1. シゴクリラジオ!
  2. 考えることが新しいことやチャ..
2025-11-25 44:40

考えることが新しいことやチャレンジにつながる

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サマリー

今回のエピソードでは、限界を超えることや自己成長が探求されています。特に、目標設定や望むことを実現するために考え続ける重要性に焦点が当てられています。目標設定と自己表現の重要性が議論され、感情や気持ちを大切にすることが新しい挑戦につながることが強調されています。また、自分の状態を理解し、適切な行動を選ぶ必要性についても触れられています。このエピソードでは、考えることが新しい挑戦やビジネスの創造にどのようにつながるかが議論されています。自己評価や現状分析の重要性と、考えずに行動することの危険性が強調され、考えることの価値が示されています。また、考えることが新しい挑戦や成長につながることの重要性についても語られています。特に、考えることを通じて自己判断を行い、目標を設定し、限界を超えることができるというメッセージに焦点が当てられています。

限界を考える
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。
このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
よろしくお願いいたします。今回テーマはですね、ちょっと自己啓発っぽいんですが、限界を超えるみたいなね。
何言ってんだって感じがするかもしれませんが、最近ですね、限界の正体みたいなの試してたのかな。
あと加西さんっていうですね、スキージャンプの方、ご存知の方いらっしゃるかもしれませんが、53歳の方なんですが、加西さん。
限界を外すというタイトル。で、なんか限界をですね、僕が感じているのかわかりませんが、外しているんだみたいなところで。
そのあたりですね、ちょっと限界について話してみたいと思います。
外すって言ってもね、無茶なことやれっていうことではないんですけど、ここ難しいんですけど、
成長っていうのがですね、自分ができないことをある程度やらないと、確かに成長はないですよね。今までやってきたことばっかりだとね。
だけど、加西さんという方もここに書いてたんですけど、物理的な限界はもちろんあるじゃないですか。
要は1日24時間起きてるって無理じゃないですか。
だけど能力的に足りないなら、それを学んだり勉強したり試してあげていくことは多分できるじゃないですか。
っていう時の自分が設定している限界というのは、多くは安全装置があると思うので、手前じゃないですかね、みたいなことを言われているわけですね。
それはその通りだと思います。
一方で、安全装置を切って行ったところの先に、本当に安全じゃないこともありますから、寝ずにやるとかね。
それは無理なんで寝ましょうと。
そこの安全の取り扱いというのと、限界の取り扱いがまさにリンクするので、のかなと思っています。
別に限界を超えなくてもいいし、限界を超えないとダメなんだってことはないんですけど、
基本的に成長とか学んでなんかアップデートしていくってことは、そういうものかな、みたいなことを思ってたりします。
磨くってのもそうですよね。磨くってことは、よりチャレンジしていかないといけないってことになりますから、
そんな話をゆるめに今回は話していこうと思います。
限界とか成長とか、ご興味のある方は引き続き聞いてみてください。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
目標設定の重要性
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いします。
今回は限界とか成長というテーマですね。
1個は限界だとかいろいろ話で出てきたというか、大事なところが目標設定なんですよね。
ゴールというか、人生のゴールみたいな感じで大きな話になりそうですけど、
そういう話じゃなくて、その話でもいいんですけど、
結局なんかやるべきことというか、自分はこれやりますってことを言っておかないとやらないですよね。
それを思ったりします最近。
要はやりたいことは何?って言ったときに、やりたいことがなかったらダメではないんですけど、
こういうことをするために動いているっていうのが、
やりたいです、そのためにやりたいですって決めてるから動きますみたいな。
伝わります?
それかもしなく、平々ボンボン生きたいですっていうのがあっても全然いいと思うんですよ。
でもそれは平々ボンボンと生きるためにいろいろやらなきゃいけないから、
結局決めて何かやるっていう状態にしているかどうかが非常に大事で、
それは確かに考えることだし、何か行動したりしていくことになるのかなと思います。
で、だがしかしの話で、決めるんだけど、決めることって何?みたいな。
例えば億万長者になりたいみたいな人がいるとするじゃないですか。
で、別にいいんですよ。いいんだけど、決めたらそのために分解して今やれることって何ですかっていうふうにしないと、
億万長者になりたいなだけだと意味ないですよね。
プロ野球選手になりたいなっていうのも、なりたいのであればそのために何かやるっていうふうになりますよね。
っていうのは多分間違ってないと思うんで、
それを細かくしていってできるかどうか。
で、その時に明らかにやりたくないこと?
別に僕プロ野球選手になりたいと思ったことないんで、
僕がプロ野球選手になりたいとは思わないんですけど、
そういうような自分がやりたくないことをクロス設定したらもうやりたくないからやらなくないですか。
だから意味ないんですよね。
ね、わかります?伝わってますか?
