松岡誠吾さんの訃報
はい。うちあわせCast、第百五十七回ということで、今回もゲストにたくさんお迎えしております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
久々なので、結構ニュースがあるんですけど、
一番ビビッとしてないかな、ちょっと悲しいニュースなんですけど、
松岡誠吾さんが亡くなられたというニュースが飛び込んできまして、
結構お年でしたし、バカフカタバコもらえたので、長生きされるとは思ってなかったですけど、
結構僕の中で突然な感じで、つい最近でも専用政策が更新されてたなという気がしてたんですけども、
ギリギリの間に仕事をされてたんでしょうということで、
いよいよかという感じで、
1969年ぐらいの知的清算の技術賞を書かれた方が亡くなるのは感覚的にはあれですけど、
松岡さんは僕の中ではある種同世代で呼んできた方なので、
同世代が亡くなるということで、世代交代という意味ではないんですけど、
ステップが移り変わっていくんだろうなというところで。
この番組を聞いてる方はだいたい松岡さんこそ知ってると思うんですけど、
知らなかったらググってもらえたらいいと思います。
編集者なんですけど、編集者という枠組みではちょっと収まらない方。
編集の概念を変えちゃった人ですよね、たぶん。
そうですね。
コンテンツをよく書評とかでもたくさん書かれてますけど、
批評する視線とともに、やっぱり方法論に注目されているという意味で、
僕の関心ごととも非常に近く、編集工学という考え方。
僕は実際にセミナーとか研修を受けたことはないですけど、
著作から拝見する分に非常に、まさに工学というエンジニアリングの視点で、
知的精査の技術を扱ってこられた方ということで。
松岡さんの仕事を引き継げる方がいるのかどうかはちょっとわからないですけど、
編集工学研究所みたいなのも、今後どうポストを松岡は落としていくのかな、
みたいなのはちょっと気になる話ではありますね。
Notionの成長
そうですね。
でも本当は知的生産とエンジニアリングと経営とデザインと、
みたいなそういうのを全部横断して、一つのものとして扱うような、
なんかそういうことをされた方ですよね。
こういう領域横断的な方が、新しい人材というあれですけど、
新しい人ではあまりいないですね。
最近は専門家とか方が多くて。
で、松岡さんは専門分野、一つ一つには詳しくないかもしれないけど、
総合的な視野で何かものを言える人という、
気運なポジションで。
しかも、ある日突然思い立ったらそのポジションに立てるわけではなく、
そのある積み重ねがあってこそ初めてなせるものなので、
ポスポスと松岡の椅子はずっと空白の可能性がありますね。
ツール周りで言うと、
Notionが1億ユーザー突破ということで、
この4年間で100倍になったという見出しがあるんですけど、
よくわからない成長ですが、
ほとんど間違いなくエイバーナウトのユーザーがそっちに移ったというところが大きくあるかなというのが印象ですね。
そうですね。
これは20歳以上の日本人が全員使ってるくらいのユーザー。
日本人に集めたそうですね。
海外ユーザーがどのくらい多いかはわからないですけど、
日本人ユーザーも相当多いというのは感覚としてはあるので、
割合としてはわからないです。
もともとNotionも京都に一時期開発拠点を置いていたみたいな話があって、
プロモーションとかマーケティングにおいても日本語も多分重視されてると思うんですけども、
YouTubeとかでもNotionの解説動画とか結構多いんで、
日本語のわりかしユーザー多いと思います。
今後も言うほどのことがない限りはこのまま成長していかれるでしょうし、
ある日突然無料の機能が制限されるみたいなことがなければ甘いこといくんじゃないかなと思います。
そのNotionがバージョン2.44かな。
これまで使ってたデータベース機能の1プラスアルファでチャート機能というのがつきまして、
グラフが書けるということで、ますますExcelとかに近づいてきているなというところです。
僕は使ってないんで使い勝手がどうかわからないですけど、
ますますワンストップですべてをこなすよというような、
多分ダッシュボードとかをよく使っている人にとったら何かいいんじゃないかなというのは思いますね、チャート機能。
新ノートツール「テケノート」
そのEvernoteなんですけど、フリープランの端末同期がワンデバイスになったということで、
これ同期と読んでいいのかわからないですが、
iPhoneでログインしているときはMacで使おうと思ったらiPhoneのほうのログインを解除してからでないと使えないということで、
一応だからログインとログオフを繰り返したら別に複数の端末で使えるんですけど、
かなり面倒だよねということになったので、基本的にはお試しプランというところをより強調しつつも、
徐々にフリープランで使える機能そのものはどんどん開放されていくらしく、
こんな感じでできますよということを実際に試せると。
ただし作れるノートブックは1個でし、ノートのそれぞれ上限を50というのは変わらないので、
あくまで1週間ぐらい使ったら課金してねという感じの位置づけになってきましたね、どんどん。
より新のお試し機能になってきたということですね。
分かりやすい。だからフリープランで使いにくいとかいうのはもう仕方がない、そういうものだと思っていただければと思いますね。
ワークローンの新機能が紹介されていて、ファイルエクスポート機能というのが入ってまして、
日本語の解説記事を読んで実際試したんですけど、思ってたの違ったっていう感じで。
日本語の記事を読む限りだと、あなたのそのデータを完全にファイルでバックアップしてダウンロードできますよという感じに読めたんですけど。
やってみたんですね、僕。ダウンロードできたZIPファイルが6Mとか書いてあって、6Bって書いてあって、
6Bって何やろうと思ったら6バイトなんですよね。つまり空っぽなんですよ。
あれ?俺?と思って2回ほどやったけどダメで、一応ワークフローリーのメールに投げたんですね。こういう状況になってるけどどうしたらいいんかなって言ったら、
あなたはファイルアップロードしてるんですよねって言われて、ん?ってなったんですよ。
フローリーはファイルをアップロードする機能があるんですね。ファイルとか画像ファイルをアップロードして保存しておくれるっていうクラウドストレージのような使い方もできるっていうものが、
自分がこれまでアップロードしたファイルの全ファイルをZIPでダウンロードできるという機能なんですね、これは。
そっちですか?
