本の概要
きんじょうひでき
本日は、readline.fmです。readline.fmは、つんどくが趣味の2人が、何かの本を読んだ感想を雑談するポッドキャストです。
ハッシュタグは、ハッシュリードライン fmです。ミクシー2にもコミュニティーがあるので、感想やわいわい、よろしくお願いします。
ホスト役は、げんえいさんときんじょうです。それでは、げんえいさん、よろしくお願いします。
げんえい
よろしくお願いします。
きんじょうひでき
はい、ということで、今日もまたつんどくを切り崩していくわけですが、今日は何という本ですか。
げんえい
今回は、人を助けるとはどういうことか。本当の協力環境を作る7つの原則という本です。
きんじょうひでき
ヘルピングっていうのがあれなんですね、オリジナルのタイトル。
げんえい
そうなんですよね。
きんじょうひでき
ハウトゥオファーギブアンドリセーブヘルプ。
なので、助ける、助けを与えるっていうだけじゃなくて、申し出るとか受け取るっていうのはどういうことだろうねみたいな見合わせが現代にはありますね。
げんえい
そうですね。
実際でも本の内容的にはこの現代の方が合ってるんじゃねっていう気はやっぱりしますね。
きんじょうひでき
大体、現代の方が合ってますからね。
げんえい
そうですね。著者がつけた意図というかタイトルですからね。
きんじょうひでき
たまに真逆になってるじゃんみたいな映画とかあるので。
げんえい
ゼログラビティの話ですか。
きんじょうひでき
ゼログラビティの話と、なんだっけな、死ぬまでにしたいなんとかのことみたいな話、映画が僕結構好きなんですけど、真逆だったんだよなと思って。
げんえい
なんかあれ、現代最後、たまに映画館の最後にタイトルが出るタイプのやつとかで、え、現代全然違うじゃんみたいになると、なんかがっかりというか驚きというか、なんかこっちの方が良かったみたいな。
まあよくあるなと思いながら。
まあいいや、ちょっとその勢いよく打診してると終わらなくなる。
きんじょうひでき
今回があれですね、著者が引き続きというか、この本も江戸川栄一社員先生というところですね。
時系列的には前に取り上げてた問いかける技術の前かな、1冊前の本ですかね。
げんえい
1冊とか2冊の前の本でしたね、確か。
きんじょうひでき
だから結構近い時期に書かれてはいるものの、順番は僕らが前に取り上げた本の方が後に書かれてるっていう感じで。
役者も同じ方でしたっけ、カナイさん?
げんえい
そうですね。
きんじょうひでき
そうですよね。
げんえい
1個前の方は、官役者は同じなんですけど、多分メインで役した方がちょっと違うっていう感じですかね、前の方。
きんじょうひでき
そっかそっか、なるほど。
げんえい
でも官役者は同じで、この官役者は社員先生のところで勉強してた人だったはずなので、同じ人が日本に紹介しているっていう感じですかね。
きんじょうひでき
そう、直接の弟子って感じですよね、多分。
げんえい
そうっぽいですね。今は日本の、今はっていうかこの本が書かれた時の役者解説みたいなところで読むと、今日本では教えているというか、いうような人でしたね。
きんじょうひでき
で、僕が役者が同じですよねっていうふうにした意図としては、前回の本がケントっていう役を当てましたって言ってる部分が、この本だと控えめなっていう役をしてましたっていうようなことが、
こっちの本じゃなくて問いかける技術の官役者とガキあたりかなに書いてあって、なので結構多分この本読んでいく中でその控えめなっていう表現が出てくる、たくさん出てくると思うんですけど、前まで前回まで言ってたケントっていうのと同じニュアンスだし同じ単語みたいな気がしてますね。
ホーダンスの意味を変えましたみたいなことが起きてたわけじゃなくて、なんかより深く検討していく上で、より適切なニュアンスを出すようにしました。役の問題ですみたいな話ですね。
役者が、官役者一緒だと一貫性があっていいなっていうところですね、そのあたりは。 そうですね。で、あと時代の話か。これ何年ぐらいなんですかね。そんな最近だなぐらいにしか印象がなかった。
