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2026-01-06 58:59

AI日記で書く力は身につくかどうか

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サマリー

AI日記のテーマでは、AIが日記を書くことができるかについて語られています。また、人間が自身の経験を振り返る助けとなる可能性やその限界について考察されています。AIのサポートが果たす役割や、日記の書き方における重要なポイントも取り上げられています。AI日記を通じて、自分の振り返り能力や文章表現力が本当に向上するか疑問視されています。アプリを使ったからといって自動的にコーディング能力が身につくわけではないことが深く考察されています。AI日記の活用が日記を書く力を身につけるかどうかがテーマです。AIを利用することで日記を続けることの面白さやリスク、そして自分自身で表現し考えることの重要性について考察されています。AI日記を通じて、書く力やクリエイティブな能力が身につくかどうかが議論されており、AIの活用が学びに与える影響や、自分のスキルを伸ばす必要性について考察されています。AIとの関わり方が学びに与える影響についても考察され、最終的に人間が学ぶことの重要性が強調されています。

AI日記の可能性
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いします。このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。よろしくお願いいたします。
はい、今回ですね、AIネタです。もうAI、AI、AI、AIと散々言ってきてますし、2025年もAI、あ、ごめんなさい、2026年もですが、2025年からAI、前回もAI、AIだって言ってましたけれども、ちょっと噛んでますね、すいません。
で、今回ですね、具体的なテーマを出していこうと思います。日記ですね。日記をAIで書けるかと。AIが勝手に日記を作るんじゃなくてですね、当然だから人間がチャット、音声入力、何でもいいんですが、やり取りして、いわゆるAI日記、AIサポート日記みたいな。
昔だとあれですよね、AIが勝手に日記を書いていくとか、すごい古いところでは未来日記なんて番組がありましたが、あれ何だったんでしょうね。スルーしときましょう。で、AIがですね、AIに日記を書いてもらうことで何が起きるかどうでしょうか。それでよって日記を書けるのかと。
人間が日記を書くということを学習できるかということをですね、気になったわけです。で、これ友人とも喋ってたんですけど、無理じゃないっていう。僕も無理かなと思ってます。リスナーのあなたはどうでしょうか。
例えば三日坊主で日記が続かないよね、振り返ったり、今日あったでいいこと書けないよねっていう方が、人向けにそういうAI日記があったら使いますか。そのあたりをちょっと考えてみたくなりまして、こんなトピックを立ててみました。ぜひ一緒に考えていければいいかなと思います。
結論的にはですね、別にできる人もいるかもしれないと。友人とも話しましたけど、できる人もいるかもしれないけれど、少なくともそれは今僕や友人が考えているような、自分で振り返って思い巡らすような日記にはなりづらいかもしれないのかなと思いました。
それが細かいんですけど、その細かさが多分学習そのものなんじゃないかみたいな話になるかなと思います。気になる方はぜひ聞いてみてください。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、四国理ラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。今回のテーマはですね、AIで日記が書けるかということで、AI日記アプリみたいなものがあるのかなないのかなわかりませんが、そういったものもあるようですと。
僕自身もちょっと試してみたりしつつ、年末ですね、友人と話すネタにしたのもあります。問いかけとしてはできるのかなので、わかんないですよ。
わかんないし、もしかしたらそういう習慣をつけて、AIに日記を書かせて自分の振り返りをする習慣がついたという方がいるかもしれませんが、ちょっと僕は聞いたことがない。
完全に否定してできないというわけではなくて、できるとしたらどういう人なのかっていうところに興味があります。
現時点でそういう人に出会ってないんで、別に言いたいほどはいるわけじゃないんですけど、まず僕とか友人との話で考えたことを考えていきたいと思います。
バイアスとしては偏見というか思い込み、もしくは僕の見えてない部分でいくと、日記というのは自分で書くものだと。
自分で書くものというところの定義が非常に重要かなと思います。
つまり、自分の手で書く。手で書くと言っても全然手書きで書いてないんですけど、僕は打ってますけど、自分で打っているタイピング速度ですね。
タイピングですね。スマホでもいいと思います。
ここに音声入力、今しゃべってますけど、ポッドキャストみたいに話しかけてそれを文字起こしするっていうのは、一旦僕は含めてないんですよ。
そういう習慣がないのもあります。
しゃべったものから気づいてこういうことが言えるなっていってですね、前回の配信もそうですけど、メンボしてこれはこうだよねっていうのはできると思います。
だけどそれはエッセンスや取り出しであって、やはりですね、しゃべったものを書き起こすのと、しゃべったまま、しゃべったことっていうのはやっぱり違うんじゃないかなと思ったりしました。
しゃべっていて出てくるもあるし、書いていて出てくるもあるんで、脳が全く働いてないわけじゃないんですけどね。
そのあたりの細かいところをちょっと見ていこうかなと思ってます。
AI日記の限界
まずですね、日記自体は書いたらいいとか書かなかったらダメとかそういう話じゃないんですけど、要は書こうとすると。
日記ってなんで書くのっていう。
意味は人それぞれ、あなたご自身も身につけていただくことになるんですけど、要は1日何やったかが忘れちゃうから記録したいとか、
さっきジャーナリングなんていう言葉が出てきてますが、そんなものを置いておいて、要は自分の1日何が起きたかの感情的なものですよね。
とか、なんかうまくいかなかったりうまくいったりとか、落ち込み、気分の落ち込み、もしくは気分がいい時のテンションを整えたいとか、安定させたいとかもあるし、傾向ですよね。
なんかやってる時は調子がいいとかね。そういうのあると思うんですけど。
まさに僕の言葉ではないんですが、僕の言葉として言えば振り返りなんですよね。
出来事でもいいし、感情でもいいし、良かったことだけでもいいし、なんかわかんないけど、それがまさに日記を書くってことが生きてるわけじゃないんだけど、
その出来事を注目して見ていくことが違和感ではないんですけど、その人らしさとか、僕らしさ、リスナーのあなたらしさとかが出てくると思うんです。
1日1回見て、それではなかなか表現できない部分もあるんだけど、10回1ヶ月くらいやって、全く同じ人は多分いないわけです。
それは信じてくださいというか、多分そうだと思いますよ。比べてないですけどね。
日記をあえて公開する人もないですしね、比べる人もございません。違いますよという前提ではあります。
その時にAIを使うところがどうかと。AIを使うのも使い方も限定です。
つまりリスナーのあなたがチャットもしくはアプリでやり取りをして、音声入力でもいいでしょう。
文章を書くわけですよ。こんなことをした、あんなことは嫌だった、こんなことが良かった、あれが良かった。
仕事を始めてちょっと疲れたとか、いろいろあるわけですね。
その時にAIがサポートして、それはどういうことがありましたか?と聞いてくるので答える。
疲れたって言うけど、どういうことに疲れましたか?とか、もしくは良かったこととかないですか?
