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Speaker 2
DuckDuckGoというのがあるんですけども、
DuckDuckGoって読むと思うんですけど、
検索エンジンですね。
プライバシーを重視しているということで、
Googleが好き勝手に聴取している使用者の履歴とかを一切聴取しませんというタイプの検索エンジンとして、
Speaker 1
僕1ヶ月くらい前かな、ある日突然思い立ってそれに変えたんですけど、
Speaker 2
基本的に不便はないですね。
Googleでなければ困るみたいなことがないし、
広告が別に上の方に、スポンサーの検索結果が上に出ることもないですし、
最近Googleは生成AIによる回答とかも勝手に出しますが、あれもなくて、
ある種ちょっと不便というふうにクエックスが増えたりとはするので、不便は不便ですし、
Rスタイルは全然見つからないんですけど、
それでいいんじゃないかなと。
ページランクとは別の概念でエンジンをサーチしているとは思うんですけども、
大抵の用途はこれで困らないし、
Google一挙大戦に対してやっぱり何かライバル的なものがあるというのが健全やと思うので、
僕はこれ最近使ってますし、
Speaker 1
多分このままずっと使い続けるんじゃないかなと思いますね。
Speaker 2
NHKテキスト100分で名長、
これ多分番組でもやってると思うんですけど、
今月が村上春樹のネジ巻きどりクロニクルということで、
Speaker 1
すごいものを取り上げてきたなとは思ったんですけど、
Speaker 2
ついにですね。
彼の作品で取り上げる本があるとしたら多分この本ではあるとは思うんですけども。
Speaker 1
そうですね。
Speaker 2
テキストでは村上春樹の研究者という方ではなくて、
確かね、ロシア文学とかの研究者の方が発表されてまして、
世界文学としての村上春樹という位置づけで解説されているということで、
彼自身が翻訳家であるとともに、
彼の作品が翻訳されて世界中で読まれていると。
世界文学というものとして村上春樹を見たらどうなるんだろうという観点を持って、
ネジ巻きどりクロニクルがどういう作品だろうかを解説してくれるという本で。
僕はこの点の村上春樹解説本は一切読まないんですけども、
この本だけは読みまして、
Speaker 1
本というかテキストですけど読みまして、結構面白かったですね。
Speaker 2
逆にその内容は細かい部分を全然忘れているなというのは、
確かに最悪にしたんで、
ちょっと長いですけど、また機会があったら読んでみようかなと思いますね。
Speaker 1
元のネジ巻きどりクロニクルそのものですね。
Speaker 2
僕確か、
あれ、
高校生の時に図書館で彼と読んだんで、
ハードカバーで読んでるんですよ。
その本の解説によると、
英訳されて、その後に日本語の文庫本になっているわけですけど、
ちょっと内容が違うらしいですね。
Speaker 1
ちょっと変わったんでしょうね。
Speaker 2
そこを僕、全然知らなかったんで、
次読むとしたら文庫本で読んでみようかなと思ってますね。
解説されなければ全然わからなかったんですけど、
読んでみようと思ってます。
文学回りでいうと、
ピンチョンの新作が発表されるということで、
タイムラインが沸き立っておったんですけども、
ピンチョンは1作ぐらいしか読んだことがなくて、
まだピントは来てないんですけども、
たくさんは世代なんですかね、ピンチョンの。
Speaker 1
世代は世代ですけど、
Speaker 2
重力の意義、途中挫折。
Speaker 1
それ以外はちゃんと読んでないので、
世代と言って、純粋に世代なだけで、
Speaker 2
読者として世代なわけではないですね。
つかみどころのないというか、
奇抜とか前衛的なイメージがあるとは思うんですけど、
これも翻訳されたら読むか読まへんかというところ。
家にある読んでないの読めちゃう話なんですけど。
Speaker 1
あるんですか?
