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2025-04-10 1:29:49

第百七十一回:Tak.さんとナレッジツールに対する想像力について

Summary

今回のエピソードでは、辞書アプリやMCP(モーダルコンテキストプロトコル)などの新しい技術ツールが紹介され、日常のコンテンツ制作や文学に対する思索が展開されます。また、DuckDuckGoや村上春樹の作品についての見解も共有されます。このエピソードでは、Tak.さんがナレッジツールの利用とその効果について探求します。特に、ワークフローイとバイクというツールの違いや、それぞれの特徴が創造性に与える影響について語ります。 第百七十一回のエピソードでは、ナレッジツールとAIの関係についての想像力、特に生成AIがもたらす新しい文体やプロセスの変容に焦点が当てられています。シュガンスキーの記事を通じて、文章を書くプロセスのデジタルツールへの依存度とその限界についても考察されています。このエピソードでは、Tak.さんがAIを活用した知的プロセスについて考察し、生成AIの活用方法やその影響について議論します。特に、アウトプットの質や文章作成における個人性の重要性について深く掘り下げられています。 このエピソードでは、情報を読んでいるのではなく、文章を書くことに関する深い考察が行われています。また、デジタルツールと生成AIについての不安定性や、その利用方法が人間の認知や思考に与える影響についても触れています。このエピソードでは、デジタルツールの使用に関する教育と、学生がそれらのツールをどのように学んでいるかについて考察しています。特に、パワーポイントやワードといったツールの操作におけるニーズの違いや、教育のあり方が議論の中心となっています。 このエピソードでは、想像力とナレッジツールについての議論が繰り広げられています。特に、異なる価値観や期待がどのようにツールの評価に影響を及ぼすかが言及され、知的な道具に対する理解を深めようとしています。

辞書アプリとセール情報
Speaker 2
うちあわせCast第百七十一回ということで、今回もゲストにたくさんお返ししております。よろしくお願いします。
話題が盛りだくさんなんですけれども、まずは辞書が安くなっているということで、
4月2日から23日までなので、まだ放送期間中ですけれども、もののか機動さんの辞書アプリが
全ラインナップ安くなっているのと、あとワープロツール、
EasyWordの結構安くなってたはずで、通常価格8,000円が5,200円ということで、
EasyWord Universal 2をもし買おうと思っている方があれば、絶好の買う機会なんで、
あと、こういうセールがあるたびに1個ずつ辞書を買って、辞書を揃えていくというのも楽しみに試みましょう。
辞書なんて何個あっても困らないんで。
それがなんかすごい人生の栄養ですね。
もののか機動さんの辞書ツールって、串刺し検索というのかな、複数の辞書を同じ単語で引くことができるというので、
これ増えれば増えると楽しさが増すので、新学期なんで、新しく学生になった方とかは辞書を揃えておくのがよろしいかと思うので、チェックしてみてください。
Speaker 1
かわせみフォームもぜひぜひ。
MCPと生成AI
Speaker 2
あと、MCPっていうのが最近話題なんですよ。
Speaker 1
何ですか、MCPって。
Speaker 2
モーダルコンテキストプロトコルだったかな。
なんかそんな逆語のやつです。
モーダルコンテキストプロトコル。
AIと、生成AIと各種データを接続するためのプロトコルということですね。
今まで統一企画というのがほとんどなかったんですけども、
アンソピックっていうところがこのMCPっていうのを提案して、
他の生成AI企業もこれに乗っかる形で、
ほとんどのGoogleとかエトセトラがこれの企画を使えるようにするという動きが高まっているので、
生成AIのツールの開発者の方は間違いなく注目しなければいけないポイントであるとともに、
例えば自分が持っているローカルのデータを、
生成AIに操作してもらったりとかデータ扱ってもらうときにも、
このMCPっていうのが多分関わってくることになると思うので、
僕は全然まだ調べてないんですけども、
将来的には一つかなりのキーコンセプトになるものじゃないかなとは思ってます。
村上春樹とコンテンツ文化
Speaker 2
DuckDuckGoというのがあるんですけども、
DuckDuckGoって読むと思うんですけど、
検索エンジンですね。
プライバシーを重視しているということで、
Googleが好き勝手に聴取している使用者の履歴とかを一切聴取しませんというタイプの検索エンジンとして、
Speaker 1
僕1ヶ月くらい前かな、ある日突然思い立ってそれに変えたんですけど、
Speaker 2
基本的に不便はないですね。
Googleでなければ困るみたいなことがないし、
広告が別に上の方に、スポンサーの検索結果が上に出ることもないですし、
最近Googleは生成AIによる回答とかも勝手に出しますが、あれもなくて、
ある種ちょっと不便というふうにクエックスが増えたりとはするので、不便は不便ですし、
Rスタイルは全然見つからないんですけど、
それでいいんじゃないかなと。
ページランクとは別の概念でエンジンをサーチしているとは思うんですけども、
大抵の用途はこれで困らないし、
Google一挙大戦に対してやっぱり何かライバル的なものがあるというのが健全やと思うので、
僕はこれ最近使ってますし、
Speaker 1
多分このままずっと使い続けるんじゃないかなと思いますね。
Speaker 2
NHKテキスト100分で名長、
これ多分番組でもやってると思うんですけど、
今月が村上春樹のネジ巻きどりクロニクルということで、
Speaker 1
すごいものを取り上げてきたなとは思ったんですけど、
Speaker 2
ついにですね。
彼の作品で取り上げる本があるとしたら多分この本ではあるとは思うんですけども。
Speaker 1
そうですね。
Speaker 2
テキストでは村上春樹の研究者という方ではなくて、
確かね、ロシア文学とかの研究者の方が発表されてまして、
世界文学としての村上春樹という位置づけで解説されているということで、
彼自身が翻訳家であるとともに、
彼の作品が翻訳されて世界中で読まれていると。
世界文学というものとして村上春樹を見たらどうなるんだろうという観点を持って、
ネジ巻きどりクロニクルがどういう作品だろうかを解説してくれるという本で。
僕はこの点の村上春樹解説本は一切読まないんですけども、
この本だけは読みまして、
Speaker 1
本というかテキストですけど読みまして、結構面白かったですね。
Speaker 2
逆にその内容は細かい部分を全然忘れているなというのは、
確かに最悪にしたんで、
ちょっと長いですけど、また機会があったら読んでみようかなと思いますね。
Speaker 1
元のネジ巻きどりクロニクルそのものですね。
Speaker 2
僕確か、
あれ、
高校生の時に図書館で彼と読んだんで、
ハードカバーで読んでるんですよ。
その本の解説によると、
英訳されて、その後に日本語の文庫本になっているわけですけど、
ちょっと内容が違うらしいですね。
Speaker 1
ちょっと変わったんでしょうね。
Speaker 2
そこを僕、全然知らなかったんで、
次読むとしたら文庫本で読んでみようかなと思ってますね。
解説されなければ全然わからなかったんですけど、
読んでみようと思ってます。
文学回りでいうと、
ピンチョンの新作が発表されるということで、
タイムラインが沸き立っておったんですけども、
ピンチョンは1作ぐらいしか読んだことがなくて、
まだピントは来てないんですけども、
たくさんは世代なんですかね、ピンチョンの。
Speaker 1
世代は世代ですけど、
Speaker 2
重力の意義、途中挫折。
Speaker 1
それ以外はちゃんと読んでないので、
世代と言って、純粋に世代なだけで、
Speaker 2
読者として世代なわけではないですね。
つかみどころのないというか、
奇抜とか前衛的なイメージがあるとは思うんですけど、
これも翻訳されたら読むか読まへんかというところ。
家にある読んでないの読めちゃう話なんですけど。
Speaker 1
あるんですか?
