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2022-07-28 59:21

第百九回:Tak.さんとノウハウ書の在り方について

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はい、打ち合わせキャスト第109回ということで、今回もゲストに沢山お会いしております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
だいぶ前に感想か何かで、僕の喋りを等倍で、沢山の喋りを1.5倍ぐらいにするとちょうどいい。
僕があまりにも早く喋っているということで、気をつけようかなと思っているんですけども。
この打ち合わせキャストのネタ上のページの一番上に「ゆっくり喋ること」って書いてあるんですけどね、ついつい忘れて早く喋ってしまうんですよね。
書いてありますね。「注意!ゆっくり喋ること」って書いてあるんですね。
守れないということで。久々ということで、結構ツールなアップデートが今日あったので、それは全て丸と飛ばしまして、
簡単な話だっけ。結構大きいニュースだと思うんですけど、POMERAの新型が発表されたということで、DM250でいいのかな、型番は。
この界隈ではPOMERAっていうのは憧れのツールとしてよく語られており、
私も毎回買おうかなと思いながら毎回買ってないんですけども、今回もちょっと悩んでいるというか、
お高いと。お高いですね。VRマシンが買えるぐらいの値段なので。
そうですね、ちょうどそのくらいの値段ですね。文章を入力するというモノクロのツールで、
しかも通信もさほど簡単ではないみたいなところなのですが、熱狂的にPOMERAを好きな人がいて、その人が語る熱量にちょっと当てられて毎回欲しくなるんですけども、
でもやっぱり、現在になればなるほど、一つのことしかできない良さっていうのがより強調されている気がしますね。
そうですね。貴重ですね、これものはね。
そうそう。よく言われてますけど、アップデートがないと。ツール自体のアップデートがないと。
だから使い勝手が変わるということがなくて、ある種ハードウェアとソフトウェアがくっついているからこそ、
同じ使い勝手で使い続けられるっていうのは、アップデート地獄になっている昨今のツール化すると、ある種の快適さがあるのかなというふうに感じます。
そうですね。ちょっと欲しいです。今回一番欲しいです。
なんかアウトライン機能が変わったみたいなのをちょっと見ましたけども。
そうですね。質感がすごく良くなったように思えて、結構物的に欲しくなっちゃう感じですね。
うん、わかります。変えたら買うみたいな。結局買わないですけど、買った人に話を聞けたらなと思っております。
あと、僕のやるおは、やるおはちゃうわ、すべのおや、すべのおが発売から1年経ちまして、
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なんかあっという間やったなという感じです。特にニュースはないんですけど、1年経ったよということで、
まだ次の本も全然かけておりませんから。
ありがとうございます。これ何版いきました?
4かな、4か5かあたり。その辺です。
素晴らしい。
次の本も頑張りたいところです。あとちょっとライフハック的なんですけど、
Scrapbox というサービスに画像をアップロードすると、2つアップロード先が選べて、
1つだけ画像とアカウント連携するパターンと、あと Scrapbox の用意されているスペース、
ファイルスペース、1ギガ用意されているところにアップロードするかのような、
2種類が選べるんですけど、その Scrapbox のほうにアップロードした画像は、
OCR かけたテキストが入手、コピペできるようになりました。
これ結構便利で。特に電子書籍のスクリーンショットとかをコピペしてあげると、テキストがゲットできると。
それいいですね。
こういう使い方は結構便利。もちろん他にも画像テキストとか、PDF はどうなんかな。
ちょっとやってないから分からないですけど、OCR がかかったテキストが、画像をクリックして
ゲットテキストっていうボタンを押したら、入手できるようになりました。
ちなみに、画像に上げる場合は、今のところはゲットテキストは表示されないんですけど、
画像のプロ、有料版やと OCR テキストがゲットできるという機能がもともとついてますんで、
画像でやる方は画像を有料化しましょうということですね。
今回簡単にこれぐらいのニュースにして、本テーマに入りたいんですけど、
これ結構難しい問題で、僕もずっとノウハウ書を書きながら考えてる問題なんですけど、
ノウハウ書はいかに書けばいいのかっていう、いかなるあり方がノウハウ書にとって望ましいのかっていうこと、
ある種のビジョンを考えておるわけですが、もちろん正解っていうのはないとした上で、
僕結構好きな本に、何でも見つかる夜に心だけが見つからないという本がありまして、
これ臨床心理士の方が書かれている本なんですけど、一見題材としてよくある自己啓発症みたいな、
自分の心のモヤモヤと付き合う7つの方法みたいな題材で書かれてはいるんですけど、実際は違うんですね。
一つ目の僕らが難しい問題にぶつかったとき、本書の例えでいうと、暗い夜の海に小さな小舟で取り残されたようなときに、
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サポートになってくれるものを、処方箋と補助箋という言い方で、2パターンに分類されているんですね。
処方箋というのは、いわゆるキラキラ自己啓発症のことなんですけど、
ああしなさい、こうしなさいと明確に指示してくれている、その内容が含まれているものが処方箋と呼ばれています。
ポジティブに考えようとか、くよくよしないとか、他人に感謝しようとか、挙げていきたいというわけではないですけど、そういうものが処方箋だと。
これのポイントは、何をするべきなのかということを、かなり明確に告げられている。