だから、あなたのアウトラインのバックアップをエクスポートできるということではないということは、一応理解してもらいたいと思います。
でも、考えてみればアウトラインのバックアップはもともとできますもんね。
エクスポートできる。ZIPではないんですけど、全てマークダウンとかでできるんで、そこはそれでやってくれということで、画像とかファイルとかアップロードしたときのバックアップとして使えるということ。ちょっと僕は勘違いしてたんで、この辺要注意ですね。
僕も勘違いしてました。
ですよね。
でも、試してないから気がつかなかっただけですね。
そういうことでございます。
そういうことだそうです。
で、新ニュースター、ノートツールのニュースターの、これテケノートって読むのかな。テイクノートの多分文字理だと思うんですけど、テケノート。アルファベットでT、こういうスペルないですよね、多分ね。
これカタカナでテケって読むと思うんですけど。
これはカード型のビジュアルのツールで、比較的ボトムアップ志向で使うということが意識されているツールでございまして。
僕はメインはどうしてもセンスになってしまうんですけど、それはそれとして結構面白いというか、期待できる感じのツールになってまして。
Googleアカウントがあれば普通に使い始められるんですけど、ちょっと画面共有しましょうか。
共有のChrome。
こういう感じでカード型で表示すると。
このプラスボタンを押せば新しいカードが作成できて、タイトル欄とタイトルと本文が書けると。
最上位のヘッダー部分に標準で何かしらのアイコンが付いているんですけど、それをワンクリックすると自分の好きなものに書き換えられる。
これはNotionである機能で。Notionはもっとバリエーションがあるんですけど、基本的にパソコン上で使える絵文字が好きに選べるようになっているというのが一般的なカードツールの機能で、それは普通に揃えてるんですけど。
ボトムアップっていうところのポイントは、一覧画面でそれぞれの画面の上にチェックボックスが付いておりまして、それをチェックしていくと。
右下にストッカーみたいなところが出ましてですね。選択したカードのタイトルが一覧表示される。
その状況で、例えば新しいカードを作るというボタンを押すと、それぞれの選択したカードへのリンクが含まれた新しいカードができるということで、これはKJ法でいうところのグルーピングみたいなことを可能にしてくれる機能で。
しかも自分がどれだけ選択しているのかがちゃんとストッカーに表示されるので、長いスクロールをたどりながら上のほうからポチポチとクリックしていっても一覧性は損なわれないということで、比較的使い勝手が意識されているツールかなと。
同じように選択した後に、新規作成ボタンではなくて、例えばピンで表示されている、サイドバーに表示されている既存のカードのタイトルとか、ないしは検索で出てきたものを選ぶと、
既に存在しているカードに対して選んだカードセットのリンクが追記されるという形になっていて、アペンドもできる。グループもできるし、アペンドもできる。カードをたくさん作りつつ、そのカードをグルーピングして、より大きな塊にしていきましょうとか。
あるいは、いわゆるMOC、マップオブコンテンツかな。PKMにおけるMOCみたいなのを作りやすいという形になっているツールで。おそらくデジタルツールでカード型が好きな人は、おそらくこういうツールを一度か二度は夢見たことがあると思うんですけど。
そういうのが結構ストレートに実装されているツールで、現状まだ開発がスタート、開発というかリリースが始まったばっかりで、当然足りない機能もありつつも、結構要望を出すと速攻実装される開発速度なので。
このスタートした事前ではなかったんですけど、右上にアイコンのボタンがありまして、これを押すとアイコンで絞り込めるみたいな機能は数日前に実装されたのかな。
これは僕がこの絵文字でカードの種別を区別するっていう使い方をしているのを発表したら、絞り込めた方が多分便利だろうみたいな、おそらく推測を働かせてもらったんでしょうけど、それでフィルタリングできるようになって、これだけでもだいぶ便利で。
これスクラップボックスとかコセンスとかではできないことなので、非常にカード的に使えますし、普通カードボックスに全てが混ざった状態で並んでいるビューと特定のカードだけ抜き出したビューっていうのが行ったり来たりできるので、非常にデジタル的なカードの運用法で。
わりかしいいですね。余計なボタンがたくさんあるわけでもないですし、サイドバーはピンだけでいいかなという気はするんですけど、これとこれが多分一緒なので別にあんまりいらんかなという気はするんですが。
それは別なんですかね。
そうじゃなく、デジタルの良さをよく生かしつつ、よりコセンスとかよりもよりカードっぽい使い方が必要というか。
カードっぽい使い方に意識してますね。並び替えみたいなことをしたかったらカードを作って、カードの中のこの順番を入れ替えろというようなことなんでしょうね、きっとね。
そうですよね。これがリンクなんですよね。
ここを並び替えることで並び替えっぽくしようというようなことだと思います。実際のところ、本当にそれをしたかったら、タイトルと本文が見えてたほうがよりカードっぽいんで。
そこの辺の違いはあるんですけど。
そうですね。でもこっちのほうが機能する人いるかもしれないですね。
デジタルの場合、文字数が限定されないんで、例えば本文が表示されると均一にならないんですね、列が。
ある種の規格性が損なわれてしまうので、カード的ではなくなってしまうので。
Twitterみたいにある文字以上書けない、しかも短いみたいなので、本文と一緒に表示されたら綺麗に並べますけど。
ここはデジタル的な許容度の高さがあるがゆえに、タイトル一覧が一番きれいに並ぶというようなことだと思いますね。
そうですね。でもありそうでなかった。
そうですね。ありそうでなかったという感じ。
特にこのカードをボトムで選択できるというところが非常に優れてますね。
こういうのが実はあんまりなかった。
僕も似たようなツールをいくつか作ってたんですけど、結局満足な形にならなかったんで、なかなかこれは良いなということで、ちょっと試しからめして使っているところでございます。
これアウトライナーでやりたいなと思いながら見てましたね。
ツールの機能と使い勝手
だからガーって並んでいるのに項目にチェックしていって、後でグルーピングみたいな。
バイクとかオムニでいうグループ機能に近いんですけど、
より昔のモアとかのマークアンドギャザーという機能ですね。
マークして集める。集合って訳されたのかな。
それに近いイメージ。
やっぱりバラバラに選択していって、選ぶとバッと一箇所に集まるんですけど、
それが複製を集めることもできるし、ミラーコピーを集めることもできるしっていう機能だったんですね。
これだったらもう一つ選択としてリンクを集めることもできるといいかもしれないっていう。
そういう機能がアウトライナーで使えるととってもいいなと思いながら見てました。
なるほどね。そうか。確かにチェックしていくのってあんまりないですね。
ない。選択はあるんですけど。
選択はありますけど、選択は崩れやすいもんですね。
そう。チェックして集めるのはいいですよ、これすごく。
そうですね。見るからにちょっとUIとしてはダサいんですけど、モダンではないんですけど、こういうのって。
いやいや。
でも使い勝手でいうとはるかにこっちのほうがいいですね。
直感性という、あと安心感ですよね。なんか外れちゃう心配がないじゃないですか。
そうそう。結構緊張しますよね、長い列選択。
そう。なんかこう30個選んであっとか思ってない。
選択がチャラになってしまって。あれしかも選択をチャラにしたところでコマンドZで戻れないんですからね、あれは選択は。
