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2021-02-16 1:13:54

第六十回:Tak.さんと発想と文章について

第六十回:Tak.さんと発想と文章について

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はい、打ち合わせキャスト第60回ということで、今回もゲストにたくさんお迎えしております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回はちょっと難題なんですけども、難題というか。
難題?難題?
(笑)
以前、以前、ちょっと待ってくださいね。日付を振り返ります。
2月の7日に、GO!藤田さんがTwitterで以下のようなツイートをされていて、
カードやメモの断片を変化させようとするのではなく、
そこに書かれている文章を変化させようとすると、
割と自然に変化が始まる感覚があるカード型のアプリよりも、
アウトライナーに書かれた情報を変化させやすい理由の一つはこれかなと考えている。
インデックスカードを操作して文章を書いている人は、
カードの並び替えやカードを送る作業として、
そこに書かれた文章を頭の中で変化させる練習ができている人かなと予想している。
チェキ制作の技術に出てくる小座値法は、
カードを送ることで活性化する文章の変化を補助する役割を持っているかもしれない。
という3つブロックがあるんですよ。
書かれていることはある程度感覚的にわかるんですけど、
でも、そこに書かれている文章を変化させようとすると、
ということって何だろうなっていうのが、
うまく言葉にできないところがあって、
これを探求してみたいなというのが今回のテーマなんですけども。
素晴らしいテーマですね。
まず、カード型のアプリ、APPっていうのが、
どうかな、知的生産でいうと実はあんまりないんですよね、カード型のアプリって。
今でいうと何でしょうね、
カード型のアプリって意外にないんですよね。
スクリブナーのカードのビューがまずあるのと、
タスク管理でいうと、トレロっていうのがカード型のビューをしています。
はい、そうですね。
あとは、そんなもんじゃないですか。
一応、Workflow-Eのバレットモードじゃなくて、ボードモードか、
にしたときにカード表示をされるんですけど、
あれは横に並ぶだけなんで、縦に並べられないんで、微妙に違うかなと。
そうすると、実はほぼないんですよね。
意外にないですよね。昔の方がむしろあったような気がしますね。
今でいうと、
あれがあるじゃないですか、倉下さんの自作のやつが。
あれはありますけど、あれは一般に普及しているとは言いがたい。
あれは確かに横と縦に並ぶカード型ですね、セブンライナーというやつは。
一応、自由付箋型と呼ばれるものはありまして、
Miroというツールがあって、
それは付箋をペタペタ貼っていくイメージで、
図形とか画像とかも一緒に平面配置できるツールなんですけども、
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逆に言うと、トレロのようなグリッド拘束がないんですよね。
自由に並べられますよと。逆に言うと、自由にしか並べられませんよと。
なので、用途としてはちょっと違うかなと。
同じようにも使えますけどもちろん。
だから、案外、小金をカードでやるツールっていうのがなくて、
ほぼそれはアウトライナーでやってくださいみたいな感じになってるんですよね。
カード型のアプリ、ないですよね。
昔はね、ハイパーXとかあったんですけど、知らないですね。
知らないですね。
80年代にハイパーXっていうのがあったんですけど。
カード型っていうここで小金がイメージされるときって、
やっぱり縦と横に並べられないと、ちょっと足りない感じがするんですよね。
だからアウトライナーも技術的にはできるものの、
小金のデジタル版再現家っていうとやっぱり違うと。
そうですね。小金なのかっていうところもありますよね。
小金って文章を組み立てるために使うっていうのが多分あると思うんですけど、
それと自由に並べるカードってちょっと違うような気もしていて、
小金を自由に並べてもいいんですけど、
小金はあれですもんね。最終的にはリニアに並べるというか。
そうですね。
ただいずれにしても、カードと呼ぶにしても小金と呼ぶにしても、
ないですよね。あんまそういう自由に並べるやつっていうのは。
先ほどのツイートの最後のブロックにその話が出てきて、
知的精査の技術に出てくる小金法は、
カードを送ることで活性化する文章の変化を保持する役割を持っているかもしれないっていうのがあって、
ここはちょっと僕の中では混ざってるなとまず感じたんですよね。
先ほど言われたように、カードと小金は別なんですよね。
別ですね。
ここは結構重要な話で、
例えば、アウトライナーを使ったときに、
見出しとその内容っていうのをずらーっと並べていくと、カード的になると。
内容の部分を折りたたむと、見出し行だけが並ぶから、
それを小金的に使えるっていう、
ハイブリッド感があるように感じられるんですけど、
これ実は異なるんですよね。
異なります。
異なるというのが結構重要な話で、
もっと目的的に変えると、
情報カードを使うカード法っていうのは、
一個一個がそれが独立した文章であると。
カメロン文っていうものを書くと。
それらを分類せずに並べておいて、
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時折来ることで、
新しい着想を生み出していくのだっていうのがカード法なんですね。
梅沙桜流カード法ですね。
梅沙桜流小金法というのが、
今から書こうとしている文章のトピックなりキーワードなりを、
小さい紙、かなり小さいんですよ。
A4の紙の半分の半分の半分ぐらいですかね。
A7かA8ぐらいの小さい紙に書き出して、
それをまず一つのブロックを、
一つの見出しの中を縦にガーッと並べていって、
それを一塊にすると。
次のブロックはそれを横に並べていって、
縦と横で全体の流れを一望できるようにすると。
小金という紙を使うことによって、
順番を入れ替えできると。
その入れ替えは、一つのブロックの中でも入れ替えられるし、
そのブロックそのものをホッチキスとかで繋げることによって、
ブロック移動も可能であるというような方法なんですけども。
僕、両方とも実物を見たことがあるんですけど、
小金も女王カードも。
小金は本当にキーワードしか書いてないんですね。
マメ論文が書かれる情報カードのタイトルのような、
はっきりとした文章ではなくて、
日記の効果とか、そういう本当にキーワードだけで、
それを見たところで他人はわからないんですよね。
今から書こうとしている著者が、
その内容を思い出せればいいという程度の
覚書、メモ、走書でしかないんですよ。
だから書かれるものが根本的に違うんですよね。
情報カードは、内容を忘れた自分が読んでも
想起できるようにしっかりとした文章で書くんですよね。
小金は、今アウトプットに向かっている最中、
ワークインプログレスなものについて、
情報構造を考えるために、
内容を想起するキーワードだけを書く。
だからこれ、それぞれ書かれるものは
見出しですらないんですよね。
ノン見出しな状況で、
いわゆるリニアに、ただどんな話をどんな順番にしようか
