はい、打ち合わせキャスト第88回ということで、今回もゲストにたくさんお迎えしております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
いろいろ細かいニュースがたくさんあるのですが、まずはたくさんの新刊というか、一応短著扱いになるんですかね。
たくさんの新刊がつい先日発売されまして、タイトルを今から読むんですけども、
志向のOSとしてのアウトライナーを通じて個人的情報ツールについて考える、
でサブタイトルが文章を書き考える人のためのアウトライナー活用術で情報整理対戦というタイトルの本が発売されましたと。
日中続けてぐらいの、日中続けてぐらいの版の発売なんですけど、
こちら当然3年もかかった本ではないですよね。
3年はかかってないです。
分量的にも1万字から2万字の間ぐらい、2万字ぐらいかな。
2万8千字ぐらいですかね。
で、一応アウトライナー活用術とタイトルに入ってますけど、
どちらかと言うともうちょっと抽象的な情報ツールと個人の関係性みたいなものを、
もう一回考え直してみようぜというような話として僕は読ませていただきました。
はい、その通りです。
情報ツールとか情報整理に対する個人の向き合い方みたいなことを、
僕の場合はアウトライナーを通じて考えるというような感じですかね。
そうですね。
一応この情報整理大全というシリーズが、
ポストエヴァノート一興時代における情報ツールほにゃららみたいな話だったと思うんですけど、
その中で多分エヴァノートがダメになったからアウトライナーを使おうぜっていうのでは、
全然思想的に何も新しいものが提示されてないわけで、
だからその付き合い方って人によってそれぞれだよねっていう論点がここで一つ提示されているのが、
多分このシリーズにおける旗印になるというか。
うん、そうでしょうね。そうなったらいいなと思ったんですけど。
だから最初に出版されたっていうのは、おそらくそういう意図もあったんだろうなと。
たぶん旗印になるような話が今後展開されるといいなという感じがしましたけど。
そうですね。一応そういうことを祈ってと。
いつも僕自身は佐々木さんがトップバッターだとばっかり思いながら書いてたんですけど。
一応短著みたいな見え方になってますけど、情報整理大全という大きなシリーズの中の一つで、
それはわかりますね。わかりますけど、僕意外に一つの項目からレベルアップしたんですよね。
うーん。
僕の場合それは結構非常に狭い、よくあるものばかりになってきた経験があるんで。
うーん。
まあ、その発想の傾向がある…
そうですね。
そういうのあるでしょうけど、もうスクリブナーの使い方やってるんで、スクリブナー執筆みたいなのをもうすぐにやっちゃって、
でも、なんかひねりはないですよね。そこにひねりというか、新しさというか斬新さというか、さっき言うと発想がないですよね、そこには。
うーん。
逆に多分、寅下さんは普段からあまりにも発想をしようとしているので、何かきっかけがあるとすると発想しにくいんでしょうね。
そういうことだと思います。
そうですね。
常に本のタイトルを考え出す関数が動いてる感じなので。
うーん。
だからそこは僕の場合だから、その見出しを立てるのを遅らせるというような言い方をしてもいいと思うんですけど、
そうした方が、より扱える流動のものが揃うんじゃないかなという気が。
うーん。
拙速に立てすぎると、もうその企画案ばっかりになってしまう感じがするんで。
だからまあ、その人のアウトライン感覚があると思うんですけど。
で、さっきの話で言うと、例えば2、3項目からレベルアップしたとするじゃないですか。
はい。
で、100項目以内のを集めて。
やっぱりね、僕そこでつい他も探しちゃうんですよ、その瞬間に。
うん。
これは多分やらない方がいいんですかね。
いや、そんなことはないんじゃないですかね。
ないですか。
いや、あのー、いやごめんなさいね。
これはもう別に全然、やった方がいいとかよくないっていう問題じゃないと思うんですけど。
はい。
あのー、ただレベルアップするために、全てが見通せている必要はない。
うんうんうんうん。
まあ多分間違いなく言えると思うんですけど。
そのまあ、で、見えてる範囲でレベルアップして何か項目ができた時に、
えーとそのレベルアップしてできた項目に刺激されて新しい項目ができるっていうことがまあまず一つあり、
なおかつあれ、その時に、あ、でもこれと似たことを見渡せてないんだけど、
これと似たことを何か書いた気がするっていうのあるじゃないですか。
ありますあります。