いいですね、これ。
結構発想としては非常に面白いと思います。
すごくいいです。
というツールが出てるんで、テイクノートで検索したら多分出てくるかな。
もしかしたらテイクノートってGoogleに言われるかもしれないけど、
テイクノート。
直されちゃうかもしれないですね。
いいですね。を探してもらえばいいかと思います。
こんなもんかな。ニュース的にはそんな感じでして。
『思考のエンジン』の影響
本編に入る。本編というのは雑談みたいな感じなんですが、半年かけて一冊の本を読むという、
監督プロジェクト第2回の取り上げた本が思考のエンジンでして、
先月一通り全章読み終わりまして、一応メモも全部作りまして、
今回この話を取り上げようと思ったのは、
たくさんの影響を受けてきた本っていうのは何回か言われてると思うんですけど、
影響を受けてきたかなというのが地味と感じられたというのが。
すごくわかりやすいと思います。
2つの意味で感じたんですけど、1つの意味はもちろんあそこの中で展開されているオープンな、
オープンエンドな感じのプロセッシング。
テキストを書くっていうことが開かれた行為であるという捉え方っていうのが1つなんですけど、
もう1つは、書き方というかな、内容の提示の仕方。
実践で豊富じゃないですか、思考のエンジンで。
著者が自分でやっていることを、できるだけそのままの形でアウトライン操作を見せてあげるというような感じの
性が結構あるんですけど、まさにたくさんの本物だなと思って、
そういう意味での書き方の影響も受けられてるんかなというのを感じたということがお話したかったことですね。
影響とかもおこがましいですけど、影響というか真似ですよね。
なるほど。
真似。
あんなのやりたいなっていう憧れをそのまま実行したという感じですね。
その辺はでもはっきりわかるぐらいには、近似性類似性があるということだと思いますね。
影響を受けてこられたんだなというのが、しみじみに読んでわかりました。
そういうものが意外に少ないっていうことですよね。
もちろん例っていうのは、当然実用書は提示してるあるものが多いですけど、
本物。本当にその人が仕事なり、本番の執筆なりでやっていることをそのまんま
見せてくれるものっていうのが意外にない。それは見せられないですよね。
そうですね。
そのときに例として、例示されているものが結局、しょうがないんですけどやっぱり
リアリティがどうしても落ちてしまう。
そうですね。
単純すぎたり。
少なくとも見てて、おおっていう感じはしませんよね。
そうなんですね。
それはやっぱり諸派のところがあって、どうしても個別の例になっちゃうんで、
逆にわかりづらくさせてしまう可能性もあるし。
なるほど。
でも本当の奥行きみたいなものを感じさせるのはそっちのほうだと思うんですよね。
うん、たしかに。
それはメリット・デメリットあるんですけど、
逆に普通の意味での見本・例示っていうのはもういろんな人がやっているわけだから、
このニッチなところに行ってもいいんだろうっていうところはありますよね。
そうですね。
やっぱり実践的に役立つというようなこと以上に、
ワクワク感みたいな覗きみ感なんかないか理由はわからないですけど、
やっぱりその現場を覗けている楽しさみたいなのが、
この本にもたくさんの本にもあって、
それは読者を構造に駆り立てるって言うとちょっと大食いさですけど、
やってみようかなという気持ち、やってみたいというような欲望を駆動する力が、
やっぱりそっちのほうが高いんじゃないかなとは思いますね。
そうですね。
奥田さん、思考のエンジンは、奥田さんが論文を書いていて、
うまく書けていなかったところを例示してあるんですよね。
なるほど、確かに。
で、それをアウトライナーに入れてアウトライン化してみると、
ほら、うまくいってないところがこんなふうにわかるよっていう見せ方をしている。
そこがやっぱり素晴らしいですよね。
そうですね。
すごくトントンと順を追って出来上がっていったように見えちゃうんですよ、大体。
確かに確かに。
現実の執筆はそういうふうにはならないっていうのを、
著者の人が、
ああいうふうに現物を見せてくれるっていうのは本当にありがたいことですよね。
そうですね。
そういえばたしかに梅澤さんも、自分は文章を書くのが下手やから、
小種法みたいなのをしてるみたいなことを述べられてて、
割かし心に刺さるというのは、
著者そのもののある人の弱点みたいなのが晒されてた上で、
乗り越えるための方法の模索みたいなのが語られてる本のほうが、
ぐっとくる度合いは高い感じがしますね。
そうですね。
難しいところで、最近のビジネス書でも話の引きのために、
序盤に著者の失敗談を入れて、共感を得て、
本文をつなげるみたいなことは多分テクニックとしてはあると思うんですけど、
やっぱりその書き方だと、序盤を乗り越えたら、
その弱点は広告されてることになってるんですよ。
その弱点と共にあるノウハウというよりは、
弱点を捨て去った私の完璧なノウハウみたいなテンションになってしまって、
やっぱり憧れというかな、かっこよさは感じるものの、
これらの本を読んでいるときに感じる共感性みたいな、
とはちょっと質が違う感じがありますね。
そうですね。
本の内容というか、それ一回読んでたんで、
だいたい内容わかってたんですけど、
これまで何回か言及してるんであれですけど、
一つは謝った印象というか、
アウトラインプロセッシングの本かと思ってきたけど、
そうではなかったというところが、
これは再度言及してもいいと思うんですけど。
それ結構私のせいですね。
一番最初にタイプライターというものが登場したと。
それがカックという行為そのものを変えたから、
ある人ニーチェンのような人は受け入れてたけど、
そうじゃない人たちもいて、
いろいろ両論ありつつも使っている人が増えてきて、
次にワープロというのが出てきて、
コンピューターの中でアウトライナーみたいな、
さまざまなツールが使えるようになって、
この中盤あたりがそういう話で、
それ以降にハイパーリンクというものによって、
いわゆるツリー構造というのが脱構築可能、
そんな書き方してないですけど、
脱構築できる可能性が開かれているというところで、
結構最後は大きい風呂敷を広げている本で、
思想的な色合いがかなり強い本だなというのは、
改めて頭から読んで感じましたね。
そうですね。思想書でもありますよね。
思想書に実践的なことが書かれているという感じがしましたね。
著者の執筆スタイル
だからやっぱり普通に難しいと思います、これは。
僕は説得する前にも難しいだろうと思ってましたけど、
たぶん読み終えてもっとこの本は難しいなと思いましたね。
そうですね。難しいというか、
言葉が難しいというだけじゃなく、
1回、2回読んでもたぶんつかめないところが結構たくさんありますよね。
特にツールの話とかでページとか紙面とかが裂かれているので、
結構そこにフューチャーしがちですけど、
結構もっと大きい話が全体を通して語られている。
その機械と書くことの関係…違うな。
機械。書く道具と書く私たちの関係性の変化。
だからテクノロジーとライティングとパーソンの
その3つがどう変化していくかっていうのが、
結構長いスパンで語られている本なので。
しかも別にそういう話を始めから組み立てようと思って
語られてるわけではたぶんないから。
その辺がわかんないんですよね。
筋を追いかけるのは結構難しいですよね、きっとね。
だからそれこそ、
奥田さん自身があの中で書いているのを実践してるとも言えるんですけど、
最初から最後まで読んでいって、段階を踏んで最後結論に至って
すっきり全部理解できるようなつもりで読んでいくと、
途中であれあれ、これ何の話だったんだっけ?
