1. ブックカタリスト
  2. ゲスト回BC012『思考のエンジ..
2021-05-14 1:06:19

ゲスト回BC012『思考のエンジン』

apple_podcasts

思考のエンジン オンデマンド (ペーパーバック)

ゲストはTak.さん。

* Twitter:@takwordpiece

* Blog:Word Piece

* Amazon著者ページ

『思考のエンジン』について

著者は奥出直人さん。青土社の思想系雑誌『現代思想』の連載を書籍化したもの。

同じ著者の本に『物書きがコンピュータに出会うとき―思考のためのマシン』もあるが、こちらは入手が若干難しい。

目次は以下の通り。

* 思考の道具としてのタイプライター

* ライティング・エンジンとしてのワードプロセッサー

* エクリチュールとライティング・エンジン

* パレルゴンとエルゴン

* 論理的ディスコースのダイナミズム

* コンピュータ上のソクラテス―「ソウトライン」を使う

* 情報を俯瞰する装置―アウトライン・プロセッサーを使う

* プロセスとしてのテクスト

* 迷宮としてのデータベース

* 補遺の連鎖とハイパーテキスト―ハイパーメディア・ライブラリーとライティング

* 思考のエンジンとしてのハイパーテキスト

* マニエリスムとアカデミズム

今回は主に前半部分に関してお話いただきました。

タイプライター的思考

『思考のエンジン』にはこうあります。

タイプライター的思考とは、タイプライターをペン代わりに使う思考のことではない。タイプライターを含む一九世紀末的な効率と生産性を可能にする思考を意味している。部分をつなぎ全体を考え、資料はファイルにきちっと整理され、巨大な辞書が備えられている、そんな環境がタイプライター的思考の場所である。

つまり、物事をきわめてシステマチックに進めていくアプローチであり、それをエンハンスするのがタイプライターという機械です。もう一ヶ所引用します。

また、書くという問題を考えるとき、全体の統一性を考えながらばらばらな部分を寄せ集め、つないでいくタイプライター的思考の限界についても考えておく必要がある。人間の思考はもっと複雑なものである。

これらの記述でなんとなくタイプライター的思考の輪郭線が見えてくるでしょう。

タイプライターからの逸脱

では、タイプライター的思考ではない思考(およびそこに付随する執筆)とはどのようなものでしょうか。

以上の手書きのエクリチュールにこだわる作家の意見をまとめてみると、書くという作業を創造的な行為とみなし、分かりきった意識を前もって準備した構造に合わせて説明するのではなく、明確に意識化できていないことを書くという作業、すなわちエクリチュールによって意識化しようとしていることが分かる。さらに、一度書き上げた原稿を推敲して仕上げていく楽しみも強調している。

おおむねここが一番の力点でしょう。でもって、シェイクに象徴されるTak.さんが提示されるプロセスが強調しているのもこのような行い(あるいは営み)です。

あらかじめ構造をしっかり作りそこに向かって書いていくことは、「分かりきった」ことを扱う行為であり、「明確に意識化できていないことを書くという作業」──つまり、発見や創造とはひどく違っていて、そしておそらく楽しみも少ないのではないか。そのような疑問を『思考のエンジン』を読んでいると感じられますし、まさにその問題意識を持ってTak.さんの著作を読んでみると、「なるほど、そういうことか」と腑に落ちることが多く出てきます。

なので、Tak.さんの本を好ましいと感じる方ならば、よりディープに踏み込むために『思考のエンジン』はぜひとも読んでみたいところです。

難しい言葉

とは言え、この本は一筋縄ではいきません。すでに登場していますが、「エクリチュール」も知らないと意味が取りづらいですし、「パレルゴン」やら「ヘゲモニー」やら各種哲学者の用語がばんばん登場します。文章自体は晦渋ではないのですが、用語の感触を把握していないと、「うっ」と気後れする部分は間違いなくあります。

それを乗り越えるのが知的トレーニングである、というといかにもマッチョな発想にも思えますが、それでも自分が知らない世界から流れ込んでくる空気を一度胸いっぱい吸い込んでみるのは悪くない体験です。