で、それをこう探しに行くっていうのはなんか、ごく自然な行為だと思うんですよね。
で、その時には多分見渡せてなく、最初の段階で見渡せてなくても、
あれどっかにあったよなーって言って探して見つかる可能性は結構高いと思うし。
はい。
僕はあとね、それでどっかに書いたはずっていうのを書いておくことよくありますね。
なるほどね。
今見つかんないけどどっかに書いた気がするみたいなことを書くことがあります。
そうか。いや、あの、その超長いアウトラインを持ってた時に、やっぱりその、
集めて欲しいと訴えかける項目たちが確実にあって、で、それで集合させて作るんですよ。
で、大概その、発想時系列で書いていくと、あの、比較的近くに仲間はいるんですよね。
はい。
人間の発想ってそういうインプットの刺激を受けやすいんで。
で、あの、項目作るんですけど、さっき言われるように、
ちょっと前に書いたあれもそうやなーって思って探すことになるんですけど、
それでね、疲れ果てるんですよ、僕の場合は。
ああ。
あの、どんどん集めて、集める作業もワークフローリーの場合って、
縦の中になると非常に面倒くさくなるんですよね。
うんうんうん。はいはいはい。
あの、本に書かれてましたけど、あの、普通にカット&ペーストしたらいいっていう発想がなかったんで。
ドラッグしようとしましたか?
ものすごくドラッグしようとしてて、もうその往復だけで疲れちゃうわけですよ、その行ったり来たり。
しかも、一回こう、ドラッグして映すと、自分がどこまで読んで精査したのかわからなくなるから、
もうね、もうこの行ったり来たりがすごく面倒くさくて、結局疲れ果ててやめてしまうんですけど。
だから、見つかった時、あえて探さなくても、また次の時見て、見つかった時に移動させるっていうぐらいの方が、
まあおそらくはいいんだろうなと、まあ特に僕の場合はですけども。
うん。その方がなんかうまくいくんじゃん。あ、多分網羅しようとする。
あの、アウトライナーに限らず、量がある時に網羅しようとすると多分、ダメなんですよね、きっと。
でも、量があるからこそ網羅したくなるんですよね。
はいはいはいはい、確かに。
あとそのあたりは、機能的な話で、ワークフローだと、いちいち見つけて、こうドラッグするなり、カットペーストするなりしなきゃいけないですけど、
それこそ以前話したの、例えばオムニアウトライナーだったら、こう一個一個、とびとびで選択していって、
グループってやると、ぴゃっと集まったりっていう、そういう機能のありなしで結構、その辺の使い勝手は変わったりはしますよね。
まあダイナリストだったら、Move2っていうのがありますからね。
もう、Move2のためだけにダイナリスト使ってもいいというぐらいなんですけど。
うんうんうん。
で、あの。
ああ、そうか、それも使えますね、確かに。
あの、僕が何年か、2016年ぐらいに使った、そのセブンライナーっていうアプリを今日久しぶりに使ったんですけど、
あれね、本当にうまいこと考えられててね、自分で言うのもあれなんですけど、
そのメインの、そのラインが並んでる、その上に別の窓があるんですよ。
はい、はいはい。
で、そこに一回置けるんですよ。
はい。
で、その全部集めといてから、その目的の場所に移動させるっていう、その一時プレイスホルダーみたいなのがあって、
これは他のツールよりも欲しいなって、ちょっと思ったんですけど、
その長くなった時の操作が、結局、Workflow-Eが一番弱いんですよね。
基本的にその信任性を保とうと思ったら、
いくつかのものを結局もう一段階フォルダ分けして、
またもう一段階フォルダ分けして、
その信任性が確保されてたように見えて、
実はむしろ見えなくなっていることが。
そう、だんだん見えなくなっていくんですよね。
そうすると、移動したり探してスクロールしてたときに、
意外なものに出会うチャンスっていうのがなくなっていくんですよね。
だんだん。
だから、ある一定以上の規模になったら、
全部見えなくていいんじゃないかというのが個人的な感覚ですね。
ちなみにさっき、移動のためにタグ付けするという話をしましたが、
もう移動させない、タグだけ付けておく作戦はどうですかね。
タグで考えるっていうのは、肌に合う人はそれでもいいってことですよね。
僕は合わないんで、僕は実際に移動させないとダメなので、
そもそも僕タグ自体がほとんど使いこなせないタイプなので、
でもタグを重大無尽に使っていろいろやってる人っているんで、
そういうタグベースで考えられるタイプの人なら全然それもありなんじゃないかなと思うけど、
でもそれだったらアウトライナー使わなくてもいいんじゃないかなって気がしなくもないですけど。
