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第二十五回:Tak.さんと『書くための名前のない技術 case 3』について。
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はい、うちあわせCast第25回ということで、今回もゲストにたくさんお迎えしております。よろしくお願いします。
今回のテーマなんですけども、先日、2月1日でしたっけ、発売になった、
書くための名前のない技術、ケース3、千葉雅也さんという本について、ちょっとお伺いしたいなと思います。
書くための名前のない技術シリーズということで、ケース1、ケース2と出てケース3なんですけども、
形式としてはパート1、パート2に分かれていて、前半がインタビューパート、後半が著者による解釈パートというのは一緒ですよね。
一緒ですね。
作り方というか、インタビューさせてもらって原稿を起こしみたいな手順そのものはケース1、ケース2と同じだったんですかね。
同じですね。その辺の大きい手順は同じです。
オンラインでのインタビュー。
これは直接お会いしてインタビューしました。
そのインタビュー、だいたい時間的には。
2時間。
がっつりと。
がっつりです。
リアルか。リアルやったからその画面を直接見せてもらえた的なイベントもあったわけですよね。
そうなんですよ。それがちょっと大きくて。
基本このシリーズはリアル。リアルインタビューですね。
最初に感想を言わせていただくと、ものすごく面白かったんですよね、これ。
ありがとうございますというか、面白いですよね。
千葉さんの話が面白いですけど。
これ320円はお買い得なんですよ。
この話がこの分量でこの値段で読めるっていうのがやっぱりセルフファブリッシングのいいところだなとしみじみに思ったんですけど。
KS-1、KS-2とそれぞれ雰囲気が異なる本には仕上がってるんですけど、
自分の印象としてこの本はどんな感じですか。
まあ、第一印象は面白いのは手塾くんで思いましたけど。
雰囲気は確かに変わっていて、KS-1、KS-2、KS-3って全部雰囲気が違うんですよね。
インタビューをするとき、文章化するときに一番気をつけてるのは、
文章化するときに喋ったまんまだとまともに読めないものになってしまうので、
当然圧縮して編集して入れ替えたり組み替えたりするんですけど、
相手の方の喋り方、今回千葉さんに限らず前の佐々木翔吾さんにしてもマリエさんにしてもそうなんですけど、
その方の喋った言葉そのものとか語順とか、言葉のつたぎ方とかをなるべく残すっていうのをちょっと意識していて、
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それをやると自然に雰囲気が変わるんですよね。
なるほど。
内容でももちろん変わるんですけど、
ご本人の言葉、喋り方を残す、言葉の塊自体をあんまり変えないで残すということを意識したことによって随分雰囲気が変わったなっていうのが一つ。
だからテキスト論で言うと、ボイスがそのまま出てくるっていう感じですね。
まさにそれですね。ボイスを戻すと。
これがやっぱりそうすると文量が増えるので、
印刷物とか、本業と言っていいのかわからないけれども、
セルフファブリシングじゃないところで仕事でこういうことをするときにはできないことが多いんですね。
もっとまとめてエッセンスを抽出することができる。
もちろんそれも必要な場合はあるんですけど、ここではそれはやりたくなかったというのが一つ。
あともう一つは、倉下さんもブログで指摘していただいてましたけど、実は構成が違うんですよね。
構成が違わないんだけど1個描けてるんですよね。
具体的に言うとインタビューパートに、描くためのメンタルというパートが今まであったんですけど、それが今回ないと。
これは後書きというか、終わりにちらっと書いたんですけども。
その話が出なかったっていうことなんですけど、逆に言えば描くためのメンタルをサポートするような、
そのためにどうするのかっていう話が実はそれ以外の全編に散りばめられているというか。
すべて繋がってるみたいな感じですよね。
そうなんですよ。
なのであえてそのパートを設ける必要がなかったというか、設けようとしたけど設けられなかったというか。
結果的にアウトラインが変わったというのが二つ。
それができるところがすごいですよね。
普通は、普通というか言い方がおかしいか。
商業出版でシリーズもやったら構成の流度は揃えないとダメですよね。
まあそうなりますよね。
流度を揃えないって結構、大事って言っちゃうとちょっと語弊がありますけど、
結果的に揃うのはいいんですけど、最初から揃えようとすると、
それはもちろん自分のやり方にもよるんですけど、ちょっと気が抜けてしまうところが出てくる。
あるでしょうね。
自分にそのパートを設けたことによって、そのパートに無理に入れる部分が出てきて、
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結果その熱量が低下したパートができてしまうという。
ありますよね。
揃えるために一つでいいものを二つに分割したりとか、
無理やり発想法でひねられたりとかっていうやつありますよね。
そうなんです。
今僕ちょうど今回のワード段階の原稿を見てるんですけど、
これアウトラインを折りたたんでみると、やっぱり技術とプロセスの量が圧倒的に多かったりとか、
分量が違ったり、見出しの下に入っている量も見出しによって全然違ったりとかっていうのは、
これひょっとすると商業出版ではちょっと直せよって言われることかもしれないですね。
もうそれは気にしないと。
そこが自由に出せるところがいいし、
それが本というものの本来的な形かなという気もする。
つまり最近のフォーマット化されすぎてるという予感もあるんですが。
まあよしよしですよね。
数をこなすためにはある程度そこは妥協せなあかん点はあるんでしょうけども。
あとなるべく形を揃えようとしつつ、ギリギリ攻め合うみたいなところの面白さがあったりとかですね。
毎回位置から組み立ててるわけでもないし、
かといってフォーマットに縛られすぎてもいないっていう、
ブログで書いた、切断と接続か、
その両攻めぎ合いがあるからこそっていうところですね。
あのワードは素晴らしかったですね。
どうしたら内容に入るかな。
この本をもしキーワードを一つだけしか上げてはいけないと、
一つ以上上げたら重殺刑されるぞっていうふうにやったら有限化っていうのがキーワードなんです。
執筆における有限化っていうのがキーワードなんですけど、
二つ上げていいんだったらやっぱり切断と接続なんですよね。
有限化ってもともと千葉さんの言葉ですけれども、
千葉さんの言葉っていうと語弊ありますけど、
僕は有限化と切り離せないっていう言葉を使ってるんですよ。
それって結局切断と接続だよな。
より洗練された言葉にするとそうなる。
洗練されたって言うとまたゴレムの辺がありますね。