気持ちを動いたことはないですか?適切なと言ったほうがいいかもしれませんが、掛け合いがいくつかあり、
それでユーザーであるあなたである僕もそうですが、書いて、書く、チャットする、話す、分かりませんが、
するとその日記を書いてなくてやり取りをすることでチャットからまとめてくれて、
AIが日記風ですよね。日記風というのが適切だと思います。日記風の文章にまとめてくれる。
今日は〜で〜で仕事があってこうで疲れた〜があったけどこう風だったみたいな。
簡単にまとめていく。数百字、ちょっと分かりづらいかもしれませんが、
TwitterXで言えば2、3ツイートとか、メールだと何文字ですか?40文字?だから、
2、3行のものが2、3セット、2、3段落、1段落、2、3行だったらそれが3段落分ぐらいあるので、
本当にささっと読める量だとは思いますが、400文字以下ぐらいの、
400文字前後?分かんないけど、200文字から400文字ぐらいのものがババババッと書いてくれるわけです。
それで、本日1月6日だから、1月6日はこの日でしたみたいな記録をしてくれるというアプリがある。
もしくはそういうアプリがあったとしましょう。この時に何が起きているかというと、
ユーザーは今日あったことは何かなということを話したり書くということなんですよね。
その時にまさに書くわけなんですけど、それは出来事の過剰書きとか、
何だろうな、羅列に近いんですよね。文章ではない、分かります?
仕事がうまくいった、みたいな。もっと短いかもしれないし、もっと書くかもしれないですね、仕事。
だから個人情報とかAIですし、書かない方がいいと思うので、こういう部分で、
やっている仕事のこういう部分でちょっと苦労したようになったか、なかなか難しい仕事だったけど、
難しい仕事だったので、なかなか進まなかったね、という。これがしばらく続きそうだな、みたいな。
なんかありそうじゃないですか。その細かい内容は置いておいて、そんなことを書くわけです。
Yujuと話してて思ったのが、その表現ですよ。
AIがまとめてくれるのはいいんですが、AIが勝手にまとめてくれるわけでもありますよね。
例えば、これ細かいですよ。仕事が大変だとか、なかなかうまくいっていないっていうから、
ネガティブに捉えます?っていう。ポジティブに捉えるなら、うまくいってないって言ってるけど、
実際はいってないんだけどね、っていうところで止めた時に、実はうまくいかせようとしている、
っていうところを実は強調したかったり、もしくは自分がそう考えたい、っていうところを多分書いた方がいいんですよ。
それをAIに任せると、そこを勝手にポジティブに捉えてしまうか、もしくはネガティブの方に寄せてしまうか、
そのバランスですよね。ネガポジのどちらがいいというわけじゃなくて、その曖昧な間ぐらいな感じなのか、
それともネガティブ寄りだったのか、それともポジティブ寄りだったのか、
ネガティブとかポジティブじゃなくて淡々と記録したいのか、違いません?っていうその機微ってやつですね。
細かな違いっていうのが表現できないわけですよ。表現できないというよりも、
AIが表現している、もしくはAIを通して変換しているって言った方がいいですか。
翻訳しているって言った方が多分適切だと思います。
なので、何が起きるかというと、1回2回使った分にはいいんですけど、それを繰り返していくと、
その日記を見返す側もありますが、その日記を出してまず見返す必要性はあるんじゃないかなと思うんです。
日記としてね。で、それが違和感です。あれなんか表現が違うなみたいな。
自分はこんなこと思ってないぞみたいな。つまりそのポジティブとネガティブ度みたいな話で擦っていくと、
いやなんかそこまでネガティブに思ってないんだけど、なんかネガティブにしてしまっているよね。
僕はそこまでネガティブに捉えてないんだけどな、みたいなのが起こるわけです。必ず。
これはですね、AI使っている人だったら必ず体験しているはずなしで、指示通り動かなかったり、
指示した通りよりもより過剰に反応してしまったり、そもそもそんなこと考慮していないことをやり始めたりすると。
ありますよね。AIあまり使ってない方はそういうのがあるとご想像ください。
で、それをやると何が起きるかというと、自分が言ってもない、書いてもないということがまさに日記として書かれているわけです。
ここで僕が違和感としてあるのが、自分の表現したいものと、そのAIが出したものの、AIというか日記ですね。
日記風アプリみたいな、AI日記みたいなものを出力したものがテキストですね、この場合はね。
それが動画だったり画像になるかもしれないですけど、一旦テキストだけで考えてください。
そのテキストで出てきたものが違って捉えられるんですよね。
それは自分が書いたものではない。しかし自分が書いたものから構成された、AIが翻訳した日記風のものができてくるわけです。
それは自分の日記ではないんじゃないかって思いますね。
この点はどうお考えですかねっていうのが一つ投げかけたいと。
これは何度もこすってますが、自分が書きたいことを箇条書きして、それを自分が書くブログ風に書いてもらうってことをやってたんですけど、
つまらなかったわけですよ、やったら。
何が起きたかというと、その箇条書きを書くのが作業みたいになるわけです。
実はその箇条書きとかいうネタがあったら、それをどう出すか、どう表現するか、どう見せるか、どういう風に自分は感じてるんだろうかっていうのを出すところが面白いと僕は思ってるんです。
つまり日記って、日記つまんないっすっていう人はもう話が終わっちゃうんですけど、日記って面白いと思ってて、
要は自分はこんなこと感じてたなって、分かんなかったなって、捉えられなかったものとか、確かにこれあったけど何か引っかかってるなと思ったら、そうかと。
確かにこれは気になったことだなみたいなことが往々にしてですね。つまりよく起こるんですよね、そういうことが。
それが面白いわけです。改めて自分の出来事を振り返ってみる時間が面白くて、これは大変とか、仕事が実は大変って言ってたけどそうじゃなくて、ちゃんと食べてなかったとか、
その前に今後のスケジュールとか予定を詰め込んできたり、いつもは余裕があるのに詰め込まれて、誰かに言われることが多くて大変だったから大変だったと感じてて、
やってる量変わんないよなっていう。みたいなね。それこそAIを使うことになって、慣れてないことをやらされたから大変だったみたいなことにも気づくかもしれないです。