それに用語がわからないからといって全体の意味が汲み取れないこともありません。ですので、そういう本だと思ってチャレンジされると良いでしょう。



This is a public episode. If you’d like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit bookcatalyst.substack.com/subscribe
00:00
面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト。今回はですね、新しい試みとしてゲストの方に本を紹介してもらうということをやろうと思っております。
初のゲストは、打ち合わせキャストでもおなじみのタクさんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
タクさんのことを打ち合わせキャストを聞いていればご存じの方は多いかと思うんですが、簡単にご紹介、自己紹介いただいてよろしいでしょうか。
タクと申します。アウトライナーについて主に本などを書いて、電子書籍が多いんですけど、アウトライナーについて本を書いています。
アウトライナーのエヴァンジェリストと名乗ってますけれども、アウトライナー全般ですね、文章を書くことを中心にタスク管理とかそういうことも含めて、アウトライナーを通じて語るようなことが多いです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回、倉下さんにゲストみたいな人に呼んでもらうっていうのは、ちょっと趣向を変えてどうだろうっていうふうに話を振ってみたら、誰か呼びたい人とかいますかって言ったら、一問にもなくタクさんに話を聞きたいというふうにおっしゃられておりまして。
打ち合わせキャストのネタ帳にタクさんと本の話をするというネタがずっと載ってるんですけど、永遠に消化されないままなので、いっそのことを僕がスタリストで語ってもらおうと思ったのが、一石二鳥感を出したのがこの企画です。
そういうことだったんですね。
そういうことだったんですね。
どんな本をご紹介いただけるのかという問題なんですが、よろしいでしょうか。
今日ご紹介したい本、いろいろあったんですけど、奥手直人さんという方の書いた思考のエンジンという本です。
すごい古い本で、1989年とかそのぐらい古い本です。
普通こういうところで紹介するのは、今入手できない本を紹介するのもなというところがあるんですけど、幸いなことにこの思考のエンジンはオンデマンドで今Amazonで買えるので、電書にはなってないけれども、オンデマンドでずっと継続して出版されているということなんで、何年か前から。
なので、思い切ってこの本を紹介してみようか、もっと新しい本にしようかと思ったんですけど、これ本当に僕のアウトライナーについていろいろ書いていることの原点みたいな本なんで、人生で一番影響を受けた本かもしれないというので、最初に本の話をするとしたらこれかなということで選びました。
たしか以前にゴリゴキャストの話なんですけど、その時に影響を受けた本、影響を受けた人?アウトライナーの思想について影響を受けた人っていうので、奥田さんというお名前は伺っていたような気がします。
03:17
はいはいはい、しましたね、その話を。
たくさんこの本は何歳ぐらいの頃に出会われたんですかね。
二十歳か二十一歳か、そのぐらいですね。だから、1991年とかそのぐらい、90年とか91年。
出た本、出たあたりですよね、やっぱり。
当時、朝日パソコンという雑誌がありまして、あったんですよ、そういう雑誌が。そこで紹介された作家のコンピューター特集みたいな号があって、その時に園彩子さんとか佐紀龍蔵さんとか、当時ワープロを使って書いてるっていうので有名だった作家の人が出てて、みんなワープロの話だったんですけどね、その時は。
その号にちらっと奥手さんが載っていて、そこでこういう本書き書いてますよっていうようなのを載ってて、買いに走ったというのが最初ですね。
というと、時代的には別にど直球にアウトラインのことが、アウトライナーについての使い方が書かれているとか、そういうものではなくて、もっと根本的なところっていうか、上位の思想が書かれているっていうことなんですかね。
そうですね。どんな本かというと、文章を書くことについての本っていうのが一番一言で説明した、するとすればそういう言い方になると思うんですけど、別にアウトライナーの本ではない。ただ、コンピューターと文章を書くことの思想との関わりみたいなことが一番メインになってますね。
コンピューターで文章を書くとはどういうことかの本質を突き詰めたみたいな、そんなイメージですか。
うん、まさにそういう感じです。
じゃあ、まさにそのコンピューターが出始めた時代に、いきなりそういうことを考えている人がいて、最初期のコンピューターで文章を書く論が書かれている本。
そうですね。そう言ってもいいと思いますね。最初期なんですけど、その当時の方がそういうことを考えている人がたくさんいたんですよ。僕の印象だと。なぜなら珍しかったから。
そうですね。こんなものが出てきて、これは果たして紙とペンと何が違うのか。
やっぱりこれは革命的なこと、特に文章を書く人がこれはすごい革命的なことだって感じたんでしょうね。みんな初めてそれをやってみて。だからその当時の方がこの種のことが書かれた本とか記事は多かったです。今より。
06:06
確かに今になると当たり前すぎて、コンピューターで文章を書くことの方が当たり前すぎて、当然コンピューターだからみたいなことを考えなくなってきているような印象もありますね。
まさにそうだと思いますね。アウトライナーの本じゃないんですけど、これ難しいですよ。一言で言うと。正直最初読んだときに何が書いてあるのかわからなくて。
なぜかというと、これは現代思想という雑誌がありまして、まさに哲学思想の、そういうのをやっている人だったら絶対読んでるであろう、現代思想という雑誌があるんですけど、そこに連載されてた記事をまとめた本なんですね。
本当、もう出てくる名前が、いきなりニーチェが出てきて、ハイデガーが出てきて、デリダが出てきて、エクリチュールとかシニフィアみたいな言葉が飛び交うような本なんですけど。
実は、まったく同じ時期に、奥田さん、もう一個この姉妹編みたいな本で、物書きがコンピューターに出会うときっていう本を出していて、そっちは普通の一般誌の連載をまとめたもので、そっちはかなりわかりやすいんですけど、本当姉妹編みたいな、使う言語を変えた姉妹編みたいな本があるんですよ。
ただ、そっちは今入手できない。ほとんど入手できないんで。ただね、やっぱり深みというか、凄みはこっちの思考のエンジンの方に僕は感じますね。
おだしょー 内容はかなり似ているってことですか、その2冊というのは。
おだしょー 似てますね。同じこと、同じネタも出てくるし、ただその思考のエンジンはそれを、なんか哲学の言葉を使って書いてるみたいな。
おだしょー から、難しいし奥深いような感じになる。
おだしょー 歯が立たないですね。
おだしょー もしもう一個の方が入手できるとしたら、どっちがお勧めっていうのはありますか。
おだしょー お勧めしたいのは思考のエンジンなんだけれども、やっぱりこれ拒絶反応を起こす人もいると思うんですよ、これ。
この文章を見ただけで、なんかね、すごいすごいっていうか、こういうのを読み慣れてる人はいいけれども、
読み慣れてないと、ほんとね、一段落読むのも苦痛みたいになっちゃう可能性もあるんですよ。
あるんだけど、これ、僕はそれでも読めるぐらい魅力的な文章だったと思ったんですよね。
そういうの読み慣れてるわけじゃないんだけれども、それから二、三十年間読み続けて、ほとんどなんか本の中身が自分の中に転移しちゃったみたいなところがあって、
09:10
それを自分の中で消化してどう表現するかっていうのをずっとやってきたみたいなところがあるので。
なんかあれですかね、めっちゃ難しいけど、それでもめっちゃ面白いからすっげー気に入っているっていう感じですかね。
そうですね。実用的にも役に立つことが書いて、自分にとっては役に立つことが書いてあったし、
あと個人、これは好みにもよると思うんですけど、文章そのものがすごく奥田さんは魅力的なんですね。
