感情の重要性
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。今回ですね、テーマとしては、まあ感情が乗る、まあポッドキャストとかですね、あと
そこからですね、若干紐づけられるかわかりませんが、飽きるって何か、あと面白いって
なんだろうね、まあAIとの比較から考えてもいいんですが、まあそのあたりですね、今回テーマとして
感情とか、面白い、人が面白いって何?
っていうね、そこですかね。そんな話をしていければいいかなと思います。 今回もどうぞよろしくお願い致します。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回ですね、テーマとしては、人間が面白いと思う感情は一体何かと。
まあこのテーマ考えれば
キリがないですし、僕も分かっている分もないというか、まあ感覚の話になってしまうし、主観ではもちろんありますが
そんなところで話をしていきたいと思います。今回ですね、あるポッドキャストですね、漫画家さんですね、原作家の人ですね。
原作って原作家の方っていらっしゃいますよね。 漫画を書いているのではなくて、漫画のストーリーを書く。
ただ、漫画のストーリーとか、原作と呼ばれているものは、例えば
小説とか漫画というのがあって、それをアニメとか映画にすることで原作というふうに
呼ばれてきてたと思うんですが、ちょっとよくわかりませんが、いつからあるのか。原作家という仕事の
細かいところは分からないんですが、最近ではそのような文業みたいな感じですよね。 漫画家さんが作画と言われて絵を書くんだけど、当然そのストーリーも理解しなきゃいけないんだけど
その手前のところでストーリー、物語を作る仕事ということで、いわゆる劇で言えば、劇曲家というかですね、物語を作る人ですよね。
音楽で言えば作曲家とか、作詞の方か、作詞で作曲みたいな。それを全部統合しているのが漫画家っていう感じですが
どんどん進化しているとかはちょっとよくわかりませんが、そんな原作家の方と漫画家の方が話されているですね、ポッドキャストを聞いてまして、面白いなと思っています。
最近ですね、紹介しておきますね、創作ホリックというですね、根本大さんと、ヨギヨモギさんという方が
全然漫画とか見たことないんですけど、たまたま見つけたってことで、概要欄にリンク貼っておくのでよかったら聞いてみてください。
で、そこの回でね、たまたま聞いて面白いなと思っていて、それの別にアンサーとかでも全くなく、全然僕の立場も全然業界も全く違いますから、自由にね話を僕はしていくんですけど
そこでですね、たぶん根本さんが言っていたのがですね、ノートブックLMの話をされていました。
最新の回、5月16日の回、第4回目かな、だと思いますが、ノートブックLMというのはですね、GoogleのGeminiとかAIのサービスの中の一つのポッドキャスト機能みたいなのがありまして
PDFだろうがURLだろうが動画だろうがを読み込んで、ノートっていう感じですね、読ませて、そうするとですね、それをまとめてポッドキャスト風に紹介してくれる。
で、男性女性という構成は変わらないのかな、その構成が何人できるとかまでちゃんとやってないんですけど、
この四国ラジオも20回分ぐらいを読み込ませて試したというのもありました。結構面白いと。
ただ面白いんだけど、一方で感情の話をされてて、なるほどなと思ったのが、流暢で聞き取りやすいしすごいんだけど、どこが本当に面白いのかがわからないと。
ような話をされてて、確かになっていう。ラジオとして聞くということですよ。
そこが要はテーマとしては人間、AIと人間の違いみたいなところで、人間らしさじゃないんだけど、そういうところの文脈での話なんで、別にノートブックLMのポッドキャスト機能がダメとかそういうことじゃなくて、
それは面白いんだけど何が違うんだろうねっていう。人は何かと。人の面白さって何かっていうね。
違いは何かってこと。AIと違いは何かっていう話をされてたんですよね。確かにそうで、僕がたまに言っていることと、あとラジオ、特に
YouTubeってちょっと違うんですけど、映像があるから。特にポッドキャストですね。この音で聞くっていうのは
音波というか、音の振動を電気信号に変えて伝えてるっていうラゲッチャーだけなんで、多分。
無機質なこと言うと。で、その時に出てくるのが、声の多分、マとかトーンとか
高低、高くなるとか、 スピードが速くなるとかね。
すごい気持ちが乗ってて興奮してるってことは、多分
肉体というか動きも活発になるから、スピードが速くなったり、あと声が大きくなったりすると。
だから多分ですよ。 なんですよね。でも
それがすごいゆっくりで、 スピードがすごーくゆっくりで
小さくなる っていうようなので
すごーく いい
番組があったんですよ。 みたいなね。ちょっと気持ち悪いかもしれないですけど。
それなくないですか? そういうキャラクターとしてね。役者さんがそうやって演じるとかったらいいですが