2009年ですね。で、原著が出たのもどうやら2009年なので、割とリアルタイムに翻訳されてるみたいですね、これは。 ホーダン え、さすが。なんか近いところで働いてたというか。働いてたじゃないか。学んでただけ。
学んでた。すごいなと思いながら、そんなスピードで出るんだと思いながら。 ホーダン 確かに。あれですかね、もしかしたら全然何も調べないで言ってますけど、そもそも原稿のレビューとかもしてましたみたいな人かもしれないので。
助ける行為の本質
きんじょうひでき
確かにありますね。 ホーダン ありますよね。なので2009年とか10年11年ぐらいの話なので、そんなに時代背景の話いらなそうな気がしてます。任天堂だけ見ますか、大丈夫ですか。
任天堂は2009年でしょ。 ホーダン 3DESかな。 WEかな。 ホーダン WEとDESか。 もうそういう時期か。WEが2006年。 ホーダン 2009年。売上高で過去最高記録。 すごい。 ホーダン すごいな。
げんえい
任天堂DSとかそれぐらいか。 2009年はあれなんですよね、自分は東京に出てきた年なので結構自分の人生の中での転換点みたいな感じはちょっとありますね。
きんじょうひでき
プログラミング始めた年かなと思ったけど違うな。 入ってたサークルがめちゃくちゃクソデカイイベントをやった年だなっていうので、超印象残ってますけど。
げんえい
ゼロ年代っていう言葉が流行ってた気がするなっていうことをちょっと思い出しましたね。 ホーダン 嘘でしょ。アズマさんとか好きな人だから。 今で言う言論の界隈の感じですね。
きんじょうひでき
全体の概要かどんな本かっていうと、日本語のタイトルも全然悪くなくて、まさに人を助けるとはどういうことかっていう話題を扱った本だなっていう感想は間違いなかったので。
その通りの本ですよっていう前提で、問いかける技術の時もそうでしたけど、江戸川社員の言う人を助けるみたいなのが教え導くとかそういう助けるっていうよりかは何か自立できるように支援してあげるっていうような
げんえい
ニュアンスの助けるとかヘルプかなっていう気がしますね。 ホーダン そうですね、この本の中で結構助けるっていう言葉もあるけども、支援するみたいな役、どちらかというとヘルプには支援するみたいな方が割り当てられてるかなって思うぐらいには支援っていう言葉がすごく出てきますよね。
きんじょうひでき
支援とかあと援助っていう言葉もよく出てきてましたね。そもそも前書きの方を見ると支援学っていう研究領域、研究領域って言っていいのかな。支援の学問。 聞かないけどきっとそういうものもあるんだろうなみたいなふうにちょっと読んでましたけど。
支援学っていうのを見るとあれですね、結構教育とかソーシャルワーカー的な感じの人たちというか、業界というかフィールドで結構出てくるのかなーっていう印象がありますね。
その辺は全然勉強したことないからわかんないんだよな。 その辺はわかんないですよね。社員が言ってるような話だからそれはそうでしょっていう感じなんですけど、例えば支援学を活用した組織開発、人材開発みたいなページが出てきたり、ページっていうか多分エロ漫画のバックナンバーなのかなこれ。
げんえい
してるので、だからHR領域と非常に関わりそう。 そうですね。
っていうのがありつつ。 なんか自分は全体的なところでちょっとやっぱ思ったのは、なんかやっぱ人を助けるとはどういうことかっていうタイトルなので。
やっぱ誰かを助ける側の視点の話がいっぱい書いてあるのかなっていうのはちょっと思ってたんですけど、どちらかというと助ける側もそうだし助けられる側、支援をする方、支援を受ける方っていう両方の視点から書かれているので、ちょっとそういう意味では日本語のタイトルから思ってたとちょっと違うかもってなることもあるかもなっていうのを思ったりしましたね。
きんじょうひでき
確かに。なんというか、対等な関係っていうのを結構意識してる感じがありますよね。なんというか、上とか下っていうんじゃなくて、役割とまで言ってないかもしれないですけど、あくまで助けられる側っていう主体と助ける側っていう主体の関わり合い関係性だよねみたいな感じがあって。