だから目標設定がすごく難しい。
これに関して目標設定の仕方を言語化は多分僕はできないんじゃないかなと思ってます。
できても半分みたいな。
なんで最近半分までしかっていってないのは、
全部言語化したり、全部説明できたりするっていう風に思っている人はいるかもしれないですけど、
多分無理じゃないかなと。
なんでかというと、
シンプルで、僕このポートキャストで話してますけど、
これが100%伝わることがまずなくて、1割2割ぐらいじゃないかなって思ってるんですよ。
それはリスナーのあなたをバカにしてるっていうことじゃなくて、
要は理解の仕方があるじゃないですか。
例えば、
実はあなたも結構経験あるかなと思うんですが、
話してて、そういう風に理解されるんだみたいな、
要は誤解されるっていうパターンありますよね。
その誤解をされるので、
っていう風にもし考えるかもしれないんで、
じゃあ保険じゃないけど、それは前提としてこういうことですよって言っても、
その前提が理解されない。
ゆえにその前提の前提みたいになってて、
結局話が伝わらないやんみたいな。
そういう絶望を、もし経験したことがない方は経験してください。
どんなラジオやねん。
思います。
伝わらないですね。
で、そのことが分かっている、そのご経験がある人は、
人の言葉とか伝えるって難しいなと思うし、
みんな伝わらないんだなと。
それはですね、洗礼というか浴びると思います。
それってすごく、
些細な話に聞こえるかもしれませんが、もしご経験ない方は、
それはですね、例えば挫折みたいな、
自分が人生うまくいってて挫折したとか、
自分が失敗するなんてあり得るんだみたいな、
あり得るんだか、あり得るでもあり得る。
そういうレベルだと思います。
つまり相当重いです。
だから通じないからコミュニケーションはダメだよねとか、
そんな話じゃなくて、
そんな万事が全部か、
全部うまくいくなんてないんですよね。
コミュニケーションでさえ。
あと自分が言っていることを1個伝えたいことがあっても、
全然逆に取られることもあるし、
話が伝わらないなというのが本当にあるわけです。
そういうのって経験すると結構分かれますよね。
いやなんかもうめんどくさいってなって、
最低限のことでいいやっていう人もいれば、
いや何くそって思って伝えていきたいなって思う人がいるかもしれませんけど、
僕はどちらかというと伝えていきたい方なんで、
別に伝わらなかったからそっかっていう風にして、
そういう人もいるよねっていう解釈でいくわけですよね。
僕の場合はですね。
ぐらい伝えるって結構前提があって、
その前提の前提みたいになってて、
難しいなっていうわけです。
だからですよ。
言語化してはいバッチリだと思っても、
言語化したものが伝わるわけじゃないわけであって、
言語化って言ってるのが本当は言葉にして相手が分かるように伝えられるぐらいの意味合いになったらいいんですけど、
ただ文字にしてここに書きました、じゃあ理解できますよねっていうようなのも、
散乱?ありふれてますから、
なんていうんだろうな、
言葉にすれば話にすれば、
分かるとかいうのは乱暴じゃないですかっていうことです。
逆に言うと今僕側が相手に伝わらないっていうことを言ってますが、
僕側もあってこの人何言ってるか分からないんだってこともあるわけですよね。
逆もね。
そうすると僕は理解されてない、僕が理解しようとしていないとかってなってて、
それがまさにコミュニケーションの真髄だと思います。
その人に伝えたいのか、
その人が分かるように話すのかっていうのは別にバカにしてるわけじゃなくて、
伝えたいからその人に伝えるようにするってことなんで、
それをバカにするとかっていうふうに捉えている人は、
逆なんですよね。
要は自分が舐められたみたいなのはもちろんあると思いますけど、
自分は分かっている側のつもりなんだけど、
分かってないふうになったから怒るんでしょうね、きっとね。
だからジェンダーじゃなくて立場ですね。
立場が違うとか、状況が違う、自分が下に見られることが嫌だと。
別にもちろん下に見られていい人はいないんだけど、
自分は常に上の優位の立場に立っていたいみたいな、
逆の逆心理ってやつですね。
その表れがあるから嫌なんでしょうね、みたいなのもあると思います。
ちょっと話がごめんね、そこらへんは置いておいて、
要は言語化を伝えられる言葉にしても半分ぐらいじゃないかってことなんです。
あと感情とか直感とかがもう半分ぐらい入れてもいいかなと思ってまして、
最近は。
じゃないと個人が浮かばれない、個人では死んだ人じゃなくて、
個々の人ってことですね。
要はAIが入ってくるとその論理部分をAIがカバーするようになってきたときに、
残り何みたいな、論理だけで生きている人ってもうAIに変わっちゃうわけですよ。
つまらなくないですか。
っていうことを今僕はつまんないって言ってますけど、
つまんなく、つまんないよっていう人が減ってくると、
このAIでいいじゃんっていうムーブになっていって、
