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2021-03-16 1:26:35

第六十三回:Tak.さんと「アウトライナーの使い方ド下手問題」について

[ライフハックニュース]

[Scripting News: About Roam's product http://scripting.com/2021/03/15/144714.html?title=aboutRoamsProduct]

デイブ・ワイナーさんのアウトライナー観

OPMLは宗教でアウトライナーは教会

新しいデジタルノートツール Hypernotes

  [Zenkit Hypernotes - Experience a new way of collaborative writing. https://zenkit.com/en/hypernotes/]

  分冊できるRoam Researchというイメージ

倉下のファーストインプレッション

[Hypernotesの使用メモ - 倉下忠憲の発想工房 https://scrapbox.io/rashitamemo/Hypernotes%E3%81%AE%E4%BD%BF%E7%94%A8%E3%83%A1%E3%83%A2]


アウトライナーの使い方ド下手問題

[Noratetsu Lab: アウトライナーの使い方ド下手問題~はじめに~ https://noratetsu.blogspot.com/2021/03/outliner00.html]

[Noratetsu Lab: アウトライナーの使い方ド下手問題①~「きちんとしている感」との格闘~ https://noratetsu.blogspot.com/2021/03/outliner01.html]

 [Noratetsu Lab: アウトライナーの使い方ド下手問題②~アウトライナーは「今」のものである~ https://noratetsu.blogspot.com/2021/03/outliner02.html]


 倉下の暫定メモ(in process)

  [アウトライナーの使い方ド下手問題 - Unnamed Camp https://scrapbox.io/unnamedcamp/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%81%AE%E4%BD%BF%E3%81%84%E6%96%B9%E3%83%89%E4%B8%8B%E6%89%8B%E5%95%8F%E9%A1%8C]


 アウトライナーはどのように使うのか?

