ただ結構いろんな話が出てくるんで、ちょっと今日は一部というか、自分が一番影響を受けた実用的な部分だけの話をしようと思うんですけど、
最初はタイプライターとかウトライナーの話が出てきて、後半はデータベースとかハイパーテキストの話とかが出てくるんですけど。
そのレベルの文章というよりはモロコンピューターの話にまで入ってくるんですよね。
モロコンピューター、そうなんですよ。
ただハイパーテキストの話は、この当時はそれこそまだWebもないし、個人が使えるハイパーテキストのシステムっていうのがこの頃はなかったんで、
その意味では結構そこはちょっと今読むとちょっとあれだなっていう感じになっちゃってるんで、主に今日は前半の話をしたいと思うんですけど、
個人で使えるハイパーテキストってそれこそ今スクラップボックスとかObsidianを気軽に使えるって初めてそうなってきたところがあるんで、ここ5年ぐらいで。
Webはちょっと違うところがリンクしてるだけのような気もするんで、
能動的にリンクを張ってネットワークを作っていけるという意味での個人のハイパーテキストっていうのはやっぱりつい最近までなかったと思うんで、
なかったわけじゃないけど、一般の人が普通に使えるようになったのはついこの数年のことだと思うんで。
ちょっとハイパーテキストという用語についてわからない人向けにちょっと掘り下げたいんですが、
HTMLの正式名称がハイパーテキストマークアップラング1ですよね。
今のWebはHTMLを使って書かれてる、そういうものから始まったんですけど、
あれはTim Berners-Leeが自分たちの研究用に使うハイパーテキストのシステムとして作ったWorld Wide Webというものをベースに広がっていったものなんですが、
あれはリンクをクリックするとジャンプするっていう仕組みをハイパーテキストと呼んでるんですよね。
それがすごい単純化されたハイパーテキストシステムなんだと思うんですけど、
もともとの本来のハイパーテキストの定義ってもっといろんなものを含んでて、
バックリンクみたいなものもあれば、引用を管理したりするような機能ももともと含むような概念だったはずなんで、
そういうのを念頭に奥田さんが書いてるところもあるんで、
今の目で見るとちょっとわからないっていうか、
ちょっと例示されるものがちょっと今から見るとちょっと実用的なものとしてみなすのは難しいなっていうところがありますね。
ハイパーテキストの話に関しては。
おだしょー ハイパーテキストのこのハイパーってどんな文脈なんでしょうか。
いわゆる文章っていうのがリニアな流れしかないものを、
より一つ別の次元を加えることができるというような意味でのハイパーなんですかね。
おだしょー 日本語で言うと超ですよね。超テキスト。
テキストはリニアであるものを紙に印刷したり手で書くっていうところの限界に縛られたリニアなものだったものを、
その限界を超えるという意味での超テキストっていうのがもともとの語源、ハイパーテキストの語源だと思います。
おだしょー 紙だと上から順番に横から順番に読むしかできなかったものが、
コンピューターを使うことでそのリンクで繋がったり、リンクされているものが分かったり、
繋がりが作れるようになるぐらいの捉え方でいいんですかね。
おだしょー そうですね。奥手さんのこの本の中の言い方だと、
ホイの連鎖と言いますね。要するに注釈の連鎖。メインの文章があって注釈をつけるんじゃなくて、
すべてがすべての注釈、お互いに注釈になってるみたいなイメージ。
おだしょー 紙だとできないことですよね。限りなくできないのか。
が、コンピューターならそういうこともできるようになるんじゃないかっていうことを当時実際あったし、
そういうレベルまで踏み込んで考えてるってことなんですよね。
おだしょー そうですね。しかもこの現代思想の関連で言うと、
まっすぐな流れを崩していくっていうのがちょうどデリナの脱構築っていう考え方と