僕は別に役者でもなんでもないんで、自分が思ったことを感じたことを述べるというような
通常運転みたいな時に、会話をしている時に、 ボードキャストとかね。会話をしている時に、それはないなって。面白いと思ったから
かぶす気味に食い気味にやっちゃうんですよ。 ここで触って主張したい時に。ちゃうんだーっていう。
それが感情が乗るっていうことだと思うんですよね。 それが別に、ノートブックLMのボードキャスト機能では
もちろん難しいってことで、確かになっている。 同時に人が喋っている。
これも言うとね、自分のところにブームなんでカウンターが返ってくるんですが、僕は喋ってて楽しく話はしているつもりです。
楽しいっていうことを伝えているかどうかわかりませんが、少なくとも自分の中で嘘をつきたくないっていうのがあって
これは面白いですよっていうのを思ったことを話します。 つまらなかったですよというのも、つまらないという感情を乗せて話すというか
感じです。というのが伝わりますか。要は自分の感情が乗ったやつを、もちろんね
好き嫌いがあって、例えば虫があんまり好きじゃない人が虫の話されても嫌だからとかね。 そこはなるべく誰かに伝えるということで
完全にだから自分の独り言風ですが、独り言ではない。全然ないんですよね。 伝わっていれば幸いです。
なので僕が面白いと思ったことを話していくし、それは別に自分のエゴというよりも、共有したいという感覚で、遊びという感覚でやっているのは近いですよね。
その時にですね、僕がですね、ボードキャストをいろんな方とかラジオとか聞いてて、これ面白いなっていうのはまさにその人の感情が動いた瞬間とか
話がですね、その人が本当に思ったんだなというのが伝わってきた時っていう、なんか出てるんですかね。 ニューロンというか神経細胞でね、声で出てくる、出てるんじゃないかなみたいな感じがします。
なんかわかります? 例えば友達じゃないけどその人と気が合うなっていうので、なんか安心するなみたいな時って、なんかありませんか。
仲良くなれそうだとかね、初めての人とかね。 とかこのお店いいなっていうふうに思えるとか、その振る舞いとかそういうのを含めて全部。
そういうのがですね、ラジオ、ポッドキャストを聞いてて、出てるな、この人そういうの出てるなって思ったら、僕結構聞くんですよ。
逆に出てこないというか、その人らしさみたいなものとか、もしくはその人らしさ、結局その人の感情とか感覚なんですけどが出てないと
それがなんかうまく出せる人出せない人もいるから難しいんですけど表現として。 ただその情報としてこういうのが良かったですよとかこういうのがいいですよっていう
飽きと新しい経験
だけだと、それって他に便利なものとかいろいろあるわけで、それをインスタを見ればいいとか、
なんかもっと詳しいものを、それこそAIで調べさせたりとかっていう、効率とかね、効率を求めてやってったら、ポッドキャストとかラジオとか聞くのってめちゃくちゃ効率悪いじゃないですか。
だから効率が悪いんですよね。だから効率で求めて情報収集するぞみたいな、これをやるんだみたいな感じでは、そもそもラジオとかポッドキャストって向いてないんですよね。
だから何を期待して聞いているかと、なんでそれを聞いているのかというと、このラジオでも何度も言ってますが、結局アイディアって偶発性だと思ってまして、
要は自分が意図しない、企図しないものって、企図ってのが企画とか企てるってことですが、要は狙ったものじゃないものが入ってくるっていうのが、僕は面白いと思っているわけですね。
そういうのはあるんだっていう、トリビア的なね、この間前回話したような、うんち食いじゃないけど、業界が全然違うと全然違う感覚なのと、
それでも違うけど、まとめてしまえば同じようなことあるよねみたいなこととかね、なんか様々なものがあるじゃないですか。
で、それを得ようとしているわけじゃないんだけど、知らないことに触れることっていうの時に、まさにその会話とかポッドキャストで話をしているとかっていうのは、
聞きながらできたりするわけですよね。で、それはテキストを検索してたどり着くことが徐々にできるのかもしれませんが、
例えばアイディアの話っていうのを、僕は何度もしているし、発想の話もしてますし、いろいろ言っているんだけど、それはですね、現状ですよ。
何か検索して引っかかって、まあリスンとかサービスだと文字起こしサービスにもなっているから引っかかるんでしょうけど、
引っかかって、あ、この人発想の話してるからそれ聞きたいわってなるかっていうと文字から検索してね。ないでしょうね、まず。
特殊な例かなと思います、そういう意味では。そういうところがある状況で、だから効率が悪いわけですよね、情報収集としては、悪く言えばポッドキャスト。
だからこそ逆に、逆ですけど特徴として、その感情が乗ったりしてその感情に触れられる。
あ、この人はこれが面白いと思ったんだとか、それは確かに面白いよねとか、これは確かにつまんないよねとか、笑えるよねとか嬉しいよねとか悲しいよねとか、その感情を引きこもるじゃないですけど、