  以下は厳しいのではないか

   倉庫

   セカンドブレイン

  「プロセス」を支えるツール


 着想を書き留め、並び替え、リンク付けしているだけでは次のステップには進めない

リンクによって関連性が示されることと、自分を書いて自分で言及することには大きな違いがある


 アウトライナーが生じさせてしまう「気持ち悪さ」を活かす

 一度有限化することで、新しい利用可能性が生まれてくる


00:00
はい、打ち合わせキャスト第63回ということで今回もゲストにたくさんお迎えしております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
本題に入る前に、Lifehack Newsなんですけども、
昨日か後数日か、David Weinerさんが、ロームリサーチのユーザーとかに、ツイッターでなんか疑問を投げかけられてるシーンがリツイートで回ってきて、
彼のブログ、スクリプティングニュースの記事、15日やから昨日か、
昨日にも、About Rome's Productっていう短いエントリーが上がってまして、
David Weinerがロームについて言及するってなんかすげーよなってちょっと単純に思ったんですけど。
うーん、まあでも結構ね、現代的なアウトライダーに言及することがあるので、ちょくちょくと。
ただちょっとロームに関してはちょっと興味の向き、あれがちょっとこう、深いというか、これはどういうものかなっていう感じをWeinerさんが持ってるんじゃないかなという気がちょっとしたんですけど。
なんとなくですけど、ロームって聞いたことあるけど、実際それってどういうツールなのっていうのを、
開発者とか実際に使ってユーザー側に疑問を投げかけたような感じでしたよね。
そうですね。多分どういうツールなのかは知ってはいるんでしょうけど。
それを使うということがどういう体験なのかっていうことを聞いてみようという感じ。
多分そういう感じだと思いますね。
なんとなくですけど、話を聞いた結果、Weinerさんの中ではロームは素晴らしいツールやけど、これは多分僕が考えたアウトライナーではないよねっていうような。
そういう結論になった。
そういうことですよね。
まあそうなるような感じがしますね。
一つ、その記事の中で見て思ったのが、ロームズワールドっていうのはロームリサーチのツールとそれを取り込む人々みたいな意味だと思うんですけど、
アウトラインをデータベースから計算して表示はしているけど、アウトラインそのものを保存しているわけではないっていうことが一文に書かれてて、これは確かにそうやなと。
そうですね。
ファイルそのものがあるんじゃなくて、だからエヴァンゾーとかで一緒ですね。データベースの情報があって、そのデータベースの情報をもとにノートっぽく見える表示をしているっていうのと一緒ってことですよね。
そうだと思います。
これは結局、OPMLファイルの形式ではないってことなんですね。
これはそのままいくと、アウトライナーっていうのは教会のようなもので、宗教の大元っていうのはOPMLファイルだと。
03:02
はい。
だから、どの宗教に属しててもいいけど、そのOPMLを使っているわけで私たちはアウトライナーというものの恩恵に授かれるということだと思うんですけど。
まあ、カイツマンで言うとそういうことなんでしょうね。
だからロームはそこと志は今のところ同じくしてないよねっていうふうに見えましたね。
だからワイナーさんが思っているアウトライナーっていうのはやっぱりファイルベースのものであって、ブラウザーで使えるタイプのアウトライナーをワイナーさんも作ってるんですけど、
昔ファーゴっていう名前のがあって、それがなくなって今はリトルアウトライナーっていう。
そうなんです。確かに。
なんですけどあれはクラウドアウトライナーじゃないんですよね。
ファイルをローカルに保存してるんですね。
ファーゴの時はドロップボックスのAPIを使ってやってたんですけど、今ちょっとどうやってるのか知らないですけど。
なのでワイナーさんはおそらく同じ理由でワークフローも違うと思ってるし、ライナリストも違うと思ってるんだと思うんですよね。
あれ全部データベースですからね。
ただ一応確かOPMLファイルでのインポートエクスポートを可能としてるんであれば、ギリ仲間には多分入ると思うんですけど。
ロームはそこをはみ出てますからね、一応。
ロームはあれでしたっけ、OPML吐き出すとかってできないでしたっけ。
インポートを特に聞いたことはないですね。
仮にエクスポートしたとしてもローム的なものが全て失われる。
そうですね。単なるアウトラインじゃないですか。
だから根本的に違う、データが劣化版として出てしまうっていう点があるんで、多分違うって言うのはあるんですね。
この辺の話を見聞きするのもいいんですけど、Twitterでやり取りされてるの見たんですけど、
なんかすごくいいというか、例えば自分がアウトライナーっぽいツールを開発してる人だとするじゃないですか。
で、デフォワーの人から聞かれるわけですよね。すごい恐縮するじゃないですか。
まあ普通に考えたら。
でもね、非常にフラットな議論があったんですよね。そこで。
それはアメリカ的がそうなのか、ソフトウェア開発者がそうなのかわからないですけど、
お互いが自分の主張を明確にして、ロームの人たちも是非ロームをあなたに使ってほしいんだっていうつもりで書いてますっていうことを明確にされてて、
非常に清々しい意見交換があったなと思って。
インターネットってこういうところだよなと思ったんですけど。
そうですね。C.Weinerさんはそういう人だし、だから本当にフラットで、
Weinerさんってすごい人なんですけど、本当にすごい人なんですけど、歴史的に。
06:01
全然そういう態度を取らない。
でも一方では、逆に違うと思ったり、こいつはと思うとものすごい逆に気軽に罵倒したりもするし。
トランプは大嫌いですよね。
そう。すごい政治的な人。
でもやっぱりそんなWeinerさんが僕は好きですけど、
僕が昔Weinerさんの記事を翻訳したときも、いいですかっていうメールを送ったんですよね。
そしたら、オフコースって一言返ってきて、
「Why not?」みたいな感じで。
全然虚諾とかそういう概念じゃなくて、何がそれがいけないんだみたいな。
うん、なるほど。
そういう人ですね、Weinerさんって。
多分そういうオープンでフラットな心意気と、
ツールっていうのはデータを開放するものではなければならないっていうのが、
多分密接につながってるんでしょうね、おそらくは。
そうですね。
だからファイルベースっていうことよりも、
ファイルがオープンでなきゃいけないっていうのがWeinerさんのスタンスですよね。
そこがブラックボックスになっちゃってるのは違うんじゃないか。
自分の思ってるものとは違うんじゃないかなっていうことでしょうね。
結局ツールそのものっていうのは、教会と一緒で形を変えたり潰れたりしますけど、
信仰ってのを失われないですからね、基本的には。
その例えは。
その例えですね。
だから教会が潰れたときに信仰が途切れてしまうようなものは、
宗教のあり方としてはよくないんですよね、基本的には。
そうですね。
別に僕もROMは素晴らしいツールだと思うんですけど、
どちらかというとインターネット機質でいうと、
開かれたファイル形式の方が好ましいなと思いますね。
話題のROMに似た、より発展的なツール、
ハイパーノーツか複数形。
ハイパーノーツっていうのが先日発見しまして。
僕それ知らないんです。
知らないでしょうね。
ハイパーノーツ、当然ハイパーリンクのノート版みたいなイメージなんですけど、
ZenKitっていう会社なのかな。
基本的にはROMリサーチっぽいことができるんですけども、
大きな違いは、ROMがいわゆるワークフローリと一緒で、
ワンアウトライン形式というか、ノートブックを作らない。
ROMを使ったらデータベースは一つじゃないですか。
基本的に。
とは違って、ノートブックっていう単位で情報を分けられるんですよね。
そのノートブック核内にページを作ったり、
あるいはROMみたいにデイリーページを自動的に作ったりとかもできると。
09:01
ページ内にはマークダウンホジョンみたいなものもあり、
しかも当然ダブルブラケットによるリンクも作れるんですよね。
ほぼROM。
ポモドロタイマーとかができるような、
ああいうマニアックな拡張はないですけど、
いわゆるマークダウン補佐がある強調とか画像挿入みたいなことは全部できます。
これワークフローリに対するダイナリストみたいな。
そうそう、まさにそういうことです。
僕の場合は高発のダイナリストってよくないよって思ってたりとか、
そもそも一つにすることがいいことなのに分けてどうするのやっていくことを思ってたんですけど、
ハイパーノートに関しては逆の印象を受けまして、
分けられた方がいいよねって思ったんですよね。
なぜ分けられた方がいいかっていうと、
リンクサジェスト、ダブルブラケットが、
名前空間で分割できるようになるんですよね。
ノートフックを分けられるようになると。
単純に考えて、ロームがワンデータベース方式だと、
例えば5年10年使ったらサジェストされるページの数半端ないことになりますよね。
なるんでしょうね、おそらく。
その中には明らかに混ぜてほしくないものたちもあるはずなんですよ。
それを一つだけでいけっていうのは、原理押し付け主義的な感じがするんですよね。
分けたくても分けられないと、分けなくていいよって違うじゃないですか。
だからハイパーノートの場合は分けたいものは分けて、分けたくないものは一つに寝ておけばいいと。
だからそこの切り分けが可能という点が、リンクサジェスト方式ってかなりデカいよなと。
なるほど。
5年ローモリサーチを使った時にどうなのかは、今から見えないですよね。
見えないですね。何かしらの重み付けをしてくれるのか、どうなのかもちょっとわからない。
今のままだと多分重み付けはしてくれないと思うんですけど、
するにしたって何を基準に重み付けするのかは多分一人よって違うだろうし、だからちょっとわかんないですね、それは。
だからそこの設計必要がまだちょっと不明瞭だなって。
ダイナリストの場合は、ちょっと前か去年かは突然、アーカイブ機能っていうのがあって、検索に出さないっていうのが出てて、
これはちょっと見通しがついたなと思ったんですよ。
でも、フォームはどうなんでしょうね、あれ。
