動機づけの理解
はい、こんばんは。シゴクリラジオ大橋です。今回もよろしくお願いいたします。
このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
今回のテーマは、動機づけですね。なぜやるのか?
はい、哲学的になるかもしれませんが、やってみましょうと。
僕自身で言えば、なんでアイディア出しているのとか、そのシゴクリとかやっているのとか、別にこのラジオはなんでやっているのでもいいですし、
リスナーのあなたにおかれましては、なんでそれをやるんですか?と言われて、どう答えます?という話です。
話しながら考えていくところで、着地はあまり予想できていないんですけど、一緒にゆるゆる考えていければ幸いです。
というわけで、興味ある方は引き続き聞いてみてください。今回もよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオ大橋です。今回のテーマは動機づけ、どちらかといえば内発的動機づけです。
モチベーションと言ってもいいんでしょう。いわゆる報酬、お金がもらえますとか、地位、名誉が得られますみたいな、そういうのではなく、
自らうちになるものでやってみたいんだとか、好奇心みたいなものとか、学びになる気づきになるみたいなものっていうのが内発的動機づけという僕の理解です。
ちょっと違うかもしれないですけどね。
最近見かけたネタでもそうだったんですけど、あれ日経新聞だったかな?仕事が苦役だと。苦役というのは苦労する
エキム、仕事ですよね。作業みたいな。真面目な方な人ほど苦労してやって頑張って努力して苦労することが仕事なんだと。
言い方悪いですけど洗脳みたいなね。別にその考え方はダメではないんですけどね。ダメではないんですけど、そこまでやらなくてもいいんじゃないみたいな。
仕事の圧が軽めだったらいいんですけど、その圧がすごくプレッシャーがなった時に潰れちゃい気がしません?
もう持てないというかね。なんか考えたら結構圧がきますよね。なんでそこはちょっと払ってですね。
そういう時にですね、結局報酬ですよね。成果主義みたいな話も書かれてて、頑張るとお金もらえるってわかりやすいですよね。
それを否定する人はいないと思うんですが、みんな頑張れますかという話になってきて、頑張るっていうのは営業だったら営業で制約してくるとかお客さんにいっぱい売ってくると契約してもらえるっていうね。
ハンコの数というと古いですが、契約数というもので、ちゃんとお客さんから契約して、サースなら月々お金を出してくれると。
なんかですね、そういうものってわかりやすいんですけど、営業の話ですよね。サースはどちらでもよくて。
それだけなんですよね。それ言ったら怒られるかもしれないですけど、営業やってて、こっちはバリバリ稼いどんでみたいな人がいたら怒られるかもしれないですけど、
まあまあそれ自体はいいんですけど、それって続くんかなみたいな話ですよね。
いらんお世話なんていうことなんですけど、その仕事が面白いみたいなものがあると思ってまして、一般的な話ですよ。
自分がやると売れて、成果が出て、お客さんに感謝されてみたいな、そういう循環があるといいわけですけど、
結局ですね、そういう循環がある程度あるならいいんですけど、契約を取る、お金が得られる、自分のためになるみたいなところだけやっちゃうと、
お金のために動いてるみたいになるわけですよ。
感情と行動の複雑さ
でですね、人ってよくできてるなって僕は結構思ってるんですけど、お金のためだけで動けるのかなっていう話なんですよ。
こういう話すると、お金がないのに動けるとか、お金がないと動けないでしょっていう反論もめちゃくちゃわかるんですけど、
ただ一方で、お金だけのために生きてて、お金のために働いてるわけじゃない、生きてるわけじゃないじゃないですか、極論。
構造としては、生きたい、ご飯を食べたい、生計を立てたい、資本主義社会でお金を稼がないとそれで何か買えないわけですけど、極論ですよ。
物々交換とか、本当に最低限のお金だけ得て、あとは農業、農家、もしくは自給自足とかが現実的とは言ってないですよ。
だけど、一応プランとしてはあるわけですよ。そんなないっていう人もいるかもしれないですけど、一応あるんじゃないかなと思ってるんです。選択肢として。
