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2025-03-20 1:16:00

第百七十回:Tak.さんと仕事と読書について

サマリー

今回のエピソードでは、Takさんと共にワークフローや新機能、アップデートに関する考察が行われます。また、テクノロジーの進化に伴う道具や作業スタイルについても議論が展開されます。教育におけるWindowsやオフィスソフトの難しさについて語られ、多くの学生がパソコン操作の基本理解の不足を抱えていることが指摘されます。また、ロギング生活術を通じて、生活や仕事の記録と管理の重要性が強調されます。Takさんが仕事と読書の関係について語り、ロギング生活術の実践がどのように仕事に役立つかが探られます。仕事が読書に与える影響や、充実した読書体験を得るための心の持ちようについても考察されます。特に現代の日本の労働環境が趣味や読書に与える影響について深く考察され、メンタル面やライフスタイルの変化に伴う読書の困難さにも触れられます。Takさんは仕事における読書の重要性について語り、文化人類学や社会学の知識を通じて、読書が自己認識や視点をどのように広げるかについて考察します。また、読書感想文や内面化された規範についても言及されます。フリーランスとしての読書環境や心の渇望についても語られ、読書の自由時間がない状況に対する考えが共有されます。最後に、読書習慣の形成を促す重要性が強調されます。

ワークフローの新機能
スピーカー 1
うちあわせキャスト第百七十回ということで、今回もゲストにたくさんお迎えしております。よろしくお願いします。
スピーカー 2
よろしくお願いします。
スピーカー 1
久々で結構ニュースがあったりなかったりするんですけども、細かいTipsの話で言いますと、
ワークローリーに細っと新機能が追加されておりまして、相当ができるようになったと。
はい。
アルファベット順で相当ができるようになったということで、メニューですね。
項目の左の、バレットのさらに左についている横三つの点々から開くメニュー。
これ何て言うんだろう。コンテキストメニューでいいか分かりませんが。
スピーカー 2
メニューでいいんじゃないですか。
スピーカー 1
メニューを開くと色々項目があって、下の方にExpand Allと全部開くと全部閉じるってこれ前からありましたっけ。
スピーカー 2
ありました。
スピーカー 1
下に相とAからZ、逆に相とZからAというのがありまして、何に使うんでしょうね。
スピーカー 2
そうなんですよね。
スピーカー 1
ダイナリストには初期の機能が初めから付いていたかな、機能だと思うんですけど。
僕も使ったことがなく、これも使う見込みがよく分からないんですけども。
スピーカー 2
伝統的にアウトライナーには付いているんですよね、相当機能っていうのが。
スピーカー 1
アルファベット順に相当だってことは日付順とかナンバリング順に相当できるということだと思うんで、
そういう役割かなと思うんですけど、あんまり大々的に発表もされず、ちょこっと増えてただけなんで、一応拾っておいたという話と。
スピーカー 2
文献リストみたいなものを定義するときに、著者純相ととかをやるということはありそうですね。
スピーカー 1
そうですね。それを果たしてワークフローでやるのかどうかというのは、やりたい人はできるようになったというので、
別に悪いことじゃないですけど、ちょっとずつ多機能化の波がやってきているかなという感じはしないではないですね。
Evernoteのアップデート
スピーカー 2
確かに前回に話したと思うんですけど、コセンスがページ内の相互リンク表示を特別に別表示するという機能の話をしてたんですが、もうなくなってますね。
スピーカー 1
もともと正式発表されたわけではなくて、目立たないユーザーが見つけてワイワイ言ってただけの盛り上がりだったんで、
全体的にそんなに評判が良くなかったということだったのかもしれないし、一時的に機能に不具合があったんで回収しているのかちょっとその中身は見えないですが、
前回話した話は一切なくなったということで、この公式発表をせずにチラッと出すというのは結構コセンスでよくあるパターンでして、
なんかABテスト的なことをしているわけではないと思うんですけど、本番環境で一回やってみてどうなるかを見ているという感じだと思うんで、
ユーザー、コセンスの開発ってドッグフーディングって言って、自分たちが開発するツールを自分たちで使おうということをやっておられるわけですが、
マニアックなユーザーも開発の枠組みの内側にいるような感じで、よく使っている人たちの反応も一応見ておこうというような感じだと思います。
たぶんこれはいらんなって思う方が結構多かったでしょうね。こまめに相互リンクを貼っている方にとってはたぶんすごく邪魔だと思うんで。
前回紹介したような、いかにもカードっぽい使い方の場合は結構便利というか、非常に特徴が活かされる使い方だと思うんですけど、
必ずしもそう使っているわけではないし、ということはこう使えということをツール側が強く規定して過ぎてしまうというような判断があったのかもしれないですね。
そのへんはわかりませんか。またしれっと復活するかもしれないですけど。
もう一個結構大きい話で、Evernoteがアップデートしてずいぶん前にデイリーノート機能があったんですけども、
デイリーノート機能がテンプレートが3種類から選べという振れ込みだったんですけど、
そのテンプレートそのものをユーザーがアレンジできない、カスタマイズできないという状況だったんですが、
新しいアップデートで、そもそも自分の好きなテンプレートを指定できるという機能になったのと、
テンプレートそのものの回収も左のサイドバーから直接行えるようになったので、
特別なページに行ってテンプレートを編集するみたいなことはなくなったので、非常にテンプレートの使い勝手がこれで上がったかと思いますね。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
これはどんどん順当なアップデートが進んでいるんですけども、
ただ逆に言うと、究極的にノーションでいいやに近づいてきている気がしてまして、
ちょっとこの辺不安材料なんですけども。
あとGoogleのジェミが、
Deep Researchという機能とGEMという機能が、
これ以前は有料アドバンスの機能だったんですけども、無料ユーザーにも開放されたということで、
Deep ResearchとかGEM使って特別な機能、
Deep Researchはこれについて調べておいてって言ったら、
生成AI自身がWebとかを漁って情報を集めてくれる、
まさにリシャーチャーの下ごしらえみたいなことをしてくれるっていうのと、
GEMはある特定の領域に特化した生成AIを生成してくれるというようなことらしく、
あんまり僕は試してないんですけども、
有料でないと使えなかった機能が、
ジェミにやったらいろいろ使えるんで、
お試しで使うの場合、結構ジェミには非常にいいかなと思いますね。
Googleアカウント持ってる方も多分多いと思うんで。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
2.0フラッシュシンキングっていう、
一応、ちゃんと考えて答えるみたいな機能を使ったんですけども、
そのジェミにの。
非常にすごいですね。
すごいというか、
スピーカー 2
すごいですか。
スピーカー 1
一応話を追いかけると、
哲学者の風光が一番年に、
自己のテクノロジーという概念を提案していまして、
自分自身を変容させていく技術っていうことをさせていただく。
テクノロジーは実際にハイテクなものだけじゃなくて、
今まで自己啓発的なものも含まれてるんですけど、
それとライフワークっていう観点で何か言えるんじゃないかな、
みたいなことをやり取りしていったら、
ちゃんと答えてくれるんですね。
よくよく考えたら、
そういう専門的な高度な議論を日常的にするのって、
不可能なわけじゃないですか。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
例えば旦那さんが哲学者とかいった話は別ですけど、
一般の人たちって言ったら、
SNSとかでそういう専門家とフォローし合ってるのはともかくとして、
ちょっと思いついたことを軽めに議論するみたいなことっていうのは
なかなか難しいわけですが、
こういう高度な、僕も前哲学やったわけですけども、
別の分野でもそうですけど、
プロ級の知識の人と壁打ちできるっていうことは、
単純に相談できるっていうのと違って、
図書館に行って勉強してるのに近い感じ、
幅広い知識に触れて、
しかもそれが気軽に手軽にできるという点は、
高知的好奇心を広げるツールとしては非常にいいかなというふうに再確認というか、
今までGoogleったらわかるようなことを聞いてたんですね。
例えば、Pythonのコードの書き方がわからないみたいなことを聞いてたんですけど、
そういうのじゃなくて、もっと本当にディープな専門的な話もしてくれるんだなというのはちょっと確認しましたね。
スピーカー 2
なるほどですね。
そうするとあれですよね。
将棋で、例えば藤井聡太さんが、
子供の頃からAIを相手にやっている、
練習をしているっていう、
スピーカー 1
それ以前だったら、子供の頃は子供なりの相手としかできなかったのが、
スピーカー 2
子供の頃からプロ並みに強い相手とやっていることによって、
次元の違う強さを20歳ぐらいで獲得しちゃったみたいなことに近いことが。
スピーカー 1
思考の領域で、日常的に例えば人がなぜ死ぬの?みたいな子供らしい疑問を持ったときに、
既存のこれまでの哲学者が考えてきた概念に接続してくれるわけですね。
彼らと対話すると。
例えば、親がそういう知識を持ってないと当然答えられないわけじゃないですか。
かといって、図書館に行って師匠に聞きなさいというのもなかなか難しいわけでして。
だからやっぱりそういう広大な知識の領域と、
一般市民の素朴な疑問っていうものの橋渡しになるような存在になっていくんじゃないかなとは思いましたね。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
今後どうなるかはわかりませんが。
小説を書くための道具
スピーカー 1
アスキーの記事で、今時の作家はどんなコンピューターとソフトウェアで小説を書いているのかという記事がありまして、
これ本の雑誌の501号、2025年3月号の関連のテーマだと思うんですけども。
この501号、特集私はこれで書きましたというのがあって、冒頭の20ページくらいかな、その特集記事があったんですけど、お読みになられました?
