1. うちあわせCast
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2020-04-09 1:12:16

第二十八回:Tak.さんと『Re:vison』(仮)について

第二十八回:Tak.さんと『Re:vison』(仮)について
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うちあわせCast第28回ということで、今回もゲストにたくさんお迎えしております。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回なんですけども、4月の1日から2人で始めたRevisionっていうノートで連載しているマガジンについてお話ししたいなと思います。
Revisionっていう仮タイトルをつけたんですけど、
表記として、僕が今勝手に最初のRだけを大文字にしてるんですけど、一応小文字のパターンもありますよね。
まあ、ありますね。
で、あと、ディビジョンズでもいいかなっていう思いもあるんですよ。
英語の文法的に合ってるかどうかは別として、ディビジョンズって結構言いやすいんですよね。
どうですか?そんな違いますか?
ディビジョンズとディビジョンズだったら、ディビジョンズのほうがしっくりくるんですよ。
最終的にどうなるかわからないですけど。
複数形にすることによって、ビジョンが複数あることを二重に示せるというか、意味的な効果もあるんですけど。
あと、他の似たタイトルとの差別化っていうのもあるんですが。
まあちょっとありますよね、似たタイトルのほうが。
最終的にどう落ち着くかわからないですけど、リビジョンもか。
Rは大きいほうがいいですかね、お文字のほうがいいですかね。
バランス上、そうですね。
全部小文字よりはちょっといいですよね。
あと、タイトルだよっていうことを示せる感じもするし。
そういう意味でお文字のほうがいいんじゃないかなという気がする。
とりあえずここはお文字で。
ちょっとSつけるかどうかは最後までないと思いますけども。
この放送してる時点でお互いがそれぞれ2回ずつノートで更新しておりまして、
僕はけっこうノートを使ってるんですけど、
たくさんのノートの感触はどうですかね。
ノートはですね、2年ぐらい前に1回ノートを何回か更新して、そのまま止まってたんですよね。
旧ブログ、以前ソネットブログでやっていたのをやめて、
どこかに引っ越そうかなと思って、どこに引っ越すのか決められないまま、
ちょっとノートにそれまでブログで書いてたようなことを書いて、そのまま放置してあったんですけど。
その当時に比べるとできることも増えているし、
世の中的なノートの位置もちょっと変わってるし、よりポピュラーになっているし。
03:00
そういう意味ではずいぶん感覚的には変わってますよね。
あとなんかブログよりも気軽に更新できるような感触を抱くんですけど、
それがなんでかなっていうのは、あんまりまだ考えてないですけど。
やっぱり自分のブログじゃないから、認識するコンテキストがちょっと軽いんですかね。
まだ歴史が積まれてないというか。
どうなんでしょうね。
あと見た目のカスタマイズの余地が少ないとか、
より良い意味での押し着せ感があるというか。
以前のミディアムとかもそうだったですけど、タンブラーとかもそうだったかもしれないですけど、
あんまり頑張って作り込む余地がない分、コンテンツに注力できるように作られてるなっていうのは感じますよね、以前から。
そうですよね。だから本文に関して言えば、文章と画像を入れるのと太字にするのとセンタリングすることぐらいか。装飾で言うと。
あとアイキャッチ画像を入れるか入れないかぐらいですもんね。
だから今回みたいに、文中にアウトラインの日本語を入れようとか思うとちょっと困っちゃったりすることもあるんですけど。
だから文章のコンテンツに注力するって意味ではすごくよくできてるなというか、
自然にそれができる感じはしますよね。
あと、自分で持ってるブログと違って、若干SNSよりというか、スキボタンがあるじゃないですか。
あれはどうですか、感触的に。
すごくノートをいっぱい使い込んでいると、あの中でいろいろやり取りする分にはいいのかなと思うんですけど、
現状それほどでもないんで、まだちょっと自分として何とも言いようのないところはあるんですよね。
書いた記事、投稿した記事に対して、言語ではない形のリアクション、
好意的なリアクションがかなり早いレスポンスで返ってくるわけじゃないですか、タイムで。
それは嬉しさも反面、気になりっさも反面というか。
そうですよね。ただブログが、昔のようにコメントがつくということがまずないようになっちゃったので、
逆に現代的な反応の仕方というか。
ブログの場合逆にコメントがなくなっちゃったんで、
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すごく以前よりも一方通行なものになったところがあると思うんですけど、
うまくそうじゃないようなところに現代的な形で留めている。
少なくともそういう努力をしてるんだろうなーっていうのを感じたりはしますよね。
あと他の人の関連記事が出てくるっていうのが、
あれもかつての、だいぶ性質は違いますけどトラックバックみたいなもの。
他人の記事と繋がるみたいなところを、現代的な形で。
全然性質はトラックバックと違いますけど、
そういうものが勝手に下に生じされるっていうのは、
割に面白いなというか、ブログにはないところだなと思うんですね。
同一プラットフォームでみんなが書いてるからこそ実現できるっていうやつですよね。
結構細かくスキ来てるかなとかってチェックされますか?