って考えるだけの装置なんですよ。
よって、情報カード的なものの内容を折りたたんで、
そのタイトルだけを並べて小金ができるかっていうと、
多分できないと思うんですよね。
ここは多分違うところで、だから、
小金を入れ替えるっていう操作と、
情報カードを送るっていうのは別の行為なんですよ。
ここはまず踏まえておきたいなと。
なので、例えば、カードやメモを入れ替えたときに
生まれる変化っていうのが、
それぞれにおいて多分異なると思うんですよね。
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だから、そこに書かれている文章を変化させようとすると、
割と自然に変化が始まる感覚っていうのは、
どちらなんでしょうね。
小金のほうなんですかね。
そのカードのほうなんですかね。
僕は小金のイメージですけど。
僕も小金のイメージですね。
そっかそっか、やっぱし。
多分、この郷さんが書いているのは、
例えば梅沙王級でいうと、
そのカード、マメロン文をそれぞれに書いたカードを
作ることによって何か閃きましたと。
で、その閃いたことを何か文章として表現しようと思ったときに、
小金を使って、
これはどういうふうに書いたらいいのかっていうのを考えるっていうのが、
小金だと思うんですよね。
だから要するに、今だったら、
エディターなり、ワープロなりアウトライナーなりで、
文章を編集するときにやっているようなことを、
小金でやっていて。
ただ、まあ、みっちり文章を書くと、多分書ききれないので、
多分キーワードだけになっているんですけど、
そのキーワードレベルのことを書いた小金を並べて、
多分文章を組み立てているんですよね、きっと小金っていうのは。
だから、そうですね。
いわゆる小金の一枚一枚に書かれていることっていうのは、
著者の脳内で組み上げられた何かのポイントポイントだけが浮かび上がっているものということなんでしょうね、きっと。
はい。
だから多分、カードを送ることで発想が生まれて、
それを小金で表現を考えるというか、組み立てるというか、
多分そういう使い分けというか役割だと思うので、
やっぱりその文章の変化っていうのはやっぱり小金の方だと思うんですよね。
うーん、そうか。
そうですね。カード、カード型とかカードそのものっていうのが、
非小金的なものっていうのが、
なんていうのかな、オブジェクト的というか、
非固定的というか、まさに書き変わらないような感じがするんですよね。
情報カードは基本的に書き換えないんですよ、あれは。
梅沢さんは例えばカードを適当に食って、
例えば2枚のカードを見て新しい発見があったら、
カードを書き直せって言ってるんじゃなくて、
新しいカードを書けって言ってあるんですよね。
はい。
ここが多分だいぶ違うところで、
小金でそのような操作をして新しいカードが生まれるか知らないけど、
それをやってると構成が膨らんでいくだけで整わないじゃないですか、基本的には。
だから小金はむしろあれは切断の装置なんですよね。
はい。
短く書いてる方が切断の装置って不思議な感じなんですけど、
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そこのどういう点かな、
小金同士2つ並べて新しいことを考えるためのものではないんですよね。
はい、そうですね。
ここ、そこに書かれてる文章、
そっかそっかそっか、
だから小金は文章を書いてるわけではないけど、
頭の中に文章的なものがあって、
小金の並び替えによって文章の流れが組み替わることで、
構成が組み替わるっていう手順を取るんですけども、
アウトライナーの場合は小金のキーワードじゃなくて、
文章でも書けるよっていうことか。
そういうことか。理解できた。
そうですね。
だから小金の果たしている役割っていうのは、
多分アウトライナーの一番末端の階層というか、
文章レベルの階層。
で、それ以上下のその部分を階層化して構造化してっていうんじゃなくて、
多分並び替えて文章を組み立ててるようなイメージじゃないですかね、
この小金っていうのは。
なるほどね。そっかそっか。
だからアウトライナーにおける小金法は、
キーワードを並べるというよりは、
それについて自分がちょっと思っていることを、
ちょこちょことからき表して並べていくっていうだけでいいと。
そうですね。
人による、これもだから人によると思うんですけど、
ここはもう完全に文章を書いちゃうんですよね。
小金レベルに。
キーワードを並べ書いても流れないので。
これがだから、何が違うんかなっていうのがまず疑問なんですね。
例えばさっき日記の項のっていうのは、
小出し、小差しってね、小金にはぴったりな表記ですけど、
多分だからたくさんが書かれる場合は、
日記の項のとはほにゃららであるみたいなことまで書くってことですね、おそらく。
そうですね。
違いって何かあるんですかね、やっぱり。
あのー、そうですね。
これだから本当人によると思っていて、
キーワードを並べても十分キーワードを元に文章を書ける人っていると思うんですけど、
僕の場合あんまりキーワードだけ並んでてもうまく文章化できないというか、
文章化の可能性が多くなりすぎちゃって、キーワードだけだと。
文章というよりも、
手におはというか、
継承詞と接続詞がついている状態。
なぜならなんとかとか。
はいはいはいはい。
これこれこうなのだがとか。
なのだがってきたら、次はそうじゃない。
反対の何か概念が来るわけですから。
だからその接続詞とか、
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接続詞というよりも手におはがついているということは、
その後どう流れるかという意思がくっついているわけですよね。
そうです。だから原始から手が伸びているような状況ですよね。
何がくっつくかがだいたい決まってくるみたいな。
そうそうそうそう。
あと倉下さん流の言い方なのかわからないですけど、
矢印がついているわけです。
はいはいはい。わかりました。
その矢印があることによって、
その後で文章化するのが楽になるんですよね。
キーワードだけだと、
どう流れるかの選択肢が多くない。
論説の流れがないというか、
規定なわけですね。
うん。だから、
で、そこの、ここの大郷さんのあれに書いてあるのは、
文章変化させるというのは、例えばその接続詞を変えたら次に来る。
次に何が来るかという可能性がちょっと変わるわけですよね。
はいはいはいはい。
矢印の向きが変わるわけですよね。
うんうんうん。
なんかそういうことを言ってるんじゃないかなと思ったんですけど。
これもこの解釈ですけど。
そうか。
確かにカード型、例えば何でもいいんですけど、
例えばスクラップボックスとかはカード型と言ってもいいんですが、
2つのカードを並べてここの文章が変化していくっていうことはないんですよね、やっぱり。
いや、そもそもだから、ある文章を書くための素材を並べるためにカードを使うことがあんまりないんかな、だから。
そうでしょうね。
あともう一つ、この5×3がここにインデックスカードって書いてるじゃないですか。
インデックスカードってあれか、5×3のちょっと小さいやつですか。
ちょっと小さくはないか。
5インチ×8インチかな。要するにアメリカでよく使われる。
あれって兄弟だったカードよりもずいぶん小さい。
ずいぶん小さいですね、はい。
あれには多分マメロンボは書けないんですよね。