混乱して何をしたらいいのかわからない人にとっては、ある種の灯台のようなものになる。
灯台のようなものは別にいいんやけど、問題はそれが必ずその人に合うかどうかわからないという問題を含んでいる。
合うか合わないかわからないというものは、本性の話、例えじゃないんですけど、
例えば明確に役立つ機能をするということがはっきりしているものを、西洋医学としたら、
記憶が効かないかわからないというのは東洋医学的なんですよね。合うか合わないかわからないというのは官方的というかね。
もし明確な指示で間違っていたとしたら状況がより悪化してしまう。これはなかなか怖い話だと。
それとは違うものがある。それが補助線だと。補助線とは何かというと、難しい問題をある種捉えやすい問題に分けることだと。線を引いて。
だからCという状況があったときに、そのCとの状況ってAとBが出したもんだよねって言えるっていうこと。
そして、AとC、AとBについて考えようという、そういうアプローチのことで。
この補助線という言い方が面白いのは、分けると分割すると。こんなのを分割せよとか言い方なんですけど、分けるんですけど分かれてないですね。
つまり図形そのものは変わってないわけですよね。そこのあるもともとの図形は。ただ線を引いて分かりやすくなっただけだと。
だから図形を割ったわけじゃない。割って2つバラバラに分割したわけじゃない。
その難しさはそのまま残ってるけど、その難しさの部分部分が理解できるようになるっていう言い方をされてます。
これはごもったいないなと思うんですけど、昨今のビジネス書っていうのがほぼ処方箋の形に取られてる上に、
ビジネス書の中でもノウハウ上、特に何々法とか何々力向上みたいなのも大体処方箋的に語られてると。
言った時に、それでいいのか、それだけでいいのか、それとは違うタイプのノウハウ書っていうのがあってもいいんではないかっていうのが、
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僕の中の問題意識としてあったと思います。
で、今朝、ファイナルベントさんっていうアルファブロガーの方がツイートされてたんですけど、
思考っていうのは一般解ではなくて具体解について考える、具体的な解、個別解っていうことですね。
個々の状況において答えを出すことだと。
これはまさにさっきの話やなと。さっきの話でつながるなと。
結局処方箋っていうのは一般解なんですよね、要するに。
万人に向けてこうせようというと。
でも具体解っていうのは、例えば100人の人が、100人中98人がこれをしてるけど、
俺はそっちじゃないよなっていうときにどうするかっていうことを考えるってことなんですよね。
だからそれを、そっちの方向をサポートするノウハウ書っていうことがあり得たらもっといいのではないかなというのが思って。
どうしたらそんな風に書けるのかなっていうのを考えてるんですけど、
処方箋とか補助箋ないし、一般解、個別解、具体解かっていうような捉え方ってたくさんの中にあります?
そうですね、そういう言葉は使ってないと思いますけど、
まさに今の話は僕もここのとこずっと考えていることにつながっている感じがしますね。
例えば僕だったらアウトライナーについて何か書くっていうときに、
どういう位置づけで喋るのかというか。
要するにこれを使ってこの方法でやればもう夢のように書けますよとか、夢のようにもうタスクが整理されて、
今何をやって次何やるかはもう整理されて何も悩みがなくなりますよという書き方をすることもできるわけじゃないですか。
そうですね。
まあでも嘘じゃないですか。
だけど、じゃあどういう書き方をするのかっていうのはそんなに簡単ではないんですよね。
あまりにも自信なさげに、もしかすると役に立つかもしれないから、よろしかったら試してみていただいたらどうですかみたいな書き方をするのもなんかちょっと違うと思いますよね。
やっぱりそのノウハウというかそのやり方、方法を提示する以上は自信を持って語るべきだと思うし、
もちろん自信を持って語れないことを提示するべきじゃないと思う。
そうですね、確かに。
ただその、何というか、これが絶対の正解ですというわけにもいかない。
じゃあどう語るのかっていうことをやっぱりずっと悩むわけですよね。
そうですね。
いろいろ試みてきてそれがうまくいってるかどうかもやっぱり自分ではわからなくて、
そうですね。
っていうところでどうしようかなと日々考えますね。
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自分のことでいうと、スベノっていう本はそのへんにチャレンジした本でもあって、
なんやこれってツッコまれたこともあるんですけど、ノウハウ技法に名前がないのがあるっていう。
あなたを名付けてください。
だからある種の人にとって、つまり処方箋を期待する人にとったら職務放棄してるわけだよね、著者が。
一方、そのような問いの提示で、あなたが名前をつけていい、つまりあなたがその方法をつくっていいんだっていう、
背中の押し方っていうのをしていかないと、僕にとってはその人の問題の解決に役立たないんじゃないかと思って、
そういう書き方をしているんですよね。
僕の中のノートの結論って、みんな好き勝手に使えばいいなんですね。
でも、もうそれでは本にならないわけで。
なので、いろんな方面から自分の体験とか大きな歴史を踏まえて、その本について魅力を語った上で、
最終的にはここに書いてある方法を超越してもいいよっていう書き方をしてるんですけど、
これも僕の中でうまくいってるかどうかは、わからない一つの実験でしかなくて、
今日か昨日か、たくさんが公示された「Life Outline実践01」っていう記事を読みまして、
そこでもちょっと最後の方に語られてたんですけど、
あなた自身のアウトライン、ライフアウトラインをつくっていきましょうっていうようなニュアンスのことが書かれてて、
これはまさに素晴らしいなと。
あとはその素晴らしいものを実装していくためにどういう文章の構成のされ方がなされるんだろうかなというのも期待していて、