ムーブですね。
ブームでありムーブである動きですね。
ような気がしてきますね。
はいはいはい、そうです。
話としては、限界を突破するとか成長みたいな話なんですけど、
一個だけですね、アイディア出しにおいて思い当たるなっていうのは、
まず一回アイディア考えてみるじゃないですか。
どうしたらいいかなと。
アイディアじゃなくてもいいですよ。
これどうしたらいいだろうなみたいな、考えると。
考えるについてはちょっと割愛します。
長くなるんで。
ただ考えるというのは自分の頭で使うことになります。
自分の脳を使って思考するということなんですけど、
問いを立てたり、仮説を作ったり、検証をしてみたり、
何か調べてみたり、
違う視点を見たりっていう関連することを出してくると。
考えるって言葉を使わずに言うとそうなりますが、
それら一連の行為を考えるとか、
思考するっていう風に言ってます。
そうやってアイディアを考えたら、
一旦終わるじゃないですか。
ここまで考えたよとか、メモでバババッと出てきたよとか、
何アイディア出てきた。
終わったとするじゃないですか、一旦。
もうこれ以上、限界だとかこれ以上は出ない。
そうしたら、確かに限界だからちょっと休んでください。
休む、もしくはちょっと日を置いて、
再度考える。
つまり、一回やって追い込んだら、
筋肉みたいなものです。
追い込んだら痛いんだけど、休んで、
超回復でしたっけ?超回復は分かりませんけど、
筋肉が回復してって肥大するんですよね、筋肉ってね。
で、強くなるんで、さらにまた鍛えると。
そうするとまた大きくなるみたいなのがあると思ってます。
脳も筋肉みたいなもんだよねって言うと、
すごい脳筋みたいな話で怒られるかもしれないですけど、
あると思います。一生だと思います。
少なくとも何もせずにそれが鍛えられることはないので、
考えていない人がいきなり考えることができて、
いきなり見えてきたことはないと思います。
で、仮にそういうことを言っている人がいたら、
ある日突然考えられるようになったっていうのは、
普段考える何かがその人が考えているという認識ではないもので、
無意識的にやってたんじゃないかなと。
僕の理解はそうなっています。
だから、あいあい出しにおいて何か言いたかったかというと、
一旦追い込んで出したら終わりじゃなくて、
さらに追い込むといいよっていうのが、
まさに実践的だと思いますが、僕のやり方としてはあります。
なので、一旦追い込んで目の前のことをやりきったと思ったら、
もう一回やってみるというのはありだと思います。
でもそれも無理せずですね、
本当に精神的に打つじゃないけど、
もういやいややってたらダメなんで、
やりたいからやってるっていうぐらいじゃないと意味ないですね。
やらないですよね。
アイディア出しと成長
そもそももうやりたくない仕事をやりきったら、
もうそれで終わりでかかりたくないじゃないですか。
でもそれはそれでいいです。やめときましょう。
で、僕が言っているのは、もっとやりたいよ、
だけど一旦やりたいんだけど一旦終わったと。
限界まで行った、じゃあ終わりじゃなくて、
さらに次をやるために休んだり、ちょっと置いてからやろう。
っていうふうに思えることならやった方がいいと思います。
辛くてやると多分良くないですね。
だからそういう意味では気持ちってめちゃくちゃ大事なんですよね。
だからその目標設定として適切なものって言うけど、
その自分の状態も感情ですね、気持ちが乗ってないと多分できない。
本当そうだと思います。
で、やりきってそこでやってみるとまた違うものが出てくるんじゃないかなと思います。
それがタメセイさんが書いていたので、
タメセイさんの意見ということでいいと思いますが、
タメセイ大さんですね。
限界っていうのを多くの人が手前ですよね。
安全なところにしているんだけど、
10あったら限界が、10っていうのが限界なら8ぐらいにしているんだけど、
その後でも終わるのもったいないんじゃないってことですね。
自己表現と挑戦
もちろん10行って限界で、
それで肉体的にも精神的にも限界だっていうようなことかは分からなくて、
さっき言った睡眠とかね、冒頭に話したように、
睡眠を24時間起きてくださいとか寝るなっていうような意味じゃないですかね。
そこだけは間違いなく。
そうやって追い込んでやるのもいいんですけど、
追い込みすぎたらダメだから、
それって調整していかなきゃいけないんで、
じゃあ一旦やみましょうとか、一旦壊れましょうみたいな。
そういう主張ではないですからね。
そこはちょっとやめてくださいね。
ちなみに、すごく例えばスタートアップしかり、
めちゃくちゃ働いている人いるじゃないですか。
それがいいとは言ってないですよ、別にね。
悪いとも言ってないですよ。
なんでできるかって言ったら、
それが夢中になっているからなんです。
多分、これめちゃくちゃ大事なんですけど、
やりたいっていう人のところには、
そのドーパミンなりなんか出てるから、
