好奇心の本質と疑問
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回ですね、好奇心についてですね。 アイディアを出す上で好奇心というのはですね、非常に重要だと
もちろん知っているっていう。 好奇心があるからいろいろできるっていう。まあその通りなんですが、じゃあその好奇心って
分解可能かと、要はどこまで説明できるのかなというふうに考えていった時に、現状ですね、まあよくわかんないですね。
なんか感覚的なものというかですね、やってみようとか。 じゃあ好奇心を持つ人が増えたのかみたいなことを
社会に問いかけていくと。 リスナーの方もぜひ考えていただきたいんですけど、増えました?増えてますか?
でですね、正直なところネガティブに言えば何かあんまり変わってないのかなと。一方でポジティブな面で言えば変わっている面もあるよなと思いながら
ちょっとですね、その好奇心ですね。
あたり何かやっていく、試してみようということについて今回話していきたいと思います。今回もどうぞよろしくお願い致します。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回ですね、好奇心について話していこうと思います。でですね、まあ一応ですね
元ネタというかですね、ある記事を読んでまして、それはですね、エイレーキソルトスプーンですね。
もしかしたらご存知の方もいらっしゃるかもしれません。エイレーキは電気で、ソルトは塩。スプーンは普通のスプーン。
カレーとかね、何でもいいですけど食べたりするようなスプーンですね。で、そのエイレーキソルトスプーンというのはですね、塩味が増すっていう
約5割増し、要は1.5倍ですね。ということで、要は塩、塩分控えめでも塩増すのでいいよというやつですね。
でですね、これを発明というか研究していたという、一緒に研究したという、これはキリンホールディングスが出しているんですが、一緒に研究側でやってたというのが
宮下宏明さんという、吉崎さんって書いて宏明なんですが、方がいらっしゃいます。明治大学の教授ということで、この宮下さんがですね
本を出していて、その記事を日経国家MJですね。で、今日見まして、そのネタですね。
内容はもちろん日経MJは読んでいただくということで、それはいいんですが、近いリンク、日経クロストレンドで、これは一部有料だったかな、分かりませんが、参考までに出しておくので、よかったら見てもらえればいいかなと思います。
はい、リンク後で出しておきますね。はい、でですね、この宮下さんがインタビューで書いてたというか、書かれてて言ってたところだけ、一部だけ持ってくると、
要はこの本自体はですね、フロンティア思考ということで、簡単に言えば何かいろいろ試してやっていこうというような話が、いわゆる13歳向けに書かれているものです。僕も一読はしました。
でですね、そこの本の話とはちょっとずれるんですが、このインタビュー記事ですね、試せる時代だというようなことを言ってまして、ここだけ切り取ってね、どうかというのは注意していきたいんですけど、
そこでですね、気づきとして、宮下さんが言っているのは、例えばスーパーで洗剤、知らない洗剤を使ってみるとか、トマトとか試食してみたいとか全部ね、そういうことを言ってて、映画の話もしてて、昔だったら2時間座って1000円以上したと思いますが、今ね、2000円近くないですか、映画ね。
そういうところで2時間座って、もうハズレだったと。なんか面白くなかった。でもエンタメがなかったから、それを見ないとわからないと。雑誌とかぐらいしかなかったら、なかなか情報もないから選べなかったわけですよね。でも今はもうサブスクで1000円もお客にあれば、時間がもちろんいりますけど、一部だけ見たりとかできるし、選べるんじゃないですか、ということをもって失敗が許容されると。
ここで言う失敗というのはですね、もちろん失敗というのもあるんですけど、宮下さんはすごく失敗とかもポジティブに捉えているので、ほぼ失敗も成功じゃないかということぐらいのテンションでいいかなと僕は解釈しています。
環境と好奇心の関係
じゃあそれがどういうことですか、岡田さんという話になると思うんですが、要は失敗が許容される時代かというところで、要はこの好奇心、もしくはフロンティア思考、冒頭に話したような、何でもやってみようみたいなことの感覚が増していくか。
