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2025-04-24 1:25:29

第百七十二回:Tak.さんと断片的思考について

サマリー

今回のエピソードでは、GoogleブログサービスやFC2Webの終了に伴うウェブの変化、ルーズリーフの使用方法の難しさ、生成AIの特性について詳しく議論されています。特に、ルーズリーフの効果的な活用法や情報整理の観点からの考察が行われ、教育やデジタルノートにおける課題が浮き彫りにされています。また、Tak.さんとの対話を通じて、断片的思考とその表現方法について掘り下げています。AIが生成する文章と人間の思惑との乖離や、書くことの新たな可能性についても考察がされています。さらに、文章エディターにおけるメタ思考やレイヤー方式について深く考察し、スクリブナーのようなツールがユーザーの考えをどのように効果的に扱うことができるかを検討しています。プロジェクト管理や思考の断片化に関する体験が共有され、Scrivenerやワークフローリなどのツールの使い方についても考察されています。思考の整理や情報のまとめ方に焦点を当て、執筆作業への影響について語られています。知的生産ツールとしてのスクリブラーの使い方や自分に合ったツールの選び方についても論じられ、情報カードやルーマンのチェッテル・カステンといった概念に触れ、内容を深めていく姿勢の重要性が強調されています。また、Tak.さんが断片的思考の重要性や情報源の質について議論し、文章エディタやメモツールの扱いやその改善点についても考察されています。

ウェブサービスの変化
スピーカー 2
うちあわせCast第百七十二回ということで、今回もゲストにたくさんお会いしております。よろしくお願いします。
スピーカー 1
よろしくお願いします。
スピーカー 2
ニュースがたくさんあったはずなんですけども、あんまり気には止めてないんで簡単に紹介すると、まずGoogleブログサービスというのがあるんですけども、
それは終了してしまうということで、もうあんまり見かけないんですけども、Googleが撤去しているブログサービスが終わるっていうのと、
あと、FC2Webっていう無料のホームページサービスも終わってしまうということで、だんだんウェブノリが終わっていく雑魂でございます。
スピーカー 1
そうですね。これとともに失われてしまう機理がたくさんあるということですよね。
スピーカー 2
どうしようもないですよね。サービスによってはこちらのサービスに移行してくださいみたいな案内があるらしく、
そちらのエクスポートがあれば機理自体は見かけないわけですけども、
ドメインが変わってしまう以上、Googleの検索結果で出てきたときにURLが404になってしまうとか、そういうことは諸々あるわけで、
でもウェブ自体が本来こういうものなんですよね。要するに永久保存版というよりも、むしろどんどん新しいものがルーティンしていくというものとしてきちんと捉えたほうがいいかなって。
これをデジタルでずっと残るというような認識っていうのはちょっと考えなきゃいけないかなっていうのを、10年、15年経ってようやくそれが見えてきたなっていう感じですね。
スピーカー 1
そうですね。ハッピーアウトライニングもなくなっちゃったままですからね。
ルーズリーフの利用法
スピーカー 2
でも形を変えて別の場所に移行して、移動のタイミングでまたコンテンツがリフレッシュというかリストラクチャリングされることがあるとしたら、それはそれで一つ。
コンテンツの質としてはいいのかなっていうところと、逆に歴史的価値とかあるいは資料として残すっていうことはまた別途の問題としてあるので、両方考えていかなあかんかな。
インターネットアーカイブも限界があるでしょうから、あれは便利は便利なんですけどね。
この辺、この最良の個人が上げていくウェブの情報とその保存っていうことは、いろいろ考えないと。
例えば平安時代であれば、そもそも残りようがなかったものですから、そんな時代に比べればあるかに残るようになってるんで、進歩ではあるとは思うんですけどね。
まだジェミニがGoogleワークスペースということでいろいろ新機能が増えたらしいですが、あんまりチェックしてないんですけども。
GoogleのジェミニはGoogleアカウントと紐づいていて、GmailとかGoogleドキュメントのソースにしてどうのこうのができるという点では優れているのかなというところで、
一応Googleさん曰く、そういうソースは学習データには使いませんよということが書かれているらしいんですけど、本当だよなっていうところもあるんですが、割り切って使えば非常に便利かなと思います。
ツイートなんですけど、前回かな、これは反応はあれなんですけど、僕はRoozlyphを使っているという話をどこかでしたと思うんですけど、使っているというか使い始めたという話をしたと思うんですけども、
Twitterで桐原さんという方が面白いツイートをされてまして、Roozlyphという名前のRoozっていうのは当然ズボーランナーとかそういう感じだと思うんですけど、ストリクトの逆だと思うんですけども、
そういうルーズ感に親近感を覚えて使う仕事のパートナーにするとダメになると、使用者側がルーズであることは済まされず、適宜管理をしないとただのゴミ屑になってしまうというツイートなんですけど、
これ非常に本質的な指摘だなと思ったんですけど、Roozlyph自体がルーズだから使うたびに使用者がルーズであることは許されないんですよね、基本的に。
逆に許されなくなる。
ルーズのまま使うと紙をその辺にばらきさせているのと同じなわけで、そのルーズをどうマネジメント、管理、コントロールするか、そこがバインダーの運用という話になっていくんですけど、
普通のノートだと入れ替えとかができない分、関与ができない分、あんまり悩むこともないし、逆に失敗することも少ないわけですけど、
Roozlyphだと考えなければいけないことが多分増えるんですよね、管理者の視点というのは。
で、多分あまり人気がないんだろうなと、人気がない、うまく使えない人が多いという感じかな、きっと。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
実際、無限の使い方ができますから。
で、例えばシステム手帳の場合、手帳っていう役割のフレームワークがあるわけじゃないですか。
で、日付順にページを並べるっていうのは、深い検討がなく、スタンダードあるいはデフォルトの使い方としてあって、
そのプラスアルファのアレンジでどんなページを差し込むかっていうことがあるわけですけど、
通常の趣味のとか、あるいは知的生産におけるノートの使い方っていうのは、フレームワークそのものがない状態から始まって、
それを組み立てていかなければならないということは、あんまり僕らのノート教育にはない観点というか、
そんな訓練をしないままに、僕らは大人になってるんで、
たぶんルーズリーフっていうのはあんまり使えないんだろうなというふうにちょっと思いましたね、これは。
スピーカー 1
そうですね。で、前回ルーズリーフの話が出たとき、一つそういえば忘れてたかなと思ったのは、
インデックスの使い方って習わないですよね。
スピーカー 2
インデックスの使い方習わないですね。
スピーカー 1
耳の付いたインデックスって教えられないですね。
で、たぶんルーズリーフとインデックスって非常に近しいというか、
インデックスあってこそのルーズリーフみたいなところもあるので、
ルーズリーフをルーズじゃなくすツールがインデックスと言えないこともないかもしれないという。
スピーカー 2
一次元の構造を与えるためのツールですよね、インデックス。
スピーカー 1
そうですね。で、ルーズリーフがOSだとすると、アプリケーションとなり得るのがインデックスの構造ということになるので。
スピーカー 2
インデックスとインデックスの間に何を入れるのかっていうことを書いて、順番並びを決めるということで、
高校生、大学生レベルだと教科ごとにインデックスつけてっていうところまでは行きますけど、
でもどんな順番で並べるのかは難しいですよね。
スピーカー 1
そうですね。単純に授業の順番で並べる。
スピーカー 2
高校なら私も大学ぐらいの研究とかでルーズリーフ使うってなってくるともうちょっと自由度が上がって難しくなる。
プロジェクトごとに切るのか、例えばプロジェクトA、プロジェクトBみたいにスレッドを作っていくのか、
あるいはタスクのスレッドがあって、資料のスレッドがあって、タイプごとにスレッドを分けることもできて、
これ結局デジタルノードの使い方の難しさとかなり重なる部分があるんですよね。
重なりますよね。
僕らそういうのはあんまり情報整理学っていうのを学ばないままにルーズリーフを使うとなかなか難しいなという感じですね。
スピーカー 1
そうですね。結局ルーズリーフのノートって普通のノートの感覚で捉えると、
ルーズリーフを一冊のノートとして使っちゃいがちなんですけど、
本当だったら切り離して家のキャビネットに整理されててもいいわけですよね。
その日に使う分だけをノートに挟んで持ってくるという形があってもいいわけで、
そういうやり方っていうのはまず学校という場では学ばないですよね。
スピーカー 2
ノートの書き方すらも普通の授業のノートの書き方すらも多分教えてもらわない。
方法っていうものをあんまり重視しないのが日本の教育なんですけど、その代表例みたいなところですね。
やっぱり版書を書き写すイメージとらえてしまう。今どうなんでしょうね。今でもそうなんですかね。
デジタル化しているとは思いますけど、iPadとかで。
生成AIの特性
逆。
スピーカー 2
でもなんかバカおかしいですよね。iPadを買っているのに版書を写すのってなんやろうって。
スピーカー 1
逆にパワポンになっちゃってるのか。大学は結構そうだったりする。特に大教室の授業とかそうだったりするかもしれないですけど。
