1. うちあわせCast
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2021-02-23 1:30:55

第六十一回:Tak.さんと自分なりの方法の作り方

第六十一回:Tak.さんと自分なりの方法の作り方。

00:00
はい、打ち合わせキャスト第61回ということで、今回にゲストもたくさんお迎えしております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
すみません、いきなり噛んでしまいましたが。
そこで噛むとは思わなかった。
えーと、ライフハックニュースというか、今週近々で起こったことで言うと、
結城博史先生の再発見の発想法という本が発売になっております。
紙の本でも、Kindle本でも、その他伝承的でも出ていると思います。
これ雑誌のソフトウェアデザインという本だったかな。
雑誌で演算されていたものと、
あと同じ内容が結城先生のメルマガでも配信されていたんですけども、
それを書き出し修正して本にしてまとめたという本で、
再発見の発想法というタイトルだけでちょっとわかりづらいんですけども、
技術者、コンピューター系の技術者がよく使う用語の解説と、
その後ろにある考え方を紹介しつつ、
その考え方を例えば、日常的な別の領域に使うとこんな風になるよ、
みたいなお話がセットになっている本で、
だから用語集でもないし、発想法の本でもないんですけど、
すべてがきれいに混じっている。
しかも非常に簡素で読みやすいという本ですね。
あれ、どっか目次が公開されてましたよね。
目次が公開されてますね。
雪先生自分の本は全部ウェブサイトに写っておられるので、
タイトルで検索したらたぶん一番トップにくるでしょうし、
だから再発見の発想法で検索したらたぶん、
雪先生の本、Amazonじゃなくて雪先生の本が先にくるんじゃないかな。
素晴らしい。
その人の検索のあれにもよるんですけども、
再発見の発想法というので検索したら、
ウェブの立ち読みと目次一覧が見えます。
最近Amazonで目次を表示しないという傍聴に出てるんで、
非常に困ってるんで、新しい本がね。
これまでは内容紹介の下の方に目次を見るというリンクがあって、
それを押したら目次一覧のページに飛べたんですけど、
これがない本が多い、というかほぼない。
そうなんですか。
古い本はあったりする。
昔は紙の本だけしかない時代はだいたいあったんですよ。
紙の本と電子書籍がある本の場合って、
電子書籍の方のページでは目次がないっていう謎仕様だったんですけど、
今度紙の本からも目次がなくなってしまって、
Amazonは一体どこへ向かおうとしてるんだろうと僕は思うんですけど。
なんでしょうね。
だからセルフパブリッシングの本って目次を見るというリンクが作れないんで、
その内容紹介の中に目次を書き込むじゃないですか。
はい。
全ての本であれをしなければならないということになってるわけですね、今は。
なるほど。謎ですね。
03:00
そうですね。
本を書く時に目次を見ない人がいるのかなと思うんですけど、
見られたら困ることでもあるんですかね。
立読みができない上で目次も見られなくなったら一体何を見ればいいんでしょうね。
いや、わからない。直感で解答を言うかどうかもしれませんけど。
目次が必要な場合はタイトルで検索してもらえばいいです。
例えば、ボトルネックとか、レスポンスタイムとかバッファーとか、
そういう風にコンピューターを扱う時によく出てくる言葉が、
どのような意味であるかではなくて、
どのような問題を解決するためにそれが用いられるのかっていう、
言うたら、その用語の背景が紹介されるんですね。
その背景の考え方っていうのは実はコンピューターだけじゃなくて、
いろんなものに既に存在してるし、それを用いれば
自分の問題解決にも役立つんじゃないですかっていう、
題材の本ですね。
はい。
これ結構僕はだと。
結構結構結構。
そうですね。この本、書店でどこのコーナーに置いてあるのかが全くわからないんですけど。
僕は店員さんに頼みましたけど、全くわからなかったです。
いう本が出たのが一個と、
あと様々たくさんがTHINGS3っていうトゥードアプリに言及されてるツイートを見て、
僕も久しぶりに見てみたんですけど、
いいなと改めて思ったっていうことだけニュース的に言及しておきたいんですけど。
ニュースなんですかね、とりあえず。
ちょっとコラム的に言及しておきたいんですけど、
やっぱり最初触った時ってシンプルさがいいなと思ったんですよ。
過剰な機能がない。
でもやっぱり壺を抑えてる良さがやっぱりあるなっていうのを。
いや、ほんとそうですよ。
いわゆるGTDベースで作られたタスク管理システムが、
GTDに忠実であるが故に、
抑えていないポイントを抑えているというか。
そういう感じですよね。
それが良いか悪いかは分からないんですけど、
実用する時ってやっぱりああいう機能がいるよねっていうのはあるんですよね。
そうだ。
例えば厳密なGTDベースのやつを使うと、
タグかなんかでわざわざ作らなきゃいけないようなものを最初から付けてくれているっていう。
まあそうですね、現実的だし、ある意味では緩いんですけど。
そうですね。
良くできてるなと改めて思ってつい。
なんかね、SYNG3出た時もこれは良くできてるなってよく言ってた気がするんですけど、
改めて見て良くできてるなと思いました。
だからこういう言い方すると、
じゃあGTDにちゃんとしたものはダメなのかっていう話に聞こえるかと思うんですけど、
そうじゃなくて、その緩さっていうのが多分重要なんですよね。
そうなんですね。
あるノウハウではコントロールしきれない部分っていうのが当然出てくるの当たりますけど、
それを緩さがないと吸収できないというか、
06:02
無理にそっちがシステム側に寄せるか、そのツールで扱わないかの二択になってしまうんですけど、
その緩さがあるとそこに収められるんで、
逆に統一的な管理が可能になるっていう感じですね。
そうですね。
だから変な話、
本当のガチガチの厳密なGTDアプリって最近なくなったような気がするんですけど、
本当にガチガチに厳密なやつって、
逆にその緩さを実現するために何か専用のタグを作るみたいなことをしなきゃいけないっていうことがあって、
逆にThings 3は、
あまりにもともとの作りが緩いんですけど、
厳密にやろうと思えばできるっていう、
その方が自然な気がします。
そうですね。
例えばGTDの場合、
Next Actionと、
Project + Next Action Listと、
Someday Maybe Listっていうのがあるじゃないですか。
Someday Maybe Listって、
SomedayとMaybe Listがあるわけじゃなくて、
Someday Maybe Listっていうのが基本的にあるわけですよね。
そうすると、例えば、
今日、今週取り掛かるわけじゃないけど、
来週やっておきたいみたいなことは、
どこやねんっていう問いが発生してしまうんですよね。
はいはい。
だからGTDに厳密にやろうとすると、
それをプロジェクトと決めるか、
あるいはもう、
Someday Listに逃がしておいて、
レビューのタイミングでプロジェクトに引き戻すかっていう運用が必要なんですけど、
僕たちのナチュラルな感覚じゃないんですよね。
ない。そうですね。
だから、それは、
GTDに慣れることによって、
そのような思考回路を身につけるべきだと言われたら、
反論はできないんですけど、
本当にナチュラルフォーの場合って、
さっき言ったような不明瞭なものも、
ちゃんと扱えないと、
ちょっと使う人が頑張らないといけなくなってしまうんで、
そうなんですよね。
ちょっとしんどいかなっていう。
Singlesの場合は、
Anytimeか、いつでもっていう、
やりたかったらやったらいいよっていうリストもありますし、
あと、コンテキストで夜間、夜?夜やるっていう。
夜やる。今夜やるみたいな。
今夜やるみたいな。
仕事の時間とか日ではない文脈に、
それを置くっていうことですね、要するに。
そうですね。分けたいという、
感覚的な問題ですよね。
タスクリストで全てを一列に並べて、
いわゆるタスクシュート的なことをするのももちろんいいんですけど、
気分的に、これは違うよなっていうものもあるわけですよね、
やっぱり人によっては。
だから、夜間とか夜間を使わない運用ももちろんできますし、
使いたかったら使ってもいいっていうのが、
やっぱりちょっとゆるさですよね、ある種の。
そうですね。
だからやっぱりそういう方向の方がいいよなって、
それを突き詰めると汎用型の、
いわゆるアウトライナーとかになるんですけど、
そこまで自由度が高いわけじゃないけど、
09:02
ある程度の良さがあるっていうのが、
汎用タスク管理ツールとシンクスみたいな、
そういう位置づけができそうですね。
だから倉下さんの、例えば用語を使うと、
非常に真ん中を、中道というか真ん中というか、
現実世界の良いバランスを取ろうっていう意思を、
すごい感じは作ってる側の人たちが。
ありますね。
理念ベースじゃないんですよね。
だからいつかやるなんてことをリストにしてたら、
そんなものは実行されないんじゃないか、みたいなのが、
ある種の価値観というか、
ノウハウを支える心なんですけど、
いや、そんなこと言われてもねっていう心が、
もう一方であるわけで。
だからそういうのを扱えるのはとても良いし、
逆に自分でそれらの、実際にシンクスを使ってないとしても、
そういう運用の方法を自分のシステムに取り入れるっていうのは、
すごく良いことだなと。
そうだと思いますね。
っていうので今回のタイトルを結びつくんですけども、
自分内の方法。
良い流れですね。
自分内の方法の作り方っていうのを、
ちょっと主題にしたいんですけど、