ドラマを見るわけじゃないんだけど、ドラマほどではないんだけど、ドラマチックにね、そんな劇ではないからいいとして、しかもただ別に、なんていうんですか、
リアルドキュメンタリーじゃないけど、そこまで取り繕わなくてもいいけど、その人々の会話っていうのは非常に僕は魅力だなと思ってたりします。
人々の会話というとちょっと研究者みたいですけど、いろんな人の会話を聞くって全然いいなって思いますし、それが人によって違う。
今回だったら漫画家さん、原作家さんということで、そういう業界ですけど、漫画業界じゃなくて、そういう人たちでもみんな一緒じゃないじゃないですか、みんなバラバラだし違うし、
個性、まさに個性があるってことですけど、アナウンサーの人でも全然個性がある。アナウンサーの人ってこうですなって決まってないですし、
企画をする企画屋さんみたいな人とか、僕もその端くれにはなると思うんですが、そういう授業をやる人とか、企業家なのかな、わかりませんが、
何かやる人っていうのは全然違うじゃないですか。考え方も話も全然違ってくる。そこがみんな違って面白いんじゃないか、持ち味じゃないかということで、
一億ポッドキャスターとはなってないし、ポッドキャスターをやる人ってそこまで全然多くないと思ってるんですけど、やり方としてどこまでやっていけるかというところはあります。
感覚とかね、そういう感情が乗っているのは聞けるっていう感じです。別に偉そうに言うわけじゃなくて聞ける感じがしますし、聞いていてもいいなって思う感じです。
自然っていうのが適切ですかね。自然な感じがしてますね。っていうのがあるな。確かにそれはAIではやりづらいし、
AIがやってても面白くないっていうところなんでしょうね。もう1個テーマというか、重ねていくと、友人と話してたんですけど飽きることないかなっていう。
今回も創作法律っていうポッドキャストでも言われてたんですが、文脈としては若干独自く感じはあるものの、別に何か世の中が悪いっていうことを言ってるわけじゃなくて、
ものすごくわかるのが、例えば僕はなるべく新しいことやったりとか興味があることをやって生きていきたいタイプなんですよね。
そういうタイプがあるのかどうかは知らないです。だから物事に慣れる、何かをやると飽きてくるわけですよね。
伝わりますか、そんな感じ。だから飽きるから、例えばじゃあこのポッドキャストも飽きるんじゃないかってことで、ポッドキャスト始めて飽きてすぐ1ヶ月で終わるっていう。
実際にそういうポッドキャストの経験もありますし、そうじゃないやつですよね。だいぶ前のポッドキャストは全然飽きずに、こんな感じでずっと喋り続けてたんで、飽きずにできるやつもあるんですよね。
つまりそれは仕事って言ったらまた違ってくるんですけど、細かい仕事の業務とか何でもいいんですけど、それは飽きませんかっていう話なんですよね。
営業の楽しさと興味
ここが難しいんですけど、じゃあ営業っていう仕事をやります。住宅で営業してセールスっていうか、家売ってますみたいな人がいたときに、
それがマンションなのか、分床マンションなのか、それとも高級マンションなのか、タワーマンションなのか、それとも分床小建てなのか、それとももうちょっと違う、病院とかオフィスとか全然違うものなのかわかりませんが、
とりあえず営業さんっていう人がいて、営業やってる方もいらっしゃると思うんですね。聞いてるかどうかわかりませんが、そういう仕事があったときに営業やってて飽きないですかっていうことなんですよね。
僕も同時に問われてると思ってるんで、例えばアイデア出したり企画したりは飽きないですかって言われて、飽きないなっていう、そのときにわかんないです。興味レベルとか興味の期待値みたいなものになってくると思うんですけど、新しいことをすると楽しいみたいなのの度合いがあるんじゃないかなと思います。
全く要は、いわゆる企画をするとか楽しいとかやれる人とか、新しいことを生み出すという人に必須な成分というか要素が多分あると思って、これはですね、身につけられるというよりも、もうなんかいろいろやってみてどうかって思うかっていうだけかなと思います。
つまり、企画をするんだけど、じゃあポッドキャストやるんだけど、ポッドキャストのそれこそまず原理を言えるのは、何を話すんですかっていうテーマを決めたりしなきゃいけない。もしくは何を話そうかなっていうことを考えなきゃいけない。もしくはその考えたテーマって面白いんだろうかとか、自分が喋ることができるんだろうかとか、
喋りたいかどうかとか、わかります?そのあたり。それがまさに企画ですよねって思います。で、やりたいですか?リスナーのあなたはどうですか?そういうのをやりたいですか?ここでですね、企画力とか企画の力とか企画をするスキルとかっていうのを一旦置いといて、やりたいかどうかが大事で、で、やるじゃないですか。