Speaker 2
あるのはあるんです。
あるのはあるんですけど、読んでないし、読み切れてないし、
読み切れるかどうかもわからないところなんですけど、
とりあえずそういうのが出るということですね。
ロッギング生活術というのを、
もしかしたら前回か前々回に紹介したかと思うんですけど、
個性術の公開ページを使って、
それぞれみんなで日記的なものを書いていこうという運動なんですけども、
非常に面白くてですよ。
自分が見ている個性術のプロジェクトって、
個性術上の左上のボタンのウォッチリストっていうところから
一覧リストになってまして、
自分が以前見てから更新されたものは、
左側にマークが作るようになっているんですね。
見読と記読がそのリスト上で分かるようになっているということなんですけど、
僕は朝の日課が毎日ロッギング生活術をやっている人のページの
更新されているのを見つけたら、
ポチポチ開いて読むということをしているんですけど、
ものすごく古きインターネットをやり直しているような感じがします。
その頃はお気に入りを全部ブックマークに入れておきまして、
その頃は更新されているかどうかはRSSがなかったので、
見に行くしかなかったですよね。
全開ですよね。
日記とかコンテンツ、トップページを行ったら
ニューっていうのがキラキラ光る点滅が
それをクリックして見に行くということを手動でやっていたんですけど、
今は更新されているかどうかだけが分かるのでそこは違いですけど、
それ以外はほとんど手動でやっているその頃と全く同じことをしていまして、
自動でとかお勧めが表示されるっていうある省力的な、
省エネ的なものが一切なくなって手間がかかっているんですけど、
やっぱりその分、そういう目立とうとするコンテンツ、
開学付きのコンテンツじゃないものがそういう日記にはあふれてまして、
しみじみいいよなというのを思っていますね。
Speaker 1
コンテンツじゃなくて人ですよね。
Speaker 2
まだその人の日常を見るという、
Twitterの昔もそんな感じだったとは思うんですけど、
今はもうコンテンツあるいはメッセージ、
パッションみたいなものがタイムラインに並ぶわけですけど、
もっとこう、とぼくなものがそこに並んでいて、
本当の日記じゃないんですよね。本当の日記はやっぱりもっとプライベートなものが書かれて、
他者の目をちょっと意識した、
でもその人の生活に根付いたものという、
いい感じなものが読める素晴らしい環境だなと思うんですけど、
それと同時にこれはひどく開古趣味なものではないのかなという疑いはありまして、
でも今の若い人たちがそれを見て面白いと思うかどうかはちょっとわからないんで、
おっさんの趣味なのかもしれないですけど、
まあでもいいよなあとはちょっと思うんですね。
Speaker 1
どうなんでしょうね。
Speaker 2
そうですね、ちょっとわからないです。
Speaker 1
人の日記ほど面白いものはないので、
それが普遍的な面白さなのか、
なんというか、我々か我々より上ぐらいの世代までのものなのか、
っていうのはちょっと正直わからないですよね。
ただ久しくこういうものがなかったので。
それは間違いなく。
僕も見てますね。やってないんですけど見てました。
Speaker 2
やっぱりなんかすごいとびきり新規性のある情報がゲットできるとかじゃなくて、
本当に日常を味わえるというところなんですけど、
時々やっぱりねビビッと光るものもあるんですよね。
へーって思えるものがあって、
そういう良さはやっぱりあるよなと思いますね。
Speaker 1
そうですね。
これをコンテンツ的なコンテンツにしようという企みがないから何かが光るみたいなところもあって、
そう考えるとこのコンテンツという言葉が日本に根付いてから失われたものがずいぶんたくさんあるんじゃないかな。
日本だけじゃないかもしれないですけど。
Speaker 2
日本の場合はコンテンツは独自の意味がありますし、
たぶんそれは情報発信という言葉と対になると思うんですけど、
やっぱりその人の昔あったもっとなんていうか、
ラフな何に活動、表現活動というのか何かわかりませんけど、
がある方向に傾いてしまった。
ほとんどの場合、お金を得ることないし影響力を得るためにコンテンツを使うみたいな感じになってしまった。
僕自身もそれには参加しているわけで、
それは断罪することは難しいんですけど。
それとは違う領域の発信もあってもいいよなとは常々思っていて、
いろいろ自分なりにもやってはきたんですけども、
やっぱりこういう形が一番いいかなと。
一つのプラットフォームを作ってみんなに集まってもらうというよりは、
それぞれが離れた島のようにやってて、
Speaker 1
お互いにたまにそれを観測しているぐらいの距離感の方がいいんだろうなと思いますね。
Speaker 2
いいと思います。
こういうのがまた復活したらいいんですけどね、わかりませんが。
Speaker 1
そうですね。
それと収益につなげるみたいなところの中間というか、
なんでどっちか選ばなきゃいけないのかっていうところはずっともやもやがありまして。
収益を得る方向に行こうとするとあっちに行ってしまうっていうのが常にありますよね。
YouTubeのいわゆるVlog的なやつの時はすごく好きだったんですけど、
Speaker 2
やっぱり洗練されると共につまらなかった。
そうですね。同じYouTubeで言うと料理系のYouTuberも最初の頃は面白いんですけど、
ナレッジツールの価値
Speaker 2
企業案件が増えてくると途端に面白さがなくなるとまでは言いませんけど、
ちょっと変質してくるなという感じがしますね。
Speaker 1
そうですね。案件を受けると結局他の動画も影響を受けちゃうんですよね。
案件そのものだけじゃなくて。
それなんか見てるとよくわかりますよね。
Speaker 2
やっぱりその一つの方向に走った方が楽ですし、いろいろ考えなくていいし、
効果も上がりますし。
だから効果的であろうとすればするほど中途半端な中間的な状態には留まっていられないんでしょうね。
Speaker 1
そうですね。
Speaker 2
それもったいないね。だから日記的なツールやけどアフィリエイト貼って本のお金をちょっともらってますって別に悪いことではないと思うんですけど、
Speaker 1
全く悪いことではないと思います。
Speaker 2
でもなんかその儲けるのは悪いっていう方向に行ってしまうと、今度逆の方向に。
多分その儲け出すとコンテンツが悪くなるということへの反動としてそっちには近づきたくないということだと思うんですけど、
中間的な利用を探ることは全然できると思うんですけどね。
Speaker 1
なんで両立できないのかっていうのが非常に不思議で。
ただ僕もそのノートをやっていて、有料じゃないいわゆるブログに書いてたような内容の記事を投稿すると、
有料の読者さんが減ったりとかそういう現象が起きたりすることがあるので、
それが大規模に起こるとやっぱりいろいろ思っちゃうんだろうなっていうのはよくわかりますし、
決して他人事ではない感じがします。
Speaker 2
これは難しいですね。
だからみんながロギング生活実践をやっとけばいいやんっていうのはある種のユートピアであって、
ツールの比較
Speaker 2
そんなものは成立しないわけですから、どこかで何かがいるということはあるんですけどね。
広大なインターネットの片隅にこういうのがあるのは個人的には心が癒されるなと思います。
最近またバイクを使い始めまして、特にバイクで原稿、文章を書くようになりまして、
ワークローリーも普通に並行で使っているんですけど、やっぱり全然違うなと。
同じプロセス型であっても全然違うよなというのがあって。
一つは非常にはっきりわかるモードなんですけども、
ワークローリーというのはモードレスで全ての操作が同一なんですけど、
バイクというのは2つのモード、エディットモードとアウトラインモードがありまして、
それぞれ操作が違うと。
個人的にはモードを切り替えるというのが面倒なんで、
ワークローリーのほうがいいなという感じはするんですけど、
でもモードがあることによってそのモードに特化したキー操作が当然成立的で、
ある操作を集中的にやりたいときにはモードがあるのがいいんだろうなというのは体感でわかるんですけど、
その目立つさと別の違いとして、開業の違いというのがありまして、
ワークローリーの場合、開口業を一つ入れるのが難しいことが多い。
Speaker 1
上がっちゃうやつですね。
Speaker 2
下の階層を開いてて、同じ階層で開口業を作りたかったときに、
一個上に上がってしまうんですよね。
僕としてはただそこにインデットとしての業務がいないのに、
開口の業務が上がってしまう。もちろんそれは戻したらその話なんですけど、
その一手がすごく煩わしいんですけど、バイクは普通に開業が増えるんですよ。
同じ状態でも。
なので、例えば文章を書く場合にはバイクのほうが向いている気がするんですよ。
そういう空業がたくさん出るんですけど。
リストを作るという場合は、むしろ普通に同じ列に項目を並べていくことが多いわけで、
ワークローリーを使ってもそこはあまり問題を感じないなというところがまず違いの一つと、
バイクって先ほど空業をすると左のマーク、矢印が消えるんですね。
完全な空業に見えるようになっている。
Speaker 1
ワークローリーは開口業を作っても残るんですね、そこのぼっちが。
そうするとやっぱりすごく邪魔なわけですよ。
Speaker 2
この違いもやっぱりツールをどのような方針で運営していくのかということに
暗黙に影響を与えているなというのを2つのツールを同時に使って感じましたね。
ルーズリーフの現状
Speaker 2
どうしてもやっぱりワークローリーは文章的なものを書きづらい形にはなっている感じはとてもしますね。
Speaker 1
同じように感じます。
何をしたのかなとは思いますけどね。
Speaker 2
このやり方が作者にとって使いやすい使い方にやからこうなっているとは思うんですけど。
僕も一回自作でアウトライナーを作ったことがあるんですけど、難しいんですよね。
ものすごくパッと見るとただインデントが付いているエディターのように思いますけど、
階層が付いている状態でリターンをした時にどう動作するのかってかなりの選択肢があるんですよね。
例えば会議を入れるときもカーソルが行末にあるのか文中にあるのかによって動作をどうするのかっていうのもあるわけですよ。
新企業を買ったら作るだけなのか分割するのかっていうことも結局作者が決めなければならないわけですね。
アウトライナーはこう作るべしっていうような規則があるわけじゃないんで。
だから作者がこれが使いやすいだろうというような方向に向けて全てがデザインされていて、
最終的に出来上がったらほとんど違うツールになってるっていうことなんでしょうけどね。
Speaker 1
そうですね。だからオムニアウトライナーをさらに3つ並べてやるとさらに違いがあって、
バイクって実はオムニアウトライナー的な操作とワークフローイ的な操作のちょうど中間なんですよ。
なるほど。
オムニがちょっとガチガチにやりすぎているところを緩めてる感じもあるし、
例えばオムニは業の途中で会議をした時に、業を折らないで次のトピックを作っちゃうんですよね。
Speaker 2
僕はそれがすごく好きだったんですけど、