これはね、かなり広範囲に渡る話なんですよ。
良いですね。
話のきっかけは、
このポッドキャストとは別の、
「しごたのラジオ」あるいは「しごたの記録部」っていうサブスタッフで、
大橋敏夫さんと僕が以前提唱した、
ドマ、DOMAっていう、
Depend on my attention かな。
すでに危うけですけど。
っていう方法論を、
メタ方法論をRスタイルで、
去年の6月後半くらいに書いたんですよね。
それを大橋さんが、
自分で実践されてて、
上手いこと言ってるっていう話を聞いて、
じゃあちょっとそのドマについて話しましょうかっていう話をしたんですけど、
ドマをご存知ない方に説明すると、
いわゆる、こういう情報分類システムを作りなさいと、
こちらから提示するんではなくて、
まず入り口として、
Today、今日のリストを作って、
そのうち明日に持ち越したいようなものは、
アウトライン上で、シフトアップっていうのかな。レベルアップ。
レベルアップですかね。
一個上にポイと。
僕の用語で言うとシフトアップして、
いわゆるそのDay、その日と同じ回数に気になることを並べていくと。
いうことをベースにしていくと、
その人なりの構造ができますよと。
で、その構造、またここで構造って言葉を使ってしまったけど、
その構造は、その人自身の注意に、
12:03
アテンション、認識の形に基づいているべきだっていう思想があるんですね。
これは僕はかなり重要だと思っていて、
例えば、僕は大体人間の人は一日って、その日は意識するんですけど、
明日とか明後日とかは、その日と同じ注意の向け方は絶対しないと思うんですよ。
認識として明日っていう日はあるにしても、
それは今日と同じ流度というか、レイヤーにはないというか。
だから、日付、レイリーが、
例えば今日やったら、2月23日の項目、2月24日の項目がずらっと並んでいるのって、
非常にきれいで使いやすいんですけど、
自分の注意としてはそうなってないなと。
大体今日しか考えてないなと。
だから今日をまずベースにして。
今日をベースにするのと同じ注意の向け方で、
とあるプロジェクトについても注意を向けていると。
この注意の向け方は絶対に階層的ではないなと思ったんですよ。
つまり、メルマガを書かなあかんって僕が思うとするじゃないですか。
それをいわゆるカテゴライズすると、
執筆活動を自分一人でやる仕事を、
メルマガを何月分を書くみたいな、
そういう階段状に構成されるはずなんですけど、
僕がメルマガを書こうって注意を向けるときって、
そういう階層が減ってそこに向かうわけじゃないんですよね。
むしろメルマガを書くってまず思うわけなんですよね。
だから注意の一つが一番下にあるものが、
実は一番上にくるんですよね。
はいはいはい。わかります。
例えば、一時期月暮計画っていうのを僕やってたんですけど、
毎月一冊、電子書籍を出すっていう計画なんですけどね。
狂気の計画を。
狂気の計画をやってて、例えばそれが3月分の本っていうのが一つの、
いわゆるGTGKのプロジェクトになるじゃないですか。
そのプロジェクト、3月の本を書くっていうのは絶対に、
月暮計画っていう親プロジェクトの下に位置するんですよね。
はい。
その、カテゴライズしようと思ったら。
カテゴライズしようとしたらそうなると。
でも、そういうふうには認識してないんですよね。
むしろ逆で。
その、3月の本を書くっていうのはなぜかっていうと、
月暮計画だからっていう順番なんですよね。
うんうん。はいはい。
これはだから階層というのもむしろリンクに近い。
演奏的リンクに近いんですよね。
はいはい。
で、しかもその月暮計画書くっていう、
まあだから1月から12月分までを書くっていう一つの大きな、
さっきで言い方すると親プロジェクトと、
3月の本を書くっていうプロジェクトは、
意識の中では並列なんですよね。
同一階層なんですよね。
15:00
うん。
だから結局なんかの認知って、階層になってないんですよね。
うんうん。
表現したときには階層になるんですけど、
意識って全部リニアなんですよね。
リニアというか、なんていうか、
同一階層なんですよね。
意識の階層っていうのは、
意識と無意識しかなくて、
その僕の脳内はフォルダーを潜っていくようなことはまずしないはずなんですよ。
うん。
だから基本的にそのいわゆるプロジェクト、サブプロジェクト、
ふにゃーふにゃーみたいな形じゃなくて、
自分が注意を向けるものを縦一列に並べましょうっていうのが、
まあ基本的なドマーで、
あとはまあ好き勝手書き換えてくださいっていう方式なんですよね。
はい。
で、これはだからGTD的とか、
最近少し前に出たパラメソッドっていうのがあるんですけど、
のように情報の大分類を先に与えて、
それに従って情報を分けていく、
仕分けしていくっていう方法じゃなくて、
自分が何に注意を向けているのかに注意を向けましょうと。
それに合わせて、
まあ僕の場合はアウトライナーというかワークフローリーなんですけど、
を使っていきましょうっていうことを提言するのが、
まあドマーなんですね。
これで説明できたかな?大体。
これあれですよね。
口で説明するより現物を見た方がはるかに、
はるかにパッとわかるかもしれないですけどね。
で、まあその話を、
まあその話が他のノウハウとどう違うのかっていうところで、
最初に感性権を与えないっていう、
自分で作っていってくださいっていうところが、
まあ他のシステムと違うよねって話になったんですけども、
はい。
まあだからその僕は長年、
こういう知識教え業みたいなことをしてきたわけですけど、
その感性を先に与えてしまうことの弊害っていうのを、
常々感じてきたからこそ、
ドマーに至ったっていうことなんですけど、
うん、はい。
まあだからこれは、
えーとまあいわゆる、
ここの文脈でいうと正解というものがあって、
正解、唯一の正解、
鍵カッコつきですよね。
鍵カッコつきの正解というものがあって、
それに従えば必ずうまくいくし、
そこから少しでも逸脱するとうまくいかない、
っていう考え方を持っている人に、
サンプルとしてであっても、
実際例を見せると、
それが正解にすり替えられてしまうっていうことを、
よく、まあよくはいい推移か、
かなりの頻度で見かけてたんですよ。
見かけますね、はい。
これはもう、その方向、
僕がこれは唯一の正解じゃないですよと、
添えたとしても、結局同じなんですよね。
それが正解として捉えられてしまうという、
この逃げ場のない感じを感じてたんですよ。
はい、わかります。
結局それは、
コミュニケーションっていうものの中で、
18:01
情報の受け手が、
その文脈を決定してしまうんで、
僕がどう言おうが、
読み手がそれが正解だと思って読んだら、
それは正解として扱われてしまうんで、
これはもう、
本を書いて、
例を提示するっていう形を取る以上は、
逃れられないと。
かといって、好き勝手やってくださいっていうのは、
受け取ってもらえないだろうと、
そういう人たちには。
だから、方法として提示しながらも、
自分の方法を作らざるを得ない、
メソッドに、
仕立て上げたっていうのが、
ドマなんですよね。
はい。
これはだから、ある種のノウハウを紹介する人は、
いつでも落ちる難しさというか、
困難さというか、
パウデさんが書かれた、
パウデカフェの本の中に、
学生さんが、
正解は一つじゃないんですかって驚かれたっていう話があったんですよね。
はい。
で、例えば法律とか裁判の世界って、
結局解釈のやりとりじゃないですか。
はい。
正解があって、その正解の記述としたら、
必ず丸がもらえるという世界じゃないですよね、別に。
そうですね。
で、結局、現実の世界諸々って、
全てそうじゃないですか。
そうです。
で、その丸をもらえるっていう環境が、
実は義務教育とか教育機関の中の、
いわゆる非常にコントロールされた環境の中でしか、
成立しないことなんですよね。
はい。
いわゆる教習所の敷地で運転してるようなもんですよね、要するに。
はい。
でも、だからその学校の中の考え方が、
そのまま社会に、
継続的に適応されてしまっている方が、
比較的いらっしゃるだと。
はい。
これを僕たちはどのように扱えばいいのかっていうのが、
文章を書くというかノウハウを提示する人たちの、
常なる命題だなっていう、
しかも別に特に答えは出ていないっていうのが、
僕の今の認識なんですけども。
はい。
これは、ななんでしょうね。
いや、それがだから結局、
まさにそれは僕も感じていたことで、
書いてる量全然寅下さんと違いますけど、
例えば、アウトライナーの本を書いて、
ちょっとそれのイベントやったり、
セミナーっぽいことをやらせてもらう機会というのがあったんですけど、
はい。
やっぱりそういうところで、
そのそこに来てくださる方がいて、
そういう方は本を読んでくれていて、
それを参考に、
アウトライナーをこういうふうに使って、
みたいなことをやってたりして、
それはすごく嬉しいんですけど、
一方では、やっぱり本に書いてあることが正解なんだと。
21:03
間違って、
これちょっと違うやり方しちゃうとダメだみたいな風に、
はい。
思ってる方が結構、
もちろん全部じゃないですけど、
結構いらっしゃるなという印象を、やっぱり、
この何年か受けてて、
全然本に書いてあるのと違う使い方しても、
いいんですよと言っても、
でもそれだと、
間違いかもしれないじゃないですか、みたいなことを、
そういう言い方をされる人とかもいて、
やっぱり本に書いてあることが正解だとか、
教科書もそうだし、ビジネス書もそうなんですけど、
本に書いてあることが正解で、
それ以外の方法は間違いだっていう認識をされてる人っていうのが、
やっぱり一定数いるんだなっていうのを、
この何年かすごく感じてたんですよね。
それは、例えば平均したときに年齢とか性別の傾向ってあります?