みたいなところが結構たくさんあるんですよね。
意外に脱線して戻らずに、
結構話自体もジグザグで、
エピソードを分割して間に別の話を入れるとかも普通にありますし。
だからやっぱりある話題をしているときに、
その話題が全体の構造の中のどこに位置しているのかっていうのは
あんまり意識されないままに。
連載がベースだからそれは当然そうなんですけど。
あんまりそこをきちっと決めないように書いてる感じがしますね。
だから初めから一つの論文を書くと言って、
でもそれを分割して連載するという感じではないので、
重複するテーマもありますし、
例えば1章とか2章で言及したテーマが
5章ぐらいで急に引っ張り出されるとかそういうこともあるので。
これは本当に読書メモを取らないと、
ある読書メモなり何なりを書きながら読んでいかないと、
たぶんパッと数字はつかめないんじゃないかな。
僕もこの本を読んで、
タイプライター思考とワードプロセッサー思考みたいなものの
対比っていうのが、
読書メモを取って初めてクリアに見えてきたところがあるんで。
最近の方やったら、例えば2つの思考タイプがあります。
1つがタイプライター思考で、みたいなアウトライン思考でとか、
そういう議論の進め方やったらはっきりわかるんですけど。
だからアウトライン的思考って言葉もそんなに頻繁には出てこないんですね。
出てこないですよ。
読み取ったらそうなるという感じなので。
僕、前ゴリコさんと3人で喋ったとき。
あれはなんだっけ。
僕語りその第2話。
僕語りそのゲストで読んでもらったときですよね。
あのときも話したと思うんですけど、
自分で書きながら自分に対してひも解かれていくみたいな。
なるほど、なるほど。
アウトラインを決めてカチッと書いてるわけではもちろんないし、
起承転結みたいなものもあんまりないし、
割にハイパーテキストをたどった結果をリニアに配置してるみたいな書き方なんでしょうね。
どこまでそれを意識されてるかわかんないですけど。
なるほど。
だから、読みづらくはあるかもしれない。
タイプライター的ライティングっていう言葉の意味をかなり長いこと誤解してましたね。
20年ぐらい誤解して、
5、6年前に誤解に気づきました。
なるほどねー。
たぶん読んだっきり誤解したままの人が結構いるんじゃないかと思うんですけど、
ある説明の中にそういう単語が出てきて、
読者の側が整理しないとっていうところはあるんですけど、
そこがつかみづらいところでもありまして、
でもある種の思想的深みっていうのはそこから出てくるんだろうなという疑問をするので、
扱いが、
誤解したままの人が結構いるんじゃないかと思うんですけど、
いろんな人と一緒に読んでたんですけど、
執筆道具の変遷
やっぱり多くの人が注目したのは真ん中あたりかな。
タイプライター的な話はそもそももう身近ではないんで、
機械そのものが乗り越えられてしまったものなので、
あれが書くことについて、
読者の側が誤解して、
読者の側が誤解して、
読者の側が誤解して、
あれが書くことにどういう影響を与えたっていうことは、
あんまり実感としてはないでしょうし、
逆に多分一番最後あたりはインターネットがあるので、
短すぎて当たり前すぎるというところがおそらくあるでしょうし、
だから真ん中の部分のアウトラインっていうものとの付き合い方っていうのが、
多分一番注目されやすいんで、
やっぱり第一印象としてはそこがそういう本だっていう風になりそうな予感はありますね。
逆にAIとの絡みではどうなんですかね。
結構いろいろ読み解けるとは思うんですけど、
AIは2つ言及できそうな箇所があって、
1つはソートラインというそのものですよね、
現在のAIは普通に使うと、
ああいうソクラテス的詰め方はしてこないので、
してこないですね。
なんとか試みましたけどやっぱりしてくれないですね。
優しいので、そこはそれ用にチューンしたAIがおそらく必要で、
例えばこの前言ったノートブックLMという装置、
Googleの個人向けに提供されている生成AIなんですけど、
PDFとかを食わせる、読み込ませると、
それに対して質問できるというのがありまして、
最初のときも紹介したんですけど、
例えば論文を何枚か読み込ませると、
ありえそうな疑問というのを最初3つぐらいちょっと提示してくれると、
大まかなこれはこういうことですかみたいなはてなっていうのがいくつか出てくるんですけど、
論文を読むときではなくて、自分が書いた文章をノートブックLMに読ませることで、
一般的にありえそうな反論とか疑問というのを炙り出すことができると。
それは多少ソクラテスム運動に近い。
ただ応答には多分ならないんで当然。
最初の問題提起してくれるだけで、そこから細かいやり取り詰めてくることはしないんで、
ニュアンス的には異なる部分はありますけど、
だからLMができるんであれば生成AIに可能だということなので、
そういう方向で鍛えられたものがあれば、
エヴィトス的生産の議論を進めるための生成AIというのは多分ありえるだろうなというのがソートラインの現代版ソートライン2.0みたいな形でしょうし、
あとそのネットワークハイパーリンクでつながる巨大なネットワーク構造っていうものを考えたときに、
著者は別に言及してないんですけど、膨大になるわけですよね。
情報の数とかネットワークのリンクの数が膨大になったときに、
それを人間に何かしらアシストしてくれるリンクナビゲーターみたいなものは、
多分人間では無理なので、リンクの数が膨大になるので、
だとしたらその人の興味テーマからこういうリンクの辿り方の可能性がありますよみたいなものを提示してくれるとしたら、
多分Googleとは違う形の何かになり得るんじゃないかなという気はしますね。
だからハイパーテキストとの組み合わせでのAIの可能性っていう。
っていうのは僕はちょっとあり得るかなと思いますね。
っていう話を80年代にしているという。
そうですね。これは本当にすごい。
あと仮想の世界を作ることだということは、
最近のメタバース的なものにもつながりますし、
だからコンピューターっていうものを使って何かをするっていうのはどういうことかっていうのが、
かなり深いレベルで言頭されている。
メインテーマは当然この時代なんで文章を書くことだけですけど、
だからそこなんですよね。
この時代はほとんど書くことしかできなかったはずなのに、
ある世界を作ることだということまで踏み込んで言っているところは、
でもすごいよな。
でも情報がネットワークでつながっているというものは、
ある世界を構築しているということやから、
理路自体はわかるんですけど、
その想像力の広がりは、
やっぱりあれは文章を書く機械だなっていうこと以上のことが言えるのはすごいよなと思いますね。
そうですよね。
うーん、うーん、うーん。
まあそうかな。
どうなんでしょうね。
現代でいう思考のエンジンみたいなものをどう考えられるか、
どう考えていくのかっていうことのきっかけにはなるもので、
ある人の手書き時代からタイプライター、ワープロ、コンピューターっていう変化の中で
差異が見つかって理解が深まるっていうことが多分あったと思うんですけども、
僕らはほとんど、僕世代はまだワープロ経験してますけど、
僕よりもうちょっと若いとワープロっていうのもほとんど知らないままいきなりパソコンっていう、
手書きオアパソコンみたいな感じだとしたら、
道具によって何が変わるのかっていうことの、
あんまり使いたくない言葉ですけど解像度が低いみたいなことが多分あると思うんですけど、
だからそれを改めてこういう道具があってこうだったっていうことを目を開かせてくれる功能がこの本にはあるでしょうし、
おそらくそんな本はなかなかない。
そもそもワープロについて書かれた本を探すのすら難しいですからね、今はもう。
そうですね。
そうですね。そもそもワープロというのがどういうものだったのか、
自体があってもあんまり想像がつかなくなってるところもあるし、