そうですね、なるほど。
このアメリカ流のインデックスカードっていうのはどっちかというと、
そのカードと小座念の中間的な使い方をするものだと。
あーそうか、だから。
どっちかというと小座念寄りなのかな。
小座念寄りで、1分なり2分なりを含められる程度の小座念。
そうですね、センテンスぐらい書けるわけですよ。
あー、つまりアウトライナーの一行に相当するわけですね。
そうそう。
だから同じカードでも結構人によってイメージするものが変わっていて、
兄弟型カードだと文字通り並べといて、分類しちゃいけないよってベサオさんが言うわけじゃないですか。
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はい。
インデックスカード、もしくはこのノートカードって言われる小さい方のカードは割にやっぱり並べ替えるわけですよね。
型で書いたり整理して、だからまさにアナログのアウトライナーみたいな使い方をするものなので、
多分小座念的なものにより近い。近いけれども小座念よりも書き込めるので、より文章寄りになる。
そうかそうか。
あーそうか、そこはだからインデックスカードを使うだけはそっちのイメージか、小座念に近いイメージか。
そうやったらやっぱりデジタルの方がいいですよね、書き換えることを考えると。
まあそうですね。
ただそのインデックスカード捨てがたいなと思ったのは、前にライアンホリデーっていう人のカードを使って本の放送をやっている動画みたいなのがあったじゃないですか。
あの人のカードの使い方、まああれはインデックスカードですけど、あの人って文章の断片も書いているけれども、
なんかこうロジック、文章全体のそのロジックを簡単な図にしてカードにしていたりとか、いろんなこと書いてるんですよね。
で、逆にそのタイトルを一行でつけるとか必ず日付をつけるとか、そういう決まりごとは一切無視していて、ほんとメモ用紙みたいに使っている。
ただしそのメモ用紙みたいな使い方なんだけれども、全部カードとして規格が揃ってるんで、それを箱の中に入れて分類した瞬間にメモ用紙以上の機能を持つような使い方をしていて。
ただあれはやっぱり兄弟型カードよりは小金に近い使い方をしてるなと思いましたね。
だからやっぱり、雑に言うとあるプロジェクトがあって、そのプロジェクトに属すること、コンテキストがはっきりしている場合は、
まめ論文のような緻密な記述はいらないわけで、ある程度の短いセンテンスで、別にそこは自分がそれが何に所得しているかも把握できるわけなんで、
一行でも別にいいし、その方が文章を書くときに使っていく。
例えば、情報カードの兄弟式のカードのそこにまめ論文が書いてあるからといって、それを5つ集めて文章になりましたというわけには結局行かないんですけども。
そこはまた書き直すわけで、それ自身が一つ一つ小さい本みたいなもんですからね、まめ論文というのは。
そこは素材といっても違うんですね。
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アウトライナーに並ぶ素材というのは、まだ調理される可能性がある素材が並んでいるんですけど、
情報、兄弟式情報カードの素材というのが、読んだ自分がインスピレーションを受けるという意味での素材であって、
それをそのまま加工して使うというものではないっていう。
そうでしょうね。
だからやっぱり、この2つは違うし、違うように管理しないとややこしいでしょうね、きっと。
そうですね。
だから結局、兄弟型カード、梅沙男さんとか周辺の人たちにとってのカードっていうのは、フィールドワークとか民主説につながっていて、
その発見の内容を書くわけですよね。
その発見の内容を書く以上、それがどんな発見なのかっていうのがきちんと、
なんていうか、説得的な形で書かれてないと、後から使うよりも使えないわけで、断片じゃいけないわけですよね。
断片ではなくて、やっぱりあれはマメ論文というからには、一つの始めがあって終わりがあることがあのカードに。
それ自身完結しているオブジェクト的なものであるべきだと。
そういう小さいカードにかける、マメ論文にかけるレベルの小さい発見がたくさん並んでいて、
それを繰りながら見ていくうちに、個別の発見を統合した、もう少し大きい理論だったり学説だったり、
なんていうのかわからないですけど、そういうものができてくるわけじゃないですか。
だからやっぱり、マメ論文それ自身が一つ一つの小さなミニアウトプットであって、
アウトプットのプロセスを支えるものとしての情報カードではないということだね。
ないと思います。
そうですね。そこは大切なところですね。
そうですね。
だからカードを書き換えるようなことは操作にも含まれない。
当然編集してもいいんですけど、並び替えて書き換えるようなことではなくて、
むしろ新しいカードを作ること、つまりミニアウトプットそのものを生み出すことがカードの役割。
だからやっぱりアウトラインに並ぶ項目、それは別にそういうアウトラインを作ってもいいんですけど、
書き換える執筆の時に使うアウトラインに並ぶのは情報カードではないということですね。
だと思いますね。
うーん、そうか。
だから同じカードでも随分インデックスカードとは違ってるんですよね、たぶん。
だから情報カードで言うと、おそらくインデックスカードのサイズと、あと名刺サイズのカード、もう一個小さいのと、
それが多分小座名とイコールサイズと思うんですけど、
あと兄弟式のB7かな、B7くらいのサイズのこの3つがあって、
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かなりその方法論の違いもあるんですけど、やっぱりカードのサイズによってこなせる役割も異なるんですけど、
デジタルだとそれが見えにくいんですよね。だから全部同じ情報で載せられてしまうんで。
そうなんです。
で、結局今までカードを使っていた人が、例えば、昔だったらカード型データベースみたいなのに出会って、
「おお、これだ」と思ってやったんだけどうまく使えないとか、
最近だったらエバーノートに入れてみたけどうまく使えないみたいな話があるんですけど、
あともちろんね、アウトライナーに入れてみたけど。
割にそういうのを見ると、カードって何をするのかというか、カードとは何かっていうのが結構混乱しているというか。
やっぱり今さっきしてた話みたいに、同じ一口でカードって言っても結構違うんですよね。
そうですね。
目的によって使い方が。
割にその兄弟型カードって昔から言っている人たちも、割に小座寝とごっちゃになっていたりとか、
アメリカ型のインデックスカードとごっちゃになっている人が多かったなという印象はありますね。
自分、僕も混乱してたし。
なるほど。
ちなみにアメリカの場合は、兄弟型カードに相当する大きいサイズのカードってあんまりない気がしますね。
でしょうね。あれだって梅佐夫発注ですもん。
そうですよね。
多分、梅佐夫さんが言うような使い方をする場合は、多分バインダーになっちゃうんですよね。
穴あきバインダーに使うんじゃないかなと思うんですね。
そうか。だから、頭の中で文章が変わっていく感覚っていうのはわかるんですけど、
僕の場合、カードを複数食って文章が変わっていく感覚っていうのがあまりなかったんで、
そこの差異は何やろうなと考えたんですけど、やっぱりそこなんでしょうね。
そうですね。
僕もカードを…。ちょっとこの郷さんが言ってるのとは違うと思いますけど、