スピーカー 2
いや、読んでないです。
スピーカー 1
作家さん、小説家の方が多いんですけど、どんな道具で書いているのかというような話で、ある人はポメラの話されたりとか、ある人はワードは小説とかこんなに向いてないとか、ある人はスマートフォンで小説を書いているとか、書く道具の話をされておられるんで、パラパラッとでもお読みになれると多分面白いかと思います。
スピーカー 2
今見てますけど。
スピーカー 1
冒頭の10ページ、20ページくらいのそんなにディープな話が展開されているわけではないですが、やっぱり書き手の方は書く道具を考えて使っておられる。
あと面白かったのは、手書き万年筆で書いている作家の方は、エッセイならばパソコンで書けると。でも小説は万年筆とペンでないと書けないとか。逆にスマートフォンで書いている方もスマートフォンならではの文体みたいなものがあると。つまり使う道具を含めてそれは文体の一部なんだみたいなことをおっしゃられてまして、なるほど、そうだなという。
これまさに文章エディターの話で書いた話ですよね。
これは現代の参照文献として非常にいいんじゃないかなと思った次第です。
スピーカー 2
あ、遠藤さんですね。アスキーの遠藤さん。遠藤さとしさんですね。僕は遠藤さんに面接してもらったことが昔あります。
スピーカー 1
そうなんや。
スピーカー 2
アスキーのバイトの面接に行って落ちたことがあります。
スピーカー 1
なるほど。そういうとこで、大野先生もVS Codeの拡張の話もされてまして、結構面白いかなと思います。
一つ細かい話なんですが、細かいというかむしろ大きい話なのかもしれませんけど、
目1校の一人が今年から大学生になると。
高校生まではスマートフォンと授業でiPad、タブレットを使っていたと。
ただしパソコンを使ったこともないと。
大学の入学要項のところにはパソコンを買えと書いてあると。
だからとりあえず買うところから相談が僕に来たわけですね。
スピーカー 2
来ますよね。
スピーカー 1
僕的には普段使っているのがiPhoneで、持っているタブレットがiPadである以上、これはMacBook Airしかないのではないかと思ったんですけど。
当然学校ごとに請求っていうのがあるわけですね。
請求で買いましょうみたいなことが遠回しに言われるわけですよね。大学側からは。
大学の一押しはWindowsマシンであると。
購入している人の8割9割はWindowsマシンを買っていると。
そんなこと言われたら、僕はそういうこと言われたら逆にMacにしたくなる人派ですけど、
大抵の人はWindowsにしとこうかってことになって基本的にWindowsを買ったと。
Windowsを買って、大学生がパソコンを使うってことはレポートを書くみたいなことをするわけですねきっとね。
だからレポートを書けるようにしてほしいと。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
そういう教えをしてほしいと。
してほしいっていうか、大学が用意していた講座があったんですけど、
オフィスソフト教育の課題
スピーカー 1
ちょっと値段がうーんっていう値段だったんですよ。
ゼロの桁を間違えたっていうような値段だったんで、
私が代わりに教えますよということで、大学生が授業で使えるレベルのオフィス入門みたいな。
ただし、そもそもWindowsが使えないっていうところからスタートしなければならないと。
スピーカー 2
難しいですね。
スピーカー 1
かなり難しいですね。
とりあえずファイル操作をするわけじゃないですか。パソコンというかWindows OSにおいて。
でもファイルっていう概念を持ってないわけですね。
スピーカー 2
そうですよね。
スピーカー 1
だからファイルっていうところからまず始めなければいけない。
Windows開いてExplorerを開いたんですけど、昔と全然違うんですよ。僕が使ってた頃と。
スピーカー 2
でしょうね。
スピーカー 1
そもそもどんな改造構造になってるか分からないんですよ。開いたファイルでは。
スピーカー 2
あんまり改造を強調しなくなったんですね。
スピーカー 1
クイックアクセスみたいな感じで、お気に入りのが並んでいて、非常によく使うものだけが並んでるっていう感じで、
これがそれぞれどこの下にあるのかがまず分からないようになって。
分からないほうがもしかしたら今のユーザーには使いやすいのかもしれませんけど、僕の教えようとしてたモデルと全く違ってるんで。
そこがまず困ったっていうことと、教えてて思ったんですけど、デスクトップって説明しづらいですよね。
スピーカー 2
しづらいと思います。
スピーカー 1
だってツリー構造で説明しようとしてるのに、このデスクトップだけなぜか画面の後ろに出てることになってるんで、
ツリー構造から逸脱してるんですよね。よくよく考えると。
これ結構不思議なもんやなっていうのと改めて確認したという話と、
オフィスの中でとりあえず文系の学生なんで、エクセルよりはどっちかというとワードの話になってくると思うんですけど、
スピーカー 2
ワードも教えだすとキリがないというか、
スピーカー 1
簡単な話、太字にするとかはいいんですけど、それこそアウトラインモードみたいな話まであって、
おそらく学部の後半には論文を書くことになって、そうなるとアウトラインモードっていうのはほしいなわけですが、
これをこの1年の段階で教えるべきなのかっていう問題もありましてですよ。
アウトラインモードを教えようと思ったら、つまり文章を構造化して書きましょうって話がまずセットになりますよね。
見出しを作ろうっていう。
これもう文章講座ですよ、こうなってくると。
ワード講座をちょっと超えちゃっている話になってくるんで、
どこまで教えたらいいのかなっていうことを、今現在も教えている最中で悩みながらしてるんですけど、
無限に時間もあるわけではなく、当然4月までに一定の使えるレベルに教えたいところなので、
僕、自分で言ったワードはほとんど検索しながら覚えたんで、体系的な入門でも受けたことがないんで、
どんな風にどんなレベルまで教えたらいいのかなっていうのを結構難しいなというのを教えながらちょっと感じてましたね。
ロギング生活術の重要性
スピーカー 2
ワードは多分全部教えようとするとダメなので、
多分通常の、例えばせいぜい数センジ、4センジから5センジ程度までの単なるフラットなワープロとしての使い方がまずできるようになること。
それ以上必要なければ教えなくてもいい。
論文とか長めのレポートとかを書くことを要求されるようになってから初めてアウトラインモードに入るっていう。
実は今までこうやってフラットに使ってたけれども、実は長いものを作るときにこういう便利な機能があるよっていう段階にしたほうがいいというのが私の経験値ですね。
スピーカー 1
なるほど、その辺は意識しておきます。
とりあえず、不当字にするとかイタリックにするのを教える前に、見出しとタイトルをさっき教えましたね。
スタイルを使おうと先に言っておきましたね。
普通に考えても2つ以上の見出しを使う2つっていうのは、見出し2が2個あるとかっていうような文章を書く場合にスタイルを使わないと動画がめんどくさいことになるわけですから。
スピーカー 2
そのスタイルはあれですか、見出し1、見出し2のやつですね。
それを使っていれば、それを使う癖ができていれば、それでアウトラインモードに切り替えればその見出しがアウトラインになるんで。
スピーカー 1
なるっていう感じに進むでしょうから。
特に文章、ワードを使って文章を書く場合、先に見出しを教えたほうがいいかなと思って。
僕はそういう教え方をしてもらわなかったんで、ずっと先に不当字にしてたんですよ。
Bとかを選んでたんですよ。
で、後々、サイズを変えたくなったら全部を1個1個変えるみたいなことを昔はしてたので。
先に手癖をちゃんと構造的に書くっていう手癖をつけてもらった方がいいかなと思って、先にスタイルを教えたという感じですね。
それは世の中のワードユーザーの97%ぐらいがそうやってるので。
スピーカー 2
日本で構造的に文章を書くっていう練習をしないままに大学生になってしまうというのが多分問題だと思うんですけども。
スピーカー 1
その辺を意識して、将来的な知識の有効性を考えた上で教える順番を考えておるというところですね。
スピーカー 2
お疲れ様です。
スピーカー 1