Speaker 1
エディターとして考えるとすごい使いづらく感じる人がいても当然なんですよね。
そうですね。
だからそれに対してワークフローイは普通のエディターに期待されるように業の途中で会議を押すと、
ちゃんと業が折れて、そこから後が次の業になるっていう。
その中間を狙っている。
でも一方ではワークフローイは割に階層が厳密というかストリクトになっていて、
第一階層の下に第三階層を作ることはできないんですけど、バイクではそれができるんですよね。
できますね。
それはワード的な考え方なんですね。
うん、確かに確かに。
だからいろんな今あるアウトライナーのいいところを寄せ集めて、
作った人が考える一番いいバランスで混ぜた感じなんですよね、バイクって。
なるほどね。
Speaker 2
そうですね、使い勝手。
やっぱりどちらかというとエディターベースのツールの印象を受けますよね、なんとなくね。
そうですね。
Speaker 1
エディター、だからアウトライン操作ができるエディターと捉えることもできる。
Speaker 2
うんうんうん、確かに。
Speaker 1
うん、ですよね。
特にテキストファイルで保存する設定にすると、
純粋にエディターとして使うこともできなくはないっていう。
Speaker 2
確かに。
そういう違いがあるというのはちょっと確認したのと、
あとワークフローイのCSSといじりまして、
空海魚、中身がない行は左のドット、ぼっち、バレットを表示させないようにしたんですけど、
これはかなり快適というか、空海魚を置きやすく置けるようになりましたね。
やっぱり同じものが並んでいて、
もう間に1個ずつ空海魚が入っているだけで雰囲気が違うというか、
Speaker 1
雰囲気というかそれが何であるかという認識が変わってくるというか。
Speaker 2
メモ的なものもやっぱり集まっているよりは広がっていた方が、
発想に広がりがある。
ノートと一緒ですね。
ノートを詰めて書くよりは開けて書きましょうというような手書きノートの指針がありますけど、
あれと同じような効果がデジタルであっても見え方によって違いがあるんだなというのはちょっと感じましたね。
Speaker 1
この辺結構ツールを変えてみないとわからないところかなと思います。
Speaker 2
1個細かいお話なんですけど、
ノートでつなげるメモ術というメモの方法論を紹介しまして、
高評、50ラブぐらいいただいてますけど、
すごい単純というか、
デジタルでやっていることを無理やりアナログでやろうというような方法で、
できるだけ細かく記号を書いて、それぞれに行頭で番号をつければリンクできるよねということで、
3つぐらいしかルールがない非常にクラシックらしいシンプルなメソッドなんですけど、
これ案外いいんですよ。
これ僕自分でやってみますけど、
発想を無理やりまとめなくていいというか。
だいたいこうやって思いつくことって前に思いついたことと関連することがあるんで、
それを綺麗に捕まえられる。
ルーズリーフとかを使わなくてもある種のリンク関係を生み出せるというので、
なかなか便利なんで、
いっぺん見てもらったらいいという話と同時に、
今出てきたから思い出したんですけど、
ルーズリーフ最近使い始めたんですけど、
日本のルーズリーフってフーじゃないですか。
Speaker 1
そうですね。
欧米のバインダーに比べるとちょっとっていう。
Speaker 2
日本でも手書きノートの復元みたいなことが言われてて、
ノートとか高級ノートとか手帳とかが売れてるって話聞くんですけど、
みんなそれ閉じノートのことなんですよね。
でもバインダーノートとかルーズリーフとかって、
大きめの文房具屋さんに行っても、
大体キャンパスかワルファンのしか並んでなくないですか。
真っ白の紙が嫌やったんで、
ベージュとかクリーム色のルーズリーフ探してたんだけど、
まず文房具屋が売ってないんですよね。
Speaker 1
ないかもしれないですね。
Speaker 2
ほとんど真っ白の、さっき言った黒色か丸まんのあれしかない。
ライフが、ライフノートのライフが出してるんですね。
ライフの紙と同じベージュ色のルーズリーフ出してる。
それはもう僕はインターネットで買ったんですけど、
よく考えたら、僕らが一般的に手に入られる、示されている選択肢って
めちゃめちゃ少ないよなと思って。
ノート売り場のバリエーションに比べると、
ルーズリーフ売り場の極小さ具合って、
すごいなんかかわいそうだなと思うのと、
あと、なんとかノート術って言った時に対象とされているのって
Speaker 1
大体トジノートなんですね。
Speaker 2
ルーズリーフノート術って見たことがないんですけど、
でも、なんでそんなに扱いが悪いんだろうなっていうのを
最近ちょっとルーズリーフ使ってて思うんですけどね。
なんでしょうね。
Speaker 1
でも思ったんですけど、ルーズリーフって減りましたよね。
昔はもっと多かった。
扱いも大きかったし、商品も多かったし、
多分、コンピューターの普及に合わせて
ルーズリーフの需要が減ったんでしょうね。
Speaker 2
そう思います。それは同じこと思いました。
結局、ちょっとデジタル的なんですね。
デジタル性が、やっぱりデジタルと比べると弱いし、
ページの連続性そのものはこのアレにはないわけですから、
アナログ的連続性っていうものを活かしたら
トジノートになっちゃうわけで、
すげえ中途半端な位置にいるんだろうなと思うんですけど。
それにしても、もっと開発できるんじゃないかなとは思いましたね。
Speaker 1
確かに減りましたね。
ちなみにクリーム色の紙は無印にいくとあるんですけど、
サイズが微妙に普通のと違ったりして、
すごい面倒くないですよね。
ナレッジツールとAIの関係
Speaker 2
そうなんや。僕はそれあんまり見てなかったですね。
そうなんです。
Speaker 1
それはまたチェックしますね。
Speaker 2
そういうバリエーションがいくつか手に入るのであれば、
ルーズリーフ普通にいいと思う。
システム下調がいいっていうのと同じ発想で
ルーズリーフもいいと思うんですけど。
そうですね。
Speaker 1
まあ、いいです。
Speaker 2
この辺はまた自分なりにルーズリーフを研究して
何か発表したいと思うんですけど。
というわけで本編なんですが、
先ほどできたワークローリーとバイクの違いの話にも通じるんですけど、
ナレッジツールに対する想像力という話なんですが、
想像力についてなんですけども、
生成AIの限界
Speaker 2
シュガンスキーに、
AIと共に書く時代という基地で、
めちゃめちゃ文章を書くのが楽になったという記事がありまして、
それを読んだんですね。
これ前にカワーソルっていう、ちょっとややこしいですが、
カワーソルってエディターがありまして、
それを紹介したのと同じ方の記事なんですけど、
こういう使い方をしたらすごい良くなったという、
めちゃめちゃ文章を書くのが楽になったという話があって、
ふむふむと思って読んだんですけど、
例えばどこかからコピペしたデータを
原稿の形に合わせてフォーマットしたい時に、
自分が最初に1回その処理をしたら、
2行目以降のデータは、
先生AIが同じようなフォーマットで整えてくれるという話だったんですけど、
それは確かに楽にはなると思うんですよね。
あるいは、
ある原稿データを読ませておいたら、
それを模倣してくれて、
提示した文章を模倣してほしい文体に直してくれるというようなのがあって、
それも面白いなと思うんですけど、
それはどうなんだろうと。
どうなんだろうというのは別に悪いというわけじゃなくて、
最初のフォーマットを定型で揃えてくれるというのは、
すごく極端なことで言えば、
例えば、
正規表現を使えば検索がすごく楽になるよというのの、
階段1つか2つぐらい上の話だと思うんですよ。
便利であることは間違いないし、
それこそがデジタルツールの魅力だと思うんですけど、
それは果たしてそんなにラディカルなものではない気がするんですよね。
便利は間違いないけど、
これが新しいエディターの機能ですよ。
Speaker 1
生成AIが私たちにもたらしてくれるものですよと言われた時に、
Speaker 2
何か借醒としないものがあるんですよ。
特に、
どんな生成AIであっても、
デジタルツールに関しては、
デジタルツールに関しては、
どんな生成AIでも、
バックグラウンドで動いているコンピューターの演算能力というのはすごく大きいわけですよね。
それでやることがこれかという感じがするわけですよ。
つり合ってない気がする。
確かにそういうことをすることでできますけど、
マクロでも多少近いことはできるでしょうし、
その方が省エネな気がしますよね、僕の中では。
なるほど。
だとしたら何なのかということですね。
その記事を読んで疑問に思ったということは、
僕が生成AIに期待しているものはそれと違う、
もっと質の違うものを期待しているんだということだと思うんですけど、
それは一体何なのかというと、
書くことのプロセスそのものを変える、
文章作成の新たな可能性
Speaker 2
ないしは助けるものであってほしいんですね。
さっき言ったのって、事務的な手作業を減らしてくれるということで、
簡略化ではあるんですけど、
プロセスの変容ではないわけですよ。
合わせたデータから文体を模倣してくれると。
例えば雑に書いた文章でも自分らしい文章に直してくれるという
効果はあると思うんですけど、
それは例えば小説家とかが
使えるかというと、
使えるんでしょうけど、
クリエイターとして見たときに一番必要なのは、
新しい文体を開発することだと僕は思っているので、
だとしたらそんなものは何の役にも立たない、
何の役にも立たない言い過ぎですけど、
少なくとも助力にはならない、求めているものの助力にはならないと思うんですよね。
だから書くっていうプロセスが
本質的に変わってしまうようなものか、
あるいは自分の文体を新しい文体を構成するタスキになるような
生成AIの使い方であれば僕は
おーって思うと思うんですけど、
今僕が見かける生成AIの使い方、
あるいはツール開発者、新しいツールが
あるいはエバーノートが生成AIを使ってこんなことができるようになりますよ
って提示しているものってものすごくね
想像力が貧困なんですよ。
それはそんなことして確かに楽にはなるけども、
なんかそこにビジョンがない、
目新しいというか
心躍るビジョンがないっていうのを
思ったのと同時に
たくさんのノートを読みまして
梅沢太郎の後編の方ですよね。
前面の方もそうなんですけど、
結局新しいエディターとかワープロが出てきた時に
そのツールが何をできるのかっていう
あるいは何をしてほしいのかっていう期待感っていうのが
当然あると思うんですけど、
やっぱり例えばある時代は
綺麗な字を書ける清書機能としての
ワープロみたいな位置付けがあったと思うんですけど、
僕が今正々堂々に感じるのって
Speaker 1
それと同じような感じなんですね。
Speaker 2
どうもそうじゃないんじゃないのっていう感じが
してしまうんですね。
もちろん僕がその答えを持っているわけではないんですけど、
これだけ知性に感じられる
知的な動作をする道具があるのに、
やってることそれでは物足りなくないかなっていうのを
やっぱりずっと感じてしまうんですよね。
何かあります?