ここで最初はネガティブ、ネガな部分から行こうかなと思っていて、ネガとポジティブは両方悪いかなと。要はマイナス的な部分とプラス的な部分は両方悪いかなと。
語感としてネガティブで終わると良くないからネガティブから行くんですが、まず気になったのが、昔は2時間かけて映画見てハズレだったとかありますし、今は本でも1時間読んだけど全然何も学びにならなかったみたいなのがあったりするわけですよね。
僕がないわけじゃない。そういう時に、じゃあ今は要約するサービスがあったり、いろんなところで書評レビューがあるから、もしくはAmazonとかネットのサービスから自分に最適なものを選んでくれるとかね。
例えば、SNSで自分がフォローしている人たちで信頼できると思う人がオススメしている本があって、それをやれば間違いがないみたいな。もしかしたらあるかもしれない。
今の現在の本の撮り方とか、映画でも何でもいいですけど、そういうのを自分が時間を使ってエンタメでもいいし学びでもいいし得る時に外さないかどうかみたいな。今はいろいろあるよねっていうのがある中で、じゃあ実際には外さなくなったのかということなんですよね。
これが好奇心に寄与するかというところでいくと、マイナス的な言い方をすると本当にそうなのかというところなんですよね。一つね。実際は僕の中ではわからないんですけど、要はコスパとかタイパとかってありますけど、要は外さないようにする。
例えば本を読む、映画を見るっていう時に、それが本当に自分に合っているかっていうようなものを最初に吟味するわけですね。本当にこれいいのかな、買っていいのかな、読んでいいのかな、時間を費やしていいのかな。
もしくは費やしていいのかなっていうふうに吟味しなくても、今はサブスクで見えますから、契約して時間を、例えば冒頭の5分だけで決めるとか、早送りするとかでもいいですけど、見るじゃないですか。
やることでいろいろ試せるからいろいろ試すってなるかっていうと正直わからなくて、要は試せるからこそそれが当たり前になるわけじゃないですか。昔と今を近くすればそれは昔よりは試せるようになっているんですが、今は試せるのが当たり前になるので、今度は試せる中でどんどん順位とか条列があるわけじゃないんですけど、
じゃあ5分見ます、倍速で見ますみたいなところとか、要約しますとか、もしくはあなたのおすすめですっていう情報が今度は出回りすぎていいし、もしくはそれを試せる環境が当たり前になっているので、じゃあリスナーのあなたが映画が好きだとかわかりませんが漫画が好きだでもいいし、
読み放題サービスをつけてそれをより漁るように見るんですかっていう話なんですよね。僕の感覚では読み放題とかサブスクで見放題みたいなところがあるときにそれをたくさん見ようっていうふうにする人って別物じゃないかなっていうふうに感覚的に思っています。
これはどっちが先かっていう話になっちゃうんで、ちなみに宮下さん的にはそれどっちでもいいというか、別にやれたらいいんじゃないか、見ればいいんじゃないかって話だから、ここは全然種ではないんですが、僕としてはそこがすごく気になったのが、まずじゃあ読み放題とかそういうのがあって試しますって時に、いろいろ試したい人はすでにその時点で好奇心があるわけですよね。
だから好奇心がその環境によって増えるかというと、もちろん増えた人もいるんだけど、それはたまたま偶然みたいなもので、ほとんどはそんなに好奇心を増やす、好奇心があってどんどん試していこうというふうになっていかないんじゃないかなっていうのが僕の見方としてあります。
例えばAIを使って何かやりますって言った時に、多くの人はやらないんですよね。やらないっていうのは、好奇心がそこまでないからって言ったら終わりなんですけど、AIを試せるのに試さないから好奇心が生まれないと言ってもいいですよね。
新しいこととかに対して、何か得るぞということに対して非常に消極的であるというのがあるんじゃないのかなという話でもあります。だから環境がいくらやりたい放題ですよ、でき放題ですよ。