Speaker 2
あるのはあるんです。
あるのはあるんですけど、読んでないし、読み切れてないし、
読み切れるかどうかもわからないところなんですけど、
とりあえずそういうのが出るということですね。
ロッギング生活術というのを、
もしかしたら前回か前々回に紹介したかと思うんですけど、
個性術の公開ページを使って、
それぞれみんなで日記的なものを書いていこうという運動なんですけども、
非常に面白くてですよ。
自分が見ている個性術のプロジェクトって、
個性術上の左上のボタンのウォッチリストっていうところから
一覧リストになってまして、
自分が以前見てから更新されたものは、
左側にマークが作るようになっているんですね。
見読と記読がそのリスト上で分かるようになっているということなんですけど、
僕は朝の日課が毎日ロッギング生活術をやっている人のページの
更新されているのを見つけたら、
ポチポチ開いて読むということをしているんですけど、
ものすごく古きインターネットをやり直しているような感じがします。
その頃はお気に入りを全部ブックマークに入れておきまして、
その頃は更新されているかどうかはRSSがなかったので、
見に行くしかなかったですよね。
全開ですよね。
日記とかコンテンツ、トップページを行ったら
ニューっていうのがキラキラ光る点滅が
それをクリックして見に行くということを手動でやっていたんですけど、
今は更新されているかどうかだけが分かるのでそこは違いですけど、
それ以外はほとんど手動でやっているその頃と全く同じことをしていまして、
自動でとかお勧めが表示されるっていうある省力的な、
省エネ的なものが一切なくなって手間がかかっているんですけど、
やっぱりその分、そういう目立とうとするコンテンツ、
開学付きのコンテンツじゃないものがそういう日記にはあふれてまして、
しみじみいいよなというのを思っていますね。
Speaker 1
コンテンツじゃなくて人ですよね。
Speaker 2
まだその人の日常を見るという、
Twitterの昔もそんな感じだったとは思うんですけど、
今はもうコンテンツあるいはメッセージ、
パッションみたいなものがタイムラインに並ぶわけですけど、
もっとこう、とぼくなものがそこに並んでいて、
本当の日記じゃないんですよね。本当の日記はやっぱりもっとプライベートなものが書かれて、
他者の目をちょっと意識した、
でもその人の生活に根付いたものという、
いい感じなものが読める素晴らしい環境だなと思うんですけど、
それと同時にこれはひどく開古趣味なものではないのかなという疑いはありまして、
でも今の若い人たちがそれを見て面白いと思うかどうかはちょっとわからないんで、
おっさんの趣味なのかもしれないですけど、
まあでもいいよなあとはちょっと思うんですね。
Speaker 1
どうなんでしょうね。
Speaker 2
そうですね、ちょっとわからないです。
Speaker 1
人の日記ほど面白いものはないので、
それが普遍的な面白さなのか、
なんというか、我々か我々より上ぐらいの世代までのものなのか、
っていうのはちょっと正直わからないですよね。
ただ久しくこういうものがなかったので。
それは間違いなく。
僕も見てますね。やってないんですけど見てました。
Speaker 2
やっぱりなんかすごいとびきり新規性のある情報がゲットできるとかじゃなくて、
本当に日常を味わえるというところなんですけど、
時々やっぱりねビビッと光るものもあるんですよね。
へーって思えるものがあって、
そういう良さはやっぱりあるよなと思いますね。
Speaker 1
そうですね。
これをコンテンツ的なコンテンツにしようという企みがないから何かが光るみたいなところもあって、
そう考えるとこのコンテンツという言葉が日本に根付いてから失われたものがずいぶんたくさんあるんじゃないかな。
日本だけじゃないかもしれないですけど。
Speaker 2
日本の場合はコンテンツは独自の意味がありますし、
たぶんそれは情報発信という言葉と対になると思うんですけど、
やっぱりその人の昔あったもっとなんていうか、
ラフな何に活動、表現活動というのか何かわかりませんけど、
がある方向に傾いてしまった。
ほとんどの場合、お金を得ることないし影響力を得るためにコンテンツを使うみたいな感じになってしまった。
僕自身もそれには参加しているわけで、
それは断罪することは難しいんですけど。