そういう中でそこまで広げると、お金を得るっていうのって、別にお金を得たいがために生きてるわけじゃないと思うんですよ。
多分ここは多くの人が納得というか、納得までいかなくていいですけどね。理解があるんじゃないか。
そこまで行っちゃうと哲学的になるんですけど、何のために生きてるかみたいな。でもそこまで行くかなと思います。
要は上っ面の表層的な動機づけってことで、好奇心で、上っ面はちょっと違うんですけど、何かやりたいよねって言った時に、何でやりたいのって言われても、やりたいものをやりたいんですってことで、話が終わることがほとんどなのと、
やりたいからっていうのをどう理解するかって話なんです。多分。僕は人が何かやってみたいっていうのはとてもいいと思いますし、気になるんですけど、何でやってみたいんですかって言っても、
そこで出てくるのって、子供の頃からとか、もしくは得意だったとか、もしくは好きだったとか、子供の頃の自分の話をしなくても、最近そういうことを考えてやっぱりやらなきゃなみたいな。
すごいですね、論理的に言ってるようで、全然論理的じゃないんですよ。分かりますか。だから論理的とか説明ができているわけじゃないんです。説明風な論理、ロジックで理屈で言っているだけなので、やりたいからやりたいんですっていうことをただ言っているだけなんですよ。
だからものすごく直感的なんです。もしくは感覚的と言ってもいいということに気づくわけですけど、リスナーのあなたはどうですか。
これは他の人がどうしたいかって話、やりたいです、やりたいからですっていうことを、人の話じゃなくて、自分がどう思いますかって話の方が大事かなと思っています。
つまりですね、自分がやりたいですと。で、なんでって自分に自問自答して、やりたいからやると。やってくださいとなりません。
この時にやりたいからっていう時の葛藤というかいろいろあるんでしょうね。心のザワザワしたものとか、やりたいやりたくないっていうのもあったり、やりたいって言っておきながらですよ、矛盾するとか失敗に対する不安とか一方でやってみたらすごく面白いんじゃないかっていう期待とかワクワクとかですね。
好奇心。複雑なものがあるんじゃないかと思うんですよ。じゃなかったら、世の中がですね、ものすごくもっとシンプルで、やりたいって言ったらやるし、やりたくないって言ったらやらない。
そんなことなくないですか。やりたいけどやってなかったり、ちょっとやったらやらなかったり、もしくはやりたくないって言ったらやってたり、やりたいって言っておきながらずっとやらなかったり。
やりたいと思ってないことをやってたり。複雑じゃないですか。基本的に人間ってシンプルに考えたいんですけど、なんか複雑なんだなーって思うんですよ。
特に自分がやることとか、動機づけモチベーションの部分とか、心理的な、メンタル的な部分ですよね。あと感情面っていうね。言い方一つでね。
順番変え終わるだけで、良いニュースと悪いニュースだったら良いニュース言って悪いニュースよりも、悪いニュース言ってから良いニュースってのが救いがあるような気がしません。
そんなトリックみたいなもので良いかと思うかもしれないですけど、良いんです。そんなので良いんです。
でも本当にそんなコロッと騙すわけじゃないんですけど、騙すとかないんですけど、なんかその順番変えるぐらいのイメージで、やりたいことっていうのに対して、
なんであなたやるんですか?っていう自問自答の話ですよ。自分自身はなんでやるんだろうなっていうふうに問いかけた時に、
ちょっとよく分かってないんですけど、やりたいならやってくださいみたいな話になりません?なると思ってるんですよ、僕は。
だけど、なんか色々あるじゃないですか。なんかこれが難しいとか、もしくはまだ準備が整ってないとか、分かるんですけど、めちゃくちゃ分かるんですけど、
ね、もう流行りは終わりましたけど、それいつやるの?と。今でしょ?っていうのがだいぶ前ですけど流行りましたが、本当にその通りで、
今やりたくない理由、今じゃない理由を別にあげてもいいんですよ。じゃあそれいつやるの?ってなってて、
これはもう自分との戦いみたいになる。自分との戦いにしなくてもいいんですけどね。だけどそれ自分の話じゃないですか。
誰かが変わってくれることもないし、なんかすごいコンサルタントみたいな人が勝手に解決してくれるわけでもなく、
なんかやりたいと思ってるんだけどやれないから、コンサルタントさんやっといてくださいみたいな、言ってやってくれないですよね。多分ね。