例えばですね、会社とかで動画とかで勉強し放題みたいなのがあって、グロービスとかもありましたっけ、学び放題みたいなのがありますよね。それがコンテンツとしていいかどうかは僕は分からないんですが、そういうのがあって、じゃあ学んで勉強できますという時にそれを開放されて、じゃあみんなやりますって言った時にほとんどの人はやらないんじゃないかなと思うんですよ。不思議ですけどね。
コンテンツとしてとか、自分が興味がないとか、そういうのを用意されても別にそこまでっていうのかなと思ったりします。難しいですよね。じゃあコーヒーとかジュースとか飲み放題だったらみんな使うかって言ったら、それはありがたいんだけど、飲みたいものとかそういうこだわりがあったりとか、別にそこに好みのものがなかったら飲まないですよね。
ということで、ようはできる環境って意外にできるようになるとは別なのかなっていう。深く考えていくとちょっとよく分からないんですけど、直感的に何か違うんじゃないかなっていうところがあったっていう話ですね。
レイさんの後はどうお考えですか。好奇心っていうのは、別に僕はもともとそういうのが好奇心って決まってて、誰でも好天的に見つけることができないとかは思ってないんですけど、とはいえっていうのがあって、好奇心持とうよって言っても持てるのかなっていう。
あとワクワクするとか楽しいとかっていう感覚もものすごい分かるんですよね。この著書も読んでてそうだよなと思うんですけど、僕は全然そう思ってるし楽しいしやっていきたいなと思うんですけど、それが本当に伝えられるのかなっていうところに結構疑問があったりします。
なので別に人が何に興味を持とうがなかろうが関係ないやっていうタイプだったら別にこんな疑問は思わないですけど、当然だからリスナーのあなたもですね、今日一日もしくは過ごした中で、もしくは明日、昨日でもいいんですけど、もしくはもっと言えば人生自体に、自分の人生もそうだし仕事でもいいし遊びでも学びでもなんでもいいんですけど、それが楽しいって思ってほしいから喋ってるし、
アイディアだとか言ってるわけなんですよね。だからこそ、もっと詰めてみていきたいなって思いました。
今度はポジティブな話ですね。ポジティブなAIプラス的な話をすると、環境があった方がいいっていうわけですよね。絶対にねって思います。
好奇心の発芽
つまりAIって触ろうと思えば触れるはずなんですよ。だけど、よくあると思うんですけど、出されて関係ないやって思ってやらないっていうか、それはわかります。
僕も別に最初のチャッジビジ3.5の初期の頃から触ってるわけでもなくて、3.5の無料版ぐらいから触ってたんですけど、別のきっかけで触り始めて、そういうのでちょっと触っていったっていうのは割とあるかなと思います。
ただ、結局周りとか友人とかが使ってたりすると、その話が出てくるから使っていくでしょうし、何かしら使っていくんだよなと思ったりします。
よくある感覚としては、別に友人とかが新しいものに興味ないとかってことはないんですが、AIでも追い続ける部分があるわけじゃないですか。新しいサービスが出てきたり。
そういう時に満足しちゃって、自分の使い方で満足しちゃって、今これを検索して出てきてそれをどうかとかね。
例えばDVDサービスが出てきて調べられますって言った時に、おー面白いねって言って、機能があるたびに盛り上がるみたいなのがあったりするんですけど、
そういうのも一旦置いておいて、自分の使い方で満足して使えるぐらいのものがあったら、もうそれで成り立っちゃうんですよね。
つまり、好奇心とか興味を開拓するっていうところに寄与するかというと、
例えばGoogle検索とか、Yahooでもなんでもいいですけど、Googleなんて呼ばれますが、そういうネット検索をすること自体が普通になったわけじゃないですか。
調べない人ももちろんいらっしゃいますけど、調べることができるしできる。
そういう時にそれがAI検索ってものに変わったら、ただ変わっただけなんで、
なんかGoogleからなんでも興味関心が増えるよとか言うのって、僕はあんまり聞いたことがなくて、
それは調べたいから調べるわけで、
例えば、しかもGoogleだけだと全然だと思っていて、図書とか本とか新聞とかいろんなものを渡っていかないといけないわけですよね。
調べるって結局ネットだけじゃなくて、自分で体を動かして行動してやるっていうこともありますから、
そういう意味ではリサーチっていう部分では、全然ネットを調べるだけではないっていうのがあるかなと思います。