奥田さんの文章好きなんですよ。
すごいですね。やっぱりそういうふうに言われる人になりたいですね。
なりたい、なりたい。
そう、文章で人と差別化できるって相当やっぱりすごいことじゃないですか。
すごいことだと思いますね。
しかも超絶難しいのに面白い、好きだって言えるってことなんですよね。
僕はね。
でも超絶難しいとはいえ、何回極まりないほどではないです、やっぱり。
論じてあることが実践的な内容なんで。
哲学って詩弁方向に行けば行くほど、ほんまに何言ってるかわからない領域に行きますけど、
言ってることは難しいけどちょっとわからないっていうレベルに留まってるんで、
頑張ろうと思えば読めると思いますよ。
そういう言語を使っているから難しく見えるんですけど、
紐解いていくとすごく実用的なことが書いてあるんですよね。
そこをすんなり読めなくて紐解かなきゃいけない、
でも紐解くとああっていうのが出てくるところが、
僕個人的にはすごく嬉しいというか喜びがありますね、この本はね。
おー、すごいですね。奥深い感じがするな。
もう何回ぐらい読んでるイメージですか?
300回とか400回じゃないと思いますよ。
通読っていうのが別に回数じゃないですもんね、そういう意味で言えば。
要するに最初読んだ時、もっと実用的な目的で、
最初物書きがコンピューターに出会う時を読んですごく面白かったんで、
こっちも買ってみたんですけど、実用目的で買ったら全然わからなかったんですよ。
わからなかったんだけど読んでるうちに、逆にこっちの方が実用的に意味を成してきたというところがあって、
自分で実用をしながら、自分で文章を書きながら、しばらく経って読み直すと分かるみたいなところがだんだん増えてくるんですよね。
で、あとは結構参考文献とかもちゃんと載ってるんで、もっと広げていこうと思えば広げていけるし、
なので、読みやすい本だとは言えないけれども、文章の壁を越えると実は結構わかりやすいことも書いているという感じです。
12:07
ただ結構いろんな話が出てくるんで、ちょっと今日は一部というか、自分が一番影響を受けた実用的な部分だけの話をしようと思うんですけど、
最初はタイプライターとかウトライナーの話が出てきて、後半はデータベースとかハイパーテキストの話とかが出てくるんですけど。
そのレベルの文章というよりはモロコンピューターの話にまで入ってくるんですよね。
モロコンピューター、そうなんですよ。
ただハイパーテキストの話は、この当時はそれこそまだWebもないし、個人が使えるハイパーテキストのシステムっていうのがこの頃はなかったんで、
その意味では結構そこはちょっと今読むとちょっとあれだなっていう感じになっちゃってるんで、主に今日は前半の話をしたいと思うんですけど、
個人で使えるハイパーテキストってそれこそ今スクラップボックスとかObsidianを気軽に使えるって初めてそうなってきたところがあるんで、ここ5年ぐらいで。
Webはちょっと違うところがリンクしてるだけのような気もするんで、
能動的にリンクを張ってネットワークを作っていけるという意味での個人のハイパーテキストっていうのはやっぱりつい最近までなかったと思うんで、
なかったわけじゃないけど、一般の人が普通に使えるようになったのはついこの数年のことだと思うんで。
ちょっとハイパーテキストという用語についてわからない人向けにちょっと掘り下げたいんですが、
HTMLの正式名称がハイパーテキストマークアップラング1ですよね。
今のWebはHTMLを使って書かれてる、そういうものから始まったんですけど、
あれはTim Berners-Leeが自分たちの研究用に使うハイパーテキストのシステムとして作ったWorld Wide Webというものをベースに広がっていったものなんですが、
あれはリンクをクリックするとジャンプするっていう仕組みをハイパーテキストと呼んでるんですよね。
それがすごい単純化されたハイパーテキストシステムなんだと思うんですけど、
もともとの本来のハイパーテキストの定義ってもっといろんなものを含んでて、
バックリンクみたいなものもあれば、引用を管理したりするような機能ももともと含むような概念だったはずなんで、
そういうのを念頭に奥田さんが書いてるところもあるんで、
今の目で見るとちょっとわからないっていうか、
ちょっと例示されるものがちょっと今から見るとちょっと実用的なものとしてみなすのは難しいなっていうところがありますね。
ハイパーテキストの話に関しては。
おだしょー ハイパーテキストのこのハイパーってどんな文脈なんでしょうか。
15:02
いわゆる文章っていうのがリニアな流れしかないものを、
より一つ別の次元を加えることができるというような意味でのハイパーなんですかね。
おだしょー 日本語で言うと超ですよね。超テキスト。
テキストはリニアであるものを紙に印刷したり手で書くっていうところの限界に縛られたリニアなものだったものを、
その限界を超えるという意味での超テキストっていうのがもともとの語源、ハイパーテキストの語源だと思います。
おだしょー 紙だと上から順番に横から順番に読むしかできなかったものが、
コンピューターを使うことでそのリンクで繋がったり、リンクされているものが分かったり、
繋がりが作れるようになるぐらいの捉え方でいいんですかね。
おだしょー そうですね。奥手さんのこの本の中の言い方だと、
ホイの連鎖と言いますね。要するに注釈の連鎖。メインの文章があって注釈をつけるんじゃなくて、
すべてがすべての注釈、お互いに注釈になってるみたいなイメージ。
おだしょー 紙だとできないことですよね。限りなくできないのか。
が、コンピューターならそういうこともできるようになるんじゃないかっていうことを当時実際あったし、
そういうレベルまで踏み込んで考えてるってことなんですよね。
おだしょー そうですね。しかもこの現代思想の関連で言うと、
まっすぐな流れを崩していくっていうのがちょうどデリナの脱構築っていう考え方と
ジャストフィットするんですね。これの話はまた逆と言うからやめておきますけど、
だからわざわざ難しいデリナを持ってきてるわけじゃなくて、
その考え方にちゃんとリンクがあるんですね。
おだしょー そうですね。そういうことですね。
おだしょー わざと難しくしてるわけではないというのは一応言っておきます。
おだしょー 専門用語を使ったほうがやっぱりその概念を
いちいち説明しなくていいから早いんですよね。
おだしょー そうでしたね。だから逆に言えば、もしそういう概念に馴染んでいるのであれば、
すごくわかりやすいところもあるかもしれない。脱構築出ちゃいましたね。
おだしょー これは一応後半のほうの話なので、今回はこっちじゃないほうの話と思うので、
とりあえず軽く添えただけですけど。
そんな本です。続けちゃって大丈夫ですかね。
この本の中で僕が一番影響を受けたのはどこかっていうと、
主にこの本、中身でいうと前半なんですけどね。
書く道具と書くことにまつわる、書くことに関する思考について書いてるところから始まるんですけど、
タイプライターから始まるんですよ。
コンピューターの話なのにタイプライターから始まるっていうのは何かというと、
要するに書くための機械。
それがどう書くことに影響を与えたのかっていう話から始まっていて、
結構たくさん引用されている本に、この作家の仕事部屋っていう、
18:03
これはフランスの本だと思うんですけど、
ジャン・ルイ・ド・ランビュールという人が書いた作家の仕事部屋という、
70年代の終わりぐらいに訳された本の引用から始まって、
でもね、これすごいのは、
その作家がどうやって仕事、フランスの作家がどうやって仕事してるのかっていう本なんですけど、
インタビューでね。出てくる名前がね、
ロランバルト・レビストロース・フランスワード・サガンみたいなね、
もうそれだけでクラクラしちゃうような、
そういう人たちがどうやって仕事してるのかというインタビューの本が、
すごい面白いんですけど、
その本の引用から入って、その本に出てくる作家の書き方を分類するんですよね。
この当時はまだコンピューターで書いてる人はいないから、
種類で言うと、タイプライターで書く人と手書きで書く人っていうのがまずいるわけですよ。
あとは手書きで下書きしてタイプライターで精書する人っていうのもいて、