だからお金で多分解決できるものでもないわけです。そこまで来るとね。
今やりましょうってことでもあるんですけど、やろうとしていることがやれない、もしくはやろうとしていることがやれたっていう、
その感覚、経験、体験みたいなものが、なんかすごく財産っていうとね、ちょっとおこがましいかもしれませんが、多分財産だと思いますね。
なんかどこぞの投資のキャッチコピーが、なんちゃら財産とか言ってた気がするんで、ちょっと怖いなって思いましたけど、そういうのじゃないですよ。
キャッチコピーでもなんでもないです。
自分でやりたいなと思ってやるっていう、自分を突き動かすようなものっていうのがあるんじゃないかって話です。
だけど、それはミッションとかビジョンとかバリューって言われてるような、カタカナって言うかカタカナなんて嫌なんで変えると、
その使命感とか将来のイメージ、またカタカナだった。将来見える像。
未来像って、未来像のほうが分からないかもしれないですよね。像ですよね。
イメージの像です。
エレファントとかの像じゃないです。
あと価値ですよね。どういう価値観とか世界観みたいなのがあるかって。
言語化したらダメとかもないし、別にしたい人はすればいいと思うんですけど、
したところで自分の実行が促されたり促進されるかって話ですよね。
促進されるなら別にいいんじゃないみたいな話で。
占いって言ったら、これも占いやってる人に怒られるかもしれないですけど、
占いで気持ちが良くなって高まってやる気出るならやった方がいいんじゃないみたいな。
映画見て楽しくなるなら、それでいろいろ嫌なこと忘れられてやるならいいんじゃないっていうね。
中毒みたいなのはダメだと思うんですけど、それ良くないですかみたいなことを思いました。
思いましたっていう話なんで、そんな膨らまないんですよ。膨らまないんですけど、
人がどうとか置いといて、自分がなんでやろうとしてていうのって説明できないんですよね。
だから僕も、ポッドキャストを聞いて欲しいからとかいうのはもちろんあるし、嘘じゃないんですけど、
じゃあなんでやるのって言われた時に、全然その続きがないんですよ。
一方で、そんなこと気にせずに喋ってて続けていく人もいるじゃないですか。
YouTubeしかり、なんでもいいんです。
なんだろうねって話ですね。
その習慣化してるからですよねっていうのも一つの理由があるんですけど、
その習慣化してるからですよねっていうのも一つの理由があるんですよ。
なんでもいいんです。
なんだろうねって話ですね。
その習慣化してるからですよねっていうのも一つの理由があるんですけど、
じゃあなんで習慣化できたのか、習慣化していってやり続けようとしてるのかって言った時に、
もう結構わかんなくなりますよね。
普段やってることだから、普通だからってなってくと、もうなんでそれやってるのかわかんない。
そんな話になってくるかもしれないなと思ってます。
言語化できない動機
だから、ちょっと着地というかまとまりが悪いんですけど、
自分の中で、多分なんですけど、モチベーションとか動機遂げとか言っときながら、
これだからやれるんだよねっていうのは、多分言語化不可能なんじゃないかなって思ってます。
そうきたかっていう人いるかもしれませんが、多分できない。
なんでかっていうと、アイディア出しのやり方とかもそうですし、
僕が最近しょっちゅう言ってる違和感発想とかもそうなんですけど、
なんていうんですか、やれないんですよね。
やれないっていうか、ロジックで説明できるところは半分ぐらいで、
あとは経験とか体験して、その人次第のカスタマイズみたいなのが入っちゃって、
再現性って言っても、型みたいなところは半分は言えるんだけど、
半分は頑張ってくださいっていうのに正直なるかなと思います。
これは僕がまともって言ったらおかしいんですけど、
騙す意図なく時間かかりますよねみたいな話と一緒で、教育とか学びに。
それぐらいかかっちゃうんで、無理かなと。
無理っていうのはできないってことです。半分までしかできないってことです。
逆に言うと半分はできるので、それで十分じゃないかなって。
世の中できればその半分をいかに8割9割カバーできますみたいな風に、
経験を通じての学び
なんじゃないんですけどね、カレーとか食べるな。