スピーカー 2
Evernoteが入り始めた頃はスマホで黒板をスクショしてEvernoteに保存してみたいな、
デジタルとアナログの中間地点みたいなやり方がくぐるぎゃみたいなことがありましたが。
そもそもデータでくるよという話なんですけど、その黒板を。
スピーカー 1
まあ確かにね。
スピーカー 2
でもやっぱり黒板を使う人の意見で言うと、
授業の先生のタイプによって、版書のためのノートをまず授業の前に作る。
ノートはその版書を写すだけの作業の人もいれば、
版書を使って考えながら、自分自身が考えながら説明するタイプの人もいて、
校舎の人はあらかじめ作ってくださいよ。無理なわけ。
無理というか意味がないわけですから。
それは黒板が必要なんですけど、
ノートから黒板に黒板から生徒のノートにみたいなことを全く同じものを写してるんであれば、
データでくれたらほうがいいというところ。
この辺もだからやっぱり特に大学とかは先生によってスタイルが違うので、
授業の難しいですけどね。
まあ難しいですね。
スピーカー 1
でも版書をカメラで撮って家に持って帰ってゆっくり自分で書き直す。
特にデジタルの場合は編集しながら書き直すようなことをもしすれば非常に有効だと思うんですけど。
スピーカー 2
そうですね。それは間違いないです。
スピーカー 1
版書を撮ったまま終わっちゃうケースが多いのかもしれないです。
スピーカー 2
そういうパターンが多い。念のためにという感じで。
その辺の授業、学び方とかノートの使い方、研究の仕方みたいなそういう方法論がわりかし空いているので、
ルーズリーフみたいな自由度の高いツールは難しい。
逆にだからルーズリーフがうまく使えるんであれば、
デジタルノートの変理みたいなもの、全体ではないし、
こう使えばいいんじゃないかなって勘どころの練習になるんじゃないかなというのはちょっと最近使ってて思うんですけど。
スピーカー 1
そうですね。デジタルを有効に使うための非常に良い訓練というか、
下ごしらえというか、精神的下ごしらえみたいな感じになりますよね。
スピーカー 2
物的操作から慣れた方が、いきなりデジタルで混乱するよりは一回アナログ的な操作を含んだ方がおそらくはいいでしょうし、
僕、先ほど出てきたインデックス使ってないんですね。
スピーカー 1
見たことないですね。
スピーカー 2
全部並べている。これでも別に使えるわけですね。
僕のエヴァノートとかコセンスとか全部そうなってるわけなんで、
インデックスなしでページ順に並んでいるという感じでもいけるので、
そういう感覚でも使えるし、インデックスで高速化することもできるということで、
案外いいんじゃないかなと。
やっぱり半年、1年くらいまではノートはページ数が多いほど偉いみたいな観念を持ってたんですけど、
最近ちょっと改めまして、
先ほど言われた今日の授業で使う分だけをルーズリーフに挟んで持っていくという学生的運用があると思うんですけど、
直近自分が興味があるHotのテーマのページだけバインダーに挟んで、
それよりも使い終わったものとかはもっと大きいバインダーで引き出しに置いていくというような
二重の運用ができるのがルーズリーフ的なので、
その辺のHotとアーカイブを分けつつ、
1枚のノートをツールでできるっていうところを活用できないかなって考えてますね。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
これはまた新しい使い方を検知したら報告すると思うんですけど、
もう1個ね、さっき見かけたツイートなんですけど、池田さんという方のツイートで、
生成AIはいろんな情報を拾ってそれっぽく並列させるのは得意だが、
リニアな強い筋を作るのは弱いように思うという指摘があって、
これなかなかポンと負に落ちたなという感じで、
これまさにその通りなんですよね。
生成AIの答えはチャットに書き込まれるんで、書き込まれた文章自体はリニアに並んでいるとは言えると思うんですけど、
筋として強いか弱いかというと非常に弱い。
というか、筋がない?
情報を広げるだけ?どうですか?いろいろありますよっていう感じで、
理論とか議論そのものに筋がない、作らないようにしているのか作れないのかはちょっとわからないですけど、
読んでた時も何かある一人の人が議論を展開しているものを読んだ時に感じる感触はやっぱりないなというのはちょっと思いますね。
スピーカー 1
これだから多分、おそらくですけど、生成AI、
思惑と文章表現の関係
スピーカー 1
人が書くときって例えば書くことによって伝えたい目標というか思惑みたいなものがあるじゃないですか。
文章としての目標だけじゃなく、裏側の人間としての思惑みたいなものがあって、
スピーカー 2
それに引きずられるんですよね、多分筋が。
スピーカー 1
レトリック的なことだけじゃなく、ちょっと偏るというか、
自分の思惑に寄せる、無意識的なものも含めて寄せていこうという力が働くんですよね。
その思惑のためにいろんな並べ方とかレトリックを工夫したりしている面が実はあるんですけど、
そうやって磨かれていった文章表現上の工夫の表面だけAIはそれを拾って使うんですよね。
思惑がないのに。
思惑と表現の乖離みたいなものが、なんとなく生成AIで書いた文章の文章的不気味の谷みたいな感じがあるような気がするんですよね。
並べ方だけ非常に滑らかじゃないですか。
そうですね。あの滑らかさは逆に僕らの身体的ぎこちなさがないから生まれるということだと思いますけどね。
スピーカー 2
それはそれで一つ優れた生成の仕方ではありますけど、やっぱり弱い強いで言うとやっぱり弱いなあというのは感じますね。
エディターの機能性と限界
スピーカー 2
池田さんは逆にこれまでの特にポストモダン的なものはある一方の筋を使うんではなくて、むしろ分散的に並行的にっていう思想がありがたがられたと言うとちょっとあれですけども、
特に思考のエンジンとかもうそのある種の迷路的なものっていう迷宮、迷宮的なものかな迷路じゃなくて迷宮って増えたと思うんですけど、
いろんな道筋があることがコンピューターの可能性だっていうことをおっしゃられてて、確かにそれ一つの面としてあって、
逆に人間の現代で残された議論で言うとこの強い筋を作っていくことが一つのスキルというか、得たい力みたいなものになっていくのではないかというような指摘がありまして、
スピーカー 1
これも多分そうなんでしょうね、きっと。なんか読んでて感化される、関心を受ける、あるいは挑発されるなんでもいいですけど、そういったものはやっぱりその強さから生まれると思うので、
スピーカー 2
情報発信というような表現を越えた何か、発表活動っていうものにおいてやっぱり強い筋を作れることということは重要になってくるんではないかと、相対的にですよね。
綺麗な情報をまとめて提示するということが、例えば2020年、2010年ぐらいまでは一つのスキルとして有効活用されてきたかと思うんですけど、今後それは強みでもなんでもなくなってくるんで、
フラットできめ細やかな、行き届いた文章ではなく、ある種の強い筋を持った文章を書ける能力というのが、人の書き手の仕事に、書き手の仕事というかなんですね、発表者の仕事になっていくんではないかなというのはちょっとおぼろげに感じましたね。
スピーカー 1
語りですよね。
スピーカー 2
そうですね、語り方、語れる力、語りたいことがあるっていうようなことがポイントになるんかなと。
で、パッと思い出したんですけど、前回の171回かな、171のナレッジツールに対する想像力についてという話を受けて、飯田さんという方がね、ChatGPTと2つ対話をしてくれた記事がありまして、
ナレッジツールに対する想像力とAIと書くことって2つのお題がありましてね、読んだんですけど、非常に面白いんですよ、これ。
今まで言っていた話を多少ひっくり返す形なんですけど、ハイデガーの視点が採用されていて、実音的なものとナレッジを扱うこと、あるいは書くっていうことっていう関連があって、
僕もおぼろげにこのハイデガーとの関係を論じられそうやなと思ってたんですけど、僕はハイデガーが詳しくないからわかりませんけど、おおむねハイデガーっぽいことが論じられてるんですよね、これ。
すごいなぁと思うんですよ。もちろんこのテストでどうということはないですけど、書くっていうことを考えたい人がここにいると。
どう展開していいのか、全然ヒントがないって時に、この文章に出る、そうか、ハイデガーっていうのを勉強すればいいんかっていうヒントに確実になると思うんですよ、これは。
成果物の終わりとしてではなく、始めとして、あるいはそのもっと手前の起点としてチャットGPと相談することによって、人類が自分的に積み上げてきたものの中に、ハイデガーという人がいましてですよっていう感じで教えてくれるものだとしたら、これ非常に有用やなというのは思いましたね。
スピーカー 1
問題はその有用性をハイデガーを全く知らない人が感じるかどうかですよね。
スピーカー 2
難しい、そこが難しいところですね。そこが難しいところで、僕は多少ハイデガーがどういう人かっていうのはある程度分かってて、もちろん読んでるから。
そこは確かに僕自身がもう判断できないので、知らない人がこれを読んだ時にどう感じるのかというところを聞きたくはありますね。
スピーカー 1
そうなんですよね。だからそのハイデガーに至る道筋、どういう経緯をたどってハイデガーに至るのか、ハイデガーというものを知るのかっていうところの道筋が欠落しちゃうわけですよね。
確かに確かに。
それが良いとか悪いとかではなく、その欠落がどういう意味を持つのかっていうのが正直ちょっと分からない。
スピーカー 2
例えばですけど、全然ハイデガーを知らない人が、例えば筒井康隆とかを読んで、そこでハイハイガーという言葉が出てきたとして、
読んでみようかっていう動機づけの持ち方と、このGPTのやり取りでハイデガーという5文字のカタカナが並んでいるのを見た時に、