ジャストフィットするんですね。これの話はまた逆と言うからやめておきますけど、
だからわざわざ難しいデリナを持ってきてるわけじゃなくて、
その考え方にちゃんとリンクがあるんですね。
おだしょー そうですね。そういうことですね。
おだしょー わざと難しくしてるわけではないというのは一応言っておきます。
おだしょー 専門用語を使ったほうがやっぱりその概念を
いちいち説明しなくていいから早いんですよね。
おだしょー そうでしたね。だから逆に言えば、もしそういう概念に馴染んでいるのであれば、
すごくわかりやすいところもあるかもしれない。脱構築出ちゃいましたね。
おだしょー これは一応後半のほうの話なので、今回はこっちじゃないほうの話と思うので、
とりあえず軽く添えただけですけど。
そんな本です。続けちゃって大丈夫ですかね。
この本の中で僕が一番影響を受けたのはどこかっていうと、
主にこの本、中身でいうと前半なんですけどね。
書く道具と書くことにまつわる、書くことに関する思考について書いてるところから始まるんですけど、
タイプライターから始まるんですよ。
コンピューターの話なのにタイプライターから始まるっていうのは何かというと、
要するに書くための機械。
それがどう書くことに影響を与えたのかっていう話から始まっていて、
結構たくさん引用されている本に、この作家の仕事部屋っていう、
これはフランスの本だと思うんですけど、
ジャン・ルイ・ド・ランビュールという人が書いた作家の仕事部屋という、
70年代の終わりぐらいに訳された本の引用から始まって、
でもね、これすごいのは、
その作家がどうやって仕事、フランスの作家がどうやって仕事してるのかっていう本なんですけど、
インタビューでね。出てくる名前がね、
ロランバルト・レビストロース・フランスワード・サガンみたいなね、
もうそれだけでクラクラしちゃうような、
そういう人たちがどうやって仕事してるのかというインタビューの本が、
すごい面白いんですけど、
その本の引用から入って、その本に出てくる作家の書き方を分類するんですよね。
この当時はまだコンピューターで書いてる人はいないから、
種類で言うと、タイプライターで書く人と手書きで書く人っていうのがまずいるわけですよ。
あとは手書きで下書きしてタイプライターで精書する人っていうのもいて、
その3タイプいるんですけど、
奥田さんが注目するのはタイプライターで書く人の書き方なんですよね。
そういう人たちがどうやってタイプライターを使ってるのか、
あんまり日本人には想像がつかない、
日本語でだけ書いてるとあんまり想像がつかないようなところがあるんですけど、
このタイプライター的思考というふうに奥田さん呼んでる書き方があって、
どういうのかっていうと、タイプライターでまず打ちますと。
で、打ったものを紙で当然出てくるんですけど、
それをハサミで切ってノリで綱に変えて編集するっていう書き方。
で、それをもともとカット&ペーストといったんですね。
タイプライター文化圏では。
昔の人はマジでそうやってやってたってことなんですね。
マジでカット&ペーストしてたんですね。
マジで物理カット&ペーストしてたわけです。
漫画のセリフを貼るみたいな、なんかああいう感じですよね。
そうそう、ああいう感じで。
タイプして印字されたものを切って貼り付け、並べ替えて。
並べ替えて。で、また打ち直すんですよね、それを見ながら。
そこでもう1回打ち直しもやるんだ。
で、それを何回もそういう作業をやると。
で、それがそういうふうにして出来上がるアウトプットというか、
文章を作っていくやり方をタイプライター的思考というふうに
奥田さんは読んでいて。
で、それは何をやってるのかっていうと、
一言で言うと、書きたいこと、伝えたいメッセージというのがまずあって、
それを伝えるための一番効率的に力強くまっすぐに伝えるための文章を