思ってるとこなんですよね。
だからこう、なんていうんかな。
例えば、自分が完全と思える正解をまず提示して、違う考え方もありますよというふうに提示する。
対象は、自分は正解を100分分かってるけども、例えば80分ぐらいにとどめておいて、
20分はその読者の手を待つみたいな待機型もあるでしょうし、結構いろいろパターンがある。
さっきの一般界と個別界っていう話でいうと、ライティングの哲学が素晴らしいのって、
結局個別界が4つ並んでるっていうことだって気がついたんですね。
だから一般界にならない。リビジョンの面白いのはそこなんですね。2人の個別界が並んでると。
だから、僕とたくさんが違うのをやったら読者も違うって、これはもう、ごくナチュラルな形ですよね。
あなたはどうするんですかっていう問いが読者に渡されるっていう形に、
そういうことが文章になってなくても、そういうふうになっていく構図があるなと。
ただしこれはやっぱり複数の人間が書けるから使える手であって、
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1人の人間が書くことに、自分1人で書いてるのに、その内容を相対化できるような、
資座を提供するっていう、ちょっと曲芸的なものがあるんですけど、
でも、やっぱり目指したいところはなんかその辺にあるのかなという感じですね、今は。
まさに同じですね。
まあ、おかげさまの倉下さんと同じっていうのもおこがましいですけど、でも同じですよね。
やっぱりスベノンは、でもやっぱり読んでて感じましたし、
ああ、それをやろうとしてるんだなということを感じましたし、
僕はあれは成功してたと思いますし、
もうちょっと批判めいたレビューとかつくかなと正直思ったんですよね。
でも、まあ皆無ではないけど、意外にないじゃないですか。
意外になくて、結構あの作りが好意的に受け取った人が多かったんだなというのを見たときに、
まあ結構変な言い方ですけど、勇気づけられるものがありましたね、あれは。
だから、答えを求めて、処方箋を求めてる人がいる一方、
それだけでは足りないと感じてる人もやっぱ確実に増えてるのかなと。
で、やっぱり2000年から2010年代のビジネスショーっていうのが徹底的に処方箋的であって、
それはヒットはしたんですけど、結局、それぞれに所有の問題を解決しなかったんではないかなとは、
まあしないでしょうね、しなかったとは思うんですよね。
だから、そこでやっぱり、ある種の期待とそのギャップがあって、
まあこういうのではダメだなって割と周知されてきて、
その次の世代、ノウハウ書の書き方自体も次の世代になんか転換していかないといけないのかなという、
今までみたいにその自分の方法論をあたかも一般論、一般界のように語るっていうやり方はもうなんか行き止まりな感じがしますね。
そうですね。
だからそことどうするのかっていう方法が多分いろいろあるはずだとは思うんですけど、
でもやっぱり一つにはなんかこう、本なので、ノウハウ書でやっても本なので、やっぱりそれを本、
僕はまあやっぱりちょっと昔の本のイメージを重ねちゃうのかもしれないですけど、
やっぱりどういう物語に乗っけるかというか、どういう語りに乗っけるかっていうのがすごく大事な気はしていて、
するんですけど、それをやるにはやっぱりこう、文章能力というか出力が必要になるんで、
まあそこで壁が壊れるわけですよね。
僕の場合はね。
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ただやっぱり、読者の期待する手法線が直接的に書いてないとしても、その読ませてしまう力ってやっぱり文章の力だと思うんで、
やっぱりそういうものが必要になるんじゃないかなと、思いますね。
そして自分にそれができるのか。
そうですね。
例えば、小説なんていうのは別の人間の人の人生なり、それの虚構が書かれてるんですけど、
それを読む読者が自分の人生に引きつけて読むってことがあるように、
相対化してないけど相対化される文章っていうのは多分、ノウハウの提示し方っていうのは多分あるんでしょうね。
と思いますね。
自分が好きなその種の本って多分そういう本ですね。
あとはそれを内蔵させてる要素を構造解析して、自分に持ち込めるかどうかっていうところと、
あとそれが現代に受け入れられるかどうかっていうこの2点でしょうね。
そうですね。
やっぱり一つには引き出しの多さだと思うんですよね。
なるほどね、確かに。
引き出しっていうか、余談じゃないんですけどね。
直接書いてないことの背景にあるものを感じさせるような人っているじゃないですか。
そうやって考えていくと、ますます自分の実力と乖離していく感じがしますよね。
ビジョンが高くなりすぎる感じがありますね。
一つの方法として、独学大全のような、選ぶのを迷うぐらいの選択肢を出して、
あとは自分で組み立ててくださいっていうやり方ももちろんあると思うんですよ。
やる語はそれと似た感じかな。
具体的、処方箋を示したというよりはガイドブック、あるいはカタログみたいな形で提示して、
方法は自分で組み立てるしかないよっていうところ。
やっぱりちょっとこれ突き放しすぎてるし、
さっき言った著者の語りそのものが薄まってしまってるので、
何かがない。説得力がないというか、魅力がないというか。
独学大全は別に魅力はあるんですけど、
あいまいまの親父さんの語りがストーリーの形になってるから、
そこに人間がいるから、その相乗効果であの本はいいと思うんですけど。
だからただ技法を並べるだけだと、何て言ったらいいんかな、
組み立てようと思えないかな、なんて言うてんかな。
レゴブロックたくさんバーって並べられても、やっぱ混乱するじゃないですか。
見本ってやっぱいると思うんですよね。
見本が正解じゃなくて、レゴを作ったら建物が作れるよっていう、
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まずイメージがないと始まらないじゃないですか。
そういう意味での例示が最初にはいるんかなとは思いますけども。