そりゃそうですね。それはそう思います。
ちなみに僕とアイデアメモの関係でいうと、結局スクラップボックスなんですよね。
だから結論は一緒で、全体が見えなくてもいいという話ですね。
そうじゃないですか。スクラップボックスそうじゃないですか。
結局そうなるんですよね。あるオーダーを超えると、全体的な視認性というのが確保できなくなるものにしようとすると、
いわゆる無理やりなカテゴライズあるいは細分化というのが必要になってくるんで、
だからもうそんなんなしと。スクラップボックスに対してノート一覧リストすらないですからね。
そうですね。
あそこまで潔いのもないんですけど、でも適切にリンクしていると、さっき言った位置的な近さじゃなくて、
文脈的な近さのノートというのがちょっと見つかると。
1枚のノートに対して5、6枚の関連するノートが見つかると。
そこをつなげていけばアイデアメモの管理というとちょっとあれですけど、
アイデアメモを手元に置くことは全然できるっていうのは、もう2018年ぐらいからずっと経験してきていることですね。
そうですね。そうか。
確かに2000項目のアウトライナー以上に全体が見えないですよね、スクラップボックスは。
見せようとしてないですね。
むしろ見せてない。
見せてないっていう感じ。
一覧したい欲求っていうのが多分できないと落ち着かないというか、一覧一望しておきたいっていうのがあって、
でもそれに合わせて情報の流度とか保存の仕方をすると、さっき言ったカテゴリズレとかが見えにくくなって飛び越えにくくなるんで、
だったらもうその欲求から離れましょうっていうのがスクラップボックスなんで。
だからアイディアそのものの一番自由な根の伸ばし方ができるのがその方式ですね。
だからワークローリーでも全部をもうフラットに並べてしまうと。
フラットというかタイトルの項目と本文の項目だけにする。
そのタイトルを別のタイトルの下に位置付けたりはもうしないと。
全部をフラットに並べておくっていうのが一番、さっき言ったカテゴリーが発想を邪魔するっていうのを一番低くできる状態ですね。
そうすると当然視認性はゼロになるんですけど、でもアイディアの関連性は一番広い状態になってて。
そういうことをいくらしても本にはならないんですね。
ならないです。
これがね、これがポイントで。だから、SEIKUとは全く違った情報の置き方というか、
ただ広げていくだけっていう、どこにも収束点がないっていうのがこのスタイルなんで。
だからちょっと気持ち悪いですね、これずっとやってると。
だからオープンエンドなSEIKUでさえないですね。
さらにその前の段階の。
いくらでも広げるに任せるっていう、植物と土を一番柔らかくしていく方向が、
それでこの場合は本当にアイディアがいくらでも育つ。
その代わり、育つ分、ある一点において、あるテーマ性において文章がまとまっていくっていう力も全く働きません。
反動として。広がっていくだけ。
で、文章を書くっていうことはある一点においてテーマを定めて、書くことと書かないことを決めるということなので。
だからその行為をいくらやっても本にはならないんですね。
いくら発想を溜めていってもならないっていうことですよね。
その本を書くたびにそれとは別のプロセスを駆動させる必要があると。
この辺が僕最近わかってきたことで。
で、その場合はやっぱりテーマを決めるしかないんですよね。
さっき言った、だからもうタイトルとか、こういう本を書こうみたいな項目を立ててそこに集めていくしかない。
集めることによって他のアイディアとの関連性が切れるんですけど、プチプチっと。
でも本を書くっていうことはそのプチプチをずっとやるっていうことなので。
そうですね。
だからこれはトレードオフなんですよ、完全に。
これを両方うまくやろうとしたら両方とも中途半端なことになってしまうんで。
経験的な感じで言うと。
だからもう育てたいときは一望しないし、制御しない。
制御しないというか、あるテーマで無理に統一しようとしない。
逆に本を書くときはそれを踏まえて整えていく、捨てていく。
ネットワークの根を切っていくっていうことを別にやると。
だから、Take Notesっていう本で、テッテルカステンはテッテルカステンとして、
アウトライナーはアウトライナーで使いましょうという非常に現実的なアドバイスがなされてるんですけど。
だからそれの2つがやることって基本的に別のことなんだっていう話ですね。
おっしゃる通りですね。
僕今、スクラップボックスの話を聞いてて思ったんですけど、
