1. Ray Wow FM
  2. #315 働く意味を問い直す
2021-08-15 13:03

#315 働く意味を問い直す

ゆめみの存在意義として、会社活動を通じて、働く意味を変えていく事があるのですが、改めて働く意味について考えてみました。
00:01
みなさんこんにちは、Rayです。Ray Wow FMの時間がやってまいりました。
ゆめみのパーパス、存在意義についてなんですけども、
会社や働くということの意味を変えていって、社会の歪みをなくしていくっていうのを定義はしているんですけども、
特に、働く意味っていうところをどう捉えるかなんですけれども、
これを問い直していきたいな、問い直すこと自体が、ゆめみが存在する意義なのではないかなというふうに思っています。
と言いますのも、やっぱり働くっていうものが、例えば労働であって、
その労働から解放される休日っていうのがあるっていう考え方って、どこかにあるのかなというふうに思っているんですけども、
一方で、例えば最近だとフリーランスとか個人事業主っていう中で、
自分が得意な分野であったり、
本当にやりたいことに絞って、いろんな会社と契約して、
自分の生活の仕方に合わせて働くっていうことができると、
本当に、ある意味、いろんな不条理とか不合理とか、
組織のもの、そういったものから解放されるのかなと思っていて、
そうすると、別に仕事っていうものが労働では、苦しい労働ではなくなるのかなっていうふうに思っています。
本当の本当の昔、古代ギリシャの時代とかは、労働っていうものがですね、
例えばモデルさんとか、
奴隷が行うようなものであって、
仕事っていうものは、そういう罰であったりとか、
そういうものとして捉えられたっていうところから、
その仕事を通じて、ある意味ですね、
神への赦しをもらうとかっていうところから発展していって、
さらに、宗教改革以降は、
仕事というものはですね、
ある意味、ボケーションっていうように、
その、
天から授かったものでありですね、
天職としてですね、捉えてやっていくことによってですね、
救われていくんだみたいな、
そこで努力していくんだっていうところから、
さらに、能力主義メリット暮らしっていう中でですね、
産業革命からどんどんどんどん、
能力を発揮して、
労働ではなくて、仕事を通じて、
成功していくっていうところが素晴らしいっていう形で、
資本主義の始まりになっていくんですけども、
最近、その中でいろんな歪みがあって、
社畜みたいな形であったり、
ブラック企業であったりとか、
格差の問題っていうのが出てきていると思うんですけども、
今後、ベーシックインカムがどう普及するかどうかは別として、
やはり、たとえ、
ベーシックインカムが普及したとしても、
やっぱり働くことを通じて、
社会に参画したり、社会に貢献したり、
自分が何よりも学んで、
そして成長していく、
できなかったことができるようになっていくっていうのは、
やはりとても働くっていうことはすごくですね、
本来楽しいものであり、
03:00
学んだ結果成長するっていうのは、
ある意味、子供が学校で、
学校という場を利用して学ぶっていうのが仕事であり、
その結果として成長するっていうのがあると思うんですけども、
これは会社に入っても、
僕は同じことなんじゃないかなっていうふうに思っていて、
学ぶというのが仕事であり、
成長する、できなかったことができるようになる、
それが結果でありですね、
それが仕事なんじゃないかなっていうふうに思うと、
夢中になるものっていうものでも、
どんどん学んでいって、
成長していくっていうこと自体、
働きとして捉えると、
それは本当に楽しいものなんじゃないかなっていうふうに思っているんですよね。
会社っていうものが、
なぜそれをそうしにくくさせているかっていうのが、
やはり会社における、
その階層的な部分であったり、
役割、
会社における役割っていうもの、
ある意味仮面みたいなものをかぶってですね、
仕事をするっていうところが、
やはり大きな歪みを生んでいるのかなっていうふうに思っていて、
まあ、
ある意味ですね、
自分の本当の自分っていうのを出せずにですね、
役割っていうものや、
仮面っていうところをかぶっていったりすることによって、
自分らしさが失われたりとか、
そこが辛いっていう状況になると思いますし、
そこからですね、
心理学的には、
仮面をかぶることによって、
本当の自分が抑圧されてしまって、
シャドウというものがですね、
起きてしまうんですけども、
シャドウに関しては、
過去の放送でもいろいろと話はしているんですけども、
そういった部分の仮面っていうのをなくして、
ありのままの自分っていうのを出して、
それを受け入れられる、
そういった部分っていうのが、
ティール組織においては、
ホールネスっていうふうに呼ばれるように、
まあ、
自分の全部入りですね、
自分の全部を出して、
それを全部受け入れられて、
それが会社によって役立つっていうのは、
そういう方向性っていうのは、
まあ、
