はい、打ち合わせキャスト第109回ということで、今回もゲストに沢山お会いしております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
だいぶ前に感想か何かで、僕の喋りを等倍で、沢山の喋りを1.5倍ぐらいにするとちょうどいい。
僕があまりにも早く喋っているということで、気をつけようかなと思っているんですけども。
この打ち合わせキャストのネタ上のページの一番上に「ゆっくり喋ること」って書いてあるんですけどね、ついつい忘れて早く喋ってしまうんですよね。
書いてありますね。「注意!ゆっくり喋ること」って書いてあるんですね。
守れないということで。久々ということで、結構ツールなアップデートが今日あったので、それは全て丸と飛ばしまして、
簡単な話だっけ。結構大きいニュースだと思うんですけど、POMERAの新型が発表されたということで、DM250でいいのかな、型番は。
この界隈ではPOMERAっていうのは憧れのツールとしてよく語られており、
私も毎回買おうかなと思いながら毎回買ってないんですけども、今回もちょっと悩んでいるというか、
お高いと。お高いですね。VRマシンが買えるぐらいの値段なので。
そうですね、ちょうどそのくらいの値段ですね。文章を入力するというモノクロのツールで、
しかも通信もさほど簡単ではないみたいなところなのですが、熱狂的にPOMERAを好きな人がいて、その人が語る熱量にちょっと当てられて毎回欲しくなるんですけども、
でもやっぱり、現在になればなるほど、一つのことしかできない良さっていうのがより強調されている気がしますね。
そうですね。貴重ですね、これものはね。
そうそう。よく言われてますけど、アップデートがないと。ツール自体のアップデートがないと。
だから使い勝手が変わるということがなくて、ある種ハードウェアとソフトウェアがくっついているからこそ、
同じ使い勝手で使い続けられるっていうのは、アップデート地獄になっている昨今のツール化すると、ある種の快適さがあるのかなというふうに感じます。
そうですね。ちょっと欲しいです。今回一番欲しいです。
なんかアウトライン機能が変わったみたいなのをちょっと見ましたけども。
そうですね。質感がすごく良くなったように思えて、結構物的に欲しくなっちゃう感じですね。
うん、わかります。変えたら買うみたいな。結局買わないですけど、買った人に話を聞けたらなと思っております。
あと、僕のやるおは、やるおはちゃうわ、すべのおや、すべのおが発売から1年経ちまして、
なんかあっという間やったなという感じです。特にニュースはないんですけど、1年経ったよということで、
まだ次の本も全然かけておりませんから。
ありがとうございます。これ何版いきました?
4かな、4か5かあたり。その辺です。
素晴らしい。
次の本も頑張りたいところです。あとちょっとライフハック的なんですけど、
Scrapbox というサービスに画像をアップロードすると、2つアップロード先が選べて、
1つだけ画像とアカウント連携するパターンと、あと Scrapbox の用意されているスペース、
ファイルスペース、1ギガ用意されているところにアップロードするかのような、
2種類が選べるんですけど、その Scrapbox のほうにアップロードした画像は、
OCR かけたテキストが入手、コピペできるようになりました。
これ結構便利で。特に電子書籍のスクリーンショットとかをコピペしてあげると、テキストがゲットできると。
それいいですね。
こういう使い方は結構便利。もちろん他にも画像テキストとか、PDF はどうなんかな。
ちょっとやってないから分からないですけど、OCR がかかったテキストが、画像をクリックして
ゲットテキストっていうボタンを押したら、入手できるようになりました。
ちなみに、画像に上げる場合は、今のところはゲットテキストは表示されないんですけど、
画像のプロ、有料版やと OCR テキストがゲットできるという機能がもともとついてますんで、
画像でやる方は画像を有料化しましょうということですね。
今回簡単にこれぐらいのニュースにして、本テーマに入りたいんですけど、