ということが起こり得るんで、日記じゃないけど、日記を書けってことじゃないですけど、振り返りはお勧めです。それは絶対お勧めします、僕は。
自分では捉えきれないんですよね、1日の出来事すら。
だからこそ断片でもいいんでメモをしておくのは大事だ。っていう意味では、この日記風アプリにメモ自体はいいんですよ。
AI日記の意義
だけど入れて、入れてですよ。入れてそれを日記風にする意義はどこまであるんだろうなっていうのが一つの大きな問いかけです。
それはまさに自分が思い起こして思い巡らして書いていくっていうことのまさに奇微と言ってますが、微妙な違い。少なくともAIが出してくる日記とは違う。
もしくはAIが翻訳してくれる今日の出来事の箇条書き部分から箇条書き成分を日記風に変換するときに失われる何かと言われがちですが、
それはまさに自分の振り返りをして頭を思い巡らし表現するという行為そのものですねが失われていると。
もしくは失うというと良くないですよね。それは日記を書いていたり振り返りできる人の意見じゃないかと。
大笠さん違いますよねってツッコミが来そうなんで答えておくと、まさにそうで日記が続かないとか文章言葉が出てこない人にとっては
それでもいいと。日記風のものが書けるからいいっていうことがあり得るんじゃないかってところまで友人と喋ったんですね。
それを引き受けて引き取ってさらに考えていくんですけど、その場合確かに自分は文章で書いたり日記で書けないけどできるわけです。
それについても僕はちょっと言えることがあると思っていて、今WebSimっていうAIでアプリが作れるということをやってますが、これですね面白いんですよ。
昨日だったらスロットマシンみたいなゲームを作ってたんですけど、完成したと思って見てたら回してたんですよ。
鳥の絵柄がアイコンで3つぐらいトントントンってね。例えばスズメだったらスズメスズメスズメだったらポイント得られる。
そんなもんですよ。それがスズメ3つ揃ったら出るよねと思ったんですけど、ちゃんとデバッグとか見てたら全然2つ揃っただけでポイントになってたり大当たりとかになってて、あれ3つじゃないですねって。
あとそもそも揃ってなくない?って。あと揃って3つ揃ってもハズレですみたいになってて。
これ何が言いたいかというと、AIでバイブコーディングという行為なんですが、プログラミングではなく自然言語日本語で指示して見た目だったり動きを作っていくんですね。
作っていくんだけどコードを見ないわけですね。現状僕の場合見てないんです。見てないとデバッグが非常に難しい。
つまり、スズメ3つ揃ったら当たりにしてよって言っても何か聞いてくれないです。もしくはそこを修正してくれない。もしくはその命令がわからないということです。
言ってることわかります?プログラミングであれコーディングであったら、そこをコードを直接、A文とかですよね。それこそif文というのがあって、その絵柄が全部一致したら、
全部スズメの絵柄だったら、1番目、1番目、3つあるんでスロットがね。1番目左側1番目のスロットをA。真ん中はB。
右側3つ目はCとしましょうね。番号だったり変数とかどういうふうに管理してるか置いておきましょう。それがスズメの絵柄だったらというif文みたいなのを書いて、それが全部一緒だったらという。
で、その特に処理をかけばいいんですね。ポイントを上げる。ポイントっていうのが変数とかで管理されていて、それをスコアアップっていうインクリメントですね。
変数を増やすような指示ができます。それはJavaScriptとかで書かれていて、それを書くというのがプログラミングが分かる人は全然今の話が分かるし、非常に基本的な動きなんですよね。
基本的な動きだからどうかはなくて、でもコーディングでプログラム知らない人は何言ってるのか分からなかったりするし、if文って知らないし、
その変数を扱えたり、スズメの絵柄という絵文字がイコールという判定ができるかどうかっていうのも結構難しいんですけどね、考えていくと。
それ絵柄何で判定してるの?コードなの?みたいな。絵文字だからユニコード文字はどうやってチェックするの?とか、そういうのってうまく言ってないんでしょうね、きっとね。
だけどそれは分からないから、日本語で支持する側としては、僕も見てないんで、絵柄が3つ一致したらポイント作れるようにしてよっていうしか言えないんですよ。
コードが分からなかったら。コードはもちろん出てますよ。だけどそれを見に行く必要性が、見に行く必要性じゃなくて、見に行っても分からない。
見に行く必然性がないってことですよね。分からないから。だから変な足、上辺というか見た目で3つ揃って当たりって出なかったらダメっていうことをデバッグって言いますが、ちゃんと意図通り動くかっていうことで確認してたら動かないですと。
すみません、ちょっと遠回りしましたが、そういうアプリで出したものっていうところで、AIでアプリで作ったものもバイブコーディングって言いますが、それはコードを見ないです。つまりコーディングの力はほぼつかない。絶対つかないと思わないですよ。
コーディング、プログラミングの力がつく可能性としては、論理的に考えるみたいな。何が動かないんだ。これはスズメンの絵柄が揃っているという判定の部分が良くないんだろうなと思う。もしくは気づく。ひきやめて論理的ですよね。
っていうふうに不具合を絞り込んでどこがまずいかを見ていくっていうところがあったとしても、そのコードの部分でここが良くないよね、ここが不具合ですよねっていうのがわからなかったら直しようがないんですよね。直してとしか言えない。うまくいくように直してみたいな。
わかります?デザインでも一緒ですね、見た目で。なんかこれ違うからいい感じにしてよって、そういうことを言ったりもしくは言われたりしたことないですか。何ですか、いい感じって。ということになってくるんですよ。つまり定義の話をずっとしてますけど、定義なんですよね。定義がわからない。もしくはどこが問題かわからない。どこがいいのかもわからない。
だからですね、バイブコーディングっていうプログラミングを日本語でやってる人がダメとか、僕も別にやってますから別にそれ自体を否定してないですよ。だけどすることでプログラミング能力が培われるかは極めて疑問ということですね。
