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2025-12-03 47:30

人と出合うことで創造性が高まり面白い社会を作れるはずだ説

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サマリー

人との出会いが創造性を高め、社会を面白くする可能性について論じています。本やSNSを通じて新しい考え方に出会うことの重要性や、偶発性やランダム性が刺激となることについて触れています。出会いを通じてコミュニケーションが発展し、それによって創造性が高まる可能性が示されています。特にSNSやヒアリングを活用することで偶然の出会いがもたらす価値が強調されています。また、人と出会うことが創造性を高め、社会をより面白くする方法について考察しています。出会いを通じて異なる考え方や価値観に触れ、自分自身の視野を広げる重要性が強調されます。人との出会いやコミュニケーションを増やすことで、創造性が高まり、社会がより面白くなる可能性があるとされています。新しいアイデアの創出は仕事の創造にもつながり、社会全体の活性化が期待されています。

出会いの重要性
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。
このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
よろしくお願いします。12月も入りましたね。シーワースですね。やっていきましょう。
今回はですね、出会うですね。何のことだと話になると思うので、説明していくと、
先ほどノートに書いていたので、若干ネタになるんですけど、ノートは最近面白いなと思っています。
ポッドキャストも一緒ですね。ユーチューブも一緒。シゴクリスペースというディスコードもやっていますが、そこはまだ面白くできていないのかな。
自分にもできていないのはありますが、そういう場。
あと、ヒアリングですね。違和感発想ツール、もしくは違和感発想という発想法、もしくは思考法を求めている人、もしくは提供していくということを実験して実証しているんですが、
そういった中でヒアリングとか、出会う人というのもそこに並べてしまおうという感じです。
何を言いたいかというと、出会いというよりは人と直接会うということだけでなく、メールとかメッセージとかSNSの返信とか、そういったものを含めていますが、
それって面白いなって話です。そうなんだって。面白くない人もいますよね。僕は面白い。
だから、特に今年は場作りだとか言ってたんだと思いました。今振り返ればね。
なんで面白いかというと、単的に言えばランダム性が高い、偶発性が高いからだと思います。
偶発性が高いということは、違和感発想もそうなんですけど、違和感とテーマを結びつけることで、偶発性を誘発して、そんな考え方があったんだということに気づけること。
このしごくりラジオでは初めて聞いた方もいらっしゃるかもしれませんので、言っておくと、そんな偶発性とか創発性、創造化、クリエイティビティの方を生み出すような環境を作っていったほうがいいんじゃないですか。
もしくは、それを作るためには知らないことを知るとか、そういう考え方をするってわからないんだけどどうなんだろうねと。
異物というと怒られますが、異質なものを取り込む感じというのも有効ですし、それはやり方って様々あるので、多分人によって違ってくると思います。
具体的なものはね。でもその感覚は変わらないんで、それをうまくリスナーの中でも、もし創造性を高めたいとか、アイデアを出したいのであれば、
例えばご機嫌そうな人と話したほうが多分創造できますよ。それはできないとかばっかり言ってる人はダメってことですよね。
批判もいいんですけどね。この間言いましたけど批判するとかツッコむのはいいんだけど、その以上に創造してくださいよねっていう、それだけです。
友情じゃないんですけど、自分こういうこと考えてるんだよね。君はどうだいみたいなのが青臭いというか、こっちが恥ずかしくなるとかね。
あとキザなセリフとかね。っていうのが漫画とかドラマだけだともしかしたら思ってる人がいるかもしれませんが、いやいやそんなことないですよみたいな。
現実もバチバチそういうので伝えていって、ジェットコースターみたいにね。走ってカー止まるとかね。そういうダッシュ&ゴーみたいなことをやらなくていいんですけど、ある程度そういうのって大事じゃないかな。
っていうかそういうのがないとエモくないというか、要は感情とか感覚とかでやろうってならなくないですか。
平々凡々で何も波がないというか、寝ますよねたぶん。ロードレースの動画たまに見てるんですけど、ずっと同じでずっと走ってるだけだと寝ますよね。
同じペースでね。そこにドラマというか環境があるからやっていけるという感じがします。そういう意味での環境がまさに人と出会うということが僕にとっては大きいのかなと。
人と出会うという意味で本を読むのもたぶんその人の考え方に出会うんで、たぶんそこだけなんじゃないかなと悟りに近いんですけど、たぶんそこだなと思いました。
だからアイディアを出すっていうのはもちろん言うし言ってるんだけど、アイディアを出すことすら手段っていう感じですね。感覚的には。
ヒアリング、だから授業を作ったり何か新しいことやるとそういう人に出会いやすくないですか。
面白い人に。少なくとも自分は何かそんなやりたいことないです。