いや、絶対されるでしょ。
おそらくはね。
スキをつける人も基本的にはノートにアカウントを持っているんで、
スキをつけた人のアカウントを除きに行くっていうことができるんですよね。
それによって新しいブロガーを知れると、ノートの書き手って何ですかね、ノーター。
ノートリストを知ることができるっていうメリットはあるんですよね。
だからそういうのは面白いかなと思いつつも、
通知が気になってしまう人にとっては、割とあれ引っ張られるやろうなとは僕は思うんですけど。
そうですね。
結局そこが気になっちゃうという人は、どんな形にせよ何かしら気になる。
気になる人は確かにそうでしょうね、きっとね。
ただ単純にスキをしてくれる人がいると嬉しいっていうのは単純にありますけどね。
それはあるんですよね。
向こうに負荷をかけてないってことですから、反応側に。
僕メルマガをやってて、マグマグとノートの両プラットフォームで同じコンテンツを出してるんですけど、
マグマグってスキボタンがないわけですよ。
ということは、僕に何かを送ろうと思ったらツイッターのリプライするか、あるいはメールで返信するっていうことになるんですよね。
これもかなりスキが高いわけですよ。
だから当然マグマグ経由でメールで感想をくれる方もいらっしゃるんですけど、数は多くないんですよね。
そうするとやってる方としては、これ本当に楽しまれているのだろうかみたいな心配は当然出てくるんですよ。
09:04
ところが、メルマガをノートでやってると、スキボタンを押してもらえるんで、
ああそう、今後はそんなに悪くなかったんだみたいなことを確かめられると。
そうですね。
これは結構悪くない。
逆にやりすぎていいねボタン稼ぎみたいになってしまったらダメですけど、
自分の方向性をちょっと確認する意味ではいいなと。
でも有料メルマガの場合は、巨大な嫌いボタンとしての解除ってやつがあるわけじゃないですか。
はい、ありますあります。
それをされてないということは、好きってことなんですよね。
人によっては、そんなに読んでないけど、この注釈好きやから、
こう読しておこうみたいな人っているわけじゃないですか。
つまり、高読されてるからイコール読まれてるとは言わないんですよね。
スキボタンは読まずに押す人もいるかもしれないですね。
そう、読まない。
この人好きだから読まないけど撮ってる人は、
たぶん読まないでスキボタンを押したりもする人ですよ。
そこは言い方ですけど、スキがついていると、
ああまあ読まれたんだな、よかったんだなというふうに、
よりちょっと解像度が高く、そういう情報が手に入るかなと思うんですけど。
まあでもそういう反応を欲する気持ちというのは確かにあるので、
どれだけそんなものはないよと振る舞っていても、それは間違いなくあるんで。
ありますし、やっぱり有料コンテンツを販売している以上、
さっきも言ったように、お別れは突然つながってくるんですよね。
あなたのウェルマンがこの点が気に入らないんで直してくれませんかっていうやりとりがあって、
解除されるわけじゃなくて、突然解除されるんですよね。
だからあまりにも反応がない記事をたくさん投下し続けてたら、
たぶんそれはさすがにまずいと思うんで、
途中途中でしっかり自分の方向が合ってるのか間違ってないのかを確認していきたいんですよね。
そういう意味ではノートっていうのは確かに確認がしやすい場ではありますよね、きっと。
必ずしもいいねがつかなかったから悪いとは言えないですけど、
いいねがある程度ついてるんであれば、
それをある程度の好ましさを与えられてるんであろうとは思いますよね。
その話の流れでいうと、このリビジョンの連載もそうで、
一回一回の記事をオープンにして、最終的には本にするんですけども、
一回一回の記事をオープンにして投下していると。
その一回一回の記事に対して好きなりはならないのリアクションがもらえると。
こういう進め方も非常に現代的ですよね。
12:01
最先端を走ってる感があるのかよくわからないですけど、現代的ですよね。
ザクさんが今まで書かれた本は、アウトライナー系の本が3冊と、
エッセイというか小説風なものが1冊と、
対談をまとめた本が何冊かっていう形だと思うんですよ。
対談の本は書き下ろしとは言いがたいので取り除くとして、
アウトライン系の本って、一応下敷きとしては、
ブログに書き溜めていたものがベースというか素材にはなってたと思うんですよ。
素材があったのでそれをまとめて本にしたという流れだと勝手に思ってるんですけど、
このリビジョンっていうのは一応この2人で企画を立てて、
ゼロから書き下ろそうという流れになってるわけじゃないですか。
もちろん過去の素材もあるんでしょうけども、
新たに書き下ろすことも多分出てくると思うんですよね。
この新たに書き下ろすことの難しさ、新しさとかって感じられてます?
そうですね。
一応最初のアウトラインプロセッシング入門のときは、素材があったんですね。
その素材をぐっちゃぐちゃにして最終的には原件を留めなくなったんですけど、
一応素材があったということなんですけども。
ライフは一応書き下ろしに近かったといえば近かったんですよね。
ただ長い時間かけて書いてたんで、途中でその一部をブログに記事として載せたりしてたんで。
本になった時点ではいくつか一目に触れてた部分もあったと思うんですけど。
だからいう感じとしては、書き下ろしの感覚は一応それで味わってる。
ただ、締め切りが決まっていない書き下ろしと、ガチッと締め切りが決まっている書き下ろしはまた違うと思うんですよ。
ガチッと締め切りが決まっている書き下ろしって、僕たぶんやったことないんですよ。
本というか、仕事の報告書みたいなのがありますけど、本としてはたぶんなくて。
そういう意味では本当の意味の書き下ろしってやったことがないんだと思うんですよね。
現時点で難しさみたいな、まあ2回しか更新してないんですけど、難しさみたいな。
現時点では先がまったく見えてないというか、どうすんだろうこれ。
15:03
そもそも蔵下さんも、まったく呆れるほどトーンが違う。
この二つを本当に一冊の本にするつもりなのか、お前ら的な。
いやー面白いですよね。
何考えてんだろう。
そうですね。順番がずれてるんで、その回目で読みますけど、
3回目の記事はたぶん2回目の終わり方とすると、
デイリー・タスクリストの話をされるんだろうなというような終わり方をしてましたし、
僕も次の回ではデイリー・タスクリストの構成要素みたいなのについて話すんですけど、
まあこれもだいぶ違う形にはなるでしょうね。
これを一体どうやって最終的に一冊にするのかっていう。
まあでもそれはやっぱり、そういう不安なわからなさじゃなくて、
やっぱり面白そうなわからなさですよね。
そうなんですよね。
だからたぶんお互いに原稿を見せっこしないと進めてるじゃないですか、公開するまでは。
雑誌カーソルは逆に、本の出版に至るまで全部共有してたじゃないですか。
だからちょっと違うんですよね。
間違いなく違うし。
ある程度の長さが両方あるっていうのも違うし。
まあね、普通だったら文体ぐらい揃えるんじゃないかっていう。
いや僕は初めから、初めからかな、ちょっと1回目なんで、
軽めの文体で、非常に軽めの文体でいこうと思ってたんで、そのままいったんですよ。
ザクさんがちょっと違う雰囲気やったんで、
これはもう逆に違う雰囲気でもっといったろうというふうに、2回目は決意を固めたところなんですけど。
あれは、僕あれなんですよね。
携帯で書き始めたんですよね、たぶん。
うまく気持ちが乗らなくて、けっこう苦労して、うまく書けなかったんで、
逆に、要するにアウトラインプロセッシング入門みたいな文章で書いてたんですけど、
これさっきこれ飽きてんだろうなと思って。
逆に普段ブログで使ってるようなトーンの書き方で、
実用書系を書いたことがなかったんで、じゃあそれでいこうっていうか。
あれですよね。ワードピース文体ですよね、あれは。
うん、なるほどなるほど。
文体ってそういう、文体ということを真剣に言い出すと、単純なトーンとしてね、トンマナとして。
そうですね。
あの書き方をすると走るんで、ロジカルに落ち着いて説明するんじゃなくて勝手に走っていく感じがあるんで、
18:10
出てくるものがちょっと変わるんですよね。
なるほど。
それで実用書系、2回目は今まで書いてたことの焼き直しなんでそんなにあれですけど、
あの書き方でなんか違うものが出てくるのか来ないのかっていうのがちょっと面白そうではある感じですね。
一応、あと何回か文化のアウトラインというか、タイトルみたいなのを決めましょうか。
次の文までしか決まってないです。
僕は一応、順番を別としてこういうことを書こうかなっていうタイトルは決めてるんですけど、
これはたぶんたくさんのやつを受けて変わっていくだろうなと予感はビシビシしてますけど。
何も考えてないんですよね。
あれはもともと1回分の記事を書いただけだったんですよね、本当は。
だからそれの中で5センチぐらいになっちゃったんで、3分割してるんですけど、
その1回目分のストックしかないので、まだこの後どうなるのか全然。
本来に入ってからどういくのか全然決まってない。
あと3回分ってことはアウトライン、デイリータスクリストの部分はできてるってことですね、次の。
今はもうほぼ中身もできてますけど。
僕がそれを読んでどう書くかっていう。
僕の場合って全然1回目からあんまり決めてなかったんですけど、
2回目からは読んでる人に話しかける感じで、
なんか抗議帳というか、デイリータスクリストってこうやって作っていくんですよっていうテンションでまずは始めるとは思うんですね。
倉下さんは一応、仮でもアウトライン的なものが決まってる感じなんですか?