まあ、わかんないですね。運用しながら、何て言うんですかね、時間が3,4年経ったら何かしら付け加えていくのか。
12:01
だからそこがちょっと不安なのを、ハイパーノーツっていうのは、解消してくれるというか、もっと実際的に分類させてくれるっていうリンクベースで分けて、
生意気をかんがまずやらないようにしてもいいし、不要なものをエクスポートなりなりして、
自分の普段動いてるワークスペースとかワークベンチから一旦どかすこともできると。
なるほど。でも、その、そうですね、名前空間っていうと、
でもあれですよね、プログラミングとかと例えば違って、こういうリンクベースのこういうツールって、
どこで切り分けるのかっていうのが、通常のファイル以上に難しいような気がしますよね。
ただ、分けるのが難しいからといって、分けないことが最善のつめたくではないなっていうのが最近の気づきですね。
だからあれですね、分けるっていうよりもガラガラポンでやり直しが気軽にできるっていう。
それはあるかもしれません。
ロームやり直すの難しいですね。
まあ、それは原理的に考えられてないと思いますね。
だから、スクラップボックスもあれも複数のプロジェクトが前提なんで、僕も結構頻繁に動かしているものでも数個あるんで、
だからそれぞれのプロジェクトごとにノートの作り方とかリンクの付け方とかが違ってきて、
それは多分ナチュラルだと思うんですよ。
だから、そっちの方が複数のプロジェクトで名前空間、概念空間が分かれる方が多分いいんじゃないかなと、
逆にハイパーノーツを使って思いましたね。
なるほど。まあ、面白い動きというか、起こるべくして起こった動きというか。
まあ、そうですね。あともう一個、ハイパーノーツ、最近見た中で一番面白かったんですけど、
デイリーノートを作られるオプションの中の一つにナンバリングっていうのがあって、
ページを作成した順にナンバリングが振られる、それをオンにすると振られるんですよ。
1個目に作ったノートはタイトルの前に1コンマがつくんですね。
2個目に作ったタイトルは2コンマがつくんです。
名前がつくだけじゃなくて、当然アウトライン上でもそのようにソートされますし、
そのオプションをオンにすると、ページのエディタ部分に右左の矢印が出て、
それを押すと次のページに移動できるんですね。
はい。
で、この次のページに移動するっていうのが実はないんですよ。ほとんどのツールで。
そういう機能がない。なぜなら次のページっていう概念がないから。
15:01
なるほどね。
Evernoteの場合はノートを表示してあるノートブックリストに移動する、
それを下押す次のページに変わるっていうのがあるんですけど、
ノートを表示した状態で次のページに移動はできないんですよ。
ああ、そうか。そうですね。確かに。
それは次のノートっていう概念がないからですよね。
あれはデータがソートされて並んでるだけだから。
で、Workflowlyでもどっかの子供の概念にズームしてるときに、
同じ階層にある次のこの概念に移動するってことが操作的にできないじゃないですか。
いや、できるんじゃないですか。
同じ階層の次の項目に移動するっていうのはできるはずですよ。
何かにズームしてる状態、例えばAの。
できます。
できます?なんかショートカットでできます?
できる。確かにできたはずです。
僕それ探してたんですけど、これだけにからパラパラ見ていくことができる。
僕今ちょっとデマいってるから。
デマの可能性が20%くらいでちょっと後で。
今までだから、なんかAの下のBっていう項目があって、
そのBの兄弟にC、D、Eがあったときに、
Bにズームしてるから一旦移動できないんで、
A、そのズームを一回戻して、Cに移動して、
またズームするっていうことを繰り返してパラパラ見ていってたんで、
これは大変不便やなと思ってたんですよ。
確かこれできたと、いろどろうさんに教えてもらって、
できるんだと思った記憶があるんですけど、
最近ワークフローイを開いてなくて、
今のあれをログインしないと開けないんで。
だからこれがね、こういうそのページにフォーカスした状態で、
次に移動できるっていうのが実はだからドキュメント管理になるんですよね。
だからScrivenerとかUlyssesはできるんですよ。
あれはページの概念を持ってるから。
逆にページの概念を持ってないと、
あれはだから検索結果がソートされてる場合、
まあOutlinerは原理的にできるはずなんですけど、
ソートされてる場合のやつってできないんですよね。
それができるようになった。
だからパラパラ見ることができるんですね。
これパラパラ見れるってね、結構でかくて、
たぶんScrapboxでもね、あれパラパラ見れないんですよね。
一回ホームに戻らないと次に行けないんで。
あーそうか、そうですよね。
そもそもだから順番っていうのがないからなんですね、
ノート順っていうのが。
だからそれが出てきたことで、
自分のアイデアをパラパラ見返すってことができるようになったっていう点と、
あとそれぞれのノートブック単位で、
パブリッシュを選べるんですね、
パブリッシュするかどうかを。
そうするとページという概念を持った読み物を提供できるようになるんですよね。
そうですね。
で、例えばObsidianもパブリッシュできるんですけど、
あれページの概念が結局ないんで、
読む人はページのリンクを辿るか、
サイドバーに表示されるページリストで次々読んでいくしかないんですよね。
はいはいはい。
だからそこが若干不便なんですけど、
そのほうが解消されていると。
だからその既存のツールの不具合を、
18:00
わりかしうまいこと吸収改造している感がありますね。
なるほど。
はい。
なるほどなるほど。
でもページめくるっていう概念は大事ですよね。
僕の中でそうです。
ページにプリントしないからそれがいらないだろうと思っちゃうのは多分違うんですよね。
特に次のページ行くときに一回ビューを動かないといけないっていうのは非常に面倒なので、
これがあるということと、
あとページの概念っていうのは言ったら、
リストを並べるとか順番付けるっていう情報的行為にもなるんで、
やろうと思ってできるし、
別にナンバリング機能を外したらなくなるんで、
なくそうと思えばなくせるっていう点も、
選べるとこ柔軟性がありますよね、だから全体的に。
うん。確かに。
今ね、探してたんですけど、
多分ね、ワークフローイでもダイナリストでもできるはずですね、それは。
はい。じゃあ探して後で補足します。
はい。もうちょっと探しておきます。
はい。というわけで、
ごまかったらすみません。
ローム系の2大ニュースでした。
本題なんですけど、ライフハックの使い方ドヘタ問題っていう、
そのタイトル自身にちょっとツッコミを入れたようになるわけですが、
たまたまこれはたくさん経由だったのかな、
Twitterで見つけたんですけど、
ノートの記事です。
ノートじゃないのかな。
ツイートやったかノートやったか、ページやったかわからないですけど、
野良鉄さん、野良鉄ラボっていう記事や、
ノートの記事じゃない、ブログですね。すみません。
で、アウトライナーの使い方ドヘタ問題、はじめにっていうのと、
現在1、2っていうのが上がってて、
多分3以降に続く感じなんですけど、
本来この全部終わってから話しようかなと思ってたんですけど、
その1、2に至るまでに、その話題が。
あまりにも面白くて我慢できなくなっちゃいました。
これさっき言っとかんとまずいなっていう感じで、
ちょっとこれを触ってみたいんですけど、
これが非常に多岐にわたった記事なんで、
取り上げにくいんですけど、
アウトライナーっていうのは何のためのツールであり、
どのように使えばいいのかっていうことに対する問題提起として、
とりあえず今回は話を進めたいと思います。
多分ね、ここの記事を読んで、
たくさんが一個一個レッスンしていくと、
もうそれで本になると僕は思うんですけど。
いやー、僕ね、こういう論点がたくさんある記事大好きなんですよ。
多分だからこういう人は、
だからアウトライナーを使うときに困るんだろうなっていうのは、
僕はよくわかります。
下に続けられないんですね。
自分の中で論点が、
一つのノードに複数に結びついてるんで、
一般を決められないんですよね。
非常によくわかります。
21:01
でもそこが面白いんですよね。
そこが面白い。
だからどうか記事からいくよりは、
そもそもアウトライナーっていうのは、
何のためのツールなんでしょうか。
難しい質問なんですけど。
何のためのツールがそうですよね。
それが一言で言えれば多分苦労しないんですよね。きっと。
冒頭の方に、情報をすっきり整理するためのツールなのになぜか複雑になっているってことが書いてあって、
まずだからそこですよね。
アウトライナーっていうのは、情報をすっきり整理するためのツールなんでしょうか。
それはあれですよね。そう捉える人もいるとは思いますけれども、
僕は個人的にはそう捉えたらいいですね。
だからそうすっきり整理するために使うこともできるけども、
たくさんの中ではそうじゃないし、
多分だからその全体の使用可能空間からしたときに、
すっきり使い方ってそのめっちゃ小さい一部でしか多分ないですよね。きっと。
そうでしょうね。
整理するものでは多分そもそもないんじゃないかと思っていて、
ただこれ本当にそれこそアウトライナーに限らずどんな汎用ツールでもそうですけど、
やっぱりどんな人がどういう目的で使うかによって全く違う姿になるので、
こういうものですよって言い切っちゃうことができないんですけれども、
ここはやっぱり中間的な処理をするツールというか、
すっきり整理するっていうと、整理して綺麗に収まって、
綺麗になったねっていう印象を僕は受けるんですけど、
僕の思っているアウトライナーの一番有効な使い方というのはおそらく、
例えば何か文章を書くにしても何か考え事をするにしても、
その結果に至るまでの途中のプロセスの段階で、
アウトラインという回想構造を便利的に使いながら操作して、
その結果として何らかの結果が出ると。
その何らかの結果も仮のものなんですけど、
一応アウトプットという言い方をしますけど、
アウトプットに至るまでの過程を司るツールというか、
その過程でいろいろ考えたり情報を動かしたりするときに、
アウトラインの回想構造を利用して操作する。
なんだけれども、アウトラインの回想構造の中に情報をしまって、
24:02
すっきりさせるものという感覚ではないですね、僕は。
だからその記事でいうと倉庫という表現がされていましたが、倉庫ではない。