この生成AIプラスエディターに関する
昨今の動きについてのご意見とか、あるいは
使ってる使ってない話とか。
Speaker 1
でもやっぱり倉下さんが今言われたのに近い
感想は持ってますね。
ただそれも便利さを求める創造力は
当然あっていいわけで、
それを満たすように使って便利だよっていうのは
全然悪いことじゃないと思うんですけど、
そうじゃないものもあるだろうっていうこともあるし、
あとさっきの
ノートの梅沙夫さんの記事にも
つながるんですけど、
僕今80年代のワープロについての資料を
大量に読み漁ってるんだけど、
初期のワープロの
いろんな意見、
肯定的なものも否定的なものも含めて、
今のAIに対する意見ってそっくりなんですよね。
Speaker 2
やっぱり新しいものが
Speaker 1
黒船的に出てきて、
やっぱりワープロ以前に手書きで書くことを
確立した人の拒絶反応っていうのはすごいものがある。
一方それに対して書くことを覚える時期と
ワープロの登場が重なった若い人たちは
何言ってんだと。
もう時代が変わったんだと。
あなたたちが言ってるのは結局
古い時代の道具に規定された感覚なのであって、
それは書くことの本質とは何の関係もないんだっていう
そういう議論が交わされているわけですけど、
だんだん収束していって、
ワープロというかデジタルライティングが受け入れられていくんですよね、
90年代の初めぐらいには。
たぶんAIも、生成AIもそういう
それのもっと規模の大きい形になると思いますけど、
そういうプロセスをたどって受容されていくんだろうな
という気がするんですけれども、
やっぱり今の
おそらくまだ黎明期と言っていいと思うんですけど、
さまざまな想像力が
混在していて、
みんな勝手な想像力、勝手っていうか違う想像力を持ってるのに
会話して関り合ってないみたいなことが起こってる気がしていて、
その中でこの便利さを
今までと違ってこんなに便利だよねっていうタイプの想像力と、
もっと本質的なところに
働きかけるものがあるはずだろうっていう
村下さんが言ったような想像力が
混ぜこぜになって、
しかもそれが使える、使えない、
そういう意味で、
好きだったり好きじゃなかったりする議論になったりする
っていう状態のような気がしますね。
そうですね。
Speaker 2
あとやっぱり思ったのは、
書くっていう行為そのものの認識が
かなり違うよなという感じで、
ある定型的な処理で、
例えば2000字だったら2000字埋めるっていう作業、
仕事を書くっていう場合もあるし、
それこそある種の探検とか
航海に出るっていうメタファーで表されるような
クリエイティブなライティングを書くっていう場合もあって、
どちらにどう作用しているのかっていうことも
人によって違うので、
共通の基盤でしゃべるのは難しいとは思うんですけど、
でもやっぱりAIと共に書くって言った場合に、
その共にっていう自己の書きたいものと
AIがサポートしてくれるもののインタラクションによって、
これまでなかったものが生まれるっていうことを
僕は期待するんですけど、
そうにはなってないし、
そういう生成アイとプラスエディターっていうのが
それをもたらしてくれるとしたら、
どんなものであればそれが成り立つんだろうかっていうのも
Speaker 1
次なる疑問としてはありますね。
僕が思うのは、
僕はAIにそんなに造形が深いわけじゃないので、
間違ってるかもしれないんですけど、
よくある、例えば雑に書いたものを
AIに投げて
整えてもらうっていう使い方があるじゃないですか。
はい、あります。
これも劇的に便利になった、楽になったっていう
話があるんですけど、
僕の感覚だと、
雑に書いたものを整えるというのは、
文字を書く作業の一番おいしい部分というか、
その整える作業の中で出てくるものが
自分にとってはすごく大事なので、
そこをAIに渡しちゃったら、
すごく損なんじゃないかっていう気がするんですね、
今の段階では僕は。
その損得っていうのは、
Speaker 2
自分の満足度とかが減るっていうような感じですか?
自分の満足度もそうだし、
Speaker 1
あと、出来上がるものの
なんて言うんでしょうね、
AIに出来ないものっていう
言い方はまたちょっと違う気がするんですが、
なんでしょうね。
でもそういう言い方をするしかないな。
そういう言い方をすると違う気がするんですけど。
その人が、書き込みを
自分にとっては、
Speaker 2
その人が、
先生が扱っている書き手が
書くものにならないということね、おそらく。
Speaker 1
自分が書いた、
満足感なのか分からないですけど、
飛躍が生まれるのがそこなんですよ。
これは自分でも考えてなかったけれども、
書いたことによって分かったとか、
こういうことが出てきたっていう、
そういう飛躍が起こるのっていうのは実は
雑に書いたもの、例えばフリーライティングみたいなものから
もっと整ったものへと
それを変えていく
知的プロセスとしてのAI活用
Speaker 1
時に出てくるという感覚があって、
そこが自分にとっては一番大事なので、
そこをAIに
やってもらっちゃうと
っていう気がするんですよ。
5年後の自分が同じことを言っているかどうか分からないですけど。
ただ、要所要所でAIを使うこと自体は
全く
否定する気はないというか。
Speaker 2
そうなんです。だから、文章を書くという行為を
一つのプロセスとして見た場合に、どこでどのように
使うのかっていうの数を規定せずに限り、
この話は形成的なものにはならないですよね。
人によっては丸投げ、
最終的なアウトプットを全て丸投げすることを
AIによる知的生産と言うかもしれませんし、
別の人は最初の議論と
議論の整理だけは任せるけど、本文を書くのは自分
みたいなのも知的プロセス
with生成AIなわけですから。
ここの認識をするために
知的プロセスとはどのようなものであるかを
理解しておかないとまず話が進みませんよね、きっとね。
Speaker 1
そうですね。だから今話してて思いましたけど、
むしろフリーライティングをAIに変えても
いいとさえ思いますね。
だけどそれを整える
文章として整えるところは自分でやりたいというか。
Speaker 2
フリーライティングをAIっていうのは、つまりフリーライティングを
Speaker 1
やり取りするということですか? まあ、やり取りっていうか、今
フリーライティングでやっているようなことを、その
やり取りによって出力されたものに変えちゃってもいいんじゃないか
っていう場合によっては。
Speaker 2
うーん、なるほどね。
Speaker 1
フリーライティングの代わりに
AIとやり取りしながら出てきたものを使う
Speaker 2
っていう感覚はありますね。
そうですね。多分その方がいい人は
多いんじゃないですか、きっと。おそらくは。
Speaker 1
インタラクションの方が出てきやすい人は多いと思いますよね。
だからその出力された文章自体が自分が
書いたものじゃなくても
意外にいいかもしれなくて。
ただそれを最終的な文章に
要するにアウトラインをそこから作っていって
組み替えたり引っこ抜いたり
書き越えたりするという部分は
あんまり譲りたくないというか。
Speaker 2
そうですね。
Speaker 1
現時点で自分は思ってますが
3年前にはそんなことは思ってなかったので
また3年後に変わる可能性は十分ありますね。
Speaker 2
そもそも生成AIっていうもののスペックが
3年間でも大いに変わるでしょうからね。
僕らの認識も当然動いていくんでしょうけども。
一つ面白い話を聞きまして
10万字くらいのライトノベル小説を
生成AIに書かせた人が入りまして
プライベートというか
半分仕事として小説を書いておられる方なんですけど
出来上がって話は通ってるけど
結局細かい部分にアラがあると。
その10万字を読み直して
出力させた人が自分で直していくわけですよ。
細かい部分を。
だからどっちが召使いかわからないという話をされたんですね。
でもそうやって手直した
10万字頭から最後までその人が手を入れた文章は
もうその人の文章だと思うんですよ。
同じ手直しを僕がしたら絶対違う形になるから。
そういう最後のネジ締めをすることですら
その人の個性が宿ってしまう。
酒がたく宿ってしまうんですよね。
だからどっかの段階で人間が関与していたら
主体的に文章に関与していたら
それはもうその人の文章であって
生成AIとともに書くとは言えると思うんですけど。
オファーがあったものを
そのまま生成AIに投げて
アウトプットを出てきた提出。
ご自立も自分のご自立すら生成AIに直させない。
というものはAIに書かせている
ということだと思うんですけど。
一番全て自分で書くと
全てAIに書かせるの間に
様々なグラデーションがあって
多分効果的なポイントは
何を書いているのかとどんな目的で書いているのかによって
多分変わってくるのかなというのが
現状の予想ですけどね。
Speaker 1
そう思いますね。ネジ締めもあるだろうし
ネジ緩めもあるだろうし。
生成AIとアウトプットの質
Speaker 2
緩めるのが難しいよな。
Speaker 1
でも緩めの時に多分
何かが宿る感じがするんですよね。
締めるのはある程度機械的にできますもんね。
締める過程で
カットしていくことが結構あると思う。
どうカットするかによって
想像的なプロセスが働くと思うんですけど
逆に特に現状の
AIだとむしろネジが
締まりすぎて出てきちゃう場合もあるので
それを緩めた時に
