1. うちあわせCast
  2. 第八十七回:Tak.さんと『書く..
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はい、打ち合わせキャスト第87回ということで、今回もゲストにたくさんお迎えしております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まずはお疲れ様でした、ということでして。
ありがとうございます。
今回のテーマは、書くためのアウトラインプロセッシングというたくさんの新刊、セールフーパブリッシングでの新刊が発売。
ついに発売されたので、今回はその本の話をしてみたいと思います。
はい。
一応シリーズものということでいいんですかね、この位置づけ的には。
シリーズものですね、そうですね。
一冊目がアウトラインプロセッシング入門、オレンジ色の帯のやつで、
次がアウトラインプロセッシングライフ、こっちが緑色の帯のやつで、
今回が書くためのアウトラインプロセッシングで、青色、紺色の帯の本と。
一応タイトルは揃っているようで、ちょっとずれてるんですよね。
ちょっとずれてる。
最初の絵だけ頭に書くためのアウトラインプロセッシングが来ていると。
そうなんです。
この本については、内安キャストでも色々執筆に関する話とかで、
度々名前が出てきているんで、長らく聞いている人は、
あの本か、みたいな納得はされていると思うんですけども、
どうしましょうかね。
その本の中身とか、その本がどう書かれたかのプロセスは、
その本の中そのものに書いてあるので、ここであえて言うことはないと思うんですけど、
あの本の中で語られなかった部分っていうのも多分あると思うんですよ。
そこの辺はちょっとお聞きできたらなと思いながらも、
えーと、どうですかね、僕の感想もあるんですけど、
まず、あの本を書く中で苦労した点で、執筆はいつも苦労するんですけど、
なんか独特の困り方とかってありましたかね。
そうですね、独特の困り方。
うーん、やっぱりその題材自体、題材がその本自体であるというか、
はい。
あの、まあ読んでいただくとわかるんですけど、
この本そのものを書いていくプロセスを題材に解説するという形になっているんで、
あの、わけわかんなくなるんですよね。
なりますよね。なりますよね。
なんか本文を読んでても、これを今どっち側を読んでいるのかってちょっとわからなくなってくる。
アウトラインプロセスの違法の話なのか、
その著者が脳内で検討している話なのかっていうのが、
非常に曖昧になってくるっていう、
これまでにない独特な感じの本でしたね、これは。
まあちょっとね、若干そこでわかりづらくなっちゃう面は否めないという感じはしますね。
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逆に言うと、ここまで実践的な内容の本はそうないやろうという感じはしますね。
そうですね。まあだから解説、解説というかね、
アウトラインプロセッシングでこうやって書いてきますよっていう話をして、
そうやって出来上がった結果をまさに今読者が読んでいるという、
あの、なんていうかこう、ぐるぐる回るような、
循環構造になっているっていう。
はい、だから、えっと、まあ、シェイクっていうプロセス、
アウトラインプロセッシングというプロセスが、
トップダウンとボトムアップの繰り返しによって、
コンテンツを固めていくっていう一つの大きな流れの中で、
えっと、まあ、そのシェイクの独特さっていうのは、
ボトムアップによってもトップダウンの構造が変わってしまうんだっていう指摘があると思うんですけど、
この本はさらに、その本の中身で書いていることそのものが、
その本の内容に影響を与えてしまうというか、
もう一度深い因果関係がこの本のややこしさになってますよね。
ややこしいんですよね。ただまあ、それはなるべく避けるようにしてたっていうか、
あの、これね、まあ一応最初からそういうふうにやろうと思って、
えっと、作業を始めた時から、その、すべての日の、
あの、アウトラインを全部取ってあったんですよ、毎日。
あの、ダイナリストの、該当のアウトラインだけじゃなくて、
そのダイナリストのアウトライン全体をテキストでバックアップすることをずっと、
その、すべての日についてやってて、
で、あの、後からそれを見ながら書く時に、
えっと、この時点のアウトラインとこの時点のアウトラインを使おうみたいなのをピックアップして、
それを、あのテキストからまた、あの、専用に作ったダイナリストのドキュメントに戻して、
あの、だから本当のその作ってるそのもののプロセスじゃないですね。
さすがにちょっとそれは無理で。
記録、記録というか保存してあったプロセスを後から見つけて、
そっから使いたいものをピックアップして並べていった感じなので、
まあ、あの、ただしその使われているアウトライン自体は本当に本物というか、
はっきり言って5時脱字までそのまま本物が載ってたりするので、
そういう感じなんですけど、
そうすると何が起こるかっていうと、
あの、過去の例えば、あの、
最初このプロセスのこの段階のアウトラインはこんなんでしたよって言って載せるじゃないですか。
載せるとそれを自分でどうしても読んじゃうので、
こっちの方がいいじゃんって思っちゃうんですよね。
なるほど。
それをやると結局そのどんどん過去のが逆流してきちゃうんで、
あの、それは起こらないように途中からね見なくしたんですね。
なるほど。
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対象のアウトラインも全部もう、あの、構成の時も見ないでやってましたね。
うん。
普通の本では起こらない。
起こらないですね。
だから、ちょっとしてしまったようなところがあります。
ちなみに、3年とちょっとかかったという話で、
で、うーん、その全工程により、
3年間ずっとこの本のプロジェクトにかかってたわけではないと思うんですけど、
3年と仮に考えた時に、
あの、執筆のプロセスの6号目まではこの方法でいきますと本の中にあったんですけど、
6号目ぐらいの期間って、その3年でどのくらいかかりましたかね。
どこが一番時間かかったかってことを聞きたいわけですけど。
あの、一番時間かかったのは6号目以降なので。
以降か、やっぱり。
えーと、まあ本の中の用語で言うと、
文章のアウトラインが固定されて、文章のアウトラインができて、
あとはこれを文章として完成させるだけっていうところから先が、
一番時間かかってますよね。
うーん。
まあそれ多分ね、毎回そうだと思うんですけど。
あの、はっきり言ってね、そこまでは早いですよ。
うんうんうんうんうん。
で、その後の時間のかかり方っていうのは結局その、
あの、なんていうんですか、基準がなくて、自分がいいと思えば終わりなんですよね。
うん、そっかそっか、なるほど。
うん、だから別に文章のアウトラインそのままちゃちゃっと直しただけで、
もうそれでいいと思えば別にもうここで終わるんですけど、
今回そのやっぱりいいと思うまでが長くて、
えー、やっぱり読んでみたら良くなかったっていうのがずっと続いちゃったんで、
ただしその構成というか中身はね、ほとんど変わってないんですよね。
その、ほとんどできてるんですよ、その段階で。
まあ、扱うテーマとかどういう部分紹介するかみたいなのがもうその段階で決まってたと。
決まってますね。あと流れも決まって、アウトラインもほとんどもう決まってる状態で、
ただその文章として、それはだから結局自分の文章力、出力の問題が大きくなっちゃって、
何をどう書いてどう伝えようかっていうところまでは、
まあ、ね、そのアウトラインプロセッシングでそれこそできるんですけど、
その先にはやっぱりその出力っていうそのいかんともしがたいものがあって、
それはやっぱりね、アウトライナー使おうが、
使おうがいいか。
あの、ただね、変わらなくはないんですよ。
そのやっぱり、その、まあ、自分で足りないように思える出力で何とかやった結果をアウトライナーで確認してるので、