そうやってギリギリ伸ばして、いっぱいあるように見せてるけど、
別になんの大きさ変わらないわけで。
だから極論もあやかしなんですよね、僕からすると。
だから5割のものは5割で、それは8割9割伸ばしたところで5割ですよねっていう。
まやかしかなとも思ってます。
言語化できないっていうのも、自分自身がなんでやりたいかっていうのを言語化できないっていうのも、
ロジックじゃないんですよね。これは感覚的にわかる人いると思いますけど、
ロジックではやれます。例えばサッカーでいったらパスをするとかシュートを打つ。
わかってんだけど打てないとか、頭でわかっててもできないことってありますよね。
だからそれってスポーツのトレーニングで、F1の選手が見たものじゃない方向に飛ぶみたいな、
飛んじゃった、ハンドルを切るでしたっけ。
人間って、ちょっとすみません、間違ってたらごめんなさい。
ハンドルを切るって、とっさりに対象のあるものにハンドルを切るってことですね。
左にあったら左に切っちゃうからぶつかってくるんですよ。
それを逆に切るっていう練習をF1ドライバーは確かしているみたいな話を聞いたことがあるんですが、
そんな感じで自分がやりたいものっていった時にやるんだっていうのは、
やるやるやるやるみたいな癖をつけていって、あまり考えずにやるみたいな、
ある種のロボットっていったらちょっと怒られるんですけど、
そういうモードにしないと多くのことはできない。
ある種の麻痺なんですけど、全身麻酔やったらやばいので、
部分的に考えないみたいなのはありかなと思います。
というか、そんなもんなんじゃないのかなと思います。
アドレナリンじゃないですけど、興奮物質みたいなのが出てて、
痛みとか、つらいというか疲れたみたいなのをある程度緩和して、
楽しいみたいなので乗り切れるみたいな。
だからものすごく、これも切り取られるとやばい発言かもしれないですけど、
残業とかも自分ですごくやりたくてやってる人が、
それで病気するとかってあんまりないと思ってて、
もちろん本当に体調というか寝てなくて限界があったらそれはダメなんですけど、
なんかそこでストレスがあって、それをやるからなるっていうのはありますよね。
だから両方あると思うんですよね。
多くは負荷をかけすぎてて病気になりましたというのもあるんですけど、
実はその逆にやりたいからやっててみたいなのもあると思います。
だけどやりたいからやってても、やりたくないからやってても、
ストレス度は違うんだけど、結局そのストレスは溜まっているはずなんで、
いつかは無理をしていればやっぱり倒れるみたいな。
そんな感じはします。
ゆるゆる話してきましたけど、結局自分がやりたいことは何ですかって言われたときに、
言語化できるんじゃないですかって思われている方が僕がいると思うかもしれませんが、
僕できない気がしたんですよね。
多分したところで意味がないみたいなのありません?
僕だったらアイディアを出して、いろんな人に発想的な考え方選択肢を持ってもらうのがいいっすよねって言ったところで、
不運じゃないですか。
それがいいからやろうっていう人がもしかしたらいるかもしれないんですけど、
それは置いといて、仲間探しとか共感者集めるとかが大事ってのは分かるんですけど、
いったところで誰が一番最初に着手と思ったら僕、自分じゃないですか。いった人じゃないですか。
いった人しかやらなきゃいけない社会も窮屈だけど、
今のこの話は限定しておくと僕が自らやりたいと思ってやっていこうとしていて、
内なるモチベーションというか動機づけみたいなものが何かっていう話なんですよね。
一応立てつけとしては。
だけどその場合、やりたいことのロジックですよね。
こういうことがあったからやりたいんです。
人が変わった経験が見ててもっとやっていった方がいいんじゃないかと思ってからやりたいんです。
環境の重要性
そういうのはあるのかもしれません。
だけど、その一個一個を拾っていったところで、別にそれを全部拾っていったらエピソード、
僕自身がやるかっていったら、それとは別な気がしてて。
分かります?要はやる何か原動力みたいなのと、
ロジカルにエピソードを拾っていったり、現体験なりに拾っていった時に、
確かにそれっぽいんだけど、別に昔のことじゃんっていうふうに言えますし、
そうじゃないですか、昔のこと、子供の頃のことは関係ないじゃないですかみたいになりません?