あーと、
まあその傾向を出せるほどの数、サンプル数じゃないですけど、
はいはいはい。
ただ感覚としては、若い方の方が多いのかな。
あー、そっかそっか。
ただまあ、数人のレベル。
数人、10人以下なので、
パーセンテージを出せるレベルではないですけど、
ただやっぱり、あとここ数年って言っても、
それ以前にはあんまりそういうことやってなかったので、
傾向がね、この数年で変わってきたっていうのかどうかも分からないですけど、
ただやっぱり正解があるんだっていうその認識の、
あーそういう認識なんだなって感じることはやっぱり近年増えてるんじゃないか。
うーん、そうかー。
感覚ですけどね。
それは何人由来なんでしょう。
まあもちろんだから日本の義務教育由来っていうのは僕はだいぶ大きいと思ってて、
特に本当に掛け算の順番が違うとか、式の途中のが違うとか、
ルート記号の最後の下のチョンがないから三角とかっていうのをたまに見るんですけど、
いやそれはさすがにどうやろうと思うんですけど、
思うんですけど、それは別に僕は教育機関にかかってるわけじゃないから何とも言えませんが、
そういうもので、いわゆるイデア的な答えに合致してなければ点数をもらえないみたいな環境に仮に長くいたとしたら、
そういう発想になってしまってもやむを得ないなって思うのがまず一つと、
あとね、やっぱりその、ビデオゲーム。
はいはいはい。
ビデオゲームってかなり制約があるんですよ。
ビデオゲームしかやらない人はわからないと思うんですけど、
24:01
やらない人なんでね、わかんないですよね。
全く同じゲームでも、例えば麻雀でも、リアルでやるのとゲームでやるのってだいぶ違うんですよね。
うん。
で、例えばですけど、リアルでやると、麻雀ってルールわかります?
麻雀わかんないです。
例えば、普段あれって、自分の手持ちって13枚の灰があるんですよね。
あれ1個1個灰って言うんですけど。
で、1回1個持ってきて14枚にして捨てて13枚っていうのを繰り返していくんですよね。
はいはいはい。
現実でやるとね、なんか順番1回抜かされたりとか、多く捨てすぎたりとか、
たまに手早いから12枚とか逆に14枚になったりする時があるんですよね。
これチョンボって言うんですけど、ゲームではそれが起こり得ないんですよね。
当たり前ですけど。
なるほど。
で、例えば全員で人間でやってる時って、
「ちょっと待って」とか言って戻ることも可能なんですよね。
本当は飽きませんけど。
はいはいはい。
その、いわゆる与えられたルール以上のことができるんですよね。
はいはいはい。
で、いわゆるクイズゲームとかで最後の問題が1億点とかってありますけど、
そういうことも別にやろうと思えば、最後の曲が上がった人が勝ちって言ったら、
もうその4人が合意したら、それでルールが書き換わるわけですよね。
はいはいはい。
で、将棋とかでも別に勝負が嫌になったら、
番をひっくり返すことができるわけですよね。
まあね。
いいかどうかは別にして、つまり、
規定されたルール以上のことができるんですよ、アナログって。
でもデジタルゲームって、
いわゆるプログラマーが想定した以上のことは絶対にできないんですよね。
つまりそれは、唯一正解があるっていう、
つまり自分がそのルールに関与できない立場に置かれることを前提になってしまうんですね。
はいはいはい。
だからそういう環境、だからずっと同じゲームしてても、
アナログゲームをしてた人とデジタルゲームをしてた人としては、
そのルールに関与できる感覚がだいぶ違うだろうなという予感があるんですよ。
ああ、なるほど。
そうですね、としては。
はいはいはい。
要するにいざとなったら、
少なくともその時に囲っている4人で合意すれば、
オーバーライドできる余地がちょっとあるっていう感覚がある人と、
そうそうそうそう。
ない人がいると。
だからもっと現代的に言うと、
ルールをハック可能であるという感覚?
うーん。
で、ルールがハックできるんであれば、
正解っていう鍵カッコも上書きできますよね、要するに。
まあそうですね。
だからさっき言った教育館的なものとかテレビゲーム的なものは、
すべてプレイヤーをプレイヤー以上にしないというか、
プレイヤーに留めるし、留めるのが管理が楽じゃないですか、当然。
はいはい。
そういうところの文化的な影響もあるのかなとは思うんですけどね。
僕なんて、たとえばタクさんがアウトライナーを制作したら、
27:03
自分ならこのアズとビーをどう置き換えるかみたいな風にすぐ考えるんですよね。
でしょうね。
でもだから、その言ったら、思考力とかいうんじゃなくて、
情報処理の根本が異なるというか、
うーん。
パラダイムが違うというか、なんかそういう感じがきますね。
だからさっきのアウトライナーの本でイベントでなんかやったっていうのは、
まさに今から下さんが言われたアウトラインの作り方の話だったんですけど、
僕だからアウトラインプロセッシングライフという本で、
自分はアウトライナーでタスク管理しようとして、
いろいろ工夫してアウトラインを作ってた結果、
こんなアウトラインになっちゃいましたよ、という流れになってたんですよね。
タスク管理のアウトラインのつもりで作ってたら、
もう巨大な人生のアウトラインになっちゃいました、というのを物語チックに書いたんですけど、
それはあくまでもこのタクさんという人が、
こうやってぐちゃぐちゃアウトラインをいじっているうちに、
結果的にこうなりました。
要するにアウトラインはこんなイレギュラーでニッチな用途も、
答えてくれるんですよ、というか。
僕は結局タスク管理的なことをアウトラインを使ってやっているんだけれども、
こんな構造のタスク管理アプリなんて売ってないですよね。
誰も作ってくれないですよ。
誰も作ってくれないけど、
このニーズに合ったこの構造のタスク管理をするための、
この構造っていうのをアウトラインの上になら作れますよね。
誰もアプリは開発してくれないけど、
アウトラインなら自分で作れますよね。
だから他の人も例えば自分のニーズに従ってアウトラインをいじっていると、
結果的に自分のニーズに合った構造のアウトラインができて、
そういう意味では倉下さんのドマもそういう意味で。
また同じ話です。
そういう、誰でも自分のニーズに合った構造が結果的に出来上がっていく。
自分の例はたまたまこうでしたよっていう話をしたつもりだったんですけど、
それを読んでくれて面白いと思ってくれたらすごく嬉しかったんですけど、
その構造で自分も使わなきゃいけないと思って捉える方が結構いて。
これやっぱりその構造を使わなければいけないなんですかね。
それとも使ったらうまくいくなんですかね。
どっちかというとこうしただろうとは思うんですけど、
逆にそれがいいと思ったからその通りに。
30:02
それはわかります。
まねするってあるじゃないですか。
まねするとか、
それはわかります。
それは全然いいと思うんですけど。
ただ、違う個人である以上、最初はそうだったとしても使っていくうちに変わっていくはずだと思うんです。
変えていいというはずですよね。
当然変えていいし、変えないとおそらく機能しないところが必ず出てくると思うんで、
だからどんどん自由に変えていいんですよ、変わりますよねっていう話をすると、
でも変えるとこう、間違ってるかもしれないとか、
間違ってもいるかもしれないっていう言い方じゃなかったと思うんですけど、
うまくいかない可能性があるじゃないですか。
うまくいかないかもしれない。
その合ってるのか合ってないのかっていう、
それね、多分どっかのね、学生さんだったと思うんですよね。
変更したときにそれがうまくいくかどうかは、保証がないというか、
確認できないじゃないですかっていうようなことですよね。
そう、多分そういうニュアンスだったと思いますね。
なるほど。
それは合ってるか合ってないかというよりも、
うまくいくなら別にそれはいいはずであって、
合ってるか合ってないかっていうのはあんまり関係ないことじゃないですかね、
みたいな話をしてたんですけど。
それでこう作ったアウトラインのこれでどうでしょうかって見せてくれた子もいて、
どうでしょうかっていうか、いいアウトラインだと思いますけど、
要はこれでうまくいくかどうかで、
ゼミカの方やり取りを。
そうですよね。
そうか、だからこのアウトラインは90点ですって、
評価はできないんですよね、別に他社が。
要するにどんなすごいかっこいいアウトラインでも役に立たなかったら意味がないわけですよね。
そうですね。
役に立つかどうかっていうのは作った本人にしかわからないはずで。
はい。
その辺のちょっとそこというか、
すれ違いというか、感覚の違い。
すれ違いっていうか感覚の違いですよね、きっとね。
そういうものを結構感じて。
まあ確かに年齢が結構自分と、
例えばその学生さんだったら20代前半ぐらいの人と、
自分だと本当に親と子ぐらい違うわけで。
感覚が違う、見てきたものが違うっていうのは当然なんですよね。
感覚が違うこと自体は全然不思議でもなんでもないんですけど、
逆にその違いが、こんなアウトラインになるのかっていうふうに出るんじゃなくて、
こういう感じでいいんでしょうかみたいな出方をする。
作品的を師匠に見てもらう弟子みたいな感じですよね、きっと。
見ても全然いいんで。
33:02
ただやっぱりそれが合ってるか合ってないかの判定はできないじゃないですか。
そうですね。
だからこのアウトライン使ってて、例えば物事がうまく進むとか、
物忘れが減ってるんだったらうまくいってるし、
どうも扱えない問題があるんであれば構造は変えるべきですねっていう以上のことはないですよね、基本的に。
そうなんですね。
ただやっぱりそうなんでなんだろうなと思った時に、
例えば実用書の棚を本屋さんに行って回してみた時に、
確かにこうすればうまくいくっていう本、タイトルがいっぱいあったりとか、
こういう時にはこうしなさいって書いてあったりとか、
なんとかのなんとかのたった一つのなんとかみたいな。
はい、あります。
東大生がなんとかするたった一つのなんとかみたいなことがあるじゃないですか、そういうタイトルが。
はい、ありますあります。
確かにそういう本に期待するのは、
もうその本の中に書いてあることを身につければ、
それができますよと、できるはずだという、そういう期待を持って、
その本を買うのかもしれないし。
はい、そうですね。
ただとしたらね、そういう言い方になっても不思議はないのかなと思いましたね。
だから、循環というか、鳥と卵、おにわとりと卵なんですけど、
そういう本の書き方をしたら受け入れられるっていう環境があって、
そういう本が出てきて、そういう本がたくさん出るから、
そういう風に受け取る人がまた増えて、みたいな、
そういう循環行動が多分あると思うんですけど、
スタートはやっぱりそういう言い方をした方が受けるっていうのが先にあると思うんですよね、きっと。
まあ、そうなんでしょうね。
そういう本があるから、私たちがそういう認識に従わされているというよりは、
むしろ私たちがそれを求める機運が多分、良いということだと思うんですよ。
例えば、すみません、話をまた脱線としますけども、
その話を聞いた若い方ぐらいの時のたくさんで、どうでした?