僕今、さっきアウトライナーで全部見渡せなくていいんですよってすごい言いましたけど、
これね、もしかしたら僕ね、倉下さんが今みたいに言ってたスクラップボックスの話から来てるのかもしれないと思いました。
もうごめん。
ありません、それだって。
分からなくなりますよね、もうそれは。
でもまあ、僕が聞いた話と自分がやってる実感との兼ね合いで発言されてるでしょうから、
もうどっちがどっちっていうのは分からないですけど、
でもこれはもう本当にその通りだと思いますね。
そういう意味では普遍性があるんでしょうね、そこにはね。
だから情報適切に配置していくっていうことを一旦諦めるのがアイディアメモをうまく持つ方法で、
もしアウトプットを目指して発想メモを集められてるんであれば、
仮にでもいいからテーマごとに分類しておくのがいいと思います。
本を書くというよりは、このことについてはこのグループに入れておこうみたいなぐらいの緩いんで、
エヴァツールの使い方の中でやったらツールの使い方ぐらいの緩いので、
一回集めておく方が本にはなりやすいですね。
そうですね。それも分類というよりも仮置きですよね、感覚としては。
自分の関心がある程度似ている者たちの集合みたいな感じかな。
ここで結局、原理主義的に考えてそういうのを集めたらアイディアの飛び飛びの、
例えばツールの使い方のアイディアと、
例えばDIYの工夫の話、金融のうまいテクニックの話が、
もしかしたらつながるじゃないか、かもしれない、みたいなことは原理的には考えられるわけですよね。
アイディアって無限につながる可能性がある。
でもそれを追求している限り本にはならないんですね。
だからどこかで切断がいるんですね、本にするためには。
どこのタイミングで、初めからテーマを決めてアイディアを集めていくのか、
ある程度育ってきた時に、育ってきたものとは別の場所に移して本にしていくかっていうタイミングの違いはありますけども、
その広げていくことと切断してしまうっていうアイディアの可能性を切るっていうことを受け入れるっていうことができると、
結構アイディアとの付き合い方が、今までよりもちょっと、
自由度が増すというか、選択肢が増えるというか、そんな感じがしますね。
軽やかになるような感じがしますね。
そうですね。こうしなければならないというんじゃなくて、
僕が先週に出した結論なんですけど、
アウトプットを決めない限り、適切な情報整理のプロセスって決定できないっていうことに気づいてしまったというか、
当たり前の話かもしれないですけど、
まず情報整理があって、そこから出てくるアウトプットっていう組み立て方には多分ならないんですよ。
前回も言いましたけど、文章を書くっていうのは不自然なことなので、基本的には。
だから、例えば毎週書くエッセイのネタを集めるっていうのと、
3年かけて本を書くっていうものの情報整理の仕方は異なるはずなんで、
決を決めないと、その手前のステップっていうのはまず見えてこないし、
何がいいのかの決定する因しかないというか、要因がないので。
そこを見据えたら、たぶん落ち着く場所が見つかりやすいと思いますね。
その場合のアウトプットを決めるっていうのは、どのぐらいのレベルの決め方というか、
例えばタイトルが決まるみたいなことなのか。
スタイルと頻度とかの話ですね。
毎週使うネタを集めるとか、ある研究テーマについて本を読んでいって、
1冊の本を書く、例えば10万字の本を書くっていうような、そこをまず見据えるっていうことですね。
アウトプットってそういう意味ですね。
結局、論文に向けた情報管理整理のやり方と、毎週エッセイのネタを扱う情報整理の仕方は、
基本的に異なるので、片方やれば片方ができるっていう話にはならないんですよね。
なので、そこに自分のアウトプットに向けた情報の持ち方を、
アウトプットの形が2つあるんやったら、2つの情報の整理の仕方をしたらいいですし、
3つあるんやったら3つ持ってもいいんですけど、1個しかなかったら1個に合わせたらいいっていうことで、
万能、全体、完璧な最高の情報整理の仕方があって、
それを実装したらあらゆるアウトプットに対応できるっていうのを、まず1回リセットして、
自身がどういうアウトプットをしたいのか、毎週ブログを書きたいのか、
常に3回本を書きたいのか、みたいなことを決めて、
そのためにどんなふうに情報を持っていったらいいのかっていうのを考えるっていう段階を踏めば、
情報整理プロセスは組み立てやすくなるだろうなというのを、
ようやく体感したとこですね、最近で。
そうすると、じゃあこれからそういうふうに変えていくっていう感じなんですか?