ある意味、
今後の会社の在り方として、
必要なんじゃないかなっていうふうに思ってますし、
まあ、
意味の場合、
管理職っていうのはいないんですけども、
管理職、
つまり、
マネジメントの役割っていうのを、
しっかりと明文化して、
定義して、
分担して、
やっていくっていうことによってですね、
ある意味、
こう、
管理職っていう人を、
スケープごとにして、
その人に、
責任を集中させて、
多席的な、
その、
階層構造っていうのを、
対立構造っていうのを、
生むようなことっていうのはですね、
なくですね、
むしろですね、
まあ、
小学校のようにですね、
クラスがあって、
クラスを運営するのに、
いろんな委員会があると思うんですね、
学級委員会、
まとめ役をはじめとして、
私育委員会、
理科委員会、
給食当番、
掃除当番、
いろんな当番を、
みんなが受け持って、
やっていくっていうことによって、
えー、
組織が成り立っていて、
まあ、
先生っていうのは、
それをですね、
ファシリテーションしていくような、
サポートしていくような、
コーチの役割だと思うんですよね、
そういう考えで、
その、
会社における、
管理職の役割っていうのを、
改めて、
再定義していくと、
まあ、
本当にですね、
まあ、
みんながみんなで、
その、
組織づくり、
クラスづくりを、
まあ、
小学校の現代研からしても、
まあ、
なんだか、
やってるうちに、
その、
いろんな人とですね、
えー、
当番の中で、
いろんな人とこう、
えー、
まあ、
接してたり、
そこから学んでいくっていう意味でですね、
本当に、
これもまた学びでありですね、
06:00
人と協調してやっていくっていう、
そういう成長につながっていくと思うんですよね、
まあ、
そう考えたときに、
別にその、
なんか、
今までの会社のあり方っていうものを、
ちゃんと再定義、
再設計することによって、
働くっていうことが、
学びであり、
その結果としての成長っていうものは、
本当に素晴らしいものだと思っていますし、
楽しいことでしかないな、
っていうふうに思っているんですよね、
で、
そういうまあ、
考え方を、
持っていくっていうことが、
大事であるとともに、
必ずしも働くっていうものが、
別にこう、
仕事を通じてやるものだけではなくて、
実は、
例えば、
えー、
働くっていうものをですね、
その、
家族に対して、
家族との生活っていうところも、
家族へのこう、
働く、
ワークであり、
えー、
社会に対しての、
貢献、
ボランティアとか、
社会的な活動っていうものも、
社会に対して働くっていうものであり、
あるいはもう、
自分の趣味とか、
っていうものもですね、
自分に対して貢献、
働くっていう意味ではですね、
全てが、
ワークであり、
働くっていうふうに、
捉えるとですね、
まあ、
いろ、
いろんな意味で、
可能性が広がっていくんですよね、
実際にこういう考え方を、
その意味で、
ワークフルライフと呼んでいて、
まあ、
特にですね、
別にこう、
働くっていうのは、
ないっていうふうに捉えていくことによって、
例えば、
育児を通じて、
例えば、
夫婦における役割分担をしていく、
であったりとか、
例えば、
母親、
えっと、
母親の方が、
旦那さんにも、
こう、
育児を分担していくっていう中で、
その、
例えば、
ある意味、
こう、
交渉的な、
その、
お互いの、
交渉を通じてですね、
その、
役割分担をしていくっていう中にも、
なってきてますけども、
そういうことをですね、
なかなか言いづらい、
主張しづらい人も、
そういうことを学んでいく、
きっかけにもなりますし、
育児を通じて、
成人発達理論であったりとか、
幼児教育であったりとか、
いろんなですね、
ことを学ぶきっかけにも、
なりますし、
まあ、
自分を見つめるきっかけにも、
なりますし、
まあ、
心理学的には、
シャドウの、
自分のシャドウを理解していくことにも、
なっていくので、
まあ、
本当にすごい学びがある、
と思ってるんですよね。
だとすると、
例えば、
例えば、
こう、
育児で休業して、
育児を行うとしても、
つながるっていう意味では、
そこでの、
こう、
育児、
育児を行うこと自体が、
仕事にも、
こう、
つながっていくんですよね。
だとすると、
それを切り分ける必要がなくて、
やっぱり、
一挙両得じゃないですけれども、
両方の学びにつながるような、
そういう成長っていうのを、
考えていくと、
まあ、
本当にこう、
常に楽しいはず、
ではあるんですよね。
育児していて、
例えば、
仕事における、
キャリアっていうのは、
停滞してしまうとか、
復職したときに、
しっかりと、
なんか、
元に戻れるかなとか、
不安はもちろん、
あるとは思うんですけれども、
育児は育児で、
すごい、
たぶん、
仕事につながるような、
学びっていうのがあるので、
まあ、
そういうふうに、
全てにおいて、
全てのですね、
その働くっていうのは、
つながっているし、
全てが学びだっていうふうに、