今言ったように論理的に何か考えるってことを鍛える、鍛えるとは言わないな。何が悪いんだろうなっていう、これ当て勘って言うんですか。裸感みたいなのが身につくことはできる。だけどそれがここが悪いよねって言っても、それをプログラミングやコーディングと言われる能力というのはそこがわかる。
何かそれを作成できる。その不具合が直せる。もしくは何が構造としておかしいかがわかるという力なので、それは身につかないんですよね。ここですごく混乱してくるのが、じゃあそのコーディング能力、プログラミングの能力が今後いるかどうかみたいな話になってくるんですよね。
だけど僕はいると思います。そういう仕事をしたいな。なぜならAIに出させたものも判断できなければ意味がないし、出したものがうまくそのままいくってこともあんまりない。あったとしてもよくわかんないことを書いていたり、それを目をつぶってOKですっていう風にしてしまったらズルをするんでしょう。
確認をしないってことかな。そうすると、それはご自身がプログラマーとかコーディングをする人なら、AIに任せてしまっていいじゃないですか。
あなたご自身が、これを常に考えてほしいんですけど、僕もそうですけど、AIにやらせてすぐ出してしまったものを何もそこに手を入れずにチェックせずに、なんかいいよねってポンって出してしまったのができたら、それって極論、自分がAIを使っているだけであって、依頼主とか依頼者がAIを使えば同じ、つまり代替されるってことなんです。
伝わってますかね。だから、あんまり意味がないんです。だから、これくり回して変なことをしろってことでもないんですけど、そこはちょっと真意じゃないんですけど、そのまま使えることがOKみたいになっていくと極めて怪しい。
話を戻していくと、バイブコーディングってことでコーディング能力が身につくってことは多分ないでしょうね。だから、日本語でアプリを出すっていう力っていうのが純粋にあるのであれば、それは磨かれるかもしれないです。スピードが速い。
ただ、既存のシステムとかではなく、新しく何か作るときに効果を発揮する、効力を発揮するってことなんでしょう。
伝わっていますでしょうか。で、それはちょっと長くなりましたけど、今の日記の話戻していくと、文章を書いて振り返るっていう力がこのAI日記を通して身につくとは思えないってことなんですね。それが論拠です。
バイブコーディングの実態
話をもう一回整理しますと、その日記三日坊主であったり日記が続かない習慣ができなかったとか、今もそういうのがなかなか書けないよって文章とか書きたくないっていうか、苦手だよっていう人がいたときに、このAI日記アプリみたいなのがあって、それで書いていただきますと。
チャットでも音声でもいいです。で、日記みたいなふうなものが出来事を書いたり、呟いたりして、そうすると出てくるわけです。日記風。でもそれは、さっきのプログラミングですよね。
WebSIMじゃなくてもいいですけど、Visualとかいろいろありますが、それでプログラミングを刺したから、バイブコーティングしたから、プログラミング能力身につくかっていう話と、僕は同じだと思っていまして、何がいいんだろうな。
他にもありますよね。例えば動画ですよね。動画生成のAIを使って、空とかありますが、画像でもいいですよね。Stable Divisionとかいろいろありますが、そういうのをどんなツールを使おうが、その人が画像処理とか写真加工処理をできるわけじゃないですよね。
もしくは動画の作成スキルって全然違うわけじゃないですか。が、できるわけじゃないですよね。
くどいですけど、それはリスナーのあなたも十々承知なんじゃないかなと思っています。僕も。つまり、何かを作成するスキルと、出てくるものを手に入れるということとは別になっているわけですね。
ここで極めて分かりづらくしているのが、動画を作成するときに誰かに頼んでお金を払ってまでしたくないけど、AIで動画作成できたら楽だよね。あんまりお金かからないよね。電気代なり水とかは使っているわけじゃないですけどね。かかってるんですよね。
でもコストとしてはかかってないみたいな。であれば、それがまかり通っている状況が今あったときに、その動画を作らせるわけです。ここがポイントなんですけど、ジョブ理論と言われているようなものとか、ドリルを売るんじゃなくてドリルの穴を売るっていうのと一緒で、それなんで使っているんですかって話なんですよ。
映画を使って、動画生成AIを使いたいわけじゃないですよね。動画生成AIを使って、自社のプロモーション動画とか、よくわかんないけどキャラクターがあるからそれを使った、登場して自社商品を紹介するとか、よくわかんない物語でもいいんですけど、そういうのをやりたいから、アニメでもいいし、やりたいから使っているんですよね。成果としてアニメが得られればいいというわけじゃないですか。
僕もバイブコーディングをしたときに、アプリが一旦できて動きができてたら別に満足しちゃうんです。そこにすごい完成度を求めているわけじゃないですよね。それをもっと完成度が高い状況が変わったらまた別ですけど、極めてバイブコーディングだけだと厳しいというのがあると。
動画生成もそうだと。画像生成もそうじゃないですか。文章もそうですよねっていう話で全部変わらないわけです。それがたまたま文章作成というよりも日記だって言ってるんで、代表的なものとして日記アプリを取り上げたとも言えるわけですね。
自分が書けるのと、文章を書けるのと、日記を表現できるのと、振り返るのと、過剰書きした出来事や気持ちをAIに書かせるのは、仮にアウトプットが似てた、もしくは一緒でも全く違うわけです。ここは論点として整理したいです。
でもこれもだんだんバグってきてて、例えばAIでアイデア出しする時に何をアイデアというのかは極めて気をつけたいんですが、その時にいいわけです。AIとはやりとしてアイデアが出てきた。ではそのアイデアはあなたがアイデアを出せるんですか、それともAIが出してくれたんですか。結構答えられないと思うんです。
だからAIを使うなとか、人が全部考えろってことは言わないですよ。それは全然ないです。だけど非常にここはデリケートというか、極めて分からない部分なんですよね。極めて分かりづらいと言ってもいい。
日記が書けてない人、もしくは振り返りがあまりできていない人が、日記風なものをAIに書かせてしまうと良くないのかって話なんです。
だからそれをただエンタメというのは分かりませんが、作って楽しんでいるだけですよみたいになったらいいかもしれないです。それ自体が面白いというか。分かります?