AI検索っていうのもそうで、AIを調べて検索するっていうことだけだとちょっと違っていて、
AIを使って自分の考えを深めるとか、どういうものがあるかっていうのをやっていくのもいいし、また違うベクトルなんだろうなと思ったりします。
なんですけど、AIがあることで、例えば学びとか遊びが進化したらアイデアが出されたりってことはありますから、
それによって好奇心が刺激されて、じゃあこういうのをやってみようっていうふうになるっていうのはあるんじゃないのかなと思ったりしてます。
選択の重要性
これがポジティブなやつですね。だからAIであろうが、周りに先生とか人がいて、どんどんやった方がいいよっていう人の周りにいなければってことになりますけど、
いればそういう人の周りには必ず好奇心とか何でもやってみようみたいな人が増えていくから、
それは影響を与えているし、影響を与えているかもしれませんけど、そういうふうになっていくので、
そういう絶対的に環境ですよね。やってみようとか試してみようみたいな環境は必要だし、あったほうがいいなっていうことなんですよね。
だから環境というのは大事だよね。真逆のことを言っているようですが、実際には真逆で、
ネガティブな意味では、そういう環境を作ろうが刺さらないというか、人は動かないというか、好奇心がない人はないよねって話で、
もう一方でポジティブに言えば、環境があるからそれで刺激されて、好奇心というのは育てられるんじゃないかということを一旦対立させる必要はないんですが、
2つ見方があるんじゃないかなということを提示してみました。
なので別に僕がどちらかを支持して、好奇心を育てる環境が必要だ、必要じゃないということを全然主張したいわけじゃないんですけど、
両方いけるんですよねっていうことを感じました。
これらを統合というか、一つ見たときに、
例えばですけど、ペンはちょっとやりすぎたのでわかんないですけど、
喉が渇いたと、若干今喉が渇いたんですけど、後で飲み物飲みますけど、
この喉が渇いたときに何飲みます?リスナーのあなたは今何飲みます?もしくは飲んでますか?
その飲み物って何でそれを選んでます?もしくは今喉が渇いて何か飲もうというときに選べるなら、じゃあ何飲みます?
そういうときに日常生活に飲むってありますから食べる。飲むじゃなくて食べるでもいいです。
何を選ぶかということです。
ランチだったら手作りのお弁当から外食で外で食べるからお弁当を買って食べるとか、
いろんな組み合わせがあるかもしれないです。
社員食堂とかもあると思います。
お昼でもいいし、夜でもいいし、朝でも何でもいいんですけど、
じゃあ飲み物でもいいですよね。
じゃあ飲み物はコーヒーを飲みます。
でも夜遅いからもうコーヒーは飲みませんとか、寝る前だから水は控えめにしますとかっていうのを考慮したり、
朝とか昼とかで眠気が覚ますためにコーヒーを飲んでますとかね、
そういうふうに選ぶ人っていらっしゃるじゃないですか。
というか選んでると思うんですよね。
何でもいいからって言ったらそこにあるものを何でもいいから飲むみたいになりますし、
それはもう選んでるじゃないですか。
何か選択する時とか、例えば飲み物の話ですけど、
飲む時にちょっと普段やってないことをやってみようということで、
普段あんまり飲まないんだけどオレンジジュースを飲んで買ってみたらめちゃくちゃ美味しかったみたいな時に、
それで一つオレンジジュースっていう選択肢が増えたり、
オレンジジュースは美味しいのだなと。
オレンジジュースであんまり良い体験がない人で、
オレンジジュースはそんなに美味しくないかなと思ったけど美味しかったとかってあるじゃないですか。
ここが紙一重っていう言葉をね、
連呼するのは良くないんですけど、紙一重じゃないかなと思って、
要は飲むって時に今まで通りで良かった、買える必要はない時にあえてやってみるとかっていう、
そのちょっとしたずらしっていうんですか。
で、それを毎回やれとは思わないですけどね。
毎回ずらせとは思わないですけど、
例えば毎回飲み物を変えろっていうようなね、
そういうルールにするっていうのもまたちょっとやりすぎで、
ルール化すると今度はルールになるから変えなきゃいけなくなって、
変えたくないよと。
自分はこのコーヒーだけ飲んでたいんだよって時にストレスじゃないですか。