今だから徐々に変えていくとなって、今まではずっと思いついたことは、
スクラップボックスにマメ論文として書くっていうやり方をしてて、
それと並行して、例えば最近メルマガで1ヶ月同じテーマで4週分書くみたいな、
1万字の原稿を4個ぐらい書くみたいなことをしてたんですけど、
それをやってると、エッセイみたいなのが全く書けないんですよね。
書けないっていうか、書かない?
で、頭の中にこういうテーマのエッセイ集みたいなのを書こうみたいなのがいくつもあるんですよ。
でも、それのネタが何も育たないんですよね。
なぜなら育ててないからなんですけど。
そういうのは結局、フォルダーでもテキストファイルでもいいんですけど、
もうそれ作ってしまって、そこに使うネタをもうそこに集めてしまうと。
そこに集めると、さっき言ったように他のとこで使える可能性とか、
結びつく可能性がなくなってしまうんですけど、そうしないと進まないっていう。
スクラップボックスに置いている限り、無限に利用可能性があるんで、文脈によって。
だから、それに身を任せている限り、アウトプットっていう切断ができないなと。
だから、例えば断片からの創造みたいな、結構大規模なテーマの話はスクラップボックスで、
それに関する知見を集めればいいんですけど、
例えば、僕主婦してるんで、メイン、重たる夫ですよね。
主婦業についてのエッセイを書きたいなっていう思いがあって、
それのネタをスクラップボックスに並べていっても、結局その一覧がないんですよね。
だから、本としてまとまるベクトルが生まれないというか。
そういう場合は、テキストファイルとか、UCCだったらその一つのグループを作って、
そこにきっちりはめ込んでいくっていう、アウトラインを作っていく気持ちで並べていくっていうことをしたら、
今度はまとめやすくなるだろうなと。
だから、自由に広げるのと、その規模に合わせてまとめていくっていうことを区別して考えるように最近はしてますね。
その区別と、最初にやらない方がいいという話をしていた分類との違いっていうのはどういうふうに説明していますか?
アウトプットを作る気があるかどうかっていうことですね。
アウトプット、何をどうアウトプットするか決まってない段階から分類すると、ダメだけれども、
何かアウトプットすることを決めた段階で、そのアウトプットのために必要なものをそのための箱に入れる。
それはアリだと。
そうしないと、そのアウトプットは生まれないと思います。
勝手に放牧してたら、そこに気ができたみたいなことには多分ならないと思います。
それは納得いきますね。
そこを僕は気づいていなくて、自由放牧しときは、確かに本一冊分のネタ自体は集まるんですよ。
でも、まとめようという自分の心の駆動力が一切生まれないんですね。
なので、アウトプットを作りたかったら、それに合わせて情報を再デザインしていくっていう。
そこでは発想の可能性がトレードオフになるけど、これはしゃあないとするっていうやり方に最近落ち着きつつあります。
なるほど。
それはあれですよね。自分の言い方に寄せてしまうと、多分、本の中で書いた用語でいうと、
発想のアウトラインからタイトルが決まって、そのタイトルのためのアウトラインをトップダウンで一旦作る。
その文章のアウトラインに転換するっていうタイミングと重なってるわけですよね。
そうですね。例えば発想のタイムラインをアウトライナーを除外して考えると、
自分が思いついていることを時系列に書き留めていくという行為になるじゃないですか。
そこから発想のアウトラインになるじゃないですか。
はい。
だから、僕のエッセイ集を作ろうっていうのは、アウトラインを作ろうという提案だと思っていただければいいと思います。
発想のアウトラインを作ろうと。
発想の文章じゃなくて、発想のアウトラインになる。
そうですね。だから、スクラップボックスというのは非アウトライン思考なんですね。
順列を持たない。
だから、順列を持たないがゆえにいくらでも拡散できると。
のかわり、本の中では例えば何かしらのテーマの方を書こうと思って、その直下に項目を配置するじゃないですか。
それはもう可能性をその分だけ制約してるわけですよね。他で使えるかもしれないものをそこに置いちゃってるわけですから。
そういう意気込みを持とうという。
