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2025-02-27 1:18:13

第百六十九回:Tak.さんと原稿が進まないとき問題について

サマリー

今回のエピソードでは、生成AIの進化についてや、Alexa Plus、さらにアメリカで新たに発売されるデジタルメモPomelaについて議論されています。また、Obsidianの無料利用についてや、相互リンク機能の新しい実装についても深掘りされています。 さらに、KDPの偽情報問題についても掘り下げられ、生成AIを用いた本の登録に関する様々な問題点が明らかにされています。著者名の混同や外部性による市場への影響が議論され、健全な出版環境を保つ方策が探求されています。 原稿執筆における進捗が止まる問題についてのディスカッションが行われ、発言者の携帯状態変換という新しいアプローチが紹介されています。野田哲さんのプロジェクトやデジタルノートの要素も交え、意義ある情報化の手法が探求されています。 このエピソードでは、原稿が進まないときに直面する問題とその解決策について議論されています。デスマス体とデアル体の使い分けや、他者との距離感設定が書く過程に与える影響が強調され、作家にとって文体の変換やAIとの共同作業の重要性も考察されています。 また、原稿が進まない問題について、商業出版とセルフパブリッシングの違いや執筆法、メディアの影響が探求されています。特にKDPの利点や、編集者とのやり取りが創作プロセスに与える影響が詳しく議論されています。 原稿が進まない問題に対処するためのテクニックや思考のプロセスについても話し合われ、物理的なメディアへの変換や独自の発想法が紹介されています。

生成AIとAlexa Plusの登場
スピーカー 1
うちあわせCast、第百六十九回ということで、今回もゲストにたくさん
お迎えしております。よろしくお願いします。
スピーカー 2
よろしくお願いします。
スピーカー 1
けいこ、話題が盛りだくさんなんですが、まずニュース系だけざっとさばきますと、
生成AIがいっぱい出てきたんですが、また。
Alexa、Alexa Plusというのが、今までAlexaは生成AIじゃなくて、ちょっと頑張ってるAIなんですけど。
生成AI登場のAlexa Plusというのが使えるようになるらしく、
チャットGPTみたいに結構自然な形で会話してくれて、注文とかをしてくれるようになるのが、
徐々に配布されるということで、プライム会員は無料らしいんで、
大抵のユーザーは結構プライム会員になって、ごく普通に使えるようになるかなというところで。
僕たぶん日常的にAlexaさんと会話しているので、これ使えるようになったら便利かなという気はしますね。
なるほど。
今のところ天気を聞くとかそういう用途しか使ってないんですけど、
もうちょっと使い勝手が良くなる可能性があって、
これ結構生活、一般のコーパイロットとかっていうのはどっちかというと仕事の用途だと思うんですけども、
日常的に浸透しているユーザー向けエージェントなんで、
それが生成や搭載することで変わってくることがあるんじゃないかなという気はします。
Pomelaのアメリカ進出
スピーカー 1
独自ブラウザーを作るみたいな発表もあった、それはいいとしまして、
僕らが憧れるPomela、デジタルメモPomela、キングジムから出ている。
それがアメリカでもう発売されるということで、
アメリカ向けモデルが発売されるということで、
多分Kickstarterみたいな感じのを利用するんだと思うんですけども、
ユーザー集まってお金集まって生産するみたいなことだと思うんですけど、
どうなんすかねこれ。
日本人ユーザーですごい好きな人が多くて、
特にエイトックが載ってるから使いやすいみたいな話もよく聞くんですけども、
アメリカの方ともこういう、ある意味でプレーンな、
ちょっと言ってしまうとスマートフォンに比べてはチャッチーという感じがするわけですけども、
やっぱりコアな人は好きなんですかね、こういうのもね。
スピーカー 2
でもアメリカって意外にこの手のデバイスの歴史ってあるんですよね、90年代から。
だから一定数そういう人がいるんじゃないか。
90年代どこじゃないですね、80年代に結構新聞記者がみんなそれを使っていたという。
今名前が出てこなくなっちゃいましたけど。
本当に開くとシンプルなテキストエディターだけがあって、
それをパソコンにバチッとつなぐと、
そのテキストがワープロにすぎ上げられていた。
ほとんどの新聞記者がそれを使っていたみたいな時代があったりとか。
90年代にもアップルのスピンオフの人が開発した、
それっぽいなんとかっていうツールがあったんですよね。
ASなんとかって名前忘れましたけど。
だからそういうものの歴史は実は意外にあるということと、
パソコンとかのアプリのフォーカスモードというか、
ディストラクションフリー系の歴史もアメリカから始まってると思うんで、
そういうものとして位置づければ結構いけるんじゃないかという気がするんですけど。
スピーカー 1
なるほどね。一定数だとスマートフォンみたいな流れがありまして、
あるいはE-Linkのディスプレイを持った、
最低Androidだけ入ってるみたいな端末も結構あるみたいですけども、
もっとAndroidすら入っていないという純粋なワープロソフトは、
今の時代だからこそ、SNSがうるさい時代だからこそ、
一定の支持を、特に文章を書くのが好きな人の支持を集めそうだなという気はしますけどね。
スピーカー 2
そうですね。リッチだけど意外に広いんじゃないかなという気はしますけどね。
スピーカー 1
しかもアメリカという市場規模のでかいところであれば、
一定のお金が集まって生産されてっていうことは考えられますね。
そういうのが続いて、キングジムがずっとポメラを作り続けてくれたら…。
Obsidianの新機能と相互リンク
スピーカー 2
でも夢のある話ですよね。
スピーカー 1
もしこれに成功したらすごい夢がありますよね。
スピーカー 2
市場規模が全く変わってきますからね、これ。
それで15,000円ぐらいで買えるようになったら買おうかな。
スピーカー 1
それだったら買うかもしれませんね、さすがに。
値段がいつでもネックになってるというかね、
それしか使えへんのにという感じがずっとあるんでね。
スピーカー 2
でももし入手したら使うだろうなという気がします。
スピーカー 1
まああったら使いますね、きっとね。
スピーカー 2
15,000円とかとは言わずとも。
スピーカー 1
どっかの踏ん切りが超えられなくて、
買ったら買ったで使うと思うんですけどっていうのを、
そういう距離感のまま今まで言ってるんですけど。
いつかは買うかもしれませんけど、そういう話があったのと。
あとね、Obsidianが今までも別に個人ユーザーは無料だったんですけども、
商用の利用、利益を目的として2人以上とかで使っている場合は
ライセンス買ってよねということだったんですけど、
その制約がなくなっても誰でもご自由に無料でお使いくださいと。
ということでObsidianの開発元としては、
Syncsっていう同期機能とPublishっていう公開機能、
この2つだけが大きな収入源に、
大きなというか定期的な収入源になって、
それだけでも多分やっていけるというような計算というか、
その裁案が立ったということだと思うんで、
市場規模としても大きくなっています。
実際ObsidianをDeepに使っている方は、
どちらかないしは両方使っている方が結構多いと聞くので、
だんだん成長しているんでしょうね、きっと。
スピーカー 2
いいことですよね。
スピーカー 1
そうですね。こういうツールがそういう形で生き延びていくというのは、
健全というか市場的にいいバランスが成り立つかなと思います。
細かい話なんですけども、
Syncsで新機能がひょっこり追加されてまして、
双方向リンクマークといって、
今、たくさんご覧になっているこのページでいうと、
下のほうまでずっとスライドしていくと、
各回のページが下に並んでいるんですけど、
そこのリンク名の右側に、
左向き矢印と右向き矢印がついていて、
リンク名プラスアルファはそうなってまして、
これは別に僕が書いたわけじゃなくて、
このページからあるページにリンクしていって、
そのページもこのページにリンクしている場合、
両方がお互いにページをリンクしている、
相互リンクになっているときに、
特殊な記号が右側につくようになってまして、