それとは違う領域の発信もあってもいいよなとは常々思っていて、
いろいろ自分なりにもやってはきたんですけども、
やっぱりこういう形が一番いいかなと。
一つのプラットフォームを作ってみんなに集まってもらうというよりは、
それぞれが離れた島のようにやってて、
Speaker 1
お互いにたまにそれを観測しているぐらいの距離感の方がいいんだろうなと思いますね。
Speaker 2
いいと思います。
こういうのがまた復活したらいいんですけどね、わかりませんが。
Speaker 1
そうですね。
それと収益につなげるみたいなところの中間というか、
なんでどっちか選ばなきゃいけないのかっていうところはずっともやもやがありまして。
収益を得る方向に行こうとするとあっちに行ってしまうっていうのが常にありますよね。
YouTubeのいわゆるVlog的なやつの時はすごく好きだったんですけど、
Speaker 2
やっぱり洗練されると共につまらなかった。
そうですね。同じYouTubeで言うと料理系のYouTuberも最初の頃は面白いんですけど、
Speaker 2
そんなものは成立しないわけですから、どこかで何かがいるということはあるんですけどね。
広大なインターネットの片隅にこういうのがあるのは個人的には心が癒されるなと思います。
最近またバイクを使い始めまして、特にバイクで原稿、文章を書くようになりまして、
ワークローリーも普通に並行で使っているんですけど、やっぱり全然違うなと。
同じプロセス型であっても全然違うよなというのがあって。
一つは非常にはっきりわかるモードなんですけども、
ワークローリーというのはモードレスで全ての操作が同一なんですけど、
バイクというのは2つのモード、エディットモードとアウトラインモードがありまして、
それぞれ操作が違うと。
個人的にはモードを切り替えるというのが面倒なんで、
ワークローリーのほうがいいなという感じはするんですけど、
でもモードがあることによってそのモードに特化したキー操作が当然成立的で、
ある操作を集中的にやりたいときにはモードがあるのがいいんだろうなというのは体感でわかるんですけど、
その目立つさと別の違いとして、開業の違いというのがありまして、
ワークローリーの場合、開口業を一つ入れるのが難しいことが多い。
Speaker 1
上がっちゃうやつですね。
Speaker 2
下の階層を開いてて、同じ階層で開口業を作りたかったときに、
一個上に上がってしまうんですよね。
僕としてはただそこにインデットとしての業務がいないのに、
開口の業務が上がってしまう。もちろんそれは戻したらその話なんですけど、
その一手がすごく煩わしいんですけど、バイクは普通に開業が増えるんですよ。
同じ状態でも。
なので、例えば文章を書く場合にはバイクのほうが向いている気がするんですよ。
そういう空業がたくさん出るんですけど。
リストを作るという場合は、むしろ普通に同じ列に項目を並べていくことが多いわけで、
ワークローリーを使ってもそこはあまり問題を感じないなというところがまず違いの一つと、
バイクって先ほど空業をすると左のマーク、矢印が消えるんですね。
完全な空業に見えるようになっている。
Speaker 1
ワークローリーは開口業を作っても残るんですね、そこのぼっちが。
そうするとやっぱりすごく邪魔なわけですよ。
Speaker 2
この違いもやっぱりツールをどのような方針で運営していくのかということに
暗黙に影響を与えているなというのを2つのツールを同時に使って感じましたね。
Speaker 2
どうしてもやっぱりワークローリーは文章的なものを書きづらい形にはなっている感じはとてもしますね。
Speaker 1
同じように感じます。
何をしたのかなとは思いますけどね。
Speaker 2
このやり方が作者にとって使いやすい使い方にやからこうなっているとは思うんですけど。
僕も一回自作でアウトライナーを作ったことがあるんですけど、難しいんですよね。
ものすごくパッと見るとただインデントが付いているエディターのように思いますけど、
階層が付いている状態でリターンをした時にどう動作するのかってかなりの選択肢があるんですよね。
例えば会議を入れるときもカーソルが行末にあるのか文中にあるのかによって動作をどうするのかっていうのもあるわけですよ。
新企業を買ったら作るだけなのか分割するのかっていうことも結局作者が決めなければならないわけですね。