まとまりがいいですよね。
一言で言うならばそれだなというところですね。
だからそこが結局アウトラインプロセッシングと交互するとこなんですよね、基本的には。
バラバラにするからつなげられるし、
つないであるという認識があるからバラバラにできるんですよね。
この感覚を両方保つっていうね、
ぶつ切りにするだけでもなく、
一塊として出すことだけを考えるんでもないっていうのが、
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千葉さん全体のワークフローに通定している。
数学と言うとちょっと大げさですけども、感覚でしょうね、きっと。
やっぱりまとめていたときに、
後ろのほうで喋っていることの中に前のほうとつながることがあるわけです。
その逆もあるし。
あるいは、内容に入っちゃいますけど、
例えばワークフローの中で作業をするところから始まって、
それがスクリプナーなりよりシーズンの中で原稿になって、
ワードの中で完成するっていうフローがあるんですけど、
それがワークフロー、全部つながっているけれども、
それぞれの段階は有限化されている。
それこそ喫茶店である時間の中で作業する。
ワークフローのこのパートの中で作業する。
それが出来上がったら、
例えばスクリプナーのある箱の中で作業するとか、
それぞれの段階でそれぞれに必要な有限化をして、
切り離してしながら進んでいくんだけれども、
全体は最初から最後までつながっているという、
もうちょっと上手い言い方があると思うんですけど、
ざっくり言うとそういう感じ。
あらゆる面でそれを感じるというか。
そうですね。
難しいですね、これ。
今言ってて思ったんですけど、
千葉さんが話したことがあまりにも完成しているので、
それ以外の言葉で説明しようとしてもできない。
読んでくださいとしか言いようがないんですけどね。
この本を読んでて面白いなと思ったと同時に、
これは難しかっただろうなと思ったんですよね。
つまりある種の、これもブログに書いた話なんですけど、
書き手って絶対に何かしらの工夫はしてるんですよね。
教科書通りに書いてる人なんて一人もいないと思うんですよ。
教科書っていうのがあるかどうか知りませんけど。
それは工夫があってそれで上手くいけるっていうことはみんな知ってるんですけど、
その行為が自分にとってどんな意味を持つかを
自覚的というかもっと言うと分析的に考えておられる方は結構少数なんですよね。
こうやったら上手くいくっていうのは知ってても、
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なぜそれがそうなのか、そうなっているのかっていうことまではあまり考えない。
だからそれを一緒に考えてみようみたいなのがケース1、ケース2。
どっちかというとケース2の傾向が強かったな、
これって何でしょうみたいな話を二人で盛り上げていくみたいなところだったんですけど、
ケース3の場合はもう始めから結論がドーンとあるんで、
そのドーンにたくさんが登っていくみたいな、
その上に登ったらどんな風景が見えるかなみたいな、
そういう感触がありましたね、この本は。
そうですね。
ケース2のマリエさんのときはやっぱりそれを二人で見つけ出していくみたいな作業があったと思うし、
見つかったものが非常に面白かったというか、そういうところがあって。
ケース1の佐々木翔吾さんのときは逆に僕が聞きながらひたすら驚き続けるという。
佐々木さんの方が意図的かどうかは知らないけど、無自覚というか、
できますよねーみたいな感じから入りますよね。
あれもたぶん言葉通りに聞いちゃいけないと思うんですけど。
だからそこは解きほぐすことはあっても、
佐々木メソッドの中にあるものを解きほぐす必要はあっても、
登っていく感じはないんですよね、あんまり。
そうですね。
今回の千葉さんは、やっぱり千葉さんがすべてを説明できる。
これこうなってるんです、なぜならこうなんですってのがあるんですよね。
すでに分析がされているわけですよね。
そうそう。
だから結局、それをそのまま書き写すせば、
もうものになっちゃうところがあるんですけど。
そうですね。
どうやったら自分がこういう話を、
わざわざ2時間もかけて千葉さんから伺うということの意味を、
どこに見出すかっていうところが結構難しいところがあって。
そう思いました、これは。
それに成功しているかしていないかというのは、
たぶん読んでくださった方が判断すると思うんですけど。
何しろ千葉さんのお話そのものが党的に面白いし、
役に立つんですよね。
役に立ちますね、実際的なのですよね。
もちろんその実際的なのは千葉さんが、
一応このシリーズの趣旨を千葉さんが念頭に置いて、
そうなるようにしゃべってくれたというところももちろんありますし。
僕が哲学の話を千葉さんとしようとしたってできるはずがないので。
あとやっぱり実用書の範疇にどれだけ留められるかっていうところもあったんで。
実用書の範疇に留めていても、
やっぱり千葉さんの相手その言葉を使ってしまうと、
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その哲学というのは絶対にこの中に封じ込められてるわけですよね。
結構そのものなんですよね、これ。
そうやと思います。
テクニック論、ノウハウ論なんだけれども、
これ結構高度なものが封じ込められていて。
封じ込められてると思います。
そこをどう文章化できているかというところしかないかなと思っていて。
それが本当にできてるのかできてないのかは、
ちょっと非常に難しいところですけれども。
ただやっぱりそこで千葉さんの口調を生かすっていうことを重視したのは間違ってなかったなとは思ってますけどね。
全体を見たわけではないとなんとも言えないんですけど、
編集としてもうまいことできてたなと思って。
カーソルで文字を選択すると青くなってしまうのが嫌っていうところがあって、
笑い笑いなんですけど。
まあ普通の編集だったらそこを切るんですよ、きっと。
でもね、あれが圧倒的に大切なんですよね。
そうだと思います。
そう言ってくれると嬉しいですね。
つまりね、執筆活動における感覚的な、
肉体的と言ったほうがいいかな。
肉体的なものと思念的なものっていうのが両方必要なんですよね。
思念的なものの論理、つまりもっと言うと単純に言うと論理ですね。
青くなったら嫌みたいな話は全然いらんのですよね、これは。
でもね、書いてるのは人間なので、
青くなったら嫌とかフォントが汚いみたいなのは欠かせない話なんですよね。
それがさりげなく添えられてるところがあって、
いやーこういうのがいいなと個人的には読みながら笑ってたんですけど。
そこはかなり意識したというか、他もそれを意識してるんですけど。
そうですね。だから一見あんまり重要じゃないことを、
会話のやりとりが結構残っていて、
でも重要なんですよね。
本当に重要じゃないことは切ってあるんですけど。
そうでしょうね。
そうしたら千葉さんのお話の中で後半のほうに出てくる、