そうするとその流れがどうだとか、ここもうちょっととか見出しをこうした方がいいっていう、
そういう確認はすごく楽にできるので、無関係じゃないですよね。
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やっぱり、あとそのそもそも出力と関係なく、あの長さを一目で把握することがやっぱりできなくなっちゃうんで、
あれはだいたい7万字弱なんですけど、
その文章化していく、その文章力自体の問題は、まあアウトライナーと関係ないにしても、
それを行って作業した結果をいかに楽に把握するか、
必要に応じてこう組み替えるかっていうところで、やっぱりアウトライナーのあるなしがすごく大きくなるんで、
やっぱり無関係じゃない。やっぱりそれはなしだとできなかったなと思います。
あのアウトラインって今パッと見ると綺麗に並んでますけど、あれ実はかなり複雑ですよね、あのアウトラインって。
複雑です。
読んでて思ったんですけど、あれは仮に7万字といっても、やっぱりアウトライン、アウトラインというかアウトラインプロセッシングでないと、
あの形にはまあならないでしょうね、きっと。
ならないと思いますよ、あれは。
あんなややこしいことは多分しようと思わないと思います。
例えば、まず冒頭にこれまでのアウトラインプロセッシングで書いたことみたいなのをまずまとめて、
で、その次に自分の考え、つまりトークAとかBで語られていることを書いて、その後に議論、
議法の議論をするみたいな、こういう個性なら多分作りやすいし、分かりやすいんですけど、
あの特にその過去の本で書いたことが、その本文の中に取り込まれてるんですよね、あれ。
あれすごいなと僕思ったんですけど。
ただあれが一番実感がかかった気がする。
そうね、おそらく。
あれはなくて済めばどんなに楽だったか。
それは思いましたね。
本当はそれをやらなくて済むように、例えばそのシェイクについては、
アウトラインプロセッシング入門で説明したのでそっち読んでくださいってやりたかったんですけど、
やっぱり今回特にライティングの哲学が出たことだし、
入門を読まずに初めて読んでくださる方が結構いるんじゃないかということが想定されたんで、
やっぱり多分それだと不親切だし読まないですよね、多分。自分だってそうだし。
と思って組み込まなきゃってなった時に、
シェイクについての説明と、5つの方についての説明と、
そもそもアウトラインの機能の説明までしてるんで、
やっぱその過去に何度も書いたことを組み込むっていうのがすごく辛くて。
うん、と思いました、多分。
そうなんです。まず読者として読んで情緒に感じるし、書いてて楽しくないし、
楽しくないなんて言っちゃいけないかもしれないけど楽しくないんですよね。やっぱり新鮮じゃないので。
やっぱりその、僕、本発売前に下絵見させていただいたんですけど、
やっぱ一番、ごく単純に読み手として読んでて面白かったのが最後なんですよね。
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最後は特に手を入れるまでもなく、話題が流れている感じがはっきり感じたんですよね。
あそこだけ、序盤部分はちょっと読みにくいなと思う箇所が何かあったんですけど、
後半部分はそれが全くなくて、なんかテンションに違いがあるんだろうなとは感じたんですけど。
最後あれですか、トークBのとこですか?
ピースの話ですね、多分。
ピースの話ですよね。まあ、はっきり言ってあそこが一番書きたかったところですね。
そうなんだろうなと思って。
書きたかったけど、実は入れるかどうか迷ったところですよね。
まあ、本筋からは離れてますけど、でも逆に言うと、
アウトラインプレッシングというものの射程をあそこが一番伸ばしてくれる本でもある、内容でもあるんでね。
そうですね。あと、あんまりこれを書いてる人はいないだろうっていうのも思ってたし。
そうなんですよね。まずあそこの部分を読んで、僕ね、断片からの創造っていう、しばらく放置してるやつね、すごく書きたくなりましたね。
あそこで書かれてるようなことを展開するような話なんで。
あそこはだから一番、最近のたくさんの著作に触れてる人にとっては、あの辺が一番ワクワクしたんじゃないですかね、きっと。
そうでしょうね。新しい部分ってあそこですもんね、結局。
あとはテクニカルな発想のアウトラインと文章のアウトラインを分けるとか、そういうところもあるでしょうけど、
今まで多分読んだことがなかったのは多分あそこですよね。
あれでも多分あの話を最初に聞いたのは倉下さんですよね。
あれ、堀さんと倉下さんと3人で喋ったあのイベントで話したの。
まあだいぶ変わってますけど。あそこから来てるやつなので。
5年も前に。
だから僕も書かなあかんなって、ボールがまた回ってきたみたいな感じがすごいしてるんですけど。
それ読みたいなと思いながら書きますよね。
だからなんか自分の中でもある程度言語化された部分と、これも言いたいみたいなのが読んでて出てきたのがその部分でしたね。
だからそういうふうに非常に複雑な構成。さっき言った入れ子状にややこしいっていう書かれることと書いてることの対応のややこしさもあるんですけど、
もう一段階複雑に感じたのが、自分語りと技法の話が融合しているというか、
最近僕、独夫小猿さんとかの書く実用書、人文的実用書と勝手に名付けてるんですけど、
多分ね、文学的実用書みたいなラベルスケールしたくなるような本でしたね、内容的には。
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そうですよね。自分語りと実用パートがこのまま、自分語りがあってもいいけど分けると思うんですよね。
そうですね。
あやって混ざっちゃってるっていうのは、おそらく一般的にはあんまりやっちゃいけない。
例えば、演習者さんがいたとしたら、ちょっとって言われるんじゃないかなと。
気はしますね。
逆にそれができるのがセルフファブリッシングのいいところだと思いながら、ただそれを読みにくく感じる人はもちろん。
もちろん、慣れの問題もあるでしょうから、でも新しさはそこにあるし、やっぱりああいう回路を通って伝わってくるノウハウだからこそ受け取れる情報というのもあるのではないかなという気はしますね。
やっぱりその個人的な体験と切り離せない、話せない技法、技法ですよね。技法としか言わない。
個人的な体験の部分がないと、逆にただの俺俺ノウハウになっちゃう。
なるほどね、確かに。
思って、なんか不思議なんですけど、その俺俺ノウハウってただあんたがそれでうまくいっただけじゃんっていうようなものに、
そこにさらに自分語りを付加することによってよりそうなっちゃうかと思えば、むしろ逆なような気がするんですよね。
なるほどね。
だから、まあちょっとそれが本当にうまくいったよりかどうか自分ではわからないんですけど、ちょっとそういう感じがしたというのはありますね。
そういうものも含めて意欲作やなというのをちょっと読みながら感じてました。
いやーちょっとね、異変にまたなってしまいましたね。
いやーでもやっぱりその先ほど言った、すでに自分が書いたことを新しいアウトラインに組み込まなきゃっていう辛労さと、
さっき言った文学的なものと実用的なものの、多分文章の語りが勝ち合わない部分が多分あると思うんですよ。
意識レベルか無意識レベルかわからないですけど、だからそういうところの難しさに反映されてたんじゃないかなという予想はありますね。
そうですね。
まあ同じこと、ライフ、アウトラインプロセッシングライフでもやってたんで、それの文章版なんですけど、
自己研究度合いがすごいので、やっぱり余計大変でしたね。
大変でしょうね。なんかそうですね、ライフの場合はなんかここまで、何ていうのかな、必要さを感じる必要ってね、
出力迫ってくるって必要ですけど、感じないというか、その自己研究がある段階で止まるんですけど、これはもう一歩踏み込みますからね。
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だから、これ制御、ある種だから制御はしようとしても、何て言ったらいいんかな、フィードバックが起こってしまうから制御しきれないというか。