そうですね。倉庫にも使えないことはないと思いますけど、
倉庫だと思って使ってはいないような気がします。
プロセスをサポートするツールということを考えたときに、
例えば文章を書くというプロセスをするという意味では、
テキストエディターも同じ位置づけになりますか?
同じ位置づけになりますね。
同じ位置づけになります。
なるほど、なるほど、なるほど。
だからプロセッサーですからね、プロセスをするものという。
プロセッサーです。
そっかそっかそっか。
まずその意味、エバーノートとかどちらかとは言わなくても、
完全に倉庫側のツールなので、位置づけとしてはそっちじゃないと。
そっちじゃないですね。
プロセスということは、
それで終わり、それだけしたら、それ自身が目的となる終点でもないし、
起点だけを扱うものでもない。
その起点と到着点の間の。
間。
間ってことは、途中であり時間の幅があるってことですよね。
はい、はい、そうです。
そういうことですね。
そっかそっかそっか。
一つ、どっか出てきて気になったのが、
アウトライナーとアウトラインプロセッサーっていうのが、
この記事の中では別のツールとして扱われていたんですけど、
タクシーさんの中ではそれはどうですか?
この二つに言い方以外の違いってあります?
いや、僕はないです。
単なる言い方の違いだと思います。
なるほど。
日本では伝統的にアウトラインプロセッサーって言われることが多かったんですけど。
そうですね、アイディアプロセッサーないでしょ、アウトラインプロセッサーって呼ばれてましたよね。
アウトラインプロセッサーとアイディアプロセッサーは多分分けて考えた方がいいと思うんですけど、
なるほど。
アウトラインプロセッサーとアウトライナーは単なる言い方の違いというか、
英語圏ではアウトライナーと呼ばれることが多かったんですね。
多分日本でアウトライナーっていう言い方を一生懸命してたのは結構僕じゃないかという気がするんですけど、
同じですね、アウトラインプロセッサーとアウトライナー。
だから日本だとアウトライナーっていうときにアウトラインする人みたいな、
そういう受け取りがツールの名前に聞こえない言い方かな、きっと。
27:00
そうですね。
ちなみにアウトラインプロセッサーの日本での流通と、
ワードプロセッサーという言葉の日本の流通は時系列的にどうなんでしょうか、僕全然分からないけど。
時系列的に言うと、難しいのはアウトラインプロセッサーっていうのは多分82年とかそのぐらいできてるんですけど、
その頃って日本ではワードプロセッサーもまだできていなくて、
最初の日本語ワードプロセッサーが1979年だったと思うんで、東京から出た巨大な机みたいなやつなんですね。
それがどんどん小さくなっていって、一般の人が使えるようなサイズになってきたのが84年、85年ぐらいだったと思うんで、
日本は最初に専用ワープロが普及したんで、ワープロっていうカタカナ言葉として日本では多分知られるようなやつなんですね。
パソコンのワードプロセッサーの、当時アプリとは言わなかったですけど、ソフトっていう言い方だったんですけど、
パソコンワープロとか言ったんですよね。
そういう感じでワープロっていう言葉が普及していって、アウトラインプロセッサーってのは多分87年、88年ぐらいからメディアに登場し始めた。
っていうような時系列だと思います。
なるほど。そうか、日本人でワープロって言う言葉で言いますけど、
それワードプロセッサーの略やって多分意識して使ってる人の方が少ないでしょうね、きっと。
少なかったと思います。
ワープロっていう一つの単語ですもんね、もはや。
そうなんですよ。パソコンって言うのとワープロっていう、そういう縮め方をするんですよね。
途中経過と時間がある。
とりあえずその記事読んで冒頭あたりに、アウトライナーを使いがたべたというか、何度もチャレンジして結局使い切れないままになってしまうことを繰り返すということを申し上げていて、
多分アウトライナーあるあるだと僕は勝手に思うんですけど、アウトライナーに限らないかな。
Ivernsoも多分そうで、そういう情報整理ツールあるあるかな、どういう人いいんかな、だと思うんですよね。
多分アウトライナーは特に汎用であるがゆえに、よりそれが起こりやすい面はあると思うんですけど、
一方で書かれている方はアウトラインを作ることはするって書かれてるんですよ。
そのばかりのファイルを作ったりとか、小説のプロットとしてアウトラインを作ることはあるけども、
30:06
アウトライナーを使い続けることができないっていう話があって、これが実に主策的だなと思ったんですよね。
逆にアウトライナーを使い続けていくってどういうことだろうっていうことだと思うんですよ。
例えば、その日使う短いアウトライナーをアウトライナー上で作りました、使い終わりました、消しましたっていうことを、
一週間に一回とかやるっていうのもアウトライナーを使ってるって言えますよね。
でも多分ここでイメージされてるのはそうじゃないことじゃないですか、きっと。
それはなんないんだろうって思うんですけど。
うーん。
だからやっぱり、正確にはご本人に聞いてみないとわからないところもありますけど、
やっぱり考えたこと、思いついたことを多分全部入れて扱おうとされてるんじゃないかなっていう意図を受けたんですよね。
で、それを、例えば、何かしらの、なんでしょうね、
これアウトプットをしようという意図がある場合もあれば、整理するという場合もあると思うんですけど、
で、そのどっちにこの重きを置かれてるのかがちょっとわからないところもあるんですけど、
思いついたことを全部アウトラインに入れ込んで、それをそのままアウトプットに変換するまで使っていこうというのはかなり難しいというか、
まあ、そういうことですね。
パンクしちゃうことが多いんじゃないかな。
それ、やっぱり僕もいろんな人から質問されるときにかなり多い質問なんですよね。
発想をたくさん書き出してアウトライナーで整理して、それで文章を書こうとしたんだけれども、
処理しきれなくなっちゃう。
っていう、ようやくするとそういう意味になる質問って結構たくさん受けますね。
なんで、多分それと同じことなのかな。
ただ、結構いろんなことを考えておられるので、それだけじゃないことも多分書かれてると思うんですけど。
でもまあ、そうですね。結局それはあらゆる情報ツールを使うときに起こりがちというか、
だから、かなりツールに対してオーバーワークをさせようとしているというか、
それは多分、初めから無理なことなんですよね、きっと。
やろうとしていることって自分の脳の整理なんですよね。
簡単に、もうすごく簡単に言うと、相対としての自分の脳というか思考をそこに全部列挙して、
さらにそれをうまくアレンジしていくっていう、塩梅していくっていう行為やと思うんですけど、
そのようなことがうまくできる自分の脳とその脳を支えるツールとか、
33:01
その脳がうまく同調しているような状態に作れたときに、初めてアウトライナーが使えているっていうところを目指すと、
それはまあ、無理。おおむね無理な話ですよね。
そうですね。
多分、アウトライナーにしてもエヴァノートにしても、
思いついたことを全部入れ込んでいくっていうことはできるんですよね。
できます。それはできます。
できて整理することも多分できるんですけど、
その結果を見て、でって言われたときに、そこから何か、
アウトプットっていう言葉好きじゃないですけど、アウトプットをしようとしたときに、
でってなっちゃうことが多いんだと思うんですよね。
でってなっちゃったときに、だからアウトライナー使い方ベタという感覚が自分に芽生えるんやと思うんですよ。
そうですね。そういうことなのかな。
切り出すっていう表現もどこかで使われていたと思うんですよね。
その大量に自分の考えたことを入れ込んだアウトラインから、
アウトプットを切り出す場合もあれば、それを取捨選択して、
圧縮していってアウトプットにしようとする場合もあると思うんですけど、
いずれにしても、全ての枝葉が含まれたアウトラインがあったとして、
そうするとそれがいかに整理されていたとしても、
そこからある一定の大きさのまとまったアウトプットをしようとすると、
結構おそらく難しいんじゃないかなと想像しますね。
そうですね。だから結局僕もずっと同じようなことを考えて、
EvernoteとかWorkflow.lyに日々の着想、日々の着想、
Daily Insightをメモしていたわけですけども、増えてはいくんですよね。
増えてはいくんですけど、増えること以外には何も起こらないんですよね。
で、なんか違うなっていう感じになって、数があんまり多くなると、
ダメだこれになっちゃうんですね。それは結構ツールを変えて繰り返してきたんですよね。
だからツールの使い方が悪いとかツールが悪いというよりも、
そもそも無理なことをしているんですよ。達成不可能なことをしているんですよね。
そうですね。
とりあえずアウトライナーを倉庫的に使うのは、
あんまり得意なことでもないし、やって得することもないというのはまず一つあると思うんですけど、
先ほど言った、いわゆるセカンドブレイン的な使い方。
自分の脳のそのものの補助としてのツールとして使うということも、
全体像をそのまま書き込むのは無理なんですよね。
これは倉庫じゃないんですけど、倉庫じゃなくて動き変化していくものなんですけど、
それもアウトライナーには向いてないと思うんですよ。
アウトライナー以外のツールでも無理だと思うんですけど。
36:03
それが一番難しい部分なんですよね。
それが完璧に扱えるツールって、脳と同等の柔軟性と高速性を持ってないと無理だと思うんですよ。
それはでも無理ですよね、基本的には。
そう、だから、Romeを最初に見たときに、
これひょっとしてって思ったのはそこなんですよね。
アウトラインも作れるけれども、個別に作ったアウトラインがネットワークとしてリンクされた状態で、
一個一個のアウトラインと別にそのネットワーク構造があるという、
しかもそれが全部つながってるっていう。
答えはこれなのかもしれないって一瞬思ったんですけど。
やっぱりね、
それは使い方の工夫の問題もあるんで、
やっぱり良かったとかやっぱりダメだとは言い切れないんですけど、
ちょっと違ったなっていう感じがありますよね。
僕もいろいろリンク型のツールが出て試して、
特に長いこと使っているツールもあるんですけど、
例えばイメージされる日々の着想を保存する、それらをアウトラインとかにまとめるときには、