どうやって作っていくか。
そのための技法というかテクニックとしてそういう書き方が生まれてきたと。
で、やっぱりそれは手書きでは不可能なんですよね。
タイプライターはコンピューターみたいに編集できないけれども、
打つのは手書きよりも楽なので、特に電動タイプライターだと楽なので、
何回も繋ぎ替えては書き直すという作業が現実的にできるようになったと。
なので、そういう書き方がタイプライターで書ける欧米というか西欧で普及してきたと。
で、なんでそういう書き方するかというと、
西欧、主にアメリカだと思うんですけど、
そこでの良い文章っていうのはどういうものかっていうと、
伝えたいメッセージが明確で、
そのメッセージに向かってクリアな論理の流れがあってまっすぐに進んでいく。
そういう文章こそが良い文章であるという考え方があったわけですよ。
だけど、それを手書きでやるのはすごく難しいと。
なので、何とかそれを楽にできないかっていうところで、
タイプライターを使うことによって、タイプライターと物理カット&ペーストによって、
それをやるっていう書き方が出てきたと。
それによって、今まで一部の訓練を積んだ人しか手書きでできなかったような、
そういう書き方ができるようになってきたと。
だから、それがまず一つの機会が書くことにどう関わってきたかっていう話なんですけど、
そういう書き方をタイプライター的思考というふうに、
奥田さんは分類したんですよね。
そこがまず、その話が一つ非常に興味深かったんですけど。
タイプライター思考の逆っていうのは、仮に原稿用紙思考っていうと、
つまり、頭の中だけで理論を整えてしまって、
それに最適な文章を書き下ろしていって、完成に至るっていうのが原稿用紙思考ってことですね、要するに。
まあ、そうですよね。原稿用紙を使わないにしても、手書きだとそういうふうにしか書けないわけですよね。
そういうんじゃなくて、小さいプロトタイプを何回も実際に頭の外から出して確認することで、
いや、こうだ、こうじゃないっていうことを、頭の外の領域でやることによって、
そんなに頭が良くない人でも成果物を作れるようになったっていう。
だから、ああいう種のアウトプットの民主化にも役立ってるっていうようなことですよね。
そうですね。まさに民主化っていう言葉を奥田さんも使ってますけど、
こういうエリートの進むような寄宿制の学校みたいなのがあって、
そういうところで叩き込まれる、それこそラテン語教育から始まるような、
そういうところで叩き込まれるような、ところからところを卒業しないとできなかったようなことが、
ある技法に分解されてしまうようなところがあったと。
やっぱり結論に向けて一切的なものを組み立てていくような書き方ができるようになったっていうのが
タイプライター的思考ですよね。
そういう書き方がまず一つあるんですけど、
でもね、でもねっていう話が出てくるんですよ。それでいいのかと。
だって、アウトライン作っても良い文章を作れるとは限らないよね。
その結論に向けて組み立てていくっていうのは要するにアウトライン的な書き方なんですよね。
結論があって、それに向けてまっすぐ進んでいく、クリアーで明晰な議論をしている文章っていうのは、
要するにアウトラインを持った文章のことなんですよ。
そういうものを、そういう文章こそが良い文章だとされているんだけれども、
でもアウトライン作っても良い文章が書けるとは限らない。
それにその結論、伝えたいことに向かってと言うけれど、伝えたいことって最初から分かっていること、分かってないこともあるよねと。
書きながら伝えたいことが初めて分かってくることもあるよねっていうわけですよ。あるじゃないですか。
おだしょー あります。はい、あります。
さっきの作家の仕事部屋の本の中でも、タイプライターの話をしましたけど、
そういうタイプライター的な考え方じゃない、明確にメッセージが意識されてないんだけれども、