関心を持って読もうとするのか、あるいは単に辞書だけを引いてハイデガー、ウィキだけ読んでハイデガーってこうやって理解するのに留まってしまうのか。
スピーカー 1
モチベーションの大きさとか方向づけが違うとしたら、ちょっと違うことにはなるでしょうね。
スピーカー 2
良くないかどうかは分からないけど、違いますよね。
スピーカー 1
それはGoogleというものが出てきた時点ですでに同じようなものが発生してるわけで、歴史上何回も多分そういう瞬間っていうのがあったと思うんで。
だから良くなったとか悪くなったとかということでは全然ないと思うんですけど。
スピーカー 2
そうですね。気になるところではありますね。だからこの生成AIとのやり取りで、多分カントリーン理学とかハイデガーって言葉、あるハイデガーが実論っていうものを扱った、
それは既存の哲学とは違う節目があったみたいなことを仮に知ったとして、
より好奇心が前に向くのか、そんなものだという理解で終わるのかっていう差をこういった文章が生み出す力を持っているのか持っていないのか。
さっき言った強い筋っていうものが人の情報の需要に差を与えるのと同じように、
こういう情報の提示の仕方が既好奇心を開くのか、それ以上開かないのかという差は少なくない影響を及ぼしますね。それはもちろん。
スピーカー 1
そうですよね。さっきの強い筋の話とおそらくハイデガーに、さっきの話でハイデガーに至る道筋って何か関係しているような気がしますよね。
スピーカー 2
うん、それは思います。
例えば筒井康隆の何かを読んでハイデガーを知ったと言うんだったら、おそらくその人にとってのハイデガーというその名前、その印象の背後には筒井康隆というか、ただの教授的な語り口がね、たぶん分かちがたくであるんですよね。
スピーカー 1
そのありなしっていうのは結構大きな違いを生みますよね。
スピーカー 2
何も知らんでみたら、カタカナの5文字でおそらく人の名前だろうぐらいのその印象の弱さ、平坦さっていうのがあって。
他の、例えば別の本で同じ名前を見たときに形成される印象の弱さは、たぶん変わらないままで、たぶん深まってはいない。
横に広げてはくれるけども、もう一個深いところに誘ってはいないような気がしますね。
スピーカー 1
ただ逆に今までだったら至らなかった何か、別の深さに到達する可能性もあるのかもしれない。
スピーカー 2
少なくとも僕自身、会話の議論として紹介されているものがある程度知っているということを上で、この話を読んだら、
少なくとも自分なりの議論の筋の立て方っていうことが確実に見えてきますし、
それはある手前勝手に考えたものといえば、言ったら生成AIが勉強してきたもの、つまりある程度の人文的な積み上げの議論を参照しながら進められるわけですから。
それは深さとしてはより深いところに行けるでしょうけど、その深さに至る手前のところ、門をくぐるかどうかの役に立っているかどうかっていうと。
だからハイデガーで文字が出てきたときに、生成AIにハイデガーのことを面白く紹介してくださないと、追加で聞けばまた違うアウトプットが出てくるはずで。
やっぱりその人がどうプロンプトの引き出しを出せるのかというところで、このやりとりもどんなふうにやったかはプロンプトはわからないですけど、
こういう面白いアウトプットが出せる命令というかプロンプトを入力されたんだろうなと思いますけどね。
スピーカー 1
確かにこれどういうプロンプトを入れたのか気になりますね。
スピーカー 2
論点がきちんと整理されていて、AIとともに書くっていうことは、なぜ書くとか、誰として書くとか、誰に向けて書くみたいな話を挙げられていて、その軸に考えていけばいけるでしょうし、
ハイデガーが論じられているってことは、僕自身これを読みながら、アレントの3つの活動のうちの現れに関する話としてつなげられるだろうなと読みながら思ってたんですけど、
やっぱり広がりは全然あって、こういうのが、ある種機械との応答でこういうのができるということ自体、ある種SFだよなとは思いますけど。
スピーカー 1
そうですね。逆にそういう応答ができるかどうかで、ものすごい差が出ますよね。
スピーカー 2
出てきましょうね。これはね、間違いなく出てくると思います。
スピーカー 1
今までの以上の差が出ますよね。
スピーカー 2
出てくる。これは適切なキーワードでググれるかどうかという差ではないですね。
スピーカー 1
そういう世界ですね。
スピーカー 2
それは間違いない。
スピーカー 1
そういう問題とはるかに超えた差が出ますね、きっと。
スピーカー 2
だからこれがいわゆる間対効果というやつで、ある能力を持っている人はより高まっていくし、そうじゃない人はっていうことに確実になるでしょうね、これはね。
スピーカー 1
やばいですね。
スピーカー 2
怖いです。だからもうこれはちゃんと国家レベルの教育としてちゃんと考えていくべきものだと思いますね。
こんだけの知的素材というかものを背後に持っているものとの応答なんですから、そんじょそこらの考えでは通用しないと思いますね。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
本編なんですけども、断片的思考という話をしたんですが、断片にまつわる話、あるいは考えるとか書くという行為において断片的なものをどう扱うのかというのは僕の長年のテーマではあるんですけど、
どちらからいきましょうかね。まず浮遊断片問題というところに行きたいんですけども。
概要欄にリンクを貼っておくので見てもらったらいいんですけど、たくさん書かれた記事で、浮遊文章を書く上で脳から出てきてしまうものとか、
言葉の定義で言うとまだ位置づけられていないけれども位置づけ得る断片というものを扱う機能が文章エディターにはいるという話なんですけど、
これは文章を書いている人は概ねニュアンスはわかると思うんですけど、文章をあまり書いたことがない人はわからないかもしれませんけど、
文章を書くときって今書いていることについて考えながら書くわけですけど、人間の連想というのはそこにだけフォーカスするんじゃなくて、いろいろ思い及ぶことがあると。
ごく単純なことを言うと、1章を書いているときに、この話と2章の話つなげられるんじゃないかなみたいなことを思いついたりするとか、
あるいはその1章を書きながら全体の構成をこうしたらいいんじゃないかなっていうことを考えたりとか、
これだからまだ位置づけられてないけど、どっかに位置づけられる断片ですし、逆にある本を書きながら別の本のアイディアとかを浮かべるようになりますわけですね。
だから目の前のことだけじゃない、でも文章エディターっていうのは基本的に目の前の文章のことだけを扱うと。
この思いついちゃったものとかをどう扱ったらいいのかと。
基本的に通常のエディターでは扱いづらいので、多くの場合は同じエディターでタブとか別ウィンドウでファイルをまた開いておいて、
どこに思いついたことを書くみたいなことは普通に行われていると思うんですけど、
これは何ですかね、あるスタック的な解決であって、エディターの機能不足を使い方で補っているということなんですけど、
自作エディターの構想
スピーカー 2
エディターそのもので解決できないかという考えというか問題として捉えたときに、
僕自身もエディターを、弱めのエディターを自作したことがあって、
同士の問題は常に悩んでいたので、実装を考えたんですね。
一つ思いついたのは裏面という発想で、
エディターを、目の前に文章があると、ショートカットキーを押したらクルッとひっくり返るとそのエディターが。
クルッとひっくり返ったのは白紙の状態だと。
そこにメモを書いていくと。
これは書けるんですけど、裏面に書いたものと表面の関係が全くないんですね。
ただ別の場所に書いたっていう。
2つ開いたエディターの画面をただショートカットで切り替えられるようにしただけ。
仮にこれでもある程度、2枚エディター問題でも解決できることはたくさんあるんですけど、
悩んだのは保存方式なんですよ。
というのもそれ、仮にそのデータを保存するとしたらどうなるのかということですね。
その表に開いている文章と同じファイルになるのか、違うファイルになるのかがわからないんですよね。
わからないというか決めきれない。
テキストファイルはその表示されている文章だけを扱うからいいんですけど、
その裏面はある種のメタデータでもあり本データでもあるということで、
これ、今までのエディターの発想では保存できないなと思ったんです。
もう一個思いついたのがレイヤー方式というやつで、
これも全然実装できなかったんですけど、
Photoshop みたいに画像ツールでよくあるんですけど、
絵を描くフィールドは同一のサイズなんですけど、
そこに透明のレイヤーが複数上に作れると。
ユーザーが見るのは基本的に全部が重なった状態で一つの絵になった状態を見るんですけど、
編集する時に例えば、人が書いてあるレイヤーだけを操作するとか、
背景だけを書いてあるレイヤーを操作するという風に個別に操作できる。
この発想を文章エディターに導入できたらいいんじゃないかなと思ったんですけど、
それこそ難しい。
スピーカー 1
難しいですね。
スピーカー 2
だからなぜ難しいかというと、文章っていうのは平面に配置されてないからなんですよね。
だから、上って上って言いますけど、
エディターの上ってなんやねんっていうことになってしまって、
文字が重なってたらいいかってそういう、読めなくなりますから。
文字が重なっていても読めなくなりますから。
アイディアとしてはレイヤー方式がいいとしても、
文章エディターのレイヤーってどうしたらいいのかなっていうのはわからなくて、
結局それは僕は未解決問題として扱ってるんですけど、
メタ思考とその重要性
スピーカー 2
仮にタクさんがコードのプログラミング技術を持ってたとしたら、
どういうエディターを作るんですか?