なんか待ってますみたいな。口吐きで待ってますって言ったら怒られるかもしれないですけど、待ってますっていう人との出会いは確率が減るじゃないですか。
自分が待ってたらそういう人と出会ったほうが安心するかもしれないんで、別に待ってたらダメとかではないんですけど、僕は待ってるよりも攻めていったほうがいいから、そういうのを作って何かやっていったほうがいいかなっていう。
すごいシンプルな話です。だからそういう意味では自分の気づきではあります。
なんでこれくらいにして、人と出会うということがいろいろいったノートがとかSNSがあって話とヒアリングですよね。
人と出会っていくことが刺激になって想像性、偶発性を刺激するということだから、ゆえに自分には適しているというかね。
コミュニケーションの価値
そういう要素があることをやっていけば、それを仕事にしなくてもいいんですけど、でもそれって結局、結論的には社会を作ることに僕なりにはなるので、それやるかなっていう悟りというか表明というかね。
やってるんですけどね。やってるんだけど改めてそんな気がしたという、そんな話を引き続きしていきたいと思います。
なんでどうなんだろう。要素としてはSNSの楽しみ方とはちょっと違いますね。
人との出会いっていうのを楽しみ方を、僕はそのアイデアを誘発するとか、想像性を高めるとか学ぶってことの一つヒントにしている。
刺激にしているって感じですかね。結論的には。っていう想像性を高めたり、アイデアを出すっていうような、
目の前で困ったから、自分困っててアイデアを出さなきゃいけないから出すっていうような、単楽的な話じゃなくて、
中長期的にそういう感覚でやってるんですよっていうことをご理解いただいて、後は吉野に気づきを与えるというかね。
気づいてもらえれば幸いです。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい。中国リーラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。
今回テーマはSNSとか、あとヒアリングとか、結局共通しているのが人と出会うこと。
要は特に新しい人と出会うこと。ここでの前提、繰り返しになりますが、直接対面で直接会って話すってことではなく、
チャットなりメールなりメッセージなりSNSのそのリプライ返信とかですね、DMとかZoomとかね、オンラインでもいいですし、
そういったですね、要は新しい人、知らない人とコミュニケーションするみたいなのを出会いと呼んでます。
その出会いをすることにより、僕ですね、僕大橋という人からすると、それがですね、創造性となり得る。
創造性というのはクリエイティビティですね。もちろんイメージの創造にもなりますね。
世の中や社会がどういう人がいるかに興味があります。まず前提として。興味ない方もいらっしゃるじゃないですか。
自分にしか興味ない人とかもいたりね。僕自身はそこまで自分に興味ないと思ってまして、実はそうじゃないよということかもしれませんが、
少なくとも僕がこのしゃべることで、自己顕著欲で俺の考えを聞けなんていうことは1ミリも持ってなくて、
僕がこう思ったからあなたはどう思いますかっていう感覚なんですよね。それが伝わってるかちょっとわかんないです。
で、それで出会う人と出会います、話します、コミュニケーション、出会うというかコミュニケーションするんですね。
新しい人とコミュニケーションします。そうすると創造性というのが刺激されます。
つまりランダム、偶発ってやつですね。偶然って言ってもいいですけど、自分が想定していなかったものがあると。
何て言うんだろうな。例えば、具体例はなくてもいいのか。例えばにしましょう。営業をやっている人と出会った人じゃないですか。
営業をやっている人ってそんなイメージがなかったり、ゴリゴリ押してくるかなと思ったけど、ものすごく話を聞いてくれたり丁寧にやってくれたから、
営業をやっている人のイメージが全部上がるみたいなのありません?そんなのしょっちゅうじゃないですか。
ここでいわゆる改造度という話になるんですけど、その営業と言われている人、少なくとも自分が営業をやっている人だという括り方が荒いんですけど、
そういうもので括った時に、その数、人との出会いが少なければ決めつけるじゃないですか。
それこそクールマシンシャディーラーの営業マンぐらいしか付き合いがないと、営業ってこういう人だよねってなりますよね。
これがなるのが悪いわけじゃなくて、そういう状態になっていると。
仮に営業マンもいろんな人に出会っていったら、イメージ変わるじゃないですか。こういう感じの人もいるんだ、面白いねみたいになる。
それがまさに営業マンとか営業って関する僕だったり、リスナーのあなたはご自身の概念とか考え方がアップデートされるってことですよね。
もっと違う言い方すればバイアスが、思い込み偏見が崩れたり、もしくは改善されたり、もしくは、
ネガティブな話ですけど、ひどい人になったらもう全部営業イコール詐欺師だみたいになりますよね。
だからその括り方がどうかは一応横に置いておきますけど、そういう感じで変わっていくんですよね。
自分の言葉の定義が変わるでもいいし、自分の行動が変わるでもいいし、考え方が変わるでもいいし、決めつけすぎていたとか、
新しい出会いの促進
もしくはそこをこだわってもいいんだとかね。世の中の人の考え方とかから社会っていうのをどんどん見ていくということがものすごく僕にとっては面白いわけですね。