それは話の流れですね。
だからパワーポイントで言うと、一応終わりから最後までの項目は出そろってて、
細かい順番を入れ替えるかもしれないけど、こういうことを言おうっていうのは一応あります。
スクラッシュボックスに書いてあるあれですよね。
そうそう。あれですあれです。
あれさえ、他人のアウトラインさえ見ないようにしてる。
もの書きとしてはそこが失格というか、何か見るとダメになるんですよね。
それは影響されるっていうのは影響されるということだと思うんですけど、制約を受ける感じですか?それとも引っ張られる感じですか?
影響を避けるとかって言うとかっこいいんですけど、そうじゃなくてね、書けなくなっちゃうんですよね。
21:00
なんでなのかよくわからないですけど。
書けなくなるということは、自分の考えが展開できなくなるというふうに言い換えると。
だからやっぱり書いてあることに引きずられるんでしょうね。
自分の考えてることとの相互が気になってしまってみたいなことなんですかね。
そうなのかな。やっぱり目にした内容というか、その地面から離れられなくなっちゃうというか。
それはたぶん内容だけじゃないんでしょうね。さっき言ったように文体的なものもあるんでしょうね、おそらくは。
と思うんですよね。文章に先に走らせないと書けないところがあって。
はいはいはいはい。さっきの話と一緒ですよね、だから。
でも不思議なことに、クラシアさんの書かれた記事を読む分にはそんなにアウトラインを見るのがダメなんですよね。
そうかそうか。それは現象学的にだいぶ違うものなんですね。
あんまりこの話をしたときに、そうそう自分もって言われたことがないんですよね。
文章を読んじゃうと引っ張られちゃってっていう人はわりに、小説とか書く人はそういうことを言う人が多いですけど。
これ逆にね、文章を読んでもそれほど引っ張られなくて、
アウトラインを見るのがダメなんですよ。
同じ書こうとしているジャンルのアウトラインを見ちゃうとダメなんですよね。
それはたくさんのノートをアウトラインっていうツールと結びつけがめちゃくちゃ強いっていうことなんでしょうね、きっと。
たぶん見出しから考えようとしちゃうとダメ。
なんかのトラウマがあって、呪縛が必要以上にあるのかもしれないんですけど。
現象的には見出しから何か書こうとすると書けないっていう感覚があって、
書いたあとで見出しを立てる分には全然いいと。
はいはいはいはいはいはい。
だから見出しを見るのがダメなんですよ。
アウトラインを他の人であれ見てしまうと、その見出しがもう先に生まれてしまう。
特に今回みたいに、同じ内容について書こうとしてるわけじゃないですか。
はいはいはいはい。そうですね。
なおさら、ぐらしやさんが何を書こうとしているのかを知らずに書いているという。
まあそれはそれで、それが今回の醍醐味ではあるんですけど。
24:01
今回の醍醐味ではあるんですけど、たぶんこんなやり方を許容してくれる相手はそんなにいないんですけど。
まあそうかな。
結局僕としては打ち合わせキャストと同じノリでやってるだけのことなんです。
それが文章という体裁をとっているだけで、テニスの打ち合いと一緒ですよね。
打たれた球を打ち返すってことを繰り返すだけなんで、まあ難しくはないし。
僕の場合だったら、例えば人のアウトラインを見たら、
僕だったらこう組み立てるやろりなっていうふうな考えがまず出ますよね。
はいはいはい。そうですね。わかります。
そこから文章の展開になるんで困ることはまずないし、
人の文章を読んだときは、その人の文章に同意か反論する形で文章が出てくるんで、
これも基本的に困ることがないんですよね。
僕は人のアウトラインを見ると、そのアウトラインにもろついて書こうとしちゃうんですよね。
それぐらいアウトラインを頼りにして文章を書いてるって、
アウトラインというかアウトライナーを頼りにしちゃうな、どうなんやろな。
ここはあんまり引きずられないと言いかけましたが、
スクリブナーで文章を書き下ろすのが難しいっていうのとそれは近い問題なのかな。
書いてるとき忘れるから気にならへんのかな。
見てたらやっぱり書きづらいところはあるかもしれませんね。
スクリブナーも、もう10回ぐらいスクリブナーで書こうと試みてはまた元に行こうと。
何度も試みてるんですよね。
でもやっぱりうまくいかないですね、スクリブナーも。
UECとかどうなるんですか。
ちょっとしかないです。
お金を払うところまで至ったことは一度もないです、UECとか。
まあ、でもそうか。
ワードがありますもんね。
だからワードの普通表示とアウトライン表示を2枚並べてやるのが一番、今の段階ではあってますね。
ただスクリブナーの機能を使いたい気持ちもしぞうにあって、UECはそんなに思わないんですよね。
UECはそんなに思わないですけど、スクリブナーとワードはある程度機能がかぶっているところがあって、
UECの場合はたとえば、たくさんの場合はダイナリストが役割を担ってるんですけども、
並行して走るプロジェクトの文章の欠片みたいなのを置いておくのにはピッタリなんですよね。
UECの良さはわかるつもりではあるんですけど、あんまりその良さは自分には必要じゃない感じですね。
27:00
見た目かっこいいけど。
まあそうです。
あと動機が一番、この辺のエディターで一番早いんですけど。
まあでもさすがにダイナリストとかには負けますけどね。
パークフローリーとかダイナリストのほうが圧倒的に早いですけど。
最近よりUECは手放せない感じに僕らはなってるんですけど。
それってどの段階でUECで出てくるんですか。
本を書く段階では最近出てこないんですけど。
変わってますね。
そうなんですよ。連載系、連続系、メルマガとかブログ更新のときは原稿すべてそれでもありますね。
連載の1回1回じゃなくて、各回が全部見られるような形でUECに入ってるみたいなイメージですね。
そういうことですね。RスタリアとRスタリアというフォルダがあるとか、
メルマガとメルマガというフォルダがあってそれぞれがあると。