カードを並べ替えて文章を作るっていう感覚があまり…。僕は昔からなくて。
逆に文章の流れ方によって次に来るカードが決まるというか。
あー、なるほど。
そういう印象の方が強いですよね。
多分アウトライナーだとそういう考え方の方が、
特に文章を書く場合はうまくマッチするんじゃないかなと。
まあ、そうか。
例えば、たくさんが執筆する場合にアウトライン上に文章のセンテンスをガーッと並べて、
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縦一列に並べていたとして、
それを別にランダムに組み替えてなんかするってことはないですよね、基本的には。
ないですね。
それやろうとしてもね、多分、頭がパーンってなっちゃうだけで、あんまりうまくいかないと思います。
文章の流れ的に、これはこっちの下の方にあった方がいいなと思って、
クルッと移動させるっていうことはあるんですよね、きっと。
まあ、ありますね。
ありますけど、やっぱり一定以上、量が増えると多分それもできなくなる。
なるほど。
なるんじゃないかなと思いますね、アウトライナーだと。
だから、ここが全部アウトライナーで完結させるなら、
特に長いものだとガーッて書いて、一応書いたもののまとまりごとに見出しぐらいはつけるかもしれない。
はい。
見出しをつけて、一応どんなことを書いたかなっていうのが見渡せるようにした上で、
それは一回置いといて、別にアウトラインを作る。
やっぱそうなりますよね。
うん。
別にアウトラインを作って初めて、そのアウトライン、別に作ったアウトラインの中で、
この最初にガーッと書いたやつの中から使えるものを掘り出してきて、はめていくみたいな。
うん、それ僕結局、同じことを今、わざわざシフェーズ4でやってるんですけど。
そうか。
だからそうなるんですよ、やっぱり試行錯誤した結果として。
いや、なんとなくイメージとして、文章を書きました、ラフっぽいのできました、
アウトライン上で入れ替えてちゃんとした文章に直しましたって、いけそうな気がするじゃないですか。
いけないですよね、これ。
いけない。まあ短ければいけるか。
短ければいけますけど、はい。
4、5センチぐらいならいけると思いますけど、
2万3万超えるとね、やっぱり、なんていうか、
まさに僕も今書いてる内容がそういう話なんですけど、
一本の流れにしなきゃいけないんですよね。
そうですね、はい。
だけどその一本の流れに乗らないことがたくさん書いてあるんですよね。
はいはい、ありがとうございます。
で、それをあちこち入れ替えながら一本にしていくっていうのはすごく重いというか、
たくさん流れがある、しかもキーワードじゃなくて文章が書いてあると、さっき言った話でこう、
こういう風に流れたいという意思がたくさんあるわけですよ。
その意思同士が矛盾するんですよ。
そうですね、はい。
その中だけで考えようとすると。
で、お互いがお互いを邪魔し合っちゃうところがあって、
特にいいことを書いちゃってるほど、
あのー、いいこと同士が邪魔してこう動けなくなっちゃうみたいなことが起こるって。
30:03
タスク管理と優先順位がぶつかるっていうのに似てるんですけど、
その処理できなくなるんですよね、あれ。
そう、そうなんですよ。
だからよくフリーライティングして、それをグルーピングして使おうとしたけど、
うまくいかなくなっちゃったっていう人は多分その状態になってるんじゃないかなと思うんですね。
あー、なるほど。
だから、ただ逆にその素材としてそれだけ出したものは置いといて、
で、その出した内容の記憶が残っているうちに、
新たにアウトラインを作って、
然る後にそのアウトラインに使えるパーツを持ってくると。
そうすると自ずと使えないものは後に残るんですよね。
やー、やっぱそうですよね。そうなっちゃうんですよね。
そう。
そっか、やっぱしそうなんや。
で、それって僕はそのアウトライナーの使い方としてこう、そういうやり方してますけど、
多分アウトライナー使わなくても、
多分、あのー、無意識にみんなやってるのってそういうことなんじゃないかなと思う。
うーん、だから本当にその、
まあアウトラインに限らないんですけど、テキストエディターでも一緒なんですけど、
その既存の書いたものを、まあ、ちょこちょことというよりは、
ザクザクと直して、完成工に至るっていう道が、
あまりにもハードっていうことに、最近気づいたんですよね。
で、あんなことができると思ってたかもわからないですけど。
でもその今、倉下さんがよく書いてるやり方はもうそういう感じですよね。
いやもう全くその通りです。ほとんど。
だからもうその、最初に書きやろう。さっき言われたその、文章が伸びるままに伸ばしていって、
もう矛盾があっても気にせず伸ばしていって、書き終えた後に振り返って、
で、また新しく書き落とすっていうのをだいたい2回か3回やると、
まあスッといけるんですよ。
で、その、
不思議ですよね。
で、ずっといけること以上に、第1項と第3項がもうほぼ別の原稿になってるんですよね。
でね、その面白いことに、面白くはないんですけど、
あの、第1項の時に、その当然、最初にアイディア出し的なことをするじゃないですか。
流れは決めなくても、これは外せないなと、これを言っておきたいなっていうのがあるじゃないですか。
それことごとく落ちるんですよ、3項で。
ああ。なんかわかる気がします。
でね、そのやっぱり、既存の原稿を新しく書き落とすんじゃなくて、いじった時って、
その、3項で本来落ちるべきものが落とせずにいるんですよね。
はいはいはい。
でね、たぶん一番困るんですよ。
それってあれだよね、自分の気に入ってるものだったりするんですよね。
気に入ってるものか、その、当初思いついた時に、これは外せないだろうっていう、
33:01
その、ある種の思いの残響が残ってて。
で、でも、その書いてる文章からすると、そこはいらないんだけど、
そこに厳禁するためには、今の書いてる文章の流れをねじ曲げなければいけないみたいなことになって、
で、たぶん、とんざすか、そこを処理するたびにものすごいマインドパワーが発揮されるんですよね。
で、それによって、仮に発揮させてクリアした制度としても、
クオリティが上がってるかって言ったら、上がってないんですよね、これ。
ちょっと無理してたりするわけよ、流れが。
普通に落とした方がスッキリするし、クオリティも上がってたりするんですけど、
そのジャッジメントが既存の原稿を直せる時って、なかなかできないんですよね。
うん。これはだから…。
すごいわかりますよ、それは。
いやだから、昔の文豪って原稿をシュクシャクシュシャしてたじゃないですか。
あれは有効だったんじゃないかなと僕は思うんですけど。
いや、そうなんですよ。
生字再利用できない方が楽かもしれないっていう。
だから、1回目書いた時に、書いたことによって、自分はこの章で何を言いたいかが一段はっきりすると。
2回目書いた時に、どの順番で論説を並べたらいいのかがはっきりすると。
3回目に書き下ろすと、その通りに書けて、その通りに書くと、物の見事に出てこない話題があるんですよ。
はいはいはい。
だからやっぱり書き直すって無駄な作業に思えるし、アウトライン的に並べ替えて整えた方がスマートに思えるんですけど、
それは作業的にもクオリティ的にもあまり良くないなっていうのが、今実体験の結論ですね、とりあえずは。