今まではページがある青リンクとページがない赤リンクという
2種類だけだったんですけど、
青リンクでかつ相互リンクになっているときに、
この右側がつくようになったということで、
これあんまり受けが良くないスタートだったみたいですね。
これ何だろうっていうのと、
ちょっと邪魔やという話がありまして、
結構これ誰かが言うまで僕気づかなかったんですね、
このリンクがあることに。
僕の発想工房を覗いてみると、
スピーカー 2
この手のリンクがあんまりないんですよ。
スピーカー 1
これ結構面白い問題で、
相互リンクとは何かみたいな話になって、
これちょっと長くなるんですけども、
例えばですけど、
僕の発想工房の、
ここの小さな技術のページでもいいんですけど、
KJ法というタイトルのページをつくったとしますよね。
KJ法とは川北二郎氏が開発した発想技法の一つであると書いて、
日本で著名な知的生産の技術の一種であるみたいな説明を書いたとしましょう。
そのうちのどれか、
例えば知的生産の技術をリンクするとしますよね。
よくあるパターンですよ。
その知的生産の技術というページをリンクで開くとしますよね。
知的生産の技術とは、
スピーカー 2
情報を処理するプロセスに関するテクニックであるみたいなことを説明するわけですよ。
スピーカー 1
そうすると、
KJ法という表記はそこには出てこないわけですよ。
これは相互に説明しているという、
ある概念を説明している別の説明の中に、
普通文章としてはなかなか出てこない。
例えば知的生産の有名な例として、
KJ法があるっていうような書き方はあるかもしれませんけど、
それはかなり特殊な例なんですよね。
例えば、その他知的生産の技術というものについて
言及している複数の大量のページがあったとして、
相互リンクになっているものって実は相当少ないんですよ。
お互いに言い合う関係というのは、
それはかなり密な関係のページなんですよ。
でも逆に言うと、
そうじゃないページはほとんど出てこないんですけど、
今僕が見ているこのページの相互リンク、
これは要するに一覧を目的としたページなんですね。
スピーカー 2
要するに。
スピーカー 1
カテゴリー的に使っている。
この場合は相互リンクになっちゃうというか、
スピーカー 2
なってしまう。
スピーカー 1
この場合だと、
ここでこうやって並んでいる場合はあんまり邪魔じゃないんですけど、
さっき言った文章の中でリンクになって、
それが矢印になっているとちょっと邪魔なんですね。
でも文章になっているやつって、
あんまり相互リンクにならない。
さっきのような書き方をすると。
だから、何でもかんでも相互リンクにするっていう使い方をしているんじゃなくて、
ごくナチュラルに使っていて、
たまたま相互リンクになっているっていうものだけがピックアップされるこの場合だったら、
わりかし有用性は高いと思いますね。
改めて、お互いにどうリンクするのかなっていうことを、
この機能によって考え直すところがありましたね。
スピーカー 2
逆にこのマークが自動的につかない限り、
気づかないことですね、それって。
スピーカー 1
そうですね。相互リンクが一個もない人はわからない。
この機能があるかどうかすらわからない。
スピーカー 2
そうですよね。
スピーカー 1
これもまたコセンスらしい実装の仕方なんですけど。
だからこれちょっと面白いなと思って、
この考え方でいくと、
例えば僕が作ってるページでも、
共有したいとこですが、
スピーカー 2
共有しようかな。
スピーカー 1
相互リンク。
例えば僕、コセンスのページに思いついた企画案があったときに、
本のタイトルをタイトルにして、
1ページ1企画案でページを作ってるんですけども、
例えばモチベーションマネージメントっていうタイトルやったら、
モチベーションマネージメントがタイトルで、
2行目に、という企画案っていうふうに文章を書いて、
その企画案をリンクにしてたんですね。
でも画面見てもらったらわかるように、
ここの左右の矢印がすごく不自然なんですよ。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
でもよくよく考えると、企画案というページを開いたときに、
本来これは企画案とは何かっていう説明になってないとおかしいはずなんですよね。
つまり企画案とは、ある書籍についての企画をまとめたものである、
っていう概念の説明になっているべきなんです、本来は。
そうなってたら、そこのページには、
このモチベーションマネージメントのリンクはないはずなんですよ。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
本来僕がこの一覧したいために1行付けてるんですけど、
本来は企画案一覧っていうページを作って、
そこに一覧させるべきなんですね。
べきというか、運用としては。
企画案のページは本来は企画案についてホゲホゲ書く。
企画案の1個下は企画案一覧のページになっている。
もっと言うと、暮らしたの企画案一覧でなっている、
そういうページに置いておく。
KDP偽情報問題の概要
スピーカー 1
そうすると、暮らしたの企画案一覧っていう文章は、
ここには入らないわけですね。
こういうふうにはならないわけですよ。
だから、相互リンクがあることによって、
名付けの形とかページのタイプが適切かどうかが、
今までより見分けやすくなったなという感じがします。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
結構面白い問題で、リンクって何かとか、
リンクどう作るのかっていうのを、
何も言われてないけど、
ちょっと不自然やから修正しようみたいな促しが、
この機能にはあるなと思って。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
もちろんこのCSSをいじれば、
別に表示を消すことはできるんですけど、
むしろこれ残しといて、
片方のリンクでいいのか、両方のリンク必要なのかを、
ちょっと改めて自分の運用を考え直すというのは、
面白いやり方やなと思います。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
大きい問題なんですけど、KDP偽物問題でおいて、
ずっと昔からKDPが始まった時から、
内容が育つな本が、
KDPとして登録されているという問題がずっとありまして、
一番ひどいのは、
ウェブページとかどこかにある本をコピーして本にするっていうのとか、
やたら開業が多くて、
文字数稼ぐだけで中身スカスカみたいなのとかはあったんですけど、
ある程度するとアルゴリズムで弾けたりはするわけですけど、
ここ3日くらいかな、
僕が最初に見かけたのは村上春樹さんの話なんですけど、
春樹さんの本が出てるっていうのがあって、
これ本当に春樹さんかなっていうツイートがRTで回ってきたんですけど、
もうその時にはなかったんです、
KDPストアにはその本がそもそも存在してなくて。
誰かが多分通行してバンされたのかなと思ったら、
次は吉本和南さんが、
こんな本私買えたこと書いてないです、
皆さん買わないでくださいっていうのがあって、
各種ニュースサイトがそれを取り上げて話題になったわけですけど、
著者名を有名な著名な日本の著者名にして、
中身はおそらく生成AIで自動的に生成されたような、
一見すると文章説っぽいものをKBTに登録するという技ですよね、きっとね。
その行為そのものに、
日本的な法律的な違反ってほとんど含まれてないと思うんですよ。
なぜならば、
KDPで著者名を登録するときに、
私はあの作家の村上春樹ですってことを登録してるわけじゃなくて、
村上春樹っていう漢字4文字をただ登録してるだけなんですね。
Amazonで検索した場合に、
村上春樹っていうのに引っかかるものだけが抽出されるから、
あたかも村上春樹の作品であるように見えるという問題を悪用したお作なんですけど、
だってペンネーム、僕が明日からペンネームは村上春樹ですっていうこと自体に、
違法なとこは何もないですよね。
スピーカー 2
いや僕ね、それずっと疑問に思ってて。
ペンネームもそうですけど、
例えば本名を村上春樹さんっていう人がいるかもしれないですね。
その人が仮に小説を書いたときに、
その人は本名でそれを発表することができますよね、当然。
スピーカー 1
できないとおかしいですけど、
するかどうかは別ですけど、それは可能なはずですよ。
できるけれども、なんか混乱を引き起こしますよね。