なんか助けてやってる方が偉いみたいな選ぶる感じとかは一切なく、やはり謙虚さっていうのが根底にあるなーっていう感じもして。
げんえい
そうですよね。なんかやっぱり助けてる方は偉い、助けられてる方は偉くないみたいな。人を助けることは良いことだみたいな価値観があるので、自分の中にはあの人は周りに気を配られてすごくいいなとかって思ったりするんですけど、ただ単にそういう話ではないんだなっていうところは、やっぱちょっとこれを読んだ上では抑えとかないといけないんだろうなーっていう風になりましたね。
きんじょうひでき
重大な間違いを犯しそうだなーみたいな感じがしますよね。そこを踏み違えると。
げんえい
そうなんです。多分究極的にはこう、相手は何かこう同意を求めてるとか、一緒に大変だったねって言ってほしいだけなのに、え、それってこうやったら解決するじゃんとかっていうやつになりそうだなーみたいな、いうようなことをちょっと読みながら全体的に思ったりもしました。
読書感想と考察
きんじょうひでき
なんかあれなんですよ、そこら辺と絡めて伸び太とドラえもんの関係は果たして美しいのかみたいな話がですね、あったりするんですけど、まあまあそれは、そういう脱線して始めるとヤバそうなんで。
げんえい
近所さんは全体的にちょっと読んでて、こんな風に思ったとかあります?
きんじょうひでき
全体の感想で言うと、僕は何冊か江戸川社員の本読んでるは読んでるはずで、でまあとはいえ直近で読んだのがやっぱり問いかける技術っていう前回取り上げた本ではあるので、そこと比較してみたいなところで言うと、
なんだろうな、なんかちょっと読んでてカロリーが高めな感じがしたというか、前提として問いかける技術がめっちゃわかりやすく説明しようっていう気遣いがすごい随所に最初から最後まで感じられるような読みやすい本だったなと思ってて、
それに比べるとこっちの本は結構、何て言えばいいんだろうな、わかりづらい読みづらかったっていうのともちょっと違うっちゃ違うんですけど、少し取り留めもない感じがしたというか。
実際前書き見てみると社員本人がSA風のスタイルでこの本は執筆されているみたいなことも言ってはいるので、たぶん狙い通り、意図的になんかそういうじっくり読んで味わい深くなるようなとも言えるかもしれないですけど、
ある意味好きなことを書いた感じもあるのかなっていう気がしてますね、っていうような感想かな。サーッと読んで役に立ちそうみたいな意味だったら、たぶん問いかける技術の方が好き。
なんかじっくり噛み締めながら味わいながら、自分はどうかなっていうのを改めて内省的に考えてみるんだったらこっちの方が好きかもなーみたいな気はしてます、個人的には。
そうですよね、なんか自分も読みづらいわけじゃないんだけど、なんか。 あの散々読みづらい本読んできたから全然ヘレもないんですよこんなの。
げんえい
そう、いや全然読みやすいと思うけど、問いかける技術に比べるとっていうことなんですよね本当に。あっちがなんかよくできすぎてるっていう感じがする。
整ってるんですよね、あっちの方が。 そう、でそれがなんかやっぱり研究の積み重ねの結果、言いたいことが鋭くなんていうか綺麗にまとまってるのかなーみたいなちょっと読みながら思いましたね。
きんじょうひでき
そうだからやっぱりそれと比べちゃうと、ちょっとまあ読書体力みたいなのは必要な感じはするなーっていうところですかね。
うんうん。 まあだからなんか出版執筆された順番で言うと逆にはなってますけど、なんか読む順番としてはこれで正しかったかもなーっていう気がちょっとしますね。
確かに。 社員的な世界観知った上でだったら本当になんか楽々とついていけたので。
うんうん。 なところですかね、全体的な話で言うと。
じゃあ本編の本編入っていきますか。 入っていきますか。で今回で言うと僕が手元にあるのがKindle版なので、なんか正確なページ数みたいなのがわからず。
ゲインさんは紙、ハードカバーで持ってるんですよね多分。 そうです。
げんえい
はい、だからページという概念があると。 そうですね。
きんじょうひでき