その3タイプいるんですけど、
奥田さんが注目するのはタイプライターで書く人の書き方なんですよね。
そういう人たちがどうやってタイプライターを使ってるのか、
あんまり日本人には想像がつかない、
日本語でだけ書いてるとあんまり想像がつかないようなところがあるんですけど、
このタイプライター的思考というふうに奥田さん呼んでる書き方があって、
どういうのかっていうと、タイプライターでまず打ちますと。
で、打ったものを紙で当然出てくるんですけど、
それをハサミで切ってノリで綱に変えて編集するっていう書き方。
で、それをもともとカット&ペーストといったんですね。
タイプライター文化圏では。
昔の人はマジでそうやってやってたってことなんですね。
マジでカット&ペーストしてたんですね。
マジで物理カット&ペーストしてたわけです。
漫画のセリフを貼るみたいな、なんかああいう感じですよね。
そうそう、ああいう感じで。
タイプして印字されたものを切って貼り付け、並べ替えて。
並べ替えて。で、また打ち直すんですよね、それを見ながら。
そこでもう1回打ち直しもやるんだ。
で、それを何回もそういう作業をやると。
で、それがそういうふうにして出来上がるアウトプットというか、
文章を作っていくやり方をタイプライター的思考というふうに
奥田さんは読んでいて。
で、それは何をやってるのかっていうと、
一言で言うと、書きたいこと、伝えたいメッセージというのがまずあって、
それを伝えるための一番効率的に力強くまっすぐに伝えるための文章を
どうやって作っていくか。
そのための技法というかテクニックとしてそういう書き方が生まれてきたと。
で、やっぱりそれは手書きでは不可能なんですよね。
21:00
タイプライターはコンピューターみたいに編集できないけれども、
打つのは手書きよりも楽なので、特に電動タイプライターだと楽なので、
何回も繋ぎ替えては書き直すという作業が現実的にできるようになったと。
なので、そういう書き方がタイプライターで書ける欧米というか西欧で普及してきたと。
で、なんでそういう書き方するかというと、
西欧、主にアメリカだと思うんですけど、
そこでの良い文章っていうのはどういうものかっていうと、
伝えたいメッセージが明確で、
そのメッセージに向かってクリアな論理の流れがあってまっすぐに進んでいく。
そういう文章こそが良い文章であるという考え方があったわけですよ。
だけど、それを手書きでやるのはすごく難しいと。
なので、何とかそれを楽にできないかっていうところで、
タイプライターを使うことによって、タイプライターと物理カット&ペーストによって、
それをやるっていう書き方が出てきたと。
それによって、今まで一部の訓練を積んだ人しか手書きでできなかったような、
そういう書き方ができるようになってきたと。
だから、それがまず一つの機会が書くことにどう関わってきたかっていう話なんですけど、
そういう書き方をタイプライター的思考というふうに、
奥田さんは分類したんですよね。
そこがまず、その話が一つ非常に興味深かったんですけど。
タイプライター思考の逆っていうのは、仮に原稿用紙思考っていうと、
つまり、頭の中だけで理論を整えてしまって、
それに最適な文章を書き下ろしていって、完成に至るっていうのが原稿用紙思考ってことですね、要するに。
まあ、そうですよね。原稿用紙を使わないにしても、手書きだとそういうふうにしか書けないわけですよね。
そういうんじゃなくて、小さいプロトタイプを何回も実際に頭の外から出して確認することで、
いや、こうだ、こうじゃないっていうことを、頭の外の領域でやることによって、
そんなに頭が良くない人でも成果物を作れるようになったっていう。
だから、ああいう種のアウトプットの民主化にも役立ってるっていうようなことですよね。
そうですね。まさに民主化っていう言葉を奥田さんも使ってますけど、
こういうエリートの進むような寄宿制の学校みたいなのがあって、
そういうところで叩き込まれる、それこそラテン語教育から始まるような、
そういうところで叩き込まれるような、ところからところを卒業しないとできなかったようなことが、
ある技法に分解されてしまうようなところがあったと。
やっぱり結論に向けて一切的なものを組み立てていくような書き方ができるようになったっていうのが
タイプライター的思考ですよね。
そういう書き方がまず一つあるんですけど、
でもね、でもねっていう話が出てくるんですよ。それでいいのかと。
24:05
だって、アウトライン作っても良い文章を作れるとは限らないよね。
その結論に向けて組み立てていくっていうのは要するにアウトライン的な書き方なんですよね。
結論があって、それに向けてまっすぐ進んでいく、クリアーで明晰な議論をしている文章っていうのは、
要するにアウトラインを持った文章のことなんですよ。
そういうものを、そういう文章こそが良い文章だとされているんだけれども、
でもアウトライン作っても良い文章が書けるとは限らない。
それにその結論、伝えたいことに向かってと言うけれど、伝えたいことって最初から分かっていること、分かってないこともあるよねと。
書きながら伝えたいことが初めて分かってくることもあるよねっていうわけですよ。あるじゃないですか。
おだしょー あります。はい、あります。
さっきの作家の仕事部屋の本の中でも、タイプライターの話をしましたけど、
そういうタイプライター的な考え方じゃない、明確にメッセージが意識されてないんだけれども、
書くことによって意識化していくような書き方をする人もいるよね、その中には。
その人たちがどういう書き方をしていたのかというと、その人たちは手で書いてると。
手で書いてるからそうなるわけじゃないんですけど、そういう人たちはタイプライターというものがあるにもかかわらず、
手書きにこだわっている傾向があったんですよね。その手書きにこだわって書いている人がどういう書き方をしていたかっていうと、
書きながらとにかく書いていくと。書きながら出ていくものを、何が出てくるかを自分で探っているし、
何が出てくるのか楽しみにしながら書いていたりするし、そういう書き方をあえてしている人たちもいるんだと。
そういう書き方によって書かれる文章、テキストというものは、さっき言った明確な結論、伝えたいことがあって、
そこにまっすぐ向かっていくっていう文章では表現できないようなことができてるんじゃないかと。
特に創造的な文章というのは、そうやって書かれるんじゃないかっていう疑問が呈されるわけですよ。
明確に疑問が呈されるわけじゃないんですけど、流れとしてそうなんですよね。
この思考のエンジンが出た時期、ちょっと前ぐらい、80年代ぐらいのアメリカの文章読本みたいなものがいっぱいあるんですけど、
そういうもので紹介されていた手法っていうのは、さっきのいわゆる西洋的な良い文章、タイプライター的なアウトラインを持った、
結論がしっかりした文章を書くのが良いことだとされていたものがほとんどだったのが、
80年代に今の手書きの人みたいに、書きながら何を書きたいのか探っていくような書き方ができるし、
27:10
それがその創造的な文章を書く秘訣だというような主張をする文章読本が80年代に出てき始めたと。
次にそれが紹介されるんですよね。そこで参照されている本というのがいくつかあるんですけど、
その中に参考文献で載っているのが、ピーター・エルボーという人のLighting with Powerという本があるんですが、
このピーター・エルボーという人がどういう人かというと、この人がフリーライティングを提唱した人なんですね。
ピーター・エルボーが提唱した書き方の一つが、このオープンエンドなライティングプロセスだという、
そういう書き方を提唱している。それがどういうものかというと、
まさにフリーライティングという言葉は思考のエンジンにはほとんど出てこないかな。1,2回しか出てこないですけど、
要は機能をもむくままに書いていって、結果的に何が書かれたのかをベースに書くことを、
メッセージも含めて見つけ出していく。要するに船の航海に例えるような、
海に向かって漕ぎ出していって、その向こうに何があるか探す。見つかったら上陸するみたいな、そういう書き方だと。