だから毎回やれとは言わないですけど、
コツとしては飲むだけじゃなくて食べるとか、
一品だけ買えるとか、
ちょっとずつずらすのが大事かなと思ってて、
好奇心のメンテナンスというか運用というか保守というか、
続けるってことが重要なんだよなって。
好奇心を続けるっていうよりも、
好奇心が飽きないっていうかね。
やることに対して毎回やらなきゃいけないと、
義務感を持たないような感覚っていうところで、
確かにゲーム的な、
宮下さんもちょうどゲームっていうのは結構書かれてたんですけど、
意外でしたけど、ゲームっぽくクエストっぽくやるといいんじゃないか。
確かにその面はあるんですよね。
だから毎回同じクエストも飽きてますよね。
だからその意味で好奇心というか何かを選択する、
今回は飲むって言ってますけど、
飲み物を選択するとか飲む時に、
ちょっとずらしてみようっていうのを、
ほんの少し入れるだけ、たまたまやってみるっていうだけで、
違ってきますよね。
で、違いました。
オレンジジュース違うものを飲んで発見があったねとか、
新しいビールとか飲んでみたけど結構いけるよねとかね。
フリーのね、
ノンアルコールビールとかありますけど、
意外にうまいよねとかね、あったりするんですが、
そういう時に、
それやりました、よかったねっていう話で、
終わるんではなくて、
よくあるじゃないですか、
それで終わるんじゃなくて、一回やって終わるんじゃなくて、
環境と好奇心
それをまた自分なりに違うところでやってみるというかね、
それこそ歩き方をちょっと変えるとかね、
運動とかストレッチの仕方を変えてみるとか、
やることとか、なすことめちゃくちゃありますよね、
文章の書き方変えてみるとか、
話し方をうなずきを多くしてみるとか、
やっていることを少し変えてみるっていうことができるし、
やるって言っても自分が主体的にやるんじゃなくて、
受け方を変えるとかね、そういうこともできますし、
いろいろいじれるんですよね、
っていうことがあると思っていて、僕は。
それを変えているので、
飽きないし、好奇心というか、
それをキープできるという、
キープしている意味ではないですけど、
それを変え続けているという感じですよね。
どこでも何でも。
で、飽きるのが早ければよりそれが早くなりますよね。
もう飽きたから違うやり方をやろうということになりますよね。
という感覚が僕にはあります。
伝わっていれば幸いです。
だから、日常生活で生きていたら、
選んでいるし、やっているんですよ。
で、それをやり続けなきゃいけないなんていうのは、
あまりなくてないです。
僕はないと思っています。
で、変えていいんだよねって話ですね。
で、変えるって言ったら、
仕事に飽きたら転職するっていうのは、
少しやりすぎというか、僕は思っていて、
何に飽きているのかというのが分からないし、
あと、変えられる部分って多分あるんですよね、きっとね。
全部仕事って塊業務を全部一緒にしていたら、
違うんですけど、
例えば通勤ですよね。
通勤の仕方を変えてみるということは、
多分できませんか。
多分できる。
多分それは転職するよりも、
多分簡単な気がします。
けど、人によるんでしょう。
基本的には簡単かなと思います。
要は人駅、通勤で出社している方だったら、
人駅前で降りて歩いてみるとか、
毎回違う駅で降りるとかもできるし、
日常生活の発見
それは疲れるから、
たまに違うところで降りてみると、
ちょっと面白い発見があるみたいなところで、
発見があるし、
それをやることで好奇心が満たされたり、
何か面白いものを発見、
見つけたら学びになりますよね。
というのが好奇心の作り方というかですね、
新しいものを得るという感覚、
新しいことをやってみる。
それが普段と違うことをやるということだけじゃなくて、
違うことや新しいことをやってみるということにも
つながっていくわけですよね。
むしろ、そうやって転職活動とか仕事に飽きていたんだけど、
その通勤のところで違う発見ができたら、
意外に満足していて、
仕事で満足させるというだけじゃなくて、
通勤とかで満足できるんじゃないかというふうに気づいて、
それで変わっていくということもあるし、
それで終わるということも満足というか、
別にそこまで不満はなかったわという。
わかります?