アウトライナーはこう作るべしっていうような規則があるわけじゃないんで。
だから作者がこれが使いやすいだろうというような方向に向けて全てがデザインされていて、
最終的に出来上がったらほとんど違うツールになってるっていうことなんでしょうけどね。
Speaker 1
そうですね。だからオムニアウトライナーをさらに3つ並べてやるとさらに違いがあって、
バイクって実はオムニアウトライナー的な操作とワークフローイ的な操作のちょうど中間なんですよ。
なるほど。
オムニがちょっとガチガチにやりすぎているところを緩めてる感じもあるし、
例えばオムニは業の途中で会議をした時に、業を折らないで次のトピックを作っちゃうんですよね。
Speaker 2
僕はそれがすごく好きだったんですけど、
Speaker 1
エディターとして考えるとすごい使いづらく感じる人がいても当然なんですよね。
そうですね。
だからそれに対してワークフローイは普通のエディターに期待されるように業の途中で会議を押すと、
ちゃんと業が折れて、そこから後が次の業になるっていう。
その中間を狙っている。
でも一方ではワークフローイは割に階層が厳密というかストリクトになっていて、
第一階層の下に第三階層を作ることはできないんですけど、バイクではそれができるんですよね。
できますね。
それはワード的な考え方なんですね。
うん、確かに確かに。
だからいろんな今あるアウトライナーのいいところを寄せ集めて、
作った人が考える一番いいバランスで混ぜた感じなんですよね、バイクって。
なるほどね。
Speaker 2
そうですね、使い勝手。
やっぱりどちらかというとエディターベースのツールの印象を受けますよね、なんとなくね。
そうですね。
Speaker 1
エディター、だからアウトライン操作ができるエディターと捉えることもできる。
Speaker 2
うんうんうん、確かに。
Speaker 1
うん、ですよね。
特にテキストファイルで保存する設定にすると、
純粋にエディターとして使うこともできなくはないっていう。
Speaker 2
確かに。
そういう違いがあるというのはちょっと確認したのと、
あとワークフローイのCSSといじりまして、
空海魚、中身がない行は左のドット、ぼっち、バレットを表示させないようにしたんですけど、
これはかなり快適というか、空海魚を置きやすく置けるようになりましたね。
やっぱり同じものが並んでいて、
もう間に1個ずつ空海魚が入っているだけで雰囲気が違うというか、
Speaker 1
雰囲気というかそれが何であるかという認識が変わってくるというか。
Speaker 2
メモ的なものもやっぱり集まっているよりは広がっていた方が、
発想に広がりがある。
ノートと一緒ですね。
ノートを詰めて書くよりは開けて書きましょうというような手書きノートの指針がありますけど、
あれと同じような効果がデジタルであっても見え方によって違いがあるんだなというのはちょっと感じましたね。
Speaker 1
この辺結構ツールを変えてみないとわからないところかなと思います。
Speaker 2
1個細かいお話なんですけど、
ノートでつなげるメモ術というメモの方法論を紹介しまして、
高評、50ラブぐらいいただいてますけど、
すごい単純というか、
デジタルでやっていることを無理やりアナログでやろうというような方法で、
できるだけ細かく記号を書いて、それぞれに行頭で番号をつければリンクできるよねということで、
3つぐらいしかルールがない非常にクラシックらしいシンプルなメソッドなんですけど、
これ案外いいんですよ。
これ僕自分でやってみますけど、
発想を無理やりまとめなくていいというか。
だいたいこうやって思いつくことって前に思いついたことと関連することがあるんで、
それを綺麗に捕まえられる。
ルーズリーフとかを使わなくてもある種のリンク関係を生み出せるというので、
なかなか便利なんで、
いっぺん見てもらったらいいという話と同時に、
今出てきたから思い出したんですけど、
ルーズリーフ最近使い始めたんですけど、
日本のルーズリーフってフーじゃないですか。
Speaker 1
そうですね。
欧米のバインダーに比べるとちょっとっていう。
Speaker 2
日本でも手書きノートの復元みたいなことが言われてて、
ノートとか高級ノートとか手帳とかが売れてるって話聞くんですけど、
みんなそれ閉じノートのことなんですよね。