結構面白いですね。人にWindowsについて教えることが今までなかったので、いろいろこっちも学ぶところがあるかなという感じですね。
スピーカー 2
僕多分今のWindows教えられないかもしれないですね。
スピーカー 1
ほんまに難しかったですね。
スピーカー 2
そもそもデスクトップっていう概念があるんだったら、ファイル操作も昔のMacみたいにフォルダーと書類っていうメタファーにしないと整合が取れないんですよね。
確かに。
WindowsってデスクトップだけMacの場にして、Explorerの中はいわゆるディレクトリがそのままの階層構造になって表示されてるんで、そもそもあってないんですよね、デスクトップと。
スピーカー 1
だからファイルを保存しましょうということも教えたかったんですけど、どう整理するか教えたらいいのかなっていうのが、整理の構造を自分で作るみたいな話も難しい。
とりあえずデスクトップに保存しておけばいいっていう投げやりな教え方から始めたんですけど。
1年経った後ぐらいにファイルがあふれ返ってたらまた別の整理の方法は教えますが、それができるのがデジタルの良いところなんで。
なかなか情報整理の話も教えないとパソコンって使えないよなという感じはしますね。
スピーカー 2
そうですね。一気にパソコンとアプリを教えるって難しいですね。
スピーカー 1
難しいですね。僕らは遊びとかで趣味で使ってて徐々に覚えていったということで、学業的な要請が先にあったわけではないんで、ゆっくりできたわけですが、
この短期間で仕上げなければならないというハードルがありますね。
もう1個細かい話題なんですけども、ロギング生活術ということが最近密かなブームでして、そんな大した話がなくて、
Cosenseの自分のプロジェクトで日ごとのメモを取っていきましょうというような営みが行われていまして、
この話自体が地味なんですけど、すごく距離感がいいというか、かすかに昔のブログブームのことを思い出しているというか、
誰かが何か書いていると、それを読んで自分のCosenseのページにリンクとともに書くという感じで、
タイムライン的なメンションとかリプライではないんですね。
自分が言及した人が自分のページを見ている場合は目に入るけど、
意図的に見に来ない限りは目に入らないという、呼びかけというような感じではないんで、
結構気悪に書けるし、読んでもらえたらちょっと嬉しいみたいな、
SN的関心領域とは違うけど、少し緩い関心領域というのが人々の間にはぐも組まれているなというのと、
やっぱりアフィリエイトで稼ごうみたいな話がほとんど入ってこないやり方なので、
これはなかなかいいんじゃないかなというのを感じているところですね。
スピーカー 2
そうですね。あとああいう反アウトプットというモードが実はすごく思考を活性化させるというところがあるので、
いいと思いますね。
スピーカー 1
みんなやりましょうと言うとまたブーブーになってまたそれは違うんで、
おそらく面白そうやなと思ってマネしていく人が増えていくのがいいかなって思っているのと、
僕は生活術というよりはメモ術というか、これまでツイッターのタイムラインを自分のメモ帳側にしていたんですが、
それを自分のコセンスページに移した結果、異常にメモをしているなということに気がつきまして、
他の人とページの長さが全然違うんですよね。
スピーカー 2
そう思います。
スピーカー 1
これはかなり異常なことをしているのではないか。当然僕がこれまでずっとメモをする人生を送ってきたんですが、
メモ能力が基本的に高いからこうなっていると思うんですけど、
比較して分かることがあるなというのを改めて。
スピーカー 2
それは今まで気がつかなかったのかぐらいの感じですけど。
スピーカー 1
全然気がつかなかったです。こんなに僕のメモが多いなと改めて気づいたのを発見したね。
スピーカー 2
これはね、多いです。だから他の人がやるときに、
倉下さんぐらいの分量でやろうとするともう多分、わーってなってしまう。
スピーカー 1
いろんな人のメモを見たら僕だけが異常ということがわかると思うんで。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
その辺の相対化はちょうど複数人でやることのメリットだなと思いますけども。
スピーカー 2
そうですね。長かろうが短かろうが、自分が心地よい長さでそれぞれがやるというのが一番いいですよね。
スピーカー 1
そういうのができるのはやっぱり自分のプロジェクトページだからこそという感じはありますね。
自分の領域で書けばいいと。
あと似た話というか、TwitterでチャットGPTに自分がやったことを報告しながら勉強すると脱線が抑えられたみたいなツイートがあったんですけども。
見ながらロギング勉強実施だなという話をツイートしたんですけど。
やってることは基本的に全部一緒なんですね。あるノートとか場所に自分がやったことをやった後に書くことで、常に脱線していっても本線に戻ってこれる保険をかけておくみたいなことだと思うんですけど。
ロギング仕事実はビジネス省やからロギング仕事実の名誉って書いたわけですが、ロギング勉強実はロギング生活実は全て同じコンセプトなんで全部やっていることというか。
スピーカー 2
やってることと同じですね。
スピーカー 1
これねやっぱり単純に考えてロギング生活実、勉強実の方が必要としているあるいは実践できる人の大きさって広いんですね。
男性、仕事してるより一人生活してる人が多いわけですから。
でね、これはね僕結構、なんていうんですかね、器用対効果が非常に高い方法だと思うんですよね。
スピーカー 2
そう思います。
スピーカー 1
あんまりこういうとコスパ感があるんですけど、やってることはそんなに大したことではなくて、でもそこから得られるメリットが非常に大きい。
で、脱線から戻ってこれるっていうのも僕らの注意力3万な人生において非常に有効なんですけど、やっぱり記録が残っていくとか、自分がやってることをメタ的に見られる能力っていうのは、
人が生きていく上で多分活用できない場所がないというぐらい汎用的な能力だと思うんで。
あんまり力強くこれで成功だというのもあれなんですけど、騙された思って試しにやってみる。
かつて勉強に限らず生活においても、なんかちょこちょこメモしながら進めていくっていう非常に有益な方法やなっていうのを再確認してますね。
勉強と仕事の共通点
スピーカー 1
いろんな人の報告を聞くと。
スピーカー 2
そうですね。
で、今のと同じ話ですけど、やっぱり小田下さんがロゲング仕事術の本で書いたことは多分ほとんど全部そのまま勉強にも応用できるし、単なる生活にも応用できるというか、
勉強も仕事も生活の一部なので。
スピーカー 1
確かに。総合的に言うと全てロゲング生活術の一部ということですね。
スピーカー 2
そうなんですよね。それをビジネス書というジャンルの中で仕事にむしろ絞って出したという感じだと思うので。
だからこれほど適用範囲の広いものはそうそうないかもしれないぐらい広いかもしれないが多いですね。
広いですよね、多分。
スピーカー 1
もともと非常に抽象的な方法論でほにゃららしながら記録するということなだけで、何をどう記録するかは丸投げというか、
使う人任せになっているからこそ適用範囲は広いと思うんですけど。
それこそだからロゲング生活術っていう風にまでレイヤーを上げると、全てはノートから始まる実践編と置き換えられると思いますね。
全てはスペノーというのはもちろん人の生活全般とノートの関係みたいなことを解いていたので、
ロゲング仕事だと仕事という風に限定してしまっていますけど、
当然交互能を一番強く求めるのは仕事の領域なので、ノウハウを必要とされるのはおそらく仕事術なんでしょうけど、
そういうことを仕事でやっていたら、逆に生活の他の場面でもログしてみようかと思いやすくなるという風演させるような力はあるのかもしれないですね。
スピーカー 2
そうですね。あと、僕その言葉嫌いですけど、いわゆるワーク・ライフ・バランスに悩んでいるような人っていうのが、
その仕事だけじゃなくそのライフのところ、そのライフと仕事の境界をどうするかっていうところも、
このロゲングというのが非常に役に立つような気がするんですよね。
だから、生活全般、仕事とそれ以外って分けるというよりも、その人の必要としている部分でそれぞれに役に立つということが言えるんじゃないかと思います。
仕事と読書の相互作用
スピーカー 1