だから混乱を引き起こすためにわざとやるという場合もあるでしょうし、
それを避けてペンネームを使う場合はあるんですけど、
少なくとも著作権の著作名が同性同名のものはあかんっていうことは、
原理的にあり得ないわけですから。
今回は意図的に、
意図されてない、
そういうことが起こり得るから、
KDPも別にそこまで厳しくはしてないわけですけど、
そういう隙を狙って出したと。
本の中身も空っぽじゃなくて、
生成による生成で、
ちらっと読んだだけではちょっとわからないという感じになっているのも悪質でして。
ただ、これの問題に対して反旗を翻そうとしたところで、
さっき言ったように、
同性同名の人は有名な作家がいるからダメなのかという問題、
あるいはペンネームが同じことを使うことはできないのかという、
根源的な問題がありまして、
市場への影響と対応策
スピーカー 1
一応Amazonはそれに対抗するために、
著者ページ、著者セントラルというページ機能を設けておりまして、
たぶんたくさんも作っておられると思うんですけど、
あるいは例えば、僕が自分でページを作って、
自分の本を選んで、
この本が自分ですよと選択して、
その著者ページを作ることができるんで、
一応それは自分でコントロールしてくださいねということだと思うんですけど、
かといって、作家村川遥がそんなページを自分で作るかというと、
これは絶対作らないわけですし、
外国人の方とかもわざわざ日本語のあれですることはないわけでして、
そうなるとこれはもう防ぎよう、
少なくともAmazonの現状の仕組みでは防ぎようがないし、
村上遥の検索結果をAmazonがどう切り替えるかっていうことですけど、
でもやっぱり先ほど同性同盟の人が、
片方の村上遥は引っかかるけど、
新人の村上遥は引っかからないっていうのはおかしいわけですから。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
名前だけでアイデンティティを確定させることはほぼ無理なわけですから、
これはもう避けられないとは思いますね、要するに。
スピーカー 2
結局その問題はそこというよりも、
吉本さんが指摘していたとおり、
Kindle Unlimitedの仕組みで、
ページをめくっただけで収益が発生してしまう仕様になっていることの、
是非ですよね、たぶん。
そうですね。
スピーカー 1
こうやって例えば話題になって、
実際販売がほとんどなくても、
ちょっと呼んでみようかっていう人が何名かいただけで、
だって作るコストほぼゼロに近いわけですから。
1000円とか2000円でも儲かったらっていう感じはありますから、
こういうのを制度側で完全に抑制するのはあんまり良くないとは思うんですけど、
非常にシステム的にこういう問題を絶対起こさないようにしようと思ったら、
KDPとそうじゃない本のストアを分けてしまうということがありまして、
スピーカー 2
そうですね、それは一つの方法ですよね。
スピーカー 1
Bookwalkerという日本のサイトの場合、カドカーのサイトの場合はそうなっていまして、
個人出版というのと普通の商業出版というのがタブが分かれていまして、
当時に混ざることはないということになっているんで、
例えばでも、今有名な作家の方が自分でKDP出した場合には、
ページが分かれてしまうという問題はありますけども、
一番無難な方策かなと。
僕らは自分で販売している人間やから、
分かるんですよね、そのKDPの本かそうじゃないのか、
メーター情報をパッと見たらだいたい出版社名がないとか、
そういうのが分かるんですけど、
そういう目利きは一般の方じゃないわけですから、
どこにも問題を起こすことなく、
決着スケールとしてはストアを開けることぐらいしかないと思います。
スピーカー 2
そうですね。
やっぱり今回の件で、
KDPの悪い面にのみフォーカスが当たるという結果になってしまったことが、
一番個人的にはあまり良い気持ちはしなかったところであって、
やっぱりKDP、確かに個人出版と商業出版を分けるというのは、
まっとうな解決策だろうと思うんですけど、
一方では個人出版のセルフパブリッシングの電子書籍が、
商業出版の書籍と同じ土俵で勝負できるという、
かけがえのない場所でもあるわけで。
間違いないですね。
そのメリットがもし失われることになると、
逆にあんまりKDPの意味もなくなるということもありますね。
スピーカー 1
そうだと思います。
そうなると、
例えば僕だったら、僕のファン向けにもっとダイレクトに、
ePubとかPDFファイルを販売するという形式にしたほうが、
手数料とか諸々考えたときにいいわけですから。
市場規模のトレードオフとしてAmazonで売っているというところもあるわけですから、
その辺をバランスを考えて決着させはると思うんですけど、
やっぱり思うのは、こういうイビルな本の作り方、売り方、
今後の展望
スピーカー 1
ビジネスのやり方というのは、
本人たちはすごいハックをしているつもりかもしれませんけど、
結局、本来その市場に成立していた信頼関係を壊しているわけですよね。
結局、工場が空気とか水を汚染しているのと変わらないわけです。
自分たちは何も問題を起こしていないふうに見えて、
外部性が相当強いわけですね。
しかもそれで多分小銭にしか稼げてないわけですよ。
大銭に稼げたらいいかという問題ではないんですけど、
全体的に割にあってないし、
そういう人たちが入ってくることを塞がないのがオープンということの良さではあるんですけど、
メタメタに壊されつつある信頼を何とか回復するためにこそ、
やっぱりKDPらは頑張っていくしかないと思うんですけども。
スピーカー 2
そうですね。まさにそうだと思いますし。
ただ今に始まった問題ではないんですよね。
文章じゃない、絵の方面では3年ぐらい前からもうひどい有様になっていたわけですし、
正製AI以前にも正製AIじゃない、さっき倉下さん言われてみたいな手法で、
ろくでもない本をページにめくらせるためだけの本を大量にアップするということが行われていたわけなんで。
まあ難しいですよね。
あんねみを今さらなくすという。
僕はそのほうがそれでもスッキリするなという気もするんですが。
スピーカー 1
そうですね。そういう商売をする旨味はだいぶ減るでしょうから。
そうなるとというのが解決策で。
何かに負けた気はするんですが、テロに屈しないというのと逆のことになっている気はするんですけども。
健全な市場を保つことの価値は高いですからね。
スピーカー 2
だからあんりみ自体がテロ地味なところがあったってことか。
たしかに。そりゃそうだ。
あんりみを同じ土俵でやってしまうことが、果たしてそもそもその時点で健全な市場という絵なのかどうかという問題はありますよね。
スピーカー 1
まあ片方は、出版業界もだいぶ怪しい思いをさせることを考えると、どっちかもしれませんが。
おもしろいなと思うのは、絵の時代、イラストを描く場合って、
僕が知る限り自分の絵だと言って他人の画風を持ってくるという感じ。
自分のネームバリューを上げるために人のうまい絵を使うという感じですけど、
これ今回は逆というか、自分を上げたいなんて要素ももう全然ないんですよね。
スピーカー 2
ただお金を得たいというだけで有名人の名前を使うということで、どこに行きたいのかももうわからなくなってしまう。
スピーカー 1
有名になりたいという欲望でやるのって、わからなくはない気持ちっていうのがもちろんあるわけですよ。
でもこれってただの小遣い稼ぎでしかないし、そんなに言うほど儲かるわけでもなく。
いやこれ小遣いとしても小さいですよね。
そこまで訴えられることはほとんどないでしょうけども、そうは言ってもなーという感じで。
同じ人がやってんのか、そういうやり方がどっかアンダーなところで広がっててやってる人が何人かいるのかわかりませんけど。
スピーカー 2
まあ後者だと思いますよ、たぶん。
スピーカー 1
今回のように自治体の著者の方が声を上げられて、
ああこういうのはやったらあかんねえなっていう社会認識が広がったとしたら、
次回以降は減っていくのかもしれませんけど、
野田哲のプロジェクト
スピーカー 1
泣き寝にしてるとどんどん増えていくでしょうから、きっと。
声明を上げられたのはありがたかったかなと思うんですけど、
今後ちょっと状況を見守るしかないというところですね。
もうほとんどこれだけで1回の話してもいいんですけど、
野田哲さんが打ち合わせキャストノートというコセンスのプロジェクトを立ち上げられてまして、
お読みになられました?