消化できたらね。
引っ張ってる人もいらっしゃったらそれはそれでね、
しょうがないというか、そんなもんかもしれないですけど、
消化できてたら全然関係ないなって思うわけですよね。
その時にまさに、気合とか根性っていうふうにしたいわけじゃないんですけど、
それって言えない、説明できないんですよ。
メンタルとかマインドセットとか、負けたくないとか、そういうことになっちゃうんですけど、
でも確かにそんな言葉ぐらいしかないんですよ。
だから負けず嫌いでもいいし、何かやってみたいっていう気持ちでもいいんですけど、
それってじゃあ何なんですかって言った時に、説明できないというか、
伝わらないというか、それをいかに僕が厚く、
自分はこうしなきゃいけないんだ、こういうふうなものがあるんだからって言っても、
多分リスナーの人には伝わらないというか、
なんかやりたいんだねっていうのはわかると思います。
やりたいんだねはわかったとしても、別にリスナーのあんたがやるわけじゃないんですよ。
アイディアを出してとかね、やるわけじゃないじゃないですか。
僕がやりたいことをやるわけじゃないじゃないですか。
なので、ある種意味がないというか、その部分で説明したところで、
説明しようとするのは全然コミュニケーションとしては素敵なことだし、
やった方がいいと思いますけど、説明しきれないだろうなと。
説明したところで、僕自身がその原理がわかんないんだろうなということを
何かふと思いましたね。
だからこれって、人が何かやってる活動とかね。
授業でもいいし、企業でもいいし、何かやりたいっていう人いらっしゃるじゃないですか。
僕もそういう記事見たり、情報を得たりして見てるんですけど、
別に深刻にとか、社会問題、社会課題を解決するとかも全然いいんですけど、
何かやってみようかなみたいな、本当にそういうものでいいっていうことなんです。
僕が言いたいのは。
仕事送りもそうですけど。
これちょっとやってみようかなって。
このフレーズ大事ですよ。
これちょっとやってみようかなっていう。
もしリスナーのあなたに何かやってみたいことがあれば、
言ってみてください。何々ちょっとやってみようかなって。
やりたくなくなるとかは多分ないと思います。
ちょっとやってみたくなりません?不思議じゃないですか。
でもそんなもんじゃないかなと思ってまして、
あとは僕が好きな環境説ですね。
周りにそういう支えてくれたり、一緒に話してたり、
一緒にやってるわけじゃないんだけど、近況を話し合えるような仲間というか、
友人とかいたり、そういう人がいなかったら、
たまに出会えるようなところとか、知らないですけど、
お互い何かやってるようなところに刺激を受けたり、
少しずつ、なんていうんだろうな、
それこそ自分がやれるんだよねって思う、
何だその思い込みみたいなね、
友人も言ってるんですけど、そのバイアスですよね。
こういうのがあって、
いや面白いですよっていう、
面白いことができないんじゃなくて、
やってみたらできるかもしれないっていう、
これは可能性ですよね。
僕はそこはアイディアっていう言葉に置き換えてるんですけど、
それいいじゃないですか。
そういうのがあって、
そういうのがあって、
そういうのがあって、
僕は100%ってことですか、
いいなと思います。
だからそういう風に言ってくれる人がいなければ、
見つけ次第、
褒める警察じゃないですけど、
ゴーヤマ、くんとーさん、企画じゃないですけど、
見つけ次第、褒める警察じゃないですけど、
褒めるパトじゃないですけどね、
ゴーヤマ、くんとーさん、企画じゃないですけど、
なんかね、
その見た瞬間に褒めてやると いいねそうなんでそんな良いことやってんのっていう
本当に心からね 冷やかしちゃダメですよ なんかいいねやってんねーみたいな そうじゃないですよ
いいっすねーみたいな だからそうやって褒められることに慣れてもしくは言い慣れてだったり
本当に心からそれを伝えることをしていなければ もう響かないっすね
まあそうやって言ってて僕のねものが響いてないっていう可能性もまあなければ しもあらずですがまあそこは知らんす
ただ 結局そこはですね本気って言葉は好きじゃないんですけど まあいわゆるなんかチンプなんですよ言葉が全部
あの刺さらない 本気とか
あと気合とか根性とかもねなんか嫌いっていうのは そのカバーできないさっきのカバー率で言うとその言葉によって
さっきの5割って言ったじゃないですかなんか 言語がアイデア出して言語ができるのは5割 でも残りはもうその人次第ってことでいくと
結局その5割は5割でしかないから水で薄めようが確かに飲みやすくなるけど 5割でしかないですよね
だから薄くなるだけなんですカルピスだったら薄くなるだけっていう それだけなんです
だからあんまり意味ないなって思う だからその
話は何でしたっけってことになるなってくと思うんですけどそういう場合で何が重要 なんですかってなっていくと
あのねやれたらいいんじゃないですかっていうそうそうやる方向に比重を置くというか ちょっと肩