そういう書き方で書かれるものっていうのは、さっき欧米で良い文章だとされていた、クリアーな伝えたいことが最初からあるものとは明らかに性質の異なるものだと。
そういう書き方もあるし、実際にそういう書き方をしている人もいるよねっていう話になるわけですよね。
ここでやっとアウトライナーの話になるんですけど、アウトライナーっていうのはもともとの意図としては多分、
そういう西洋的な結論がクリアでアウトラインがしっかりした文章を書くための道具としておそらく作られたんだけれども、
実はそれとは逆のオープンエンドな、書く側もその自分のメッセージを最初は理解していない、
そういう文章を書くためのツールとして実はあるんじゃないかと。
し、そういうふうに実際に使われて効果を発揮しているんだよと。そういう文脈でアウトライナーの話が出てくる。
これが前半4分の1ぐらいの話ですね。
まず、コンピューターの時代で書き方というものがタイプライターの登場から書くという行為が徐々に変わってきて、
タイプライターというものによって手動切り張りができるようになり、
言いたいことがもともとあったものをきれいにまとめる手法というのは、その頃にだいぶうまくいくようになってきた?
30:04
そうですね。
楽には同じ作業を手でやるよりははるかに低張力で、小さい労力で行えるようになった。
だから、その意味ですごい高度な知能を持ってなくても書くということに参画できるようになったというのがまずファーストステップと。
ただ、そうやって初めから言いたいことがあるという書き方の他にも、書いてみたら言いたいことが見えてきたという書き方というものもあって、
それがちょっとずつ力を得てくるというか、そういうのもいいんじゃないかというふうになってきたっていうのかな。
で、アウトライナーというものは最初は元タイプライター派の人の言いたいことが明確にある人が言いたいことをきれいにまとめるために使うためのツールだったと、
そういう目的で多分作られているんだけど、実はそうじゃなくて、言いたいことを書いてみたら言いたいことが見えてきたということにも使えるツールなんだぞというふうに
おくでさんが最初の4分の1ぐらいで話している。
おくでさん 最初の4分の1ぐらいで話していると。そうですね。
だから、良い文章っていうのはメッセージがはっきりしてクリアーにそこに向かって向かっていく文章だという価値観があったわけですけど、
多分みんな人間そうだと思うんですけど、書いてみると明確な結論を伝えようと思って書いてみたら、そうじゃないことが出てきちゃうことってあるわけですよね。
で、その出てきちゃったそうじゃないことの方が重要なんじゃないかと。ひょっとして少なくともそういう場合もあるんじゃないかと。
だけど、もともとの良い文章の概念ではそれが救い取れないわけですよね。
し、手法としてもそういうのはない前提になっちゃってるんで。
だけど実際には多分書いている人はみんな感じると思うんだけれども、その外側に本当に伝えたいメッセージがあったりとかする。
で、そういうのを本当は組み込んでいける書き方、もしくはそれ以前にそもそも伝えたいことなんて書く前にはわからないよねっていうところも含めた、そういうところも全部含んだ書くための方法っていうのが本当の、
本当のって言うと本当と嘘があるみたいなんでちょっと語弊がありますけど、そういうのがライティング、書くことなんじゃないかということですよね。
おそらく推測としてアウトライナーがタイプライター志向の補助として作られたにもかかわらず、そこから逸脱していくっていうのが、これまさにデリタの誤廃っていう概念とぴったり相反するんですよね。
33:02
そうじゃない使い方をされてしまう。それそのものをちょっと越境してしまうような使われ方がするっていうのが面白いですね。
それができちゃったんでしょうね、アウトライナーを使うと。やろうと思ってもそれ以来はなかなかできなかったわけですよね、そんなことが。
どんどん予定外にずれていっちゃうようなことをやろうとしてもできない。
このピーター・エルボーさんは元々はコンピューターを前提にしないで、そういうフリーライティングから作っていくっていう方法を実は提唱してたんですけど。
僕それ読んだんですけど、やっぱりコンピューターを使わないでやるのは辛いよなっていう感想を抱くわけですよ、正直。
だけどアウトライナーがあるとこれできるよなと。
おだしょー 例えばアウトライナーじゃなくて、テキストエディターでも似たような可能性はあると思われます?
まあ手書きでやろうとするよりはできますよね。
でもやっぱりアウトライナーを使うことによって、これもあんまり使いすぎると良くない言葉なんですけど、俯瞰できるわけですよね。
何を書いちゃったかがわかる。ベタっとしたテキストをパッと見て何を書いちゃったのかわかるのは結構大変で、
どれだけスクロールが速くても大変なんですけど、それを見出しをつけていってピャッと折りたたんじゃうことによって、
ああこういうことを書いてきたんだと。何も意図しないで書いていったらこういう風に流れてきたんだなっていうのが目に見えるようになって、
しかもそれを組み替えられるので、それをやるのはやっぱりアウトライナーがあったら圧倒的に楽だなと思いますよね。
そのフリーライティングという言葉もよく聞いていて気になるんですけど、フリーライティングっていうのは言葉だけだと好きなように書く以上の意味がないんですけど、
何かそこにルールとか書き方とか決まりとか何か概念みたいなのはあるんですか。
そんなに厳密な決まりがないみたいで、もともとのそれを提唱したピーター・エルボーの言い方だと10分好きなように書くと。
手を止めないで書く。文法とかスペルの間違いとかを気にしないで頭に浮かぶままに書いていく。
書き直そうとしない。戻って書き直そうとしない。書いていくうちに違うことを思いついたら書き直すんじゃなくて行を変えて違うことをまた新たに書いていくと。
そのぐらいのルールしかないんですよね。
例えばそれは最初にテーマを決めてこの本について書こうみたいなものだったり、今の気分について好きなように書こうみたいだったり、そういうのも別に好きなように自分で決めてしまえば良いってことでしょうかね。
最初に提唱されたフリーライティングっていうのは、もともと文章を書く方法でさえなくて、ある種の訓練セッションみたいなところがあって、
36:12
これをまとめて文章にしようとかさえ考えないで、とにかくそうやって書くことを繰り返すことによって、いろんな目的があるんですけど、例えばきちんとした文章を書く前に10分間フリーライティングをしてみることで頭のウォーミングアップをするとか、
頭のエンジンをフリーライティングでかけてからそれを全部捨てちゃって、仕事としてちゃんと書き始めるみたいなやり方が紹介されてたりとか、あとは自分が何を考えているのか知るっていうのもあるし、発想を出すためにやるのもあるし、
必ずしも文章を書くための手法じゃなかったんですけど、このピーター・エルヴォンの最初の本で提示されたのはね、ただこの人先生なんですよね、たぶんね、たしか。ただその2冊目の本でその手法を使って力のある文章を書きましょうっていう本を2冊目に出すんですよね。
その時には目的によってテーマを決めてフリーライティングしてもいいし、決めないでやってもいいしっていういろんなやり方が出てるんですけど、フリーライティング自体はそんなに細かいルールがあるものではない。
100%フリーではなくて消さないとか戻らないとか間違えても気にしないみたいなルールだけ一応あるんですかね。
そうですね。モード書き、直さないっていうのがたぶん一番、ただ前に進んでいくというのがたぶん一番重要なルールなんじゃないかなと。
そういうフリーライティング的な書き方で本を書くと、初めからアウトラインをがっちり定めるよりも良い本が良い文章が書けるのではないかという感じのことなんですかね。
そこが難しいところで、良い文章かどうかわからないんですけど。アメリカ、西欧ってここで3回言ってますけど、たぶんほとんどアメリカだと思うんですけど、そこで言われている良い文章では書けないことがあるんじゃないかっていうことかと思うんですよね。
だけど、道具の限界でなかなか今まではできなかったんだけれども、今までの良い文章の概念からこぼれ落ちちゃうようなことも、最終的な完成品に組み込む方法があるんじゃないかっていうことだと思うんですよね。