物事の捉え方っていうのは、その時はやっぱり今とは違ってましたけど、
そういう正解を求める傾向がありました?
えっとね、正解を求める傾向はなかったように思いますけど、
今と変わらなかったように思いますけど、
ただそれはやっぱり、今の自分が過去を開発していることが多いと思います。
分からないですけど、ただ今ほどそういう、
例えば本だったらそういう書き方をした本は今ほどはなかったと思う。
まあ、あともともと自分は、例えば学校で正解を出して丸をもらうということに関しては、
完全な劣等生というからぐらいの人間がそういう存在だったので、
そもそもそういうことは求めてなかったというのは個人的なことになって、
36:00
分かりますよ。
多分なかったんじゃないかと思います。
ああ、そうか、やっぱりね。そこら辺はある種その人の根っこの部分であって、
逆に言うとそうそう簡単には変わらないだろうなという予測があるんですけども。
ひねくれ者なので、そう書いてあるとやっぱり、
仕事を救っているようになるっていう。
仲間ですね。そこは仲間ですね。やっぱり。
やっぱり人生そんな簡単じゃないだろうなと思っちゃうんですよね。
分かります。分かります。
倉修太さんどうですか?
もちろん同じですよ。もちろん全く分かりません。
若い時の。
いやでも中学生ぐらいの時はもうちょっとこう、あったんじゃないですか。
僕、参考書を読むの大好きだったんで、
実践するよりも参考書を読むっていう、
本末転倒なタイプだったんで、中学生の頃は。
高校生ぐらいかな、中高ぐらいで変わったんじゃないですかね。
もののひねくれたものを肯定するようになったのは。
だからある時までは、ひねくれ具合は良くないことだという風に認識したのが、
一周回ってないな、90度回って、
いやそれでいいんだって開き直ったっていう。
開き直ってるのは社会の方だっていう。
思うようになったので。
開き直りましたね。
だからその頃から僕は、先存の方に突きつけられた時に、
歌うというよりは自分ならどうするかっていうのを考えるようにはなったかな。
なんかこう、面白いっていうか、
例えばルールって言ってもルールは必要じゃないですか。
たとえば野球というゲームがあって、
野球のルールは結構厳密に決められてるじゃないですか。
そのルールをオーバーライトする必要はないんですよね。
下別のゲームになりますからね。
なんだけど、たとえばその野球は、
ピッチャーが投げてバッターが打って、
ヒットを重ねてその類を埋めていって、
その本類に返ってきたら1点入るというルールなんじゃないですか。
それは変えられないけれども、
どうやってランナーを進めるかは変えられるわけですよね。
あるいはバットの振り方とかは変えられますよね。
そうそう。
仮にヒットを打たなくても、
相手のエラーを誘うような感じで倒して進めるとか、
いろいろ工夫の余地があるわけですよね。
だからそこの部分は決められてないんだけれども、
ただもちろん標準的な有効な戦術というのはあって、
それは学ぶ価値があると思うんですけど、
でもそれを変えたら正解じゃなくなるので間違いではないわけですよね。
39:03
そうですね。
なんかその辺がすり替わっちゃってるような印象に
受けることはありますよね。
確かに。
たとえば、たくさんが長い優しくお作法して
たどり着いた一つのお題の形っていうものは、
さっき言われたように、一つの実際のパターンの一つでしかないんですけど、
ニュートンが原理を発見したときに捉えられて、
これがあるべきアウトラインだというふうに認識されたら、
そりゃ逸脱はいけないですよね。
そうですね。
そうであってもアインシュタインはニュートンの原理を書き換えたわけですし、
さっきの話でいうと、たとえば、
あるバッターの打ち方があまりにも効果的だったので、
その打ち方が禁止されるっていうように、
ルールを上書きしてしまうこともあるんですよね、方法が。
ボトムアップによる変化が起こり得るんですよ、いつでも。
それすらも実は不動のものではないんですよね。
その意味で不動ではないですね。
だから変化の余地っていうのは、
小さい工夫のレベルから実は一番大きいルールの領域まで、
頻度は違うにしろ起こり得るんですよね、全部。
その意味で唯一正しい正解っていうのは、
多分、多分というかないですし、
あるのはだからさっき言ったように、
特定の環境の中か内緒は、
科学的に言ったら客観的に真理と認められるような、
追実験が可能な再現性があるものだけなんですよね。
で、個々の人は一人一人違いますし、
自分一人の人生についても再現性というのはないわけで、
正解を規定できないんですよね、原理的に。
だから原理的に規定できないものに正解という考え方を持ち込んでしまうことに、
はじめから無理があるんですよね。
そうですね。
だから、正解があるというよりはうまくいく方法を、
いかに見つけるか、ないしは作り出すか。
ということがアプローチなんですね。
正解を知ることじゃなくて、
自分の方法を作ることがアプローチ、必要なアプローチ。
そこの認識が最初から違っていると、話が通じないというか、
違った意思に認識が行われてしまうというか。
もちろんそこがちゃんと伝わっているケースの方が多いのだと思うんですけど。
はい、もちろんね。
だからアウトライナーの話で言えば、
アウトライナーをこういう風に使うんですよということは、
自分としては不動のもの、不動というか、
不動じゃないけれども。
ある段階で有限化したもので良いですね。
そうですね。
例えば、簡単なところで言うと、
42:03
トップダウンでアウトラインを作るんじゃなくて、
トップダウンとボトムアップを繰り返すんですよ。
というところは正解じゃないけれども、
自分としてはそこは固定したい。
固定したいメッセージというか。
そうですね。固定したいメッセージというのは重要ですね。
たくさんの意思が反映されているということですね。
そうですね。
ただ自分がそういった結果、
こういうアウトラインを作って使ってますよっていう、
そこはあくまでも自分の個別の例であって、
そこは人によって全然違うでしょうという、
そういう2段階あるというか。
はい、わかります。
しかも自分が作ったアウトラインも絶対じゃなくて、
例えばその後、僕は例えば千葉雅也さんにインタビューして、
千葉さんのアウトラインを実際に見て、
ああ、こういうやり方あるかと思って変わるわけですよね。
はい。
さらに去年、倉下さんからドバの話を聞くと、
ああ、なるほどと思ってまた変わったりするわけじゃないですか。
はい。
だからいくらでも変わる余地があるし、
人からの影響を受けるし、
その影響でいくらでも変わる余地があるというところが、
要するに固定されたタスク管理アプリとかじゃない、
アウトラインの上にそれを作っていることのいいところなわけですよね。
はい、そうですね。
だからそこにこういうアウトラインじゃなきゃいけないみたいな概念が入ってきちゃうと、
そこが失われちゃうというか、
それだと全然アウトライナーを使っている意味がないなというか、
そういうことになってしまう。
アウトライナーに限らずね。
それが正解だったら、
ASB構造が初めからで装備されているアウトライナーを作ったらいいだけの話ですからね。
そうなんですよね。
そうじゃないから普通のアウトライナーを使おうという話になって。
ちょうど一月ぐらい前に野口幸男さんの超整理法をたまたま読み返していたら、
超整理法3みたいな特変系のやつを読み返していたら、
その超整理法が受けて世の中で広まったときに、
押出ファイリングで封筒を使うんですけど、
文房具メーカーから超整理法用の封筒を作りたいっていう話がいっぱい来たみたいな話があって、
さすがやな、はい。
それって違うよねみたいな話が書いてあったんですけど、
まあそういうことって昔からあるんだなっていう。
どこの文房具屋でも買えるのが普通の封筒を使うことのメリット。
それ専用の封筒を探して買わなきゃいけなくなっちゃったらいいないだろうっていう。
それと似たような話ですよね。
そういうのを出した方がうまくいくような感じがするっていうことなんですね。
45:00
そうそう。
まあ、さけがたいことか。
変化が可能であるって意味での可変性っていうことと、
あと、可変性であるからこそ自分の方法を組み立てていけるっていうこと。
で、自分の方法、正解というものがない以上、自分の方法を作る以外にうまくいく方法がないっていう、
この3つは、実はあまり教えてもらわないことなんですよね。
むしろ今言ったこと全部逆に教えてもらうんで。
だからそこのパラダイムが変わらないままに情報を摂取してくると、
全てのものに正解を求めてしまうっていうのは必然的な期欠になるでしょうね、きっと。
こういうタスク管理とかならまだいいけれども。
それも僕は結構やばいと思いますけど。
その正解がないこともあるという、当たり前のことというか、正解のないことの方が多いっていうことですね、基本的に。
それが、だから、例えばネットで生きていくためにプロブラゴーになろうって走ってしまうのも結局正解進行じゃないですか。
つまり誰かの方法を真似したら自分うまくいくっていうのは正解進行そのもので、
しかもその構造が実にネズミコにぴったりなんですよね。
ネズミコってどこかで破綻することが決定的やから基本的に禁止されてるんですけど、
そういうマインドセットってどこかで破綻するんですよね、必ず。
ウェブブログで成功する方法でウンニャガンニャっていうのも全くその通りで、
参考にするんだったらいいんですけど、その通りすれば自分はうまくいくだろうという強い確信のもとに動くのは不利益しかないっていう、
言い切るとちょっと飲食を買うかもしれませんが、不利益しかないと個人的に思うんですよね。
だからこう、極端なことを言うと、自分の方法を持たない方がうまくいった時代ももしかしたらあったのかもしれません。
誰かの言うことに自分の意見を持たずにはいはいうなずいておくことが諸星術の最たるものだった時代もあったのかもしれませんけど、