僕もじゃあなんでバイオコーディングやってるのって言われたら結構困るんですけど、ただそれは面白いだけですというのと、それでコーディング力を身につけたいというのは思っていないです。
僕自身がちょっと説明が厄介ですけど、プログラマーとかやってたんで、じゃあそれ直してなんかやらなきゃいけないなというのがあれば、多分直していくと思います。勉強したりして。
でもそういうことは今なってない感じですか。日記もそうじゃないですか。その理屈でいくと、なんか喋ったら書いてくれるから面白いみたいになってて、それ自体が別にいいかなと。
そこで不具合が起きなかったらいきますよね。不具合として書く可能性があり得るのは、例えば1月6日なんか考えたっていうのが録画として残ってるわけじゃないですか。日記として。
AI日記の影響
それを日記だから振り返った時に、コール見た時に、こんなこと思ったんだなと言うのか、思ってないけどAIが書いたなというのか、その違いなんじゃないかなと思います。
ここにまたさらにわかりづらいのが、今は明確にAIがサポートしてとか言ってますけど、だんだんこのAIがっていうのが消えかかってると思いません。
例えばインターネットでGoogleで検索して記事を見たっていうのも、ネットで見たとか、略されるじゃないですか。
あとGoogleってこともだいぶ死後になってくるような感じがしますよね。AI検索自体が検索するとか、調べるイコールAIで調べるみたいになりつつあると。
僕はそれはどうかなと思うんですけど、一方でなっていった場合ですよ。社会的に多くの人がそうなっていった時に言葉が変わってくるので、その場合に日記を書くというのも、
さっきプログラミングとも言いましたけど、それもAIでやらせるっていうのがそういうふうに変わっていった時に、変わっていくわけですね、意味がね。
だから日記も喋って書いてもらうっていうのが、もしかしたらスタンダードになってしまうかもしれない。
僕はそれは違うかなと思っているだけですね。ここでそのリスクというか気になるところが、自分で考えを編み出して表現として出すのが、多分ここはバイアスなんだと思います。
僕はこれは認知しています。そこが面白いんじゃないの。それがどう表現するとかどう感じたかを言葉に出ないんだけど、なんかこういうのあったよなと思い出したりして、
だからこのモヤっとしているのが大事なんだなって気づくっていうことを、その感情をざざっと並べてまとめてもらうっていう風なだけですよね。
そこにですね、さらに突っ込んで、それをどうこれを言葉にした方がいい。じゃあその言葉の選択肢ですよね。
こういうそれはモヤモヤこうじゃないっていうのがいくつか定されて、じゃあ多分3番目のこれかなみたいな風にして、そういうなんていう作る日記を作るサポート。
だから言葉をいくつか入れて、出来事を入れて、感情を入れてパパッとまとめてしまうっていうのではなく、それはどういう出来事の、それはどういう言葉で表現したらいいかまで踏み込んだら違ってくると思います。
だけどあくまでもですよ、あくまでも今のそのAI日記的なものの対象者が三日坊主だと。日記を続けられない人向けっていうことになると、日記が続ければいいっていうことだけにフォーカスを当てると、日記的なものなんだけど、それは続けられることになるわけですね。
表現力の重要性
でも僕がViveコーディングみたいなのはもう1年とか、本当に土日はやってないですけど、毎日はやってますけど、Viveコーディング力がつきましたとかっていうのはあんまないんですよね。
あとプログラミング能力が見かかりましたとかもないわけです。これは僕の実感です。
あとブログに関してはAIに欠かせて、AIで日記を書かせることで自分のアウトプット力が高まりましたとかはないわけです。逆で面白くないからやめたわけです。
やらないわけですね、そういうのね。何でかわかります?自分の中での発見だったり気づきだったり、あと面白くないんですよね。
面白いかどうかってところがポイントかもしれないですね。僕と同じ面白さではないんだろうけど、面白いとその人が3日坊主で日記が続かない人がAIにまとめてもらって続くことが面白いと思えば続くと思います。
それを仮に1年続いたとしましょう。その人は確かに出来事をポツポツとつぶやいたり出来事を並べることができるんだけど、それってバイブコーディングと僕は一緒だと思っていて、
それは並べることで作れるけど、それをより良くしていく方向が一緒じゃないですか。動画生成でも一緒で、音楽生成でも一緒で、
それを自分がやりたい方向に修正していくことができるかってことになっていくと、さっき言ったバイブコーディングと一緒で鳥の絵柄を揃えて大当たりとしたいのになってなかった場合、
つまり日記で言えば、自分は大変で大変だった。でもそこまでネガティブに捉えてなかったっていうそのまさに機微、違いですよね。が、なかったらないままそのまま出ちゃうわけです。
でも感じてて、それが言葉に表現できないっていうズレってやつですね。それがプログラミングでいう不具合というか、自分が作りたいものがあるんだけど、それを支持したところで、
その支持通りにAIは作ってくれてるのかな。わかりませんね。プログラミングって命令した通りに動くから、命令した通りに作ってるんだけど人間が間違えてるっていうのがあるんだけど、
AIはそこを解釈してしまう。もしくは確率でこういうことでしょっていう風にしてるんで、ズレが簡単に生じやすい。もしくはズレが肥大化する可能性もあるっていうので、
それが起きなかったらズレが最小限だったらいいんですけどね。でもそういうもんじゃないと思いますね。ズレが最小限だったらいいっていうのもちょっとおかしな話で、
ズレをコントロールしていくっていうことが人間が主導権を握るみたいなことかなと思います。それは動画でもそうでしょう。動画ではアニメでこういうイメージでっていうのがすごくあるんだけど、
それを絵コンテで伝えればいいのか。絵コンテで伝えたらもう、明らかにこれはこのパターンから人間が見たらこういうアニメーションを撮ってほしいっていうのがわかるのに、
AIだとなんかよくわからん動きしたぞと。でもこれ絵コンテでやっても修正できないからどうすんのっていう。それこそブレンダーじゃないけど3Dのモデリングツールみたいなのが出てきて、
動かし方を指定してみたいなのを、それがまさにプログラミングですよね。自分が作成できるツールや知識、ノウハウ、考え方、スキルみたいな力でやれるかっていうところになってきますよね。
画像もそうですよね。そのフォトショップみたいなものとかはいじれなくても、ここを消してって言ったら消してくれるかもしれないけど、
消し方が雑だなぁとか、そこじゃないよなってここ消したいけど、雲のこの隙間どうやって言えばいいの?みたいなのが起きてて、
それはマウスで範囲指定してここってやって消えたらいいけど、それはまだ直感的にできるじゃないですか。プログラミングだと絵柄がこれが当たってないよねって言っても、
