アウトライナーに並ぶ素材というのは、まだ調理される可能性がある素材が並んでいるんですけど、
情報、兄弟式情報カードの素材というのが、読んだ自分がインスピレーションを受けるという意味での素材であって、
それをそのまま加工して使うというものではないっていう。
そうでしょうね。
だからやっぱり、この2つは違うし、違うように管理しないとややこしいでしょうね、きっと。
そうですね。
だから結局、兄弟型カード、梅沙男さんとか周辺の人たちにとってのカードっていうのは、フィールドワークとか民主説につながっていて、
その発見の内容を書くわけですよね。
その発見の内容を書く以上、それがどんな発見なのかっていうのがきちんと、
なんていうか、説得的な形で書かれてないと、後から使うよりも使えないわけで、断片じゃいけないわけですよね。
断片ではなくて、やっぱりあれはマメ論文というからには、一つの始めがあって終わりがあることがあのカードに。
それ自身完結しているオブジェクト的なものであるべきだと。
そういう小さいカードにかける、マメ論文にかけるレベルの小さい発見がたくさん並んでいて、
それを繰りながら見ていくうちに、個別の発見を統合した、もう少し大きい理論だったり学説だったり、
なんていうのかわからないですけど、そういうものができてくるわけじゃないですか。
だからやっぱり、マメ論文それ自身が一つ一つの小さなミニアウトプットであって、
アウトプットのプロセスを支えるものとしての情報カードではないということだね。
ないと思います。
そうですね。そこは大切なところですね。
そうですね。
だからカードを書き換えるようなことは操作にも含まれない。
当然編集してもいいんですけど、並び替えて書き換えるようなことではなくて、
むしろ新しいカードを作ること、つまりミニアウトプットそのものを生み出すことがカードの役割。
だからやっぱりアウトラインに並ぶ項目、それは別にそういうアウトラインを作ってもいいんですけど、
書き換える執筆の時に使うアウトラインに並ぶのは情報カードではないということですね。
だと思いますね。
うーん、そうか。
だから同じカードでも随分インデックスカードとは違ってるんですよね、たぶん。
だから情報カードで言うと、おそらくインデックスカードのサイズと、あと名刺サイズのカード、もう一個小さいのと、
それが多分小座名とイコールサイズと思うんですけど、
あと兄弟式のB7かな、B7くらいのサイズのこの3つがあって、
縦一列に並べていたとして、
それを別にランダムに組み替えてなんかするってことはないですよね、基本的には。
ないですね。
それやろうとしてもね、多分、頭がパーンってなっちゃうだけで、あんまりうまくいかないと思います。
文章の流れ的に、これはこっちの下の方にあった方がいいなと思って、
クルッと移動させるっていうことはあるんですよね、きっと。
まあ、ありますね。
ありますけど、やっぱり一定以上、量が増えると多分それもできなくなる。
なるほど。
なるんじゃないかなと思いますね、アウトライナーだと。
だから、ここが全部アウトライナーで完結させるなら、
特に長いものだとガーッて書いて、一応書いたもののまとまりごとに見出しぐらいはつけるかもしれない。
はい。
見出しをつけて、一応どんなことを書いたかなっていうのが見渡せるようにした上で、
それは一回置いといて、別にアウトラインを作る。
やっぱそうなりますよね。
うん。
別にアウトラインを作って初めて、そのアウトライン、別に作ったアウトラインの中で、
この最初にガーッと書いたやつの中から使えるものを掘り出してきて、はめていくみたいな。
うん、それ僕結局、同じことを今、わざわざシフェーズ4でやってるんですけど。
そうか。
だからそうなるんですよ、やっぱり試行錯誤した結果として。
いや、なんとなくイメージとして、文章を書きました、ラフっぽいのできました、
アウトライン上で入れ替えてちゃんとした文章に直しましたって、いけそうな気がするじゃないですか。
いけないですよね、これ。
いけない。まあ短ければいけるか。
短ければいけますけど、はい。
4、5センチぐらいならいけると思いますけど、
2万3万超えるとね、やっぱり、なんていうか、
まさに僕も今書いてる内容がそういう話なんですけど、
一本の流れにしなきゃいけないんですよね。
そうですね、はい。
だけどその一本の流れに乗らないことがたくさん書いてあるんですよね。
はいはい、ありがとうございます。
で、それをあちこち入れ替えながら一本にしていくっていうのはすごく重いというか、
たくさん流れがある、しかもキーワードじゃなくて文章が書いてあると、さっき言った話でこう、
こういう風に流れたいという意思がたくさんあるわけですよ。
その意思同士が矛盾するんですよ。
そうですね、はい。
その中だけで考えようとすると。
で、お互いがお互いを邪魔し合っちゃうところがあって、
特にいいことを書いちゃってるほど、
あのー、いいこと同士が邪魔してこう動けなくなっちゃうみたいなことが起こるって。
タスク管理と優先順位がぶつかるっていうのに似てるんですけど、
その処理できなくなるんですよね、あれ。
そう、そうなんですよ。
だからよくフリーライティングして、それをグルーピングして使おうとしたけど、