そうですね。
繁容…。会話、人それぞれって言っても、共通する部分、繁容的な部分はおそらくあるでしょうし。
そこから話を始めるか。
あと最近考えてるのは、テンプレートというとあれなんですけど、
ひな形かな。
ここ、本当にシンプルなものしかなくて、それだけでは不完全だけど、
ここから変えていきましょう、加えていきましょうっていう形。
だから基本フレーム+プラグインかな、みたいな感じで示すと、
その人の方法論を組み立てて安くなるのかなという感じかな。
僕の中にあるイメージとしてそういう書き方が、だいたい今考えてるバリエーションですね。
そうですね。ある種のテンプレートっていうのはありですよね。
テンプレートって言うと、いわゆるテンプレって訳される意味でのテンプレートと捉えられてしまうかもしれなくて、
多分そういうことじゃないですよね。
だから真っ白い粘土というか、土台基礎、なんて言ったらいいんかな、これは。
ひな形もそのままコーヒーで使われるような感じのイメージがあるけどな。
だから、コッシーですね、要するに。アウトラインですよね。
それを提示できた。だからタスク管理ってのも最終的に一人一人絶対違うはずですけど、
例えばやることをメモするみたいなとこは外せないと思うんですよね。
全部頭で覚えましょうっていうのはタスク管理じゃないじゃないですか、多分。
それを例えばどんなリストを作るかは人それぞれっていうとこはあると思うんですよ。
だからGDDはそこのアレンジ性が結構低いように書かれていた感じが。
なるほど。
あのリストは、アレンが考えた内緒は一般的に平均とったらこんなリストですよっていうだけであって、
リストの形はもっと様々ですよっていう風に書かれていたら、
もうちょっと息苦しさっていうのが減ったんじゃないかなと思うんですけども。
不思議ですよね。GDDって結構自由度が高いはずなのになぜかガチガチに捉えちゃうところがあって。
一方ではGDD風なんだけど、GDD風なだけでGDDじゃないものになっちゃったりもするし。
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なんか受け取り方が難しいですよね、あれ。どうなんだろうな。
自由度が高すぎるからそうなっちゃうんですかね、それとも。
いやだから問題はやっぱりフローチャートでしょうね、あれ。
あー、あの有名な。
あの図式があると、もうだって頭に浮かんだ気になることって、
ルートが定まってしまうというか、いわゆる逸脱不可能になってしまうわけで。
そこじゃないですか。だから人の頭の判断があれだけで進んでるのかってことですよね。
なるほど、なるほど。
もちろん進む人もいるでしょうけどっていう、またその合う合わないみたいな話になりますが。
合わなかったときに結局、あっちにフローチャートに合わせなきゃならない気になるんですよ、きっと。
あー、なるほどね。
そこがたぶん、方法論といえばその伝え方の問題としてそれがあるんじゃないですかね、きっと。
うーん。
うーん。
だから、やっぱり技法そのものをカスタマイズ可能なものとして受け取られずに、さっき言った処方箋。
この通りに薬を出しなさいっていうのと同じような感じで、買い難いものとして受け取られるから、
それの人の方法論が作れないと。
だから、アレンがGDDで僕はこういうのを考えてますって提示した後で、何かドアを開けるようなことが書かれていたら、
もっとフレーキ作りに受け取られたでしょうけど、でも逆性的にその場合そこまでGDDはヒットしなかった可能性もありますけどね。
うーん。
そうですね。
アレンさんね、あれ動画で喋ってんのとか聞くと結構自由というか。
うん。わかります。
いや、そういうふうにやんなくても別にいいんですよみたいな、こう、柔軟なんですよね、実はアレンさん自身が。
はいはいはい。
ただその本の書き方がそう見えたのか、まああのフローチャートのせいなのか。
そうですね。
だから俺はやっぱり情報の提示の仕方っていうのが、その需要者に与える認知的な偏り?って難しく言うと、
勘違いされやすいってことですけど。
あんまりその同じノウハウを伝えようとしてもやっぱり、どういう文章で書く、どういう図を用いて表現するとかによって、やっぱり変わってくるもんだという気がしますね。
うん。
特に本の場合は語り直せないんで、特にそうでしょうね。
そうですね。
うん。
まあ、答えは全然ないんですけども。だからこういうことを考えた時に、例えばこれを、こういうどうやってノウハウを書くかっていうことを、書き手個人、書き手の技能とか思考とかっていうところの職人間にしてしまうと、結局そのノウハウ書そのものが広まらなくなってくるんで。
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はい。
で、ここもだから二重になってくる。ノウハウ書の書き方のノウハウっていうものも、ある種開かれた形で、技法とまでは言わなくても、ある種のプロトコル的な、こういうふうに書いとくと良いのではないか。あるいはこういう要素を抜かさないようにしておくと良いのではないかっていうことを、なんか考えられたら。
うん。
で、こういうふうに、自分のプロトコルの中で、自分のプロトコルの中で、自分のプロトコルの中で、自分のプロトコルの中で、自分のプロトコルの中で、自分のプロトコルの中で、自分のプロトコルの中で、自分のプロトコルの中で、自分のプロトコルの中で、自分のプロトコルの中で、自分のプロトコルの中で、自分のプロトコルの中で、自分のプロトコルの中で、自分のプロトコルの中で、自分のプロトコルの中で、自分のプロトコルの中で、自分のプロトコルの中で、自分のプロトコ
ノウハウ書、何でしょう、ノウハウ記事みたいなのが、より効果的に書けるんじゃないかなと。で、それの究極が多分その学術論文なんだろうなっていうふうにちょっと考えてるんですけど。
ほう、それは意外な。
結局あれも、その、読み手と受け手の中でプロトコルが成立するわけじゃないですか。ここにこれが書いてあってっていうところがあって、読めるわけじゃないですか。
形式的な意味での、はい。