スピーカー 1
それがわかれば苦労しないですよね。
そりゃそうや。
多分いろんな人がそれを考えてると思うんですよね。
スピーカー 2
多分スクリブナーってそれを考えてると思うんですよ。
スピーカー 1
それに成功しているかどうかはちょっと難しいですけど、
これも多分倉下さんのコセンスのどこかから掘り出したんだと思うんですけど、
昔千葉さんが、千葉雅也さんがスクリブナーについて、
5、6年前のツイートで、スクリブナーって実はメタ思考を扱えるみたいなことを書かれていて、
それものすごい今思うと文章エディターを考える上で重要な発言だと思うんですよね。
要するに、今書かれつつある文章のための思考というのが1本軸が通ったものがあって、
でも文章を書くときって、その1本の軸が通った文章を書くために必要なメタ思考っていうのがあるわけですよね。
その文章はどう書かれるべきかという思考っていうのが別の場所にあり、
さらに浮遊断片問題といっている、書いているときに浮かんできちゃう、
本流に乗っからないけど関係あるかもしれない思考みたいなものがあって、
これもしかしたら本流に関係あるかもしれないし関係ないかもしれないみたいなものを
どっかとりあえず置いとかなきゃいけないんですよね。
スピーカー 2
それもメタ思考なのかサブ思考なのかわからないですけど、
スピーカー 1
本流、メインラインとは違う場所に置いておきたい思考っていうのが1つですよね。
結局文章エディターって、そういう様々なタイプの思考を扱えなきゃいけなくて、
倉下さんがレイヤーと呼んでいるのはおそらく様々なラインの思考の、
スピーカー 2
デビット・アレン的に言うと高度、高い低いみたいなところで分けられるんだと思うんですよね。
スピーカー 1
それをレイヤーと呼ぶかどうかは別として、
高度というか中小度というか、メタ度合いというか、そういうもので分けられるいくつかのラインがあって、
多分レイヤーとして重ねるっていうのはおそらくビジュアル的なものを作るためのUIなので、
おそらく文章にはそぐわないだろうと思うんで。
たぶん平面で並べるんでしょうね。
スピーカー 2
平面で並べることにはなると思いますね。
スピーカー 1
中小度に応じて左から順番に並べるのか、真ん中に本文があって左右に並ぶのか、
そういう形ですよね。
スピーカー 2
おそらくそうでしょうね。
もう1個思うのは、例えばあるパラグラフを書いていると、書いているときに2章のことを思いついたと。
執筆プロセスの再考
スピーカー 2
思いついたときに、別の場所にメモするのは簡単ですよね、それはそれで。
でもそのパラグラフを書いているときにそれを思いついたという情報があった方がいいのではないかという気もするわけですよ。
そうしたときにパラグラフの近くに置いておきたいと。
しかしこれは本文ではないと。
これを隠したいわけですね、要するに。
一紙を書いているときとか読んでいるときに隠したいと。
その隠す隠さへんを僕は多分レイヤーという感覚で読んでいると思うんですけど。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
それは普通のエディターでも言ったら、
例えば僕、自分で文章を書いたものを読み返したときに修正したい活色があったときとか、
あるいは参考文献を後で調べるみたいなことがあったら記号で黒丸とか入れて、
To Doを書いたりするんですよね、そこに。
それは例えばマークダウンプレビューとかを使えば、
そこの部分は見えないようなビューで読み返すみたいなことができるわけで、
これはちょっとレイヤー的な処理だと思うんですけど。
これはまだ本文レベルなんですね。
構成レベルをそこで扱うのは多分変なので。
だからそこはどうしていいのかわからないですけど、
本文に書くあるエディターとウィンドウを並べるっていうもので何らか解決するものなんでしょうね。
だから全然わからないんですけど、
文章エディターとか平の文章を書くのに最適化されてるんで、
構造とライティングのメタ的なものを一緒に扱いたいという欲望っていうのをどう解決するのか。
アウトライナーでも工夫次第ではいけますし、
スクリブナーは本当にいろいろなものを放り込めるんで、
いろいろなものとして管理したらいいかなと思うんですけど、
スピーカー 1
ジャストな答えではないよなという感じがしますね、両方とも。
スクリブナーはバインダーの構造をどう作るかで実にいろんなことができるんですよね。
だけど、スクリブナーが優れているのは、
本文と本文じゃないものを分けて扱えるということで、
それは非常にいいと思うんですけど、
タスク管理アプリの問題と同じで、
本文じゃないものが本文と同じように表示されるんですか?
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
なおかつ検索すると一緒に出てきちゃったりとか。
でも、レファレンスの側に入れとけば分けられるのかな?
スピーカー 2
おそらく分けられると思いますね。
その辺も結局スクリブナーを最初使った時に、
どうやってあれをセクションを作っていたらいいのかっていうことも
ヒントもほとんどないように使わなあかんで、
そこが難しいですね。
あれデフォルトでドラフトとレファレンスになってますけど、
スピーカー 1
ドラフトっていうと多分誤解を招くんですよね。
あそこは多分英語的にはマニュスクリプト、原稿なんですね。
ドラフトって言ってるのは。別に変えられるんですけど手動で。
原稿と原稿じゃないもの。
原稿じゃないものの中にレファレンスって言ってる資料も入れられるだろうし、
そういうメタ思考的なものも入れられるんですけど。
スピーカー 2
まあでもメタ思考はレファレンスじゃないような気はしますけどね。
スピーカー 1
だからそれレファレンスって書いてあるからそう思っちゃうんであって。
原稿じゃないものって書いてある。
スピーカー 2
そうですね。確かにそうや。原稿じゃないものやったらそうや。
だから僕はやっぱり最初スクリブナーを触るときは、
最初に何かメタ情報扱う?レファレンスじゃないけど、
原稿でもないもの?
だから第三のものを何かしその時の好きな名前を付けて、
adminとか付けることもありますけど、
管理者が閲覧するような情報として一番上にそれを作って、
そこにメモとかToDoとか構成案とかを入れるっていうフォルダを最初に作りますね。
それで十分かっていうとなんか物足りない感じですね。
何か不明な、何が足りてないか感じがするか知りませんけど、
なんかそれわからないです。
スピーカー 1
要素としてはなんかそれでいけそうな気がする?