もう一回言うんですけど、SNSだったらNOTEとかX、Xはあまり使ってないですけど、朝日新聞のNOTEが面白いんですけど、そのNOTEでもフォローされるわけですよ。
ポッドキャストは全然やってないんですけど、NOTEでフォローされるじゃないですか。
NOTEあまりやってない人がいたらXとかどんなSNSでもいいんですけど、
NOTEとしてはフォローされると、その人の記事とか投稿したものとかが自分のタイムラインとかトップに出やすくなったり出てくるわけですね。フォロー中とか。
その人の情報というとよくないんですけど、投稿したものを追えたりすると。話戻すとフォローされるってことはリストに登録されるんで、
その人を見るわけですよ。そのアカウントの人を見に行くってことができます。そうするとその人が書いた記事が読めたりする。
そこに考えや価値観がある。もしくはその人の体験や記録が概ねあります。
それが一人ごとだとしても、その人は何か思いがあって発信しているんでしょう。じゃないとAIに書かせてよくわかんない記事が出てくるだけなんで、それは読まないというか。
面白くないよねって言って読まないんで。それだけです。読むということは、さっきは本の読む、
その作者と出会うということを言ったか忘れましたけど、そこも含むわけです。つまりAIが書いていなくて、AIが書いていてもいいんですけど、まとめてね。
その人が書いているってことは、その人がいるわけじゃないですか。国語みたいな話になっちゃうんですけど、この作者は何を考えているんですかっていうことを、
わかりやすく言えば常に僕は考えたいし考えているわけです。同じような属性の人が文章を書きました。だけど伝わるものが違うんじゃないですか。
っていうのがあったときに、なんで違うかというと、伝えたいものとか体験したものとかの捉え方が違うわけですよね。
これさらっと言ってるんですけど、かなり大事なことで、でもそういうのが違いなんじゃないですかね。文章をアウトプットされるもの。文章だけじゃなくてもいいですよね。
動画だろうが画像だろうがイラストだろうが、なんでもそれはコミュニケーションとしてあるのであれば一緒です。
それがですね、僕が見ていたときに、ごめんなさい、昨日ランダム性って言葉偶然性って言ったのは、話戻すと、
フォロワーだと自分がフォローしたからフォローしてくれるとかいう、そういう相互フォローみたいなバイアスというか、
そういう話は僕に関しては全然なくて、別にそれをね、ビジネスのためだみたいな感じでやってる人はいるかもしれませんけど、
そういうマーケティングみたいな、僕からすると枝派っぽいんですけど、でも枝派でもいいやっていう人もいるから、一概にダメとは言えないですよね。
知ってもらうためにはいいけど、でも情報として別に欲しくないのに、興味ないのにフォローするっていうのはまたどうなんだろうねっていう。
つまり興味がないリストみたいになっちゃうわけですよ、フォローした人がね。
で、そのフォロワーも同じような戦略ですよね。ゲーム理論じゃないけど、同じような戦略で動くと、お互いフォロワー関係だけど、両方に興味がないという。
これはですね、例えばこの間マーチングアプリ、ボイステップか話しましたけど、喋ってるんだけど相手に興味ないってなんか失礼じゃないですか。
で、めちゃくちゃ失礼じゃないですか。信頼はされないですよね。
信頼したくなくないですか。
で、そういうところで笑えるのが、自分はそういう失礼なことをするけど相手には信頼されたいみたいな人っていらっしゃるんですよね。不思議じゃないですか。
僕はそんなことないと思ってますけど、もしかしたらそんなことしてるかもしれません。
で、そういう僕が意図してないところで興味を持ってもらったから、全く関連性がないわけじゃないと思うんですよね。
全くその人が自分に興味ないならフォローしないと思うし、いいねしないからね。
っていうところでその人を見てて、面白ければフォローするし、別にそこまででもなかったらいいねするしぐらいですよね。
それは全然運営として明確に決めてるわけじゃないですけど、ここでフォローするとかいいねするっていうのがポイントではなく、その人の記事を読むこと。
自分が意図してないフォロワーの人、フォロワーさんに出会ったってことがとても大事なんだなと思ったんですよ。
感じたというか。これは感想みたいなのありますけど、感じたんだけど、それを考えっていうふうに述べていくと、結局その本と出会うことと似ているんじゃないか、一緒なんじゃないか。
ヒアリングとフィードバック
もう一個あげると、本の話はその本を読むってことだからいいんですけど、考えないといけないですよね。この人はどういうことを考えているか。
あとさっき言ったヒアリングですね。違和感発想のツールが使えるかどうかっていうのも実証してるから試してるんですけど、
そういうので興味あった人がヒアリングだってことで協力いただけるわけですよね。協力したところで報酬も高いわけじゃないっていうのはわかってるんで、
報酬のためにっていうよりも協力してくれたんで、当然だから出してきたものに対して、一応こちらはプロとしてアイデアを出してお金もらってるし、
リサーチとかもやってるわけなんで、素人といったら怒られますけど、やってるよという人からフィードバックを得られるから、
それが価値ないよっていう風になったら、価値はないんですけど、それが少しでも価値があるというのならば、それがリターンになるんじゃないかなっていう。