それにタグをつけたりリンクつけたりしてネットワーク構造を作る。
すると、どこに何か素晴らしいものが生まれるっていう、この飛躍が起こらないっていうことなんですよ。
そうです、まさにそういうことです。
そこを僕は結構長い時間、分かるのに長い時間がかかりましたね、それは。
そうなんですよね、そういう幻想を抱いてしまうんですよね。
特にリンク型のツールってそうさせるところがあって。
そうなんですよね。
リンクつながるのは本当に素晴らしいことで、まさにデジタルならではのツールで、
そこの方向に進んでいけばいいのは間違いないですけど、
リンクがつながっている状態も、これさっき言われた「で」っていう話になるんですよ。
つながっている「うん、すごい良かったね」って思っちゃうんですよね、これ。残念ながら。
僕一つ、これ今書いている本に書こうと書いてた例なんですけど、
例えばマインドマップでもいいんですけど、自分の考えをまとめるじゃないですか、そのマインドマップなり。
アウトラインがいいんですよね、複雑なアウトラインを作って。
自分の考えをまとめて、自分でまとまったと思うじゃないですか。
例えばマインドマップからマインドマップで、分かったと自分で思ってるんですけど、
そこに別の人がやってきて、意見をお伝え、説明してくれって言われたときに、
39:01
説明しようとするとできない。
ネットワークは出来上がってるんだけど、説明はできないっていうことが起こるんですよ。
そういう複雑なしっこって。
はい、そうでしょうね、きっと。
どんなにマインドマップが出来上がって、納得できるマインドマップが出来上がっていても、
あるいはどんなに納得のいくリンク構造のネットワークが出来上がっていても、
それを説明しようとする、つまりアウトプットですよね。
説明しようとすると、できないっていう現実がよく起こる。
これは何でだろうっていうところから始まってるんですけど、
つまりアウトプットはネットワークじゃないんですよね。
アウトプットはネットワークじゃないですね。
ネットワーク上のものをアウトプットするということがそもそもできない。
やろうと思えば脳を直結するしかないですよね。
そうです。
その2つが同じプロトコルで動いていることを前提として、
片方が心に思い浮かべたことをもう片方が思い浮かべられるのであれば、
それはネットワークを伝達したことになると思いますけど、
言語を介したコミュニケーションである以上、ネットワークをそのままっていうのは無理で、
そのネットワークを部分部分に分割して、
引っ越しの荷物のように一個一個パカッパカッて向こうに移していって、
向こうの人が頭の中でそれを組み立てていくっていうことをすることが、
読み書きというか、言語を介したコミュニケーションということなんですよね。
そうですね。切り離して順番に並べてあげなきゃいけないわけですよね。
そうですね。しかも、もっというと、その人にとって適切な順番に並べてあげないとダメなんですけど。
だから、マインドマップとかネットワークで考えた時に、
ぶつかるジレンマと似たようなことがやっぱりアウトライナーであっても起こるんですよね。
複雑な階層構造、深い階層を掘って細かく構造化しておうと思っても、
その納得した感覚をそのまんま人に説明することはほとんど不可能である。
確かに。
だから、それを考えると、
さっきのアウトラインで考えたことをすべてアウトプットするわけにはいかないというところに戻っちゃうんですよね。
なので、何をどうアウトプットするかという、そこが実はプロセスの部分であって、
中間のプロセス部分といったのはそこの部分じゃないかと。
複雑なものを切り出して並べ替えて説明できるようにするっていう部分を担うのがアウトライナーなんじゃないかなと。
42:00
少なくともアウトライナーの役割の一つなんじゃないかなと。
その作業自身が、たとえアウトライナーを使おうが、知的負荷をゼロにすることはないわけですよね。
ないです。ないですね。
てか逆に知的負荷がゼロってやってないのと多分一緒なんですよね。出してないのと一緒なんで。
外に出すってことは知的負荷を減るということと多分同義なんですよね。
逆にROMでもスクラップボックスでもいいんですけど、テキストをリンクにする行為で情報がつながる行為って知的負荷がゼロなんですよ。ほぼ。
完全にゼロではない。どの言葉を選ぶかに知的負荷はあるんですけど、
自分がこの2つがつながっていると思ったことを言葉にするということの負荷はないんですよね。
ない。
結局、自分が求めていたエウレカ的なものはやってこないんですよね。結局。
つながっていることがわかっただけっていうことで。
つながっていることがわかったっていう感覚、つながっていることがわかったっていう言葉ですらなくて、
こういうことだっていう心象風景を言葉にするってものすごくしんどいんですよ。これ。
だから、ものすごくしんどいことをしないと、これは望むものが得られないんですよ。
ということを僕はようやくわかってきてるんですけど。
そうですよね。
ツールを使えば、どこかの時点でその落差が段階的に上がっていって、ある時からもう抵抗ゼロで、
その奇跡なものが生まれ始めるっていうことがあるのかなと思ったんですけど、ならないんです。
このことになりました?
いや、なんかこのうまいことやっていけば、だから着想を書き留めるのはすごく楽なんですよ。
はい。
で、この着想の言葉をキーワードにしてリンクするのも簡単ですよ。
はい。
でも、これとこれがつながっているっていうのを記述するとものすごく大変なんですよ。
はい、そうですね。
ここをゼロにはできない、とか、ここがたぶん一番の肝なんですね。おそらく。
そうですね。はい。
ここを大切にしようっていうのが僕の最近のコンセプトで、実は僕が最近書いている本の第6章もそれが担当なんですけど、
文章化は避けられないよっていう話。文章化こそが知的作用の一番大切なところだよっていう話。
はいはい。全くそれは同意ですね。
だからそのツールだからその手間をゼロにはしてくれないんですけど、逆にその文章化する。
例えば、絵売れ家的な発見があってそれを文章化するっていう一番しんどいことを肩代わりはしてくれないんですけど、
それ以外の、例えば紙のアナログノードだったらあっちめくってこっちめくって、これとこれがつながっているっていうそのプロセスを代替してくれる部分があるわけじゃないですか。
45:08
だから一番しんどいところはやってくれないけれども、その周辺のところはやってくれる。
だから全体の手間というか労力は確かにツールが軽減してくれるっていうところはあって、それがツールの意味なんじゃないかなと。
そうですね。
思いますよね。
でもコンテキストというか、ツールは常に楽にしてくれますよって歌うじゃないですか、アピールするじゃないですか。
そうすると全ての苦労がそれによって消えてしまうような幻想を引き起こすんですよ。
このツールを使っていけば、webクリップボタンをどんどん押していくだけであなたの知的財産は貯まりますよっていうことを別に直接言わないようにしてもそんな感じがするんですけど。
でも知的分様化するという作業を経ないwebクリップの増大というのは何の知的価値にもなってないんですよね。
こういうことを言うとなんですけど。
そうなんでしょうね。
倉庫を作るのは極めて簡単ですよね。全部クリップしていったりだけなんで。
これはもう簡単に、しかも簡単にというかアルゴリズムでできますよね、きっと。
自分の思っていることを全て管理するというのは脳のコピーを作るテクノロジーまでいかないとダメだと。
そうじゃなくて、自分のワークを支えるものとしてツールを使う場合って、そのワークの中には必ず頭を働かすっていうことが含まれるわけで。
どんなツールを使ってもそれはゼロにはなり得ないと。
そういうところがスタート地点かなと。
今更なんでこんなことを確認してるのかって気もあるかもしれないですけど、
そういうツールがもたらす解放みたいな幻想は僕も長年持ってたんで、
特に昔の頃ってMementとかあって、MementってLifelogの総合版みたいなやつなんですけど、
使ってる人ってすごいイメージとしては楽チンに情報操作してるんですよね。
思っただけで情報が出てきて、それが簡単につなげられてみたいな記述があるんですよ。
それに引きずられると、知的作用の最終的な未来もそっちに行くんじゃないかなと思うんですけど、
結局その一番泥臭い部分は絶対に残るんだなと。
その泥臭い部分をいかにちょっとでもやりやすくするのかっていう点で、
Scrubboxは実は大変優れてるんだなと改めて思った次第ですね。
まさにそうですよね。
多分このアウトライナーは倉庫なのか、何場所なのか。
48:02
ワークスペースが僕は一番近いイメージですけど、
出発点があって終わりがあって終わったら消すっていうぐらいのイメージがぴったりですけど、
その考察は多分もう一回記事が出てくると思うんで、
今まで実は前振りだったんですけど、冒頭部分に、
冒頭部分に、なんでアウトライナーがベタであるとはどういうことかっていう話で、
私はアウトライナーとともに情報管理の系システム、エコシステムを作り上げるということができなかったかっていう疑問があって、
さっき言ったその、系っていうことが多分重要なんですけど、
倉庫じゃなくて系っていうことがポイントなんですけど、
その一つの理由としてきちんとしている感に負けているっていう話が出てくるんですよね。
これは非常にアウトライナーでよく出てくる問題だと思うんですけど、
アウトライナーっていろいろな意味できちんとしてるんですよね。
見た目が、特に見た目がね。
アウトライナーのきれいな構造を、つまり全てが再起的に再現できる構造ですよね。
だから多分、数式で記述したらものすごい簡単に記述できるはずなんですよ、あの構造は。
決して複雑にはならない。
もう一個は過剰書きである、頭にバレットがついている過剰書きを促すが故に、
過剰書きになってしまう。
この二つが多分問題提起だと思うんですよ。
アウトライナーが構造的にきちんとしていることっていうのはもちろん意味があるわけじゃないですか。
アウトライナーが部分部分でアウトライナーじゃなかったら、
それはもうアウトライナーじゃないわけじゃないですか。
だから最近崩れてたアウトライナーじゃないじゃないですか。
これはもう仕方がないですよね。
アウトライナーを使う以上は仕方がないし、そのメリットも当然あると思うんですよ。
逸脱。
ある構造の中に絶対にあるっていう安心感というか、