なんか1回、2回配信してみる。で、そういう時にですね、次もやらなきゃいけないんだとか、本当に心からね。このやらなきゃいけないんだっていうのは、もうやりたくないのにやるのか、予定としてあるから自分はやりたくてやってるからやろうっていう感じなのかはもう人によります。ここでもうやりたくないのに、やりたくないんですよっていう人は無理してますよね。
で、無理してるってことは楽しめてないわけですけど、その状況でやり続けられるのかって言った時に、まあ僕は無理だなって。要はその面白いとか楽しいとか発見とか学びとか気づきみたいなのがないと無理なんですよね。
で、世の中の人がその感覚で全てのことをやってるわけではないと思いますし、同時にそれも熱量というかですね、様々なことがあるので、全部全部このテンションでやってるわけじゃないんですよね。
で、ポッドキャストっていうのを一つとっても、続けられる人と続けられない人がいると思ってまして、それは何なんだろうかなときに今言ってた、じゃあ毎回シンプルにテーマを考えて話すっていうことが面白いと思うかどうかだけなんですよね。
さっきの営業の話すると、家を売って、家して売ってるんだけど、そうやって言うとつまんなそうかもしれないけど、営業やってる人から言えば、毎回いろんな人に出会えて、いろんな人が自社のとか他社のとか商品を見て、そこでいろいろあると思います。
例えばウェディング、結婚式場とはみんな幸せな顔をしているし、楽しい。ケーキ屋さんとかね、わかります?修理屋さんとか、JAF、JAFですよね、トラブルを対応するところはみんな困ってるけどそれを満足するから解決して楽しい、役に立ってるんで、ありがとう感謝されるみたいなね。
仕事のどこをやるかで違いますよね。一方でコールセンターとかでクレーム受けてばかり受けてたら嫌になりますよね。世の中すごい変なクレームをつけてくれる人ばっかりいたりするとか、行政とかの窓口業務だと変な人がずっと会話してくるとかね、悪い部分を切り取れば悪いところもあるし、良い部分を取れば良いところもあるし、
そういうようなところもあるんだけど、結局それを続けられるかというところに、僕のなりの言葉で言えば面白いポイントみたいなのがあって、それをツボみたいな面白いツボでもいいですけど、押し続けられるか。やりすぎると痛くなるから、適度にいい感じで押していけるかっていうのが非常に大きなポイントなんじゃないのかなって思ってます。
企画と面白さ
それがまさに人間、AIに対する人間の感情なのかなって感じました。だから面白いっていうことをやり続けなきゃいけないとかまでは思わないですけど、その自分ですよね。だからリスナーのあなたにもそうですし、さっき言ってた営業の人にとっても、じゃあその家を売るっていう仕事が飽きないですっていうのは何を持っていってるんですか?
言語ができるかどうかもありますが、毎回お客さんが違っていいですよとか、家を買うっていう安い買い物じゃないんだけど、そういうのを一緒になって探していくのはいいんですよとか、分かんないですよ、営業さんのやつは勝手に今推測して言ってるんですけど、何かその楽しみ、面白いポイントがあるんじゃないかなと。
その面白いポイントを満たすんだけど、でもまだまた違うのがあるよねと。僕はそれは好奇心とか面白さってことで捉えてるんですけど、そのレベルっていうと良くないんですけど、高い低いはあって、その期待値、行き地みたいなのがあって、ある程度行き地が低い。
つまりどんなことでも面白い面白いって言えるから、面白いポイントがものすごい高いものじゃなくても楽しめるっていう人もいれば、かなり高めに設定してて、たくさんそれで何かすごいことやらないと達成感得られないみたいなね、面白くできないっていう人は、それは行き地が高いってことで言ってるんですけど、今の表現としては。
様々なその人の状況があるんだよなっていうふうに考えてます。
自分と同じぐらいの面白ポイントがないと生きていけませんっていう人は、どれくらいいるかわかりませんが、ただ創作をする人とかもそうですし、何か生み出すですね。新しいものを生み出す。もしくは作るですよね。何かを新しく作る。まさに企画ってことですが。
そういうことをやっている人は、やっぱりこの感度が高い。もしくは、そういうのをやり続けないとやっぱりダメだよね。秋元康さんという方から言う言葉で言えば、予定調和をしてしまうと、それは企画とは並んで、脱予定調和ってことで、人が想定していないことをやるとか、バイアスを外したり、個体概念を壊したりする。
常識を疑うみたいなことになりますが、それが成立するのって、物語でフィクションであれば、フィクションだからっていうよりも、フィクションでも現実の展開を想定しているんだけど、そこを壊してくれるようなものっていうのがある種の面白さかもしれないし、この辺りは物語論とか創作論とか、物語の作り方みたいなところが興味がある方がいれば、そういうのを研究して、研究的に探っていくと面白いのかもしれないですね。
別に僕はそこまで付き合わせないんですけど、そういうのはありますよね。
それは新しいことやるとか企画やる人だけに求められるかって言ったら、それはそうでもないのかなと思います。