それはお金でむしろ買えないし、お金を払って得るものの類なのかもわからないから、別にそれは言ってないですよ。
そんなことは明記してないけど、そういう気持ちでやってます。だからそれこそ出会いを大事にしたいんで、適当なふうにやられる方だとちょっと残念な気持ちになりますが、そういう方もいらっしゃると。
一方で多くの人は丁寧にやってくれるんで、ありがとうございましたというわけで、やっているというのがあるんですよ。
それこそ仕事とか作業の仕方をされるんだとか、もしくはアンケートとかもありますから、そこでコミュニケーションをしていったときにやっぱり出るんですよね、その人がね。
考えもアイデアで出してくれるから、こういう人はこういう感じなのかっていうパターンがたまってくるわけですよ。
それがパターンがあってこういうふうだからっていうふうなことが明確にはまだ言えてないんですけど、
ただ現状でもやっぱり言えるのは学ぼうとしない人にやっぱりこういう発想法もそうだし、困ってないとか発想に困ってなかったらいらないんじゃないですかね。
ごく当たり前なこと言ってると思いますけど、それを確認しますし、それが確認できているって感じですかね。
それだけ確認していったらあまり意味ないですけど、確認しようとしている狙いは、
新規情報とかもよくありますが、バーニングニーズってやつですね。
いわゆるですね、自分がものすごいいいなと、これいいよねって、すぐ欲しいという人がいるかどうかですね。
そういう人がいて、それに近い人がいるのかな、すごくよかったですという人もありがたくていらっしゃるので、
そういう人に寄せていって、そういう人がどこにいたりどういうふうに提供していくのかというのが、まさに仕事を作り出し事業の設計だと思います。
デザインのところですね。デザインって設計のほうで見た目を整えるみたいな装飾の話じゃないですね。
そこを作っていくかということをやっているわけですね。
というところであるので、ヒアリングと言っていて、アンケートしてそれを得るという。
レポートにまとめて、XNNポチポチ叩いていくという分析とかも含むしやっているんですけど、
そういうことではなく、その人によってこちらも影響を受けますよね。
ひどい人だったら関わりたくないからそれで終わりなんですけど、そうじゃない人がほとんどなんで、
じゃあいい影響を与えてくれたり、そういうふうに見方ができるんだなということで学ばせてもらったから、
それは別に批判というか、このサービス使えないよとか、そのアイデアは別にいらない、
そこまで不要だなというのがあったら、別に批判というふうに受け取らずにそういう声もあるんだなぐらいで、別にそれはいいんですよ。
でもそれをどういうふうに丁寧に伝えるかとか、伝え方の問題でもあるんで、
それを丁寧に伝えてくれるのであれば、こちらもすごく歓迎というか、むしろそういう人のほうがいいですよね。
SNSでの可能性
要はネガティブなことを言うことをうまく伝えるってことのほうが、たぶんスキルは高いんじゃないかと思います。
特にコミュニケーションにおいては。って思いません?
嫌な印象を与えないというのは、別に戦術でも作戦でもいいんですけど、それなりに人と話して、
こういう感じがよくないなみたいな時に、どう事前対応したり、どういうふうにやっていくかっていうのの適したパス、
もしくは、パスを出すだけじゃなくて受けるっていうことが、できるかどうかなんだろうなみたいなこともあって、
ヒアリングって面白いんですよね。
ヒアリングも対象者とか、そういう指定はもちろんするんだけど、やりとりができる人ってことはあるんですけど、
ものすごく難しいことは言ってないと客観的にも思います。
僕の主観じゃなくてね。
もちろんそれが難しいんですよ、大橋さんっていうのもあるかもしれませんけど、
少なくともそれが難しいんだよっていう人は対象にはならないから、そこはちょっとごめんなさいっていう、
外してごめんなさいってことですけど、
それってランダムじゃないですかって僕は思うんですよ。
対象とするんだけど、絞り込めないから、自分の想定してないような考えや感覚があるんじゃないかっていう、
それだけを期待するとね、よくないんで、こちらでも考えるんだけど、
それも出会いだなって思ってます。
ちょっと長く、長くはないか。
そういうわけでまとめると、SNSでノートとかでのフォロワーさんとかフォロワーの記事を読むことは、
僕が意図してないランダム、つまり偶然に出会えるようなこと。
僕が意図して興味あることはもちろんここでもアウトプットしてるし、日々記録しててこうですよってことはできるんだけど、
僕がそれは情報とかなんか会えた時に面白いと思ったことじゃないですか。
てかむしろそれだけじゃないですか。
なんでだろうが少ないわけです。バイアスがどうしても入ってしまう。
でもそれは僕のフィルターを通じるからで、他の人とか、もしくは他の人が会うことで、
そこで出会ってしまった、よくも悪くもですけど、あるんで、そこで何ができるかってことを考えるイメージですね。
それは本を読むことでもいいし、さっき言ったヒアリングでもいいわけですね。
ポッドキャストもそうですよね。これは一方的にはもちろんなりますが、YouTubeなりもそうですけど、
コメントいただいたり、コミュニケーションが発生したりすることで影響を与えるというかね、
こちらが与えるだけじゃなくてその人の存在、こちらはポッドキャスターですが、
リスナーさんというところでの存在によってこちらも励まされるということももちろんあるわけですね。