でもバインダーノートとかルーズリーフとかって、
大きめの文房具屋さんに行っても、
大体キャンパスかワルファンのしか並んでなくないですか。
真っ白の紙が嫌やったんで、
ベージュとかクリーム色のルーズリーフ探してたんだけど、
まず文房具屋が売ってないんですよね。
Speaker 1
ないかもしれないですね。
Speaker 2
ほとんど真っ白の、さっき言った黒色か丸まんのあれしかない。
ライフが、ライフノートのライフが出してるんですね。
ライフの紙と同じベージュ色のルーズリーフ出してる。
それはもう僕はインターネットで買ったんですけど、
よく考えたら、僕らが一般的に手に入られる、示されている選択肢って
めちゃめちゃ少ないよなと思って。
ノート売り場のバリエーションに比べると、
ルーズリーフ売り場の極小さ具合って、
すごいなんかかわいそうだなと思うのと、
あと、なんとかノート術って言った時に対象とされているのって
Speaker 1
大体トジノートなんですね。
Speaker 2
ルーズリーフノート術って見たことがないんですけど、
でも、なんでそんなに扱いが悪いんだろうなっていうのを
最近ちょっとルーズリーフ使ってて思うんですけどね。
なんでしょうね。
Speaker 1
でも思ったんですけど、ルーズリーフって減りましたよね。
昔はもっと多かった。
扱いも大きかったし、商品も多かったし、
多分、コンピューターの普及に合わせて
ルーズリーフの需要が減ったんでしょうね。
Speaker 2
そう思います。それは同じこと思いました。
結局、ちょっとデジタル的なんですね。
デジタル性が、やっぱりデジタルと比べると弱いし、
ページの連続性そのものはこのアレにはないわけですから、
アナログ的連続性っていうものを活かしたら
トジノートになっちゃうわけで、
すげえ中途半端な位置にいるんだろうなと思うんですけど。
それにしても、もっと開発できるんじゃないかなとは思いましたね。
Speaker 1
確かに減りましたね。
ちなみにクリーム色の紙は無印にいくとあるんですけど、
サイズが微妙に普通のと違ったりして、
すごい面倒くないですよね。
Speaker 2
ないしは助けるものであってほしいんですね。
さっき言ったのって、事務的な手作業を減らしてくれるということで、
簡略化ではあるんですけど、
プロセスの変容ではないわけですよ。
合わせたデータから文体を模倣してくれると。
例えば雑に書いた文章でも自分らしい文章に直してくれるという
効果はあると思うんですけど、
それは例えば小説家とかが
使えるかというと、
使えるんでしょうけど、
クリエイターとして見たときに一番必要なのは、
新しい文体を開発することだと僕は思っているので、
だとしたらそんなものは何の役にも立たない、
何の役にも立たない言い過ぎですけど、
少なくとも助力にはならない、求めているものの助力にはならないと思うんですよね。
だから書くっていうプロセスが
本質的に変わってしまうようなものか、
あるいは自分の文体を新しい文体を構成するタスキになるような
生成AIの使い方であれば僕は
おーって思うと思うんですけど、
今僕が見かける生成AIの使い方、
あるいはツール開発者、新しいツールが
あるいはエバーノートが生成AIを使ってこんなことができるようになりますよ
って提示しているものってものすごくね
想像力が貧困なんですよ。
それはそんなことして確かに楽にはなるけども、
なんかそこにビジョンがない、
目新しいというか
心躍るビジョンがないっていうのを
思ったのと同時に
たくさんのノートを読みまして
梅沢太郎の後編の方ですよね。
前面の方もそうなんですけど、
結局新しいエディターとかワープロが出てきた時に
そのツールが何をできるのかっていう
あるいは何をしてほしいのかっていう期待感っていうのが
当然あると思うんですけど、
やっぱり例えばある時代は
綺麗な字を書ける清書機能としての
ワープロみたいな位置付けがあったと思うんですけど、
僕が今正々堂々に感じるのって
Speaker 1
それと同じような感じなんですね。
Speaker 2
どうもそうじゃないんじゃないのっていう感じが
してしまうんですね。
もちろん僕がその答えを持っているわけではないんですけど、
これだけ知性に感じられる
知的な動作をする道具があるのに、
やってることそれでは物足りなくないかなっていうのを
やっぱりずっと感じてしまうんですよね。
何かあります?