仕事じゃなくて、
毎日のまんねり化しているルーティンに不満だったというようなケースって
あるんじゃないかなと思います。
しかもここに乗って話して、
じゃあ通勤の仕方を変えましたということで、
それで見える景色が変わったので、
そういうやり方を誰かに伝えたり、
通勤博士じゃないけど、
通勤の仕方を研究してみるとか、
それは面白そうじゃないですか。
そういうのってくだらないなと思う人はもしかしたらいるかもしれないんだけど、
全然くだらなくなくて、
仕事と満足感
そういうのが大事だと僕は思っていますし、
仕事を送り、仕事をクリエイトというのは、
まさにそういうところから始まっていくんだという、
日常生活の見つける、
なんていうんだろう、
実践というよりちょっと固いんですけど、
日常生活にあるものから材料を見つけて、
やりますよ、DIYじゃないけどやってきますよ、
ということがまさに仕事を届けるかな、
仕事クリエイト、仕事クリエイターですね、
僕の感覚でもあるんですけど、
そんなことを感じました。
なのでネガティブに言えば、
環境があってもやる人はやるし、
やらない人はやらないよね、
もしくはやらない人はやらないよね、
環境があっても変わらないという考え方と、
ポジティブプラス的に言うと、
そういう環境があるからこそ、
知識を得て変えることができるんじゃないか、
ポジティブのほうにかけたいですね。
かけたいんだけど、
でもじゃあAIしかり、新しいものが出てきたときに、
もしくは新しくないもので今の状態があって、
それを少しでも変えられないって何だろうな、
という話なんですよね。
難しくないですか、そこの部分で。
何を持って変えます、というときに、
少なくとも手前味噌ですが、
こういうポッドキャストを聞いてもらって、
ちょっとじゃあ何か変えてみようかなって思ったら、
それはすごく嬉しくて、
そこまで思わなくても、
じゃあ次飲み物を飲むときに何か違うものにしてみるか、
違うアレンジにしてみようかでもいいですしね、
飲み方を変えるでもいいですよね、
コーヒーも熱かったらアイスにしてみるとか、
変化を加えるということになれるという感覚ですかね、
僕の感覚では。
だから一番何か試して失敗するのが怖いみたいな人っていらっしゃるじゃないですか、
それって環境がミスっているような感じがします。
つまり自分で自分を叩いてしまうのもありますよね。
自分が何か試してうまくいかなかったことを
引っ張りすぎてしまうのもある。
慣れているというか量が足りないと思うんですが、
あとは自分じゃない他人にそういうことをやると、
そんなことやらなくてもいいとかね、
それは選択がやっぱり間違っているような気がします。
というふうに僕は思います。
だから新しいことをやって、
そのやるなってことは僕は言ってないはずなんですが、
言ってたらごめんなさい。
楽しいと思いますけどね、
自分がやっていく、
良いとか悪いとかは置いておいて、
社会的にダメなやつはダメですけど、
そんなことほとんどはないんですよね、
基本的にはね。
ルールの穴とか法律の穴みたいなのがついていくと
また違ってくると思いますけど、
基本的には楽しいというかね、
面白いと思ったことをやっていくと、
期待値を下げることの重要性
自分の人生の行き地じゃないけど、
行き地ってよくないな、行き地じゃないか。
でも期待値を高めすぎていて、
行き地が高くなって、
ちょっとや外のことで感動しないとか、
ちょっとや外のことで楽しくて思えないとか、
っていうのがちょっとまずいというか、
感覚であって、
例えば本はそうじゃないですか、
映画とかもそうで、
それを見てものすごく感動して、
ものすごく得るものがないと、
満足しないっていうのは、
厳しいというか、
すごい評価が、
面倒くさいと僕は思いますけど、
物を求めてるんだな、
でもそんなのあります?