そうですね。だからこの辺はいろいろ軽めにロゲングしていこうという感じで言っていけばいいんじゃないかな。
あんまり堅苦しい方法論とって捉えると多分間違ってしまうんで、気楽なログでいいんじゃないかなとは思いますね。
今回のテーマなんですけども、仕事と読書についてという話なんですけども、定期的に僕のタイムラインで仕事をしていると本が読めへんみたいな話が出てくるわけですけど、
その手の話でまず難しいのは、その文章が言う本を読むというのがまず何を意味しているのかなんですね。
新書大賞を取った某本では、僕が読んだ限りで言うと、その本を読むというのは実用書を読むというのはあまり含まれていないという感じとして読みました。
自己啓発書みたいなんじゃない本を読む。だからもっと言うと、あれは趣味としての活動の代表例として本を読むというような言い方がなされている。
働いているとその趣味としての活動みたいなのに力が注がれる代わりに、むしろその仕事そのものの仕事力を上げるための読書として、
本を読むことがある種の目的化されてしまうというようなことについて懸念されていたような気がするんですけども。
まず僕は本を働いてからより読むようになったという経験がありまして、
そこで読んでた本は、いわゆる自己啓発書、ガッチガチの自己啓発書もあり、いわゆる日本の著名な経営者が語る経営書、経営の心構えみたいな本。
松下晃之介とかが書いてた本とか、販売の心理学みたいな意味で、人は何を持って買うか、買うかは変。
マーケティングに接続するような心理学の本とかっていうのを読んでたわけですが、そういう読書をした結果、
例えばもっと本格的な心理学の本とか、もっと本格的な経済学の本にも手を伸ばすようになったと。
だから僕の観点で言うと、自己啓発書とかビジネス書を読んでたとしても、
そうじゃない人文的な本とかあるいは小説的な本に手を伸ばすってことは普通に全然あり得ると思うんですね。
なので、自己啓発書を読むのは良くないみたいな、あるいは自己啓発書だけ読むのは良くないみたいな言い方は、
スピーカー 2
ちょっと見ている領域が狭いかなという気はするんですよ。
スピーカー 1
ただそれは別として、そもそも僕は本が読めているわけですね。
読めない人たちも実際いるわけですね。
それはもう完全に労働時間の問題だと思うんですけど。
やっぱり説実はそっちの問題で、疲れ切っていると、
例えば自己啓発書を読むのも難しいわけですよ。
そうでしょうね。
そういう時に例えば文字もの、文字ものよりは多分映像ものに行っちゃうんですけど、
ほんまに疲れ切っている時っていうのは、
それこそ映画とかじゃなくてYouTubeなんですね。
人によっては多分TikTokだと思うんですけど、
ああいうのでメディアを摂取できるんですよ。
ギリ文字ものが読めたとしても、僕の体験上読めるのは、
ライトノベルとか、あるいは異世界転生ものと呼ばれるようなやつなんですね。
スピーカー 2
それらは何かっていうと、主人公が葛藤しないんですよ、ほとんど。
スピーカー 1
いわゆるチートって呼ばれるやつで、
基本的に困ったことが起きても絶対にピンチに陥ることはないみたいな。
勝利が確定されているような、地盤が緩ぐようなことがない、
安心して読んでいける本はギリ文字ものでも読めるんですけど、
例えば疲れ切って帰ってきて村上春樹の創世図から読めるかっていうと、
スピーカー 2
これは僕の中でも無理な領域なんですよね。
スピーカー 1
だからやっぱり、本が読めないという状況があったときに、
自己揮発を読む読まへんは別としても、
疲れ切って小難しいような本が読めない状況っていうのは、
確かにケアしなければならない現代的な問題とは思うんですけど、
たくさん働いている中で読書量が増えたとか減ったかっていう経験の方はありますかね。
スピーカー 2
僕は全職にいた10年間は全く本が読めなかったと言っても過言ではないですね。
ちょっと前にノートに、一月ぐらい前かな、それに関する記事を書いたんですけど、
今まさに倉下さんが言ってた、疲れ切ってそもそも読めないっていうことと、
時間がないっていうこと。
ほぼ終電で帰ってくるみたいな。
純粋に時間がないっていうことと。
もう一個のやっぱりつらいんですよね。
例えば読めるとしたら電車の中で。
電車通勤の場合ですね。
電車通勤で、例えば朝の通勤電車で座れたとするじゃないですか。
そうすると本を読めるわけですよ。
読めるけれども、そこで別に自己啓発症だろうと哲学症だろうと文学症だろうと何でもいいんですけど、
面白いとするじゃないですか。
面白い本を読むわけじゃないですか。
その後で頭のモードを仕事用にスイッチするのがすごくつらいんですよね。
スピーカー 1
ノートの記事に書いた言い方で、精神が飛翔しちゃうんですよ。
スピーカー 2
その飛翔した状態のままあの場に行って、そのモードに精神を合わせるというのがものすごくつらいんですよね。
スピーカー 1
それを結局避けるために精神が高揚するような本を読まなくなっていくんですよね。
辛さっていうのはハードワークという感じですかね。認知的ハードワークという感じですか。
スピーカー 2
むなしくなる。腹が立つ。
実際はそういう感じ方って間違ってると思うんですけど、
すべてがくだらなく見えるじゃないですか。
スピーカー 2
だけど、すべてがくだらなく見えるその時間にあと16時間いなきゃいけないみたいな。
それはかなりつらいんですよね。
だからそういう要因で読めないっていうのは結構多かったですね。
スピーカー 1
だから読めないし読まないようにしているということですから、精神の防衛として読んでないという感じですか。
防衛反応が起きちゃうんですよね。
その仕事をしている以上それはもうやむないですね。読まない読めないというのは避けがたいですね。
それを避けたら心が壊れるからそうなってるわけですからね。
スピーカー 2
それが例えば定時で帰れるのであればまたちょっと違う。
じゃあまあその後は気持ちを切り替えてまた自分の時間にっていうのがあればいいんですけど、
それがないので。
スピーカー 1
難しいというか、だからそうだね。
浅い定時で帰ってこれて、帰った後に仕事のような連絡が全く入ってこないような職場環境であれば、
もちろん働いていても本は読めますし、
それこそ精神を現実の利害関係から批准させるような本だっておそらくは読めるわけでしょうから。
スピーカー 2
そうですね。もちろんそれは性格にもよって切り替えがちゃんとできる人はできるでしょうし。
スピーカー 1
僕はその切り替えができない方だったかもしれないですよね。
しかし単純に考えると精神の批准をさせるような本を好んで読む人はむしろ苦手な人が多いんではないかと勝手に推測はしますが、
そもそも本っていうのがそういう役割を持ってますよね。
目の前の現実と位相をずらすっていうところに自分を持っていくという機能が多分あると思うんで、
現実の力が強すぎたときにそのズレが逆に仇になってしまうということが多分あるんでしょうね。
スピーカー 2
そうですね。
だから読める読めないっていう話の前に、
仕事がどういう環境なのか、読める読まないって言っている本はどういう本なのかとか、
いろんな要素があるんで、
単純に時間がなくて読めないという場合もあるでしょうし、
時間があっても読めない場合もあるでしょうし、
単純な時間のある出しの問題もあるかもしれないし、そのメンタルの問題もあるだろうし。
メンタルと読書の関係
スピーカー 1
メンタルの問題の方が大きい気がしますね、きっと。
だからそのメンタルの問題が解消されへんまま、
例えば労働時間が30分減ったからって、その30分が本読みに当てられるかって、
多分そういう風にはならないでしょうね。
スピーカー 2
そうでしょうね。
あと20代の頃は気にせずに読んでたんですよね、多分それで。
うん、なるほど。
それで会社の最寄り駅を行き過ぎたりとか、遅刻するとか、そういうことがいっぱいあったんで。
で、やっぱりその後フリーランスを経て30代で再就職したっていう時に、
やっぱり自分のその社会人としての在り方にすごい疑問を持ってたんですよ。
なるほど。
本当にこれは自分はもうダメだと思ってたんで。
なるほど。
そこをまともな社会人にこの辺りでならないと本当にもう生きていけないという気持ちがあったんですよ、30代半ばぐらいの時に。
スピーカー 1
なるほどね。
スピーカー 2
だからいろんな要素がありますよね。
スピーカー 1
そうですね。
例えば技術職、プログラマーの方とか、会社によりますけど、