そうなんですよね。過去について語ることによって過去からフィードバックが現在に戻ってきちゃうようなことになるんで。
だから、そういうややこしいことを自己満足じゃなくて、ちゃんと伝えたいことを伝える結果に繋がってるのかどうかっていうのは、
もうそれは、もう。 神のみぞ知るですよね。
神のみぞっていうか、読んでくれた方のみが知るという感じで。
だから逆に、なんか実際に読んだ人と、クラブハウスなりスペースなりでちょっとお話しできたら面白そうと思うんですけども、
この本がいかに読まれたのかっていうのは。僕も全ては、全てのを書いた時も思ったんですけど、この本どう評価されるんだろうっていうのが全くわからなかったんで。
で、たまたまこういうなことにツイッターとかで感想をたくさんいただけたんで、よかったんで、
ぜひね、これ聞いてる人もツイートでいいんでね、なんか感想を書かれると、大変、著者の心の栄養にとってよろしくなろうと思います。
大変喜ぶと思います。
まあでも結構ね、引用とかツイートとかもいろいろしていただいてて、もう何よりですよね、ほんともう。
やっぱこれ、この本でやっぱり一番クリアに、文章を書く上でアウトライナーというのがどう使えるのか、どう役立つのかというのがかなりクリアになりましたし、
発想のタイムラインから発想のタイムラインからアウトラインへっていうシフトの話もかなり用語が固まったんで、
こうやって用語が固まったらやっぱりその上に議論を組み立てるようになるというのがあるんで、
やっぱりネーミングする、名付けするっていうことがきちんとなされた本じゃないですかね。
そうですね。そうなんですよね。ネーミングもネーミングは良かったんですけど、その名前つけちゃったものが今度多くなって、
この、そのね、倉瀬さんの下読みしてもらった時も指摘がありましたけど、カッコ、かぎっかっこが多くなる。
多くなりますね。
スキルは。じゃあ山カッコ使うか、やーやーとわーとかなんか色々、そういう悩みも結構ありましたね。
いやでもまぁ、まぁある程度多くなるのは、あの哲学書とかでもカッコばっかりのやつありますからね。
そうですよね。まあ僕そうな、ほっとくとタダでさえカッコ増えちゃうタイプなんですよね。
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はいはい、わかりました。
いつもカッコつけすぎて後で削るんで、タダでさえほっとくとカッコが増えるタイプなんで、
うーん、まあとね発想のタイムラインと発想のアウトラインってなんかややこしいんじゃないかと。
そうなんですね。だからあの、悟空の対応としては非常にいいんですけど、文字で読んでると一瞬どっちかわからなくなる問題がちょっと起こるんですよね。
うん、プロセスとプロダクトとかっていうのも、自分でも間違えること、使い間違えることありますけどね。
まあ片方を覚えたらもう片方を覚えられるというその良さはありますけどね。ペアとして覚えられるんで。
そうですね。でも、あの、結構新しい、新しいというかその、今までアウトライナーについて語るときにあまり語られてなかったことはいくつか提出できたんじゃないかなという自負。
それはもう間違いなく、ある種の考え方、今自分が、本にもありましたけど、今自分が何をしているのか、型を知るとか、そのプロセスの名前を知ることで、今自分がこれは何をしているんだと自覚できるということは、えーとね、多分その想像される以上に重要なことなんで。
大抵その作業上の混乱ってそれが混じってることなんで。
そうですよね。
それが整理されるだけでもだいぶ違うでしょうね。
あと、発想のタイムライン、発想のアウトライン、文章のアウトライン、で、文章じゃないですか。
いや、わかるんですけど、ここ名前が揃ってないのがすごく気になったんですよね。
だから文章ということは、文章を書くってことはタイムラインであることとイコールから、あえてつけるまではないんですけど、だから文章、最後にできるのは文章というタイムラインですよね。だから要するに。
そうですね。言いたかったのはそういうことですけどね。
そうなんですよ。タイムラインからタイムラインに戻るんですよね。
っていうことなんですね。
そうなんですよ。それもね、最後も結構文章になったんですけど、結局その目地のアウトラインというのも考えて。
はいはいはい。なるほど。
で、もう一個なんか忘れちゃいましたけど、なんかあったんですよね。あ、そうなの。文章のタイムラインというのも一度やったんです。
はいはいはい。
だから発想のタイムラインから発想のアウトライン、文章のアウトラインを得て文章のタイムライン。
タイムラインなんだけど違うタイムラインで戻るっていう。
うんうんうん。
うんうん。なんか美しいじゃないですかね。
そこは綺麗な対応やなという気をしますね。
そう。そうやったんですけどね。何らかの理由でやめましたね。
まあね、私たちの実感にはあんまりそこはないですよね。でもまあ文章というのはリニアに読むものであるという説明がそのピースあたりで出てくるんで、たぶんまあ理解はされてるでしょうけどね。その言わんと表記することは。
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そう。あ、そうだ思い出した。文章は流れではあるんだけどタイムラインじゃないと思ったんですよね。
うん。なるほどなるほど。
発想のタイムラインは結局その時間軸に沿って浮かんでくる発想を書き留めたものなので文字通りタイムラインだと思うんですけど。
はい。
文章はリニアな流れではあるけれどもタイムラインじゃないって思い直してやめたような気がしますね。
うーん、なるほどね。
あ、そうか。だから文章がタイムラインっていうのは読んでる人の頭の中ではタイムラインなんですけど。
そうでしょね。そうそうそう。
そこからずれがある。でもそれは受け取る文章は誰かに渡すものであるから、そこに文章と文章のタイムラインにワンステップあるわけですね。だから本来は。
そうでしょね。だからその文章を受け取った人が例えばメモを取ればそれはその人のタイムラインになる。
うんうんうんうん。
うん。っていうことですよね。
そうか。僕としてはもちろん面白かったし、あとこの本を読んで一個自分なりの課題やなと感じたのは、ツイートもしたんですけど、
カード法って呼ばれているチェキセイサーの方法論とこのアウトラインプロセッシングをいかに接合するかというか、接合したいというか、いうところがあって。
で、一見すると繋がらないものなはずなんですけど、先ほどの横の整理も出てきた発想のタイムラインの方。発想のタイムラインって本文中にもあるんですけど、
思いついたことをメモ帳にメモしていくのも発想のタイムラインですよねっていう言及があって、
ここの文をガサッとカードに置き換えれば、この二つが接合するんじゃないかなという予見みたいなのがあるんですね。
自分の中で確立されてないんですけど、だからこの場合って要するにフリーライティングからスタートするアウトラインプロセッシングが一応この本の提示していることですけど、
カード法っていうのは、フリーライティングから始めるんじゃなくて、日常的にミニフリーライティングみたいなものを大量にやっておき、
そこから形になるものを本にしていこうというやり方だと思うんですよね。
最近出たTake Notesか、トークっていう本でも、カード法って書いてあるんですけど、アウトライナーも使いましょうみたいな四つ目の道具としてアウトライナーが上がってるんですけど、
なんか出てきますね。
だからここは両方いるし、両方のやり方が接合できるんだなと思うんですよ。
それが多分知的生産の一番コアというか、大道というか、日頃ちっちゃいマメ論文を書いておき、そこからアウトライナーを使って生成していきましょうっていうのを。
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だから梅沢がカード法と小谷で示したのをデジタルに置き換えると、多分そういう形にスムーズに着地しそうな見通しが、この本を読んで初めて立ちましたね。