他の人が嫌だよねとか、辛いよねっていうこともできてしまうんですよ。
これはその成分が出てるからできる。
それが嫌いなことを無理やりやらされてたらやれないですよ。
そうなんですよ。
だからそこで、自分は好きになれるものがないとか、
楽しんでやれるものがないみたいなことを
ネガティブにとられる方いらっしゃると思うんですけど、
多分それはあるんじゃないかと思います。
誰にでもね。
だけど、それは人の例を見てて、
あの人はこういう風だからこうだっていうような
パターンみたいな分析しててもしょうがなくて、
自分が、それこそ練習ですよ。
考える練習と一緒で、
アイデアもそうですけど、
考えていなければ考えるが鍛えられないと一緒で、
自分の気持ちですよね。
文字見たり、どの話聞いてとか、
なんでもいいんですよ。
動画見て、何思いました?っていう話なんですよ。
バカバカしいなと思ったら、
バカバカしいって言われるじゃないですか。
バカバカしいよねっていう。
そう。
それを大事にしたほうがいいですよね。
ってことはバカバカしかったらやらないのか、
もしくは見るのか、
違うことやるのかって、
それはあなたの判断じゃないですか。
バカバカしいよねって言って動画見てて、
バカバカしいよねって言って終わっていったら、
その、いちいちバカバカしくなりますね。
で、そんなもんです。
だから自分の感情とか、
気持ちを出すってことをせず、
感情に対して、
気持ちを動かすってことをしない。
相手に対してもそうだし、
自分に対してもそうですけど、
それをない人が、
人の気持ちもそうだし、
自分の気持ちに対して敏感になって、
感情を持ってくることができなくないですか。
っていうことは、
すなわちそういうこと、
感情が動いていなければ、
行動への第一歩
自分が好きとか楽しいってことも、
薄れてるんですよね。
感度が弱いというかね。
なんで、分かんないんですよね。
そう。
で、そういう人に対して、
旗から見ると、
ものすごく、
食器を集めるのが好きだよね、
っていう風に言うんだけど、
いや、私別に好きでも悩んでもないですよ、
みたいなことを言うわけです。
めんどくさくないですか。
めんどくさいですよね。
めんどくさいなあと思うんですけど、
まあ、そうですかってなって、
じゃあ別に、
いつ?
3年後か分かりませんけど、
食器が好きだから別にやったらいいんじゃないですか?
っていう、
投げやりに聞こえるかもしれないけど、
そりゃあそうですよね。
そこまでやってて、
好きって認めないなら、
別に好きって言いたくないなら、
いいんじゃん、言わなくてもっていうね。
やりたいってことって言ったら、
しっくりくるんですか?
じゃあやりたいことでいいんじゃないですか?
ってなりません?
そうそう。
言葉のあやみたいなのがあって、
要はその人にとって、
しっくりくる言葉にしたいなら、
それでいいんじゃないですか?
だから、
いやいや言ってないんですけど、
やりたいことがこれだっていう風に、
言うならそれでいいし、
やりたいことって言うとプレッシャーがくるから、
そうじゃないっていう。
あればそうじゃないようにやっていけばいいじゃないですか。
そこで、
下手というか、
なんか自分、
世間的な言葉に合わせなきゃいけないとかね、
あるわけですよ、結局。
自分の考えてなかったらそうなるんです。
あと感情の話もね、
感情なんて関係なくて論理でしょ、
みたいなことを言う人がいるかもしれませんが、
それもちょっとおかしいよね、
っていうような話でもあります。
っていう風になっていくと、
結局その気持ちの部分が乗ってなきゃいけないし、
やりたいことっていうのをやるために、
いろいろ勉強したり学んだり、
試行錯誤していかなきゃいけないわけです。
その2つがまさに、
蓄積と、
気持ちですよね。
気持ちの部分と、
感情的な気持ちの部分と、
論理というか、
今までやってきたことを分析したり、
やってきたことを振り返るとか、
そこで考える方ですね。
論理というよりも考える方ですね。
考えるのと感情みたいな部分が、
2つがガッチャンコしてぶつかって、
合わさって、
やろうとする、
っていうような気がします。
多くのことってやれないような気がするんですよね。
やれる、やれないって言っても。
大抵のことやれるっていう感じの人もいるかもしれませんけど、
少なくとも、
何でもいいんですよ。
企業、仕事づくりでもいいんですけど、
やろうとしてくださいと。
誰かに言われずに。
やりたかった。
で、やってくださいって言われますね。
で、何していいか分かんない。
で、何していいか分かんないんだけど、
その中でも、
自分がやれることを1個でも見つけてやると。
そんな話じゃないですか。
やることはね。
最初の一歩とかっていうのは、
めちゃくちゃ小さなことでいいんですけど、
どうもですね、
何て言うんだろうな。
企業もですが、
自分で何かやるってなると、
途端にポンコツ感っていうんですか、
なんて言うの?