スピーカー 2
そうそう。
スピーカー 1
だけどいけないんですよ。
スピーカー 2
3分類できれいにいきそうな気がする。
やっぱりその見え方が原稿と一緒やからというところはあるのかもしれないですけど、
なんかちょっと違うなぁという感じがあって、
使うのは使うけど、だんだん参照することが減っていきますね。
そこに作ったフォルダは。
スピーカー 1
そうなんですよね。
ただそういう領域が特に長い文章を書くたびに必要だということを
UI上に形として示したというのは素晴らしいことですよね。
スピーカー 2
そうですね。
それはもう間違いなくあれですけど。
ちなみに例えば書籍の原稿レベルの規模の
執筆を進めるときにアウトライナーを使われると思うんですけども、
例えばプロジェクトAというものを名付けたとして、
プロジェクトAのノード、トピックを立ち上げて、
その中に完成することを書いていくぞというような運用になるかと思うんですけど、
どんな項目がなりますかね、仮に実際に進めるとしたら。
さっき言ったスクリブナーのバインダー的なものを3つあったと思うんですけど、
それはもう1つのプロジェクトのトピックの下に並ぶ感じですかね。
スピーカー 1
うーん。
スクリブナーならスクリブナーの中にゼロから立ち上げるということがまずないので。
スピーカー 2
ああ、そっかそっか。なるほど。
スピーカー 1
なかなかゼロから立ち上げるとしたらどうするかということを
実はちゃんと考えたことがない気がするんですけど。
スピーカー 2
つまり日々のデイリーの中で、例えば編集者とやり取りしているメールのないこととかがもう
蓄積されているものがもうすでにあるということから
プロジェクトを執筆しようかというのが始まるってことですか。
スピーカー 1
そうですね。例えばワークフローになりなりのアウトライン、
かなり中身が書き込まれた状態のアウトラインで
なんとなく全体像のイメージがもうできた状態からスタートみたいなことになると思うんで。
そうするともう最初からそれはどうでしょうね。
でもそのアウトライン、全体像ができたアウトラインは
たぶんそのレファレンス側にいったん入れておいて、
ドラフト側、原稿側に仮のアウトラインを作るんでしょうね、きっと。
スピーカー 2
ということは、執筆を始める前に考えていた構成案、目次案というのは
レファレンス的に保存されるけど、それをドラフトの置き場にはしないということですね。
スピーカー 1
しないと思いますね。
多分何段階かあった構成案は、仮にスクリーブナーを使うとしたら
レファレンス側に書く段階をたぶん残しますよね。
スピーカー 2
そうなりますよね。
事前のアウトライン構成とドラフトの並びというのは別になりますよね。
スピーカー 1
なりますね。
ただスクリーブナーは、仮のアウトラインを考えている段階から
よし、これで書くぞってなった時にも、ガチッとアウトラインというよりも
フォルダ構成を作らなきゃいけなくなるんですよね。
フォルダ構成というか、バインダーの中でエディター上にアウトラインとしての文字を並べていくんじゃなく
もう構造をそこに作らなきゃいけなくなるんですよね。
プロジェクト管理の始まり
スピーカー 2
少なくとも第1章とかのセクションのようなフォルダとかファイル要素を作るところから始まりますね、まずは。
スピーカー 1
多分はクロイとかで、例えば2、3万字あるアウトラインを
たぶんスクリーブナーの一つのドキュメントにベタっと貼り付けて
それをコントロールKでパカパカ切り刻んで
そこを、そのドキュメントにタイトルを付けていくことで構造を作っていきますね。
たぶんスクリーブナーを使うんだったら。
最初からバインダーの中に構造を作ると、たぶんその後が続かなくなる気がしますね。
スピーカー 2
書き下ろす、そうか。
ワークフローリでプロジェクトの情報を集める、あるいはそのためのトピックを作る場合
例えばプロジェクトAみたいなのを始めましょうって決めたとして
これまでのデイリーにプロジェクトAに関するものがいくつか散らばっていることが気がついた場合に
収集、グルーピングして改めてまとめ直すのか
それも検索で見つかったらいいやという感じでデイリーに置いておくのかという点が気になったんですけど
スピーカー 1
多分その時によって違うと思いますけど
たぶんデイリーに置いておくでしょうね。
ミラーコピーとかもしないでしょうね。
どうかな?
スピーカー 2
するかもしれないけどしない可能性の方が高い。
スピーカー 1
しない可能性の方が高いと思います。
それほど厳密にシステマティックにはやらないですよね。
スピーカー 2
でも始めるぞってなったらルーのALLに入っているところにそのプロジェクトに関する項目がおそらく作るでしょうね。
スピーカー 1
作りますね。
スピーカー 2
そこでアウトラインみたいなことを考えたらその結果をそこに入れるということもおそらくなされるでしょうね。
スピーカー 1
たぶん一旦そのプロジェクトのアウトラインが立ち上がったら
たぶんその後はデイリーの中で何かそれについて考えたとしたら
一通りそれが終わったらたぶんまとめてコピーしてそっちに移すでしょうね。
それは日付ごとに並んでいくでしょうね。
スピーカー 2
コピーということはデイリーの中に同じものが残っているという感じ?
スピーカー 1
ごめんなさいコピーじゃなくてカットして移動しちゃいます。
なるほどね。
デイリーの中でっていうのは一々そのプロジェクトのところを開いてってやるのがめんどくさいんで
基本的に常に閉めているデイリーの中でとりあえず考えちゃって
ひとまとまりやって終わったらごそっとカットしてこっちに移しちゃう。
そんなにあるべき場所に移しちゃうということね。
スピーカー 2
一応デジタルの場合残しておく選択もあると思うんですけど
思考の断片化と整理
スピーカー 2
残さないのは特に意味はなくてきれいになるからじゃないですか。
検索したとき重複するのが嫌っていう明確な理由とかあるからですかね。
スピーカー 1
たぶん重複するのが嫌。
スピーカー 2
それだけのことですか。
スピーカー 1
重複した結果として違う側に書き込まれちゃう。
スピーカー 2
そうかそうか。
スピーカー 1
見つからなくなるっていうパターンがある。
スピーカー 2
それはあるな。
これの話を聞いたのは最近個人のデイリーに色々書いてるんですけど
まったく同じように個別のページに書いたらいいんですけど
もうめんどくさいからデイリーで思考を展開したことがあって
その後切り出すかコピーするかで悩むわけですよ。
悩むというか迷うわけですけど。
自分の気持ちとして
そのデイリーページをあたかも日記帳のように読み返したときに
その日何を考えたかのログは残しておいたほうが面白いんではないかなという思いと
でもプロジェクトの情報はまとまってたほうが良くてっていうことがあって
どう切り出すかコピーするかで最近悩んでたんですけど
これを両立させるためにワークフローやマイミラーコピーがあるじゃないですか。
でも違うんです。そうじゃないんですよ。
僕の場合というか結局片方書き換えるんです絶対に。
おそらくミラーコピーした先のプロジェクトのほうで書き換えが多分起こるので
スピーカー 1
デイリーの場合はログだから多分書き換えるんですけど
スピーカー 2
プロジェクトはデータとして扱うから多分書き換えるんです。
その場合ミラーコピーでは困るんで。
そうなんですよ。だからそうなるとやっぱり重複が問題になっちゃうんですよね。
特にワークフローの場合は検索が全てのノードに対して行われるんで
重複がはっきり出てきますからね。
スピーカー 1
そうなんですよ。
スピーカー 2
個性性の場合は全文検索はそもそもほとんどしないので
あんまり関係がないというかお使い方次第ですけど
そこはだから直視もいいかなという気持ちはあるんだけど
ワークフローの場合はそこは両立できますよね。
スピーカー 1
できます。
だからそうですね。
スピーカー 2
原稿の断片をワークフローの中で整理するということは多分あんまり
スピーカー 1
実際の本ちゃんの原稿を書き始めたらもうあんまりない感じがしますけど
散歩している途中に思いついた
あそここう書けばいいんだ的ないことは
デイリーの中に書けますよね。
デイリーの中に書いてある限り書いたことを忘れるということがないので
そうですね。
だからその後その本文は書けばよかったんだというその記述は
ワークフローの中のプロジェクトのところというよりも
多分スクリブナーならスクリブナーの中の原稿の
原稿そのものの断片なら原稿のところに入るでしょうし
原稿に対するメタ思考だったら
そのメタ思考的なことが書いてある場所に入るでしょうし
Scrivenerとアウトライン
スピーカー 2
うーん、まあそうか。
スピーカー 1
ということですよね。
スピーカー 2
なんだか最初に僕もワークフローに書いちゃうから
ワークフローにいってるんですけど
まあそうですねスクリブナーに移したほうが
スマートというかしっくりくる気がしますね。
スピーカー 1
スクリブナーで書き始めちゃったらもう
スピーカー 2
そっちに行ったほうがいい気がするんですよね。
スピーカー 1
その前だったら当然
なんていうんですか
ワークフローならワークフロー出しコセンスならコセンス
その中のそのプロジェクトの場所に入ると思うんですけど
スピーカー 2
スクリブナーで文章を書くときって何を表示してます?
つまりモードとかビューとかっていう話なんですけど
その通常のビューでやってるのか
例えばバインダーを消すのか
あるいはそのコンポジションモードという
いわゆる全モードみたいなのを使うのか
スピーカー 1
どんな感じで文章を書くときって
一番通常の
左にバインダーは表示され
右側にインスペクターが表示され
できるだけ幅を広くして
真ん中のエディター領域を縦に分割で表示してます。
スピーカー 2
縦に分割?
同じファイルを上下に分割している?