1個1個の文章がそこにも入ってるし、当然バックアップとしてエバーのときにも入ってるんですけど。
基本的に新しく書くときに前回見ながら書いたりするんで、それが全部並んでるのが便利と。
マークダウン的な機能もありますけど、そこはあんまり機能的にはテキストでペターっと書いていく感じ。
その整理というか、境目は左のグループのほうで管理してる。
そうですね。そういう感じですよね。
UECってライターさんで使ってる人は多いですよね。印象としてそういうライターさんというか。
テキストファイルを作りたくないっていうのがまず一つあって。
しかもいくつかのまたがるプロジェクト、並行して進んでるプロジェクトを一箇所で管理できるというところが、別にEvernoteもできることなんですけど。
Evernoteはリッチテキストになっちゃうんで、ダイレクトに。
その辺かな。
あと順番を入れ替えられないEvernoteは。
速報はでかいですね。
その辺のニーズをきれいに満たしてくれるのがUECですね。
ダイナリストでもできるんですけど、やっぱりエディターじゃないんで。
文章を書くときの気持ち良さがちょっと異なるんで。
その辺ですよね。
アウトライナー要素を限りなく薄くしてちょっとだけ加えたテキストエディターって感じですね。
あと各段階のテキストファイルが大量にできるっていう事態を避けられるっていうのも結構大きいですよね。
30:01
大きいですね、確かに。
結局アウトライナーの場合はテキストで渡すときにはテキストファイルが必要ですからね。
リビジョンの連載文っていうのもUECに入ってるわけですね。
UECに入ってます。
例えばUECに一応書きかけの原稿を全部入れるようにしてたんですよ。
例えば本でいうと僕らの生存戦略も入れてたんですよね。
そうするとUECが常に起動しっぱなしになるんですよね。
あらゆる書き物仕事に使われるんで。
そうすると気分のスイッチが入らないってことに気づいたんですよ。
だから原稿を仕事するとき、特に書籍の原稿をするときはスクリブナーを立ち上げて、
スクリブナーの僕らの生存戦略のファイルを立ち上げると。
やっぱりUECは立ち上げないと。
そうすると心のモードがそこに向くんですよ。
逆にUECを立ち上げるときはそれぞれの連載モードになる。
それはちょっと心の負荷的にはちっちゃいんですよね。
わかりますね。
なんか目に見える形で切り替えるのが必要なんですよね。
そうそうそうそう。
ああいうスタイルを書くのと同じテンションで、僕らの生存戦略は書けないんですよね。
でもメルマガとかその他のブログは同じテンションっておかしいんですけど、
心のモードでいけるんですよ。
心のモードごとによってツールを変えてる感じですね。
わかりません。
なかなか厄介といえば厄介なのに、一つでできたらいいなと思いつつ、
やっぱりそれではうまくいかない部分が多いな。
たとえば今回のリビジョンに限って言うと、
五線字の原稿っていうのは、「よし書くぞ!」って言って一日でダーって書かれたからですか。
いや、一日ではなくて、結構乗るのに時間かかっちゃったんで。
ちょうど、もう外で、
大体ドトールとかスタカをてんてんとしながら作業してたんですけど、
ちょっと状況的にそれができないというふうになってきた時期だったんで、
ちょっとうまくその切り替えがいかなくて苦労したところがあるんですけど、
その形としては、まずアウトライナーのダイナリストの中で、
過剰書きっていうかフリーライティングっぽく、
33:02
1回目こういうことを書きたいよなっていうのをバーッと書いたものが元ですよね。
次の記事でそのアウトラインを見せるつもりなんですけど、
一応仮アウトラインみたいなものをフリーライティングした後作って、
要は普通の文章のアウトラインの話をして、
文章のアウトラインっていうのは作ってもあんまりうまくいかないんだけど、
アウトラインが上がるとうまくいくんだよっていう話をした後で、
でもそれって実は文章だけじゃなくて、
デイリー・ダスペリストでも同じことが起こるんだよっていう話を1回でするつもりで書いたんですけど、
それをどんどん膨らませているうちに5,000人になっちゃったっていう。
膨らませるのはワードでやりましたね。
膨らませるのがたぶん何日かにわたったと僕は思うんですけど、
その進めてる間に、例えばその作業を全然してないときに、
それにまつわることを何か思いついて、どこかに書き溜めて、
それをその原稿に反映させたっていうことが起こったかが気になる。
起こってないですね。
起こってないですよね、きっとね。
起こりますよ、そうやって。
それをどうするか問題に僕は悩んでるんです。
この現状のリビジョンでは別に起こってないんですけど、
もっと広く言うと、
思いつきのメモ、一行だけのメモ、僕最近は見出しメモって呼んでるんですけど、
見出しメモが一つ生まれたとしますよね。
その見出しメモの中身を書くと、それを僕は文章メモって呼んでるんですけど、
文章メモを書くと。
本っていうのはそういうものの合体として捉えられるわけじゃないですか。
問題は、そうしたメモが複数集まるにつれて大きくなっていくんですけど、
その後から出てきたちょっとしたメモもその中に入ったり入らなかったりするんですよね。
しかも文章を書いてる途中に思いついたりするんですよね。
途中っていうか、2回目の作業Aと間に思いついたりするんですよね。
これをどう扱うのかと。
どう扱えばよりスムーズなのかと。
いうことを最近ずっと考えてるんですよ。
でもリビジョンの今までのところではそれはないですけど、
やっぱりもっと長いやつを書いてるときには、
それに関して悩んでたところでこういうふうに言えばよかったんだ、
みたいなこととか、こういうことを書いておくべきだな、
36:02
みたいなことを思いつくことはありますね。
やっぱり短いときはないんです。
僕も2000年代の原告会行ってるときは1日であれ書くんで、
その日で完結するからいいんですけど。
行為自身が長期に渡ると、断片的なメモ同士のやりとりが活発になるんですよね、非常に。
それをどうデザインしていくのかっていうことで、