スピーカー 2
読みました。
スピーカー 1
めちゃくちゃ面白かったですね。
面白い。ものすごい面白いですね。
自分らで言うのもなんなんですけど、現在82ページあるコセンスプロジェクトで、
この打ち合わせキャストの書き起こし、リッスンからの書き起こしの転機だと思うんですけど、
それをテーマごとトピックごとに切り出して、
関連があるものをリンクするという形になってるんですけど、
そもそも自分らが喋ったことあまり覚えてないということもあるんですけど、
それ以上に、このメディアの変換が面白いですし、
リニアで語ってたことがネットワークに変換されることも面白いですし、
ここがポイントなんだなっていうポイントの作り方も面白いですし、
スピーカー 2
こういうのは自分らでやったほうがよかったよなというのは読みながら思ってましたけど。
切断されてるんですけど、切り口というか切り分け方が野良鉄さんの視点になっている。
確かに自分たちが喋ったことなんですけど、
結構ね、口癖まで省略しないでそのまんま切り起こしていただいてるんですけども。
この切り方が野良鉄さんの視点なので、
自分たちが喋ったことだけど、完全に自分たちのものではないというか、
ちょっと別のコンテンツになってるんですよね、やっぱり。
スピーカー 1
やっぱり一個の切り出しが情報カード的になってまして、
まずこの時点でちょっと変な話。
ホニャララさん名言集を読んでるような感じがしたんですね。
そういう本を読んでる感じがしたのと、
あとやっぱりこれが情報カードだという感じがすごくしたんですね。
タイトルもちゃんとテーゼになってますし、
僕らが言ったことをテーゼっぽくちゃんとまとめ直されてますし、
その個別に切り出したものがリンクになっているということで、
これがデジタルでカード法するということの一つの良いサンプルじゃないかなとはちょっと思いましたね。
スピーカー 2
そうですね。ただこれすごい手間かかってますよね。
スピーカー 1
基本的に情報カードは全部手間がかかることなので、
これを例えばリッスンとかあれがないとか情報源がないことで作ると、
さらにある程度ソースがあってということと、
あとやっぱり思ったのは、
例えばゼロから梅山のカード法とかテッテロカステにやるときって、
まず発見とかを自分の頭でして、それを文章にするわけですよね。
ステップが結構あるわけです。
でも今回素材があって、その素材から考えたことなので、
その負荷が多分ちょっと小さい。普通でやるよりも。
もちろん手間は手間なんですけども、
頭を動かさなければならない余地が完全に自分ベースよりは多分少ない。
自分ベースというか、素材がない状態から始めるよりはやりやすいんじゃないかなと、
勝手に推測してますけど。
スピーカー 2
でも読んでいて、全体が意味を成してくるほどの量がたまるスピードが早いですよね。
自分から一つ一つやってくるよりも。
スピーカー 1
確かに。
いやでもね、面白いですよこれ。
そうですね。これ面白いし、
普通に見てても自分の復讐にもなりますね。
だからやっぱりこれ本来B6サイズは万能みたいなカードがあるんですけど、
こういうのは自分のカードとして書き出しておいた方がいいよなという感じがしますね。
スピーカー 2
でもやっぱり自分たちが喋ったことが書かれているけれども、
自分たちから発せられただけのものじゃないんですよね。
スピーカー 1
そうですね。
ここのある種のエディティングというか、
キュレーティングみたいな話題の選択とか切り方というところに、
スピーカー 2
ここに個性が出てるんで。
スピーカー 1
これ難しいところで、共同作業でやったほうが話は早く進みますけど、
その言った個性の切り方みたいなことがぐちゃぐちゃになってくる可能性もあり、
どうがいいのかは難しいところですね。
一人でやったほうがいいのか、共同でやったほうがいいのか。
この面白さはやっぱり一人でやったほうがいいんでしょうね。
この形の場合はそうですね。
こういう似たようなページが複数あることの面白さ。
だから他の人が内谷座キャストノート、バイフニャラルというのを作って、
それを読み比べたりするのも面白いかもしれませんね。
スピーカー 2
そうですね。
やっぱりこの切り方とリンクの仕方、タイトルの付け方。
あと、ものによって入っている野良鉄さんのコメント。
あと総括的なカードというか、一番上のレベルのカードがあって。
スピーカー 1
プラスコセンスの機能というところが非常にいいバランスで混ざっていて。
今表示してるカード法論っていうページあるんですけど、
これさっき言った漢字、相互リンクになっているのとなっていない漢字がだいたいこうなるんですよ。
スピーカー 2
ああ、ほんとだ。そうなってますね。
スピーカー 1
まさにこの通りの見本の漢字。
こういうふうになるはずというか、なったら自然なんですよ、要するにね。
スピーカー 2
ああ、ほんとだ。これ文中のリンクには相互リンクなんてついてないですね。
スピーカー 1
ここの説明にはカード法論というカテゴリーの文が出てこないからですね。
これはバックリンクだけでいいんです。
片方からのバックリンクだけで成立してしまうっていう。
ここに出てきたらいいという感じですね。
まあこういう感じで。
分かりやすいカード法のデジタルカードの一例かなというふうには見てて思いましたね。
スピーカー 2
面白いですね。本当に面白いです、これは。
スピーカー 1
もう一個同じく野良鉄さんの話で続くんですけど、
デジタルノートとAPI
スピーカー 1
アウトライン型データベースというのがダイナリストという話がありまして、
これも記事読んでもらうが一番で内容は省略するんですけど、
このアウトライン型データベースというのが、
まずそもそもダイナリストはデータベースの場合ですね。
スピーカー 2
そもそもデータベースですね。
スピーカー 1
データベースとして保存しているものを僕らのビューとしてアウトライナー形式で表示してくれてるっていう。
その操作を僕らがアウトラインの表示を使いながらデータを作ったりできるっていうことなんで、
そもそもがデータベースなんですけど、
ここでのポイントはそれをAPIで操作できることだなというふうに思いまして。
ワークフローリとダイナリストの一番の違いはそこで、
APIの開放度の違い。
今はそのワークフローリは書き込みのAPIの開放というか使えるんですけど、
読み出したりとか編集はできないですね。
だからユーザーがデータそのもの、データベースのデータそのものにアクセスできる度合いがすごく狭いと。
ダイナリストは自由にできると。
やっぱり今回はデータベースに対するAPIですけど、
結局アナログのノートでも、デジタルのノートでも一緒だと思うんですね。
何かローカルにあるけど、それは例えば特別なデータベースの形式で保存されてまして、
ユーザーはツールが用意したインターフェースでないと操作できないっていうものと、
データがパソコンに入ってて、それが例えばごく単純なテキストファイルとかJSONになってて、
ある程度プログラミングの知識があれば自由に加工とか編集とか取り出しとか、
変換とか置換ができるっていう状態、この2つ比べた時にどちらがよりデジタルノートらしいかというと、
やっぱりその操作できる方やと思うんですよね。
その編集可能性、プログラミング可能性っていうものを持ってるかどうかっていうのが、
デジタルノート的なものの一番の違いになるんじゃないかなとは、この記事を読んでて思いました。
スピーカー 2
はい。そうですね。
はい、どうぞ。
ちょっと前にワークフローについて、ワークフローから始まったこういうモダンなアウトライナーは、
そもそも内部の仕組みがもうデータベースになっていて、
それはだからユーザーにとってもアウトライナーをインターフェースにしたデータベースですよみたいな書き方を知ったんですよね。
そのときに僕が言ってたデータベースっていうのは、何というか昔のカード型データベースみたいな。
今でもユーザーが中身を入れて検索するとそれが抽出されて表示されるっていう意味での、
ユーザー視点でありかつ狭い意味のデータベースなんですけど。
ここで野田哲さんが言っているのは、もうちょっと広い意味での、もっと本来の意味でのデータベースっていうことですよね。
スピーカー 1
おそらくね。
スピーカー 2
だから、確かにそれはワークフロー意味でなくダイナリストだからそれができるということですよね、今のところは。
スピーカー 1
そうですね。だからやっぱりどうしてもワークフローで使っていると、僕らから見たときにアウトラインしか見えてこないというのがありまして、
データセットとして使えないというのがあるんですけど、少なくとも記事を見る限りダイナリストはそうじゃない使い方が可能になっていると。
正直だから、記事にも書いてあったんですけど、アウトラインに見えているものも実際データセット上ではただフラットに一律に並んでいるだけという感覚、
それと古典スクがトップページでたらっと並んでいるだけっていうのと同じ感覚で、それがいわゆるデジタルのデータの形なので、
そこからいろんな形で表示を変えたりとかっていうふうにアレンジして使っていく。そういうふうに使える可能性があるものを仮にデータと呼ぶなら、これは確かにデータベースになっているなという感じで。
今更ダイナリストを押すことは僕はあまりしませんけど、このAPIの自由な設計っていうのは思想的に優れているなとは感じますね。
スピーカー 2
そうですね。ワークフローイがあえてそこを閉じているというのもたぶん意味があること、意味というか考えがあるんだろうとは思うんですけども。
スピーカー 1
そうでしょうね。でも、もしワークフローイがそういうふうにAPIを変えるけど、料金上がりますよみたいな話をやったときにどれだけの人が納得するかですけど。
まあでも面白いですね。だから全く同じようにダイナリストを使うかどうかは別にして、やっぱり自分の環境においてデジタル情報っていうのはそんなふうに操作とか加工できるように保存しておくとハッピーになるんだろうなというのはちょっと感じましたね。
原稿が進まない問題
スピーカー 1