例えばプログラミングの技術書を買うことを会社そのものが推奨したりとか、書籍の購入代が経費として落ちたりとかっていうことがあるらしいんで。
やっぱりその仕事のニーズにマッチする本を読むっていうことは普通に現代でも行われてますし、
それはあの本で語られてた、昔の時代からの仕事に役立つ本は読まれてたんだという話とそこは変わっていない。
例えばそのプログラマーの人がそういう自分の技術を高めるために本を読むってことは、別にその資本主義に負けてるからとかではなく、むしろそうやって技術が悪かったら転職とかできちゃうわけですから。
そうですね。
無理やりやらされてる感じはないと思うんですけど、企業によっては自分の時間で会社が読んだほうがいいと思ってる本をやんわり読まされるようなことがあるらしく、
そういうことにするに、その会社の経営者が書いた本とか、それはもう完全に資本主義の間の手に染まる読書やと思うんで、そこをどんな本をどんな目的で読んでいるのかというのがまずあるのと、
本が読めなくなるという言い方って、そもそも本が読みたいという欲望があるのにそれが達成されないというようなニュアンスがあると思うんですけど、そもそも読みたくない人もいっぱいいると思うんで、別に読まなくてもいいけど、
日本の労働環境と趣味
スピーカー 1
その人が趣味の活動を持ってたときにその趣味に専念できひんようなこの日本の労働環境は問題だというのはそうでしょうけど、やっぱり例えば仕事があって趣味ができひんことはおかしいとあんまり現代まで言われてこなかった歴史はあると思うんですよね。
特に20年ぐらい前まではそのいわゆる企業戦士みたいな言葉がどう考えてもクレイジーな言葉が普通に流通してましたし、それはもうその時代の一般的な感覚と合致してたからだと思うんですけど、それこそがワークライフバランスですよね。
ライフと対峙されるぐらい高い位置にワークがあったわけですが、今そういうことを初めて問題視されるような時代になって、なんで働いてたら趣味の時間が取れなくなるっていうことが問題としてちゃんと認識されるようになる時代になってきたということなのかもしれないですね。
スピーカー 2
そうですね。それ自体はいいことなんでしょうし。
あと働いてると読めないっていうのも当然あるんですけど、それだけじゃなく特にメンタル要因で読めなくなるパターンは働いているというだけじゃなくて、
例えば家で介護問題があるとか、家族の病気があるとか、そういうことがあってもおそらく本が読めないということは起こるので。
スピーカー 1
そうですね。特に小さい子供がいる家庭は。
スピーカー 2
そうそう。子育て前世紀だからね。
スピーカー 1
精神面でも環境面でも落ち着いて本を読むことは不可能でしょうね。
そうなんですよね。だからそうすると、じゃあすごく安定して趣味として本が読める状況って、むしろ思っているより少ないんじゃないかという気もします。
いわゆるモラトリアムの大学生か、専業主婦で旦那さんがあまり家に帰ってこないとか、主婦とかそういう、結構レア、人生のトータルで見たときに少ない気はしますね。その期間っていうのが。
スピーカー 2
専業主婦でもおそらくメンタル問題で読めないは出てくると思いますよ。
読書の困難さ
スピーカー 2
仮に時間があるように見えても、メンタル的に読めなくなるということはおそらくあると思いますね。
スピーカー 1
だからメンタル的な余裕の有無、気にしていることの数が多いという状況では、本があっても文字が読めても文字が読むのが好きでも多分読めないということにはなるでしょうね。
スピーカー 2
そうですね。逆に言えば純文学書は昔から若い時、青年期には読めたけどそれ以降読めなくなるというパターンが多いじゃないですか。
スピーカー 1
そうですね。それは。
スピーカー 2
だからそれは逆に今に始まったことじゃないんですよね。純文学書とか哲学思想書っていうのは大体普通の大多数の人は青年期を過ぎて家庭を持って仕事を持って子供を持ってっていう中で読まなくなってくる方がおそらく多数だと思うんですよね。
スピーカー 1
そうですね。やっぱり純文学を読むそのものが特殊な体験であることは間違いないわけで。
それこそだって目の前の現実の以外のことを考えるわけですから、目の前の現実のことを考えざるを得ない人たちはそもそも読めないわけですから。
スピーカー 2
そうなんですよね。
逆に読む人はどんな障害があろうと読むっていうパターンの人もまた一定数いるわけですよね。
スピーカー 1
そうですね。その人たちは現実がどうであろうがあんまり気にしない領域であるわけですね。
逆に現実を犠牲にして読むっていう人もいるし。
スピーカー 2
なかなか一概には言えないですけど、ただ一般的にはおそらく年齢を重ねるにつれて、普通本は読まなくなっていくんじゃないかと思うんですよね。
スピーカー 1
だからそれが日本文化的なものなのか、もっと世界レベルなものなのか、現代的なものなのか、まあ識字率の違いがあるからもうこれは統計取れないとは思いますけども。
どうなんですかね。でも例えば純文学というのを考えたときに、より楽しめる年齢は逆ですよね、おそらく。
スピーカー 2
そこはどうでしょうね。文学の内容にもよりますし。
スピーカー 1
例えば白芸を高校生の時に読むのと、自分がおじいちゃんになった時に読むのと、やっぱりその味わいの深さみたいなのはだいぶ違う。
おじいちゃんの方が深く味わえる気はしますけど、読める体力があるかどうか。
スピーカー 2
そうですね。あとあれは結構化学、生物化学読み物的な要素もあるんで、若い時にそういう興味関心のもとに読んじゃうって場合もあるだろうし。
まあそうですね。純文学、もちろん文学にもよりますけど、例えばやっぱり恋愛小説というのは、その内容の切実さがやっぱり年齢とともに連れていくので。
スピーカー 1
確かに。それを間違えないですね。
スピーカー 2
そこは仕事とかとは関係なく、読まなくなっていく人の方が多い。
うん、そうですね。それは自然なものが。
まあ不倫者的なチャンルもあるんで、ちょっとわかんないですけど。
確かに。
そうですよね。
スピーカー 1
一人の同じ人間であって、同じ環境にいたとしても本を読む、読まないっていうのは変わっていく以上。
そう。
社会学的に何か言うのはちょっと難しいですよね。
スピーカー 2
そうですね。だからかなり限定しないと言えないことではあるかもしれないですよね。
スピーカー 1
僕なんかはこのフリーランスになった理由の25%ぐらいは、買う本題が経費になるというようなことは多少あったので、だからどっちかと言って異常側の人間だと思うんですけど。
スピーカー 2
まあそうですね。
スピーカー 1
かなり特殊な。
スピーカー 2
特殊側ですよね。
スピーカー 1
例えばこの新書では、全力全身で仕事をするんじゃなくて半身半分、ハーフスタイルで仕事をしましょうみたいな話があったんですけど。
それはまあごもっともなんですが、例えばそのような仕事の仕方をして、その人の職の安全性が損なわれる可能性が常にあるわけですよね。
スピーカー 2
で、辞めさせられてもいいかなっていうキラキナオリでその態度を取るのは別にいいとは思うんですけど、ちょっとアドバイとしては危ういなという感じがしたんですけども。
まあそれも限定しての話ですよね。
スピーカー 1
そうですね。さっきみたいにメンタル的に精神が飛翔しちゃった状態でいくと辛いということがあったときに、
スピーカー 2
それを例えば自分の半分だけでそこにいることによって自分の自己を防衛するっていうのはありうる考え方だと思うし、
逆に気真面目すぎてそれができないことによってメンタル壊しちゃうパターンもありうるんで。
これは全然あってもいいんですけど、一方で全身全霊をかけて仕事をするということの幸せというのが当然あるわけで。
そうですね。
会社に全身全霊を捧げるという意味ならそれは半分にした方がいいかもしれないけれども。
スピーカー 1
職務と会社はまた別ですもんね。
スピーカー 2
そうですね。仕事、自分のライフの一部としての仕事ということに全身全霊を捧げうるというのは非常に幸福なことでもあるので。
うん、確かに。
それも捉え方というか、位置が見れば見れないですよね。
スピーカー 1
それぞれの人が自分のライフデザインをしていかなければならないという切実な問題が多分提起されてまして、
この本に書いてあったからこの辺で働けばいいということではもちろんなく、本を読まなければならないという話でもなく、
スピーカー 2