これ結構難しい問題で、僕もずっとノウハウ書を書きながら考えてる問題なんですけど、
ノウハウ書はいかに書けばいいのかっていう、いかなるあり方がノウハウ書にとって望ましいのかっていうこと、
ある種のビジョンを考えておるわけですが、もちろん正解っていうのはないとした上で、
僕結構好きな本に、何でも見つかる夜に心だけが見つからないという本がありまして、
これ臨床心理士の方が書かれている本なんですけど、一見題材としてよくある自己啓発症みたいな、
自分の心のモヤモヤと付き合う7つの方法みたいな題材で書かれてはいるんですけど、実際は違うんですね。
一つ目の僕らが難しい問題にぶつかったとき、本書の例えでいうと、暗い夜の海に小さな小舟で取り残されたようなときに、
サポートになってくれるものを、処方箋と補助箋という言い方で、2パターンに分類されているんですね。
処方箋というのは、いわゆるキラキラ自己啓発症のことなんですけど、
ああしなさい、こうしなさいと明確に指示してくれている、その内容が含まれているものが処方箋と呼ばれています。
ポジティブに考えようとか、くよくよしないとか、他人に感謝しようとか、挙げていきたいというわけではないですけど、そういうものが処方箋だと。
これのポイントは、何をするべきなのかということを、かなり明確に告げられている。
混乱して何をしたらいいのかわからない人にとっては、ある種の灯台のようなものになる。
灯台のようなものは別にいいんやけど、問題はそれが必ずその人に合うかどうかわからないという問題を含んでいる。
合うか合わないかわからないというものは、本性の話、例えじゃないんですけど、
例えば明確に役立つ機能をするということがはっきりしているものを、西洋医学としたら、
記憶が効かないかわからないというのは東洋医学的なんですよね。合うか合わないかわからないというのは官方的というかね。
もし明確な指示で間違っていたとしたら状況がより悪化してしまう。これはなかなか怖い話だと。
それとは違うものがある。それが補助線だと。補助線とは何かというと、難しい問題をある種捉えやすい問題に分けることだと。線を引いて。
だからCという状況があったときに、そのCとの状況ってAとBが出したもんだよねって言えるっていうこと。
そして、AとC、AとBについて考えようという、そういうアプローチのことで。
この補助線という言い方が面白いのは、分けると分割すると。こんなのを分割せよとか言い方なんですけど、分けるんですけど分かれてないですね。
つまり図形そのものは変わってないわけですよね。そこのあるもともとの図形は。ただ線を引いて分かりやすくなっただけだと。
だから図形を割ったわけじゃない。割って2つバラバラに分割したわけじゃない。
その難しさはそのまま残ってるけど、その難しさの部分部分が理解できるようになるっていう言い方をされてます。
これはごもったいないなと思うんですけど、昨今のビジネス書っていうのがほぼ処方箋の形に取られてる上に、
ビジネス書の中でもノウハウ上、特に何々法とか何々力向上みたいなのも大体処方箋的に語られてると。
言った時に、それでいいのか、それだけでいいのか、それとは違うタイプのノウハウ書っていうのがあってもいいんではないかっていうのが、
僕の中の問題意識としてあったと思います。
で、今朝、ファイナルベントさんっていうアルファブロガーの方がツイートされてたんですけど、
思考っていうのは一般解ではなくて具体解について考える、具体的な解、個別解っていうことですね。
個々の状況において答えを出すことだと。
これはまさにさっきの話やなと。さっきの話でつながるなと。
結局処方箋っていうのは一般解なんですよね、要するに。
万人に向けてこうせようというと。
でも具体解っていうのは、例えば100人の人が、100人中98人がこれをしてるけど、
俺はそっちじゃないよなっていうときにどうするかっていうことを考えるってことなんですよね。
だからそれを、そっちの方向をサポートするノウハウ書っていうことがあり得たらもっといいのではないかなというのが思って。
どうしたらそんな風に書けるのかなっていうのを考えてるんですけど、
処方箋とか補助箋ないし、一般解、個別解、具体解かっていうような捉え方ってたくさんの中にあります?