はい、というわけでニュースが終わりにして本題なんですけども、原稿が進まないとき問題という、もう書き手にとっても切実な問題について簡単に話せたらいいなと思うんですけど、まず大事に僕ね、ブログの記事とかメルマガで原稿が進まないときっていうのはほぼないんですよね。
スピーカー 2
そうじゃないかと思ってますか。
スピーカー 1
書こうかなーと思って、もし書き始めたら大体そのまま書き終わるんですよね。細かい比喩とか単語に詰まるとかこういう名詞がわからんみたいなときで止まることはあるんですけど、いわゆるその作家が頭をかきむしって原稿を読む宿着者にして丸めて捨てるみたいなことになることはほとんどないんですけど、一方で書籍の原稿の場合はこれがもう起こるどころか頻繁に起きるんですね。
なので対策が必要だと。いろんな書き手はそのための方策を多分持っていると思うんですね。おそらくたくさんもあるんですけど、僕が持っているいろんなパターンのうちの最近開発したものが携帯状態変換。これはたくさんが前からおっしゃってる方法で、僕多分本格的にやったの今回が初めてなんですけど。
スピーカー 2
あ、携帯状態変換。
スピーカー 1
漢字変換が難しいですけど、デスマスとデアルを逆にすると。デアルで書けないときはデスマスにして、デスマスに書けないときはデアルにするっていうことで、文章を書かない人からしたら、多分なんじゃそりゃと思うんですよ、きっと。そんなもんただの文末の問題じゃないかという話だと思うんですけど。
スピーカー 2
これが明確に違うんですよね。
スピーカー 1
これは万人が同じかどうかわからないです。おそらく例えば今日から始めて日本語の文章を書きますって人にとっては多分変わらないと思うんですよね。でもある一定、日本語の文章を書き慣れてきた人間にとっても違うなという感じがして、それを今回自分で真剣にやって感覚としてわかったのは、
語る相手とか語る姿勢そのものが変わってくるんですね。その文体によって。すごく雑に言うと、デアルはちょっと偉そうなわけですよ。デスマスは親しげややさしい、距離が近いっていう。
その心理的な感覚の違いは、例えばどんな話題を出すのかとか、どんな強さで出すのかとか、どんな位置にカメラを持ってそこの場面を描写しようとしているのかっていうことそのものが変わってくると。それが変わるとスッと書けるときが生まれる。
そういうのを体験して。僕、詰まっている原稿が状態、つまりデアルだとかっていう堅苦しい文章で書き始めてたんですけど、詰まってたのでデスマスで書いてみたと。結構スルスル書けたんで。それをジェミンに投げて、またデアルに戻してもらうというやり方をしたんですけど。
普通に書けてよかったなと言うとともに、やっぱりそこで書けなかった理由として、読者と僕との話題の距離感そのものの設定を多分間違えてたんだろうなと気づくことができて、そのスルスルを一回戻すにして、やっぱり話題の提供の仕方そのものをちょっと一回考え直した方がいいよということに気づくことができたというエピソードがありまして。
書けない理由の探求
スピーカー 1
他にどんなものがあるんだろうというのを聞いてみたというので、この話題にしたんですけど。
スピーカー 2
ありますかね、たこさん。今言ったやつが僕と違うやり方でもいいですし、他の引き出しがあるんやったらそれも教えていただければと思うんですけども。
僕が倉下さんに何かそういう話をするのも極めておこがましい。
そういうことはないですけど、はい。
いやー、書いてきた量も出版した量も全然違うので、逆に倉下さんはそういうのをたくさん持ってるんだろうなという想像を。
スピーカー 1
でも書いてるものの文字数の大半は記事とかメルマガなんで、それを言うとスラスラライティングしてきたわけですよね。
書けないライティング、本のコンなんて一冊ごとに違うというか。
これをやったらこの本スラッと書けますが、次の本やったときに通じるわけでもなく、常にそこは手探りなんですよね。
だから書けない本に対するノウハウの熟達者であるみたいな感じはあんまりないの。
その辺はみんな一緒かもしれませんけど。
スピーカー 2
でもさっき倉下さん言われた携帯状態変換というか、
文体によって自分の姿勢と姿座と読者に対する位置が変わるというのは本当にその通りで、
スピーカー 1
それが間違ってるから書けないっていうケースはたぶんいっぱいあるんですよね。
スピーカー 2
だけども従来の考え方でいうと、
スピーカー 1
例えば状態で書き始めたものを途中で携帯にするなんていうことはありえないことなので。
だから状態で書き始めちゃったら、そもそも視点や姿勢が間違っていても変えることができなかったわけですけども。
今デジタルで書いてるんで、途中から変えても、後から全部書いちゃっても不可能じゃないんで。
スピーカー 2
その時点で自分の姿勢、姿勢っていうのはそれこそ椅子に座ってる姿勢みたいな意味での姿勢とか、
スピーカー 1
自分の立ってる位置が居心地いいもので書くっていうのはやっぱりありますよね。
スピーカー 2
どうしても文体の不統一というのが書き慣れた人ほど気になっちゃって、なかなか抵抗があるんですけど、
それはもう後から統一しないといけないだろうというふうに割り切ると、
多少つっ張りを抜けやすくなるんだろうなということはありますよね。
僕が携帯状態変換って言ってたのは、状態で書いちゃったやつを全部携帯で書き直すみたいな。
あ、なるほどね、そっかそっか。
そうするといまいちきれいにいらなかったものが、状態で出てこなかったフレーズが出てきたりとか。
はい、そうですね。わかりますわかります。
だから最終的に状態で完成させるつもりなんだけれども、
一旦全部携帯に直す過程で、新たに出てきたものを取り込みつつ、
全部携帯に書き直して、もう一回状態に戻すみたいなことをやりますが、
それはとはいえ、それこそセルフパブリッシングだからできるというところもありますね。
締め切りがきつかったらそんなことはできないので。
まあでもさっき言われたジェミニさんに投げちまうみたいなことが今できるんで、
もしかしたら使えるかもしれないですけどね、締め切りがきつくても。
スピーカー 1
いやもうほんとにほとんど違和感なく、ちょっと引っかかるところがあっても、
そういうふうに携帯を直すだけでできるレベルの。
だって状態から携帯を変換するって、ある種意味を動かさんまま動かすだけですから、
彼らの得意分野でもあるので、非常にうまくやってくれるし、
デジタルならではの執筆法だなという感じがしますね、これはね。
スピーカー 2
まあ携帯を状態に変える、もしくはその逆に変える過程で、
新しく何かが出てくることを期待するみたいなこともあるんで、
両方ジェミニに投げちゃった方がいいかもしれないんですけど。
スピーカー 1
そうですね。片方は自分でやらなきゃいけませんね。
スピーカー 2
片方自分でやって、戻す時にジェミニさんに頼むっていうのはありますよね。
スピーカー 1
そうです。こういう共同、AIとの共同執筆作業という感じが非常にしますけど、
やっぱりこの話のコアになるかどうかわからないですけど、
まあ僕らが当たり前のように文章を書くって言っている行為って、
そんなに意識的にコントロールできる、十全にコントロールできるものではないなというのは、
改めて文体を変えてみて、ここまで出てくるものが違うのかという。
不思議ですよね。
もちろん例えば、SFを書いてたのに歴史ファンタジーになるってことはないんですけど、
語り方とか、例えとか、実例とか話題の順番とかそのものが、
もうそのような語り口そのもので変わっていく。
それはだから、書くっていう意識的な行為というよりも、
自分が書いたものに引っ張られて、自分が書いたものに欠かされるっていう意識と無意識の両方の作用で、
文章というのが前に進んでいくんだなというのを、よりビビッドに感じましたね、今回は。
スピーカー 2
まったくそうですよね。
たぶんそれが起こるのってたくさん読んできた人だと思うんですよ。
たぶん文体というか、文体とまでは言わなくても語尾、携帯状態を変えることで、
スピーカー 1
違う引き出しが開くんですよね。
スピーカー 2
今まで取り込んできたいろんな状態の文章、携帯の文章、書き手のいろんな文体が頭の中に残っているときに、
詰まっちゃってるときに変えると、違う引き出しが開いて、
スピーカー 1
その引き出しの何かが流れ出してくるみたいなことが起こるんだと思うんですよね。
確かに。
スピーカー 2
だからあんまりそういういろんな文章を読んでこなかった人がそれやっても、
スピーカー 1
もしかしたら同じことが起こらないのかもしれない。
選ぶ引き出しがなかったらそれまでで。
そういうときに書けないのは逆に材料不足というか、
それまで自分が検討不足みたいなことで書けないのかな、そういう人の場合は。
だから文章にドライブされて、ある種肉体的生成AIみたいなことが起きますよね。
スピーカー 2
そういう書き方と違う、情報を文章として提示するということが中心になる書き方とはまたちょっと違いますよね。
スピーカー 1
確かにそうか。自分の書き方しかわからないので比較はできないですけども、
おっしゃる通り生身の人間で生成AIみたいなことをしながら書いてるのは間違いなくあって、
ある連鎖的な、しかもおそらくこれが良さどうだろうみたいな流れでまず書いていく。
後で整えるときは別にしても、生成そのものはそういうふうなフィーリングで進んでいくところはあるんで、
だから変わってくるっていうのはあるでしょうし。
だからこの原稿を例えば編集者さんに見せて、この辺こうじゃないですかって言われたときに、
そこだけ直すのってめちゃくちゃ難しいんですよね僕の場合。
それはもう結局頭から書き直すしかないぐらい。
AIとの共同執筆
スピーカー 1
ある段落とか二段落が変えるだけで結局頭から書き直すことになるというのはめちゃくちゃ非効率だからなんですけど、
でもそうしか書けないんですよね残念ながら。
スピーカー 2
そうなんですよね。そういうふうに生成されたものだからですよね。
スピーカー 1
そうそう。なんかそこだけ差し替えてもしっくりこないし、
そもそも差し替える文章がそもそも出てこないということがありますね。
なんかこう、書けないときに遭遇したときに、なんで書けないか理解できます?