部分部分で内容が逸脱していくことは可能やけども、
それを再現することで絶対にある構造化になる。
ツリー構造化に配置できるっていう、そういう型というか、型として機能してくれるっていうのが、
それがなかったら、ただのテキストでいいじゃないですかね。
そこはアウトライナーを使う以上問題ですけど、過剰書きですよね。
バレットが飛び起こす過剰書きの制約というか、法団ですかな、どっちかっていうと。
文章を書く気になりにくいっていうのはよく聞くじゃないですか、頭にバレットがついてると。
それ以上に、余計なことを書きにくいっていう話があるんですよね。
これがさ、なんかもうやっとしてるんだけどさっていう、
心象的な記述をしにくいっていうことが書かれてて、分かるようなと思ってたんですよね。
それは過剰書きっぽくないというか、過剰書きの場合はもっと、
51:00
だからタスクでいうと具体的な行動かけみたいな、流度に整えたくなるというか。
それは多分、アウトライナーが要請してないものですよね、あれは。
要請はしてないですね。
でも、要請されたのって書いてしまうことに、アウトライナー使い下手問題は結構起因するんですよね。
だからそこのビジュアルな情報からどれだけ影響を受けるかっていうのも、おそらく人によって違ってるんですよね。
いや、俺はそんな気にならないよ、別に文章書けるよっていう人もいれば、
もう頭に点があるだけで、嫌なんだと。こんなところで書けるか文章かって思う人も当然いて。
だからそれはやっぱり一概に言えないんですけど、
ただ、やっぱりその流度と、
一つのことが一度重複しない、
っていうことをアウトラインを作る段階で気にするというのは、おそらく一番アウトラインの力を発揮させないことですね。
そうなんですよね。でも逆に、過剰書きっていうのは、
昔の日本でいうと縦紙に書かれてたようなやつですね。
一つ。
一つってやつ。だからあれは、すべての情報の流度とフォーマットが定型であるっていうことの意味ですね、過剰書きっていうことは。
だからあれに慣れてると、アウトラインの1項目と2項目の流度が揃ってないと気持ち悪いってことになるんですよね。
そうじゃなくていいはずなんですよね。
そうじゃなくていいはずってか、そうじゃないからアウトライナーを使うという意味か。
だからさっき言ったアウトラインが途中の処理に使うっていうのは、
一つの理由というか、
これが成果物だと思うとすごく気持ち悪いけれども、
あくまでも操作している途中の状態だと思うことによってそれを許容できるみたいなところがあるんですよね。
流度が揃ってなくても、PCじゃなくても、
いやこれは今動かしている途中だから、要するに机の上散らかってるけど、今これ整理している途中で、
引き出しの中身全部出しちゃってるところだから散らかってるんだよっていうのと同じ意味合いで、
僕としてはアウトラインというかアウトライナーというのは、
そういう途中の状態で使うものだという感覚があるんで、
だからあんまり気にならないのかもしれないですね。
そこがアウトライナー使い下手問題を乗り越える一つの多分大きな意思でしょうね、きっと。
それを越えると結構楽に使えるというか、
54:00
例えば本の6章とか6章の章題をアウトライン上で整理するとするじゃないですか。
それぞれは第6章の下には見出しが並んでいるわけですね。
それぞれの章の中身の見出しが並んでいると、中身が折りたたまれているというときに、
新しくその章について考えたことがあったとして、
同じ階層にそれを並べることに強い違和感があるんですよね。
はいはい、わかります。
見出し以外のこと、いわゆる内容についての内容なんで、
メタなことを同じ階層に並べてしまうことに、
抵抗感というか罪悪感というか気持ち悪さがどうしようも生まれてしまうんですよね。
はい。
だからさっき言ったアウトラインの形式が要求するものなのか、
僕が持っている規範性が発揮されているのかはわからないんですけど、
でもね、それをすると結局プロセスにならないっていうかな。
その成果物になってしまっているよね。だからその見出しが。
順番を変えられる成果物っていうだけになってしまっているというか、
インプロセスになってないんですよね。
インプロセスになっている状況っていうのはどういう状況かというと、
さっき言った見出しの上とか下に、この並びはこうやけどこうやと思うみたいな文章を
もうダイレクトに書いちゃって、それを見ながらアウトラインを編集していくってことが可能で、
その書いた文章を後で消してもいいし、どっかのアウトラインに形を変えて組み替えてもいいしっていうことが、
そういう操作ができるのがアウトライナーなんですよね。
そうですね。
だからでもそこはね、なんかこう気づかないというか。
だから一種の、その見出しがならないときに僕の中でそれは見出し操作ツール、
特化型見出し操作ツールのように見えてしまっているというか。
はいはいはい。
本来そうではないんですけど、その瞬間だけ特化型に見えているところがあって、
それをかなり長い間解消できなかったですね、本当に。
つい最近ですよ、それ書けるようになったの。
逆に言えば、すごくビジュアルからの影響が強い人にとっては、
それが多分、その人にとってのアウトライナーというツールの限界になっちゃう可能性もあります。
なるほど、なるほど、確かに。
ただあともう一個、そのアウトライナーがきちんとさせようとするような圧力をかけてくるっていうのは、
実はメリットもあって。
そうですね、はい。
というのは、例えば第7章の下に思いついたことを書いて、そこに書くと気持ち悪いっていう話があるじゃないですか。
それは、あれ、これがここにあると気持ち悪いって感じさせること自体が、
これはここに属するものじゃないんだっていうことを感じさせてくれてるわけですよね。
これがもしかして、もしフラットなテキストエディターだったら、なんとなくそこに書いちゃえるかもね。
そうですね、はい、書いちゃいますね。
これはここに、すごくこの属するものじゃないっていうその居心地悪さがそこから立ち上ってくるような感じ。
57:05
だからこれをどっかで動かしたい、これをどこに動かせばいいんだって考える。
それを考えさせられちゃうっていうところも実は結構アウトライナーの意味なんじゃないかなとも思いますね。
アウトライナーのきちんと性っていうのは弊害もあるんですけど。
はい、だからそうですね。
だからさっきも僕が言った、見出しの中に文章を書くと、当然書いてると気持ち悪いからそれを解消しようと思って、
解消するためにそこに書かれた、要するにこうした方がいいっていうのはタスクですね、簡単に言うと。
まあ、Doかな。
はい。
なのでそれを解消しようと思って、遂行するわけですよね。
はい。
行動が要請されてるわけですよね、違和感によって。
そう。
で、違和感がなければそのまま放置してると思うんですよ。
だからテキストエディターで同じことしてても、同じような行動要請力は多分ないと思うんですよ、きっと。
はい。
だから確かにその、整えようとする力を持つということを利用できるんで、
だから先回りしちゃってるんですよね、だから。
気持ち悪さを自分で先回りして書かないようにしちゃってるんですよね。
あー、はいはい。
だから逆に気持ち悪さを利用してないんですね。
そうそう、そうですね。
あらかじめ安全に行っちゃってるところがあって、そこが多分、分け目なんでしょうね、きっと。
そうですね。
気持ち悪さを利用するっていう言い方はすごくわかりやすい気がしますね。
うーん。
ただ、とはいえ、ぶら下がりの中ぶらりんの状態がずっといろんなところにあって、
これがここじゃねえぞ、ここじゃねえぞって自分に訴えかけてくるのってすごく、
嫌じゃないですか、嫌っていうか、しんどい。
まあそうですよね、心的負荷もありますよね、はい。
だから、じゃあとりあえず、そういうものだけまとめて、
ミシオっていう身なしを作って、そこに全部入れちゃおう、退避させちゃおう。
そのことによって、精神的な負荷をちょっと軽くするっていう、
まあそこはもう、おそらく工夫の範疇だと思うんですけど。
うんうんうんうんうんうん。そっかそっか。
ただ、そのミシオに移動させるのも、気持ち悪さを完全にゼロにするんじゃなくて、
ちょっと下げるだけでね、だいたい完全にゼロになったらもう処理されなくなるわけですから。
その、気持ち悪さが膨れ上がりすぎないようにするっていうぐらいの措置ですよね。
そうですね。あと、第7章に第7章じゃないことがぶら下がってると、
まあ単純に第7章を編集する邪魔になったりするわけなので、
まあ邪魔だからちょっとこっちで解けとくっていうのがありますよね。
うんうんうんうんうん。確かに。そっか。
だからそのアウトライナーがある構造を移動させる心理的要請を発生させるので、
例えばアイディアっていう大項目を作って、そこに日々思いついたことをずらっと書き続けていくのって、やっぱ無理になるんですよ。
1:00:01
はいはい。
これ、記事書かれてる方もおっしゃってて、僕も激しく同感したんですけど、
10個や20個のうちはね、大したことないんですけど、
100を超えてきだすと、結局それぞれの項目が「位置づけてくれ!位置づけてくれ!」って言い出すんですけど、
でも、もうその頃には手に負えないことになってるんですよ。
項目が。で、もう無理やっつって、もう諦めて、ただ項目を増やすだけになっていって、やっぱ無理になるっていうことがあって、
それがだからアウトライナーが、アイディア保管庫は違うな。
倉庫ではなくて、育てていく、苗床?ぬか床?
ぬか床的にアイディアをフラットに保存しておいて、それらを徐々に育てていくための装置として使うのは多分無理なんですよ。
無理というか、フラットに並べるのが無理であって、アイディアを育てていくことが無理ではないんですよ。
だから、もっと局所局所にちゃんと構造をして、文章化していくことをしていけばいけるんですけど、
思いついたことを縦一列にダーッと並べたら、案外がうまいこと進むっていうのは幻想やということを僕は学びましたね。
そうですね。でもそれってGTDのインボックスパンク問題と実は同じことで、
ただ思いついたことをどんどん、いわゆるブレインダンプ的にそこに放り込んでいくと、
ある数を超えると手に負えなくなっちゃうんですけど、
ただそれも、例えば100項目入ってたとして、それを全部整理しようとするとできないとしても、
その100項目のうちの一つ、何て言うんでしょうね、
伸びしろがあるというか、広がりのある項目があるとするじゃないですか。