そうですね、そういう言葉は使ってないと思いますけど、
まさに今の話は僕もここのとこずっと考えていることにつながっている感じがしますね。
例えば僕だったらアウトライナーについて何か書くっていうときに、
どういう位置づけで喋るのかというか。
要するにこれを使ってこの方法でやればもう夢のように書けますよとか、夢のようにもうタスクが整理されて、
今何をやって次何やるかはもう整理されて何も悩みがなくなりますよという書き方をすることもできるわけじゃないですか。
そうですね。
まあでも嘘じゃないですか。
だけど、じゃあどういう書き方をするのかっていうのはそんなに簡単ではないんですよね。
あまりにも自信なさげに、もしかすると役に立つかもしれないから、よろしかったら試してみていただいたらどうですかみたいな書き方をするのもなんかちょっと違うと思いますよね。
やっぱりそのノウハウというかそのやり方、方法を提示する以上は自信を持って語るべきだと思うし、
もちろん自信を持って語れないことを提示するべきじゃないと思う。
そうですね、確かに。
ただその、何というか、これが絶対の正解ですというわけにもいかない。
じゃあどう語るのかっていうことをやっぱりずっと悩むわけですよね。
そうですね。
いろいろ試みてきてそれがうまくいってるかどうかもやっぱり自分ではわからなくて、
そうですね。
っていうところでどうしようかなと日々考えますね。
自分のことでいうと、スベノっていう本はそのへんにチャレンジした本でもあって、
なんやこれってツッコまれたこともあるんですけど、ノウハウ技法に名前がないのがあるっていう。
あなたを名付けてください。
だからある種の人にとって、つまり処方箋を期待する人にとったら職務放棄してるわけだよね、著者が。
一方、そのような問いの提示で、あなたが名前をつけていい、つまりあなたがその方法をつくっていいんだっていう、
背中の押し方っていうのをしていかないと、僕にとってはその人の問題の解決に役立たないんじゃないかと思って、
そういう書き方をしているんですよね。
僕の中のノートの結論って、みんな好き勝手に使えばいいなんですね。
でも、もうそれでは本にならないわけで。
なので、いろんな方面から自分の体験とか大きな歴史を踏まえて、その本について魅力を語った上で、
最終的にはここに書いてある方法を超越してもいいよっていう書き方をしてるんですけど、
これも僕の中でうまくいってるかどうかは、わからない一つの実験でしかなくて、
今日か昨日か、たくさんが公示された「Life Outline実践01」っていう記事を読みまして、
そこでもちょっと最後の方に語られてたんですけど、
あなた自身のアウトライン、ライフアウトラインをつくっていきましょうっていうようなニュアンスのことが書かれてて、
これはまさに素晴らしいなと。
あとはその素晴らしいものを実装していくためにどういう文章の構成のされ方がなされるんだろうかなというのも期待していて、
思ってるとこなんですよね。
だからこう、なんていうんかな。
例えば、自分が完全と思える正解をまず提示して、違う考え方もありますよというふうに提示する。
対象は、自分は正解を100分分かってるけども、例えば80分ぐらいにとどめておいて、
20分はその読者の手を待つみたいな待機型もあるでしょうし、結構いろいろパターンがある。
さっきの一般界と個別界っていう話でいうと、ライティングの哲学が素晴らしいのって、
結局個別界が4つ並んでるっていうことだって気がついたんですね。
だから一般界にならない。リビジョンの面白いのはそこなんですね。2人の個別界が並んでると。
だから、僕とたくさんが違うのをやったら読者も違うって、これはもう、ごくナチュラルな形ですよね。
あなたはどうするんですかっていう問いが読者に渡されるっていう形に、
そういうことが文章になってなくても、そういうふうになっていく構図があるなと。
ただしこれはやっぱり複数の人間が書けるから使える手であって、
1人の人間が書くことに、自分1人で書いてるのに、その内容を相対化できるような、
資座を提供するっていう、ちょっと曲芸的なものがあるんですけど、
でも、やっぱり目指したいところはなんかその辺にあるのかなという感じですね、今は。
まさに同じですね。
まあ、おかげさまの倉下さんと同じっていうのもおこがましいですけど、でも同じですよね。
やっぱりスベノンは、でもやっぱり読んでて感じましたし、