頭の中から出てきた順番に出てきた言葉で書くのが大事だと。
あれもすごい話でしたね。
まさにそれで、自分のやり方間違ってないなというふうに感じたんですけど、
何を残して何を切るかっていうところの面白さと難しさというか。
そうですね。編集の妙ですよね、そこが。
あとすごいね、一つ一つ実際に真似できる要素がたくさん入ってて。
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だからそのトピックスについて全部語るとね、
たぶんこの内田さん3回はたぶん喋れると思うんですけど。
いやだからこれ密度すごいですよね。
そう、密度が圧倒的にすごい。
インタビューパートの。
どこもかしこも面白いですもん。
そうですよね。他もそう思いますね。
出てきた順番が大切っていうのも結局この段編と接続の話なんですよね、基本的には。
ややと哲学方向に話を向けると、
思念、理念、頭の中にある着想みたいなのはある種の無限性を帯びてるんですよね。
例えばまだ書かれていない頭の中にある傑作っていうのは常に傑作なんですよ。
それは無限の可能性を持ってるから。
それをひっくり返すと心配事の際には起こらないって話がありますけど、
心配事も無限に膨らむんですよね。
思念っていうのは結局無限の性質を持っていると。
それになんとか固有の形、切断して固有の形を与えていかない限り、
簡単に言うとアウトプットにはならないんですよね。
だからどうにかして切断していくと。
その一番象徴的だったのがビジュアル系。
だから結局形以上に切断するものはないんですよね。
リアルなものだから。
ディスプレイであったとしてもリアルなものなんで。
だから無限にあるものから有限に向かって進んでいく矢印があらゆるプロセスに見えるんですよ。
先ほど出てきましたけど、あの行為自体が千葉哲学なんですよね。
無限性との付き合いっていうことだと思うんですよね。
ビジュアル系の話というか、読んでない方のためにあれですけど、
千葉さんが言われたのが、
例えば短髪の原稿はユリシーズを使って書くっていう話をしていて、
最後はワードに移して仕上げますという話のときに、
なんでユリシーズの中で完成させないとわざわざワードに移るんですかっていうことを聞いたわけですね。
千葉さんが、最終的な形になっていないと完成しないんです、という話を千葉さんがしたんですけれども。
最終的な形を、要するにワードで最終的に出版されるときはインデザインなりで組まれるわけですけど、
そのときの文字組みをワードで再現してやるわけですよね。
文字組みというか、一行が何文字でっていうところが。
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ページ構成みたいなやつですね。
その形になっていないと本当には完成しないということを言われていて。
あとワードで提出するから、最終的な提出する形になっていないと完成しないというところもあるんですけど。
最終的な形にするっていうことが何で重要かっていうと、
最終的な形にして固めないと、さらにその先も変わっていくわけですよね。
そうですね、常に。
だからそこの変わっていく時間の流れみたいなものを切断するみたいなところもあるんじゃないかなという気がしたんですけど。
なるほど。確かに。
その部分、レイアウトと内容が一体になった状態で初めて本当の結論が出てきますっていうのも、これもすごいんですよね。
でもね、確かにこれはそうなんですよね。
千葉さんの言われることって非常に尖っているという言い方はちょっとあれかな。
今まで聞いたことがないようなことを言われるっていう言い方がいいかな。なんですけど、逆張りではないんですよね。
逆張りとは違うんだけど、でも聞いたことがないことが書かれてるんですよね。
聞いたことがないんだけど、考えてみるとそうだよなって思わせることが多いんですよ。
ある局Aがあって、反対のBがあるとすると。プラスとマイナスでもいいんですけど。
局論っていうのは片方しか言わないってことじゃないですか。
逆張りっていうのはよく言われてることの反対のことを言うってことですね。
どちらでもないんですよね。
かといって中庸かというと、中庸ではないですね。
だからね、軸が違うんですよね。
X軸に対してY軸とかを持ってくるような感じがするんですよね。
そこが読んでいて圧倒的に面白いですね。
面白いですよね。
全体的に千葉さんの批評そのものもそんな感じなんですよ。
自流に乗るんでもなく、局論を打つんでもなく、新たな軸を持ってくる。
論理とかテキストの話を肉体とか、あるいは感覚とか、あるいはビジュアル、レイアウトみたいなもので固定するみたいな話。
繋がってるんですよね。切断じゃなくて。
本来バラバラなものがセットになって出てくるんですよね。
セットになって出てくると、僕たちの視点がより一つ上に行くというか、一つ上の階層で、
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ああ、そういうことやったんやっていうふうになるっていう目の開かされ方がありますよね。
やっぱりこれ、今もこのアウトライン状態で見てるんですけど、
やっぱりこれ本になった状態だからある程度順番に流れているように見えますけど、
結構これあっち飛んだりこっち飛んだりしながら喋ってるんですよね。
でもこういうふうに並べてみると、前半の話と後半の話が当然ながらちゃんと繋がっているというか、
あの話この話のように喋っているように見えるんだけれども、実は全然繋がってるというか、当たり前のことなんですけど。
でもそれは案外現象としては当たり前なんですけど、
僕たちの頭の中ではたぶんあんまり当たり前ではないのではないかという気がするんですが。
そうなんですよね。
後から見て、すごいな、繋がってたのかって思わせられるところもあるし、
逆に話を伺ってるときに、昔クオーク・エクスプレスで学校の課題の作文みたいなやつを書いてましたというものすごい話があるんですけど、
クオーク・エクスプレスはDTPソフトで文章を直接書いてました。
テキストボックスの中に直接書いてましたっていう話をしていた一方で、
後半で流し込むのが気持ちいいんですよみたいな話になって、あれなんか違うなみたいな。
それを千葉さん自身が、あれ最初に言ったこと違うなみたいなことを千葉さんが言われていたり。
そういう面白いところがあったりして。
緻密さと、ちょっと荒ってるところのバランスが面白いなというところもあったりして。
記憶の話になってくるとね、だいたいそうなりますけどね。
今リアルでやってることと記憶の話の乖離は大きいですからね。
でもそれ乖離じゃないんですよね。間違いじゃなくて。
まあそうでしょうね。
要するにテキストボックスの中に書くっていうのは、切断された、バラバラの断片的なものがあって、
でもそれを接続して一つのものとして形にするっていうことで言えば、たぶん同じ話で。
まあそうですよね。
だから記憶のことで言うと、今喋っている内容に引っかかる部分が過去の記憶のある側面を切り取ってくるんだろうから、きっと。