今の時代はさすがにそうじゃないだろうなと思うんで。
だからその正解っていうものから一旦距離を置いて、自分なりにうまくいく方法を見つけるっていうことの大切さというか、
なんかこう、大切というかもっと切実なんですね、それって。
48:01
いやぁ、切実ですよね。
うん、これは。
結構ね、生きていくための必須の何かというか。
感じはしますね。
だからその自己啓発ってもともとそういうものを含んでいたはずだと思うんですけど、
はい。
自己啓発自体がなんかこう、正解を提示するものみたいになんかなってきちゃったところもあるような。
いやぁ、それはあると思いますよ。
今の日本で言うと多分七つの習慣がトップに入ってくると思うけど、
その意味での自己啓発って七つの習慣だと思うんですけど、
もう示してますからね、構成って。
そうですね。あれはね、どう捉えたらいいんでしょうね。
まああれは正解なのか。
だからあのように生きるのが正しいっていう人格主義が、
人格主義とは書かれてないですけど、示されてるわけですかね。
成功法と位置づけられてますけど、成功するための方法っていう文脈よりは、
こういう人間がいい人ですよってほぼ示してますからね、あれって。
まあ、示してますね。
だから、そういう、だからそう思ったんですけど、
自己啓発って、セルフ、何やったかな、エンライトメント?
エンライテッドメントかな?
エンライトメント。
要するにエンライトメントって啓蒙じゃないですか、啓蒙活動じゃないですか。
だから、いわゆる偉い人が弱い人を導くみたいな、
牧師さんが京都に説教を説くとか、そういう感じですね、啓蒙っていうのは。
それを自分自身で行おうと、誰かに教えられるんじゃなくて、
自分の意識を学んで、良くなっていこうっていうのが、
自己啓発ですよね、基本的に。
でも、ある段階で、他人が自分を啓発するのを受け入れるものに変わってるんですよ。
だから、啓蒙に戻ってるというか。
自分で本は読んでるんだけども、書かれたことをそのまま宇野身にしてるんであれば、
自己を啓発はしてないんですよね、あれって。
ああ、そうですね。
他人が啓発に身を置いてるだけなので、
それは結局さっきと同じ流れがそこにあると思うんですけども。
そう、だから啓発って割にプロセス、本来プロセスのはずなのに、
啓発されて、到達した、誰かが到達したところを正解として示すみたいな。
なってますね、確かに。
なっちゃう。
「七つの習慣」だってあれを読んで、ああ、これは良いことだと思って真似しようと思うのは別に全然おかしいことじゃないんですけども。
それはもちろんそうです。
その、この自分が、自分はこれがうまくできないからダメだとか。
51:07
はいはいはいはい。
人がやってるのを、いやそれは「七つの習慣」に書いてあるのはこうだけど、
お前はこうだみたいなことになるとちょっと違うわけですよね。
それは。
いやだからこう、その、例えば、何でもいいんですけど、たくさんのアウトライナー本を読んで、
そのままそっくり真似する人と、最初には真似するけど変えていく人っていうのは、
その最初の段階で見ると差ってごく小さいんですけど、やっぱり時間が経った時に全然違うんですよね、それって。
その、真似そっくりそのまま正解な人と、自分のアレンジのスタート地点として使う人っていうのは、
思う以上に差が大きいというか、情報の扱い方において。
はいはいはい。
でもこれは、どうも解決できない。
本という媒体では解決できない気がするんですよね、結局。
うーん。
うーん。
そうですね。だからわかんないんですよね、自然に。
そうそうそうそう。
起点になるような気がするんですけど。
僕はその、この人がこううまくいくと言っているっていう言説を書きカッコつきで受け取るんで、
つまり真理として受け取るんじゃなくて、この人はこういう、この人はうまくいくと言っているっていう文脈で受け取るんで、
スタート地点がもう、離別しているんですよね。だからわからないんですよね。
それって、そうじゃない処理っていうものが。
うーん。
それはね、別に全然アウトライナーに限らず、スクラップボックスだろうと、エバーノートだろうと、何でもそうだと思うんですけど。
うーん、そうですね。
うーん。
だからその、自分の方法を作っていこうっていうコンセプトが根っこにあるのかないのかってことだと思うんですけど。
そうですね。あと自分の方法でいいんだという。
じゃあそこを肯定性できることですね、確かに。
うんうん。自分の方法でいいし、もっと言っちゃえば、最終的には自分の方法じゃないと自分にとっては本当にうまくいかないはずだということになると思うんですけど。
その確信がどこから生まれてくるのかですね。だから要するに。だって無根拠じゃないですか、ある種。そんなことは。
まあね。
経験に基づいた機能法である程度そうだろうと言えますけど、絶対的な根拠ってないわけで。
でもそれを信じれないとそこにはいけないんですよね。だから。
そうですね。まあもちろんたまたま他人の方法をそのまんま100%自分に移し替えて、100%うまくいきましたっていうことだって、まあありえなくはないですけど。
54:00
いや、でもごく例えば、何やろな、例えばExcelのショートカットキーを使ったうまくいきましたみたいなのはある程度汎用性がありますし、
例えば英語入力する人のキーボードは英字の方がいいですよみたいな話も汎用性はあると思いますけど、それよりも具体的になると、まあ多分そのままっていうのは無理じゃないですかね、基本的には。
まあだから使えていたとしても、やっぱり違う人間が作ったものだと、もうここのところをもうちょっとこうなってたらっていうのは必ず出てくるじゃないですか。
だからみんなカスタマイズってしたがるわけですよね。
そうです。カスタマイズあるいはエディタブルの延長にあるそのプログラマブルなところまでを当たり前と思うかどうかなんですよね。
カスタマイズは多分そんなに認知的に派手なことじゃないんですよ。派手というか逸脱的なことじゃないんですよね。
はいはい。
カスタマイズって。
プログラムは、言いにくいんだけど、プログラマブルはいつだつなんですよね。ルールを書き換えることなので。
それができるかどうかっていう。だから僕は、どこで言ったかな。アラン・ケイが考えたことっていうのはそういうことだと思う。
人間の認知の仕組みを自分のもの、自分の方法を作っていけるっていう風に捉え直すことっていう。
だから昔はものづくりってコストがかかったし、フィードバック回すのもお金がかかるじゃないですか。
今はちょっと3Dでウィプリンターがあるから話変わってますけど。
でもソフトウェアの中ではトライアントエラーがほぼノンコストでできるわけで、
自分の方法っていうのを試行錯誤に組み上げるのが一番簡単なメディア空間なんですよね。
そういうことになれるっていう。自分がこういうものを欲す、それに合わせたものを作る。
自分が満足して使うっていうことを当たり前にこなすための道具として、デジタルのパーソナルコンピューターを考えたと思うんですけど。
最近の中ではむしろパソコンのアプリケーションがアプリ化して、アプリになるともはやハックほぼ不可能なんですよね。
相当高度なことをやらない限りは。
いわゆるヒデマルエディターとかっていうのはマクロが使えるし、C言語も使えるんで、プログラマブルなんですけど。
例えば、アップルとか表示で用意するメモ帳とかっていうのはほぼそのまま使うしかないんです。
さっき言ったデジタルゲーム的なんですよね。
ツールによってはフォントが選べないことすらありますから、文字を表示するツールに関して。
それは流石にありだろうと思うんですけど、選択肢を狭める方向にデジタルツールが動いている部分もあって、それはやっぱり残念だなと個人的には思いますね。
例えば、プログラマブルであるということもいろいろレベルがあって。
57:05
僕は一番最初に就職した時の仕事が、こぼるプログラマーだったという。
マジですか?すごいな。
そうなんですよ。そういう仕事だったんですけど、だからといって今プログラミングできるかというと全然できなくて。
例えば、プログラマブルであるっていう、それこそEmacsみたいな、ありとあらゆることをプログラムできるみたいな世界もあるけれども、
あれはリストを覚えないとできないわけですよね。
Excelだってかなりのプログラミングができるけど、VBAを覚えないとダメですよというレベルもあるけれども、
例えばアウトライナーの上にどんなアウトラインを作るかっていうのは極めて文系的な世界です。
そうですね、確かに。
ただ文字を書いてアウトラインの構造を作るだけなんですけど、だからプログラミングも何もいらない。
でも、アウトライナーの上に作った、ある構造を持ったアウトラインが自分にとってのツールになるっていうことを当たり前なんですけど、ある時発見して、
これは要するにアウトラインを作るだけで自分の道具が作れるって思ったんですよね。
はい、わかります。
それこそさっきのアラン経緯の話、これこそが文系がどうとしたことに使い分かるかってことで思ったんですよね。
それが多分ハローワールドの感覚だと僕は思いますよね。
自分のような全然プログラミングのスキルがない人間でも自分の道具が作れると。
そうやって道具として作ったアウトラインが、例えば倉下さんのドマであったりとか、
僕が作ったクリアーっていうアウトラインだったりとかなんですけど、
だから人によって変えられないと意味がないし、変えることに意味があるわけですよね。
ただ本当はプログラミングのレベルまでできればさらに重度は上がると。
一度でもプログラミング的なことを体感すると、物事の捉え方がそのレベルで変わるんではないかなと。
ライフハッカーと呼ばれた人たちがプログラミングをしてたことは、それと無縁ではないだろうなと思うんですよね。
そうですよね。
自分好みに物事を変えていけるし、変えていいんだっていう世界の肯定の仕方?