ああ、それをやろうとしてるんだなということを感じましたし、
僕はあれは成功してたと思いますし、
もうちょっと批判めいたレビューとかつくかなと正直思ったんですよね。
でも、まあ皆無ではないけど、意外にないじゃないですか。
意外になくて、結構あの作りが好意的に受け取った人が多かったんだなというのを見たときに、
まあ結構変な言い方ですけど、勇気づけられるものがありましたね、あれは。
だから、答えを求めて、処方箋を求めてる人がいる一方、
それだけでは足りないと感じてる人もやっぱ確実に増えてるのかなと。
で、やっぱり2000年から2010年代のビジネスショーっていうのが徹底的に処方箋的であって、
それはヒットはしたんですけど、結局、それぞれに所有の問題を解決しなかったんではないかなとは、
まあしないでしょうね、しなかったとは思うんですよね。
だから、そこでやっぱり、ある種の期待とそのギャップがあって、
まあこういうのではダメだなって割と周知されてきて、
その次の世代、ノウハウ書の書き方自体も次の世代になんか転換していかないといけないのかなという、
今までみたいにその自分の方法論をあたかも一般論、一般界のように語るっていうやり方はもうなんか行き止まりな感じがしますね。
そうですね。
だからそことどうするのかっていう方法が多分いろいろあるはずだとは思うんですけど、
でもやっぱり一つにはなんかこう、本なので、ノウハウ書でやっても本なので、やっぱりそれを本、
僕はまあやっぱりちょっと昔の本のイメージを重ねちゃうのかもしれないですけど、
やっぱりどういう物語に乗っけるかというか、どういう語りに乗っけるかっていうのがすごく大事な気はしていて、
するんですけど、それをやるにはやっぱりこう、文章能力というか出力が必要になるんで、
まあそこで壁が壊れるわけですよね。
僕の場合はね。
まずイメージがないと始まらないじゃないですか。
そういう意味での例示が最初にはいるんかなとは思いますけども。
そうですね。
繁容…。会話、人それぞれって言っても、共通する部分、繁容的な部分はおそらくあるでしょうし。
そこから話を始めるか。
あと最近考えてるのは、テンプレートというとあれなんですけど、
ひな形かな。
ここ、本当にシンプルなものしかなくて、それだけでは不完全だけど、
ここから変えていきましょう、加えていきましょうっていう形。
だから基本フレーム+プラグインかな、みたいな感じで示すと、
その人の方法論を組み立てて安くなるのかなという感じかな。
僕の中にあるイメージとしてそういう書き方が、だいたい今考えてるバリエーションですね。
そうですね。ある種のテンプレートっていうのはありですよね。
テンプレートって言うと、いわゆるテンプレって訳される意味でのテンプレートと捉えられてしまうかもしれなくて、
多分そういうことじゃないですよね。
だから真っ白い粘土というか、土台基礎、なんて言ったらいいんかな、これは。
ひな形もそのままコーヒーで使われるような感じのイメージがあるけどな。
だから、コッシーですね、要するに。アウトラインですよね。
それを提示できた。だからタスク管理ってのも最終的に一人一人絶対違うはずですけど、
例えばやることをメモするみたいなとこは外せないと思うんですよね。
全部頭で覚えましょうっていうのはタスク管理じゃないじゃないですか、多分。
それを例えばどんなリストを作るかは人それぞれっていうとこはあると思うんですよ。
だからGDDはそこのアレンジ性が結構低いように書かれていた感じが。
なるほど。
あのリストは、アレンが考えた内緒は一般的に平均とったらこんなリストですよっていうだけであって、
リストの形はもっと様々ですよっていう風に書かれていたら、
もうちょっと息苦しさっていうのが減ったんじゃないかなと思うんですけども。
不思議ですよね。GDDって結構自由度が高いはずなのになぜかガチガチに捉えちゃうところがあって。
一方ではGDD風なんだけど、GDD風なだけでGDDじゃないものになっちゃったりもするし。
出版社とかは処方箋的なものを求めてきゃあると思うんですよね。なんせわかりやすい。
そことどう折り合いをつけるかっていうところも一つの鍵になるし、
ある種そこの綱引きがあるからこそいいんじゃないかなと思いますけどね。
脱処方箋といったときに、それは処方箋的な内容が少しも入ってないというイメージですか。
わけではないですね。それは無理でしょうし。
さっきの「なんでも見つかる夜」にも書かれてるんですけど、処方箋の反対は補助箋なんですけど。