はいはいはい。
もともとアウトライナー以前の紙のアウトラインの時代には、今アウトライナーでやるような動的なアウトラインの操作っていうのを実現するためにカードを併用してたんですよね。
なので、もともとアウトラインとカードっていうのは神話性のすごい高いものだったと思うんですよ。
そしたらそのカードでやってたような動的な動きっていうのを結局アウトライナーでできるようになっちゃったんで、カードがいらないかのように今思えているけれども、果たして本当にそうなのか。
アウトライナーは本当にカードを代替できたのかっていうと、なんかそうじゃないような気もするんですよね。
だからアウトライナーにカード、カード法でいうところのカードを積み重ねていくという行為が僕はそもそも不自然に思いますし、
例えばそういうカードが線とか集まって、そこからそれらのカードを操作してアウトプットを作り出すというのも多分無理があるような気がするんで。
はいはいはい。
だからそこはやっぱり肯定的に、さっき言った別のものをくっつけるような感じが多分必要じゃないかなと思うんですよね。
うん、そうですよね。
なんかこう、例えばアウトライナーで、例えば僕が発想のタイムラインと発想のアウトラインをわざわざ名前で分けてるけど、
じゃあもしかしたらカードではそういう分けることって必要ないかもしれないし、もしかしたら。
もしかしたらカードじゃないものに転記する形でその役割をさせるのかもしれないし。
多分ね、そういう感じだと僕今のところのイメージとしては発想のタイムラインはカード法で着想をカードで書いていくと。
で、僕自身がスクラップボックスを長年使ってて思うんですけど、そういう単発の着想を書いているだけでは、
うーん、なんていうのかな、それを取りまとめる全体像っていうのがあんまり浮かんでこないんですよね。
はいはい。
でもひとたびそれを例えばテキストファイルとかにパサってペーストして並べると、そこに統合したくなる感覚というか、
何かこれ全体が何回一つのことを言ってるぞ感が出てくるんですよ。
ね、まさにはいはい。
だからそこの役割が発想のアウトラインっていうもので、
だからカードビューで見えているものと別のビューに移さないといけないと僕は感じてますね、今のところ。
なるほどなるほど。
だからカードは、だからルーマンもカードを書くだけじゃなくて、そのカードのインデックスを作ってたんですね。
はいはい。
おそらくそれに近いようなことをしないと、少なくともアウトプットするというか、何かを形作るアウトプットとかはちょっとしかない。
30:04
例えば論文を書くとか本を書くとかいう行為にはなかなか繋がらない。
カードをただ書いているだけではダメで、何かそのアウトラインを作らないと、
作ろうとしないとかな、とその成果に向かって頭が進んでいかないみたいな感じがあるんで、
そこはプロセスははっきり分けた方がいい気がしてますね。
うん。だから何かその点と線の話があったじゃないですか。
はい。
発想は点だけじゃなくて、文章にするなら線が必要だっていう、その線をどう実現するかっていうところがあって、
カード法ってやっぱりそこを意識しないと点のカードが対応できるだけになっちゃうような危険があると思ってて、
でもそのカードをたくさん作った時に、例えばカード同士の、これとこれはまとまりそうっていう感覚がある時って、
その線が見えてるんだと思うんだよね。
はい、そうそう。2カード間の線は見えてると思うんです。
だからそこをどううまくその線を捉えるか、捉えるところをその手法にするかっていうところだと思うんですけど、
接続するカードを作るっていうのが多分一つあると思うんですよね。
もちろん、はい。
それだけなのか、なんかカードじゃないところに持っていくのか。
っていうのがね、僕はやっぱり必要だと思う。
やっぱそうですかね。
そういう感でいうと、先ほど言った、あるカードを書いてる時にこれとあれが繋がるっていう感覚がもう如実に立ち上がるんですけど、
その2つの繋がりっていうのは線なんですけど、片方のカードAが支点で、もう片方のカードが支点Bで、終点と支点があって、線なんですけど伸びないんですよ。
はいはい。なるほど。この先に行かないわけですね。
この先にも行かないし、どこからもやってきてない。
で、さっき言ったテキストファイルとかにピリッとリニアに貼り付けると、その感覚、さっき言った、もっと広い、長い線、矢印を持った線が、
全体を貫く矢印を持った線が頭の中に生まれるんですよ。
で、それがないと人ってまとめ文章にしない。
で、なぜかっていうと、本にもありますけど、リニアに文章を書くって不自然なことなんですよ。
そうなんですよ。
で、カード法はナチュラルに発想を扱えるんですよ。だから、ナチュラルに発想を扱ってるだけでは、本に絶対にならないんですよ。
そうなんですよね。
だから、本にするっていうのは、不自然なことをしているという認識がまずいるんだなっていうことですね。
そうなんですよ。本に限らず文章ですよね。文章っていうのは不自然なんですよね。
うん。不自然なことをしているから、その不自然な方向に頭の資源を振り向かせるように、環境を整えないと。
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スカッポースでカードを揃えていくのってめちゃくちゃ楽なんですね。
そのカードだけに注目しておけばいいので、全体の構造を考えなくていいから楽なんですけど、その楽さをいくら加算しても本にはならないんですね。
で、梅坂もカードをくることって何回も言ってるんですけど、カードをくるってことは何枚ものカードを目にするってことじゃないですか。
それによって大きな矢印を頭の中にこしらえようということだと思うんですよ。
そうですね。
だから、それに類する何かをカード法に取り入れないと、やっぱりボトムアップでテーマが浮かび上がってくる本が勝手にできるってことは、僕は多分ないと思いますね。
うん。ないと思いますね。
そうなんですよ。
その、倉下さんの言う矢印。
やっぱり前の断片の話をしたときに、もうその矢印って言葉出てきたじゃないですか。
えっと、何だっけ。
僕はピースって言葉を使って、倉下さんはフラグメントだったんですかね。
フラグメントですよね。
その矢印、割にその点と線の線の話とか、ピースとピースを接続するみたいな話。
やっぱそれに似てる、似てるっていうか多分同じ話だと思うんですけど。
その矢印っていうのが、
点から点への、カードからカードへの矢印というよりも、それを貫いていく、もっと遠くまでいく矢印がないといけないわけですよね。
そう思いますね、きっと。
それをどうやって自分の中で作るか。
だっていう。
そうですよね。
だからその矢印が仮にない状態は、いわゆる自然な状態は、
何かな、自己完結的というか、スクラップボックスを見てニヤニヤしていられるんですよ。
その大きな矢印って結局何か伝えたいみたいな、誰か特定のわからないものを言い表したいみたいな欲望が喚起されてるというか。
だからそういうのがあるから僕たちは本を書いてしまうわけですけども。
だから、ちょっとだから、何ですかね、知的にはみ出てるというか、
ちょっとだから自己満足の外に出ようとする動きがその矢印にはあるのではないかなという気はしますね。
うん。し、もっと自己満足の外であると同時にもっと動機として欲求とか欲望に近いものがある。
近いものが。
うん。っていうところもありますよね、多分。
だからこの7万字を3年かかって書くっていうのはもう、ある種の人にとったら苦行なわけじゃないですか。
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それでもまあ、やりたいとやらざるを得ない、よくわからない感情がミックスされたような動機づけで進むのっていうのは、
やっぱりその矢印に突き動かされてるような感が多分あると思うんですよね。
何でしょうね、こういう動機って。
じゃあ自分はそのアウトライナーの話以外にその動機を持てるのかっていう、ちょっとよくわかんないところがあるんですけどね。