だから、僕は多分タフさんもそうですけど、形式っていうのがあんまり好きではないんですが、その情報をやりとりする、ある種通信っていうのを行うときに、皆さん自由になりましょうというのでは、受け手の負荷が高すぎるんですよね。
はい、はいはい。
なので、たとえばノウハウ、自分の作ったノウハウを他の人に知らせたい場合に有用な形式っていうのを考えておくことは、全体の情報交流を増やす上では有用やろうなというふうに、最近考えを改めてますね。
なるほど、なるほど。
それを考える上でも、ノウハウの在り方っていうのかな、をどのように位置づけるのかっていう問題に結びついてくると。
うん。
うん。
なんか、それでいうと、ごめんなさい、いいですか。
はい。
それでいうと、僕すごい思うのがやっぱり、個別ノウハウの重要性というか。
そうですね、はい。
と思いますね。一般化しすぎないで、個別のノウハウをこそ書いてほしいというか。ただし、その個別のノウハウで終わらないで、そこからどうその、この個別ノウハウがどう一般化できるのかというところにつながる何かがやっぱり必要だと思いますけど。
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はい。
それすごい感じますね。その個別性がないと、なんか読めなくて、あの、ただの情報になっちゃって。
確かに。
本を読むというモチベーションがなんかこっちにこう浮かばなくなっちゃう。それは僕の個人的な好みもあるんでしょうけど。
逆に、よく書けた個別ノウハウって、直接書いてないことで役に立ったりもする性があるんですよね。
なるほど。
やっぱり自分が昔から好きなのって、そういうものな気がしていて。
それでも面白い話ですよね。個別ノウハウってのは徹底的に具体的っていうことですけど、
でもそれが別のとこに役立つってことは抽象的なわけで、具体であるからこそ抽象であるっていう、その不思議な関係があるわけですね。
そうですね。
で、当然それはオレオレノウハウではいけないわけですよね。
そうですね。
個別ノウハウとオレオレノウハウっていうのは似てるけど違う。
だからそこの線引きをどうつけるかですね。
そこが難しいですよね。そうなんですよ。
だから安易に一般化しないっていうのはあるでしょうね。オレオレノウハウっていうのは安易な一般化がなされてるものやとは思うんですけど。
自分を完璧な人間と思ってる人のノウハウはダメですよね、きっと。
まあそうでしょうね。
おそらく自分の弱さと直面した後に出てくるノウハウがオレオレノウハウじゃないものになるような気がしますけど。
能力の限界を理解しているっていうことは最低限必要でしょうね。
だからその自覚が役に立つのかな。
そうですね。調子は自身、かけて自身の能力の限界もそうだし、その手法の限界もそうですから。
後ろを意識してないといけないし。
やっぱりその手法の、その前にあった従来の手法に対するリスペクトというか。
それを今までの方法を小バカにするようなものっていうのは、語りの都合上そうなっているかもしれないですけど。
ちょっと読んでて気持ちよくないなと思うものもありますよね。
あと、まったく無視するのも良くないですね。
何の元気もなくて頭から自分が考えたように語り出すのはまずいですよね。
いや、本当に何も参照してないといいんですよ、もちろんね。
でもそんなことはまずないわけで。
要するに自分の方法が何の上に乗っかっているのかということが、ちゃんとわかるようにってことですよね。
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論文みたいにガチガチに参考文献を列記する必要はないかもしれないけれども。
その存在をちゃんと感じさせるものっていうことですかね。
ノウハウが必要されるのは、基本的に何か困った問題が生じたときにノウハウが要請されるわけですけど、
まず困った問題があったときに、やっぱりその問題に対する分析が必要ですよね。
それに対して一つの仮説としてこういう方法をやった、でうまくいったっていうような書き方であれば、
オレオレにはならないかなとは思いますけども。
分析って言っても、それの質が問題なわけですけど。
そうなんですよね。それがすごく自分に都合のいいもんもダメだし、
かといって学術論文かと思うような、場合によってそれもいいのかもしれないですけど、
あまりにも堅苦しいのもちょっとあれだし。
その辺の柔らかい語り口の本、書き方がそれほど確立されてないっていうことかな。
極端な、要するに日本のかどうかは知りませんけど、こういうのってめっちゃ硬いかめっちゃ柔らかいかっていうところで、
やや知的な違反するっていうのが結構ないというか。
技法だけでは足りずに、困ってる状況と、
野口さんの調整理由で言うと、まず困ってる状況があると。
その解決方法を調べて実際やってみると。
そうすると、実践上の問題が出てくると。
それでは解決しないということが一つわかる。
それを超える方法を提示するっていう論文ですけど、
言われた一般的なものをやってみたけどうまくいかなかったっていうところが多分重要で、
そこが検討ですよね。先行研究の検討がそこで行われてるわけですよね。
だから論理立てに説得力もあるし、多分共感もあると思うんですよね。
自分もそうやっていう。そこら辺が多分ポイントになるのが、
オレオレじゃないものになるっていうところだから。
そうですね。
ここは、悩ましい問題ではありますけど、このままではあかんっていうのはあって、
やっぱりあともうちょっと広くみんなに書いてほしいなっていう。
例えば、最近トンネルチャンネルというやつやってるわけですけど、
例えば、皆さんのタスク管理について教えてくださいっていうようなことを仮に提示したとしたときに、
どうやって書けばいいんだろうっていう疑問は絶対発生すると思うんですよね。
そこをうまくいくと引き出せるような、さっき言ったコピーじゃないテンプレみたいなのがあれば、
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最終的に本にしなくても僕はいいと思うんですよ。記事の形で出てても。