特に80年代の終わりから90年代ぐらいのワープロ、
我々が買って使えるような普及型のワープロ専用機の使い勝手というか、
あの限界感というか、あれはなかなか想像がつかないところはあると思います。
でしょうね。それは思いますね。
例えばパッとすぐに思いつくのはきれいな字でプリントできるっていう。
手書きから印刷文字への変更っていうのもこれ実は結構大きな変化のはずですし、
しかも昔の手持ちできるワープロってプリント機能があったんで、
つまりあれ自体がプリンターだったわけですよね。
プリンターとセットになっている書ける機械、
ポメラは一応通信があるけどあれ自身ではプリントできないわけで、
オブジェクトをあれ自身で生成できるということもかなりインパクトがあることだと思うんですけど。
そうですね。
今はもう全くそういうのがあったことすら自分の中でも薄れていますね、その記憶が。
そうですよね。やっぱり外出先でプリントアウトしたいっていう欲求はあんまりないですよね。
そうですね。ないと思いますね。
だから、昔はそれこそ野口幸男さんが提示するノウハウで、
外出先でどうしてもプリンターがないときは、
ホテルのフロント宛てにファックスを送ればいいみたいな、
あそこに通信してファックスを送って、みたいな。
そんなにプリントアウトの欲求は外であるかって思う人が多いと思いますね、きっと。
そうですね。ありとあらゆる手段でしかもプリントできない。
そもそもプリントがいらん場合も多いでしょうからね。
昔僕、中学生ぐらいかな、ワープフロー専用機みたいなのを買って、
自分が売った文章があっからプリントに詰めて出てくるのを見たときは、
たぶん今、新しいiPhoneを見たときの感動なんか、日じゃないぐらいに感動したと思いますね。
クラシタさん世帯で最後ぐらいじゃないですか。
ぐらいだと思いますね、おそらくは。
専用機の体験っていうのは。
だからそうだよね。
原稿用紙とペンで持ち運べるワープフローっていうのは、
単純に機械が変わった、道具が変わったっていうことだけに留まらない変化はあったはずで、
おそらく当時、その執筆業をしていた人は、それは何らかの形で体験とか言語化されてきたでしょうけど、
そういう体験をすると、道具っていうものが書くという行為にどれぐらい本質的な影響を与えるのかっていうのは、
説明されなくても分かっておられると思うんですけど、
現代はその差異があんまりなくなっているがゆえに、
書くってそもそもどういうことかっていうのが理解の外にある場合が多いでしょうし、
逆に意識しなくなっちゃったかもしれないですね。
おそらく道具っていうことが透明になりつつあるというか、
そういう感じはなんとなくありますね。
そうですね。
80年代の本とか見ると、本当に作家がワープフローについて論争してるわけですよね。
AIの影響
やっぱりその初期の頃からワープフローを使い始めた作家とそうじゃない作家が相手で、
こんなもので文学ができるわけないだろって本気で言うわけですよね。
それを今の目で見ちゃうと、いやなに言ってるんだと。
老害に見えるじゃないですか。
でもその人たちの主張をよくよく見ると結構大事なことを言っているというか、
本質的なことを言っているというか、
いやいや、原稿用紙に刻みつけていって書き直せない、
簡単には書き直せない、そのことこそが文学を生むんだと。
わかります。言いたいことがわかります。
それは間違ってるとは言えないんですよね。
そうですね。まさにそうですね。
逆にそういう文学をワープフローで書くことはできないんですよ。
だから逆に言えばそれはもう失われちゃったんですよね。
そうですね。
刻みつけていくような、そういう肉体性と一回性に裏打ちされたような文学の可能性というのはもう閉ざされちゃったわけですよね。
そうですね。
でも逆に今むしろデジタルデイティブで育って、
何かの表紙にアナログのノート、万年筆とかに興味を持って、
それに魅力を感じて使い始めたような人が、逆に肉体性と一回性に裏打ちされたあり方みたいなものを、
逆に再発見していく可能性がある。
っていうか、実際そうしてる人いると思うんですよね。
はい。
だから何というか、単純な老害ではないわけですよ。
それは間違いなくそうですね。
やっぱり僕ら、違いを体験することでしかわからないことっていうのがいっぱいあるので、
だからツールの選択肢が始めから奪われている状況ということはあんまり好ましいことではないですね。
これを使ったけは8割上手いこといくっていうものがあったとして、それ一択っていうのはどういう点かな。
コストパフォーマンスと非常に良い結果になるかもしれませんけど、
僕らの理解っていうものを深めることには繋がらないんだろうなとは思いますね。
そうですね。
だから別にワープロ使いたいわけで、ワープロとか、
Pomelaは若干使いたいんですけど、ワープロとかタイプライターに戻りたいわけではないですけども、
書くっていうことについて考えたければ、一度いろんな書き方に触れてみることは大切でしょうね。
現代でいうと2つの流れがあって、
遥かに高度になった音声入力が書くっていうことにどう影響を与えるのか。
これは普通に論じられるべきテーマで、なんせしゃべるになってるわけですから、書くが。
しかもおそらくしゃべった後のものを手を加えるというようなプロセスになってるはずで、
それは例えば原稿用紙とか白紙のエディターに書き下ろしていくのとは何が違うのかというのが検討されるべきですし、
もう1個は生成AIを使ったワードプロセッシングということについて、
これはディープに考えていかなきゃ問題だなと思いますね。
例えば本書で言っているようなプロセスライティングって書くこととともに考えていく、
あるいは船出につながっていくようなプロセスっていうのがあるときに、
生成AIを使って手軽に文章が書けますってことになったら、
船出そのものが中心になってしまうわけで、
あるいはその船出を促進するような生成AI with プロセッシングみたいなプロセスの仕方を考えるとか、
いろいろあると思うんですけど、そこが結構問題の根種がいっぱい眠っているような。
いっぱいありますよね。そうですね。
思考のエンジン
至高のエンジンで言えば、ある種の何というか、
例えとして、例えばパロールはエクリチュールであるって書いてあったわけじゃないですか。
そのものになっちゃったわけですね。
確かにそうですね。
だから、
本当にそうなってしまったときに、
その例えとしてのパロールがエクリチュールであると、またちょっと違ったものになるかもしれないですね。
なると思いますね。
あるいは逆にエクリチュールが要求するパロールになっているのかもしれないし。
パロールを調整するじゃないですか。
そうなんですよね。そうなると、それは一体何だろうっていうことなんですね。
そう。
本もあるんですよ。
やっぱり音声入力に合う言葉の発し方をするようになるんですね。
音声入力している。
テクノロジーと思考の関係
してますよね。
そういう。
これはまさにメディアがマッサージであるというマクルーハンの言葉に近いと思うんですけど、
機器が内容に影響を与えているっていうことがあって。
ワープロでいうと、漢字がよく使われるようになる変化があると。
要するに自分が知らない漢字でも、漢字変化がパパッとしたら出てくると。
それは次になって辞書を引かない人が増えるということだと思うんですけど。
これはやっぱり全体的に書くことに影響を与えることでしょうし、
それはつまり考えるという行為そのものに品質が生まれているということなので。
だからやっぱり思考のエンジンもやっぱり思考なんですね、鍵は。
内容のほとんどはライティングですけど、それは書くことが考えることだからそうなるんだよって。
だからやっぱり書くことが変化するというか考えることが変化するということなので、
実はいわゆるドキュメントライティングに限定される話じゃなくて、
現代思想が扱うような思想とか思考っていうものに