自分が今なぜ書けてないのかって理解が発生しますかね。
スピーカー 2
それが発生するならたぶん書けるんじゃないかと思うんですけどね。
そうでしょうね、きっとね。まあそうなんでしょうね。
スピーカー 1
単純に体調が悪いみたいなこともありますし、
体調じゃなくて、特に長いものをずっと書いてたときに飽きてるっていう。
スピーカー 2
自分の書いたことに飽きちゃってるっていうケースもあって、
そうするとつまんないから書けなくなる。
スピーカー 1
今日が乗らないっていう感じ。
それはたぶん一番良い処方箋は時間を置くことなんですけど、許されるのであれば。
多くの場合許されないから困るんですよね、それが。
仮にその場合は気合で乗り切るんですか?
スピーカー 2
いや気合で乗り切ろうとすると破壊しちゃう可能性があるんですよ。
スピーカー 1
無理しに頑張ってやろうとしてどんどん壊してっちゃう可能性もあるんで。
スピーカー 2
たぶん飽きが来たときに、同じ内容でその飽きをある程度払拭するための方法としても、
文章を書く時間がたぶん役に立つ。
なんか違う文章であるかのような感覚を自分に抱かせるというか。
スピーカー 1
そうすると騙されて乗ってくる場合があるんですよね。
自分を疎通に犯すわけですね、何かしらの手段によって。
スピーカー 2
どうしても自分の好きな本の文体に引きずられるってことあるじゃないですか。
それってどうしても避けようとしちゃうんですけど。
スピーカー 1
今書いてる文章と今自分が好きな文章がずれてきちゃってるときに、
もうそこから自分の今好きな文章の雰囲気で書いちゃえっていう。
なるほど。
スピーカー 2
今読んでて、今自分はこの本の気分になっているっていうときに、
それと違う文章を書こうとしてつらかったら、
それこそもっとわかりやすく言うと、
奥で直人風の文章が書けなくなってきたら、
野口由紀夫風文章で続きを書いちゃおうみたいな。
割にそれを露骨に、そのまま出したら恥ずかしいですけど、
あとで直す前に露骨に、
自分の今好きな人の文章を文体に似せて書いちゃうとか。
スピーカー 1
へー。
スピーカー 2
そういうのやりますね。
スピーカー 1
そうなんや。
僕はあんまり意識して誰かの文体をっていうことを考えたことはない。
結果的にだいたい直近読んだ方の文体に似てることが多いんですけど。
スピーカー 2
似ますよね。
スピーカー 1
そうか。そういうのも意識的な操作って面白いですね。
うーん。
スピーカー 2
苦肉の策ですよね。
スピーカー 1
すべてはたぶん苦肉の策なんですよね。
執筆っていうものが制御できない以上、
苦肉の策しかないという感じがしますけどね。
しかもなぜ書けないのかわからんまま手当てするわけですから。
スピーカー 2
お医者さんだったら、診察してないんで薬出さなあかんようなもんでやって。
スピーカー 1
それはまあ難しいでしょうけど。
スピーカー 2
逆にでも、僕は書けないときに、
倉下さんだったらこういうのをすごいすらすら乗り越えていくんだろうなとか想像しながらお酒を飲んだりします。
執筆の難しさ
スピーカー 1
幻想ですよね。書けないときは本当に書けないですね。
わざある執筆法という方式を取るとそれはだいぶ避けられるんですけど、
お医者さんとやりとりしながらするとそれがなかなかうまく進まないことがあって、
それで詰まってっていうことはありますね。
でもそれはやっぱり商業主義的なクオリティを上げるためにはどうしても必要で、
わざある執筆法をしたとしてもそれが商業的クオリティを上げる保障には全くないわけですね。
むしろ自分の好きな方向に進んでいる、より強まっているだけのことが多いので。
それはそれで魅力なんですけど。
ある調整とかバランスっていうことを考えたときに、
スピーカー 2
やっぱり国君の策の引き出しはある程度あった方がいいなというのはちょっと思いますけど。
そうかー。
全然プロの描き手としての締め切りとかスピード感とかそういうものをあんまり経験したことがないので。
なるほど。
そういう意味では全然そういう環境の中で描いている方とは違う。
スピーカー 1
そうか。でも逆に言うと、
例えば締め切りがある人って何が強いかっていうと、諦め力が強いわけですね。
だからセルフパブリッシングだからこそそうやって悩んでしまう。
そうだと思います。
悩むような贅沢があるという。
そのための方策が必要としているのもそういう人たちだと思うんですけど。
スピーカー 2
そうですね。
だから逆に言えばさっきの話に戻りますけど、
KDPの良さというのはそれができることで、商業出版では敵わない描き方で出すことができるし、
あとは当然、商業出版では商業ベースに乗らないリッチなネタを扱えるという2点が本当はKDPの良い面としてあるはずだったんですけど。
スピーカー 1
ごめんなさい、話に戻っちゃいましたけど。
プロじゃないほどそういういわゆるライティングハックみたいなのが必要なんでしょうね。
KDPとセルフパブリッシング
スピーカー 2
編集者がいないから。
スピーカー 1
そうですね。特にそうですね。
だから論文を書いている研究者もたぶん似たようなことになってるんじゃないですかね。彼らもきっと。
確実な締め切りというよりは、自分のスパンでこのタイミングで年一回書こうとかって決める余地があって、その余地が大変贅沢を生むわけですけど。
スピーカー 2
でもやっぱり業績としてある程度の数が必要っていう場合もあるでしょうし。
雑誌、学会誌とかそういうものに飛行するのであれば当然締め切りはあるだろうし。
スピーカー 1
そうですね。
そういうときにはもっとスッと書けるんじゃないか。実数決めてもらってテーマがあったら書けるっていう人は。
僕も同じですけど、実数が決まっててテーマがあったら何日までに書いてくださいって言われたらまあ書けますね。
それはさすがにプロとしての技術だと思うんですけど。
やっぱり良い本を作ろうという思いというかむしろ欲望があるほどとらわれて書けなくなるということがあって。
もっとスッとシャッと書けば書けるんでしょうけど。
スピーカー 2
そうですよね。
良い本を作ろうという欲望が本当に良い本につながる場合もあれば単なるひとりよがりの場合もある。
スピーカー 1
それがなかなか自分で区別がつかないのが難しいところで、そこに編集者さんが結構介入してくるわけですけど。
だいたい自分がこだわったとこほどあんまり意味がないということが後々になってわかることは本当に編集者さんも含めてある。
だいたい編集者さんからコメント返ってくるまでにちょっと時間的スパンがあるわけじゃないですか。
そうするとやっぱり自分でも読み返して思うんですよね。
これは別にそんなにいらんなということがやっぱり度々ありますね。
書けなさってどんな、やっぱり次の文が出てこない感じなのか、複数あって決められないのかいろいろパターンはあると思うんですけど。
スピーカー 2
ある文章の続きが全く出てこないみたいな感じが多いですか。
僕が書けないときっていうのは、拡散しちゃって終息しない状態になるっていうことと、
さっき倉下さんが言ってたみたいな、文章によって次の文章が誘発されるような状態にならず、
書き始めても途中で止まる。
止まって頑張って書こうとすると全く違う、どんどん違う文章が出てきて、
しかもどれかに収束せずひたすら拡散しちゃうというときですよね。
アイデアプロセスとして別にそれはあったりはいいんですけど、
ひとつのものを今、書き上げたいのにその状態になっちゃうときがあって、
スピーカー 1
それをどう回避していいのかは未だにわからないです。
そうですね。僕もわからないですけど。
例えば、本の出筆の仕方って本当に頭から始めから1章を書いて2章を書いてっていうのもあれば、
いわゆるサミダレ式って呼ばれる、書けたとこだけ書くみたいな方式があるわけですけど、
今現在、2025年現在たくさんが数マジの本を書き下ろそうということを仮に決められたとして、
出筆スタイルは仮にどんなふうにプロセス設計されますかね。
スピーカー 2
たぶん、ざっと書いて、
ざっとっていうのは本当にたぶんアウトライン、
ちょっと文字が多めのアウトラインみたいなものを作ってプリントアウトして、
手書きで可筆してそれを反映してっていうのをたぶん繰り返しますね。
スピーカー 1
手書きで可筆だとなんとなくのイメージですけど、
あんまり手が止まらない気がしますね。
止まらないです。
スピーカー 2
それも止まったときにプリントアウトして手書きで可筆っていうのも、
さっきそれを言えばよかったですけど、それはありますね。
メディアを変えるわけですね。要するに媒体を変えてしまう。
肉体、手という肉体を動かすことによって、
やっぱり別のところが起動するときがあって、
そのときも万年筆がいいのか鉛筆がいいのかボールペンがいいのかっていうのは決まってなくて、
そのときに一番気持ちいいもので書くべきなんですよね。
なるほどね。
だからそうでしょうね。
その肉体の機嫌を聞きながら、気持ちのいい状態にお作りさえすれば何かがなんとかなるっていうことは言えるかなという。
それも本当に人様に偉そうに言うようなことではないですね。
ちなみにiPhoneとかで音声入力とかを筆筆の補助にするとかっていうのはあります?