書くことによって意識化していくような書き方をする人もいるよね、その中には。
その人たちがどういう書き方をしていたのかというと、その人たちは手で書いてると。
手で書いてるからそうなるわけじゃないんですけど、そういう人たちはタイプライターというものがあるにもかかわらず、
手書きにこだわっている傾向があったんですよね。その手書きにこだわって書いている人がどういう書き方をしていたかっていうと、
書きながらとにかく書いていくと。書きながら出ていくものを、何が出てくるかを自分で探っているし、
何が出てくるのか楽しみにしながら書いていたりするし、そういう書き方をあえてしている人たちもいるんだと。
そういう書き方によって書かれる文章、テキストというものは、さっき言った明確な結論、伝えたいことがあって、
そこにまっすぐ向かっていくっていう文章では表現できないようなことができてるんじゃないかと。
特に創造的な文章というのは、そうやって書かれるんじゃないかっていう疑問が呈されるわけですよ。
明確に疑問が呈されるわけじゃないんですけど、流れとしてそうなんですよね。
この思考のエンジンが出た時期、ちょっと前ぐらい、80年代ぐらいのアメリカの文章読本みたいなものがいっぱいあるんですけど、
そういうもので紹介されていた手法っていうのは、さっきのいわゆる西洋的な良い文章、タイプライター的なアウトラインを持った、
結論がしっかりした文章を書くのが良いことだとされていたものがほとんどだったのが、
80年代に今の手書きの人みたいに、書きながら何を書きたいのか探っていくような書き方ができるし、
それがその創造的な文章を書く秘訣だというような主張をする文章読本が80年代に出てき始めたと。
次にそれが紹介されるんですよね。そこで参照されている本というのがいくつかあるんですけど、
その中に参考文献で載っているのが、ピーター・エルボーという人のLighting with Powerという本があるんですが、
このピーター・エルボーという人がどういう人かというと、この人がフリーライティングを提唱した人なんですね。
ピーター・エルボーが提唱した書き方の一つが、このオープンエンドなライティングプロセスだという、
そういう書き方を提唱している。それがどういうものかというと、
まさにフリーライティングという言葉は思考のエンジンにはほとんど出てこないかな。1,2回しか出てこないですけど、
要は機能をもむくままに書いていって、結果的に何が書かれたのかをベースに書くことを、
メッセージも含めて見つけ出していく。要するに船の航海に例えるような、
海に向かって漕ぎ出していって、その向こうに何があるか探す。見つかったら上陸するみたいな、そういう書き方だと。
そういう書き方で書かれるものっていうのは、さっき欧米で良い文章だとされていた、クリアーな伝えたいことが最初からあるものとは明らかに性質の異なるものだと。
そういう書き方もあるし、実際にそういう書き方をしている人もいるよねっていう話になるわけですよね。
ここでやっとアウトライナーの話になるんですけど、アウトライナーっていうのはもともとの意図としては多分、
そういう西洋的な結論がクリアでアウトラインがしっかりした文章を書くための道具としておそらく作られたんだけれども、
実はそれとは逆のオープンエンドな、書く側もその自分のメッセージを最初は理解していない、
そういう文章を書くためのツールとして実はあるんじゃないかと。
し、そういうふうに実際に使われて効果を発揮しているんだよと。そういう文脈でアウトライナーの話が出てくる。
これが前半4分の1ぐらいの話ですね。
まず、コンピューターの時代で書き方というものがタイプライターの登場から書くという行為が徐々に変わってきて、
タイプライターというものによって手動切り張りができるようになり、
言いたいことがもともとあったものをきれいにまとめる手法というのは、その頃にだいぶうまくいくようになってきた?