結局今デビジョンって連載形式で書いていって、
本にしましょうっていうやり方ですけど、
完成形の本を作る場合って、
ブログとかに書き留めたものを素材にして、
あとからテーマを見つけて本にするっていうのと、
あらかじめテーマを決めておいて、
ある程度の揺れは許容しつつも書き進めて本にするっていう。
一応大きく2つあると思うんですよね。
校舎連載方式の場合は比較的進めやすいというか、
着地点が見つかってるんでいいんですけど、
着地点が見つかってない、適当に自由にその日思いついたことを書き留めていってっていう場合って、
テーマ性は拡散していきますよね、どんどん基本的には。
しかも拡散してるだけじゃなくて、響き合うんですよね。
リンクを作ると言ってもいいですけど、この場合は。
それをどうしようかと思ってるんですよ、今。
だから全ての本に対してテーマ性を切って連載していくのが効率的なのか、
なんとかして自由に拡散するものを取りまとめる手段を見つけるのがいいのかっていうことなんですよ。
それでも結局、わからないですけど、
ココン東西の物書きの人がみんなそれに悩んだんじゃないかなと思いますよ。
いるとは思うんですけどもちろん。僕もそう思います。
そういうことを拾うものをその機能としてつけていこうとしてるのがスクリブナーだったりするかもしれないし、
本筋の原稿じゃない書く場所をたくさん作れるっていうのがスクリブナーの特徴のひとつだと思うんで。
はいはいはい。確かに確かに。
そういうことはみんな悩んできたんですよね、きっと。
ほとんどの人の場合それは思いついただけでどっかに消えていくというのがパターンだと思うんですけど。
まあそうでしょうね。
だから僕はそれが絶対的にうまくいったかっていうとそうじゃないですけど、
39:03
アウトライナーで1日ごとに作っているタスクリスト代わりに作っているところに思いついたことも書いちゃって、
で、翌日のアウトラインを作るときにその機能を思いついたことを、
例えばリビジョンっていう見出しの場所があるならば、昨日の4月何日っていうところからそのリビジョンのところに移していくっていうことをしてたんですよね。
それが移したときはただそこに放り込むだけで、ある程度まとまったらそれを見て、
そこからその原稿を書いてる方のファイルにそれをもう一回移すっていう二段構えみたいにしていて、比較的うまくいってはいましたけど。
ただ、ある種のストレスはあるんですよね。
いいことを思いついた気があるんだけど、このいいことが本当に活かせるのかわからないっていうか。
難しいですよね。思いついたそのテンションのまんま、本当は没頭できればいいんだけれども。
まあそうなんです。
そうじゃないじゃないですか、人生というのは。
やっぱりその瞬間に没頭できないと消えちゃうものがあって、書き留めた文字面は残ってても、
そのときいいと思った何かがやっぱりなくなっちゃうことが多くて。
トレードオフというか、さっき出てきた文章が走るっていう、
思考がスムーズに流れている状況が、執筆生産効率が一番高いわけですよね。
それを最大限に進められれば、アウトプット量は増えると。
ただし、さっき言ったように、自由に書くと拡散するんですよね。
拡散するっていうことはテーマ線が薄まるということなので、
本になりにくくなっていく。どんどん本になりにくくなっていくんですよね。
そうすると、結局生産性は上がらないということ。
アウトプット生産量が下がってしまうことがあるんですよね。
だから一方では自由に書きたいと。
しかし一方では制約性がないと本人はできないと。
そこのどう着地させるかっていうところをずっと考えてるんですよ。
さっき言われた、「思いついた瞬間が一番いい」っていうような話を、
42:04
作業記録をエヴァノートに書いてるんですけど、
そのときって思いついたことをザッと書くんですね、文章を。
今まではすべてエヴァノートのファストエヴァに見出しメモだけ残してたんですけど、
今はその見出しメモを直接文章化してるんですよね。
非常に使用するMPが低いままに対応に文字が生まれるんですよ。
僕としてはこれを素材に本にしたいなと。
本という最終成果物に向けて進みたいなと思ってるんですけど、
例えば今2週間とか3週間業務メモを残してるんですけど、まとまらないんですよね。
文字を書き出すためのMPは低いけれども、結局そこで低かった分、
まとめるときに必要なMPが増えちゃうんじゃないかっていうこともありますよね。
MPが必要に増えることはあるんですよね。
だからこのトレードF、トレードオフのどこらへんを着地点にミス。
だからあらかじめ連載を切る方式が一番本に近づけるんですけど、
一回書くごとにしんどさが増えるのは間違いないですよね。
連載って後半ほどしんどくなるんであれ。
すごくわかる気がしますね。
単純に飽きっていうのもあるし、
話の整合性を取るのが難しくなってくるっていうのもあるんですよね、連載の後半っていうのは。
だからそれを無理して乗り越えて本にすべきだっていう考え方もあるでしょうけど、
日々の作業記録の自由に、しかもこたましく書いてるメモを、
できれば本の素材にしたい思いがあって。
かといって、分散するものをいかにまとめるかっていうのが、ミスキッキンのテーマですね。
これができたら、年間本の生産量はかなり増えると思うんですけど。
本生産量って。
だから書くときの楽さっていうのをただ追求したらいいっていうもんではないなっていうのはいろいろ思いますね。
佐々木さんの例が降りてきたんですけど、
佐々木さんならたぶん、その本を書いてるとき以外は考えなくていいんですよって言うと思うんですよね。
そのときだけ考えればいいんですね、佐々木さんは言うと。
最近は佐々木さんと話をすることが多くなったんで、頭の中に佐々木さんが住んでるんですね。
常に想像上の佐々木さんの話しか聞こえないんですよね。
わかりますよ。めっちゃよくわかりますよ。
僕もノキマトークでずっと佐々木さんと喋ってましたけど、その例はありますよ、確かに。
45:02
語りってそういうとこないですか?