わからないと思うんですけど、だからカード法、特にそのテッテルカステンのカード法の一番のポイントは、
興味のないことは書かないと。
はいはい。
で、飽きたらやめるみたいなことを大々的に宣伝されてるわけですけど、
だからそのこのテーマに合わせて書きなさいというのには向かない方法論ですよね。
その点、たくさんの三冊目の本では一応それをフォローする技法がちゃんと書かれてて、
親切だなと思いましたけど。
そう、あの、しまっと目立たずフォローしてあるんですよ。
いやーでもあの、テイクノート。
副題文章、科学方法というのが。
いや、あれが一番実用的でしょ、きっと。
そうですよ。
あれが一番実用的ですよ。
あの、まあだからそのワインバーグの文章読法っていう本でも、
あの興味のないことは書くなって書かれてますし、もうその通りなんですよね。
だから、さっき言ったその不自然な作業なので、
その自分が好きだ、好きだ書きたいっていうような動機づけがない限りは、
まあ当然やり寄せるわけではないんですけど、
まあそれ一方で文章を書かざるを得ないっていうシチュエーションもあって、
もうそれはもうたくさんあって、それを解析するノウハウっていうのも当然必要で、
だからあの最後のちょっと触れられてる部分が、
まあ逆に言うと通常のビジネス書とかで取り上げられる文章を書くための方法みたいな文脈ですよね、あれが。
そうですね。
あの、だから簡易版書くためのアウトラインプロセッシングって呼んだんですけど、
多分実際に行うのは、僕自身もあっちが簡易版が多いし、
はっきり言って、そう、倉下さんも昨日の記事で書いていただいてましたけど、
3年もかかるんだったらこの技法でやっても意味ないじゃんって思う人いるかもしれませんけど、
はっきり言って思い入れがない文章をこの技法を使ったら早いですよ、っていうようなことですよ。
そうでしょうね。
すごく楽で早いですよ。
で、まあだから本編で書いたそのものすごいみっちりやる方法と、最後におまけとしてつけた簡易版っていうのが、
まあそのそれがね、多分両極端であって、
大体その中間のどこかに着地すると思うんですよね、現実っていうのは。
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多くは簡易版に近い方だと思うんですけど、
まあそれでも役には立つと思うし、
あの、欠かさるを得ない文章を書くとしてもちょっとこう気持ちを入れたいとかっていう時に、
本編の方のやり方をちょっと導入してくることもできると思うし、
まあその辺の塩梅は多分、
あの、実用上は起こると思うんですよね。
そうでしょうね。
あの中間のどこかに着地するという。
与えられた時間の広さとか、自分のテーマの裁量の広さとかによって、
適用できる範囲は変わってきますからね。
そうですね。
そうか。
まあね、文章を書くことっていうのはここまで難しいことなんだなというのを毎回確認するわけですけども。
まあでも、あの本やったら難しいよなとは思いましたね。
あの本やったら難しいよなとはもう、わざわざと思いました。
まあでも、正直やっぱり、
その、ね、やっぱり実力の壁に弾き換えされているなんて自分で思うところが多々ありますし。
うーん、そうなんですね。
見どころわきまえたものをやった方がいいという。
まあ、これ難しいところですね。
だから、KickingStoneのアウトラインプロセッシングでどのようにアウトラインを作ろうとも、
そのアウトラインの文章を自分が書ける保証は書き出すまではゼロなわけで。
でも大抵は自分が書けることよりも少し上のものをアウトラインにしてしまうのでしょうね、人間というのは。
まあ、もちろんそうだと思いますし。
でも、そうなんですよね。
でも、逆に最初から自分が書ける範囲のものを狙うと多分もっと下になっちゃうと思います。
それはそうだと思います。
まあ、シンプルな言い方ですけど、自己啓発っぽい言い方になっちゃいますけど、
100よりも上を狙うからこそ100に近くなるというところはあると思いますけどね。
だから、全く苦労しないのはアウトラインを立てずに、いつもの時に自分が思いついたことを書いていって、はい、しまい。
というのが一番簡単というか、労力がかからないですよね、これは間違いなく。
僕はそれさえもできないです。
いや、それも多分ね、文章のクオリティを気にするスイッチをオフにしたら多分できると思いますよ。
本当にでも最初に出てきた作文と同じになりますよ。
そうか。
ある種の、これは何か哲学的な何かを表現しているのかっていうようなものが。
全員文学的な。
ロランバルト感みたいな。
そうか。
42:03
結局、自分が書ける通りに書く中量っていうのは、さっき言った100点狙ってないから60点になるっていうこと以上に、
長期的に見た時に書き手のレベルが上がっていかないと思うんですよね。
それは何が書けないのかがわからないからなんですけど。
書こうとしてこれがうまく書けないってわかるから、そこに対する対策というか、修行でもいいですし、そこを回避してもいいんですけど、
何かしらのリアクションが取れるわけじゃないですか。
だから、そこで書き手の変化って起こりますよね、きっと。
そうですね。
でも、書ける通りに書いてるだけだったら、もうそのままですからね。
そうですね。
書き手の場合、僕の見てる感じだと、レベルが上がらないところからレベルが下がっていきますね。
不思議なこと。不思議なんじゃないかな、わからんけど。
文章のクオリティっていうかな、ずっと同じやなっていうよりは、何かだんだん下がっていくなっていう感じになりますね、その感覚やと。
筋力が落ちるみたいなのもあるかもしれないですよね。
そういう感じですよね、きっと。
だから、さっきも言ったように不自然なことなんで、きっと。
力がいるんですね、それを成すためには。
そうですよね。
多分、これは文章がどうあるべきかっていうのは、それこそ文化的な規範であって、脳の機能とは何の関係もないことなんですよね。
そうですね。
だから、すごく人間としては不自然なことをしないといけないっていうことで。
だから、やっぱりその筋力を使ってないと衰えていくのかもしれないですよね。
だから、僕らたちも今、会話で喋ってますけど、これ文章にしたら破綻してるじゃないですか。
破綻してますね。
これが一番楽ですね、要するに。だから、思いついてポンポン投げる。
特に日本語なんて、公文気にしなくて良くて、それっぽい名称並べたきゃ文になるみたいな、異常に筋力を使わない、知的筋力を使わない発話ができてしまうんで。
だから、これをずっと続けても文章って上手くならないですよね、動画だけも。
そうですね。
ただ、逆にその筋力の部分だけに、自分をキリキリと締め上げすぎると、余計ダメになるっていうことを言ってたのは、たぶん、ライティングの哲学なんかもそういう話だったと思うし。
それは間違いないです。
それもそうなんですよね。
筋トレをしたら、練習のタイミングで筋トレをしたら、本番は筋トレはしなくていいってことですね。本番で筋トレをする必要はないってことですね。
試合はね。
試合はもう忘れていいと思うときの実力が発揮されるっていうのが確実にあって、やっぱりどんだけ緩く書いても、たとえば千葉先生の本はちゃんと書けてるわけですよね、文章は。
本当そうですよね。
45:01
でも、字の力がパッと出ちゃうから、出ちゃうのにさらに締め付けようとするから苦しいんだよ。
そこなんですよ。だから字の力は絶対いるし、かといって本番と練習は違うよっていうところを意識するだけでもだいぶ変わるでしょうね、きっと。
そうですね。
だからやっぱり今回もさっきの話で言うと、その7割型流れ、内容も流れも組み立てるまでは結構楽にいくんですけど、それを文章として許容できるものにしようとすると、突然字の力が見せつけられるわけじゃないですか。
なるほどね。
自分の字の力というものが。
やっぱり読者として読むと、その読者として読むに耐えるものになってないっていう時の気持ちってあるじゃないですか。
ありますありますあります。
と思いますよね。
でも、寺下さん、下読みしてもらってから1週間前じゃないですかね、出る1週間。結構1週間で変わったと思いません?