だからそれはもう出会いかなと思っています。コミュニケーションをするっていう意味ですね。
コミュニケーションが多様になっているかなと思いながらも、で、もう一歩だけ進めて終わるんですけど、
じゃあそうやって人との出会うっていうことは、冒頭でもお話ししたと思うんですが、
人と出会うっていうことは結局いろんな人に出会っていくってことは、そのヒアリングなりこちらがアウトプットすることなり、
あとそういう状況を楽しんだりってことで場を作るし話すし、ヒアリングするし出会っていくし、
授業を作る、仕事を作るってことを通じていろんな人に出会っていくっていうのが、
出会うことの楽しさ
僕はですよ、リスナーのあなたがそんなにやりたくないっていう方もいらっしゃると思うんですけど、
そうじゃなくて、それが僕は面白いという感じです。
だから、この間限界のお話ししましたよね。
限界を超えるっていう物理的な限界っていうのがあると思うんですよ。
寝ずにやらないですからね。寝てますよ。
だから、もっとできるんじゃないかってことですね。
だから1日10人に出会うとか、そういうことを課すんじゃなくて、
なるべくいろんな人に出会っていって、そこで話をしていって、話をしていきませんかっていうのが一番いいですね、近いですね。
それをすることで、僕は社会の見方とかいろんな人の考え方に出会います。
で、出会って、面白いねっていう、図書館じゃないけど、動物園じゃないけどね、動物園だら怒られますけど、
いろんな人に出会えることが面白いわけです。
同じ人いないですからね。似た人はいてもね。似た考え方とか言っても同じ人はいないし、みんな基本的に違うじゃないですか。
で、そういう状況の中で、それを知って、じゃあ岡田さんどうするんですか、それが何の意味があるんですかみたいなことを、
もしかしたら、それを突っ込んでいただいている方がいるかもしれませんが、意味ってこともないんですけど、僕としてはそれがまず、
それがいわゆるコンサモトリってやつですね。事故重則的に楽しいというのがまずあります。
その刺激になるし、そんな考え方あるんだとか、そういうのあるんだ、面白いねっていうとかがあるわけですよ、日々ね。
で、それは人であったり、さっき言った授業ですよね。
新しく何かやるっていう人の方がランダム性が高いって言うんですか。
ばらつきが高いので、そうきた感みたいなのが起きやすいわけです。
で、予定調和をしないようにしてても、予定調和じゃないところでの、何て言うんですか、非予定調和なれって言うんですか。
みたいなのもありがちなわけですよね。
それはメタっぽいんで、それぐらいにしといて。
そうなっていって、僕が社会にいろんな人がいるよねとか、こういう考え方の人がいるよねっていうことが、
まずそれが楽しいよと、面白いよと刺激になりますよね。
もう一つ、これはせっかくになるかもしれないですけど、
観察の必要性
あなたが言っていることってちょっと狭くないですかと、もっとこういうのあるよみたいなことが言えるわけですよ。
言い方が偉そうになったらごめんなさいって感じなんですけど、
そうなんですよ。
多分、もうちょっと閉じちゃってるけど開いてもいいんじゃないみたいな。
これもアドバイスとか得られると、その人によるから、万人に向けたなんかはないですよ。
だけど、僕もそうだし、閉じてしまったり開けていけないというか、うまくいかないみたいなのもわかるんで、
そういう時こそ目線を上げるとか、こういう風になってないみたいなのを、
なんかウザくない程度でね。
詰めてくる人嫌いじゃないですか、いきなり。求めてないのに。
求めている人がいればそこで提供することができるし、
胃の中のカワウソといったら怒られますが、もっと広いよみたいなね。
で、その授業とか仕事を作るときって、結局観察が必要なんですよね。
観察というのは朝顔の観察みたいなことでもいいんですけど、
人、社会というものを観察する点は何ですか。
なんでここにこういうものが建っているんですか。
なんでこういうビジネスがあるんですか。
なんでこういう風に街は作られているんですか。
なんでもいいんですよ。
それがテーマがあったら、それを見ません。見に行きません。
情報を得ようとしません。それが観察ですね。
で、その時に他の人がどうとか置いておいて、
自分がまずそれを興味を持って見るってことですね。
で、その観察は必須なんですよ。
授業を作るとか仕事を作るには必須で、
その観察ができていない人が、
健康と課題の関係
この間の例になりますがフィットネスジムを作ってなんかやるみたいなのはまずできないんですよ。
例えば、初めて聞く方もいらっしゃると思うんですけど、
ビジネスアイデアの4つあって、
まず対象者ですよね。
誰がお客さんですかと。
自分がお客さんみたいな風にして、そういう人を探すっていうのでもいいです。
それは誰が向けですか。
フィットネスジムなら、いわゆる健康になりたかったり、
今女性専用向けのものがあったりとか、
様々なものがありますよね。
ピラティスとかね。
いろいろあると。
負荷をかけずにやりたいとか、
ヨガはもういいでしょう。
だけど、様々なものがありますよね。
ライズアップ、チョコザップみたいなものもあるし。
それで、その人の課題は何かですね。
そのお客さんは何で行くのか。
健康になりたいっていう人は、
不調だったり何かを感じたからかもしれないし、
運動不足というのを実際に感じて、
誰かにとかニュースで言われたとか、
健康診断の結果が出たからとか、