直してくれないみたいな。日記で言えばそういう表現じゃないんだけどなって言っても、そういう表現っていうのは何ってことになるんで、
結果的に使っている人がお気に召すものをするにはここですよ。結局自分で学ぶしかない。自分で書いてみるしかない。
自分で試行錯誤するしかないっていう風に結果的になるんじゃないかなと思ってます。だから別物として、エンタメとしてっていうのが変なんですけど、
自分自体を充足できる面白いツールとしてバイブコーディング、もしくはAI日記っていうのは僕は並べられると思います。AIが生成したものとして、
ブラックボックスだけど何か最初に入力したら出てくるっていうのでOK。それが使えるというか、その人がリスクというか責任というかわかりませんが、
自分がやりたい方向で持ってって使えるなら僕はアリだと思います。じゃあ僕が作ったバイブコーディングツールが全部使えないかって言ったら、
そんなことなくて違和感発想ツールっていうのは別にそれで作りましたし、全然それで評価というか、なんか面白い動きだしねとか、
どうやって作ったんですかって言われたりするんで、別にできるんですよ。つまり僕がやりたかったことが実現できているし、
それをコードとかも見たりしてるんですけど、ただ全部メンテナンスしてるわけじゃなくて、そういうのをプロタイプとして使うとかは全然いいと思うんですよ。
わかります?で、そういうふうにも使えるよねっていう。だけど、じゃあ日記みたいなふうに書かせた時に、そこはどういうふうかによるんですけど、
そこの表現にはあんまり関与せずに、なんか気持ちとして嬉しい方向とか悲しい方向とか、そういうのがざっくりわかってたらいいよねぐらいだったらそれでいいかもしれないです。
で、その人がかつ、自分で文章を書きたいとか、表現したいのだっていうのがなければ、それで通るかもしれないですね。
ただ一個だけ気になるのが、その表現を自分がしてないのにしたことになるみたいな違和感っていうのは僕にも残る。
だけど、さっき言った通りで、コーディング能力がバイブコーディングをして身につかないのと一緒なので、書く力を身につけたい人はそのAI日記を頼ってはいけないわけなんですよ。
頼ってはいけないというか、最初の触りで書いてもらうのはいいけど、それ違いませんっていうことを直していくっていうのがいいかもしれない。
でも、人の文章、AIの文章、人の文章でしょ、それを自分で書いていく方が多分面白いのと、なんでそのできたものを修正していかなきゃいけないんだっていう、わかんないですけどね。
修正の方が力使うんじゃないかなって思ったりしてて、っていうことは何が言えるかというと、文章を書ける人が音声で喋ってそれを修正するのは多分早いとかあると思うんですよ。
でもそれは書けるからなんですよ。何が修正したらいいかがわかるし、違いをねっていうのの細かいところがわかるからですね。
例えば音声入力で書かせて、それをAIにまとめさせて、それを違うなって言って修正していくのはありかもしれないです。
だけど、リズムとか雰囲気とかがやっぱり違うから直さなきゃいけないですよね。
だったら自分でオリジナルでリズムを作っていく方がいいし、ずっと同じじゃなくて文章って言葉は生き物だと僕は思うので、変わるんですよね、言ってることが。
要は言ってる言葉が同じでも、わかります?疲れたって言ってもそれはポジティブな疲れなのか、1年後にはネガティブな疲れかもしれないし、わかります?その違い。
AIと自己成長
だから感情に直結するようなものっていうのはやっぱりAIに委ねない方がいいんじゃないかなっていうのが一旦の僕の結論です。
だから3日坊主で日記は続かない人がそういうAI日記アプリを使ってみるっていうのは一旦ありだと思います。
一旦。だけど、Viveコーディングで話した通りに各地からは使えられないわけですよ。
絶対に。絶対にではないんだけど、さっき言ったように書いてないからね。
で、箇条書きで書くっていうところはできますよね。箇条書きで書くってところで気持ちや何かを書いて問われたら書けるっていう。
その習慣みたいな、またAI聞いてくるような、今日何があったか聞いてくるような、だったら自分で書き出すみたいなのが、
そのAI日記を使ってたら書けないけど、自分でそれとは別に書き出す日記アプリを自分で書く、
そういうことは手帳でもなくてもいいですけど、紙のもので書いていくとかね、日記をね。
とかブログで日記を書き始めるんだったら全然違ってくると思います。
でもそのまさに自分で試す行為がなければ、そのAIでのやり取りだけではやっぱり限界があるなと言いますか、
これはですね、友人とも話したんですけど、AIは便利だからAIで完結させようとか、
AIで何かやろうとさせようとしすぎると、その普段のルーティンとか、自分の普段生活での気づきとか、
自分で見て学ぶっていうのが、いわゆるおろそかになるんですよね。
要は手薄になる、要は雑になるということですね。
そうした時にAIの要素が多いと、多分なかなか良くない結果になるんじゃないかな。
そういうことも身につかないということになります。
反論としては、いやいや岡田さんはそうやってるけど、自分は三日坊主でAI日記アプリみたいなのとか使ってて、
それで日記が書けるようになりましたみたいなのがあったら、ぜひ聞きたいです。
直接やり取りしたいです。本当に。
それはですね、僕の仮説では、そのAI日記を使ってただけではダメで、そうじゃないよねと。
日記って面白いんだ、もしかして面白いかもしれないと言って、自分で試行錯誤し始めたら、それは身につきますよ。
そうじゃないバイブコーディングでバイブコーディングだけずっとやってたら、多分身につかなくて、
バイブコーディングしながら何か気づいて、何か学ぶ、改善するというのがあって、
それで何か使えたり、自分の身になっていくことがあると思います。
なのでその細かい違いなんですけど、自分で発見して気づいて試せるかってところが非常にポイントになっていくかなと思います。
これはですね、僕の中で結構不倫を落ちた話で、話しながらね。
何でかというと、AIで学習とかAIで教育って、なかなか例がないなと思ってるんですよ。
何でかっていうと、多分あんまり良くない。
要はAIをサポート役にして自分が学んだことを試すとか、
AI会話アプリとかでもいいんですけど、
それはそれで話す機会ができたらとかね、そういうものじゃないですか。
多分。だからそこはいいんですよ。
でもそれで完結させようとしては、あんまりよろしくないのかなっていうふうに思いました。
でもAI会話アプリを使い続けたら、それが面白いかどうか知らないですよ。
続く人がいて、今使っている人もいるかもしれない。
実際何度も使っているかもしれないです。
使って続いていて、面白い面白いとずっとやられたら、
多分それは英語の力がもしかしたら身につくかもしれないし、
だけど、その英語の力って何ですか?ってなるじゃないですか。
AIと学習の関係
人と英会話したいんですか?対人でね。
映画の字幕見れるんですか?とか、英語のニュース見れるんですか?みたいな。
ね、なってきません?