そうなんです。だから逆に、例えばフリーライティングして素材出しして別にアウトライン作るんだったら、
じゃあその別に作るアウトラインを先に作ったほうがいいんじゃないかって思う人がいるかもしれないんですけど、そうじゃないんですよ。
そうじゃないですね。
そうじゃないっていうね。
いやだからこれは、プロセスによって自分の意識が変化するっていうことがあるから、そのプロセスを複数回することに意味があるとはもちろん言えるんですけど、
それ以上にやっぱり、このバザール執筆法を一番やって思ったのは、自分っていうのはやっぱり書きながら考える人なんだということなんですよ。
で、アウトラインを眺めてても何も考えてないなと、結局。
アウトラインを眺めて、アウトラインの項目をいじってたとしても結局考えるっていうことについてはほぼ進んでないんですよ、結局。
で、やっぱり考えが一番進むのってのはそれについて書くことなんだと。
だから書き続けることが一番考えてることなんだから、もうそれをすればいいっていう開き直りがバザール執筆法なんですけど、
だからやっぱり、俯瞰して全体がどうなってるのか確認するという意味でのアウトラインはもちろんいいんですけど、
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あれをぼーっと眺めてるだけではどうにもならないなっていうのは、当たり前かもしれないけど一つたどり着いた解決ですね、ここは。
はい。全くその通りだと思います。
だからその考えた足跡を確認するものみたいな感じなんですよね、アウトラインって。
うんうん、それはわかります。
アウトラインを作って考えようとしちゃうとダメなんですね。
うん、な感じがすごいしました。
もうそれは本当に、そうですね、横浜市で一番アウトライナーがおそらく好きな自分がそういうので多分間違いないと思うんですけどね。
いやだからやっぱり既存のアウトライナーのイメージは、逆どころかずれてすらいて、
そこはでもやっぱ体験的に伝えていった方がいいだろうなとは思いますね、なんか。
そうですね。だからまさに僕が今描いているやつはもう本当にその話だし、
アウトラインを別に作った後で最初に考えたいろいろごちゃごちゃしたやつの使えるやつをはめておくと、
で、使えないやつは残るんですけど、そのはめていったアウトライン、
使えるものをはめていったアウトラインをシェイクしながら膨らませていくうちに、
「あ、これも必要だったな」と思ったときに、ふと使えなかったそっちを見ると「あ、これ使えるじゃん」みたいなのが出てきたりもするんですよね。
なるほど。
だからそれはその使えなかったパーツも実は全部アウトラインの下の未使用なりなんだっていう目指しを立ててそこにぶら下げておくと、
意外にこうすくい上げられることもあるし。
逆に最終的に採用はされないとしても、採用されたパーツを生み出すその勢いの源になった技術みたいなものがあって、
それはそれで多分役に立ってるんですよね、最終的に使われないにしても。
また、執筆のプロセスのブースターには間違いなくなってるんでしょうね。
ブースターね、そうそう。
そう、だからフリーライティングって多分ブーストすることが役割で、アウトラインを最初から作っても何もブーストされないわけですよね。
多分こう、頭の中で言葉をコネクってるだけで、
そうですね。
流れと、さっきの矢印がどこにもなくて、ただ並べるだけになっちゃうんですよね。
次にこっちに行くぞっていう矢印がないと多分文章にはならないというか。
うーん、やっぱそうなんですよね。
だから僕もだいたい本について考えてるときって、3本にしてるときにその本のことが思い浮かぶんですけど、
39:04
キーワードじゃなくて、だいたい説明文というか、誰かにこのことを説明してる体の文が思い浮かぶことが多いんですよね。
やっぱりここも文章、文章取り文なんですよね、これも。
そうですね。
うーん、そうか。だからやっぱり、そうそう、あの、
昔エヴァノートとかでアイディアの断片を記録してたんですけど、結局その小座名的な記述通やったんですね。
はいはいはい。
だからもうそこにはノン取り文なわけですよ。
あれがまずかったんでしょうね。だから、もしやったらある程度の矢印を持った文章の形で残しておかないと、
何だ、用途がないというか。
はい。
だからメモの残し方としてもこれは多分重要な話なんですよね。
そうですね。
うーん、そうか。
うーん、やっぱり文章を書くということ。だからこれ結局文章を書くとは何かっていう話にもつながるんですけど。
そうですね。だからまあでも、僕もアウトライナーが絡むと、それこそこういう、なんか偉そうに文章読本みたいな話をしますけど、
そうじゃなくて、こうやるといい文章が書けるよという意味ではなく、
何でしょうね、
なんか文章を書くこと、僕全然書けない人なのだからこそわかるようなところがあって、
文章を書くってこういう仕組みになってるんだなっていうか。
ああ。
こういうふうに持っていかないと多分書けないっていう。
うんうんうん。
で、逆に書ける人は無意識にそれができるんですよね。
まあそうですよね。
で、逆に自分の場合は全然ほっとくと書けないので、このぐらいこう、お膳立てしてやらないと書けないというか。
うんうんうんうんうん。
だから逆に倉下さんは僕の感覚だと僕よりもはるかに書ける人なので、
だけどその手法的にそうやって考えていくと同じような方法になるっていうのが逆に意外だったかもしれない。
うーん、まあだからそうですね。
例えば具体、2000字を書きましょうっていう課題を僕とたくさんに与えたとしたら、多分僕の方がうまくは、うまく、低エネルギーでこなせるとは思うんですよ。
低エネルギーで短時間でできるでしょうね。
でもやっぱりもう2万字となると、それ人間のキャッパーを超えてるランクでいうともうほぼ機能性がないので。
うーん、まあそうか、そういうことかもしれないですね。
だからまあ結局は一緒になるんでしょうね。
根本的な文章の書き方というかどういうかというと姿勢が似てるんできっと。
さっきの矢印を重視する書き方というか。
だから辿り着く手法が似てるんでしょうけど。
42:02
うーん、そうですね、そうですね。
2000字書けっていうクライマックスは多分、はいわかりました、つってこうやって2000字書いて終わると思うんですよね。
僕多分ね、こう8センチぐらい書いて6センチ削らないと2000字にならないっていう。
あのー、ひどいんですよね、それをね。
結局僕も1つの原稿を3回書いてるってことは、たとえば1万5千字の原稿やったら4万5センチ書いて1万5センチ残してるのと一緒ですから結局は。
まあじゃあやっぱりその、上手いネタというよりもそのキャパがどのぐらいかは別として、そのキャパを超えて書こうとすると多分そういうことが必要になるってことでしょうね。
そうですよね、そう思います。
1回とりあえずその考えを全部出し切るっていうところを、考えを出し切るっていうのが文章を書くということなんですけど、
それをしていくっていうことをしないと、一般的にイメージされる考えの点をシンボル化してそれを入れ替える操作をすることで完成するっていうのは、多分誤解というか。
そういうことでは多分できないんじゃないかなと。
まあできる人はいるかもしれないけど。
いるかもしれないけど。
いるかもしれないっていうかいるんですよね。できる人はいるんだと思うんですけど。
ちなみに、バザール筆法って、ドマ式との関係ってどう言われるんですか?