そのテクノロジーの変化っていうのに影響を与えてしまうということは、
多分見逃してはいけないんでしょうね。
そうですね。
そのテクノロジーがこれだけのスピードで変化しているわけだから、
その影響をまさに、その影響をまともに受けながら、
しかも短期間で受けながら書き続けるわけですよね、私たちは。
だからやっぱりそれぐらいのビッグウェーブ、
パソコンが出るかあるいはワープロが出るかの世代が変化した変化が、
多分生成AIの前後、ビフォーアフターで起きるぐらいの大きな波が迫っているなという気がしますね。
本当はあれですよ。音声入力にしても生成AIにしても、
やっぱり自分にはどこか抵抗があるんですよ。
わかります。
あるんだけど、これは要するに、
一歩間違えば自分が老害の周りに行ってしまうという強い自覚のもとに、
かなり意識してそれに対してオープンに開こうとするわけじゃないですか。
でも、そうしなければ自分の頭に浮かんでくるいろんな考えがあって、
いやいや、そんなことしてさ、そんなふうに書いて、
面白い?みたいな言いたくなる気持ちが出てくる。
それが、例えばワープロの初期に手書きでずっと書くことを確立してきた人が、
人たちが言っていた言い方にそっくりなんですよね。自分が言いたくなるその感じが。
でしょうね。わかります。
ということは、今から20年とか30年すれば、
どうなるかっていうのはだいたいもう想像がつく。
というか20年30年どこじゃないですよね。
5年も経てばもう当たり前になってると思いますね、これは。
ありありとわかりますよね。
自分がもうあっちの側になったんだなということを非常に強く感じますよね。
そうですね。でもやっぱりさっきも言ったように、
手書きで書いてた小説作家の魂の叫びに意味があるように、
この時点で反感とか拒絶感を覚える僕らの声もそれなりに割とあるとは思いますけどね。
逆に変化にオープンになって柔軟に取り入れていくことはもちろんすごく大事ですけど、
逆に自分たちが今までやってきたことを固くなり守ろうとするんじゃなくて、
でも意識して残すんじゃないんだな。
意識するが近いですかね。
自覚して意識することはすごい大事だと思いますね。
そうですね。とりあえず拒絶して見て見ないふりするのが一番まずいんであって、
100%それに近寄っていくっていうのもまた危ういところで、
ある程度の距離を置きつつも、見る注意を向けることはやめないというぐらいのスタンスで、
AIと文章作成の変化
テクノロジーと付き合っていく必要はあるんでしょうね。
本当に、昔その世代の人たちがワープロで書かれた原稿を見たときに、
やっぱ内容も良くないって言ってたんでしょうね。
僕がウェブの記事を見たときに明らかに生成AIで書かれたような記事があるわけですよね。
分かるんですよ本当に。
その時に感じるそのモヤモヤ感あるいはちょっと虚しさっていうのが、
特にその書かれた記事のテーマが知的生産とか知的生産技術に関する話だった場合に、
途端に虚無感が広がるんですけど。
だから確かに情報は生成されてるし、
おそらくノートとペンだけではできなかったような情報の引き出し方、作り出し方をしているのであろうが、
果たしてそのプロセスは何なんだろうかと言うとちょっとあれですけど、
例えば自分が文章を書く時に起こる書きながらの発見みたいな、
自分の理解が変容していくようなあの体験っていうのが、
そういうAI with writingによって起きているのだろうかということがかなり疑問なんですけど、
ただそのプロセス、オープンなプロセスで変容していくことが必要なのか大切なのかっていうところまでは論じられないので、
そんなもんはいらないんだと言えれば、うん、そうかということになってしまうので。
だから例えば、おくでさんとか学者さんやったら新しい発見というのが必要だと、
そのためには新しい発想とか必要だっていう論じ立て方はできると思うんですけど、
資生の発表者が、ただ、ただっていうのがおかしいか、
自分がまとめたい情報っていうのをwith AIで生成してまとめました、記事書きましたっていうことそのものに何か致命的な価値があるかっていうと、
指摘できるものは僕には見つからないんですよね。
だからねここはね難しい、だからもう10年後の市民の地域生産っていうのは全て地域生成AIを通して行われるものだということになって、
考えるのはむしろ無駄だみたいなことになっているのかもしれないですけど。
これは全然わからないですけど。
わからないし、なんかでも10年後にはキーボードで自分で打って書くことを手書きって言うかもしれないですね。
いやもうなりつつありますけど、若干それに近づきつつあると思うんですけどね。
今調整が必要なのはやっぱり生成AIがまだちょっと出力が安定しないからでしょうから、
おそらくもうプロンプトンを入れたら、しかもプロンプトン音声入力したら、
API経由でブログ、っていうかブログ記事を書くことの意義がもうないかな。
だからわからないですけど、
だからそれを意識しなきゃいけないというのが、文章エディターについて真剣に考えようと思う動機なんですけれども、
でも逆にあれですかね、
なんというか、効率的に書く技術というのはむしろあんまり意味がなくなるかもしれないですよね。
うん、それは思います。
そうじゃない、逆に苦しんで悩んで転げ回って書くために自ら書くのであると。
その体験を通じて何かを得るために書くっていう面が大きくなるのと、
それが結果としてやっぱりこれはAIじゃ書けないよねっていうことが目に見えて分かるものにできるかできないかっていうことかなという感じですかね。
少なくとも書きながらの変容っていうのは自分が手を動かさない限りは起こらないので、それは間違いなく必要で。
その人にしか書けない生成物が生まれるかどうかは、突き詰めるとそのプロンプトの職人技みたいなことには多分なってくるでしょうし、
ある規模までいくともうやっぱりその人でないと生成できない文章っていう個性の出し方もあるんで、
それが別に一つの新しい表現方法だと思う。
やっぱり前半分ですよね。書きながらの自身の変容っていうのをどこまで肯定的に迎え入れるかということで。
効率的に書く技術って突き詰めると書かないじゃないですか。
それはもう書く量がゼロになるのが一番最高効率なわけで、それはもう実際その方向に進むでしょ本当に。
いやそうでしょ。
たぶん定型的な業務連絡とメールは、人はほとんど一文字も打たないようになってくると思いますね。
そうですね。だから効率的にわかりやすい文章を書くということを人間がする必要はもうなくなるでしょうね。
明らかに通る。
すでにもうあまりないような気がする。
圧倒的に彼らのほうが得意。彼らは筋の通った読みやすい文章を書くのが非常に得意なので。
そうすると、むしろわかりにくい。
例えばソリコフ思考のエンジンの奥田さんの文章はAIでは書けないですよね。
無理ですね。それは無理だと思います。
もちろんね。文体とか言い回しとかを学習させてパターン化することはできますけど、この本にはならないでしょうね、当然。
ちょっとしてこれは何か編集失敗してるんじゃないかと思わせるようなギリギリを攻める書き方というか。
もしかしたら本当に失敗してるのかもしれないみたいな。あの感じがものすごく僕好きなんですよね。
未来の表現方法
わかりますよ。それわかります。
あれがあるからこそ何十回でも読んじゃうっていう、あの感じって何なんでしょうね。ほとんど文学みたいな見方してますけどね。
いやでもそれはほとんど文学みたいじゃないですか。それは文学だと思いますね。
読むのに苦労するからこそ人間の脳がそこに価値を感じるというのは、手間を払った分だけ価値を感じるっていうのは当然ありますから。
逆に手間がかからないものを人は価値を感じにくくなっていくんで。
だから手間がなくなればなる、テクノロジーの支援によって手間が減れば減るほど、手間をかけなくなればなるほど、その行為についての価値を感じにくくなってくるっていうのは必要としてあるでしょうから。