それと、その100項目の中の別の項目を2つにくっつけて、それが育っていって、それが見出しを持ったとするじゃないですか。
で、見出しを持った瞬間に、その100項目があったうちの10個ぐらいが入るっていうのがわかったりするんですよね。
だから100項全部整理しようとするとできないけれども、全部整理しようとするのを諦めて、
そのうちの1個なんかこう形にしていくことによって、
気がつくと入れられる、入れ整理する場所ができるっていうこともある。
だから全部位置付けようとするとダメだけれども、
一部でいいと割り切ることによって、結果的にかなり整理できたりするっていうことが起こるということを発見しましたね。
それはね、僕はね、だいぶ長い間気づかないといけませんでしたね。
だから、全部並べてるんだから、全部やりたいっていう気持ちがあるわけですね。
1:03:05
1個にやるのはなんかこう、弱々しい決断のように聞こえるというか、中途半端っていうかな。
1個だけやるっていうのは、いかにも中途半端。
俺らはこの全部をやるからこそ、これ並べてるんだっていう感じもありますし、
あとね、並び替えはするんですよ、アウトライナーやから。
しかしもの。で、それをグルーピングはするんですよ。
でもね、レベルアップはしないんですよ。なぜならレベルアップはめんどくさいから。
つまり、ある共通の、エバーノートやったら、エバーノートっていう極が含まれている項目を1箇所に集めると。
そこまではいいきっと。で、とりあえず断定のX、エバーノートっていう項目を作って、そこの下に集めることまではすると。
そこまでは日常のアイディア思いつきと、整理のルーチンの中でそれぐらいはできるんですよ。全然。
でもそれだけなんですよ。レベルアップするためにそのエバーノートにちゃんとした見出しを与えなきゃ。
今ラベルを貼っただけですけど、見出しをエバーノートの有効活用術とか何でもいいんですけど、
なんかこう名前をつけることで初めてそれが僕の中でのレベルアップになるんですけど、
それって結局知的負荷なんですよね、さっき言った。で、それを避けてしまうんですよね。
特にアウトラインの並んだ100項目、上から下まで眺めていくと、見出しの予備群みたいなのをいくつも思いつくんですよね、脳の中で。
それらが絡み合うんですよ。絡み合うとどうなるかというと、一つの名前を与えることが切断である、
有限化というと、最近プラスの意味だからもっとマイナスの意味でいいですけど、ある可能性を狭めてしまうように感じるんですよね、名を与えると。
それがどうも抵抗感があったんですよ。名付けをしない限り可能性は無限大じゃないですか。
その無限大はある種の楽さでもあって、可能性を保ちつつ自分が楽っていうこの状態を常にキープしてしまうんですね。
だからアイディアは溜まるし、グルーピングされるけど、いわゆる文章化されない。永遠に。
これでは望む結果を得られないっていう。逆にさっきのたくさんが言われた、一個でもいいから、なんかしてみる、まとめてみるっていうことを、僕は結局スクラップボックスでやってるんですけど、
機能3つかな、関連するノード3つスクラップボックスで書いたんですよ。
行法的には短いですよね、一個500文字くらいかな、多分。3つ書くのに1時間かかりましたよ、3つのノードを書くのに。
でもやっぱりそれやると、そこにまとまった感があるんですね。
根が、新しい花とかを買ってきて、家の畑に移し替えて、土をちゃんと整えたら根が張ったっていう、その根が張ったような感覚があるんですよ。
1:06:08
これまでワークローリーとかエヴァノートでアイデアノートを貯めました、それを入れ替えたり、マージしたりしましたっていうので、得られなかった、ちゃんとできた感が。
初めて得られたんですよね。これが足りてなかったんやなと。
分かりますね。
3つのノートって、僕だったらRサイドだったら1つの記事に書いてしまうようなことなんですね。
僕が3トピックスあげて記事にするのに。それをわざと、わざとっていうか、意図的に1トピックずつに分けたんですよ。
この方が簡単そうに思いますけど、この方が難しいんですよね。
一個一個のタイトルをきちんとつけて、そこの内容に収めることをしなければならないんで。
それをすると非常にまとまった感と、別のことを書いているときに、その一個に切り出したページを参照できるようになるんですよね。
当たり前ですよ。それがむちゃくちゃ世界ですね。だからこれが、いわゆるネットワーク化なんだなと。
これが、さっき言ったROMで言葉をリンクにしてつながっているのとはまるで違うんですよ。
そのROMでたまたまつながっているというのは、同じキーワードを保有しているということだけですけど、
僕がその場合は、明らかにあれについて言っているって自分でもわかって、そのページにリンクを貼っているんで。
ノードの分布をネットワークズーで見ると変わらないように見えますけど、僕が持っている認識は全然違うんですよね、その2つ。
それ大事ですね。
それがようやくわかってきたなと。だからそのことが全然わからないままに、集めるだけ集めて、こにゃこにゃしたら何かあったらいいのかということを、
どこから影響を受けたのかな、ずっと思ってましたね、それを。
でもそういうイメージってありますよね、サンカーの。
昔読んだ地域生産経営の技術からそういう印象を受けたのか知らないですけど、
でも梅沙男さんの本でもカードを書くことが大切だって言って読んでるはずなんですけどね。
読んでるはずなのに何もわかっていない。
だからその思いつきを書き留めてっていうのは、例えば梅沙男さんの言い方で言うと、発券の手帳っていう言い方があるじゃないですか、あれはカードじゃなくてノート。
ノートとかメモとかですね。
それがたぶん途中でカードに変わったっていう話だったと思うんですけど、
その発券の手帳にしてもカードにしても、たぶん書いたことを全部使ってどこかに位置づけなきゃいけないとは書いてない気がするんですよね。
カードを送ることによって、このカードとこのカードの関連が見えてくるっていうことは書いてるけれども、
そのカードを全部一つの何か、体系的な何かに位置づけましょうとは、たぶん一言も書いてない。
1:09:06
けれども、そうだから、一個の思いつきを全部書き留めたのをアウトラインならアウトラインで全部使おうっていうのは、たぶんそういう、それをやろうとしてるみたいなことになっちゃうんですよね。
でもたぶんそんなことはそもそも不可能で、
思いついたことのたぶん90何%は使わないんじゃないかと思うんですよね。
まあそうでしょうね、きっと。
っていうかそう思っておいたほうが良くて、
100ある中の5とか10使えたらいいつもりでやって始めて、うまく動き出すというか、
100全部使おうとすると身動き取れなくなるんですよね、たぶん。
そうですね。
だから物理的な意味でもそうですし、脳でいうと、新しく思いついたことを一個一個に対して100個思いついたことに位置指向を向けるよりも、
一つ思いついた位置に対して100の指向を向けたほうがいいんですよね。
はいはいはい。
それが僕の場合は、どっちかというと新しい方にずっと指向が向いてて、
思いついたことをちゃんと文章化するということに知的資源を割り振ってなかったというか。
だから結局別の言い方するとカードを書いてなかったんですよね。
カードを狂っている方はずっと注目してたんですよ。
カードを狂っているのは書いたことを見返して入れ替えて組み替えてということをやったんですけど、
そもそもカードを書くという、ブログの記事は書いてたんですけど、
あれは結局カードじゃないんですよね。
他に参照できる短い形になってないというか、
さっき言ったように、このことってこのカードってこのページと繋がっているなってストレートに出てきにくいんですよね。
僕の記事って2、3個の要素を混ぜ込んでいるんで、言い出しにくいというか。
小さい流度でいいんだってこの形にしておけば、
思いついた時に自分が参照できるということを体感するじゃないですか。
例えば実際にページを書いている時に、いくつかの短い言葉だけでスクラップボックスがページ引っ張ってこれるんで。
そうすると、さっき言った文章化してしまうことが可能性を狭めることになるという感覚を上書きできるんですよ。
つまり、いくつも書いていくつもリンクをつければいいと思えるんで。
だから、有言化というよりは物質化?素材化というか、他にも使える形になる。
転用できるという可能性を持った有言化?
一回文章化する有言化を減ることで、別の使い方ができるという多様性を得られるということですね。
1:12:03
多分でも使えるようにするためには可能性を限定しなきゃいけないんですね。
一回限定していると思います。そういうことだと思います。
これは結構、アウトライナーというか情報ツールを使うことってどういうことなんだろうというかなり本質的な考察だと思いますね。
この記事、一連の記事で組まれているのは。
ただ、倉下さんの口から自分は文章化していなかったという言葉が出るとは夢にも終わらなかったですね。
だから、マメロン文は書いてなかったというべきかな。おそらくは。
論文を書いたってことですか。
そうそう。素材じゃなくて成果物を作っちゃってたっていう。別に悪いことじゃないんですけど、自分でも分かるんですけど、ブログにしてしまうと操作しにくくなるんですよ、後で。
そうですね。
それはアウトプットをたくさん作ってるけど、アウトプットの土台となるネットワークで言うと、ノードが増えてない感じかな。
そこが自分の中で物足りなさだったんじゃないですか。
今は適当な用語を作ったらちゃんとページにして、それを参照可能な形にしておくんで、そういう地味なことをしてこなかったですね。
そう考えたら、僕は全然そういうことをしてないような気がしますね。
僕はそういうことに憧れが強いんじゃないですか、きっと。すごくそうやりたいという。
そうか。僕全然マメロン文は書いてないですね。そういう意味では。
マメロン文的なものを書いてない。
アウトラインを作って、まだ使ってないもののアウトラインを作ってはいるんですけど、その中身はマメロン文というものではなくて、やっぱ断片なんですよね。
ただその断片が集まって、何か一個のものになる時には、マメロン文じゃなくて、論文になってしまう。
論文というわけじゃないですけど、結構複数の要素がくっついちゃうんで、
今倉下さんが言ったような意味での、有限化を得たマメロン文的なものにはなってないと思うので。