その考え方がけっこう、強固って言うとあれですけどハッキリしてるんで、メンタルモデルを築きやすくていいですよね。
バーチャル佐々木さんがいつも話しかけにくいけど、自分の中で自分がバーチャル佐々木さんに反応してる。
なんか病気かもしれないですよ。
いや病気ではないと思いますよ。僕もありますもん。
佐々木さんはそういうことができるかもしれないですよね。
僕は本当にいろんなことを考えるんで、メモの話を考える前に愛と信仰について考えてましたし、
その前は適切な現金給付のモデルについて考えてましたし。
そこを制約してないからこそ楽に書けるんですけど、結局それは拡散してしまう。
この命題は逆に言うと、真なるボトムアップによるアプローチで本は作れるのかと思うんですけど。
でも今みたいなことって、半年ぐらい前に倉下さんと話したら、
それはスクラップボックスに書いてリンクをどんどん、
鍵かっこつけてリンクを貼っていったような気がするんですけど、そんなことないですか。
それはね、結局本にはならないんですよ。
ある情報のネットワークはそれで一番簡単にできますし、それが最高の貝だと思うんですよ。
それは本ではないんですよね。
一本の流れになってるものですよね、本というのは。
そうそう、ここで言う本というのはそういうもんですね。
スクラップボックスはそれを考えなくていいんで、
さっき言ったように僕の思いついた文章メモを全部スクラップボックスに一回か貼っていってリンクしていけば、
きれいなネットワークができると思うんですよ。
僕の認知負荷はほぼゼロだと思うんですけど、
かといってお金を出して買ってもらえるアウトプットになっているかというと、
これはなってないんですね、残念ながら。
それでは困るわけですよね。
結局アウトプットするためには、特にそれが長くなるほどリニア変換が必要であって、
リニアにアウトプットしなきゃいけないということはどうしても、
瞬間瞬間の思いつきはそこに組み込めないで溢れちゃうものが出てくるので、
それでこの問題が発生するわけですよね。
この溢れて脇に置いたものをどうやって使うのか。
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例えば、瞬間瞬間の思いつきが棒ダイヤとしても、
例えばテーマAに関するものが1日に500字しか生まれてこないとしたら、
これもアビデンスなんですけど、
2文字の原稿をたどり着くためには40日ぐらいかかるっていうことなんですよね。
思いつくのがもっと少なければもっと時間がかかるわけですよね。
あることについて書こうって決めてるんであれば、
それをさっき言ったように膨らますことはできますよね。
でもそこはある種の制約がかかってるとも言えるんですよね。
制約というか方向性、思考性を与えてると言うべきか。
少なくとも自由奔放ではないんですね。
だから結局自由奔放、つまり何のトップダウンも設定しないボトムアップを続けただけでは、
おそらく本を作れないだろうというのが僕の結論なんですけど。
だったらアウトライナーでやればいいんじゃないか説が出るでしょうね。
だから項目を立てて、思いついたことをどんどん放り込んでいけばいいのではないかと思うんですけど、
なぜかうまくいかないんですよね。
たびたびやったんですけどなぜかうまくいかないんですよね。
一つにはたぶん重複問題があって、
あることがプロジェクトAにも使えるしプロジェクトBにも使えると。
それの場合はコピペすればいいっていう話にはなるんですけど。
そうすると、何かを見落としてる気がするっていう言い方が一番いいんですけど。
プロジェクトAとプロジェクトBを包括するプロジェクトCについても考えなければならないはずっていう思いがあるんですよね。
それをやり出すとアウトラインがめちゃめちゃデカになるんですよね、結局。
そこでまず収集がつかないっていうのと、プロジェクトAとプロジェクトBにならないものたち。
その時点で行き先が見つからないものがこれまた大量になるんですよね。
これもまとまらないと。
結局アウトライナーではうまくいかないんですよね。
僕の使い方が悪いのかもしれないんですけど。
難しいですよね。
数は少ないですけど、たまにアウトライナーのセミナー的なことをやらせてもらうことがあって、
というときに質問をもらうじゃないですか。
アウトライナーすごくいいと思ってやろうとするんだけどうまくいかないんですよねっていう話が必ずあって。
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そのときにたくさんアイディアを書き出してそれをボトムアップで組み立てていこうと考えた人はだいたいうまくいかない。
アイディアはいっぱいあるんだけど、最終的にそれがまとまらなくなる。
破綻するんですよね、ボトムアップだけでやろうとすると。
やっぱりそういう人がツイッターとかで見ていても散見されるというか。
自分がやろうとしてもたぶんそうなるんですよね。
だからやっぱりアウトライナーっていうのを、僕はいつもトップダウンでやろうとしてもダメだよってずっと言ってきたんですけど、
たぶんボトムアップだけでやろうとしてもたぶんダメ。
特に長くなるほど、規模が大きくなるほどボトムアップだけでやろうとするとたぶん無理になってくるっていうところで。
特にボトムアップでやるというのが、
ボトムアップってある瞬間で途切れるものじゃないんですよね。
つまり、今この時点で思いついてることはこうかもしれないけど、
明日の僕はまた別のことを思いつかないですよね。
つまり常に水が増えてる状態でのボトムアップになるんですよね。
そうで、自分がある規模を超えるとボトムアップだけだと絶対にまとまらなくなるっていうのは自分も感じていて、
そういう質問をもらったときに自分はどうしてるのかなと思うと、
ある時期まではたぶん苦し紛れにやってたんですけど、あるとこから意識的にやるようになったのが、
まとまらなくなったらそれを脇に置いといて、もう一回アウトラインだけ作り直すっていう。
ボトムアップで見出しをつけて組み立てようとするんじゃなくて、それを置いといて、
もう一回真っさらなアウトラインを作り直して、
作り直したアウトラインに、この元のボトムアップをしようとしていたのの中からその該当位置に移していく。
っていうのをたぶんやってるんですよね。
アウトラインっていうのは、トップダウンからの支援ってことですね。
一つのアウトラインを最後まで成長させようとするんじゃなくて、パンクしたら新しくアウトラインを作るっていう。
新しく作ったアウトラインに、その元の古いアウトラインの中から使えるパーツを移していくっていうことをやると、
その不思議なことに、あんなにいっぱいたくさん書いてあったやつの中でも、
その新しく作ったアウトラインでは足りてないところがあるっていうか、
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全然入らない項目が出てきたりして、一方では全然使えない、余っちゃうパートもたくさん出てくるんですよね。