それぞれの人が何を考えてどういう形で処理しているのかっていう情報が出てくれば。
特に、あえて言うと凡人、何でもない人がどう工夫してるのかっていう話を引き出すために、
そういうテンプレートって役立つんじゃないかなと思うんですよね。
どうしてるんですかっていうときに、例えば、Todoistを使ってますって答え返ってきただけじゃ全然足りないわけじゃないですか。
こっちが何を聞きたいのかをより明確にするために、例えば何で困ってるからこれをこうしたみたいな大きな話の流れみたいなのを提示した方が情報って出やすいし、
それを考えたときに自分が書くコンテンツも、やっぱりそれって王道っぽいんであまりにもひねりがないように自分は思えてしまってちょっと距離を置きますけど、
やっぱり一周回ってそういう王道で書いた方が良いのではないかという気も、ひねりすぎって着地に失敗することがあるので、
結構まっすぐにそういうのを書いてみた方がいいのではないかなと思うんですよ。
なるほど。
いやー、わからないですよ。
なるほど。
やっぱりひねりすぎってあるじゃないですか。
ありますね。
そこは自己満足で終わってることがあるんですよね。
もちろんそう、悪いとは言いませんけど。だからそのRevisionとかも後半はひねってますけど前半はひねってないじゃないですか。
僕はとりあえずひねってないですけど、僕の場合は。
そうですね、書き手の人格がひねじれてるからそうですよね。
まあでも、
ひねろうとしなくてもひねれちゃう。ひねられて出てきちゃうことってあるわけですよね。
ありますね。
でもやっぱ王道と言われても意味が偶然になってるわけじゃなくて認知的に授業しやすいから王道ってなってるわけで、
そこをまっすぐできるやつがひねるのとひねらせるのと言えないからひねるっていうこととちょっと違いがあるということなんでしょうけど。
それはそうだと思いますね。
ある種王道回帰的なもの。
で、こう難しくしない。かといって単純化しない。
特に処方箋にはしないっていう。
だと処方箋っていうのが一つ、僕の中でもノウハウ性の書き方の方向性ですね。
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出版社とかは処方箋的なものを求めてきゃあると思うんですよね。なんせわかりやすい。
そことどう折り合いをつけるかっていうところも一つの鍵になるし、
ある種そこの綱引きがあるからこそいいんじゃないかなと思いますけどね。
脱処方箋といったときに、それは処方箋的な内容が少しも入ってないというイメージですか。
わけではないですね。それは無理でしょうし。
さっきの「なんでも見つかる夜」にも書かれてるんですけど、処方箋の反対は補助箋なんですけど。
補助箋っていうのは、さっき言ったように要素を分割しなくて線引きするだけやって言ってるんで、
つまり、一つのノウハウにも割合として処方箋部分と補助箋部分があるという言い方をするんですよね。
これも今、非常にねじれた話をしてますけど。
なので、例えば僕が書く本があったとしても、1割、2割は処方箋みたいなものが含まれてて、
入り口部分は処方箋みたいなのが含まれてるけど、読み進めていくと補助箋になっていく。
補助箋になっていくってどういうことかっていうと、問題解決というよりは問題の捉え方を教える本っていう形になっていて、
解決策を自分でメイクしていくとか、デベロップメントしていくとか、いろいろ言い方ありますけど、
自分で作っていくっていうことが望ましいし、多分真なる問題解決っていうのはそういう形でしか得られないと思いますね。
これ思いますと言ってもいいんじゃないですかね。
例えばタスク管理って言ったときに、職場での勤務時間内だけのやることを処理するっていう部分であれば、ある程度処方箋はあると思うんですよ。
でも言ってもそれも例えば職場の雰囲気とか文化によって多少分岐はあると思うんですよね。
でもこのタスク管理がより一般化して自分の人生のやることっていうふうに広がった瞬間に、
もうこれは処方箋は役立たない。それぞれの人生はもう違うわけですから。
だからいわゆるセルフマネジメントって呼ばれるものは、ほぼすべてその人の人生の問題をどう解決するかっていう大きな課題を解決するものなので、
それは絶対に本を読んで、そこに書いてある解決方法を実践してうまくいきましたっていうことは、ないと言っていいと思うんですよね。
ないでしょうね。
おそらくあると思ってるのは、自分の問題を限定的にしか見てないっていうことやと思うんですよ。目をそらしてるというか。
だから基本的にはそれぞれの人が自分の問題を解決していく。
だからノウハウ者としては、解決方法というよりは問題の捉え方とか、あるいはそのどう解決方法を組み立てていけばいいのかっていうところを提示するしかない。
42:08
それはもうありとあらゆるノウハウについて言えるんじゃないですかね、きっと。
そうですよね。だからそのタスク管理の例で言うと、今溢れちゃってるタスクをとりあえず整理して優先順位つけて何とかしましょうっていうところはおそらく処方箋でもある程度いいわけですよね。
だけど、それをある程度やって今の当面の危機を出したとして、じゃあどうするのとほっとけばまた同じようになりますよね。
じゃあどうするのっていう話から先は多分処方箋じゃなくなっていくわけですよ。
特にその先ほどの方が機能するのって優先順位が明確な時だけですよね。
そうです。
だから状況が片付いたときに優先順位これでいいのかっていう問題に着面するんですけど、そればっかりはどこにも答えが書いてないわけですからね。
そうです。
何を重要するにするかその人が判断するしかないっていうのも当たり前の話なんですけど、だからやっぱり処方箋部分と補助箋部分っていうのが絶対に両方含まれていると。
逆に言うとこれまでのノウハウ処方箋が解決できてたのってその低い部分だけなんですね。処方箋で通じる部分だけで、そうじゃない部分はある種無理やり解決したことにしてしまうみたいな感じになってるんで。