入り込んでくるもの
っていうのも
Speaker 2
結構あると思うんですよね。
緩めるのが僕にとっては
かなり難しい作業であるなと聞いてて思ったんですけど
締めるのは得意やし好きですけど
緩めなさいって言われたら
多分意図的にできない気がしますね。
Speaker 1
クラシタさんは締まってますよね。
Speaker 2
直すときは常に締める方向で。
Speaker 1
デフォルトの文章が締まってるんですよね。
そうかもしれない。
その辺も
人によって多分違いますよね。
Speaker 2
そうですね。
だからその辺の
凹凸とか凸凹っていうのが
現状の生成AIでは感じられない。
砕けた文体で書いてくださいとは言うし
その通り出てきますけど
Speaker 1
砕け方が見事に綺麗に砕けてるんですよね。
Speaker 2
そこにはやっぱり何か人間が持ってる凸凹の個性っていうのが
やっぱりないというのは感じますね。
Speaker 1
そうですね。
ブレがないというか
ブレさせてって頼むことはできるんだけど
ブレ方が締まってるというか
Speaker 2
ここはまだブレてないよって
生成AIを使う人が言って
いい感じにブレさせるまで調整したら
それはやっぱり文章を書いてるのと変わらない気がするんですよね。
そういうことなんですね。
出力について
自分がどれだけジャッジメントしてるかっていうこと
関与の度合いがその人の文章かどうか
Speaker 1
決めてるんでしょうね。
そこまでやったらもはや自分で書いてるのと同じ価値がありますよね。
あると思います。
Speaker 2
その人がその文章をいいと思ったっていう
その判断を僕らは感受してるんであって
そのいいと思う判断がやっぱり
人によって微妙にずれてるし
Speaker 1
完全に同じではないからこそ面白さがあるんであって
Speaker 2
だから読みにくさ
読みやすさの手前に
デコボコがあるんですよね。
先生が書いた文章は本当に読みやすいんですけど
例えばそれがある長さを持ってたとしたら
途中ですっごに嫌になるんですよね。
あまりにも単調だから。
文章に音がない
リズムがないというか
そりゃないんですね。彼らの心の中に音が流れてるわけではないので
僕らは自分で文章を読み直して
整えるときに自分の心のリズムに沿って直せると思うんですよ。
僕の理論で言うと
その人が好きな音楽とその人の文体っていうのは
緩和してると思うんですけど
それが彼らにはない。彼らの文章は
元々持ってた、学習した文章にはリズムがあったはずですけど
それがやっぱりどっかで剥ぎ取られてしまっている
気がしますね。
Speaker 1
その辺は逆に
どうなんでしょうね。時間とともに
変わってくると思います?
Speaker 2
学習そのものを
変えない限りは無理じゃないですか。
なぜ僕らが
どのようなリズムを持ってるかっていうと
偏った学習をしてるからですよね。
つまり僕は村上春樹さんの本を業者に読んでたから
どこか村上春樹っぽいと思うんですけど
逆に言うと村上春樹以外の小説はほとんど読んでこなかったから
っていう逆が言えるわけですよね。
仮に世界中の作家の本を読んでたとしたら
均等に均一に読んでたとしたら
どっかに偏った文体っていうのはなり得ないわけですけど
個々の人間は偏った学習をしてるから
その学習によって偏った個性が生まれてくるというわけで
彼らが総合的に学習してしまってるわけですから
あのモデルから
特定の部分の学習効果だけを切り出すっていうのは
意識的にはできる
命令的にはできるでしょうけど
村上春樹さんっぽい文章を書いてください
っていう命令は可能でしょうけど
それは無意識から滲み出てくる
Speaker 1
似通ってる生徒が違うと思うんですけどね
そうですね。
谷崎潤一郎の文体をランダムに
混ぜて書いてくださいみたいなことを
頼むことはできるけれども
そうすると本当に
村上春樹っぽい文章と谷崎っぽい文章が
ランダムに混ざって出てきますよね
Speaker 2
そうですね。それぞれの成分が50パーズと入った
Speaker 1
一文ができるわけではないですね
そうですよね。しかも文字通りランダムに
混ざってくるんで
ここは谷崎で行こうよっていうところが
そうじゃなかったりとか
その日の気分とか体調によって変わる
みたいなことも再現はできない
再現できる必要があるかどうか
Speaker 2
この話も結局あるクリエイティブな
アウトプットについて言ってるんであって
事務手続の文章っていうのはむしろぶれない方がいい
そうですね
用途として今のところ活躍できる用途が
限定的だなと思いますね
もちろんクリエイティブに役立たないわけではないですけど
彼らの出力がそのままどうこうは言えない、使えないですし
彼らの出力を使えるものに
デジタルライティングの影響
Speaker 2
人間の手が入るんやったらその手を入れるのは
自分が書いた文章を書き直している手とほとんど
変わらないんだろうなという気がしますね
Speaker 1
そうですね
Speaker 2
現状のSSAIについての話なんで
本当に来年変わってるかもしれないですけど
でもだから知的なプロセス、ダメージっていうのを
どう彼らが補助してくれるのかという点は
まだ全然僕らの想像力が追いついていない
それこそSSAI作品を読みやさるぐらいしか
ないんじゃないかなと思うんですけどね
Speaker 1
ただそもそもSSAIに書かせる
というのがどういうことかと考えることをきっかけに
改めて文章を書くプロセスというのは
どういうものなのかということを意識せざるを得なくなった
ということはありますよね
確かに
デジタルライティングが入ったというものができた時に
やっぱりそうだったんですよね
それと同じことがやっぱり起こってる気がします
Speaker 2
そうですね
原稿用紙でないと書けない
それから魂が宿らないという
言説がデジタルによって否定されつつも
やっぱり書く道具と書くこととおいて
影響し合うよねみたいな話も当然出てくるわけで
より2つの対比によって
明らかになったことはあるとは思うんですけど
それと同じことがやっぱりSSAIにおいて
生産性アップアップと増えます
って書かれた文章の質の悪いことを
黙然とした時に
書けばいいっていうものじゃないかなっていうのは
改めて思いましたね
文章を書くことの意味
Speaker 2
つまり僕らは何を読んでるのかということを
改めて思ったというか
情報を読んでるわけではないんだなっていうのは
Speaker 1
ちょっと思いましたね
それとともにやっぱり
文章を書くということと
人間の営みとしての文章を書くことの
強い結びつきだと思っていたことが意外にそうじゃない
Speaker 2
ということが分かってくるかもしれないし
Speaker 1
たぶんこれ
空谷康人が昔言ってたんですけど
やっぱり原稿用紙に万年筆で
手で書くということが
大的必然性というか
内面の根拠みたいに思ってきたんだけれども
ワープロを使うとそんなもの
後から操作できる操作して作れるんだということが
分かっちゃうみたいなことから
言ってたことがあって
そうなんですよね
内的必然性っぽいものを後からデッチ上げちゃうことが
デジタルならできちゃう
でも
そうなんですけど
後から直したものとそうじゃないものは
やっぱり違うんじゃないかとも思うし
それがだんだん時間を追って
そういう認識も変わってきたような気がする
Speaker 2
難しいところで
昨今の最初に言った
アナログノートの回帰って言ったときに
いくらでも変えちゃうんだということに
伴う不安定性についての反動が
そこにあると思うんですよね
ポストモダン的な認識が
人間存在を不安定にしているのと
こうする話だと思うんですけど
デジタルでいくらでも編集できちゃうことの怖さはあるんですね
Speaker 1
あると思います
Speaker 2
書くことそのものを
総合的なナレッジのインテグレーターとしての
生成アイとともに行うことによって
ある種ポストモダンの次なのかもしれないですけど
それは一体何をしているんだろう
何をしていることになるんだろうなと
ちょっと思いますけど
Speaker 1
でもやっぱり書くという
書いたものって長いこと改編できなかったわけじゃないですか
そうですね
紙にインクはもちろんそうですけどもっと前に遡れば
Speaker 2
どうしようもない
Speaker 1
それが書いて読めるけれども
改編できるってなってから
まだたかなか30年から40年しか経ってないわけで
それが人間の
思考活動とか認知に
どう影響したのかっていうのは
まだ
まだ分かってないというか
分かっているのかもしれないけれども
逆にそうなってから書き始めた人には
分からないこともあって
全てを分かっている人は同時に存在しないんじゃないか
そうですね
生成AIの活用とそのリスク
Speaker 2
そういう知見が残されて
後の世代から比較されない限りは多分分からない
そうですね
Speaker 1
おそらくAIもそれと同じような
プロセスを辿っていくのではないかと
思いますが
この辺の理解をしとかないと
Speaker 2
どう使っていいのかという指針が得られないままに
ツール
特にツール開発者がこう使おうというようなものに
誘導という言葉は強いですけど
促されてしまう
特にノートツールに生成AIが入ってきた時に
ノートツールが提供する生成AIの機能が
種になってしまうので
プロセスの幅を狭めることになるのではないかという
Speaker 1
具はありますね
特にアウトプット目的じゃない
自分のために使う