まあなので、なんか引用も届くなるべく厳重明示するようにはしたいんですけど、なんか僕が言う250ページとゲインさんの言う250ページが違うよねっていうのを収録前に話してたので、勘でやるというスタイルになりますね。
げんえい
はい、どうにか拾ってページ数は追いつこうと思います。
支援の概念の紹介
きんじょうひでき
で本文本題入っていくと、今回は急所立てプラス最後にっていうちょっと1ページぐらいある感じですかね。
うん。
げんえい
あと官役者が解説書いててここは40ページぐらいあるんですけど、面白かったですよ。多分触れないと思うけどポッドキャストに。
きんじょうひでき
ここ読むだけで結構いろんな情報知れて便利だなって思うぐらいにはいろいろまとまってますよね。
げんえい
そうなんですよ。
きんじょうひでき
社員について知りたい人はここ読んでくれみたいな感じもある。
そう、なるほど、だからこういう領域に関心を持ってこんなにずっと研究してるのかみたいなものが完全に理解したって感じになったんで。
げんえい
さすが教えを肯定した人だなと思いながら。
きんじょうひでき
そうですね。オタクに解説書かせた方が熱量があるなーっていう気がします。
うんうん。
っていうところで1章からいきますか。1章の小タイトルがまさに人を助けるとはどういうことかですね。
げんえい
そうですね。
きんじょうひでき
僕1章の書き出しから結構好きというか、おーってなったんですけど、ちょっと読み上げると、1章の第1節の見出しが役に立つ支援と役に立たない支援っていうふうに書かれて始まっていて、
本文1章目が支援とは複雑な現象だ。役に立つ支援と役に立たない支援とがある。本書はこの両者の違いを明らかにする目的で書かれているっていうふうに始まってて、
だからなんか人を、それこそさっきの人を助けてやってるんだから偉いでしょう的な世界観っていうのは間違ってて、役に立たない支援っていうのもあるよっていう、なんかちょっと釘を刺してくる感じがしましたね。
げんえい
いやもう、いきなりここでそうですね、なんか支援って複雑かなーとかって最初思うんですけど、でも確かに読んでいくと複雑だなっていう気持ちにさせられるので。
きんじょうひでき
めちゃくちゃ複雑だな、これ無理だろうって思いましたよね。無理って言うと、せっかく本読んだのにってなるんですけど、なかなか、そうか頑張らないとな、丁寧にやらないとなみたいな。
っていう書き出しで始まる1章ですけど、1章はなんか芸衣さん的にはどうですかね、こういうことが書かれてたよーとか、ここはすごい気づかされた学びがあったなーみたいな。
げんえい
そうですね、なんか公式な支援と非公式な支援っていう概念がここでの章の中で出てきて、ここで公式な支援っていうことを指しているのは、ちょっと待ってよ、どこだったっけな、さっき布線も貼ってたよね。
きんじょうひでき
32ページですよ、32ページ。
こっちだとずれてる。
公式の支援と非公式の支援っていう説もありますね。
げんえい
そうですね、支援とは協力や協調、それ以外にあらゆる利他的な行動の決まったプロセスなのがあって、私はこうしたカテゴリーを非公式の支援と呼ぶことにするっていうような話があって、
もう一個公式な支援っていうのは、医師とか弁護士とか牧師とかカウンセラーとかいうところに行って支援を得るようなものが公式な支援なので、
きんじょうひでき
社会制度の中で支援というものが整備されているものと、そうではなく普段の日常生活において協調したりとかいう部分にあるものを非公式な支援っていうふうに呼んでますね。
だからあれですよね、前回の本でも触れてた、何だ、ポリス狩りの人にすいません、ここに行きたいんですけどどう行けばいいですかって聞くのは、当然道案内の専門家にお金を払って相談してるわけじゃないので、それは非公式な支援関係っていうような感じですよね。
そうですね、またこの本でもマサチューセツ通りはどちらですかっていう例が出て マサチューセツめっちゃ出てくる、あと子供の宿題の話と
例が、サンプルが一緒なんだよな、思いながら いやでもわかりやすいからいいんですけど
げんえい