日寄るわけじゃないんだけど、
誰かを頼るみたいなね。
どうしていったらいいか分かりませんみたいな。
で、その、
バカにしてるわけじゃないですよ。
バカにしてるわけじゃなくて、
そのポンコツって言ってるのは、
何て言うの?
企業とかじゃなくてですよ。
分かります?
普通の仕事でも、会社員の仕事でいいんですけど、
会社員の仕事じゃなくても、
フリーランスでもなんでもいいんですけど、
アルバイトでもね。
その仕事に対して考えてないんですよね。
分かります?
っていう人が企業できるわけないじゃないですか。
で、例えばアルバイトとか、
詐欺だとね、
タイミングみたいなね、
好きなアルバイトありますけど、
言われたことをやりますっていうのが、
まずありますと。
で、言われたことが難易度が高くないってことがあります。
例えば、
皿を回収する、
例えば飲食店で、
お客さんが食べ終わったんで、
食べ終わったものを下げます、
ということをやりますとね。
それって、
誰でもできる。
障害があったりできなかったり、
そういう人もいらっしゃると思いますけど、
とりあえず割と一般的にはできる仕事だと。
誰でもね。
その誰でもできる仕事が、
言われて、
やれなかったら、
まずダメじゃないですか。
で、その言われた仕事を、
これは限定的に考えてくださいね。
じゃあその、
皿を引き上げるというか、
下げるね。
食器を下げるという仕事ができなかったら、
全部の仕事ができないとか、
そういう話じゃないですよ。
むしろそんなことをしなくてもいい人もいるし、
どっちかというと僕苦手なんですけど、
そこは置いといて、
それが言われて、
やれて、
やれた人が次何やろうかとか、
そのじゃあ、
これを細かい話っていう人は、
ちょっと話が通じないと思うんですけど、
なんだろうな、
じゃあどういう手順で下げたらいいのか。
少なくともですね、
まず、
飲食店で食べたことがある、
経験がある人ならば、
セットになっててね、
お盆に乗っているものを全部食べてないのに、
持ってかれたら嫌じゃないですか。
それはないですよね、まずね。
そうそう。
だから食べ終わったら下げる。
でも食べ終わったってタイミング分からないですよね。
普通ね。
だから多分、
飲食店で働いたことないので分からないですけど、
その様子を見るわけです。
要は、
2人で来てたら、話してたら、
もう食べ終わったのかな、みたいな。
明らかに食器っていうのは下に置いてて下げるから、
食器を持ったり、
下を向くような、
食べるときにちょっと若干、
下をつむき口になったり、
なりますよね。
真上で食べながらは食べないですよ、なかなかね。
だからそういう動作を見るのはね。
テーブルが1個じゃないから、
複数、カウンターもあるとか、
例えば1人客だったら、
スマートフォンをすごくいじり始めて、
水とかお茶とか飲んでたら、
もう下げたんだなってことで、
下げると。
で、分かるじゃないですか。
そういう現場の観察からね。
そう。
分かる人は下げられますよね。
適切にね。
分からない人は、
1個1個毎回も見て、
うろうろして、
うろうろしすぎて、
客が気になる。
うろうろしすぎじゃない?
店員さんみたいな。
分かります?
そうなんですよ。
今あくまでも、
1個の例として、
飲食店での食器を下げるという例を
今話します。
それができる人は、
言われたことができるってことになりますよね。
自分で考えてできるという人は、
食器を下げるタイミングっていうのを、
あまりにも、
お客さん気にならないようにやってねっていうくらいの
指示で多分できるんですよ。
考えていれば。もしくは考えることができるのであれば。
でもそれができない、
変なタイミングで、
お客さんが食べているタイミングで行く人は、
そこを修正しなきゃいけないんですよね。
じゃあその修正したからといって、
じゃあ他の、
そのタイミングではまずいんだ
っていう風に学んで、
考えることの重要性
学んでますよね。
じゃあ他のことをやらせたら、
それができるか、いけるかっていうのは、
自分でどうかっていう話であって、
その人の能力値もあるんでしょうけど、
この辺りの話になっていくと思います。
何言ってるかというと、
そこで考えずに、
言われた通りのこととかを、
作業みたいな感じでやってて、
やっている人がいました。
で、
その人が企業ですっていう時に、
じゃあ自分で考えて、
こういうのが世の中には足りないからやりましょうって、
できると思います?