スピーカー 1
同じファイルというよりも
メインで書くのがだいたい左側
クセ的に左側で
右側は
スピーカー 2
見知り論が表示されるところがあるし
スピーカー 1
参照、単に参照するために別の場所が
その右側は決まってなくて
その時に表示したいものを表示する
場所っていう風になりますね
変わった表示のさせ方はしない
スピーカー 2
なるほど
僕も似た使い方をするんですけど
分割して左に
メインじゃないものを置くっていうやつを
エディターの機能として
やってほしい感じがあって
バインダーの領域に
そのようなものが表示されたらいいんじゃないかなと思うんですけど
スピーカー 1
バインダーの領域という
スピーカー 2
サイドバーあたりの領域が
僕はサイドバーのバインダーほとんど見たくない
むしろ見たくないので書いてる時は
だからむしろそこの領域なくて
左側に参考情報を並べておくようなもの
左右逆にもいいですけど
あったほうがいいんじゃないかな
ということを常々思ってまして
スピーカー 1
なるほど
スピーカー 2
バインダーすらだから
ページでいいんですよ
僕の中でいうと
つまりバインダーっていうか
リンク集なわけですね
簡単に言い換えると
ファイルに対するリンクが並んでるわけなんで
ファイルリンクが並んでるページとして定義したら
全てがページになるんですけど
スピーカー 1
個センス的に言うと
スピーカー 2
ページやったら
別にインデントも付けられますし
上下移動も
エディターと同じ操作で
上下移動とかもできますから
リンクとファイルだけでいけるような
エディターがあったら
僕はもうバインダーっていらないと思ってるんですけど
なるほどですね
実際そうなるかはわからないんですけど
そうしたら
ややこしいこと全て考えなくて
全ての操作がエディター上で行える
というようなことにはなるんですが
スピーカー 1
僕でもあれですね
バインダー表示されてないとダメ
アウトラインだから
スピーカー 2
アウトラインだからか
なるほど
スピーカー 1
バインダーのファイルとフォルダーを
区別するんですよね
見出しはフォルダーなんですよ
スピーカー 2
なるほど
スピーカー 1
見出しというのは
スピーカー 2
本文に残る見出しはフォルダーなんですね
スピーカー 1
残らない自分用の見出しはファイルなんです
スピーカー 2
なるほど
僕はすごくよくわかりますよ
スピーカー 1
ワードでいう
ワードのアウトラインのレベルによって
見出しのスタイルを設定するんですけど
それと同じように
フォルダー
Scrivenerの場合
バインダーのフォルダーになっているものは
見出しとしてエディターの中にも表示されるし
ファイル?フォルダーじゃない
ファイルは見出しとして表示されないように
なっていて
それを区別するんですよね
その区別が表示されてないと
スピーカー 2
確かにそれは確かにそうですね
そうか
でもその使い方はいかにもScrivenerの力を発揮されている感じがしますね
それをやるようになってScrivenerが使えるようになってきていて
スピーカー 1
まだそれでもワードを捨てるにはいたらないですけど
僕ね
Scrivenerを使うためにものすごい努力してるんですよ
スピーカー 2
でも必要だと思いますね
やっぱりそれぐらいの努力が必要だと思いますね
スピーカー 1
だいぶ使えるようになってますね
だけどScrivenerを使うほど
いかにもともとのワードの設計が優れていたかということも実感するんですけど
スピーカー 2
やっぱりその見出し
文章に入れない見出しと入れる見出しを
一つのツール上だけで区別させられるのは確かに
これアウトライナーでも無理ですからね
スピーカー 1
無理ですこれができるのはScrivenerだけですよね
スピーカー 2
やっぱそのこれ文章書いてない方あんまり実感ないかもしれませんけど
ある塊を書こうとした時に
ここの塊はこれを書こうという思いと
ここにつく見出しっていうのが一致しない
スピーカー 1
必ずしも
スピーカー 2
それを管理するためには自分用の見出しが欲しいんだが
それを本文に入れると困るというのが
混ざったら困るというのがあって
それは確かにその解決の仕方はスマートですね
スピーカー 1
だから本文に入らない見出しというの
入らないというか本文に表示されない見出しというのも
メタ思考の表示の一種じゃないですか
スピーカー 2
レイヤー的な操作ですね
スピーカー 1
だからそういうちょっとセミレイヤー的な使い方をできてるんですよね
ただやっぱりワードの本文表示とアウトライン表示のような
流れるような切り替えはできない
スピーカー 2
流れるような切り替えはできないですね
エディター 左側のバインダーで
ファイルの選択の仕方を変えたらできるんですけど
ある程度は
いちいちマウスを運営しようとする
スピーカー 1
そうなんです
スピーカー 2
スムーズとは言い方ですね
スピーカー 1
あともう一つは
バインダーじゃなくてアウトラインモード
アウトライン表示
スクリプターのアウトライン表示の中に
本文がまともに表示されないというのが最大の
スピーカー 2
それができたらほとんどアウトラインモード
ワードのアウトラインモードみたいなことになりますからね
スピーカー 1
そうですね
少なくともそれに近い使い方はできるんですけど
スピーカー 2
ディスクリプションしか本文的なもの
文章的なものは外説しか出てこないですね
スクリブラーの特性
スピーカー 2
しかも横に縦一律に並ぶだけで
スピーカー 1
文章のような形では並ばない
そこにシノプシスを何も記入しなければ
本文の頭の何行が表示されたりするんですけど
なら全部表示しろよというのも強く思いますね
スピーカー 2
ある意味
ホネラルライティング
行頭に結論を書くタイプのライティング
スピーカー 1
パラグラフ
スピーカー 2
パラグラフライティングだったら行頭一行が
概要の代わりになっているからそこが表示されたらいいだろう
スピーカー 1
ということだと思うんですけど
それがスクリブラーの全体の柔軟な思想と
そこだけ頭が固いところが合っていないなという感じがして
それができればそれこそ厳密なパラグラフは作らない
パラグラフは作らないですけど
段落ごとにファイルにしちゃってもいいなと思うんですよね
確かに
段落全文をアウトライン表示で見せてくれるなら
だけどそれができない限り
スクリブラーを本来のアウトライナーとしては使えない
僕がスクリブラーを使えるようになるまでに
何年も大変な時間がかかったのは
僕はやっぱりアウトライナーに習熟しすぎて
スピーカー 2
アウトライナーとして使おうとしてるんですよね
それに答えてくれないんですよね
そんなこと言われても困るよなという感じよね
知的生産の道のり
スピーカー 2
スクリブラーにとっても
スピーカー 1
しかもアウトラインって名前になってるし
でもやっぱりスクリブラーでしかできない
素晴らしい思想というのがいくつかあるので
そこは自分を訓練して
これはアウトライナーじゃないんだと言い聞かせながら
それに使えるようになる
スピーカー 2
結局こういう知的生産系のツールは
自分の手に馴染むものを使った方がいいというのが
一つの真理であるんですけど
その手に馴染むものは開発できるものでもあって
時間は非常にかかりますけど
やったらやっただけの価値があるというか
同じように僕もバイクアウトライナーは
どうしても慣れないんですけど
これもやっぱり訓練が必要なんですね
使っていくための
それは指だけじゃなくて
先ほど言った心のモードそのものを
このアウトライナーは
モードを切り替えて使うツールだということを
自分のメンタルモデルに叩き込まないといけないんですけど
それをするだけの価値があるツールに関しては
コストに見合うものだなと
いろんなツールをたくさん使えばいいというものではないですが
でも自分が普段使えるものだけ使ってるっていうのは
やっぱりどっちも狭いことになってしまうので
スピーカー 1
そうですね
スピーカー 2
切り開いていくのは必要で
それには相当の時間がかかるということも
でもそうやろうな
個性スクラップボックスをちゃんと使えるようになったのって
だいぶ経ってからですかね
それ以前のツールの発想で使ってたからやっぱり
スピーカー 1
そうですよね
スピーカー 2
それぐらいのものとしては
ちょっと長い根気を持って取り込む必要はありますね
スピーカー 1
だからこういうことね
数週間使ってダメだこれって思ったときに