昔なら捨てられてしまっていておしまいだった。
昔の書き方なら書かれることがなかった。
当初想定していなかった良い言葉で良い感じの流れの中に組み込めるようになった、なる。
しかも重要、さらにというかもう一個重要なのは、
そうやって以前なら書かれることがなかったことを組み込んでいるのに形式はちゃんと保っていると。
それ以前も別に脱線したものを組み込むことはできたのかもしれないけれども、形式が崩れる。
これが良い文章だとされている形式から外れた形のものとして作られることが多かったはずのものが、
アウトライナーを使って組み直すことによって、
そこを組み込みつつ、一見古い形式、昔ながらの良い文章に見える形式に収めてしまったと。
だけど、昔だったら入らなかった、削られちゃったはずのところが組み込まれていると。
そこが、それがアウトライナー以前にはできなかったことなんじゃないかな。
だから、仮に極端なことを言うと、アウトラインを使わない場合は、逸脱したものはコラムとか別の枠組みを作って、
ホームに入れ込むことはできるけども、アウトラインの腰が変更されていることはなくて、
ただ、ちょっと書きたかったから書きましたよという扱いになってしまっていると。
代わりにアウトライナーの場合は、
こんなに行算変えているってことは、これめっちゃ重要なんじゃないかなということで、
例えばそれを一つシフトアップ、シフトプラスタブすることで、見出しのレベルに繰り上げることで、
アウトライナーが、アウトラインが組み替わって、しかもちゃんとアウトラインとして成立しているようになると。
だから、内容と形式を崩さない。崩さないってどうかしいな。
内容の変更がボトムアップして、トップからのビューを整えた形で変更できるようになったと。
そうですね。ボトムアップっていう言葉はここの本では使われてないですけど、
その言葉を使ってしまえば、ボトムアップなのにもかかわらず、まるでトップダウンで作ったように見えると。
そういう形式をきちんと保っているっていうことが、特に西欧のこういう文章の世界では重要視されるんで、
形式を保ってなんぼみたいなところがあるんですよね、たぶん。
そこの形式から外れるものはなかなか認めてもらえない、その実例も出てくるんですけど。
なんだけれども、でも形式にきちっとはまるものだけ書いてると書けないことがあるよねっていうジレンマがあったんですよね、たぶん。
それを両立させる道具になったと、アウトライナーが。
あとはソートラインとかすごく面白い話も出てくるんですけど。
今パラパラ見てるんですけどね。パラパラ見るとちょっと読んじゃいますね。面白いんで。つい読んじゃいます。
おだしょー 楽しいですよ、これ本当に。でね、あとこれ読んでもらうと、僕のしている話の6割ぐらいのベースになってるということがわかるんじゃないかな。
おだしょー 知ってますね。これたくさん言ってることや、みたいなのがちょいちょい見つかります。
そうなんだ。だからトップダウン、ボトムアップみたいな話は出てこないし、シェイクみたいな話も出てこないんですけど、
でも特に文章を書くことに関しては影響どころの話じゃなくて、
この思考のエンジンに書いてあることをいかに消化して自分の言葉で言い直すかっていうことを自分はやってるんじゃないかなって気はしますね。
もちろんこれだけじゃない。もちろんここに自分の経験と他の本がいろいろ上に乗っかってるんですけど、
でも倉下さん今まさにめくってると思いますけど、これがたくさんがいつも言ってることのコアだなというのはありありとわかるんじゃないかなと思いますね。
おだしょー だからこのオープンエンディットライティングプロセスって、つまり終わりがない開いたプロセスっていうのは、
シェイクっていうのも結局一連の終わりのないプロセスなんで、だから言い換えてるってことね。
新たなパラフレーズが行われてるというふうに僕は読みましたけども。
おだしょー 今度はオープンエンドシェイクとクローズドシェイクという言葉を出したおとしてるんですけどね。
おだしょー なるほどね。だからそういうことでスイッチ化が行われるわけで。
おだしょー そうそうそう。でもね、文章を書くことに興味がある人は読んで損はない本じゃないかなと思うんですけど、どうでしょうかね。
おだしょー まあそうですね、これ思考のエンジンでサブタイトルがライティングオンコンピューターなんで、一応ラウソンって言葉がちゃんと出てるんで。