生成AIはよりそうですよね
Speaker 2
そうですね
Speaker 1
それはそうだと思います
Speaker 2
デジタルの場合情報量が多くなってしまうので
同じ日記と言っても
手書きの1ページに収まらない量をかけてしまう
1日分の日記を生成AIに
要約してもらって
1行とか3行日記にしてもらえば振り返りが楽
みたいな効率的な使い方があると思うんですけど
果たしてその要約をAIに委ねること自身
そのものに失われているものがあるような気もする
はい
むしろだから今日あったことを
生成AIに報告したら日記ができると言うなら
多分いいと思うんですけど
難しいな
確実に
いいやつなんですよ
学習とか導入においては非常に優れた存在で
僕もさっき
自分で適当に考えた英文が文法的に正しいかどうか
先生に聞いてたんですけど
そういうことがネイティブが周りにいなくてもできるという
非常にいいと思うんですよ
それは例えば文章の書き方においても
どう書いたらいいのか分からない人に向けて
例えばこういうことを考えたらどうでしょうかって言ってくれて
考えながら書いていったらこういうのがアウトラインになりました
って提示してくれる
これは非常に優れたライティングツール
あるいはラーニングツールみたいにはなると思うんですけど
そういううちに対する
うちのプロセスに対する理解がない場合は
生成AIでこれ書いてって言って
出てきて終わりみたいなことになっちゃう
それはその人が対談でやるんじゃなくて
プロセスに対しての理解があんまりないからそうなってしまうんじゃないかな
とは思うんですね
情報との新たな関わり
Speaker 2
そこでどんなことが行われているのか
僕たちが知りとかナレッジとか情報っていうものとどう付き合っていくのか
っていうことが実はあんまり
いや実はじゃなくてはっきり理解されていない
情報一とかいう高校の教科ですも
そこまで本格的には論じられてないことではないかな
Speaker 1
という気はするんですけどね
でもそういうことを考えている人は
おそらくたくさんいるでしょうけれども
そうですね
いわゆる知
知というものに関わる人のほとんどが多分
どこかではそれを考えているでしょうね
Speaker 2
考えざるを得ない
Speaker 1
避けがたい状況になっていると思うんですね
でも今思い出しましたけど
ちょっと前に
記事を書いていて
書けなかったんで
じゃあちょっと聞いてみるかと思って
聞いてみたのね
今こういうことを書こうとして
こういうテーマでこういうことを書こうとして
してるんだけどもうまく書けないんで
ヒントくださいというようなことを
例えば前提はこうですかこうですか
みたいなことを聞いてきたんですよ
まずこういう前提がありそれに対して
従来はこういうことが言われていたんだけれども
自分はそうは思ってなくて
なぜならこれはこうでこうで
あれはこれでこれはあれで
プロンプトのつもりで書いてたんですけど
途中で書けてるじゃんって
結局聞かないでそのまま書けちゃった
Speaker 2
非常に予報があります
Speaker 1
それは結局だけど
壁打ちっていうか
AIじゃない
架空の存在に向けてそれをやっても
おそらくそうはならなかった
多分これを向こうに投げれば
答えが返ってくるという前提があるから
それを書いてるわけですよね
それはちょっと新しい経験だったというか
要するに人に説明するとわかるっていう
まさにそうですよね
Speaker 2
人間がいなくてもできてしまうということ
しかもある程度理性的な会話ができることを
想定している人間に対して
それができるということの
魅力というか
僕もよく原稿書くときに
アイディアそのものじゃなくて
聞くためには自分の状況を説明しなければならない
説明している段階で半分くらい
解決に向かっていくんですね
これはセルフカウンセリングだなという感じがするんです
カウンセリングをやっていることと同じことを
耐性性AIで行っている
彼ら以上に聞き上手な人たちはいないですし
しかもアウンの呼吸が通じない
コンテキストが間違ったら間違ったことを言う
その状況そのものが
助けることがあるんですよね
アレンクスで困っているんですが
日常のアウンの呼吸では
Speaker 1
自分がそのコンテキストに再認識しない
Speaker 2
一変状況を言葉に説明しようとすると
自分が何を困っているのを考えているのかを
客観視することができて
非常に自然な形で
やれやれこいつに説明するかみたいな感じで
行えるというのがすごい
そういう相方というか
バディほど強力ではないですけど
サブカルで例えて言うならば
魔法少女の右側にいる
マスコットみたいなやつら
主人公のキャラの横にいる小さな
妖精みたいな人たち
ぐらいのポジションで
協力関係を築くと
非常に優れているんですけど
アウトプットを完全に任せると
今度は全然力が足りないというところで
良いところも悪いところも全て使い方次第という
Speaker 1
当たり前の道具論に落ち着くわけですけど
Speaker 2
これがやっぱり難しいですよね
どう使おうというのが言いづらいですし
今年大学生のめいっ子に
パソコンの使い方を教えたんですけど
コーパイロットとかの話もしなければならないわけですが
ならないですよね
どう使えと言ったらいいのか
僕自身もわからないわけで
書いたものをそのまま出したら低額になるかもしれないよ
ということだけは言いましたけど
Speaker 1
まだそれ以上のことは言えないですね
書いたものをそのまま出したら絶対にいけないのか
というのがわからなく
コーパイロットさんに
出力してもらう前に
どうプロンプトしていったのか
ということによって
Speaker 2
全然変わりますよね
Speaker 1
そろそろです
Speaker 2
もはやわからなくなってきましたね
一応講義ごとあるいは
教授が先生へ使った成果物は
認められません
ないしはそれを提出するとこれこれの罰則があります
という規定を設けている場合があるらしく
それを違反したらあかんというのは当然ですけど
そうじゃない分野で例えば下調べ読むべき論文を
彼らにピックアップしてもらうところの助力すら
ダメなのかというところになってくると
これは難しい問題だと思いますけど
Speaker 1
ネットを検索することとどう違うのか
確かに
Speaker 2
そうですね
結局
権威づけられた地とは何なのかということを
本当に考えざるを得ない話ですよね
Speaker 1
そうですよね
資料収集の訓練のために
例えば図書館を使ってこの資料を集めなさいという
規定があるならもちろんそれは
そうなんですけど
逆にこれからAIと関わらずに
情報と付き合うということは
Speaker 2
ありえなくなるわけですから
Speaker 1
その辺はもう
専門の人が
Speaker 2
死ぬことを考えているわけだと思いますけど
一回戦の時に図書館の利用を教えるのなら
それと同時に生成案の利用も教えないと
間違いなくいけない状況になってますね
ここまでくると
ある意味ちょうどいいというか
正しいことを言わないので
疑う訓練としては非常にいいと思うんですけどね
人間相手ではなかなか難しいですから
Speaker 1
本当かどうか調べてみましょうという訓練は
デジタルツールの教育
Speaker 2
誰かのアウトプットと接する時の
心構えとして
非常に汎用性のある心構えなので
そういう練習材料として使うとかは
全然ありですけどね
4年後の知的労働がどうなっているのかが
分からないので
Speaker 1
どう鍛えてあげたらいいのか
Speaker 2
誰も分かっていないと思うんですけど
今大学生になるまで
Speaker 1
高校まではデジタルツールとどのように
何でもスマートフォンで
学校ではiPadを使わせていた
なのでパソコンは全く使ったことがないという
状況なので
Speaker 2
そこで初めてスマートフォンを使って
Speaker 1
スマートフォンを使って
Speaker 2
スマートフォンを使って
パワーポイントは授業で使った
発表したんでしょうね
パワーポイントになっちゃうんですね
基本機能の習得
Speaker 2
概念は分かっているけど
授業でも聞いたらしいですけど
全く分かっていない
ニーズがないですからね
それを使うというニーズを
授業でも聞いたらしいですけど
パソコンで
ファイルという概念を覚えてもらったのと
ショートカットキー
特にコマンドSの重要性を
教えましたけど
大抵のツールは自動保存ですけど
エディターとか使って
コマンドS押してないままに
削除したら無くなるよみたいなことは
最低限のネット
インターネット老人会の人間としては言いましたけど
ショートカットキーを覚えないと
やっぱり作業効率めちゃくちゃ悪いですから
パソコンでそういう場合
最低限を教えましたけど
同じデジタルツールを使っていても
環境はだいぶ違うなと思いますね
PCとタブレットのこっち側とあっち側で
Speaker 1
結構違うなという感じです
文章
作文はもちろんあるでしょうけど
コンピューター デジタルツールを使うときに
文章を書くより先にプレゼンの練習しちゃうんですよね
Speaker 2
そうでしょうね 直感的という言い方が
Speaker 1
だいぶされますけどね
当然
専門家の方が
関わって作っていること
なので素人の方が
どうのこうの言うことじゃないと思いつつも
そうなのかな
パワーポイントなのかって思っちゃうんですよね
Speaker 2
ちなみにパワーポイントの
アウトライン作れるの知ってる?