だからその実際に試さなきゃいけないですよね。
そういうのを得ていくんで、
やっぱりAIのみで完結させたり、
AIで学習しようという時に、やっぱりAIに持っていかれるんですよね。
AIがどう?って。
でもそこまでAIってそこに関与してくるのかな?って。
だからこれはそれこそ、前回も話しましたけど、
部分で言えば雑談とか、要は人間が学ぶ、人間が学習する、
気づく感覚の部分ですよね。
これは人間がやることであってほしいし、
そこしか生き残る道はないなと僕は思っています。
というわけで、AIの日記アプリから若干脱線したかもしれませんが、
学習する学ぶってみたいなことを考えるトピックにしていただければいいかなと思います。
自己表現と創造性
たまたま日記にしましたけど、何度も言いましたけど、プログラミングですよね。
動画生成、全部一緒です。動画の作り方、動画生成。
作り方、画像編集のソフト、画像生成AI。
あと音楽でもいいですね。クリエイティブなことじゃなくてもいいですけど、
音楽作り、音楽生成AI、SNOWとかありましたね。
そういったものも全部なんちゃら生成AIであるじゃないですか。
その時に、そのAIに何を指示しますか?
その指示したものが出てきたものに、ご自身、リスナーのあなたは満足できますか?
できるならそれで終わりですよね。基本的に。
で、それをどう使いますか?って話になりますね。
作って満足して終わるっていうのもあるし、
それを作ったものを使って満足する話もありますよね。
だけど、根本的に、じゃあ動画生成AI、音楽生成AI、画像生成AI、文章生成AI、
それで文章出てきたから、文章生成を使ったら文章力が身につきますか?っていうと、
つかないじゃないですか。画像生成能力がないし、画像編集、動画の力もつかない。
音楽も作れなくないですか。自分でね。
っていう時代になっているんですよね。
だから、その力がなくても、そのAIによしなり部分はあるし、
その指示した部分がどこまでできるかというと、
結局ですね、これも元も子も同じ言い方ですけど、
音楽理論なり、音楽を勉強していたり、音楽を作っている人は、
その音楽生成AIをかなり高度に使えるわけです。
それを勉強しているから。動画もそう。画像もそう。文章もそう。
わかります?そこでその人側のほうのリスペクトみたいな感じになっていて、
それを使える、できるからAIも使えるわけですね。
はい、もう元も子もないですけどね。だから、勉強したり学習したり、
学ばなきゃいけないよねって話なんです。だからAIはあくまでやっぱり、
使う、何のために使うんですかっていう。
だけど、AIがとかAIでっていうのがどんどんなくなっていったら消えていって、
チャットGPTをチャッピーと呼んでて、チャッピーでかーって言ってて、
いいんだけど、それでってなりますよね。
裏を取る、ソースを取る、ファクトチェックなんて言いますが、
誰が何で意図で言っているみたいな。
だからね、統計もそうですけど、アンケート調査もそうですけど、
そのアンケートを誰が取ったのって。
なんか、このアンケート結果から時間がある人が多いんだけど、
お金がないって言ってる。それ学生さんみたいだ。
学生さんを非難する意図はないですけど、偏ってないみたいだね。
そういうのがわからなくなるんですよ、そのうち。
だから、考えようっていうこととか、
自分で書いたりする力は僕はすごくいいと思いますけど、
そうじゃなくても、
だからAI日記アプリを使うなってことじゃないですよ。
それは本質じゃないですよ。AI日記アプリを使って、
じゃあ書く力をつけたいってなったら、多分力を身につけた方がいいし、
それいらないなと思ったら、いらなくて。わかります?
じゃあこういう風に自分はログとして残していくっていう仕組みを作ろうの方が、
僕は健全だと思います。だから要は、向き不向きもあるじゃないですか。
どうしても書く気になれないっていう人もいると思うし、
写真だったら残せるっていう人もいるでしょうし、写真日記みたいなね。
それ否定できないというか、別にそれはそれでいいんじゃないかなと思うんですよね。
ポイントは、こういうとこ行ったよねみたいな話とか、
もしくはこんなこと話しましたよねみたいな時に思い出せるかどうかっていうことですよね。
思い出すには、これは別にAI日記を否定しなくて、
AI日記でもそこに書く、喋るってことをしてるから、
単純に会話をテームするって僕は勝手言ってますけど、
記憶のところの門番である会話っていうのがブロックしてるんで長期記憶なかなか入らないです。
だけど何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も言うことで、
会話が誤魔化されて騙されて、
この人の言ってることがめちゃくちゃ重要なんじゃないかっていう風になってくるわけです。
だから僕は考える考える考える考える考える言ってるわけですよね。
そうじゃないものに対してはあんまり重要じゃないって判断してるわけですね。
だからある種の洗脳ではありますよね。
自分の考えたいこととか意識したいことをコントロールするには何度も言うとは大事ですし、
それが何度も書くでもいいし、何度もそれについて言い換えてみるですね。
考えるもんね。思考すると言ってもいいし、トレーニングすると言ってもいいし、
頭のパズルと言ってもいいですし、さまざまな表現ができるわけですよ。
そういう部分がリスナーのあなたご自身にもあるとするならば、
ぜひそれをやっていただきたいっていう感じですね。
まあだいぶ長くなりましたが、AI日記は日記とは違うんじゃないかっていうのがだいぶ明確になっているような気がします。
それは学習だったり気づきっていう部分が変わってくるから。
で、バイブコーディングっていう例も僕の実感とはものすごく合ってて、
バイブコーディングというものをやることでAIにコーディングさせることで、
コーディング能力やプログラミング能力はほとんど身につかないという一端の仮説があります。
身につくためには、それが出てきたコードを眺めて、自分で取り出したり変えたりするっていう、
まさにコードを修正して変えるというようなことです。
日本語で命令しないということです。
日本語で自分の頭の中で、これってこの図柄が合ってないから、
じゃあこの図柄の処理はこの辺りかなっていう分のプログラミングのソースと言いますが、
命令を見て修正したりしたら、それがつかうとついていくと思います。
それを何度も繰り返して。
じゃなかったらつかない。だからAI日記で言えば、出てきた日記を編集するということですね。
自分で修正していったら、もしかしたらつくかもしれない。
当然編集ありきじゃなくて、自分で最初から書いてみるのも大事だと思います。
プログラミングも1から自分でサンプルコードを移すとかいいし、
1から自分で組み立ててみるのも大事かなと思います。
まさに学ぶということに決着と言いますか、
決着?終着?あ、ごめんなさい。着地ですね。
最後には学ぶ話になったんじゃないかなと思います。
だから学ぶってなんだっていうことのエッセンスっていうのは、
何度も言ってると思いますし言われてますが、
能力を磨くための具体的な方法
自分でまさにやってみるということなんですね。
やってみる。で、やるんだけど、AIに指示するんだと、
AIで作るっていうことが身につく、慣れるってことなんです。
じゃなくて、AIがやったことが何なのかっていうことを考えたり、
それを自分で自ら着手してみるってことを1回でもいいんでやってみて、
それで僕は例えば動画生成、画像生成をAIに任せてやることもありますが、
動画生成はほとんどないか。画像生成とかね。
それも使って別に違和感なかったらいいけど、
違和感あるものを使うと結局それ違和感があるものを使ってますよね。
なるし、これでいいかなみたいなところになるんですよね。
で、それでですね、画像生成もプロンプトでどうにかなるみたいなのは、
全然悪いことじゃないと思います。
だけど、問題はですね、そのAIで画像生成を作る力がついたところで、
何が起こるかってことですよね。何が起きると思います?