補助箋っていうのは、さっき言ったように要素を分割しなくて線引きするだけやって言ってるんで、
つまり、一つのノウハウにも割合として処方箋部分と補助箋部分があるという言い方をするんですよね。
これも今、非常にねじれた話をしてますけど。
なので、例えば僕が書く本があったとしても、1割、2割は処方箋みたいなものが含まれてて、
入り口部分は処方箋みたいなのが含まれてるけど、読み進めていくと補助箋になっていく。
補助箋になっていくってどういうことかっていうと、問題解決というよりは問題の捉え方を教える本っていう形になっていて、
解決策を自分でメイクしていくとか、デベロップメントしていくとか、いろいろ言い方ありますけど、
自分で作っていくっていうことが望ましいし、多分真なる問題解決っていうのはそういう形でしか得られないと思いますね。
これ思いますと言ってもいいんじゃないですかね。
例えばタスク管理って言ったときに、職場での勤務時間内だけのやることを処理するっていう部分であれば、ある程度処方箋はあると思うんですよ。
でも言ってもそれも例えば職場の雰囲気とか文化によって多少分岐はあると思うんですよね。
でもこのタスク管理がより一般化して自分の人生のやることっていうふうに広がった瞬間に、
もうこれは処方箋は役立たない。それぞれの人生はもう違うわけですから。
だからいわゆるセルフマネジメントって呼ばれるものは、ほぼすべてその人の人生の問題をどう解決するかっていう大きな課題を解決するものなので、
それは絶対に本を読んで、そこに書いてある解決方法を実践してうまくいきましたっていうことは、ないと言っていいと思うんですよね。
ないでしょうね。
おそらくあると思ってるのは、自分の問題を限定的にしか見てないっていうことやと思うんですよ。目をそらしてるというか。
だから基本的にはそれぞれの人が自分の問題を解決していく。
だからノウハウ者としては、解決方法というよりは問題の捉え方とか、あるいはそのどう解決方法を組み立てていけばいいのかっていうところを提示するしかない。
じゃあどうするのかっていう、一番肝心なことが結局わからないんですよね。
だから結局そこをどう捉えるか。で、もちろん優先順位を決められるのはその個人個人でしかないんですけど、
じゃあ優先順位を決めるっていうのはどういうことなのか、どういうことを優先順位を決めるというのかっていうところに入ってくわけですよね。
で、そこには多分いろんな考え方とかいろんな言い方があって、
っていうところですよね。そこで何をどう書くかっていう。
そこだからそんな問題はなかったかのように扱うこともできますし、最後は読者にバトンを渡して本を閉じることもできますし、
それはまあいろいろだと思うんですけど、やっぱりそういう個々の人生でないと解決、
答えを出せない、つまり状況が与えられてないから答えがないっていうことなんですけど、
ことを含むというか、個人の考えとかノウハウを世間に知らしめるときには必ずその、
受け取り手の人生がわからない以上何も言えないっていうところがあるはずなんで。
だからこそこのノウハウですべて解決しますって言ってるのは、そこのを無視してるというか、
その、語り手の人生と受け手の人生があたかも一緒であるかのように語ってるというか、
それはもう疑問でしかないので。
そうですね。
だからそうですね、そういう謙虚さを持つとまあ確かに迫力がなくなりますが、
まあでもやっぱりじんわりと長く読まれる、いや違うな、
真の解決をもたらすには、そう、じゃあ解決じゃないか、
その人の人生の問題を、問題の問い立てができるのはそういう本だし、
多分それが真に役立つっていうことだと思うんですけど。
真に解決はしなくても真に役立つものは多分ある。
あると思いますね。
あるんですよね。
解決はしない。
しないですよ。
問題解決は問題発見の役にしか立てないっていうところ。
そうですね。
まあもちろん経営とかある仕事のプロジェクトの中っていう、
関与限定すればそこでの問題解決っていうのは多分あるでしょうけれども。
それですら僕は怪しいと思いますよ。
そうか。
マネジメントとかの問題っていう、
例えばある会社がGoogleのやり方をマネしたらうまくいくって、
これありえないわけじゃないですか。
そうですね。
だから結構それは疑問っていうか、
ある種のナレッジビジネスの中の幻想じゃないですか、きっと。
じゃあやっぱり解決しないんですね。