本が読みたいときに読めないという状況に自分なりの問題解決をどう入れていくのかということを考えなければならないということでしょうね。
まあ単純に例えば学生時代に本をたくさん読んでいた人がいて、で就職して昼間のほとんどの時間を職場で過ごすことになって、
当然読める本の数は減っちゃって、ああ辛いなっていうのはごく普通のことだし、それを辛いと思うのは全然おかしくないと思います。
スピーカー 1
全然おかしくないですね。辛いと思った上でどうするのかっていう判断が迫られて仕事を辞めるという選択もあるし、
今の時期はこれで仕方がないから、あとはもうちょっと偉くなって仕事を読む時間、本を読む時間を取れるようになろうみたいな自己啓発的決意を抱くということも一つの選択ですからね。
スピーカー 2
そうですね。あと、手当たり次第読んでいたのを絞ってね、本当に読みたい本だけを読むようにするとかいろいろありますよね、そこは。
スピーカー 1
うーん。だから一つの解決っていうのは当然なくて。
特に少なくとも、僕なんかは結婚はしてますけど子供がいないんで、同年代の子供がいる人に比べて自由時間っていうのはひどく多いわけですよね。ひどく多い人生を送ってきたわけなんで。
それは本を読めて当然やろうなという感じは僕はするわけで。
スピーカー 2
難しいよね。
そういう置かれている環境も人の人によって全然違うので、だからやっぱり一番意味がないのは何冊本を読んだのかっていうことを、自分の励みとして自分で思うのは全然いいですけど。
本との付き合い方
スピーカー 2
それで何かね、マウント取り合うみたいなのはあれですよね。
スピーカー 1
やっぱり本と人の関係、読書と人生における読書っていうのはそれぞれ一人一人違う。
本と人の付き合いっていうのが僕の中で人と人の付き合いに似ているところがあると思う。
一概には言えないし、どんな関係であれば健全かっていうことも人によって違うので。
だから難しいですね。監視者において出世するためにはこのスキルを学びなさいみたいなことは法定的に言えるかもしれないですけど。
生きる上で読書をどう位置づけるのかっていうのは、ちょっと一義的には言えないですね。
スピーカー 2
そうですね。ただやっぱり、本を読んだ方が偉いっていうことは全然ない。
僕自身が本をそんなに読んでないので。
でも、僕は言うのおかしいんですけど、いわゆる本を読んでいる人に比べると全然本を読んでないので。
僕が言うのはおかしいんですけど、だから本なんか読まなくていいんだよとは言い難い。
この漢字って読まなきゃいけなくないけれども、だから読まなくていいんだよとは絶対に言えないという、
アンビバレントな漢字がありますよね。
スピーカー 1
でも読みたかったら読めばいいというタイプの趣味という活動ですよね。
スピーカー 2
そうですね。そうなんですよね。
スピーカー 1
やっぱり読まされる読書ほど苦痛なものはないと思うので。
読みたい自分の地域好奇心を広げるための一つの有効な手段であって。
だからやっぱりね、その地域好奇心の広げ方を間違うと賢くならないというか、
たくさん本を読んでるけどてんてんてんみたいなパターンも普通にあるので。
むしろそのほうが多いかもしれないですけど、
バランスよく本を読むとか、本の内容を知恵にするというのは一つの技能であるので。
手当たり次第に目についた本を読んでは賢くなるかというと、
スピーカー 2
そういうのとはむしろ逆の方向に行きがちな感じがしますけどね。
そうですね。
でもそう考えるとますます本って本当の好きが言った人、確かに人好きが似てますね。
うん、そんな感じがしますね。
たくさんの人に名刺を配ったから何かが深まるというわけではないのと同じで。
そうですね。
スピーカー 1
どうしても自分に相性がいい本、悪い本があるっていうのと、
相性がいい人がいる、悪い人がいるっていうのも似てますし。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
ごく一部の人とすごく親しくなって、ある程度の人はそこそこの知り合いみたいな、
スピーカー 2
この距離感も本と多分似てるなと思いますね。
あとやっぱり僕は本をたくさん読んだ人間ではないんですけど、
でも少ない読んだ本は確かに糧になっているのは間違いないので。
そうですね。
スピーカー 1
どういう目的でっていうことをすごく対別したときに、
新しい知識の獲得ということか、新しい考え方を知るとかもありますし、
小説の場合はやっぱり自分以外の目線で生活を見るということが多分あって、
自分以外の目線で生活を見るということは、
本を読むとか映画を見るというようなメディア体験でない限り絶対に起こらないと思うんですよね。
特に映画よりも小説の方が実は効果が高くて、
というのも映画って画面じゃないですか。
画面のどこに注意を置くのかは僕ら次第じゃないですか。
でも小説の主人公がどこを見ているのかは、
もう僕ら強制的にその眼差しになるわけですね。
読書の重要性と文化の理解
スピーカー 1
例えば千葉先生の本を読んでいると、
男性を見たときに筋肉の突き方とかを見ている描写があるわけですよ。
僕は生まれてこの方そんな姿勢を持ったことがなかったので、
そういう他者の眼差しを自分に憑依させる効果が一番高いのが文字メディアなんですよ、僕のイメージで。
それがやっぱり社会学とか文化人類学とかで他の国の文化を知るというのに似ている効果がありまして、
自分以外のものに自分の視線が揺さぶられる効果っていうこと。
こういうメディア体験っていうのは少なくともSNSとかでは起こらない。
SNSは逆に自分に同化する視線ばかりが集まってくるので。
そういう意味で一章のうちに何冊か本を読んだほうがいいんじゃないかなということは言えると思いますけど。
スピーカー 2
あと、本を読むことによって自分に何が起こるかっていうのは読んでみないとわからないこともあるので。
スピーカー 1
やっぱり可能性ということを考えたときに、やっぱり本という可能性を除外してしまうのはすごくもったいないことというか。
読んだことがないから読まないっていうのはおかしいですね。
読んだことがないから読もうってやって。
読んだ結果これは違うなと判断して読まなくなるっていうのは自然な流れだと思うんですけど。
結構残念なのは日本人において最初の読書との出会いが読まされるっていう読書感想文の場合が多分多いと思うんですけど。
読書感想文と内面化
スピーカー 1
本の次が読書感想文の場合、多分本はあんまり好きにならないと思うんですけど。
そうですね。
スピーカー 2
読書感想文の書き方を強制されなければまた死もましになるかもしれない。
スピーカー 1
選ぶ本がここから読みなさいはギリいいとしても、読書感想文がねやっぱりまずいですよ、あれは。
スピーカー 2
そう思いますね。今でも昔と同じだろうかわかんないですけど。
スピーカー 1
感想じゃないですもん、あれだって。
社会的に合意されるものを書きましょうっていう暗黙の要請があそこにあるわけで。
スピーカー 2
普通に考えて、逆殺を行った独裁者に共感しましたなんていう観測は認められないわけですから。
スピーカー 1
でも本来は例えばそういう感想ができたときに、どう考えてそうなったのかとか、別の考え方もあるんじゃないですかって先生との対話が起こったとしたら素晴らしいですけど、
そうはなってない。あれはだから顔色をうかがうための作文技術ですから。
そうですね。
自分の声を押し込めるための文章術という意味で、それは文章を書くのも嫌になりますし、本を読むのも楽しくはないでしょうね。
スピーカー 2
そうですね。だからあれが逆に裏から他人の心を動かすための技術を要請して捉えられるような人だったら楽しいかもしれないですけど。
スピーカー 1
確かにね。意識的にやる場合はいいですけど、たぶん子どもは無意識にそれに同化するんですよね。
自分がそれをしていることがわからんままに人の大人にうんって言ってもらえるものを書こうとしている。
だからそこで規範の内面化が行われてそのまま大人になってしまうというところがあって、
やっぱりこの文章を大人になって書くときにそれをいかに打破するのかがたぶんポイントになるのし、
逆に言うと文章を書くことで初めて自分が持っている規範性を築けるんじゃないかなと思いますね。
スピーカー 2
そうですね。でも確かにその意識しないまま規範性の内面、規範の内面化が行われてしまって、
それが更新されず大人になって非常に辛い思いをするというパターンはありそうですよね。