ということで、
行き地って新しいこととか、
学ぶとか遊ぶってことでは、
すごく相性が悪くて行き地が高い。
行き地が低くて、
要は行き地が低いっていうのは、
要は何でも面白いし、
箸が転がったら笑うし、
ゾロ目を見たら楽しいと思うし、
わかります?そういう感じ。
今日なんかちょっと気分いいなって思ったら、
なんかもう気分いいなって思う。
その感覚です。
いい話聞いたなっていうのも、
いい話っていうのも、
なんていうんだろうな、
今日雨降るみたいですよって言って、
傘持って行った方がいいですよって言うね、
御玄女さんとの話で聞いて、
あ、そうなんだって気づいてよくて、
折りたたみ持ってきてよかったみたいな。
そういう感じですよね。
伝わってますかね、この辺り。
そういうのに、
一個一個に行き地が低くて感動してたら、
楽しくないですか?
って僕は思ってて、
それが楽しめでないと。
っていうのは、何か、
構造上の何かがあるか、
環境とかですよね。
あと自分自身が、
さっき言った高めてるんですよね。
すごく高めてるから。
文字、ペンで今メモして書いてあるとかしてますけど、
文字書けただけで楽しいとか、
絵描いてただけで楽しいとかってあるわけで、
そういう感動みたいなものが、
要は高くなりすぎて、
簡単に心が動かなくなっているっていうのが、
あるかもしれないですね。
今話してて。やっぱりそこはあるかな。
その行き地が高ければ反応しないから、
こんなことをやったところで、
別に大したことないよねって、
自分で結論をやっちゃって、
大したことないよねぐらいだったら、
まだいいんですけど、
それでやめちゃうってことですね。
やってること。
いやそうじゃなくて、
それがスタートなんですよっていうか、
それでもちろん上手くいかなかった、
やりたくないことをやれっていうわけじゃないですよ。
ここが伝わりづらくて、
やりたくないことをやるっていうことじゃなくて、
やっていって、
何かやりたいなって思えるところまで、
いろいろやっていって、
やりたくなるまでやれっていうような、
圧をかけてないですよ。
じゃなくて、
やっていって、
これいいなって思えるようなところを、
取っていけばいいんじゃないかな。
それはすごく、
追い込んで何かやるんじゃなくて、
自然に、
面白いなーって基地が高いんじゃなくて低い方で いいなこれ面白いなこれもいいなぁいいねってやっててじゃあこれからあれかなっていう
ふうに選んでやっていく感じですね だから追い込んでこれやらなきゃいけないとかこれはルールとしてこのふうにしなきゃいけないと
いう風にするともう途端に面白くなるんで続かないです 結局そこにやっていくんです続かないですね一瞬やっても続かないので続けるやつやって
続けるやつって言うとなぜかやれることとか自分が可能なこととかってことでなんか すごい狭めるんですけどそういうことじゃなくてやって楽しいなって思えるような
ものであれば毎回ね 域地が低ければ毎回は楽しいなと
毎回箸を転がして笑えるとは思わないですけど でも本当にペンを転がして楽しいなと思ったらやるわけですね
で僕はそのプロタイプということで web シムって ai でアブとかゲームを毎日のように作ってるんですけどこれ他の
人から見たらなんかこの人おかしいんじゃないかなっていうふうに 頭おかしいっていうのはねあの危険なんで使わないですけど自分に対してですね
大丈夫かっていうふうに思われるかもしれないと思ってるんですよ 思ってるんですけど
それって全然楽しくてやってるんで余計なお世話なんですよね そのこと言われたことないですよ
ちなみにね言っとくとだけどまあそう思われてもいいなと思ってるんですよもう正直 だからだけどだけどですよ
そこで楽しいなと思ってことで続けられるし 楽しめるからそこからまた新しい何かを学んだり気づいたりするってことで