っていうものがあるかないかっていうことだと思うんですよね。
1:00:03
正解を求めてしまうと、思う気持ちっていうのがそこの捉え方がないというか。
それは分かりやすいですね。
「良す」っていうことは、変えられないという絶望みたいなものがあるんですかね。
変えることに対する恐れとか恐怖とか、地球上にはないですけど、
この地より一歩先に行ったら暗黒世界が待っているっていう境界線は越えたくないみたいな。
これは極端に言うと、自由からの逃亡?エイリー・フロムかな?に近いと思いますね。
そこを越えることの怖さっていうのがある。
それはさっき言われたように、うまくいってるかどうかの保証がないからっていうのは恐怖だと思うんですよ。
そういうことですね。
もちろんわからないですよ。だから結局プログラムはバブルだったり、うまくいくかどうかわからないですけど、
そこを越えた方が、グッドとかナイスな感覚が待っているであろうという予感が変える人たちには多分あるんですよね。
変える人たちもだって、変えたらうまくいかなかったらまた戻すっていう経験が頻繁にあるじゃないですか。
だからうまくいく保証があるわけではないけど、変えていくことそのものに何か期待を持っている、信頼を置いているようなところが多分あるんですよね。
不安のいいさに慣れているかな?
でもやっぱり自分で変えて切り開いていけるっていうある種の確信というか自信みたいなものがあるってことですよね。
逆に言うと、そこに対する自由に責任が付随するっていうのと一緒で、結果に責任を負わなければならないですか。
責任という具体的に思ったイメージじゃないにしろ、どうしていいかわからなくなるというか、うまくいかなかった時に、
結果を引き受けられない自分で、っていうような恐れ。本当に引き受けられないかどうかは別にして、引き受けられないっていうことに対する恐れが行動を妨げる。
だから正解が一つだと思っていた方が楽っていう部分が多分あるんですよね。
楽、楽。
楽、まあ安心?
安心。
安心というかな。
そうか。
っていうなと思うんですよ。僕これまでずっとそういうのって妄心やと思ってたんですね。考える力がないっていう。
1:03:03
でもそうじゃないんじゃないかなと。恐怖があるんではないかなと最近ちょっと思うようになって。
それは何に対する恐怖ですか。
自由になってしまう。決定者になってしまうことの恐れかな。
あー。
でもそれはある種の楽しさの裏返しであるんで、どんどん変えていきましょうとは僕は思うんですけども。
かといって無理に手を引っ張ったらいいってものでも多分ないですし。
もし恐れであるならば、無知と恐れの違いって何かっていうと、
無知で、仮に理由が無知だったら、変えてもいいんですよって伝えたら終わるじゃないですか。
はいはい。
これは啓蒙活動ですよね。
でも恐れである場合は、いや変えてもいいかもしれんけど僕は変えたくないんですってなるじゃないですか。恐れの場合は。
だから解決に対するアプローチがね、その2つ全然違ってくると思うんですよ。
うん。
だからそれはどっちかは分からないですけど。
なんかこう、そうずっと不思議だったのが、別にうまくいかなかったとしても、
まあ単に元に戻せばいいというか、やり直せばいいだけだし。
例えば学校で何か正解を間違ったとしたら、先生にもしかしたら怒られるかもしれないじゃないですか。
まあそういう恐れはあるかもしれないですけども。
ああ、もちろんそうです。
もう我々は学校にいないので、怒られないわけですよね。
仕事とかは別ですけど。
そうですけど、自分のタスク管理の方法をちょこっと変えて失敗したからって怒られることはありませんよね。
うん。だから、なんでそれを躊躇する必要があるのかっていうのがずっと感覚的に分からなかったんですよね。
今この話を隣で聞いてる妻からメモが回ってきたんですけど。
ほう。すごいな。
ちょっとイメージしてほしいんですけど、生まれた時、車の免許を取った時からずっとカーナビがついてる人がいたとするじゃないですか。
その人はもうどこ行くにもカーナビを使って運転してると。
はいはいはい。
そうするとき、カーナビが壊れると。
知らない道に行かなきゃいけない時に感じる恐怖っていうのが、僕がさっき言った恐怖じゃないかっていうことをちょっとおっしゃってるんですけど。
ああ。
だから、逸脱の恐怖ですよね。
だから、知らない。
もちろん道それだって、例えば日本で運転してた時に急にヨーロッパに行くことはありえないじゃないですか。
でも、怖さっていうのは多分あるんですよね。
はいはいはい。
まあ、変なこと言ったら一方通行の袋工事に行って戻れなくなるとか、行き違いができない細い道に行くとかいう具体的な恐怖もありますし、
その自分がコントロールできない、身も知らないところに突入してしまう、制御系を失ってしまうような怖さも多分あるんじゃないかっていう話だと思います。
まあ、ありそうですね。ありそうですねっていうか、こう、分かりやすいですね。
1:06:05
僕ね、カーナビって使ったことないんで。
そうですけど、僕も。
我にはカーナビがないんで、あくまでイメージの例えなんですけど。
だから、ナビされてることに、つまりこうしなさいと方法を提示されてることがデフォルトである場合って、そこからの逸脱は、
あ、違うな、もっとあるな。示された方法に従っていて、上手い結果をずっと出してた人のは、そこからの逸脱は多分怖いんじゃないですかね。
なるほど。
しかも、きねくれ者の僕たちは、示された方法で上手い結果を出せてなかったとした時に、恐怖は感じないですね、そこからの逸脱っていうのは。
はい。
むしろ逸脱したいよね、じゃないですか。
うん。
だから、社会的要請が高い人ほど抜けにくいというか、いうことが多分あって、だからある種の、その人にとっては最適な行動をとってきたけど、
社会に急に出た時に、あなたの方法は知らない、僕たちは知らないので頑張ってくださいって言われたら困りますよね、急に。
まあそうですね。
そうなった時に、書店に行った時に、この方法で上手くいけますって言われたら、それはその方法を読みますよね、そりゃ。
本当に上手くいくなら読みますね、それ。
いやでも、その人にとっては上手くいく方法を知ることしか、自分の引き出しにはないわけで、だからそうなっちゃいますよね、そりゃ。
うん。
だから方法を作る経験があまりにも少なすぎるというか、子供から大人にかかるかけで。
そこがだから問題というか、だから今ゲームですらもう攻略サイトが満載ですから。
だから、あの、なんつうかね、なんか難しいダンジョンがあって、もうその攻略サイトの手順に従ってクリアできるんですよ。
もうそれゲームしてんのかっていう気持ちに僕はなるんですけど。
そうだ、それゲームの意味があるのか。
でもまあだから、そういう情報が整備されればされるほど、私たちは与えられた方法から逸脱しにくくなって、自分の方法を作るっていう、そのものから遠ざかってしまうっていうことが起こりうるし、今まさにそういう状況になってるんでしょうね、きっと。
そうですね。
うん。
なんかそのカーナビの例だとあれですよね、その目的地はここで地図があって、
「あ、いやその目的地に到達するために別にどの道を通ってもいいんですよ」って言ってるんだけれども、
そのカーナビになれちゃった人はそのカーナビが示す一番最短の、最短だから一番良いルートがないと不安である。
で、例えば目の前の道が工事中やったとして、それがナビに反映されてなかったら迂回もできないみたいな感じですよね。
1:09:03
はいはい。
だからもうその工事中の道を頑張って行こうとしてしまうみたいなことなんでしょう、きっと。
昔ね、あの古いDVDとかCDのあれを入れる、なんかこう更新されてなくても、
そう、道が変わってるみたいな。
橋がまだできてなくて海の中走ってるみたいな感じだよね。
そういう、だから、機械の精度が中途半端であれば僕たちはそれほどそれに信頼をしないんですよね。
だから逆に情報が精度化されてリアルタイム化されて、
今日発売されたゲームの攻略情報が今日出てしまうような現代にあったら、ただその方法から言ってたら必然性がないというか、
しない方が上手くいく確率が高いっていう状況が特に多いんで。
だからもう本当に自分の方向っていう観念がないというか。
そうか。
うん。
それは結構怖いことじゃないですか。
かなり怖いことだと思いますよ。
それは多分、社会を制御する方からしたらすごい楽ちんですけど、個人…
その割に社会制御できてないような気もしますけど、まあいいんじゃないかな。
いやでも、皆さんマスクしてるじゃないですか。何も言われずに。
まあ、それはいいんですけど。
いやだから、社会が提供する環境に沿って生きていける人は別にそれはいいんですけど、
まあ、フリーランスだってまさにそれにそぐわない人たちで、
自分の方法を紡げないと無理ですよね、多分。
だから小説家が小説家の方法、書き方みたいな本を学んで、その通り書いたとして、
その人がオリジナルで成功するかって言うとそれは無理な話であって。
もちろん日本語に沿った文章を書くっていうルールは守る必要はあっても、
その具体的な作品の立ち上げ方は、開発…開発でいいんかな、デベロップメントしていくしかないじゃないですか。
はい。
だから、知識労働者になるっていうのも基本的に同じことだと思うんですよね。
はい。
だから、そうじゃない生き方も多分、もちろんたくさんあるとは思うんですけど、
でも仕事以外の局面、家族とかの関係性については、もうほとんど個々人それぞれオリジナルなんで。
いや、そうですよ。
それとの立ち向かい方は、ブックガイドには書いてないわけで。
はい。
だから、そこについてはやっぱり最終的に自分で立ち上げる訓練をしておかないといけないだろうなと。
うーん。
だから、その辺の少なくとも僕が見聞きする日本の教育では、自分の方法を作りましょうっていうことはあまり言われていないし、
プログラミングにはそれを期待したいですけど、そうなるかどうかはまだわからないというところですね。
うん。
プログラミングね。
まあ、そうですね。
プログラミングそのもの、コンピューターにプログラムを打つことそのものは別に何でもいいんですけど、
さっき言った、例えばみんなで自分が楽しめるカードゲームのルールを作りましょうとかでもいいんですよ。
1:12:03
結局同じことなんで。
ああ、はいはい。そうですね。
そういうことがあんまりないというか。
うーん。
結局、テレビゲームをしていると同じなんですよね。
だから、みんなで公園で集まっていると、ゲームを作るじゃないですか。
はい。
ルールを作るといいですよね。
はい。
でも、テレビゲームの場合って基本的にそれはないし、つまらないゲームやったら、なんか自分なりに工夫する?