って考えると、そういうものは僕は作ってないんですよね。
僕も結局ずっとブログ主体でやってきたんで、今までほとんどなかったに等しいですね。
ブログという身近なメディアのせいで、マメロン文というステップを省いて、いきなりプロダクトを作れてしまうというメディア状況があるから、
マメロン文を作ることにあまり価値を感じにくいっていうのはあるのかもしれないけど。
いきなりプロダクトを作れることがいいことだという観念の方が多分、強いわけですよね。
1:15:10
それについてはどう?
僕は最近それは、メリットもあるけども、デメリットが最近目についてくるなと思って、
今、小説を書きたい人って、小説家になろうとかに、いきなり作品をアップできるじゃないですか。
終作という概念がないんですよね。
終作って、小説家を見ても分かるとそんなに大したもんじゃないじゃないですか。
そこで評価が決まっちゃうわけですよ。それは結構辛いことだなと。
なるほど。それは分かりやすいですね。
実験的とか試験的なとか、あるいは寛容な目で評価してくれる人たちで一回見てもらうみたいな現場がなくて、
いきなり現場とされて、戦場に叩き込まれるわけですよね。
これは、初めから強い人でないと勝ち残れないゲームじゃないですか。
確かに。
だからそれは結構危険というか、あんまり全体にとって良くはないなと。
発表の機会が増えたから良いことかと思いきや。
その代表として間接的な、反クローズドな発表の場が目立ちにくくなっているという弊害があるということですね。
なるほどね。
僕はあんまり気にしないですけど、これで良いのかなと思う人たちはいっぱいいるでしょうし、
そういう人たちがチャレンジしにくくなると、ここまでウェブが当たり前に使われるようになると、
逆に自分なんかがブログを書いて良いんだろうかと思う人は多分出てきているでしょうね。
そうか。まあ、いそうですね。
だから何でも良いんですけど、カーソルとかそういう打ち合わせキャストとかのゲストとかで、
仲間内でこういう原稿を書いたんですけど、読んでみてもらえませんか?みたいな場があればいいなと思うんですけど。
そうですよね。
まあ、でも、そうか。ごめんなさい。
最近実践しているマメ論文を書くっていうことの良さというか、面白さというのは、
他の人が使える概念がそこにあるってことなんですね。
リンクできるものがあるっていうことですね。
そういうことです。だから何でもいいんですけど、最近慣れたかな。
モーニングキャンピングっていうページを作ったんですよね。
キャンピングってこのプロジェクトのページの中にキャンプが入っているからキャンプするっていう。
朝一にそのキャンプのプロジェクトを一個作るっていう、ただそれだけの行為なんですけど。
それを作ることで他の人たちがその用具を使うこともできるし、批評を向けることもできるじゃないですか。
1:18:00
概念を小さいうちから育てていけますよね。
ブログでいきなりこれはこう考えてるからこうだって論説をぶつと、もう完成してしまってるというか、育てないままに出来上がってしまうっていう感じがあって。
だから小さいうちで切り出していくと他の人の考えがぶつけやすくなるっていう意味で。
だから育てるという意味ではいきなりプロジェクトよりはちょっとずつちっちゃく出す方が広がりがあるというか。
だから今までずっと個人作業、ブログも含めて個人作業をやったんですけど、
なんかこう、何ていうの、共同的な知能育み方というんですかね。ちょっと大げさに言うと。
いうことが小さく切り出すことで初めてできるようになったなと。それは結構メリットですね。
それやっぱりスクラップボックスっていうツールがあるからってこともありますね。
ですね。出なかったことを考えなかった。
一人でやることがメインで、複数でやるのはおまけみたいな位置づけやったんですけど、
さっきのゴブゴブとかちょっと逆になりつつあるというか。みんなで考えた方が面白いよねって。
言ってて当たり前だったと思うんですけど、みんなで考えた方が面白いねって風になってきたって感じですね。
そう考えるとツールとか環境とか大事ですよね。
大事です。小さく出せるというのも結構大切で、結局ツイッターも小さく出せたからですよね。
あれ論文発表とかで出てくる話じゃないですよね、このアウトライナーの話とかっていうのは。
雑談のテイストがあるからこそ出せるっていうことがあって。
やっぱりこういうやりとりを経てると、たくさん今書かれている本にも少なからずの影響が出てくると思うんですよ。
これは僕が言っている共同的な地位の一つの現れ方だと思うんですよね。
みんながアウトライナーについて考えてるけど、一言も喋らない世界って結構寂しいじゃないですか。
小さく出していける場としてツイッターはもちろん優秀だったんですよね。
それに比べるとブログってちょっと最近は大げさになってきていて、あんまりミニミニシーエントリーは書けないと。
でもツイッターやと流れてしまって地位の収縮っていうのが難しいっていう意味で、スクラップボックスはちょうどいい塩梅の位置づけになってますね。
それがやっぱりロームじゃないや、オブシリアンだとやっぱりそうならなさそうな感覚は。
ロームでもオブシリアンでも基本的に共有じゃない、ある一人用のツールなんで。
パブリッシュはできますけど、結局呼んでもらうだけという感じになっちゃいますし。
そうですね、一人でやってパブリッシュですね。
だからその前段階のアウトプットになる前の考えをお互いに持ち寄るっていう役割とは言えなくて、みんなでウィキを作ったそういうイメージならいいんですけど。
1:21:08
そういうのじゃないですね。
そこが一番スクラップボックスの特徴なんですね。
おそらくそうだと思います。
元々だからツールの原型が研究室でチームの状況に使うために作られているので、もう始めからチーム思考なんですね。スタートから。
その辺が個人ツールとして始まったツールとの大きな違いで、でもやっぱり単純に考えて、一人で何か考えるよりも何かで考えた方がいいんですよ。
いいというか、良い結果が出てくる。
集める人とか、一つのコミュニケーションの取り方の問題はあるにせよ、一人でモンモンとやっているだけで、知能が広がるとやっぱり狭くなってしまうんで。
僕もずっと一人でモンモンとやっていて、それが大幅に正しいだろうと思っていたんですけど。
部分的には、昔のブログって交流ではないですけど、その一つのテーマについてみんなが意見を出しているじゃないですか。
そこに技術的な場があったわけですよね。それらが全部なくて、たくさんがアウトライナーだけって書いている。他の人がそれをただ読んでいるだけっていうのは、多分、知知能広がりはないと思うんですよ。
コメントをもらえたりとか、他の人がそれについて言及するっていうことがあったから、面白かったと思うんですよね。
それをもっと小さい形で、自分がブログを持っていなくても参加できるっていう意味で、スクロープボックスがいいなっていう話ですね。
今だって、こうやって、ポッドキャストで喋っているのは、そもそも僕のブログに暮らしたさんがコメントをつけたのが始まりですからね。
偶然というか、僕もそこでちょっと勇気を発揮しているわけですよね、本当は。
いや、僕、2009年とかだと思う。
僕、本出してないあたりですよね、きっと。
いやいや、出してます。
10年くらいですね、きっと。
それで、僕、ブログの記事にコメントがついてるなと思って。
リンクがあったから、リンクをたどったら、R.Styleに飛ぶじゃないですか。
で、この人、俺が持ってるEvernoteの本を書いた人じゃん、みたいな。
そういうことが昔は起こったんですよね。
そうそう。
結構興奮した覚えがあります。
その頃って本当に冒頭で言ったフラットな関係があったんですね。
それぞれの人が自分の考えを持って、それぞれに考えを提出するっていう。
流行に乗るわけでもなく、周りに合わせるでもなく、それぞれが異なった活動をしてるんだなっていうやり取りがあったんですよね、わりかし。
最近はもうちょっとアフィリエイト方向に慣れすぎてるというか、傾向がある。
だからその中で野良鉄さんの議事は久々に興奮しましたね。
いやー、興奮しましたね。
ブログってこういうのだよなって感じがしますね。
1:24:02
これならやっぱりR.S.S.使ってても読みたいっていう感じがしたんですけども。
またこれで、そのブログのまだ終わってもいない連載で、ネタに90分喋っちゃうわけなんですね。
こういう、直接知ってまいが情報とか知り合いが交流するっていう流れを止めないばかりか、もっと促していくっていうことをしないと、
結局自分の考えてることって限界性が必ずあるんで。
だから閉じこもっていっちゃいますよね、そういうのって。
だから部分部分で、本を書くっていうプロダクトもそうですけど、それ以外にちょっと小さなテーマを出していけるっていうことは、
自分にとってもいいことですし、他の人が見たときに、やっぱブログって面白いよねって言ってもらえる良さでもあるかなと。
ですね。
今日はこんなところにしときましょう。たぶんまたこの話が続くと思いますけども。
そうですね。
もう何分あたりで何の話をしたのかもやはりわからないですよ。
アウトライナーを総合的に使わないとか、アイディアをただ一列に並べて全部投稿しようみたいなことをしないっていうのが一つのコツと、
あと途中は気持ち悪くなってもいいっていうのを受け入れるっていうところ、これがたぶんこの話で一番大きいテーマですね、きっと。
そうですね。
気持ち悪くて自分が耐え難いっていうのは近くないと思うんですけど、
気持ち悪くなっちゃいけないと思ってるだけだったら、それは全然気にする必要がないと思います。
確かに。
そういう自分で作る制約によって何かの可能性を狭めてることって世の中にいっぱいあるんでしょうね、きっと。
ありますね。日々いろいろそういう話も流れていきますね。
そうっすか。
たくさん何かお知らせしたいこととかありますか。
特にはないです。
はい、分かりました。
というわけで今回の感想等あれば、#打ち合わせキャスト、ひらがなで打ち合わせアルファベットでキャストまでお送りいただければ、
クラシタかツイッターでチェックしたいと思います。
俺はアウトライナーを倉庫に使ってるぜみたいな話があれば、ぜひお知らせください。
いたら欲しいですね。
というわけで今回はこのまでにしたいと思います。お疲れ様でした。
お疲れ様でした。
01:26:35

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