だから両方やってて、そのときこっちやってたなっていうのを思い出したっていうことなんでしょうけども。
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自分で何を言ってるのかわかんなくなってきましたね。
さっきの話で申し訳ないんですけど、レイアウトと内容が一体になったっていうのは、
実はもっと単純な話、例えば本のタイトルでもブログのタイトルでも見出しでもいいんですけど、
文字数が仮に決まってたとしたら、それに合わせて内容は変わらざるを得ないんですよね。
その内容っていうのは、表現の強弱とかも当然含んでのことなんですけど、
だから結局何かの固定化とか切断化する材料がない限り、その結論って呼べるものは何も生まれないんですよね。
そうですね。枠がないと。
そうそう、枠がないと何でも言えてしまうっていう状況なんで。
だから何にしろ、作業の仕方にしろ、枠を先に作るっていう、枠を意識するぐらいでいいのかな。
っていうのは、フレキシブルに適用できる原理ですよね、これは。
どのような文脈でも、先に枠を作っておくと。
そうやって話すと、ものすごく当たり前のことに思えるんですけど、話聞くと衝撃的に聞こえるんですよね。
僕らの解像度がまだ低いんでしょう、たぶんこれは。
自分が分かっていることをまだ言葉にできていないところはあると思うんですけど。
そうなんですよね。
だから枠を作ろうっていうのは、結局断片化の話ともイコールなんですけど、
でも今しゃべってても、本の面白さには勝てないですね。
いかに説明しようとしても、これ読んでもらったほうがいいなって思ってしまうところがありますね。
ありますね、ありますね。
パート2が大変なんですよ、これ。
うん、でしょうね。
パート2いらないんじゃないかと実は思ったんですけど。
ちょっと復習的なところ、面はあったのになれないですね。
そうかつ復習。
意外な点を掘り出した感は薄かったですね、他のパート、他のケース1、ケース2に比べると、
その2を読んで改めて分かったことはちょっと少なかったですね、やっぱり。
少なかったって言うか、パート1の衝撃がデカすぎるっていうのはあったかもしれませんけどね。
そうですね。
いらないかって言うと、いらないこともないとは思うんですよ。
パート2で結局言っているのは、なんだろう。
千葉さんが使ってない言葉で言うと、ワークフローイで生活と仕事を執筆がつながっているっていうこと。
そのワークフローイの中で仕事をする、そこから切り出して原稿にしてっていうのは結局、
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そのワークフローイの中でタスクも書くし、それこそ哲学的な考察がその中で行われるしっていう、
あらゆることが、仕事も生活も全部そこに入ってるわけですよね。
そういうワークフローイの一つのアウトラインがあって、そこからプロジェクトが一つ立ち上がれば、タスクっていう1日1日の日付の下に書き出しているところから切り出して、
プロジェクトの項目ができて、プロジェクトとして独立した項目が立って、今度その中で時系列に書いていくと。
そこで考えたことがさらに切り出されて、スクリームのあらゆるシーズンの中で原稿になっていくっていう流れなんですけど。
そのワークフローイの中に仕事を執筆も含めた生活すべてが入っていて、そこからアウトプットが生まれていくっていう、
生活も仕事も含めて全部つながっているっていうところ。
それを仕組みとして作っているっていうことに、個人的には非常に感銘を受けまして。
パート2で書いてるのってそこですよね。
なるほど。
その話で言うと、3つぐらいトピックがあるんですけど。
1つはワークフローリーに、ワークフローリーって思想時代がここに1つのものを入れましょう、全部入れましょうみたいな感じじゃないですか。
実際に千葉さんも入れているにも関わらず、つまり接続されているにも関わらず、よく見ると切断されてるんですよね。
あれはアンダーバーかな。アンダーバーの区切り棒が入ってますよね。あれ切断してますよね。
画面ですね。千葉さんのワークフローリーの画面で。
だからワークフローリーにすべてを入れましょうって言うと、その話から聞こえてくるイメージやと、全部がつながってるイメージなんですけど、実はその中に箇所箇所切断箇所があるんですよ。
両方があるっていうところが、僕は非常に面白かったんですよね。
つながってる中で切断されてる。
増やされてるっていうことなんですよ。だから、さっきも言ったように、極端じゃないんですよね。
全部をここに入れましょうって言ったときに、例えば日付の項目を立てて、そこに思いついたことを全てまとめていく以上みたいな、そういう包括化というか全体化みたいなのが行われるのが極端なんですよね。
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でも実際行われてるのは、もっと複雑なことなんですよね。
まあそうですよね。
いろんな分説があって、その中での項目の移動があってっていう、動きもあってっていうふうに、単純な言葉で言ってしまうと多分伝わらないから、やっぱ本を読むしかないんですけど。
だから、全部入ってと言いつつも分かれてる。分かれてる、分説化されてるっていうのが、ワークフローリーの使い方として非常に面白いなと。
分かれているけれども、全部繋がってるんですよね。逆から言うと。
逆から言うと、そうなりますね。
横本もライフハックテクニックとしてよくあるんですよ。ノートのタイトルを横本にするっていうのは。あれも結局、論理的というよりはビジュアル的な、感覚的な切り分けですよね、要するにね。
あんなのも結構重要なんですよね。
重要ですね。
あれによって、自分の中での分説化、意味の乖離が起こるというか、役割がはっきりするっていうことがあるんで。
で、もう一つ思ったのが、切り出すって先ほどよく言われてましたけど、使い方がね、スクラップボックス的やなって思ったんですよ、あれ。
日付のところに書いたものをプロジェクトとして独立させるって、プロジェクトの別の親項目のところに行くっていうのは、スクラップボックス的やなと思って。
こういうミックスというか思想の融合の方法があったんやなと思って。
確かにスクラップボックスに比べると、ちょっと移動の手間はあると思うんですよ、ワークフローリーでやると。
でもまあ可能なんだなと、実際にやってる人がいるわけですから。
だからその、やっぱり、日付を作ってしまうと日付に全部入れたくなるし、プロジェクトに作れると今度日付に入れたくなくなるみたいなのがあるんですけど、
案外融合できるんやなと。
そこはすごい思いましたね。
ああいうスクラップボックス的運用がワークフローリーでできるのは、これがたぶん僕の中で一番実用的に感じた話ですね。
あとワークフローリーの話に移ってきたんですけど、アウトライナー使いとして見たときの千葉さんのワークフローリーの使い方で面白かった点とかってありました?