はい。
なんか、なんとか縛りでゲームをするとかありますけど、
ゲーム自身がどんどん面白くなっているんで、プレイヤー側のそういう予知がなくても楽しめてしまう。
うーん。はい。
だから、そういうのがどんどん減って、昔に比べるとその予知が減っている。
まあ、いいことが悪いかどうかは別に予知は減っているなと。
うーん。
うーん。
だから、自分の方法を作るっていう、勝手に言ったと、人の方法って全て参考情報にしかなくて、
しかも、例えば、Azubiの構造そのものが重要とかいうよりは、その構造がいかなる要請で作られたか、
その構造がどのような機能を発揮しているのかが興味があるじゃないですか、基本的には。
はい。
で、それって結局、さっき冒頭で言った再発見の発想法に出てくる用語の背景にある考え方に注意するっていうことと一緒なんですよね。
はい。
だから、僕はGTDの本を読んだ時も、そのGTDのメソッドそのものよりは、
頭の中にグニャグニャしているものについて、これは何かを問うっていうことが、
それが骨子だなと思ったんですね、GTDの。
はい。
で、その後の振り分けは別に、おのおの好きにしたらいいじゃないと、僕は勝手に解釈したんですけど。
はい。
だから、そういうふうに情報を取り出すっていうことができたらいいんですよね。
うん。
その、それぞれの方法論の表面じゃなくて、後ろにあるその方法がなぜ作られて、
個々のパーツがどのように機能しているのかっていう理解の仕方をするっていう。
プログラミングというとさ、一つ一つのノウハウをファンクション的に捉えて、
自分が使いたい時にそのファンクションを持ってくるようなイメージで使えたらいいんですよね。
で、こういうメタファーもやっぱりプログラミングなんですよ。
そうですね。
何かを作るっていうことの、今の現代的に一番身近なのが多分プログラミングなんですね。
うん。そういうことだね。
ただそれだけのことなんですね、基本的に。
あと道具とは何かっていうのを考えさせられますよね。
確かに確かに。
だからそのデビッド・アレンがGTDを提唱した時に、デビッド・アレンが言っている通りの機能をそのまま実装しちゃったアプリが使いにくいみたいな。
それはもうだから当然ですね。
そういうことですよね。
1:15:03
じゃあもう一段階、抽象性を上がって、彼があれを通して何をしようとしているのかを一回理解した上で、現代的なツールの上で組み立て直すことが多分必要なんで。
めっちゃ偉そうなこと言ってますね、僕。
必要なんですけども、そうはなってないというか、さっき言われたように、そのASB構造を作ってしまっているような感じですね、なんとなく。
だからデビッド・アレンがGTDを考えたのは紙の前提であって、多分最初からデジタルの前提で考えたら、多分デビッド・アレンはもうちょっと違う、いわゆる今のGTDアプリとは違う形のものを作ろうとしたんじゃないかなと思うんですよね。
大きな話ですね。
これはね、かなりでかい話だと思うんですよ。
だから個々人が自分に起きる問題についてどう対処するかっていう一番基本のレベルの話なんですね。
その時にうまくいく方法、正解を誰かから教えてもらうなり、見つけてくるなりするか、試行錯誤を繰り返して自分なりの方法を立ち上げるかっていう大きな分岐ですよね、これって。
そうですね。
で、ライフハックは本来はその後者の方法論だったはずなんですけど、ある時期からライフハッカーと呼ばれるうまいこと言ってる人たちを真似しようみたいになってきて、崩れてきたっていうところがあるんですけども。
で、そのさっきの結城先生の再発見の発想法みたいにちょっと違う構造と内容とメッセージを持った本をそうやって作った時に、あれ本屋で置く場所ないなみたいなことになってしまうという。
そうなると思います。
肉だなあと。
だから、ソフトバンククリエイティブの本で、結城先生の本やから、数学書の近くかコンピュータ書のどっかに置かれると思うんですよ。これはもう類似に頼るしかないんで。
でも、あえてカテゴリーを作りあったら試行法というか考え方の本ですよね。
そうでしょうね。
試行法っていうと、今の日本の試行法って発想法が近いかな。発想法と呼ばれるものが多分ほとんどで。物事を根本的に考える方法論ってあんまり正面切って論じられていないというか。
そうですね。日本以外に論じられてるのかどうかわからないですけど。
わりかし、表面に現れない、扱いにくいっていうのはあるんですよね。だから、逆に表面の情報って簡単に生成できるんで。
1:18:01
簡単なこと言ったら、アウトラインのスクリーンショットを貼り付けるだけで完成するわけじゃないですか。一番簡単なものって。
まあ、そうでしょうね。
解説がいらないわけだもんね。表面のものは。
だから、応用性は低いですし、逆に言うとこの再発見の発想法と同じように、GTDとは何かというよりは、GTDを生み出した考え方を解説する本があったらよかったんですよ。
そうですね。
だから、彼のこのフワークフローというのはどういう目的であって、それはこのように作られて機能すると。
もしアレンジしたかったら、これをこうしたらいいみたいなことを解説できる著者がいたらよかったんですけど。
そうですね。
まあ、そうはならなかったんで。あるいは、今はなってないんで。
まあ、デビッド・アレンの本にはそういうことも書いてあるんですけど、結局デビッド・アレン・カンパニー自身が結局、あの方法をセミナーで世界で教えるようになってしまったので。
いやでも、これは。
元々あの人はセミナービジネスの人だからそうなんですけど。
そうなるでしょ、それはもう。
そのビジネス展開をすると、もう、だからマクドナルドと同じですよね。チェーンにせざるを得ないというか、ああいう確立性がない限り、スケールは得られないというか。
だから、相反するというかね、この個別の方法論を立ち上げるのと、マスパブリッシングっていうのは基本的に相性が悪いんですよね。
そうですね。
いやだからその、でも結局GTD、本読んだだけで実行できる人も500人に1人くらいいるかもしれませんけど、まあまあ無理だと思うんですよ、本読んだだけでは。
まああれ難しいですよね。結構訓練がいりますよね。
うん。で、元々だってアレンもコンサルティングじゃないですか、あれ。GTDのやり方を教えるってことされてますし、コンマリさんも同じなんですよね。片付けもあれコンサルティングなんですよね。
そうですね。
で、例えば短くても2週間くらい次っきりで、これ捨てましょうと、これを捨てましょうと言いますけど、捨ててくださいって言って、これ捨てますっていうのを見守る人が横にいるわけじゃないですか。
はいはい。
そういうフィードバックがあって初めて成り立つもんですね。で、そのフィードバックってその個々の人が発生させてしまうトラブルを横について解消していくわけじゃないですか。
はいはい。
細かい具体的な問題を、この靴下は捨てられないんですって言われたときに、それなぜ捨てられないんですかって言って、話を聞いて、じゃあ捨てましょうとか捨てなきゃいけないのか言いましょうって個別のその人に俗人的なアルゴリズムをそこで発動させればいいじゃないですか。
うん。
それを抽象化した本っていうのは基本的に個々の問題は絶対解決しないんで。
まあその通りですね。
本をだらけでマスターすることはまずないんですよね。だからマスで、マスパブリッシングされた本でそのノウハウを完全に身につけるっていうのはおおむね不可能だと思うんですよね。
1:21:03
なるほど。
だから、個別の具体例をすごい独学大全並みにつけてるんじゃったら別ですよ。こういうときはこうしましょうっていうのを、ブワーって書いてるんじゃダメって言うんですけど、モデル化されてわかりやすく提示されてる本ほど具体的な問題でつまずくんですよね、やっぱし。
なるほどね。それはよくわかりますね。
だからその本として無理が、コンサルティングの内容を本にしたからうまくいきますってことはまずないと思うんですよ。
うん。
だからこれは本の書き方の問題にもなってくるんですけど、だからそういう本と同じような読まれ方をする本の書き方としては多分いけないんだろうなとは思いますね。
僕今だからアウトライナーのコンサルティングをしなきゃいけないんじゃないかと今思っちゃいましたね。