ただ、面白さ中毒というかジャンキーというか、僕もそうかもしれませんが、毎日新しいことを一回やらないと落ち着かないみたいなのって、ちょっと大丈夫なのかなっていう、自分へのつくめですよ。
誰かがそうというわけじゃなくて、大丈夫なのかなって思ったりしています。
でも、おかしいなって、奇行ってね、奇妙な行動とかね、意味で奇行ってことでいくと、僕も毎日アプリとかゲームとかよくわからないけどプロタイプで作ってますし、
毎日アイデアネタだってことで、これどうか面白いかなってこと言ってるし、毎日のように、ポッドキャストもそうですが、平日だけですけどね、
喋ってますし、友人とも在座してますし、そういう方がいいなって取り付けるというわけじゃなくて、心から思ってます。
このあたりが伝わるかどうかですね、本当に思っているかどうかっていう。
本当に思っていることって伝わるんで、このあたりがしみじみにしていただかなくても全然いいんですけど伝わるかってことですよね。
そういう自分の奇行というか、他の人から見たら、なんでそんなことやってるんだよねって思われると思うんですよね。
自分にはできませんっていうことですね、毎日何かやると。
いいんだけど、別に僕にとって奇行をしようということは全然なくて、思われてもおかしいなとか変だなって思われても、やっていくよねっていうような感覚です。
これはある種の悟りに近いですね。悟りっていうのは、自分の生き方がわかったとか、人類にとって大事なものはこれですとか、そういうような宗教的なイメージは全然なくて、
自分にとってこれは大事だよねっていうのは譲らないっていうことですね、語るとするならば。
自分にとって大事なものをどうぞどうぞって渡すって。
相手にとって大事で、例えば水が大事で、自分は喉が渇いてるけど、喉が渇いてる人に譲るって全然いいと思いますよ。
いいと思うんだけど、別に製品というか、清く貧しくあるみたいなことも全然思わないし、貧しい人に恵むべきだみたいなことも別に主張しないですし、
別にそれをやった方がいいと思いますが、そこはその人の信じるところでやっていただくとして、価値観とかですね。
自分が何を大事にしてどう生きたいかというときに、誰かの評価とか誰かがどう言うってことはあると思うんですよ。
おかつさんはこういうのがいいですよとか、もしくはそれは違うと思いますよとか、もしくはそんなことやってて意味あるんですかとかね。
自己理解と自己ケア
余計なお世話じゃないですか。別にいいんですよ、そうやって言われても。やれてもいいんだけど、余計なお世話だなと思われるし、思うと。
お互い様かもしれませんが、批判し合って削り合うみたいなことも出るわけじゃなくて、そんなギスギスしたインターネットというか世界が嫌ですから、そこは丸くいきたいと思いますが、
そういう中で、とりあえずそういう自分というものがこうしていったらいい、どうしていったらいいと分からない中でも、これは大事だなと思うものをやっぱり持っていて、
世の中的にはそういうのを生きる軸とか、その人のぶれないとか言ったりすると思うんですけど、別にそんな綺麗なものじゃないですね。土台とか軸って綺麗で汚いんですよね。
汚いですよ、怒られると思います。綺麗な軸ってのもあると思いますが、そんなに綺麗じゃないというか、ぼちぼち汚いというかですね。
なんで汚いかというと、不衛生という意味ではないんですけど、使い込んでいるという方が適切ですか。
要は使っているから汚れるもするし、洗うもするから、別に手入れされているという感じですか。適切に。手入れされた軸が大事かなという。
これは良い着地なんじゃないですか。メンテナンスということですね。自分で自分をいたわるとか大事にするというご自愛ですね。
そういうのも良いですし、ご自愛してますか。自分を自己否定とか自虐的にしすぎてね。笑いで自虐だったら良いですけど、本当に否定しちゃダメですよね。
軽いやつはいいですけど、なんで自分はダメなんだって嫌じゃないですか。そういうの好きですか。僕はあんまりそういうのないですけど。
とはいえ、自分はすごいぞとか叫んでいるのもどうかと思いますし、そういうのを伝えてはないんですが、その辺りずれてないですかね。大丈夫ですか。
そういうところもあるので、そういう中で自分はこれで良いんだというのが、もしかしたらすごい綺麗な軸とか磨かれたものという風に思うかもしれませんが、
そういうイメージよりも使い込んだ軸があって、何度も何度も考えてやってきたから別に良いんじゃないかなって思えるぐらいの程度の軸。
もしくは物差しとして自分がこういうことをやりたいのだと。新しいことをやったりとか学んでいきたいんだと。
もしくは僕であればアイディアを出すとか企画をするとか、調べるものを調べるとかね。調べていくということで、
そういうのをアウトプットするということで社会、人にお役立ちしていくのであるとアイディア語源社会なんてこと言ってますが、
それって別に理想的だし今できてないですし、けど少なくともここは確かに手応えとして、
僕と話をしたりとか何か伝わったっていうかね、行動が変わったとか、別にそれが全くないわけじゃなくて、