MITにいた人だからっていうことだと思うんですけど、そういうことって別に今であんまり区別して考えたことなかったなっていうふうに思ってて、ここでそういうような概念を導入してるっていうのは
この後必要になるからってことだと思うんですけど、いうふうにやっていて、そことかあんまり考えずに一緒区別してたなっていうふうに思ってましたね
きんじょうひでき
公式な関係、公式な支援だからこういうやり方でいいよねとか、非公式な支援だともっともっとこういうところ気にしなきゃいけないよねっていうような話がこの一冊通して展開されていきますね
なんかある意味、ちょっとまあもしかしたら後でまた出るかもしれないんですけど、なんか前回出てきた、今ここに必要な検討者みたいな概念とかと結構近いかなっていう気もちょっとしたというか、そういう話もそうきしながら読んでました
げんえい
なんでまあそうですね、人を助けるっていうのはなんていうか、普段そんなに考えてないなっていうことを突きつけられるって感じがすごいしましたね
きんじょうひでき
あとあれか、純公式みたいな言い方も出てましたね、上司と部下、先輩と後輩、親と子供みたいなところが純公式でしたっけ
げんえい
純公式、ここだと紙の本だと30ページに支援の次の段階は純公式のものと考えていいだろうっていう話で、家や車やコンピューターや視聴覚機器といった様々な種類の専門家に助けを求めるような場合であるっていう風に書いてますね
きんじょうひでき
だから支援とか解決自体が本職じゃないけど、それが可能な専門技能専門知識を持つ、まあ専門家、支援の専門家じゃないけど何かしらその領域の専門家みたいなやつですかね
げんえい
エンジニアなんでコピー機も直せるでしょとか、プログラマーにワードエクセルの使い方を聞いてちょっとわかんないですねって断れるダメだねと
きんじょうひでき
そうですね、ただ家に帰ってルーターの設定ぐらいはできるよみたいな
げんえい
そうそう、あとこのケーブルはどこに挿せばいいかってことはちゃんと理解してるとか、昔だと赤白黄色のケーブルどこに挿したらいいんだろうみたいなね
きんじょうひでき
我々のトラウマのビデオケーブルの話
そうですね、一章自体はそんなにページ数もないので結構そのぐらいかな、公式の支援と非公式の支援っていう分類の話とか
あと支援とは社会的プロセスであるみたいな話はあるけどこれは何かっていうと、社会的って言ってるのはあれですね、複数2人以上の人がいたときにその関係性の中でやり取りの中において発生するものだよね的なぐらいの意味合いで社会的って言ってると読んでいいと思うんですけど
だから支援を求める側と支援を申し出たりとか提出をする側っていう関係性、人間関係があってそこから支援関係っていうのが始まるよねとか
あとねさっき言った非公式の支援とかの場合特にですけど、どういうふうにその支援関係っていうのが始まっていくのか、何か手伝えることありますかっていうふうに支援する側から申し出る始まり方もあるし
ちょっとここわかんないんで教えてくれませんか手伝ってくれませんかっていう支援を受ける側からSOS出す頭もあると思うしみたいな
なんかもうすでに複雑じゃないですか人を助ける、いろいろある
げんえい
こうやって整理されて書かれたらまあ複雑だなみたいなふうに思いますねやっぱり
公式と非公式の支援
きんじょうひでき
まあでそのなんかいろいろな複雑さとか文脈コンテキストだったでしょ要素によってどうあるべき、人を助けるとかあるいは助けを受ける支援を受けるっていうのがどうあるべきかっていうのをやっていくコンテストで
そうですね はい、でじゃあ2章いきますか
2章
げんえい
経済と演劇っていうタイトルですからねもうなんでここで演劇が出てくるのみたいな気持ちになりますね
きんじょうひでき
さっきねあんなにそうタイトルがわかりやすいねって褒めたばっかりなの経済と演劇
げんえい
経済も経済でなんでっていう気持ちもなりますけどね
きんじょうひでき
まあまあでも読んでみるとなんかもう経済と演劇ってもう社会じゃんみたいな感じになりますよね
げんえい
そうですね
きんじょうひでき
すんごいざっくりとした表現で言い換えると経済っていうのは信用貯金、信頼貯金とか信用貯金とか