これを収束させるんだ。この形のものをアウトプットするんだというふうに決意するみたいな可能性ですよね。
今まで時系列でただ書き、例えばスクラップボックスは相当順の時系列に並んでくれるので、時系列の発想のタイムラインがそこにあるとは言えると思うんですけど、
でも、それはアウトラインにはなってないんですね。順番関係ないから。
それを例えばテキストエディターとかで今まで思いついてきたネタを集めて一律に並べた瞬間に、それもアウトラインか順アウトラインになるじゃないですか。順番がそこにあるので。
っていうことを決めようということですね。
でも決めるってことですよね。だからそれを書くこと。
普遍には思いつくんですけど、でもそこに実際にそれに足りる素材が集まるのかがまず思いついた中では未確定なので、
ある程度目処が立ってから火事を起きたほうがリスクは低いでしょうね、きっと。
渡辺翔一の知的生活の方法でカードを使うところが出てくるんですよね。
あれは梅沙男さん的なカードというよりもむしろ欧米的なインデックスカード的な使い方だと思うんですけど、
テッテルカステンもその伝統の先につながっているものだと思うんですけど、
渡辺さんのカードの話を見て、専門外のカードで興味のあることを見つけると、
それを書きつけて長年何年もかけて貯めていくうちに本ができちゃったよみたいなことが入ったところがあって、
なんかね、そういう幻想ってあるんですよ。
あー、なるほど。
でも多分、多分大抵そういうことは起こらないんだろうなっていう。
あのね、結局、僕が思うんですけど、彼ら、著名な学者が本を書いている人たちってオファーが来るんですよ。
何か書きませんかって。その時にアウトプット制約が外部から訪れてくる。
で、あーそういえば昔あれ考えたなとかってようやく本にそこからカジキリになるんですけど、
そのオファーがない人間はそれが起こらないのって、残念ながら。
そうですよね。
そこのオファー性が見えないですよね、こちら側で本を読んでる人間からすると。
でも絶対に企画者、出版社とか、あの、採取みたいなのがあるはずなんですよ。外部からの要請っていう。
それが本を駆動してると僕は思いますね。
うん。あると思います。
そう、だからカードを集めてるだけでは本にはならないと思いますね。
たぶんああいう、あれそれだけじゃないですけど、ああいう本を読んだ時に、
たぶんその幻想を持っちゃってるパターンって多いと思うんですよ。
その、知的生活、よし、カード書いて貯めるぞとか、新聞の切り抜きスクラップするぞとかっていう、
ああいう本を昔読んで感化された人たちが、
やっぱね、そういう幻想、貯めていけばなんかなるんじゃないかっていうのはね、間違いなくあったと思うんですよね。
はい。
でもたぶん、たぶんそうじゃないという。
うん。
少なくとも我々はそうじゃないという。
アイデアを広げるだけではやっぱり切断線が生まれないんで、
やっぱりなんか書いてくださいよ、このテーマでみたいな、そのオファーがあって初めて生まれるもんやと思いますけどね。
学者の場合は論文を定期的に書かなあかんっていう外部的な要請があるんで、
当然アウトプットもそれに向けてデザインされるでしょうし、
でもそのアマチュア知的生産者は、その締め切りとかはほぼないわけで、
これはね、その何か自分で設定しない限りは、育っていくアイデアがあるだけになってしまうと思いますね。
そうですね。
うん。
たぶんね、そこに気づかなきゃいけないんじゃないかなと。
(笑)
だからそのテーマは1年に1冊必ずKDP本を出すとかいう、そのマイテーマとかも有効な切断線になるんで、
そうするとやっぱり情報の扱い方はかなり扱いやすくなりますね。
何かを覚えたたびに、これを本に使える、使えないっていうのが判別できるんで。
そうですね。
うん。
テーマとアウトプットなき情報整理っていうのは、混迷しやすいというか、
結局ありとあらゆる方法が良さそうに思えるというか、実際良いわけですけども(笑)。
だからあっち行ったりこっち行ったりしちゃいますよね、その場合は。
そうですね。
うん。
だからいわゆるでも、その何だろうな、あえてそういう言葉を使うと、
そのアマチュア知的生産者みたいな、知的生産にアマチュアもプロもないんですけど、
はい。