だからやっぱり本を読み終えた人が開かれた気持ちになる。自分の問いを受け取った気持ちになるっていうもんでないと、多分ダメなんじゃないですかね、それは。
そうだと思いますね。
まあその難しいことを僕ら考えすぎてるかもしれませんけど、そんなこと考えずにアウトライアンの使い方を紹介したいとか思われるかもしれないけど、やっぱりそうじゃないんですよね、それは。
そうじゃないんですよね。
いやまさにその今の優先順位の例が一番わかりやすくて、それこそライフアウトラインの話にそれまさにつながっちゃいますけど、結局その昔ながらのその例えば、タスク管理っていう言い方は当時してなくて、昔そのスケジューリングとか、
そういうやることをどう管理するかみたいなそのビジネス処理、必ず一昔前まで必ず書いてあったのは、この優先順位をまずつけて優先度の高いものから実行しましょうって書いてあるわけですよ。
だけどそれをやろうとしたときに、多分自分だけじゃないと思うんですけど、つけられないんですよね、優先順位が。
全部重要だし、しかも重要なもの同士が矛盾するというか、お互いに足を引っ張り合うみたいな。
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じゃあどうするのかっていう、一番肝心なことが結局わからないんですよね。
だから結局そこをどう捉えるか。で、もちろん優先順位を決められるのはその個人個人でしかないんですけど、
じゃあ優先順位を決めるっていうのはどういうことなのか、どういうことを優先順位を決めるというのかっていうところに入ってくわけですよね。
で、そこには多分いろんな考え方とかいろんな言い方があって、
っていうところですよね。そこで何をどう書くかっていう。
そこだからそんな問題はなかったかのように扱うこともできますし、最後は読者にバトンを渡して本を閉じることもできますし、
それはまあいろいろだと思うんですけど、やっぱりそういう個々の人生でないと解決、
答えを出せない、つまり状況が与えられてないから答えがないっていうことなんですけど、
ことを含むというか、個人の考えとかノウハウを世間に知らしめるときには必ずその、
受け取り手の人生がわからない以上何も言えないっていうところがあるはずなんで。
だからこそこのノウハウですべて解決しますって言ってるのは、そこのを無視してるというか、
その、語り手の人生と受け手の人生があたかも一緒であるかのように語ってるというか、
それはもう疑問でしかないので。
そうですね。
だからそうですね、そういう謙虚さを持つとまあ確かに迫力がなくなりますが、
まあでもやっぱりじんわりと長く読まれる、いや違うな、
真の解決をもたらすには、そう、じゃあ解決じゃないか、
その人の人生の問題を、問題の問い立てができるのはそういう本だし、
多分それが真に役立つっていうことだと思うんですけど。
真に解決はしなくても真に役立つものは多分ある。
あると思いますね。
あるんですよね。
解決はしない。
しないですよ。
問題解決は問題発見の役にしか立てないっていうところ。
そうですね。
まあもちろん経営とかある仕事のプロジェクトの中っていう、
関与限定すればそこでの問題解決っていうのは多分あるでしょうけれども。
それですら僕は怪しいと思いますよ。
そうか。
マネジメントとかの問題っていう、
例えばある会社がGoogleのやり方をマネしたらうまくいくって、
これありえないわけじゃないですか。
そうですね。
だから結構それは疑問っていうか、
ある種のナレッジビジネスの中の幻想じゃないですか、きっと。
じゃあやっぱり解決しないんですね。
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しないと思うんですよね。
だからやっぱり灯台というか、方向性を示してくれるから進みやすくなるけど、
果たしてそっちが自分たちの進みたい方向かは分かってないっていうことですから。
やっぱりそこで必要なのは、
本来自社が抱えている状況とか問題を分析するところから始めるはずを、
いきなり解決策を求めるから、やっぱり転覆しちゃうわけで。
そこをせっせい、せっせいと答えを先に与えるようなのは、
その主体のためにはなってない気がしますね。
だから僕の中で最近のビジネスはだいたいバズるしなんですけど。
そうですね。そんなとこかな。
これ難しいというか、これ自身も答えがないんですけど、
やっぱり違う書き方をしていきたい、新しい書き方をしていきたいっていう思いはずっとありますね。
単純に昔に戻りたいというほどではないんですけど。
昔に戻りたいということではないですよね。
あとやっぱり先ほども田浦さんがおっしゃられた、
分拝まかせの方法っていうのはやっぱり限界があるので。
そうですね。分拝がなきゃもう終わっちゃいますもんね。
方法論として、それこそ技術ですよね。
ちくしょうさんの技術として何か書けるものが、まとめられるものがあったらいいなと思うんですけどね。
僕が今言ったような原則って、
最近のビジネスに全部中指立ててるようなことなんで、
あんまりポピュラーにはならないと思うんですけど。
昔、そういうその種の本を読んで、結構ときめいたというか興奮したようなことがすごく減ってるんですけど、
それは要するに、自分が歳をとったせいもおそらくある。
分からないですね。差分だとおれらから。
それがあるから、やっぱりちゃんと比較できないんですよね。
確かに何かが変わった気はするんですけど、
自分の受け取り側のみずみじさが失われているということも、もちろんあるにしてもそれだけじゃないような気はするんですよね。
少なくとも知的資産系の新商一群と最近のビジネス書類を見比べたときに、
語り手の顔とか声が全く立ってこないっていうのはありますね。
それ、先ほども情報しか載ってないっていう。
それだったらもうググるっていう話なので。
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だからビジネスモデルとしてもまずいんじゃないかなと。
あれだったらGoogleとかYouTubeに勝てない気がするんですよね、ああいう声のない文章って。