捉えると、
まあ、
これ、
本当に楽しいことしか、
ないと思うんですよね。
なのでですね、
なんか、
そういう働くっていうものの、
意味をですね、
改めて問い直していく、
楽しいものとして、
学びとして、
09:00
捉え直すには、
やはり、
会社のあり方っていうものを、
再設計しないといけないな、
っていうふうには、
思っていて、
まあ、
それを、
実践しているのが、
イミミではあるんですけども、
なかなかですね、
これはですね、
こう、
理解されにくい、
多くの会社が、
そうではないし、
管理職っていうのは、
こういうものだ、
会社というものは、
こういうものだ、
仮面をかぶって、
役割を演じるものだ、
っていうふうになって、
しまっているので、
なかなかこれ、
すごい難しいな、
っていうふうにしようとしているのは、
その会社におけるですね、
振る舞いですね、
役割っていうものは、
もちろんやはり、
大切であるんですけども、
振る舞いっていうものが、
ある意味ですね、
なんかこう、
もちろん礼儀正しく、
周りに配慮して、
っていうのは、
必要なんですけども、
この、
ありのままの、
本当の自分を出していく、
っていう局面ではですね、
まあ、
時には、
僕はですね、
5歳以下、
呼んでるんですけども、
まあ、
幼児ですね、
乳児ではないものの、
幼児的な部分っていうのを、
出していいんじゃないかな、
っていうふうに、
思っているんですよね。
まあ、
おふざけであったりとか、
ちょっとね、
自分のエゴが出たりとか、
ある意味、
自分のわがままが、
出たとしても、
別にそれが、
あの、
周りの配慮とかが、
しっかりされた上であれば、
そういうものを、
許容してもいいんじゃないかな、
っていうふうに、
個人的に、
思っていて、
この、
で、
かつですね、
それをですね、
あえてやるっていうのも、
いいのかな、
これはですね、
僕が、
その、
あえて、
ファニーっていうものもですね、
前回、
以前、
アート組織の文脈でも、
話したんですけども、
ファニーっていうものがですね、
ある意味、
もう許されるような、
そういう、
振る舞いっていうものをですね、
こう、
受け入れて、
実際に耳でも、
実践していきたいな、
と思っていて、
なので、
まあ、
組織の運営っていうのは、
ある意味、
管理職、
管理職としてのあり方っていうのは、
まあ、
あの、
小学校の、
小学校のようなですね、
運営をですね、
現体験として、
イメージしてもらって、
会社における、
各社員の振る舞いっていうのはですね、
まあ、
本当に言うと、
幼稚園、
幼稚園児のような、
振る舞いをしても、
いいんじゃないかな、
っていうふうに、
思ってるんですね。
会社における、
社員の振る舞いっていうのは、
ちょっと、
これはもう、
本当に、
それが会社のあり方かって、
言われる部分は、
あると思うんですけども、
まあ、
ある意味、
こう、
なかなか、
世の中に、
イメミが、
こう、
やろうとしてるような、
会社ってのは、
少ないので、
例えが、
振る舞いは、
時には、
幼稚園児のような、
振る舞いをしても、
許されるような、
それが、
本来の会社の、
あり方なんじゃないかな、
でも、
現体験、
みんなそうだったでしょ。
で、
やってることは、
もう、
学び、
学びしかないんですよ。
学びの活動のみで、
それが、
成長に繋がるっていう、
そういう体験があるだけですと、
っていうふうに、
考えると、
別に会社っていうものは、
特別なものではなくて、
これまでの、
幼稚園、
小学校とか、
それと、
個人的には、
思っています。
で、
これが、
別に、
正しいものっていうより、
こういう、
あり方もあるんだよ、
っていうのを、
社会に、
示していくというか、
12:00
知ってもらうことで、
働くっていうものを、
問い直す、
そういった活動っていうのが、
ある意味、
耳が存在する、
意義、
なのではないかなと。
たとえ、
事業活動を、
行っていなかったとしても、
もちろん、
事業を通じて、
社会的な、
貢献をしていく、
っていうのは、
あります。
これは別途ですね、
働かせる、
っていうミッションを、
掲げてはいるんですけども、
たとえそれが、
できなかったとしても、
あるいは、
それが終わったとしても、
やっぱり、
耳が存在する、
意義があるとすると、
やっぱり、
働くという、
意味を、
問い直して、
最終的には、
変わっていって、
それが、
社会の歪みっていうものを、
変えていって、
働くっていうものが、
楽しい、
学びっていう風に、
捉え直していって、
別に、
仕事だけが、
働く、
ワークではなくて、
あらゆるものが、
捉え直していければな、
っていうのを、
少しばかりながらの、
思いとして、
日々、
仕事をしているんですけども、
そういった活動を、
継続的に、
行っていきたいな、
という風に、
思っています。
本日は、
働く意味を、
問い直す、
についてでした。
13:03

コメント

スクロール