僕はしないです。
スピーカー 1
一切ない?
一切ないです。
スピーカー 2
それはそれが有効でないという意味ではなく、自分がうまくそれがいかないだけで。
スピーカー 1
なるほどね。
スピーカー 2
それが有効な人はそれはすごく有効じゃないですかね。
メディア変換のひとつとして。
スピーカー 1
そうね、メディア変換のひとつで。
こっちもたぶん止まりにくい、乗りやすいっていう言い方のほうがいいんかな。
一度今日に乗ってきたらたぶんだから、
自分がこれまで書いた文章の不適に悩まされずに済むというか。
とりあえず素材を出すという意味で言うと、
結構やっぱりボイスの入力っていうのは有効だなと思いますけどね。
スピーカー 2
音声入力はしなかったですけど、
スピーカー 1
僕一回プレゼンというか、公演をするつもりで録音して、
スピーカー 2
それを自分で書き起こしたことはありません。
スピーカー 1
なるほどね。
スピーカー 2
それはフリーライティング的な使い方ですけど、
オーディエンスを頭の中に思い描きながら喋ることで、
スピーカー 1
詰まっても、喋るときって、今僕が詰まってますけど、
スピーカー 2
あるじゃないですか、みたいなことを時間をつなぎつつ、
スピーカー 1
なんかこうやって話がなんとなく続くっていう。
スピーカー 2
多分、文章を書いてるとここで止まっちゃうんですよ。
スピーカー 1
そうですね。まさかその通りですね。確かに。
スピーカー 2
だから喋っていると、実は詰まってるんだけど、
誤魔化しながら、なんとなく時間をつないでいるうちに、
また話が進み始めるようなことはあるかもしれないです。
今まさに僕それやってましたよね。
スピーカー 1
そうですね。つなぎの言葉は、
進んでないけど止まってもいないという状態が生きられてて、
文章の場合、タイプを止めたら止まっちゃうんですよね。
スピーカー 2
本当に止まっちゃうんですよね。
スピーカー 1
それは思考を止めることにもなるわけだよね、結局ね。
そうですね。
スピーカー 2
だからフリーライティングで、あのーとか、
たって何を書こうかから書いちゃうみたいになって、
たぶんそういう意味があるんだと思うんですけど。
スピーカー 1
そうか。
としたら、書けないときは書けないことをそのまま書いたほうがいい。
スピーカー 2
なんかエディターに書くのがためらわれるんですよね、不思議なことに。
木村泉さんが書いていた補助線方式という。
スピーカー 1
そうですね。それを文章の途中でもやっちゃっていいという感じか。
まあそうかな、そうなのかな。
メディアの影響
スピーカー 1
頭が動く話の関連なんですけど、
編集者さんとGoogleドキュメントで言語を共有してまして、
まあ僕が言語を上げたら、
あのー、ワードにも多分あると思うんですけど、
コメント機能みたいなのがありまして、
そのサイド右側にガーって並ぶんですね。
で、あれは非常に便利で、
そのある単語とかレベル、あるいはその文とかパラグラフレベルで、
これに対してこうですよってコメントをつけられるわけで、
非常にやりとりとして細かいレベルになって、
しかも、これはチェックしました、チェックしていませんでしたっていう、
チェックボックス機能もそのコメントにはあるわけですね。
だから未処理のがあと50個アルミとかが出てくるわけですけど、
あのー、前回いただいたそのコメントを処理してて気づいたんですけど、
原稿があって、原稿の横にそのコメント欄があるっていう状態って、
めちゃくちゃ処理しにくいというか、頭が動かないんですね。
コメントを原稿に反映させようとした時に、
その状態では頭の動きが鈍い感じがしたんで、
そのコメント1個1個を自分が書いている、
その文章自体はテキストエディターで書いてるんで、
そのテキストエディターにコピペして貼り付けコメント貼り付けて、
この歌詞はこうやって、で、一番テキストファイルの一番上に、
この修正をするっていうのを自分でタスクみたいなの書き出してやったら、
すごく頭が進んだんですよ。
スピーカー 2
だから、いわゆるコメント欄は僕の認知操作の対象になってない。
スピーカー 1
そもそも操作できないですかね。オンかオンしかできないけど。
だから自分のテキストファイルに来た途端に、
それはいわゆるアウトラインの項目になったわけですね。
操作可能な内容になった。
これだけのことでも違うんやなーというのはちょっと思いましたね。
スピーカー 2
でもそう考えると、メディアの問題ってものすごく大きいですね。
スピーカー 1
大きい気がします。この感じで言うと。
スピーカー 2
でもそうですよね。だってメディアって結局肉体とのインターフェースなので、
生身の肉体を持った自分が書こうとしているときに、
スピーカー 1
そこがずれていたらやっぱりうまくいかないよなっていうのは考えてみりゃそうですよね。
スピーカー 2
だけど想像以上に影響はある。
スピーカー 1
ごく単純に、話で例を思いついたんですけど、
メールを読んでて返信を書こうとしたときに、
本文を読んでるだけでやっぱり考えが進まないんですよね。
スピーカー 2
で、返信って言って本文を書き始めるとやっぱり考えが進まないんです。
スピーカー 1
で、当然その本文はコピペできるわけですね。
これについてこうです、みたいなイヤイヤしながら文章って進められるわけですけど、
やっぱり見てるだけの状態と、
エディティング可能なオブジェクトが手の内にあるっていうことの、
頭の動かしやすさの違いってだいぶ大きいよなと思います。
スピーカー 2
大きいですね。
でも今の話って普遍的なんですかね、この話って。
スピーカー 1
これはちょっと他に聞いてみることがないけど、
スピーカー 2
でも人間の認知の動きを考えたらある程度普遍性はある気はしますけどね。
認知と書くことの関係
スピーカー 2
たとえば普段デジタルで書くことのないうちの母親がこれをやったら、
たぶんそうはならないですよね、きっと。
スピーカー 1
どっちも未熟というか未達なので、
僕は書くことについての技能が高いから楽さが感じられるっていうのはあるでしょうから、
始めたばっかり前はそんなに差はないんでしょうね、きっと予想でしょうね。
スピーカー 2
やっぱり書くことの技能がどんどん書いているうちに高まっていったことによって、
その自分の認知というのも、その高まった書くことの技能と連動するようになってるわけで、
スピーカー 1
それと連動しない形でやってくるとうまく、
まさにそういうことだと思います。
認知というか思考が起動しなくなるんでしょうね。
そういうことだよね。
もちろん書くことイコール考えることっていうのはよく言われてるわけですけど、
その侵食度合いというか、脳のネットワークと結合具合が熟練度によって全く違うんで、
書けない場所では考えられないということになっているんでしょうね。
で、もちろん例えばさっきのGoogleドキュメントのコメント欄についているコメントにコメントを返すことはできるわけですよ。
だからテキストをそこで生成することはできるんですけど、
それはさっき僕が言った書くという行為に入ってない、そのエリアに入ってない。
僕が言う書くは対象を操作・編集できるものっていう感じで書くライティングっていうのが位置づけられてるんで、
コメント欄の下ではやっぱりはいとかいいえは返せますけど、
その辺についての思考を深めるってことがそこの領域ではちょっとやりにくいっていうのがありますね。
確かにそうですね。
スピーカー 2
そのコメント欄もたぶん自分のために使うとまたちょっと違った感覚になるかもしれない。
スピーカー 1
なるほどね。
スピーカー 2
そこはだって他の人の領域ですよね。
そうなんですよ。他の人のコメントだからっていう点もあるかもしれないですね。
スピーカー 1
あーそうかそうか。
自分がここを直そうって書くのは、プリントに赤ペンでここを直そうって書いてるのと原理的には変わらないわけですからね。
そうですね。
まあただね、操作がめんどくさいって言ってもいいかもしれませんけど。
そこは身体制の慣れの問題で解決するかもしれないんでね。
コメントをその細かい単位とかでいただけるのは非常にありがたい。
Googleドキュメントは偉いんですけど、でも自分のタスクに変換するときにはやっぱりちゃんと自分でのオブジェクトにした方がいいなっていうのがその学びでしたね。
スピーカー 2
なんか、原稿が止まったときに発想法とかありますか?