この生成AIプラスエディターに関する
昨今の動きについてのご意見とか、あるいは
使ってる使ってない話とか。
Speaker 1
でもやっぱり倉下さんが今言われたのに近い
感想は持ってますね。
ただそれも便利さを求める創造力は
当然あっていいわけで、
それを満たすように使って便利だよっていうのは
全然悪いことじゃないと思うんですけど、
そうじゃないものもあるだろうっていうこともあるし、
あとさっきの
ノートの梅沙夫さんの記事にも
つながるんですけど、
僕今80年代のワープロについての資料を
大量に読み漁ってるんだけど、
初期のワープロの
いろんな意見、
肯定的なものも否定的なものも含めて、
今のAIに対する意見ってそっくりなんですよね。
Speaker 2
やっぱり新しいものが
Speaker 1
黒船的に出てきて、
やっぱりワープロ以前に手書きで書くことを
確立した人の拒絶反応っていうのはすごいものがある。
一方それに対して書くことを覚える時期と
ワープロの登場が重なった若い人たちは
何言ってんだと。
もう時代が変わったんだと。
あなたたちが言ってるのは結局
古い時代の道具に規定された感覚なのであって、
それは書くことの本質とは何の関係もないんだっていう
そういう議論が交わされているわけですけど、
だんだん収束していって、
ワープロというかデジタルライティングが受け入れられていくんですよね、
90年代の初めぐらいには。
たぶんAIも、生成AIもそういう
それのもっと規模の大きい形になると思いますけど、
そういうプロセスをたどって受容されていくんだろうな
という気がするんですけれども、
やっぱり今の
おそらくまだ黎明期と言っていいと思うんですけど、
さまざまな想像力が
混在していて、
みんな勝手な想像力、勝手っていうか違う想像力を持ってるのに
会話して関り合ってないみたいなことが起こってる気がしていて、
その中でこの便利さを
今までと違ってこんなに便利だよねっていうタイプの想像力と、
もっと本質的なところに
働きかけるものがあるはずだろうっていう
村下さんが言ったような想像力が
混ぜこぜになって、
しかもそれが使える、使えない、
そういう意味で、
好きだったり好きじゃなかったりする議論になったりする
っていう状態のような気がしますね。
そうですね。
Speaker 2
あとやっぱり思ったのは、
書くっていう行為そのものの認識が
かなり違うよなという感じで、
ある定型的な処理で、
例えば2000字だったら2000字埋めるっていう作業、
仕事を書くっていう場合もあるし、
それこそある種の探検とか
航海に出るっていうメタファーで表されるような
クリエイティブなライティングを書くっていう場合もあって、
どちらにどう作用しているのかっていうことも
人によって違うので、
共通の基盤でしゃべるのは難しいとは思うんですけど、
でもやっぱりAIと共に書くって言った場合に、
その共にっていう自己の書きたいものと
AIがサポートしてくれるもののインタラクションによって、
これまでなかったものが生まれるっていうことを
僕は期待するんですけど、
そうにはなってないし、
そういう生成アイとプラスエディターっていうのが
それをもたらしてくれるとしたら、
どんなものであればそれが成り立つんだろうかっていうのも
Speaker 1
次なる疑問としてはありますね。
僕が思うのは、
僕はAIにそんなに造形が深いわけじゃないので、
間違ってるかもしれないんですけど、
よくある、例えば雑に書いたものを
AIに投げて
整えてもらうっていう使い方があるじゃないですか。
はい、あります。
これも劇的に便利になった、楽になったっていう
話があるんですけど、
僕の感覚だと、
雑に書いたものを整えるというのは、
文字を書く作業の一番おいしい部分というか、
その整える作業の中で出てくるものが
自分にとってはすごく大事なので、
そこをAIに渡しちゃったら、
すごく損なんじゃないかっていう気がするんですね、
今の段階では僕は。
その損得っていうのは、
Speaker 2
自分の満足度とかが減るっていうような感じですか?
自分の満足度もそうだし、
Speaker 1
あと、出来上がるものの
なんて言うんでしょうね、
AIに出来ないものっていう
言い方はまたちょっと違う気がするんですが、
なんでしょうね。
でもそういう言い方をするしかないな。
そういう言い方をすると違う気がするんですけど。
その人が、書き込みを
自分にとっては、
Speaker 2
その人が、
先生が扱っている書き手が
書くものにならないということね、おそらく。
Speaker 1
自分が書いた、
満足感なのか分からないですけど、
飛躍が生まれるのがそこなんですよ。
これは自分でも考えてなかったけれども、
書いたことによって分かったとか、
こういうことが出てきたっていう、
そういう飛躍が起こるのっていうのは実は
雑に書いたもの、例えばフリーライティングみたいなものから
もっと整ったものへと
それを変えていく