特に関係はしてないですけど。
関係っていうか文章とあれの違いっていうのはあるんでしょうけど。
だからね、どうなんでしょうね。
バザール執筆法はあるプロダクトを作るためのノウハウなんですよね、基本的には。
で、ドマは自分の情報を扱うための構造の構築法であって、動的なんですよね。
だから片方は目指すのが静的なもの、最終的なプロダクトは静的なもので、ドマは変わり続けるものなので結構動が違いますね。
アウトプットのためのものですもんね。
そうです。最終的に何か一つ決まった形に持っていくための方法なんで。
だから、一貫性状態から始めないっていうのは一緒ですけど、ドマは止まることがないので、基本的には。
今日も変えましたからね。
最近また結構変わってるんですか、当時と。
45:00
ちょっと変わってますね。
結局だから自分がどんな情報を扱いたいのかが少し変わってきたんで、変わってきたってところですね。
前まではプロジェクトリストっていうのをほぼ軽視してたんですけど、最近やることがちょっと増えてきたんで、
一覧としてのプロジェクトリストみたいなのをちょっと付け加えて、それに合わせてちょこちょこ変更した感じですね。
でもそういう状況によって構造を変えられるっていうのがやっぱり汎用ツールのいいところですよね。
そうですね。だからせっかく汎用ツールを使うのに、絶対に動かせない構造のメソッドでやっていくのってちょっともったいないなとは思うんですよね。
この通りに作らなければいけない感が出てしまうのはちょっともったいないんで。
わかりやすいんですけどね。プロジェクトとかそれをあれごとにやるのって、特にGTDに沿った方法っていうのは非常に、
かかりはしやすいんですけど、ある時点を超えると多分使いにくくなってきて、そこでこれは変えていいんだと思えるんだったらいいんですけど、
自分をこの構造に合わせなければならないなって思っていくとやっぱりしんどくなってくるんで。
だから初めからその構造は変えていいよっていう体で僕はスタートした方がいいと思うんですけど。
はいはい。そうですね。
やっぱりそういう手法をいろいろGTDにしても学ぶっていうか、それを覚えて活用しようとするのはいいことなんですけど、
どうしてもそれが正解で変えちゃいけない、間違ってはいけないみたいな心理になってしまう人が結構いるみたいで。
結構それは辛いなって感じですね。
全体的に辛いですね。誰もいいことが起きない結果ですからね、それ。
僕以前よく、今は学校でタスク管理とか教えなきゃダメなんじゃないかなって思ってたんですけど、きっと学校で教えるとそうなりますよね。
そう、それが怖いですね。
テストとかやっちゃいそうでしょうね、なんかね。
いやー、だから最近小学校でプログラミングの授業がうんどんかんどんって話を聞いて、課題渡られて自分でコードを試行錯誤して書くとかやったりなんですけど、
教科書に書いてあるコードを一字一句間違えないで入力できたら、〇とかやったら、これ悲惨やなと思うんですけど。
そうですね。
それはプログラミングを覚えたことにはならんやろと思うんですけど。
あー。
結構、統合的な問題なんですね、これはね。
でも多少は変わってきたと信じたいですけど。
信じたいですけどね、本当に。
課題渡られて必要なコードをググって見つけて、それをコピーペして自分に必要なのに書き換えるっていうことができたら、
48:06
実はほぼプログラマーの処方に入れてるんですけど、大抵のプログラミングって自作するよりはコピーペと回収で大体コードが足りてしまうので、
そういうふうに自分の道具を作っていく、アレンジしていくっていう感覚が、もしプログラミングで身につくんであればいいんですけど。
そうですね。
そうそう、だからこの前大橋さんとポッドキャストをしてたんですけど、
Excelのマクロと関数を使ってタスクシュート的なものの現象的なものを作らなかったんですけども、大橋さんって。
やっぱり元々システム開発とかプログラミングやってたんで、ツールを自分で作るっていう感覚を元々お持ちなんですよね。
はいはいはい。
何か問題が出てきた時に既存の方法を使うなり、あるいはそれをアレンジすると話して対処していくっていう問題解決の引き出しがちゃんとプログラミング精神で学ばれてるんですよね。
そういうのを得るのがパソコンやと思うんですよ。アランKが描いた。
はい。
だからやっぱり僕は、程度の差はあれ、ある程度プログラミングの素養を持つことは、
使う使えないにしろ、ある感覚を手にするっていう意味で、やっぱり大切だなと思うんですよね。
はい。
そこを避けて、例えば僕はよく言うんですけど、ワードプレスって便利なんですけど、
あれを改造しようとするとものすごい知識がいるんですよ、PHPの。
はい。
それだったら例えば、Pythonで正規表現使えるとかの方が身近ですし、はるかに役立つと思うんですけど。
そうでしょうね。
うん。だからそこを、仮にライフハックというんであれば、そういうとこをちゃんと視野に入れた方がいいと思う。
だからライフハックっていうそのものも、基本的に誰かのライフハックを真似するというよりは、
身の回りの自分の問題を小さな工夫で解決するってことが、ライフハックマインドだと思うんですよ。
そうだと思いますね。
だから指定で学ぶとか言うんじゃないんですよね。経典に当たるとかではなくて。
うん。
問題解決の引き出しを増やすっていうようなのが、多分ライフハッカーなんですよね。
そうだと思いますね。
そこが多分、だからある種受け取り手にも足りてないし、発信する方もなんかちょっとメンターブってしまったってところがあって。
うん。
だからちょっとその辺が間違いというか、あまり良い方向に進まなかったっていう理由かなと。
うん。
そう、だからあと全然話、さっき思いついて言い忘れたんですけど。
はい。
もう一回書き直す、新しく原稿を書き直す、アウトラインを立て直すっていうことって、
その一番何がいいのかっていうと、やっぱりその捨てられることだと思うんですよ。
はい。そうですそうですそうです。
で、それって例えば押し出しファイリングの効能としてもよく挙げられるんですよね。捨てるのがすぐ分かるっていう。
51:05
うん。はい。
やるとその情報って基本的に捨てるのが難しいんですよね、あらゆる日本って。
難しいね。はい。
で、デジタルはその逆に進みがちなので、保存できますに進みがちなので、
より意識的に捨てるための方法をしないと、リニアに整理ってまず無理なんだろうなと。
無理、そうですね。
だから、スクラップボックスのいいとこって、非階層的にネットワークにいくらでも広げられるところなんですけど、
結局いくらでも広げるとリニアなアウトプットにはならないんですよね。
ならない、はい。
で、アウトライナーは階層構造を要求するからこそ捨てられるっていうところを、
やっぱり一回考え直した方がいいなとは今ちょっと思いましたね。
そうですね。
ネットワーク構造とアウトライン、ネットワークとアウトライン、もっと言ってもアイパーテキスト的なものとアウトライナーってどっちがいいの?みたいなことをよく言う方がいるんですけど、全然違うんですよね。
全然違いますね。
で、やっぱりネットワーク構造って何がいいかっていうと複雑な物事を複雑なまま置いとけるというか、
複雑な思考を複雑な状態のまま表現できるっていうのが一番いいところで、
それはもうアウトライナーには逆立ちしてもバレてきないということなんですけど、
ただそのネットワーク構造として表現された複雑な思考を文章にしろって言われたときにできないわけですよね。
そうですね。そのままではとても。
そうすると結局文章にするっていうのは複雑な構造をリニアに並べて、リニアな流れに乗っからないものは捨てるということなんで、
その作業をするときにアウトライナーが役に立つということですよね。
ただしアウトライナーはいくらでも組み替えが効くので、
使えなかったものを脇に置いといて、これ使えるって気づいた瞬間に持ってくるみたいなことができるんで、
捨てると言っても、何というか。
廃棄するわけではない。
そう、保留しておけるんです。
はいはいはい、そうですね。保留の感覚。
その保留できるということが実は結構大事。
そうですね。それは思います。
僕も原稿を原稿用紙みたいに破るんじゃなくて、第1項、第2項にしてるんで、