それが良い文章かっていうのは、良い文章の定義っていうのは文化によって違うので、いわゆる良い文章かどうかはわからないんだけれども、少なくともアメリカで従来言われていた意味での良い文章ではない、そこからこぼれちゃうものを組み込んだ文章を書くということができるんじゃないかっていうのが近いんじゃないかなと思いますね。
39:16
それは何回も出てきてるけど、紙じゃなくてコンピューターが出てきたからそういうことができるようになっているってことですよね。
そうですね。この考え方はそれこそ、このピーター・エルボーがコンピューター以前にその考え方を提示してるんですけど。
紙で好きなように書いたテキストを後から何かもう一回直すとか、つらいですね。
だから、書けないでモンモンとするのと、ダーッと書いたのを何度も書き直すのとどっちがつらいかっていう話だと思うんですよね。
それはね、人によるんじゃないかな。
どっちもつらいな。それで昔は書けないでモンモンとするしかできなかったものを、ダーッて書いて何回も直すということができるようになってきてるってことですね。
そうですね。そういう話があるんですけど、アウトライナーの話が出てきて、いろいろアウトライナーの説明とかが出てくるんですけど、
アウトライナーでタイプライター的思考ではない書き方をするというのはどういうことかというのを、
この奥手さん自身が書いた論文を例に説明してあるところがその後にあるんですね。
ここが本当に一番具体的に影響を受けたって言ったらこの部分で、何やってるかっていうと、
ここでは別にフリーライティングから書いてるわけじゃなくて、アウトライナーを何に使ったかっていうと、一度書いた論文を書き直すことに使ってるんですよ。
要するにライティングじゃなくてリライティングに使う。
普通アウトライナーってアウトラインを作ってそれをベースに書いていくって思う人が一番多いと思うんですけど、
この思考のエンジンで定義されたアウトライナーの使い方っていうのは、もともと書いてあった論文がある。
その論文をアウトライナーに取り込んで書き直すことに使うという例が、それがアウトライナーの使い方の例として定義されていて、
そこが僕最初に読んだ時が一番衝撃的だったところですね。
何をやってるかっていうと、そこでは最初に書いた論文がフリーライティングじゃないんだけれども、最初に書いた文章の役割を果たしてるわけですよね。
それをアウトライナーに取り込んでアウトラインを折りたたんでみると、当然アウトラインの形になって画面に表示されるんだけれども、
見たらある一部だけ変に階層が深くなってるところがあったと。
例えば3階層ぐらいのアウトラインで来ていたところが、ある部分だけ変に5、6階層深くなっちゃってるところがあったと。
42:07
その形を見た時に、ここを書き直さなきゃいけないんだってことがわかるわけですよ。
ここがうまく運べてないんだっていうのがアウトラインの形で目に見えるようになったと。
なので、そこの変に深くなっちゃってるところを集中的に書き直していって、最終的にきれいな3段階で各階層3項目ずつあるようなアウトラインで書き直す。
要するに形式を整えることをやっているんだけれども、アウトラインの形式を整えてるだけに見えるんだけれども、
その結果として文章としてうまく流れていなかったところがきれいにというか、力のある文章に書き換わっていくっていうプロセスを紹介してるわけですよね。
ここが一番最初イメージがつかめなかったところで、でも長期的には一番自分が影響を受けたところかなと。
実際にアウトラインがどう変化していったのかっていうのも載ってるんですけど、書いてしまったことがどう流れているのかがアウトラインの形からわかる。
で、そのアウトラインの形が良くなるように書き換えることで文章全体が力を増していくということが書かれてるわけですよね。
これはさっきのタイプライター的思考の話とどう違うかっていうと、
変に階層が深くなってうまく流れていなかったところが実は一番脱線したというか、いろんなことが出てきちゃったところだと思うんですよね。
そこがうまく消化できてなかった。
これがいわゆるそれ以前に良い文章だとされていた決めた結論に向けて真っ直ぐ進むような書き方だと、そこは削られちゃうところなんじゃないかと。
アウトラインに書いてないことだから、書かないほうがいいことになってしまうんですよね。
脱線やから枝は切っておこうという感じで、そもそも訴状に乗らないっていうことですね。
以前だったら削られてしまったかもしれないんだけれども、そのアウトライナーを使って見たらそこがうまく流れてなかった。
じゃあうまく流れるようにはどうしたらいいのかっていうことです。
その前後も含めて組み替えるわけですよね。
組み替えてうまく流れるように中身の文章も書き直していくことによって何が起こったかっていうと、
もともと従来の考え方のきれいなアウトラインからは弾かれてしまったところが組み込まれた。
組み込まれたんだけれども、組み込まれて書き直した結果としてきちんと従来の意味の良い文章に見えるような形の文章が出来上がったわけですよね。
それが今までの書き方と違うっていうところ。
45:01
昔なら捨てられてしまっていておしまいだった。
昔の書き方なら書かれることがなかった。
当初想定していなかった良い言葉で良い感じの流れの中に組み込めるようになった、なる。
しかも重要、さらにというかもう一個重要なのは、
そうやって以前なら書かれることがなかったことを組み込んでいるのに形式はちゃんと保っていると。
それ以前も別に脱線したものを組み込むことはできたのかもしれないけれども、形式が崩れる。
これが良い文章だとされている形式から外れた形のものとして作られることが多かったはずのものが、
アウトライナーを使って組み直すことによって、
そこを組み込みつつ、一見古い形式、昔ながらの良い文章に見える形式に収めてしまったと。
だけど、昔だったら入らなかった、削られちゃったはずのところが組み込まれていると。
そこが、それがアウトライナー以前にはできなかったことなんじゃないかな。
だから、仮に極端なことを言うと、アウトラインを使わない場合は、逸脱したものはコラムとか別の枠組みを作って、
ホームに入れ込むことはできるけども、アウトラインの腰が変更されていることはなくて、
ただ、ちょっと書きたかったから書きましたよという扱いになってしまっていると。
代わりにアウトライナーの場合は、
こんなに行算変えているってことは、これめっちゃ重要なんじゃないかなということで、
例えばそれを一つシフトアップ、シフトプラスタブすることで、見出しのレベルに繰り上げることで、
アウトライナーが、アウトラインが組み替わって、しかもちゃんとアウトラインとして成立しているようになると。
だから、内容と形式を崩さない。崩さないってどうかしいな。
内容の変更がボトムアップして、トップからのビューを整えた形で変更できるようになったと。
そうですね。ボトムアップっていう言葉はここの本では使われてないですけど、
その言葉を使ってしまえば、ボトムアップなのにもかかわらず、まるでトップダウンで作ったように見えると。
そういう形式をきちんと保っているっていうことが、特に西欧のこういう文章の世界では重要視されるんで、
形式を保ってなんぼみたいなところがあるんですよね、たぶん。
そこの形式から外れるものはなかなか認めてもらえない、その実例も出てくるんですけど。
なんだけれども、でも形式にきちっとはまるものだけ書いてると書けないことがあるよねっていうジレンマがあったんですよね、たぶん。
それを両立させる道具になったと、アウトライナーが。
48:00
組み込めるけど、外れたものを組み込んでるのに一見というか、きちんと形式は整っているというものが作れるようになった。
もちろんアウトライナー以前にもそういうことやってる人はいたでしょうけど、
アウトライナーの力を借りれば多くの人にそれができるようになったっていうことじゃないですかね。
さっきのタイプライターのところでも出てきた、ここでも民主化みたいなものが残ってるって言っていいのかな。
ちょっとそこは違うかもしれないですけど。
たくさんからの視点でいいんですけど、その形式をきちんと整えてアウトプットを最終的に作り出すことっていうのは、