全然足りてないっていうところが、実はボトムアップしようとしているときに行き詰まることになってしまったミッシングリンクみたいな項目であることが割にあるという。
自分は常にこうやってうまくいってるかというと、全然そんなことはないんですけど、
苦し紛れにバタバタやっていることをきれいに並べると、どうもそういうことを自分はやっているらしいと。
やらざるを得なくなってやってるっていうこともあるんですけど。
ただたぶんそれは、ある種の答えに近づいていることでもあるなとは実は思っていて。
やっぱりボトムアップで作ろうとしているものが大きいほどあるところから全体像が把握できなくなるわけですよね。
その把握できなくなったために、これを一つのリニアなものに変換するために必要などこかのどこかのブリッジだったりとか、
何かそういうキーになる要素が何なのかということが考えられなくなっているときに、
もとのたくさん書いてあるものを頭の中にもやもや保持した状態で、一旦新しくアウトラインだけ作り直すことによって、
膨大な中身を見ているときには考えられなかったリンクみたいなものが、
アウトラインだけを一回作り直すことでそれが出てきて、結果として何が足りてないのかがわかるっていうことが起こることが何とかあった気はしますね。
さっきKJ法からの話をしますけど、ボトムアップからの発想法というとKJ法が先に思い浮かぶと思うんですけど、
僕もあれを最初読んだときに、これが真なるボトムアップの方法ではないなと思ったのは、結局最初にブレストしてるんですよね。
あるテーマについて意見を出したり調査をしたりしてるんですね。つまりその時点でテーマ性があるんですよね。
テーマ性によって一番小さい部品を出してそれを組み立ててるっていうだけであって、僕はあれは真のボトムアップとは呼べてないんですよね。
で、じゃあその何のテーマもなくて真のボトムアップができるかっていうとやっぱりできないんですよね。
で、あれはだからテーマ性っていうのは別の言い方をすると有限性でもあって囲いを作ってるんですよね。
部品はここまでですと。これで組み立てましょうって言ってるからあれできるんですよ。
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さっき言ったように日常で常に部品が増えている状態ではこれ無理なんですよね。枠組みが成立しないんで。
これは間違いなくこのやり方は多分無理なんです。どこかでテーマ性をどのような形かで見出すことは、
部品を集めた手からでもいいですし、先に立ててからでもいいんですけど、テーマは完成の間に一回絶対必要やっていうのは思うんですよね。
で、アウトライナーを新しく立て直すとうまくいくっていうのは文章を書くときでも結構あって、
普通文章ってある一つの項目であれば、その文章で何を言ってるかっていう概要、シノプシスは必ず作れるはずなんですよね。
いわゆるアウトライン執筆法っていうのは、シノプシスを立ててそれを詳しく説明していきましょうって書き方をしましょうみたいな教え方をするじゃないですか。
それはうまいこといかないんですけども、いかないにしても、雑に書いた文章を読んでしっくり来なかったときに、
一回その文章のシノプシスを自分で書いてみる。文章を書き上げた後にシノプシスを書き上げてみる。
それを読んだ後に自分の書いた先の文章を読むと、どれが邪魔でどれがいるのかがわかるんですよね。
これも結局、自由に書いていくのとテーマ性との両方必要代用的な話だと思うんですけど。
特に書き終えてから書くシノプシスってかなり有効ですね。僕は最近それをよくやってます。
文章って一本の流れになってなきゃいけないんで、拡散しまくっているものを一本にするというのもすごく難しいわけじゃないですか。
特に文章を読んでるだけだとね、どれも等価に思えるんですよ。
実際にまとめる。一本にする前はどれも等価なんですよ。
それを等価でないものとさせているのが、実はアウトラインだったりシノプシスとして表現されるところの流れであって、
そうするとその流れに乗らないものはいらないっていうことになって、そこで初めて等価じゃなくなるわけですよね。
そうですね。そこの順位付けするもの、重み付けするものは必要になりますよね。
だから最初に重み付けしておいて、それに沿って書きましょうっていう上では言っちゃなくなるんですけども。
さっきの筆が乗る感覚とは相入れないんでね。残念ながら。
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あるテーマについて自分がバーって書いていて、読んでるだけはうーんと思うんですけど、やっぱりぼんやりしてるんですよ、そういう文章は。
あるテーマから見たときには余計なものが含まれてるからなんですけど。
ただそれは地面にいるときには気づかなくて、やっぱり高度を少し上げてみないとわからないんですよね。
いい感じで書きすぎちゃって、自分が気に入っている文章が書けてしまったために、
実はそれがいらないんだけれども、それを捨てるということもなかなか思いつかないという現象は結構ありますね。
サンクコストというやつですけど、切り捨てることを思いつかないばかりか。
それを中心にそこを組み立ててしまって、どうしようもなくなってしまうんですよね。
この説明がここにあるから次は必ずこうなるってなってても、ここが前提になってしまってる。
別の文章が実はすごい気に入ってたりするんですよね。
でもそこだけ一旦選択してカットしてみると、
別に普通に文章を読めたりするんですよね。むしろスムーズだったりするんですよね。
読んで確かめることと、一つ上の階段に登ってみること。
一つ上の階段に登るの大切ですね。
まあやっぱり上から見下ろすってことですね。
まあそうなんですね。
アウトライナーでメモが扱えない話に戻るんですけど。
今日散歩してて、いろいろ考えてることについて考えてたんですけど。
いかにして考えるかっていうタイトルの本が面白いなって思ったんですよ。
いかにして問題を解くかっていう本があるんですけど、
それのオマージュとして思考法を解説する本。
その内容についていろいろ考えてて、
煮詰まってない文章のほうが書きやすいっていうことを思いついたんですね。
さっきの話と言ったんですけど、
アウトプットに向けて整形されてなくて、
自分が思いついたこと、つまり歯切れの悪いところで終わってるような文章のほうが書きやすい。
MPが少なくて済むっていう。
煮詰まっていない文章は書きやすいって思いついた次の瞬間に、
思考の調理法っていうタイトルを思いついたんですよね。
煮詰めるっていうののメタファーから。
思考の調理法っていうのを思いついたので、
僕が困るのはこのいかにして考えるかっていうタイトルと、
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思考の調理法っていうタイトルをアウトライナーに並べたときに、
どうしていいかわからないんですよね。
つまり、ほとんど2回やってる話を書くはずなんですよ、この2つは。
じゃあ2回やってることを並べていけばいいのかっていうのもあるし、