それも中に書いてあるんですけど、アウトラインの使い方としては、総合的なアウトラインと分析的なアウトラインという使い分けをしているというところ。
これはここで初めて出てきた話ではなくて、メイキング・オブ・勉強の説が本の中に詳しく書かれていて、僕その話がすごい好きだったんですけど。
これすごい面白いなっていうか、たぶんこういうことを言ってる人って他にいないと思うんですよね。
アウトライナーを使うときに、大抵の人はアウトライナーを使うというと、書こうとしてる文章の構成案、目次案的なものをそれで作ってみたりとか。
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あとはリストの入れ込みみたいな感じでリストを整理してみたりとかっていう使い方になると思うんですけど。
千葉さんの使い方って、まず総合的なアウトラインっていうのは、千葉さんの言い方とか。
総合的なフリーライティングですね、たぶん本の中では。
アウトラインって言い方されてましたっけ?フリーライティングじゃなかったかな。
えーと、そこではなくて、総合的なアウトラインと分析的なアウトラインっていう。
アウトラインと分かりました。
フリーライティングも総合的とあれがあるんですけど。
総合的なアウトラインっていうのは、例えばこれから本を書こうっていうときに、
その本に関するあらゆる要素をガーッと混ぜ込んで全体を考えていくっていうアウトラインですよね。
それはわりにイメージしやすい気がするんですけど、分析的なアウトラインっていうのは、
例えば本文を書いていて、なんかちょっと詰まっちゃったっていうときに、
何に詰まっているのかっていうのをその場でアウトラインにして、
こういうふうにいこうと思ったんだけどいけなかったっていうときに、
じゃあどうするべきなのか、どういう生き方があるのかっていうのを分析的に考えていくっていう。
そのためにアウトラインを作る。
そこで答えが出たら、もうそのアウトラインは用済みになるわけですよ。
そういうアウトラインといってもいろんな使い方があるっていうことを、
すごく形にしてみせてくれてるところが面白いなと。
それをアウトライナーでやるメリット、例えばワードとかスクリプターであれば、
コメント機能みたいなのがあって、本文と違うレイヤーで文字を重ねることもできますし、
僕、普通のテキストエディターであれば、
例えばその本文の下に何かしらの記号、星マークとかを入れて、
その先の分析的なことを書くみたいなことはよくするわけですけど、
アウトライナーでそれをやるメリット、やると何がうれしいのかみたいなのってあります?
実際に考えるときにアウトライナーの機能を使えるっていうのが一つあると思うんですけど、
もう一つはやっぱり全部ワークフローインならワークフローインの中でそれができるっていうことじゃないかと思うんですよね。
原稿は原稿でもちろん別にあるんですけど、
それこそプロジェクトについて考えたことが逆に全部ワークフローインの中のプロジェクトの項目の下に入っている。
だから後からたどっていくことができるわけですよね。
こういうことを考えていったっていうことが。
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それが一つ大きなメリット。
だからアウトライナーというよりもワークフローインのメリットがあるかもしれないですけど。
なるほど。原稿と別にあったほうがいいんか。
僕結構そこ、「じゃあ原稿のアウトラインって作ってないんですか?」みたいなことを結構聞いてるんですけど、
作ってないんですよね、たぶん。
原稿は原稿であるんだけれども、それとは別にアウトラインがあると。
うんうん、はいわかりました。言ってることはわかりました。
で、そのアウトラインは原稿のアウトラインを作ってるわけじゃないんですよね。
それに概念…イマジダニーな…まずイマジダニーな…何やろ。
仮想的な指針としての見出しをまず作って、それを見ながら本文は書くけど、
仮想的な見出しを膨らまして文章にしていくわけではないというわけですよね。
だからトピックリストとロジックが組み合わさったものだという言い方ですよね、今日の話の言い方でいうとアウトラインという。
わかりやすいですね。
だから文章そのもののアウトラインではないと。
だから最初にそのアウトラインを何て呼ぶかちょっと難しいですけど、
トピックとロジックリストを作らはるときに、どこまで文章の流れは全然考えないんですかね。
もう本当に論理だけなんですかね。
そのへんは千葉さんの言い方は何でしょうね。
ワークフローイなアウトラインの中で考えたことが実際に文章に暗演されるとしても4分の1ぐらいみたいな言い方ですね。
だからやっぱりアウトライナーの中で考えることと、文章そのものというか本文がやっぱりあくまでも千葉さんの中では別だっていうことですよね。
僕もだいたいよく別にするんですよね。アウトライナーでコブコブ立てといて、それを見ながらっていうことをよくやるんですよね。
アウトライナーというかワークフローイの中で本文を書くことはできないというふうに千葉さんは明確に言ってますね。
僕もワークフローイでは書けないですけど。
僕は一時期書いてましたけどね、横のバレットを消さないと無理でしたね。
いやでもまあそれがいいんでしょうね、きっと。おそらくは。書けないというか書かないというか。
だからこそ純粋に考えられるっていうところがあるんですね。
やっぱりそれはあると思いますね。文章を書こうとするときに一番わかりやすいのは文末を揃えないとか、文末が単調にならないように揃えるとか。
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これもこのレイアウトとあれの話で一緒なんですけど、そこを変えると文章が変わるんですよね。