例えば論文が通るか通らないかとか、権威として認められるかっていうこと以外に、形式として整えておくことのメリットっていうか価値ってあります?
おだしょー それはまさにその話を書いてるんですけど、不思議なのは、形式を整えることに価値を別に見出してるわけじゃないんですけど、
うまくできてないものがあって、一生懸命必死になって直して、あ、うまくできた。やっとうまく書き直せたと思ったときに、
最終的にそのときのアウトラインを見ると、すごく形式的なアウトラインになってるんですよね。
おだしょー もう整えようとはしてなくても、自分に納得いく形になっていると、もうアウトラインが綺麗になっていると、結果として。
おだしょー その言い方が難しいんですけど、読んだときにきちんと流れて、ナラティブと言ってもいいのか、物語と言ってもいいのかわかんないですけど、
読み物として、ランダムアクセスするタイプの文章は別として、読み物として頭から読んでいくことを念頭に置いて書かれた文章というのは、
そういうふうに読めるプロダクトとして作ると、非常に形式的なアウトラインになるんじゃないかなと。
おだしょー 結果的に読みやすい文章というか、出来がいい文章と思えるものは、アウトラインも綺麗になる。
おだしょー そうですね。要するに、綺麗っていうのは何かっていうと、あんまり深すぎない。要するに文章というのはリニアに流れていくので、
思考がリニアとは限らないんだけど、文章がリニアっていうか、一本の線に流れていくんで、一本の線に見出しをつけていくと、そんなに深くならない。
だから流れが、さっきの奥田さんもそうだったけれども、変に一箇所だけ深くなるということは、うまく流れてないっていうことだと思うんですよね。
おだしょー そこだけあれですよね。別、回り道というか余計な話をしすぎているんですよね。
おだしょー だから、アウトラインの形式を整えることに別に価値は見出していないけれども、結果的には形式、論文と違って、論文のようにカチカチではないにしても、
51:03
あんまりこう、あるところはすごく深い、あるところは全然浅いっていうアウトラインにはならないっていうことが、文章を書く場合ですよね。
普通に読むことを前提にした文章の場合には、そうなんじゃないかなと最近思うようになってきたかなと思いますね。
おだしょー 形式そのものが目標というよりは、ある流度とか流れを整えたときに、それをチェックポイントとして確認したら必ずっていうのがちょっと言葉ですけど、
形式が整った形になってるから、アウトラインをチェックしたら、その内容の流れのチェックにもなり得ると。
おだしょー そうですね、そういう言い方が一番近いですかね。
だから逆に無理くりアウトライン構造を整えてもあんまり意味はないわけですね、要するに。
おだしょー と思います。
やっぱあれですね、文字通り文章、情報を俯瞰する道具としてアウトラインプロセッサーというものが役に立つ。
おだしょー そうですね。流れとか浅くするとかってよく言いますけど、それはあくまで文章の場合なので、始めから終わりに向けて流れていくものの場合なので、
それこそタスクとかプロジェクトを扱うときには必ずしもそうじゃないと思いますけど、文章に関してはそうですね。
おだしょー それはもしかしたらタスクとかプロジェクトにも言えるのかもしれない。
もしかしたらそうかもしれない。
おだしょー 漢字はしますね。人間の思考がその作業に関わってくるのであれば、おそらく考えたときに深くなってても、
その後からそれを自分が確認するときには構成が整ってたほうが、つまり俯瞰するっていう状況になったときに深さが異なっているのは整えたほうがいいっていうことは言えるかもしれないですね。
あと実際に実行するときに、時間軸に乗せていくときには文章と同じように流れていくものなので、深くはならないんじゃないかな。
そこが深くなるのはちょっとおかしいですよね。
おだしょー そうですね。この奥田さんの話に戻ると、ここまでの、すごい今はしょりましたけど、ここまでで半分か3分の2ぐらいかな。
でもこのリライティング、ライティングじゃなくてリライティングにアウトライナーを使って、それがどういう意味があるのかっていうところが個人的には一番影響を受けたところですね。
でも今の話を聞くと、数は多くないけどきっと読みたくなる人がいるんじゃないかなと期待してるんですけど。
だからこのリライティングって、今回この本の中で書いた論文を書き直すっていう形で紹介されてますけど、
そもそもゼロから文章を書くこと全てがリライティングのプロセスなんだって捉えられますよね。
おだしょー そうですね。リライティングを繰り返していくことじゃないですかね。
54:01
あとはソートラインとかすごく面白い話も出てくるんですけど。
今パラパラ見てるんですけどね。パラパラ見るとちょっと読んじゃいますね。面白いんで。つい読んじゃいます。
おだしょー 楽しいですよ、これ本当に。でね、あとこれ読んでもらうと、僕のしている話の6割ぐらいのベースになってるということがわかるんじゃないかな。
おだしょー 知ってますね。これたくさん言ってることや、みたいなのがちょいちょい見つかります。
そうなんだ。だからトップダウン、ボトムアップみたいな話は出てこないし、シェイクみたいな話も出てこないんですけど、
でも特に文章を書くことに関しては影響どころの話じゃなくて、
この思考のエンジンに書いてあることをいかに消化して自分の言葉で言い直すかっていうことを自分はやってるんじゃないかなって気はしますね。
もちろんこれだけじゃない。もちろんここに自分の経験と他の本がいろいろ上に乗っかってるんですけど、
でも倉下さん今まさにめくってると思いますけど、これがたくさんがいつも言ってることのコアだなというのはありありとわかるんじゃないかなと思いますね。
おだしょー だからこのオープンエンディットライティングプロセスって、つまり終わりがない開いたプロセスっていうのは、
シェイクっていうのも結局一連の終わりのないプロセスなんで、だから言い換えてるってことね。
新たなパラフレーズが行われてるというふうに僕は読みましたけども。
おだしょー 今度はオープンエンドシェイクとクローズドシェイクという言葉を出したおとしてるんですけどね。
おだしょー なるほどね。だからそういうことでスイッチ化が行われるわけで。
おだしょー そうそうそう。でもね、文章を書くことに興味がある人は読んで損はない本じゃないかなと思うんですけど、どうでしょうかね。
おだしょー まあそうですね、これ思考のエンジンでサブタイトルがライティングオンコンピューターなんで、一応ラウソンって言葉がちゃんと出てるんで。
ちなみにライティングオンコンピューターっていうタイトルですけど、表紙が木の鉛筆なんですよね、これね。
おだしょー そう、鉛筆なんです。
おだしょー なんか意味があるんでしょ。僕にはちょっとわからないんですけど。
おだしょー よくわからないですね。
おだしょー だからでもやっぱ思考のエンジンって書いてあると、文章を書くっていうことも、小説を書くというよりは書いて考えるような、そういうことに関する文章の使い方においては非常に実際に富む本だと思いますね。
おだしょー そうですね。あと書くことイコール考えることっていうことでもあると思うんですよね。
ライティングエンジンっていうのが出てくる。ライティングエンジンっていうのはさっきの公開をするみたいに、自分でも分かってないことを書きながら見つけ出して、それをきちんと形式の整った文章にしていくっていうプロセスを機能として組み込んだ架空のコンピューターソフトみたいなものをライティングエンジンと呼んで、
架空の機能を考えているようなところが本の中にあるんですけど、エンジンっていうことは多分そこから来てるんですけどね。
57:08
でもそのライティングエンジンだったものが本のタイトルとしては思考のエンジンになっているところもすごく示唆的かな。
おだしょー 例えば3章の最後の部分なんですけど、ライティングエンジンには移行と仮定、横滑りと移動のエクリチュールが新たな形を持つに至る世界を再統合する契機も確かに含まれているのだっていうので、もうこれね、わからない人には全くわからない文章になってると思うんですけど、めちゃくちゃ面白いですよ。
おだしょー エクリチュールは英語で言えばライティングですからね。