さっき言われたように3項書いてるときに、ここの記述は前と全く同じでいいなと思った部分はそのままコピーして持ってきますからね。
そうなんですよ。
だけどその記述が本当にそうやって使えるっていうことは、その3項になるまでわからない。
わからないですね、それは。
だから3項になるまでどっかに保留しておけないと、結局また書き直す羽目になるんですね。
そうですね。
54:04
でもね、たぶん今話してるような話をちゃんとどこかに書いてあるというのをたぶん見たことないよね。
僕も見たことないですね。
さっきの捨てる話でいうと、新しくアウトライン作り直して使える分を持ってくるって、
結果的には使えない分を捨ててるのと同じことなんですけど、ずっと捨てるよりも精神的なハードルが低いんですよね。
そうですね。
使えるものを持ってきてるんで、捨ててるんじゃないんですよね。
確かに、確かに。
結果的に残ったやつは捨てたことになるんですけど。
確かに。そうか。一式的に捨てる決断をしないっていう、
地図と地位と図でいうと、地位だけが見えるから図は聞いていくっていう。
そうなんですね。
捨てないで捨てるってやつですね。千葉さん風に言うと。
そうですね。千葉さん風に言うと。
捨てないで捨てるという。
それぐらい書いたこと捨てるのって難しいんですよね。
難しいんですよね。
しかも、それを決めてる時、その過虫にいる時って、
さっきも言ったように優先順位の衝突が起こってて、
本文に本当に必要なのか、自分がただ書きたいだけなのかが
瞬別できないんですよね、あれ。
できない、そう。そうなんですよ。
でもね、だいたい何書いてる時も一番苦労して、
ここがどうしてもうまくいかないっていう、
最後の最後までうまくいかなくて、こうもにゃもにゃしてるところって、
最後どう解決するかっていうと、
そこにあった自分の一番気に入ってたフレーズを削ると、
突然すっきり流れ始めたりするんですよ。
でもこれはかなり勇気がいる削り方なんですよね、多分。
大抵ね、自分の気に入ってた部分が邪魔してるんですよね、そういう時って。
僕もだから、この本を書くなら、あの本を紹介できるみたいな、
ウキウキした思いでプロットに組み込んでたんですけど、
3個って、そこまるっきり決めましたからね。
ありますよね、あの本のこれを引用してとか。
引用して、そうそう。
でも僕は書く時って毎回アウトライン立てずに真っ直ぐに書き進めるんですけど、
その時の流れに沿って進めると、きれいに出てこないんですよね。
で、書き終わった後に、あ、出てきてるのがあったって気づくんですけど。
それを書き直ししないで、その修正でやろうとすると、もっとそこが難しいのかもね。
うん、多分残るでしょうね、きっと。
残るっていうか、残してしまうか。
自分が書きたいことと、コンテンツが書けよと要請することが一致してるわけではないっていうことなんですけど、
そうなんですよ。
57:01
まあ難しいですよね。書きたいから書いてるわけなんで。
そう、だけど、面白いというか、力のある文章を書くためには、書きたいというその欲求がものすごく大事で。
うん、ですね、それは間違いない。
じゃないですか、だから。
それは間違いない。
まさにその書きたいという欲求の根源になっているそこが、実は邪魔になってるみたいなところで。
いやー、そうですね、なんかこう、面白いですね、なんか。
面白いですね。
あの、何やろう、えっと、幼児がエディフックスコンプレックスによって自分を傷つけて成長していくっていう話をちょっと思い出したんですけど、
あれ出発点となるコアを捨て去ることによって、でも初めてそれがコンテンツを成立するというこの、
だからやっぱり書き直しはまず避けられないっていうのはまずスタートですし、
そうですよね。
やっぱでも書きたいことから書き始めるのは全然悪いことではない。
悪いことではない。
でも確かにそういうなんか自分がなぜかこだわっちゃうその書きたい部分とか、
気に入ってるフレーズってなんか、やっぱさっきのぐらしささん言ったみたいにある種のコンプレックスみたいなものなんですよね。
なるほど。
これ、なんかあるじゃないですか、これを書くときっと誰かに褒められそうな気がする。
あるかもしれない、あるかもしれない。
そういう無意識に、こんなこと書いちゃって、すげえかっこいいな、俺みたいな、
そういう、やっぱりそういう非常になんというか、あんまり通常、人様に見せない自分の根源的なレベルの欲求みたいな、
はい。
社会的にはあんまり美しくない感じのものが、だったりするんですよね。
その気に入ってるフレーズって、フレーズとしてすごくそこの必要だから気に入ってるというよりも、
そのどこかで自分のそういう欲求と結びついてて、
だからこういうのフレーズが好きな俺、かっこいいみたいなことですよね、要するに。
そうそうそうそう。だからこそ取り除くのがすごく難しいんですけど。
そうですね。でもコンテンツの声に耳を傾けると自然とは何しろそれが薄まっていくっていう。
だからある種自己主張ばっかりやったものがコンテンツの方に寄っていくのが、僕の中でも第1個、第2個、第3個なんですね、きっと。
そうなんだけど、やっぱりそういう自分の内的な欲求と結びついたそのものでないと、
面白くないというか、書いてても面白くないし読む方も多分面白くないので、それはやっぱり無駄じゃないんですよね。
うん。あれなんで面白くないんでしょうね。そういう本っていうか文章って。
1:00:00
いやー、まあわかんない。それを面白いと感じない人もいるのかもしれない。
もちろんそうですよ。はい。
僕はやっぱりある種の書いた人の熱量を感じるものじゃないと面白いと思わないので。
そうですよね、やっぱり。
やっぱりその熱量があるということは何かしらの形でその人の個人的な内的な欲求と結びついてないとそうはならないはずだったんですよね。
だからこう、何ていうか、書きたいから書くを超えて、書かざるを得ないから書くぐらいの文章がやっぱり読んでて面白いんですよね、なんか。
そう。そう。だけどそういう書き方をすると、そういうその単なるエゴみたいなものが表に出てきちゃって、
それが邪魔したりするんで、それをどうやって削っていくかっていう。
そうです。だから当初からすると、当初のそのエゴにまみれた感じからすると、脱線してるわけですよね。
そうです。
それが新しい本性になるんですよね。
そうなんですよね。
いやー、そうか。まさかラカンの話に繋がるとは思えませんでしたけども。
そういう感じですよね。
そうなのか。でも今ちょっとすっきりしたな。そうや、確かにエゴにまみれてるから消しずらいんやろうなあいうのはなあ。
やっぱ自分の一部を削り取っちゃうみたいな。
あるんでしょうね。だから。
考え方があるんでしょうね、きっとそれは。
そうか。だから今、結城先生の読者のことを考えるというのは、やっぱりそのエゴの分を削り取っていくために必要な自信なんでしょうね、きっと。
そうですね。
ただ面白いのは、最初から一切そういうエゴ的なものを排除した状態で書こうとしても、たぶん思ってるようなものにはならないというか。
そうでしょうね、きっと。
なんか変に淡々としたものになっちゃうのかもしれないし。
そもそも欲求と結びついてないと、その、息切れしちゃうかもしれない。
そうでしょうね、きっとね。
興味がある対象で、自分が誰かに何かを言いたくて仕方がないことを書き始めるけども、その欲求には飲まれすぎないようにするために何度も書き直す。何度か書き直す。
結構だから、ひねくれた筆の執筆法ではあるけども、わりかし根源的な感じもしますよね。
どの程度これが一般化できるかわかんないですけど、でも少なくともこうやって話してて、共有できるものがありますよね。
まあ、もともと興味が重なる二人が喋ってるからバイアスがかなりかかってるとはいえ、
まあ、そうなんでしょう。
二人だけではないでしょうね。
1:03:01
ないと思いますよね。
やっぱりそういうところが邪魔して書けないっていうのは多分多くの人にあると思いますよね。
入っちゃったことが重くて書けないというか、書ききれなくなるというか、まとめられなくなるというか。
いやー、だいぶ考える回でしたね。スタートから予想もしないところに行きましたが。
今日何の話したっけ、もともと。
いや、書くことと、考えることと書くことかな。
発想と?