だから本当にそれくらいの話なんですよ。タスクシュートの方もそうで、タスクシュートの解説をいくら読んでも多分どっかで絶対つまずくんですよね。
だから本来は、月切りのコンサルティングで何しても2週間のサポートチャットとか、なんかすっげえしょうもないことで、しょうもないことっていうのがポイントなんですよ。
しょうもないことで質問できる体制がないと多分うまいこと適用できないというか。
はいはいはい。
結局その個々の細かい判断、つまり靴下の話とかの判断を積み重ねると、その人が、教えられてる人が、そのシステムがどういうジャッジメントで動いているのかが実感できると思うんですよ。
はい。
このなぜそのものを捨てるのか捨てないのかっていうのがどういう基準で動いているのかがわかれば、それはその人が方法を身につけたと言えると思うんですよ。
はい。
そうじゃなくて、一般例として示されているものを全部捨てて、一般例と示されているものを全部残すというのでは結局、ヘアは片付いたかもしれないけど、コンマリ流のメソッドは身についたとは言えないですね。
うん。
だからこれはね、ノウハウをどう伝えるのかっていうのは極めて難しいですね。
そうですね。今なんかこう、ノウハウ本というジャンルのこの根幹が今揺らがってます。
そうそう、揺らがされてます。
揺らがされてます。
僕は揺らがしてますよ。
いやでもこれはそれについて僕はずっと考えてきたんで、そういう本をずっと書いてきて。
その、もちろん読める人は初めから自分の方法を立ち上げる本として読まれますけども、それがどれだけ開かれているのかっていうのと、日本というこの環境においてどれほど適切なのかっていうのはちょっと一旦考え直したいなと思っておりますね。
すごいところに足を踏んでましたね、今ね。
でもやっぱり自分なりの方法を立ち上げるっていうのが少なくとも書き手としての僕の一つのゴールなんで、それぞれの人が自分の方法を立ち上げるっていうことが一つのゴールなんで。
いやー、そうですよ。そうですよ。それは僕もそうですね。
だから同じ失敗をしている本と同じ書き方をしてはいけないなと、失敗というか足りてないところかな、あるっていう。
1:24:04
でも正直、アレンとかこんまりさんってめちゃくちゃ説得力があるんですよ。
ありますね。
この口難を織り混ぜた文章の書き方で、確かにそうだろうって思わせる力があるんで、それが逆に読み手の判断を弱らせるというか、そうしたらうまくいくに違いないって思ってしまわせるっていうか。
あの語りの力、特にこんまりさん、僕やっぱり潜入感で読まなかったんだ。長い間読んでなかったんですけど、読んだ時にやっぱりちょっと驚きましたよね。
思ってたのと、もっとふわっとした本だと思ってた。
僕も、僕も。
うん、すごいな、これはと思いましたね。
ロジカルな部分と、何て言うんやろ。
なんて言うんでしょうね。スピリチュアルまではいかないけど、ちょっとそっちに。
が、区別なく入ってるんですよね。ここからはロジカルの説明ですとかじゃなくて、全体が織り混じってるんですよね。
そうして、なんかひどく説得されるというか、納得というよりは説得されるような感じがあるんですよね。
そうですね。だから言い方悪いんですけど、ちょっとこう、あのー、アジテイトしちゃうというか、説得というよりも押し流しちゃうようなパワーがあるんですね。
ありますあります。
だからそういうのがあるからこそ本が売れてますし、やろうという気持ちにさせてくれるっていうかなり強い長所があるんですよね。
そういう気持ちが一つも湧き上がらない本読んでも、物事は何も進まないので。
たとえ挫折するにしても、一回GTTの書き出し、2時間ぐらいかかる書き出しをやってみることは意味があることなので。
あると思います。
パワーは必要なんですけど、説得の仕方が強すぎると、さっきの正解進行とピタリフィットしてしまうんで。
だから一番望ましいのは、正解進行がある人が手を伸ばす本のタイトルでありながら、読んでると正解進行から知らん間にいつ出すような本っていうのが、僕が望む最高の本ですね。
なるほどなるほど。
うーん、極めて難しいと思いますけど。
難しいですね。
うーん。
結局、セルフポブリッシングで数千分の単位じゃなくても、再三できる本が生まれるようになったら、もっとニッチに寄り添ったノウハウの本って、つまり極度にモデル化しない本のあり方っていうのも、ありえるかありえたらいいなぐらいの気持ちではありますけども。
なるほどね。
いろいろ考えさせられちゃいますね。
1:27:00
はい。
少なくとも自分の身近にいる人たちって、割に自分の方法立ち上げるのがデフォルトの人が多いんですよね。結構。
カーソンのメンバーなんて、みんなそうじゃないですか。
そうですね。
だからあんまりその、分からない、感覚が分からないんですけど、でも分かる人にだけ分かる伝え方をしてりゃいいってもんでもないので。
ないですね。
だから何かしら新しい書き方がいるなっていうのを、ここ数最近のやり取りをしてて思ってるところですね。
いやーもうちょっといろいろ考えましたね。どう伝えるかっていうのは、今までのやり方も一つだけれども、もうちょっと違う伝え方があるかもしれないなということはちょっと思いますね。
はい。これこそ正解のない話ですよね。
まあそうですね。
試行錯誤するな。
まあそれを考えるのが楽しいって感じですね。
そうそう。結局ね、これが一番、一番じゃないですけど、かなり楽しいんですよね。正解に沿ってその通りやっていく、正解に沿ってその通りやっていくというメンタルモデルが私たちにはないからそうなってしまうんでしょうけど。
それが楽しい人も多分いるんでしょうけど、おそらくは。
まあいるんでしょうね。
人間の想像性を発揮している時っていうのも楽しさの大きな部分を占めるので、ここは自分の人生の中では活用していきたいというか発揮させていきたいですね。
そして売れると。
そうですね。そこは必要。
そして売れるというのが理想ですね。
そういえば、ライフハックの道具箱っていう本を1月の頭ぐらいに出して、だいたい今2ヶ月経ったんですけど、ちょっと前にトータルで200冊売れたぐらいですね。
トータルで200冊。
この2ヶ月の総合で200冊売れたぐらいですね。
僕の本の中では、すごく売れない本に比べるとやや売れてるぐらいの位置ですよね。
今って安倫があるからちょっと半々のことになっちゃったんですよね。
実際の部数とは半々ですね。読まれ具合は。
まあ、安倫でもそこそこ読まれてますけどね。
レビューの数は中ぐらいかな。
10超えるのは結構珍しいんで、13つ言ってるのはちょっと多い方ぐらいですね。
13はかなり多いんじゃないですか、それ。
独著座さんの動画大成は300超えてますからね。
400超えてます。
まあ、多い方かな。
ライフハックっていう割りかしキャッチーなタイトルをつけたんで、
それ仕方がないというか、そうなるのは必然ですけども。
もしセルフハープポリティックに興味を持っててやろうと思ってる人は、
2ヶ月で200売れるのは割に売れてる方やと思ってもらったらいいです。
でもそういう情報ってないですかね。
そう、だから今開示しました。
だってね、さっき言った比較対象がないんで、
1:30:02
たぶん1ヶ月で10売れたっていうのが多いか少ないかわからないんですね。
わからない。
耳に入ってくるのって紙の本の出版物じゃないですか。
そんなんと比較したらもうすごい少ないじゃないですか。
いや、いいや。本当そうですよ。
だからその差し障りのない程度で販売部数はまたちょこちょこ紹介していきます。
そんなとこですがね。
今回の話を聞いてやっぱり自分の方法を作るのが好きだという人と、
その持っている恐怖についてコメントがある方はぜひ寄せていただきたいんですけども、
#打ち合わせキャスト、ひらがなで打ち合わせアルファベットでキャストまでを
Twitterでお送りいただければクラスターからチェックしたいと思います。
たくさん何かお知らせ等あれば。
特にはないです。
じゃあ今回はこれまでにしたいと思います。お疲れ様でした。
お疲れ様でした。
どうぞ
01:30:55

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