三沢 そう、ライティングですね、英語で言うと。
おだしょー なんかあれですね、タイトルがライティングオンコンピューターが思考のエンジンだっていう両方というか、なんかそういうような印象は受けますね。コンピューターで書くことこそが考えることにつながるんだみたいなことを言っているような。
三沢 そういうことなんですね。考えるっていうことは何かって言うと、思いつくことじゃないですね。着想することじゃなくて、思ったことについて考えることなんですね。もう一回考えること。だからリーシンキングがイコール考えるってことなんですよ。だから紙の場合は書いてしまったらもう終わり、もう考えない。あるいはもう既に考えてあることについて書いていくっていうその一方しかなかったのが、コンピューターを使うことによってそのリーっていうのを複数回行えるようになる。
だからコンピューター上で私たちはより考えられるようになるっていうふうに現代では言えると思いますけど、きっと。
おだしょー エンジンだからな。エンジンになるってことなんすもんね。
おだしょー 考えを対象を対話させることによって、思考を一個前に進めることができる。だからそれがエンジンってことなんですね、そのカードたちが。そのエンジンによって自分の思考が駆動していくっていう働き方をするっていう。だから書き留めたものっていうのが、これからの自分の考えることの一歩になる。だから書くことと書き残すことのこの2つの効能が思考のエンジンなんですね、きっと。
おだしょー 前に進むからエンジンか。
おだしょー 後ろに進む。ギア、バックレーターは後ろに進みますけど。だからそのフリーライティングも止まらないことがポイントじゃないですか。ライティングを、違うな、オープンエンドっていうのも結局止まらない。前に進み続けることなんで。だからエンジンっていうのはそれを補佐するもの。
一旦提出することはあっても、同じ頭の中でモヤモヤ考えてて、同じことばっかり考えてるような状況じゃなくて、一個一個考えを進めていくっていう行為をサポートするもの、ものというか存在としての思考のエンジンっていうことかなという感じです。
1:00:05
おだしょー 燃料があれば書き進められる。燃料になるのがコンピューターとコンピューターに書いたもの。
燃料になるのは自分の好奇心じゃないですか。ガソリンは。
おだしょー そうだから、なんかその書いたものが、なんかその自分が書いたものが燃料になるみたいな印象をちょっと思ったんですけどね。
どっちかな。このメタファーはちょっと難しいな、切り分けが。
おだしょー でもね、そういう面もありますよね。自分が書いたことに刺激されて、他者の目で、他者視線で見ることによって、また動くっていうこともあるんで、それだけじゃないですけどね。
駆動するものなのか駆動力なのかわからないけど、書いたものが一本前進することに役立つということは間違いないですね。
おだしょー あとあれですね。書くことこそが、書くことが考える一番いい手段だっていう言い方にもなるのかな。
それは間違いないと思います。
おだしょー 下手に考えるんじゃなくて、やっぱり手を動かせっていうことでもあると言っていいんですかね。
いいんじゃないですか。
おだしょー うーんって悩んでるよりも、手を動かしてしまうことがいいことだって、結局フリーライティングがいいことだに戻ってくるってことですね。
僕も基本的にアウトライナーを触っているときも、アウトライナーをどう操作しようかって考えていることそのものをもう書きますからね、アウトラインに。
そうするのが一番ナチュラルだということに気づきましたね。
おだしょー で、それを見返すことによって考えが進んでいく。
そうで、操作し終わっていらんかったら消したらいいし、タスクとして残りにやったら別の場所に置いといてタスクにしてもいいし、
使い方は後から考えてもいいから、とりあえず今考えていることを目の前に書き出そうということをした後で、さっき言われたようにアウトライナーだったら操作しやすいんで、別の場所に移動したりとかがしやすいんで、
操作がしやすいから適当に書けるっていう、逆に操作がしにくかったら、書いたものを書き移動させるのがめんどくさかったら、
今を書かんとこ、後で移動してから書こうってことになっちゃうんで、これあんまりよろしくないんですよね。
だから移動可能性、移動アクセスリビリティの高さというか、情報の移動のしやすさがあるというのが、やっぱりアウトライナーの一番強いとこやなというふうに感じます。
おだしょー そうですね。テキストエディターでもできるんだけど、アウトライナーをあえて使うのはそこですよね。
おだしょー うん。アウトライナー、特にワークフローリーとかのワンラインしか持たないやつの場合って、
どこに置いても結局同じ場所に保存したことには変わりないんで、あれをテキストエディターでやるのはちょっと難しいものがありますけども、
だからそういう意味で、自分がとりあえず思いついたことを保存しておいて、後から適切な場所に動かすっていうことが非常にしやすいのがアウトライナーですね。
おだしょー なんかかっこいい感じのまとめみたいなのを今から持っていけないかなって考えているんですが。
おだしょー かっこいい感じのまとめか。いやでもどうなのな。話としてはやっぱり、文章っていうのはリライトすることなんだっていうことだと僕は思います。全体を通して言えば。
1:03:10
おだしょー そのライトじゃダメでリライトなんですね。
おだしょー リライトするっていうことによって、自分が最初考えつかなかったことにたどり着ける。さっきその航海、航海っていうと日本語で言うとボヤージですね。旅に出るっていうことをするっていう。
だから船旅に出る場合にって、とりあえずどっか方向は必要じゃないですか。どっか方向は必要やけど、その方向に何があるのかはわからないところに旅立っていくと。
それを、その旅の経過、ログっていうのをちゃんと自分のアウトプットに活かせると。
どっかにたどり着いたおしまいとかじゃなくて、その回路がちゃんと自分のアウトプットに役立つっていうところが、自由に書けるってことですよね。
自由に書けるって難しい。自分の書きたいっていう欲望のままに書いて大丈夫っていうことなんですね。
それはなんかいいことですね。そういう、なんかこう、やっぱ欲望のままに書けっていうのは大事なことな気がする。
そういうことだと思います。だからアウトラインに縛られて書くと、書きたいことじゃなくて書かなければならないことっていうふうに欲望からそれてしまうんですよね。
だからもうその自分が手がついタイプしてしまうものの流れに身を任せよと。あとは自分が、あとの自分が選集してくれるから大丈夫だというふうにね、バトンタッチするっていう。
それはそのライティングをコンピューターで後から、もう1回それを見ながら考えろってことなんですよね。
本当にね、面白いと思います。ちょっと高いですけど、プリントオンデマンドなんで。でもこれは神でもっといて損はない本だと思います。
あれですね。欲望のままに書いてもアウトプットとしての体裁をきちんと作れるというか、維持できる。
欲望の部分と社会性じゃないですけど、そこを自分の欲望とそれを人に手渡すっていうところの接続をするっていうことじゃないですか。
欲望のままに書いて最終的には形式の整ったものを出すっていうのが。
おそらくその形式を整える作業の中で自分と欲望の折り合いみたいなのも作るんじゃないですかね。勝手に想像しましたけど。
そうだと思います。それでも溢れていくものが、切り落とされるものがあるので、まとめとしてはそういう感じですかね。
今日割愛しちゃった面白いソフトの話も他にも出ていてね。ソートラインというコンピューターと対話するとAIがその話を論理的にまとめてくれるソフトみたいなものが出てきて。
あれめっちゃ欲しい。
そういうのがあったんですよね。そういう話も出てくるので、興味がある方は読んでほしいかなと思います。
そのリンクなどは概要欄というか、そこに一緒にまとめておくので気になった方はぜひ見てみてください。
1:06:05
ということで今日はたくさんにご登場いただいて思考のエンジンについてご紹介いただきました。たくさんありがとうございました。
ありがとうございました。
01:06:19

コメント

スクロール