っていう話なんですよ。
で、シンプルにやっぱ厳しいなっていうのは、
考えてないから、
できないじゃないですか。
これは別に僕が偉そうに
言ってるわけじゃなくて、
論理的に、
論理的に言えば、
バットとか野球をやったことない人が
野球選手になろうとしてて、
ぐらいちょっと
滑稽な話です。
だからごめんなさいね、
今アルバイトとかしている人で、
将来企業をしたい人っていると思うんですよ。
フリーターみたいな感じでね。
それが全然悪いわけじゃないし、
やればいいんですけど、
少なくともこれは、
前後はすると思うんですけど、
そういう風にやるぞ、企業するぞっていう人の
立場を
トレースすると、
多分そういう人はアルバイト、
先とかアルバイトでも、
よくやってくれてるなとか、評価されてるはずなんです。
もしくは評価されてなかったら、
自分の
自己評価でいいんで、
そういう人が出てくると思うんですよ。
このアルバイトだと、
こういう風にやれてるから、
店長っていうのはすごいわけじゃないけど、
例えばあるのが、
そこにあるオーナーだとか、
フランチャイズでそういう
スーパーバイザーみたいな人とか、
そういう人たちが絶対優れてるってわけじゃないんですよ。
という上で、
やり方が上手いなと、
自分ができないことも分かってるなとか。
そういうことを
教えてくれたり、
企業をしたいっていう話をしたら、
教えてくれたっていうんだったら、
そういう人から絶対学んだほうがいいですよね。
そういうことなんでしょうね。
きっとね。
満足しましたけど。
伝わりますか。
要は普段考えてないのに、
仕事づくりも企業も
できるわけないっていう、
もともとない話ですね。
現状の分析と格闘
で、
僕の立場としては、
じゃあ考えましょうよと、
僕の立場なので、
ホーラーできないだろうとか、
せせら笑うみたいな、
ざまぁみたいなね。
ざまぁって違うんですけど、
そんなレベルの低い話じゃなくて、
そんなレベルの低い人は
知らんすけど、
僕はそんなことはなくて、
そういう人もいるかもしれないですけどね。
で、
そういう人は好きじゃないですよね。
そういう人もいるんじゃないですか。
だからその人にあった
トレーニングメニューじゃないけど、
考えていけばいいわけですよ。
で、いきなりできないから、
勉強して学んで、少しずつやれるようなものを増やしていく。
それこそが、限界を外すとは言わないけど、
今までできないと思ってたことが
できるようになるって
そういうことじゃないですか。
で、それをやっていきましょうよと。
ということで、結局仕事づくりも企業も
考えるってことを
サボれないですし、
考えなきゃいけないし、
言ってたように、感情とか気持ちが乗らないと
たぶんしんどいですわ。
できない、そういう意味で。
何やるんですかって言われたときに、
あのね、登山の
名台詞じゃないや、名文?
そこに山があるからさっていうね、
登山家の方だと思いますけど、
本当にその通りだと思って、
そこに課題があるとか、
そこに問題があるからやりたい。
そこが窮屈だから
もっと改善していきたいとか、
そういうわけですよ。
僕は嘘ではないんですけど、
心から
発想するとか、
アイデアを出すとかね、
想像するみたいなことに対して、
なんで
できなくなっちゃったみたいな。
何があるんだみたいな。
心からっていうのは、
素朴に疑問に思うわけですよね。
なんでそうなっちゃったの?みたいな。
なんか変なもの食わされたか?みたいな。
本当に。
そうなんですよ。
だから当たり前なんですけど、
その人と話すときとかも、
このゲストね、
何人か来ても
多いですよね。10人は呼んでますか?
ところで話をしても、
もう10人呼んでますよね。
10人呼んでなかったらごめんなさい。
ゲストの方はいろいろ呼んで
喋ってますけど、
僕がこれなんだっていうところを突っ込むのと、
リスナーさん的にはちょっと
違う視点で
遠くから見てどうかっていう
質問とか問いを
投げかけてますけど、
それってその人の
考えがなくて、
一般的に言われているようなもの
ですよね。だけだったら
つまんないじゃないですか。
例えば、本を読むと
良いみたいなのが
世間的にあるじゃないですか。でも、
名前忘れましたけど、
本を読むとバカになるみたいな主張があるわけですよ。
他人の意見など。
確かにみたいな。
そういう話が聞きたいわけです。
分かります?
本なんて読むとバカになりますよ。
読んでないんですよ。
本を読んで考えた気になっている方が
おかしいです。
僕は面白いと思います。
確かに
本を読んで
考えた気になったなっていう
人なんて5万というと思うんですよ。
考えるって何か?
考えた気になるって
多分
本を見て
感じたことを
実践の中に
何も入っていなかったり
誰かに
その話をしないとか
だったら
読みましたで
読みましただけで終わるみたいな。
感想がないみたいな。
それは難しかったか
興味がなかったかとかもあるから
別に本を読んで
必ず読んだ本から
学ばねばならないという
法律もないし
そういうのもないんですけど
少なくとも
それが何冊も続くなら
読まんでもいいんじゃない?
それ違ってない?という風には思いますから
それは
本の読み方の話になってくるので
それくらいにしたいと思いますけど
自分で考える
考えるってことは
何度も言ってますけど
思考するってことは
問いかけを持ったり仮説を持ったり
疑問に思ったり
それができてますか?