って言われるぐらいそのなんか人間から他人を見る時にその価値とか金銭的な費用使ったり
うん
雑用経済とかね言いますもんね
げんえい
言いますね
きんじょうひでき
ああいうところのなんか経済みたいな
うん
ウフィとかねありましたもんね
げんえい
懐かしい
きんじょうひでき
多分ここでウフィとか言っても原油さんぐらいしか笑ってない気がするんだよ
げんえい
そうだと思いますよ、そんなものを思っている人はあんまりいないんじゃないですかね
きんじょうひでき
まあまあまあまあ、我々はねウェブ2.0で生まれ育ってきたのね
で演劇っていうのはある意味その場その場において求められている
もしくは感じ取った役割をみんな演じてるよねみたいなところですね
まあそれがなんか人間関係的なものだし社会的なものだし
っていうのを土台に敷いた上でじゃあ人を助けるっていうのはどうあるべきなんだろうねっていうところにつなげていく
ショーだとは思うんですけどなんか面白かったところありますか
げんえい
面白かったところは自分はやっぱ最初に
我々は人生の早い時期に2つの文化的な原則を学ぶっていう話が最初から出ていて
でその2つっていうのがコミュニケーションっていうのは総合的なプロセスであるべきっていうことと
もう一個が文明社会におけるあらゆる関係の大部分が年少期に演じる術を身につける
台本通り役割に基づいていることだっていう話をしていて
この辺とかこの2つのルールとかって言われたらそうな気もするよな
けどなんか学んだんだっけ本当にっていうことを思いながら
そうですねなんか自然とみんなが役割を演じているっていうのって改めて考えるとすごいことだなと思いながら
誰かに教えてもらったっけとかって思いながら読んでましたね
きんじょうひでき
そうですよねなんか何か施しを受けたらちゃんとありがとうって言いなさいね的なのは多分直接的に
教えられたんだろうなっていう気もしますけど
なんかねそんな明治的に直接的に教えられた事柄以外の方が世の中多そうですもんね
ある意味空気の読み方みたいな話になると思うんですけど
げんえい
そうですねだから社会規範みたいなものを内面化するって
どうやったらそれができるんだろうって逆に思っちゃうけど
自然と自然とやってるんだよなーって言われてもうなるほどみたいな動きがそっちになりながら
思いながらも逆に本当にそうなんだっけってことをちょっと思いながら教えてもらった実感がないんだよね
きんじょうひでき
なんかねでもこの本の中でも台本通りの役割的な下りの次の文かな
その役割はあまりにも本能的であるため意識すらしない場合が多いっていうようなことも書かれていて
多分その教育の段階とかはある意味の文化社会の中に身を置いている中で身につけたもの
肯定的に身につけたものではあるんだろうなという気はしますけど
本当に自然にやってるというか意識すらしてないよねみたいなものとして演劇なし役割を演じるっていうのがあるねっていう話ですかね
げんえい
じゃあなんでこんな突然社員は演劇とか言い出したのかっていうと
ゴフマンっていう社会学者が演劇っていう話をしているので
そこに引っ張られてわざわざ演劇っていう言葉を使っているの
演劇演技演劇っていう言葉を使ってるのかなっていうのをちょっと思ったりもして
話をただ単に難しくしている可能性はあるなっていうのをちょっとうがった見方ですけど
なんか思ったりもしました
きんじょうひでき
演劇っていうと台本っていうのがあるよねとか
台本とまで言わなくても要するに同じ舞台の上で何かしらのルールの中で
共に演じてるよね的な雰囲気もちょっと個人的には感じてて
でそのプロトコルとかルールとかマナーとかっていうのを逸脱して
破った時にルール違反をした時に相手にすごい恥をかかせるとか
信頼を損なうとか恋とはもう話したくねえみたいな
憤慨させるとかっていうのがあり得るっていう話や
いかに健全な支援関係を結ぶかっていうところに繋がってくるかなっていう気も
げんえい
ちょっとしますよね
演劇と人間関係
きんじょうひでき
そこに結びつけたいんだろうなみたいな
げんえい
演劇っていうと全部シナリオが決まっていてってイメージになっちゃうけど