いやー、ないですよね。
たくさんいろいろ試みたことはありますけど、発想法はないという。
スピーカー 1
それも一般的にないという意味ではなく、自分にとってはですよね。
スピーカー 2
でもやっぱり紙に手で書く。
スピーカー 1
しかも単に紙に手で書くんじゃなく、デジタルで書いてプリントアウトしたものに手で書き加えるという、そのメディアの活き。
スピーカー 2
それをさらにまたデジタルに反映するっていう。
スピーカー 1
携帯状態もそうですけど、変換を繰り返すことで揺さぶる。
スピーカー 2
これも一種のシェイクかもしれないですね。
固定させないというか、揺さぶれば動く状態にして動く。
メディアとか携帯を変換すると起きやすいんですかね?
スピーカー 1
そうでしょうね。
不思議なことに、例えばデジタルに書いたものをプリントアウトすると、そのプリントアウトされたものは固定、フィックスされるわけですか、ある種そのものは。
でもそうすることによって動きが生まれると。
でもそれはそうか、動くためには一度止まっとくことが必要。
だからテキストエディターの場合は常に動いてるから、動かせるから新しい動き。
別の角度の動きが生まれないってことなのかな。
たぶん固定することによって、その思考に対して対照化されるんですよね、物体として。
スピーカー 2
だからその対照化した固定されたものに対して、これはこうしたい、もうちょっとこうしたいっていう思考が動き始めるんですけど、
その対照が流動的なままだとそうならないっていうことですかね。
僕らが描けないときの多くは、材料が出てこないというよりは広がりすぎてしまってるという感じで、だから固めるものがいるっていうことを分析するとしたら。
発想法とメディアの活用
スピーカー 1
逆に材料が出てこないときとはまた違うものが必要なんじゃないですか、きっと。
そういうときは例えば生成AIと話題について対話するとか、そういうことのほうが引き出しが出てくるかもしれないですね、きっとね。
僕ちなみに生成AIからの出力もプリントアウトして手書きで書き込んで直しちゃうのは僕は個人的にお勧めです。
ちょっとやったことないですね。どんな体験になるのかのイマジネーションも追いつかないですね。
スピーカー 2
検索するんですよね。キティッとしすぎているからここは気に食わんねえみたいなのを思う存分。
僕は割にあまり生成AIというものに肯定的ではないので、
スピーカー 1
肯定的じゃないんで、こんなノッドルスルした文章を書きやがってこの野郎と思いながらもっとねじれろとか思いながら
スピーカー 2
直して、えーみたいなことしますけどね。
スピーカー 1
いやでもそれも面白いですよね。
生成が固定できあがるとそこにツイストを加えるっていう動機づけが生まれやすいというのは面白いですね。
スピーカー 2
ずっと書きやがっていると思う。
スピーカー 1
仕方がないですね。そのまま訓練されてますからね彼らは。
いやでも間違いなく100人いったら98人はそっちのほうが読みやすいと言いますけどね。
スピーカー 2
面白いかどうかは別にして、読みやすいのはそっちだと思いますけど。
スピーカー 1
読みやすい文章を書きやがってこの野郎。
まあある種のお手本。でもそれしかお手本がないのはつまらないですけどね。
いろんなお手本があって、その人の個性で揺れていく、ネジツイストを入れていく文章のほうが魅力的ではあるんですけど。
スピーカー 2
そうですね。まあでもそう言いながら、お手本…。
なるほどこういう持っていき方ってあるよなーみたいなのは思いますよね。
まあフラットな、ある種文体味を消したフラットな文章の書き方の一番いい訓練材料ですよね。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
うーん、お手本にするとあとあとややこしいことになる文章っていっぱいありますから、
ほとんど悪文やろうっていう、でもなんか個性で読ませてる文章っていうのがありますからね。
まああまりお手本ではない。
スピーカー 2
個性を出そうとして書いた文章はだいたい悪趣味なものになっちゃうんで。
たしかに。
個性ってやっぱり出ちゃうものだとは思うんですけど。
はい。
だから、もうちょっとこんなに整ってないほうがいいなっていう願望を反映するみたいな感じ。
個性を個性的にしようとするとなんか変なことになりますよね。
スピーカー 1
そうですね。
でもやっぱり文章を読んだときに、なんかこれはなぁという感じる違和感に沿って文章を直していったら、
必然的に個性的な、その人の個性が異なったモードになるっていうのがもう避けがたいです。
だからやっぱりPCAIを使ったら個性的な文章を書けないってことはまずなくて、
それをただ単に自分が手を加えてやって、
何かし編集したらもうその人の文章に近づいていくと思うんですけどね。
書くことの悩みと解決策
スピーカー 1
うん。
そうか。
まあその万能、万能役はないけども、似たような悩みの場合、メディアを移すというのは一つ共通的に言えることで。
で、違う悩みの場合はまた違う解決策を悟ってもらったらいいんですけど、
まあでも書いてるときのかけなさって、やっぱり広がりすぎる、選択肢がありすぎるっていうことが、
まあ個人的には割と多いと思うんで、なんかフィックスするっていうのが一つ方法ですね。
スピーカー 2
そうですね。何かしらの方法で固定して。
その固定したものに対して何か考えるっていう。
スピーカー 1
うん、そうやな。
することで、縮まって、方向性が定まったりとか、選択肢が。
その選択肢は結局、こういう書き方もあるしああいう書き方もあるしなっていう迷路に入ると抜けられないんですよね。
決定的な進級というのがそこにはないので、結局本当にどっちでもありなんですね。
結局どういう形でもありと言えばもうありって言えてしまうのが文章なので。
だからある種、視野が狭いときほど止まらなくて済むんですね。
これしかないというふうに抑揚されてるときほど進めるので、
まあ中級者以上の悩みなのかもしれないですけど、
まあでも説実質の問題、僕にとっては説実質の問題なんでね、ここは解決したいとこですけども。
スピーカー 2
倉下さんにはそんな悩みはないと思ってるんですか。
スピーカー 1
いやー、もしそんな悩みがなかったら年に2、3冊のペースで本を書いてますよ。
スピーカー 2
そうですよね。
スピーカー 1
まあ悩みすぎるというところがあって、
それこそ外部からの切断者っていうのの有効性はそこにあるわけですけど。
とりあえず自分が書けなくなったときに、こういう方策があるよというテクニック発行をお持ちの方は、
ハッシュタグ打ち合わせキャスト、ひらがな打ち合わせアルファベットキャストまでいただければと思います。
えーと、なんかお知らせしたいこととかございますでしょうか。
スピーカー 2
はい、大丈夫です。
スピーカー 1
あれ確か、でもKDPのセール対象になってませんでしたっけ。
あれもう終わったかな。
スピーカー 2
あー、終わってないです。
はい、なってますなってます。
スピーカー 1
えーと、2冊対象でしたっけ。
スピーカー 2
はい、アウトラインプロセッシング入門と、書くための名前のない技術の千葉雅也さん編。
スピーカー 1
はい、一番ホットのやつですね。ホットというか、多分要するに一番売れてるやつだと思いますけど。
はい、一番売れてる2冊です。
まあその辺のチョイスはデータ分析さすがやなという感じですけど、ぜひ面白いデータで。
スピーカー 2
はい、半額で、今多分まだやってると思いますので。
スピーカー 1
チェックしてくださいというとこで、今回はこれまでにしたいと思います。
お疲れ様でした。
スピーカー 2
お疲れ様でした。
01:18:13

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