いわゆる著述業ではない人たちも自分も含めての、
そういう営みって、やっぱり、こう何て言うんだろうな。
それこそ梅沙男さんとか渡辺さんとか板坂健さんとか、
昔からの本を、新書に代表される、そういうものに影響されて始まってる部分があるんですよね、この長年。
はい。
この10年は結構違ってると思いますけど。
はい。
やっぱりそういう、あと山根一馬さんとか野口幸男さんもそう、ぐらいまではそうかもしれないですけど、
そこに受ける影響っていうのはすごく良いものだったと思うんですけど、
はい。
とはいえ、あの人たちはプロで自分たちとは違うっていうところを覚えておかないと、
そうですね。
溜め込んだだけでどこにも行けなくなって、結局その溜め込んだ、こう、
始蔵されたカードの束が、そのままそこに置かれて、
埃をかぶるみたいなことになっちゃうパターンって多いと思うんですよね。
多いと思いますね。
だから、彼だとアマチュアの違いって、その能力じゃなくて、さっき言われた、原稿を養成される頻度というかの違いなんですよ。
で、これが何が決定的に違うかっていうと、原稿を養成されるときに必然的に自分のアイデア貯蓄を見返すじゃないですか。
はいはい。
これなんですよね、これ。
何も養成がなかったら、別に見返す動機づけも生まれないですね。
そろそろカード来るっていう行為が生まれないから、アイデアのリフレッシュも新しい結合も生まれないと。
だから、ただ溜めるだけになっちゃうんですね。
溜めていたとしても、自分が過去に書いたものを読み返したりして、リフレッシュして新しく書くということをしていけば、
生産そのものは生まれてなくても、知的なプロセスとしては前に進んでると思うんですよ。
でも書き溜めていくだけの状況って、それは書き溜めてないよりははるかにいいですけど、
知的なプロセスとしてはそんなに前に進んでない感じがあって。
だから、いかに自分の過去のものを目に触れさせるのかっていう。
さっき言ったアウトライナーでいちいちスクロールして探し回るというのも見返しですし、
スクロールする場合は関連リンクで下に表示されてくれるとかありますけど、
ああいう何か機械的なプラスアルファと、ネタを探す動機づけみたいな両方があったほうが、
アマチュアというか、プロじゃない人の知的生産において、
有効というか停滞しにくい要素になるでしょうね、きっと。
そうですね。
だから、記事なりなんなり。
最終的にどういう決着つくかわかりませんけど、情報整理大全。
情報整理大全も現行の要請が発生してるわけじゃないですか。
入ってくださいって。あれはね、やっぱりいいことだと思いますよ、僕は。
なるほどね。
そうして初めて今まで貯めてきたものの力が発揮されるみたいなところもあるし、
その感覚を持てば次からネタの扱いとかもアウトプットを意識したものになるでしょうから。
そうですね。
でね、それこそ今はアウトプットの可能性というのは、
それこそ昔のそういう新書の人たちの時代とは全然違うわけで、
そうですね。
電書も作れちゃうし、もちろんブログは書けるし、
昔はそれこそ依頼が来ない人はアウトプットを書けなかったわけですよ。
書く場所がなかったわけですよ、新聞の投稿欄以外は。
そう考えれば、その蓄積をアウトプットできる可能性は昔よりもあるかに高いわけで。
本当はアマチュアな時代なんですね、本来は。
でもテーマ性を書くと書きにくい、何しか書き続けにくいっていうのはもちろんあるので、
しかも大量に書き手がいる時代の中でどう読んでもらうかどう見つけてもらうかっていう、
プロモーションとは違ってテーマ設定の切り口の独自性の出し方っていうのが問題として、
また別の問題として立ち上がっているところはあるでしょうね。
そうですね。
あと昔の著者は考えなくても済んだことを考えないといけないっていう面もありますよね。
ありますね。
ここは知的生産のプロセスそのものでも外周の話なんですけども、
でも外周が中身にも関わってくるので。
そうですね。
だから難しいというとちょっと雑なまとめ方ですけど、
アマチュアならではというかプロじゃない人たちの知的生産ならではの難しさっていうのは、
外から枠組みをはめてもらえないので、全部自分で決めていかなければならないというテーマもありますね。
そこありますね。
そこはね、ありますよ。