パワーポイントでアウトライン作れるの知ってる?って聞いたら
Speaker 1
知らんって言われました
Speaker 2
階層構造作れて便利あるよなみたいなこと
でも基本的に
ロジックな文章の作法っていうのは
ある世代は全然教えてもらってないままに
言ってますし でもワードを使って文を書くことになったら
急にアウトラインになってきますから
階段すげーよなとは思いますけど
Speaker 1
その階段
パワーポイントも
教えるならアウトラインと
マスタースライド
という概念を
教えてほしいなと思うんです
Speaker 2
マスタースライドは知らなかったですね
マスタースライドが分かってたら
ワードのスタイルも分かるんで やってることほとんど同じなので
ある概念系は一緒ですよね
Speaker 1
結局手動フォーマット
一個一個手動フォーマットする
ことに手慣れてしまって
ものすごいそれが早くできるようになるんですけど
そのまま習熟してしまって
Speaker 2
企業に入っていくわけですよ
Speaker 1
そうですね
すごく早いんですけど
直すとなると一個一個全部
150ページで直さなきゃいけなかったりするんですよね
Speaker 2
正直僕もそれやってましたからね
大学生ぐらいの時までは
文字選択して太字押して
フォントサイズ18とかにして
次の行もそれにしてってことをやってましたね
コンビニで働くように
やってからですねちゃんとした報告書とか
制作の取れたフォーマットは
フォーマットがあるのでテンプレートをいただけるので
Speaker 2
フォーマットが決まってるわけですから
こういうものなんだというのを経験から学んだという感じですね
Speaker 1
でも提供されるテンプレートが
ちゃんとそういう機能されてるというのは
Speaker 2
非常に幸いなこと
確かにそうやない
情報処理の習熟
Speaker 1
それが手作業で作られてたら伝統文化に受け継いでいくわけですよね
そっちのほうが多いですよ
逆にこっちがスタイル設定したりとか
スタイル使ったものを提出して修正入って戻ってきた時に
全部破壊されて戻ってくるようなことが多いですからね
なるほどね
Speaker 2
なんだろうな
そういう個別にする手法は日本人の修正に合ってるのか
ただ単に初期の教育段階で教えてもらわなかっただけなのか
いやどうでしょうね
Speaker 1
チバチマして
Speaker 2
チバチマして直していくのってめんどくさいですけど
なんか充実感はあるんですよ
ああいう作業してて楽しいっていう気持ちはわからないではないですけど
Speaker 1
僕すごく衝撃を受けたのが
ワードのアウトラインとスタイルを使ってほらほとんど自動でフォーマットされたドキュメントできますよ
全然違うでしょこれ
残業3時間ぐらい毎回減りますよ
っていうことを言ったんですね
でも相手の人は
いやどう考えてもエクセルでやった方が便利でしょ
って言うんですよ
だって分かりやすいじゃないですか
分かりやすいか
って言われてそれ以上何も言えなかったというか
だけど
その時にいやあなた間違ってるとは言えないですよね
そうですね
実際にそれは間違いじゃないんですよね
そうすると強要するわけにはいかないし
そうですね
現にその人はエクセル方案書ものすごい高速で作ることができるわけで
ただそれをこっちに直せって言われると非常に困るんですけど
そうか
その分かりやすいっていうのは自分の認知に親しんでいる馴染んでいるということですよね
そうですね
Speaker 2
でやっぱりここを太地にするよしじゃあここを選択して
Speaker 1
そこを選択して
太地にするっていうその直感性は上ですよね
スタイルの画面を開いて設定を変えるとかっていうよりも
この文字を選択して太地にする方が直感的かどうかというと
絶対そっちの方が直感的
そうですね
だからプログラミングとかでも
思ったコードをそのまま加工が早い場合が
Speaker 2
大半だと思うんですよね
そうですね
思ったコードをそのまま加工が早い場合が大半なんですけど
一遍関数化した方が全体の修正は高いっていうのと
全く同じコードですねそれは
Speaker 1
そうですね
だからそうそうスタイルCとアウトラインと連動するスタイルって
ある種の
CSSもそうですけどある種のオブジェクト思考的な概念なわけじゃないですか
確かに
だからそれを確かに直感で理解する
そうか
Speaker 2
例えばクラスっていう概念そのものが欠如していると
分かりにくいですよね
そうですね
Speaker 1
そうクラス
ワードのスタイルっていうのは継承の概念もあるし
確かに
非常にそういう意味ではオブジェクト思考的な
考え方なんですよね
Speaker 2
だから僕ら自身は親しんでるから
そっちの方が簡単なように認識が簡単なように感じられますが
そうじゃない場合はむしろ
一手が二手遠回りに感じられるんでしょうね
Speaker 1
ということは
Speaker 2
そうですね実際に遠回りなんですよね
Speaker 1
ただ150ページある場合は
はるかにその方が楽だし抜けもなくなるし
っていうことなんですよね
もちろん一枚ものの時は
直感的に一つ一つやってもそんなに変わらないし
Speaker 2
そうですねだから短いプログラミングやったら
別に関数化する必要はないというのと同じですよね
これはそう
情報をどう扱うのかという
観念そのものが非常に
小さいレベルの情報処理しか想定していない
あるいはそういう短い情報の処理しか
訓練できていないということ
情報教育が
あんまり大規模に行われていない
今の情報一致の授業を受けている人たちは
クラスという概念が分かりやすくなっているとしたら
いいんですけどね
Speaker 1
そうなるってますもんね
Speaker 2
オブジェクト思考そのものは分からない
にしてもクラスということが
体感的に知観できれば
オフィス製品は一通り使えるようになりますけど
基本的にオフィス製品のリボンに並んでいるのは
大体一緒なんで
コントとか変えるやつ
Speaker 1
あそこが一回分かったら大体全部分かるんで
Speaker 2
逆にCSSを先に覚えちゃっていれば
Speaker 1
あれと同じ概念ですよというのが一番
Speaker 2
分かりやすいんですよね
Speaker 1
CSSは覚えてないと思うんですよね
Speaker 2
覚えてないのか
ウェブページを作りましょうか
ないのか
Speaker 1
もっと情報処理っぽいことをですね
統計データの分担とか
Speaker 2
パインソンとかには
プログラミング言語っぽいのはあるんですけど
実際のそれじゃなくて
問題用のが書かれていましたね
Speaker 1
実際の言語じゃなくて
公文だけ抽出したような
Speaker 2
問題文として読んだときに
分かりやすいような形で書かれていて
ループ構造とか指則演算とか変数とかが
一応概念として分かるような問題が並んでましたね
Speaker 1
でもそういうのを必修でやるんですね今
Speaker 2
そうですね
僕らが高校時代に
授業で受けたことを覚えているかどうか問題と
彼らが例えばそこで情報位置を習ったとして
社会人になったときに言ったら身についているのか
例えば僕英語を学びましたけど
結局使えるようにならないから卒業したわけで
それと同じことが情報についても言えるのかもしれないですけど
ある程度の単語とか苦手意識は
その授業ではなくなったかもしれないから
現金化みたいなものはそうした情報位置で
得ているかもしれませんけどね
Speaker 1
使えるようにはなってないと思いますけど
でもやっぱりその用語とか概念が
ちょっとでも残っているとと残っていないのが
全く導入されていないのとは全く違いますよね
そうですね
Speaker 2
そうやって僕らが知能とか
そのプロセスをどう理解しているのかで
自分に対する想像力も
想像力と欲望のこうしてほしいみたいな
こうできるべきっていう想像力とこうしてほしいっていう
欲望がその理解を基盤に
発生するもので
もしその想像力が貧困だとするんであれば
そこをベースアップするしかない
だとは思いますけどね
Speaker 1
そうですね
そういうツールがあるということを
自覚するのがすごく大事で
話がかみ合わないときに自分の思っている想像力と
想像力の重要性
Speaker 1
相手の思っている想像力が違うかもしれない
そのときに自分はこういう想像力を持って
話をしています
っていうふうにお互いに
言い合えればいいんですけど
それがかみ合わないままだと
その一言であのツールはクソだ
っていう風になって終わっちゃうかもしれない
実際には違う想像力を通してみると全然そうじゃないかもしれない
そういうことで
想像力というのは大事だなという話を
最近よくしているんですけど
想像力という言葉がちょっと分かりづらいなと思いつつ
Speaker 2
例えばイメージという風に
肩関連するとちょっとニュアンス変わります?