だから書くことが好きっていうような人はやっぱりその生成AIによる○○ライティングは多分嫌うでしょうね、単純に考えて。
まあそうでしょうね。
ある時期までテクノロジーの支援によって、いわゆる教養を持った人だけが発信できる、発表できるものから、より開かれた発表ができる体制に移ってきた、民主化されてきた、書くっていう行為が民主化されてきた歴史があって。
現代だと、自分で作文する技術はそこまで高くなくてもいいと、生成AIにお願いしたら、あなたが言いたいことをそれなりの文章で表現してくれるとこまではほとんどきつつあると。
それによってリテラシーの差がさらになくなって、より開かれたことになっていくと。
これだけ見ると非常に素晴らしいんですけど。
でもさっき考えたように、そもそもお前が発信する必要なくてっていう状況になりますよね、これ。
突き詰めていくと。
そうなりますよね。
どうなるとこれは民主化を一周回って、どこに行くんだろうなという気になりますけどね。
そうだね。
誰も発信しなくなるってことは、ある人の世に出回る情報の大半がマジョリティの情報に支配されるということと、ちょっと乱暴に言ってしまうと思うんですけど。
それはあんまり好ましいことではないはずで。
だからやっぱり、その人でないと書けない弱者、マイノリティ、偏屈者、偏狂の人たちの言葉、それを支えるための文体っていうもののセットで考える必要があるとすれば、人間の役割は常に新しい文体の生成ということになるでしょうね、これは。
そうでしょうね。
そうですよね。
あとやっぱり、書きたいという欲望を書いて人に読んでもらいたいという欲望もあるし、そもそも人が読むかどうかに関係なく書いてそれを形にしたいという欲望がおそらく満たされないと思うんですよね。
確かにそれはそうですね。
違う欲望は満たされるかもしれないけれども、書くことによって満たされるはずの欲望が満たされないとすると、逆に書かなくなる。
文字による情報を伝達はするけれども、書くという欲求はだんだん人からなくなっていくような気はして、でも人の中には欲望があるから、じゃあAI使わないで何を書くかっていうと、悪口と誹謗中傷と、みたいな。
でも結局あれって欲望の発露なわけじゃないですか。
確かに。
書く欲望とそれが同じ種類の欲望かどうかはわかんないですけど、要するに表現する欲望、欲求。
表現する欲望っていうものは、さっき言った悪口言いたいとかの欲望の変換とか消化とかあるものを挟んで行われるものだと思うんで、だから間接的に善者のような暴力的な欲望を解消するのが表現欲求だと思うんで。
だからそれがあることによっては保たれる社会秩序じゃないですけど、ある平穏さがあると。
だから表現のほうがなくなってしまうと、やっぱり危ないっていうことはあるのかもしれないですね。
かもしれないそうですよね。
だからそれが人間にはあるのだから、どれだけAIが発達しようと書く人は書くんだという考え方もできるかもしれないし。
ちょっとそこはわからないですよね。でも実用文ではもう人は書かなくなるかもしれないですね。
だからエッセイとか日記によっていくんじゃないですか、もっともっと。それが個人が書く最後の領域という感じがしますね。
あと創作ですよね。
創作もあるパターンに沿ったものであったら、エッセイ制覇が得意なので、誰も読んだことのないジャンルとか出ないと、自分がそれを書いたんだという価値を感じにくいような気がしますね、なんとなく。
だからやっぱりそう考えてこないとどうしたんですか。
創作とAIの関係
日記とかって、ある種形式が一緒でもその人の人生のことが書かれてるから、自分が書いた感がずっと残ると思うんですよ。
流行りの小説はパターンに沿っているわけで、ある種類の類似品がいくらでも出てくることを考えると、表現欲求を満たすものとしては多分小さくて。
だからそうやな、例えば親が子供に聞かせたい物語を自分で作るみたいな、ローカルな物語みたいなのは多分あると思うんですけど。
例えば、もう何年かした時に現在のネットにアップされている小説群とかは、普通に平均的にパターンから生み出されたものの方が面白いみたいなことになりかねないと思いますが。
逆にそれを意識して、その創作の作り手、書き手の人は、じゃあそうじゃないもの、そうじゃない作品っていうのはどういう形になり得るかということをより考えるようになるでしょうね。
で、それに駆動されて、今まで見たこともなかったようなものが生み出されていく。要するにAIが食ったことのないものが生み出されていくということになるんですかね。
そうでないと、生存している理由が見つからないっていう状況には追いやられるでしょうね、きっと。
だったら池谷さんのあれなんてやっぱり……。
それはもう無理でしょ。過去のインプットどんな記事でもあれは出てこないでしょ。
でもやっぱりそういうことを意識して書かれたんじゃないかなという気もちょっとしますけどね。
やっぱり文学ってのは常に最前線を更新していくものだという意識は多分お持ちでしょうし。
どうしたって過去のデータの平均値以上のものっていうのが出てこないっていうのが政治的に弱点ですから、
ほらみろこんな新しいものがあるぞって旗を振り続けるのが人間の残したいな役目だし、幸いなことにそれをする能力が人間にはあるということですね。
文筆家の役割の変化
そうですよね。
逆に例えば、名前わかりませんけど、よくある文学賞に受かりそうな小説ばっかりを辞書作に選んでるとしたら、
それはもう正々堂々と言うことになってしまうので。
今までの物差しが当てはまらへんような小説を評価するっていうことが、たぶん人間がやる賞の意味になるでしょうね。
問題は、今までの物差しに当てはまらないものを評価することはすごく難しいってことですよね。
それは普通に、例えば村上春樹さんの新人賞の撮った作品も、多分あれに荒れたと思うんですけど、現場は知りませんが。
こんなものを認められるかっていう声も多分普通にあったと思うんですけど。
あったでしょうね。
でも何人かの人が賛成に回って説得のない会話をして、賞を受賞ということになったと思うんですけど、
やっぱり人間の中にある新しいものを認めるのとそうじゃないものが争っていくのがむしろ自然なことで、それを維持しておく。
その難しいこと、困難なこと、時間のかかること、コストがかかること、コスパが最大にならないようなことをやっぱりするということが、
人間が何かする仕事の価値を一番最後に担保してくれるものではないかと思いますが。
だから今、書くじゃないですか。例えば本でも何でもいいんですけど、書いてそのときに、普通の意味でなるべくわかりやすく読みやすくなるように整えるようとするじゃないですか。
その行為の意味っていうのがやっぱり変わってくるのかもしれないなと思うんですけど、でも、文学ではない文章を人に読んでもらうために書いているときに、
でもじゃあ、そこをなんか変なふうにこねくるということに意味はあまりないような気がする。
そういう読みやすくてわかりやすいということを保ちつつ、人に、人間にしか書けないということをどう実現すればいいのか。
本当に多分それはかなり細い道な気がしますね。結局、わかりやすく読みやすい文章レースでは、その能力では多分普通に勝てない。
絶対勝てないですね。
それは本当にトラック競技でバイクと人間が競争するような無理芸があって、なぜなら彼らは頭の中で理論が脱線しないので、
連想も広がらないので、そもそも無理に整える必要がないわけですね。
僕らはその溢れ出してくる、言いたいたくさんのことを使ってしまう副詞があって、それを書いた後に削ったり整えたりするということが必要になってくる。
だからもう手間の段階ですでに僕ら不利な状況から始まっているわけですし、それはやっぱり勝てないんで。
やっぱりもう、読みやすさとかではないところの土俵に立つしかない。