このポッドキャストから絶対やらなきゃいけないわけじゃないんですけど、
その自分の中のプロジェクトとか行動とかあらゆる中の、最近言ってる遊び、働く、学ぶですよね。
そういうまさに自分の生活というか行動の中を全部一体化したときに、
の中の一部でポッドキャストってあって、っていうのもあれば仕事の中で役立つといいし、
別に全然仕事関係なくてね、やってた何気ない一言が相手を勇気づけるというか励ますってこともなるし、
逆もありますよね、傷つけてしまったりその人を考え方を、考えを奪うというかね、
うまく触らなかったりとかね、失敗もありますし、そういう中で取り組んでいって、
自分の感情を大事にする
少しでも良くなっていくというか、自分がいいなと思った、面白いと思ったっていうのが、
さっきのポッドキャストの話に戻せば、自分はそういう感情とか感覚とか話とかを聞いて、
良いなと思ったものっていうのがあったら、それを縁じゃないけど、
名前忘れましたけど、縁じゃないですね。
ペイフォワードじゃないですけど、自分が得たものをその人に返すっていうようなリターン、
返法というかね、戻すんじゃなくて、送っていく感じですよね。
アイデア送りとかね、何だろうな、幸とかになってくるとちょっと怪しい感じがしますが、
ご機嫌なやつっていうのをその人に、ご機嫌な人にご機嫌なものを返していくと、別にそれはそれで全然いいんですけど、
じゃあもっとそれを広げてって、いい感じでいいよねっていう、もちろんそれいい感じでいいよねっていうのは、
いやなんかもうこのひどいことがあったんですよっていうようなこともあるから、
毎日絶対ご機嫌じゃなきゃいけないってことはないですが、不機嫌になってもいいですけど、
やっぱりですね、機嫌を良くするような取り繕いというかですね、振る舞いとか、
なんかやっていった方が結果的にはね、良い風になっていくかなっていう。
そういう風なことを少しでも伝わっていったりすると、僕は楽しいし、聞いてる人も楽しいんじゃないのかなっていう思想というか考え方の下でやっている感じです。
面白いことを追求する
話まとまるか分かりませんけど、やっぱりその人が話す感情が乗る話っていうのはやっぱり面白いし、
それは別にプロの話だからとか、伝えるのが上手いからっていうところはあんまり関係ないなーって思ってます。
ただ話せるかどうかはやっぱりあるので、最低限の話を持ってきて、こういうのはありましたよっていうのを伝えるようとする。
その時に感情が乗るみたいなのはあるんじゃないかな、いる人だってことだと思います。
楽しめるっているかどうかっていうのが如実に現れますよね。
もう一個が飽きるとか、要は何が面白いかってことですよね。
やっててすぐ慣れちゃってて飽きるからさらに違うことをやらなきゃいけない。
つまり適応してしまうということですけど、
それやってて大丈夫なのかなとか、もっと面白いとか楽しくできるんじゃないかなっていうのを全力で全部やってしまうと、
そんなにチカチカして刺激が多すぎてダメだっていう人ももちろんいると思いますし、
そこは人によりけりでコミュニケーションというか調整はしていくんですけど、
でもですね、そんなことは全部置いておいて、
じゃあ自分で本当に純粋に面白いものって何ですかとか、
これをやってて楽しいですかっていうのを嘘をついてしまうと、文字通りね。
自分をごまかすってことですけど、やってしまうともうそれで終わるってことはないんです。
即終わりっていう即死ってことはないですけど、どんどんなんか違うなとか、そうじゃないんだけどなみたいな。
まさに自分で自分の首を絞めるってやつですね。
自分がまさにこうしたいって思っていることを横に置いておいて、
違うんだと、別のことをやろうと、他のことがあるからできないんですっていうのも全然わかるんです。
わかるんですけど、林治さんですか、もうだいぶ前になりますが、
いつやるのって言われたら今でしょというわけで、今ですね、考えたほうがいいと。
デザートとかおいしいものを最後に取っておくっていう人いらっしゃるじゃないですか。
全然それを否定しないんですし、僕もどちらかというと取っておくタイプなんですけど、
でもたまにはデザートを自分が好きなものからいってみていいよねっていう。
それがまさに今考えたほうがいいとか、今面白いと思ったことやるとか、
飽きずに最後にそういうのって取っておいて考えなきゃいけないなんていうルール?習慣?わかりませんけど、
そういうのは別になくて、別にそれをやりたかったら一番手掴みで欲しいものを掴んでいくというかね。
ビュッフェとかバイキング形式のところで、自分がいきなり好きなものを食べていいじゃないですか。
それを最初はサラダを食べなきゃいけませんと、最初はご飯を食べなきゃいけませんって決まってるんですか?っていうね。
それをわかんないです。誰かが見て、それは順番としてどうなの?みたいな。
例えば僕はもう行かないですが、焼肉屋に行ってご飯を、米を頼んで肉を食べると。