でも当然、構成したら文章がよくなるのはありますけど、ネジが閉まったのとは別に簡単に言うとクリアになりますよね、内容が。
だから、寺下さんから読みにくいところを指摘してもらったところを直したら、余計他の読みにくいところが目に見えるようになるみたいな。
そこがクリアになるから、他のクリアじゃなさが目立つんですよ。
なるほど。
そういう逆に、そんな締め上げなくてもちょっとしたところを直すと、一気に他のところにも波及するみたいなところがあるんだなっていうふうに思いました。
いや本当、おかげさまです。
いやいやいや、僕のほうが押し掛け下読みしたいものなもんですから別にですけど。
どうですかね、自分で言うのはあれですけど、下読みしてもらった感じっていうのはどんな感じでしたかね。
いやあ、いいですよ。
いやあ、これ僕もやってもらったことがあるから言うんですけど、すごくいいんですよ、人に原稿読んでもらうって。
だって全然変わりますよね。
そうそう。
今聞いてる人がこれくらいいいんだろうなって思う度合いの量の多分2乗くらいいいですよ。
想像される以上に人に原稿読んでもらうっていうのがいいことだなっていう。
アウトラインプロセッシングの最後の方で文章を何度も読み返して良くしていきましょうって語られていて、全くその通りなんですけど、
あれをすればするほど文章の読む視点って偏ってしまうんですよね、自分の。
ある盲点がより強く盲点になっていくというか、全く知らない身で読んだ時のテンションがほぼ取り返せなくなるんですよね。
48:07
頭をゼロにできないから。
そうですね。
その視点から見た時にいろんなものが見つかるんですよね。
文章の用語の出し方が突然すぎるとか、説明がはしょりすぎてるとか、書いてる人はこう思ってるけど読んでる人はそこに全然共感できてないよみたいなところがどうしても出てきてしまうんですよね。
それ、書き手の力量の問題じゃなくて、何度も読んでしまうから絶対そうなっちゃうんですよね、これ。
努力でカバーできない。
これはだから一人の頑張りじゃ絶対に無理なんですよね。
やろうと思ったらヘミングウェイみたいに原稿を一回金庫に入れておいて、数ヶ月経ってから読み返して直すみたいなことをしない限りは多分無理ですね、一人では。
そうなんです。それを自分でやる唯一の方法は寝かせることですよ、時間を。
本当に頭がほわしちゃうと、どうしようもなくなるんですよね。
面白いのは、それで色々指摘をもらうじゃないですか。
もらってそこを、なるほどと思って直すと、さっきも言ったみたいにそれ以外のところの良くないところも見えてくる。
全体的に実際にもらった指摘の量以上の底上げがなされるということが今回は感じましたね。
だからやっぱり、推向ない構成ないってのは読者の視点で、自分が規定以外の視点で原稿を見直すということなので、
やっぱりダイレクトに他者を持ってくるっていうのが一番効くんですよね。
可能であれば、そういう文章を慣れた人に読んでもらうのが良いのはいいんですけどね。
選べるんであれば。あと、やたらめたらマウントを取ってこない人にも読んでもらえるのが一番。
誰でもいいというわけではないんですが、可能であればやっぱり一回、
誤字脱字の以前の段階で原稿に読んでもらってコメントを読んでいただくということは、
セルフパウダーレッシングであっても意識された方が、一般的な方法論として意識された方が良いのではないかなというのを最近書きながら感じますね。
タイミングっていつが一番いいと思いますか?
タイミングを間違えるとちょっと危ない感じしますね。
初期の段階ではあんまりやらない方がいいですけど、僕はある程度書いて詰まっている時ですかね、きっと。
詰まりを感じた時に一回風入れてみるっていうのがいいかと思います。
51:01
一応僕も書き手なんで、たくさんが抱かれる危うさみたいなのは一応理解しているので、踏み込まないというか。
コメントもそんなに踏み込まないで言うということは多分できると思うので。
だからこうした方がもっと面白いんじゃないみたいなのはダメじゃないですか。
それでも例えばここに何か行き詰まりを感じているんだろうなというポイントを見つけて指摘してあげることぐらいはできるかもしれないですね。
何が見つかるのかは分からないですけど。
そういう風に進めている時はいいんですけど、ちょっと判断に困るっていう時に、結局ちょっと判断に困るっていうのは、
例えば1週間経ったら判断できるようになるかというと、多分できるようにならないんですよね。
むしろ僕は時間が経つほどできなくなっていく気がするんで。
だから早めにお医者さんに行くっていうのと似てる感じですかね。
確かに頑張っちゃうほどできなくなっていく感じですかね。
そういうことがあるんで。一回ザックバランにこれで困ってるからできへんみたいなことをちょっと言っておくようなことができると。
千葉先生も原稿に困ったら友達に電話するみたいなことを言っちゃってもらいましたけど、
書かれてましたね。
あれに近いことってもっとフランクに行われてもいいんじゃないか。
その人がアイディアを盗むかもしれないという疑心的に言われているのではあれば、
まあそんなことはないでしょうけど。
そう思う相手には頼まないってことですよね。
そうですね。
僕今回はタイミングよかった。
ほぼ限りなく後半でお願いしてよかったなと個人的には思うんですけど、
そうするともしかしたらもっと早い段階でもよかった可能性もあるってことですよね。
まあそういう場合もありますね。
これ、倉下さんさえよければどこかであれを公開してもいいなと思ってますけど。
僕も念の為にするよ。
倉下さん赤いレバージョンを。
僕は相手によって突っ込む度合いっていうのは変えるわけですけど、
倉下さんはややきつめで入れましたね。普通の人ならスルスルようなところをちょっと入れたみたいな感じですね。
まあそれ、読んでいただくと分かると思うんですけど、
その通りに直したところは結構少ないんですけど、
でも全部、全て取り入れてますね、多分そのご指摘は。
やっぱりね、それで明らかに良くなってるし。
あともう一個、今回ありがたいのは、
下読みをしてもらった、一応まだ下読みしてるよっていうのを表ざさにしない段階で、
ツイートでね、倉下さんがある原稿を下読みして、
54:03
ちらっと読むつもりだったけど、なんかズルズル最後まで読んじゃったみたいなツイートをね。
あれがね、本当にありがたかったです。
いやー、分かりますよ。だって、そこまで長いこと自分の原稿見てると、
もう良いのか悪いのか分からなくなりますからね、あれ。
あれで、もう一週間、もう一、二週、その精度を高める作業がやる気力が湧いてきたというか。
あ、それ面白いんだったら、そのつまんないところで、つまんないミスとかつまんないこう、
へぼさみたいなのが残った状態じゃない状態で出したいっていう。
なるほど、なるほど。