そういうのかもしれないじゃないですか。
改善したいとか。
歩いてどっか行きたいとか、
そういう他のスポーツとか運動の代替かもしれないですけど、
少なくともその人が来る何かしら課題がある。
対象者は課題ですね。
お客さんが課題がある。
そのお客さんの課題ですね。
3つ目に解決策ですね。
フィットネスジムって言ってるんだけど、
フィットネスジムがあることで、
別に解決するんじゃなくて、
フィットネスジムにそういう課題を持ったお客さんが
入ってきて、
そこでランニングマシンやるとか、
何かやることで、
もしくはトレーナーがいて、
その人にアドバイスをすることで、
運動習慣が身について健康になると。
わかります?その辺り。
運動をすれば健康になるかというと、
実はその人は残業というか仕事を激しくやっていて、
運動する時間も取れないみたいな人かもしれないですよね。
それって根本からすると、
疲れてるから運動する時間もないみたいな人にとっては、
フィットネスジムに来てもらうこと自体が難しいですよね。
だからそれは解決策になってないこともありますね、
そういう場合ね。
そこはどこまでやるかによるんで、
そういう人をお客さんとしないというふうにできるけど、
そこがまさにどういう兼ね合いなり、
適切に情報というか解決策を出すというか、
フィットネスジムはどういう人、
どういうお客さんにどういう課題を持っている人が
来てほしいかになるわけですね。
それだけを本当にお金を取らずにやったらビジネスではないし、
仕事とは一応お金を取るという行為にはならない。
お金を取るという行為を仕事として、
仕事ですね、稼ぎとしていう場合ならないですよね。
なので最後にマネタイズというか収益ですね。
お金をそれに出してくれるかですよね。
フィットネスジムがあります、来ました、
無料で使えますっていうのが仮にあったら、
なんでそこは無料で使えるんですかってなりますよね。
無料で使えるフィットネスジムがあるかは知りませんが、
お金を出すならそのお金を出す月額、
3千円なのか1万円なのか5千円なのか、
1回5千円なのか1万円なのか、
パーソナルトレーニングだと1回1万円くらいしそうですけど、
そういうのを出すというその価値があるお客さん側が、
その課題を持ったお客さんが払うかっていうところがポイントです。
払うのであれば成り立ちます。
ちょっと長くなりましたけど、
その4つがあるわけです。
で、今バババッと喋った2、3分、
もうちょっとかかったかな、
そのビジネスっていうものの要定というか、
要定というか要定の部分、ポイントですよね。
ポイントがあったときにそれをさっきの話に戻すときに、
観察とか考えるっていうところに行くと、
例えばフィットネスジムを本当にやろうとする人がいたときに、
お客さんはこういう人でっていうのが
すらすら言えないといけないんですよ、本当に。
で、課題がどうかっていうことを
すらすら言われなくても言わなきゃいけない。
で、言わなきゃいけないっていうのは
プレゼンがどうとかではなくて、
それを調べて知っているか考えたかって話ですね。
それを考えたかっていうのは
頭で考えましたみたいなことを考えたんじゃなくて、
実際にヒアリングしたり、
実際に自分のフィットネスジムを
働いたり勤めたりした経験からこうだとか、
そのフィットネスじゃないところでの自分の経験とか、
社会、世の中でできていることがこういうのがあったとか、
何でもいいんですよ、その根拠は。
根造はダメですよ、ないもんね。
でもその根拠が確からしいのであれば、
やることも明確になりますし、増していくじゃないですか。
それが当然ながら、
全部考えたらうまくいくわけではないですよ。
ないんで、それを確からしいようにしていく、
確かめていくっていうのがまさに
授業を作る、授業開発って言葉がありますが、
授業創造の方がいいのかな。
そういうふうに仕事を作っていくことになっていくわけですね。
その時に課題はどういうのがあるかなって言った時に
面倒くさがって健康になりたい人いっぱいいるでしょみたいな、
それは荒いんですよね。
逆に言うと、健康ニーズ、ダイエットしたいっていうのは
ずっとあるじゃないですか。
英語学習もずっとありますよね。
それに対してアプリやさまざまな、
今だと英会話とかしっかり出てきてるんだけど、
たくさんあれば競合がなって激しくなっていって、
どれを選んでいいかみたいなふうになりますし、
選択肢がいっぱいあれば困りますし、
いっぱいあるってことは挫折する人もいっぱいいるわけですよ。
フィットネスじゃないけど、
自分に行く人の6割?わかりませんが、
かなり多くの人が月額費用だけ払っていってないとかね。
要は払ってるんだけど、
行きたい気持ちはあるから、
それをもしやめてしまったら絶対行ってもやれないしね。
人との出会いの重要性
それは無理じゃないですか。
そういう葛藤の人の方が多いんだろうなって。
それがやろうと思ってもできないっていうね。
みんながみんな運動好きなわけじゃないですからね。
運動が楽しいよねっていう仕組みを作る方が大事ですけど、
それが難しいわけですよ、きっと。
ということを考えていく、もしくは調べたりする、
もしくはそういう話をしてもいい程度のことがなければ、
その事業というかビジネスも仕事もできないじゃないですか。
面倒くさいみたいな。
僕は最近都民ですね。
要は何度もたくさんということで言ってますけど、
都民に思うようになってます。
だから観察ということで、