いや、あると思いますね。
だから、そのテイクアウトで徹底力発展しようぜっていう話があって、
あそこに書かれている本の7割ぐらいを書くことが思考にどう影響を与えるかっていう話なんで、
僕は全面的に第三者というか、僕の本でもそういうことを書いているわけですけど、
でも、あのカードを例えば5年10年書き続けていくモチベーションっていうのは、
例えばルーマの場合は論文を書けっていう偉い社会学の人に言われてっていうのがあるから当然持つでしょうし、
彼にも何も野心はあったと思うんですけど、
そこの地点がないのにカードを書き続けましょうというのはちょっとハードモードな気がしますね。
そうですね。
だけど、あの徹底力発展の話を読んだ時にやってみたいって思う人が多分これだけたくさんいるということは何かがあるんですよね。
あるでしょうね。いや、それはあると思うけど、もちろんあると思う。
実際今、あの本って日本語ではないんですけど、確か、
えっと、スチューデント、ほにゃらら、結構学術向けの、えっと、あったかな、
のあれが後ろに副題についてるんですけど、
テイカー、スマート、
えっと、現代は、現代はですね、どこに書いたんだ、現代は。
あ、あったあった。For Students, Academics, and Non-Fiction Book Writersって英語のタイトルの副題の後ろに書いてあるんですよ。
あ、随分具体的に対象を決めてるんですね。
この文脈で読めば間違いなくこの本はそれです。
あー、なるほどね。なるほど、そういうことか。
だってもう彼らは書くことが義務付けられてる人たちなわけじゃないですか。
でもそこのアウトプットのゴール地点がないのにカード法は始められますけど、続けられない、続けるのは結構難しいと思いますね。
だから本当にブログとか別のアウトプット版を持って、誰かに読んでもらってコメントをもらえるようなそのフィードバックサイクルのある場を別に持っとかないと、
あれは結構タフ、ハードな行為だと思います。
結構手間というか労力かかりますね。
めちゃくちゃかかりますね。
テルカステンは、確かにやれでばいね。
優れた論文とかアウトプットを生み出すための効率的な手法であることは間違いないんですけど、アウトプットを持ってない人っていうのでは結構厳しいんで。
僕の本は、僕のノートの本は最後に本を書きましょうって最終的なアウトプットを一応示してるつもりなんです。
入り口からゴールまでを示してるつもりなんですけど。
だから日本語版になってそのfor student 感がなくなってしまって、万人受けとして語られてるんですけど、
でももちろんいいんですよ、カードを書くことは思考に恐ろしく有効なことなんで。
無害ですし有効なんで、やるのは全然OKなんですけど、
これを自分あと3年、例えば3年できるかっていうのはちょっと考えた方が良いですね。
カードが増えていくのは楽しいから、そういう楽しみ方もあると思うんですけども。
確かに。そうか、割にstudentにフォーカスしてたんですね、元は。
studentとacademicsとnonfictionwriter、まさに論文とか硬い文章、ある資料と発想の2つを文章にした形が求められる人たち。
これもだから外部からの要請、中場外部からの要請がある人たちなんで。
だからそういう人たちはカードを使わなくても書かなきゃならないわけじゃないですか。
この方が言ってるのは、カードを無しで書き始めるなんて無謀だよっていう話なんですよね。
どうせ書かなければならないんだったらそれよりもっと前から準備しときなさいっていう、
偶然でもない正論が述べられてるわけですけど、僕たちの日常はそこまでではないんで、
だから本当に自分用に作業記録を取るぐらいのノートからの方が僕は始めやすいかなという気はしております。
これはまあ自分の本を推したいっていうだけの話なんですけども。
うん、なるほどね。
まあ確かにここに書かれた通り運用するのは相当な労力がかかりますよね。
一見簡単そうに書かれてますけど、自分が今まで書いたカードの関連性を意識して書けって、
これかなり難しいことなんですよね。
そうですね。
ただ逆に、ああでもアナログでここまでできるんだっていうのもありますね。
確かに9万枚のカードがあったって話を聞きましたけど。