今回分かんなくなっちゃった。
一回ね、3月ぐらいに、精度を高めようとして締め上げすぎて、
本当なんかね、情報を伝えるだけみたいな感じになっちゃって、
全部書き直したんですよね、見ながら。
で、その時にすごく緩く、とにかくラフに緩く書くようにして、
それでだいぶ、あれが感じが戻ったんですけど、
今度そのラフに、補助線的ないろんなフレーズが入った状態の、
それをどれだけ残すかっていうのは分かんなくなって。
確かに、はい。
で、補助線的なフレーズで残すべきではなかったなっていうところが、
たぶん全部、倉田さんから指摘入ったんでしょうね。
あー、なるほどね、なるほど。
これはやめた方がいいですよっていうのがいくつかあったじゃないですか。
はい。
これは良くないんじゃないみたいなのもあったし、
だからそういう意味では割に、
そういうことさえも自分では分かんなくなっちゃうことがあって、
ただそういう補助線を後で消すつもりで補助線を入れるっていうのはすごく有効なんですけど、
消し損ねるとつまんないことで引っかかっちゃう可能性がありますね。
ありますあります。
だから文章の印象っていうのを何回も自分で読んでしまうと薄れてくるんで、
初手というか初見の人のインパクトも測れなくなりますし、
インパクトが測れてたとしても、それが良いことなのか悪いことなのかも分からなくなりますし。
分からない。
うん。
そうですよね。
だから、まあありがとうございました。
これはもうでも、大体僕がたくさんに早く本を書いてくださいって何回も言ってるんで、
その付けを支払ってるだけです。
実際こうやって指摘することも僕にとっても勉強になるというか、
文章について精通する一つの勉強になるということもあるんで、
57:01
完全にそのウィン・ローズ、ウィン・ルーズじゃなくてウィン・ウィンに近いものではあるんですけど、
それ以上にやっぱり書き手は孤独に書いてはいけないという、
最近信念みたいなのがあるんで、それを実践しているところですね。
なるほどですね。
そうですね。あれはどっかで公開してもいいかもしれないですね。
それはもう全然公開してください。
1枚目の方が面白いでしょうね。2枚目よりも。
1枚目。
1回目。
そう、1回目ね。2回目はあんまりそうですね。
なるほどね。
一応その話とちょっと絡もうかどうかわからないですけど、
全然気にしていなかったんですけど、英語のタイトル、KDPの場合って英語のタイトルをつけるじゃないですか。
はいはいはい。
で、Outline Processing for Writingっていうのがこの本の英語のタイトルなんですよね。
はい。
これすごいかっこいいというか、なんか日本語より締まってますよね、このOutline Processing for…。
まああのINGがインフンデル性かもしれませんけど、なんかしっくりくるというか、
なんかこういうタイトルの英語の本ありそうな感じですけど。
それとして、後半の副題の方、日本語の場合はOutlinerで発想を文章にする技術なんですけど、
日本語の場合、Using Outline to Transform Thoughts into Writingってなってて、
おお、トランスフォームかってちょっと思ったんですよ。
そうですね。
トランスフォームってでも確かにトランスフォームやなっていうのはね、ちょっとね、僕一番感心したところです、これ。
いやー、だいたいそれね、なんで英語タイトルつけないといけないんだって話は。
まあ、そうですね。はい。
いつもね、こうなんか早く登録したいのに、ああまだ英語考えなきゃ、みたいなことが起こるんですけど、
トランスフォーム、別の方もね、そのトランスフォームって言葉、
へー、それ使うんだっていうことを言われてた人がいましたけど、
その人はね、エボルブでもいいんじゃない、いいと思ったって言ってたけど、
トランスフォームだと瞬間的に変わるみたいな言いらっしゃるんですよね。
はい。
エボルブだと徐々に変わっていくっていう印象で、
ああ、そう考えたらエボルブでもいいのかなとちょっと思ったりしたんですけど、
でもなんかね、感覚としてはトランスフォームなんですよね。
エボルブっていうのは、いわゆる進化に該当する、日本語で言うと進化に該当するんですね。
進化、そうです。
で、まあ、少しずつ、日本語は進歩の意味が強いんで、少しずつ形態が変わって良くなっていく、
まあ、環境的・様的になっていくっていうことでしょうけど、
やっぱりね、そのトランスフォームが一番しっくりくるんですよね。
僕でトランスフォームっていう言葉って、子供の頃にトランスフォーマーっていうのを見てて、
1:00:00
そのトランスフォーマーっていうカタカナで頭の中に入ってたんですけど、
英語で見たら、あとは当たりますけど、トランスとフォームの合成語なんですね。
合成語っていうか、2つの言葉。
で、トランスって、変化する、変換するっていう意味もありますし、
超える、その上に行くみたいな、あるところを突き抜けて別の場所に行くみたいなイメージですね。
で、トランスって、フォームって形ですよね。形を変えることなんですよね。
だから、発想のタイムラインからアウトライン、タイムラインからアウトラインやんけ、
そっから文章に移っていくって、あれ全部トランスフォームしてるんですよね。
そうですね。
だからあれは、進化じゃなくて、ある外側の枠組みが変わっていくような感じなので、
だからこれだとトランスフォームっていうのが一番しっくりくると思いますね。
そうですね。だからその、文章を書く作業全体だと、
なんかエボルブでもいいのかなと思ったんですけど、
手法としてやってることはやっぱトランスフォームなんでしょうね、きっと。
フォームを変えていく外側の、だから中に自分のあるメッセージっていうのがあって、
それを少しずつフォームを変えることによって、人に届けられるものへと変換していく。
変換が多分ね、一番しっくりくると思いますよ、僕の中では。
何かを変換している感じ、翻訳している感じ、変換している感じが一番しっくりきますね。
はいはいはい。
だからその無意識で変わっていく、ほっておけば無意識で変わっていくところを、
意図的に段階を設けることで、その段階段階で変換していくみたいな感じがありますよね。
確かに。
英語タイトル、それもね、それでイントゥでいいのかとか、いろいろこう、悩みは尽きないわけです。
でもこれ、書くためのアウトラインプロセッシングで、アウトラインプロセッシングフォーライティングの方が、
かっこいいですけどね。何やろな。
日本語のためのがちょっとあれなんか、まどろっこしいんかな。
それもね、だからフォーでいいのかなとか。
ちなみに、ライフの方は英語のタイトルってどうされてましたか、覚えてます?
覚えてないです。
何かつけたと思うんですけど。
アウトラインプロセッシングフォー、リビング?ライフ?