社会にいる人、社会っていうと大きいかもしれないんで、
周りにいる人とか、少なくとも自分がビジネスをする仕事をするなら、
そのお客さんというのを想定したときに、
もしくは自分がやってる仕事があって、仕事してる人ほとんどだと思いますが、
その仕事をしているときのお客さんが誰で、
その人、もしくはお客さんが上司というか営業の人とか、
一部の人かもしれないけど、
相手に対してどういう価値をその人に提供しているか、
もしくはそのお客さんが出した価値、
目の前の人が言わないけど、遠いお客さんが
間接的にどういうもの価値だと思ってくれるかみたいなことは、
どういう状況であれ、観察して把握しておかないと、
自分って何を出してるのかなって迷子になりますよね。
これがいわゆる仕事、アイデンティティ機器じゃないけど、
なんで仕事をやってるんだろうなってなって、
それを結構考えたり、つどつど考えてこうしてきたっていう人だったら、
全然その問題ないですけど、今まで何も考えたことがない人が、
いきなりそれを考え始めたらバグるわけですよ。
どこからどう考えていいかわからないですからね。
だから日々練習しましょうとか、気づいたことがあったらメモしたり、
調べてみたらどうですかっていう、いわゆる思考の免疫みたいなのがあって、
僕はあると思ってますけど、それはやっとかないと脳を取り出すのね、
本当に脳が動いてくれないって感じです。
それは技術の話でもあると思うんで、
別に一流のプロになれとかいうことでもなくて、
そういうふうに観察をせざるを得ないと、
授業を作る仕事を作るならばせざるを得ないよねっていうのがあります。
ちょっと長くなりましたけど、その先に、
僕としてはアイデアを形にするだとか、ずっと言ってますけど、
そういう人が増えないと面白くないなと思ってるんですよ。
し、何かやってる人ってミーハーではないんですけど、
かっこよくないですか?
かっこいいっていうのは行きざまでもありますよ。
別にあるビジネスがすごく儲かってるからかっこいいっていうことでもなく、
なんでそれチャレンジするのかなとか、
その人なりの思いとかストーリーがあってやるわけです。
だから商品が優れてサービスが優れてというのは別ですけど、
少なくともそういうふうにチャレンジするとかやる人がいないと、
この社会は良くないなって思ったんですよ。
これは最近何度も言ってるところかと思います。
何度も言ってるから重要なんです。
僕にとって。
やる人がいないから待ってたら誰もやらないです。
それは森さんの方もご理解いただけると思うんですけど、
待ってたら誰もやらないです。
だから自分がやって、
火をつけて火をつけませんか、やりましょうよって言って、
うまくいったらその人が自走というか自分でやってくることになるんだけど、
自走できる人っていうのは今現在やっぱり1割とかそれぐらいしかいなくて、
多くの人は待ってるんですよね。
待ってるんでこうしましょうやらしましょうって言って逃げ明かしていくと、
あら不思議と、楽しくなってきたみたいになるんですよね。
だいたいそんなものです。
7割とかだいぶ多くの人がそうです。
残り1割の何言ってんだと、
自分は動かんぞと、そんな新しいことをするなんてリスクがあるし、
失敗したら怖いじゃないかと、
自分は失敗したくないという方もいらっしゃるのをわかってます。
そういう人に対してやるつもりはないですね。
コミュニケーションの力
その方はもうだいぶいろんなものが浸透されて何かやった上で最後に使ってください。
だからラガードと言われたりしますが、
悪いというよりも僕のアプローチできる人ではないってことです。
だからそれを切ってしまってるとかって言われたら終わりなんですけど、
無理ですよね。
番人向けに対して番人向けの何かは無理なんで、
誰にでも受けるこってりしたラーメンって無理で、
やっぱりこってりが好きな人に提供するわけです。
そこはぶれちゃいけないと思ってて、
もちろん番人に出したい人もいると思うんですよ。
その人は番人向けのやつを出したらいいんじゃないですか。
っていうだけなんで、
だけど一般的にっていうか、
僕の感覚でも記憶に残らない、話題になりづらい、
もしくは覚えられないっていうのであったらやっぱりダメなんで、
そこは尖らせないといけない。
尖らせてこってりだねとか、
なんか賑やかしてくれたらやれるよみたいな人とか、
そういう人向けにしっかりメッセージを出して届けていかないと、
やっぱり広がらないわけですよね。
広がりは多分そこで限界になる感じです。
新規の人が来ないみたいな感じですか。
で、散々言っておきながら、
じゃあこのポッドキャストもここだけの話はないんですけど、
広くあまねく多くの人にできるかって言ったら、
無理があるんじゃないかなと思います。
この話が面白くないと思うんですよ。そもそもね。
だからリスナーのあなたで、
四国理フリークで聞いてくださっている方がいたとしたら大変ありがたいことです。
でもこの話をリスナーのあなたが誰にしますかって言ったら、
四国理とは言わなくてもいいんですけど、
なんか新しいことをやったり、チャレンジしたり、
今こういうのをやろうとしているよとか、
なんかを仕掛けたりとかね。
ある程度そういう人じゃないと話聞いてくれなくないですか。
っていう感じです。
じゃないですか。
そこまで言った上で、
僕が直接提供したり、何かを示したりすることがいいかは知らないです。
いいかは知らない。それが適しているかはわかんない。
だけど、やっててどうなっていくかと。