読みにくい文章を書けばいいということではないんですが、例えば読みやすい文章としても、特定の知識レベルとかを意識して分かりやすく書くことがまだもうちょっとマシかもしれないですし、
それこそ、かつて自分が困ったことを未来の自分に向けて書くみたいなことも、自己の体験性に根付いているものですから、それは彼らSSAにはできないことなので。
だからそういう形での分かりやすさとか面白さとかで、その価値を担保していく必要があるんじゃないかな。
やっぱりよりパーソナルな方向にというのは間違ってない気がしますよね。
僕はそう思いますね、本当に。
そうでない普遍的な情報、ググったらトップに出てくるようなブログの文章は、ほぼSSAに到達され得ると思いますね。
そうですね。
それとおそらく読みやすさを考えて、今まで削っていたものの削り方をもしかしたら少し変えるというのもあるかもしれないし。
そうですね。削り方を変える、どこを膨らませるのか、縛らせるのかを変えるとかっていうことは普通にあるでしょうね。
基本的に人が書いた文章は1回削ったほうが読みやすくなる。読みやすくなるという言い方があるか。
文章としての精度が高まるとは思うんですけど。
でも、ある編集基点から削られていたようなものを別の編集基準から残すっていうことはむしろ必要になってくる気がしますね。
そうですね。
だから本当に、時代は解説書じゃなくてやっぱりエッセイだと思いますね。
それは読みものですよね。
そうですね。その個人しか書けない読みものっていうもののほうがバリューは全然出るでしょうね。
何かの使い方を説明しますみたいなものは、本当に生成AIに聞いたほうが早いし読みやすいし、追加の質問もできるしということで。
まあそういうところで。
だから逆に、文章を生成することはリテラシーなしに作れるようになってくるとともに、文章に価値を与える。
例えばお金を取るとかっていうことの場合、より文章力が問われるようになるかもしれませんね。
エディターの役割
そうですね。
結構この辺の話は難しいところで。
僕らがまだ課中にいるし、生成AIの変化自体もまだ途中なので、先は全然見通せないんですけども。
まあでも書き手は完全にそれについて考えないわけにはいかないとは思いますね。
そうですね。
あとは思考のエンジンとしての生成AIという、否定的よりも公定的に、むしろその人なりの考えをより膨らませていくという使い方を模索する。
そういうのが一つの大きな面白いプロジェクトになりそうな気がします。
はい、というところで、たくさん何かお知らせしたいこととかございますでしょうか。
今のところは特にないです。
一応言っておくと、
ノートのたくさんの有料高読マガジンで文章エディターについての連載が始まっておりまして、これはもう筆読となっていると思うので、皆さんチェックしていただければ。
いや、そうですよね。連載じゃないんですよね。
あ、連載ではない。
連載ではない。
連載、一部をつまんで。
ああ、そういうことか。とりあえず用語チェックですね、そこは。
そうか、連載ではない。
いや、そうなんですよ。あれをね、あの中でやるべきかね、正直まだ迷って…。
アウトライナーナイフの中でやるべきかどうか。アウトライナーナイフはまだ出てこないし。
そうか。
しね、そうなんですよ。
せっかくなのでこの場で、相談じゃないですけど。
あとあれ、有料マガジンの中で記事を公開してるんですけど、
今までライフアウトライン実践っていうのを先月ぐらいまでやってたのは、
有料マガジンの中で一つ100円の有料記事にしてたんですね。
でこれ、有料マガジン登録していただいてる人は当然、それで全文読めるんですけど、
有料マガジンが月500円なので、
500円払わなくてもその個別の記事を100円で読めるようにということで、
100円の有料記事にしてたんですけど。
僕ね、ちょっと勘違いしてて、有料マガジンの中に有料記事を作ると、
今有料マガジンに登録している人は当然全部読めるんですけど、
有料マガジンに登録した以前のものは、100円払わないと読めないんですよね、記事が。
僕はね、それで全部読めると思ったんですよ。
あーなるほどなるほど。
それこれくらい完全に僕がちゃんと勘違いしていた僕のあれなんですけど、
僕一回それで読者の方に質問いただいたことがあって、
全部読めると思って入ったんですけど、
過去のって結局記事全部買わなきゃいけないんですね。
そうなんですか、みたいな感じで。
そんなことじゃいけないんですけど。
ということが実はありました。
なので、じゃあこれからは無料記事にして、
有料マガジンに登録しないと読めない無料記事にすることにしたんですよ。
ところがそうすると今度は500円払って有料マガジンに登録しないと読めないからなんですね。
そうですね。
っていう非常にジレンマというか、
これどうしたらいいのかなーっていうことを悩んでいる途中だということをちょっと。
まあ有料マガジンはマガジンなので、
結局その月に送られてくる記事を読める権利ですから、
その過去記事が読めないのは仕様上仕方がないと。
そういうことですよね。
で、僕もノートで発行しているメルマガの過去記事を書いたいと。
ただ、いちいちポチポチしていいかなっていうのにならないと。
それは非常に面倒くさいのでどうにかならないかと相談されたことがありまして、
考えたんですけど、結局面倒くさくてできず。
これはこのマガジン形態についてくる問題というか。
先がたいんで。
まとめて読みたい人は、まとめて読める本を別に作るしかなく。
マガジンはそういうものだと割り切るしかないですね。
ないんですよね。
ちょっと僕はナイーブにそういうことを悩みすぎるのかもしれないんですけど。
そうか。登録しても過去は買わなきゃいけないのか。
でも試しに500円払ってマガジン今月入るってのもちょっとなっていう。
とか考えちゃう。
でもいろいろ試行錯誤してますっていうことなんですけどね。
そうですね。難しいなあ。
ノートは諸月無料じゃなかったかな。
それは設定で。諸月無料の設定にすればいいというのはありますね。
もちろんそれは自分で解除してもらう限りに書きすくいから課金というのもありますけど、
試しに読んはそれ多分できるはず。
できますできます。
そこでなんとなくだけするしかないんかな。
ああ、そっか。確かにそれはありますね。
それも僕オフにしてあるんですよ。諸月からお金かけるんですよ。
そこをだから告知して、かつくず記事の1日に今今日登録してもらったら、
今月送られてる分は無料で読めるんでっていうことで、
一応試し読みのあれは可能かなと思いますが。
確かにそうですね。
まあそうですね、それぐらい。
この辺はちょっといろいろ内部な問題が含まれてるんですね。
お金回りは難しいんですけど。
難しいんですよね。
とりあえず文章エディターのこの記事は、
この有料メールマガジンでいいと思いますけど、
そこの内容の疎後っていうのはあんまり感じないですね、僕は。
まあ間接的にはネオトライナーの話が出てきますけど。
これはできればKDPに最終的にはしたいので。
まあちょっと全文連載してしまうと、
ちょっと逆にKDPのほうが難しくなっちゃうっていうところもあるし。
ちょっと個別の記事にすると、
かなり際どい内容になり得る部分が後々出てくるので。
なるほど。
そこは全体で見てもらいたいな、みたいなところがあって。
そうですね、それはわかります。
なのでそうですね。
まあアウトライナーライフの中で、
とりあえず文章エディターの話は、
どのぐらい公開するか正直まだわからない。
ちょっとしかしないかもしれないし。
というわけで、とりあえず小月無料になったら、
皆さんチェックしていただければという感じで。
どうかな、今週の質問で言うと、
自分が各行為において、
その生成AIをどれぐらい使ってるかっていうご意見があれば、
ハッシュタグ打ち合わせキャストひらがなで、
打ち合わせアルファベットキャストまでいただければと思います。
というわけで、今回はおしまいしたいと思います。
お疲れ様でした。
お疲れ様でした。