その一連の行為が
できてますか?
仕事において
言われたことをやっている状況において
いきなり起業して
自分で考えてやるってことをやろうとするときには
できるわけないじゃないですか
だから怖くないですか逆に
これは考えていただきたいですよね
絶対できないと思います
その場合
まさに絶対
絶対って言わないんですけど
もしかしたらできるかもしれません
だけど
確率的に低いよねっていうのが
今回お伝えしたかったということになります
ということは
その方がやるべきことは
まず
自分で考えてこうじゃないか
っていうことだから
それはたぶん仕事自体が変わるかもしれないし
同じ仕事でもやり方が変わると思うんですよね
そこからスタートですよね
そこが変わらないのに
起業したり
なんかできることはないんで
よくあるケースで
ノウハウを探したりとか
自分に合った何かを探すんだけど
その探しているっていうのが
なんていうんだろう
ピッタリするものをどこかで
探っているだけなので
試したりなんかしないと
解像度っていうか
上手くはならないですよね
その量が足りなさすぎると
やっぱり
なんていうんだろう
いわゆる
転職したいんだけどなって
言ってて別に転職しない方
いっぱいいるじゃないですか
だから転職をしろってことじゃないですし
転職をするなってこともないんですけど
じゃあ転職したいっていうのって
なんでしょうねっていう
話なんですよね
多くは
転職したいっていうのは
多くは現状が不満だからってことが
多いですよね
ここがポイントなんですけど
現状が不満だから転職して
変えるっていうのはアリだと思います
アリなんですけど
現状の不満っていうのを
ちゃんと分析しないと
単にそれ自分が悪いだけじゃないのとか
単にそれは考えてないだけで
それは自分の問題じゃないの
というかむしろ職場が良かったとか
そういうとこありますから
もちろんブラックな
微妙なってときもありますから
ここが難しいところですよね
でもそれもですよね
自己決定の重要性
ここまでお聞きいただいたから分かると思うんですけど
まさに考えて
自分で材料を揃えて
判断していくと
しかも最後に自分で決めなきゃいけないんですよね
誰かが転職しなさいって言ったから
転職したっていうのは
まさに
自分で決めたわけじゃないんですよね
それが占いなり
スピリチュアルなり
占いとかは全然あるんでしょうけど
決めてそれでやるっていうのも
その人の生き方として
全然僕は否定しないんですけど
僕は嫌だなと思います
自分で決めたくないですか
それは価値観の問題だから
占いの結果で
こうしろって言われたから
そうしますっていう人がいてもいいし
その人は否定しないんですけど
僕は嫌だなというわけです
自分が決めてやりたいから
なんか嫌じゃないですかっていう
逆もあると思うんですよ
自分で決めてやるとなんかうまくいかんから
人に決めてもらった方がいいっていう人も
いると思います
それでうまくやれるっていうのだったら
いいと思いますし
人生というか生き方っていろいろあって面白いと思うので
絶対
その生き方が
ダメっていうか
絶対ではないですよね
そういうやり方もあるかもしれない
だけど
自分が考えたくないから
じゃないじゃないですか
いろいろやってみてダメなら
誰かの言う通りにやってみたらうまくいった
みたいなのは
それってある程度やった人がやるべき
話なんで
最初からそのままやらずに
自分は
自分で考えたくないから
自分でやって失敗したいのに
見たいの見るの嫌だから
誰かの言われた通りにやるっていうのは
それはアカンですよね
そこは全力を持って
まずいと
それをやると何か
何が起きるかっていうと
自分で考えないですよね
AIで出してもらったものでやると
でもそれAIでいいじゃないですかってなれません
そこまで考えられますか
考えられますかっていうところが
最近不安があります
でそのAIで
仮にやったものが通った場合
あなたはますますやらなきゃいけないですよね
ってなりません
怖くないですか
そこまで次考えられます
って話で
そうそう
考えてない人いっぱいいるんじゃないかな
ってことを思って
まして最近
考えることって
結構難しいみたいな
難しいというかやってないんじゃない
難しくないですよ多分
やってない
やってないから考えてる人が
キラキラ見えるかもしれないですよね
なんでこの人こういう意見持ってるんだろう
いや考えてるからですよ
考えてくださいみたいな
そう今回はですね
リスナーのあなたが知った激励するわけでもないですけど
もし
考えてないなとか
あれなんか自分の意図とか
考えることの重要性
全然入ってないなとか
AIでいいやとかって思ってる人いたら
たまたまそういう人がいたら
考えましょうと
考えるのはもうちょっとくどいんで
言わないですけど
自分で考えてたら脳も疲れますし
腹も減りますし
自分で判断するとこも入れるなら
この緊張感も出ますし
それが絶対うまく100%でないですし
正解なんかないんですよね
だからそういうことをしていたら
そういう気持ちになると思うんです
つまり
絶対や正解はないし
いろんな人の意見もあるし