ほにゃららですですが続いているのが嫌やからほにゃららでしょうみたいなことを言うと、その文章の強弱がちょっと変わるんですよね。
そうすると次の文が変わってくるんですよねこれ。
変わります。
そこで論理のケアをしようとすると結構脳が疲れるんですよね。
だからそこを文章を書かないで書くってよく言いますけど、文章を書くんじゃない思考みたいな。
千葉さんの言い方だと思考としての文章と美学的な文章は違うと。
それは結局グラデーションでつながってるんですけども、たぶん僕たちは真ん中あたりで作業をするんでしょうね、きっと。
非常にややこしいことになるんでしょうね、きっと。
普通に文章を書く、特にワープロ以降でキーボードで文章を書くっていうときに多数の人がやろうとするのはたぶんその真ん中でやってるわけですよね。
そうそう、きっとね。
そうすると実は結構負荷が高くなるっていうことかもしれない。
案外負荷はどうしても読める文章のまま先進んでいきたいっていうところがあるんで。
でもそれはたぶんプロセスを分解して、もう2ステップ後ぐらいでいいんですよね、きっと。
読める文章というのは。
だけど頭から出てきた着想の流れを捕まえることのほうがたぶん先なんですよね、きっと。
だから僕が最後もうちょっと聞ければよかったなっていうのがひとつあるとすれば。
聞いてるんですけど、千葉さんの言うところの見た目も含めた文章が完成に近づくじゃないですか。
そうすると見た目に頭が刺激されちゃって、全体を変えたくなっちゃったりすることが多いんですよね。
そういうことないんですかって聞いたら、いやありますよっていう感じだったんですけど。
そこでぐっちゃぐちゃになっちゃったりしないのかなっていうのが僕は個人的に、自分と一緒にしちゃいけないんですけど。
僕の場合はそこから本格的に始まるみたいなと。
なるほどね。
僕が今回に電子書籍を同時に2冊作ってたんですけど、やっぱり一番わかりやすいのが、原稿上でほとほぼできたと思って、
epubにしてepubの状態で読むと変えたくなるっていう。
変えたくなるのはありますね。変えたくなるのはありますけど、それほどガラガラガッシャンは少ないかな。
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ガラガラガッシャンまでいくようだと非常に困ったこともあるんですけど。
その段階でもアウトラインを組み替えられるっていうのが、それは千葉さんじゃなくて、僕の中ではワードの一番のメリットというところがありますよね。
はい、それはわかります。
章の流れを入れ替えるとか、もともと揃ってるパーツはあるけども順番を入れ替える程度であればありますね。
千葉さんもワードのアウトラインで章の順番を入れて、章立ての順番を変えることとかはありますって言い方されてましたね。
部品を変え始めると、さっき言ったように結局無限の拡散がまた始まってしまうので、
だからそこはもう諦める。
結局原稿って締め切りがあるもんなんで、どっかの妥協点が発生するんでしょうね。
妥協点って言うとちょっとネガティブすぎるか。
まあでもね、締め切りまでに終わらせなきゃいけないわけですよ。
結局、形があって並んでいたら、あとは読み手が受け取ったらいいだけの話みたいな放り投げ方も多分できるんで。
あることを伝えたいとして、その伝えたい形に自分が並べたとしたとしても、結局それが伝わる保証は皆無なわけですよね。
基本的には。もちろんそう並べたことによって、逆に受け取る人だって多分いるんですよ。
だからそういう意味での放り投げというか、これもっと前向きな言葉で言いたいんですけどね。
諦めと言うとちょっとネガティブですけど、もういいやっていう感じですよね。
締め切りがある言語はそれがもっと聞きやすいですよね。
そうですね。
セルパブはそれがない分、自由度が高いのがメリットでありつつも、無限の拡散がありますよね。
終わらなくなっちゃうってところはあるんですよね。
ありますね。
でも楽しいですよね、これね。
千葉さんって確かに僕と年近かったですよね。
ほとんど同じじゃないですか。
40か41とか多分そうなんですよね、きっと。
違ってもう一つだと思いますよ。
若い頃からいわゆるワープロというか、なんて言ったらいいんやろ。
手書きじゃない原稿を書き始めて育った世代っていうことですね、きっと。
そうですね。
僕らよりもうちょっと上だと手書き原稿の時代だと思うんですけど、ある程度は。
手書き原稿がかっこいいみたいな時代だと思うんですけど、
もう僕ら世代だと長い文章はほとんどキーボードで打つ世代なんで。
だからやっぱり独特の感覚はあるんでしょうね、その上の世代との違いというか。
48:04
僕は千葉さんよりちょうど10年上なんですよ。
倉下さんともそのぐらい違うんですよね、たぶん。
はい、そうですよね、たぶん。
でも倉下さんもそうなんですけど、千葉さんと話してても、わりに自分と感覚が似てるというか。
もっと上になると、本当に作家のイメージが…。
はいはいはい。わかりますわかります。
いわゆる文王的なイメージが。
万年筆に原稿用紙で着物を着てみたいなイメージの人がだんだん出てくるわけですよね、僕より上になると。
ちょうど僕ぐらいが境目じゃん、じゃないかな。
千葉さんはかなり早いですよね、いろんなこと。
そうですね、きっとそうだと思います。
中学生、高校生ぐらいからそういうのに触ってたら結構早いでしょうね。
僕も中学生ぐらいまで、いわゆる原稿用紙に文字を埋めてたこともありますけど、高校以降はほぼなくなりましたからね。
そうですね、初は大学2年か3年ぐらいなんで。
それ以前は手で書いてたわけですよね、きっと何か書くとすれば。
手で書くってめんどくさいんですけど、結局常に固有化というか有限化装置がそこに働いてるんで、あれ。
手は疲れますけど。
だからその感覚はあるんだから、いきなりパソコンに向かうと逆に書けないみたいなことはあるんかもしれませんね。