行動のモチベーション
体を傾けていただいてなんかやるよねやろうっていう感じが 今回のね着地なのかなと思いましただからやる
っていうそのモチベーション同期付けっていうのはもうロジックではまあまあ半分説 これも半分説いきましょう
残りはもう言語ができないだから ねこういうことでぐじゅぐじゅできないよなーって言ってもまあわかるんですよいい
そういう実際に状況になってできないからできないものはできないまあでもその部分は 半分ぐらいで実際はその
いやなんかそうだからやるよねって言った時にやれないとってなんかそのストレスが あるかプレッシャーがあるのか何かがあると思うんですよね
多分 そうそうでそれもさっき言ったバイアスじゃないです思い込みですよね
できないと思ってるだけなんじゃないですかってこれもあんまりその音対応すると それを思い込みでを君の思い込みでをみたいなやってみたらできるさんみたいなもちょっと怖い
部分もあるわけです僕は それ全開でいくのもまたどうかなぜ絶対その状況によってそれが言えるわけでもないんで
結構慎重にやらないとダメですよねって思いますそういうの 別にこの音ポッドキャストはそのメンタルをね
バイアスを壊してやりましょうみたいなね そんな
あのポッドキャストは残念ながらないので そういうことやってる方いらっしゃるかわかりませんがそういうそういうのを探して聞いてみてください
なんで だから自分が動く分には別にその
燃料を確保するって意味ではこれがあればできるよっていうのをもう分かってたほうが それはいいですよね
だけど そんな簡単にわかるんかいなって話わけです
だから人がだって僕だってそのお客さんが喜んでくれたらいいって言うけど本当かいな ってつかみできるわけです
客さんが読んで喜んでくれたらいいのかみたいな 本当なのかみたいな
例えばあの反論として別に嫌なお客さんみたいな人に別に喜ばれる必要じゃないですから
話が終わるじゃないですか それでねお互い尊敬というかね
対等な立場になれる人限定だよねっていうね ってなっていった時にだんだんその変わってくるじゃないですか定義というか
そうなっていくとあんまりこう固めといてもしょうがないし と言っても固めすぎてもしょうがないということですね
と言ってフワッとさせすぎてもフワフワして捉えられないから 寄りどころがないよねみたいな人もいらっしゃるかもしれません
それもわからないではないですね だけどそのことは何かを作っておくからそれに強烈に引っ張られてできるっていうのも
どうなんだろうなぁって僕も思ったりするんで 掲げといたらできるみたいな話なんだけど
それ掲げといたらできる人が言う話なんで掲げといてもできない人はできないわけで それ何でしょうねってなりますね
行動の原因みたいなね
そんな話です 着地できてはないと思いますけど そんな感じですね
行動する準備
自分のなぜやりたいかなんでやりたいかみたいなところっていうのは 僕も言ってるんですけど言葉で
半分ぐらい だからまゆつばっていう言葉はいい意味で批判的に いやなんか言ってるけど本当かいなと
で何でわかるかって言ったら結局行動して示していくしかないので はいはいすぐなんかやれっていうわけでもないんですけど
でもそのスピード感っていう意味では政治家の人がよく言いますけどスピード感って やりますやってありましたみたいなののサイクルみたいな回してる人は次やってるじゃないですか
もうやって次 それは大事なんでしょうね
でそのループというかサイクルが回ってたら今僕がですねなんかこう そのやりたいことがあってとかねやってやりたいんだけどみたいなことはあんまり止まら
そこで止まらなくてでやりたいことはこれだからじゃあやれるタイミングでやりましょうみたい あー今来たよみたいな来た来たよみたいな
ね宅配便の音お兄さん期待を見るじゃあ週間みたいな これもお願いしていいですかみたいなそういう
いやでもそんな感じだと思うんですよねテンポよくリズムよく行くみたいなのは これかなり大事だと思ってまして笑い話だと思うかもしれないですけどそのリズムがないと
なんかあの回らないですもうなんか 自分もなんか動いてないから
動けないって感じなんですよね だから
動いておくことが大事なのかなと固まるとね動いてないと固まっちゃうんでグッとね じゃなくて開いて
動かしてうつでも受けるようにするこれはね身体の話でスポーツでしょってことを思うかも しれないですけどそうじゃなくて
あの頭使うとか別のを使うだけもんでも全部そうだと思いますね それをやっとく準備しないと動けないよねっていう方向が
だけは確かに言えるんじゃないかなと思いましたはいすいませんちょっとなくなりました けど今回にしておきましょうあの今回はですね同期付け
のお話でした はい
何かヒントになることがあったかなわかりませんが こういう回があってもいいと思いましたはいというわけで今回は以上となります
初号フリーラジオ大橋でしたここまでお聞きいただきましてありがとうございました以上失礼致します