その時に飲む人だと、やはり飲み会っていうのだと、ご飯っていうのは米ですよね。
お米を食べる、お茶漬けとか、締めになるわけですよね。
最初からお茶漬け食べてると怒られるみたいなね。
米を食べるなと。食べてはいけないわけじゃないんだけど、多分いろいろ食べて話したいくて、
最初に終了の合図を受けたってことで、「それはないでしょ?」って思う人が、
今はリスナーの方がどこまで飲んで食べて飲み合っているかわかりませんが、
思うからしらけるわっていう人がもしかしたらいるかもしれません。
でも別にいいじゃん、食べたいならっていう。
そこをどこまで許せるっていうとちょっと違うんですけど、
どこまでそこを見て判断して、そういう人もいるよねっていうふうにやります。
別に迷惑かけてないじゃないですかね。
僕は例えとして、別に最初にお米頼んで、肉食べてっておいしいよねっていう人の方が、僕は好きかなって思いますね。
それがちょっとめんどくさいんですけど、
自分はいいと思っているんだけど、周りの人がどう思うかがわかんないですよね。
っていうのって結構めんどくさくないですか。
そこで他の人のことも考慮して、あなたにとってどうかっていうような善人ぶるみたいなのがあると。
そういうのは僕は好きじゃない。
それ伝わっているかわかりませんけど好きじゃないです。
その時に本当に注意というか、
米は最後に食べるんだよっていう指摘してくれる人っていうのは別にいいと思うんですけど、
本当にそう思ってない人が言うのが一番僕は好きじゃないタイプです。
どういうことかというと、
その人は本当は別に自分は認めるんだけどとか、自分の意見というのがそこはなくて、
他の人がそう言っているからやってくださいみたいなルールとか雰囲気とか、
最近聞かないですけど空気を読むってやつですね。
空気としてそうなっているからやらない方がいいですよ。
もちろん様々な作法、マナー、エチケット、よくわかんないのがいっぱいあるから、
それを全部否定しているわけじゃないんですけど、否定するわけじゃないですよ全然。
その人が本当にそう思ってやっていると指摘しているのであれば、
多分そういうのが伝わってくるじゃないですか。
あなたのことを心配しているんだよみたいなやつですね。
その作法じゃないけど指摘する。
例えばポートキャストっていうのは最初はどういうものが自己紹介するもんですよとかいう人が来たらめんどくさいじゃないですか。
そんなことないですけど。
そんなことされてないですけどめんどくさって思うじゃないですか。
あなたのことを思ってねって言われてるけど、
そんなあなた初めての人で何様なんですかって、俺様ですか、ジャイアン様ですねみたいな。
そういうことになってしまうじゃないですか。
でも関係性があってそうだったらまた違ってくるんで、
関係性がまずどこまであるかっていうのは非常に大事なことってあるんですけど、
その時にその人が思ってもないのにとか、
自分のことを心配しているわけじゃないのにそれっぽく言うっていう。
正義の人みたいな人ね、いらっしゃると思うんですけど、
いやー本当にめんどくさいですよね。
そういう人たちをめんどくさい人たちを集めたらどうなるかってことをたまに考えるんですけど、
ただめんどくさい人たちが集まって組織として回らなくなるかっていうわけじゃなくて、
たぶんめんどくさい人が集まるとめんどくさいランキングみたいになっていって、
一番めんどくさくない人が調整をしていってその人がストレスを受けてまたそこから離れていくみたいな、
もうなんか謎の、それが創作に使えるかわかりませんが、
使ってください使えるとか。
めんどくさい人のバトルロワイヤルみたいな。
見てるだけで面白いですけど、ただめんどくささがわからないというかね。
となると問題なんで、何が問題なの?みたいな方もいらっしゃると思うんで、
ここが難しいところかなと思います。
それはちょっと冗談として引っ張りすぎましたけど、
そういうふうに自分の感覚ですよね。
自分が何が面白いのかっていうところが、
諸々直接否定されまくったら、確かに嫌になるかもしれませんが、
そんなもんなんじゃないかなって僕は思ってます。
要は他人から理解されないんだけど、なんか楽しそうだよねっていう方が多くないですか。
このポードキャストも楽しくやっているんですが、つもりなんですが、
楽しさが伝わっていなかったら申し訳ないです。
ただ、聞いてる方が別にポードキャストやってくださいというわけじゃなくて、
聞いてて楽しいよねっていうのが、もし1ミクロ、1ナノメートル、わかりませんが、
1マイクロメートル、わかりませんけど、そこでも伝わっているのであれば、
もう成功です。
期待値というか、僕の求めるものはそんなに高くないんです。
そうやって喋ってて、僕も気づきを得られますし、
気づいたことを気づきとしてどんどんアウトプットすることでまた固まっていくってことがあるので、
気づいた気づいたみたいな、自分のこだわりみたいなやつですよね。
自分の面白さっていうのを軽く見られるっていうのは違うなっていうことですね。
伝わります?