いや、あの、それはまんま英語になるんじゃないですか。アウトラインプロセッシングライフで。
アウトラインプロセッシングライフか、そっかそっか。そっか、そうやな、確かに。
副題を何てしたかちょっと覚えてないですね。もしかしたらローマ字にしちゃったかもしれないですね。
僕はだいたいローマ字にして、たまに英語表記のやつを見るとすごい残念な感じになるんで、ちゃんとつけた方がいいなと思うんですけど。
もうさっきおっしゃられたように、早く出版しようという気持ちが強いんですよ。英語をちゃんと調べようという気持ちにならないんでね。
そうなんですよ。あらかじめ考えときゃいいんですけど、やっぱり。
1:03:02
いやもう、その瞬間まで忘れてますからね。英語の程度について。
覚えてないですよね、何かそんなことが必要な。
ちゃんとこうね、企画書フォーマットっていうのをノートに作っといて、そこの下に英語タイトルつけることってやるべきなんですけど、本来は。
でも初期の段階でもだいたいタイトル決まってないですかね。だいたい仮タイトルで進めるんでね。
その回しになりますね。
いやー。
とりあえず全体的にお疲れ様なんですけども、でもパッと見た限りで好調ですよね。
Kindleのランキングを見る限りでは。
はい。おかげさまで。好調と言っていい。
なるほど。よかった。
これは。
しかもこれ結構長く読まれますし、僕のノートもみたいに射程が広いというか、必要とする人が、本来はライフの方が広いはずなんですけど、
この言葉、書くためのというので結構間口が広がってるんじゃないかなという気もしますね。
そうですね。まあでもこれは1年2年経っても内容的に古くなるものではないので。
そうですね。
今多分、影響を養われてると思うんですけど、次の本の計画みたいな、アイディアみたいなってあるんですかね。
いや、ない。
もう空っぽな感じですか。
空っぽですね。
なるほど。
近日中にちょっと小さめの本が、某書から出ますが、その話は多分次回できると思うんですけど、その前に出ちゃうと思うんですけど。
その先の、大きめのそういう企画があんまり思いつかない。
あんまり思いつかないですね。
アウトラインに溜まったネタ帳とかにもキラリと光るものまだないですかね。
ああ、あれがあるじゃないですか。
あれは進んでるからもう企画案じゃなくて、あれはインプロジェクトですよ。
あれをやる。次に着手するのは。
まあ、あれですね。
それが終わっていないと、それが終わってからのことは考えられませんが。
そうですね。何がいいですかね。
だから、一回違法から離れてアウトライナー、歴史話みたいなとか、もっとあるいは逆に最後のトークBで話してたようなことを展開させるとか。
1:06:00
そうですね。トークBはね、減らすとあれで一冊になるぐらいのネタですよ。
あれは。
そうですね。何がいいかな。
アウトラインの操作説明で言うと、動画方向に展開することは多分あると思うんですけど。
アウトラインの使い方で言うと、文章を書いちゃったし、タスク管理やっちゃったしで。
あとは何ですかね。
あるとすれば発想法。
なるほどね。書かれてたアウトライナーならではの発想法というやつね。
そうですね。文章を書くときのアウトライナーの発想法は文章を書くことですっていうのが今回の話だったんですけど。
そうは言ってもいわゆる発想法もいろいろ考えられますよっていう話はあるかもしれないですね。
まあでもそれで本一冊になるかどうかはちょっと難しいかな。どうだろう。
アプローチによってはなりますね。
まあでも2、3万字の小冊子という感じはしますね、なんとなく。
そうですね。
僕がよく紹介する中野明さんという方が昔よくアウトライナーの本を書いていて、
そこに結構ね、既存の発想法をアウトライナーに乗せられるみたいな話があるんですよね。
要するにアウトラインって構造を持ったものは全部乗せられちゃうんで。
確かに。
普通だったら4小弦のマトリックスにするような思考法をアウトラインに乗せてもできるよみたいな話があったりとか。
なるほど。
そういう既存のものをアウトラインに乗せるっていうことと、アウトライナーならではの発想法っていうの両方考えられますよね。
既存のっていうのは割に中野さんがやられてた印象がありますね。
あといろんなアウトライナーがあるんで、どれを選んだらいいのかガイドブックみたいなのも多分アイディアとしてあると思うんですけども。
全部一個一個使ってくださいっていうのも正解なんですけど。
何かしらツールの特徴とか選ぶダイナミックなガイドがあると良いのではないかなという気もしますね。
なるほど。難しいですよね。
でも実は一番精通しているアウトライナーはWordなんで。
そうか。
そうですね。ダイナリストよりもワークフローよりも実はWordのアウトライナーに精通しているという。
1:09:02
ドラマーは使われました?
ドラマーはまだです。
そうか。ドラマーは面白そうなんですけど、多分ですけど日本語の情報が出てこないと思うんですよね、あれ。
残念ながら一回触ったらそのまま使えるっていうようなワークフロー的シンプルさのツールではないので、多分ガイドがいると思うんですよ。
そうですね。10年前だったら多分喜んでやりましたよね。
一生懸命Winerさんに翻訳をしていた頃。
そうですよね。でも多分そういうの必要ですよね。
それがないと日本人のユーザーの間では広まらないでしょうね。どんだけトリッキーで面白くても。
確かに。
まあその辺か。
とりあえずは次回作を期待しつつの僕たち二人の本を進めていくというのがNext Missionですかね。
はい。これを棚にずっと置いてあるので。
ちょうど寝かしていい感じになってるじゃないですか。
そうですね。
この本で書いたことも踏まえて、何かを書いたりとか書かなかったりとかっていう選択もまた変わってくると思うんで、きっと。
そうですね。結構関連してますよね。
もうバチバチに。タスク管理の方法と文章を書くときのアウトラインの使い方の話が交互に出てくる話だったと思うので、
もうすでに忘れてるけど。ただ半分関係してますよね。
文章を書くようにタスクリストを使うっていうのがものだったんで。
そこをだから、その二つの概念が実は関連してるよっていうことをいう本でしたね、確か。
そうでした。もうちょっと早くやめてほしい。
早くやめてほしい。それはまあね、一応原稿自体はある程度土台みたいなのが出揃ってるんで、
ここからの直しがまた大変とは言われるんですけども、そう遠くはない未来にできそうな気がしますが。
そんなところでしょうか。
近日発売されるある本をご期待くださいというところで、
僕も特にはないんですが、29日明日かな。
明日の夜9時とかかな、僕と五郎さんがやってる「Book Catalyst」という
ポッドキャスト番組の参加メンバーだけで月一の読書会をやってるんで、それが行われることになっております。
1:12:03
読書会っていうか、最近読んだ面白い本を教えてくれというような会なんですけども、
ご興味あれば「Book Catalyst」を検索してください。
今日はこんなところにしたいと思います。
書くためのアウトラインプロセッシングを読んだよという方は、
#うちあわせキャスト、ひらがなでうちあわせアロエツリーキャストをつけてツイートしていただくか、
そのまま#書くためのアウトラインプロセッシングというハッシュタグでも別にたくさん拾ってくださると思うので、
感想等あればそこまでツイートしていただければ助かります。
今回はこれまでにしたいと思います。お疲れ様でした。
01:12:46

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