スピーカー 1
規範というのは自分にとって空気のようなもので、自分がどんな規範を持っているのかは気づいてないですね。
やっぱり文章を書くときほどその規範との戦いが出てきますし、
単位自分、自己完結するものなのであんまりそれしたことで人を傷つけることもなく、
だからこそ危ない面もあるんですけど、でもまあ一つ方法としてあるんじゃないか。
自分がいかにどんな規範を持っているのかって、初めてメタで分かるのが執筆という行為じゃないかなと思いますけども。
スピーカー 2
今思うと僕でも今でも文章を書くのが好きですけど、やっぱり生まれて初めて学校で褒められたのが作文なんですよ。
スピーカー 1
なるほど。
だからですよね多分。一番大言まで。
スピーカー 2
そうするといかにそれが子供にとって大きいかっていうことは分かりますよね。
僕は最初全く作文の定義ができなかったんですよね。
ツイートが並んでるみたいに、ランダムなピースが並んでるような書き方しかできなかったのが、
多分親に手伝ってもらったんだと思うんですけど、
結局一度書いた後でそれをまた順番に流れるように直して書く。
それは別に親にあれしてもらったわけじゃないんですけど、
一度書いたものを見ながらもう一回書き直すようなことをどっかでやったら褒められたんですよね。
その成功体験がものすごく大きくて。
スピーカー 1
はい、分かります。
スピーカー 2
よくよく考えると、今やってることと同じこと。
この年になる今に至るまでそれが続いているっていう。
スピーカー 1
そうですね。
それは思うんですけど、
例えば何の労力もなく頭から辛さでできた文章を書いて褒められるのと、
その苦労したものが褒められるのと、多分質が違う気がしますね。
そうですね。
やっぱりその工夫を褒められるっていうところが何て言うかな。
言ったら才能を褒められたわけじゃなくて、実論を褒められる感じがするんですけど。
表現は難しいですか。
そこに自分の寛容があったっていうことが褒められたっていうのが嬉しい気がしますね。
スピーカー 2
そうですね。
だからそこで、でもそこで何かがやっぱり内面化されたんですよね。
で、その時にどうやっぱり何を褒められたかっていうと、
文章の良さを褒められたわけじゃないんですよ。
内容を褒められたんですよ。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
内容っていうのは要するにいわゆる今さっき話してたみたいな、
大人が褒めるようなことを書いたんですよ。
読書と職場環境の関係
スピーカー 1
なるほど、なるほど。
スピーカー 2
で、僕それかなり意識的に書いてある。
スピーカー 1
なるほどね。
スピーカー 2
大人褒めるだろ、先生これきっと褒めるな。
この流れ褒めるなっていうものすごい流れを計算した。
もしかするとそれは見抜いた上で褒められたのかもしれないですけど。
スピーカー 1
二重に。
スピーカー 2
今となってはわからないですけど。
非常にそういう企みを含んでいったのがむしろ良かったのかもしれないですね。
それが自分の人格の中に同一化しちゃったりする。
その書いた内容が。
これは意識的に自分が作ったものだという自覚があったからまだ良かったのかもしれないですね。
スピーカー 1
つまり作品やったわけですね。
スピーカー 2
そうそうそう。
なるほど。
スピーカー 1
今お話だと思いましたけど、全く変わってないですね今でも。
スピーカー 2
やってることが。
スピーカー 1
三つ子の魂になんとかやられたやつですね。
スピーカー 2
本当に11歳でやってることと。
本当に人間というのが、なんというか。
スピーカー 1
現象に取り入れられたものに。
逆にその時代にそういう褒めをもらえなかったとか、
むしろ減らされてしまった経験しかない場合は後を引くんだろうなと逆に思いますけどね。
そうですね。
スピーカー 2
そうやって褒められるだろうと思って作った内容を褒められたこと、
それを自分の内面もしくは人格を褒められたというふうに捉えてしまうと、
後がたぶん大変だったんじゃないかと。
スピーカー 1
自分の生き方そのものがそこから逸脱できなくなってしまう。
スピーカー 2
そうそうそう。
確かに。
逆にそれでか大人はこうやれば簡単に褒められるんだっていう、
逆の意味の悪い内面化をしてしまうということも、
その怪我、僕はちょっとありましたけど。
それはあるでしょうね。
嫌なガキになっていくわけでしょ。
痛い目にあって、こうやれするわけですけど。
スピーカー 1
でもまあ、安心の大人にちょっと先を行ってるような、
大人だってそうやって文章書いてるじゃないですかね、基本的には。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
読書が何とかっていう話の前に、
その人がどう読書と関係を結んできたのかっていう話も当然あって。
だから一口で読書っていう名詞で表せますけど、
一人一人その内実が違うわけですね、基本的に言うと。
スピーカー 2
本当そうですよね。
スピーカー 1
まあ難しいよね。
スピーカー 2
逆に自己啓発書から読書と呼ぶにふさわしいものを受け取る場合だって当然ある。
もちろん全然あるでしょ。
あんまり自己啓発書だからっていうのは違うと思いますね。
スピーカー 1
そうですね。
例えば自己啓発書を日本で言うと、
7つの習慣という本があるわけですけど、
あれ例えばキリスト教的な考え方もありますし、
ストア哲学の考え方も入ってますし、
参考文献としては上がってませんけど、
読んでいた、これやなっていうのがわかる要素とかいっぱいあるわけで。
そういうのに親しんでると、
新しい知見とかに触れたときに、
ああこういうのって書き手なんだなっていう知の繋がりみたいなのが見えてくるわけですから。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
本当におっさんがグタグタ言ってるような本は別として、
ちゃんと書かれてる本はやっぱり何かしら知のネットワークに接続してるわけですから。
つまり自己啓発書にもピン切りがあるわけですよね、当然。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
それにのめ込んで、周囲から浮いてしまうような人たちもいるわけですけど、
でも自分の言い方を自分の手で変えていくっていうコンセプトそのものは、
個人主義に陥りやすいという罠はあるものの、
別に悪いことではないかなとは思うんですけどね。
スピーカー 2
そうですね。
なかなか読書とはとか、本を読むにはとか、なかなか簡単には言えないですけど。
スピーカー 1
そうですよね。
だから例えばこうすれば時短で、
例えば朝一本早い電車に乗ったら空いてて座れて読書できますっていうノーライフワークがあったとして、
でもさっきの話で言ってそれでも読めるかって言うと、
そういう問題でもない上に早起きしたから避けつかれてるみたいなこともあるわけで。
スピーカー 2
あり得ますよね。
スピーカー 1
こういうノウハウの語る難しさですね。
スピーカー 2
そうですね。
でもさっきあくまでも自分の感覚としてそういうのが辛いんですよって言いましたけど、
そこを逆に切り替える訓練だというふうに捉えて、
なるほど。
何かいい効果を得られる人だってもしかしたらいるかもしれないし。
スピーカー 1
確かに。
スピーカー 2
だけどそれができないから別に悪いとは思わないし。
結局そういう経験を自分の糧にできるかどうかというのはその人によるわけですよね。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
ただやっぱり絶対的にその環境が無理っていう場合はあり得るので。
そうですね。
スピーカー 1
だいたい今のところ日本人で本を読みたいけど読めないと思っている人は環境由来のことが、
それは職場なのかもしれませんし家庭環境なのかもしれませんけど、
そっちの由来の理由が多いと思うんで、
多分ちょっと自分が頑張ったくらいでどうにかなることではないような気がします。
スピーカー 2
ない。ないと思います。
ないから自分の責任、少なくとも100%自分の責任ではないんですけど、
でもいろんな理由でそこに留まり続ける選択をするということも当然あるわけで。
そうですね。
だから自分は自然に本を遠ざけていって読まなくなるっていうことが一概に悪いことだとも言えないし。