そのダメなのがツールだという発信を
軽々しくするべきではないと
そうですね
スピーカー 2
もうちょっとこうね
ツールとこっちの関係とか
3ヶ月使ったらある程度言えることはあると思うんですけど
3日では分かることは相当少ないと思うんですが
スピーカー 1
特定の機能できます
スピーカー 2
言い切りはしませんけど
3日って要するにその先入観でしか見てないわけですよ
基本的に
スピーカー 1
まあねそうですね
スピーカー 2
それで何か言われた方もたまったもんじゃないですけど
まあいいや
スピーカー 1
でもね最初ネタかと思ったんですけどね
スピーカー 2
そうそう僕もネタかと思いましたちょっと
スピーカー 1
まあ
結論出すのが早すぎ
スピーカー 2
いや自分にはこのツールが使えへんって諦め3日で出すのはいいんですけど
スピーカー 1
そうそうそれは全然いいんですよ
スピーカー 2
ツールはこうだという
こういうツールだという結論を
ちょっと出すにはさすがに早すぎるんではないかと思いますか
スピーカー 1
まあねそうなんですよ
だからその途中経過として今の自分こう思ってるっていうのは全然
むしろすごくいいと思うんですけど
まあね書き方の問題もあるし
ただ逆にそのそれだけ短期間であれだけ書けるってすごいなとも思います
まあ確かにね
なんというか
すごくいろんなことを考えながら使われてる
スピーカー 2
それはそう思います
まあだからこの話題全然わからない人はわからないと思うんですけど
分析しがいのある記事だったなと思うんですね
ある種反面教師でもあるし
ある種取り上げべき観点がある記事だなと思いましたが
あんまり言うとあれなんですけど
別の記事で
これも全然面白い記事なんですけど
概要にリンク貼っておくんですけど
情報カード試行事というページをたまたま見つけまして
なんで見つけたか覚えてないんですけど
三沢太郎の表題式カードと
ニクラス・ルーマンのチェッテル・カステンというタイトルが
冒頭に来ているページなんですけど
非常に面白い記事で
僕の問題意識と重なるところもあったんですけど
何を感じたのか
知的生産ってこういうことだよねということを感じたんですよね
逆の話があって
この手の界隈の話って
全部ルーマンの話を繰り返しているだけなんですよ
スピーカー 1
言うちゃ悪いですけど
それは新しいことを作ってないじゃないかという思いがずっとあったんですよ
スピーカー 2
それはだって想像性の真逆じゃないかと思ってたんですけど
この本は自分の実践してきた経験かつ
それぞれの方法論の提示者の著作を読み込んで
こういう新しい方法ができるんじゃないかということを
自分なりにアレンジされて
それを一つの文章としてまとめられていて
でもこれは
何て言うのかな
何て言うか知的生産というのが答えなんですけど
カードをストックしていく道のりにも
役割が2つあるだろうという話で
1つはウィキ的なもの
自分が何回も何回も参照したい
引用したいような概念とか用語とかをまとめていく場所
ウィキ的なものと
もう1個はルーマンがやってたような
自分の議論を組み立てていくためのベース
2種類のベースがあるだろうという話で
それを両方使うといいよということが
長く論じられているんですけど
こういうのを読みたかったなと
こういうのなら毎日読みたいなとは思うんですけど
でもやっぱり結構長い
下にヒストリーがあるんですけど
書いて含めて結構時間を作って書き換えられているので
情報カードの活用
スピーカー 2
やっぱりこれぐらいのアウトプットは
こんだけの時間がかかるんだろうなということも
やっぱり合わせて思いましたね
スピーカー 1
ではどなたが書かれているのですか
スピーカー 2
全くわからないです
全くわからないですよ
個人のドメインだと思うんですけども
スピーカー 1
これがトップのページ
スピーカー 2
はいこれだけのページですねどうやら
スピーカー 1
このレイアウトもいいですね
スピーカー 2
人に読ませる文章を書くことで
思考が進む効果があるというようなことで
こうやって書かれたということや
発表されたということだと思うんですけど
こういうのが例えば
SNSとかではなかなか回ってこない現状も
あるようなと思うんですけど
ノートとかでもあんまり
この程度のタイプの記事は見ないんで
これも個人サイトの一つの
いい使い方だなと思いますね
スピーカー 1
そうですね
でもなんか90年代ぐらいの
個人サイトの匂いもしますね
しますします
スピーカー 2
こういうことがどんどん生まれる
知的生産の技術なら
本当に好ましいんですけどね
そうですね
スピーカー 1
でもこれ名前もないし
なんというか
このためだけにサイトがあるっていうことですかね
スピーカー 2
ある人だから
ステータスゲームを全く
インターネットにおけるステータスゲームを
全く行っていない
ただちょっと自分の考えをまとめておきたくなったから
買いたいよというようなページ
スピーカー 1
素晴らしいですね
スピーカー 2
近年全く見かけなくなった
でもこういう成果を
書いて残していくことがやっぱり
知的生産やし
単に2人の付き合いをまとめただけじゃなくて
自分なりに使っていくうちに
こうじゃないかっていう
経験の発表でもあって
本当に素晴らしいよなと思います
スピーカー 1
本当ですね
スピーカー 2
個別
インターネットなので
リンクページの中で個別にリンクが貼ってあるんですよ
兄弟型式カードには兄弟式カードってリンクがあって
ちゃんと断片的に説明がなされてるんですね
中的に扱われてるんです
これも非常に素晴らしいなという感じですね
スピーカー 1
昔ながらのハイパーテキスト的なことを
スピーカー 2
やろうとしてるんですね
スピーカー 1
そういう感じだと思います
いいですね
いいというか
なんかこう
ちょっとウキウキしますね
スピーカー 2
こういうのね
こういうのの魅力っていうのは
何なんだろうかっていうこともありますけど
こういうことを書く人が
少しでも増えていったらいいなとは思いますね
スピーカー 2
確かにこれはノートに書く気にはならないかもしれないですね
もちろんここにもあって
ノートにもあってっていうのがあったら
僕的には素晴らしいと思うんですけど
まあ
多分運命さんはただのカードで検索したときに
スピーカー 1
下の方に出ていたのかわからないんですけど
スピーカー 2
どこ見つけましたねこれ
これ何だろうな
多分ですけどGoogleではなかったかな
僕最近DockDockGoを使ってるんで
そっちで見つけたのかな
可能性としてはそっちがありますけど
普段と違う検索経路を使うと
違うものが見つかるっていうことも一つ
スピーカー 1
農家としては言えそうですね
Google検索だと多分
何十ページも下の方になっちゃいがちなものが
スピーカー 2
少し上に出てくるみたいなこともあるかもしれないですよね
多分ねそうやと思いますね
DockDockGoで見つけてますね
DockDockGoで検索すると
スピーカー 1
5番目ぐらいできますね
スピーカー 2
それでも5番目なのか
それでも5番目ですけど
1番上がノートの記事で
2番目がノートの記事
強いな
3番目がWikipediaで
4番目がStudyHackerという
この辺で界隈で有名なページで
その次に出てくるんで
スピーカー 1
5番目って5番目の表示ってことですね
5ページ目じゃないですね
5番目だから強いですよ
スピーカー 2
そもそも僕はページランクの概念に寄されてないからでしょうけどね
そのDockDockGoが
一応Googleでも出てきますね
Googleでも出てきましたね
上の方に出てきます
出てくるってことは
どこかから
俺がリンクしてるのかな
俺がリンクしたことが影響してるのかな
ページランクが高いということだと思いますよね
上の方に出てくるってことは
スピーカー 1
そもそもGoogleでルーマン梅竿って検索すると
クラシタさんのページばっかり出てきますよ
スピーカー 2
梅竿タダオスペースカード法で僕は検索しましたね
僕のカスタマイズが起きてるから
他の人に見つかるか分からないか
この辺がGoogleの問題ですね
スピーカー 1
僕だってルーマンの梅竿で検索したら
一番上がしごたのクラシタさんの記事で
二番目がコセンスのクラシタさんのページで
三番目が
スピーカー 2
これGoogleでカスタマイズされてるかもしれない
スピーカー 1
上位6記事ぐらい全部クラシタさんの記事ですよ
あれ?