いくらでも書けてしまうがゆえに。
それはありますよね、歯止めがなくなるというか。
なくなる、そういう感じは。
しかもそこにインターネットっていうのが接続されてますからね。
そこがまたもう一段階変わりますね。
そうですね、ここがまた別世界の接続なんですけどね。
やっぱり現代、デジタルで文章を書くっていう、特によりテーマがこっち側に来る。
テーマと締め切りが書き手側にユーズが聞くようになる時代になってくると、やっぱりいかに切断していくかっていうのは常なる課題になってくるでしょうね、きっと。
そうですね。
結局ブログとかも続けようと思ったら、ある種のフォーマットというと強いですけど、こういう形で書くみたいな。
だいたいのニファンスが限定されないと多分続けられないと思うんですよね。
そうですよね。
続けることで、
何ですかね。
続けることで。
続けることで、さっきの言い方で言うと、ブログというものの中で断片が統合されるんですよね。
51:08
しかもやっぱりそこで順番が重要なんですよ。出てきた順番、自分が記事を書いた順番が重要なんですよね。
ブログって結構いい切断装置なんですよね。ツイッターほどではないんですけど、案外いいんですよね、あれ。後から読み返しても面白いですし。
ブログの場合はこの日に書いた、この日の記事という、日付と結びついてるところがある。もちろん1日の中に複数の記事を書こうとか書けますけど。
ブログの1日の記事の中で、見出しが2段階の見出しがあって、書く見出しの下に3つも4つも説があるみたいなことは普通やらないですよね。
そうですね、普通は。
で、その1回1回の記事の中で完結させるということによって、長期的にそれをやっていれば無理なく記事が溜まっていくっていうところはありますよね。
結局ブログを書くときってかなりの諦めがあるんで。諦めってさっき言うといい意味での諦めが。
2センジってあるスタイルの2センジってブログの中で長い方ですけど、2センジの中で言い切れることなんて少ないわけですよね。
結局それは例えば、自分にとっても負担やし、読み手にとっても負担やなとかいろいろ言い訳を引っ張ってきて、そこで遮断するわけですよね。
パブリッシュボタンを押すわけですよね。仮説としての結論を出して終わるわけですよね。
終わるからこそ次また書けるし、そういう記事が1000も2000もたまることによって、新しい統合が生まれるっていう形になってるんで。
だからやっぱりいきなり本を書こうとしてはいけないですよね、きっと。
いきなり本を書くって難しいですね、当たり前ですけど。
みなさんが思ってる以上にたぶん難しいですよね、これは。
難しいですね、本当に。今さら言うのもあれですけど。
でもやっぱりブログで断片重ねていくっていうのは、しんどさはあるかもしれませんけど、分割されたしんどさですよね、それは。
そうですね。一回一回のややしんど、ややしんどってことみたいなのが、ずっと続くみたいな。
結局そういう原稿をもとに、一冊の本にしてもいいし、そういう原稿を読み返しながらまた自分の新たな計算を、つまりそれをアウトラインにしてまた書き起こしてもいいわけですからね、全体を。
っていう話の中で盛り上げるんですけど、たくさん編集されたと言われている山間さんの本が、同じ日でしたっけ、発売日。
同じ日です。
同じ日。
わざとぶつけたんですか。
いや違うよ、ぶつかっちゃったんです。
きっさアメリカンについて言いたいこと山々です。
54:00
5年間の主観たっぷり研究記録という本が同日に発売されている。
こっちはややお高めの580円なんですけど、これボリュームがすごいんですよね。
すごいですよ。9万字ぐらいなんですかね。
2014年から始まって2019年までのきっさアメリカンっていう喫茶店について書かれた50のブログ記事がまとめて本になっていると。
これ編集協力ということで、どれぐらいのコミット度なんですかね、編集としては。
編集としては実はそんなにやってなくて、最初はもっとがっつり。
古い記事もあるんで、がっつり切り張りをして入れ替えて、全然違うものにしちゃうぐらいのイメージで実は最初は言ったんですけど。
その素材として、それこそさっき言ったみたいに、5年分の記事を時系列に並べたものを上から下まで一回読んだんですよね。
そしたら、これはこの順番で並んでるのが一番面白いと思っちゃったんで。
結局、山本さんもおそらくそう思ったんだと思うんですけど。
なのですぐにそういう結論になって、じゃあこれはもう時系列に並べましょうということになったので、
結果的には文字自体はほとんど触ってなくて、ほとんど山本さんがやりましたね、一人で。
構成を組み立てるときにどういう考え方。時系列は時系列としても、木を3つぐらいの木に分かれてるんですよね。
木になる木と研究木と親密木の3つに分かれてますね。
それも山本さんのアイディアなんですけど、どういうふうに各段階を分けるかっていうアイディアがいくつかあって、
それを話しながら決めて、最終的に今の形になったというわりに相談外でじゃないですけど。
いやーでも、こういうセルフプログレッシングってたぶん大切でしょうね、きっと。
何しろ初めてなうえに量が多いんで。
あとこの記事は季節物だから削っちゃったほうがいいとか削らないほうがいいとか、
そういうことをわりにこまめに話しながら決めてたりとかして。
あとそのメインじゃないコンテンツをどういうふうに配置するのかとか。
マスターのインタビューを入れたほうがいいのかとか、そういうのをやりとりしながら決めていって。
EPUB作りは僕がやったという感じですね。
なるほど。そういうことか。
これ、各日記の記事のタイトルは本物の記事のタイトルと変わってないですかね。
57:08
変わっているものもあります。
基本変わってないですけど変わっているものもあると思います。