結局それで自分が何かやりたいことが決まってなければ、
それ自体がどうか言えないですよね。
将来的に、もしくはその未来に、
例えば1ヶ月後に何かやろうとした時に、
AIでバババッと作れてできますっていうのはアリだと思います。
そういう意味でAIを使っておくってことは全然否定はしないですね。
でもそれって、そういうチャンスとか何かやりたいことがあればいいんですけど、
飛沫無人で作るっていうのもまた大変じゃないですか。
少なくとも面白がれなかったら続かないですよね。
1回AI日記書かしたり、1回バイオコーディングさせても続かなくないですか。
面白くないっていう。そこなんですよね。
だから学びもかける面白さみたいになってて、結局つまんなかったらやめますよね。
面白く学んで気づいて、あと使うですよね。
それをこうやって説明したり、こうじゃないかっていうふうにまとめたりしないと、
目にはつかないかなと。
ちょっと言い切りしてきましたけど、いかがでしたでしょうか。
ぜひですね、異論というか、
僕のね、書くってことが好きだったり、書く表現っていうのが大事にしてるんで、
やっぱり自分で書かれた方がいいかなと思います。
AIに任せない方がいいかなと思います。きっと。
だからその書くっていうのと同様に絵で書く方ですね。
ドローの方ですね。
いいとか映像で作る、ムービーというか見せ方がいい、ビジュアルですよね。
いい人はそちらをもちろんやった方がいいですよね。
ぜひ書きというか、バランスは人様々であっていいと思うんで。
例えばAIに喋りかけることで、自分の話す力を身につけたいという人がいるかもしれませんよね。
それはそれでありなんじゃないですか。
でも出したものと出てきたもので、
喋ったことと自分が想定していることのズレがあるはずだから、
そこを修正していかないければ身につかないかなと思いますね。
その力が上がっていかないですよね。
あと、これはさっきも言いましたけど、
AIだけで完結させずに、誰か別の人です。
本当に能力があったり、指導できたりするとか、
少なくとも自分よりは能力があるって思う人に、
メンターじゃないけどアドバイスもらうってことをしないと、
それは磨かれないですよね。
そんな話になりました。
気になった方はぜひ。
AI日記アプリは使わなくていいんですけど、
AIで何かさせたアウトプットって何ですかね。
それをやることで自分に何が起きているかっていうのは、
やっぱり振り返っていただくのはいいかなと思います。
だから僕はやっぱりそれで力が積みつくってことはないかなと思います。
力がある人がそれを使って時短する、いわゆるタイパーコスパですけど、
はあり得ます。
でもそれによって今度何するんですか。
文章を書ける人がAIに文章を作ってもらうことで、
より自分が文章を磨くことができるのかっていうと、
AIとのやり取りだとあんまり身につかないんですよね。
きっと。
仕事っていうのはアウトプットする方だったら、
それで質の高いものを出さなきゃいけないからそれでいいんですよね。
でもその人はさらにインプットをして学ばなきゃいけないですよね。
いろいろ。
それ何ですか。
今文章の話しましたけど、プログラミングでも一緒ですね。
AIにコーディングを任せたり、バイブコーディングっぽいことをさせた時に、
じゃあその仕様とか構造とか環境を作るみたいな、
多分ことになっていくんじゃないかと思います。
それが面白いかどうかですよね。
画像生成もそうじゃないですか。
動画生成もそうで。
AIに任せられるんだったら、
じゃあどういうものが人には受けるんだろうか。
もしくは人にはどういう物語が刺さるんだろうかとか、
どういう表現がいいんだろうかを、
その使い手がインプットしてやる。
今度は学んで、
インプットは学ぶってことですね。
学んで伝えなきゃいけないんですよね。
っていうことは結局学んだり考えたりするとか、
気づくことは手が抜きようがないですよね。
AIと学びの関係
そこを抜いてたらアウトプットも結局AIで
全部効率化されて、
創業されてって、
残るわけですね、エッセンスが。
つまり全部AIが人間が関与できないところ、
ごめんなさい。
人間が今だったら楽して効率化できる部分は
AIになっていったとしても、
最終的にそれが1割でも2割でもいいから残ったとして、
もしくは1%でもいいから残ったとして、
その1%を見る、
違いを眺める、感じる、
その1%のために人は学ぶみたいになると思います。
その時にAIが全部入っていて、
気にならない世界になっていった時に、
結局考えて学ぶということは
なくならないんじゃないかなと思いました。
ぜひAIとの付き合い方、向き合い方、
学び方などヒントにしてもらえれば幸いです。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
四国理ラジオ大橋でした。
以上失礼いたします。
58:59

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