発想と文章で、カード型のビューとラウドライナーがどう違うかっていう話やったんですけど。
書き直すこと、書くことと書き直すこと。そうやな、書くことと書き直すことか。
そこって多分、文章を書くための発想法からは切り離せないところだと思うんですよね。
うん、確かに。
でもやっぱり文章を書くために文章を書くっていうこのねじれた構造が重要なんですよね。
文章をブログ記事書く前にアウトラインを3つ立てましょうっていうアドバイスがよくあるんですけど、
結局上手くいってる人ってアウトラインを考えながら文章を考えてるんですよね、基本的には。
それをわからずにアウトラインを3つだけ立ててもやっぱり上手くいかないんですよね。
裏側にちゃんと文章を考えてるっていうのは、働いてるかどうか、走ってるかどうかっていうところは、
執筆においても、そして多分大体の思考と呼ばれるものについても同じようなことが、
他人にそれを説明する場合は必ず文章を経なければいけないので、
文章を通して考えるってことをしておくっていうことは必須に近いですかね、きっと。
思いますね。
そうか。
そうなんですよ。まずアウトラインを作ります。で、作ったらそれに基づいて書きゃいいんですよって言って、
実際にそれをできちゃう人って、多分アウトライン作った段階ですでに文章はできちゃってるんですよね。
そういうことは別にアウトライン作らなくても多分書けるんだと思うんですよね。
だからすごい暗算得意な人が、一応手癖でその場を動かしてるみたいな感じじゃないですか。
それに近い人はいると思いますね。
もちろんね、書けるんなら全然それはいいわけじゃないですか。
1:06:01
この辺って、ツールとかカードでもアウトラインでもいいんですけど、ツールを使ってるっていう操作はいいんですけど、
その奥で、頭の中でどんな知的作用が起こっているのかって、基本的に名分化されないので、
ツールだけ渡されて結局使えないってことはね、そういう底から起きるんじゃないかなと思うんですよ。
そうなんですよね。ツールを同じように使っても同じ成果が出るわけでは当然ないので。
だけど同じ成果が出ないから自分はダメだったりとか、自分にはそのツールが合わないのかっていうと、もしかしたらそうじゃないかもしれない。
難しいな、これは。
知的作業って中が開示できないので、プロセスそのものの中身は脳の中身しかないので、伝えるのは難しいですけどね。
結構大事な話をしてました。
ありましたね。とりあえず。実践的なレベルでいうと、とりあえず捨てることって難しいんで、
捨てないで捨てるって案外有効だっていうのがノウハウ的に使える話で。
あと、情報執筆論ってそんな論はないですけど、
やっぱり実行と結びついたエネルギーの成るもとをいかに捨てられるかっていう、これは現代思想の話ですけど、
これはかなり重要な点ですね。僕は今後かなりこの話を重要に聞いてくると思います。
重要だと思うんですよね。
思いもよらぬ発見でしたね。
エゴとの付き合い方とか。
文章を書くっていうことそのものがエゴティックですからね。
それとは切り離せないですよね。
それをエゴでいいんやってって開き直るのか、ある種の中断性を用いてそれと和解していくかっていうようなアプローチがあって。
だから僕たちが文章を書くときに困るのって、文章はそういうエゴすぎてはいけないっていう別の理念というかスーパーエゴがあって。
でもエゴで文章を書き始めてて、そこの整合性を求めようとするからこんがらがあるんですよね。
エゴでいいやって開き直っている人は多分エゴな文章を書いて終わるんですけど、
そういうのではダメだと思っているから何とかしたいですよね、きっと。
そういうのではダメだと思っているし何とかしたいけれども、それでも最終的にそれを発表して何かしら評価をされたいと思っているわけだから。
1:09:01
そうやっぱりエゴは逃れる。
ある程度中和とか和解があるだけであって、異別するわけではないんですよね。
どうですかね、非常にねじくれたことをやっているんですかね。
そうそう、ねじくれたことを今やっているなと思いました。
いやでも文章を書くことはもうエゴの行為であるっていうことはやっぱり自覚しておいた方がいいと思いますよ。
まあ間違いないですね、それはね。
エゴでいいんだと思う。
そうやね、エゴであってほしいですよね、だからある種。
エゴさがない文章っていいよねとはならないですね、やっぱり。
ないです、それはないですよね、絶対。
ある種極端であってもその人の語りがある程度緩和されたら傲慢な文章でもいいですからね、不思議なことに。
逆に謙遜で書かれた文章も逆に反応につくことがありますからね、何か。
ありますあります。
その傲慢さをある一つの表現として消化できていれば、要するに本人にその傲慢なレベルよりも一段上のメタ視点みたいなものが本人にあって、
ちゃんとコントロールしているのであれば十分それは表現としてはなるということだと思いますね。
謙虚なのが話につくと逆にその己のエゴさに気づいていない可能性があるんですよね。
そうですね。
これは月の雑誌をなんてそろそろ閉めときますけど、何か発表したいとか予告したいこととかってございます?
発表、予告、ないです、今。
ないです。
僕もまだ今5章を書いているところなので、6、7章とかき終わってっていうところと、あとドマについての本をまた書こうと突然思いついたんで。
突然思いついたんで、3月、4月とかに書けたらいいです、と思っているところです。
ドマ本。
早く書かないとエネルギーが失われてしまうので。
旬というものがありますからね、自分の中に。
だから少なくともある程度エネルギーがあるときに執筆の荒方を進めておきたいなと思っているので、
そういうふうに、自分がノウハウの目釣りを忘れないうちにノウハウについて書くってことを今年の目標としますので、また多分書くと思います。
それぐらいかな。
じゃあ、ついでに僕も一応アウトライナー長文本を書いてますが、目標6万字なんですけど、8万字まで来てしまいました。
逆にでもそこから削るということですね。
難儀ですよね。
絵本を削る。
絵本を削るっていう。
絵本を削らなきゃいけないですね。
あと、書くためのアウトラインプロセッシングって仮タイトルなんですけど、書くためのアウトライナーの方がいいのかなとかね。
1:12:08
書くためのアウトライナーの方がまだいいでしょうね。アウトラインプロセッシングは一般人から2段階ぐらい離れてるんで。
2段階離れてますかね。
知的生産を知っている人だったらアウトライナーは、ちょっと聞いたことあるぐらいですけど、
アウトライナーを知っている人のごく一部がアウトラインプロセッシングを知っているんで、階段的に2段離れちゃってるんで。
で、多分というか、本完成しました。で、表紙作る前にタイトル決めますっていうところで、会議をするといいと思いますよ。
タイトル決め会議を何人か知人を集めてするといいと思います。
知人を集めて。はいはいはい。
タイトルだけは集合地に頼るのが、集合地というか、知人の地を頼るといいと思いますよ。
わかりました。
そこで、妙なエゴのこだわりを削り落とせると思うので。
そう、そこもエゴなんですよね。
そこが多分一番エゴが出るところだと思いますよ。きっと。
これエゴなんですよ。
こだわりというと、聞こえはいいけどエゴなんですよね。
エゴなんですよね、そこはね。
やっぱりタイトルは看板なんです。そこはね、一般、その点瓶を取ったときにやっぱり一般向けの重しをちょっと重くする方が、多分タイトルについてはいいと思うんで。
はい。
はい。まあ、それが進捗次第ということで。
えーと、今回の会についてちょっと、俺は執筆のエゴなんかないよとかいうような感想があれば、ハッシュタグ打ち合わせキャスト、いらがいない打ち合わせアルファベットでキャストまで、Twitterでお送りいただければクラスターがキャッチしたいと思います。
はい、というわけで今回はこれまでにしたいと思います。お疲れ様でした。
お疲れ様でした。
(字幕視聴ありがとうございました)
01:13:54

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