スピーカー 2
ルーマンを入れるから逆に出てくる
梅竿タダをカード法で検索したら
おそらく出てくると思うんですけどね
断片的思考の重要性
スピーカー 2
この不安定な
一応聞いてる方で記事読みたい方は概要欄にリンク貼ってるんで
それ見てもらいたいんですけど
なかなか見つけにくい
ノートとかはこういう記事というか
自分が興味あるテーマの記事を見つけやすいんですけど
見つけられる記事の質がですよ
質がという言い方はおかしいですが
最近ますます生成映画員が書いてる記事がね
書かせてる記事
いや書いてる記事が多いんですよ
情報源として宛にならないようになってきたんで
問題が広まってるなという感じですけど
スピーカー 1
どうしたらいいんですよねそういうのは
スピーカー 2
もうどうしようもないと思います
もうどうしようもないと思いますけど
結局情報があっても個人の思考とか体験が
そういう記事には全くないので
読むバリューがゼロに近いんですけど
文章エディタの機能
スピーカー 2
読むバリューがゼロに近いってどういうことかというと
自分で先生に聞いたりだけの話のことが書いてあるわけで
そんなもんいちいちノートで読みないやろということなんですけど
スピーカー 1
そうですね
スピーカー 2
まあそうやな
カード法も結局断片の扱いで
この断片はさっきの文章の断片とはちょっと違う感じですよね結局
スピーカー 1
違うと思います
スピーカー 2
知的生産における断片って実はいろんなレイヤー
いろんなタイプがあるんですよね
でも結局断片を扱えないことには
いちもさちもいかないよなというような感じで
ここが一つの鍵ですね
スピーカー 1
そうですね
ぜひ強調したいのはその断片がいろんなタイプがある
その断片のタイプというのが変わっていくんですよね
スピーカー 2
なるほど
スピーカー 1
封筒するんですよそれが
スピーカー 2
確かに
スピーカー 1
だから分類こういう断片はここに入れるとか決められないんです
スピーカー 2
なるほどね決めてもいいけど
それだとあそこの動き方が悪くなる
スピーカー 1
決めた瞬間動かなくなる
それともね断片が死んじゃうっていう
だからスクリブナーでうまくいかないのはそこのかもしれないですね
スピーカー 2
なるほどね
死んじゃうと固定化が望ましい断片もあって
それはもちろん固定化させてしまえばいいわけですけど
そうです
そうじゃないものの扱いっていう時に
何かしら変身可能な場所に置いといた方が良くて
それは汎用型のツールでできればアウトライン
プロセス型の思想を持ったツールの方がいいということですね
スピーカー 1
そうですね
どこかで文章エディター
僕の思う最強の文章エディター的なやつをあえてやってみようと思うんですけど
やっぱりプロセス型とプロダクター型は両方の性質を持っていないとダメですよね
きっとねそれはアウトライナーとしては
だけど1から10までアウトライナーじゃダメなんですよね
そうですねそれはそう思います
スピーカー 2
そういえば最近ワークロールで文章を書く
スピーカー 1
メルマガで会社ですね
スピーカー 2
メルマガの時に書き忘れたんですけど
以前までバカにしてた見出し機能と
パラグラフ機能を使うようになりまして
スピーカー 1
バカにしてたんですね
スピーカー 2
いやこんなんプロセス型にいないなというような感じだったんですけど
でも文章をその内部で書くようになるとむしろ見出しが欲しい
見出しを欲しいっていうのは見出しをでかい文字にしたいということではなく
むしろこれはブロックとして固めるぞという意思を表明するためにいるんです
っていうことを初めて気がついたんですけど
パラグラフっていうノードのタイプもありまして
これは普通にパラグラフそのまま文字は変わらないんですけど
ホバーしてない時にバレットが消えるんですね
ただそれだけなんですけど
ただそれだけでも偉いなと思って
だから原稿を入れてるとこだけはパラグラフと見出しを使って書くようにしたら
グッと文章を書くのに
プロダクト型の雰囲気を漂わせるようになったなと思って
完全にプロダクト型と同一とは言いませんけど
その雰囲気をまとわせることができたなというのはちょっと思いましたね
スピーカー 1
あれパラグラフをもう少し柔軟に扱えるといいな
パラグラフ感が行間が空きすぎですよね
スピーカー 2
熱いっていうかちょっとそこ調節したい
メモツールのあり方
スピーカー 1
あれはパラグラフですよねイメージは
スピーカー 2
段落じゃないですよね
スピーカー 1
だから日本語の段落扱うのはちょっと厳しいなという感じはしますが
でも逆にパラグラフライティングをするのであれば全然
逆にパラグラフ性を強要してくる感じがあるので
むしろいいのかもしれないと思いますね
スピーカー 2
おっしゃられたようにリストとして使う行間と
文章が並んでいる行間って違うんですよね好ましい行間っていうのが
ワークロフィーが全てを一つに入れるという方針なので
どっちかに合わせるとどっちかがすごことまでは言いませんけど
ちょっと違和感がある感覚になるんですよね
だからこれはやっぱりある限界が
限界とまでは言いませんけど
汎用型ツールだからといって何もかも全部そこに入れたらいいというものではないという
スピーカー 1
当たり前の結論が言えるかなと思いますけど
でも結構実はワークロフィーで書けますよね
スピーカー 2
そうですねそれはそう思います
スピーカー 1
書けますがプリットアウトすることを考えるとちょっと厳しいというところはありますし
あとページとか文字数とかそういうことを考え出すとちょっと厳しい面はありますけど
ただ文章以前のワークフローよりもずっと文章が書けるようになってますよね
スピーカー 2
そうですねざざっと書き出して
ワードとかリッチテキションに持っていく手前のところをここで書くぐらいのことは
スピーカー 1
全然できるかなというところにはなりましたね
スピーカー 2
ここもメロナの話と重なりますけど
やっぱりこれまでずっとリストを扱うように見た目をセッティングしてたんで
それは書けないよなっていう
今逆に文章を書くようにセッティングしてるんで
リストとして使いにくい
リストが書きづらくなっちゃう
でも正直買い物のリストとかって別にワークフローで使わなくてもいいよなという感じがするので
スピーカー 1
確かに
それはそれでこっちの使い方のツールとして使っていこうかなというような感じはしてますね
でもなんだかんだ言ってやっぱり総合力ワークフローいいんだなっていう気はしますね
アウトライナーいろいろ不満はあるんですけど
バイクとか主にの素晴らしさはあるんですけど
総合的には今ワークフローになっちゃってるなとは思いますね
スピーカー 2
使い勝手がいいのは間違いないですし
日常のアウトラインリスト使いにおいて僕はやっぱりモードがない方がいい
文章を書くときはもちろんボードがあった方がいいような気がするんですけど
ちょちょっとメモ書きとかその作業記録とか書くときは
アウトライン操作とかを考えたときに
ワークフローすごいよなすごい使いやすいよなとはちょっと思いますね
スピーカー 1
僕は逆にバイクの使い方のワークフローが欲しい
スピーカー 2
なるほどね
スピーカー 1
それはもうねこの好みですからね
スピーカー 2
そうですねどっちがいいって話は使い方とか用途にもよりますけども
スピーカー 1
まあその辺難しいところですけどね
スピーカー 2
この断片固有問題と
スピーカー 1
固有断片問題なんかちょっと若干
スピーカー 2
うつろは何も出ませんでしたが
レイヤーっていうものの見え方というか
最初のゲイリーさんのお便りは僕が文章を書くときに
to doを本文に直接書き込んでいるということのアレンジとして
本文の中には書いてあるけども
ある操作によってそれは見えたり見えなくなったりするみたいなものによって
ある程度の解決はできそうな気はしますけどね
スピーカー 1
なんかそれって逆にプログラミング用の
ID的なもので
エディターの中に書き込んだ
行をto doとして抜き出して表示するみたいなのがあるじゃないですか
そういうアプローチも応用できるんでしょうね
スピーカー 2
おそらくはねそういう感じで情報を別途分けて
保存するという方式を取れば先ほどのファイル保存問題
メタを分けるのか分けないのかみたいなことを考えなくても済むようになるので
そこら辺は大きいかなと あとはさっきのサイドウィンドウによって
サブ情報を表示するという方式もあって
この辺も全然アレンジする価値はあると思うので
文章を書くときのエディターツールのあり方の一つの方向性としてはあるというのと
さっき出てきたようなものとは別にもっと断片というか
要するにメモツールのあり方
だから文章エディターのツールとメモツールはまた違うと思うんですけど
メモツールも基本的に断片を扱うものだと思うんですが
メモツールもどうあったらいいのかという哲学ってあんまりないと思うんで
スピーカー 1
これも探求する価値があると思うんですね
メモツールは結局その人の生き方というか
どういうふうに生きて暮らして考えているのかによって変わるんですよね
結局理想の形が
そうですね
難しいですよね
スピーカー 2
今のところは基本的にエディターをメモ代わりに使うか
Google Keepのようなメモ要請用のアプリケーションを使うかぐらいだと思うんですけど
メモに最適化
だから僕らが日常的に取るメモに最適化されたものを
最適化とまで言いませんけど
思いついたことをただと書いていくけど
リストにすぐ変換できるとか
断片的なメモが文章に変化する助けになるとか
エディターの手前の部分を支えてくれる何かとか
アウトライナーを使えば結構なものがフォローされると思うんですけど
もっとメモらしい
ツールのあり方もあんまり検討されていない気がするので
だからこんなメモツールが欲しいという話を僕は聞きたいですね
どちらかというと
スピーカー 1
こんなメモツールが欲しい
スピーカー 2
やっぱりノートツールをメモツールとして使っていることが多いと思うんですけど
スピーカー 1
ノートツールはノートツール メモツールはメモツールだと思うんで
スピーカー 2
みんなどんなメモツールに機能を求めているかって話は気になりますね
スピーカー 1
そういう意味では純粋なメモツールとして
それこそいわゆるタスク管理アプリが一番いいんじゃないかと思うんですよね
スピーカー 2
確かに近い部分はあるんですけど
あそこに書かれるものは基本消化されるものが多いので
スピーカー 1
消化するメモですね
スピーカー 2
そうじゃないものも含めて総合的に扱える
インテグレートメモツールみたいなのがあったとしたら
それはどんなものになるんだろうなというのをちょっと考えてますね
スピーカー 1
なるほど
スピーカー 2
全然わからないですけど
文書やリターンにしろメモツールにしろ
全然開拓されていないところがあると思うので
引き続き考えていきたいと思いますね
スピーカー 1
それも想像力の問題ですね
スピーカー 2
そう まさに想像力の問題で
想像力は実体験から出てくるものが大きいと思うので
この場合 経験をして自分の欲望と
その欲望を満たさないツールのギャップが
想像力を多分育むというか
やりたいことが何もないのに想像力だけが走るってことは
多分ないと思うんですよ
何かこれがやりたい でもできない
このギャップが多分想像力として見られてくると思うんで
いろんな人がツールを使ってみるということが
多分重要でしょうね きっと
スピーカー 1
そうですね
というところで
スピーカー 2
何かお知らせしたいこととかございますでしょうか
スピーカー 1
大丈夫です
スピーカー 2
はい
こんなメモツールがないという話は
ハッシュタグ打ち合わせキャスト
ひらがなで打ち合わせアルファベットキャストまで
いただければと思います
では今回はこれまでにしたいと思います
お疲れ様でした
スピーカー 1
お疲れ様でした
01:25:29

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