼ一緒なわけですよね。現在のところしか捉えられない。もうすでにずっと話してた話も過去になってますね。
だけど未来っていうのは今これからどうなっていくかわからない。だから5分後今どうなってるかわかりませんから、5分後にとても面白い着地ができるかもしれないし、今25分喋ってますけど、全然面白くない着地になるかもしれないのは僕もわかってないです。
だけどなるべくその話が伝わるように何か心を砕くっていうのかな。それを使って、気を使って提供していって何とかならんかみたいな感覚で今の話して、
こっちは見えてるサッカーボールくらいのボールが見えてるから、今はピンポン玉だけどねっていう小さいサイズの卓球ね。ピンポン玉ですけど、そういうふうにしていきましょうよっていうわけですけど、相手がピンポン玉でしか見えないから無理ですよと。
言った時にリスナーのあなたもぜひ考えていただきたいんですけど、どうします?無理にやります?僕は無理にはやりたくないし、やれないんですよ。なぜなら相手が望んでないからですよね。
その時の視点の拡張とか視野、視座とかいろいろ言うわけですけど、そこをどこまでやれるかというのと、相手にこれはおせっかいになりますよね、老婆心みたいなやつですけど、成長してほしいしそういうふうじゃない、本当に自分はそう思ってるんだと大きく見えるから、
そう考えましょう、そうやってやっていきましょうってことがどこまで伝わるかと思います。本当に。じゃなくじゃないと、すごいうるさい人で、おせっかいで、何言うんだみたいな。
自分はピンポン玉のままでいいんだよみたいな。怒られると思うんですよ、逆にこっちが怒られて、あ、そうですかって。で、こちらはバカバカしくなるんでやらないですよね。
でもね、今それを話してて思ったんですけど、そんなことばっかなんじゃないですかね。だから自分が見えているのに相手が見えていないケースが厄介ですよね。
その時にもう信じてもらうしかないですから、こちらを。その信頼ってどうやってやるんですかって言ったら、いきなり見えてるんでその通りにやってくださいって言って、はいはいそうしますっていう人はやっぱりものすごく少ないんだと思います。
全部言うこと聞くんでみたいな。その人は多分言うことを聞けないんじゃないかと思うんですよね、そういう言ったこと。
言ったことを全部文字通りうのみってやつですよね。全部丸のみしてやってくださいっていうことができる人って相当限られると思うんですよね。
本当かなーみたいな疑いがあったりして、くのが普通だから、いきなりできないから、ちょっとずつですよね。
じゃあわかりました、じゃあちょっと新しくこういうことやってみたら変わってきますよって言って、騙すわけじゃないですよ。
騙す意図はないんだけど、まず信じてもらうためにちょっとコードを変えてこうやってみたら変わりますよね。
考えの共有の重要性
それこそ僕自身が提唱している違和感発想みたいなのがあって、ちょっと違和感出してアイデア出してみたら気持ち変わりませんって。変わりましたよねみたいな。
マジシャンじゃないけどね、手品みたいな。
そういうふうにちょっとずつやるしかないかなみたいなのは最近思いました。
どこまで深掘るかとか、どこまでその人が行きたいかみたいな、もしくは見えている部分ですよね、アイディアがね。
サッカーボールみたいに大きくしていきたいんですよみたいなピンポン玉を持っていない人にやるのはおせっかいじゃないですか。
でも望むなら一緒に何かやりたいですよねって。
じゃあどっちに行きましょう、広げましょうか、左右に広げましょうか、深掘りしましょうかとか、それとも全然違うところに行きましょうかみたいなところが、
言えてたり分かってたらもうそれで共有していただけばいいんですけど、言えなかったり分からなかったりするってことが割とほとんどじゃないかなと思ってます。
それは思考というか考え慣れてたり、自分で考えてこういうことやりましたっていう人にはごくごく当たり前の基礎科目みたいなウォームアップみたいに思えるかもしれないんですが、
そうじゃない人にとってはものすごくそれが激しく、スポーツでしんどくて信じられない、それをずっとやり続けるのみたいな風に多分なってるんじゃないかなと思ったりしました。
なんで、正解はないですね。どこまで広げるかは相手によるしその状況によるので、
今回は一対一で話すときの相手と自分のある言葉だったり、最初は仕事でしたけど、次は漫画でしたけど、概念や考えみたいなもの、意見でもいいんですけど、アイディアもそうなんですよね。
どういうところまで共有できているかがずれている、もしくは違うっていう前提で話していくと。
僕でいうとアイディアとかリサーチとかもそうですけど、仕事作りとかもむちゃくちゃ幅が広くて伝わってないと思ってるんですよね、全然で。
全然違うことを想像されてるんじゃないかなみたいな。
コミュニケーションの難しさ
作業ばっかりやってる人からすると、仕事って作業だよねってなるんで、いや作業は確かに具体的なタスクだけど、その手前のところにいっぱいあるよねっていう。
それを雇わないと作業者だけになっちゃうし、そうなってません?みたいになりますよね。
これは時間を込めて言ってますけど、そこはやっぱり考えとかないと、言われたことだけをやるみたいになりますし、仕事作りって言われたことだけをやるなんていうものではもちろんないので、
こういうことがあったらいいよねっていう、ある種の未来ですよね。現在、過去を見るんじゃなくて、ということはこれが今あれば未来にはこう役立つよねっていう。
まさにそれを考えていくのが仕事作り。
ある種の先読みでもいいし、ちょっとした自分が困ったことを他の人も困ってるんじゃないかと想像して、半歩先一歩先に提供していく。
ちょっと動いてみるってことなんじゃないかなと改めて思いました。
ピンポン球とサッカーボールの例えがいいか分かりませんが、共有している流度、解像度、見える範囲ですよね。
見える範囲がエリアでもいいんですけど、見たいものもあると思いますよね。
実際に大きさとしてね。がずれてないか、もしくはずれているという前提で一回やっていくといいんじゃないかと。
やっぱりずれてますよね。ずれていること分かりますか?
分かりませんだったらちょっときついですよね。ずれているのは分かりました。じゃあどうするかだったらこういうこと。
ずれてるんだけど、いやなんかずれてませんみたいになっていくと、ずれているってことを明確にして言葉なり動画でもいいし、図解でもいいですし、伝えていかなきゃいけないんでしょうね。
見えてる側がね。じゃないと待ってても見えないからしょうがない。見えてる範囲で一回やってもらって、いやずれてるのを確認して次に進むのもありますよね。
なんかちょっと教育っぽい話になりましたけど、そんな感じで言葉の定義、概念、アイディア、仕事もそうですが、ずれていると。人と自分はずれているんだと。
バチッと一緒の人なんていないですからね。そこを踏まえるとなんか面白いことになるかもしれません。今回は以上となります。
四国居ラジオ大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。以上失礼いたします。
32:21

コメント

スクロール