僕が面白いことやってるんですよっていう時に、
面白いことって言うと軽く感じるわけじゃないですか。
そういうエンタメというか明るい感じで生きてるんだねみたいなね。
そういう風に思われる方少ないと思いますが、
人間らしさの重要性
そういう風に思う人もいるじゃないですか。
エンタメとかだから軽いというか適当であるというかね。
何も真剣にやってないっていう感じですか。
本気じゃないってやつです。
でもそれはちょっと誤解で、
そのくだらないことなんだけど、
くだらないことを本気でやるっていうのは、
対象はくだらないことなんだけど、
それを本気で取り組めるっていうのは、
本気でやってるっていうのは変わらないわけですね。
だから真面目に面白いことを追求するっていう。
だから面白いことをやる人って、
かなり真面目というかですね、
真面目というとちょっと違いますけど、
性格として真面目というよりも、
その面白いことに対しては真面目にやるっていうことが、
できるかどうかっていうことなんだと思うんですよね。
だから面白いって言われた時に、
今話戻すと、
適当とか軽くやってるとかっていうわけでは全然なくて、
どうやってやったら面白くなるかとか、
どうすると楽しんでもらえるかってことを、
あまり好きじゃないんですけど、本気ってことはね。
でも本気でやるというところになると、
これはもう想像いただけるかと思うんですが、
それはそれで大変というかですね、
何でも本気でやると、
自分が本当に思ったことをやってどうかっていう。
適当にやってたら多分いいんですよ、
何も痛みがないというか。
でも本気でやるから、
ダメだったんだなってことで、
ダメだったら修正して改善していけばいいし、
うまくいく部分があればそれをやっていけばいいってことを、
本当に繰り返していくことになるじゃないですか。
このまさに本気とか感情を乗せるっていうところの、
気持ちの部分が人間らしいし、
それがやっぱり今後すごい重要で、
それ本気ですかっていう。
それはもちろん知らない人に聞いてどうとかってことはないんですが、
そこが問われるんじゃないかなと思います。
っていうのがないとちょっと立ってられないというか、
なんで、
働くとかもそうですよね。
なんでAIがやれてるのに、
それやるのって言われたときに、
難しくないですか。
えっとーみたいになって、
気持ちが乗ってくるわけでもないし、
話してて楽しいわけでもないし、
機械的に情報処理みたいに右から左に流して、
それなんでやってるの意味あるんですかっていうか、
自分の感情と納得感
ってなってきますよね絶対にね。
合理的な部分とか、
作業的な部分とか、
効率化できてしまったり、
自動化できて簡単にできてしまうようなこととか、
本当に作業、雑作業みたいなやつですよね。
誰がやってもそんな変わらんみたいなことっていうのは、
本当にAIに任せられるようになってしまっていくかな、
というときに立つっていうか、
人としてどうか、
自分はどういうふうに考えて、
こういうふうに気持ちを乗せてやってますよとか、
そのーなんていうんですか、
そう打つみたいにね、
すごいテンション上げて下げてみたいなことは、
病的ですからそういうことを言ってるんじゃなくて、
通常運転、平常運転したときに、
自分の気持ちをここは乗せなきゃいけないというときに、
乗せていけるかどうか、
もしくは譲らないっていうのは、
異向心になるとか、
固くなりとかね、
固執するっていうね、
なんかもう見えなくなるっていう意味じゃなくて、
自分の大事なことはこれで、
それを外してないかってことですね。
だから僕にとってやっぱり、
面白いとか学びになるってことは非常に大事なんですよ。
それがないと飽きる。
まさにそれが失われてたり、
学びがないなってなると、
やっぱり離脱というか、
関われなくなるってことですよね。
でもそんなもんじゃないのかなって僕は思ってます。
人によっては、
それは飽きるペースが早いとか遅いとか、
もうちょっと腰を落ち着けて何かやると見えてくるよとか、
そういうアドバイスをされる方ももしかしたらいるかもしれないですけど、
それはめちゃくちゃ分かるんです。
でも結局その人にとって、
今最適なものがこれですって言われたときに、
もしくはそれですよねってなったときに、
その人が納得してやってたら、
そこまで痛くはならないかなって思います。
多分ですね。
だから自分の納得感ってすごい大事で、
それは学んだりとか面白いっていうときにするときに、
後悔しないってことなんですけど、
もう何か人に言われてやらされてたら、
自分が興味あって、
ゲームとか好きですけど、
全然面白くないじゃないですか、やらされてたら。
でも自分がやりたいと思ってやってるからすごく面白くて、
言われてもないのに、
このポッドキャストもネタを提供してるわけじゃないですか。
聞きたくもないのに聞いてる人はいらないと思いますが、
何か面白いかなと思って聞いてくださる方がほとんどだと思うので、
その人に少しでも面白かった部分が、
1単語でもあったらね、
1語でも1フレーズでもあったら、
もうそれでテンション爆上がりというわけで、
やっていけると思います。
というわけでですね、今回そんな話で終了したいと思います。
四国理ラジオ大橋でした。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
では失礼いたします。