その中にすぐこれが役立つとかそういう方向のベクトルが強い物差しが強い そのそれをばっかり求めてる人は多分遊べないし学べないし
楽しめないかな 楽しめないがきついかと思います
だからなんかこう 期待値を下げていただいて
なんかこんなもんなのかなっていうふうなものを ちょっとしたことに感動するとかちょっとしたことを喜ぶか楽しむっていうことは
今回のそのですねこの何でしたっけ 好奇心ですね好奇心を磨くみたいな意味ではコツなんだろうなーってことは思いました
好奇心を引き出す選択
だけどそのちょっとしたことってさっき飲み物を選ぶ時に何選ぼうかなっていうふうにできます できないからそこで演じたり
これを面白くするにはどうしたらいいんだろうみたいな風にすごい悩むんじゃなくて 面白くする全力でその時に考えてみるってことなんですよ
だからそこが神ひとえっていうのはそれを誰で誰でもまあこの話聞いた人でもね リスナーだったらいいんですけどみんながみんな飲み物で選ぶとは思わないですよね
まあそんな話もあるよねぐらいでと流しちゃう人もいるんだ いるしそれを全然否定するわけじゃないんだけど
もしそこで好奇心ちょっと足りんなとかもっと磨いていきたいなと思っているのであれば そこで
じゃあちょっと飲み物変えてみようかなっていうのをまあ意図的に故意にやってみるってことは大事で
やってみたら変わることがありますからで変わらなかったらまた違うことで試してみ たりよくてそれを永遠にやり続ける感じがしますそれがある種
新しいこととか試すことが好きな人の属性だような気がしました だからそれをねそんなこと絶対思えんなって思えたら
やらなくていいし無理にやる人は全然ないないんですがこういう方を増やすというか 面白いなって思ったり新しいことやっていっていいんだよとか自分がやりたいことを
どんどん追求していくんだよっていう人を増やす そういう社会をまあ僕は作っていきたいので
あのその紙一重のところですねグッドや高校で粘って なんか
面白いですよね 試していくとかチャレンジしていくとか挑戦というとちょっと重たいかもしれませんが
なんかやってみようっていう風な 気にねさせてそれが錯覚でもよくてやってみたら何が良かったってあるじゃないですか
やってみたらダメだったもありますけど でもやってみたらってところに行けないってことが問題なわけじゃないですか好奇心って
だからやってみたらのところまではまあまあ言葉を選ばず今僕がごまかせますから 騙されたっていうやつですけど騙そうと思ってないですけどね
でやってみてってところまではまあ一緒に行ってであとはもう 頑張るというか任せて
お任せですけどそのやってみるところだけ最初にやってみるとこだけを 強力にね
押していくことをまあ僕の勝手にですね役割とか ミッション指名
っていうと重たいですけどまあ僕はそういうのを楽しんでやり続けていきたいなと 心からまた思いましたというわけでですねリスナーのあなたもなんかちょっと最近好奇心
とか 新しいこととか何だろうなちょっとマンネリ化してんだとか
5月病になっていたらもうそんなことでもないと思うんですが なんかちょっとなぁみたいな風なものがあったらそのやっていることを
の中で少し変えて日常の中でいっぱい判断してたりするんで でもそれ同じことでもう繰り返しませんかと
ね いつも右手で撮ってるので左で撮ってみるぐらいの感覚ですそうやって変えるだけで
あれ全然感覚ちゃうなって思うんでそれが好奇心のヒントになるかもしれません はい
新しい挑戦の重要性
ぜひやってみたらフィードバックコメントレターといただければ幸いです 今回は以上となりますよ
しごくりラジオ大菓子でしたここまでお聞きいただきましてありがとうございました以上失礼いたします