うまくいかなくなっちゃったっていう人は多分その状態になってるんじゃないかなと思うんですね。
あー、なるほど。
だから、ただ逆にその素材としてそれだけ出したものは置いといて、
で、その出した内容の記憶が残っているうちに、
新たにアウトラインを作って、
然る後にそのアウトラインに使えるパーツを持ってくると。
そうすると自ずと使えないものは後に残るんですよね。
やー、やっぱそうですよね。そうなっちゃうんですよね。
そう。
そっか、やっぱしそうなんや。
で、それって僕はそのアウトライナーの使い方としてこう、そういうやり方してますけど、
多分アウトライナー使わなくても、
多分、あのー、無意識にみんなやってるのってそういうことなんじゃないかなと思う。
うーん、だから本当にその、
まあアウトラインに限らないんですけど、テキストエディターでも一緒なんですけど、
その既存の書いたものを、まあ、ちょこちょことというよりは、
ザクザクと直して、完成工に至るっていう道が、
あまりにもハードっていうことに、最近気づいたんですよね。
で、あんなことができると思ってたかもわからないですけど。
でもその今、倉下さんがよく書いてるやり方はもうそういう感じですよね。
いやもう全くその通りです。ほとんど。
だからもうその、最初に書きやろう。さっき言われたその、文章が伸びるままに伸ばしていって、
もう矛盾があっても気にせず伸ばしていって、書き終えた後に振り返って、
で、また新しく書き落とすっていうのをだいたい2回か3回やると、
まあスッといけるんですよ。
で、その、
不思議ですよね。
で、ずっといけること以上に、第1項と第3項がもうほぼ別の原稿になってるんですよね。
でね、その面白いことに、面白くはないんですけど、
あの、第1項の時に、その当然、最初にアイディア出し的なことをするじゃないですか。
流れは決めなくても、これは外せないなと、これを言っておきたいなっていうのがあるじゃないですか。
それことごとく落ちるんですよ、3項で。
ああ。なんかわかる気がします。
でね、そのやっぱり、既存の原稿を新しく書き落とすんじゃなくて、いじった時って、
その、3項で本来落ちるべきものが落とせずにいるんですよね。
はいはいはい。
でね、たぶん一番困るんですよ。
それってあれだよね、自分の気に入ってるものだったりするんですよね。
気に入ってるものか、その、当初思いついた時に、これは外せないだろうっていう、
その、ある種の思いの残響が残ってて。
で、でも、その書いてる文章からすると、そこはいらないんだけど、
そこに厳禁するためには、今の書いてる文章の流れをねじ曲げなければいけないみたいなことになって、
で、たぶん、とんざすか、そこを処理するたびにものすごいマインドパワーが発揮されるんですよね。
で、それによって、仮に発揮させてクリアした制度としても、
クオリティが上がってるかって言ったら、上がってないんですよね、これ。
ちょっと無理してたりするわけよ、流れが。
普通に落とした方がスッキリするし、クオリティも上がってたりするんですけど、
そのジャッジメントが既存の原稿を直せる時って、なかなかできないんですよね。
うん。これはだから…。
すごいわかりますよ、それは。
いやだから、昔の文豪って原稿をシュクシャクシュシャしてたじゃないですか。
あれは有効だったんじゃないかなと僕は思うんですけど。
いや、そうなんですよ。
生字再利用できない方が楽かもしれないっていう。
だから、1回目書いた時に、書いたことによって、自分はこの章で何を言いたいかが一段はっきりすると。
2回目書いた時に、どの順番で論説を並べたらいいのかがはっきりすると。
3回目に書き下ろすと、その通りに書けて、その通りに書くと、物の見事に出てこない話題があるんですよ。
はいはいはい。
だからやっぱり書き直すって無駄な作業に思えるし、アウトライン的に並べ替えて整えた方がスマートに思えるんですけど、
それは作業的にもクオリティ的にもあまり良くないなっていうのが、今実体験の結論ですね、とりあえずは。
そうなんです。だから逆に、例えばフリーライティングして素材出しして別にアウトライン作るんだったら、
じゃあその別に作るアウトラインを先に作ったほうがいいんじゃないかって思う人がいるかもしれないんですけど、そうじゃないんですよ。
そうじゃないですね。
そうじゃないっていうね。
いやだからこれは、プロセスによって自分の意識が変化するっていうことがあるから、そのプロセスを複数回することに意味があるとはもちろん言えるんですけど、
それ以上にやっぱり、このバザール執筆法を一番やって思ったのは、自分っていうのはやっぱり書きながら考える人なんだということなんですよ。
で、アウトラインを眺めてても何も考えてないなと、結局。
アウトラインを眺めて、アウトラインの項目をいじってたとしても結局考えるっていうことについてはほぼ進んでないんですよ、結局。
で、やっぱり考えが一番進むのってのはそれについて書くことなんだと。
だから書き続けることが一番考えてることなんだから、もうそれをすればいいっていう開き直りがバザール執筆法なんですけど、
だからやっぱり、俯瞰して全体がどうなってるのか確認するという意味でのアウトラインはもちろんいいんですけど、