エチュードみたいな大枠だけ決まっててあとはじゃあアドリブでやってみましょうみたいな
感じの演劇に多分近いんだろうなみたいなそんな気はしますね
きんじょうひでき
なんかそんな雰囲気ありますね
でも第二章も意外とそんなところか
げんえい
そうですね
きんじょうひでき
問題の二つの要素
げんえい
結局我々がそのなんでうまく支援できるのかみたいなところっていうのは
割と幼い頃からそういう学習をして社会規範みたいなものを内面化し
信頼だったりとか相手を助けるもしくは助けてもらうっていうことがどういうことなのかっていうのが
身についてるからですよっていう
きんじょうひでき
そういうことが社会なのであるというそんな感じの章かなみたいな思いましたね
あれなんですよねさっきの公式とか非公式のみたいなところで言うと
その公式な支援って要するにもう役割が完全に明示されてるじゃないですか
だから結構本の表現そのまま使うと
何よりも無難なアプローチは最も公式的なものである場合が多くっていうようなことが書いてますね
要するに自分の役割肩書き何を演じるべきかっていうのがもう明確に答えがあるみたいな
うわそっか親密さとかの話も親密さとか信頼みたいな話もこの章の中で出てきて
それによって支援の形変わってくるよねっていうような結構身も蓋もない言い方にはなりますけど
げんえい
ある種そういう前提があるよねっていうような話でもあったりするんで
ちゃんと前提を抑えておきましょうぐらいな感じなのかな
ここでわざわざ名言してるっていうのはこういうものの前提があって
そういう前提の積み上げた上に支援するってことがあるよねっていう話をしてるってことなのかな
あんまり別にそれしなくたってみんなわかってるよねっていう気もするんですけどね
きんじょうひでき
でもこの章のまとめのところとか見てみると
この全体の前提として支援人を助けるってすごい複雑なことだよねっていう話をしてて
さっき言った公式の支援関係っていうのが一番無難というか当たり障りがないというか
リスクが低いっていう一方でこの第二章のまとめとかに書いてあるのは
社会がうまく機能し秩序が維持されるには非公式な相互の支援が必要だっていうようなことが書いてあって
だから非公式な支援っていうのが絶対にいい社会もしくは社会で暮らす人間としては絶対に欠かせないけど
なんかめっちゃむずいよね複雑だよねみたいな
公式と非公式の支援
きんじょうひでき
だからこそわざわざこんな本を書いてるんだよみたいな感じがあります
げんえい
そうですよねなんか道聞くにもちょっと専門家に聞かないといけないんでみたいな
いう状況になったらめちゃくちゃ辛いですよね
きんじょうひでき
そうですね
げんえい
なんか物を右から左に動かしたいんだけど一人だと持ち上げられないから
手伝ってほしいって言った時に物を持ち運ぶ専門家に電話して
じゃあこれをちょっと数メートル先まで持って行ってくださいみたいな
一緒に協力してくださいとかいうことになってると社会は成り立たないんで
けど
じゃあどうやって我々は周りの人に頼んでいるのかとか
頼まれているのか頼まれて心よくそれを受け入れているのか
とかいうことっていうのは意外と自明じゃないというか
きんじょうひでき
ちょっと頭痛いから頭痛止め持ってないって言われたら
ごめんなさい私薬剤師の便所持ってなくてみたいな話だとね成り立たなそう
げんえい
まあでも社会学とか多分そういう自明というか
こうやって成り立っているのはわかってるんだけどなんでそう成り立っているんだっけ
っていうことをどうやって記述するかみたいないう学問でもあるような気もするので
そうなるとやっぱり結局社会学の方から知見を借りてきてみたいな感じにもなるのは納得だなみたいな気持ちになりましたね
きんじょうひでき
第二章そんな感じですか
げんえい
そんな感じですかね
きんじょうひでき
次の章では公式の支援を求められた時に現れる特殊な状況を探ろう
そしてこうした要求から生まれる支援者にもクライアントにも関係する罠について考えたい
っていう風に締めくくられているのでじゃあ第三章の罠の話いきますか
章タイトルが成功する支援関係とは