とはいえ自分がやりたいのはこれみたいな
風になるっていうのは
まさに考えているから起こる状況じゃないか
状況というか
シチュエーションであり
気持ちじゃないか
気分じゃないかなと思ったんですよね
考えなかったらそんな気持ちにならないし
判断したからいいやとか
やり切ったからいいやとか
限界を超えるためにはここまで気持ちで
乗っかっていかなきゃいけないよな
っていう風にも多分ならないんですよね
考えてないからね
ゴール設定とかもそうですよね
目標設定として適切なやつを
一発で当てていくみたいなのは
よくないんでいくつか設定して
間違いや失敗や
繰り返しながら学んでいって最後に
到達するみたいな
到達できるかとか
知らないですけどね
それも知らないし保証するわけでもないんで
ただこれらすべては考えている
ってことになります
考えることなしに
勝手に企業ができ
事業が成長し
上手くいった
みたいなことはないです
ゆえに
考える人が
増えていくかなと思ったんですけど
考える
企業っていう風に荒く
ニアリーイコールみたいな風に
定義付けるならば
考えてないんですから
みたいな
話が終了するわけです
ということは逆に言えば
チャレンジする人を増やすとか
挑戦する人を増やす
ってことは
今回の言葉を言えば
考える人を増やすってことになるんです
考えるっていうのは
研究者とか難しいことを
ずっとこねくり回して
考えるというよりも
ただこねくり回しているだけだから
哲学者を増やす
ってこともないけど
哲学者がいないってことは
考えてる人に対して
価値がないって言ってるのも
良くないですよね
考えましょう
本当に
今回考えましょう
みたいな話になりましたけど
元々のテーマは限界を
成長の正体ですけど
そうやって
無理矢理かもしれないですけど
そういうことですね
だから限界とかを考えたり
限界を認識したり
それを外すとか
もしくは成長しようみたいな感覚ってある人は
多分考えてるからだと思います
考えてない人はそんなことに
たどり着かないと思います
と改めて思いました
ぜひ
考えろ考えろ考えろって言いましたので
ぜひ何かご自身の
ビジネスなり仕事なり
考えてみてください
自分なりに
深めたりね
違うんじゃないかっていう風にやりながら
高めていくというような
回答になりました
ここまで
お聞きいただきましてありがとうございました
挑戦と自己判断
考えなくても別にいけられますよ
それを補足しておくと
考えずに誰かが言われたことを
やっていく方が多分楽なんですよね
ブルートコンベアーのように
レールがあって
お前は何々しろって
生きてその通りにやると
その通りの生き方になって
脳には負荷がかからないですよね
判断も
ほとんどしなくていいから
周りに合わせて周りのように
生きていくっていうね
右ならえ右ですよ
僕はつまんないなと思います
めちゃくちゃ
批判しようそれは
だからそういう人と
友達になりたいわけじゃないから
友達にならないわけです
右左が
みんなえって言ったら
えになろうよみたいな人と
僕は友達になれないし
友達になろうと思わないし
つまんないなと思うんで
あなたつまんないですよねなんてさすがに言わないですよ
言わないんで
話さないですよねっていう
でもそんなもんじゃないですか
それが
社会的な交流
社会的な交流
社交術じゃないけど
女性術か
みたいなものと思いました
だから
別にリスナーのあなたが
右ならえ右でいいやっていう人は
もしかしたらいるかもしれないけど
そんな人はこのラジオ聞いてないと思うんで
どんどん
そうじゃなくて
右ならえ右とか左ならえ左みたいな人じゃなくて
どんどん自分はこうだこうかもしれないって
間違っててもいいんです
どんどんやっていきましょう
っていうのを僕は心理的安全
っていうところで担保して
いいんですよ言っていいんですよどんどんやっていきましょう
反社会的なやつとか
やべえやつ反社会
倫理的なやばいやつはだめですけど
でもそんなのって
逆に限られるじゃないですか
何その悪いことしてんのみたいなね
だめですよっていう
それじゃなかったらめちゃくちゃあると思うんで
そこ考えていきましょうよ
っていうだから使うべきことは
そっちなんですよね
チャレンジして新しいことやっていく
いいじゃないですかその人がやれて楽しいじゃないですかね
そういう社会を
作っていくってことを
待っててはできないので
僕はですね明確に
自分がやれることはどんどんやっていこう
ってことでこんなボドキャストを
やっているわけですね
大きなこと言ってるわけなんですけど
やれることは小さくね
でも確実に
このラジオ聞いてくれて
よくわかんないけど
やってみようと思いましたっていう人が
やってくることを信じて
やってますよろしくお願いします
というわけで
長くなりましたけど今回も以上となります
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました
四国レラジオ大橋でした
以上失礼いたします
44:40

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