実はほぼプログラマーの処方に入れてるんですけど、大抵のプログラミングって自作するよりはコピーペと回収で大体コードが足りてしまうので、
そういうふうに自分の道具を作っていく、アレンジしていくっていう感覚が、もしプログラミングで身につくんであればいいんですけど。
そうですね。
そうそう、だからこの前大橋さんとポッドキャストをしてたんですけど、
Excelのマクロと関数を使ってタスクシュート的なものの現象的なものを作らなかったんですけども、大橋さんって。
やっぱり元々システム開発とかプログラミングやってたんで、ツールを自分で作るっていう感覚を元々お持ちなんですよね。
はいはいはい。
何か問題が出てきた時に既存の方法を使うなり、あるいはそれをアレンジすると話して対処していくっていう問題解決の引き出しがちゃんとプログラミング精神で学ばれてるんですよね。
そういうのを得るのがパソコンやと思うんですよ。アランKが描いた。
はい。
だからやっぱり僕は、程度の差はあれ、ある程度プログラミングの素養を持つことは、
使う使えないにしろ、ある感覚を手にするっていう意味で、やっぱり大切だなと思うんですよね。
はい。
そこを避けて、例えば僕はよく言うんですけど、ワードプレスって便利なんですけど、
あれを改造しようとするとものすごい知識がいるんですよ、PHPの。
はい。
それだったら例えば、Pythonで正規表現使えるとかの方が身近ですし、はるかに役立つと思うんですけど。
そうでしょうね。
うん。だからそこを、仮にライフハックというんであれば、そういうとこをちゃんと視野に入れた方がいいと思う。
だからライフハックっていうそのものも、基本的に誰かのライフハックを真似するというよりは、
身の回りの自分の問題を小さな工夫で解決するってことが、ライフハックマインドだと思うんですよ。
そうだと思いますね。
だから指定で学ぶとか言うんじゃないんですよね。経典に当たるとかではなくて。
うん。
問題解決の引き出しを増やすっていうようなのが、多分ライフハッカーなんですよね。
そうだと思いますね。
そこが多分、だからある種受け取り手にも足りてないし、発信する方もなんかちょっとメンターブってしまったってところがあって。
うん。
だからちょっとその辺が間違いというか、あまり良い方向に進まなかったっていう理由かなと。
うん。
そう、だからあと全然話、さっき思いついて言い忘れたんですけど。
はい。
もう一回書き直す、新しく原稿を書き直す、アウトラインを立て直すっていうことって、
その一番何がいいのかっていうと、やっぱりその捨てられることだと思うんですよ。
はい。そうですそうですそうです。
で、それって例えば押し出しファイリングの効能としてもよく挙げられるんですよね。捨てるのがすぐ分かるっていう。
まあ難しいですよね。書きたいから書いてるわけなんで。
そう、だけど、面白いというか、力のある文章を書くためには、書きたいというその欲求がものすごく大事で。
うん、ですね、それは間違いない。
じゃないですか、だから。
それは間違いない。
まさにその書きたいという欲求の根源になっているそこが、実は邪魔になってるみたいなところで。
いやー、そうですね、なんかこう、面白いですね、なんか。
面白いですね。
あの、何やろう、えっと、幼児がエディフックスコンプレックスによって自分を傷つけて成長していくっていう話をちょっと思い出したんですけど、
あれ出発点となるコアを捨て去ることによって、でも初めてそれがコンテンツを成立するというこの、
だからやっぱり書き直しはまず避けられないっていうのはまずスタートですし、
そうですよね。
やっぱでも書きたいことから書き始めるのは全然悪いことではない。
悪いことではない。
でも確かにそういうなんか自分がなぜかこだわっちゃうその書きたい部分とか、
気に入ってるフレーズってなんか、やっぱさっきのぐらしささん言ったみたいにある種のコンプレックスみたいなものなんですよね。
なるほど。
これ、なんかあるじゃないですか、これを書くときっと誰かに褒められそうな気がする。
あるかもしれない、あるかもしれない。
そういう無意識に、こんなこと書いちゃって、すげえかっこいいな、俺みたいな、
そういう、やっぱりそういう非常になんというか、あんまり通常、人様に見せない自分の根源的なレベルの欲求みたいな、
はい。
社会的にはあんまり美しくない感じのものが、だったりするんですよね。
その気に入ってるフレーズって、フレーズとしてすごくそこの必要だから気に入ってるというよりも、
そのどこかで自分のそういう欲求と結びついてて、
だからこういうのフレーズが好きな俺、かっこいいみたいなことですよね、要するに。
そうそうそうそう。だからこそ取り除くのがすごく難しいんですけど。
そうですね。でもコンテンツの声に耳を傾けると自然とは何しろそれが薄まっていくっていう。
だからある種自己主張ばっかりやったものがコンテンツの方に寄っていくのが、僕の中でも第1個、第2個、第3個なんですね、きっと。
そうなんだけど、やっぱりそういう自分の内的な欲求と結びついたそのものでないと、
面白くないというか、書いてても面白くないし読む方も多分面白くないので、それはやっぱり無駄じゃないんですよね。
うん。あれなんで面白くないんでしょうね。そういう本っていうか文章って。