ちなみにライティングオンコンピューターっていうタイトルですけど、表紙が木の鉛筆なんですよね、これね。
おだしょー そう、鉛筆なんです。
おだしょー なんか意味があるんでしょ。僕にはちょっとわからないんですけど。
おだしょー よくわからないですね。
おだしょー だからでもやっぱ思考のエンジンって書いてあると、文章を書くっていうことも、小説を書くというよりは書いて考えるような、そういうことに関する文章の使い方においては非常に実際に富む本だと思いますね。
おだしょー そうですね。あと書くことイコール考えることっていうことでもあると思うんですよね。
ライティングエンジンっていうのが出てくる。ライティングエンジンっていうのはさっきの公開をするみたいに、自分でも分かってないことを書きながら見つけ出して、それをきちんと形式の整った文章にしていくっていうプロセスを機能として組み込んだ架空のコンピューターソフトみたいなものをライティングエンジンと呼んで、
架空の機能を考えているようなところが本の中にあるんですけど、エンジンっていうことは多分そこから来てるんですけどね。
おだしょー 燃料があれば書き進められる。燃料になるのがコンピューターとコンピューターに書いたもの。
燃料になるのは自分の好奇心じゃないですか。ガソリンは。
おだしょー そうだから、なんかその書いたものが、なんかその自分が書いたものが燃料になるみたいな印象をちょっと思ったんですけどね。
どっちかな。このメタファーはちょっと難しいな、切り分けが。
おだしょー でもね、そういう面もありますよね。自分が書いたことに刺激されて、他者の目で、他者視線で見ることによって、また動くっていうこともあるんで、それだけじゃないですけどね。
駆動するものなのか駆動力なのかわからないけど、書いたものが一本前進することに役立つということは間違いないですね。
おだしょー あとあれですね。書くことこそが、書くことが考える一番いい手段だっていう言い方にもなるのかな。
それは間違いないと思います。
おだしょー 下手に考えるんじゃなくて、やっぱり手を動かせっていうことでもあると言っていいんですかね。
いいんじゃないですか。
おだしょー うーんって悩んでるよりも、手を動かしてしまうことがいいことだって、結局フリーライティングがいいことだに戻ってくるってことですね。
僕も基本的にアウトライナーを触っているときも、アウトライナーをどう操作しようかって考えていることそのものをもう書きますからね、アウトラインに。
そうするのが一番ナチュラルだということに気づきましたね。
おだしょー で、それを見返すことによって考えが進んでいく。
そうで、操作し終わっていらんかったら消したらいいし、タスクとして残りにやったら別の場所に置いといてタスクにしてもいいし、
使い方は後から考えてもいいから、とりあえず今考えていることを目の前に書き出そうということをした後で、さっき言われたようにアウトライナーだったら操作しやすいんで、別の場所に移動したりとかがしやすいんで、
操作がしやすいから適当に書けるっていう、逆に操作がしにくかったら、書いたものを書き移動させるのがめんどくさかったら、
今を書かんとこ、後で移動してから書こうってことになっちゃうんで、これあんまりよろしくないんですよね。
だから移動可能性、移動アクセスリビリティの高さというか、情報の移動のしやすさがあるというのが、やっぱりアウトライナーの一番強いとこやなというふうに感じます。
おだしょー そうですね。テキストエディターでもできるんだけど、アウトライナーをあえて使うのはそこですよね。
おだしょー うん。アウトライナー、特にワークフローリーとかのワンラインしか持たないやつの場合って、
どこに置いても結局同じ場所に保存したことには変わりないんで、あれをテキストエディターでやるのはちょっと難しいものがありますけども、
だからそういう意味で、自分がとりあえず思いついたことを保存しておいて、後から適切な場所に動かすっていうことが非常にしやすいのがアウトライナーですね。
おだしょー なんかかっこいい感じのまとめみたいなのを今から持っていけないかなって考えているんですが。
おだしょー かっこいい感じのまとめか。いやでもどうなのな。話としてはやっぱり、文章っていうのはリライトすることなんだっていうことだと僕は思います。全体を通して言えば。