スピーカー 1
思えないですね。
哀愁みたいな気持ちは抱くかもしれませんけど、
現状における最適な選択をしている可能性は全然高いわけですからね。
スピーカー 2
そうなんですよ。
読書と仕事の関係
スピーカー 2
だから読めるようになるためにはどうするかって必ず考えなきゃいけないわけではない。
そうですね。そろそろ。
あくまでもその時点での選択の話なので。
それで20年ぐらい経って突然何かが蘇る場合もあり得る。
スピーカー 1
もちろんそうでしょうね。
スピーカー 2
むしろそうやってブランクがあったからこそ、その蘇った後の本のインパクトが大きくなるみたいなことだってあり得るし。
スピーカー 1
だからその捉え方ができるかどうかという。
人生というスパンでどうするのかを考えるということができたらあれですけど、
今の自分が読みたい読めないみたいな時間の幅が非常に狭い考え方だと苦しさは増えるような気がしますね。
スピーカー 2
そうですね。
ただね、今読みたいけど読めないっていうその感じ、その辛さはよくわかりますよね。
スピーカー 1
非常によくわかります。
ただちなみに例えばフリーランスになっているじゃないですか。
本題も経費で落ちると。
だからたくさん本読む時間と本がたくさんあると。
じゃあそれで読書ライフがハッピーかっていうと結局一緒なんですよね。
読みたい本は読み切れない。
スピーカー 2
何をどうしてもそれはその本題は解決しないんですね。
読書環境の課題
スピーカー 1
そうですね。
もちろん読めてない人に比べて数は読んでますけども、ある種の自分の心の欲望がそれで沈静化されているかというと、
そこは全然解決されないどころか、むしろ膨らんでしまっている可能性があるので、
時間とかで解決する問題ではないんですね。これは残念ながらね。
本を読むという実績が増えますけど、本を読みたいという気持ちが癒されるかっていうと普通に増えますからね。
それは本読み一般の問題ですよね。
本を読めば読むほど読みたい本が増えるっていう現象があるので、
スピーカー 2
読性が強まっていくんですね。
スピーカー 1
むしろ例えば通勤と帰る電車の中でしか本を読まないって決めてる人の方が、
スピーカー 2
僕が言った心の渇望みたいなのは低いと思いますね。
スピーカー 1
それは健全さではそっちの方が上かもしれないです。
スピーカー 2
健全さでいうとね。
逆に読もうと思えば無限に読める状態で、
特に文学書とか哲学書みたいなパワーのある本を無限に読むと、
本に食いつぶされちゃう可能性があるので、逆の意味でメンタルがやられる場合もあるので、
バランスというものがやっぱりね。
スピーカー 1
そうですね。文学とか哲学はそういう意味での読性を強く持ってるんで、
それに比べると自己啓発書なんていうのはちょっとまだパワーが弱いというか、
もちろん問題はあるんですけど、
そういう深みにハマることはあまりないですね。精神の深みにハマることは。
スピーカー 2
そうですね。
そうですね。だから、
そんなことは考えずに読みたい本を読みたいように読んでいるという状態が一番幸せなんですけど、
間違いなくね。
なかなかそういう状態を作れないですよね。
スピーカー 1
そうですね。現代は単純に言った労働環境とか家庭環境以外に、
端末環境というかインターネット環境というかスマートフォン問題というのがあって、
スピーカー 2
読む時間も気力もあるけど、別のことに時間を使ってしまう自分みたいなものとも戦わなければならない。
スピーカー 1
そこで気にやらないとダメじゃないかなと思いますね。
それはもうそうなっているかしらないというふうに一回開き直ってからスタートした方がいい気がしますね。
スピーカー 2
そうですね。
まあ、でもあとは本って一定程度のまとまった中断されない時間がないとまともには読めないですよね。
スピーカー 1
そうですね。本の内容にもよると大抵続けて書かれているような叙述の本はまとまった時間がないと読みづらい。
読めないわけじゃないけど読みづらい。
スピーカー 2
そうですね。読んだとしても分断されていると何かが抜けちゃうっていうことがあるかもしれないですね。
スピーカー 1
逆に小難しい本はそれぐらいのペースでいいと思いますね。
スピーカー 2
うーん、なるほど。
スピーカー 1
僕の場合は哲学書とかを本当に一日一説、見出しから次の見出しぐらいまでで読んでますけど、
逆にそれぐらいの方が消化の速度に合ってる?内容の消化の速度に合ってる感じもするんで。
これもただ内容次第。
スピーカー 2
僕はそれができないのかもしれないですね。
スピーカー 1
そうかそうか。小説の場合は僕もやっぱりどっちかっていうと一気に流れで読みたいタイプですけど。
まあこれも結構本によるのかな。
スピーカー 2
そうですね。僕多分分かんなくても一気に読んじゃわないと気が済まないところがあるかもしれないですね。
なるほど。
それもどっちが正しいのかわからないですね。
スピーカー 1
結局ある種の自分の人生の幸福感とか健全さのラインを維持してるかしてないかというところだと思うので、
正しい読書とか正しい本の読み方っていうのはないわけですけど。
働いてて読めない人もいるし、働きだしたら読み始める人もいるし。
スピーカー 2
逆に働きだしたら読み始める人っているでしょうね。
規則正しく毎日同じ時間に起きて通勤するようになったために一定の時間、通勤時間と寝かけに本を読むようになったみたいな人って中にはいるでしょうね。
スピーカー 1
やっぱり社会人になってようやく大学で勉強しときゃよかったって思う人ってよく聞きますけど、
そういう動機づけから本に手を伸ばすってことも普通にあるでしょうし。
スピーカー 2
あるでしょうね。
でね、実はその大学でつまんないと思っていた授業に実は面白かったことに間に合って気が付いて、
俺のバカバカって思う人もたくさんいますよね、きっと。
スピーカー 1
だから読み手の心が準備できてないタイミングで本を与えてもあんまり意味がないわけですから。
読みたい気持ちがあるのに読めないっていうことを社会本だと捉えたときにどうするのかっていうのはまず別途あるわけですけど。
これが本との正しい付き合い方だ、みたいなのはないとは言えそうですね。
スピーカー 2
そうですね。
ただ一般的に考えて、一切本を開く時間が、それができるような自由時間がないという状態は確かにちょっとそのままではいけない感じがしますね。
スピーカー 1
それは間違いなく。
それこそがライフ&ワーク?違う、ライフワークバランスを再点検する上で自分が何時間を使っているのかを確認する。
それこそログしてみるっていうのはありかもしれないですけどね。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
ログするような時間が1秒も取れへんような職場もまずいと思うんですけど。
スピーカー 2
でもあるでしょうね。
スピーカー 1
あると思います、それは。
職務的に絶対無理ってのはもちろん、例えばホテルの前に立ってる人とかもできないと思うんですけど。
一般的なホワイトワークとか知識労働者でそれができひんとしたら、たぶんそもそもちゃんと仕事ができる環境になってない気がしますよね。
スピーカー 2
結構多いと思いますけど。
スピーカー 1
つらいやろな、それ。
スピーカー 2
常にコンスタントに割り込まれ続ける環境っていうのはありますよね。
スピーカー 1
そういう自分の認知的なものの安全性をどう保つかっていうのは現代的な切実な課題でしょうね。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
そんなところでして、仕事したら本を読まなくなった。
仕事したら本を読み出したみたいなご意見があれば、ハッシュタグ打ち合わせキャスト、ひらがなで打ち合わせアルバイトキャストまでいただければと思います。
社会における読書の重要性
スピーカー 1
何かたくさんお知らせしたいこととかございますでしょうか。
スピーカー 2
今日は特にありません。あるけど、あるけど、あるけどまたにします。
スピーカー 1
またにしますか。はい、またにします。
ということで今回にもこれまでにしたいと思います。お疲れ様でした。
スピーカー 2
お疲れ様でした。
01:16:00

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