これはブロガーのほうのあるべき形のひとつみたいな感じですよね。
そうだと思いますよ。
いろんな考え方があって、
自分の話になっちゃいますけど、オトラインプロセッシング入門というのもブログ本なんですけど、
あれはもう完全に原型をとどめないぐらいシャッフルしてあるんですよね。
そういう作り方もひとつあるんですし、
逆に今回の山間さんみたいに、
もともとのブログというものの時系列制を生かして作るというやり方もあるなっていうのが、
たぶんこれで形になったと思うんですけど。
これは僕が原稿もらっても時系列並べるしかないという判断を下したでしょうね、おそらくは。
やっぱり時系列制がコンテンツそのものなんで。
結局、2つの変化があって、山間変化とアメリカン変化があって、
だからそれを追いかける形でないと意味がない。
アメリカンのメニューを一個一個紹介しているだけのコンテンツであれば、
メニューの整合性によって並び替えるとかはありますけど、
そうじゃないんでね、このコンテンツは。
この変化自体が結構面白いし。
だからそういう形のコンテンツにするときにどう並べるのか。
時系列なんだけど、ただブログの記事を並べただけではないわけですよね。
もちろん中身の文章にも山間さん自身がかなり手を入れてるんですけど。
例えば、一つ一つの記事のタイトルの後ろに日付を必ず入れるとか。
あと山間さんの根本のアイディアである気になる記、研究記、親密記っていうの。
恋愛になぞらえてるわけですね。
スタンダールみたいな感じの。
それすごい面白いアイディアだなと思って、
じゃあそれでいきましょうっていう話にしたりとか。
タイトルはちなみにすぐ決まりました?
いや、決まらなかったです。ギリギリまで決まらなかった。
でもこれがいいタイトルだと思うんですよ。
いやーもう見事なタイトルですね。見事なタイトルだと思います。
特に副題のこの5年間の主観たっぷり研究記録がね、いい味を出してますね。
いい味出してるし、このメインタイトルもね、決まってみればこれ以外にありえないタイトルなんですけど、
ギリギリまで決まらなくて。
1:00:00
これはですね、コアキングスペースの小枝堂に行ってですね、
あとは表紙。表紙もね、これすごく実はいいんですけど。
表紙を作ってくれたイラストレーターの松永みなみさんという方と、
3人でブレストをして決まったんですけど。
いいですね。門中の知恵的にいいタイトルになったと思いますよ、これは。
結構結果的に何も決めずに始めたわりにいろんなことがうまくいった感じですね。
大変手前味噌ですが、これいいと思います。
いやだから、昨今のしょうもないブログ論と比較したら、
やっぱりこれは地に足のついたコンテンツやなという感じがしますね。
非常にね、正しいブログ本になったかなと。
そうですね。例えば2014年から2019年までの記事が仮にブログにあったとしても、
一個一個ピックして読むのはちょっとしんどいものがありますからね。
それがパッケージされてるというだけでも十分読む価値があります。
やっぱりそれだけを取り出して読むと、さっき言ったように変化が追いやすいんですよね。
そうですね。
いやだから、書評は書けてないんですけど、書くつもりはおるんですけど、
この本によって、キッス・アメリカンの書きかっこつきの歴史っていうのが生まれたなって僕は言えると思うんですよ。
歴史って記述されなければ生まれないもんなんで。
だからこの研究記録って書かれてる。
この研究って言葉は多分僕は大げさではないなと思うんですよ。
もちろん学術的に価値があろうがなかろうが、誰かがこのキッス・アメリカンに興味を持とうが持たないが、
これは研究と読んでいいんではないかなと。
ちょっと民族ワークじゃないけれど、フィールドワーク的な動きもありますよね。
まさにフィールドワークですよね。やってることはほぼそれですよね。
そうですね。興味があれば。
興味があればっていうか、何に興味がある人がこれを読んで、エッセイが好きな人は普通に読んで面白いと思いますけど。
これも全記事を山間さんがワードのアウトラインに入れてやったんですね。
この並びがいいなって実感できたのと、やっぱりワードのアウトラインを立たせたからだと思うんですよ。
そういう、いろんなツールの使い方とか手法が実際にその中身に与える影響って結構あるなと思っていて。
こちらが意見を言うときにも、ワードの状態でもらって僕がこっちでアウトラインを折り畳むと、「いいんじゃないですかこれ」って言えるわけですよね。
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全部読まないとわからないような、結構大変なんですよ、構成がいいのか悪いのかっていうのは。
ワードのアウトラインモードが使えたというのも実は大きかったりとかしますね。
キッス・アメリカンについて言いたいこと山々です。5年間の主観たっぷり研究記録。
これはKindleだけですよね、たしか。
Kindleだけです。
たぶん山間書房で検索すると見つかると思います。
山間書房で検索して見つかると。なんだそれ。
でもおそらくこのシリーズ、このレーベル名で今後もたぶん本を書かれていくんでしょうから、きっと。
山間書房って。
ミスズ書房と書かれているということが、こないだ判明して非常に衝撃を受けました。
ミスズ書房は結構岩波倶楽部のお堅い印象の審判所ですからね。
山間さんは非常に頑張ったので、ぜひぜひという感じですね。
Unlimitedも対応ですよね、これたしか。
対応です。もちろん対応です。
じゃあ読み放題でも読めますんで、よろしかったらどうぞ。
というわけで今日は今回はこんなぐらいにしたいと思います。
お疲れさまでした。
ありがとうございました。
はい、失礼します。
01:04:28

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