そうですね。で、顔が見える本っていうと、
あの、堀英文博之メンタリストさんっていう。
みたいな、逆にもう顔が全面に出てる感じになる。
顔しかないみたいな。
そうですよね、確かにこの著者はどういう人かっていうのはなんとなく伝わってくるようなものっていうのがありましたよね、実用書であっても。
それはどうなんでしょうね。やっぱりあんまりやっちゃいけない感じなんですかね、そういうのって。
そうすると、一般界に聞こえないからじゃないですかね、きっと。
その人の個人の語りに落ちてしまうみたいな。
でもさっき言われたように、実はその個人の語りの中にこそ抽象性があるっていう逆転ですよね。
はい、そうなんですよ。
あ、そうか。抽象的に語られたことは抽象の階段が登れないですね。今なんか当たり前のこと気づきましたけど。
具体的であるから抽象の階段が登れない。
そうそうそうそう。
そうですね、確かに。今言われて気がつきましたけど。
だからその、抽象、バイウスにアウトライナー的に言うレベルアップしながら読めるような具体論というか。
そうか、そういうことかもしれないですね。
だからまあ、具体的に書くっていう、個人的に書くっていうのがやっぱり一つの方法で、
しかも今、規避されてるけども、実はある種の古典的な方法でもあるし。
実はそれは一瞬待って、ブログ時代に本来はぴったりやったはずなんですよね。
そうか。
そうなんですよ。それで今思ったんですけど、
ただ昔の例えば、知的生産系の新書を書いてるのって、知的生産のプロの人じゃないわけですね。
梅沙男さんにしても野口さんにしても、
その手の橘さんでもいいですけど、要するに本業があって、そこでもう揺るぎない名前と実績がある人が書いていて。
だからこそ、違うジャンルでああいうものを出すということができたと思うんですけど。
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本を出すっていう、本として出すということを考えると逆に、そうじゃない、
ノウハウ書を書く専門みたいな人っていうのは、逆にすごく同じようなことはやりにくくなるわけですよね、たぶん。
そうですね。
逆に、例えば一昔前までのブログですごく人気を博して本になった、もちろん今でもありますけど、
そういうものっていうのは、本業での名前がない代わりにブログでの実績っていうものがあって育っていたんだけれども、
ちょっとそういうこともやりづらくなってきたというか、文字情報の世界ではやりづらくなったというか。
確かに。
っていうのはありますよね。
入り口が別の意味で狭くなってる。
うーん、たしかに。
そうですね。
ブログというのが一つの選択肢から落ちつつあるっていうのはまあ、たしかで。
でも、ノウハウを伝えるという意味で言えば、単純に言えば、YouTubeのほうがいいんでしょうね、それは。
単純にノウハウを伝えるのであればそうでしょうね。
だから文章に文筆力がなくても、自然にその人の顔と声が出てくるわけですから、それはもう。
それを一般論法語らなければ、実際YouTubeにそういうの大量ありますからね、私のEmacsの設定方法みたいなのが大量に出てますから。
ある種ナチュラルに行くとそういう行動でのしゃべりになって、ブログはやっぱりある程度文章を書けるっていうことがどうしても前提になってしまうんで。
いやーでも文章で書いてほしいなー。
ノウハウの紹介って言っても、やっぱり文章のほうがいい気がするんですよね。
なんででしょうね。わからないです。
でも思考があるから、考えが見えるからじゃないですかね。
特に動画の場合は、最新型、こうなりました、結果しか出てこない。
文章の場合は経過が、さっき言ったように途中経過が語られやすい。文章というか、要するにボリュームのあるコンテンツということですけども。
その辺の違いはあるかな。
わかりやすいのは動画のほうがわかりやすいですね。
そうですね、場合によって。特にEmacsの設定とかって画面が見えていたほうが当然いいっていうところもあるし。
そういったオートライナーだってそうなんだよな。
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操作とか動きとか、ダイナミズムがポイントな場合に言って動画のほうがはるかに迫力はありますからね。納得しやすいというかね。
そうですね。
操作を覚えてもらえばいいっていうもんでもないし。
そうなんですよ。
動画でわかりやすかったとしても、例えばリターンキー叩いたときにどこで開業されるかっていう感覚って自分で文章を打っているときでないと発展しないと思うんで。
だからやっぱり実践してもらうのが一番ですね。何を言ってもそうなりますよね。
そうですね。
そういうことを最近考えていたのと、見つけたコンテンツで何か近しいことがあったんで、ちょっと深掘りしてみた次第です。
今僕はセルフマネジメント系の本を書いておりまして、どう書くのかって、ずっとだいぶ悩んでるんですけど。
でもやっぱり役立つ本にはしたいですね。
そうですね。
こんなところで、大田区さん何かお知らせしたいこととかありますかね。
さっきもちらっと出していただきましたけど、ノートの定期公読マガジン、アウトライナーライフという定期公読マガジンで、
先月までアウトライナー基礎講座という連載をやっていたんですが、
それが終わって新しい連載でライフアウトライン実践という連載をちょうど今日から始めました。
よろしくお願いします。
前半部分結構読めますけど、ここから先は有料部分ですんところが非常にいいんで、皆さん有料で読みましょう。
そうですね。
じゃあ今回の感想と、こんなノウハウ書が読みたい、あるいはこんなノウハウ書に感動したっていうことがあれば、
#打ち合わせキャスト、ひらがなで打ち合わせアルファベットでキャストまでいただければ、皆さんがチェックしたいと思います。
では今回はこれまでにしたいと思います。お疲れ様でした。
お疲れ様でした。
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