Speaker 1
期待
Speaker 2
そうですね期待
Speaker 1
期待なんですよね
文章エディターとはどう
あるべきものかあるべきか
Speaker 2
あるべきかの
べきの強さ感が
人によっては拒絶対象になる
強くあてほしいのが
そういうことで表されているだけなんですけど
義務を規定しているわけではないと思うんですけど
そこで日本語ではべきって言いますよね
Speaker 1
そうですね
今もそういう議論が
行われていますけど
それこそ80年代のワープロについての
いろんな言説を見ていても
ある人は実は
ワープロ用紙で書いていた体験をどれだけ再現できるかが
ワープロの価値だと考えているようなところがあって
別のある人は英文ワープロが持っているような
パラグラフ単位で操作できるようなのが
本物のワープロだろうと言っている人が全く
噛み合わない話をしているみたいな
それが結局ずっと同じようなことが起こり続ける
ものですよね
道具に対する異なる視点
Speaker 2
これはどうなんですかね
包丁とかハサミでそんなすれ違いの議論は
多分起こらないと思うんですけど
知的な道具だからなんですかね
Speaker 1
知的な道具だからでしょうね
そうですよね
単機能じゃないからですよね
日本語ワープロだろうが英文ワープロだろうが
本質的にできることは変わらない
やっていることは変わらないにも関わらず
実はすごく思想が違うという
こういうツールというのは
デジタル以前にはあまりなかったんじゃないか
と思うんですよね
ソフトウェアだから
Speaker 2
原稿用紙も例えば200字目と400字目どっちが
するかみたいな話はあると思うんですけど
これはさっきの議論とはちょっと質的に
異なりますよね
そうですね
Speaker 1
でも原稿用紙とか万年筆でも
ある人は
モンブランの
マイスター・シュテック149がいいとか
ペリカンの何とかがいい
ある作家先生が言っていたとして
もう一方で別の誰かがいやいやいや
このパイロットの方がいいとか
全然お互いお前は万年筆がわかってないという話を
しているときに
学科の先生は
大量の原稿を原稿用紙にいかに
手首に負担をかけないで書けるかということを
基準に判断しているのに対して
もう一方のパイロットが好きな人は
手帳にカリカリと細かい文字を書き込める
ことがいかにできるかを
基準に判断しているとしたら
それはかみ合わないですよねっていう話
途切れるかもしれないですね
Speaker 2
そうするとその主張は
基本的にはどうあがいても
かみ合わないというか
お互い違う話をしていることは確認できますけど
これが一番だという議論に決着はつけられない
Speaker 1
それを万年筆の良し悪しとして
話は分かれてないですよね
そこに想像力という概念を導入したときに
プロの作家が
月に何万字
手書きで書くのに適した
万年筆
の話を自分はしていますと
それが自分の想像力ですっていう情報があれば
もう一方のパイロットの人も
それは私が求める万年筆と違いますよねって簡単に
議論の価値
Speaker 2
納得できると思うんですよね
簡単に納得する
お互いコンテキストを提示して
簡単に納得した話は盛り上がるのかどうか
Speaker 1
盛り上がらないかもしれない
Speaker 2
コンテンツに
お互いにすれ違って
言い合うプロレスのようなものが
楽しまれてきた環境があるのではないか
Speaker 1
そういう面はありそうですね
Speaker 2
3人お互いに
すごいですねって言うのって
Speaker 1
読んで面白くないかもしれない
Speaker 2
コンテンツ的偏りがあって
そういう論争が
Speaker 1
あえて放置されてきたっていうところがあるのかもしれない
Speaker 2
僕は難しい問題で
整えりゃいいっていうことかどうかは分からない
例えば自分が相手の発言を受け取ろうと
大作家さんが書いている本を読んで
何か違うなと思ったときに
総力の観点で補助線を引くっていう
Speaker 1
捉え方は全然いいですよね
そういう風に捉えたときに
例えばそれがなかったときは
この作家が言ってることはクソだという
反応ではない反応ができるようになるかもしれない
その方が建設的だなと思います
Speaker 2
そうですね
なかなか難しいところですね
あの人の作家の言うことは
そうやと思うけど
俺はこれは好きだと言えることっていうのが
ある種の個人性というか個人の自立感だと思うんですが
ちゃんと言うよりは
誰かがいいと言ってたからで
自分の好みを形成してしまう場合
喧嘩が起こりますよね
お互いの相手を否定することで
自分を肯定しなければならない構図が出来上がる
違う想像力の中で生きている
ツールの話だけじゃないですよね
世界に対する想像力でお互いにすれ違っていることがある
そういうことを理解できれば
少なくとも罵倒し合うようなことは減りますし
僕らは日常でコンテンツを作っているわけではない
別に座談会をしているわけではないわけで
お互いに許容できる生活の方が
ご機嫌に生きていける感じはしますね
Speaker 1
そうですね
逆に同じ想像力を持っていると確認した同心だったら
逆に好きだだけ論争をすると楽しいんじゃないかなと思います
なるほどね
そうすると
モンボランでしょ
ペリカンでしょ
何言ってんだと
原稿用紙は何とかどうの
210メリキュメント
経鮮は緑だとか
Speaker 2
激論が昔は行われていたわけですよね
Speaker 1
最近は見かけないですね
アナログツールでもさえそういう議論が行われていたわけで
Speaker 2
激論が起こるときに
激論が続いていくと
非常に細かい話が出てくるわけですけど
それが面白いんですよね
お互いに認め合うと非常にアバウトなところで話が終わってしまうというか
たしかに
Speaker 1
自分の功能みたいなのがあると思うんですね
逆に想像力が一致した動詞で激論をして
仮に結論が出ないとしても
例えば読んだときに
万年筆についてそれまで知り得なかった
非常に細かくて
解像度の高い情報を得られるわけですよね
それはすごくいいことですよね
だからデジタルツールの議論も
そういう風であるといいなと思いますね
Speaker 2
そうですね
精々AIに対しても同じ話ですけど
相手を説得しようとするとディティールが出てくるんですね
何としても説得してやろうとすると
これがいいこれがいいというディティールが発掘されるという
そこの駆動力ある程度プロンプトですね
Speaker 1
自分に対するプロンプトが効果的なんですね
そういうものを読むのが非常に役に立つし楽しいし
Speaker 2
喧嘩してほしいわけではないけど
喧嘩しないと出てこないようなディティールが出てくるのが嬉しい
Speaker 1
そうですね
喧嘩もその話題の中だけで
プロレス的に
面白くするために喧嘩するというのが全然ありだと思うし
Speaker 2
そうですね
喧嘩というフォーマットがあまり好まれないですね
世間的にねだからあまり出てこないでしょうけど
それは違うんじゃないかなという話は普通に面白いと思うんですけど
Speaker 1
いやそうですよね
それこそまた80年代の話になりますけど
ワープロ論争みたいなのが起きている時に
結構みんな極端なこと言うんですよね
今だったら考えられないようなことを書くんですよね
原稿に
ただの悪口じゃないかみたいな
結構当時平気で書いていて
ただそれがきっかけに
いろいろ話題が発展していったりすることもあるし
逆に単に悪口で終わっている場合もあるし
アルメサオタダオなんかはかなり
あえてアジテイトする
Speaker 2
ことを書いていますね
Speaker 1
それで議論を喚起しているようなところもありますし
彼らはアジテイターというか
Speaker 2
挑発がお得意な方ですよね
それは間違いなく後悔はあるんですけど
良い方の影響は大きかったんじゃないかなと思いますが
Speaker 1
そうですね
そんなにお行儀良くなくていいんじゃないかなと
Speaker 2
今思うこともありますね
あんまり悪い気はしないですね
特に現代で自分ができるかと言われるとあれですけど
さっき言ったように挑発的なものって人の思考を
活気動かすところがあるので
大人しくみんなで認め合ってうんうんと
頷いているのと
どっちが知的に活発かというと
挑発的なものの方が
思想家や哲学者はそういう傾向がありますけど
その効能は悪いと断っているものではないと
Speaker 1
思いますね
Speaker 2
想像力というのは
意識的に見かけるものではないんですが
意識するとちょっと変わってくるというところは
あるかもしれないですが
どんなアナレッジツールを求めているのかという
それこそ想像とか期待があれば
ハッシュタグ打ち合わせキャスト
いらがなで打ち合わせアラベットキャストまで
いただければと思います
Speaker 1
沢山何か今日お知らせしたいこととかございますでしょうか
Speaker 2
大丈夫です
お疲れ様でした
01:29:49

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