もうこれはあかんなっていうのでも全然ないので。
限界感じるわけでも全然ないので、
伸びしろしかないということで。
そんな感じで今後もやっていきたいと思います。
すみません。すごくざっくりまとめると、
人とのコミュニケーションの回数や出会いが増えると、
僕には創造性が増える。
クリエイティビティとか創造性が高くなったらアイデアが出やすくなる。
社会の改造度が高まる。
故に仕事づくりにもつながると。
そういうことをやろうとする人が少ないのであれば、
そういったこと自体を提供して、
そこで得た知見を共有していくことがいいんじゃないかと。
そういう意味ではある程度できてるっちゃできてる部分なんですよね。
もっとそれを高めていく。回していく。
最後にお話したところで、
社会自体チャレンジする人とか、
何かやろうとする人っていうのが、
みんな100人が100人やれとは言わないけど、
さすがにもうちょっとやらないとダメなんじゃない?っていう。
少なくともプレッシャーみたいなのがあった時に、
100人で10人しかやらないと、
その10人が一応こじ上げて、
その残りの90人の人が何か使えるものっていう風に
考えてはないと思いますけど、
そういう縮図というか図式になるじゃないですか。
でも20人になったら、
その1人あたりの分散ってもっと低くなるじゃないですか。
10人だったら90人だったら1人が9人。
でも20人いたら8人になるから、
ごめんなさい、8人になるから、
1人4人になるわけです。
そっちの方が、誰も見てないからやってもいいや。
失敗しても分かんないでしょ。
それぐらいの感覚がいいような気がするんですよね。
伝わります?そんな感じで。
みんなが見てると書けないけど、
見てなかったら自分でやるんだったらできますよね、
みたいなのってないですか。
それは様式美じゃないけど、
スタイルとしてやっぱりあると思ってて、
ポッドキャストだから、音声だから話してどう、
っていうことはやっぱりあると思うんですよね。
なんか洗脳みたいなのもあるから、
僕が言ってることって、
一般常識社会の多くの人たちの考え方じゃないと思って話します。
そこはいろんな人と出会ったり、
いろんな人と考えたりしていって、
リセラーのあなたご自身が批判的に、
まさに副眼的思考法ってことですけど、
様々なものがあるよな、
大橋さん自身はこういう感じで考えてるんだろうな、
っていう風に受け取っていただける方が
ほとんどだと思いますが、
改めてそういうことで、
批判的に捉えていただいて、
そういう考え方もあるんだと。
なんか社会にチャレンジする人を増やそうとする人もいるんだなぐらいで、
それがアイデアを形にするとか、
授業を作るとか仕事を作るとか、
さっき言ってた、ごちゃごちゃ言ってた、
人と出会ってコミュニケーションしていくってことで、
が原材料みたいなものですよね。
仕入れの種みたいなもので、
それをやらないと何が起きるんですかと。
社会がどうとか、
面白い人が増やすとか、
アイデアを形にするとかを、
これは僕の話ですけど、
僕個人がやらないとどうなるかというと、
しおれるんですよね。
社会の活性化に向けて
植物って、
若干枯らし気味になっちゃったやつがあって、
最近復活してるんですけど、
水をあげすぎてダメなんですけど、
要はしおれてくるんです。
元気はなくなってくる。
元気よく、わりと喋ってると思ってるんですけど、
できるってことは、
それなりに記録が充実してるってことですね。
それがないと喋れなくないですか。
そこで何とか、
実証して粘ってやっていくって感じですね。
そんな感じです。
未来がこうとか、
明確にこれってことはないですけど、
ただ自分が想定する仮説や
価値みたいなものがあったときに、
それは受け入れられたら、
ものすごく、
自己肯定感みたいなものでもいいし、
要は満たされますよね。
ウェルビーングじゃないけど、
また生き様みたいなものが、
誰かに認められるっていうのが、
いいわけです。
で、
これもくどいですけど、
この四国ラジオのポッドキャストの
裏の狙いというか、
表の狙いというか、裏もないんですけど、
こういう人がいますよってことを、
誰か初めて聞いた人に伝わったときに、
伝えられるかわかんないですけど、
どの回かね。
こういう考え方もあっていいんだなって思えることで、
一人Nイコール1ってやつですね。
サンプルができるわけです。
一人で上国に探したときに、
僕みたいな人って一人しかいないかというと、
多分いろんな人がやろうとしてるんですよ。
いろんな考え方があってもいいと思うんですよね。
一つのことをやるでもいいし、
いろんなことを成功するまでやるとかでもいいんですけど、
そういう人とか考え方とか、
存在がいるっていうことを、
証明していくっていうのは、
いわゆるエビデンスですね。
証拠、
根拠みたいなものとして、
発信しているという感じです。
それが面白いかどうかは別。
だけど、
発信しててどうか伝わるようなコミュニケーション、
前提。
聞きやすいかどうかは分かりませんが、
そういうことをどんどん言っていくようにしていかないと、
まずいし、
そこは伝えたいなっていう思いで、
やっております。
今回は以上となります。
ここまでお聞きいただきまして、
ありがとうございました。
四国レラジオ大橋でした。
以上、失礼いたします。
47:30

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