例えばこの2つを陣底でして新しいのを立てたら、
この2つは消えてしまうわけじゃないですか。
それはなんかちょっともったいない気がするんですよね。
この似てるけど別のものたちを、
いかに育てていけばいいのかが、
たぶんここの中では明確になってないんですよね。
それが明確になってる人っているんですかね。
いない、わからない。
だからどっちかに決め打ちしてしまって、
それに関する素材を集めるのか、
いわゆるハッシュタグ的なものにして、
両方に関連づけていくのか、
それがどちらがいいのかも全くわからないんですけど、
こういうふうに、似たテーマだけど別の題名を持つ本の企画をいかに育てるのか問題っていうのが、
結構僕の中で多いんですよね。
ちょっと違った言い方のパターンをいろいろ思いつくんですけど。
どれも面白そうな。
タイトルが複数あるっていうんじゃなくて、やっぱり内容が違うわけですよ。
ことではなくて、基本的には。
扱ってる材料そのものはあれですけど、
調理方法が違うっていうような言い方はできると思うんですけど、
出来上がるものは全然違う形になるはずなんですよね。
当然重複する内容もありますし、独自だけで出てくる内容もありますし。
こういうのはどうしようかなっていう。
でもこういうのをうまく扱わないと、本を作っていくのは難しいんではないかという思いもあるんですよね。
さっき言ったように、テーマって有限性がないといつまでやっても完成しないと思うんで。
それを最近悩んでいるところなんです。
リビジョンズの話からかなり考えてしまったけども。
どうやって一つの本にするかっていう話ですよね。
するかっていう話ですね。
一回アウトラインを立て直すとか、シノプシストを作り直すっていうのはリビジョンズの話。
勝手にまたベースつけてるけど、リビジョンズの話と全く同じですよね、それは。
まあ明確な答えはある。
だから複数冊を並行で本を書いてるような人がいれば、その人にインタビューしてみたいですね。
ただ、ちょっとずつ重なる似たような内容の本を並行して書くって、
想像を絶して難しそうな気がしますよね。
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どっちを書いてるのかわかんなくなりそうですよね。
書き始めれば逆にいいんかもしれませんけど、僕の中でまだタイトルだけがあって、
今から素材を集めるぞっていう段階やから、あれなのかもしれないですけど。
もう一度どっちかに決めて文章を書き始めれば、
ああこれはいけるな、これはいきにくいなっていうのがわかって、その判断がしやすいかもしれないですね。
ただし、書き始めたほうじゃなさそうなものが入っても、思いついてもそれを書くっていう。
で、ある程度書いたところで分離するっていう。
出来上がってから出来上がりするっていう、なるほどね。
反テーマ性みたいな、仮固定のテーマみたいな。
結果的にやっぱり一冊だったってこともあるんですね。
第1章、第2章だったかもしれないみたいな。
であれば望ましいですね。
だからいかにして考えるかっていう本のタイトルの一章が、思考の調理法ってことはありますかね。
もしくは実践編でレシピっぽいものが出ていて、
いかにして考えるかが第1章で理念的なことが書いてあって、
第2章でレシピっぽく思考の調理法が書いてあるみたいなことなのかもしれないし、もしかしたら。
だからやっぱりそうなんですよね。
だからアウトライナーにその2つの項目を並べてるだけでは多分ダメなんですよね。
それはどうしようもないんですよね。
やっぱりステップを進める必要があるんですよね、これはきっと。
この2つだけ見てうーんって考えてても、多分なんの答えも出てこないでしょうね、きっとね。
これはちょっとわかりました。
とりあえずリビジョンは、僕の中では6月ぐらいまで続けて完成したらいいなっていうぐらいのつもりではおります。
今1週間に1回から2回ぐらい投稿できたらいいなと思ってます。
もうそのあと何も考えないといけないですよね。
そのあとはしばらく僕が続くかもしれないですね。
まあでもまあ、どうなんだろうな。
第2回の終わりを読むまでは、このアウトラインの話が続くかなと思って。
僕がデイリー・タスクリストを書いて、たくさんがアウトラインの話を書いてっていう役割分担も可能かなと思って。
デイリー・タスクリストの話をしなきゃいけないんだと思ったんですけど。
別に初めはそのつもりだったんですけど、あとは筆が乗っていく方向に進めてこないと。
アウトラインの話をすると、結局もう一つのアウトラインプロセッシング入門になっちゃうので。
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逆に僕、アウトラインの話はむしろ書きづらいってことはあるんですよね。
ああ、そうかそうかそうか。僕は書いてないですもんね、その話。
まあとりあえず勢い任せというか、その場のノリで続けていきましょう。
宣伝しておきたいことは?
いま宣伝しておきたいことはございますか?
特にないですが。
まあ、あれですよね。頑張りましょうねという感じですよね。
いや、頑張りましょうねというか、やっぱり……。
なるほど、頑張りましょうという感じですね。
たくさんいるので。
そうですね、イベントもね。
周辺の環境って変わってます?
うちの奥さんの仕事の時間が変わったりするのが大きいですね。
僕自身は別に……。別にって言ったらおかしいですけど、平常通り仕事してますけど。
まあそうですよね。
周りの人が変わるとこっちも変わらざるをえないんでね。
ここは横浜市内なんですけど都内に近いんで、
けっこうピリピリ感がすごいですね。
神奈川県入ってますよ。
神奈川県は対象に入ってたんですか?
神奈川県の中でも一番東京都に近いところですからね。
先行きが見えないところがつらいですよね、この問題。
手を洗いすぎて指紋認証ができなくなったっていう、謎の弊害がね。
マスクをしてるとフェイスライトのカメラとか、認証に問題が。予想もつかない問題がどんなところにある。
だから結局、コンピューターデザイナーが想像している人間というのが、
すごく普通に健康的に生活してる人間っていうことなんだよね、やっぱりこれは。
みなさんも気をつけてということで。
二人とも体に気をつけてということで。
あ、そうだ、忘れた。
打ち合わせキャストって実はハッシュタグがございまして、
ハッシュタグ打ち合わせひらがなでキャストがアルファベットキャストでツイートしていただくと、
僕とたくさんが発見しやすくなるというメリットがありますので、
もし感想を伝えられる方がおられましたらハッシュタグをつけていただけると見つけやすくなります。
1:12:00
拾ってくれるんでしたっけ。
どっちでも多分ツイッターは拾ってくれると思いますので、一応正式はCは大文字です。
ありがとうございました。
というわけで今回はこの辺にしたいと思います。
01:12:16

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